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加賀乙彦 - Wikipedia

加賀かが乙彦おとひこ

日本にっぽん小説しょうせつ精神せいしん (1929-2023)

加賀かが 乙彦おとひこ(かが おとひこ、男性だんせい1929ねん4がつ22にち - 2023ねん1がつ12にち)は、日本にっぽん小説しょうせつ医学いがくしゃ犯罪はんざい心理しんりがく)、精神せいしん勲等くんとう旭日きょくじつちゅう綬章じゅしょう学位がくい医学いがく博士はかせ東京大学とうきょうだいがく1960ねん)。日本にっぽん芸術げいじゅついん会員かいいん文化ぶんか功労こうろうしゃ本名ほんみょう小木おぎ さだこう(こぎ さだたか)。本名ほんみょうでも著作ちょさくがある。

加賀かが 乙彦おとひこ
(かが おとひこ)
文化ぶんか功労こうろうしゃ顕彰けんしょうさいして
公表こうひょうされた肖像しょうぞう写真しゃしん
誕生たんじょう 小木おぎ さだこう(こぎ さだたか)
(1929-04-22) 1929ねん4がつ22にち
日本の旗 東京とうきょう東京とうきょう
死没しぼつ (2023-01-12) 2023ねん1がつ12にち(93さいぼつ
職業しょくぎょう 小説しょうせつ
医学いがくしゃ
精神せいしん
言語げんご 日本語にほんご
国籍こくせき 日本の旗 日本にっぽん
教育きょういく 医学いがく博士はかせ
東京大学とうきょうだいがく1960ねん
最終さいしゅう学歴がくれき 東京大学とうきょうだいがく医学部いがくぶ卒業そつぎょう
活動かつどう期間きかん 1967ねん -
ジャンル 小説しょうせつ
代表だいひょうさくフランドルのふゆ』 (1967ねん
かえらざるなつ』(1973ねん
宣告せんこく』(1979ねん
いかりのないふね』(1982ねん
湿原しつげん』(1985ねん
永遠えいえん』(1997ねん
おも受賞じゅしょうれき 芸術げいじゅつ選奨せんしょう新人しんじんしょう(1968ねん
谷崎たにざき潤一郎じゅんいちろうしょう(1973ねん
日本にっぽん文学ぶんがく大賞たいしょう(1979ねん
大佛だいぶつ次郎じろうしょう(1986ねん
芸術げいじゅつ選奨せんしょう(1998ねん
日本にっぽん芸術げいじゅついんしょう(1999ねん
旭日きょくじつちゅう綬章じゅしょう(2005ねん
毎日まいにち出版しゅっぱん文化ぶんかしょう(2012ねん
歴史れきし時代じだい作家さっかクラブしょう(2016ねん
デビューさくフランドルのふゆ』 (1967ねん
子供こども 加賀かが真帆まほむすめ
親族しんぞく 野上のかみ八十八やそはち祖父そふ
小木おぎ孝次たかじちち
公式こうしきサイト 加賀かが乙彦おとひこオフィシャルブログ
ウィキポータル 文学ぶんがく
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東京大学とうきょうだいがく医学部いがくぶ助手じょしゅ東京大学とうきょうだいがく医学部いがくぶのう研究所けんきゅうじょ助手じょしゅ東京とうきょう拘置こうちしょ医務いむ技官ぎかん、パリ大学だいがくサンタンヌ病院びょういん医師いしきたふつサンヴナン病院びょういん医師いし東京大学とうきょうだいがく医学部いがくぶ附属ふぞく病院びょういん精神せいしん助手じょしゅ東京医科歯科大学とうきょういかしかだいがく医学部いがくぶ助教授じょきょうじゅ上智大学じょうちだいがく文学部ぶんがくぶ教授きょうじゅなどを歴任れきにんした。

東大とうだい医学部いがくぶそつ。フランス留学りゅうがくのち、『かえらざるなつ』(1973ねん)で谷崎たにざき潤一郎じゅんいちろうしょう受賞じゅしょう。ほかに『フランドルのふゆ』(1967ねん)、『宣告せんこく』(1979ねん)、『湿原しつげん』(1985ねん)、『ほのお』(1996ねん)など。精神せいしんとしての研究けんきゅうまえて、せい問題もんだいについてえがつづけた。

来歴らいれき

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1929ねん東京とうきょう東京とうきょうしば三田みたまれ、東京とうきょう淀橋よどばし西にし大久保おおくぼげん東京とうきょう新宿しんじゅく歌舞伎町かぶきちょう)にそだつ。母方ははかた祖父そふ医師いし発明はつめい野上のかみ八十八やそはち[1]ちち小木おぎ孝次たかじ安田やすだ生命せいめいのエリート社員しゃいんで、のち、取締役とりしまりやく[1]

大久保おおくぼ小学校しょうがっこう5~6ねんころ新潮社しんちょうしゃ世界せかい文学ぶんがく全集ぜんしゅう耽読たんどくしたことが、後年こうねん長篇ちょうへん作家さっかになる素地そじつちかったという。1942ねん4がつ東京とうきょう府立ふりつだいろく中学校ちゅうがっこう入学にゅうがく1943ねん4がつ、100ばい倍率ばいりつ突破とっぱして名古屋なごや陸軍りくぐん幼年ようねん学校がっこう入学にゅうがくするも、在学ざいがくちゅう敗戦はいせんむかえたため軍人ぐんじんへのみちたれ、1945ねん9月、東京とうきょう府立ふりつだいろく中学校ちゅうがっこう復学ふくがく同年どうねん11がつ旧制きゅうせい都立とりつ高等こうとう学校がっこう理科りか編入へんにゅうがく1949ねん3月、旧制きゅうせい都立とりつ高校こうこう理科りか卒業そつぎょう同年どうねん4がつ東京大学とうきょうだいがく医学部いがくぶ入学にゅうがく1953ねん3月、東京大学とうきょうだいがく医学部いがくぶ卒業そつぎょう

医学いがくしゃとして

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東大とうだい精神せいしんどうのう研究所けんきゅうじょ東京とうきょう拘置こうちしょ医務いむ技官ぎかんのちに、1957ねんよりフランス留学りゅうがくたす。フランスにかうふねちゅう私費しひ留学生りゅうがくせいつじ邦生くにお[1]

パリ大学だいがくサンタンヌ病院びょういんきたふつサンヴナン病院びょういん勤務きんむし、1960ねん帰国きこく同年どうねん医学いがく博士はかせごう取得しゅとく学位がくい論文ろんぶん日本にっぽんける死刑しけいならびに無期むきけい受刑じゅけいしゃ犯罪はんざいがくてき精神病せいしんびょう理学りがくてき研究けんきゅう」)。東京大学とうきょうだいがく附属ふぞく病院びょういん精神せいしん助手じょしゅて、1965ねん東京医科歯科大学とうきょういかしかだいがく犯罪はんざい心理しんりがく研究けんきゅうしつ助教授じょきょうじゅ1969ねんから1979ねんまで上智大学じょうちだいがく文学部ぶんがくぶ教授きょうじゅ

小説しょうせつとして

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2017ねん8がつ24にち東京とうきょうにて

1964ねん立原たちはら正秋まさあき主催しゅさい同人どうじんさい』に参加さんかし、高井たかい有一ゆういち岡松おかまつ和夫かずお白川しらかわ正芳まさよししゅいち金子かねこ昌夫まさお後藤ごとう明生あきおらと[1]。また、つじ邦生くにおつうじて、同人どうじん文芸ぶんげい首都しゅと』にも参加さんか[1]。このころ久里浜くりはま特別とくべつ少年院しょうねんいん犯罪はんざい心理しんり学者がくしゃとして非行ひこう少年しょうねん調査ちょうさおこな[2]

1968ねん長編ちょうへんフランドルのふゆ』のだいいちしょう太宰だざいおさむしょう応募おうぼし、候補こうほさくとして『展望てんぼう』に掲載けいさいされるが、その全体ぜんたい刊行かんこう芸術げいじゅつ選奨せんしょう新人しんじんしょう受賞じゅしょう。1968ねんには、短編たんぺん「くさびらたん」でだい59かい芥川賞あくたがわしょう候補こうほにもなる。5ねん1973ねんに、『かえらざるなつ』で谷崎たにざき潤一郎じゅんいちろうしょう受賞じゅしょう同年どうねん活躍かつやくした小川おがわ国夫くにおつじ邦生くにおとともに「73ねんさんガラス」とばれたが、江藤えとうあつしがかれらを「フォニイ」(贋物にせもの。「うちえさかるしんたぬままにぶんつく人間にんげん[3]」)と批判ひはんしたため、江藤えとう平岡ひらおかあつしよりゆきの「フォニイ論争ろんそう」をこした。

1979ねんから文筆ぶんぴつ専念せんねん同年どうねんに『宣告せんこく』で日本にっぽん文学ぶんがく大賞たいしょう受賞じゅしょう1986ねんに『湿原しつげん』で大佛だいぶつ次郎じろうしょう受賞じゅしょう1987ねんクリスマス(58さい)につまとともにカトリック洗礼せんれいける。(だい父母ちちはは交流こうりゅうがあった遠藤えんどう周作しゅうさく夫妻ふさい[4][5]。)1998ねんに『永遠えいえん』でだい48かい芸術げいじゅつ選奨せんしょう文部もんぶ大臣だいじんしょう受賞じゅしょう

2000ねん日本にっぽん芸術げいじゅついん会員かいいん2005ねん旭日きょくじつちゅう綬章じゅしょう受章じゅしょう[6]2011ねん文化ぶんか功労こうろうしゃ[7]2012ねん、『くも』(ぜん5かん完結かんけつ)により毎日まいにち出版しゅっぱん文化ぶんかしょう特別とくべつしょう受賞じゅしょう。2021ねん宮中きゅうちゅう歌会うたかいはじめ召人

2023ねん1がつ12にち老衰ろうすいのため死去しきょ[8]。93さいぼつじょしたがえよん[9]

TV出演しゅつえん

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  • こころの時代じだい』「作家さっか加賀かが乙彦おとひこ しんずることのめぐみ」(2003ねん11月2にち放送ほうそうNHK、2023ねん6がつ4にちアーカイブ放送ほうそうEテレ、2023ねん6がつ10日とおかアーカイブさい放送ほうそうEテレ)[10]
  • 『あのひと戦争せんそう体験たいけん』「あの 昭和しょうわ20ねん記憶きおく:自宅じたくまえ進駐軍しんちゅうぐん便所べんじょになった 昭和しょうわ20ねん10がつ10日とおか出来事できごと新聞しんぶん記事きじ加賀かが乙彦おとひこさんの証言しょうげん安西あんざい冬衛ふゆえ日記にっき」(2005ねん10がつ10日とおか放送ほうそう、NHK)

人物じんぶつ主張しゅちょう

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受賞じゅしょう栄典えいてん

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役職やくしょく

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著書ちょしょ加賀かが名義めいぎ

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たんちょ

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  • フランドルのふゆ』(筑摩書房ちくましょぼう 1967ねん、のち新潮しんちょう文庫ぶんこ角川かどかわ文庫ぶんこ
  • ふう死者ししゃ』(筑摩書房ちくましょぼう 1969ねん、のち角川かどかわ文庫ぶんこ
  • 文学ぶんがく狂気きょうき』(筑摩書房ちくましょぼう 1971ねん
  • 荒地あれちたびするものたち』(新潮社しんちょうしゃ 1971ねん
  • 夢見ゆめみそう』(筑摩書房ちくましょぼう 1972ねん、のち角川かどかわ文庫ぶんこ
  • かえらざるなつ』(講談社こうだんしゃ 1973ねん、のち講談社こうだんしゃ文庫ぶんこ文芸ぶんげい文庫ぶんこ
  • 『ドストエフスキイ』(中公新書ちゅうこうしんしょ 1973ねん
  • 虚妄きょもうとしての戦後せんご』(筑摩書房ちくましょぼう 1974ねん
  • 異郷いきょう』(集英社しゅうえいしゃ 1974ねん、のち集英社しゅうえいしゃ文庫ぶんこ
  • 現代げんだい若者わかもの気質きしつ』(講談社こうだんしゃ現代新書げんだいしんしょ 1974ねん
  • 死刑しけいしゅう無期むきしゅう心理しんり』(小木おぎさだこう名義めいぎ 金剛こんごう出版しゅっぱん 1974ねん
  • 『あのわらいこけた日々ひび』(角川書店かどかわしょてん 1975ねん
  • 春秋しゅんじゅうだい』(沖積舎ちゅうせきしゃ 1975ねん
  • 黄色きいろ毛糸けいとだま』(角川書店かどかわしょてん 1976ねん
  • あたま医者いしゃ事始ことはじめ』(毎日新聞社まいにちしんぶんしゃ 1976ねん、のち講談社こうだんしゃ文庫ぶんこ
  • 日本にっぽん長篇ちょうへん小説しょうせつ』(筑摩書房ちくましょぼう 1976ねん日本にっぽんの10だい小説しょうせつちくま学芸がくげい文庫ぶんこ
  • 仮構かこうとしての現代げんだい』(講談社こうだんしゃ 1978ねん
  • 宣告せんこく』(新潮社しんちょうしゃ 1979ねん、のち新潮しんちょう文庫ぶんこ
  • わたしたからばこ』(集英社しゅうえいしゃ 1979ねん
  • 死刑しけいしゅう記録きろく』(中公新書ちゅうこうしんしょ 1980ねん
  • あたま医者いしゃあお春記はるき』(毎日新聞社まいにちしんぶんしゃ 1980ねん、のち講談社こうだんしゃ文庫ぶんこ
  • ればるほど…』(日本経済新聞社にほんけいざいしんぶんしゃ 1980ねん、のちちゅう公文こうぶん
  • 『イリエのえんにて』(集英社しゅうえいしゃ 1980ねん
  • 犯罪はんざい』(河出書房新社かわでしょぼうしんしゃ 1980ねん、のち河出かわで文庫ぶんこ
  • きるための幸福こうふくろん』(講談社こうだんしゃ現代新書げんだいしんしょ 1980ねん
  • 犯罪はんざいノート』(エッセイしゅう 潮出版社うしおしゅっぱんしゃ 1981ねん、のち文庫ぶんこ
  • 作家さっか生活せいかつ』(エッセイしゅう 潮出版社うしおしゅっぱんしゃ 1982ねん
  • 戦争せんそうノート』(エッセイしゅう 潮出版社うしおしゅっぱんしゃ 1982ねん
  • いかりのないふね』(講談社こうだんしゃ 1982ねん、のち文芸ぶんげい文庫ぶんこ
  • あたま医者いしゃ留学りゅうがく』(毎日新聞社まいにちしんぶんしゃ 1983 のち講談社こうだんしゃ文庫ぶんこ
  • 加賀かが乙彦おとひこ短篇たんぺん小説しょうせつ全集ぜんしゅう』(ぜん5かん 潮出版社うしおしゅっぱんしゃ 1984ねん - 1985ねん
  • 読書どくしょノート』(エッセイしゅう 潮出版社うしおしゅっぱんしゃ 1984ねん
  • 残花ざんか』(潮出版社うしおしゅっぱんしゃ、1984ねん
  • 『くさびらたん』(成瀬なるせ書房しょぼう 1984ねん
  • 湿原しつげん』(朝日新聞社あさひしんぶんしゃ 1985ねん、のち新潮しんちょう文庫ぶんこ
  • 『フランスの妄想もうそう研究けんきゅう』(小木おぎさだこう名義めいぎ 金剛こんごう出版しゅっぱん 1985ねん
  • 『スケーターワルツ』(筑摩書房ちくましょぼう 1987ねん、のちちくま文庫ぶんこ
  • 『キリストきょうへのみち』(みくに書房しょぼう 1988ねん
  • 永遠えいえん
    • 岐路きろ』(新潮社しんちょうしゃ 1988ねん永遠えいえん新潮しんちょう文庫ぶんこ
    • 小暗おぐらもり』(新潮社しんちょうしゃ 1991ねん永遠えいえん新潮しんちょう文庫ぶんこ
    • ほのお』(新潮社しんちょうしゃ 1996ねん永遠えいえん文庫ぶんこ
    (「永遠えいえん」1-7 新潮しんちょう文庫ぶんこは、「岐路きろ」「小暗おぐらもり」「ほのお」をつなげて改題かいだいしたもの)
  • ははなる大地だいち』(潮出版社うしおしゅっぱんしゃ 1989ねん
  • 『ゼロばん囚人しゅうじん』(ちくま文庫ぶんこ 1989ねん
  • 『ヴィーナスのえくぼ』(中央公論社ちゅうおうこうろんしゃ 1989ねん のち中公ちゅうこう文庫ぶんこ
  • 『ある死刑しけいしゅうとの対話たいわ』(弘文こうぶんどう 1990ねん
  • 加賀かが乙彦おとひこ評論ひょうろんしゅう』(上下じょうげまき 阿部あべ出版しゅっぱん 1990ねん
  • うみきり』(潮出版社うしおしゅっぱんしゃ 1990ねん 新潮しんちょう文庫ぶんこ
  • きている心臓しんぞう』(講談社こうだんしゃ 1991ねん 文庫ぶんこ
  • 脳死のうし尊厳そんげん人権じんけん』(潮出版社うしおしゅっぱんしゃ 1991ねん
  • 悠久ゆうきゅう大河おおかわ 中国ちゅうごく紀行きこう』(潮出版社うしおしゅっぱんしゃ 1991ねん
  • わたしきな長編ちょうへん小説しょうせつ』(新潮しんちょう選書せんしょ 1993ねん
  • 日本人にっぽんじん宗教しゅうきょう』(対談たいだんしゅう 潮出版社うしおしゅっぱんしゃ 1996ねん
  • なま文学ぶんがく』(潮出版社うしおしゅっぱんしゃ 1996ねん
  • 鴎外おうがい茂吉しげよし』(潮出版社うしおしゅっぱんしゃ 1997ねん
  • 聖書せいしょ大地だいち』(日本にっぽん放送ほうそう出版しゅっぱん協会きょうかい 1999ねん
  • 高山たかやま右近うこん』(講談社こうだんしゃ 1999ねん 文庫ぶんこ
  • くもだい1-5新潮社しんちょうしゃ 2002ねん - 2012ねん
  • 夕映ゆうばえのひと』(小学館しょうがくかん 2002ねん
  • ザビエルとその弟子でし』(講談社こうだんしゃ 2004ねん のち文庫ぶんこ
  • 小説しょうせつむドストエフスキー』(集英社しゅうえいしゃ新書しんしょ 2006ねん
  • 悪魔あくまのささやき』(集英社しゅうえいしゃ新書しんしょ 2006ねん
  • 不幸ふこうくに幸福こうふくろん』(集英社しゅうえいしゃ新書しんしょ、2009ねん) 
  • 科学かがく宗教しゅうきょう』(集英社しゅうえいしゃ新書しんしょ、2012ねん
  • 加賀かが乙彦おとひこ 自伝じでん』(集英社しゅうえいしゃ、2013ねん
  • 『ああちちよ ああははよ』(講談社こうだんしゃ、2013ねん
  • 日本にっぽん古典こてんまなびしなやかにきる』(集英社しゅうえいしゃ、2015ねん
  • 殉教者じゅんきょうしゃ』(講談社こうだんしゃ、2016ねん)(ペトロ岐部きべえがく)
  • 『あるわか死刑しけいしゅう生涯しょうがいちくまプリマー新書しんしょ 2019
  • 死刑しけいしゅう有限ゆうげん無期むきしゅう無限むげん 精神せいしん作家さっか死刑しけい廃止はいしろんコールサックしゃ, 2019
  • つま 加賀かが乙彦おとひこ自選じせん短編たんぺん小説しょうせつしゅうまぼろしおどけ書房しょぼう, 2019
  • 『わたしの芭蕉ばしょう講談社こうだんしゃ, 2020.1

共編きょうへんちょ

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外国がいこくへの翻訳ほんやく

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  • いかりのないふね英語えいご】』Riding the east wind (リービ英雄えいゆうわけ 講談社こうだんしゃインターナショナル 1999ねんISBN 4770028563
  • 高山たかやま右近うこんどくやく) Kreuz und Schwert: Roman über die Christenverfolgung in Japan (ラルフ・デーゲンわけ Berlin : Be.bra Verlag, c2006)

漫画まんが

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本名ほんみょうでの著作ちょさく

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著書ちょしょ

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  • 日本にっぽん精神せいしん鑑定かんてい福島ふくしまあきら, 中田なかたおさむ, 小木おぎさだこう 編集へんしゅう みすず書房しょぼう 1973
  • 死刑しけいしゅう無期むきしゅう心理しんり小木おぎさだたかし ちょ 金剛こんごう出版しゅっぱん 1974
  • 『フランスの妄想もうそう研究けんきゅう小木おぎさだたかし ちょ 金剛こんごう出版しゅっぱん 1985

翻訳ほんやく

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脚注きゃくちゅう

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出典しゅってん

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  1. ^ a b c d e f 加賀かが乙彦おとひこ 自伝じでん
  2. ^ 加賀かが乙彦おとひこ. “なださんと堀内ほりうちくんとラガーシュ先生せんせい”. PRちくま. 筑摩書房ちくましょぼう. 2020ねん10がつ7にち閲覧えつらん
  3. ^ 江藤えとうあつし「”フォニイ”こう」『リアリズムの源流げんりゅう』(河出書房新社かわでしょぼうしんしゃ1989ねん
  4. ^ 遠藤えんどう 周作しゅうさく | 兵庫ひょうごゆかりの作家さっか”. ネットミュージアム兵庫ひょうご文学ぶんがくかん : 兵庫ひょうご県立けんりつ美術館びじゅつかん. 2023ねん6がつ11にち閲覧えつらん
  5. ^ 戦争せんそう時代じだい徹底てってい検証けんしょう 加賀かが乙彦おとひこ永遠えいえん」|こうしょ好日こうじつ”. こうしょ好日こうじつ. 2023ねん6がつ11にち閲覧えつらん
  6. ^ はる叙勲じょくん ちゅう綬章じゅしょう以上いじょう在外ざいがい邦人ほうじん外国がいこくじん叙勲じょくん受章じゅしょうしゃ一覧いちらん」『読売新聞よみうりしんぶん』2005ねん4がつ29にち朝刊ちょうかん
  7. ^ 文化ぶんか勲章くんしょう丸谷まるや才一さいいちさん、大滝おおたき秀治しゅうじさんら功労こうろうしゃ”. YOMIURI ONLINE (2011ねん10がつ25にち). 2011ねん10がつ27にち時点じてんオリジナルよりアーカイブ。2023ねん4がつ12にち閲覧えつらん
  8. ^ 作家さっか加賀かが乙彦おとひこさん死去しきょ 93さい 「宣告せんこく」「かえらざるなつ」”. 毎日新聞まいにちしんぶん. (2023ねん1がつ17にち). https://mainichi.jp/articles/20230117/k00/00m/040/317000c 2023ねん1がつ17にち閲覧えつらん 
  9. ^ 官報かんぽうだい921ごうれい5ねん2がつ20日はつか
  10. ^ "アーカイブ 追悼ついとう 作家さっか加賀かが乙彦おとひこ しんずることのめぐみ". NHK. 2023ねん6がつ4にち. 2023ねん6がつ3にち時点じてんのオリジナルよりアーカイブ。2023ねん6がつ3にち閲覧えつらん
  11. ^ a b 作家さっか精神せいしん 加賀かが乙彦おとひこ さん軽井沢かるいざわウェブ(2016/05/19)
  12. ^ a b 加賀かが乙彦おとひこ作家さっか自分じぶんらしく幸福こうふくぬために必要ひつようなこと現代げんだいビジネス(2010/08/13)
  13. ^ 創作そうさく現場げんば」『新刊しんかん展望てんぼう』(1990ねん3がつごう) 日本にっぽん出版しゅっぱん販売はんばい
  14. ^ 加賀かが乙彦おとひこ悪魔あくまのささやき』集英社しゅうえいしゃ、2006ねん8がつ12にち、146-151ぺーじISBN 978-4087203547 
  15. ^ もり達也たつや『A3 じょう集英社しゅうえいしゃ、2012ねん12月14にち、305-306ぺーじISBN 978-4087450156 
  16. ^ ピープル|軽井沢かるいざわ新聞しんぶんしゃ Karuizawa,News Paper”. www.karuizawa.co.jp. 2023ねん6がつ11にち閲覧えつらん
  17. ^ カトリック碑文谷ひもんや教会きょうかいブログ 「追悼ついとう加賀かが乙彦おとひこ2024ねん4がつ23にち閲覧えつらん
  18. ^ 松本まつもとれいのライフワーク 「戦場せんじょうまんがシリーズ」の すべてをんだ永久えいきゅう保存ほぞんばん 単行たんこうほん収録しゅうろく作品さくひんいかりのないふねさいろく! - NEWS | ぴあ関西かんさいばんWEB”. kansai.pia.co.jp. 2022ねん8がつ15にち閲覧えつらん

関連かんれん項目こうもく

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外部がいぶリンク

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