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リーマン・ショック - Wikipedia

リーマン・ショック

2008ねん発生はっせいした世界せかい規模きぼ金融きんゆう危機きき

リーマン・ショックは、アメリカ合衆国あめりかがっしゅうこく住宅じゅうたく市場いちば悪化あっかによるサブプライム住宅じゅうたくローン危機ききがきっかけ[1]となり投資とうし銀行ぎんこうリーマン・ブラザーズ・ホールディングスが2008ねん9がつ15にち経営けいえい破綻はたんし、そこから連鎖れんさてき世界せかい金融きんゆう危機きき発生はっせいした事象じしょうである[2][注釈ちゅうしゃく 1]。これは1929ねんきた世界せかい恐慌きょうこう以来いらい世界せかいてきだい不況ふきょうである。

リーマン・ブラザーズ」は1850ねん創立そうりつされた名門めいもん投資とうし銀行ぎんこうであり、1990年代ねんだい以降いこう住宅じゅうたくバブルのなみってサブプライムローンの積極せっきょくてき証券しょうけんすすめた結果けっか、アメリカだい投資とうし銀行ぎんこうグループのだい4にまでのぼめた。しかし、サブプライム住宅じゅうたくローン危機ききによる損失そんしつ拡大かくだいにより、2008ねん9がつ15にち連邦れんぽう倒産とうさんほうだい11しょう(チャプター11)を申請しんせいして経営けいえい破綻はたんした[3]。この破綻はたんげき負債ふさい総額そうがくやく6000おくドル(やく64ちょうえん)というアメリカ合衆国あめりかがっしゅうこく歴史れきしうえ最大さいだい企業きぎょう倒産とうさんであり[3]世界せかい連鎖れんさてき信用しんよう収縮しゅうしゅくによる金融きんゆう危機ききまねくことにつながった。

日本にっぽんでも、東証とうしょう株価かぶか指数しすう(TOPIX)がだい暴落ぼうらくこし、同年どうねん9がつ12にち金曜日きんようび)の終値おわりねは1177.20だったが、10月27にちには746.46まで下落げらくし、1983ねん昭和しょうわ57ねん以来いらい、25ねんぶりの安値やすね記録きろくした。その結果けっか派遣はけんやと発生はっせいし、年末年始ねんまつねんし年越としこ派遣はけんむら開催かいさいされた。なお、これをきっかけに公務員こうむいん人気にんき上昇じょうしょうし、安定あんてい志向しこうつよくなった。また、これらで退職たいしょくした求職きゅうしょくしゃ対象たいしょうにした緊急きんきゅう雇用こよう創出そうしゅつ事業じぎょう実施じっしされることになった(のち求人きゅうじん時点じてん仕事しごとがないぜん求職きゅうしょくしゃ対象たいしょう拡大かくだいされた。)。

ほんこうでは発言はつげんなどの引用いんよう以外いがいは「リーマン・ショック」と表記ひょうきする(表記ひょうきみだれや言語げんごてき言及げんきゅう以下いかの「名称めいしょう」の項目こうもくしめす。)。

名称めいしょう

編集へんしゅう

「リーマン・ショック」は和製わせい英語えいごとされ、日本にっぽんにおける通称つうしょうであり、日本にっぽんにおいては一連いちれん金融きんゆう危機ききにおける象徴しょうちょうてき出来事できごととしてとらえられているためこのかたりがよく使用しようされる。英語えいごではおな事象じしょうthe financial crisis of 2007–2008(「2007ねんから2008ねん金融きんゆう恐慌きょうこう」)や the global financial crisis(「国際こくさい金融きんゆう危機きき」)、 the 2008 financial crisis(「2008ねん金融きんゆう危機きき」)と呼称こしょうするのが一般いっぱんてきである。文脈ぶんみゃくにもよるが the financial crisis(「金融きんゆう危機きき」)だけで「リーマン・ショック」を意味いみすることもおおい。

ほんこう英語えいごばんは「Bankruptcy of Lehman Brothers」(リーマン・ブラザースの破綻はたん)という名称めいしょうであり、同社どうしゃ破綻はたん中心ちゅうしんとした記述きじゅつである。

戦後せんごパックス・アメリカーナ世界せかい秩序ちつじょ中心ちゅうしんめたアメリカの国内こくないてき成長せいちょう連関れんかん仕組しくみが60年代ねんだいまつまったのにたいし、企業きぎょう金融きんゆう情報じょうほうのグローバル政府せいふ機能きのうしん自由じゆう主義しゅぎにより、EUやひがしアジア、インド、ロシア、ブラジルをみつつアメリカ経済けいざいのグローバル資本しほん主義しゅぎすすんだ。その帰結きけつとして、90年代ねんだいになると、ニューヨークに基軸きじく通貨つうかドルによる国際こくさい決済けっさい機能きのう集中しゅうちゅうし、アメリカの膨大ぼうだい輸入ゆにゅう超過ちょうかともな構造こうぞうされた経常けいじょう収支しゅうし赤字あかじが、黒字くろじこくからの膨大ぼうだいなドル資金しきん流入りゅうにゅう自動的じどうてきにファイナンスされる、グローバル資金しきん循環じゅんかん構造こうぞう出現しゅつげんした。ニューヨークに累積るいせきするドルを原資げんしとし、商業しょうぎょう銀行ぎんこう信用しんよう創造そうぞう水増みずまてき拡大かくだい可能かのうとなり、投資とうし銀行ぎんこう機関きかん投資とうしヘッジファンド関与かんよして、デリバティブ金融きんゆう工学こうがく駆使くしした投機とうき操作そうさふくむレバレッジド・ファイナンスを膨張ぼうちょうさせた。こうしたメカニズムが、ニューヨークを筆頭ひっとうに、ロンドン、フランクフルト、パリ、東京とうきょう、シンガポール、香港ほんこんとう世界せかい主要しゅよう金融きんゆう市場いちば舞台ぶたいに、クロスボーダーな金融きんゆう取引とりひき拡大かくだいしていった。この拡大かくだい中心ちゅうしんとして、90年代ねんだいまつインターネット・バブル発展はってんおよびその崩壊ほうかいの2000年代ねんだいには住宅じゅうたくバブル発展はってんすすんだが、それらが内包ないほうした欠陥けっかん、とりわけ証券しょうけんメカニズムが直接ちょくせつ原因げんいんとなってこの成長せいちょう連関れんかん破綻はたんし、グローバル金融きんゆう危機きき経済けいざい危機きき誘発ゆうはつしたのである。

2000年代ねんだいはいり、日本にっぽん株式かぶしき市場いちば国際こくさい経済けいざい波乱はらん翻弄ほんろうされた。2000ねん3がつ10日とおか、IT(情報じょうほう技術ぎじゅつ関連かんれん銘柄めいがらおおふくべいナスダック総合そうごう株価かぶか指数しすう取引とりひき時間じかんちゅうに1ねんまえの2ばい以上いじょうとなる高値たかね5132.52とけた。「ドットコム・バブル」とばれるインターネット関連かんれんかぶ人気にんき頂点ちょうてんたっしたのちに、金融きんゆうめを背景はいけいにネット関連かんれんかぶ急落きゅうらくてんじた。ITバブル崩壊ほうかい日本にっぽんにも波及はきゅうし、2000ねん3がつに2まんえんだいせていた日経にっけい平均へいきん同年どうねん10がつに1まん5,000えんり、2001ねん8がつまつには1まん713えんと1まんえん大台おおだい寸前すんぜんまでがった。

さらに、2001ねん9がつ11にち発生はっせいしたアメリカ同時どうじ多発たはつテロ事件じけんおおきな影響えいきょうおよぼした。よく12にち東京とうきょう市場いちば日経にっけい平均へいきんはあっさり1まんえんり、終値おわりね前日ぜんじつ682えん (6.6%) やすい9610えんまでげた。一旦いったんなおすが、2002ねんなかばから米国べいこく景気けいき悪化あっか懸念けねんなどを背景はいけいふたたあしはやめてテロ安値やすね下回したまわり、10月に9,000えんった。よく2003ねん3がつ前半ぜんはんには米国べいこくたいイラク戦争せんそうちかづいた緊張きんちょうかんくわわって20ねんぶりに8,000えんんだ。

その株式かぶしき相場そうば景気けいき回復かいふくへの期待きたいから一旦いったんげにてんじたが、2007ねんアメリカ合衆国あめりかがっしゅうこく住宅じゅうたくバブル崩壊ほうかいをきっかけとして、サブプライム住宅じゅうたくローン危機ききはじめ、サブプライムローン、オークション・レート証券しょうけん、カードローン関連かんれん債券さいけんなど分野ぶんやにわたる資産しさん価格かかく暴落ぼうらくこっていた。

2007ねんからの住宅じゅうたく市場いちば大幅おおはば悪化あっかともに、危機ききてき状態じょうたいとなっていたファニー・メイやフレディ・マックなどの連邦れんぽう住宅じゅうたく抵当ていとう公庫こうこへは、政府せいふ支援しえん機関きかんにおける買取かいとり単価たんか上限じょうげんがく引上ひきあげや、投資とうし上限じょうげんがく撤廃てっぱいなど様々さまざまくしていたものの、サブプライムローンなどの延滞えんたいりつさら上昇じょうしょうし、住宅じゅうたく差押さしおさ件数けんすう増加ぞうかつづけた。歯止はどめがかないことをけ、2008ねん9がつ8にちアメリカ合衆国あめりかがっしゅうこく財務省ざいむしょう追加ついかやく3ちょうドルをつぎ救済きゅうさい政策せいさく決定けっていされた。「おおきすぎてつぶせない (Too big to fail)」の最初さいしょ事例じれいとなる[4]

リーマン・ブラザーズも例外れいがいではなく、多大ただい損失そんしつかかえていた。すでに2008ねん3がつべい証券しょうけん5ベアー・スターンズが実質じっしつ破綻はたん経営けいえい不安ふあんせつながれたリーマンの株価かぶか下落げらく、リーマンCEOのファルドは有力ゆうりょく投資とうしウォーレン・バフェットにリーマンへの出資しゅっし要請ようせいしたが拒否きょひされた[5][注釈ちゅうしゃく 2]不良ふりょうサブプライムローン債権さいけん金融きんゆう機関きかんかかえる証券しょうけんされた債券さいけんにどれだけじっているかはきわめてかりにくく、バフェットの出資しゅっし拒否きょひ情報じょうほう疑心暗鬼ぎしんあんきおちいっていた投資とうしらの不安ふあんをさらにあおり、リーマンが出資しゅっしるのはいっそう困難こんなんになったとされる。2008ねん9がつ15にち月曜日げつようび)に、リーマン・ブラザーズは連邦れんぽう倒産とうさんほうだい11しょう適用てきよう連邦れんぽう裁判所さいばんしょ申請しんせいするにいたった[3]。この申請しんせいにより、同社どうしゃ発行はっこうしている社債しゃさい投資とうし信託しんたく保有ほゆうしている企業きぎょうへの影響えいきょう取引とりひきさきへの波及はきゅう連鎖れんさなどのおそれ、およびそれにたいするアメリカ合衆国あめりかがっしゅうこく議会ぎかい連邦れんぽう政府せいふ対策たいさくおくれから、アメリカ合衆国あめりかがっしゅうこく経済けいざいたいする不安ふあんひろがり、世界せかいてき金融きんゆう危機ききへと連鎖れんさした。

リーマン・ブラザーズは、破綻はたん前日ぜんじつまでアメリカ合衆国あめりかがっしゅうこく財務省ざいむしょう連邦れんぽう準備じゅんび制度せいど理事りじかい(FRB)の仲介ちゅうかいしたHSBCホールディングス韓国かんこく産業さんぎょう銀行ぎんこうなど、複数ふくすう金融きんゆう機関きかん売却ばいきゃく交渉こうしょうおこなっていた[6]日本にっぽんメガバンクすうぎょう参加さんかしたが、報道ほうどうであまりに巨額きょがくかつ不透明ふとうめい損失そんしつ見込みこまれるため、買収ばいしゅう見送みおくったとわれている。2008ねん10がつ3にちには、アメリカ合衆国あめりかがっしゅうこく大統領だいとうりょうジョージ・W・ブッシュが、金融きんゆうシステムに7,000おくドルの金銭きんせん支援しえんおこな緊急きんきゅう経済けいざい安定あんていほうあん (Troubled Asset Relief Program)に署名しょめいする[4]

最終さいしゅうてきのこったのはバンク・オブ・アメリカメリルリンチバークレイズであったが、アメリカ合衆国あめりかがっしゅうこく連邦れんぽう政府せいふ公的こうてき資金しきん注入ちゅうにゅう拒否きょひ[注釈ちゅうしゃく 3]していたことから交渉こうしょう不調ふちょうわった。

しかし交渉こうしょう以前いぜんに、損失そんしつ拡大かくだいくるしんでいたメリルリンチはバンク・オブ・アメリカへの買収ばいしゅう打診だしん内々ないない決定けっていしており、バークレイズ巨額きょがく損失そんしつかかえ、すでにリーマン・ブラザーズを買収ばいしゅうする余力よりょくなどどこにも存在そんざいしていなかった。リーマン・ショックの経緯けいいについては、アンドリュー・ロス・ソーキンちょの『リーマン・ショック・コンフィデンシャル』(原題げんだい: Too Big to Fail)に詳細しょうさい説明せつめいされている。

日本にっぽん長引ながび不景気ふけいきから、サブプライムローン関連かんれん債権さいけんなどにはあまりしゅしていなかったため、金融きんゆう会社かいしゃでは大和生命保険やまとせいめいほけん倒産とうさんしたり農林中央金庫のうりんちゅうおうきんこ大幅おおはば評価ひょうかそんこうむったものの、直接的ちょくせつてき影響えいきょう当初とうしょ軽微けいびであった。しかし、リーマン・ショックをさかい世界せかいてき経済けいざいみから消費しょうひみ、金融きんゆう不安ふあん各種かくしゅ通貨つうかから急速きゅうそくアメリカ合衆国あめりかがっしゅうこくドル下落げらくにより相対そうたいてきえんだかすすみ、アメリカ合衆国あめりかがっしゅうこく経済けいざいへの依存いぞんつよ輸出ゆしゅつ産業さんぎょうからおおきなダメージがひろがり、結果けっかてき日本にっぽん経済けいざい大幅おおはば景気けいき後退こうたいへもつながっていった。

 
日本にっぽん実質じっしつGDP成長せいちょうりつ推移すいい
 
日本にっぽん有効ゆうこう求人きゅうじん倍率ばいりつ。2009ねんには戦後せんご最悪さいあくとなった。


題材だいざいとした作品さくひん

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脚注きゃくちゅう

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注釈ちゅうしゃく

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  1. ^ 内閣ないかく景気けいき基準きじゅん日付ひづけだい14循環じゅんかん)の景気けいき後退こうたい名称めいしょうとして「リーマンきょう」ともばれている
  2. ^ 齋藤さいとうさかえこうによる著書ちょしょ『リーマンの牢獄ろうごく』では、このころ日本にっぽん発覚はっかくしていた斎藤さいとう自身じしん当時とうじ丸紅まるべに課長かちょうであった人物じんぶつによるリーマンにたいする詐欺さぎ事件じけんであるアスクレピオス事件じけんについて、その問題もんだい損害そんがいにファルドがれなかったことが、バフェットの不信ふしんまね出資しゅっしことわられることになったというせつ紹介しょうかい、このせつもとづいている。
  3. ^ 2008ねん3がつベアー・スターンズ公的こうてき資金しきん注入ちゅうにゅうしており、これ以上いじょう救済きゅうさい措置そち近々ちかぢかおこなわれる大統領だいとうりょう選挙せんきょひかえた状況じょうきょうまえると国民こくみん理解りかいられないこと、財政ざいせいにかかる負担ふたんおおきいこと、ベアー・スターンズとちが突然とつぜん破綻はたんではなく以前いぜんから兆候ちょうこうがあったこと、経済けいざい先行さきゆきをかんがえた場合ばあい前例ぜんれいつくりたくないなどの理由りゆうから。

出典しゅってん

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関連かんれん項目こうもく

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外部がいぶリンク

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