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オリンピック聖火 - Wikipedia

オリンピック聖火せいか(オリンピックせいか、どく: Olympischer Fackellauf、えい: Olympic Flameふつ: Flamme olympique)は、国際こくさいオリンピック委員いいんかい権限けんげんもとギリシャオリンピアでともされるオリンピック象徴しょうちょうでもある。

1980ねんモスクワオリンピック聖火せいかだい

オリンピック大会たいかい開催かいさい期間きかんちゅうしゅ競技きょうぎじょうでともされつづける。その起源きげん古代こだいギリシア時代じだいさかのぼり、ギリシア神話しんわ登場とうじょうするプロメーテウスゼウスもとからぬすんで人類じんるいつたえたことを記念きねんして、古代こだいオリンピック開催かいさい期間きかんちゅうにともされていた。聖火せいか1928ねんアムステルダムオリンピックふたた導入どうにゅうされて以来いらい、また聖火せいかリレー1936ねんベルリンオリンピックはじめて導入どうにゅうされて以来いらい近代きんだいオリンピック一部いちぶでありつづけている[1]

採火さいか聖火せいかリレー

編集へんしゅう
 
ベルリンオリンピックの聖火せいかリレー
 
採火さいかしきのリハーサル(2010ねん

聖火せいかはギリシャのオリンピア遺跡いせき太陽たいよう利用りようして採火さいかされ、聖火せいかランナーによってオリンピック開催かいさいまでとどけられる。オリンピックの開会かいかいしきおこなわれるすうげつまえに、古代こだいオリンピックがおこなわれていたペロポネソス半島はんとうのオリンピアにおけるヘーラーの神殿しんでんあと採火さいかされている。聖火せいかトーチへは、太陽光たいようこうせんいちてん集中しゅうちゅうさせる凹面鏡おうめんきょうに、女神めがみヘスティアーまつる11にんの(女優じょゆうえんじる)巫女ふじょがトーチをかざすことでをつけている。

その聖火せいか聖火せいかリレーによってオリンピック開催かいさい都市としまではこばれる。聖火せいかランナーには、スポーツ選手せんしゅ有名人ゆうめいじんくわ一般人いっぱんじん参加さんかしている。聖火せいかランナーのだい1走者そうしゃはギリシャの人物じんぶつが、だい2走者そうしゃ開催かいさいこく人物じんぶつがそれぞれつとめることが慣例かんれいとなっている。なお、2020ねん東京とうきょうオリンピック聖火せいかリレーでは、2016ねんリオオリンピック射撃しゃげき女子じょし25mピストルきんメダリストのアナ・コラカキ英語えいごばんが、女性じょせいとしてはつだい1走者そうしゃつとめた[2]

開会かいかいしき当日とうじつ聖火せいかリレーは大会たいかいのメイン会場かいじょうとなる競技きょうぎじょう設置せっちされた聖火せいかだい点火てんかされる。

かつては最終さいしゅうランナーが階段かいだんなどで聖火せいかだいかってはしりより、トーチから聖火せいかだいうつすことが一般いっぱんてきであったがアーチェリーの、スキージャンパー、競技きょうぎじょう設置せっちされた花火はなびなど近年きんねん様々さまざま趣向しゅこうらされるようになってきている。おおくの場合ばあい最終さいしゅうランナーや点火てんかの「仕掛しかけ」は最後さいご瞬間しゅんかんまで秘密ひみつにされ、一般いっぱんてき開催かいさいこく有名ゆうめいスポーツ選手せんしゅつとめる。聖火せいかだいをともすことは、大変たいへん栄誉えいよなこととかんがえられている。聖火せいかはオリンピックの開会かいかいしき点灯てんとうされたのち、閉会へいかいしき消灯しょうとうされるまでともされつづける。

2014ねん大会たいかいまでの過去かこ近代きんだい五輪ごりん聖火せいかリレーの燃料ねんりょうはすべて、プロパンガスともいわれる[3]2021ねん東京とうきょうオリンピック・パラリンピック聖火せいかリレーでは聖火せいかだい一部いちぶ区間くかんのトーチに福島ふくしまけんつくられた水素すいそ燃料ねんりょうもちいられた[4]

古代こだいギリシアじんにとって、はプロメーテウスがかみ々のもとからぬすんできたものだとかんがえられており、神聖しんせいなものだった。このため、オリンピアおおくの神殿しんでんられるのである。はオリンピアにあるヘスティアーの祭壇さいだんつづけた。オリンピック開催かいさい期間きかんちゅうは、ゼウスとゼウスのつまヘラの神殿しんでんがともされ、ゼウスをとなえた。近代きんだいオリンピックにおける聖火せいかは、かつてヘラの神殿しんでんてられていた場所ばしょ採火さいかされている。

近代きんだいオリンピックでは、1928ねんまで聖火せいかられなかった。オランダ建築けんちくヤン・ヴィルス1928ねんアムステルダムオリンピックにあたって、オリンピックスタジアムの設計せっけいとうつづけるというアイディアをんだ。これが評価ひょうかされ、ヴィルスは建築けんちく部門ぶもんきんメダルを受賞じゅしょうしている。1928ねん7がつ28にち、アムステルダム電気でんききょく職員しょくいん地元じもとではKLM灰皿はいざらとしてられているいわゆる"マラソンタワー"とばれるとう最初さいしょ聖火せいかをともした。この聖火せいかというアイディアはあつ注目ちゅうもくび、オリンピックの象徴しょうちょうとしてれられた。

その夏季かきオリンピックとしては1936ねんベルリンオリンピックで、冬季とうきオリンピックとしては1952ねんオスロオリンピック聖火せいかリレーがはじめて導入どうにゅうされ、以降いこう近代きんだいオリンピックにおける恒例こうれい行事ぎょうじとなった[1]

夏季かきオリンピック

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ベルリンオリンピックで最終さいしゅう聖火せいかランナーをつとめたフリッツ・シルゲン
 
1952ねんヘルシンキオリンピック聖火せいか点火てんかするパーヴォ・ヌルミ

1936ねんベルリンオリンピックさいして聖火せいかリレーを発案はつあんしたのは、ドイツのスポーツ当局とうきょくしゃでスポーツ科学かがくしゃカール・ディームであった。ギリシャで採火さいかした聖火せいかをベルリンまではこぶという発想はっそうは、ゲルマン民族みんぞくこそがヨーロッパ文明ぶんめい源流げんりゅうたるギリシャの後継こうけいしゃであるというアドルフ・ヒトラー思想しそうかなったものでもあった。ギリシャのコンスタンティン・コンディリス(Konstantin Kondylis)をだいいち走者そうしゃとし、3,000にん以上いじょうのランナーが聖火せいかをオリンピアからベルリンまではこんだ。ドイツの陸上りくじょう選手せんしゅだったフリッツ・シルゲン(Fritz Schilgen)が最終さいしゅうランナーで、競技きょうぎじょう聖火せいかをともした。それ以降いこう聖火せいかリレーはオリンピックの一部いちぶとなった。

1948ねんロンドンオリンピックではイギリス海峡かいきょうわたるためにはじめてふね使つかわれ、1952ねんヘルシンキオリンピックでははじめて飛行機ひこうき使つかわれた。1956ねんメルボルンオリンピックさいには、開催かいさいこくであるオーストラリアきびしい検疫けんえき関係かんけい馬術ばじゅつ競技きょうぎ隔離かくりして開催かいさいされ、馬術ばじゅつ競技きょうぎ開催かいさいされたストックホルムへは、うまって聖火せいかはこばれた。

またかいるごとにった演出えんしゅつもちいられ、1968ねんメキシコシティーオリンピックでは聖火せいかだい西洋せいようわたことになったが、その移動いどうふね利用りようし、その航路こうろコロンブスアメリカ大陸あめりかたいりくきルートをそのまま辿たどった。注目ちゅうもくすべき輸送ゆそう手段しゅだんとして、1976ねんモントリオールオリンピックときには、聖火せいか電子でんしパルス変換へんかんするこころみがあった。このパルスをアテネから衛星えいせい経由けいゆしてカナダまでおくとどけ、レーザー光線こうせんさい点火てんかおこなわれた。輸送ゆそう手段しゅだんとしては、ネイティブアメリカンカヌーラクダコンコルドげられる。

2000ねんシドニーオリンピックではグレートバリアリーフ海中かいちゅうダイバーによって移動いどうされ、史上しじょうはじめての海中かいちゅう聖火せいかリレーとなった。

2004ねんアテネオリンピックときには、78日間にちかんにわたるはつ世界せかい規模きぼ聖火せいかリレーがおこなわれた。聖火せいかは、およそ11,300にんによって78,000kmの距離きょり移動いどうし、このなかはじめてアフリカ中南米ちゅうなんべいわた過去かこのオリンピック開催かいさい都市としめぐり、2004ねんのオリンピック開催かいさいであるアテネまでもどってきた。

2008ねん北京ぺきんオリンピックでは世界せかい135都市とし経由けいゆし、標高ひょうこう8848mで世界せかい最高峰さいこうほうエベレスト山頂さんちょう通過つうかした。しかし、アルゼンチンアメリカフランスイギリスオーストラリアインド日本にっぽん韓国かんこくなど世界せかい各国かっこくでは中国ちゅうごくチベット弾圧だんあつたいする抗議こうぎデモなどの影響えいきょうさんほど聖火せいかしたり、予定よていされていたルートを変更へんこうするくに続出ぞくしゅつする事態じたいとなった。また、長野ながの聖火せいかリレーがおこなわれた日本にっぽんでは善光寺ぜんこうじがスタート地点ちてんとしての利用りようりやめにしたほか、公式こうしきスポンサーのレノボジャパン、日本にほんサムスン、日本にっぽんコカ・コーラさんしゃ広告こうこく掲示けいじりやめ(さんしゃともチベット問題もんだい理由りゆうとはしていない)るなど混乱こんらんしょうじた。詳細しょうさい2008ねん北京ぺきんオリンピックの聖火せいかリレー参照さんしょう

2009ねん3月26にち国際こくさいオリンピック委員いいんかい(IOC)は、北京ぺきんオリンピックの聖火せいかリレーが円滑えんかつ運営うんえいされなかったことをけ、今後こんご五輪ごりん開催かいさいともな聖火せいかリレーは主催しゅさい国内こくないのみでおこない、世界せかい規模きぼ聖火せいかリレーを廃止はいしすることをめた。

2016ねんリオデジャネイロオリンピックでは国内こくないやく270都市とし経由けいゆしたが資金しきんなんなどで聖火せいかリレーを辞退じたいしたり、一部いちぶ妨害ぼうがいなどが発生はっせいした[5][6]

2020ねん東京とうきょうオリンピックでは、全国ぜんこく47都道府県とどうふけんで2-3kmの区間くかんでリレーをおこない、その区間くかんではくるま聖火せいかはこ形式けいしき聖火せいかはこばれることとなっている[7]。リレーでの1人ひとりあたりの走行そうこう距離きょりは200mとされ、2分間ふんかん程度ていど時間じかんはしることがもとめられた。専用せんよう衣装いしょう用意よういされ、伴走ばんそうしゃとともにはし予定よていになっている[7]。このため1964ねん東京とうきょうオリンピックでは10まんにん以上いじょう必要ひつようであった走者そうしゃが、1まんにん程度ていど大幅おおはば減少げんしょうしている[7]。なおくるま運搬うんぱんしているとき聖火せいかについては非公開ひこうかいとされており、ルートも事前じぜん公表こうひょうされていない[7]

冬季とうきオリンピック

編集へんしゅう
 
ソチオリンピックのトーチをったミハイル・チューリン宇宙うちゅう飛行ひこう

冬季とうきオリンピックにおいては、最初さいしょ聖火せいかリレーがおこなわれたのは1952ねんオスロオリンピックだった。最初さいしょ聖火せいかリレーの採火さいかはオリンピアではなく、ノルウェーモルゲダールにある、スキースポーツの開拓かいたくしゃソンドレ・ノールハイム英語えいごばんいえ暖炉だんろであった。1960ねん1994ねん聖火せいかもそこで採火さいかされた。

1956ねん聖火せいかリレーはローマからスタートとなった。

これらのとしのぞき、冬季とうきオリンピックの聖火せいかリレーはオリンピアからスタートしている。

1998ねん長野ながのオリンピックではリレーようトーチの設計せっけいわるく、とくまえかたぶけさせると走行そうこうふう聖火せいかえるトラブルが頻発ひんぱつした。えないよう、垂直すいちょく、あるいはややかたぶけさせた場合ばあい燃料ねんりょうしだれ、火傷かしょう原因げんいんとなるなど事前じぜんのテスト不足ふそく指摘してきされた。

2014ねんソチオリンピックでは聖火せいか砕氷さいひょうせん史上しじょうはじめてきた極点きょくてんはこばれた[8]。また、ソユーズTMA-11Mによってトーチが国際こくさい宇宙うちゅうステーションはこばれ、ロシアじん宇宙うちゅう飛行ひこう2めいがトーチをって宇宙うちゅう遊泳ゆうえいおこない、史上しじょうはつ宇宙うちゅう空間くうかんでの聖火せいかリレーがおこなわれた[9]

歴代れきだい最終さいしゅう聖火せいかランナー

編集へんしゅう

開催かいさいこく代表だいひょうするすぐれた競技きょうぎ成績せいせき著名ちょめいなアスリート(現役げんえき引退いんたいわず)、有望ゆうぼう若手わかてアスリート、開催かいさいこくにとって象徴しょうちょうてき意味いみ人物じんぶつなどが最終さいしゅう聖火せいかランナーとしてえらばれることが伝統でんとうになっている。

著名ちょめいでない人物じんぶつれいとしては、東京とうきょうオリンピックの坂井さかい義則よしのり広島ひろしま原爆げんばく投下とうかされた1945ねん8がつ6にち広島ひろしまけん三次みつぎまれ、だい世界せかい大戦たいせん日本にっぽん復興ふっこう象徴しょうちょう)、1976ねんモントリオールオリンピック二人ふたりのティーンエイジャー(一人ひとりフランス語ふらんすごけん出身しゅっしんしゃ、もう一人ひとり英語えいごけん出身しゅっしんしゃで、カナダの文化ぶんか主義しゅぎ象徴しょうちょう)、2012ねんロンドンオリンピックの7にんの10代のアスリート(イギリスを代表だいひょうする7にんもとアスリートから「次代じだいにな若者わかもの」として指名しめいされ、イギリスの未来みらい象徴しょうちょう)などがある。

聖火せいかだいへの点火てんか

編集へんしゅう
 
氷上ひかみ奇跡きせき」とわれた20にんの1980ねんアメリカ・アイスホッケーチーム選手せんしゅのうち17にんが、2002ねんソルトレークシティオリンピック開会かいかいしきでタワーの基部きぶにある聖火せいかだい点火てんかすると、らせんがたとうほのおのぼってき、頂上ちょうじょう聖火せいかとしてともった。

聖火せいか衆目しゅうもくあつめる理由りゆうは、聖火せいかだいへの点火てんか開会かいかいしきのクライマックスとなることにもある。一方いっぽうでは、ショーアップのために点火てんかの「仕掛しかけ」が複雑ふくざつし、コストの上昇じょうしょうやトラブルをもたらす問題もんだいもあり、かいうごとにエスカレートする傾向けいこう演出えんしゅつには批判ひはんこえもある。

  • 1992ねんのバルセロナ大会たいかいでは、パラリンピックアーチェリー選手せんしゅアントニオ・レボジョが、スタジアムのはし位置いちする聖火せいかだい聖火せいかのついたばし、聖火せいかだいじょう通過つうかがついた。
  • 1994ねんのリレハンメル大会たいかいでは、スキージャンパーによってスタジアムに聖火せいかがもたらされた。
  • 1998ねん長野ながの大会たいかいでは開会かいかい式場しきじょう外側そとがわ聖火せいかだいにどうやって点火てんかするのか話題わだいとなったが、十二単じゅうにひとえをモチーフにした衣装いしょうにまとった伊藤いとう会場かいじょうないのエレベーターでせりあがり、聖火せいかだいちかづいてをつけた。
  • 2000ねんのシドニー大会たいかいでは、いけなかにフリーマン自身じしんはいりトーチをぐるりと1周回しゅうかいして点火てんか、そのいたリングじょうのオブジェがせりがりさい上部じょうぶ聖火せいかだいにセットされた。
  • 2002ねんのソルトレイクシティ大会たいかいでは、「氷上ひかみ奇跡きせき」とばれたアメリカのアイスホッケーチームの20にんちゅう17にんがトーチをって聖火せいかだいしたににをつけた。がっていき聖火せいかだい上部じょうぶともる。
  • 2004ねんのアテネ大会たいかいでは、最終さいしゅう点火てんかしゃ階段かいだんのぼるのと同時どうじにすらっとなが聖火せいかだいがお辞儀じぎをするようにがってきてそこに点火てんかする。
  • 2006ねんのトリノ大会たいかいでは、トンネルがたのオブジェのまえにベルモンド自身じしん点火てんか。スタジアム全体ぜんたい花火はなびがり聖火せいかだいいた。
  • 2008ねん北京ぺきん大会たいかいでは、ワイヤーロープをつないだやすしが、スタンドさい上段じょうだんめぐらされた大型おおがたスクリーンのうえ疾走しっそうするという演出えんしゅつおこない、聖火せいかだい直下ちょっかにあったてつパイプに点火てんかした。てつパイプをとおり、中国ちゅうごく文様もんようなどがえがかれた聖火せいかだいがついた。
  • 2010ねんのバンクーバー大会たいかいでは、地面じめんから4ほんゆきをイメージした支柱しちゅうび4にんのランナーが同時どうじ点火てんかする予定よていだったが、機械きかい故障こしょうで1ほんがらず3ほん点火てんかするかたちとなった。しかし閉会へいかいしきでこのハプニングを逆手さかてに、ピエロがプラグをつないでげるという演出えんしゅつがなされ、開会かいかいしきでは点火てんか出来できなかったカトリオナ・ルメイ・ドーン点火てんかしている[10]。また、この大会たいかいでは会場かいじょうがい聖火せいかだいにも点火てんかされている。
  • 2012ねんのロンドン大会たいかいでは、競技きょうぎじょう中央ちゅうおうながぼう放射状ほうしゃじょう設置せっちされ、そのさきがカラーのはなのようになった参加さんかこくかずおなじ204ほんぼう点火てんかひろがりすべてのぼうがつくとトーチが自動的じどうてきがり、すべてが垂直すいちょく起立きりつしてひとつの巨大きょだい聖火せいかだい構成こうせいした。
  • 2014ねんのソチ大会たいかいでは、開会かいかいしき会場かいじょうそと、メダルプラザに聖火せいかだい設置せっちされ、聖火せいか台下だいか点火てんかだい着火ちゃっかすると、ほのお聖火せいかだいをせりがり聖火せいかともった。観客かんきゃく聖火せいかだいえないため、花火はなび点火てんからされた。
  • 2016ねんのリオデジャネイロ大会たいかいでは開閉かいへい会式えしきよう聖火せいかだいがスタジアムないに、大会たいかい期間きかんちゅう聖火せいかともすための聖火せいかだい屋外おくがい設置せっちされた。開会かいかいしきでは球体きゅうたいのようなちいさな聖火せいかだい点火てんかされ、上昇じょうしょうした聖火せいかだいうしろの太陽たいようをイメージしたオブジェと一体いったいとなってかがや太陽たいようとなり、会場かいじょうひかりそそ演出えんしゅつがなされた。
  • 2018ねんたいらあきら大会たいかいでは聖火せいかだいしたこおりをイメージしたオブジェに点火てんかすると、輪状りんじょうぼうびて直上ちょくじょう聖火せいかだいともった。
  • 2020ねん東京とうきょう大会たいかいでは、開閉かいへい会式えしきよう大会たいかい期間きかんよう聖火せいかだいがそれぞれ競技きょうぎじょうない屋外おくがい設置せっちされた。富士山ふじさんうえ球体きゅうたいった形状けいじょうをしており、点火てんかさい富士山ふじさんひら階段かいだんてきて、球体きゅうたいはなのようにひらいた。そこに大坂おおさかなおみが点火てんかした。
  • 2022ねん北京ぺきん大会たいかいでは、参加さんかこくかれたプラカードを1つのゆき結晶けっしょうにする演出えんしゅつがなされた。そして最終さいしゅう点火てんかしゃゆき結晶けっしょう中央ちゅうおうち、点火てんか・・・

ではなくともったトーチを中央ちゅうおうくというはつ演出えんしゅつおこなわれた。トーチをしたゆき結晶けっしょうはスタジアムのうえがった。

聖火せいかだい

編集へんしゅう

聖火せいかだいおよびその支柱しちゅうはユニークで大胆だいたんなデザインとされることがおおく、これらは開会かいかいしきあいだ点火てんかされる方法ほうほうにも関係かんけいしている。1992ねんバルセロナオリンピックでは、をともすための火矢ひや聖火せいかだいかってアーチェリーからはなたれた。1996ねんアトランタオリンピックでは、聖火せいかだいあかかねかざられた芸術げいじゅつてき巻物まきもののようだった。同年どうねんのパラリンピックでは、半身不随はんしんふずい登山とざん聖火せいかだいからがったロープをのぼって点火てんかした。

建築けんちく伊東いとう豊雄とみおによると2016ねん時点じてんで、ふくすうかい同一どういつ都市とし開催かいさいされたオリンピックをふくめておな聖火せいかだいが2使つかわれたれいいという[11]

国際こくさいオリンピック委員いいんかい(IOC)はガイドラインで、聖火せいかだいを「競技きょうぎじょう観客かんきゃくすべてからえる場所ばしょ設置せっち」「期間きかんちゅう競技きょうぎじょうそとにいる人々ひとびとからもえるように設置せっち」と原則げんそくとしてさだめているが、近年きんねん例外れいがいている。2012ねんロンドンオリンピックでは点火てんか競技きょうぎじょう観客かんきゃくせき前部ぜんぶ移設いせつし、そとからはえない状態じょうたいだった[12]

1964ねん東京とうきょうオリンピックの聖火せいかだい

編集へんしゅう
 
1964ねん東京とうきょうオリンピックの聖火せいかだい

1964ねん東京とうきょうオリンピックでは、その招致しょうち前哨ぜんしょうせんとなる1958ねん東京とうきょうアジア大会たいかい聖火せいかだいさい利用りようした。

大会たいかい組織そしき委員いいんかいから、「納期のうき3かげつ製作せいさくは20まんえん」という条件じょうけんだった。これは、同様どうようものつくるとなると最低さいていでも8かげつかかるとされ、費用ひよう相場そうばの20ぶんの1の価格かかくであったため、大手おおて企業きぎょうから軒並のきなことわられてしまった。組織そしき委員いいんかいは、当時とうじ川口かわぐちなが大野おおの元美もとみたいし、アジア大会たいかいわせるため、聖火せいかだい製作せいさく依頼いらいしてきた。大野おおのは、鋳物いものづくりの名工めいこうとうたわれた鈴木すずきまんこれすけ指名しめいした。だが、まんこれすけだい一線いっせん退しりぞいたこともあり、まんこれすけ長男ちょうなんである鈴木すずき幸一こういちが「わりわない」とこの依頼いらいことわったが、まんこれすけが「おれがやる。こういう仕事しごと損得そんとくかんがえるな」とって依頼いらいった。

聖火せいかだい製作せいさくはいったまんこれすけは、川口かわぐち内燃ないねん社長しゃちょうであった岡村おかむら実平さねひら川口かわぐち市長しちょう岡村おかむら幸四郎こうしろう祖父そふ)から作業場さぎょうばけ、三男さんなんである鈴木すずき文吾ぶんごさそい2かげつ鋳型いがた完成かんせいさせたが、作業さぎょう圧力あつりょくけてボルトがび、鋳型いがたあないたことで爆発ばくはつ事故じこき、このショックと過労かろうで8にちまんこれすけくなった[13][14]。しかし、納期のうきまでは1かげつっていたため、文吾ぶんご兄弟きょうだいまんこれすけおしえをけた周囲しゅうい職人しょくにんたちの協力きょうりょくのもと、不眠ふみん不休ふきゅうだい聖火せいかだい製作せいさくして2週間しゅうかん作業さぎょうのちなにとか納期のうきわせ[15]国立こくりつ競技きょうぎじょう南側みなみがわスタンド上部じょうぶ設置せっちされた。文吾ぶんごは、「もし自分じぶんまで失敗しっぱいしたらはらってぬつもりだった」という。

この聖火せいかだい東京とうきょうアジア大会たいかいものであるため、東京とうきょうオリンピックではあたらしい聖火せいかだい製作せいさくすることがまっていた。だが、鈴木すずき父子ふしはなしいた河野こうの一郎いちろうオリンピック担当たんとう大臣だいじん英断えいだんにより、オリンピック聖火せいかだいとして正式せいしき採用さいようされることとなり、オリンピックにけておこなわれた拡張かくちょう工事こうじさい増築ぞうちくされたバックスタンド上部じょうぶへと移設いせつされた。

聖火せいかだいたかさ2.1 m、最大さいだい直径ちょっけいも2.1 mでおもさはやく4トン[16]設計せっけい・デザインは国立こくりつ競技きょうぎじょう設計せっけいしゃでもある角田つのださかえほか4めいによっておこなわれ、20の横線おうせんは、東京とうきょうアジア大会たいかいでの参加さんかこく地域ちいきかずなみ模様もよう太平洋たいへいようあらわしている。

この聖火せいかだいは、文吾ぶんごにより製作せいさくしゃめいとしてちちまんこれすけす「すずまん」の文字もじまれ、国立こくりつ競技きょうぎじょう解体かいたいされるまでかれた。解体かいたい国立こくりつ競技きょうぎじょうえのあいだ東日本ひがしにっぽん大震災だいしんさい被災ひさいとうされることになった。2015ねん宮城みやぎけん石巻いしのまき貸与たいよされ、石巻いしのまき総合そうごう運動公園うんどうこうえん設置せっちされた[17]聖火せいかだいは2019ねん3がつまで石巻いしのまき展示てんじされ[注釈ちゅうしゃく 1]、その岩手いわてけん福島ふくしまけんしがおこなわれ、りょう県内けんない巡回じゅんかいした[16]。そして、製造せいぞうである川口かわぐちもどり、10月6にちから2020ねん3がつ15にちまで川口かわぐちえき東口ひがしぐち川口かわぐちえき東口ひがしぐち公共こうきょう広場ひろばキュポ・ラ広場ひろば)で展示てんじされた[16][18]展示てんじ終了しゅうりょうは、 神奈川かながわ県内けんない工場こうじょう燃焼ねんしょう装置そうち交換こうかんするなどの修繕しゅうぜんおこなったのち、6月9にちしん国立こくりつ競技きょうぎじょう東側ひがしがわゲート正面しょうめんうつされた(当初とうしょは4がつ9にち予定よてい)。 なお、一般いっぱん公開こうかいは2021ねん開催かいさい延期えんきされた2020ねん東京とうきょうオリンピックパラリンピック終了しゅうりょう当初とうしょは2020ねん7がつ以降いこう予定よてい)となった。

その埼玉さいたまけんから文吾ぶんごにある依頼いらいた。聖火せいかぶんして競技きょうぎ会場かいじょうとも会場かいじょう戸田とだ漕艇そうていじょうえらばれたため、そのための聖火せいかだい製作せいさくしてしいとうものだった。文吾ぶんごは、国立こくりつ競技きょうぎじょうおなじデザインのものを3ぶんの2の寸法すんぽう製作せいさくした。聖火せいかぶんしたほか競技きょうぎ会場かいじょうではメイン会場かいじょうことなるデザインの聖火せいかだい製作せいさくされたが、この聖火せいかだい唯一ゆいいつのメイン会場かいじょう同一どういつデザインの聖火せいかだいとなった。

また、まんこれすけ聖火せいかだい川口かわぐちられて、市内しない青木あおきまち公園こうえん英霊えいれい記念きねんがわかれている。2004ねん修繕しゅうぜんおこない、せるようになっている。2020ねん東京とうきょうオリンピックの聖火せいかリレー埼玉さいたま県内けんない出発しゅっぱつとしてこの場所ばしょえらばれ、まんこれすけよんなんである鈴木すずきあきらじゅうだいいち走者そうしゃとなる予定よていであったが、川口かわぐち新型しんがたコロナウイルスとう蔓延まんえん防止ぼうし重点じゅうてん措置そち対象たいしょう地域ちいきとされたことにより公道こうどうでのリレーが中止ちゅうしになり、まんこれすけ聖火せいかだいまえ出発しゅっぱつ記念きねん式典しきてんおこなわれた。なお、あきらじゅう埼玉さいたま県内けんない最終さいしゅうのセレブレーションで、点火てんかセレモニー(トーチキス)でトーチをった。

 
だい60かい国体こくたい総合そうごう開会かいかいしきより。

炬火きょか(きょか)とは松明たいまつ(たいまつ)のことである。

日本にっぽんでは国民こくみん体育たいいく大会たいかい全国ぜんこく健康けんこう福祉ふくしさい(ねんりんピック)において炬火きょかリレーがおこなわれている。

国民こくみん体育たいいく大会たいかいでは開催かいさい独自どくじ採火さいかされることがまっていて、開催かいさい直前ちょくぜんにひとつにしゅうされ開会かいかいしきにおいて点火てんかされる。また、全国ぜんこく障害しょうがいしゃスポーツ大会たいかいにおいても同様どうようとなる。

全国ぜんこく健康けんこう福祉ふくしさいでは総合そうごう開会かいかい式場しきじょうにて採火さいかされ、その炬火きょかリレーがおこなわれさん世代せだいのランナーで炬火きょかだい点火てんかされる(だい17かい群馬ぐんま大会たいかいより)。

例外れいがいとしては全国ぜんこく高等こうとう学校がっこう総合そうごう体育たいいく大会たいかい熊本くまもと大会たいかい2001ひのくにしん世紀せいき総体そうたいにて炬火きょか点火てんかされた。

炬火きょかだい

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炬火きょかだい点火てんか方法ほうほう原則げんそくとして炬火きょかランナー2めい階段かいだんのぼり、その点火てんかされるが、1998ねんかながわ大会たいかい横浜よこはま国際こくさい総合そうごう競技きょうぎじょう)では史上しじょうはつの8めいによる炬火きょか点火てんかおこなわれ、導火どうかせんつたわったしろけむりなかからのいきおいで炬火きょかだいいた。

脚注きゃくちゅう

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注釈ちゅうしゃく

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  1. ^ 石巻いしのまき総合そうごう運動公園うんどうこうえんには、2021ねん6がつあらたな聖火せいかだいのレプリカ(実物じつぶつの3ぶんの2サイズで、戸田とだ漕艇そうていじょうぶんよう聖火せいかだいどうサイズである)が設置せっちされた。実物じつぶつおなじく川口かわぐち市内しない制作せいさくされた。

出典しゅってん

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  1. ^ a b 【オリンピックの歴史れきしる】22. オリンピック聖火せいかリレーと最終さいしゅう点火てんかしゃ -聖火せいかリレーの歴史れきし-”. 笹川ささかわスポーツ財団ざいだん (2020ねん2がつ10日とおか). 2021ねん7がつ20日はつか閲覧えつらん
  2. ^ 東京とうきょう2020オリンピック聖火せいかリレーがスタート、だい1走者そうしゃはコラカキ”. 2022ねん2がつ15にち閲覧えつらん
  3. ^ 石巻いしのまき世界せかいはつバイオガス聖火せいか 東京とうきょう五輪ごりん実験じっけん成功せいこう - 日刊にっかんスポーツ、2016ねん3がつ7にち
  4. ^ 東京とうきょう2020 オリンピック・パラリンピック競技きょうぎ大会たいかいにおける聖火せいかだいへのENEOS水素すいそ燃料ねんりょう供給きょうきゅうについて~聖火せいかリレートーチにもENEOS水素すいそ使用しようされます!~”. JXTGエネルギー株式会社かぶしきがいしゃ (2020ねん1がつ24にち). 2021ねん3がつ25にち閲覧えつらん
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