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山口衛
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WHO
>
山口
やまぐち
衛
まもる
やまぐち・まもる
〜2005/09/19
・
山口
やまぐち
衛
まもる
(やまぐち まもる) ・
山梨
やまなし
県
けん
在住
ざいじゅう
・
日本
にっぽん
ALS
協会
きょうかい
山梨
やまなし
県
けん
支部
しぶ
・
支部
しぶ
長
ちょう
・
日本
にっぽん
ALS
協会
きょうかい
・
理事
りじ
・20050919
逝去
せいきょ
◆2000/03/01 「
介護
かいご
人
じん
派遣
はけん
制度
せいど
獲得
かくとく
の
歩
あゆ
み――
山口
やまぐち
衛
まもる
さんに
聞
き
く」
『
難病
なんびょう
と
在宅
ざいたく
ケア』
05-12(2000-03):04-07(
日本
にっぽん
ブランニングセンター)
◆2001/10/ 「ALS/MND
国際
こくさい
会議
かいぎ
参加
さんか
支援
しえん
募金
ぼきん
のお
願
ねが
い」
◆2002/05/01 「ALS/MND
国際
こくさい
会議
かいぎ
飛行機
ひこうき
旅行
りょこう
体験
たいけん
記
き
」,『JALSA』056:43-46
◆2003/10/15
日本
にっぽん
ALS
協会
きょうかい
理事
りじ
会
かい
に
提出
ていしゅつ
された
文書
ぶんしょ
◆
東京都立大学
とうきょうとりつだいがく
管弦楽
かんげんがく
団
だん
第
だい
十
じゅう
九
きゅう
期
き
一同
いちどう
編
へん
200061120
『
本当
ほんとう
は
生
い
きたい!――
山口
やまぐち
衛
まもる
の
足跡
あしあと
』
,
非売品
ひばいひん
,21+xiiip. ※ als n02
◆2006/09/10
故
こ
山口
やまぐち
衛
まもる
さんメモリアル・コンサート
於:
東京
とうきょう
◆2000/03/01
「
介護
かいご
人
じん
派遣
はけん
制度
せいど
獲得
かくとく
の
歩
あゆ
み――
山口
やまぐち
衛
まもる
さんに
聞
き
く」
『
難病
なんびょう
と
在宅
ざいたく
ケア』
05-12(2000-03):04-07(
日本
にっぽん
ブランニングセンター)
「
山口
やまぐち
さんのプロフィールより」(p.7)
「
山口
やまぐち
衛
まもる
さんは52
歳
さい
。
奥
おく
さんの
元子
もとこ
さん(51
歳
さい
)、
高校
こうこう
1
年生
ねんせい
の
娘
むすめ
さんとともに
南
みなみ
アルプス
北
きた
麓
ふもと
の
山小屋
やまごや
風
ふう
の
家
いえ
に
住
す
む。エンジニアとして
東京
とうきょう
で
横
よこ
河
かわ
電気
でんき
に
勤
つと
めていたが、
所属
しょぞく
していた
事業
じぎょう
部
ぶ
が
甲府
こうふ
市
し
国母
こくぼ
にある
工業
こうぎょう
団地
だんち
に
移転
いてん
し、
部
ぶ
全体
ぜんたい
が
家族
かぞく
ぐるみで
転居
てんきょ
した。
山口
やまぐち
さんが
発症
はっしょう
したのは90
年
ねん
12月。
登山
とざん
中
ちゅう
に
足
あし
がよく
動
うご
かなくなり
転落
てんらく
、
右
みぎ
足首
あしくび
を
捻挫
ねんざ
した。その
後
ご
、
検査
けんさ
を
繰
く
り
返
かえ
したが
足
あし
の
麻痺
まひ
の
原因
げんいん
は
分
わ
からず、94
年
ねん
11月、
山梨医科大学
やまなしいかだいがく
に3
度
ど
めの
検査
けんさ
入院
にゅういん
。
同年
どうねん
12
月
がつ
、ALSの
診断
しんだん
が
下
くだ
った。
夫婦
ふうふ
ともに
東京
とうきょう
出身
しゅっしん
のため
東京
とうきょう
に
戻
もど
ろうかとも
考
かんが
えたが、
持
も
っていたマンションはコンクリートの
柱
はしら
だらけで、とても
車椅子
くるまいす
では
自由
じゆう
に
動
うご
けない。
病気
びょうき
についての
知識
ちしき
があり、
進行
しんこう
すると
車椅子
くるまいす
が
必需
ひつじゅ
品
ひん
になることがよく
分
わ
かっていたため、
山梨
やまなし
で
闘病
とうびょう
生活
せいかつ
を
送
おく
ることを
決意
けつい
。「
山
やま
が
見
み
えるところに
住
す
みたい」という
強
つよ
い
希望
きぼう
もあって、
韮崎
にらさき
市
し
に
自宅
じたく
を
新築
しんちく
した。
95
年
ねん
5
月
がつ
には
山口
やまぐち
さん
自身
じしん
が
働
はたら
きかけて、
日本
にっぽん
ALS
協会
きょうかい
山梨
やまなし
県
けん
支部
しぶ
の
設立
せつりつ
に
取
と
り
組
く
み、
現在
げんざい
支部
しぶ
長
ちょう
として
自宅
じたく
を
自宅
じたく
に
開放
かいほう
している。」
>TOP
◆2001/10
ALS/MND
国際
こくさい
会議
かいぎ
参加
さんか
支援
しえん
募金
ぼきん
のお
願
ねが
い
日本
にっぽん
ALS
協会
きょうかい
山梨
やまなし
県
けん
支部
しぶ
山口
やまぐち
衛
まもる
すっかり
秋
あき
めいた
陽気
ようき
になってきましたが、
皆様
みなさま
の
体調
たいちょう
にお
変
かわ
りあり
ませんか?
今日
きょう
は、
念願
ねんがん
のALS/MND
国際
こくさい
連盟
れんめい
主催
しゅさい
の
国際
こくさい
会議
かいぎ
参加
さんか
に
関連
かんれん
し
てお
願
ねが
いがあり、お
便
たよ
りいたしました。
国際
こくさい
会議
かいぎ
は
米国
べいこく
サンフランシス
コ
郊外
こうがい
で11
月
がつ
後半
こうはん
に
年次
ねんじ
総会
そうかい
とシンポジウムが
開催
かいさい
される
予定
よてい
になっ
ています。
さて、
昨年
さくねん
初
はじ
めの
毎日新聞
まいにちしんぶん
の
記事
きじ
に
見
み
られるように、
欧米
おうべい
のALS患
者
もの
における
尊厳
そんげん
死
し
ONLYの
風潮
ふうちょう
は、
憂
うれ
うべき
現実
げんじつ
です。
私
わたし
は、
日本
にっぽん
の
人工
じんこう
呼吸
こきゅう
器
き
装着
そうちゃく
者
しゃ
の
国際
こくさい
会議
かいぎ
参加
さんか
によって、
人間
にんげん
の
真
しん
の
尊厳
そんげん
とは
何
なに
か?
尊厳
そんげん
死
し
も
人工
じんこう
呼吸
こきゅう
器
き
装着
そうちゃく
も
選択肢
せんたくし
の
一
ひと
つだと
考
かんが
えても
らえるように
行動
こうどう
したいと
考
かんが
えてきました。ALSは
決
けっ
して
死病
しびょう
ではな
いこと、
生
い
きる
方法
ほうほう
は
存在
そんざい
していることを、つまり
人工
じんこう
呼吸
こきゅう
器
き
を
装着
そうちゃく
す
ることによって、ほとんどの
患者
かんじゃ
が
人工
じんこう
呼吸
こきゅう
器
き
を
装着
そうちゃく
せず
死
し
を
選択
せんたく
して
行
い
く
欧米
おうべい
の
現状
げんじょう
に
一
いち
石
せき
を
投
とう
じることが
出来
でき
ればと
考
かんが
えています。
何
なに
より
も
私
わたし
は、
人工
じんこう
呼吸
こきゅう
器
き
装着
そうちゃく
を「
神
かみ
の
意志
いし
に
反
はん
した
行為
こうい
」などと
言
い
う
人達
ひとたち
に、
私
わたし
達
たち
の
姿
すがた
と
活動
かつどう
を
見
み
せつけることで
人工
じんこう
呼吸
こきゅう
器
き
装着
そうちゃく
の
持
も
つ
画
が
記
き
鵜
う
性
せい
を
理
り
解
ほぐ
させたいと
思
おも
っています。
そして、このことに
成功
せいこう
すれば、
日本
にっぽん
のALS
関係
かんけい
者
しゃ
にとって
何
なに
より
の
励
はげ
みになると
同時
どうじ
に、
厚生
こうせい
労働省
ろうどうしょう
を
始
はじ
めとする
日本
にっぽん
の
社会
しゃかい
のALS
理
り
解
かい
を
深
ふか
めるものと
確信
かくしん
しています。
昨年
さくねん
は、3
人
にん
の
日本
にっぽん
の
人工
じんこう
呼吸
こきゅう
器
き
装着
そうちゃく
患者
かんじゃ
が
始
はじ
めて
人工
じんこう
呼吸
こきゅう
器
き
をつけ
た
患者
かんじゃ
として
国際
こくさい
会議
かいぎ
に
参加
さんか
し、その
活躍
かつやく
ぶりを
紹介
しょうかい
して
欧米
おうべい
の
人
ひと
たち
のみならず
会議
かいぎ
の
参加
さんか
者
しゃ
全員
ぜんいん
に
強
つよ
いインパクトを
与
あた
えることに
成功
せいこう
しま
した。
今年
ことし
は、
私
わたし
を
含
ふく
めて7
人
にん
の
日本
にっぽん
の
人工
じんこう
呼吸
こきゅう
器
き
装着
そうちゃく
患者
かんじゃ
が
国際
こくさい
会議
かいぎ
に
参
さん
加
か
して2005
年
ねん
の
国際
こくさい
会議
かいぎ
の
日本
にっぽん
開催
かいさい
を
申
もう
し
出
で
る
予定
よてい
です。
それに
加
くわ
えて
今年
ことし
は、
私
わたし
が
東京
とうきょう
都立
とりつ
神経
しんけい
病院
びょういん
の
林
はやし
副
ふく
委員
いいん
長
ちょう
、
日本
にっぽん
AL
S
協会
きょうかい
の
平岡
ひらおか
理事
りじ
と
連名
れんめい
でシンポジウムに、
Ventilatory support in Japan:
A New Life with ALS and a Positive Approach to Living with the
Disease
(
日本
にっぽん
における
人工
じんこう
呼吸
こきゅう
器
き
療法
りょうほう
:ALSとの
新
あたら
しい
生活
せいかつ
、ALSと
前
ぜん
向
むかい
きに
暮
く
らす
方法
ほうほう
)
という
日本
にっぽん
の
人工
じんこう
呼吸
こきゅう
器
き
療法
りょうほう
の
歩
あゆ
みをレビューした
論文
ろんぶん
を
応募
おうぼ
したとこ
ろ
受理
じゅり
されて、
私
わたし
は
患者
かんじゃ
の
動
うご
きを
中心
ちゅうしん
にポスターで、
林
はやし
先生
せんせい
は
医学
いがく
的
てき
な
成果
せいか
を
口頭
こうとう
で
発表
はっぴょう
できることになりました。
そういう
訳
わけ
で、
発表
はっぴょう
の
準備
じゅんび
に
追
お
われていますが、
介護
かいご
の
人
ひと
を
含
ふく
めて4
人
ひと
分
ぶん
の
旅費
りょひ
は、
最低限
さいていげん
必要
ひつよう
と
思
おも
われるもので、170
万
まん
円
えん
にもなること
が
分
わ
かりました。
そこで
勝手
かって
ながら、
皆
みな
さんのご
支援
しえん
をお
願
ねが
いする
次第
しだい
です。
以上
いじょう
スケジュール、
費用
ひよう
概算
がいさん
、
等
ひとし
(
略
りゃく
)
>TOP
◆20020501 「ALS/MND
国際
こくさい
会議
かいぎ
飛行機
ひこうき
旅行
りょこう
体験
たいけん
記
き
」,『JALSA』056:43-46
>TOP
◆2003/10/15
日本
にっぽん
ALS
協会
きょうかい
理事
りじ
会
かい
に
提出
ていしゅつ
された
文書
ぶんしょ
山梨
やまなし
の
山口
やまぐち
と
申
もう
します。
私
わたし
が、
患者
かんじゃ
自身
じしん
による
講習
こうしゅう
会
かい
に
出席
しゅっせき
したのは
故
こ
松岡
まつおか
事務
じむ
局長
きょくちょう
の
亡
な
くなった
年
とし
だと
思
おも
います。その
年
とし
いらい
大分
おおいた
を
除
のぞ
いて
参加
さんか
しています。
各地
かくち
の
患者
かんじゃ
さんに
会
あ
うのは
楽
たの
しみです。こういう
会
かい
は
故
こ
松岡
まつおか
さんが
悲願
ひがん
としていた
国際
こくさい
会議
かいぎ
の
日本
にっぽん
開催
かいさい
に
役
やく
に
立
た
つとも
思
おも
ったからでした。
私
わたし
の
勘違
かんちが
いから、
議論
ぎろん
が
遅
おそ
くなったことをお
詫
わ
びすると
共
とも
に、この
事
こと
には、いわばJALSAの
存立
そんりつ
に
関
かか
わる
問題
もんだい
です。
なるべく
多
おお
くの
人
ひと
にこの
討論
とうろん
に
参加
さんか
して
欲
ほ
しいのです。
私
わたし
は1
昨年
さくねん
のオークランドでの
国際
こくさい
会議
かいぎ
で
論文
ろんぶん
を
発表
はっぴょう
し、マイアミ
大学
だいがく
のブラッドレー
先生
せんせい
やロンドン
大学
だいがく
のスオッシュ
先生
せんせい
に
評価
ひょうか
された
時
とき
に
明
あき
らかになったのは、
日本
にっぽん
は
健康
けんこう
保険
ほけん
に
在宅
ざいたく
呼吸
こきゅう
管理
かんり
料
りょう
を
設
もう
けることによって
呼吸
こきゅう
器
き
療法
りょうほう
の
普及
ふきゅう
に
貢献
こうけん
したのに、その
後
ご
のフォローが
悪
わる
かったので、
介護
かいご
の
標準
ひょうじゅん
化
か
について
深
ふか
めることなく「
介護
かいご
の
社会
しゃかい
化
か
」に
貢献
こうけん
していないと
言
い
うことです。QOLでは「
何
なに
を」
実現
じつげん
すべきかは
判
わか
っており「
如何
いか
に」かが
大切
たいせつ
です。コミニケーションの
確保
かくほ
と
介護
かいご
方法
ほうほう
の
標準
ひょうじゅん
化
か
の
確立
かくりつ
と
患者
かんじゃ
・
家族
かぞく
の
精神
せいしん
的
てき
ケアが「
如何
いか
に」にあります。これらは
他
た
の
国
くに
では、やりたくても
対象
たいしょう
となる
人
じん
がいなくてできないのです。ここに、
日本
にっぽん
の
患者
かんじゃ
や
学会
がっかい
の
可能
かのう
性
せい
があります。
立
たて
命
いのち
館
かん
の
立岩
たていわ
先生
せんせい
は
臓器
ぞうき
移植
いしょく
などにシャープな
透徹
とうてつ
した
議論
ぎろん
を
展開
てんかい
している
気鋭
きえい
の
社会
しゃかい
学者
がくしゃ
ですが、
彼
かれ
の
関係
かんけい
した
介護
かいご
人
じん
派遣
はけん
制度
せいど
を
社会
しゃかい
に
於
お
いて
自分
じぶん
達
たち
を
無用
むよう
な
存在
そんざい
と
自覚
じかく
した
脳性
のうせい
麻痺
まひ
者
しゃ
を
中心
ちゅうしん
に
獲得
かくとく
された
制度
せいど
と
看破
かんぱ
されました。
私
わたし
にはALS
患者
かんじゃ
にはこの
様
よう
な
厳
きび
しい
認識
にんしき
は
欠
か
けているように
思
おも
えます。
安楽
あんらく
死
し
の
本質
ほんしつ
はホスピスケアをバリアティブケアとい
換
いか
えても、
生
い
き
残
のこ
る
家族
かぞく
の
都合
つごう
にあるという
立岩
たていわ
先生
せんせい
の
指摘
してき
は
正
ただ
しいように
思
おも
えます。
患者
かんじゃ
にとって
家族
かぞく
とは
一体
いったい
なんでしょうか?
近畿
きんき
ブロックのボランティアの
西村
にしむら
さんの
指摘
してき
と
記憶
きおく
しますが、
家族
かぞく
の
理解
りかい
ある
患者
かんじゃ
の
寿命
じゅみょう
は
標準
ひょうじゅん
より
長
なが
いと
言
い
うことは、
厚労省
こうろうしょう
のデータの
解釈
かいしゃく
に
一考
いっこう
の
余地
よち
があると
感
かん
じました。
日本
にっぽん
の
患者
かんじゃ
には
一種
いっしゅ
の
使命
しめい
感
かん
、
自分
じぶん
は
生
い
き
抜
ぬ
いて
見
み
せる!に
支
ささ
えられた
倫理
りんり
観
かん
があるように
思
おも
えますが、
家族
かぞく
にはそう
言
い
うものは
宗教
しゅうきょう
的
てき
な
場合
ばあい
以外
いがい
は
少
すく
ないようで
危機
きき
的
てき
に
感
かん
じます。
結局
けっきょく
生
い
き
残
のこ
る
家族
かぞく
の
方
ほう
のこころの
傷
きず
の
後遺症
こういしょう
が
問題
もんだい
で
後
のち
を
引
ひ
きます。もっともっと
心理
しんり
学
がく
的
てき
アプローチが
期待
きたい
されて
良
よ
いと
思
おも
うと
同時
どうじ
に、「
告知
こくち
」と「
生
い
きる
方法
ほうほう
」のインフォームドコンセントが
必要
ひつよう
条件
じょうけん
とおもいます。この
調査
ちょうさ
は、
答
こた
えを
誘導
ゆうどう
する
危険
きけん
性
せい
を
含
ふく
んでいます。
日本
にっぽん
は「
介護
かいご
の
社会
しゃかい
化
か
」
手
て
を
抜
ぬ
いていて、
多
おお
くの
善良
ぜんりょう
な
市民
しみん
が
殺
ころ
されています。
今
こん
現在
げんざい
も、
殺
ころ
されています。しかも
情報
じょうほう
が
豊
ゆた
かになり
生活
せいかつ
権
けん
を
侵
おか
された
家族
かぞく
によって、
患者
かんじゃ
の
生存
せいぞん
権
けん
が
侵
おか
されることすら
起
お
きています。
看護
かんご
協会
きょうかい
は
職域
しょくいき
防衛
ぼうえい
論
ろん
の
旗
はた
を
降
お
ろして
介護
かいご
と
介護
かいご
コストの
最適
さいてき
化
か
に
力
ちから
を
注
そそ
ぐべきであると
思
おも
います。そして
看護
かんご
師
し
のカリキュラムを
見直
みなお
し、
少
すく
なくとも
呼吸
こきゅう
器
き
療法
りょうほう
に
関
かん
しては、
呼吸
こきゅう
器
き
療法
りょうほう
認定
にんてい
士
し
程度
ていど
の
力
ちから
を
保証
ほしょう
し
自立
じりつ
心
しん
を
養
やしな
うようにして
欲
ほ
しいです。お
腹
なか
についても
同
おな
じ
事
こと
です。
腸閉塞
ちょうへいそく
の
起
お
きないように
責任
せきにん
をとれる
体制
たいせい
にして
欲
ほ
しい。これらは
他
た
の
難病
なんびょう
にも
効果
こうか
的
てき
と
思
おも
います
最後
さいご
に
日本
にっぽん
の
江戸
えど
時代
じだい
には
大
おお
きな
意味
いみ
を
感
かん
じます。と
言
い
うのは、
新潟大学
にいがただいがく
の
卒業生
そつぎょうせい
で
椿
つばき
先生
せんせい
の
弟子
でし
である
都立
とりつ
神経
しんけい
病院
びょういん
の
林
はやし
院長
いんちょう
が、その
論文
ろんぶん
の
中
なか
で、1.
日本
にっぽん
で、
告知
こくち
を
公知
こうち
させるには、2.
医師
いし
の
父権
ふけん
主義
しゅぎ
と、3.
患者
かんじゃ
と
家族
かぞく
の
家族
かぞく
主義
しゅぎ
が
克服
こくふく
される
必要
ひつよう
があると
指摘
してき
しているからです。その
一方
いっぽう
で
東大
とうだい
医学部
いがくぶ
出
で
で
医師
いし
の
資格
しかく
を
持
も
つ
評論
ひょうろん
家
か
の
加
か
籐
とう
周一
しゅういち
が
日本
にっぽん
とドイツのほとんど
同
おな
じ
時期
じき
の
封建
ほうけん
主義
しゅぎ
に
基
もと
づく
後進
こうしん
性
せい
が20
世紀
せいき
前半
ぜんはん
の
飛躍
ひやく
を
可能
かのう
にしたと
言
い
っているのは
注目
ちゅうもく
すべき
事
こと
のように、つまり
江戸
えど
時代
じだい
の
儒教
じゅきょう
支配
しはい
が
父権
ふけん
主義
しゅぎ
と
家族
かぞく
主義
しゅぎ
を
育
そだ
てたと
思
おも
います。
日本
にっぽん
では、アメリカの
学会
がっかい
のように「
平安
へいあん
な
死
し
」などという「
幻想
げんそう
」をあたえようなどと
思
おも
わぬことです。
例
たと
え
三
さん
本
ほん
先生
せんせい
のような
大物
おおもの
の
提案
ていあん
でも、
結局
けっきょく
、
死
し
は
死
し
であって
悩
なや
むのは
遺族
いぞく
なので、「
生
い
きるメニュー」を
示
しめ
せるようになってからで
良
よ
い。(
患者
かんじゃ
は
死
し
ねばお
終
おわり
いですが、だから
良
よ
いというわけでなく
本当
ほんとう
はその
死
し
が
日常
にちじょう
化
か
する
方
ほう
が
怖
こわ
い。1
種
しゅ
の
死
し
の
日常
にちじょう
化
か
です。それで
済
す
ませると
繰
く
り
返
かえ
すことになります。
私
わたし
も
何
なん
度
ど
か
有
あ
りますが、
苦
くる
しむのは
生
い
きている
証拠
しょうこ
で、
死
し
のときは
楽
らく
になります。)
繰
く
り
返
かえ
しますが、
遺族
いぞく
は、
生
い
き
残
のこ
ります。そして、
一種
いっしゅ
の
喪失
そうしつ
感
かん
で
何
なん
時
じ
までも
苦
くる
しみます。ところで、
加藤
かとう
はフランス
留学
りゅうがく
中
ちゅう
に
医学
いがく
から
社会
しゃかい
学
がく
に
転
てん
じた
人
ひと
で
専
せん
門
もん
は
血液
けつえき
学
がく
と
記憶
きおく
します。
言
い
いたかったのは、この
手
て
の
比較
ひかく
文化
ぶんか
論
ろん
では
梅
うめ
棹
ざお
などが
高名
こうみょう
ですが、
加藤
かとう
は
自然
しぜん
科学
かがく
の
出身
しゅっしん
か
冷静
れいせい
で
客観
きゃっかん
的
てき
な
議論
ぎろん
をするところに
好感
こうかん
が
持
も
てます。
尚
なお
、
医学
いがく
と
社会
しゃかい
学
がく
の
他
ほか
に
文学
ぶんがく
に
造詣
ぞうけい
が
深
ふか
く、「マチネミュジカル」
同人
どうじん
。「さくら
横丁
よこちょう
」などの
優
すぐ
れた
詩
し
には
何人
なんにん
もの
作曲
さっきょく
家
か
が
曲
きょく
を
付
つ
けています。
日本
にっぽん
文学
ぶんがく
史
し
序説
じょせつ
のように
賞
しょう
を
受
う
けた
作品
さくひん
も
多
おお
いです。
彼
かれ
のことを「
小
しょう
鴎外
おうがい
」と
評
ひょう
する
人
ひと
も
多
おお
いですが
私
わたし
はかなり
違
ちが
う
個性
こせい
と
思
おも
います。
さて、
日本
にっぽん
は
江戸
えど
時代
じだい
に
儒教
じゅきょう
に
基
もと
づきに
家族
かぞく
主義
しゅぎ
を
育
そだ
てたのです。ドイツのプロテスタンティズムにも
恐
おそ
らく
同
おな
じ
様
よう
な
事情
じじょう
があると
思
おも
います。ぼくは「
医学
いがく
は、
人
ひと
に
生
い
きる
希望
きぼう
を
与
あた
えるべきもの」という
考
かんが
えです。
恐
おそ
らく
良心
りょうしん
的
てき
先生
せんせい
にはALSの
治療
ちりょう
法
ほう
を
開発
かいはつ
したいという
良
よ
い
意味
いみ
の
野心
やしん
が
有
あ
ると
思
おも
います。
日本
にっぽん
は、
再生
さいせい
医療
いりょう
や
遺伝子
いでんし
治療
ちりょう
は
先端
せんたん
を
走
はし
っていると
言
い
われます。
私
わたし
は、こういう
調査
ちょうさ
は、
必要
ひつよう
なことと
思
おも
います。でもより
高
たか
いプライオリティティを
治療
ちりょう
法
ほう
や
告知
こくち
に
与
あた
えても
良
よ
いと
思
おも
います。これらは
海外
かいがい
にライバルがいます。ノーベル
医学
いがく
賞
しょう
を
日本
にっぽん
から
出
だ
すときは、
神経
しんけい
内科
ないか
からまず
出
だ
したいのです。
今年
ことし
のMRIを
思
おも
えば、わたしの
卒論
そつろん
に
関係
かんけい
したテーマであり、かつて
私
わたし
の
在籍
ざいせき
した
会社
かいしゃ
の
同僚
どうりょう
たちが
苦
くる
しんでいたものだけになおさらです。(なんだこの
程度
ていど
か!ctの
次
つぎ
はMRIに
決
き
まっている!)
ALS
協会
きょうかい
は、
故
こ
松岡
まつおか
事務
じむ
局長
きょくちょう
を
中心
ちゅうしん
に
唯一
ゆいいつ
の
生
い
きるメニューとして、
呼吸
こきゅう
器
き
装着
そうちゃく
を
推進
すいしん
してきた
患者
かんじゃ
会
かい
であることを
忘
わす
れないで
下
くだ
さい。
彼
かれ
のとにかく
生
い
きて
下
くだ
さい。に
励
はげ
まされた
人
ひと
も
多
おお
いのでは?
>TOP
2005/09/19
逝去
せいきょ
通夜
つや
:9
月
がつ
20日
はつか
19
時
じ
より
告別
こくべつ
式
しき
:9月21
日
にち
11
時
じ
より
場所
ばしょ
:
国立
こくりつ
市
し
富士見台
ふじみだい
1−28−19 36
号棟
ごうとう
集会
しゅうかい
室
しつ
喪主
もしゅ
:
山口
やまぐち
元子
もとこ
さん
◇2005/09/19 23:40
[maee:3162] Re:
山口
やまぐち
衛
まもる
さんの
葬儀
そうぎ
日程
にってい
(MLへのメイル)
◇2005/09/21
弔電
ちょうでん
お
会
あ
いしたのは1998
年
ねん
、
一度
いちど
きりでした。
残念
ざんねん
です。
けれどずっと、
何
なに
を
考
かんが
え
何
なに
を
言
い
ったらよいのか、
教
おし
えて
いただいてきました。ありがとうございました。
心
しん
より
哀悼
あいとう
の
意
い
を
捧
ささ
げます。
>TOP
■
立岩
たていわ
の
文章
ぶんしょう
における
言及
げんきゅう
1997
秋
あき
ファックスをいただく
199801
講演
こうえん
依頼
いらい
のEメイルいただく
〜199804 Eメイル
往復
おうふく
199805
日本
にっぽん
ALS
協会
きょうかい
山梨
やまなし
県
けん
支部
しぶ
で
講演
こうえん
。はじめて(そして
最後
さいご
に)お
会
あ
いする。
◆2004/11/15
『ALS――
不動
ふどう
の
身体
しんたい
と
息
いき
する
機械
きかい
』
「あとがき」より
「
九
きゅう
七
なな
年
ねん
の
秋
あき
、ALS
協会
きょうかい
山梨
やまなし
県
けん
支部
しぶ
の
山口
やまぐち
衛
まもる
[496]からファックスで
連絡
れんらく
をもらった。「
介護
かいご
人
じん
派遣
はけん
事業
じぎょう
」(
第
だい
10
章
しょう
2
節
せつ
)の
新設
しんせつ
を
山梨
やまなし
県
けん
に
働
はたら
きかけたいので
情報
じょうほう
がほしいとのことだった。
私
わたし
がいくつか
関係
かんけい
した
文章
ぶんしょう
を
書
か
いていることが
伝
つた
わったらしい。
私
わたし
自身
じしん
は
役
やく
に
立
た
ててもらえる
情報
じょうほう
をもっていなかったが、
制度
せいど
について
最
もっと
も
多
おお
く
詳
くわ
しい
情報
じょうほう
をもち、
対
たい
行政
ぎょうせい
交渉
こうしょう
の
手法
しゅほう
にも
詳
くわ
しい
「
障害
しょうがい
者
しゃ
自立
じりつ
生活
せいかつ
・
介護
かいご
制度
せいど
相談
そうだん
センター」
を
知
し
っていたから、この
組織
そしき
を
紹介
しょうかい
した(
関連
かんれん
する
書籍
しょせき
に
自立
じりつ
生活
せいかつ
情報
じょうほう
センター
編
へん
[1996]があるが、
今
いま
では
情報
じょうほう
は
古
ふる
くなっているからホームページを
見
み
るのがよい)。
『
私的
してき
所有
しょゆう
論
ろん
』
(
立岩
たていわ
[1997b])という
本
ほん
も、そのころ、
九
きゅう
七
なな
年
ねん
一
いち
〇
月
がつ
に
刊行
かんこう
された。その
年
とし
の
終
お
わりに
雑誌
ざっし
『
仏教
ぶっきょう
』から
原稿
げんこう
を
依頼
いらい
された。「
生老
しょうろ
病死
びょうし
の
哲学
てつがく
」という
特集
とくしゅう
で、
私
わたし
への
当初
とうしょ
の
依頼
いらい
は
「
出生
しゅっしょう
前
ぜん
診断
しんだん
」
だったが、
私
わたし
はこの
主題
しゅだい
についてその
時
とき
に
書
か
けることは
本
ほん
に
書
か
いてしまったし(『
私的
してき
所有
しょゆう
論
ろん
』
第
だい
9
章
しょう
)、にもかかわらず
煮
に
え
切
き
らず、
詰
つ
められない
部分
ぶぶん
があり、なにか
新
あたら
しいことが
書
か
けると
思
おも
えなかった。そして
私
わたし
は、たしかに
本
ほん
では
生
う
まれることに
関
かか
わる
技術
ぎじゅつ
について
書
か
いたのだが、それよりも
死
し
ぬか
死
し
なないかの
方
ほう
が
大切
たいせつ
だと
思
おも
っていた。
想像
そうぞう
力
りょく
に
乏
とぼ
しい
私
わたし
には、
既
すで
に
生
い
きていて、
自分
じぶん
が
死
し
ぬことを
理解
りかい
できる
人間
にんげん
が
死
し
ぬという
出来事
できごと
の
方
ほう
が
大
おお
きなことに
思
おも
えた。
今
いま
でもそう
思
おも
っている。それで
安楽
あんらく
死
し
のことについて
書
か
かせてもらった(
立岩
たていわ
[1998a])。そこで
スー・ロドリゲスの
裁判
さいばん
に
言及
げんきゅう
し、
松本
まつもと
茂
しげる
[45][489]の
文章
ぶんしょう
(
松本
まつもと
[1994])を
引
ひ
いた。この
文章
ぶんしょう
は
拙著
せっちょ
『
弱
よわ
くある
自由
じゆう
へ』
(
立岩
たていわ
[2000d])に
収録
しゅうろく
された。
九
きゅう
八
はち
年
ねん
一
いち
月
がつ
、この
雑誌
ざっし
が
刊行
かんこう
された
頃
ころ
、
山梨
やまなし
県
けん
で
介護
かいご
人
じん
派遣
はけん
事業
じぎょう
が
始
はじ
まることに
決
き
まったから、ALS
協会
きょうかい
の
山梨
やまなし
県
けん
支部
しぶ
の
総会
そうかい
で
講演
こうえん
をしてほしいという
依頼
いらい
があった。その
返信
へんしん
の
E
いー
メールに『
仏教
ぶっきょう
』に
書
か
いた
文章
ぶんしょう
を
添付
てんぷ
して
送
おく
った。「
難病
なんびょう
患者
かんじゃ
の
自己
じこ
決定
けってい
の
意味
いみ
・
介護
かいご
人
じん
派遣
はけん
制度
せいど
の
可能
かのう
性
せい
」という
題
だい
をいただき、
五月
ごがつ
に
講演
こうえん
した(
講演
こうえん
までの
間
あいだ
の
山口
やまぐち
との
E
いー
メールのやりとりについては、この
講演
こうえん
を
再
さい
録
ろく
した
立岩
たていわ
[2000e]に
記
しる
した)。」
◆2000/11/27
「
手助
てだす
けをえて、
決
き
めたり、
決
き
めずに、
生
い
きる――
第
だい
3
回
かい
日本
にっぽん
ALS
協会
きょうかい
山梨
やまなし
県
けん
支部
しぶ
総会
そうかい
での
講演
こうえん
」
倉本
くらもと
智明
ともあき
・
長瀬
ながせ
修
おさむ
編
へん
20001127
『
障害
しょうがい
学
がく
を
語
かた
る』
,
発行
はっこう
:エンバワメント
研究所
けんきゅうじょ
,
発売
はつばい
:
筒井
つつい
書房
しょぼう
,189p. 2000
円
えん
pp.153-182
*
私
わたし
が
担当
たんとう
したこの
章
しょう
には1998
年
ねん
の
講演
こうえん
をそのまま
掲載
けいさい
した。その
記録
きろく
の
前後
ぜんご
に、
講演
こうえん
することになった
経緯
けいい
を
記
しる
した。
以下
いか
に
掲載
けいさい
するのはその
一部
いちぶ
。
「
私
わたし
が
障害
しょうがい
学
がく
講座
こうざ
(1999
年
ねん
1
月
がつ
17
日
にち
)でお
話
はな
しした
内容
ないよう
は、
石川
いしかわ
准
じゅん
・
長瀬
ながせ
修
おさむ
編
へん
『
障害
しょうがい
学
がく
への
招待
しょうたい
』
(
明石書店
あかししょてん
、1999
年
ねん
3
月
がつ
)の
第
だい
3
章
しょう
「
自己
じこ
決定
けってい
する
自立
じりつ
――なにより、でないが、とても
大切
たいせつ
なもの」と
重複
じゅうふく
します。(
実際
じっさい
には
準備
じゅんび
の
手違
てちが
いで、
最初
さいしょ
の
予定
よてい
と
少
すこ
し
違
ちが
った
方向
ほうこう
のお
話
はなし
をせざるをえなかったのですが、それでも)そこに
書
か
いたことと
別
べつ
にその
時
とき
の
話
はなし
をここに
再
さい
録
ろく
する
必要
ひつよう
はないと
考
かんが
えました(『
障害
しょうがい
学
がく
への
招待
しょうたい
』をよろしく)。
そこで
別
べつ
の
機会
きかい
にお
話
はな
しさせていただいたものをほぼそのまま
以下
いか
掲載
けいさい
します。1998
年
ねん
5
月
がつ
30
日
にち
の「
第
だい
3
回
かい
日本
にっぽん
ALS
協会
きょうかい
山梨
やまなし
県
けん
支部
しぶ
総会
そうかい
」(於:
甲府
こうふ
市
し
)での
講演
こうえん
、いただいた
題
だい
は「
難病
なんびょう
患者
かんじゃ
の
自己
じこ
決定
けってい
の
意味
いみ
・
介護
かいご
人
じん
派遣
はけん
制度
せいど
の
可能
かのう
性
せい
」です。ALSは、「
筋
すじ
萎縮
いしゅく
性
せい
側
がわ
索
さく
硬化
こうか
症
しょう
」の
略
りゃく
、いわゆる
神経
しんけい
性
せい
難病
なんびょう
の
一種
いっしゅ
で、
人
ひと
により
進行
しんこう
の
速度
そくど
は
様々
さまざま
ですが、
全身
ぜんしん
の
筋肉
きんにく
が
次第
しだい
に
動
うご
かなくなっていく
障害
しょうがい
です。その
患者
かんじゃ
および
家族
かぞく
・
支援
しえん
者
しゃ
の
組織
そしき
として「
日本
にっぽん
ALS
協会
きょうかい
」があり、その
山梨
やまなし
県
けん
支部
しぶ
の
総会
そうかい
に
招
まね
いていただいたのです。 その
前年
ぜんねん
、1997
年
ねん
の
秋
あき
に「
介護
かいご
人
じん
派遣
はけん
事業
じぎょう
」についての
情報
じょうほう
がほしいという
問合
といあわ
せをいただき、
手持
ても
ちの
資料
しりょう
を
少
すこ
しお
送
おく
りし、「
障害
しょうがい
者
しゃ
自立
じりつ
生活
せいかつ
・
介護
かいご
制度
せいど
相談
そうだん
センター」を
紹介
しょうかい
しました。その
後
ご
、
山梨
やまなし
県
けん
を
相手
あいて
に
尽力
じんりょく
された
結果
けっか
、
派遣
はけん
事業
じぎょう
が
山梨
やまなし
県
けん
でもスタートするということになり、そんなことで
支部
しぶ
会長
かいちょう
の
山口
やまぐち
衛
まもる
(やまぐち・まもる)さんから、4
月
がつ
7
日
にち
に
講演
こうえん
依頼
いらい
のEメイルをいただきました。それから5
月
がつ
の
講演
こうえん
までの
経緯
けいい
等
とう
は
末尾
まつび
に
記
しる
すことにして、とりあえず
始
はじ
めます。」
(
講演
こうえん
の
記録
きろく
:
略
りゃく
)
「
最初
さいしょ
の「おことわり」で、
講演
こうえん
依頼
いらい
のEメイルをいただいたことを
記
しる
しました。その1
週間
しゅうかん
後
ご
の
私
わたし
からの
返信
へんしん
のメイルに、
一
いち
九
きゅう
九
きゅう
八
はち
年
ねん
一
いち
月
がつ
に
出
で
た『
仏教
ぶっきょう
』という
雑誌
ざっし
に
書
か
いた
安楽
あんらく
死
し
についての
文章
ぶんしょう
があって、その
中
なか
でALSのことにも
少
すこ
し
触
ふ
れているのですが
御
ご
参考
さんこう
までにお
送
おく
りしましょうか、といったことを
書
か
いたところ、
送
おく
ってくださいとの
返信
へんしん
がありました。そこには、「ALS
患者
かんじゃ
の
約
やく
七
なな
割
わり
は
呼吸
こきゅう
器
き
を
着
つ
けないで
死
し
んで
行
い
きますが、その
中
なか
には
患者
かんじゃ
自身
じしん
には
知
し
らせないで
家族
かぞく
親族
しんぞく
と
医者
いしゃ
が
安楽
あんらく
死
し
的
てき
発想
はっそう
で
死
し
なせていると
思
おも
われるケースがあるようだからです。」とありました。
原稿
げんこう
をEメイルでお
送
おく
りしました。すぐにその
返事
へんじ
をいただきました(4
月
がつ
16
日
にち
)。「
消極
しょうきょく
的
てき
安楽
あんらく
死
し
を
選択
せんたく
した
遺族
いぞく
・
医師
いし
もおり、その
人達
ひとたち
は
重荷
おもに
を
担
にな
って
生
い
きています。その
人
ひと
たちの
傷
きず
を
暴
あば
くよりは
如何
いか
にしたらそうしないで
済
す
む
社会
しゃかい
を
築
きづ
けるのかという
側面
そくめん
からお
話
はなし
をしていただきたい」ということでした。それは、
私
わたし
の
文章
ぶんしょう
の
中
なか
でも
言及
げんきゅう
している、カナダで
医師
いし
による
自殺
じさつ
幇助
ほうじょ
の
合法
ごうほう
化
か
を
求
もと
めて
裁判
さいばん
を
起
お
こしたスー・ロドリゲスさん(
裁判
さいばん
では
負
ま
けたが、
彼女
かのじょ
自身
じしん
は
医師
いし
の
幇助
ほうじょ
によって
亡
な
くなった)のことにふれ、「
人
ひと
は
好
この
んで
死
し
にたがるものではありません。
思
おも
うに
希望
きぼう
を
失
うしな
ったとき、
絶望
ぜつぼう
によって
人
ひと
は
死
し
を
選択
せんたく
するもののようです。さて
私
わたし
はこのように
考
かんが
えますが」、という
文言
もんごん
の
後
のち
に
続
つづ
く
言葉
ことば
でした。
私
わたし
自身
じしん
、
安楽
あんらく
死
し
についてお
話
はな
しするつもりで
原稿
げんこう
を
送
おく
ったのではありませんでしたから、
異存
いぞん
はありませんでした。
山口
やまぐち
さんのこのメイルの
冒頭
ぼうとう
に、(
私
わたし
の
原稿
げんこう
の)「
論旨
ろんし
は
私
わたし
の
常
つね
日頃
ひごろ
考
かんが
えていることに、ほぼ
一致
いっち
しております」と
記
しる
してありました。(この
直後
ちょくご
は、「スー・ロドリゲスの
番組
ばんぐみ
も
見
み
ました。その
中
なか
で
彼女
かのじょ
が「
本当
ほんとう
は
私
わたし
は
生
い
きていたいのだ。」と
語
かた
ったことが
印象
いんしょう
に
残
のこ
っています。またオランダのケースなど
未
いま
だ
死
し
なずとも
人生
じんせい
を
楽
たの
しめる
時期
じき
に
死
し
んでしまったと
言
い
う
印象
いんしょう
を
持
も
っております。」と
続
つづ
き、
人工
じんこう
呼吸
こきゅう
器
き
のことについて
触
ふ
れられています。)
(ところで、
例
たと
えばこの
年
とし
の
五月
ごがつ
九
きゅう
日
にち
、
日本
にっぽん
学術
がくじゅつ
振興
しんこう
会
かい
『
井口
いぐち
記念
きねん
人間
にんげん
科学
かがく
振興
しんこう
基金
ききん
』
第
だい
二
に
九
きゅう
回
かい
セミナー(於・
箱根
はこね
)なる
場
ば
で、「
私
わたし
の
死
し
」という
話
はなし
*をしたのだけれども、その
時
とき
に(
私
わたし
の
話
はなし
だけではなく
何人
なんにん
かの、「
非
ひ
医学
いがく
・
自然
しぜん
科学
かがく
系
けい
」の
人
ひと
の)
話
はなし
を
聞
き
いていた「お
医者
いしゃ
さまたち」の
反応
はんのう
というものは、…。
普通
ふつう
の
言葉
ことば
で
普通
ふつう
に
話
はな
しているのだけれども、
理解
りかい
してくれない、そのことに
居直
いなお
っているようでさえありました。
悲
かな
しかった。
*「
死
し
の
決定
けってい
について」という
文章
ぶんしょう
とほぼ
同
おな
じ
内容
ないよう
の
話
はなし
です。
小松
こまつ
美彦
よしひこ
の「
死
し
の
自己
じこ
決定
けってい
権
けん
批判
ひはん
」を
批判
ひはん
し
否定
ひてい
した
上
うえ
で、
安楽
あんらく
死
し
について、それを
肯定
こうてい
できないわけを
述
の
べるという
話
はなし
です。)
その
三
さん
日
にち
後
ご
、
四
よん
月
がつ
一
いち
九
きゅう
日
にち
にEメイルをいただきました。
四
よん
月
がつ
一
いち
八
はち
日
にち
にNHK
教育
きょういく
テレビで
放映
ほうえい
された『
未来
みらい
潮流
ちょうりゅう
』という
番組
ばんぐみ
で、
私
わたし
と
加藤
かとう
尚武
なおたけ
氏
し
(
哲学
てつがく
・
倫理
りんり
学
がく
)との
対談
たいだん
が
放映
ほうえい
されました。(
対談
たいだん
自体
じたい
は
随分
ずいぶん
前
まえ
に
収録
しゅうろく
してあって、
三
さん
月
がつ
に
放映
ほうえい
の
予定
よてい
だったのですが、その
日
ひ
がパラリンピックの
閉会
へいかい
式
しき
に
当
あた
っていてそれを
放映
ほうえい
――
当初
とうしょ
予定
よてい
はなかったのだそうですが、
多
おお
くの
視聴
しちょう
者
しゃ
から
希望
きぼう
があったのだそうです――したため、
延期
えんき
されていたのです。)「
自己
じこ
決定
けってい
」といったテーマの
対談
たいだん
だったと
思
おも
います。
山口
やまぐち
さんはその
番組
ばんぐみ
を
見
み
てくださった。そしてこの
日
ひ
、
知
し
り
合
あ
いのどなたかが
亡
な
くなった、その
方
ほう
は
人工
じんこう
呼吸
こきゅう
器
き
をつけないことに
決
き
めていて、
呼吸
こきゅう
困難
こんなん
で
亡
な
くなった、その
方
ほう
の
夫
おっと
もそれに
同意
どうい
していた、ただその
人
ひと
もそれでよかったのか
悩
なや
んでいる、そういうことがあったのだそうです。「
前
まえ
のメールについては
撤回
てっかい
いたします。「
自己
じこ
決定
けってい
」をキーワードに
話
はなし
をしていただきたいと
思
おも
います。」と
書
か
かれてありました。そんなこんなで
五月
ごがつ
三
さん
〇
日
にち
にお
話
はな
ししたのが、ここに
再
さい
録
ろく
した「
難病
なんびょう
患者
かんじゃ
の
自己
じこ
決定
けってい
の
意味
いみ
・
介護
かいご
人
じん
派遣
はけん
制度
せいど
の
可能
かのう
性
せい
」です。
お
目
め
にかかるのは
初
はじ
めての
山口
やまぐち
さんは、
車椅子
くるまいす
、
人工
じんこう
呼吸
こきゅう
器
き
といういでたちでした。
言葉
ことば
のコミュニケーションは、
口
くち
にくわえた
棒
ぼう
で
透明
とうめい
なプラスチック
板
ばん
に
升目
ますめ
を
書
か
いて
作
つく
った(のだと
思
おも
います)
文字
もじ
版
ばん
を
示
しめ
す。そして
傍
はた
に、その
読
よ
み
取
と
りにとても
慣
な
れている
方
ほう
がいらっしゃって
音
おと
にしてくれる。そういうふうにして
少
すこ
し
話
ばなし
をしました。なんというか、スーさんの
番組
ばんぐみ
(カナダCBC
製作
せいさく
で1994
年
ねん
にNHKで
放映
ほうえい
された)に
流
なが
れている、「
美
うつく
しい
悲壮
ひそう
感
かん
」というかなんというかを
感
かん
じなかった。ストレッチャー、ボイスエイド(キーボードで
音
おと
を
出
だ
す
機械
きかい
)といったいでたちの、
普通
ふつう
のおじさん、おにいさんたちと
変
か
わらない。ように
思
おも
った。
話
はなし
をしたのは
多分
たぶん
数
すう
分
ふん
でしかないのだし、その
日
ひ
だけのことでしかないのではある。しかし
少
すく
なくともその
日
ひ
、その
日
ひ
私
わたし
はそう
感
かん
じた。あのCBCの
番組
ばんぐみ
だけを
見
み
た
人
ひと
は、
死
し
の
方
ほう
に
向
む
かおうとする
切迫
せっぱく
した
思
おも
いを
受
う
け
取
と
り、「ああそうだな」と
思
おも
うかもしれない。しかしそれと
違
ちが
うものを
知
し
ればどうだろう。
今年
ことし
の
年始
ねんし
にいただいた
山口
やまぐち
さんからの
年賀状
ねんがじょう
には
次
つぎ
のように
記
しる
されていました。
謹賀
きんが
新年
しんねん
本年
ほんねん
は
当
とう
支部
しぶ
も
創立
そうりつ
5
周年
しゅうねん
を
迎
むか
えます。
本年
ほんねん
も
皆様
みなさま
の
ご
指導
しどう
とご
助力
じょりょく
をもとに、
初心
しょしん
を
忘
わす
れずに
活動
かつどう
を
行
おこ
なってゆく
決心
けっしん
です。
昨年
さくねん
から
取
と
り
組
く
みを
始
はじ
めた”
患者
かんじゃ
による
患者
かんじゃ
の
ためのグループホーム”は
何
なに
とか
具体
ぐたい
的
てき
な
段階
だんかい
に
進
すす
めたいと
願
ねが
っております。
本年
ほんねん
もよろしくお
願
ねが
いいたします。
2000
年
ねん
元旦
がんたん
日本
にっぽん
ALS
協会
きょうかい
山梨
やまなし
県
けん
支部
しぶ
支部
しぶ
長
ちょう
山口
やまぐち
衛
まもる
」
>TOP
◆2005/08/25「
学校
がっこう
で
話
はな
したこと――1995〜2002」
川本
かわもと
隆史
たかし
編
へん
『ケアの
社会
しゃかい
倫理
りんり
学
がく
――
医療
いりょう
・
看護
かんご
・
介護
かいご
・
教育
きょういく
をつなぐ』
,
有斐閣
ゆうひかく
,pp.307-332 [
了
りょう
:20030716
校正
こうせい
:20050124]
*
信州大学医療技術短期大学
しんしゅうだいがくいりょうぎじゅつたんきだいがく
部
ぶ
での
講義
こうぎ
で
何
なに
を
話
はな
したかを
書
か
いた
文章
ぶんしょう
の
一部
いちぶ
「その
講義
こうぎ
で
私
わたし
は、この
社会
しゃかい
がどんな
社会
しゃかい
であるかを
言
い
い、そうでなければならないことはないことを
言
い
い、
別
べつ
のあり
方
かた
が
楽
らく
でよいのではないかと
言
い
う。それは
相対
そうたい
化
か
という
仕事
しごと
でもあるがそれだけでもない★05。つまり
私
わたし
自身
じしん
が
特定
とくてい
の
立場
たちば
に
立
た
っている。ただ、
私
わたし
たちは
偏
かたよ
ることから
逃
のが
れることはできず、あとはどのようにそれを
言
い
うか、あるいは
言
い
ってはならないかだと
思
おも
う★06。そんなことを
考
かんが
えながらの
講義
こうぎ
、そして
出入
でい
り
自由
じゆう
、
聞
き
きたい
人
ひと
はどうぞ
聞
き
いてくださいという★07その
講義
こうぎ
は、たいてい1
時
じ
間
あいだ
半
はん
ただしゃべり
続
つづ
けるという
一方
いっぽう
的
てき
で★08
工夫
くふう
のないものだったのだが、
稀
まれ
にビデオも
使
つか
った。まず
半期
はんき
の
講義
こうぎ
の
始
はじ
まりの
方
ほう
でスー・ロドリゲス(Sue Rodriguez)についての
番組
ばんぐみ
のビデオを
見
み
てもらった。これはカナダの
放送
ほうそう
局
きょく
CBCが
一
いち
九
きゅう
九
きゅう
四
よん
年
ねん
に
制作
せいさく
した
番組
ばんぐみ
をNHKが
同年
どうねん
の
九
きゅう
月
がつ
に
海外
かいがい
ドキュメンタリー「
人
ひと
は
死
し
を
選択
せんたく
できるか」として
放映
ほうえい
したものだ。ALS(
筋
すじ
萎縮
いしゅく
性
せい
側
がわ
索
さく
硬化
こうか
症
しょう
)にかかったその
女性
じょせい
が
医師
いし
による
自殺
じさつ
幇助
ほうじょ
の
合法
ごうほう
化
か
を
求
もと
めて
裁判
さいばん
を
起
お
こし、
最高裁
さいこうさい
まで
闘
たたか
う。その
裁判
さいばん
に
彼女
かのじょ
は
負
ま
けるのだが、その
後
ご
、
医師
いし
による
自殺
じさつ
幇助
ほうじょ
によって
亡
な
くなる。
彼女
かのじょ
とその
周
まわ
りの
人
ひと
たちのこと、その
人
ひと
たちの
言
い
うことが
伝
つた
えられる。まじめで
静
しず
かな
番組
ばんぐみ
だが、あるいはそんな
番組
ばんぐみ
であるゆえに、
彼女
かのじょ
の
主張
しゅちょう
はもっともな
主張
しゅちょう
だと
思
おも
える。この
病気
びょうき
が
悲惨
ひさん
であることが
伝
つた
えられる。そして
彼女
かのじょ
は
美
い
しくも
悲哀
ひあい
に
満
み
ち
悲壮
ひそう
なのだ。こうして、その
番組
ばんぐみ
を
見
み
た
私
わたし
たちはかなり
納得
なっとく
するのだが、しかしいくつか
不思議
ふしぎ
に
思
おも
うことがある、と
私
わたし
は
言
い
う。たしかにALSはやっかいな
病気
びょうき
ではある。だだ、もっと
症状
しょうじょう
が
進行
しんこう
している
人
ひと
を
知
し
っているのだが、その
人
ひと
はそんなに
悲壮
ひそう
な
雰囲気
ふんいき
ではなく、その
人
ひと
を
取材
しゅざい
してもなにか
心
しん
に
訴
うった
える
番組
ばんぐみ
はできそうにない。そしてその
人
ひと
は
人工
じんこう
呼吸
こきゅう
器
き
をつけているのだが、その
番組
ばんぐみ
には
呼吸
こきゅう
器
き
のことは
出
で
てこない。
呼吸
こきゅう
器
き
をつけるとかなり
長
なが
く
生
い
きられるのだが、
彼女
かのじょ
はそのずっと
手前
てまえ
で
死
し
ぬことになる。
彼女
かのじょ
はそのことを
言
い
わない。
知
し
らなかったのだろうか、
選
えら
ばなかったのだろうか。
番組
ばんぐみ
を
作
つく
った
人
ひと
は
知
し
っていたのだろうか。カナダという
国
くに
ではどんなことになっているのだろうか、
等
ひとし
。
私
わたし
はこんなことを
言
い
うときに
頭
あたま
に
思
おも
い
浮
う
かべている
山口
やまぐち
衛
まもる
さんという
人
ひと
を
連
つ
れてくることができないし、
映像
えいぞう
で
示
しめ
してもすこし
違
ちが
う
雰囲気
ふんいき
になるとも
思
おも
うから、ただ
私
わたし
が
話
はな
すだけで、そう
説得
せっとく
力
りょく
はないのだが、
話
はな
す――それは、メディアがどう
伝
つた
えるかでだいぶ
異
こと
なってくることもあることを
言
い
うことでもある★09。
死
し
にたけりゃ
死
し
ねば、と
思
おも
うところは
私
わたし
にはある。そう
乱暴
らんぼう
な
人
ひと
でなくとも、
自分
じぶん
の
人生
じんせい
は
自分
じぶん
で
決
き
めることがよいと
思
おも
うだろう。それにしてもなぜ
死
し
にたいのだろう。あれだけの
病気
びょうき
ならそれも
当然
とうぜん
、だろうか。しかし[
以下
いか
略
りゃく
]」
>TOP
故
こ
山口
やまぐち
衛
まもる
さん メモリアル・コンサートのご
案内
あんない
早
はや
いもので
南
みなみ
アルプスのALS
患者
かんじゃ
、
山口
やまぐち
衛
まもる
さんが
旅立
たびだ
たれてから、1
年
ねん
になろうとしています。そこで、
来
きた
る9
月
がつ
10日
とおか
、
生前
せいぜん
の
山口
やまぐち
衛
まもる
さんとゆかりの
皆
みな
様
さま
と
共
とも
に
ひと
時
じ
を
過
す
ごしたく、フルート
奏者
そうしゃ
の
岩村
いわむら
隆二
りゅうじ
さんの
トークや
映像
えいぞう
プレゼンテーションを
交
まじ
えた、
コンサートの
開催
かいさい
をご
家族
かぞく
が
企画
きかく
されました。
ご
多忙
たぼう
中
ちゅう
とは
存
ぞん
じますが、ご
来場
らいじょう
いただきたく
ご
案内
あんない
申
もう
し
上
あ
げます。
記
き
日時
にちじ
;2006
年
ねん
9
月
がつ
10日
とおか
(
日
ひ
)
午後
ごご
2
時
じ
から4
時半
じはん
場所
ばしょ
;
自由学園
じゆうがくえん
明日
あした
館
かん
東京
とうきょう
都
と
豊島
としま
区
く
西池袋
にしいけぶくろ
2−31−3
03−3971−7535
JR
池袋
いけぶくろ
駅
えき
メトロポリタン
口
こう
徒歩
とほ
5
分
ふん
JR
目白
めじろ
駅
えき
より
徒歩
とほ
7
分
ふん
http://www.jiyu.jp/
■プログラム
第
だい
一部
いちぶ
山口
やまぐち
衛
まもる
の
足跡
あしあと
音楽
おんがく
・
仕事
しごと
・ALS
第
だい
二
に
部
ぶ
フルート
奏者
そうしゃ
岩村
いわむら
隆二
りゅうじ
さんのトークコンサート
入場
にゅうじょう
無料
むりょう
★ALS
協会
きょうかい
への
寄付
きふ
を
目的
もくてき
にチャリティーボックスを
設
もう
けます。
主催
しゅさい
:
山口
やまぐち
元子
もとこ
・
雅子
まさこ
電話
でんわ
042−222−5403
★
当
とう
メイルをお
読
よ
みになった
方
ほう
で、
ご
来場
らいじょう
を
希望
きぼう
されます
方
ほう
は、お
手数
てすう
ですが、
川口
かわぐち
までメイルにてお
知
し
らせください。
定員
ていいん
100
名
めい
です。
定員
ていいん
になりしだい
締
し
め
切
き
ります。
手伝
てつだ
い:
川口
かわぐち
有美子
ゆみこ
aji-sun@nifty.com
>TOP
■1998
山口
やまぐち
氏
し
←→
立岩
たていわ
□INET GATE INU00103 98/04/07 19:27
題名
だいめい
:
日本
にっぽん
ALS
協会
きょうかい
山口
やまぐち
県
けん
支部
しぶ
第
だい
3
回
かい
総会
そうかい
:
記念
きねん
日本
にっぽん
ALS
協会
きょうかい
山口
やまぐち
県
けん
支部
しぶ
の
山口
やまぐち
です。ご
無沙汰
ぶさた
しております。
山口
やまぐち
県
けん
のH10
年度
ねんど
予算
よさん
も
無事
ぶじ
成立
せいりつ
し
介護
かいご
人
じん
派遣
はけん
制度
せいど
が
山口
やまぐち
県
けん
にも
導入
どうにゅう
されることになりました。これも、
先生
せんせい
のご
指導
しどう
の
賜物
たまもの
と
改
あらた
めてお
礼
れい
を
申
もう
し
上
あ
げます。
2800
万
まん
の
予算
よさん
で、
月
つき
120
時
じ
間
あいだ
で55
人
にん
分
ぶん
と
不十分
ふじゅうぶん
なものではありますが、
対象
たいしょう
者
しゃ
の
条件
じょうけん
については
弾力
だんりょく
的
てき
に
運用
うんよう
すると
担当
たんとう
課長
かちょう
は
説明
せつめい
会
かい
で
明言
めいげん
しており、スタートとしてはまず
十分
じゅうぶん
に
活用
かつよう
する
事
こと
ではないかと
思
おも
っております。
さて、
私
わたし
どもでは5
月
がつ
30
日
にち
の
土曜
どよう
の
午後
ごご
に
第
だい
3
回
かい
総会
そうかい
を
開催
かいさい
し3
年
ねん
目
め
の
活動
かつどう
へと
歩
あゆ
みを
進
すす
めようとしております。
第
だい
3
回
かい
総会
そうかい
に
向
む
けて
準備
じゅんび
作業
さぎょう
を
進
すす
めてゆく
中
なか
で、
記念
きねん
講演
こうえん
は
今後
こんご
の
当
とう
支部
しぶ
の
活動
かつどう
の
方向
ほうこう
を
示唆
しさ
するものであり
最
さい
重要
じゅうよう
項目
こうもく
の
一
ひと
つとして
検討
けんとう
を
進
すす
めて
参
まい
りました。そして
国
くに
の
情況
じょうきょう
や
県
けん
の
姿勢
しせい
を
考慮
こうりょ
するときに、ALS
患者
かんじゃ
が
安心
あんしん
して
療養
りょうよう
出来
でき
る
環境
かんきょう
を
実現
じつげん
する
上
じょう
で
社会
しゃかい
的
てき
なインフラストラクチャの
更
さら
なる
整備
せいび
が
大
おお
きな
課題
かだい
であると
考
かんが
え、
介護
かいご
人
じん
派遣
はけん
制度
せいど
の
研究
けんきゅう
に
先進
せんしん
的
てき
に
取
と
り
組
く
んで
来
きた
られた
先生
せんせい
に
介護
かいご
人
じん
派遣
はけん
制度
せいど
の
現状
げんじょう
と
問題
もんだい
点
てん
、そして
今後
こんご
の
進
すす
むべき
方向
ほうこう
についてお
話
はなし
をしていただこうと
意見
いけん
が
一致
いっち
いたしました。
誠
まこと
に
勝手
かって
かつ
無理
むり
な
願
ねが
いとは
思
おも
いますが、お
受
う
け
下
くだ
さいますように
御
ご
願
ねが
い
申
もう
し
上
あ
げます。なお
準備
じゅんび
の
都合
つごう
上
じょう
早
はや
めにご
返事
へんじ
をいただければ
幸
さいわ
いでございます。
〇0416
私
わたし
でよいのでしたら
日本
にっぽん
ALS
協会
きょうかい
山口
やまぐち
県
けん
支部
しぶ
・
山口
やまぐち
様
さま
☆
立岩
たていわ
です。メイルいただきました。
介護
かいご
人
じん
派遣
はけん
事業
じぎょう
について,
私
わたし
が
最適
さいてき
と
思
おも
いませんけれど,
私
わたし
でよいのでしたら,5
月
がつ
30
日
にち
,うかがわせていただきます。
☆ ついでに。「
都合
つごう
のよい
死
し
・
屈辱
くつじょく
による
死
し
――「
安楽
あんらく
死
し
」について」という
文章
ぶんしょう
を『
仏教
ぶっきょう
』42
号
ごう
(
法藏
ほうぞう
舘
だて
,1998
年
ねん
1
月
がつ
,
特集
とくしゅう
:
生老
しょうろ
病死
びょうし
の
哲学
てつがく
)に
書
か
きました。25
枚
まい
程度
ていど
のものです。この
中
なか
でALSのことに
少
すこ
し
触
ふ
れています。
松本
まつもと
茂
しげる
さんの
文章
ぶんしょう
なども
引用
いんよう
させていただいております。
御
ご
興味
きょうみ
がありましたら,Eメイルでお
送
おく
りすることもできます。
☆ では
失礼
しつれい
いたします。
□INET GATE INS00100 98/04/15 12:57
題名
だいめい
:Re:
私
わたし
でよいのでしたら
立岩
たていわ
真
しん
也
様
さま
JALSA
山口
やまぐち
の
山口
やまぐち
です。
受諾
じゅだく
の
御返事
おへんじ
有
あ
り
難
がた
うございました。
[……]
> ☆ ついでに。「
都合
つごう
のよい
死
し
・
屈辱
くつじょく
による
死
し
――「
安楽
あんらく
死
し
」について」という
文
ぶん
>
章
しょう
を『
仏教
ぶっきょう
』42
号
ごう
(
法藏
ほうぞう
舘
だて
,1998
年
ねん
1
月
がつ
,
特集
とくしゅう
:
生老
しょうろ
病死
びょうし
の
哲学
てつがく
)に
書
か
きま
> した。25
枚
まい
程度
ていど
のものです。この
中
なか
でALSのことに
少
すこ
し
触
ふ
れています。
松本
まつもと
茂
しげる
> さんの
文章
ぶんしょう
なども
引用
いんよう
させていただいております。
>
御
ご
興味
きょうみ
がありましたら,Eメイルでお
送
おく
りすることもできます。
大変
たいへん
興味深
きょうみぶか
く
思
おも
います。なぜかと
言
い
えば、ALS
患者
かんじゃ
の
約
やく
7
割
わり
は
呼吸
こきゅう
器
き
を
着
つ
けないで
死
し
んで
行
い
きますが、その
中
なか
には
患者
かんじゃ
自身
じしん
には
知
し
らせないで
家族
かぞく
親族
しんぞく
と
医者
いしゃ
が
安楽
あんらく
死
し
的
てき
発想
はっそう
で
死
し
なせていると
思
おも
われるケースがあるようだからです。ぜひメールで
送
おく
って
下
くだ
さるよう
御
ご
願
ねが
いいたします。
〇0416
原稿
げんこう
JALSA
山口
やまぐち
・
山口
やまぐち
様
さま
☆
立岩
たていわ
です。メイルいただきました。どの
範囲
はんい
のお
話
はなし
をすればよいのか(
派遣
はけん
事業
じぎょう
だけの
話
はなし
がよいのか,それとも…),
私
わたし
も
考
かんが
えてみますが,
御
ご
要望
ようぼう
がありましたら,お
寄
よ
せください(
私
わたし
は
急
いそ
ぎません)。
☆
以下
いか
,
御
ご
要望
ようぼう
のありました
原稿
げんこう
です。とり
急
いそ
ぎ
要件
ようけん
のみ。
失礼
しつれい
いたします。
都合
つごう
のよい
死
し
・
屈辱
くつじょく
による
死
し
──「
安楽
あんらく
死
し
」について 『
仏教
ぶっきょう
』42
号
ごう
[
略
りゃく
]
□INET GATE INP00101 98/04/16 13:14
題名
だいめい
:
講演
こうえん
の
演題
えんだい
について
立岩
たていわ
真
しん
也
様
さま
JALSA
山口
やまぐち
・
山口
やまぐち
です。
> ☆
立岩
たていわ
です。メイルいただきました。どの
範囲
はんい
のお
話
はなし
をすればよいのか(
派遣
はけん
事
ごと
>
業
ぎょう
だけの
話
はなし
がよいのか,それとも…),
私
わたし
も
考
かんが
えてみますが,
御
ご
要望
ようぼう
がありました
> ら,お
寄
よ
せください(
私
わたし
は
急
いそ
ぎません)。
「
安楽
あんらく
死
し
」の
文章
ぶんしょう
を
読
よ
ませていただきました。
先生
せんせい
の
論旨
ろんし
は
私
わたし
の
常
つね
日頃
ひごろ
考
かんが
えていることに、ほぼ
一致
いっち
しております。スー.ロドリゲスの
番組
ばんぐみ
も
見
み
ました。その
中
なか
で
彼女
かのじょ
が「
本当
ほんとう
は
私
わたし
は
生
い
きていたいのだ。」と
語
かた
ったことが
印象
いんしょう
に
残
のこ
っています。またオランダのケースなど
未
いま
だ
死
し
なずとも
人生
じんせい
を
楽
たの
しめる
時期
じき
に
死
し
んでしまったと
言
い
う
印象
いんしょう
を
持
も
っております。
欧米
おうべい
では
人工
じんこう
呼吸
こきゅう
器
き
を
着
つ
けて
生
い
きるケースが
日本
にっぽん
より
遙
はる
かに
少
すく
ないと
言
い
われています。キリスト
教
きょう
の
倫理
りんり
と、この
事実
じじつ
がどう
関係
かんけい
するのか
興味深
きょうみぶか
いことです。それはさておき、スーなどに
対
たい
して
周囲
しゅうい
から
呼吸
こきゅう
器
き
を
着
つ
けて
生
い
きることの
可能
かのう
性
せい
について、
恐
おそ
らく
何
なに
も
示
しめ
されなかったと
推察
すいさつ
されます。
人
ひと
は
好
この
んで
死
し
にたがるものではありません。
思
おも
うに
希望
きぼう
を
失
うしな
ったとき、
絶望
ぜつぼう
によって
人
ひと
は
死
し
を
選択
せんたく
するもののようです。
さて
私
わたし
はこのように
考
かんが
えますが、
表
ひょう
だって
安楽
あんらく
死
し
のことを
話
はな
していただきたいとは
思
おも
いません。それは、
山口
やまぐち
の
支部
しぶ
会員
かいいん
でも
消極
しょうきょく
的
てき
安楽
あんらく
死
し
を
選択
せんたく
した
遺族
いぞく
・
医師
いし
がおり、その
人達
ひとたち
は
重荷
おもに
を
担
にな
って
生
い
きています。その
人
ひと
たちの
傷
きず
を
暴
あば
くよりは
如何
いか
にしたらそうしないで
済
す
む
社会
しゃかい
を
築
きづ
けるのかという
側面
そくめん
からお
話
はなし
をしていただきたいと
思
おも
っています。その
主題
しゅだい
に
入
はい
るいわば
枕
まくら
として、
先生
せんせい
の
安楽
あんらく
死
し
・
自殺
じさつ
に
対
たい
する
考
かんが
え
方
かた
、そして
安楽
あんらく
死
し
・
自殺
じさつ
を
患者
かんじゃ
・
家族
かぞく
・
医師
いし
に
強要
きょうよう
している
日本
にっぽん
の
社会
しゃかい
の
状況
じょうきょう
について
話
はな
していただければと
思
おも
っております。
なお
案内
あんない
状
じょう
に
講演
こうえん
の
演題
えんだい
を
掲載
けいさい
する
都合
つごう
上
じょう
、
今週
こんしゅう
中
ちゅう
にお
知
し
らせいただければ
幸
さいわ
いです。--
□INET GATE INS00104 98/04/19 23:07
題名
だいめい
:
講演
こうえん
の
演題
えんだい
について・その2
立岩
たていわ
真
しん
也
様
さま
JALSA
山口
やまぐち
・
山口
やまぐち
です。
・
土曜
どよう
のNHK
教育
きょういく
の
夜
よる
9
時
じ
からの
番組
ばんぐみ
で
思
おも
いがけなく
先生
せんせい
のお
話
はなし
を
拝聴
はいちょう
しました。
時間
じかん
は
十分
じゅうぶん
とは
言
い
えませんでしたが
先生
せんせい
の
問題
もんだい
意識
いしき
を
理解
りかい
できて
貴重
きちょう
でした。
・
本日
ほんじつ
、JALSA
山口
やまぐち
の
山口
やまぐち
さんから、
山口
やまぐち
支部
しぶ
長
ちょう
の
奥様
おくさま
が
呼吸
こきゅう
困難
こんなん
のため
死去
しきょ
されたという
知
し
らせがありました。
奥
おく
さんは
以前
いぜん
から
呼吸
こきゅう
器
き
を
着
つ
けないと
決心
けっしん
されていたそうです。その
決心
けっしん
に
同意
どうい
されていたご
主人
しゅじん
である
支部
しぶ
長
ちょう
は、
自分
じぶん
の
判断
はんだん
が
正
ただ
しかったか
今
いま
になって
悩
なや
まれているそうです。またこんな
事
ごと
が
繰
く
り
返
かえ
されたかとの
思
おも
いです。
実
じつ
は、
前
まえ
のメールを
書
か
いてから
悩
なや
んでいました。やはり
先生
せんせい
に「
難病
なんびょう
患者
かんじゃ
における
自己
じこ
決定
けってい
」と
言
い
うテーマで
話
はな
していただくべきではないかと?
上記
じょうき
二
ふた
つのことで
決心
けっしん
を
変
か
えました。
前
まえ
のメールについては
撤回
てっかい
いたします。「
自己
じこ
決定
けってい
」をキーワードに
話
はなし
をしていただきたいと
思
おも
います。そして
人工
じんこう
呼吸
こきゅう
器
き
によって「
新
あたら
しいALS
観
かん
」(
注
ちゅう
)が
可能
かのう
になっているのに
社会
しゃかい
にとって
都合
つごう
の
良
よ
い「
自己
じこ
決定
けってい
」=
自殺
じさつ
を
患者
かんじゃ
・
家族
かぞく
・
医師
いし
に
強要
きょうよう
している
日本
にっぽん
の
社会
しゃかい
通念
つうねん
の
身勝手
みがって
さ、それを
助長
じょちょう
している
福祉
ふくし
施策
しさく
の
貧
まず
しさについて
話
はな
していただければと
思
おも
っております。そして、
状況
じょうきょう
を
変
か
えうる
一
ひと
つの
可能
かのう
性
せい
としての
介護
かいご
人
じん
派遣
はけん
制度
せいど
について
現状
げんじょう
と
問題
もんだい
点
てん
、
今後
こんご
の
進
すす
むべき
方向
ほうこう
について
示
しめ
していただければと
思
おも
います。また
自己
じこ
決定
けってい
のための
必要
ひつよう
条件
じょうけん
として
告知
こくち
があり、それを
受
う
けるのは
患者
かんじゃ
の
当然
とうぜん
の
権利
けんり
であると
思
おも
いますが、それを
医師
いし
と
家族
かぞく
が
勝手
かって
に
棚上
たなあ
げしてしまっていることの
不条理
ふじょうり
についても
言及
げんきゅう
していただけたらと
思
おも
います。
(
注
ちゅう
)
公開
こうかい
シンポジウム「
難病
なんびょう
の
緩和
かんわ
医療
いりょう
の
進歩
しんぽ
と
今後
こんご
」から
III−1 ALSの
告示
こくじ
の
問題
もんだい
(
呼吸
こきゅう
器
き
装着
そうちゃく
の
問題
もんだい
を
含
ふく
めて)
東京
とうきょう
都立
とりつ
駒込
こまごみ
病院
びょういん
神経
しんけい
内科
ないか
医長
いちょう
林
はやし
秀明
ひであき
ALSの
臨床
りんしょう
病理
びょうり
学
がく
的
てき
所見
しょけん
は
発症
はっしょう
2〜3
年
ねん
で
生
しょう
じる
呼吸
こきゅう
筋
すじ
麻痺
まひ
をターミナルとして
確立
かくりつ
され、
医師
いし
は、「NO-CAUSE(
原因
げんいん
不明
ふめい
の
疾患
しっかん
),NO-CURE(
治療
ちりょう
法
ほう
のない
疾患
しっかん
),NO-HOPE(
希望
きぼう
の
持
も
てない
疾患
しっかん
)」として、
病気
びょうき
を
家族
かぞく
のみに
話
はな
し
患者
かんじゃ
自身
じしん
には
知
し
らせないようにしてきた。
しかし、ここ20
数
すう
年
ねん
の
呼吸
こきゅう
器
き
装置
そうち
の
実践
じっせん
から
呼吸
こきゅう
筋
すじ
麻痺
まひ
後
ご
の
長期
ちょうき
療養
りょうよう
が
可能
かのう
となり、ALSの
呼吸
こきゅう
筋
すじ
麻痺
まひ
はALSの
一
ひと
つの
症状
しょうじょう
で、
病気
びょうき
の
一
いち
進行
しんこう
過程
かてい
であり、ターミナルではないことが
明
あき
らかとなった。ALSの
呼吸
こきゅう
筋
すじ
麻痺
まひ
が、
即
そく
「
死
し
」を
意味
いみ
しなくなったので、
呼吸
こきゅう
筋
すじ
の
麻痺
まひ
する
前
まえ
に、
患者
かんじゃ
自身
じしん
に
呼吸
こきゅう
器
き
装着
そうちゃく
の
問題
もんだい
を
含
ふく
めて
病気
びょうき
を
知
し
らせることが
必須
ひっす
となっている。ALSの
各
かく
筋
すじ
群
ぐん
麻痺
まひ
の
発症
はっしょう
や
進行
しんこう
の
個人
こじん
差
さ
、
早期
そうき
呼吸
こきゅう
筋
すじ
麻痺
まひ
の
存在
そんざい
、
緊急
きんきゅう
時
じ
呼吸
こきゅう
器
き
装着
そうちゃく
頻度
ひんど
の
高
たか
さから、ALSの
診断
しんだん
が
確定
かくてい
した
早期
そうき
に
知
し
らせるのがよい。
ALSの
告示
こくじ
は
呼吸
こきゅう
筋
すじ
麻痺
まひ
がALSの
一
ひと
つの
症状
しょうじょう
であるという「
新
あたら
しいALS
観
かん
」で、
現在
げんざい
の
症状
しょうじょう
及
およ
びこれから
起
お
こりうることが
了解
りょうかい
できるように
話
はな
し、ALS
患者
かんじゃ
を
慢性
まんせい
進行
しんこう
性
せい
で
早晩
そうばん
死
し
に
至
いた
る
不治
ふち
の
患者
かんじゃ
でなく
障害
しょうがい
を
持
も
った
人
ひと
と
考
かんが
え、
人的
じんてき
・
経済
けいざい
的
てき
・
社会
しゃかい
的
てき
に
生活
せいかつ
していくのに
厳
きび
しい
現状
げんじょう
から、ALS
患者
かんじゃ
が
普通
ふつう
の
人
ひと
と
同
おな
じように
生活
せいかつ
していけるように、
社会
しゃかい
に
一員
いちいん
として、
皆
みな
と、
具体
ぐたい
的
てき
に
社会
しゃかい
に
働
はたら
きかけていかなければならない
現状
げんじょう
にあることを
理解
りかい
してもらうようにしていくことが
必要
ひつよう
である。そして、
単
たん
に
情報
じょうほう
を
伝達
でんたつ
するのではなく、
情報
じょうほう
を
共有
きょうゆう
できる
互
たが
いに
交流
こうりゅう
しあった
関係
かんけい
で
行
おこな
い、
新
あら
たな
状況
じょうきょう
の
変化
へんか
に
対
たい
し
患者
かんじゃ
・
家族
かぞく
とその
都度
つど
一緒
いっしょ
に
判断
はんだん
できる
信頼
しんらい
関係
かんけい
の
確立
かくりつ
が
大切
たいせつ
である。ところで、
呼吸
こきゅう
筋
すじ
麻痺
まひ
がALSのターミナルではなくなった
現在
げんざい
、ALSの
呼吸
こきゅう
器
き
装着
そうちゃく
の
問題
もんだい
は、ALSそのものの
問題
もんだい
から、
厳
きび
しい
障害
しょうがい
を
持
も
った
人
ひと
の
生命
せいめい
を
如何
いか
に
考
かんが
えるかの
問題
もんだい
に
変
か
わってきていることに
留意
りゅうい
されなければならない。
以上
いじょう
□INET GATE INR00102 98/04/20 19:06
題名
だいめい
:
講演
こうえん
の
演題
えんだい
について・その3
立岩
たていわ
真
しん
也
様
さま
[…]
第
だい
3
回
かい
日本
にっぽん
ALS
協会
きょうかい
山口
やまぐち
県
けん
支部
しぶ
総会
そうかい
開催
かいさい
のお
知
し
らせ
拝啓
はいけい
すっかり
春
はる
めいた
陽気
ようき
となりましたが
皆様
みなさま
いかがお
過
す
ごしでしょうか。この
一
いち
年間
ねんかん
は
支部
しぶ
設立
せつりつ
以来
いらい
、
県
けん
に
導入
どうにゅう
を
求
もと
めて
参
まい
りました
介護
かいご
人
じん
派遣
はけん
制度
せいど
が
予算
よさん
化
か
された
他
た
に、
国
くに
の
施策
しさく
として
呼吸
こきゅう
器
き
装着
そうちゃく
の
患者
かんじゃ
への
訪問
ほうもん
看護
かんご
が
倍増
ばいぞう
されるなどを
大
おお
きな
進歩
しんぽ
がありました。
次
つぎ
の
一
いち
歩
ほ
の
方向
ほうこう
を
見定
みさだ
めるために、
下記
かき
の
要領
ようりょう
にて「
第
だい
3
回
かい
日本
にっぽん
AL
S
協会
きょうかい
山口
やまぐち
県
けん
支部
しぶ
総会
そうかい
」を
開催
かいさい
いたしたく
万障
ばんしょう
お
繰
く
り
合
あ
わせの
上
じょう
ご
参加
さんか
をお
願
ねが
いいた
します。[…]
※おことわり
・このページは、
公開
こうかい
されている
情報
じょうほう
に
基
もと
づいて
作成
さくせい
された、
人
ひと
・
組織
そしき
「について」のページです。その
人
ひと
や
組織
そしき
「が」
作成
さくせい
しているページではありません。
・このページは、
文部
もんぶ
科学
かがく
省
しょう
科学
かがく
研究
けんきゅう
費
ひ
補助
ほじょ
金
きん
を
受
う
けている
研究
けんきゅう
(
基盤
きばん
(C)・
課題
かだい
番号
ばんごう
12610172)のための
資料
しりょう
の
一部
いちぶ
でもあります。
・このページは、
文部
もんぶ
科学
かがく
省
しょう
科学
かがく
研究
けんきゅう
費
ひ
補助
ほじょ
金
きん
を
受
う
けている
研究
けんきゅう
(
基盤
きばん
(B)・
課題
かだい
番号
ばんごう
16330111 2004.4〜2008.3)の
成果
せいか
/のための
資料
しりょう
の
一部
いちぶ
でもあります。
http://www.ritsumei.ac.jp/acd/gr/gsce/p1/2004t.htm
・
作成
さくせい
:
立岩
たていわ
真
しん
也
UP: 20011117 REV:20040221 20050919,23 20060815 20090201
◇
ALS
◇
生
せい
を
辿
たど
り
道
どう
を
探
さぐ
る――
身体
しんたい
×
社会
しゃかい
アーカイブの
構築
こうちく
TOP
HOME (http://www.arsvi.com)
◇