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世俗主義 - Wikipedia

世俗せぞく主義しゅぎ(せぞくしゅぎ、ふつ: laïcité)とは、ラテン語らてんごで「現世げんせいてき」「世俗せぞくてき」を意味いみするサエクラリス: saecularis)に由来ゆらいするかたり、および概念がいねんである。ぞくけん主義しゅぎ(ぞくけんしゅぎ)ともばれる[1]

概説がいせつ

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世俗せぞく主義しゅぎしょうされるものは、以下いかの3原則げんそく中心ちゅうしんとしている。

国家こっか政権せいけんおよび政策せいさくまたは政府せいふ機関きかんが、特定とくてい宗教しゅうきょう権威けんいおよび権力けんりょく教権きょうけん)に支配しはい干渉かんしょうされず、それらから独立どくりつした世俗せぞく権力けんりょくぞくけん)とその原則げんそくによって支配しはいされていなければならないという主張しゅちょう立場たちば。あるいは宗教しゅうきょう特権とっけんてき地位ちい財政ざいせいじょう優遇ゆうぐうあたえないこと。
対義語たいぎご聖職せいしょくしゃ主義しゅぎ教権きょうけん主義しゅぎふつ: cléricalisme)。
個人こじん宗教しゅうきょうてき規則きそく宗教しゅうきょう教育きょういくから自由じゆうでいる権利けんり支配しはいしゃによる宗教しゅうきょう強制きょうせいからの自由じゆう
  • 宗教しゅうきょう差別さべつ禁止きんし(No discrimination on the basis of religion)
ひと行動こうどう決断けつだんが(宗教しゅうきょう影響えいきょうけていない)事実じじつ証拠しょうこもとづいてなされるべきだという主張しゅちょう宗教しゅうきょう差別さべつ英語えいごばん禁止きんし

世俗せぞく主義しゅぎマルクス・アウレリウスエピクロスのような古代こだいギリシャ=ローマ哲学てつがくしゃにルーツをち、ドゥニ・ディドロヴォルテールトマス・ジェファーソントマス・ペインのような啓蒙けいもう思想家しそうか、そしてバートランド・ラッセルロバート・インガーソルアルバート・アインシュタインサム・ハリスのような現代げんだい自由じゆう思想家しそうか不可知論ふかちろんしゃかみろんしゃによって描写びょうしゃされている。

世俗せぞく主義しゅぎ支持しじする目的もくてき多様たようである。ヨーロッパでの世俗せぞく主義しゅぎは、宗教しゅうきょうてき伝統でんとう価値かちかんからはなれ、社会しゃかい近代きんだいへとかう運動うんどう一部いちぶであった。このたね社会しゃかいてき哲学てつがくてき世俗せぞく主義しゅぎは、国家こっか公式こうしき国教こっきょうへの支援しえんつづけているあいだきた。アメリカ合衆国あめりかがっしゅうこくでは、社会しゃかいレベルでの世俗せぞく主義しゅぎ一般いっぱんてきではなく、それよりもむしろ宗教しゅうきょう国家こっか干渉かんしょうからまもるために国家こっか世俗せぞく主義しゅぎ推進すいしんされたと主張しゅちょうされている。世俗せぞく主義しゅぎ支持しじする理由りゆうは、ひとつのくになかでも立場たちばによってことなる。

中近東ちゅうきんとうでは、ひろしアラブ主義しゅぎシリアナーセル時代じだいエジプトサッダーム・フセインまでのイラク)は世俗せぞく主義しゅぎなされる。また、トルコは、イスラム主義しゅぎけいAKP政権せいけん与党よとうであるが、トルコ共和きょうわこく憲法けんぽう世俗せぞく主義しゅぎ明記めいきされている。

概要がいよう

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世俗せぞく主義しゅぎというかたりイギリス作家さっかジョージ・ホリオークによって1846ねん最初さいしょ使つかわれた。しかしこの概念がいねん歴史れきしとおして存在そんざいし、自由じゆう思想しそう基盤きばんつくった。とく宗教しゅうきょう哲学てつがく分離ぶんり概念がいねんふく初期しょき世俗せぞく主義しゅぎイブン=ルシュドかれのアウェロス主義しゅぎ学派がくはまでさかのぼる。ホリオークは社会しゃかい秩序ちつじょ宗教しゅうきょうからの分離ぶんりという視点してんあらわすために世俗せぞく主義しゅぎかたりつくった。ホリオークは不可知論ふかちろんしゃとして、「世俗せぞく主義しゅぎキリスト教きりすときょうからの独立どくりつであって、それへの反対はんたいではない」とべた。

世俗せぞくてき知識ちしきとは明白めいはく現実げんじつ世界せかいもとづく知識ちしきで、現実げんじつ生活せいかつ指針ししんとなり、現実げんじつ幸福こうふくすためのものである。そしてそれは現実げんじつ世界せかい経験けいけんもとづいて検証けんしょうすることができる。「社会しゃかい文化ぶんか世俗せぞく主義しゅぎ研究けんきゅう財団ざいだん」のバリー・コスミンは実際じっさい世俗せぞく主義しゅぎをハードなものとソフトなものに区別くべつする。コスミンによれば、ハードな世俗せぞく主義しゅぎ宗教しゅうきょう理性りせいてきにも経験けいけんてきにも正当せいとうできず認識にんしきろんてきあやまりだとなす。ソフトな世俗せぞく主義しゅぎ絶対ぜったい真実しんじつたっすることは不可能ふかのうであり、したがって科学かがく宗教しゅうきょう議論ぎろんにとって懐疑かいぎ主義しゅぎ寛容かんようさはそれらよりも優越ゆうえつした価値かちたなければならないと主張しゅちょうする。

もっと顕著けんちょかたち世俗せぞく主義しゅぎは、宗教しゅうきょうかんし「迷信めいしんドグマ(教義きょうぎ強調きょうちょうし、理性りせい科学かがくてき探求たんきゅう軽視けいしし、人類じんるい進歩しんぽ阻害そがいするもの」と批判ひはんする。

国家こっか世俗せぞく主義しゅぎ

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政治せいじてきには世俗せぞく主義しゅぎとは、通常つうじょう政策せいさく宗教しゅうきょうからの独立どくりつ、いわゆる政教せいきょう分離ぶんり原則げんそくす。これは政府せいふ国教こっきょうむすびつきを分解ぶんかいし、教典きょうてんもとづく法律ほうりつ市民しみんほうえ、宗教しゅうきょうもとづく差別さべつ社会しゃかいからのぞくことである。宗教しゅうきょうてきマイノリティの権利けんりまもることは民主みんしゅ主義しゅぎ促進そくしんつながるとかんがえられている。

ヨーロッパでは世俗せぞく主義しゅぎ啓蒙けいもう主義しゅぎ時代じだいおおきな役割やくわりたした。アメリカ合衆国あめりかがっしゅうこくの「教会きょうかい国家こっか分離ぶんり原則げんそく」やフランスにおけるライシテ世俗せぞく主義しゅぎむすびついている。

世俗せぞく国家こっか中世ちゅうせい後期こうきイスラム世界せかいにも存在そんざいした。世俗せぞく主義しゅぎしゃ政策せいさく決定けっていしゃ宗教しゅうきょうてき理由りゆうよりも宗教しゅうきょうてき理由りゆう政策せいさく決定けっていすることをこのむ。このてんで、たとえばアメリカのセンター・フォー・インクワイリーのような世俗せぞく主義しゅぎ団体だんたいは、人工じんこう妊娠にんしん中絶ちゅうぜつ同性どうせいこん性教育せいきょういくES細胞さいぼう研究けんきゅうのような政策せいさく決定けってい関心かんしんせる。

ほとんどの主要しゅよう宗教しゅうきょうは、民主みんしゅ主義しゅぎ社会しゃかい世俗せぞく主義しゅぎ優越ゆうえつせいれているが、それでも(たとえばコンコルダートロビー活動かつどう宗教しゅうきょう教育きょういくなどをとおして)政策せいさくへの影響えいきょうりょく維持いじしようとつとめたり、なんらかの(たとえば財政ざいせいてき特権とっけん維持いじしようとこころみている。ほとんどのアメリカのキリスト教徒きりすときょうと国家こっか世俗せぞく主義しゅぎ支持しじしており、またその概念がいねん聖書せいしょおしえ(たとえば「カエサルのものはカエサルに、かみものかみあたえよ」)に合致がっちするとみとめることができる。

しかし一部いちぶキリスト教きりすときょう原理げんり主義しゅぎしゃは、とくにアメリカでは、世俗せぞく主義しゅぎ反対はんたいする。かれらはしばしば今日きょう採用さいようされているのはラディカルな世俗せぞく主義しゅぎイデオロギーであり、「キリスト教徒きりすときょうと権利けんり」と国家こっか安全あんぜんたいする脅威きょういだとなしている。

現代げんだいもっと深刻しんこく宗教しゅうきょう原理げんり主義しゅぎは、キリストきょう原理げんり主義しゅぎイスラム原理げんり主義しゅぎである。同時どうじ世俗せぞく主義しゅぎ重要じゅうよう潮流ちょうりゅう一部いちぶは、権利けんり平等びょうどう重要じゅうようであるとなす宗教しゅうきょうてきマイノリティに由来ゆらいした。フランス、インド韓国かんこくトルコ、アメリカなどは、憲法けんぽう国教こっきょう廃止はいし世俗せぞく主義しゅぎであることが明記めいきされている「憲法けんぽう世俗せぞく主義しゅぎ」である。

世俗せぞく社会しゃかい

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宗教しゅうきょうがくにおいて、現代げんだい西洋せいよう社会しゃかい世俗せぞくてきであると一般いっぱんみとめられている。これはおおむね完全かんぜん宗教しゅうきょう自由じゆうと、宗教しゅうきょう究極きゅうきょくてきには政策せいさく決定けってい指示しじしないという一般いっぱんてき確信かくしんによる。それでも、宗教しゅうきょうてき伝統でんとうもとづく道徳どうとくかん各国かっこく重要じゅうようなままである。たとえば世俗せぞく社会しゃかい本質ほんしつ描写びょうしゃしたD.L.マンビーによれば、世俗せぞく社会しゃかいつぎのように特徴付とくちょうづけられる。

  • 世俗せぞく社会しゃかい宇宙うちゅう性質せいしつ人間にんげん役割やくわりについていかなるものであれ唯一ゆいいつ視点してんがあるという立場たちば拒否きょひする。
  • それは均質きんしつてきではなく多元的たげんてきである。
  • それは寛容かんようである。
  • それは個人こじん意思いし決定けってい範囲はんい拡張かくちょうする。
  • あらゆる社会しゃかいはいくつかの目的もくてき共有きょうゆうするものだが、そのために問題もんだい解決かいけつ手法しゅほうとルールの枠組わくぐみが構成こうせいいんあいだ共有きょうゆうされ、同意どういされていなければならないことを意味いみする。世俗せぞく社会しゃかいでは可能かのうかぎりそれが最小限さいしょうげん抑制よくせいされる。
  • 現象げんしょう調査ちょうさとおして、問題もんだい解決かいけつ理性りせいてきはかられる。
  • 世俗せぞく社会しゃかいはいかなる全体ぜんたい主義しゅぎてき目標もくひょう設定せっていしない一方いっぽうで、それは構成こうせいいん個人こじん目標もくひょう理解りかいするたすけとなる。
  • それはいかなる公的こうてき偶像ぐうぞうたない社会しゃかいである。どんなことにでも応用おうようできるような「社会しゃかいから」是認ぜにんされた一般いっぱんてき行為こういはない。
  • 個人こじんしょうグループへのふか尊敬そんけい
  • すべての人々ひとびと平等びょうどう各人かくじん各人かくじん長所ちょうしょ理解りかいうためにたすけあわなければならない。
  • 身分みぶん制度せいど階級かいきゅう制度せいど破壊はかい

伝統でんとうてき西洋せいよう宗教しゅうきょう権威けんいたいする挑戦ちょうせん結果けっかとしてまれた現代げんだい社会しゃかいがくは、デュルケーム以来いらいしばしば世俗せぞくされた社会しゃかいにおける権威けんい問題もんだい社会しゃかいがくてき歴史れきしてきプロセスとしての世俗せぞく注目ちゅうもくした。D.L.マンビー、マックス・ウェーバーカール・ベッカーカール・レーヴィットハンス・ブルーメンベルク、M.H.エイブラムス、ピーター・L・バーガーポール・ベニシューらが20世紀せいきにこの問題もんだい理解りかいについて貢献こうけんした。

世俗せぞく主義しゅぎはまた宗教しゅうきょう超自然ちょうしぜんてき信念しんねん世界せかい理解りかいやくにたず、むしろ自主じしゅ自立じりつ理性りせいといった現実げんじつてき問題もんだいから人々ひとびと隔離かくりすると主張しゅちょうする。この意味いみでは世俗せぞく主義しゅぎ科学かがく理性りせい自然しぜん主義しゅぎ思想しそう推奨すいしょうむすびついている。また、世俗せぞく主義しゅぎはそれらみっつの理念りねん(のどれかひとつでも)を推進すいしんする習慣しゅうかんうこともできる。そのため世俗せぞく主義しゅぎ主唱しゅしょうしゃかならずしも宗教しゅうきょうてき中立ちゅうりつではないかもれない。同時どうじ世俗せぞく主義しゅぎかならずしもかみろんであるというわけではない。社会しゃかい政府せいふたいする宗教しゅうきょう影響えいきょうみとめるかみろんしゃがいるかもれず、同時どうじ信心しんじんふか世俗せぞく主義しゅぎしゃ存在そんざいしうる。世俗せぞく主義しゅぎ世俗せぞくてきヒューマニズム必須ひっす概念がいねんである。

世俗せぞく倫理りんり

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ホリオークは1896ねん著書ちょしょ『イギリスの世俗せぞく主義しゅぎ(English Secularism)』で世俗せぞく主義しゅぎつぎのように定義ていぎした。

世俗せぞく主義しゅぎとは、純粋じゅんすい人間にんげんかえりみるべき問題もんだいもとづく人生じんせい義務ぎむ規範きはんである。そして神学しんがく明確めいかくでない、不十分ふじゅうぶんである、たよりにならない、しんじがたいとかんじるだい部分ぶぶんひと対象たいしょうとした義務ぎむ規範きはんである。その基本きほんてき信念しんねんつぎみっつである。(1)現実げんじつてき手段しゅだんによる人生じんせい改善かいぜん(2)科学かがくひとにとって有益ゆうえきかみだ(3)いことをなすのはいことだ。

ホリオークは世俗せぞく主義しゅぎ世俗せぞく倫理りんり宗教しゅうきょうてき問題もんだいかかわってはならないとかんがえ、つよ自由じゆう思想しそうかみろんから区別くべつした。このてんでイギリスの政治せいじ思想しそういえチャールズ・ブラッドローと意見いけんわなかった。この意見いけん不一致ふいっちは、はん宗教しゅうきょう運動うんどう必要ひつようでないかのぞましくないとかんがえるひとと、それが必要ひつようであるとかんがえるひとあいだ対立たいりつし、世俗せぞく主義しゅぎ運動うんどう分裂ぶんれつさせた。

世俗せぞく主義しゅぎたいする議論ぎろん

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世俗せぞく主義しゅぎ支持しじしゃはながらく、近代きんだい以降いこう世俗せぞく主義しゅぎたかまりとそれに並行へいこうした宗教しゅうきょう凋落ちょうらくが、啓蒙けいもう主義しゅぎによって人々ひとびと宗教しゅうきょう迷信めいしんからはな科学かがく合理ごうり主義しゅぎ方向ほうこういたことの不可避ふかひてき結果けっかだと主張しゅちょうしていた。世俗せぞく主義しゅぎ反対はんたいしゃ世俗せぞくてき政府せいふが、それによって解決かいけつする以上いじょう問題もんだいこし、したがって宗教しゅうきょうてき政府せいふがよりのぞましいと主張しゅちょうする。一部いちぶキリスト教徒きりすときょうと反対はんたいしゃキリスト教きりすときょうこくほうがより信教しんきょう自由じゆうあたえることができると主張しゅちょうする。証拠しょうことしてかれらはデンマークフィンランドアイスランドノルウェーげる。それらの国々くにぐに教会きょうかい国家こっかつながりに憲法けんぽう言及げんきゅうしているが、より進歩しんぽてき自由じゆう主義しゅぎてきであるとみとめられている。たとえばアイスランドは20世紀せいき前半ぜんはん妊娠にんしん中絶ちゅうぜつ合法ごうほうした初期しょきくにひとつであった。フィンランド政府せいふモスク建設けんせつ資金しきん提供ていきょうしている。世俗せぞく主義しゅぎ支持しじしゃオランダ近年きんねんスウェーデンから反証はんしょうげる。スウェーデンは2000ねん国教こっきょう廃止はいししたが、どちらのくに社会しゃかいてき政治せいじてき進歩しんぽてきである。またスカンジナビア諸国しょこく社会しゃかい世界せかいでもっとも世俗せぞくてきで、信仰しんこうっているとこたえるひともっとひく地域ちいきであることを指摘してきする(宗教しゅうきょう#くにべつ調査ちょうさ)。この問題もんだい近年きんねん、ノルウェーでルーテル国教こっきょう廃止はいしするかどうかの議論ぎろんでもげられた。

何人なんにんかの近年きんねん評論ひょうろん世俗せぞく主義しゅぎはん宗教しゅうきょうかみろん悪魔あくま信仰しんこう混同こんどうして批判ひはんした。世俗せぞく主義しゅぎというかたりアメリカ合衆国あめりかがっしゅうこく宗教しゅうきょう右派うはからは軽蔑けいべつとしてもちいられている。ベネディクト16せい進行しんこうちゅう世俗せぞく現代げんだい社会しゃかい根本こんぽんてき問題もんだいであると宣言せんげんして、世俗せぞく主義しゅぎ道徳どうとく相対そうたい主義しゅぎをくじくことを教皇きょうこう政治せいじ目標もくひょうとした。世俗せぞく国家こっか目的もくてき宗教しゅうきょうてき中立ちゅうりつであることだが、評論ひょうろん宗教しゅうきょう特定とくていめん抑圧よくあつであると主張しゅちょうしている。表面ひょうめんじょう世俗せぞく主義しゅぎ宗教しゅうきょう干渉かんしょうからまもるために、あらゆる宗教しゅうきょうひとしく抑圧よくあつする。世俗せぞく主義しゅぎ有名ゆうめい反対はんたいしゃウィリアム・コノリーは「世俗せぞく主義しゅぎは、宗教しゅうきょうてき多様たようせい繁栄はんえいゆるすための、公共こうきょうとプライベートな領域りょういきけるたんなる境界きょうかいせんだけでない。それはそれ自身じしん無情むじょう追放ついほうはこでもある。そして問題もんだいのある習慣しゅうかん人々ひとびとからかくすような「宗教しゅうきょう」のあたらしい定義ていぎ放出ほうしゅつする」とべた。

マルクス主義まるくすしゅぎのような一部いちぶ政治せいじ哲学てつがく国家こっか社会しゃかいたいする宗教しゅうきょうのあらゆる影響えいきょうこのましくないとかんがえる。きゅうひがしヨーロッパ共産きょうさんけん諸国しょこくのようにその信条しんじょうれたくにでは、信教しんきょう自由じゆう当局とうきょく認可にんかやさまざまな規制きせい条件じょうけんとしていた。教会きょうかい教義きょうぎ宗教しゅうきょうてき法律ほうりつ社会しゃかい主義しゅぎのような公式こうしき原則げんそく合致がっちしているかどうか監視かんしされていた。皮肉ひにくにも、これは公共こうきょう安全あんぜん安定あんていのためにおこなわれたのだが、これらの政府せいふはしばしば権力けんりょく維持いじするために残忍ざんにんせいせた。だい粛清しゅくせい文化ぶんかだい革命かくめいクメール・ルージュ活動かつどう完全かんぜんかみろんてき政権せいけん道徳どうとくせいについて頻繁ひんぱん引用いんようされるれいである。西側にしがわ民主みんしゅ国家こっかでは、通常つうじょうこれらのれい完全かんぜん信教しんきょう自由じゆう侵害しんがいしていたことをみとめる。一部いちぶ世俗せぞく主義しゅぎしゃ国家こっか宗教しゅうきょうまった独立どくりつしていなければならず、宗教しゅうきょうてき機関きかん政府せいふ干渉かんしょうからまった自由じゆうでなければならないとかんがえている。政治せいじてき支持しじまったたない教会きょうかいは「フリー・チャーチ」とばれる。一部いちぶ世俗せぞく主義しゅぎしゃくに宗教しゅうきょう支援しえんすること(たとえばぜい免除めんじょ、「信仰しんこうもとづく」教育きょういくやチャリティーへの援助えんじょ)をみとめるが、ひとつの宗教しゅうきょう国教こっきょうとしてさだめてはならず、戒律かいりつ遵守じゅんしゅやドグマの立法りっぽうをしてはならないと主張しゅちょうする。

論者ろんしゃ

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脚注きゃくちゅう

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関連かんれん項目こうもく

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