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ピクーダ (潜水艦) - Wikipedia

ピクーダ (USS Picuda, SS-382) は、アメリカ海軍かいぐん潜水せんすいかんバラオきゅう潜水せんすいかんいちせきかんめいカリブ海かりぶかいおよび大西おおにしひろし生息せいそくする大型おおがたカマス総称そうしょうカリブ海かりぶかい沿岸えんがん諸国しょこくでのスペインちなんで命名めいめいされた。

USS ピクーダ
基本きほん情報じょうほう
建造けんぞうしょ ポーツマス海軍かいぐん造船ぞうせんしょ
運用うんようしゃ アメリカ合衆国の旗 アメリカ海軍かいぐん
かんしゅ 攻撃こうげきがた潜水せんすいかん (SS)
きゅうめい バラオきゅう潜水せんすいかん
かんれき
起工きこう 1943ねん3月15にち
進水しんすい 1943ねん7がつ12にち
就役しゅうえき 1: 1943ねん10月16にち
2: 1953ねん6月19にち
退役たいえき 1: 1946ねん9月25にち
2: 1972ねん10月1にち
除籍じょせき 1974ねん11月18にち
その 1972ねん10がつ1にちスペイン海軍かいぐん移管いかん
要目ようもく
水上すいじょう排水はいすいりょう 1,526 トン
水中すいちゅう排水はいすいりょう 2,424 トン
全長ぜんちょう 311 ft 9 in (95 m)
水線すいせんちょう 307 ft (93.6 m)
最大さいだいはば 27 ft 3 in (8.31 m)
吃水きっすい 16 ft 10 in (5.1 m)
おも フェアバンクス=モース38D 8 1/8ディーゼルエンジン×4
電源でんげん エリオット・モーター英語えいごばんせい発電はつでん×2
出力しゅつりょく 水上すいじょう:5,400 shp (4.0 MW)
水中すいちゅう:2,740 shp (2.0 MW)
最大さいだい速力そくりょく 水上すいじょう:20.25 ノット
水中すいちゅう:8.75 ノット
航続こうぞく距離きょり 11,000 うみさと/10ノット
航海こうかい日数にっすう 潜航せんこう2ノット48あいだ哨戒しょうかい活動かつどう75日間にちかん
潜航せんこう深度しんど 試験しけん:400 ft (120 m)
乗員じょういん 士官しかん6めい兵員へいいん60めい
へいそう
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オニカマス(プエルトリコでの名称めいしょうPicuda brava)
ガチャンチェ・バラクーダ(プエルトリコでの名称めいしょうPicuda parda)

かんれき

編集へんしゅう

SS-382 は当初とうしょオービスポ (USS Obispo) (アカエイ一種いっしゅ)のかんめいで、1943ねん3がつ15にちメインしゅうキタリーポーツマス海軍かいぐん造船ぞうせんしょ起工きこうした。1943ねん7がつ12にちロバート・H・イングリッシュ夫人ふじんによって命名めいめい進水しんすいし、1942ねん9がつ24にちにピクーダと改名かいめいされる。1943ねん10がつ16にち艦長かんちょうアルバート・レイボーン少佐しょうさアナポリス1934ねんぐみ)の指揮しき就役しゅうえきする。

就役しゅうえきはポーツマスで艤装ぎそうおこなわれ、11月18にち作業さぎょう完了かんりょうするとおおやけためし出航しゅっこうする。12月14にちから16にちにかけてロードアイランドしゅうニューポートおき魚雷ぎょらい発射はっしゃかんおおやけためしおこなわれ、つづいてコネチカットしゅうニューロンドン移動いどう最終さいしゅう訓練くんれんおよび演習えんしゅうおこなわれた。1944ねん1がつ1にちにニューロンドンを出航しゅっこうし、1がつ13にちパナマ運河うんが地帯ちたいバルボア太平洋艦隊たいへいようかんたい合流ごうりゅう、1がつ27にち真珠湾しんじゅわん到着とうちゃくし、太平洋艦隊たいへいようかんたい潜水せんすいかん部隊ぶたいだい20潜水せんすい戦隊せんたいだい201潜水せんすいぶん艦隊かんたい配属はいぞくされた。

だい1、だい2の哨戒しょうかい 1944ねん2がつ - 6がつ

編集へんしゅう

2がつ17にち、ピクーダは最初さいしょ哨戒しょうかいカロリン諸島しょとう方面ほうめんかった。2月29にちトラック諸島しょとうからそうはなれていない哨戒しょうかい海域かいいき到着とうちゃく

3月2にち、ピクーダは北緯ほくい0622ふん 東経とうけい14827ふん / 北緯ほくい6.367 東経とうけい148.450 / 6.367; 148.450地点ちてんで、護衛ごえいかんからの15はつ爆雷ばくらいけながら、もと特設とくせつ砲艦ほうかんしん京丸きょうまる」(大連たいれん汽船きせん、5,139トン)を撃沈げきちん。3月18にち、ピクーダはサイパンとうパラオあいだ航路こうろ哨戒しょうかい海域かいいき移動いどう。その午後ごご、ピクーダは大型おおがたタンカーに魚雷ぎょらい命中めいちゅうさせたが、駆逐くちくかん存在そんざいもあり最終さいしゅうてきにはげられた。

3月19にち深夜しんや、ピクーダは北緯ほくい1009ふん 東経とうけい13810ふん / 北緯ほくい10.150 東経とうけい138.167 / 10.150; 138.167地点ちてんで「豊光とよみつまる」(にち魯漁ぎょう、1,521トン)に魚雷ぎょらいを2ほん命中めいちゅうさせて撃沈げきちんした。

3月30にち、ピクーダはグアム南東なんとう海域かいいきで2せき駆逐くちくかん護衛ごえいされた2せき貨物かもつせん発見はっけんし、船団せんだんちゅうもっとおおきい「あとらんちっくまる」(大阪おおさか商船しょうせん、5,872トン)にけて魚雷ぎょらいを5ほん発射はっしゃ最初さいしょ命中めいちゅうで「あとらんちっくまる」を航行こうこう不能ふのうおちいらせ、2ほん船尾せんび命中めいちゅうすると、「あとらんちっくまる」は転覆てんぷくしてしずんでいった。駆逐くちくかんは26はつ爆雷ばくらい投下とうかしたがどうじなかった。ピクーダは魚雷ぎょらいを1ほんだけのこして哨区からげた。4月5にち、ピクーダは49日間にちかん行動こうどうえてミッドウェーとう帰投きとう改装かいそうのち、4がつ28にちから30にちにかけて訓練くんれん従事じゅうじした。

 
砲艦ほうかん橋立はしだて」(1940ねん

5月4にち、ピクーダは2かい哨戒しょうかいで「パーチ」 (USS Perch, SS-313)「ピート」 (USS Peto, SS-265) とウルフパック構成こうせいルソン海峡かいきょうおよび台湾たいわん海峡かいきょう方面ほうめんかった。5月20にち、ピクーダは香港ほんこんから高雄たかおかう88船団せんだん発見はっけん。しかし、護衛ごえい砲艦ほうかん橋立はしだて」、敷設ふせつ特務とくむていえんとう」が先制せんせい爆雷ばくらい攻撃こうげきおこない、いくつかの爆雷ばくらいがピクーダの司令塔しれいとうのそばとかん至近しきん爆発ばくはつ。このため、ピクーダは横倒よこだおしになりつつまえのめりの体勢たいせいしずんでき、油圧ゆあつ系統けいとう損傷そんしょうった。しかしピクーダはこの爆雷ばくらい攻撃こうげきちこたえ、修理しゅうりののち2にちの5がつ22にち北緯ほくい2118ふん 東経とうけい11712ふん / 北緯ほくい21.300 東経とうけい117.200 / 21.300; 117.200地点ちてんふたた橋立はしだて交戦こうせん魚雷ぎょらい4ほん発射はっしゃして橋立はしだて命中めいちゅうさせて撃沈げきちん。さらに「筑波つくばまる」(東亜とうあ海運かいうん、3,171トン)にも魚雷ぎょらい命中めいちゅうさせ、筑波つくばまる後日ごじつ、アメリカ陸軍りくぐん航空こうくうたいばくげきにより撃沈げきちんされた[注釈ちゅうしゃく 1]

6月2にちには台湾たいわん沿岸えんがん航行こうこうする輸送ゆそう船団せんだん発見はっけん。ピクーダはパーチとピートにこの船団せんだんかんする情報じょうほう送信そうしんしたのち、2せき護衛ごえいかんあいだをすりけてタンカーを攻撃こうげきすべての護衛ごえいかんがピクーダにかいつつあったとき、3つの命中めいちゅうおんこえた。ピクーダは四方八方しほうはっぽうからそそ爆雷ばくらいたくみにけ、被害ひがいけなかった。そのバタン諸島しょとうから台湾たいわん沿岸えんがん沿って南西諸島なんせいしょとう方面ほうめん父島ちちじま近海きんかい哨戒しょうかいした。6月22にちにミッドウェーとう寄港きこう。6月27にち、ピクーダは54日間にちかん行動こうどうえて真珠湾しんじゅわん帰投きとう艦長かんちょうグレン・R・ドナホ英語えいごばん(アナポリス1927ねんぐみ)にわった。

だい3、だい4の哨戒しょうかい 1944ねん7がつ - 12月

編集へんしゅう
 
駆逐くちくかん夕凪ゆうなぎ」(1936ねん

7がつ23にち、ピクーダは3かい哨戒しょうかいで「スペードフィッシュ」 (USS Spadefish, SS-411)、「レッドフィッシュ」 (USS Redfish, SS-395) とウルフパックを構成こうせいしルソン海峡かいきょう方面ほうめんかった。

8がつ25にち、ピクーダ以下いかのウルフパックは北緯ほくい1842ふん 東経とうけい12049ふん / 北緯ほくい18.700 東経とうけい120.817 / 18.700; 120.817ルソン島るそんとう北岸ほくがんマイライラみさき近海きんかいでタマ24船団せんだん発見はっけん。1022ふん、ピクーダは「ひかり徳丸とくまる」(大光おおみつ商船しょうせん、1,943トン)にけて魚雷ぎょらいを6ほん発射はっしゃし、うち1ほん命中めいちゅうしてひかり徳丸とくまるは1024ふん沈没ちんぼつしていった。これを護衛ごえい駆逐くちくかん夕凪ゆうなぎ」がたい潜水せんすい掃討そうとうかう。かってくる夕凪ゆうなぎたいしてピクーダは魚雷ぎょらい発射はっしゃ艦橋かんきょう後部こうぶ左舷さげん命中めいちゅうさせ、夕凪ゆうなぎは1035ふん沈没ちんぼつした。

9月16にちには、北緯ほくい2127ふん 東経とうけい12125ふん / 北緯ほくい21.450 東経とうけい121.417 / 21.450; 121.417地点ちてんでミ14船団せんだん発見はっけん。「徳島とくしままる」(日本郵船にっぽんゆうせん、5,975トン)にけて魚雷ぎょらいを4ほん発射はっしゃし、うち2ほん徳島とくしままる左舷さげん命中めいちゅうして沈没ちんぼつしていった。直後ちょくごにレッドフィッシュも、徳島とくしままる爆発ばくはつ影響えいきょう損傷そんしょうしたタンカー「だい小倉おぐらまる」(日本にっぽん油槽ゆそうせん、7,311トン)を撃沈げきちんした。9月21にちにもバタン諸島しょとううように南下なんかちゅうのタマ26船団せんだん発見はっけん。ピクーダは「淡路あわじまる」(日本郵船にっぽんゆうせん、1,948トン)を撃沈げきちんし、レッドフィッシュは「瑞穂みずほまる」(大阪おおさか商船しょうせん、8,506トン)を撃沈げきちんした。こののち、ピクーダは「バーブ」 (USS Barb, SS-220)、「クイーンフィッシュ」 (USS Queenfish, SS-393) と会合かいごうし、ともに帰投きとうすることとした。10月3にち、ピクーダは66日間にちかん行動こうどうえてマジュロ帰投きとう艦長かんちょうがエヴァン・T・シェパード(アナポリス1935ねんぐみ)にわった。

10月27にち、ピクーダは4かい哨戒しょうかいで「バーブ」「クイーンフィッシュ」とウルフパックを構成こうせい東シナ海ひがししなかいおよび黄海こうかい方面ほうめんかった。11月1にちから2にちにかけてサイパンとう寄港きこうして燃料ねんりょう補給ほきゅうし、ウルフパックは東シナ海ひがししなかい九州きゅうしゅうあいだ到着とうちゃくした。11月17にち夕方ゆうがた、ピクーダは北緯ほくい3321ふん 東経とうけい12442ふん / 北緯ほくい33.350 東経とうけい124.700 / 33.350; 124.700済州さいしゅうとう西方せいほうおきヒ81船団せんだん発見はっけん。1815ふん陸軍りくぐん特種とくしゅせん摩耶山まやさんまる」(三井みつい船舶せんぱく、9,433トン)に魚雷ぎょらい2ほん命中めいちゅうさせて撃沈げきちんした。

11月23にちには朝鮮ちょうせん海峡かいきょう西方せいほうおきで2せき護衛ごえいかんがついたべつ輸送ゆそう船団せんだん発見はっけんし、「おさむようまる」(東洋とうよう汽船きせん、6,933トン)と「福寿ふくじゅまる」(岡田おかだ商船しょうせん、5,293トン)を撃沈げきちんした。攻撃こうげきの6にち、ピクーダは哨戒しょうかい海域かいいきった。12月2にち、ピクーダは35日間にちかん行動こうどうえてグアムアプラこう帰投きとうした。

だい5、だい6の哨戒しょうかい 1944ねん12月 - 1945ねん5がつ

編集へんしゅう

12月29にち、ピクーダは5かい哨戒しょうかいふたたび「バーブ」「クイーンフィッシュ」とウルフパックを構成こうせい東シナ海ひがししなかい台湾たいわん海峡かいきょう方面ほうめんかった。1945ねん1がつ7にちひるごろ、ピクーダは「バーブ」の情報じょうほうもとづいて哨戒しょうかいちゅうに、北緯ほくい2542ふん 東経とうけい12114ふん / 北緯ほくい25.700 東経とうけい121.233 / 25.700; 121.233地点ちてんヒ87船団せんだん発見はっけん。タンカー「宗像むなかたまる」(昭和しょうわタンカー、10,045トン)に魚雷ぎょらい2ほん命中めいちゅうさせ大破たいはさせた。よく1がつ8にち午後ごご、ピクーダはバーブから船団せんだん接触せっしょく報告ほうこくり、4あいだにわたって追跡ついせきしたのち攻撃こうげき。ピクーダは3つの目標もくひょうえらんで、それぞれにたいして魚雷ぎょらい発射はっしゃ。この攻撃こうげきでは「明宝あけたからまる」(明治海運めいじかいうん、2,857トン)、「久川ひさかわまる」(川崎汽船かわさききせん、6,886トン)、「まんたままる」(日本にっぽん油槽ゆそうせん、6,515トン)の3せき損傷そんしょうあたえたと判断はんだんされた。しかし、護衛ごえいかんが640メートルにまでせまっているのを一時いちじいきひそめた。ピクーダはつぎにバーブ、クイーンフィッシュとともにタンカー「彦島ひこじままる」(三菱みつびし汽船きせん、2,854トン)をいかけまわしていためつけ、「彦島ひこじままる」は浅瀬あさせ座礁ざしょうした[注釈ちゅうしゃく 2]攻撃こうげきは、しばらくだい38任務にんむ部隊ぶたいジョン・S・マケイン・シニア中将ちゅうじょう)のための救助きゅうじょ配置はいち任務にんむいた。

1がつ29にち早朝そうちょう、ピクーダは北緯ほくい1432ふん 東経とうけい11653ふん / 北緯ほくい14.533 東経とうけい116.883 / 14.533; 116.883地点ちてん雨中うちゅうすくなくとも3せき大型おおがたせんがあるのを確認かくにん追跡ついせき。640ふん、ピクーダは船団せんだん接近せっきんし、「くらいどまる」(南洋なんよう海運かいうん、5,497トン)にけて魚雷ぎょらい発射はっしゃ。2ほん命中めいちゅうしたのをピクーダの当直とうちょく士官しかん観測かんそくした。きりれると、くらいどまるけむり蒸気じょうきつつまれてしずんでいくのがえた。このとき上空じょうくう水上すいじょう偵察ていさつつけたので、ピクーダはこれ以上いじょう攻撃こうげきあきらめた。2月5にちから6にちにかけてサイパンとうタナパグこう補給ほきゅう。2月15にち、ピクーダは48日間にちかん行動こうどうえて真珠湾しんじゅわん帰投きとうした。

3月15にち、ピクーダは6かい哨戒しょうかい日本にっぽん近海きんかいおよび大陸たいりく沿岸えんがんかった。3月29にちにアプラこう補給ほきゅうおこない、4がつ2にち紀伊きい水道すいどうおき哨戒しょうかい海域かいいき到達とうたつ日本にっぽん本土ほんど空襲くうしゅうするB-29部隊ぶたい支援しえんのための救助きゅうじょ配置はいち任務にんむいた。5月6にち僚艦りょうかんスキャバードフィッシュ」 (USS Scabbardfish, SS-397) と南西諸島なんせいしょとうおき会合かいごうし、スキャバードフィッシュが救助きゅうじょしていたB-29クルー5めいった。5月10にちにサイパンとう到着とうちゃく。クルーをおろし、だい21ばくげき司令しれいおくとどけた。潜水せんすい母艦ぼかんオリオン英語えいごばん」 (USS Orion, AS-18) からの修理しゅうりけたのち、5月11にち出港しゅっこう。5月20にち、ピクーダは63日間にちかん行動こうどうえて真珠湾しんじゅわん帰投きとうした[2]サンフランシスコ経由けいゆパナマ運河うんが通過つうか、6月22にちにポーツマス海軍かいぐん造船ぞうせんしょ到着とうちゃくオーバーホールなか終戦しゅうせんむかえた。

ピクーダはだい世界せかい大戦たいせん戦功せんこうで6従軍じゅうぐん星章せいしょう受章じゅしょうした。

ピクーダは大西洋たいせいよう艦隊かんたいだい20潜水せんすい戦隊せんたいだい201潜水せんすいぶん艦隊かんたい配属はいぞくされた。その10がつ18にちまでポーツマス海軍かいぐん造船ぞうせんしょ広範囲こうはんいオーバーホールがおこなわれる。作業さぎょう完了かんりょうすると10がつ31にちにニューロンドンの潜水せんすいかん基地きち移動いどうし、潜水せんすい学校がっこう訓練くんれんかん任務にんむたる。11月21にちにニューロンドンを出航しゅっこう訓練くんれん巡航じゅんこうフロリダしゅうキーウェストキューバハバナ訪問ほうもんした。11月26にちにニューロンドンに帰還きかん、11月16にちすでに予備よびやく艦隊かんたいニューロンドングループりがめいじられていた。ピクーダは12月12にちにポーツマス海軍かいぐん造船ぞうせんしょ移動いどうし、活性かっせいのための準備じゅんびはじめられた。1946ねん1がつ15にちにピクーダは活性かっせい準備じゅんび停止ていしめいじられ、だい2艦隊かんたい合流ごうりゅう大西洋たいせいよう艦隊かんたいだい8潜水せんすい戦隊せんたいだい81潜水せんすいぶん艦隊かんたい配属はいぞくされた。

ピクーダはポーツマス海軍かいぐん造船ぞうせんしょ現役げんえき任務にんむ準備じゅんびを2がつ18にちまでおこない、翌日よくじつニューロンドンの潜水せんすいかん基地きち移動いどうした。ニューロンドングループのほかの5せき潜水せんすいかんともに、ピクーダはどう基地きちを2がつ25にち出航しゅっこうし、バルボアの潜水せんすいかん基地きちかう。任務にんむセント・トーマスとう経由けいゆして3がつ27にちにニューロンドンに帰還きかんした。ピクーダは3がつ27にちふたたびポーツマス海軍かいぐん造船ぞうせんしょ入渠にゅうきょ作業さぎょう9がつ19にちタグボート曳航えいこうされてニューロンドンにもどった。ニューロンドンでピクーダは9月25にち予備よびやくとなった。

1952ねん後半こうはん大西洋たいせいよう予備よびやく艦隊かんたいニューロンドングループにくわえられ、シュノーケル改修かいしゅうのためポーツマス海軍かいぐん造船ぞうせんしょ曳航えいこうされた。ピクーダは1953ねん6がつ19にち艦長かんちょうテッド・N・スワイン少佐しょうさ指揮しきさい就役しゅうえきした。改修かいしゅう作業さぎょうは8がつ24にち完了かんりょうし、ピクーダはニューロンドン潜水せんすいかん基地きち移動いどうする。どう基地きち大西洋たいせいよう艦隊かんたいだい12潜水せんすい戦隊せんたいだい122潜水せんすいぶん艦隊かんたい配属はいぞくされた。

ピクーダはバージニアしゅうノーフォークバハマナッソー経由けいゆして9がつ17にちにキーウェストに到着とうちゃくした。同地どうち潜水せんすいかん修理しゅうり訓練くんれんグループの訓練くんれんかん任務にんむめいじられ、キーウェストを拠点きょてんとして1959ねん9がつまで活動かつどうする。ここでの任務にんむにはキーウェスト作戦さくせん海域かいいきでの通常つうじょう訓練くんれんや、メキシコわんかくみなと訪問ほうもんキューバジャマイカハイチ海域かいいきへの周期しゅうきてき訓練くんれん巡航じゅんこうふくまれた。しかしながら、2特別とくべつ巡航じゅんこうおよび2地中海ちちゅうかい配備はいびでこの任務にんむ中断ちゅうだんされた。最初さいしょ特別とくべつ巡航じゅんこうは1954ねん4がつ24にちから5がつ20日はつかまでノーフォークおきおこなわれ、ピクーダはたい潜水せんすいかん開発かいはつ演習えんしゅう参加さんかした。だい2の特別とくべつ巡航じゅんこうは9月3にちはじめられ、北部ほくぶヨーロッパ海域かいいきおよび地中海ちちゅうかいおこなわれた。ピクーダは9月24にちきたアイルランドロンドンデリー到着とうちゃくし、イギリス海軍かいぐん艦艇かんていとの統合とうごう艦隊かんたい演習えんしゅう参加さんか、その10がつ29にちジブラルタル到着とうちゃくだい6艦隊かんたいの「ブライト・ボンファイア作戦さくせん」に参加さんかする。11月14にちにロンドンデリーに帰還きかんし、イギリス海軍かいぐんともたい潜水せんすいかん攻撃こうげきおよびたいせん作戦さくせん戦術せんじゅつ訓練くんれん再開さいかいした。11月25にちにロンドンデリーを出航しゅっこう、12月11にちにキーウェストでの訓練くんれん任務にんむ再開さいかいした。ピクーダは1958ねん1がつ6にちにキーウェストを出航しゅっこう、1がつ18にちにジブラルタルに到着とうちゃくする。だい6艦隊かんたい配備はいびでは「アセンデックス作戦さくせん operation "ASCENDEX"」への参加さんかや、スペインパルマ・デ・マヨルカバルセロナイタリアジェノヴァなどの訪問ほうもんふくまれた。ピクーダは8がつ18にちにジブラルタルを出航しゅっこうし、キューバおよびジャマイカおきでの駆逐くちくかんとのたいせん演習えんしゅうおこない、10月11にちにキーウェストに帰還きかんした。

1958ねん10がつ13にちから1959ねん3がつ12にちまでチャールストン海軍かいぐん造船ぞうせんしょオーバーホールおこなわれたのち、ピクーダはニューロンドン、ニューポートおき短期たんき回復かいふく訓練くんれんおこなう。1959ねん3がつ27にちにキーウェストで以前いぜん任務にんむ再開さいかいし、6月1にち同港どうこう出航しゅっこうさん度目どめ地中海ちちゅうかい配備はいびかった。6月4にちにノーフォークに到着とうちゃく、ジブラルタルには15にち到着とうちゃくした。今回こんかい地中海ちちゅうかいでの作戦さくせん活動かつどうにはイタリアのナポリ、ジェノヴァ、フランスマルセイユポルトガルリスボン訪問ほうもんふくまれた。ピクーダは8がつ26にちにリスボンを出航しゅっこうし、キーウェストで訓練くんれん任務にんむ再開さいかいした。

1961ねん、ピクーダはグアンタナモわんおとずれ、そのチャールストン海軍かいぐん造船ぞうせんしょで5かげつのオーバーホールがおこなわれた。1962ねんはグアンタナモわんを2訪問ほうもんし、その南米なんべい大陸たいりく周航しゅうこうブラジルアルゼンチンウルグアイチリおよびペルーとの統合とうごう作戦さくせん参加さんかした。この作戦さくせんキューバ危機きき発生はっせい終了しゅうりょうし、ピクーダはキーウェストに帰還きかんした。1963ねん大半たいはん母港ぼこうキーウェストを拠点きょてんとして活動かつどうし、グアンタナモわんは1おとずれたのみであった。

1964ねん、ピクーダはキーウェストおき大西洋たいせいようおよびカリブ海かりぶかい活動かつどうし、同年どうねん後半こうはんにはフィラデルフィア海軍かいぐん造船ぞうせんしょでのオーバーホールがおこなわれた。1965ねんにもグアンタナモわん訪問ほうもんし、1966ねんには3地中海ちちゅうかい巡航じゅんこうだい6艦隊かんたい活動かつどう艦隊かんたいたい潜水せんすいかん演習えんしゅうおよびフランスイタリア海軍かいぐんともNATOぐん演習えんしゅう参加さんかした。ピクーダはべつのグアンタナモわん訪問ほうもんでそのとしえた。

1967ねん北大西洋きたたいせいようおこなわれたNATOの「クイック・パースーツ作戦さくせん operation "Quick Pursuit,"」に参加さんかちゅう、ピクーダは乗員じょういん2めいうみ行方ゆくえ不明ふめいとなった。ピクーダはノルウェーベルゲンイングランドポーツマス訪問ほうもんし、そのキーウェストに帰還きかんした。

スペイン海軍かいぐん

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ナルシソ・モントリオル
基本きほん情報じょうほう
運用うんようしゃ   スペイン海軍かいぐん
かんれき
就役しゅうえき 1972ねん10がつ1にち
退役たいえき 1975ねん
除籍じょせき 1977ねん4がつ30にち
要目ようもく
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1972ねん10がつ1にち、ピクーダはスペイン海軍かいぐん移管いかんされた。スペイン海軍かいぐんでは同国どうこく潜水せんすいかんパイオニアであるナルシソ・モントリオルちなんで、ナルシソ・モントリオル (SPS Narciso Monturiol, S-33) と命名めいめいされ就役しゅうえきした。ナルシソ・モントリオルは1974ねん11月18にちにスペインによって完全かんぜん購入こうにゅうされ、ピクーダは同日どうじつアメリカ海軍かいぐん除籍じょせきされた。1975ねん、ナルシソ・モントリオルは機械きかいてき不調ふちょうにより退役たいえきし、1977ねん4がつ30にちにスペイン海軍かいぐん除籍じょせきされた。ナルシソ・モントリオルのかんめいはスペインがアメリカ海軍かいぐんより購入こうにゅうしたジャラオ (USS Jallao, SS-368) にがれた。

脚注きゃくちゅう

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注釈ちゅうしゃく

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  1. ^ この経緯けいいから、筑波つくばまる撃沈げきちんはピクーダと陸軍りくぐん航空こうくうたい共同きょうどう戦果せんかとなっている。
  2. ^ この経緯けいいから、彦島ひこじままる撃沈げきちんはピクーダ、バーブ、クイーンフィッシュの共同きょうどう戦果せんかとなっている。

出典しゅってん

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  1. ^ 「SS-382, USS PICUDA」p.113
  2. ^ 「SS-382, USS PICUDA」p.258

参考さんこう文献ぶんけん

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  • SS-382, USS PICUDA(issuuベータばん
  • Theodore Roscoe "United States Submarine Operetions in World War II" Naval Institute press、ISBN 0-87021-731-3
  • 財団ざいだん法人ほうじん海上かいじょう労働ろうどう協会きょうかいへん復刻ふっこくばん 日本にっぽん商船しょうせんたい戦時せんじ遭難そうなん財団ざいだん法人ほうじん海上かいじょう労働ろうどう協会きょうかい/成山なりやまどう書店しょてん、1962ねん/2007ねんISBN 978-4-425-30336-6
  • Clay Blair,Jr. "Silent Victory The U.S.Submarine War Against Japan" Lippincott、1975ねんISBN 0-397-00753-1
  • こまみやしんななろう戦時せんじ輸送ゆそう船団せんだん出版しゅっぱん協同きょうどうしゃ、1987ねんISBN 4-87970-047-9
  • 木俣きまたしげるろうてき潜水せんすいかん攻撃こうげき朝日あさひソノラマ、1989ねんISBN 4-257-17218-5
  • 野間のまひさし商船しょうせんかた太平洋戦争たいへいようせんそう 商船しょうせん三井みつい戦時せんじふね私家版しかばん、2004ねん

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