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水經注 : 卷十七 : 渭水 - Chinese Text Project
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Chinese Text Project

《渭水》

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1 渭水:
渭水隴西くびけん渭首ていみなみとりねずみさん

2 渭水:
渭水くびけんくびやま渭首てい南谷みなみだにやまざいとりねずみ山西さんせいきた。此縣有高ありだかじょうみねみねじょう有城あるきごう渭源じょう,渭水焉。さんみなもとあいちゅう東北とうほくりゅう逕首縣西けんせいあずかべつみなもとあい水出みずいでとりねずみやま渭水だに,《尚書しょうしょ·禹貢》所謂いわゆる渭出とりねずみしゃ也。

3 渭水:
せつ》曰:とりねずみさんどうあなえだ榦也。渭水其中,東北とうほくどうあなえだあいだすんでげん其過,あきら一山ひとやま也。また東北とうほくりゅう而會于殊げん也。渭水東南とうなんりゅう,逕首縣南けんなんみぎとくふうけいすいみなみとくひろしょうけいすいひがしとくども谷水たにみずひだりそく天馬てんまけいすいみなみそくはく谷水たにみずなみ參差しんしつばさちゅうらんりゅう東南とうなん矣。

4 渭水:
東北とうほくじょうたけけんきた

5 渭水:
廣陽こうよう水出みずいで西山にしやまみなもとあいちゅう共成きょうせい一川いちかわ東北とうほくりゅうちゅう于渭。渭水また東南とうなん逕襄たけけん東北とうほく,荊頭川ずかわすいにゅう焉。水出みずいでじょうたけ西南せいなんとりねずみやま荊谷,東北とうほく逕襄たけけん城北しろきたおう莽更めいしょう桓。かんまもる羌校じょうゆたかついで行部ゆくべため隗囂部將ぶしょう苟宇しょかかわ,銜鬚自刎じふんしょ也。其水きすい東北とうほくりゅうちゅう于渭。渭水つねわか東南とうなん東北とうほく也。またひがし,枲水ちゅう水出みずいで西南せいなんすずめ富谷とみや東北とうほく逕襄たけけんみなみ東北とうほく流入りゅうにゅう于渭。《こころざししょう:咸熙ねんじょうじょうげん大人見おおひとみ身長しんちょうさん丈餘じょうよあとちょうさんしゃくすん白髮はくはつちょたんころもはば,拄杖よびみんおうはじめうんこんとう太平たいへい十二月じゅうにがつてん祿ろくながおわり歷數れきすうざいすすむとげ遷魏而事すすむ

6 渭水:
またひがし獂道縣南けんなん

7 渭水:
みぎそく岑溪すい次則つぎのりどうみず,俱左ちゅう次則つぎのりみずみぎちゅうこれ。渭水また東南とうなん逕獂道縣どうけん城西じょうさいむかしはたたかしおおやけ西にし戎之えびすの獂王,おう劭曰:獂,えびす邑也。かんれいみかど中平なかひらねんべつためみなみやすぐんあかてい水出みずいでぐん東山ひがしやま赤谷あかたに西にしりゅう逕城きたみなみにゅう渭水。渭水また逕城みなみとくあわすい水出みずいで西南せいなんやすたに東北とうほくりゅうちゅう于渭。渭水またひがし新興しんこうがわ水出みずいで西南せいなんとりねずみさんげんごうしゃ東北とうほくりゅうあずかあきら川合かわい水出みずいで西南せいなんけい東北とうほくいたりあきら縣南けんなん本屬ほんぞくみちこうじょうこうかんけんえいもと元年がんねんかずみかどふう耿秉ためこうこく也。萬年まんねんがわ水出みずいで南山みなみやま東北とうほくりゅうちゅうまた東北とうほくちゅう新興しんこうがわまた東北とうほく逕新おきけんきた,《すすむしょ·地道じみち》,みなみ安之やすゆきぞくけん也。其水きすいまた東北とうほくあずか南川みなみがわすいごう水出みずいで西南せいなん山下やました東北とうほくあいきたすいまた東北とうほくちゅう于渭すい。渭水またひがし逕武じょう縣西けんせいたけ城川しろかわみずにゅう焉。げんしょみちびけ鹿部しかべ西山にしやまりょうみなもとあいちゅう東北とうほくりゅう逕鹿みなみまたいい鹿部しかべすいまた東北とうほくあきらおか水出みずいで西南せいなんおか東北とうほくちゅうじょうすいらんりゅう東北とうほくちゅう渭水。渭水またひがしにゅうたけようがわまたゆう關城せきじょうがわ水出みずいでみなみ安城あき谷水たにみず出北いできた兩川りょうかわ參差しんしちゅう渭水。渭水またひがしあずか落門西にし山東さんとうりゅうさん谷水たにみずちゅう三川みかわ統一とういつ東北とうほくりゅうちゅう于渭すいゆう落門聚,むかし馮異攻落こうらくもん拔而薨。たてたけしじゅうねんらい歙又おさむとりこ隗囂じゅん,隴右たいら。渭水落門ひがしいたり黑水くろみずかい左右さゆうろくみず夾注:ひだり則武のりたけけいすいひがしとく土門どもん谷水たにみず,俱出北山きたやまみなみ流入りゅうにゅう渭;みぎそくあつし谷水たにみずあずまゆうじょうけいすいあずまゆう閭里けいすいまためい習溪すいあずまゆう黑水くろみずなみ南山なんざんきた流入りゅうにゅう渭水,また東出ひがしで黑水くろみずかいれき冀川。

8 渭水:
またひがし冀縣きた

9 渭水:
渭水黑水くろみずかいいたり岑峽,南北なんぼくじゅういちみずちゅうこれきたそくあつし谷水たにみずしるべたいらじょうけん南山みなみやまあつしけい東北とうほくりゅう逕平じょうけん城南じょうなんじょうえびす邑也,おう莽之所謂いわゆるたいらしょう矣。其水きすい東南とうなんりゅうれきさんうずたかみなみまたひがしりゅうみなみこごめれきさいかちがわ,梗津みぞふゆそく輟流,はるなつ水盛みずもりのりどおりかわちゅう渭。次則つぎのり牛谷うしだにすいみなみにゅう渭水。みなみゆうちょう塹谷すいひがし有安ありやすかばけいすいあずまゆうころも谷水たにみずなみ南出みなみでしゅ圉山,やまざい梧中聚,ゆうせきげきのりへいおこりかんなりみかどおおとりよしみさんねん天水てんすい南山みなみやまゆう大石おおいしこえかくれかくれ如雷,ゆうごろやめ,聞于たいらじょうひゃくよんじゅう雞皆石長いしながたけさんしゃくこうあつりゃくとうちょがけおびえひゃくあまりたけ民俗みんぞくめい曰石いしのりゆうへいこれさいこうかん鉗子おさむしゅうとうへいりゃく吏民,ころも繡衣,ごうためせんくんとうあずか漫廣,明年みょうねんふゆふく誅,しゃさんせん餘人よにんしん而有ちょう矣。其水きすいきた逕冀けん城北しろきたはたたけしおおやけじゅうねん冀戎,けん天水てんすいぐんおう莽更めい鎮戎,けん曰冀かんあかりみかどながたいらじゅうななねんあらため曰漢ぐんしろそく隗囂たたえ西伯さいはくしょきょ也。こうかんちょうかこえ冀也,りょうしゅうべつ閻伯儉潛出水しゅっすいちゅうはたつげきゅうなつほうふかしためちょうしょとりこれいつげじょうすくえはく儉曰:大軍たいぐんかたいたり,咸稱まんさいちょういかすうこれはく儉曰:きょうほっれい長者ちょうじゃ不義ふぎげん乎?とげころせこれ。渭水またひがしあい冀水,水出みずいで冀谷。つぎあずまゆう濁谷にごたにすいあずまゆうとうさとけいすいひがしゆうたくさとすいあずまゆうみぞ谷水たにみずひがしゆう黃土おうどかわすい,俱出南山なんざんきた逕冀城東じょうとう,而北りゅうちゅう于渭。渭水また東出ひがしで岑峽,にゅう新陽しんようがわ,逕新下城げじょうみなみ溪谷けいこくあか二水にすいなみ南山なんざん東北とうほくにゅう渭水。渭水またひがしあずか新陽しんようがけすいごうそく隴水也,東北とうほく隴山。其水きすい西にしりゅうみぎ逕瓦ていみなみ,隗囂聞略おちい使つかいうし邯守かわらていそく此亭也。一水亦出隴山,東南とうなんりゅうれきかわらていきたまた西南せいなんあいためいちみずいいかわらていかわ西南せいなんりゅう逕清まろうどけいきたまた西南せいなんあずか黑水くろみずあい水出みずいでくろ城北しろきた西南せいなん逕黑城西じょうさい西南せいなんりゅう,莫吾南川みなみがわすいちゅうみず東北とうほく隴垂,西南せいなんりゅうれきくろじょうみなみちゅうくろすい黑水くろみず西南せいなんがかかがみかいまた西南せいなんにゅうかわらていすいまたゆう𣸢みず西にし來會らいかいせいいい鹿角かづのこうまたみなみ逕阿けん城東じょうとう中平なかひら元年がんねん北地きたじ羌胡あずかあたりあきらおかせ隴右,かんちょうぶたくんたむろおもね以拒ぞくそく此城也。其水きすいまたみなみあずかつばめ無水むすいあい水源すいげん延發えんぱつ東山ひがしやま西にしちゅうかわらていすいかわらていすいまたみなみひだりかい方城ほうじょうがわ西にしちゅうかわらていすいかわらていすいまたみなみ逕成けんひがしれきちょうはなれがわいいちょう離水りすいみぎあずか成紀しげのりみずあいみずしるべげん西北せいほくとうちんがわひがし流出りゅうしゅつやぶいしかいりゅうとげだん瀆東逕成けんみかどふとし皥、庖犧所生しょせいしょ也。かん以為天水てんすいぐんけんおう莽之おもねぐん也。またひがしせんげんかくれはつつういれ成紀しげのりすい東南とうなんにゅうかわらていすいかわらていすいまた東南とうなんあずか受渠すいかいみず東出ひがしでだい隴山,西にし逕受みぞていきたまた西南せいなんにゅうかわらていすいかわらていすいまた西南せいなんりゅうれき僵人かい路側ろそくいわおじょうゆう死人しにん僵尸巒穴,岫壑取めい焉。しゃく鞌就あな直上ちょくじょうひゃくあまり仞,せき逶迆,れつどおりたん,僵尸倚窟,枯骨ここつひさしぜんおもんみはだはつ而已。おとずれ其川そのかわきょうん其鄉ちゅう父老ふろうさくわらわやめ聞其ちょうきゅうつて,此當すうひゃくねんむくろ矣。其水きすいまた西南せいなんあずかほぼかわすいごう水出みずいで隴山たに西にし西にしりゅうみぎそくたんけい西にしちゅうひだりそくかくかわすいにゅう焉。其水きすいまた西にしれき蒲池かばいけ郊,せき魯水東南とうなんせき魯溪,西北せいほくちゅうこれ其水きすいまた西にしれきりゃくがわ西にしやぶ社谷やしろだにすい西にし得平とくひら相谷あいたにすいまた西にしとくきんさと谷水たにみずまた西にしとく南室なむろすいまた西にしとく蹏谷すいなみ南山なんざんきたりゅう于略城東じょうとうあげきたちゅうかわすいまた西にし逕略どう城北しろきたどろみぞ水出みずいで南山みなみやまきた逕埿かいきた入城にゅうじょうたてたけしはちねんちゅうろう將來しょうらい歙與さい遵所まもるぐんおうただしみぎ輔將ぐんしゅちょうはたせんにんみな鹵刀おのやすみんけん楊城。元始げんしねんひらみかどやめ安定あんてい滹沱えん以為やすみんけんおこりかんてらさとしたがえばん須、かいちゅう樹木じゅもく開山かいさんどういたりりゃく夜襲やしゅうげき囂拒守將しゅしょうきんはりとうみなころせこれいん其城。隗囂聞略おちい,悉衆以攻歙,げきすい灌城,光武みつたけちかしはたすくい,囂走西城にししろせいあずからい歙會于此。其水きすい城北しろきたちゅうかわいちみずがわぶた囂所堨以灌略也。かわすい西にしとく白楊はくよういずみまた西にしとくがま谷水たにみずまた西にしとく蒲谷かばや西川にしかわまた西にしとくりゅうけいすいあずか蒲谷かばやみずあい,俱出南山なんざんきよしきた入川にゅうがわすいかわすいまた西南せいなんとくすいらくこう水源すいげんひがししるべ隴山,西にし逕水らくてい西南せいなんりゅうまたとく犢奴水口みずぐち水出みずいで隴山,西にし逕犢やつがわまた西にし逕水らくていみなみ西北せいほくちゅうらんりゅう西南せいなん逕石もんかいいい石門せきもんすい西南せいなんちゅうりゃくかわりゃくかわすいまた西北せいほく流入りゅうにゅうかわらていすいかわらていすいまた西南せいなんあらわおやかいせき宕水ちゅう水出みずいで北山ほくざん山上やまかみゆうじょ媧祠,庖犧こうゆうみかどおんな媧焉,あずかかみみのりためさんすめらぎ矣。其水きすいみなみりゅうちゅうかわらていすいかわらていすいまた西南せいなん逕顯おやけん城東じょうとうみなみかんふうだいおおとり臚竇かたためこうこくいし宕次とくえびぶとけいすいとくきん黑水くろみずまたとくむべみやこけいすい,咸出左右さゆう參差しんししょうにゅうかわらていすいまた東南とうなんごうやすえびす川口かわぐち水源すいげん東出とうでえびすだに西北せいほくりゅうれきえびす水川みずかわあずか東陽とうようがわみずかいいい交。また西にしとくなん宕川すいまた西にしとく羅漢らかんすいなみ東北とうほく西南せいなんちゅうえびすすいえびすすいまた西にし逕顯おや縣南けんなん西にしちゅうかわらていすいかわらていすいまた東南とうなんとくだいはな谷水たにみずまた東南とうなんとくおりさとけいすいまたひがしとくろく谷水たにみずみなきんけい湍峽,ちゅうかわらていすいまた東南とうなん新陽しんようかいがけ岫壁りつ水出みずいで其間,いい新陽しんようがけすいまた東南とうなんちゅう于渭也。

10 渭水:
またひがしうえ邽縣,

11 渭水:
渭水ひがしれきけんきた邽山かげりゅう逕固みね東北とうほく東南とうなんりゅうらんみぞかわすい出自しゅつじ北山きたやまおび佩衆けいみなみりゅうちゅう于渭。渭水東南とうなんあずかかみ澗水あい,《開山かいさん所謂いわゆる靈泉れいせん也,俗名ぞくみょうためまんせきわんふちふか不測ふそくまことため靈異れいい先後せんご漫遊まんゆうしゃ其斃。渭水また東南とうなんとくれき泉水せんすい水北すいほくれきいずみけい東南とうなんりゅうちゅう于渭。渭水また東南とうなんきょうてい西にしまたみなみとく水口みずぐち水出みずいで西山にしやまひゃく澗聲りゅうそうなりいちがわひがしれきとうちんがわそくとうちんけん也。ひだりそくとうちんすいみぎそく曾席すいちゅうこれまたひがしあずかだいべんかわすいごう水出みずいで西山にしやまみなもとあいちゅうひがしれきだいべんがわ東南とうなんりゅうちゅう于藉すい。藉水また東南とうなんりゅうあずかたけみねすいごう水出みずいで南山なんざんちくみねげんどう瀉,東北とうほくにゅう藉水。藉水また東北とうほく逕上邽縣,ひだり佩四すいひがしかいうらないけいすいあずまゆうだい魯谷すいひがしとくしょう魯谷すいあずまゆう楊反谷水たにみず,咸自北山きたやまながれちゅう藉水。藉水みぎたいよんみずたけみねひがしとくらんせきけいすいひがしとく門谷かどたにすいひがしとくじょうけいすいひがしとく山谷さんやすいみなしるべげん南山なんざんきた流入りゅうにゅう藉水。藉水またひがしふりすいちゅう其水きすいはつげんふり西谷にしたにひがしりゅう逕黃ふりけんきたまたひがしせいけい白水しろうず左右さゆう夾注,また東北とうほく大旱たいかん谷水たにみず南出みなみでひでりけいれき澗北りゅういずみけい漾,どうちゅうふりすいふりすいまた東北とうほくれき赤谷あかたに,咸歸于藉。藉水またひがしとくもういずみ谷水たにみずまたひがし逕上邽城みなみとく泉水せんすいなみ南山なんざんきたりゅうちゅう于藉。藉水そくようすい也。きたゆう濛水ちゅう焉,水出みずいでけん西北せいほく邽山,つばさたいしゅりゅうせき以成けいひがしりゅうみなみこごめ,逕上邽縣城西じょうさいがわ城南しろみなみ出上いでかみ邽,邽戎こく也。はたたけしおおやけじゅうねん邽,けんきゅう天水てんすいぐん五城ごじょうしょうせっ北城ほくじょう中有ちゅうう湖水こすいゆう白龍はくりゅう風雨ふううずいかんたけみかどもとかなえさんねんあらためため天水てんすいぐん。其鄉きょ悉以ばんぶた,《所謂いわゆる西戎せいじゅう板屋いたや也。濛水またみなみちゅう藉水,《山海さんかいけい》曰:邽山,濛水焉,而南りゅうちゅう于洋,いいすい也。藉水またひがしとく谷水たにみずまたとく宕谷すいなみ南山なんざんきたにゅう于藉。藉水またひがしあいだんけいすい水出みずいで西南せいなん馬門まかどけい東北とうほくりゅうごう藉水。藉水またひがしにゅう于渭。渭水またれききょうていみなみ,而逕綿めんしょけんひがしあずかひがしていみずあいまたいいためきょうすい也,清水しみずまたあるため通稱つうしょう矣。水源すいげんひがしはつしょう隴山,しゅうかわ瀉注,みつるなりいちみず西入にしいりひがしていかわためひがしていすいあずかしょう祗、だい二水にすいあいまた西北せいほくとくみなみ神谷かみやすいさん川竝かわなみいずる東南とうなんいけ瀉注。またゆううめがますいつばさたいがわあずかのべすいなみ西南せいなんちゅうひがしていすいひがしていすいまた西にしひだりそく歎溝すい西にしとく麴谷すい水出みずいで東南とうなんけい西北せいほくりゅうちゅうひがしていかわひがしていかわすいみぎそくあつし谷水たにみずいずるしょう隴山,また西にし,莎谷水出みずいで南山なんざん莎溪,西南せいなんちゅうひがしていかわすいひがしていかわすいまた西にしとく清水口しみずぐちみずしるべげん東北とうほく隴山,げん俱發,西南せいなん隴口,合成ごうせいいちみず西南せいなんりゅうれき細野ほそのかい,逕清池谷いけがやまた清水しみずけん城東じょうとうおう莽之識睦けん矣。其水きすい西南せいなんあいひがしていがわしたまたつういい清水しみず矣。また清水しみず城南じょうなんまた西にしあずかしんすいごう水出みずいで北大ほくだい隴山しんたにげんそうみちびけれきさんいずみ合成ごうせいいちみず,而歷しんがわかわゆうしんていはたなかしょふう也,はたためごうはじめ矣。しんすい西にし逕降隴縣城南じょうなんまた西南せいなんまつ水出みずいで隴山,ごう西南せいなんりゅう,逕降隴城きたまた西南せいなんちゅうしんすいしんすいまた西南せいなんれき隴川,逕ろく槃口,清水しみずじょう西南せいなんちゅう清水しみず清水しみず上下じょうげ,咸謂しんがわまた西にし,羌水ちゅう焉,水北すいほく羌谷,引納しゅりゅうごう以成けい。濏水星すいせいかいいいしょう羌水。西南せいなんりゅうひだりそく長谷ながたにすい西南せいなんちゅうみぎそく東部とうぶすい東南とうなんにゅう焉。羌水またみなみにゅう清水しみず清水しみずまた西南せいなんとく綿めんしょ水口みずぐち其水きすいしるべげん西北せいほく綿めんしょけい東南とうなんゆうちょう思水しすい北出きたいでちょうおもえけいみなみにゅう綿めんしょみずまた東南とうなんれき綿めん諸道しょどう城北しろきた東南とうなんにゅう清水しみず清水しみず東南とうなんちゅう渭。渭水また東南とうなんあい涇谷すい水出みずいで西南せいなん谷之やのさん東北とうほくりゅうあずか橫水よこずいあい水出みずいで東南とうなん橫谷よこたに西北せいほく逕橫すい壙,また西北せいほくにゅう涇谷すいらんりゅう西北せいほく涇谷かいまた西北せいほくけんながえ谷水たにみずちゅう水出みずいで南山なんざんのきながえけいみなみやす姚瞻以為みかどせい于天すいざいうえ邽城ひがしななじゅうさとのきながえだにすめらぎはじめ謐云:なまことぶきたかしおかざい魯東もんきた未知みち是也これや其水きすいきたりゅうちゅう涇谷すい。涇谷すいまた西北せいほく白城しらきけい東北とうほくりゅうしろ娥泉水出みずいで其西,ひがしちゅう白城しらきみず白城しらきすいまた東北とうほくにゅう涇谷すい,涇谷すいまた東北とうほくれきただしちん,楊難とう使つかい兄子せこむね鎮董ていそくてい也。其水きすい東北とうほくりゅうちゅう于渭。

12 渭水:
山海さんかいけい》曰:涇谷之やのさん,涇水焉,東南とうなんりゅうちゅう于渭是也これや。渭水またひがしはく谷水たにみずにゅう焉,水出みずいでけい馬山まやまはくだにきたりゅう白水しろうずいずる東南とうなん白水しろうずけい西北せいほくちゅうはく陽水ようすいはく陽水ようすいまた西北せいほくれきたに,引控羣流,きたちゅう渭水。渭水またひがしれき大利おおとしまた東南とうなんりゅうなえ谷水たにみずちゅう水出みずいでみなみけい馬山まやまきたれき平作へいさく西北せいほく逕苗だにこごめ而東逕伯城南じょうなんいいはくがわしるみみ西入にしいり,往逕所由しょゆう山原やまはら畎谷,往往おうおう播其めい焉。渭水東南とうなんりゅうしゅうかわ瀉浪,かりちゅうひだりそくはく陽東ようとうけいすいちゅうひがしとくもちまつすいひがしとくろくけいすいひがしとくがわしゅう谷水たにみずひがしとくもりあずまけいすい出北いできたさんみなみにゅう渭水;其右則明のりあき谷水たにみずひがしとくおか谷水たにみずひがしとくおかだにあずまけいすいあずまゆう鉗巖谷水たにみずなみ南山なんざん東北とうほくちゅう渭。渭水また東南とうなん出石いずしもんしょう隴山,逕南よし縣南けんなんひがしあずかすわえすいごうせい所謂いわゆる長蛇ちょうだすい水出みずいで汧縣すうれきやま也。みなみりゅう逕長へび戍東,和平わへいさんねんきずけ,徙諸流民りゅうみん以遏隴寇。すわえすいまたみなみりゅうちゅう于渭,闞駰以是すいため汧水焉。渭水またひがし,汧、汙二水にすいにゅう焉。按諸《こころざし》,汧水汧縣西北せいほく。闞駰《じゅうさんしゅうこころざしあずか此同,ふく以汧すいためりゅうぎょすいぶた以其りゅう逕通而更通稱つうしょう矣。渭水ひがしいれせき,《だきほお·神仙しんせんでん》曰:老子ろうし西出にしでせきせきれいいんこう真人しんじんはたゆう西遊せいゆうしゃぐう老子ろうしつよしれい著書ちょしょみみとくやめためちょ道德どうとくけいいい老子ろうししょ》也。ゆう老子ろうしびょうたからさがせかみうん老子ろうししょう西入にしいりせきせきれいいん喜好きよし道之みちゆき,覩真じんとう西にし,乃要也。すめらぎはじめやす高士こうしでんうん老子ろうしためしゅうばしら,及周おとろえ,乃以かんかくれためしゅうもりぞうしつせきはちじゅうねんこう無名むめいせっ,而世莫知其真じん也。いたりしゅうけいおうじゅうねん孔子こうしねんじゅうななとげてきしゅうろう耼。しかかそけおうしつどうたいらおう東遷とうせんせき以捍うつりにん以職徙,いんこう此明矣。往逕所由しょゆう,茲焉ある。渭水またひがし逕西武功ぶこうきたぞく以為關城せきじょう也。褚先生せんせい乃曰:たけいさお,扶風西にしかいしょう邑也,しょくこう棧道さんどう近山ちかやまごうえきだかしゃ是也これや。渭水またあずか扞水あい水出みずいであまね道谷どうたにきた逕武道縣どうけん城西じょうさいおう莽更めい曰善也。道縣どうけんゆういかとくほこら,《れつつて》曰:たけみやこ道縣どうけんゆういかとくほこらうんしんほん南山大なんざんだいあずさ也,むかしはたぶんこうじゅうななねんこれかさずいあいはたぶんこう乃遣よんじゅうにんもちおの斫之,なお不斷ふだんつかれいちにんきずあし不能ふのう,卧樹,聞鬼しょうあずかげん曰:ろうおさむせん乎?其一曰:あしためろう矣。また曰:はたこう必持不休ふきゅうこたえ曰:其如わがなにまた曰:あか爌跋于子なん如。乃默無言むごん。卧者以告,れいみなあかころも隨所ずいしょ斫以爌跋,だんためうし入水じゅすいしんためりつほこら其水きすいまた東北とうほくれきだいせき而入渭水也。渭水また東南とうなんみぎあい南山なんざんけいすい,夾澗りゅうちゅう也。

13 渭水:
またひがしひねくら縣西けんせい

14 渭水:
けんゆうひね倉山くらやま山上やまかみゆうひねたから雞鳴ほこらむかしはたぶんおおやけかんはくげん遊獵ゆうりょう于陳くらぐう于北ざかとくわかいし焉,其色如肝,かえり而寶ほこら曰陳たから。其來也自東南とうなんあきらあきらごえ如雷,雞皆曰雞鳴神なるかみ也。

15 渭水:
地理ちりこころざし》曰:ゆうじょうおおやけ明星みょうじょうみかどまごしゅんつまめくら冢祠。ゆうはねみやはたたけしおうおこりおう劭曰:けんひねやま。姚睦曰:帝都ていとひねげんざい此。

16 渭水:
さかえ開山かいさんちゅう》曰:ふく羲生成紀しげのり,徙治ひねくら也,ひねこくしょけん也。あかりみかど將軍しょうぐんふとげん郝昭ちくひねくらじょうなりしょかずらあきらかこえこれあきら使あきらさとじん靳祥せつしたあきら以數萬攻昭千餘人,以雲はしご、衝車、地道じみち逼射あきらあきら以火連石れんじゃくこばめこれあきら不利ふり而還。こん汧水たいあきらじょうあずかあきらしょう禦處也。ひね倉水くらみず于陳くら山下やました東北とうほくりゅうちゅう于渭すい。渭水またひがしあずか綏陽けいみずあい其水きすいじょううけたまわはすすいみずはすたにぶんちゅう綏陽けいきたとどけひねくらにゅう渭。

17 渭水:
しょかずらあきらあずかあに瑾書》曰:ゆう綏陽小谷おたに,雖山がけぜっけわしけいすい縱橫じゅうおうなんよう行軍こうぐんむかし邏候往來おうらいようみちどおりいれこん使つかいまえぐん斫治此道,以向ひねくらそく以板れんぞくぜい使つかい得分とくぶんへいひがし行者ぎょうじゃ也。渭水またひがし逕郁えびすけん城南じょうなん,《地理ちりこころざし》曰:ゆう汧水ほこらおう莽更曰郁ひら也。

18 渭水:
ひがしかんかん》曰:隗囂かこえらい歙于りゃくせいみことのり曰:もも花水はなみず出船しゅっせん槃,みないたりいくえびすちんくら分部わけべ而進しゃ也。汧水にゅう焉,水出みずいで汧縣蒲谷かばやさとつる中谷なかたにけつためつるがまやぶ

19 渭水:
しかみやび》曰:みずけつさわため汧,汧之ためめいまことけん斯舉。みずゆうげんいち水出みずいでけん西山にしやませいいいしょう隴山,いわおさわこうけん不通ふつう軌轍,ちょう衡《よん愁詩》曰:わが所思しょし兮在かんよく往從隴坂ちょう其水きすい東北とうほくりゅうれき澗,ちゅう以成ふち,潭漲不測ふそくしょくぎょぞく以為れい,而莫敢採いんいいすいためりゅうぎょすいしたまたつういいりゅうさかながわかわすいひがし逕汧けん城北しろきた,《史記しき》:はたぶんこうひがしりょう汧田,いんとげ其地是也これやまたひがしれきさわらんりゅう為一ためいちみぎとく白龍はくりゅういずみいずみみちしゃくみなもとあな奮通,淪漪よん泄,東北とうほくりゅうちゅう于汧。汧水またひがしかいいちみずみずはつ南山なんざん西側にしがわぞく以此やまためくれさんさんみねかすみ舉,じょうしゅうくもてんくずし巒傾かえし山頂さんちょうしょう捍,もちつねゆう落勢。

20 渭水:
地理ちりこころざし》曰:くれさんざい縣西けんせい,《古文こぶん》以為汧山也。《國語こくご所謂いわゆるおそれ矣。山下やましたせきあなこうよんしゃくこうななしゃくみず溢石そらかかなみがわちゅう,漰渀震蕩しんとうはつげん成川なりかわきたりゅうちゅう于汧。みずかい上下じょうげ,咸謂りゅうさかながわ。汧水また東南とうなん逕隃糜縣城南しろみなみおう莽之扶亭也。むかしかく歙恥おう莽之ちょう,而遁あと于斯。たてたけしよんねん光武みつたけふう耿況ためこうこく矣。汧水東南とうなんれき慈山,東南とうなん逕鬱えびすけんたいら城南じょうなん,《史記しき》:はたやすしおおやけねん徙平じょひろ曰:郿之ひらてい也。城北しろきたゆうかん邠州刺史ししちょうとおる》,れいみかどけんやす元年がんねんりつ。汧水またひがしりゅうちゅう于渭。渭水みぎ,磻溪すいちゅう水出みずいで南山なんざん茲谷,じょうだか激流げきりゅうちゅう于溪ちゅうけい中有ちゅうういずみいい茲泉。泉水せんすい潭積,なりふちなぎさそくりょ春秋しゅんじゅう所謂いわゆるふとおおやけつり茲泉也。こんひといい丸谷まるや石壁いしかべふかだかかそけ隍邃みつはやしさわしゅう阻,人跡じんせき罕交。東南とうなんすみゆういちせきしつぶたふとし公所ぐぞきょ也。水次みつぎ平石ひらいしひとししょそくふとしおおやけたれつりこれしょ也。其投竿ざお跽餌,りょう遺跡いせきなおそんゆう磻溪たたえ也。其水きすいしんひやしんこときたりゅうじゅうさとちゅう于渭,きた維堆じょうななじゅうさと。渭水またひがし逕積石原いしはらそく北原きたはら也。あおりゅうねんしょかずらあきらはすだに司馬しば懿屯渭南,雍州刺史ししかく淮,さくあきら必爭北原きたはら而屯,とげさきよりどころあきらいたりはてとくじょう。渭水またひがし五丈原ごじょうげんきた

21 渭水:
春秋しゅんじゅう》曰:しょかずらあきらよりどころ渭水南原なんばら司馬しば懿謂しょしょう曰:あきらわか武功ぶこう山東さんとうてんしゃ其勇也。わか西上にしがみ五丈原ごじょうげん諸君しょくん無事ぶじ矣。あきらはてたむろ此原,あずか懿相禦。渭水またひがし逕郿けん城南じょうなん,《地理ちりこころざし》曰:みぎ輔都じょう。《春秋しゅんじゅう》:しょかずらあきら寇郿,司馬しば懿據郿拒あきらそく此縣也。渭水またひがし逕郿塢南,《かんけんじみかどでん》曰:ただしたくはつへいちく郿塢,こうあずか長安ながやすじょうとうせきたにためさんじゅうねんもうかうんことなりよりどころ天下でんかなりまもり此足以畢ろう。其愚如此。

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