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バレンシア州 - Wikipedia

バレンシアしゅう

スペインの自治じちしゅう

バレンシアしゅう(バレンシアしゅう、バレンシアComunitat Valenciana 発音はつおん: [komuniˈtad valensiˈana]スペイン: Comunidad Valenciana 発音はつおん: [komuniˈðað βべーたalenˈθしーたjana])は、スペイン東部とうぶにある自治じちしゅうバレンシアけんアリカンテけんカステリョンけんの3けんからなる。州都しゅうとバレンシアきたアラゴンしゅうカタルーニャしゅう西にしカスティーリャ=ラ・マンチャしゅうみなみムルシアしゅうせっし、ひがし地中海ちちゅうかいめんする。

バレンシアしゅう

バレンシア : Comunitat Valenciana
スペイン : Comunidad Valenciana
バレンシア州の旗
はた
バレンシア州の紋章
紋章もんしょう
国名こくめい スペイン
州都しゅうと バレンシア
けん バレンシアけんアリカンテけんカステリョンけん
政府せいふ
 • しゅう首相しゅしょう カルロス・マゾン英語えいごばん
面積めんせき
 • 合計ごうけい 23,255 km2
面積めんせき順位じゅんい 8(スペインちゅう4.6%)
人口じんこう
(2019)
 • 合計ごうけい 5,003,769にん
 • 密度みつど 220にん/km2
  順位じゅんい4 (スペインちゅう10.9%)
自治じちしゅう憲章けんしょう 1982ねん7がつ10日とおか
公用こうよう スペインバレンシア
スペイン下院かいん 33にん(350にんちゅう
スペイン上院じょういん 17にん(264にんちゅう
 
アスエバルにあるローマ時代じだい石碑せきひ

古代こだい現在げんざいのバレンシアしゅう領域りょういきには、イベリアじんことなる部族ぶぞく定住ていじゅうしていた。南部なんぶコンテスタニじん英語えいごばん中央ちゅうおうエデタノスじんスペインばんきたイレルカボネスじん英語えいごばんである。イベリアじんは、フェニキアじん古代こだいギリシャじんカルタゴじん海上かいじょう貿易ぼうえきつうじて関係かんけいがあった。

紀元前きげんぜん202ねんだいポエニ戦争せんそうによるローマ勝利しょうり、バレンシア沿岸えんがん全体ぜんたいがローマに服従ふくじゅうした。7世紀せいきものローマ支配しはいあいだ、イベリアじん政治せいじてき経済けいざいてき社会しゃかいてき組織そしき徐々じょじょ吸収きゅうしゅうされていき、言語げんごラテン語らてんごんでいった。スペインのほかのイベリアじん定住ていじゅうにあったような固有こゆう反乱はんらんは、この地域ちいきには存在そんざいしなかった。

中世ちゅうせい

編集へんしゅう
 
バレンシアにあるセランスとう

8世紀せいきから13世紀せいきまではイスラーム教徒きょうとがこの支配しはいし、タイファ諸国しょこくのバランシヤ王国おうこくデニア王国おうこく領域りょういきだったが、11世紀せいきまでは中心ちゅうしん都市としさだまらない人口じんこう希薄きはく地域ちいきにすぎなかった。イスラーム教徒きょうとらが灌漑かんがいシステムを拡張かくちょうはじめると、バレンシア都市とし成長せいちょうした。

1232ねんから1245ねんにかけて、キリストきょう勢力せいりょくのアラゴンおうハイメ1せいがバランシヤ王国おうこくやデニア王国おうこく征服せいふくし(レコンキスタ)、アラゴン連合れんごう王国おうこく構成こうせいこくとしてバレンシア王国おうこくきずいた。アラゴンおうがバレンシアおう兼任けんにんしたが、バレンシア王国おうこくには自治じちほう議会ぎかいなどの自治じちけんあたえられた。イスラーム支配しはい時代じだい名残なごりとして、レコンキスタにも残留ざんりゅうしたイスラーム教徒きょうとであるムデハル英語えいごばん人口じんこうだい多数たすうめていたが、アラゴン連合れんごう王国おうこくへの併合へいごうにはしゅとしてカタルーニャじんアラゴンじんがバレンシアに入植にゅうしょくした。

15世紀せいきのアラゴン連合れんごう王国おうこく地中海ちちゅうかい遠征えんせいがもとで、バレンシアは社会しゃかいてき経済けいざいてき黄金おうごん世紀せいきむかえた。1479ねんのアラゴン=カスティーリャ同君どうくん連合れんごう成立せいりつによって、その繁栄はんえい最高潮さいこうちょうたっした。

近代きんだい

編集へんしゅう

1518ねん、スペインおうカルロス1せい即位そくいすると、ヘルマニア反乱はんらん、カスティーリャじんのバレンシアふくおう官僚かんりょうたいする農民のうみん反乱はんらんといった重要じゅうよう社会しゃかいてき対立たいりつこった。一方いっぽうアメリカ大陸あめりかたいりく発見はっけんによって貿易ぼうえき中心ちゅうしん大西洋たいせいようにとってかわり、バレンシアの比重ひじゅう減少げんしょうした。また、バルバリア海賊かいぞく襲撃しゅうげき継続けいぞくしてバレンシア沿岸えんがんおどかした。1609ねんモリスコ追放ついほうにより、バレンシアは人口じんこうの1/3をうしなうという打撃だげきけた。

18世紀せいきはじめのスペイン継承けいしょう戦争せんそうでバレンシアはオーストリア・ハプスブルクカール大公たいこうがわについてたたかった。ブルボンアンジューこうフィリップが勝利しょうりし、フェリペ5せいとして王位おういくと、かれは1707ねんしん国家こっか基本きほんほう布告ふこくし、バレンシアのすべての自治じちけん剥奪はくだつした。スペイン王国おうこく一部いちぶとしての行政ぎょうせい組織そしきえられてしまったのである。18世紀せいき後半こうはん、バレンシアの経済けいざい成長せいちょう人口じんこうびは顕著けんちょなものとなった。

現代げんだい

編集へんしゅう

19世紀せいきのバレンシアでは、ワインようブドウ、べいオレンジアーモンド栽培さいばいさかんとなり、農地のうち拡張かくちょうされた。アルコイサグントといった例外れいがいのぞいて、スペインの地域ちいきのような工業こうぎょう不完全ふかんぜんおくれていた。

1833ねん11月、スペイン国土こくど区分くぶんれいによってスペイン国内こくないは49のけん分割ぶんかつされ、かつてのバレンシア王国おうこくバレンシアけんアリカンテけんカステリョンけんさん分割ぶんかつされた。

1873ねんから1874ねん短期たんきスペインだいいち共和きょうわせいには、しゅう独立どくりつしたカントン移行いこうすることを目指めざカントナリスモ運動うんどうスペインばんアルコイ中心ちゅうしんとしてこり、20世紀せいき初頭しょとうにはバレンシアの政治せいじてき自治じち要求ようきゅうされるようになった。1931ねんから1939ねんスペインだい共和きょうわせいでは、自治じち制定せいていほう様々さまざま提案ていあん編成へんせいされたが、どれも投票とうひょうによって結局けっきょく承認しょうにんされなかった。

スペイン1978ねん憲法けんぽうではあらたな地方ちほう行政ぎょうせい区分くぶんとして自治じちしゅう設置せっちみとめられた。1982ねん7がつ10日とおかにはバレンシア自治じちしゅう憲章けんしょう制定せいていされ、バレンシアけん・アリカンテけん・カステリョンけんの3けんからなるバレンシアしゅう発足ほっそくした。スペイン政府せいふによって地域ちいき言語げんご権利けんりみとめられたため、バレンシアしゅう国家こっか公用こうようであるスペインとともにバレンシア公用こうようとした。

1992ねん11月2にち、バレンシアしゅう政府せいふ日本にっぽん三重みえけん姉妹しまい友好ゆうこう提携ていけい締結ていけつした[1][2]

 
バレンシアしゅう地勢ちせい

バレンシアしゅう内陸ないりく山地さんちである。カステリョンけん山地さんちイベリコ山系さんけいぞくし、アリカンテけん山地さんちベティコ山系さんけい一部いちぶである。地中海ちちゅうかいにはコルンブレテス諸島しょとうタバルカとう英語えいごばんがある。

バレンシアしゅう代表だいひょうするやまはカステリョンけんにあるペニャゴロサさん英語えいごばん標高ひょうこう1813m)である。かつてペニャゴロサさんはバレンシアしゅう最高峰さいこうほうかんがえられてきたが、実際じっさいにはリンコン・デ・アデムス英語えいごばん[注釈ちゅうしゃく 1]にあるカルデロンさんスペインばん標高ひょうこう1839m)がバレンシアしゅう最高峰さいこうほうである。バレンシアしゅう南部なんぶ代表だいひょうするやまアイタナさん英語えいごばん標高ひょうこう1558m)である。

ナオみさき英語えいごばんやカステリョンけんペニスコラ周辺しゅうへんのぞけば、地中海ちちゅうかい沿岸えんがんには肥沃ひよく平野へいやひろがっている。この沿岸えんがん地帯ちたい典型てんけいは、バレンシア近郊きんこうアルブフェーラエルチェのエル・フォンド、ペーゴ近郊きんこうのマルハルのような湿地しっちである。サンタ・ポーラやトーレビエハ地域ちいきにはかつて湿地しっちだった土地とち塩田しおだもある。わたどり定着ていちゃくした海鳥うみどり水鳥みずとりがいることから、これらはすべラムサール条約じょうやく登録とうろくとなっている。

アルブフェーラ近郊きんこうとグアルダマールには重要じゅうよう砂丘さきゅうがあり、どちらも砂丘さきゅう成長せいちょうめるために19世紀せいきすうせんほん植林しょくりんがなされ、現在げんざい注目ちゅうもくされる環境かんきょうてき価値かちのある保護ほごとされている。

みずぶん

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セグラがわ

バレンシアしゅうないには2つの主要しゅよう河川かせんがある。アリカンテけんながれるセグラがわと、バレンシアけんながれるフカルがわである。どちらの河川かせん農業のうぎょう用水ようすい工業こうぎょう用水ようすいとしての取水しゅすいりょうおおく、下流かりゅうでは水量すいりょうすくない。アラゴンしゅうみなもとはっするトゥーリアがわはバレンシアしゅうだい3の河川かせんである。乾燥かんそうする地中海ちちゅうかいせい気候きこう取水しゅすいりょうおおさが理由りゆうで、バレンシアしゅうにはほとんどながれがないか夏期かき干上ひあがってしまう河川かせんもある。

バレンシアしゅうがいして温暖おんだん気候きこうで、せっする地中海ちちゅうかいから非常ひじょう影響えいきょうけている。しかし地域ちいきごとに重要じゅうようちがいがある。

けん自治体じちたい

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バレンシアしゅう人口じんこう分布ぶんぷ

古代こだいローマ時代じだい人口じんこう中心ちゅうしんサグントデニアだった。近年きんねんには州都しゅうとバレンシアバレンシア都市としけんスペインばん自治体じちたい、さらに地中海ちちゅうかい沿岸えんがん自治体じちたいにおいて人口じんこう集中しゅうちゅうりつたかまった。ベニドルムトーレビエハなど、定住ていじゅう人口じんこうすくないものの夏期かきには人口じんこう増加ぞうかする観光かんこう都市としもある。肥沃ひよく農地のうち重要じゅうよう河川かせん港湾こうわんゆうするバレンシアしゅう中央ちゅうおう南部なんぶ人口じんこう密度みつどたかく、灌漑かんがいすすんでいない北部ほくぶ山地さんちゆうする内陸ないりく人口じんこう密度みつどひくい。

バレンシアしゅうバレンシアけんアリカンテけんカステリョンけんの3つのけん構成こうせいされる。バレンシアしゅうには32のコマルカぐん)、542のムニシピオ基礎きそ自治体じちたい)がある。

けん バレンシア
表記ひょうき
スペイン
表記ひょうき
けん
バレンシアけん València Valencia バレンシア
アリカンテけん Alacant Alicante アリカンテ
カステリョンけん Castelló Castellón カステリョン・デ・ラ・プラナ

自治体じちたい

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# 基礎きそ自治体じちたい けん 人口じんこう # 基礎きそ自治体じちたい けん 人口じんこう
1 バレンシア バレンシアけん 794,288 11 サグント バレンシアけん 66,140
2 アリカンテ アリカンテけん 334,887 12 アルコイ アリカンテけん 58,994
3 エルチェ アリカンテけん 232,517 13 サン・ビセンテ・デル・ラスペイグ アリカンテけん 58,385
4 カステリョン・デ・ラ・プラナ カステリョンけん 171,728 14 エルダスペインばん アリカンテけん 52,618
5 トレビエハ アリカンテけん 83,337 15 ヴィラ=レアル カステリョンけん 50,893
6 トレント バレンシアけん 82,208 16 アルシーラ バレンシアけん 44,352
7 オリウエラ アリカンテけん 77,414 17 ミズラータ バレンシアけん 43,691
8 ガンディア バレンシアけん 74,562 18 デニア アリカンテけん 42,166
9 パテルナ バレンシアけん 70,195 19 ブルハソット英語えいごばん バレンシアけん 38,024
10 ベニドルム アリカンテけん 68,721 20 オンティニェント英語えいごばん バレンシアけん 35,347

1975ねんから1978ねんあいだの、スペインにおける民主みんしゅ主義しゅぎ再興さいこう過程かていで、ナショナリズム政党せいとうリージョナリズム政党せいとうが、スペインの特定とくてい地方ちほう自治じちあたえるよう圧力あつりょくをかけた。1978ねん憲法けんぽうが、共通きょうつう歴史れきしてき文化ぶんかてきつながりをけんから構成こうせいされる自治じち協議きょうぎかいのための法的ほうてきみちひらいた。スペインの歴史れきしてき地方ちほうとしてのバレンシア地方ちほう認識にんしきうえで、そしてスペイン憲法けんぽうだい2しょう一致いっちしているのは、スペイン国家こっかふくまれる「くに地方ちほう」に自治じちあたえるという部分ぶぶんである。1982ねん7がつ10日とおかにはバレンシア自治じちしゅう憲章けんしょう制定せいていされ、バレンシアけん・アリカンテけん・カステリョンけんの3けんからなるバレンシアしゅう発足ほっそくした。

自治体じちたいすべて、議院ぎいんないかくせい、すなわち行政府ぎょうせいふなか政治せいじてき組織そしきされている。しゅう首相しゅしょう立法府りっぽうふ(コルツ)の直接ちょくせつ支持しじ依存いぞんしており、立法府りっぽうふのメンバーは多数決たすうけつによってしゅう首相しゅしょうえらぶ。

2006ねんにはあたらしい自治じちほう発布はっぷされた。バレンシア自治じちしゅう政府せいふ(Comunitat Valenciana)[3]は、ジェネラリタ・バレンシアーナスペインばんによって代表だいひょうされている[4] 。ジェネラリタは3つの機関きかん構成こうせいされている。

ジェネラリタはバレンシア議会ぎかい創設そうせつした機関きかん統合とうごうすることもできる。議会ぎかいは、オンブズマン公会こうかいけい検査けんさ事務じむきょく、バレンシア文化ぶんか会議かいぎ、バレンシア言語げんごアカデミー、司法しほう顧問こもん会議かいぎおよ社会しゃかい経済けいざい委員いいんかい創設そうせつ承認しょうにんした。

経済けいざい

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バレンシアけん典型てんけいてき農地のうち

バレンシア自治じちしゅうは、その南北なんぼくながびた面積めんせきりくづたいの人的じんてき交流こうりゅうおよび使用しよう歴史れきしてきさまたげてきた、峻険しゅんけん不規則ふきそく山岳さんがく地帯ちたい順応じゅんのうさせられてきた。また、海岸かいがんじくせんはヨーロッパとの関係かんけいを、地中海ちちゅうかい経由けいゆやカタルーニャを経由けいゆする船舶せんぱくによってよりよく促進そくしんされてきた。地中海ちちゅうかいせい気候きこう雨季うき降雨こううりないために、バレンシアしゅうない天然てんねん資源しげん鉱物こうぶつ関連かんれん不足ふそくしている。みず資源しげんにおいては、供給きょうきゅう上回うわまわみず需要じゅようがあり、この均衡きんこうは、使用しよう制限せいげん地下水ちかすいそう開発かいはつでさしあたって解決かいけつされているしゅう南部なんぶのコマルカでとく重大じゅうだいである。

2002ねん、バレンシアしゅうは、スペインのGDPの10.5%およびその輸出ゆしゅつひんの12%をした。人材じんざい分野ぶんやでは、失業しつぎょうりつが10.5%でとく女性じょせいおおく、2002ねん労働ろうどうりょくは56.8%にたっした。バレンシアしゅう特徴とくちょうてき経営けいえい形態けいたい中小ちゅうしょう企業きぎょうで、一部いちぶ国籍こくせき企業きぎょうがあるがしゅとして家族かぞく経営けいえいである。1973ねんから1985ねんには経済けいざい危機きき見舞みまわれたにもかかわらず、当時とうじ国内こくないだい2の輸出ゆしゅつひん生産せいさん割合わりあいほこしゅうで、国内こくないの12%をめていた。

2012ねんスペインの経済けいざい危機ききどうしゅう経済けいざい直撃ちょくげき自治じちしゅう政府せいふ資金しきん調達ちょうたつ困難こんなんになり、7がつには中央ちゅうおう政府せいふ支援しえん要請ようせいおこな事態じたいとなった[5]

バレンシアしゅう地中海ちちゅうかいせい気候きこうであり、柑橘類かんきつるい野菜やさい生産せいさんてきしている。バレンシアしゅうにおけるもっと典型てんけいてき農産物のうさんぶつオレンジである。

社会しゃかい

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交通こうつう

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アリカンテ=エルチェ空港くうこう

空港くうこう

編集へんしゅう

観光かんこうきゃく中心ちゅうしんアリカンテ=エルチェ空港くうこう、ビジネスきゃく中心ちゅうしんバレンシア空港くうこうと、バレンシアしゅうは2つの国際こくさい空港くうこうゆうする。2011ねんにはカステリョンけんカステリョン=コスタ・アサアール空港くうこう開港かいこうした。

鉄道てつどう

編集へんしゅう

国営こくえい鉄道てつどうレンフェによってバレンシアしゅう地域ちいきむす長距離ちょうきょり鉄道てつどう路線ろせん運行うんこうされている。アリカンテからバレンシアやカステリョン・デ・ラ・プラナを経由けいゆしてカタルーニャしゅう州都しゅうとバルセロナいた路線ろせんユーロメッドばれ、アリカンテやカステリョン・デ・ラ・プラナからバレンシアを経由けいゆしてスペインのおもマドリードいた路線ろせんアラリスばれる。

既存きそん長距離ちょうきょり路線ろせんとはべつ専用せんようせん建設けんせつし、2010ねんにはバレンシアとマドリードをむす高速こうそく鉄道てつどうAVEひがし回廊かいろう(レバンテせん)が開業かいぎょうした。2013ねんにはアリカンテとマドリードがAVEでむすばれ、2018ねんにはカステリョン・デ・ラ・プラナとマドリードがAVEでむすばれた。

バレンシア都市としけんではレンフェによって通勤つうきん鉄道てつどうセルカニアス バレンシア運行うんこうされている。レンフェのほかにはバレンシア公営こうえい鉄道てつどうによって、アリカンテ=ベニドルム=デニアをむす鉄道てつどう路線ろせん運営うんえいされている。バレンシアでは地下鉄ちかてつメトロバレンシアが、アリカンテでは路面ろめん電車でんしゃアリカンテ・トラム英語えいごばん運行うんこうされている。

 
バレンシアしゅう言語げんご普及ふきゅう緑色みどりいろがバレンシア地域ちいきしろがスペイン地域ちいき

バレンシアしゅう公用こうようバレンシアスペインの2言語げんごである。スペイン国家こっか公用こうようであり、スペインのぜん17しゅう公用こうようとなっている。一方いっぽうでバレンシアしゅうの「本来ほんらい言語げんご」(llengua pròpia)とされる。バレンシア伝統でんとうてきに、スペイン伝統でんとう言語げんごとみなす傾向けいこうのある内陸ないりくよりも地中海ちちゅうかい沿岸えんがんはなされてきた。1833ねんにアリカンテけんとバレンシアけん創設そうせつされたさい併合へいごうされたその地域ちいき歴史れきしてきバレンシア王国おうこく一部いちぶとなっていなかった)でも同様どうように、スペイン優勢ゆうせいである。1984ねんのバレンシア使用しよう教育きょういくにおける法律ほうりつは、特定とくてい自治体じちたいをスペイン話者わしゃ優勢ゆうせい地域ちいきさだめ、バレンシア公式こうしき使用しようかんしてわずかな例外れいがいあたえた。たとえみぎひょうのように言語げんご使つかい、バレンシア教育きょういくけたとしても、しゅうのどこでもしゅう自治じちほうだい6.2しょう保証ほしょうされている。

バレンシアしゅうにおける
バレンシア精通せいつう割合わりあい
理解りかいできる 76%
はなせる 53%
める 47%
ける 25%
Enquesta sobre la situació del valencià バレンシアアカデミー、2004ねん

かつてバレンシア王国おうこく一部いちぶであった地域ちいきでさえ、バレンシア使用しよう精通せいつうは、スペインおよ世界せかい各地かくちからの移民いみん、18世紀せいきしん国家こっか基本きほんほう以降いこう長期ちょうきわた地方ちほう言語げんご抑圧よくあつ影響えいきょう、そして1936ねんから1975ねんまでつづいたフランコ独裁どくさいによって衰退すいたいした。しゅう政府せいふ(ジャナラリタ・バレンシアーナ)によって『しゅとしてバレンシアはなす』と定義ていぎされた地域ちいきのバレンシア精通せいつう割合わりあいは、理解りかいできるが83%、はなせるが58%だった[6]。これはバレンシア全体ぜんたいとしてたかいとはいえない。

バレンシアは1998ねん創設そうせつされたバレンシアアカデミー英語えいごばん(AVL)によって管理かんりされている。アカデミーを設置せっちした法律ほうりつは、バレンシアがかつてのアラゴン連合れんごう王国おうこく構成こうせい地域ちいきカタルーニャバレアレス諸島しょとう言語げんご系統けいとう一部いちぶであると断言だんげんしており、これら地域ちいきでもそれぞれ独自どくじ言語げんごだと認識にんしきされている[7]。しかし、2005ねん以降いこう公式こうしき声明せいめいにおいてAVLは、バレンシアではなされる言語げんごは、カタルーニャとバレアレス諸島しょとうはなされる言語げんごおなじである、ふる法律ほうりつ使つかわれた専門せんもん用語ようご言語げんご系統けいとう」に言及げんきゅうし「ひとつの言語げんご」(カタルーニャ)を構成こうせいすることなった種類しゅるいである、とべた[8]。カタルーニャ研究所けんきゅうじょen:Institut d'Estudis Catalans略称りゃくしょうIEC)も、カタルーニャとバレンシアおな言語げんごだとみなしている。たとえこの2つの言語げんご音声おんせいちがいが顕著けんちょでも、標準ひょうじゅんてきかれたバレンシアは、標準ひょうじゅんかれた中央ちゅうおうカタルーニャとはわずかしかちがわない。バレンシア自治じちしゅう憲章けんしょうはバレンシア手話しゅわ特別とくべつ保護ほごあたえている。

純粋じゅんすい言語げんごがくてき基準きじゅんのぞいて、バレンシアにおいて伝統でんとうてきかつ通用つうようする言語げんごはバレンシアである。一般いっぱん大衆たいしゅうすべてのだい政党せいとうによるこのバレンシアという用語ようご広範囲こうはんいわた使用しようは、カタルーニャ言語げんごがくじょう起源きげんかならずしも否定ひていするわけでもなく、支持しじするわけでもない。カタルーニャとバレンシアはどちらも、おな言語げんごなされるかどうかにかんしてある混乱こんらんんだもののわずかにことなる基準きじゅんつ。こうして、スペイン政府せいふ文書ぶんしょにはカタルーニャとバレンシアのためのことなるはんがある。欧州おうしゅう憲法けんぽう承認しょうにんのための2005ねんスペイン国民こくみん投票とうひょうで、スペイン政府せいふは、標準ひょうじゅんカタルーニャで、最初さいしょ憲法けんぽう議定ぎていしょどういち翻訳ほんやくばん配布はいふした(カタルーニャようとバレンシアようおなじものを配布はいふした)。これが標準ひょうじゅんバレンシアでの翻訳ほんやく要求ようきゅうするバレンシアしゅう政府せいふのうるさい反応はんのうこした。一旦いったんこのうったえが承認しょうにんされると、つぎカタルーニャしゅう政府せいふが、カタルーニャとバレンシア言語げんごがくじょう同一どういつせい支持しじする手段しゅだんとして、標準ひょうじゅんバレンシア仮定かていし、カタルーニャで使つかわれるリーフレットのなか標準ひょうじゅんカタルーニャ使つかわなかった[9]

このてんでは、主要しゅようなバレンシア保守ほしゅ政党せいとう与党よとう国民党こくみんとう)は、カタルーニャとバレンシア親子おやこ関係かんけいについての質問しつもんにほとんどまず、一方いっぽう事実じじつじょうカタルーニャもっと一致いっちする標準ひょうじゅんバレンシア支持しじしていた。さらに、右翼うよく共感きょうかんする一派いっぱや、カタルーニャとバレンシア単一たんいつ言語げんごとしてかんがえることに反対はんたいするブラベリスメ運動うんどう英語えいごばんはんカタルーニャ主義しゅぎ)から吸収きゅうしゅうされた一派いっぱが、国民党こくみんとうないふくまれている。

象徴しょうちょう

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バレンシアしゅう紋章もんしょう

バレンシアしゅうはたしゅう紋章もんしょうは、1982ねん7がつ1にちはじめて発令はつれいされたバレンシア自治じちしゅう憲章けんしょう明記めいきされているように、バレンシア自治じちしゅうしゅう政府せいふないかく[10]公式こうしきシンボルである。

バレンシアしゅうはたは、バレンシア王国おうこく(Real SenyeraまたはSenyera Coronada)としてよくられており、歴史れきしてきなバレンシアはたでもある。それは、アラゴン王国おうこく黄色おうしょくあかの4本線ほんせん構成こうせいされている。旗竿はたざおつぎにあるあおえんかざりは、ひらいた本物ほんもの王冠おうかん部分ぶぶんてき表現ひょうげん王位おういしめあたまかざり、花形はながた装飾そうしょくおよ宝石ほうせきかざられている。

バレンシアしゅうは1909ねんしゅう博覧はくらんかいであり、16世紀せいきにつくられたバレンシアうたふくんで作曲さっきょくされた。

ジャナラリタ・バレンシアーナの紋章もんしょうは、ペドロ4せい儀典ぎてんおう紋章もんしょうばたく金色きんいろドラゴンクレスト王冠おうかんこうむった銀色ぎんいろかぶと十字じゅうじえがかれたマント)から構成こうせいされており、金色きんいろに4ほんギュールズたてたいえがかれているかたむいたシールドは、歴史れきしてきバレンシア王国おうこくあらわしている。ジャナラリタのはたも、深紅しんく上記じょうき紋章もんしょうえがかれている。

金色きんいろのドラゴン(drac alat) 、正面しょうめんいてつばさひろげたコウモリ(rat-penat)は、バレンシア社会しゃかいすべてでれられる公式こうしき紋章もんしょうではなく、アラゴン王国おうこく由来ゆらいするものである。これらの紋章もんしょうムイシェランガ音楽おんがくは、1960年代ねんだいさかんになったバレンシア民族みんぞく主義しゅぎNacionalismo valenciano)によって一般いっぱん浸透しんとうした。

バレンシアじん帰属きぞく意識いしきとナショナリズム

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ピロタ

バレンシアしゅうではサッカーさかんであり、バレンシアCFビジャレアルCFレバンテUDCDカステリョンエルチェCFエルクレスCFなどのクラブがある。バスケットボールではバレンシアBCられる。

オートバイのロードレースさかんであり、バレンシアGPおこなわれるバレンシア・サーキットがある。伝統でんとうてき球技きゅうぎであるピロタ英語えいごばんペタンクおこなわれている。

しょく文化ぶんか

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バレンシア料理りょうり英語えいごばんコメ基調きちょうとしており、品種ひんしゅとしてはたんつぶしゅボンバまいなどが使用しようされる。みごはん一種いっしゅであるパエリアがよくられており、アロス・ア・バンダ英語えいごばん魚介ぎょかいベースのパエリア)やアロス・ネグロ(イカすみのパエリア)などの種類しゅるいがある。チーズを使つかわないピザであるコカられている。飲料いんりょうとしてはキハマスゲの地下茎ちかけいもちいたオルチャータなどがられている。

バレンシア菓子かしだい多数たすうがイスラム支配しはいまれたものであり、地元じもと祝祭しゅくさいかせない。ヒホナ伝統でんとうてき製造せいぞうされるやわらかいヌガー、トゥロンはスペイン国内こくないやヒスパニック諸国しょこくのクリスマスに消費しょうひされる。シャティバのアルナディは、カボチャで入念にゅうねんつくられたデザートである。オリウエラ、アルコイでは、ペラディージャスという砂糖さとうがけアーモンドが製造せいぞうされている。

脚注きゃくちゅう

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注釈ちゅうしゃく

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出典しゅってん

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  1. ^ スペイン・バレンシアしゅう”. 三重みえけん環境かんきょう生活せいかつ文化ぶんか共生きょうせい. 2016ねん1がつ17にち閲覧えつらん[リンク]
  2. ^ 姉妹しまい友好ゆうこう提携ていけい情報じょうほう”. 自治体じちたいあいだ交流こうりゅう. 一般いっぱん財団ざいだん法人ほうじん自治体じちたい国際こくさい協会きょうかい. 2016ねん1がつ17にち閲覧えつらん[リンク]
  3. ^ Estatuto de Autonomía de la Comunitat Valenciana
  4. ^ Third Section, First Chatper of the Statute of Autonomy of the Valencian Community Archived 2007ねん12月26にち, at the Wayback Machine.
  5. ^ “スペインのバレンシアしゅう中央ちゅうおう政府せいふ支援しえん要請ようせい財政ざいせい不安ふあんたかまる”. ロイター (ロイタろいた通信つうしんしゃ). (2012ねん7がつ21にち). https://jp.reuters.com/article/businessNews/idJPTJE86J00120120720/ 2012ねん9がつ1にち閲覧えつらん 
  6. ^ Enquesta sobre la situació del valencià バレンシアアカデミー、2004ねん
  7. ^ LLEI 7/1998, de 16 de setembre, de la Generalitat Valenciana, de Creació de l'Acadèmia Valenciana de la Llengua. (1998/7973)
  8. ^ Dictamen de l’Acadèmia Valenciana de la Llengua sobre els principis i criteris per a la defensa de la denominació i l’entitat del valencià Archived 2007ねん3がつ11にち, at the Wayback Machine.. First article.
  9. ^ Cataluña asume la traducción valenciana de la Constitución europea エル・パイス、2004ねん10がつ10日とおか
  10. ^ Los símbolos de las Comunidades Autónomas españolas. Dossier del Consejo de Estudios Políticos y Constitucionales.

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