釋 しゃく 法 ほう 尊 みこと (1902年 ねん —1980年 ねん 12月14日 にち ),俗名 ぞくみょう 溫 ゆたか 庚 かのえ 公 こう [ 1] ,藏 ぞう 名 めい 羅 ら 桑 くわ 卻帕 (藏 ぞう 語 ご :བློ་བཟང་ཆོས་འཕགས,威 い 利 り 轉寫 てんしゃ :blo bzang cho 'phags,THL :Lobsang Chöpak)[ 2] [ 3] ,法名 ほうみょう 妙 みょう 貴 とうと ,字 じ 法 ほう 尊 みこと [ 4] ,男 おとこ ,河北 かわきた 人 ひと ,中國 ちゅうごく 現代 げんだい 佛教 ぶっきょう 僧 そう 人 じん ,譯 わけ 師 し 、佛學 ぶつがく 家 か ,被 ひ 譽 ほまれ 為 ため 「當代 とうだい 玄 げん 奘 」,擔任 たんにん 過 か 中國 ちゅうごく 佛 ふつ 學院 がくいん 院長 いんちょう 。
清 きよし 光 ひかり 緒 いとぐち 28年 ねん (1902年 ねん )生 なま 於河北 かわきた 深 ふか 縣 けん 南 みなみ 周 あまね 堡村。因 いん 家 か 貧 ひん 到 いた 保 ほ 定 てい 投 とう 師 し 學 がく 做皮鞋,因 いん 長 ちょう 時 じ 患病,學業 がくぎょう 無 む 成 なり ,遂 とげ 決定 けってい 出家 しゅっけ 為 ため 僧 そう 。
1920年 ねん 春 はる 末 まつ 於五台山 ごだいさん 玉 たま 皇 すめらぎ 廟 びょう (即今 そっこん 普 ふ 化 か 寺 てら )出家 しゅっけ (一載慈雲寺)[ 5] [ 4] 。因 よし 聽大勇 たいゆう 、遠 とお 參 さん 講 こう 經 けい ,刻苦 こっく 學習 がくしゅう 深 ふか 受大勇 たいゆう 法師 ほうし 賞 しょう 識。隔年 かくねん 冬 ふゆ 在 ざい 北京 ぺきん 法 ほう 源 げん 寺 てら 受戒 じゅかい ,隨 ずい 後 ご 至 いたり 南京 なんきん 寶 たから 華山 かざん 隆昌 りゅうしょう 寺 てら 研 けん 習律學 がく 及天台 だい 教義 きょうぎ 。
1922年 ねん 大勇 たいゆう 法師 ほうし 作 さく 推薦人 すいせんにん ,得 とく 入 いれ 太虛 たいきょ 大師 だいし 主 しゅ 辦的武 たけ 昌 あきら 佛 ふつ 學院 がくいん 學習 がくしゅう 。
1923年 ねん 冬 ふゆ ,大 だい 勇 いさむ 由 ゆかり 日本 にっぽん 學 がく 「東 あずま 密 ひそか 」回國 かいこく ,在 ざい 佛 ふつ 學院 がくいん 傳授 でんじゅ 文殊 もんじゅ 修法 しゅほう ,法 ほう 尊 とうと 亦 また 預 あずか 會 かい 學習 がくしゅう 。後來 こうらい ,大勇 たいゆう 認 みとめ 日本 にっぽん 密 みつ 法 ほう 不 ふ 如西藏 ぞう 殊勝 しゅしょう ,決意 けつい 率 りつ 團 だん 前 ぜん 往西藏 ぞう 學 がく 法 ほう 。
1924年 ねん 夏 なつ 畢業,法 ほう 尊 とうと 入 にゅう 大勇 たいゆう 創 そう 辦的「佛教 ぶっきょう 藏 ぞう 文學 ぶんがく 院 いん 」,進學 しんがく 藏 ぞう 文 ぶん 。
1925年 ねん 夏 なつ 「留藏 とめぞう 學 がく 法 ほう 團 だん 」出 だし 發進 はっしん 藏 ぞう ,經 けい 武漢 ぶかん 、宜 むべ 昌 あきら 、重慶 たーちん ,後 ご 到 いた 樂山 らくざん ,經 けい 雅 まさ 安 やすし 翻 こぼし 越 こし 大 だい 相 あい 嶺 みね 到達 とうたつ 康 かん 定 じょう 。然 しか 因 よし 西藏 にしくら 守 もり 軍 ぐん 疑 うたぐ 學 がく 法 ほう 團 だん 有 ゆう 政治 せいじ 作用 さよう (康 かん 藏 ぞう 邊 べ 界 かい 糾紛 )阻攔於西 にし 康 やすし 。
1926年 ねん 春 はる 法 ほう 尊 みこと 法師 ほうし 與 あずか 朗 ろう 禪 ぜん 法師 ほうし 前 ぜん 往跑馬山 まやま ,依 よ 止 とめ 慈願大師 だいし 學習 がくしゅう ,同時 どうじ 接觸 せっしょく 了 りょう 宗 むね 喀巴的 てき 《比丘 びく 戒釋》、《菩薩戒 ぼさつかい 釋 しゃく 》及《菩提 ぼだい 道 どう 次第 しだい 略 りゃく 論 ろん 》等 とう 著作 ちょさく 。[ 6]
1927年 ねん 春行 はるゆき 至 いたり 藏 ぞう 邊 あたり 甘 あま 孜 つとむ 縣 けん ,復 ふく 為 ため 守 もり 軍 ぐん 所 しょ 阻,停 とま 於甘孜 つとむ 札 さつ 迦寺親近 しんきん 札 さつ 迦大師 し ,[ 6] 又 また 研 とぎ 習《因明 いんみょう 入門 にゅうもん 》、《現 げん 觀 かん 莊嚴 しょうごん 論 ろん 》、《辨 べん 了 りょう 不 ふ 了 りょう 義 ぎ 論 ろん 》等 とう ,並 なみ 修學 しゅうがく 菩提心 ぼだいしん 的 てき 修 おさむ 持 じ 教授 きょうじゅ 及藏密 みつ 法 ほう 義 ぎ 。法 ほう 尊 みこと 法師 ほうし 開始 かいし 翻譯 ほんやく 宗 むね 喀巴的 てき 《緣起 えんぎ 贊 さん 》並 なみ 略 りゃく 加 か 註解 ちゅうかい ,[ 6] 摘譯了 りょう 《宗 そう 喀巴大 だい 師傳 しでん 》及《阿 おもね 底 そこ 峽 かい 尊者 そんじゃ 傳 でん 》;曾在《海 うみ 潮 しお 音 おん 》雜誌 ざっし 上 うえ 發表 はっぴょう 。
1929年 ねん ,大勇 たいゆう 法師 ほうし 於甘 あま 孜 つとむ 扎迦寺 てら (Dzagyal)過 か 世 よ 。此後,由 よし 法 ほう 尊 みこと 法師 ほうし 率 りつ 領 りょう 「留藏 とめぞう 學 がく 法 ほう 團 だん 」繼續 けいぞく 西行 さいぎょう 。
1930年 ねん 春 はる 到 いた 昌 あきら 都 と 親近 しんきん 安東 あんどう 格 かく 西 にし Jampel Rolpai Lodro (頁 ぺーじ 面 めん 存 そん 檔備份 ,存 そん 於網 あみ 際 ぎわ 網 もう 路 ろ 檔案館 かん ) (1888-1936),受金剛 こんごう 鬘 かずら 論法 ろんぽう 會 かい 中 ちゅう 四 よん 十 じゅう 多種 たしゅ 法 ほう 。夏季 かき 學 がく 聲明 せいめい 知識 ちしき ,秋 あき 後進 こうしん 藏 ぞう ,冬季 とうき 抵拉 ひしげ 薩 。
1931年 ねん 後 ご 依 よ 止 とめ 安東 あんどう 格 かく 西 にし ,學習 がくしゅう 重要 じゅうよう 的 てき 西藏 にしくら 佛教 ぶっきょう 論 ろん 典 てん 《菩提 ぼだい 道 どう 次第 しだい 》、《密宗 みっしゅう 道 どう 次第 しだい 》、[ 6] 《因明 いんみょう 總 そう 義 ぎ 論 ろん 》、《現 げん 觀 かん 莊嚴 しょうごん 論 ろん 金 きん 鬘 かずら 釋 しゃく 》、《五 ご 次第 しだい 論 ろん 》及《入 にゅう 中 ちゅう 論 ろん 》等 とう 。同時 どうじ 譯 やく 《菩提 ぼだい 道 どう 次第 しだい 廣 ひろ 論 ろん 》,同年 どうねん 太虛 たいきょ 大師 だいし 創 そう 辦漢 かん 藏 ぞう 教理 きょうり 院 いん 。
1933年 ねん 冬 ふゆ 初 はつ 離 はなれ 開 ひらき 拉 ひしげ 薩,在 ざい 印度 いんど 、尼 あま 泊 はく 爾 なんじ 、緬 はる 甸仰 おおせ 光 こう 等地 とうち 朝禮 ちょうれい 佛陀 ぶっだ 聖跡 せいせき 。
1934年 ねん 夏 なつ 經 けい 新 しん 加 か 坡 、香港 ほんこん 抵上海 しゃんはい ,到 いた 寧 やすし 波 なみ 阿 おもね 育 いく 王寺 おうじ 、雪 ゆき 竇寺 ,謁見 えっけん 太虛 たいきょ 大師 だいし ,仲秋 ちゅうしゅう 經 けい 武漢 ぶかん 回 かい 重慶 たーちん ,擔任 たんにん 漢 かん 藏 ぞう 教理 きょうり 院 いん 教學 きょうがく 工作 こうさく 兼 けん 管理 かんり 院 いん 務 つとむ 。
1935年 ねん 夏 なつ 赴成都 せいと ,先 さき 為 ため 阿 おもね 旺堪布 ぬの 翻譯 ほんやく ,講 こう 宗 そう 喀巴大師 だいし 的 てき 《緣起 えんぎ 贊 さん 論 ろん 》。秋季 しゅうき 再度 さいど 進 しん 藏 ぞう ,冬季 とうき 到 いた 拉 ひしげ 薩。
1936年 ねん 依 よ 止 とめ 絳則法王 ほうおう 學 がく 法 ほう ,將 はた 藏 ぞう 文 ぶん 《菩提 ぼだい 道 どう 次第 しだい 廣 ひろ 論 ろん 》及《密宗 みっしゅう 道 どう 略 りゃく 論 ろん 》譯 やく 成 なり 漢文 かんぶん 出版 しゅっぱん 。秋 あき 後 ご 復 ふく 往印度 ど 從 したがえ 海路 かいろ 回國 かいこく ,請回《藏 ぞう 文 ぶん 大藏經 だいぞうきょう 》等 とう 。回 かい 漢 かん 藏 ぞう 教理 きょうり 院 いん 後 ご ,繼續 けいぞく 翻譯 ほんやく 和 わ 教學 きょうがく 。
1937年 ねん 秋 あき 後 ご 請太虛 たいきょ 大師 だいし 在 ざい 漢 かん 藏 ぞう 教理 きょうり 院 いん 講 こう 學 がく ,翻譯 ほんやく 《密宗 みっしゅう 道 どう 次第 しだい 廣 ひろ 論 ろん 》。
抗日 こうにち 戰爭 せんそう 期間 きかん ,繼續 けいぞく 主持 しゅうもち 漢 かん 藏 ぞう 教理 きょうり 院 いん 工作 こうさく ,往來 おうらい 成都 せいと 重慶 たーちん ,講 こう 經 けい 說法 せっぽう ,譯 わけ 著 ちょ 藏 ぞう 漢 かん 有 ゆう 關 せき 經論 きょうろん 。
1949年 ねん ,將 はた 《大 だい 毗婆沙 すな 論 ろん 》藏 ぞう 譯 やく 完 かん 畢。
1950年 ねん 至 いたり 北京 ぺきん 主持 しゅうもち 菩提 ぼだい 學會 がっかい ,參加 さんか 第 だい 一屆人大文件和《憲法 けんぽう 》藏 ぞう 譯本 やくほん 的 てき 審 しん 核 かく 事 ごと 宜 むべ ,編輯 へんしゅう 藏 ぞう 漢 かん 、漢 かん 藏 ぞう 字典 じてん 詞 し 彙若干 じゃっかん 種 しゅ 。
1955年 ねん 為 ため 佛教 ぶっきょう 百科全書 ひゃっかぜんしょ 撰 せん 稿 こう 十 じゅう 餘 よ 篇 へん 。
1956年 ねん 秋 あき ,中國 ちゅうごく 佛 ふつ 學院 がくいん 成立 せいりつ 後 ご ,任 にん 佛學 ぶつがく 院 いん 副 ふく 院長 いんちょう ,兼 けん 講 こう 授佛教 ぶっきょう 課程 かてい 。講 こう 授課程 かてい 有 ゆう [ 6] 《比丘 びく 學 がく 處 しょ 》、《入 にゅう 中 ちゅう 論 ろん 頌》及《俱舍論 ろん 》等 とう 。
1966年 ねん ,文化 ぶんか 大 だい 革命 かくめい 中 なか ,佛 ふつ 學院 がくいん 解散 かいさん 後 ご ,被 ひ 打 だ 成 なり 黑 くろ 幫 ,參加 さんか 體力 たいりょく 勞 ろう 動 どう 。
1972年 ねん ,解除 かいじょ 黑 くろ 幫名義 めいぎ ,恢復 かいふく 自由 じゆう 。
1980年 ねん 秋 あき 出 いずる 任 にん 中國 ちゅうごく 佛 ふつ 學院 がくいん 院長 いんちょう 。同年 どうねん 12月 がつ 14日 にち 於北京 ぺきん 廣 こう 濟 すみ 寺 てら 示寂 じじゃく 之 の 晨,猶 なお 手 て 不 ふ 停 とま 書 しょ ,為 ため 法 ほう 忘身,聞者感泣 かんきゅう 。
1980年 ねん 12月14日 にち 圓 えん 寂 さび 於北京 ぺきん 廣 こう 濟 すみ 寺 てら 。世 よ 壽 ことぶき 79歲 さい ,戒臘 59齡 よわい 。建 けん 靈 れい 骨 こつ 塔 とう 於五台山 ごだいさん 廣 こう 宗 むね 寺 てら 。
法 ほう 尊 みこと 法師 ほうし 譯述 やくじゅつ 等身 とうしん ,把 わ 藏 ぞう 傳 でん 佛教 ぶっきょう 顯 あらわ 密 みつ 理論 りろん (大 だい 多 た 以格 かく 魯派為 ため 主 ぬし ),首 しゅ 次 じ 系統 けいとう 地 ち 翻譯 ほんやく 成 なり 漢文 かんぶん 流傳 りゅうでん ,譯 わけ 介 かい 西藏 にしくら 佛教 ぶっきょう 相關 そうかん 著述 ちょじゅつ 120餘 よ 部 ぶ (篇 へん ):
佛經 ぶっきょう
印度 いんど 論 ろん 書 しょ 及其西藏 にしくら 註疏 ちゅうそ
現 げん 觀 かん 莊嚴 しょうごん 論 ろん 頌,彌勒 みろく 造 づくり
現 げん 觀 かん 莊嚴 しょうごん 論 ろん 略 ほぼ 釋 しゃく ,彌勒 みろく 造本 ぞうほん 頌(取 と 師 し 子 こ 賢 けん 等 とう 人 じん 作 さく 略 ほぼ 釋 しゃく )
辨 べん 法 ほう 法 ほう 性 せい 論 ろん ,彌勒 みろく 造 づくり
七 なな 十 じゅう 空 そら 性 せい 論 ろん ,龍 りゅう 樹 いつき 造 づくり
精 せい 研 けん 論 ろん (即 そく 廣 こう 破 やぶ 論 ろん ),龍 りゅう 樹 いつき 造 づくり
四 よん 百 ひゃく 論 ろん 頌,提 つつみ 婆 ばば 造 づくり
入 にゅう 中 ちゅう 論 ろん ,月 がつ 稱 たたえ 造 づく
入 にゅう 中 ちゅう 論 ろん ·善 ぜん 顯 あらわ 密 みつ 意 い 疏,宗 そう 喀巴造 づくり
入 にゅう 中 ちゅう 論 ろん 善 ぜん 顯 あらわ 密 みつ 意 い 鏡 きょう ,達 いたる 賴 よりゆき 一世 いっせい 造 みやつこ
阿 おもね 毘達摩 ま 俱舍釋 しゃく ·開 ひらけ 顯 あらわ 解脫 げだつ 道 どう 論 ろん ,達 たち 賴 よりゆき 一世 いっせい 造 づくり
西藏 にしくら 著述 ちょじゅつ (包含 ほうがん 入藏 いりくら 印 しるし 人 じん )
菩提 ぼだい 道 みち 燈 とう 論 ろん ,阿 おもね 底 そこ 峽 かい 造 みやつこ
菩薩 ぼさつ 寶 たから 鬘 かずら 論 ろん ,阿 おもね 底 そこ 峽 かい 造 みやつこ (見 み 《阿 おもね 底 そこ 峽 かい 尊者 そんじゃ 傳 でん 》)
修 おさむ 菩提心 ぼだいしん 七 なな 義 ぎ 論 ろん ,伽 とぎ 喀巴·耶喜多吉 たきち (噶當派 は )造 みやつこ
菩提 ぼだい 道 どう 次第 しだい 廣 ひろ 論 ろん ,宗 そう 喀巴造 づくり
菩提 ぼだい 道 どう 次第 しだい 略 りゃく 論 ろん 止觀 しかん 章 あきら ,宗 そう 喀巴造 づくり (補 ほ 譯 やく 大勇 たいゆう 法師 ほうし 《菩提 ぼだい 道 どう 次第 しだい 略 りゃく 論 ろん 》止觀 しかん 部分 ぶぶん )
菩提 ぼだい 道 どう 次第 しだい 攝 と 頌三 さん 種 しゅ
辨 べん 了 りょう 不 ふ 了 りょう 義 ぎ 說 せつ 藏 ぞう 論 ろん ,宗 そう 喀巴造 づくり
辨 べん 了 りょう 不 ふ 了 りょう 義 ぎ 論 ろん 釋 しゃく 難 なん ,達 いたる 賴 よりゆき 二 に 世 せい 造 みやつこ
由 よし 說 せつ 甚深緣起 えんぎ 門 もん 中 ちゅう 稱讚 しょうさん 無上 むじょう 大師 だいし 世尊 せそん 善 ぜん 說 せつ 心 こころ 藏 ぞう (略 りゃく 名 めい 「緣起 えんぎ 讚 たたえ 」),宗 そう 喀巴造 づくり
緣起 えんぎ 讚 たたえ 頌論略 りゃく 釋 しゃく ,宗 そう 喀巴造本 ぞうほん 頌(取 と 達 いたる 賴 よりゆき 二 に 世 せい 等 とう 人 ひと 作 さく 略 ほぼ 釋 しゃく )
呈 てい 惹達瓦 かわら 書 しょ (Jetsun Rendawa, 1349-1412),宗 そう 喀巴述 じゅつ
十 じゅう 萬頌般若經中一百零八句法畧解
土 ど 官 かん 呼 よび 圖 ず 克 かつ 圖 ず 的 てき 四 よん 宗 むね 要義 ようぎ ,土 ど 觀 かん ·洛 らく 桑 くわ 卻吉尼 あま 瑪 (參 まいり 見 み 《讀懂四 よん 部 ぶ 宗義 しゅうぎ :四 よん 宗 むね 要義 ようぎ 講 こう 記 き 》)
安 やす 欽大師 だいし 開示 かいじ
宗 そう 喀巴讚 たたえ 頌
值遇三界法王大宗喀巴聖者願文
宗 そう 喀巴大師 だいし 贊 さん (附 ふ 藏 ぞう 文 ぶん 原文 げんぶん )
止觀 しかん
二 に 種 しゅ 菩提心 ぼだいしん 修法 しゅほう ,寶 たから 教 きょう 燈 とう (貢 みつぎ 唐 から ·袞確丹 に 貝 かい 准 じゅん 美 び )
地道 じみち 建立 こんりゅう ,三寶 さんぽう 無 む 畏 かしこ (Könchok Jikmé Wangpo,貢 みつぎ 卻亟美 び 汪 ひろし 波 なみ )述 じゅつ
菩提 ぼだい 道 みち 次 じ 恆 つね 修 おさむ 教授 きょうじゅ (四 よん 種 しゅ ),札 さつ 迦述
菩提 ぼだい 道 どう 次第 しだい 修法 しゅほう ,善 ぜん 慧 とし 持 じ 教 きょう 增 ぞう 廣 ひろ (格 かく 鄔倉·羅 ら 桑 くわ 丹 に 增 ぞう 央 ひさし 爾 なんじ 吉 きち )述 じゅつ
修 おさむ 止 とめ 法 ほう 略說 りゃくせつ
因明 いんみょう
集 しゅう 量 りょう 論 ろん 略解 りゃっかい ,陳 ちん 那 な 造 づくり 頌
釋 しゃく 量 りょう 論 ろん 略解 りゃっかい ,法 ほう 稱 しょう 造 づくり 頌
正 せい 理 り 莊嚴 しょうごん 論 ろん ,達 たち 賴 よりゆき 一世 いっせい 造 づくり
心 こころ 明 あかり 攝 と 頌·明 あかり 顯 あらわ 取捨 しゅしゃ 鏡 きょう 論 ろん (心 しん 類 るい 攝 と 頌·明 あかり 取捨 しゅしゃ 鏡 きょう ?)
戒律 かいりつ
密教 みっきょう (兼 けん 往生 おうじょう 淨土 じょうど )
密宗 みっしゅう 道 どう 次第 しだい 廣 ひろ 論 ろん ,宗 そう 喀巴造 づくり
密宗 みっしゅう 道 どう 次第 しだい 論 ろん (原名 げんめい 續 つづけ 部 ぶ 總 そう 建立 こんりゅう 文 ぶん 釋 しゃく ),克 かつ 主 しゅ 杰造 みやつこ
勝 かち 集 しゅう 密教 みっきょう 王 おう 五次第教授善顯炬論,宗 むね 喀巴造 づくり
密集 みっしゅう 五次第教授攝要
七寶 しっぽう 論 ろん ,龍 りゅう 欽巴造 みやつこ
吉祥 きっしょう 集 しゅう 密 みつ 聖 ひじり 派 は 的 てき 密 みつ 咒地道 どう 建立 こんりゅう ‧善 ぜん 緣者 えんじゃ 津 つ 梁 はり 論 ろん
朵哈八藏大手印明顯口授
畧明正 せい 見 み 論 ろん
大 だい 印 しるし 畧文
溫 ゆたか 薩耳傳 でん 供養 くよう 上 じょう 師 し 與 あずか 大 だい 印 しるし 合 あい 誦法,善 ぜん 慧 とし 法 ほう 幢造
供養 くよう 上 じょう 師 し 會 かい 供 きょう 法 ほう
禮 れい 供 きょう 尊者 そんじゃ 法 ほう ,達 いたる 賴 よりゆき 二 に 世 せい 造 みやつこ
尊 みこと 長 ちょう 瑜伽 ゆが 法 ほう ,阿 おもね 旺堪布 ぬの 造 づくり
供 きょう 曼陀羅 まんだら 文 ぶん (收錄 しゅうろく 於《四種加行念誦儀軌合冊》,參 まいり 見 み 《四加行法觀行述記》)
金 きむ 黃 き 文殊 もんじゅ 阿 おもね 惹巴扎拏修法 しゅほう
如意 にょい 輪 わ 白 しろ 度 ど 母 はは 常 つね 修法 しゅほう
西藏 にしくら 傳 でん 彌勒 みろく 修法 しゅほう
極樂 ごくらく 發 はつ 願文 がんもん ,宗 そう 喀巴造 づくり
極樂 ごくらく 略 りゃく 願文 がんもん ,無 む 變 へん 金剛 こんごう (明 あきら 珠 たま 多 た 傑 すぐる 伏 ふく 藏 ぞう 師 し )造 みやつこ
清淨 せいじょう 極樂 ごくらく 世界 せかい 願文 がんもん (續 つづけ ),無 む 貧 ひん
極樂 ごくらく 願文 がんもん 念誦 ねんじゅ 法 ほう
能 のう 往生 おうじょう 論 ろん 修法 しゅほう ,班 はん 禪 ぜん 慧 とし 善 ぜん 法 ほう 幢
彌 わたる 陀往生 おうじょう 法 ほう ,善 ぜん 慧 とし 大悲 だいひ
施 ほどこせ 冤債食 しょく 法 ほう
歷史 れきし 、傳記 でんき 、字典 じてん
那 な 若 わか 巴 ともえ 大 だい 論 ろん 師傳 しでん
阿 おもね 底 そこ 峽 かい 尊者 そんじゃ 傳 でん
宗 そう 喀巴大 だい 師傳 しでん
西藏 にしくら 政治 せいじ 史 し 冊 さつ
格 かく 西 にし 曲 きょく 札 さつ 藏 ぞう 文 ぶん 辭典 じてん ,格 かく 西 にし 曲 きょく 吉 きち 扎巴(法 ほう 尊 みこと 和 わ 張 ちょう 克 かつ 強 きょう 合 ごう 譯 やく )
法 ほう 尊 みこと 法師 ほうし 又 また 把 わ 《大 だい 毗婆沙 すな 論 ろん 》二 に 百 ひゃく 卷 かん 譯 やく 為 ため 藏 ぞう 文 ぶん 。並 なみ 編 へん 有 ゆう 《藏 ぞう 文 ぶん 文法 ぶんぽう 》、《西藏 にしくら 民族 みんぞく 政教 せいきょう 史 し 》、《現代 げんだい 西藏 とりぞう 》等 とう 。
^ 李 り 藏 くら 慧 とし . 深 ふか 州 しゅう 年 ねん 鑒, 2005【溫 ゆたか 庚 かのえ 公 こう 】 . [失效 しっこう 連結 れんけつ ]
^ 方 ほう 蘭 らん . 五台高僧法尊法師與次第思想在學僧教育中的實踐 . [2020-07-07 ] . (原始 げんし 內容存 そん 檔於2021-01-26).
^ Pema Bhum. Geshe Chödrak's Orthographical Dictionary (PDF) . Latse Library Newsletter. 2005 [2020-07-07 ] . (原始 げんし 內容 (PDF) 存 そん 檔於2021-01-23). In 1957, the Nationalities Publishing House in Beijing published the Brda dag ming tshig gsal pa with Chinese translations for each term and definition. Lobsang Chöpak (whose identity is unknown to me) and Zhang Keqiang—a scholar of Buddhism and in particular Tibetan Buddhism, as well as translator of Jonang Taranatha's Religious History of India—were responsible for the Chinese translations. (作者 さくしゃ 指出 さしで Brda dag ming tshig gsal pa的 てき 譯者 やくしゃ 為 ため Lobsang Chöpak 和 わ Zhang Keqiang;由 よし 於 Brda dag ming tshig gsal pa 即 そく 是 ぜ 《格 かく 西 にし 曲 きょく 札 さつ 藏 ぞう 文 ぶん 辭典 じてん 》,因 いん 此其譯者 やくしゃ 就是法 ほう 尊 みこと 和 わ 張 ちょう 克 かつ 強 きょう )
^ 4.0 4.1 法 ほう 尊 みこと 法師 ほうし 自 じ 述 じゅつ . [2020-07-07 ] . (原始 げんし 內容存 そん 檔於2021-01-16). 投 とう 玉 だま 皇 すめらぎ 廟 びょう 瑞 みず 普 ひろし (法名 ほうみょう 覺 さとし 祥 さち )師 し 座 ざ 前 ぜん 落髮 らくはつ ,法名 ほうみょう 妙 みょう 貴 とうと ,字 じ 法 ほう 尊 みこと
^ 呂 りょ 鐵鋼 てっこう . 法 ほう 尊 みこと 法師 ほうし 出家 しゅっけ 寺院 じいん 考 こう . 法 ほう 源 げん . 2008 [2020-07-18 ] . (原始 げんし 內容存 そん 檔於2021-01-24). 《同 どう 戒錄》是 ぜ 這樣寫 うつし 的 てき :「妙 みょう 貴 とうと ,字 じ 法 ほう 尊 みこと ,直 ちょく 隸深縣人 けんじん ,於山西 にし 五台縣五台山慈雲寺依瑞普師出家。」
^ 6.0 6.1 6.2 6.3 6.4 獻身 けんしん 譯 やく 經 けい 事業 じぎょう 的 てき 法 ほう 尊 みこと 法師 ほうし . [2019-10-14 ] . (原始 げんし 內容存 そん 檔於2020-09-21).
1957年 ねん 3月 がつ -1962年 ねん 2月 がつ
名譽 めいよ 會長 かいちょう 會長 かいちょう 副 ふく 會長 かいちょう 秘書 ひしょ 長 ちょう 副 ふく 秘書 ひしょ 長 ちょう 常務 じょうむ 理事 りじ
1962年 ねん 2月 がつ -1980年 ねん 12月
名譽 めいよ 會長 かいちょう 會長 かいちょう 副 ふく 會長 かいちょう 秘書 ひしょ 長 ちょう 副 ふく 秘書 ひしょ 長 ちょう 常務 じょうむ 理事 りじ