サルマタイ
サルマタイ(ギリシア
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構成 部族
歴史
サウロマタイとサルマタイ
サルマタイの
ヘロドトスによるとサウロマタイはウラル
サルマタイのスキティア侵略
サルマタイのスキティア
ポントス・ボスポロス王国 に従軍
ポントス・ボスポロス
パルティアとローマの戦 い
35
ボスポロスとローマの戦 い
ボスポロス
ミトリダーテスは
エウノーネスは
ウァンニウスに従軍 するイアジュゲス族
かつてローマのドルスス・カエサルがスエビ
アランの登場
1
考古学 によるサルマタイ文化
古墳 の特徴
サルマタイの
前期 サルマタイ時代 の遺跡
- ノーヴイ・クマク
村 古墳 群
- プロホロフカ
文化 の早期 の埋葬 址 であるオルスク市 近郊 ノーヴイ・クマク村 古墳 群 では、発掘 された19基 の古墳 のうち、サウロマタイのものが12基 、サルマタイのものが4基 であった。サルマタイに関係 づけられた12号 墳 ではポドボイ墓 が作 られていたが、副葬品 のセットはサウロマタイと同様 であった。しかし、プロホロフカ文化 に特徴 的 な丸 底 の壺 型 磨 研 土器 や頸部が高 く胴 部 が洋梨 型 に膨 らんだ水差 型 土器 が発見 され、両 文化 の混合 が見 られた。この墓 は鏃と剣 の形式 から紀元前 400年 頃 に比定 された。地下 式 横穴 墓 の例 としてはメチェト・サイ8号 墳 5号 墓 がある。長 さ4.6m、幅 1.7〜1.9mの羨道 が北 から南 にのび、墓 室 に通 じていた。墓 室 には細 い木材 で枠組 みされた台 に身分 の高 い2人 の巫女 とみなされた女性 が豊 かな副葬品 とともに並 んで葬 られていた。耳飾 りや腕輪 などの金銀 製品 を身 につけた右側 の女性 は長 さ50cm、底部 直径 が14cmの箙 を左足 下 に置 いていた。箙 には10本 の矢 が残 されていた。矢柄 は白樺 あるいはポプラ製 、鏃は青銅 製 であった。西側 には白亜 の塊 と貝殻 があり、その南側 で青銅 製 の大 きな柄 鏡 とその木製 ケース片 が発見 された。左側 の女性 は25〜30歳 の年齢 で、銀製 装飾 品 を身 につけていた。東側 には第 二 の青銅 製 柄 鏡 があった。直径 15.5cm。鏡 の下 には植物 を編 んで作 った入 れ物 の痕跡 があり、革 と木 が残存 していた。鏡 は鏡面 と鏡 背 が別々 に鋳造 され、接合 されたものである。柄 は短 く中子 状 に先端 に向 かってすぼまっている。鏡 背 の中央 部 には円錐 形 の突起 があり、その外側 に断面 が半円 形 の第 一 の突帯がめぐり、さらに鏡 の縁 に沿 って断面 が高 い五角形 の第 二 の突帯がめぐっている。中央 部 と第 一 の突帯との間 には二 重 同心円 文 があり、第 一 と第 二 の突帯の間 には小 アジア起源 の人物 と動物 が表現 された図像 がある。中央 部 に突起 があり、縁 が高 く盛 り上 がった円形 の柄 鏡 は前期 サルマタイ時代 に特徴 的 な形式 であり、中央 アジアからヴォルガ川 流域 にかけて広 く分布 した。墓 は鏃によって紀元前 4世紀 に編 年 されている。
- カリノフカ
村 古墳 群
- ヴォルガ
川下 流 左岸 に達 したプロホロフカ文化 の古墳 の一 例 としては、ヴォルゴグラードの北 35kmに位置 するカリノフカ村 古墳 群 がよく知 られている。発掘 された62の古墳 には全部 で253基 の埋葬 が行 われ、サウロマタイ・サルマタイ時代 に関係 づけられているものが159基 あった。サウロマタイ時代 が5基 、前期 サルマタイ時代 が63基 、中期 サルマタイ時代 が60基 、後期 サルマタイ時代 が31期 である。前期 に編 年 される墓 はいずれも前代 の古墳 を再 利用 したもので、幅 の狭 い隅 丸 方形 の竪穴 墓 、墓 室 の広 いポドボイ墓 、入口 坑 が横穴 の長 軸 側 にある地下 式 横穴 墓 の3型式 に分類 される。とりわけポドボイ墓 では単独 葬 ばかりでなく、入口 坑 から左右 にポドボイが造 られ家族 が埋葬 された合 葬 墓 がみられた。12号 墳 28号 墓 では入口 坑 から東西 にそれぞれ墓 室 が造 られていた。西側 墓 室 には奥 から未成年 者 、成人 男性 、子供 、成人 女性 の4体 が安置 されていた。未成年 者 の埋葬 はポドボイの西 壁 に造 られたさらに小 さな掘 り込 みに行 われていた。東側 墓 室 では成人 男性 2体 が埋葬 されていた。被葬 者 は仰臥 伸展葬 で頭 位 は子供 を除 いてはいずれも南南西 である。墓 室 は木材 で閉塞 され、さらに上 から草 や葦 の層 で充填 されていた。副葬品 は、西側 墓 室 の男性 にはガラス製 ビーズ、牡 羊 の肩 甲 骨 と白亜 、女性 には青銅 製 指輪 2点 とガラス製 ビーズ、壺 型 土器 などが供 えられていた。また、東側 墓 室 の一方 の男性 は青銅 製 鏡 断片 や、鉄製 ナイフなど、他方 の男性 は鉄製 鏃などを伴 っていた。鏡 は縁 が高 く盛 り上 がった形式 である。
- クヴァシノ
埋葬 址
- アゾフ
海 北岸 のクヴァシノ駅 で発見 された埋葬 址 では鉄製 矛 2点 、鉄製 銜3点 と銜留具 1対 が出土 した。矛 はクバン川 流域 のマイオタイで発見 される型式 に類似 し、銜は全体 が撚 ったようなねじれ文様 があり、両 端 がくるりと丸 められ環 となる。銜留具 は2孔 式 で彎曲 した形 で、紀元前 3世紀 までに編 年 されている。さらにドニェプル川下 流域 では紀元前 4〜3世紀 までに編 年 されるサルマタイの墓 が少 なくとも5基 知 られている。それらは対角線 埋葬 や鏃などの特徴 によって判断 されている。
中期 サルマタイ時代 の遺跡
サルマタイ
- ソコロヴァ・モギーラ
- ブグ
川 下流 右岸 コヴァリョフカ市 郊外 のソコロヴァ・モギーラは青銅器 時代 に造営 された墳丘 高 6.4m、直径 70mの古墳 であり、さまざまな時代 の墓 が26基 作 られていたが、墳丘 中央 部 に造 られた3号 墓 が中期 サルマタイ時代 のものであった。墓 壙は深 さ1.6m〜1.3m、プラン方形 で、上 から木材 で覆 われていた。被葬 者 は45〜50歳 の女性 で、仰臥 伸展葬 で西南 西 を枕 にしていた。女性 はさまざまな形 の金製 アップリケが縫 い付 けられた豪華 な衣服 を着 ていた。そして螺旋 型 のペンダントや、金製 耳飾 り、3種類 の頸飾 り、金製 腕輪 、金製 フィブラ、金製 ビーズなどの装飾 を身 に着 けていた。被葬 者 の頭部 左側 には銀製 オイコノエとカンタロス、右側 には柄 が銀製 の青銅 鏡 、柄 が銀製 で金製 の枠 がある木製 団扇 、青銅 製 バケツ型 容器 など、足元 右側 には大理石 製 容器 、アラバスター製 容器 、石 製 容器 、銀製 匙 、骨 製 櫛 など、足元 には木製 の壇 があり、その上 にガラス製 皿 、ファイアンス製 皿 、骨 製 団扇 が置 かれていた。さらに、被葬 者 の右側 には護符 とみなされる遺物 がまとめられていた。とくに注目 されるのは鏡 である。鏡面 の直径 は13.3cm、鏡 背 は縁 が盛 り上 がったサルマタイに特徴 的 な形式 であるが、柄 に丸 彫 りされた胡座 して両手 で角 杯 を持 つ有 髭 の人物 は東方 的 な特徴 を示 す。墓 は金製 フィブラなどにより、1世紀 前半 から中葉 に編 年 された。そしておびただしい各種 の容器 、護符 、団扇 、鏡 などの儀礼 的 な資料 によって、被葬 者 がサルマタイの高貴 な巫女 であったと推定 されている。[19]
- ダーチ1
号 墳
- ドン
川下 流 アゾフ市 郊外 のダーチ1号 墳 は耕作 されて墳丘 の高 さが0.9m、直径 は35mが残存 していた。墳丘 中央 に位置 する1号 墓 は3.1×3.2m、深 さ3.3mの方形 の竪穴 墓 であり、すでに攪乱 を受 けて副葬品 はアンフォラやガラス器 の破片 などわずかなものしか残 っていなかった。しかしながら墓 壙西側 で発見 された方形 の隠 し穴 からは豪華 な馬具 のセット、短剣 、半球 形 胸 飾 り、鹿 形 腕輪 、が出土 した。馬具 は金製 飾 板 が前面 に付 けられた馬 覆 い、銜留具 の両 端 に金製 象嵌 の円形 小型 ファレラが接合 された鉄製 轡 、同様 な楕円 形 のファレラ、半球 形 の金製 胸 飾 り、縞 メノウが象嵌 された金製 大型 ファレラ1対 などからなる。大型 ファレラのメノウの周 りを丸 彫 り風 に表現 された横 たわる4頭 のライオンが取 り巻 いている。ライオンの目 、腿 、尻 は象嵌 されている。そして。ライオンとライオンの間 には大粒 のザクロ石 が象嵌 され、一方 のファレラではそこに女性 像 が彫 り込 まれている。さらにファレラの縁 にはトルコ石 、ガラスの象嵌 がめぐっている。また、メノウの頂点 にも象嵌 されたロゼット文 が取 り付 けられている。短剣 は柄 と鞘 が豪華 な金製 装飾 版 で覆 われていた。装飾 版 全体 にわたって鷲 がフタコブラクダを襲 う闘争 文 が繰 り返 されている。柄頭 にはフタコブラクダが単独 で表現 されている。鞘 の基部 と先端 部 の両側 に半円 形 の突出 部 があり、そのうち基部 左側 を除 く3か所 に同様 な闘争 文 を表現 する半球 形 の突起 がついている。基部 左側 の突出 部 には体 を後方 へよじったグリフィンが表現 されている。動物 の体躯 と鞘 の縁 にトルコ石 とザクロ石 が細 かく象嵌 されている。特 に縁 に沿 った象嵌 はサルマタイには珍 しいひし形 であり、トルコ石 2個 おきにザクロ石 が置 かれている。半球 形 胸 飾 りは金製 で、頂点 に円形 の珊瑚 が象嵌 され、その周 りをトルコ石 とザクロ石 が象嵌 された連続 三 角 文 が2重 に取 り囲 み、四方 へ同様 な三角 文 の文様 帯 が伸 びて縁 をめぐる同様 な文様 帯 に接続 している。胸 飾 りの縁 の一方 側 に1個 の金製 環 が、反対 側 に2個 の環 がそれぞれ取 り付 けられている。鹿 形 腕輪 も金製 であり、全体 は左右 から2頭 ずつ鹿 が直列 して向 かい合 い、中央 で前肢 の蹄を合 わせている形 であるが、各 鹿 の頭部 と枝 角 はそれぞれ輪 から突出 して表現 されたユニークなものである。鹿 の胴 部 にはトルコ石 、珊瑚 、ガラスが象嵌 されている。墓 は主体 部 で発見 された鉄製 袋 穂 式 鏃から1世紀 後半 に編 年 されている。4か所 の突出 部 のある剣 の鞘 はアルタイの木製 鞘 に起源 があると考 えられるが、金製 象嵌 の装飾 版 の類例 はアフガニスタンのティリャ・テペと北西 カフカスのゴルギッピアで発見 され、また彫像 に表現 された例 としてはパルミュラやアナトリア東部 のアルサメイアで知 られており、広範囲 な文化 関係 があったことが推測 される。[20]
- ポロギ
村 2号 墳 1号 墓
- ブグ
川中 流域 のポロギ村 2号 墳 1号 墓 は青銅器 時代 の古墳 の中央 部 に造 られた地下 式 横穴 墓 である。地下 式 横穴 墓 はウクライナのサルマタイの埋葬 址 では稀 な型式 である。羨道 は長 さ3.5m、幅 2.1mで、南側 から墓 室 に接続 していた。墓 室 入 り口 は石 で閉鎖 されていた。墓 室 北西 部 に男性 の被葬 者 が木 棺 に葬 られていた。副葬品 としては、鉄製 環 頭 短剣 、鉄 刀 、鉄 鏃、金製 帯 飾 板 2対 、金製 首輪 、動物 形 片手 銀製 杯 などであった。短剣 は木 の台 に赤 い革 が張 られた鞘 に納 まっていた。柄 と鞘 の上部 に金製 ライオン形 飾 り、さらに鞘 中央 にタムガ文 の金製 板 が付 き、さらに柄 の上部 と下部 、鞘 の4か所 に連続 ハート形 文 の金製 飾 りがあり、鐺には金製 の半球 型 飾 りが3点 ついていた。多色 動物 様式 で装飾 された帯 飾 板 の一方 の1対 の飾 板 は馬蹄 形 であるが、左右 で形 と幅 が異 なったものである。飾 板 中央 にはライオンのような猛獣 頭部 が丸 彫 りで付 き、その両側 からグリフィンが前肢 で猛獣 の後肢 を掴 み噛 みついている。しかしながら、猛獣 の背後 には両手 でグリフィンの後肢 と尾 を鷲掴 みにした人物 が立 っている。飾 板 の周囲 は方形 の象嵌 がめぐっている。人物 の顔 は丸 顔 で目 が切 れ長 で、髪 を剃 って頭頂 で饅頭 のように丸 めており、モンゴロイド的 な特徴 をもっている。剣 に見 られたタムガ文様 が西暦 70年 〜80年代 に黒海 北岸 のオルビアで発行 されたサルマタイ王 イニスメウスの貨幣 に見 られるものと同様 であり、墓 をそれと同 時代 に編 年 することを可能 にしている。[21]
- コビャコヴォ10
号 墳
- ドン
川下 流 ロストフ・ナ・ドヌー市 郊外 のコビャコヴォ10号 墳 は墳丘 の高 さが3mの古墳 である。墳丘 下 には激 しく焼 けた箇所 があり、ローマの青銅 製 容器 断片 が発見 されており、追悼 宴 が行 われたことを示 していた。古墳 中央 からやや南東 側 に方形 の墓 壙があり、内部 に2.5m四方 の正方形 の木 槨墓室 が造 られ、25〜30歳 の女性 が埋葬 されていた。女性 は頭 に赤色 の薄 い革 で作 られたディアデムを、頸には多色 動物 様式 の金製 透 かし状 の首輪 、腕 にも同様 な金製 腕輪 、右手 の指 にも金製 指輪 をつけていた。ディアデムには薄 い金製 板 を打 ち抜 いて作 られた生命 の樹 を中心 にその両側 に3頭 ずつの鹿 と2羽 ずつの鳥 、小 円 文 のアップリケが取 り付 けられていた。首輪 は、長髪 有 髭 で長剣 を膝 に置 く戦士 の故 座像 を中心 にして、両側 に獣 頭 で鎧 を着 た空想 的 な3人 の人物 がグリフィンと闘争 する図 が表現 されている。人物 の耳 や鎧 、グリフィンの顎 、耳 、脚 、胴 、腿 、翼 などにトルコ石 が象嵌 されていた。腕輪 にはグリフィンが連続 して表現 され、目 、腿 、爪 などのトルコ石 とザクロ石 が象嵌 されていた。また、指輪 には滴 形 の練 り物 2個 が象嵌 されていた。女性 の衣服 にはロゼット文 などのアップリケが多数 縫 い付 けられていた。主 な副葬品 としては表面 に石膏 が塗布 された木製 蓋 付 小 箱 、多色 動物 様式 の文様 で装飾 されたフラスコ型 の金製 小型 香油 入 れ、鉄製 斧 、蓋 付 灰色 磨 研 型 土器 、鉄製 ナイフ、銀製 匙 、ライオン頭部 を正面 観 で表現 する金製 象嵌 ファレラと半球 形 青銅 製 ファレラ各 2点 、鉄製 轡 などがあった。ディアデムの生命 の樹 と鹿 ・鳥 のモチーフと香油 入 れはホフラチ古墳 出土 の例 と類似 してるが、首輪 の闘争 図 のモチーフはセミレチエのカルガルゥの金製 ディアデムに類例 があり、長髪 有 髭 の人物 も東方 との関係 が指摘 されている。さらに、中期 サルマタイ時代 の埋葬 址 から多数 出土 する鏡 の大半 は柄 鏡 であるが、中国 鏡 やコビャコヴォの例 のように中国 からの搬入 品 も発見 されており、サルマタイが中央 アジアを通 じて中国 と間接 的 あるいは直接的 に関係 していたことを示 している。コビャコヴォ10号 墳 は1世紀 末 から2世紀 に編 年 されている。[22]
後期 サルマタイ時代 の遺跡
- レベデフカ
村 古墳 群
後期 サルマタイ時代 の注目 される遺跡 の例 としては、ウラル川 左岸 流域 にあるレベデフカ村 古墳 群 が挙 げられる。レベデフカの古墳 群 は8群 に分 かれ、サウロマタイからサルマタイの埋葬 が101基 発掘 された。そのうちの50基 が後期 サルマタイ時代 に編 年 されている。埋葬 形態 は23基 がポドボイ墓 、17基 が幅 の狭 い竪穴 墓 、4基 が墓 壙の広 い墓 であった。被葬 者 は仰臥 伸展葬 、北枕 で安置 されていたが、2基 のポドボイ墓 では屈葬 であった。また、20体 に頭 骸 変型 が確認 されたが、そのうちの半数 以上 がポドボイ墓 で検出 された。第 5墓 群 23号 墳 の主体 部 は墓 壙が広 く、副葬品 が豊 かな墓 であった。主体 部 には男性 が安置 され、中国 の内 行 花 文 鏡 、青銅 製 フィブラ、金製 アップリケ、中央 アジア起源 のろくろ製 赤色 片手 壺 型 土器 、低 い器 台 のある青銅 製 パテラ、長 い柄 のある鉄製 柄杓 などが副葬 されていた。23号 墳 には追 葬 墓 が造 られ、棺 に男性 が安置 され、玉髄 の柄頭 をもつ鉄製 長剣 、短剣 、長 い砥石 、青銅 製 フィブラ、可動 式 舌 の付 く青銅 製 小型 バックル、ガラス製 ゴブレットが副葬 されていた。墓 は共 に2世紀 から3世紀 前半 に編 年 された。そして第 6墓 群 1号 墳 は、東西 に並 ぶ2つの墳丘 を長 さ34m、幅 10〜14m、高 さ0.3〜0.5mの土 塁 が連結 した形 であった。埋葬 は東側 の墳丘 下 のポドボイ墓 で行 われていた。副葬品 は鉄製 長剣 、鉄製 銜、ボスポロス製 ガラス容器 片 、青銅 製 フィブラ、円形 の金製 アップリケ、鉄製 ナイフなどである。長剣 は”金属 製 柄頭 のない剣 ”に分類 される型式 であり、柄頭 の部分 に円盤 状 の玉髄 を伴 ういわゆる”玉 具 剣 ”である。この玉髄 の上 にはシーレーンの顔 あるいは獅子 =人面 が型 押 しで表現 された金製 装飾 板 が取 り付 けられていた。飾 板 の縁 と額 および両 頬 にガラスが象嵌 され、象嵌 座 の周 りは細 粒 が取 り巻 いている。A.M.ハザーノフによれば、金属 製 柄頭 のない剣 は2世紀 〜4世紀 に盛行 しているが、玉 具 剣 はサルマタイでは類例 が少 ないという。ガラス容器 とフィブラによって墓 は2世紀 〜3世紀 前半 に編 年 された。[24]
脚注
- ^ a b 『
中央 ユーラシアを知 る事典 』p.219. - ^
護 ・岡田 編 1990, p.57. - ^
護 ・岡田 編 1990, pp.56-57, - ^
雪 嶋 2008, p.188. - ^
雪 嶋 2008, pp.187-189. - ^
飯尾 1994,p49-50 - ^ 『タキトゥス
年代 記 』6巻 -31〜37≪國原 1965,p160-163≫ - ^ タキトゥス12
巻 -15 - ^ タキトゥス12
巻 -16 - ^ タキトゥス12
巻 -17 - ^ タキトゥス12
巻 -18 - ^ タキトゥス12
巻 -19 - ^ タキトゥス12
巻 -29,30 - ^
護 ・岡田 編 1990, pp.57-58. - ^
雪 嶋 2008, pp.224-225, - ^
藤川 ,1999,p243-244 - ^
藤川 ,1999,p244-248 - ^
藤川 ,1999,p248-249 - ^
藤川 ,1999,p249-251 - ^
藤川 ,1999,p251-253 - ^
藤川 ,1999,p253-255 - ^
藤川 ,1999,p255-256 - ^
藤川 ,1999,p257-258 - ^
藤川 ,1999,p258-260
参考 文献
護 ・岡田 編 1990:護 雅夫 ・岡田 英弘 編 『中央 ユーラシアの世界 』山川 出版 社 〈民族 の世界 史 4〉、1990年 6月 。ISBN 978-4-634-44040-1。雪 嶋 2008:雪 嶋 宏一 『スキタイ騎馬 遊牧 国家 の歴史 と考古 』雄山閣 〈ユーラシア考古学 選書 〉、2008年 9月 。ISBN 978-4-639-02036-3。小松 久男 ・梅村 坦 他 編 編 『中央 ユーラシアを知 る事典 』平凡社 、2005年 4月 。ISBN 978-4-582-12636-5。國原 吉之助 訳 『世界 古典 文学 全集 22 タキトゥス』(筑摩書房 、1965年 )- ストラボン(
訳 :飯尾 都 人 )『ギリシア・ローマ世界 地誌 II』(龍溪 書 舎 、1994年 、ISBN 4844783777) 藤川 繁 彦『世界 の考古学 6中央 ユーラシアの考古学 』(1999年 、同 成 社 、ISBN 4886211771)