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フジサンケイグループ - Wikipedia

フジサンケイグループ

日本にっぽんのメディア・コングロマリット

フジサンケイグループ英語えいご: Fujisankei Communications Group略称りゃくしょうFCG)は、日本にっぽん最大さいだいメディア・コングロマリット。77しゃ、4法人ほうじん、3美術館びじゅつかん構成こうせいされ、グループ全体ぜんたいでの従業じゅうぎょういんかずやく13,000めい代表だいひょう日枝ひえひさ

フジサンケイグループ
Fujisankei Communications Group
創業そうぎょうしゃ 鹿内しかない信隆のぶたか
創立そうりつ 1967ねん
国籍こくせき 日本の旗 日本にっぽん
中核ちゅうかく企業きぎょう フジ・メディア・ホールディングス
フジテレビジョン
産業経済新聞社さんぎょうけいざいしんぶんしゃ
ニッポン放送にっぽんほうそう
サンケイビル
ポニーキャニオン
従業じゅうぎょう員数いんずう 13,000めい
中核ちゅうかく施設しせつ FCGビル
中心ちゅうしんてき人物じんぶつ 日枝ひえひさ[1]
主要しゅよう業務ぎょうむ テレビ、新聞しんぶん、ラジオ、出版しゅっぱん映画えいが音楽おんがく、コンテンツの制作せいさく販売はんばい配信はいしん総合そうごう通信つうしん販売はんばいおよ都市とし開発かいはつ観光かんこう
しめぎあきら たまマーク
別名べつめい FCG
外部がいぶリンク https://www.fujisankei-g.co.jp/
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グループ企業きぎょうだい部分ぶぶんが、フジ・メディア・ホールディングス子会社こがいしゃまたは関連かんれん会社かいしゃとなっている。一部いちぶ構成こうせい企業きぎょうのぞくグループ企業きぎょうは、グループの統一とういつしゃあきらシンボルマークとして「たまマーク」を使用しようしている。

概要がいよう

編集へんしゅう

1951ねんひじりパウロ修道しゅうどうかいらの主導しゅどう財団ざいだん法人ほうじん日本にっぽん文化放送ぶんかほうそう協会きょうかい創立そうりつされ、翌年よくねん開局かいきょくしたが、イタリアじん司祭しさいのパウロ・マルセリーノ(帰化きかまる瀬利せりのう)の独善どくぜんてき運営うんえい共産きょうさん党員とういん主導しゅどう労働ろうどう争議そうぎ激化げきかにより、早々そうそう経営けいえい危機ききおちいる。1956ねん左翼さよくによるメディア支配しはいおそれた財界ざいかい主導しゅどうにより、財団ざいだん解散かいさん改組かいそし「株式会社かぶしきがいしゃ文化放送ぶんかほうそう」が設立せつりつされ水野みずの成夫しげお初代しょだい社長しゃちょう就任しゅうにんした[2]

1954ねん財界ざいかい主導しゅどうにより「株式会社かぶしきがいしゃニッポン放送にっぽんほうそう」が設立せつりつされ、日経連にっけいれん初代しょだい専務せんむ理事りじ鹿内しかない信隆のぶたか代表だいひょう取締役とりしまりやく専務せんむとして実務じつむになった。

1957ねんニッポン放送にっぽんほうそう文化放送ぶんかほうそう主体しゅたいとなり、東宝とうほう松竹しょうちく大映だいえい出資しゅっしして「株式会社かぶしきがいしゃ富士ふじテレビジョン」(よく1958ねん商号しょうごうを「株式会社かぶしきがいしゃフジテレビジョン」に変更へんこうげんフジ・メディア・ホールディングス)が設立せつりつされ、水野みずの成夫しげお社長しゃちょう鹿内しかない信隆のぶたか専務せんむ就任しゅうにん、ニッポン放送ほうそう同様どうよう信隆のぶたか実務じつむになった。

1958ねん水野みずの成夫しげお経営けいえい危機ききおちいっていた産経新聞さんけいしんぶんしゃ社長しゃちょう就任しゅうにんし、これにより、フジテレビ、ニッポン放送にっぽんほうそう文化放送ぶんかほうそう産経新聞さんけいしんぶんしゃの4しゃによる連携れんけい体制たいせいがスタートした。

フジサンケイグループ発足ほっそく

編集へんしゅう

1967ねん昭和しょうわ42ねん)12月、フジテレビサンケイ新聞しんぶんしゃニッポン放送にっぽんほうそう文化放送ぶんかほうそう中心ちゅうしんとなりフジサンケイグループを結成けっせいした。よく1968ねん昭和しょうわ43ねん)、水野みずの成夫しげお脳溢血のういっけつたおれ、サンケイ新聞しんぶんしゃ会長かいちょうしょく辞任じにんする。後任こうにんとしてフジテレビ、ニッポン放送にっぽんほうそう社長しゃちょう兼任けんにんする鹿内しかない信隆のぶたかがサンケイ新聞しんぶんしゃとサンケイビル両者りょうしゃ社長しゃちょう就任しゅうにんし、グループの実権じっけん掌握しょうあくした[3]。また各社かくしゃ総務そうむ人事じんじ財務ざいむ経理けいりとうコーポレート機能きのう統括とうかつするフジサンケイグループ会議かいぎ創設そうせつ議長ぎちょう最高さいこう経営けいえい責任せきにんしゃ相当そうとう)に就任しゅうにん経済けいざい合理ごうりせいもとづくグループ経営けいえい強力きょうりょく推進すいしんした。

リビング作戦さくせん

編集へんしゅう

1970ねん昭和しょうわ45ねん)10がつ、フジテレビが実験じっけんてき生活せいかつ情報じょうほう番組ばんぐみ東京とうきょうホームジョッキー」を開始かいしする。ニッポン放送にっぽんほうそう出身しゅっしん高崎たかさき一郎いちろう司会しかいしゃ番組ばんぐみだいヒット。世界せかいはつのテレビショッピングや武道ぶどうかんでのだいバーゲンイベントなど、番組ばんぐみはつ人気にんき企画きかく多数たすう誕生たんじょうする。おなごろの1971ねん昭和しょうわ46ねん)6がつ、サンケイ新聞しんぶんしゃ広告こうこくきょくがフリーペーパー「フジサンケイリビングニュース」(げんサンケイリビング新聞しんぶん)を創刊そうかんし、中央ちゅうおうせん沿線えんせんはつ配布はいふされた。東京とうきょうホームジョッキーのヒットを鹿内しかない信隆のぶたかは、テレビ番組ばんぐみとフリーペーパー事業じぎょうとの連動れんどう構想こうそうし、東京とうきょうホームジョッキーの番組ばんぐみめいを「リビング4」、フジサンケイリビングニュースの題字だいじを「フジサンケイリビング4」にそれぞれ変更へんこうした。番組ばんぐみはつ企画きかく紙面しめんじょうげるなどの連動れんどうおこなった。さらに1972ねん昭和しょうわ47ねん)1がつには、本格ほんかくテレビショッピング番組ばんぐみリビング11」(フジテレビ平日へいじつ午前ごぜんテレビショッピングわく)を開始かいしする。また放送ほうそう開始かいし直前ちょくぜんの1971ねん昭和しょうわ46ねん)12月には番組ばんぐみない通販つうはん企画きかく付随ふずいする調査ちょうさ選定せんてい検査けんさ発送はっそうなどの業務ぎょうむにな専門せんもん会社かいしゃとして「株式会社かぶしきがいしゃディノス」(げんDINOS CORPORATION)が設立せつりつされた。世界せかいでもれいない新聞しんぶん・テレビの共同きょうどう事業じぎょうは、フリーペーパー、テレビショッピング、通信つうしん販売はんばい会社かいしゃという3つをした。一連いちれん事業じぎょう展開てんかいを「リビング作戦さくせん」という[4]

たのしくなければテレビじゃない!

編集へんしゅう

1985ねん昭和しょうわ60ねん)に長男ちょうなん鹿内しかない春雄はるお議長ぎちょうフジテレビ産経新聞さんけいしんぶんしゃニッポン放送にっぽんほうそう代表だいひょう取締役とりしまりやく会長かいちょう就任しゅうにんし、編成へんせい局長きょくちょう日枝ひえひさにん三脚さんきゃくでフジテレビの黄金おうごん時代じだいをきずきあげた。「ゆめ工場こうじょう」などのイベント、「南極なんきょく物語ものがたり」「ビルマの竪琴たてごと」などの映画えいがだい規模きぼなメディア・ミックスを展開てんかい記録きろくてき成果せいかげた[5]。88ねん春雄はるお急逝きゅうせい、これにともな信隆のぶたか一時いちじてき復帰ふっき。89ねん信隆のぶたか夫妻ふさい養子ようしむすめ婿むこ鹿内しかない宏明ひろあきが3代目だいめ議長ぎちょう就任しゅうにん。あわせてフジテレビ、産経新聞さんけいしんぶんしゃニッポン放送にっぽんほうそう代表だいひょう取締役とりしまりやく会長かいちょう就任しゅうにんした[6]。1990ねん平成へいせい2ねん)10がつ28にち信隆のぶたか死去しきょした。1992ねん平成へいせい4ねん)7がつ21にち、フジテレビ社長しゃちょう日枝ひえひさらの主導しゅどうにより、宏明ひろあき産経新聞さんけいしんぶんしゃ会長かいちょうしょく解任かいにんよく22にち、フジサンケイグループ議長ぎちょう、フジテレビ会長かいちょうニッポン放送にっぽんほうそう会長かいちょう辞任じにん以降いこうながらく、ニッポン放送にっぽんほうそう筆頭ひっとう株主かぶぬしとして鹿内しかない存在そんざいかん誇示こじしていたが、株式かぶしき公開こうかい徐々じょじょかぶ比率ひりつ低下ていかし、2005ねん平成へいせい17ねん)に宏明ひろあき夫妻ふさい保有ほゆうしていた250まんかぶちょうニッポン放送にっぽんほうそう株式かぶしき大和証券だいわしょうけんSMBC売却ばいきゃくし、鹿内しかないとグループの関係かんけいはなくなった。

フジサンケイグループのストラクチャー再編さいへん

編集へんしゅう

2005ねん1がつ17にち、フジテレビはフジサンケイグループの再編さいへん目的もくてきとして、同社どうしゃ発行済はっこうずみ株式かぶしき総数そうすうの22.51%を所有しょゆうする筆頭ひっとう株主かぶぬしであるニッポン放送にっぽんほうそうへの株式かぶしき公開こうかい買付かいつ(TOB)を発表はっぴょうした(証券しょうけん取引とりひきほうもとづく公開こうかい買付かいつけ届出とどけでしょ提出ていしゅつよく1がつ18にちづけ)。その最中さいちゅう堀江ほりえ貴文たかふみひきいるライブドア(げんLDH)およびライブドア・パートナーズ(LFホールディングスをてフジテレビに吸収きゅうしゅう合併がっぺい消滅しょうめつ)が、ToSTNeT-1使つかった市場いちばない時間じかんがい取引とりひきつうじて、ニッポン放送にっぽんほうそう株式かぶしきやく700おくえん大量たいりょう取得しゅとくした。ライブドアは、2がつ8にち記者きしゃ会見かいけんにてライブドア本体ほんたい保有ほゆうぶんわせてやく34.99%を確保かくほ同社どうしゃ筆頭ひっとう株主かぶぬしとなったむね発表はっぴょうした。

これをけたフジテレビはニッポン放送にっぽんほうそう子会社こがいしゃ事実じじつじょう断念だんねん、TOB取得しゅとく目標もくひょうすんで保有ほゆうぶんわせて「25%以上いじょう」にげ、取得しゅとく期間きかんを2がつ21にちから3がつ2にち延長えんちょうした(再度さいど3がつ7にち延長えんちょう)。ニッポン放送にっぽんほうそうはフジテレビへの新株しんかぶ予約よやくけん発行はっこう、ライブドアがわ東京とうきょう地方裁判所ちほうさいばんしょ発行はっこう仮処分かりしょぶん申請しんせい東京とうきょう地裁ちさい発行はっこう仮処分かりしょぶん決定けってい。ニッポン放送ほうそうがわ即日そくじつ東京とうきょう高裁こうさい保全ほぜん抗告こうこくするもみとめられず。最高裁さいこうさいへの特別とくべつ抗告こうこくおこなわず、司法しほう判断はんだん確定かくていした。

3月24にち北尾きたお吉孝よしたかひきいるソフトバンク・インベストメント(SBI、げんSBIホールディングス)がホワイトナイトとして登場とうじょう。SBIがニッポン放送にっぽんほうそう保有ほゆうするフジテレビ株式かぶしき13.88%を株式かぶしき消費しょうひ貸借たいしゃく(5年間ねんかん、2010ねん4がつ1にち)によりけた。

4がつ18にち、フジテレビ、ライブドア、ニッポン放送にっぽんほうそうさんしゃ和解わかい発表はっぴょう。フジテレビがライブドア子会社こがいしゃのライブドアパートナーズ(同日どうじつ株式会社かぶしきがいしゃLFホールディングス」に商号しょうごう変更へんこう)のぜん株式かぶしき取得しゅとく。フジテレビはライブドアの第三者だいさんしゃ割当わりあて増資ぞうし引受ひきうけ堀江ほりえ貴文たかふみだい2株主かぶぬしとなった。

5月23にちニッポン放送にっぽんほうそうがフジテレビの子会社こがいしゃとなり、事業じぎょう持株もちかぶ会社かいしゃであるフジテレビを頂点ちょうてんとするグループ体制たいせい完成かんせいした。9月1にち、フジテレビは株式かぶしき交換こうかんによりニッポン放送ほうそう完全かんぜん子会社こがいしゃ[7]翌年よくねん4がつ1にちきゅうニッポン放送にっぽんほうそう商号しょうごうを「株式会社かぶしきがいしゃニッポン放送にっぽんほうそうホールディングス」に変更へんこうし、フジテレビに吸収きゅうしゅう合併がっぺいされ消滅しょうめつ同時どうじ中波ちゅうはラジオ放送ほうそう事業じぎょう新設しんせつ会社かいしゃ株式会社かぶしきがいしゃニッポン放送にっぽんほうそう」に承継しょうけいした。

2008ねん平成へいせい20ねん)10がつ1にち、フジテレビジョンは商号しょうごうを「株式会社かぶしきがいしゃフジ・メディア・ホールディングス」(FMH)に変更へんこうし、日本にっぽんはつ認定にんてい放送ほうそう持株もちかぶ会社かいしゃとなった。新設しんせつ分割ぶんかつにより「株式会社かぶしきがいしゃフジテレビジョン」を設立せつりつし、現業げんぎょう部門ぶもんとテレビジョン放送ほうそう免許めんきょ承継しょうけいした。

おもなグループ企業きぎょう

編集へんしゅう

フジ・メディア・ホールディングス

編集へんしゅう
 
フジ・メディア・ホールディングスフジテレビジョンひとし入居にゅうきょするFCGビル

2008ねん10がつ、グループの中核ちゅうかく会社かいしゃであるフジテレビジョンが、認定にんてい放送ほうそう持株もちかぶ会社かいしゃフジ・メディア・ホールディングス(FMH)に移行いこう経営けいえい支配しはいじょう新設しんせつされたフジテレビジョンやニッポン放送にっぽんほうそうポニーキャニオンひとし子会社こがいしゃ統括とうかつするかたちとなったが、FMH自体じたいは、フジサンケイグループのなかでは単独たんどく区分くぶんとなっており、それ以外いがいのグループの区分くぶん従来じゅうらいのまま変更へんこうされていない。これは、グループ公式こうしきサイトじょう区分くぶん単純たんじゅん直近ちょっきん親会社おやがいしゃべつ区分くぶんされているためで、経営けいえい支配しはいじょうはFMHを頂点ちょうてんとする事業じぎょう構造こうぞうになっている(以下いか、FMHの主要しゅよう子会社こがいしゃ[ちゅう 1]太字ふとじ、カッコないはFMHない事業じぎょうセグメント区分くぶん)。

フジテレビグループ

編集へんしゅう

「フジテレビジョン」を中心ちゅうしんに、32の株式会社かぶしきがいしゃ外国がいこく法人ほうじん構成こうせいする。

  • 株式会社かぶしきがいしゃフジテレビジョン(メディア・コンテンツ事業じぎょう
  • 株式会社かぶしきがいしゃビーエスフジ(メディア・コンテンツ事業じぎょう
  • 株式会社かぶしきがいしゃ共同きょうどうテレビジョン(メディア・コンテンツ事業じぎょう
  • 株式会社かぶしきがいしゃフジクリエイティブコーポレーション(メディア・コンテンツ事業じぎょう
  • 株式会社かぶしきがいしゃNEXTEP(メディア・コンテンツ事業じぎょう
  • 株式会社かぶしきがいしゃフジアール(メディア・コンテンツ事業じぎょう
  • 株式会社かぶしきがいしゃフジ・メディア・テクノロジー(メディア・コンテンツ事業じぎょう) - 2023ねん10がつ東京とうきょうフイルム・メート吸収きゅうしゅう合併がっぺい
  • 放映ほうえいサービス株式会社かぶしきがいしゃ
  • 株式会社かぶしきがいしゃDINOS CORPORATION(メディア・コンテンツ事業じぎょう
  • 株式会社かぶしきがいしゃディノスコールセンター
  • イミニ免疫めんえきやく株式会社かぶしきがいしゃ
  • 株式会社かぶしきがいしゃKOMAINU
  • 富士ふじ哲多てつた媒体ばいたいまた份有げん公司こうし
  • 株式会社かぶしきがいしゃクオラス(メディア・コンテンツ事業じぎょう
  • 株式会社かぶしきがいしゃフジミック(その事業じぎょう
  • 株式会社かぶしきがいしゃ扶桑社ふそうしゃ(メディア・コンテンツ事業じぎょう) - 子会社こがいしゃそだておおとりしゃがある
  • 株式会社かぶしきがいしゃフジパシフィックミュージック(メディア・コンテンツ事業じぎょう
  • 株式会社かぶしきがいしゃフジランド
  • 株式会社かぶしきがいしゃフジキャリアデザイン(その事業じぎょう
  • 株式会社かぶしきがいしゃフジスマートワーク
  • 株式会社かぶしきがいしゃエフシージー総合そうごう研究所けんきゅうじょ(その(メディア・コンテンツ事業じぎょう事業じぎょう
  • 株式会社かぶしきがいしゃFuji Culture X(メディア・コンテンツ事業じぎょう
  • 株式会社かぶしきがいしゃサテライト・サービス
  • Fujisankei Communications International, Inc.(その事業じぎょう
  • Fuji Music Group, Inc.(メディア・コンテンツ事業じぎょう
  • 株式会社かぶしきがいしゃだいいち音響おんきょう(メディア・コンテンツ事業じぎょう
  • 株式会社かぶしきがいしゃバンエイト(メディア・コンテンツ事業じぎょう
  • 株式会社かぶしきがいしゃ共同きょうどうエディット(メディア・コンテンツ事業じぎょう
  • 株式会社かぶしきがいしゃベイシス(メディア・コンテンツ事業じぎょう
  • 株式会社かぶしきがいしゃバスク(メディア・コンテンツ事業じぎょう
  • 株式会社かぶしきがいしゃピクシス・テクノロジーズ - 2024ねん4がつにフジミック埼玉さいたまとフジミック新潟にいがた合併がっぺい発足ほっそく
  • 株式会社かぶしきがいしゃフジプラス

産経新聞さんけいしんぶんグループ

編集へんしゅう
 
産業経済新聞社さんぎょうけいざいしんぶんしゃひとし入居にゅうきょする東京とうきょうサンケイビル

産業経済新聞社さんぎょうけいざいしんぶんしゃ産経新聞さんけいしんぶんしゃ)」を中心ちゅうしんに、17の株式会社かぶしきがいしゃ構成こうせいする。ただし、産経新聞さんけいしんぶんしゃはフジ・メディア・ホールディングスの持分もちぶんほう適用てきよう会社かいしゃ間接かんせつ所有しょゆうふくめた出資しゅっし比率ひりつは45.4%)であり、同社どうしゃ以外いがいのグループ各社かくしゃ出資しゅっし比率ひりつ公表こうひょう対象たいしょうがいとなっている。

なお、産経新聞さんけいしんぶんグループにぞくする企業きぎょうとしてサンケイ総合そうごう印刷いんさつ[8][ちゅう 2]があり、従前じゅうぜんはフジサンケイグループにもぞくしていたが、2021ねん4がつ時点じてんではグループからははずれている。

ニッポン放送にっぽんほうそうグループ

編集へんしゅう
 
ニッポン放送にっぽんほうそう入居にゅうきょするとうぎょう会館かいかんニッポン放送にっぽんほうそうビル

ニッポン放送にっぽんほうそう」を中心ちゅうしんに、5の株式会社かぶしきがいしゃ構成こうせいする。

サンケイビルグループ

編集へんしゅう

「サンケイビル」を中心ちゅうしんに、9の株式会社かぶしきがいしゃ構成こうせいする。

  • 株式会社かぶしきがいしゃサンケイビル都市とし開発かいはつ観光かんこう事業じぎょう
  • 株式会社かぶしきがいしゃサンケイ会館かいかん都市とし開発かいはつ観光かんこう事業じぎょう
  • 株式会社かぶしきがいしゃサンケイビルテクノ(都市とし開発かいはつ観光かんこう事業じぎょう
  • 株式会社かぶしきがいしゃサンケイビルマネジメント(都市とし開発かいはつ観光かんこう事業じぎょう
  • 株式会社かぶしきがいしゃサンケイビルメンテナンスサービス
  • 株式会社かぶしきがいしゃブリーゼアーツ
  • 株式会社かぶしきがいしゃサンケイビルウェルケア
  • 株式会社かぶしきがいしゃグランビスタホテル&リゾート都市とし開発かいはつ観光かんこう事業じぎょう
  • 株式会社かぶしきがいしゃサンケイビル・アセットマネジメント都市とし開発かいはつ観光かんこう事業じぎょうサンケイリアルエステート投資とうし法人ほうじん運用うんよう

ポニーキャニオングループ

編集へんしゅう
 
ポニーキャニオンが本社ほんしゃいずみガーデンANNEX

「ポニーキャニオン」を中心ちゅうしんに、8の株式会社かぶしきがいしゃ外国がいこく法人ほうじん構成こうせいする。

  • 株式会社かぶしきがいしゃポニーキャニオン(メディア・コンテンツ事業じぎょう
  • 株式会社かぶしきがいしゃポニーキャニオンアーティスツ(メディア・コンテンツ事業じぎょう
  • 株式会社かぶしきがいしゃポニーキャニオン音楽おんがく出版しゅっぱん
  • エグジット音楽おんがく出版しゅっぱん株式会社かぶしきがいしゃ(メディア・コンテンツ事業じぎょう
  • 株式会社かぶしきがいしゃPCI MUSIC
  • 株式会社かぶしきがいしゃStyrism
  • 株式会社かぶしきがいしゃドリームスタジオ
  • なみ麗佳れいかおと娛樂ごらくまた份有げん公司こうし

公益こうえき法人ほうじんグループ

編集へんしゅう

3の財団ざいだん法人ほうじん、1の社会しゃかい福祉ふくし法人ほうじんならびにこれに関連かんれんする1の株式会社かぶしきがいしゃ構成こうせいする。

文化放送ぶんかほうそうグループ

編集へんしゅう
 
文化放送ぶんかほうそう入居にゅうきょする文化放送ぶんかほうそうメディアプラス

フジテレビの設立せつりつニッポン放送にっぽんほうそう文化放送ぶんかほうそう持株もちかぶ比率ひりつ対等たいとうのはずだったが、鹿内しかない信隆のぶたかひそかに文化放送ぶんかほうそうぶんから金融きんゆう機関きかんかぶてた[9]。このため実際じっさいニッポン放送にっぽんほうそう筆頭ひっとう株主かぶぬしで40%、文化放送ぶんかほうそうが36.7%と、この2しゃだい部分ぶぶんめた[9]会長かいちょうニッポン放送にっぽんほうそう社長しゃちょう経団連けいだんれんふく会長かいちょう植村うえむらかぶとうまろう社長しゃちょう文化放送ぶんかほうそう社長しゃちょう水野みずの成夫しげお、ナンバー2の代表だいひょう取締役とりしまりやく専務せんむニッポン放送にっぽんほうそう専務せんむ鹿内しかない信隆のぶたか就任しゅうにんしたが、実務じつむ鹿内しかない掌握しょうあくし、開局かいきょくから5ねんの64ねん社長しゃちょう[9]親会社おやがいしゃのニッポン放送ほうそうでは開局かいきょくから、代表だいひょう取締役とりしまりやく専務せんむ社長しゃちょうとして実権じっけんをふるった[9]

1968ねん昭和しょうわ43ねん)、水野みずのやまいたおれて再起さいき不能ふのうになった。そのころから文化ぶんか放送ほうそうでは旺文社おうぶんしゃ赤尾あかお好夫よしお実権じっけん把握はあく目指めざすようになり、文化放送ぶんかほうそうかぶひそかにあつ筆頭ひっとう株主かぶぬしになっている。ただし、過半数かはんすうにはとどかず、社長しゃちょうには講談社こうだんしゃ出身しゅっしん友田ともだしんいた[9]友田ともだは、フジテレビ創立そうりつには文化放送ぶんかほうそうから参画さんかく常務じょうむ営業えいぎょう局長きょくちょうになったが、水野みずのたおれたのち文化放送ぶんかほうそうもどってラジオきょく経営けいえい専念せんねんしていた[9]友田ともだ鹿内しかないとは元々もともと早大そうだい学友がくゆうグループの1人ひとりだったが、反旗はんきひるがえし、73ねん11月、フジテレビの代表だいひょう取締役とりしまりやくのポストを要求ようきゅう獲得かくとくする(文化放送ぶんかほうそうとの兼務けんむ[10]鹿内しかないがフジテレビの支配しはいけん確立かくりつするためには友田ともだ放逐ほうちくする必要ひつようがあった[11]。それには出身しゅっしん母体ぼたい文化ぶんか放送ほうそう失脚しっきゃくさせればよく、赤尾あかおとの連携れんけいみちさぐる。文化ぶんか放送ほうそう赤尾あかお支配しはいする会社かいしゃにすることで、友田ともだ排斥はいせきさせるという筋書すじがきだ[11]

鹿内しかないは、五島ごしまのぼる東急とうきゅう野村證券のむらしょうけんから20%ちか文化ぶんか放送ほうそうかぶりまとめ、赤尾あかお提供ていきょうした[11]。その結果けっか旺文社おうぶんしゃ保有ほゆうする文化放送ぶんかほうそうかぶは、そのしにともなってじつに57%にたっした[11]鹿内しかない赤尾あかお念書ねんしょわし、以後いご文化放送ぶんかほうそうからフジテレビに代表だいひょう取締役とりしまりやくさないことをやくし、それぞれけることになった[11]。これによって、赤尾あかお文化放送ぶんかほうそう資本しほん経営けいえい支配しはい[11]テレビ朝日てれびあさひでは2わりかぶ会長かいちょうしょく、フジテレビでは4わりじゃくかぶ事実じじつじょう手中しゅちゅうにした。他方たほう鹿内しかない資本しほんについてはニッポン放送にっぽんほうそうかぶすこしづつやしたとはいえ、最大さいだいで18%ほどにぎなかったが、ニッポン放送にっぽんほうそう子会社こがいしゃ・フジテレビの経営けいえいけん完全かんぜん掌握しょうあくした[11]1977ねん昭和しょうわ52ねん)、友田ともだはフジテレビ代表だいひょう取締役とりしまりやくわれ、その2ねんには文化放送ぶんかほうそう社長しゃちょう退任たいにん余儀よぎなくされた[11]

文化放送ぶんかほうそう一応いちおう、フジサンケイグループにぞくしているが形式けいしきぎない[12]。グループは文化放送ぶんかほうそう中心ちゅうしんに、4つの株式会社かぶしきがいしゃから構成こうせいされる。グループには、このほかにも他社たしゃ合弁ごうべん関連かんれん会社かいしゃが2しゃあるが、これらの会社かいしゃはフジサンケイグループにはふくまれない。

  • 株式会社かぶしきがいしゃ文化放送ぶんかほうそう
  • 株式会社かぶしきがいしゃセントラルミュージック
  • 株式会社かぶしきがいしゃ文化ぶんか放送ほうそう開発かいはつセンター
  • 株式会社かぶしきがいしゃ文化放送ぶんかほうそうメディアブリッジ

健康けんこう保険ほけん組合くみあい

編集へんしゅう

フジサンケイグループの健康けんこう保険ほけん組合くみあいは、「中央ちゅうおうラジオ・テレビ健康けんこう保険ほけん組合くみあい[ちゅう 3]」(フジ・メディア・ホールディングス、フジテレビグループ、ニッポン放送にっぽんほうそうグループ、リビング新聞しんぶんグループ、ポニーキャニオングループ、文化放送ぶんかほうそうグループのかく企業きぎょうとグループがい東京とうきょうタワー構成こうせい)と、「産経さんけい健康けんこう保険ほけん組合くみあい」(産経新聞さんけいしんぶんグループ、サンケイビルグループのかく企業きぎょう構成こうせい)の2つがある。

表彰ひょうしょう関係かんけい

編集へんしゅう

スポーツ・イベント関係かんけい

編集へんしゅう
三井物産みついぶっさんとともに少年しょうねん硬式こうしき野球やきゅう普及ふきゅうつとめている
1962ねん8月(当時とうじは「国鉄こくてつスワローズ」)より、フジサンケイグループが資金しきん援助えんじょおこない、1965ねん5月から1968ねんは「サンケイスワローズ(1965ねんのみ)→サンケイアトムズ(1966-68ねん)」として筆頭ひっとうスポンサー。そのヤクルト本社ほんしゃ経営けいえいけん譲渡じょうとするも、「アトムズ(1969ねんのみ)→ヤクルトアトムズ(1970-73ねん)→ヤクルトスワローズ(1974ねん-2005ねん)→東京とうきょうヤクルトスワローズ(2006ねん-)」の経営けいえい側面そくめん支援しえんしている。

フジサンケイグループとプロ野球やきゅう

編集へんしゅう

1963ねん産経新聞さんけいしんぶんしゃおよびフジテレビは国鉄こくてつスワローズ出資しゅっしし、国鉄こくてつ本社ほんしゃわって事実じじつじょう経営けいえい肩代かたがわりをおこなった。両社りょうしゃ文化放送ぶんかほうそう・ニッポン放送ほうそうくわえた4しゃ明治めいじ神宮じんぐうおよ学生がくせい野球やきゅう関係かんけいしゃはたらきかけ、神宮じんぐうだい球場きゅうじょう整備せいびおこな見返みかえりに、神宮球場じんぐうきゅうじょう国鉄こくてつ球団きゅうだんによる使用しようみとめさせることで、1964ねん国鉄こくてつスワローズの本拠地ほんきょち読売よみうりジャイアンツとの併用へいよう関係かんけい日本にほんテレビ中継ちゅうけいけん独占どくせんする後楽園こうらくえん球場きゅうじょうから神宮球場じんぐうきゅうじょううつり、フジテレビによる試合しあい中継ちゅうけい本格ほんかくてき可能かのうとなった[ちゅう 4]

1965ねん5がつ10日とおか産経新聞さんけいしんぶんしゃ国鉄こくてつ球団きゅうだん正式せいしき買収ばいしゅうし、シーズン途中とちゅうから球団きゅうだん名称めいしょうサンケイスワローズ変更へんこうし、フジサンケイグループによるプロ野球やきゅう球団きゅうだん誕生たんじょうした。よく1966ねん当時とうじ産経新聞さんけいしんぶん連載れんさいし、かつフジテレビでテレビアニメ放送ほうそうしていた漫画まんが鉄腕てつわんアトム」にならって、サンケイアトムズ改称かいしょうした。しかし、肝心かんじん成績せいせき低迷ていめい球団きゅうだん経営けいえい悪化あっか水野みずの成夫しげおのちけた鹿内しかない信隆のぶたかはグループ事業じぎょう見直みなおしを推進すいしんし、1969ねん水野みずの旧知きゅうち関係かんけいにあったみなみ喜一きいち経営けいえいするヤクルト本社ほんしゃ球団きゅうだん事実じじつじょう譲渡じょうとし、球団きゅうだんめい名目めいもくじょう産経新聞さんけいしんぶんしゃとヤクルトの共同きょうどう経営けいえいとした1969ねんかぎ暫定ざんていてきにニックネームの「アトムズ」だけで1ねんとおしたが(ユニフォームのホームようそでロゴとビジターようむねロゴは先行せんこうして『Yakult標記ひょうき変更へんこう)、そのヤクルトアトムズ(グッズ製作せいさくから鉄腕てつわんアトム著作ちょさくけん問題もんだいむしプロダクション経営けいえい危機きき影響えいきょうで、1974ねんに「ヤクルトスワローズ」に改称かいしょうし、2006ねんに「東京とうきょうヤクルトスワローズ」にさい改称かいしょう)にわった。ただし、以降いこうもフジテレビ・ニッポン放送にっぽんほうそう文化放送ぶんかほうそうとの優先ゆうせん中継ちゅうけいけんのこり、関係かんけい継続けいぞくされた。1998ねん、フジテレビがヤクルト球団きゅうだん株式かぶしきやく20%を第三者だいさんしゃ割当わりあてにより取得しゅとくし、業務ぎょうむ提携ていけいおこなった。

国土こくど計画けいかく(コクド)のつつみ義明よしあきは、横浜よこはまスタジアム建設けんせつおよび大洋たいようホエールズのち横浜よこはま大洋たいようホエールズ→横浜よこはまベイスターズ→げん横浜よこはまDeNAベイスターズ)の横浜よこはま移転いてんからんだことで、大洋たいよう球団きゅうだん第三者だいさんしゃ割当わりあておうじて株式かぶしきやく45%を取得しゅとくしたが、1978ねんにコクドが福岡ふくおかのクラウンライターライオンズを買収ばいしゅうし、西武せいぶライオンズ発足ほっそくさせた。野球やきゅう協約きょうやくではどういち企業きぎょう、あるいはその関連かんれん会社かいしゃ複数ふくすう球団きゅうだん経営けいえいすることきんじており、コクドは大洋たいよう球団きゅうだんかぶ放出ほうしゅつせざるをなくなり、ニッポン放送にっぽんほうそうやく30%、東京とうきょう放送ほうそう(TBS、げんTBSホールディングス)がやく15%をそれぞれけることになった。

大洋たいよう1960ねん以来いらい東京とうきょう放送ほうそう(TBS)とふか関係かんけいにあったが、1975ねんにテレビの優先ゆうせん中継ちゅうけいけん日本にっぽん教育きょういくテレビ(げんテレビ朝日てれびあさひうつり、東京放送とうきょうほうそう・フジテレビは日本にっぽん教育きょういくテレビ→テレビ朝日てれびあさひから放送ほうそうけん購入こうにゅうするかたちとなり、元々もともとたい巨人きょじんせん中心ちゅうしん散発さんぱつてきだった日本にほんテレビ大洋たいよう主催しゅさい試合しあい中継ちゅうけいから撤退てったいした。さらに1978ねんラジオの巨人きょじん主催しゅさい試合しあい中継ちゅうけいけんから読売新聞社よみうりしんぶんしゃラジオ日本にっぽん在京ざいきょう3きょくとの係争けいそう関係かんけいで、TBSラジオけして読売よみうり陣営じんえい鞍替くらがえしたため、報復ほうふく処置しょちとして、ニッポン放送ほうそう文化放送ぶんかほうそうおよNRNふくむ)が大洋たいようのラジオ独占どくせん中継ちゅうけいけん獲得かくとくした1979ねん以降いこう大洋たいようニッポン放送にっぽんほうそうよく1980ねんからはその関連かんれん会社かいしゃであるフジテレビとの関係かんけいふかまった。ただし、東京放送とうきょうほうそう大洋たいよう球団きゅうだんかぶ保有ほゆうした関係かんけいじょうTBSテレビ大洋たいよう主催しゅさい試合しあい放送ほうそうけん保有ほゆうみず日曜日にちようび優先ゆうせんてき中継ちゅうけい継続けいぞくした。その一方いっぽうで1975ねんからテレビでの優先ゆうせん中継ちゅうけいけんっていたテレビ朝日てれびあさひは、1979ねん以降いこう段階だんかいてき中継ちゅうけい縮小しゅくしょう撤退てったいした(日本にっぽん野球やきゅう機構きこう主催しゅさい開催かいさいされるオールスターゲームをのぞく)。

こうして、フジテレビがヤクルト球団きゅうだんに20%、ニッポン放送にっぽんほうそう大洋たいよう球団きゅうだんから名称めいしょう変更へんこうした横浜よこはまベイスターズに30.77%、それぞれ出資しゅっししていた。

2001ねんシーズンオフ、横浜よこはま球団きゅうだん株式かぶしき53.85%(70まんかぶ)を保有ほゆうしていたオーナー企業きぎょうマルハげんマルハニチロきゅう大洋たいよう漁業ぎょぎょう)が、球団きゅうだん株式かぶしきニッポン放送にっぽんほうそう譲渡じょうとすることとなりいち合意ごういしたが、コクド(西武せいぶ球団きゅうだん)の事例じれい同様どうよう巨人きょじん渡邉わたなべ恒雄つねおオーナーが野球やきゅう協約きょうやく違反いはんとして異議いぎとなえた。わって、球団きゅうだんだい3株主かぶぬしであったTBSが47まんかぶ、TBSの持分もちぶんほう適用てきよう関連かんれん会社かいしゃBS-iげん・BS-TBS)が23まんかぶ(17.69%)をけることとなった。この結果けっか、TBSが従来じゅうらいから保有ほゆうしていた20まんかぶ(15.38%)をわせて51.54%の筆頭ひっとう株主かぶぬし(TBSグループとして69.23%)となり、オーナー企業きぎょうとなった。このとき横浜よこはま主催しゅさい試合しあいのラジオでのニッポン放送にっぽんほうそう文化放送ぶんかほうそうふくうらない解消かいしょうされ、1999ねんにTBSラジオに、1995ねんにRFラジオ日本にっぽん条件じょうけんきで開放かいほうされていたりょうきょく放送ほうそうけん全面ぜんめん回復かいふくした。

2006ねん4がつには、フジテレビがニッポン放送にっぽんほうそう資産しさん吸収きゅうしゅうすることで、フジテレビがヤクルト球団きゅうだん横浜よこはま球団きゅうだん株式かぶしき保有ほゆうし(横浜よこはまニッポン放送にっぽんほうそう名義めいぎ)、野球やきゅう協約きょうやく完全かんぜん抵触ていしょくすることになった。2011ねん12月2にちにTBSホールディングスは球団きゅうだん持株もちかぶの49.69%を、BS-TBSは球団きゅうだん持株もちかぶぜんかぶをそれぞれディー・エヌ・エー(DeNA)に譲渡じょうとして横浜よこはまDeNAベイスターズが誕生たんじょうしたが、ニッポン放送にっぽんほうそう依然いぜんとしてどう球団きゅうだんだい2株主かぶぬしとなっていた。しかし、2013ねん3がつのDeNAの有価ゆうか証券しょうけん報告ほうこくしょによると同社どうしゃ球団きゅうだん保有ほゆうかぶは97.7%となっているため、この時点じてんまでにフジHDは保有ほゆう株式かぶしきをすべてDeNAに譲渡じょうとしており、野球やきゅう協約きょうやくたいする抵触ていしょく問題もんだい解消かいしょうしている。

  • 時代じだいこわせ! 次代じだいつくれ! フジサンケイグループ(2005ねん
  • える熱意ねつい つく未来みらい フジサンケイグループ(2008ねん
  • 時代じだいかん次代じだいをつくる フジサンケイグループ(2009ねん
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  • 混迷こんめいする 社会しゃかい指針ししん フジサンケイグループ(2011ねん
  • しん日本にっぽん創造そうぞう宣言せんげん! フジサンケイグループ(2012ねん
  • きょうそうりょくでつくる 日本にっぽん未来みらい フジサンケイグループ(2013ねん
  • メディアよ! メディアをつくれ! フジサンケイグループ(2016ねん
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放送ほうそう事業じぎょうしゃ

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フジサンケイグループにぞくする放送ほうそう事業じぎょうしゃは、フジテレビ、ニッポン放送にっぽんほうそう、BSフジ、大阪おおさか放送ほうそう(ラジオ大阪おおさか)、文化放送ぶんかほうそうくわえ、FMH連結れんけつ子会社こがいしゃ衛星えいせい基幹きかん放送ほうそう事業じぎょうしゃであるサテライト・サービスがある。このうち、フジテレビはFNNFNSのキーきょくニッポン放送にっぽんほうそう文化放送ぶんかほうそうNRNのキーきょくであり、ラジオ大阪おおさかはNRNに加盟かめいする。

FNN、FNSおよびNRNに加盟かめいするほか放送ほうそう事業じぎょうしゃ(ネットきょく)は、フジサンケイグループにぞくしていない。FNN、FNSのじゅんキーきょくである関西かんさいテレビ放送ほうそう関西かんさいテレビ)はFMHと阪急はんきゅう阪神はんしんホールディングス阪急電鉄はんきゅうでんてつ阪神電気鉄道はんしんでんきてつどうのグループ持株もちかぶ会社かいしゃ両社りょうしゃ持分もちぶんほう適用てきよう関連かんれん会社かいしゃであり、阪急はんきゅう阪神はんしんホールディングス、エイチ・ツー・オー リテイリング阪急百貨店はんきゅうひゃっかてん阪神百貨店はんしんひゃっかてん)、東宝とうほうの3しゃ中核ちゅうかくとする「阪急はんきゅう阪神はんしん東宝とうほうグループ」にぞくしている。また、ネットきょくである仙台せんだい放送ほうそうは、2016ねん12月にFMHの連結れんけつ子会社こがいしゃとなったが、フジサンケイグループにはぞくしていない。

なお、FNN、FNS加盟かめい各局かくきょくとFMHとは資本しほんっており、また役員やくいんクラスの人事じんじ交流こうりゅうがある。とりわけ東海テレビ放送とうかいてれびほうそう関西かんさいテレビ、テレビ西日本てれびにしにほん基幹きかん3きょく代表だいひょうしゃは、フジテレビジョンの非常勤ひじょうきん取締役とりしまりやく兼務けんむする(以前いぜんはFMHの非常勤ひじょうきん取締役とりしまりやく兼任けんにんしていた)。

NRN加盟かめいきょくでは、ラジオ沖縄おきなわ熊本放送くまもとほうそうJRNとのクロスネット)のだい株主かぶぬしとして、文化放送ぶんかほうそうニッポン放送にっぽんほうそうの2しゃつらねているが、あくまでも大口おおぐち出資しゅっししゃいちしゃにすぎない。

リビング新聞しんぶんしゃグループ

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かつてサンケイリビング新聞社さんけいりびんぐしんぶんしゃ中心ちゅうしんとする9しゃ構成こうせいされる「リビング新聞しんぶんしゃグループ」が存在そんざいしたが、2018ねん平成へいせい30ねん)3がつRIZAPグループによるサンケイリビング新聞社さんけいりびんぐしんぶんしゃ子会社こがいしゃ[13]ともないフジサンケイグループを離脱りだつたまマークの使用しようりやめた。以降いこうサンケイリビング新聞社さんけいりびんぐしんぶんしゃ株式かぶしき20%をFMHが継続けいぞく保有ほゆうしており、フジサンケイグループ各社かくしゃとの提携ていけい友好ゆうこう関係かんけい維持いじしている。また「サンケイ」をふく商号しょうごうとフジサンケイグループ統一とういつ書体しょたいによるロゴタイプを継続けいぞく使用しようしている。

フジサンケイグループおよびリビング新聞しんぶんしゃグループにぞくしていなかった「○○リビング新聞しんぶんしゃ」としょうする地域ちいき会社かいしゃ存在そんざいしたが、これらはサンケイリビング新聞社さんけいりびんぐしんぶんしゃをはじめとするフジサンケイグループ各社かくしゃとの資本しほん関係かんけい希薄きはくないし存在そんざいしないフランチャイズ会社かいしゃである。

産経さんけい学園がくえん

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産経新聞さんけいしんぶん社長しゃちょうつとめたはやしま喜一きいちが、戦前せんぜん婦人ふじんのための教養きょうようクラブとして発足ほっそくした「東京とうきょう婦人ふじん会館かいかん」を継承けいしょうして、東京とうきょう大手町おおてまち東京とうきょうサンケイビル東京とうきょう産経さんけい会館かいかん)に開講かいこうした日本にっぽんはつカルチャースクールカルチュア・コンビニエンス・クラブ連結れんけつ子会社こがいしゃて、全国ぜんこくでカルチャースクールを展開てんかいするカルチャーの傘下さんかにある。

脚注きゃくちゅう

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注釈ちゅうしゃく

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  1. ^ 仙台せんだい放送ほうそう筆頭ひっとうに、フジ・メディア・ホールディングスの一部いちぶグループ企業きぎょうはフジサンケイグループにぞくしていない。
  2. ^ 同名どうめい企業きぎょう大阪おおさか東京とうきょうの2しゃあったが、大阪おおさかがわが2021ねん3がつ東京とうきょうがわ従業じゅうぎょういん事業じぎょう譲渡じょうとけたのち東京とうきょうがわ会社かいしゃ清算せいさんし2022ねん5がつ法人ほうじんかく消滅しょうめつしている。
  3. ^ フジテレビの開局かいきょくまえ仮称かしょうが「中央ちゅうおうテレビジョン」だった名残なごりを、健康けんこう保険ほけん組合くみあい名称めいしょうめている。
  4. ^ それ以前いぜん後楽園こうらくえん以外いがい球場きゅうじょう川崎球場かわさききゅうじょう東京とうきょうスタジアムなど)で開催かいさいされた主催しゅさいゲームをNETテレビなどとともに散発さんぱつてき中継ちゅうけいした程度ていどだった。

出典しゅってん

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  1. ^ フジサンケイグループとは|FUJISANKEI COMMUNICATIONS GROUP
  2. ^ 中川なかがわ一徳かずのり『メディアの支配しはいしゃ講談社こうだんしゃ 
  3. ^ 株式会社かぶしきがいしゃサンケイビル『株式会社かぶしきがいしゃサンケイビル 70周年しゅうねん記念きねん株式会社かぶしきがいしゃサンケイビル。 
  4. ^ さかいせいろう『テレビショッピング事始ことはじめ』扶桑社ふそうしゃ、2008ねん2がつ25にち、55-114ぺーじ 
  5. ^ 高山こうざん 1993, p. 216.
  6. ^ 高山こうざん 1993, p. 211 - 212.
  7. ^ 株式会社かぶしきがいしゃフジテレビジョン、株式会社かぶしきがいしゃニッポン放送にっぽんほうそう株式かぶしき交換こうかん契約けいやく締結ていけつかんするおらせ”. 株式会社かぶしきがいしゃフジ・メディア・ホールディングス. 2023ねん7がつ14にち閲覧えつらん
  8. ^ 産経新聞さんけいしんぶんグループ – 産経新聞さんけいしんぶんしゃ
  9. ^ a b c d e f 中川なかがわ 2019, p. 149.
  10. ^ 中川なかがわ 2019, p. 149 - 150.
  11. ^ a b c d e f g h 中川なかがわ 2019, p. 150.
  12. ^ 中川なかがわ 2019, p. 151.
  13. ^ RIZAP、サンケイリビング新聞社さんけいりびんぐしんぶんしゃ買収ばいしゅう”. 日本経済新聞にほんけいざいしんぶん (2018ねん3がつ29にち). 2023ねん6がつ11にち閲覧えつらん

関連かんれん項目こうもく

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参考さんこう文献ぶんけん

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  • 中川なかがわ一徳かずのり『メディアの支配しはいしゃうえ講談社こうだんしゃ、2005ねん7がつ1にちISBN 978-4062124522 
  • 中川なかがわ一徳かずのり『メディアの支配しはいしゃした講談社こうだんしゃ、2005ねん7がつ1にちISBN 978-4062130035 
  • 中川なかがわ一徳かずのりじゅうらせん 欲望よくぼう喧噪けんそうのメディア』講談社こうだんしゃ、2019ねん12月。ISBN 978-4065180877 

外部がいぶリンク

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