高 木 守 道
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1941 | |
2020 | |
174 cm 72 kg | |
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ポジション |
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プロ |
1960 |
1960 | |
1980 | |
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2006 | |
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この
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2012
経 歴
[プロ入 りまで
[現 役 時 代
[1960
1962
1961
1963
1965
1972
1974
ロッテとの
1975
1979
引 退 後
[中 日 コーチ・第 1次 解 説 者 ・第 1次 中 日 監 督 時 代
[1987
1992
1993
1994
1995
第 2次 解 説 者 ・第 2次 中 日 監 督 時 代 ・晩 年
[1996
2003
2006
2011
2012
2013
2020
選 手 としての特 徴
[特 筆
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口 数 が少 なく、穏 和 なイメージがあるが、自 身 のプレースタイルや野 球 理 論 には確 固 たる自 信 を持 っており、これを否 定 されたりした場 合 にはたとえ先 輩 や監 督 ・コーチ相 手 であったとしても徹 底 的 に怒 り、反 抗 する骨 太 さを持 っている。一 方 で、山 本 昌 は「どんなに打 たれても叱 責 を受 けたことはない」と1992年 から1995年 までの4シーズンを務 めた頃 の高 木 について振 り返 っており、山 本 は高 木 を「僕 を初 めて大 人 扱 いしてくれた監 督 」であり「最 も喜 ぶ顔 を見 たい監 督 」であったと評 していた[35]。- 2011
年 12月 20日 に放 送 されたインタビューにて、一 軍 デビューをした1960年 5月 7日 当 日 は二 軍 の試 合 が岐 阜 であり、その後 名 鉄 電 車 で移 動 後 、名 古 屋 駅 前 にあったパチンコ屋 で時 間 を潰 していたところ館 内 放 送 で「中 日 球 場 へ向 ってください」と呼 び出 しを受 け、一 軍 に合 流 したと証 言 している。 入 団 3年 目 のある出 場 試 合 において、中 日 の攻 撃 中 にベンチを抜 け出 し合 宿 所 に帰 ってしまったことがある。直 前 の守 備 のとき、普 通 の二 塁 手 なら追 いつけないような打 球 に追 い付 きはしたものの捕 球 することができなかったプレーに対 し、当 時 の杉 浦 清 監 督 に「何 をやっているんだ!」と罵 声 を浴 びせられたことが気 に入 らなかったためである。そのころ高 木 は、南 海 から移 籍 してきたカールトン半 田 がキャンプの練 習 中 に披 露 していたバックトスを見 て、練 習 を重 ねながら自 分 の型 にしようと試 合 で試 し始 めていた時 期 であった。なお、再 度 守 備 に就 くまで高 木 がいなくなったことに中 日 ベンチは誰 も気 付 かなかったという。髙 木 が普 段 無 口 でベンチでも目 立 たなかったためである。- また、
合 宿 所 に戻 った高 木 は首 脳 陣 がミーティングで使 用 する部 屋 の押 入 れに隠 れ、試 合 後 の首 脳 陣 のミーティングの内 容 を聞 き、高 木 のことよりも板 東 英 二 の悪 口 の方 を多 く言 っていたのを聞 きつけて板 東 本 人 のところへ直 接 報 告 に行 った[注 6]。
- また、
板 東 英 二 の証 言 によると、高 木 は自 身 の後 輩 であるものの、板 東 に対 し上 下 関 係 を一 切 気 にしていない様 に接 していたようである。たとえば「(殆 どストレートしか投 げない)板 東 さんの球 を打 てないのはおかしい」という疑 問 を率 直 に述 べたり、板 東 が登 板 していてピンチを背 負 うと高 木 がマウンドに来 て「真 っ直 ぐ狙 ったら犠 牲 フライ打 てるのに」、「フォアボールばっかり出 しやがって。どんどんストライク取 れよ」などと、板 東 を激 しく叱 咤 することが多 かった。それ以 外 にも板 東 は、大 洋 戦 にリリーフ登 板 した際 に2連 続 で二 塁 打 を許 し、いずれも牽 制 アウトにしながらも、マイク・クレスニックに初 球 を本 塁 打 されてサヨナラ負 けした際 、「だったら早 く打 たれとけ!」と高 木 がそのことに関 して激 しく激 高 していた光 景 を目 の当 たりにしたことがあったという。今 中 慎 二 は高 木 について、「10.8決 戦 で巨 人 が先 発 3本 柱 を惜 し気 なく投 入 したのに対 し、いつも通 りリリーフを登 板 させた我 の強 さや、負 けた時 にはすぐ『自 分 が悪 かった』と謝 る潔 さがあった」と自 著 で述 べている。- 1964
年 、球 団 創 設 以 来 初 の最 下 位 に沈 んだことで球 団 関 係 者 や親 会 社 の間 から「恵 まれすぎて、甘 やかされているから最 下 位 に落 ち込んだのだ」との意 見 が噴 出 。そこで球 団 は全 員 一 律 に25%ダウンという線 を定 め、そこからタイトル獲 得 などの昇 給 項 目 があればベースアップするという方 針 を打 ち出 した。まだ査 定 を手 計 算 で行 っていた時 代 なので、一 律 ダウンのような個 人 成 績 を無 視 した大 雑 把 な提 示 がまかり通 っていた。これに噛 み付 いた理 由 として「僕 は昨 年 よりいい成 績 を残 したのだから、絶 対 に承 服 しない」と言 ったことがある[要 出 典 ]。
野 球
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現 役 時 代 は試 合 ごとに新 品 のストッキングをおろして履 いていた。使 用 後 のストッキングは木 俣 達 彦 がこっそり使 用 していた[33]。先 輩 投 手 であった柿 本 実 が、ある試 合 で二 塁 走 者 を気 にして牽 制 球 を繰 り返 していたところ、4回 目 の牽 制 球 をグラブで捕 らず足 で止 めて[注 7]「いい加 減 にしろ」と意 思 表 示 したことがあるという(2011年 5月 29日 の「サンデードラゴンズ」にて板 東 英 二 が証 言 )。北 海 道 遠 征 (札 幌 市 円 山 球 場 )で巨 人 との試 合 中 、三 塁 走 者 だった高 木 は、俊 足 を生 かしピッチャーゴロで本 塁 突 入 を試 みるが、そのときの投 手 だった巨 人 の関 本 四 十 四 に三 本 間 で挟 まれタッチアウトとなる。しかし、関 本 がタッチの際 に高 木 の顔 面 にグラブを当 てたことで高 木 は激 昂 。関 本 は高 木 をにらみつけ殴 りかかり乱 闘 騒 ぎとなった[注 8]。日 々の鍛 錬 を怠 らない性 格 で知 られ、代 名 詞 的 プレーとされる「バックトス」は数 年 間 の鍛 錬 の末 に身 に着 けたものだが、既 に「一 流 」の評 価 を得 ていた1970年 代 にも『中 日 新 聞 』(中 日 新 聞 社 )記 者 が浜 松 春 季 キャンプで黙 々とバックトスの練 習 を続 ける高 木 の姿 を目 撃 している[10]。初 打 席 初 本 塁 打 を打 った1人 だが、その中 で高 木 は2017年 シーズン終 了 時 点 で本 塁 打 数 2位 の記 録 を持 っている[36]。高 木 はファンを大 事 にしており、サイン会 では最 後 の1人 まで書 き上 げていたと田 尾 安 志 と谷 沢 健 一 が後 年 になって振 り返 っている[37]。
人 間 関 係
[岐 阜 県 立 岐 阜 商 業 高 等 学 校 の後 輩 にはシドニーオリンピック女 子 マラソン金 メダリストの高 橋 尚 子 や元 中 日 ドラゴンズ外 野 手 の和 田 一 浩 がおり、髙 木 と彼 らは母 校 で「ビッグ3」と呼 ばれている。2004年 11月 23日 、地 元 の岐 阜 メモリアルセンターでこの3人 のトークショーが行 われた。板 東 ビルの隣 の天 ぷら店 にいた名 古 屋 西 川 流 のホープの女 性 を板 東 英 二 が高 木 に紹 介 し、板 東 の義 母 が太 鼓 判 を押 し、板 東 夫 妻 の仲 人 で結 婚 。夫 人 の姉 の孫 がNHKアナウンサーの片 山 千 恵 子 である[38]。広 岡 達 朗 と親 交 があり、2012年 の中 日 キャンプではその縁 で広 岡 は臨 時 野 手 コーチを務 めた。勝 利 の立 役 者 となっても取 材 記 者 の取 材 をほとんど受 けないなど、無 口 な性 格 から「むっつり右 門 」と呼 ばれたが、2学 年 下 の井 手 峻 と家 族 ぐるみで付 き合 ったり、新 宅 洋 志 に結 婚 式 で着 用 するためのモーニングコートを貸 したりするなど気 取 らない性 格 でもあった[39]。- ナゴヤドームにて
野 球 中 継 の解 説 を担 当 する際 、ドーム内 の売 店 で売 られているホットドッグをアナウンサーやスタッフに差 し入 れていた[40]。
その他
[- 2
度 目 の監 督 在 任 時 においては、試 合 後 の監 督 インタビューなど、報 道 陣 の前 で自 軍 の選 手 を名 指 しで批 判 ・叱 咤 することが多 かった。前 任 監 督 の落 合 がマスメディアに向 かって選 手 批 判 をすることがなかったこともあり、この高 木 のスタイルは当 時 賛 否 を呼 んだ。また前 述 のように、野 球 理 論 に関 するコーチとの衝 突 もあった。平 野 謙 外 野 守 備 走 塁 コーチが走 塁 ミスやサインミスを連 発 したため、2012年 5月 3日 の阪 神 戦 (ナゴヤドーム)では、怒 りのあまり試 合 途 中 からサインプレーを放 棄 した[41]。その後 平 野 はしばらくの間 、一 軍 担 当 を外 れている。投 手 コーチである権 藤 博 (現 役 時 代 に同 僚 だった)は自 軍 の選 手 を厳 しい口 調 で批 判 する高 木 に対 し、「マスコミの前 で選 手 の悪 口 を言 わないでほしい。選 手 は一 番 こたえるものです」[42]「打 たれた・打 てないはコーチの責 任 。勝 った負 けたは監 督 の責 任 」と諭 すこともあったという[43]。投 手 起 用 においても互 いに持 論 をぶつけ合 ったが、2012年 9月 16日 の広 島 戦 は完 封 リレーで勝 利 してCS出 場 を決 め、高 木 と権 藤 は固 い握 手 を交 わした。その権 藤 は高 木 について、「努 力 する天 才 」であると同 時 に「究 極 のわがまま」でもある、と評 している[44]。一 方 で2013年 には、一 部 のベテラン選 手 から陰 口 を叩 かれることもあったが、高 木 本 人 は曰 く「ベテランというのは、そういうもんなんだわ」「『何 言 ってもいいから結 果 だせ』としか思 わん」と、全 く意 に介 していなかった[45]。- 2013
年 5月 15日 の対 日 本 ハム戦 、7回 表 に稲 葉 篤 紀 にセンター前 への適 時 打 を打 たれた際 の中 継 プレーを巡 って井 端 弘 和 と一 触 即 発 の事 態 となり、イニング終 了 後 井 端 がベンチ裏 で壁 を蹴 り上 げる騒 動 となった。高 木 は中 堅 ・大 島 洋 平 からの返 球 を井 端 がカットしなかったことに激 昂 したが、井 端 は後 年 まで「プレーに関 しては、今 も自 分 の判 断 に自 信 を持 っている」と一 塁 手 のマット・クラークが中 継 に入 る場 面 であったと主 張 している。その後 、落 ち着 きを取 り戻 した井 端 が高 木 の元 に謝 りに行 ったところ、高 木 は「オレなんか試 合 途 中 に帰 ったこともあるんだから、いちいち気 にするな」と井 端 を許 したという[46]。
詳 細 情 報
[年 度 別 打 撃 成 績
[O P S | ||||||||||||||||||||||||
---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|
1960 | 51 | 109 | 99 | 7 | 19 | 2 | 1 | 3 | 32 | 6 | 2 | 1 | 4 | 0 | 6 | 0 | 0 | 18 | 1 | .192 | .238 | .323 | .561 | |
1961 | 80 | 243 | 222 | 15 | 47 | 8 | 3 | 2 | 67 | 11 | 4 | 2 | 6 | 0 | 12 | 2 | 3 | 36 | 3 | .212 | .262 | .302 | .563 | |
1962 | 96 | 256 | 239 | 24 | 67 | 11 | 5 | 1 | 91 | 15 | 10 | 5 | 12 | 0 | 4 | 0 | 1 | 28 | 2 | .280 | .295 | .381 | .676 | |
1963 | 133 | 543 | 496 | 72 | 126 | 18 | 6 | 10 | 186 | 39 | 50 | 12 | 15 | 3 | 27 | 1 | 2 | 43 | 8 | .254 | .295 | .375 | .670 | |
1964 | 123 | 522 | 482 | 59 | 141 | 24 | 6 | 8 | 201 | 31 | 42 | 14 | 8 | 4 | 24 | 0 | 4 | 38 | 4 | .293 | .331 | .417 | .748 | |
1965 | 132 | 538 | 483 | 75 | 146 | 19 | 1 | 11 | 200 | 48 | 44 | 11 | 21 | 2 | 27 | 1 | 5 | 49 | 1 | .302 | .346 | .414 | .760 | |
1966 | 113 | 491 | 457 | 82 | 140 | 18 | 5 | 17 | 219 | 59 | 20 | 9 | 7 | 4 | 21 | 1 | 2 | 37 | 9 | .306 | .340 | .479 | .819 | |
1967 | 118 | 491 | 455 | 59 | 133 | 25 | 1 | 19 | 217 | 66 | 9 | 3 | 2 | 7 | 26 | 0 | 1 | 60 | 10 | .292 | .332 | .477 | .809 | |
1968 | 83 | 356 | 318 | 50 | 76 | 15 | 3 | 10 | 127 | 33 | 11 | 2 | 3 | 4 | 29 | 0 | 2 | 45 | 6 | .239 | .307 | .399 | .706 | |
1969 | 130 | 562 | 513 | 78 | 129 | 20 | 3 | 24 | 227 | 66 | 20 | 8 | 11 | 3 | 34 | 1 | 1 | 69 | 8 | .251 | .299 | .442 | .742 | |
1970 | 118 | 483 | 449 | 41 | 116 | 15 | 4 | 10 | 169 | 51 | 18 | 6 | 12 | 5 | 14 | 1 | 3 | 51 | 17 | .258 | .285 | .376 | .662 | |
1971 | 120 | 482 | 436 | 58 | 104 | 18 | 1 | 8 | 148 | 22 | 28 | 9 | 10 | 1 | 32 | 2 | 3 | 42 | 5 | .239 | .295 | .339 | .635 | |
1972 | 118 | 492 | 459 | 42 | 115 | 13 | 2 | 10 | 162 | 42 | 19 | 12 | 10 | 2 | 18 | 1 | 3 | 38 | 10 | .251 | .283 | .353 | .636 | |
1973 | 122 | 527 | 480 | 68 | 131 | 20 | 3 | 5 | 172 | 31 | 28 | 9 | 7 | 5 | 30 | 3 | 5 | 21 | 10 | .273 | .322 | .358 | .681 | |
1974 | 121 | 501 | 456 | 71 | 126 | 22 | 2 | 15 | 197 | 47 | 14 | 11 | 10 | 4 | 29 | 2 | 2 | 42 | 11 | .276 | .322 | .432 | .754 | |
1975 | 116 | 495 | 463 | 60 | 138 | 20 | 2 | 17 | 213 | 51 | 16 | 7 | 8 | 2 | 18 | 2 | 4 | 31 | 14 | .298 | .330 | .460 | .790 | |
1976 | 98 | 417 | 392 | 50 | 104 | 14 | 1 | 17 | 171 | 44 | 7 | 6 | 8 | 3 | 12 | 0 | 2 | 35 | 11 | .265 | .291 | .436 | .727 | |
1977 | 121 | 504 | 468 | 74 | 136 | 18 | 3 | 20 | 220 | 52 | 10 | 3 | 11 | 2 | 18 | 0 | 5 | 49 | 10 | .291 | .324 | .470 | .794 | |
1978 | 89 | 338 | 314 | 41 | 89 | 15 | 2 | 13 | 147 | 37 | 3 | 3 | 11 | 1 | 9 | 2 | 3 | 20 | 10 | .283 | .310 | .468 | .778 | |
1979 | 120 | 518 | 467 | 74 | 140 | 25 | 1 | 11 | 200 | 48 | 11 | 2 | 18 | 1 | 28 | 3 | 4 | 45 | 10 | .300 | .345 | .428 | .773 | |
1980 | 80 | 242 | 219 | 20 | 51 | 6 | 0 | 5 | 72 | 14 | 3 | 4 | 6 | 0 | 16 | 3 | 1 | 22 | 11 | .233 | .288 | .329 | .617 | |
2282 | 9110 | 8367 | 1120 | 2274 | 346 | 55 | 236 | 3438 | 813 | 369 | 139 | 200 | 53 | 434 | 25 | 56 | 819 | 171 | .272 | .312 | .411 | .723 |
各 年 度 の太 字 はリーグ最 高
年 度 別 守 備 成 績
[1960 | 24 | 37 | 43 | 0 | 5 | 1.000 | 11 | 6 | 14 | 0 | 0 | 1.000 | 6 | 3 | 11 | 0 | 2 | 1.000 | - | ||||||
1961 | 64 | 108 | 164 | 4 | 17 | .986 | 13 | 10 | 25 | 2 | 4 | .946 | - | - | |||||||||||
1962 | 81 | 166 | 191 | 10 | 44 | .973 | - | - | - | ||||||||||||||||
1963 | 131 | 352 | 410 | 17 | 90 | .978 | - | 1 | 0 | 0 | 0 | 0 | .--- | - | |||||||||||
1964 | 119 | 306 | 321 | 20 | 88 | .969 | - | - | - | ||||||||||||||||
1965 | 127 | 332 | 339 | 18 | 63 | .974 | - | - | - | ||||||||||||||||
1966 | 113 | 319 | 345 | 20 | 72 | .971 | - | - | - | ||||||||||||||||
1967 | 113 | 325 | 354 | 19 | 81 | .973 | - | - | - | ||||||||||||||||
1968 | 82 | 189 | 216 | 11 | 61 | .974 | - | - | - | ||||||||||||||||
1969 | 130 | 302 | 359 | 10 | 76 | .985 | - | - | - | ||||||||||||||||
1970 | 115 | 320 | 308 | 17 | 72 | .974 | 1 | 1 | 0 | 0 | 0 | 1.000 | - | - | |||||||||||
1971 | 113 | 267 | 293 | 8 | 75 | .986 | - | - | 13 | 12 | 1 | 0 | 0 | 1.000 | |||||||||||
1972 | 117 | 296 | 342 | 18 | 94 | .973 | - | - | - | ||||||||||||||||
1973 | 122 | 327 | 347 | 12 | 85 | .983 | - | - | - | ||||||||||||||||
1974 | 120 | 304 | 297 | 23 | 88 | .963 | - | - | - | ||||||||||||||||
1975 | 116 | 257 | 310 | 20 | 80 | .966 | - | - | - | ||||||||||||||||
1976 | 96 | 232 | 249 | 10 | 67 | .980 | - | - | - | ||||||||||||||||
1977 | 120 | 268 | 292 | 10 | 61 | .982 | - | - | - | ||||||||||||||||
1978 | 84 | 196 | 203 | 13 | 42 | .968 | - | - | - | ||||||||||||||||
1979 | 119 | 292 | 316 | 14 | 77 | .977 | - | - | - | ||||||||||||||||
1980 | 73 | 132 | 167 | 10 | 35 | .968 | - | - | - | ||||||||||||||||
2179 | 5327 | 5866 | 284 | 1373 | .975 | 25 | 17 | 39 | 2 | 4 | .966 | 7 | 3 | 11 | 0 | 2 | 1.000 | 13 | 12 | 1 | 0 | 0 | 1.000 |
各 年 度 の太 字 はリーグ最 高 、赤 太 字 はNPBの二 塁 手 における歴 代 最 高 太 字 年 はダイヤモンドグラブ賞 受 賞 年
年 度 別 監 督 成 績
[- レギュラーシーズン
ゲーム |
||||||||||||||
---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|
1986 |
5 |
130 | 54 | 67 | 9 | .446 | 20.0 | 44 | ||||||
940 | 445 | 465 | 30 | .489 |
- ※1 1986
年 は、山 内 監 督 休 養 後 の7月 6日 から閉 幕 までの68試 合 (29勝 35敗 4分 )
ゲーム |
||||||||||||||
---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|
1992 |
6 |
130 | 60 | 70 | 0 | .462 | 9.0 | 50 | ||||||
1993 |
2 |
132 | 73 | 57 | 2 | .562 | 7.0 | 51 | ||||||
1994 |
2 |
130 | 69 | 61 | 0 | .531 | 1.0 | 52 | ||||||
1995 |
5 |
130 | 50 | 80 | 0 | .385 | 32.0 | 53 | ||||||
2012 |
2 |
144 | 75 | 53 | 16 | .586 | 10.5 | 71 | ||||||
2013 |
4 |
144 | 64 | 77 | 3 | .454 | 22.0 | 72 | ||||||
940 | 445 | 465 | 30 | .489 | Aクラス3 |
- (1992
年 から1996年 までは130試 合 制 )
監 督 通 算 成 績 787試 合 383勝 379敗 25分 勝 率 .503
- ※2 1995
年 は、開 幕 から休 養 前 の6月 2日 までの39試 合 (13勝 26敗 )
- ポストシーズン
チーム | ||||
---|---|---|---|---|
2012 |
セ・リーグ クライマックスシリーズ 1stステージ |
2 | ||
セ・リーグ クライマックスシリーズ ファイナルステージ |
3 (※1) |
- ※
勝 敗 の太 字 は勝 利 したシリーズ - ※1 これに
相 手 チームのアドバンテージ1勝 を含 め、3勝 4敗 で敗 退 。
タイトル
[盗 塁 王 :3回 (1963年 、1965年 、1973年 )
表 彰
[- ベストナイン:7
回 (二 塁 手 部 門 :1963〜1967年 、1974年 、1977年 ) ※二 塁 手 として5年 連 続 は千 葉 茂 に次 ぐ歴 代 2位 タイ(他 に浅 村 栄 斗 )かつセ・リーグ最 長 、二 塁 手 として7度 受 賞 は歴 代 1位 タイ(他 に千 葉 茂 、浅 村 栄 斗 )かつセ・リーグ最 多 - ダイヤモンドグラブ
賞 :3回 (二 塁 手 部 門 :1974年 、1977年 、1979年 ) 野 球 殿 堂 競 技 者 表 彰 (2006年 )日 本 シリーズ敢 闘 賞 :1回 (1974年 )- NPB80
周 年 ベストナイン(2014年 、二 塁 手 ) 岐 阜 市 民 栄 誉 賞 (2000年 [47])
記 録
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初 記 録
初 出 場 :1960年 5月 7日 、対 大 洋 ホエールズ7回 戦 (中 日 スタヂアム)、7回 裏 に井 上 登 の代 走 で出 場 初 盗 塁 :同 上 、7回 裏 に二 盗 (投 手 :権 藤 正 利 、捕 手 :島 野 雅 亘 )初 打 席 ・初 安 打 ・初 本 塁 打 ・初 打 点 :同 上 、9回 裏 に宮 本 和 佳 から左 越 2ラン ※史 上 4人 目 の初 打 席 初 本 塁 打 初 先 発 出 場 :1960年 6月 30日 、対 国 鉄 スワローズ16回 戦 (後 楽 園 球 場 )、7番 ・三 塁 手 で先 発 出 場
節 目 の記 録
- 1000
試 合 出 場 :1969年 7月 30日 、対 アトムズ15回 戦 (中 日 スタヂアム)、2番 ・二 塁 手 で先 発 出 場 ※史 上 141人 目 - 100
本 塁 打 :1969年 8月 26日 、対 大 洋 ホエールズ20回 戦 (中 日 スタヂアム)、9回 裏 に森 中 千 香 良 から左 越 ソロ ※史 上 52人 目 - 1000
安 打 :1969年 9月 28日 、対 阪 神 タイガース21回 戦 (中 日 スタヂアム)、1回 裏 に江 夏 豊 から左 前 安 打 ※史 上 72人 目 - 1500
試 合 出 場 :1973年 8月 28日 、対 阪 神 タイガース18回 戦 (阪 神 甲 子 園 球 場 )、1番 ・二 塁 手 で先 発 出 場 ※史 上 44人 目 - 300
盗 塁 :1973年 9月 8日 、対 広 島 東 洋 カープ22回 戦 (中 日 スタヂアム)、5回 裏 に二 盗 (投 手 :藤 本 和 宏 、捕 手 :西 沢 正 次 ) ※史 上 14人 目 - 1500
安 打 :1974年 4月 22日 、対 読 売 ジャイアンツ2回 戦 (後 楽 園 球 場 )、7回 表 に小 川 邦 和 から右 前 安 打 ※史 上 29人 目 - 150
本 塁 打 :1974年 9月 30日 、対 読 売 ジャイアンツ24回 戦 (中 日 スタヂアム)、1回 裏 に関 本 四 十 四 から左 越 先 頭 打 者 本 塁 打 ※史 上 39人 目 - 200
本 塁 打 :1977年 8月 22日 、対 ヤクルトスワローズ17回 戦 (明 治 神 宮 野 球 場 )、1回 表 に会 田 照 夫 から左 越 先 頭 打 者 本 塁 打 ※史 上 28人 目 - 350
盗 塁 :1977年 9月 1日 、対 広 島 東 洋 カープ22回 戦 (ナゴヤ球 場 )、6回 裏 に二 盗 (投 手 :望 月 卓 也 、捕 手 :道 原 博 幸 ) ※史 上 10人 目 - 300
二 塁 打 :1977年 9月 14日 、対 読 売 ジャイアンツ19回 戦 (後 楽 園 球 場 )、8回 表 に西 本 聖 から左 翼 線 適 時 二 塁 打 ※史 上 14人 目 - 3000
塁 打 :同 上 ※史 上 12人 目 - 2000
安 打 :1978年 4月 5日 、対 広 島 東 洋 カープ1回 戦 (広 島 市 民 球 場 )、1回 表 に高 橋 里 志 から中 前 安 打 ※史 上 11人 目 - 2000
試 合 出 場 :1978年 4月 7日 、対 読 売 ジャイアンツ1回 戦 (ナゴヤ球 場 )、1番 ・二 塁 手 で先 発 出 場 ※史 上 12人 目 - 1000
得 点 :1978年 6月 22日 、対 横 浜 大 洋 ホエールズ17回 戦 (横 浜 スタジアム)、7回 表 に田 尾 安 志 の2ランで生 還 ※史 上 11人 目
- その
他 の記 録
- 4
打 席 連 続 本 塁 打 :1977年 6月 12日 - 14日 ※史 上 7人 目 、歴 代 2位 タイ[48]、3試 合 にまたいでの3打 席 以 上 連 続 本 塁 打 は史 上 唯 一 [49] - 4
打 数 連 続 本 塁 打 :同 上 ※史 上 8人 目 、歴 代 2位 タイ[48] - 1
試 合 5盗 塁 :1964年 8月 5日 同 一 球 場 で1000安 打 (ナゴヤ球 場 )- オールスターゲーム
出 場 :4回 (1966年 、1967年 、1973年 、1979年 )
背 番 号
[- 41(1960
年 - 1962年 )[9] - 1(1963
年 - 1982年 )[50] - 67(1983
年 )[51] - 71(1984
年 - 1986年 )[51] - 81(1992
年 - 1995年 )[51] - 88(2012
年 - 2013年 )
登 録 名
[関 連 情 報
[関 連 書 籍
[- 『プロ
魂 髙 木 守 道 :名 二 塁 手 モリミチ物 語 』(郷 良 明 著 、中 日 新 聞 本 社 、1989年 11月 、ISBN 4806202177) - 『
髙 木 守 道 :プロも惚 れ込むプロの技 』(永 島 直 樹 原 作 、安 田 タツ夫 画 、1992年 4月 、ISBN 4324026440)
出 演 番 組
[侍 プロ野 球 - J SPORTS STADIUM
- サンデードラゴンズ(
上 記 にも述 べたとおり、現 状 のCBCプロ野 球 解 説 者 を含 めても唯 一 の落 合 支 持 派 であることから、落 合 監 督 になってからは、番 組 内 で放 送 される落 合 監 督 のキャンプ中 のインタビューの聞 き手 を担 当 ) - CBCドラゴンズナイター
脚 注
[注 釈
[- ^ ゴロを
捕 球 した二 塁 手 が二 塁 ベースカバーに回 っている遊 撃 手 へ送 球 する際 、体 の反 転 ・左 回 転 を省 き右 掌 で送 球 する技 術 [10]。 - ^ その
後 200本 塁 打 は稲 葉 篤 紀 、2000本 安 打 は稲 葉 と駒 田 徳 広 も記 録 。 - ^ その
後 、石 毛 宏 典 ・谷 繁 元 信 も記 録 。 - ^ その
後 中 日 の生 え抜 き野 手 としては谷 沢 健 一 ・立 浪 和 義 ・荒 木 雅 博 もそれぞれ通 算 2000本 安 打 を達 成 している。 - ^ しかし、この1980
年 にはプロ野 球 最 年 長 の野 村 克 也 も引 退 しているが、野 村 ・王 に次 ぐプロ野 球 選 手 最 年 長 選 手 は張 本 勲 であった。 - ^
板 東 の著 書 に記 述 があり、2011年 4月 10日 放 送 の「サンデードラゴンズ」でも証 言 している。 - ^
板 東 は「ボールを足 でマウンドに蹴 り返 した」と証 言 しているが、髙 木 は「足 で止 めただけ」と蹴 り返 したことは否 定 している。 - ^ この
騒 動 は、関 本 が翌 年 太 平 洋 クラブライオンズに移 籍 する遠 因 となった。
出 典
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髙 木 守 道 さん死 去 (78歳 ) バックトスは永 遠 に」『中 日 スポーツ』中 日 新 聞 社 、2020年 1月 18日 、紙 面 から。オリジナルの2020年 1月 18日 時 点 におけるアーカイブ。2020年 1月 18日 閲 覧 。 - ^ a b c d e f g h i j k 『
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中 日 黄 金 時 代 を支 えた井 端 弘 和 氏 が高 木 守 道 監 督 との一 触 即 発 事 件 を振 り返 る「オレなんか試 合 途 中 で帰 ったことも…」中 日 スポーツ、2020年 1月 18日 、2021年 6月 4日 閲 覧 - ^ “
岐 阜 市 民 栄 誉 賞 ”.岐 阜 市 . 2017年 12月 4日 閲 覧 。 - ^ a b “【データ】
村 上 宗 隆 プロ野 球 新 5打 席 連 続 本 塁 打 20人 「打 数 」と13人 「打 席 」の両 方 を更 新 ”.日 刊 スポーツ. (2022年 8月 2日 ) 2023年 1月 13日 閲 覧 。 - ^
阪 神 ・江 越 珍 記 録 !3試 合 にまたいで3打 席 連 発 「やっと来 たなと」.スポニチ Sponichi Annex野 球 .2016年 4月 10日 閲 覧 。 - ^ ベースボール・マガジン
社 2007, pp. 165–167. - ^ a b c ベースボール・マガジン
社 2007, p. 167.
参 考 文 献
[編 集 兼 発 行 人 :池 田 哲 雄 (編 )「中 日 ドラゴンズ70年 昇 竜 の軌 跡 」『週 刊 ベースボール別 冊 冬 季 号 』第 34巻 第 1号 、ベースボール・マガジン社 、2007年 1月 1日 、ISBN 978-4583613246。(通 算 206号 ・原 著 『昇 竜 の軌 跡 』は2005年 6月 1日 発 行 )
関 連 項 目
[外 部 リンク
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