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释法みこと

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释法みこと(1902ねん—1980ねん12月14にち),俗名ぞくみょうゆたかかのえこう[1]ぞうめい罗桑却帕ぞう语:བློ་བཟང་ཆོས་འཕགས,转写:blo bzang cho 'phags,THL:Lobsang Chöpak)[2][3]法名ほうみょうみょうほうみこと[4]おとこ河北かわきたひと中国ちゅうごく现代佛教ぶっきょうそうじん,译师、佛学ぶつがくほまれ为“当代とうだいげん”,担任たんにん中国ちゅうごくふつ学院がくいんいん长。

生平おいだいら

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きよしひかり绪28ねん(1902ねんなま河北かわきたふかみなみあまね堡村。いん贫到ていとう师学做皮鞋,いん长时患病,がく业无なりとげ决定出家しゅっけ为僧。

1920ねん-1936ねん

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1920ねんはるまつ五台山ごだいさんたますめらぎ庙(即今そっこんてら出家しゅっけいち载慈うんてら[5][4]よし大勇たいゆう、远参讲经,刻苦こっくがく习深受大勇たいゆうほう赏识。隔年かくねんふゆざい北京ぺきんほうげんてら受戒じゅかいずいきさきいたり南京なんきんたから华山隆昌りゅうしょうてらけん习律がく及天だいきょう义。

1922ねん大勇たいゆうほうさく推荐じんとくいれ太虚たいきょだいしゅ办的たけあきらふつ学院がくいんがく习。

1923ねんふゆだいいさむゆかり日本にっぽんがく“东密”回国かいこくざい佛学ぶつがくいん传授文殊もんじゅ修法しゅほうほうとうとまた预会がく习。きさきらい大勇たいゆう日本にっぽんみつほう如西ぞうこと胜,决意りつ团前往西ぞうがくほう

1924ねんなつ毕业,ほうとうとにゅう大勇たいゆう创办てき佛教ぶっきょうぞう文学ぶんがくいん”,进学ぞうぶん

1925ねんなつ留藏とめぞうがくほう团”だし发进ぞう,经たけむべあきらじゅうきさきいた乐山,经まさやすしこぼしこしだいあいいたかんじょうしかよし西藏にしくらもり军疑がくほう团有政治せいじ作用さようかんぞう边界纠纷)阻拦于西にしやすし

1926ねんはるほうみことほう师与ろうぜんほう师前往跑马山,とめ慈愿だい师学习,どう接触せっしょくりょうむね喀巴てき比丘びく戒释》、《菩萨戒释》及《菩提ぼだいどう次第しだいりゃくとう著作ちょさく[6]

1927ねん春行はるゆきいたりぞう边甘つとむ县,复为もり军所阻,とま于甘つとむさつ迦寺亲近さつ迦大师,[6]またとぎ习《因明いんみょうにゅう门》、《现观しょう严论》、《べんりょうりょう义论》とう,并修がく菩提心ぼだいしんてきおさむ教授きょうじゅ及藏みつほう义。ほうみことほう师开はじめこぼし译宗喀巴てき《缘起赞》并略注解ちゅうかい[6]摘译りょうそう喀巴だい师传》及《おもねそこかい尊者そんじゃ传》;曾在《うみしおおん杂志うえ发表。

1929ねん大勇たいゆうほう师于あまつとむ扎迦てら(Dzagyal)过世。此后,よしほうみことほう师率领“留藏とめぞうがくほう团”继续西行さいぎょう

1930ねんはるいたあきら亲近やす东格西にしはじめひしげ'জাম-দ্পাল-রোল-বা'ই-ব্লো-গ্রোস Jampel Rolpai Lodro页面そん档备份そん互联网档あん) (1888-1936),受金刚鬘论法かいちゅうよんじゅう种法。夏季かきがくごえ明知めいち识,あききさき进藏,冬季とうきひしげ

1931ねんきさきとめやす东格西にしがく重要じゅうようてき西藏にしくら佛教ぶっきょう论典《菩提ぼだいどう次第しだい》、《密宗みっしゅうどう次第しだい》、[6]因明いんみょう总义论》、《现观しょう严论きんかずら释》、《だい论》及《いれちゅう论》とうどう时译《菩提ぼだいどう次第しだい广论》,同年どうねん太虚たいきょだい师创办汉藏教理きょうりいん

1933ねんふゆはつ离开ひしげ萨,ざい印度いんどあまはく缅甸おおせこう等地とうち朝礼ちょうれい佛陀ぶっだ圣迹。

1934ねんなつしん香港ほんこん上海しゃんはいいた宁波おもねいく王寺おうじゆき窦寺,谒见太虚たいきょだい师,仲秋ちゅうしゅう经武汉回じゅう庆,担任たんにん汉藏教理きょうりいん教学きょうがく工作こうさくけん管理かんりいん务。

1935ねんなつ成都せいとさき为阿旺堪ぬのこぼし译,讲そう喀巴だいてき《缘起赞论》。秋季しゅうき再度さいど进藏,冬季とうきいたひしげ萨。

1936ねんとめ绛则法王ほうおうがくほうはたぞうぶん菩提ぼだいどう次第しだい广论》及《密宗みっしゅうどうりゃく论》译成汉文出版しゅっぱんあききさき复往印度いんど从海回国かいこく,请回《ぞうぶん大藏おおくら经》とうかい汉藏教理きょうりいんきさき,继续こぼし译和教学きょうがく

1937ねん-1949ねん

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1937ねんあききさき请太むなしだい师在汉藏教理きょうりいん讲学,こぼし译《密宗みっしゅうどう次第しだい广论》。

抗日こうにち战争间,继续主持しゅうもち汉藏教理きょうりいん工作こうさく往来おうらい成都せいとしげる庆,讲经说法,译著ぞう汉有关经论。

1949ねんはただい毗婆すなぞう译完毕。

1950ねん-1956ねん

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1950ねんいたり北京ぺきん主持しゅうもち菩提ぼだい学会がっかい参加さんかだい一届人大文件和《宪法》ぞう译本てき审核ごとむべ,编辑ぞう汉、汉藏字典じてん词汇若干じゃっかん种。

1955ねん佛教ぶっきょう百科全书撰稿十余篇。

1956ねんあき中国ちゅうごくふつ学院がくいん成立せいりつきさきにん佛学ぶつがくいんふくいん长,けん讲授佛教ぶっきょう课程。讲授课程ゆう[6]比丘びくがく处》、《いれちゅう论颂》及《俱舍论》とう

1966ねん-1980ねん

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1966ねん文化ぶんかだい革命かくめいなかふつ学院がくいん解散かいさんきさきなりくろ参加さんか体力たいりょく劳动。

1972ねん解除かいじょくろ帮名义,恢复自由じゆう

1980ねんあきいずるにん中国ちゅうごくふつ学院がくいんいん长。同年どうねん12がつ14にち北京ぺきん广济てら示寂じじゃく晨,犹手とま书,为法忘身,闻者感泣かんきゅう

1980ねん12月14にち圆寂北京ぺきん广济てら寿ことぶき79岁,戒腊59龄。けん灵骨とう五台山ごだいさん广宗てら

译著

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ほうみことほう师译じゅつ等身とうしんぞう佛教ぶっきょう显密论(だいかく鲁派为主),しゅけい统地こぼし译成汉文りゅう传,译介西藏にしくら佛教ぶっきょうしょう著述ちょじゅつ120馀部(へん):

ふつ

印度いんど论书及其西藏にしくら注疏ちゅうそ

  • 现观しょう严论颂,弥勒みろくづくり
  • 现观しょう严论りゃく释,弥勒みろく造本ぞうほん颂(师子贤等じんさくりゃく释)
  • べんほうほうせい弥勒みろくづくり
  • ななじゅうそらせい,龙树づくり
  • せいけん论(そく广破论),龙树づくり
  • よんひゃく论颂,つつみばばづくり
  • いれちゅうがつたたえづく
  • いれちゅう论·ぜん显密疏,そう喀巴づくり
  • いれちゅう论善显密镜,达赖いちせいみやつこ
  • おもね毘达俱舍释·开显解脱げだつどう论,达赖いちせいづくり

西藏にしくら著述ちょじゅつ包含ほうがん入藏いりくらしるしじん

そう喀巴赞颂

  • 值遇三界法王大宗喀巴圣者愿文
  • そう喀巴だい师赞(ぞうぶん原文げんぶん

とめ

  • 菩提心ぼだいしん修法しゅほうたからきょうとう(贡唐·衮确贝准)
  • 地道じみち建立こんりゅう三宝さんぼう无畏(Könchok Jikmé Wangpo,贡却亟美ひろしなみ)じゅつ
  • 菩提ぼだいみちつねおさむ教授きょうじゅよん种),さつ迦述
  • 菩提ぼだいどう次第しだい修法しゅほうぜんとしきょうぞう广(かく邬仓·罗桑ぞうひさし尔吉)じゅつ
  • おさむとめほうりゃく

因明いんみょう

  • しゅうりょう略解りゃっかい,陈那づくり
  • 释量论略解りゃっかいほうしょうづくり
  • せいしょう严论,达赖いちせいづくり
  • こころあかり摄颂·あかり显取しゃ镜论(こころ类摄颂·あかりしゃ镜?)

戒律かいりつ

  • 菩萨戒品释,そう喀巴づくり
  • 苾刍がく处,そう喀巴じゅつ

密教みっきょうけん往生おうじょう净土)

  • 密宗みっしゅうどう次第しだい广论そう喀巴づくり
  • 密宗みっしゅうどう次第しだい论(原名げんめい续部总建立こんりゅうぶん释),かつしゅみやつこ
  • 胜集密教みっきょうおう五次第教授善显炬论,むね喀巴づくり
  • 密集みっしゅうだい教授きょうじゅ摄要
  • 七宝しっぽうえいSeven Treasuries龙钦ともえみやつこ
  • 吉祥きっしょうしゅうみつ圣派てきみつ咒地どう建立こんりゅうぜん缘者はり
  • 朵哈八藏大手印明显口授
  • りゃく明正めいせい见论
  • だいしるしりゃくぶん
  • ゆたか萨耳传供养上师与だいしるしあい诵法,ぜんとしほう幢造
  • きょう养上师会きょうほう
  • れいきょう尊者そんじゃほう达赖せいみやつこ
  • みこと瑜伽ゆがほうおもね旺堪ぬのづくり
  • きょう曼陀罗文 (おさむ录于《四种加行念诵仪轨合册》,まいり见《四加行法观行述记》)
  • きむ文殊もんじゅおもね惹巴扎拏修法しゅほう
  • 如意にょい轮白ははつね修法しゅほう
  • 西藏にしくら弥勒みろく修法しゅほう
  • 极乐发愿ぶんそう喀巴づくり
  • 极乐りゃくすなおぶん,无变きん刚(あきらたまふくぞう师)みやつこ
  • きよし净极乐世かいすなおぶん(续),无贫
  • 极乐すなおぶんねん诵法
  • のう往生おうじょう论修ほうはんぜんとしぜんほう
  • わたる往生おうじょうほうぜんとし大悲だいひ
  • ほどこせ冤债しょくほう

历史、传记、字典じてん

  • わかともえだい论师传
  • おもねそこかい尊者そんじゃ
  • そう喀巴だい师传
  • 西藏にしくら政治せいじさつ
  • かく西にしきょくさつぞうぶん辞典じてんかく西にしきょくきち扎巴(ほうみこと张克きょうごう译)

ほうみことほう师又だい毗婆すなひゃくかん译为ぞうぶん。并编ゆうぞうぶん文法ぶんぽう》、《西藏にしくら民族みんぞく政教せいきょう》、《现代西藏とりぞうとう

参考さんこう资料

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  1. ^ くらとし. ふかしゅうねん鑒, 2005【ゆたかかのえこう. [失效しっこう链接]
  2. ^ ほう兰. 五台高僧法尊法師與次第思想在學僧教育中的實踐. [2020-07-07]. (原始げんし内容ないようそん档于2021-01-26). 
  3. ^ Pema Bhum. Geshe Chödrak's Orthographical Dictionary (PDF). Latse Library Newsletter. 2005 [2020-07-07]. (原始げんし内容ないよう (PDF)そん档于2021-01-23). In 1957, the Nationalities Publishing House in Beijing published the Brda dag ming tshig gsal pa with Chinese translations for each term and definition. Lobsang Chöpak (whose identity is unknown to me) and Zhang Keqiang—a scholar of Buddhism and in particular Tibetan Buddhism, as well as translator of Jonang Taranatha's Religious History of India—were responsible for the Chinese translations. 作者さくしゃ指出さしでBrda dag ming tshig gsal paてき译者为 Lobsang Chöpak Zhang Keqiang;よし于 Brda dag ming tshig gsal pa そくかく西にしきょくさつぞうぶん辞典じてん》,いん此其译者就是ほうみこと张克きょう
  4. ^ 4.0 4.1 ほうみこと法師ほうしじゅつ. [2020-07-07]. (原始げんし内容ないようそん档于2021-01-16). とうだますめらぎ庙瑞ひろし法名ほうみょう觉祥)师座ぜん落发,法名ほうみょうみょう贵,ほうみこと 
  5. ^ 吕铁钢. ほうみこと法師ほうし出家しゅっけ寺院じいんこう. ほうげん. 2008 [2020-07-18]. (原始げんし内容ないようそん档于2021-01-24). どう戒录》这样うつしてき:“みょう贵,ほうみことちょく隶深县人,于山西にし五台县五台山慈云寺依瑞普师出家。” 
  6. ^ 6.0 6.1 6.2 6.3 6.4 獻身けんしんやくけい事業じぎょうてきほうみこと法師ほうし. [2019-10-14]. (原始げんし内容ないようそん档于2020-09-21). 

外部がいぶ链接

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