多 おお くは、耳 みみ たぶ か外耳 がいじ の一部 いちぶ に穴 あな を開 あ けて装着 そうちゃく される(日本 にっぽん では前述 ぜんじゅつ のようにピアスと呼称 こしょう )が、穿孔 せんこう せずにクリップ や磁石 じしゃく 、ねじ などで耳 みみ たぶ を挟 はさ んで固定 こてい するものもある(同 どう 、イヤリングと呼称 こしょう )。また耳 みみ たぶ以外 いがい の耳 みみ 介 かい に挟 はさ むものもある(同 どう 、イヤーカフス/イヤーカフと呼称 こしょう )。
金属 きんぞく 製 せい が多 おお いが、ガラス 、宝石 ほうせき 、ビーズ や骨 ほね 、貝 かい や木 き など一定 いってい の固 かた さを持 も ったあらゆる素材 そざい が使用 しよう されている。デザインも様々 さまざま であり、小 ちい さなリング状 じょう のものから、肩 かた の近 ちか くまで垂 た れ下 さ がる複雑 ふくざつ なデザインのものまである。
重 おも さと形状 けいじょう は、耳 みみ たぶとそこに開 あ けた穴 あな が、どれだけの重 おも さに耐 た えられるかによって決 き まっている。大 おお きすぎるデザインは行動 こうどう の妨 さまた げになるほか、他 た の物体 ぶったい との接触 せっしょく により引 ひ っ張 ぱ られ、耳 みみ たぶを傷 きず つける恐 おそ れがあるので注意 ちゅうい が必要 ひつよう である。
多 おお くの文化 ぶんか で身分 みぶん や美 うつく しさの象徴 しょうちょう として用 もち いられている。かつては、奴隷 どれい 身分 みぶん を示 しめ すため、耳 みみ から外 はず すことのできないタイプのものが用 もち いられていたところもある。最近 さいきん では[いつ? ] 、他 た の人 ひと の助 たす けを借 か りなければ取 と り外 はず すことのできないほど複雑 ふくざつ で巨大 きょだい なタイプが流行 りゅうこう している地域 ちいき もある[要 よう 出典 しゅってん ] 。また、一部 いちぶ のフェティシズム では、錠 じょう 付 つ きのイヤリングが用 もち いられている。
中国 ちゅうごく の戦国 せんごく 時代 じだい 末 まつ から漢 かん 代 だい には、耳 みみ 璫 (じとう)というものがあった[1] 。
ヒンドゥー教 きょう の生後 せいご 1歳 さい から5歳 さい までの子供 こども には、イヤリングを飾 かざ るための穴 あな を開 あ ける儀式 ぎしき Karnavedha (英語 えいご 版 ばん ) がある。
14から15世紀 せいき ごろに現 あらわ れたロシアのコサック人 じん の男性 だんせい は、右 みぎ 耳 みみ に扶養 ふよう する家族 かぞく がいることを示 しめ すためにイヤリングをつけた[2] 。
中世 ちゅうせい イタリアでは、沿岸 えんがん 部 ぶ ではおしゃれであったが、北 きた イタリアでは奴隷 どれい や売春 ばいしゅん 婦 ふ が付 つ けるものとされた[2] 。また、16世紀 せいき ごろの西洋 せいよう 文化 ぶんか 圏 けん では、キリスト教 きょう 文化 ぶんか ・奢侈 しゃし 禁止 きんし 令 れい (おしゃれ、ぜいたく禁止 きんし 令 れい )・髪 かみ を長 なが くのばしたり・フードが流行 りゅうこう した等 とう でなじまず、奴隷 どれい やユダヤ人 じん 女性 じょせい が付 つ けるものとみなされた[3] [4] 。
海賊 かいぞく もイヤリングをつけるが、理由 りゆう は諸説 しょせつ あり、海難 かいなん 事故 じこ で流 なが れ着 つ いた先 さき での埋葬 まいそう 費用 ひよう 、奢侈 しゃし 禁止 きんし 令 れい への抗議 こうぎ としてつけていたなどがある[2] 。
日本 にっぽん 列島 れっとう におけるイヤリングの文化 ぶんか は縄文 じょうもん 時代 じだい 前期 ぜんき (約 やく 6500年 ねん 前 まえ )には出現 しゅつげん しており、「玦状耳飾 みみかざ り 」や「耳 みみ 栓 せん 」(じせん)と呼 よ ばれる石 いし 製 せい または粘土 ねんど 製 せい イヤリングが当 とう 時期 じき の遺跡 いせき から出土 しゅつど している[5] 。弥生 やよい 時代 じだい になるとイヤリング文化 ぶんか は衰退 すいたい し、古墳 こふん 時代 じだい 中期 ちゅうき 前半 ぜんはん (5世紀 せいき 半 なか ば)頃 ごろ まで見 み られなくなるが、中期 ちゅうき 後半 こうはん 以降 いこう には朝鮮半島 ちょうせんはんとう からの渡来 とらい 系 けい 文化 ぶんか ・技術 ぎじゅつ として金属 きんぞく 製 せい 装身具 そうしんぐ とその製法 せいほう (金 きむ 鍍金 めっき など)が流入 りゅうにゅう し、再 ふたた びイヤリングが出現 しゅつげん した。古墳 こふん 時代 じだい 後期 こうき から飛鳥 あすか 時代 ときよ (6世紀 せいき ~7世紀 せいき )にかけては「耳環 みみわ 」と呼 よ ばれる金属 きんぞく 製 せい イヤリングが製作 せいさく され、横穴 よこあな 墓 ぼ などから出土 しゅつど するほか、埴輪 はにわ の表現 ひょうげん にもみられるようになった[5] 。しかしその後 ご は律令制 りつりょうせい 導入 どうにゅう に伴 ともな う唐 とう 風 ふう 文化 ぶんか の波及 はきゅう などにより衰退 すいたい していったと考 かんが えられており、以後 いご 日本 にっぽん では明治 めいじ 時代 じだい に至 いた るまでイヤリング文化 ぶんか は一般 いっぱん 的 てき でなくなった[5] 。
アイヌ文化 ぶんか には男女 だんじょ 共 ども にアイヌ語 ご で「ニンカリ 」という耳飾 みみかざ りを付 つ ける習慣 しゅうかん があったが、[6] 日本 にっぽん 国内 こくない のアイヌ人 じん 男子 だんし は、1871年 ねん (明治 めいじ 4年 ねん )、日本 にっぽん 政府 せいふ から耳飾 みみかざ りを禁止 きんし された[7] 。
徴兵 ちょうへい 制 せい を敷 し いている近代 きんだい 軍隊 ぐんたい 制度 せいど を有 ゆう する国 くに では、敵 てき につかまれて引 ひ き千 せん 切 き られるような装身具 そうしんぐ の類 るい は好 この まれていない事実 じじつ もある(認識 にんしき 票 ひょう などは引 ひ っかかってもすぐとれる)。
ピアス を取 と り付 つ けるために耳 みみ に穴 あな を開 あ けることをピアシング と呼 よ ぶ。安価 あんか な器具 きぐ が販売 はんばい されており、正 まさ しく消毒 しょうどく を行 おこな えば感染 かんせん 症 しょう の危険 きけん も少 すく ないのだが、最 もっと も安全 あんぜん なのは相応 そうおう の資格 しかく を持 も つ病院 びょういん で受 う けることである。また、長期 ちょうき に渡 わた って装着 そうちゃく せずにいると、穴 あな がふさがり再 ふたた びピアシングをする必要 ひつよう が出 で て来 く る。
ピアシング後 ご は、金 きむ やチタン などのアレルギー反応 はんのう を起 お こしにくい素材 そざい のピアスを身 み につけ、傷 きず がふさがり、感染 かんせん 症 しょう の危険 きけん がなくなるまで、装着 そうちゃく し続 つづ ける必要 ひつよう がある。
^ 耳 みみ 璫 . コトバンク より。
^ a b c “Unpacking the history behind the single earring trend for men ” (英語 えいご ). www.sleek-mag.com . 2023年 ねん 10月 がつ 29日 にち 閲覧 えつらん 。
^ Robert Bonfil, Jewish Life in Renaissance, University of California Press, 1994, 319 p. (ISBN 978-0-520-07350-0 ), « The problem of social identity », p. 102.
^ Irven M. Resnick, Marks of Distinctions: Christian Perceptions of Jews in the High Middle Ages , Catholic University of America Press , pp. 87–88, ISBN 978-0-8132-1969-1 , https://books.google.de/books?id=LarC4PG9osUC&printsec=frontcover&dq=Marks+of+Distinctions:+Christian+Perceptions+of+Jews+in+the+High+Middle+Ages&hl=de&sa=X&ved=2ahUKEwj988PN79nqAhUKyqQKHV52AIgQ6AEwAHoECAYQAg#v=snippet&q=earrings&f=true
^ a b c 上田 うえだ 2006年 ねん pp.105-110
^ 関根 せきね 2016
^ 社団 しゃだん 法人 ほうじん 北海道 ほっかいどう 観光 かんこう 振興 しんこう 機構 きこう 2009年 ねん