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韻書いんしょ

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敦煌とんこう发现てき王仁わにかん谬补かけきりざんまき,编号Pelliot chinois 2011,简称为《おういち》,现藏ほうこく国家こっか图书馆

韻書いんしょ中国ちゅうごく古代こだい按韵编排てき字典じてん記錄きろくりょうごといちてき意義いぎかえよう反切はんせつ記錄きろくりょう它的读音。韻書いんしょいんひょう不同ふどうしょざい於韻ひょうあきらいち既定きていてき格式かくしき按着おといん調しらべらい排列はいれつ

最初さいしょ,韵书编纂てき目的もくてき文学ぶんがく创作,方便ほうべん诗人韵写诗。同時どうじ,韵书也具有ぐゆう字典じてんてき作用さよう以按あきらてき读音查询其意义。

かんかた韻書いんしょ历史

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中國ちゅうごく最早もはやてき韻書いんしょさんこく時期じきのぼる編著へんちょてきこえるい》,いまやめ佚失。からふうえんじ聞見せつ:「《こえるいじゅうかん,凡一まんいちせんひゃくじゅう。以五ごえいのちたてもろ。」

すすむだいりょせい編著へんちょゆういんしゅう》,《しょ·しきでん:「まことおとうとせいべつ倣故ひだりこうれいのぼるこえるいこれほうさくいんしゅうかん,『みやしょうすみちょうはねかくためいちへん。」ただし此書またやめ佚亡。修訂しゅうていきりいんてきがお推在《かお家訓かくん·おんへんうら批評ひひょうりょせい:「『なり、仍、ひろしとう合成ごうせいりょういん,『ためえきいしぶんさくよんしょう。」這說明せつめいいんしゅう》跟《きりいんぶんいんそんゆうぶん歧。

かんかた韻書いんしょ胎於とうだいまごおさむずいだいりくほうげんこれきりいん》,あらためためからいん》。王仁わにこれかん補缺ほけつきりいん》也是《きりいんてきいちぞうおさむほん,较《からいんさらはやただしまご愐曾利用りよう朝廷ちょうてい扩大《からいん影響えいきょうからいん》雖為まご愐私ちょ命名めいめい卻帶かんかた性質せいしつため當時とうじ押韻おういん標準ひょうじゅん。《からいんゆう206いん,其中ていぼう些韻どうもちい故實こじつ僅112いん。孙愐《から韵》きさき还有いち种《广唐韵》[1][2]

そう广韵

そう真宗しんしゅう大中おおなかさち元年がんねんおおやけもと1008ねんちん彭年とうひとたてまつみことのりよりどころさらはやこれきりいん》、《からいんとう韻書いんしょ修成しゅうせいだいそうしげるおさむこういん》,そくこういん》。此亦使こういんなり中國ちゅうごく古代こだい首部しゅぶよしかんかたぬし修之のぶゆき韻書いんしょそうひとしむねけいゆうよんねんおおやけもと1037ねん),そくこういん》頒行29ねんそうていきゅうじんむね上書うわがき,批《こういん多用たようきゅうぶん,「しげるしょう失當しっとうゆうあやまためし」。另據おうおうたまかい記載きさい賈昌あさまたどう上書うわがき批評ひひょうそう真宗しんしゅうけいとく年間ねんかんへんいんりゃくためくんしゃくうたぐ混聲こんせいじゅう疊字じょうじ舉人誤用ごよう」。じんむねれいゆかり丁度ちょうどとうひとじゅうおさむ韻書いんしょ。结果けいゆうよんねん當年とうねんそく完成かんせいれいいんりゃく》,ねん於寶もとねんおおやけもと1039ねん完成かんせいしゅういん》。《あつまりいんためこういん修訂しゅうていほん,而《れいいんりゃくのりためいんりゃく修訂しゅうていほんいんれいいんりゃく》於收及字注釋ちゅうしゃく方面ほうめんみな为科举應ためしこう虑,較《こういん》、《あつまりいん簡略かんりゃくしょうさくいんりゃく》。またいん其為當時とうじ举考试用かんいん,而官いんしたがえとうだいひらきもと以來いらい就由主管しゅかん考試こうしてきれい頒行,所以ゆえんさけべれいいんりゃく》。《こういん》《あつまりいん》《れいいんりゃくまたはたぼういくいんどうもちい,雖仍ゆう206いんただしごう并可どうよういん僅剩108いん

中原なかはらおと

金代かなだい平水へいすい書籍しょせきそく山西さんせい平水へいすい地方ちほう管理かんり圖書印刷としょいんさつ官員かんいんおうぶんうつさく新刊しんかんいんりゃく》併舊いんため106いん後來こうらいりゅうふかしこくしょ刊行かんこうしんてきみずのえ新刊しんかんれいいんりゃくきょう107いん(此书やめ佚,僅能したがえもとはつこうくまただしてき古今ここんいんかい舉要》一書瞭解到一些概況)。あずかそうひとし宗景むねかげゆうよんねんはつ佈之206いん举考试用かんいんれいいんりゃく不同ふどうしんてきみずのえ新刊しんかんれいいんりゃくおうぶんうつてき106いんてき平水へいすい新刊しんかんいんりゃく一致いっちてき。106いん107いんこれ别只ざい於上ごえ「拯」、「迥」合併がっぺいあずかいなもとはつかげ時夫ときおちょいんぐんだまじょうめい106いんてき版本はんぽん为「平水へいすいいん」。明代あきよ以後いご文人ぶんじんそく沿用106いん

りゅう庆元ねん(1567)ほんひろし武正たけまさ韵》书影

ひろし武正たけまさいんため明太めんたいひろしはちねん(1375ねんらく韶鳳そうとう11にんたてまつみことのり編成へんせいあかり代官だいかんかた韻書いんしょきょう16かん。《ひろし武正たけまさいんざい明代あきよつぎ翻刻ほんこく影響えいきょう很大。《佩文いんのりかんよんじゅうさんねんおおやけもと1704ねんいたりじゅうねん(1716ねん间編輯成しょきょう106いんためしんだい举用かんかた韻書いんしょ完全かんぜんだいりょうひろし武正たけまさいん》。

如非かくりつ诗,词依《はやしただしいん押韻おういんきょくのり中原なかはら音韻おんいん押韻おういん

參考さんこう資料しりょう

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  1. ^ 张淏てき雲谷うんこく杂记》:“から天宝てんぽうちゅう,孙愐いんずい陆法ごときり韵》さくから韵》かんきさきまたゆう《广唐韵》かん不知ふちせんじんめい,《たかしぶん总目》ただしうんきさきじんはくさい见,丛冗。本朝ほんちょう太平たいへい兴国ちゅう,尝诏中正ちゅうせいとう详定,书成ごう《雍熙广韵》。けいとくちゅうまた诏陈彭年以《广唐韵》とう重行しげきこうじょう大中おおなかさち元年がんねんあらため为《だいそうしげるおさむ广韵》,盖今所存しょぞんしゃ。”
  2. ^ たかしぶん总目》さく“《から广韵》かん张参せん

參看さんかん

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外部がいぶ連結れんけつ

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