この
記事 きじ は
特 とく に
記述 きじゅつ がない
限 かぎ り、
日本 にっぽん 国内 こくない の
法令 ほうれい について
解説 かいせつ しています。また
最新 さいしん の
法令 ほうれい 改正 かいせい を
反映 はんえい していない
場合 ばあい があります。
ご自身 じしん が現実 げんじつ に遭遇 そうぐう した事件 じけん については法律 ほうりつ 関連 かんれん の専門 せんもん 家 か にご相談 そうだん ください。 免責 めんせき 事項 じこう もお読 よ みください。
本稿 ほんこう では、日本 にっぽん における死刑 しけい (にほんにおけるしけい)の概要 がいよう 、歴史 れきし を述 の べる。
東京 とうきょう 拘置 こうち 所 しょ
日本 にっぽん は死刑 しけい を法定 ほうてい 刑 けい のひとつとして位置 いち づけている。その方法 ほうほう は絞首 こうしゅ によると規定 きてい されている(刑法 けいほう 11条 じょう 1項 こう )。
法定 ほうてい 刑 けい に死刑 しけい のある犯罪 はんざい (未遂 みすい も含 ふく む)は以下 いか のとおりであり、これらは原則 げんそく として第 だい 一 いち 審 しん では裁判 さいばん 員 いん 裁判 さいばん の対象 たいしょう 事件 じけん となる(裁判 さいばん 員 いん の参加 さんか する刑事 けいじ 裁判 さいばん に関 かん する法律 ほうりつ 2条 じょう 1項 こう 1号 ごう 。ただし、対象 たいしょう 事件 じけん から除外 じょがい された場合 ばあい や内乱 ないらん 罪 ざい のように地方裁判所 ちほうさいばんしょ が管轄 かんかつ しない事件 じけん (裁判所 さいばんしょ 法 ほう 16条 じょう 4項 こう 参照 さんしょう )などを除 のぞ く)。裁判所 さいばんしょ は、法廷 ほうてい に提出 ていしゅつ された証拠 しょうこ をもとに、過去 かこ の判例 はんれい (いわゆる永山 ながやま 基準 きじゅん など)も合 あ わせて検討 けんとう し判決 はんけつ を下 くだ す。
日本国 にっぽんこく 憲法 けんぽう 施行 しこう 後 ご に、日本 にっぽん 国内 こくない での内戦 ないせん 、日本 にっぽん に対 たい する侵略 しんりゃく ・介入 かいにゅう の軍事 ぐんじ 力 りょく 行使 こうし は発生 はっせい していないので、内乱 ないらん 罪 ざい 、外患 がいかん 罪 ざい は適用 てきよう されたことがない。
日本 にっぽん において死刑 しけい 判決 はんけつ を宣告 せんこく する際 さい には、永山 ながやま 則夫 のりお 連続 れんぞく 射殺 しゃさつ 事件 じけん で最高裁 さいこうさい (昭和 しょうわ 58年 ねん 7月 がつ 8日 にち 判決 はんけつ )が示 しめ した死刑 しけい 適用 てきよう 基準 きじゅん の判例 はんれい に従 したが う。この基準 きじゅん は、永山 ながやま 基準 きじゅん と呼 よ ばれ、第 だい 1次 じ 上告 じょうこく 審 しん 判決 はんけつ では基準 きじゅん として以下 いか の9項目 こうもく が提示 ていじ されている。
犯罪 はんざい の性質 せいしつ
犯行 はんこう の動機 どうき
犯行 はんこう 態様 たいよう 、特 とく に殺害 さつがい 方法 ほうほう の執拗 しつよう 性 せい 、残虐 ざんぎゃく 性 せい
結果 けっか の重大 じゅうだい 性 せい 、特 とく に殺害 さつがい された被害 ひがい 者 しゃ の数 かず
遺族 いぞく の被害 ひがい 感情 かんじょう
社会 しゃかい 的 てき 影響 えいきょう
犯人 はんにん の年齢 ねんれい
前科 ぜんか
犯行 はんこう 後 ご の情状 じょうじょう
この節 ふし は検証 けんしょう 可能 かのう な参考 さんこう 文献 ぶんけん や出典 しゅってん が全 まった く示 しめ されていないか、不十分 ふじゅうぶん です。 出典 しゅってん を追加 ついか して記事 きじ の信頼 しんらい 性 せい 向上 こうじょう にご協力 きょうりょく ください。(このテンプレートの使 つか い方 かた ) 出典 しゅってん 検索 けんさく ? : "日本 にっぽん における死刑 しけい " – ニュース · 書籍 しょせき · スカラー · CiNii · J-STAGE · NDL · dlib.jp · ジャパンサーチ · TWL (2016年 ねん 1月 がつ )
金銭 きんせん がらみの計画 けいかく 的 てき な殺人 さつじん :保険 ほけん 金 きん 目的 もくてき あるいは債務 さいむ 逃 のが れの殺人 さつじん など、金銭 きんせん がらみの計画 けいかく 的 てき な殺人 さつじん の場合 ばあい 、被害 ひがい 者 しゃ が1人 ひとり だけでも死刑 しけい になる場合 ばあい がある。特 とく に身代金 みのしろきん 目的 もくてき 誘拐 ゆうかい 殺人 さつじん の場合 ばあい 、誘拐 ゆうかい 直後 ちょくご に被害 ひがい 者 しゃ を殺害 さつがい することを事前 じぜん に計画 けいかく していたか、誘拐 ゆうかい 後 ご 短時間 たんじかん 、あるいは身代金 みのしろきん 要求 ようきゅう 前 まえ に被害 ひがい 者 しゃ を殺害 さつがい した場合 ばあい 、被害 ひがい 者 しゃ が1人 ひとり でもほとんど死刑 しけい が選択 せんたく されている(後述 こうじゅつ )[注釈 ちゅうしゃく 1] 。殺人 さつじん が計画 けいかく 的 てき でなくても、動機 どうき が金銭 きんせん がらみの場合 ばあい 、被害 ひがい 者 しゃ が複数 ふくすう なら死刑 しけい 、1人 ひとり でも無期 むき 懲役 ちょうえき といった厳刑 げんけい になる場合 ばあい が多 おお い。
心神喪失 しんしんそうしつ あるいは心神耗弱 しんしんこうじゃく 者 しゃ の行為 こうい :被害 ひがい 者 しゃ 4人 にん 以上 いじょう でも新宿 しんじゅく 西口 にしぐち バス放火 ほうか 事件 じけん (死者 ししゃ 6人 にん )や深川 ふかがわ 通 とお り魔 ま 殺人 さつじん 事件 じけん (死者 ししゃ 4人 にん )、西成 にしなり 区 く 覚醒剤 かくせいざい 中毒 ちゅうどく 者 しゃ 7人 にん 殺傷 さっしょう 事件 じけん (死者 ししゃ 4人 にん )では、「心神喪失 しんしんそうしつ 者 しゃ の行為 こうい は罰 ばっ しない。心神耗弱 しんしんこうじゃく 者 しゃ の行為 こうい は、その刑 けい を減 げん 軽 けい する。」という刑法 けいほう 39条 じょう に拠 よ って、加害 かがい 者 しゃ の犯行 はんこう 時 じ は心神耗弱 しんしんこうじゃく であったことが認 みと められ、法律 ほうりつ 上 じょう の刑 けい の減 げん 軽 けい として刑法 けいほう 68条 じょう 1号 ごう の規定 きてい により、無期 むき 懲役 ちょうえき の判決 はんけつ が確定 かくてい している(ただし、麻薬 まやく ・覚醒剤 かくせいざい ・アルコール などで「故意 こい 」または「過失 かしつ 」で心神喪失 しんしんそうしつ に陥 おちい ったと認 みと められた場合 ばあい 、刑法 けいほう 39条 じょう の規定 きてい は適用 てきよう されない。詳 くわ しくは「原因 げんいん において自由 じゆう な行為 こうい 」を参照 さんしょう 。)。
一家 いっか 心中 しんちゅうの :大量 たいりょう 殺人 さつじん であっても一家 いっか 心中 しんちゅうの を企 くわだ てて生 い き残 のこ った親 おや については極 きわ めて軽微 けいび な刑 けい が科 か される事例 じれい があり[注釈 ちゅうしゃく 2] 、中 なか には心神喪失 しんしんそうしつ を理由 りゆう に不 ふ 起訴 きそ 処分 しょぶん になった事例 じれい もある。ただし、岩手 いわて 県 けん 種市 たねいち 町 まち 妻子 さいし 5人 にん 殺害 さつがい 事件 じけん (1989年 ねん )では第 だい 一 いち 審 しん で無理心中 むりしんじゅう と認定 にんてい されて無期 むき 懲役 ちょうえき 判決 はんけつ がい渡 いわた されたものの、控訴 こうそ 審 しん では無理心中 むりしんじゅう とは認 みと められず逆転 ぎゃくてん 死刑 しけい 判決 はんけつ (破棄 はき 自 じ 判 はん )がい渡 いわた されている[1] 。
親 おや が子供 こども を殺害 さつがい した場合 ばあい :「行 い きすぎた親権 しんけん の乱用 らんよう 」と解釈 かいしゃく されることが多 おお く、殺人 さつじん 罪 ざい ではなく傷害 しょうがい 致死 ちし 罪 ざい の適用 てきよう となる場合 ばあい もあり、死刑 しけい にならない場合 ばあい が多 おお い。子供 こども に障害 しょうがい がある場合 ばあい には、殺害 さつがい された子供 こども には責任 せきにん がないにもかかわらず、「懲役 ちょうえき 3年 ねん 、執行 しっこう 猶予 ゆうよ 5年 ねん 」のような執行 しっこう 猶予 ゆうよ になるケースも散見 さんけん される。また同様 どうよう に寝 ね たきりの者 もの を介護 かいご していた親族 しんぞく が殺害 さつがい した場合 ばあい には、情状 じょうじょう 酌量 しゃくりょう によって起訴 きそ 猶予 ゆうよ される場合 ばあい がある。
計画 けいかく 的 てき 犯行 はんこう でなかった事件 じけん で死刑 しけい 判決 はんけつ が出 で なかった例 れい
江東 こうとう マンション神隠 かみがく し殺人 さつじん 事件 じけん では、検察 けんさつ も被害 ひがい 者 しゃ 遺族 いぞく の処罰 しょばつ 感情 かんじょう や過去 かこ に被害 ひがい 者 しゃ が1人 にん でも死刑 しけい 判決 はんけつ が出 で た事例 じれい を挙 あ げ、死刑 しけい を求 もと めたが、一 いち 審 しん ・二 に 審 しん ともそれを退 しりぞ け無期 むき 懲役 ちょうえき がい渡 いわた され確定 かくてい した。二 に 審 しん の東京 とうきょう 高裁 こうさい は、検察 けんさつ の被害 ひがい 者 しゃ が1人 ひとり の死刑 しけい 判決 はんけつ の事例 じれい に対 たい し、「残虐 ざんぎゃく 性 せい の程度 ていど や被告 ひこく の犯罪 はんざい 傾向 けいこう の深 ふか さなどに違 ちが いがあり、同様 どうよう に死刑 しけい を選択 せんたく すべきとの根拠 こんきょ にならない」と述 の べた[2] 。「殺害 さつがい を最初 さいしょ から意図 いと していなかったこと」「証拠 しょうこ 隠滅 いんめつ で遺体 いたい をバラバラにしたのは殺害 さつがい 後 ご であったこと」「被告人 ひこくにん の性格 せいかく は異様 いよう であったとしても、逮捕 たいほ 歴 れき がなかった」ことから、刑事 けいじ 法学 ほうがく 者 しゃ からは裁判官 さいばんかん が死刑 しけい 判決 はんけつ が出 だ しにくい事件 じけん だったと指摘 してき されている[3] 。
共犯 きょうはん 者 もの の強 つよ い支配 しはい の下 した に置 お かれていたために複数 ふくすう 人 じん の殺害 さつがい を実行 じっこう したにもかかわらず死刑 しけい とならなかった例 れい
北九州 きたきゅうしゅう 監禁 かんきん 殺人 さつじん 事件 じけん では、首謀 しゅぼう 者 しゃ の男 おとこ X(死刑 しけい 確定 かくてい )の指示 しじ に従 したが い6人 にん の殺害 さつがい と1人 ひとり の傷害 しょうがい 致死 ちし を実行 じっこう した女性 じょせい Yについて、第 だい 一 いち 審 しん の福岡 ふくおか 地裁 ちさい 小倉 こくら 支部 しぶ は死刑 しけい としたものの、第 だい 二 に 審 しん の福岡 ふくおか 高裁 こうさい は首謀 しゅぼう 者 しゃ である男 おとこ の強 つよ い支配 しはい の下 した に置 お かれ追従 ついしょう 的 てき に関与 かんよ したに過 す ぎないとして無期 むき 懲役 ちょうえき とし、最高裁 さいこうさい も「首謀 しゅぼう 者 しゃ から虐待 ぎゃくたい を受 う け続 つづ けた結果 けっか 、犯行 はんこう に加担 かたん した点 てん などを考慮 こうりょ すると、死刑 しけい にするほかないとは断定 だんてい しがたい」としてこの判断 はんだん を維持 いじ した[4] 。
尼崎 あまがさき 事件 じけん では、主犯 しゅはん 女 おんな X(逮捕 たいほ 後 ご 自殺 じさつ )の強 つよ い支配 しはい に置 お かれ2名 めい 又 また は3名 めい の殺害 さつがい を実行 じっこう したとされた被告 ひこく に対 たい し、2名 めい を殺害 さつがい した男性 だんせい Vに懲役 ちょうえき 15年 ねん (求刑 きゅうけい 懲役 ちょうえき 20年 ねん )・男性 だんせい Sに懲役 ちょうえき 17年 ねん (求刑 きゅうけい 懲役 ちょうえき 25年 ねん )、3名 めい を殺害 さつがい した女性 じょせい Pと男性 だんせい Qと男性 だんせい Rにそれぞれ懲役 ちょうえき 21年 ねん (求刑 きゅうけい 懲役 ちょうえき 30年 ねん )・D家 か 次女 じじょ に懲役 ちょうえき 23年 ねん (求刑 きゅうけい 懲役 ちょうえき 30年 ねん )、3名 めい を殺害 さつがい し1名 めい を死 し に致 いた した男性 だんせい Tに求刑 きゅうけい 通 どお りの無期 むき 懲役 ちょうえき をそれぞれい渡 いわた した。
殺害 さつがい された被害 ひがい 者 しゃ の数 かず との関係 かんけい
編集 へんしゅう
死刑 しけい もその他 た の刑罰 けいばつ と同様 どうよう 、罪刑法定 ざいけいほうてい 主義 しゅぎ に則 のっと った明快 めいかい な基準 きじゅん の必要 ひつよう 性 せい が法曹界 ほうそうかい で議論 ぎろん されてきた。従来 じゅうらい は、どの程度 ていど の罪状 ざいじょう に対 たい して死刑 しけい を適用 てきよう するか、罪状 ざいじょう による適用 てきよう 範囲 はんい の重複 じゅうふく はあるが、最高裁 さいこうさい はおおむね以下 いか のような判例 はんれい を示 しめ していた。
3人 にん 以上 いじょう 殺害 さつがい した場合 ばあい は、死刑 しけい の可能 かのう 性 せい が高 たか い。あくまでも「可能 かのう 性 せい 」であり「被害 ひがい 者 しゃ が何人 なんにん で死刑 しけい が確定 かくてい する」という基準 きじゅん はない。
2人 ふたり 殺害 さつがい した場合 ばあい は総合 そうごう 的 てき に判断 はんだん し、死刑 しけい か無期 むき 刑 けい か有期 ゆうき 刑 けい か量刑 りょうけい 判断 はんだん が決 き まる。
1人 ひとり 殺害 さつがい した場合 ばあい は、無期 むき 刑 けい や有期 ゆうき 刑 けい の可能 かのう 性 せい が高 たか いが、身代金 みのしろきん 目的 もくてき 誘拐 ゆうかい 殺人 さつじん など、殺害 さつがい の計画 けいかく 性 せい が高 たか く、動機 どうき に酌量 しゃくりょう の余地 よち がない場合 ばあい には死刑 しけい が選択 せんたく される場合 ばあい もある。また、殺人 さつじん の前科 ぜんか がある場合 ばあい は1人 ひとり 殺害 さつがい でも死刑 しけい 判決 はんけつ が出 で る可能 かのう 性 せい が高 たか い。
これに前述 ぜんじゅつ の永山 ながやま 基準 きじゅん をはじめ、情状 じょうじょう 酌量 しゃくりょう の余地 よち 、主犯 しゅはん かどうか、反省 はんせい の有無 うむ 、再犯 さいはん の可能 かのう 性 せい 、更生 こうせい の見込 みこ みといったものを考慮 こうりょ にいれて実際 じっさい の量刑 りょうけい が決 き まる。
また、運用 うんよう は時代 じだい 背景 はいけい とともに変遷 へんせん がある。警察庁 けいさつちょう や法務省 ほうむしょう の統計 とうけい によれば第 だい 二 に 次 じ 世界 せかい 大戦 たいせん 後 ご の殺人 さつじん 認知 にんち 件数 けんすう は1954年 ねん の3081件 けん 、人口 じんこう 10万 まん 人 にん 中 ちゅう の殺人 さつじん 率 りつ 3.49件 けん をピークに、単 たん 年度 ねんど の増減 ぞうげん はあっても長期 ちょうき 的 てき には減少 げんしょう 傾向 けいこう であり、2022年 ねん は史上 しじょう 最少 さいしょう の853件 けん 、人口 じんこう 10万 まん 人 にん 中 ちゅう 0.68件 けん を記録 きろく した[5] 。死刑 しけい 判決 はんけつ と死刑 しけい の執行 しっこう も単 たん 年度 ねんど の増減 ぞうげん はあっても長期 ちょうき 的 てき には減少 げんしょう 傾向 けいこう である[6] [7] 。
なお、2012年 ねん 7月 がつ 23日 にち に最高 さいこう 裁判所 さいばんしょ 司法研修所 しほうけんしゅうしょ が出 だ した「裁判 さいばん 員 いん 裁判 さいばん の量刑 りょうけい 評議 ひょうぎ の在 あ り方 かた についての研究 けんきゅう 報告 ほうこく 書 しょ 」によると、裁判官 さいばんかん が下 くだ した過去 かこ 30年間 ねんかん の裁判 さいばん 例 れい を調査 ちょうさ した上 うえ で、「死亡 しぼう した被害 ひがい 者 しゃ 数 すう と死刑 しけい 判決 はんけつ にはかなりの相関 そうかん 関係 かんけい があり、死刑 しけい 宣告 せんこく に当 あ たっての最 もっと も大 おお きな要素 ようそ は被害 ひがい 者 しゃ 数 すう 」であると結論 けつろん 付 づ け、永山 ながやま 基準 きじゅん については「単 たん に考慮 こうりょ 要素 ようそ を指摘 してき しているだけで、基準 きじゅん とはいい難 がた い」と指摘 してき している[8] 。
死刑 しけい を適用 てきよう するかしないかの量刑 りょうけい 判断 はんだん において、殺害 さつがい 人数 にんずう は重要 じゅうよう な要素 ようそ であるが、殺害 さつがい 人数 にんずう で機械 きかい 的 てき に決 き まるわけではなく、殺人 さつじん の動機 どうき ・目的 もくてき 、殺害 さつがい に至 いた る状況 じょうきょう ・形態 けいたい 、裁判 さいばん における被告人 ひこくにん の言動 げんどう なども総合 そうごう 的 てき に考慮 こうりょ されて量刑 りょうけい 判断 はんだん されるので、殺害 さつがい 人数 にんずう は量刑 りょうけい 判断 はんだん の要素 ようそ の一 ひと つであり、殺害 さつがい 人数 にんずう だけが量刑 りょうけい 判断 はんだん の決定 けってい 要因 よういん ではない。略取 りゃくしゅ ・誘拐 ゆうかい 、強盗 ごうとう 、強姦 ごうかん 、強制 きょうせい わいせつ、放火 ほうか 、テロの結果 けっか として被害 ひがい 者 しゃ を殺害 さつがい した場合 ばあい は、殺害 さつがい 人数 にんずう が1人 にん でも死刑 しけい 判決 はんけつ になった事例 じれい はある。
組織 そしき 犯罪 はんざい の場合 ばあい 、5.15事件 じけん 、2.26事件 じけん 、連合赤軍 れんごうせきぐん 事件 じけん 、東 ひがし アジア反日 はんにち 武装 ぶそう 戦線 せんせん の連続 れんぞく 企業 きぎょう 爆破 ばくは 事件 じけん 、オウム真理教 おうむしんりきょう が起 お こした事件 じけん などのように、多数 たすう の被害 ひがい 者 しゃ を殺害 さつがい した共同 きょうどう 正犯 せいはん として裁 さば かれた場合 ばあい 、首謀 しゅぼう 者 しゃ 、指導 しどう 者 しゃ 、指揮 しき 命令 めいれい 者 しゃ 、実行 じっこう 者 しゃ 、補助 ほじょ 者 しゃ 、協力 きょうりょく 者 しゃ など、犯行 はんこう グループの中 なか での立場 たちば により、量刑 りょうけい 判断 はんだん は死刑 しけい 、無期 むき 刑 けい 、有期 ゆうき 刑 けい に分 わ かれる。
被害 ひがい 者 しゃ が1人 ひとり で死刑 しけい が確定 かくてい した事例 じれい
編集 へんしゅう
犯行 はんこう の残虐 ざんぎゃく 性 せい ・社会 しゃかい 的 てき 重大 じゅうだい 性 せい
編集 へんしゅう
「犯行 はんこう 態様 たいよう が極 きわ めて残虐 ざんぎゃく であり、共 とも に同等 どうとう の責任 せきにん を負 お うべきである」として共犯 きょうはん 2人 にん が死刑 しけい になる場合 ばあい (例 れい :北九州 きたきゅうしゅう 市 し 病院 びょういん 長 ちょう 殺害 さつがい 事件 じけん )もある。
2004年 ねん に死刑 しけい 判決 はんけつ が確定 かくてい した警察庁 けいさつちょう 広域 こういき 重要 じゅうよう 指定 してい 118号 ごう 事件 じけん では犠牲 ぎせい 者 しゃ 2人 にん に対 たい し犯行 はんこう グループ6人 にん のうち3人 にん (死刑 しけい 求刑 きゅうけい は5人 にん )の死刑 しけい が確定 かくてい しており、犠牲 ぎせい 者 しゃ 数 すう よりも多 おお い人数 にんずう の被告人 ひこくにん に対 たい して死刑 しけい が宣告 せんこく されるケースも見 み られつつある。
戦前 せんぜん に発生 はっせい した最悪 さいあく 級 きゅう の殺人 さつじん 事件 じけん であるが東京 とうきょう 市電 しでん 運転 うんてん 手 しゅ 連続 れんぞく 殺傷 さっしょう 事件 じけん (死者 ししゃ 7人 にん 、負傷 ふしょう 者 しゃ 10人 にん )でも無期 むき 懲役 ちょうえき が判決 はんけつ されている。また、地下鉄 ちかてつ サリン事件 じけん の実行 じっこう 犯 はん である林 はやし 郁夫 いくお は担当 たんとう 車両 しゃりょう で2人 ふたり を殺害 さつがい したが、自首 じしゅ が情状 じょうじょう 酌量 しゃくりょう の要素 ようそ として認 みと められたためか、死刑 しけい ではなく無期 むき 懲役 ちょうえき を求刑 きゅうけい され、求刑 きゅうけい 通 どお りの判決 はんけつ となっている(サリン を製造 せいぞう しただけで殺害 さつがい 実行 じっこう や事前 じぜん 謀議 ぼうぎ には一切 いっさい 関 かか わっていない土谷 つちたに 正実 まさみ や地下鉄 ちかてつ サリン事件 じけん の散布 さんぷ 実行 じっこう 犯 はん として担当 たんとう 車両 しゃりょう で1人 ひとり の死者 ししゃ も出 だ さなかった横山 よこやま 真人 まさと が死刑 しけい 判決 はんけつ を受 う ける中 なか で、林 はやし 郁夫 いくお は地下鉄 ちかてつ サリン事件 じけん の散布 さんぷ 実行 じっこう 犯 はん としては唯一 ゆいいつ 死刑 しけい を免 まぬか れている)。刑事 けいじ 裁判 さいばん では犠牲 ぎせい 者 しゃ 数 すう だけで機械 きかい 的 てき に死刑 しけい が適用 てきよう されるわけではなく、判例 はんれい に依拠 いきょ しつつ犯罪 はんざい の性質 せいしつ も含 ふく めて総合 そうごう 的 てき に判断 はんだん している。
少年 しょうねん 法 ほう 51条 じょう 1項 こう および児童 じどう の権利 けんり に関 かん する条約 じょうやく 37条 じょう (a)により、18歳 さい 未満 みまん の年齢 ねんれい で犯罪 はんざい 行為 こうい を行 おこな った少年 しょうねん に対 たい しては死刑 しけい に処 しょ することができない(死刑 しけい 相当 そうとう の場合 ばあい は無期 むき 懲役 ちょうえき が下 くだ される)と規定 きてい されている。日本 にっぽん の少年 しょうねん 法 ほう では18歳 さい 未満 みまん の者 もの には死刑 しけい に替 か えて無期 むき 刑 けい を科 か することになっている[10] 。
犯行 はんこう 時 じ に未成年 みせいねん であっても18歳 さい 以上 いじょう であれば判例 はんれい に刑 けい 事件 じけん であれ死刑 しけい 判決 はんけつ になる可能 かのう 性 せい はある。第 だい 二 に 次 じ 世界 せかい 大戦 たいせん 終結 しゅうけつ 以後 いご の日本 にっぽん で、犯行 はんこう 時 じ に未成年 みせいねん だった被告人 ひこくにん に対 たい する死刑 しけい 判決 はんけつ は確認 かくにん されているだけで42人 にん 存在 そんざい する。そのうちの一人 ひとり は再審 さいしん で無罪 むざい になり、日本国 にっぽんこく 憲法 けんぽう の発効 はっこう と、それにともなって改正 かいせい された刑法 けいほう と刑事 けいじ 訴訟 そしょう 法 ほう が発効 はっこう した1949年 ねん 以前 いぜん の判例 はんれい で、犯行 はんこう 時 じ 17歳 さい で死刑 しけい 判決 はんけつ を受 う けた3人 にん は、刑事 けいじ 訴訟 そしょう 法 ほう の改正 かいせい で無期 むき に減刑 げんけい され、1949年 ねん の改正 かいせい 刑事 けいじ 訴訟 そしょう 法 ほう 発効 はっこう 以後 いご に3人 にん が恩赦 おんしゃ で減刑 げんけい され、前記 ぜんき 以外 いがい の35人 にん は死刑 しけい 囚 しゅう として処遇 しょぐう された、または、処遇 しょぐう されている。
犯行 はんこう 時 じ 18・19歳 さい の死刑 しけい 判決 はんけつ の事例 じれい
編集 へんしゅう
上記 じょうき の通 とお り、死刑 しけい を適用 てきよう できる年齢 ねんれい の下限 かげん は18歳 さい 以上 いじょう と規定 きてい されているが、年齢 ねんれい の上限 じょうげん については明文化 めいぶんか されていない。
日本 にっぽん では高齢 こうれい や身体 しんたい 機能 きのう の低下 ていか などを理由 りゆう とした死刑 しけい 囚 しゅう への恩赦 おんしゃ や、執行 しっこう の猶予 ゆうよ が決定 けってい されたことはなく、実際 じっさい に2001年 ねん に名張 なばり 毒 どく ぶどう酒 しゅ 事件 じけん の死刑 しけい 囚 しゅう が75歳 さい の時 とき に胃 い がんになって手術 しゅじゅつ したときも刑 けい の執行 しっこう 停止 ていし は行 おこな われていない。80歳 さい 以上 いじょう で獄死 ごくし した死刑 しけい 囚 しゅう も存在 そんざい する。
それに対 たい し懲役 ちょうえき など自由 じゆう 刑 けい 受刑 じゅけい 者 しゃ の場合 ばあい は「年齢 ねんれい 70年 ねん 以上 いじょう であるとき」(刑事 けいじ 訴訟 そしょう 法 ほう 482条 じょう 2項 こう )には検察官 けんさつかん の指揮 しき によって「自由 じゆう 刑 けい の裁量 さいりょう 的 てき 執行 しっこう 停止 ていし 」(刑事 けいじ 訴訟 そしょう 法 ほう 482条 じょう )ができる。実例 じつれい として江津 ごうつ 事件 じけん などがある。
現在 げんざい (2018年 ねん 時点 じてん )、戦後 せんご 最 さい 高齢 こうれい での死刑 しけい 執行 しっこう は2006年 ねん 12月に執行 しっこう された77歳 さい (秋山 あきやま 兄弟 きょうだい 事件 じけん の死刑 しけい 囚 しゅう )である。また、これと同時 どうじ に75歳 さい (今市 いまいち 4人 にん 殺傷 さっしょう 事件 じけん の死刑 しけい 囚 しゅう )の刑 けい も執行 しっこう されている。この75歳 さい の死刑 しけい 囚 しゅう は遺言 ゆいごん で、身体 しんたい の衰 おとろ えによって立 た つこともままならない状態 じょうたい であったと述 の べており[11] 、看守 かんしゅ に両 りょう 脇 わき を抱 かか えられる形 かたち で処刑 しょけい されている[12] 。なお、それまでの戦後 せんご 最 さい 高齢 こうれい は生涯 しょうがい で10人 にん を殺害 さつがい した古谷 ふるや 惣 そう 吉 きち の71歳 さい (1985年 ねん 5月31日 にち 執行 しっこう )であった。
高齢 こうれい 死刑 しけい 囚 しゅう の事例 じれい として、他 た に以下 いか のものがある。
2016年 ねん 3月 がつ にも75歳 さい の死刑 しけい 囚 しゅう (大阪 おおさか 連続 れんぞく バラバラ殺人 さつじん 事件 じけん のK)の死刑 しけい が執行 しっこう された[13] 。
死刑 しけい のい渡 いわた しであるが、一 いち 審 しん であるが78歳 さい の男性 だんせい に死刑 しけい 判決 はんけつ が出 だ されたことがある。これは1989年 ねん に発生 はっせい した熊谷 くまがい 養鶏 ようけい 場 じょう 宿舎 しゅくしゃ 放火 ほうか 殺人 さつじん 事件 じけん の実行 じっこう 犯 はん に対 たい するものである。保険 ほけん 金 きん 目当 めあ ての首謀 しゅぼう 者 しゃ からの依頼 いらい で放火 ほうか したものであるが、13年 ねん 後 ご の2002年 ねん に事件 じけん の真相 しんそう が判明 はんめい し逮捕 たいほ されたが、実行 じっこう 犯 はん が殺人 さつじん 罪 ざい で懲役 ちょうえき 20年 ねん で服役 ふくえき し仮 かり 出所 しゅっしょ 中 なか の犯行 はんこう であったため死刑 しけい がい渡 いわた されたものである。ただし2006年 ねん に首謀 しゅぼう 者 しゃ が無期 むき 懲役 ちょうえき なのに死刑 しけい というのは均衡 きんこう を失 しっ するうえに82歳 さい と高齢 こうれい であるとして無期 むき 懲役 ちょうえき に減 げん 軽 けい されている[14] 。
帝銀 ていぎん 事件 じけん の平沢 ひらさわ 貞通 さだみち は、逮捕 たいほ 時 じ が56歳 さい で、死刑 しけい が確定 かくてい したのは63歳 さい の時 とき であったが、冤罪 えんざい の可能 かのう 性 せい が強 つよ く指摘 してき された事件 じけん であり、死刑 しけい 執行 しっこう が諸般 しょはん の事情 じじょう で延 の ばされていた。実際 じっさい に死刑 しけい の執行 しっこう が法務大臣 ほうむだいじん の決裁 けっさい 直前 ちょくぜん までいった事 こと が複数 ふくすう あり、最後 さいご に死刑 しけい 執行 しっこう が上申 じょうしん されたのは平沢 ひらさわ 82歳 さい の1974年 ねん 11月 がつ であったという。ただし当時 とうじ の法務大臣 ほうむだいじん 浜野 はまの 清吾 せいご が決裁 けっさい を渋 しぶ ったことで見送 みおく られたという[15] 。その後 ご は平沢 ひらさわ の死刑 しけい 執行 しっこう の可能 かのう 性 せい はなくなったといえ、1978年 ねん 7月 がつ に当時 とうじ の法務大臣 ほうむだいじん 瀬戸山 せとやま 三男 みつお は「86歳 さい になっている人 ひと をいまさら(執行 しっこう に)ひきだすのは大変 たいへん なことだ」と消極 しょうきょく 的 てき な姿勢 しせい を示 しめ しており[16] 、平沢 ひらさわ が獄死 ごくし する日 ひ を待 ま っていたと推測 すいそく されている。
2011年 ねん 3月 がつ に、72歳 さい だった2003年 ねん 9月 がつ に広島 ひろしま 県 けん 比婆 ひば 郡 ぐん 東城 とうじょう 町 まち (現 げん :庄原 しょうばら 市 し )で91歳 さい 女性 じょせい を、73歳 さい だった2004年 ねん 12月に岡山 おかやま 県 けん 井原 いはら 市 し で蕎麦 そば 屋 や 店主 てんしゅ の76歳 さい 男性 だんせい を強盗 ごうとう 目的 もくてき で殺害 さつがい した男 おとこ に、戦後 せんご 最 さい 高齢 こうれい での死刑 しけい 確定 かくてい となる79歳 さい で死刑 しけい 判決 はんけつ が確定 かくてい した。高齢 こうれい 者 しゃ による同 おな じ高齢 こうれい 者 しゃ を殺害 さつがい したものであった。二 に 審 しん で逆転 ぎゃくてん 死刑 しけい がい渡 いわた された。なお、この死刑 しけい 囚 しゅう は死刑 しけい が執行 しっこう されないまま2016年 ねん 2月 がつ に84歳 さい で病死 びょうし している[17] 。
仮釈放 かりしゃくほう 中 なか の無期 むき 懲役 ちょうえき 受刑 じゅけい 者 しゃ による強盗 ごうとう 殺人 さつじん 事件 じけん について福山 ふくやま 市 し 独居 どっきょ 老 ろう 婦人 ふじん 殺害 さつがい 事件 じけん で最高裁 さいこうさい は1999年 ねん 12月10日 にち に「別 べつ の強盗 ごうとう 殺人 さつじん 罪 ざい で仮釈放 かりしゃくほう 中 ちゅう に再 ふたた び強盗 ごうとう 殺人 さつじん を犯 おか したケースは死刑 しけい が相当 そうとう 」であるとして、累犯 るいはん による刑 けい 加重 かじゅう であるとして下級 かきゅう 審 しん が下 くだ した無期 むき 懲役 ちょうえき 判決 はんけつ を破棄 はき し、高裁 こうさい で差 さ し戻 もど して死刑 しけい の適用 てきよう を求 もと める判決 はんけつ を出 だ している。
また無期 むき 懲役 ちょうえき ではないが殺人 さつじん の前科 ぜんか があり、その後 ご 強姦 ごうかん した女性 じょせい が告訴 こくそ した事 こと を逆恨 さかうら みした結果 けっか 殺人 さつじん を犯 おか した者 もの について、死刑 しけい が確定 かくてい して4年 ねん 後 ご に処刑 しょけい されている(詳細 しょうさい は「JT女性 じょせい 社員 しゃいん 逆恨 さかうら み殺人 さつじん 事件 じけん 」に記 しる す)。
死刑 しけい 確定 かくてい した事件 じけん で被告人 ひこくにん に前科 ぜんか があったものの例 れい
遺族 いぞく の被害 ひがい 感情 かんじょう ・処罰 しょばつ 感情 かんじょう
編集 へんしゅう
被害 ひがい 者 しゃ の遺族 いぞく の処罰 しょばつ 感情 かんじょう は量刑 りょうけい 判断 はんだん では考慮 こうりょ されない。例 たと えば、2親等 しんとう 以内 いない の家族 かぞく がいない、または、3親等 しんとう 以内 いない の親族 しんぞく もいない人 ひと を標的 ひょうてき に選 えら んで殺害 さつがい した場合 ばあい 、処罰 しょばつ 感情 かんじょう を述 の べる家族 かぞく がいないからという理由 りゆう で、不 ふ 起訴 きそ 、無罪 むざい 、判例 はんれい より軽 かる い量刑 りょうけい 判断 はんだん をされることはない。
多額 たがく の財産 ざいさん を保有 ほゆう していて、身寄 みよ りのない・天涯孤独 てんがいこどく の老人 ろうじん を標的 ひょうてき にして、殺害 さつがい して金銭 きんせん や財産 ざいさん を奪 うば った事例 じれい では、殺害 さつがい された被害 ひがい 者 しゃ に代 か わって処罰 しょばつ 感情 かんじょう を述 の べる家族 かぞく は存在 そんざい しないが、それを理由 りゆう に検察 けんさつ が不 ふ 起訴 きそ にすることも裁判 さいばん で判例 はんれい より軽 かる い求刑 きゅうけい をすることもなく、それを理由 りゆう に裁判所 さいばんしょ が無罪 むざい 判決 はんけつ や判例 はんれい より軽 かる い判決 はんけつ をすることはない。
また、殺害 さつがい された被害 ひがい 者 しゃ の家族 かぞく が裁判 さいばん で、加害 かがい 者 しゃ に対 たい する死刑 しけい を強 つよ く要求 ようきゅう しても、裁判所 さいばんしょ が被害 ひがい 者 しゃ の家族 かぞく の要求 ようきゅう をそのまま受 う け入 い れて死刑 しけい 判決 はんけつ をするわけではなく、判例 はんれい に照 て らして死刑 しけい 相当 そうとう の事件 じけん でなければ、死刑 しけい 判決 はんけつ にはならない。
「被害 ひがい 者 しゃ 遺族 いぞく が極刑 きょっけい を求 もと めるのは当然 とうぜん 」というステレオタイプ で語 かた られる場合 ばあい が多 おお いが、実際 じっさい のところは極刑 きょっけい を求 もと めない被害 ひがい 者 しゃ 遺族 いぞく も一 いち 定数 ていすう 存在 そんざい する(松本 まつもと サリン事件 じけん の被害 ひがい 者 しゃ である河野 こうの 義行 よしゆき など)。
日本 にっぽん では、殺人 さつじん 犯 はん が被害 ひがい 者 しゃ の親族 しんぞく である割合 わりあい が、45 - 54%である。また、既遂 きすい の場合 ばあい は51 - 61%、未遂 みすい は42 - 53%であった。さらに既遂 きすい の割合 わりあい は、減少 げんしょう 傾向 けいこう にあり、2022年 ねん は約 やく 32.4%で、2013年 ねん の約 やく 38.8%に比 くら べて減 へ っており、2019年 ねん 以降 いこう は30.0-35.0%の間 あいだ で推移 すいい している[18] 。親子 おやこ 心中 しんちゅうの や被 ひ 介護 かいご 者 しゃ 殺害 さつがい を殺人 さつじん 罪 ざい として立件 りっけん すれば、もっと増 ふ えることになる。被害 ひがい 者 しゃ と加害 かがい 者 しゃ を共 とも に親族 しんぞく とする者 もの の場合 ばあい 、極刑 きょっけい を求 もと めることはあまりないようである[19] 。
公判 こうはん における態度 たいど :公判 こうはん のなかで被告人 ひこくにん が反省 はんせい の弁 べん を述 の べなかったり、犯罪 はんざい の共謀 きょうぼう 者 しゃ と罪 つみ のなすり付 つ け合 あ いをしている場合 ばあい も死刑 しけい 判決 はんけつ が出 で るケースが多 おお い。人違 ひとちが いバラバラ殺人 さつじん 事件 じけん では控訴 こうそ 審 しん で証人 しょうにん を刺 さ したことで逆転 ぎゃくてん 死刑 しけい となった。
「裁判所 さいばんしょ は検察官 けんさつかん の求刑 きゅうけい に拘束 こうそく されない」とあるため、懲役 ちょうえき 刑 けい などの場合 ばあい は検察官 けんさつかん の求刑 きゅうけい よりも重 おも い刑 けい の判決 はんけつ を出 だ すこともできるが、無期 むき 懲役 ちょうえき 以下 いか の求刑 きゅうけい に対 たい して求刑 きゅうけい 超 こ え死刑 しけい 判決 はんけつ は1957年 ねん を最後 さいご に出 で ていない。
死刑 しけい 判決 はんけつ では、被告人 ひこくにん の心理 しんり 状態 じょうたい を考慮 こうりょ し主文 しゅぶん 朗読 ろうどく が後回 あとまわ しにされることが多 おお い[20] (通常 つうじょう の刑事 けいじ 裁判 さいばん では、主文 しゅぶん を先 さき に朗読 ろうどく した後 のち に判決 はんけつ 理由 りゆう の朗読 ろうどく が続 つづ く)[21] [22] 。
死刑 しけい の言渡 いいわた しを受 う けた者 もの は、その執行 しっこう に至 いた るまで刑事 けいじ 施設 しせつ に拘置 こうち される(刑法 けいほう 11条 じょう 2項 こう )。死刑 しけい の言渡 いいわた しを受 う けて拘置 こうち されている者 もの を死刑 しけい 確定 かくてい 者 しゃ という(刑事 けいじ 収容 しゅうよう 施設 しせつ 及 およ び被 ひ 収容 しゅうよう 者 しゃ 等 とう の処遇 しょぐう に関 かん する法律 ほうりつ 2条 じょう 11号 ごう )。この拘置 こうち の法律 ほうりつ 上 じょう の位置 いち づけは「死刑 しけい の執行 しっこう 行為 こうい に必然 ひつぜん 的 てき に付随 ふずい する前 ぜん 置 おけ 手続 てつづき 」であって刑 けい の執行 しっこう そのものではない(昭和 しょうわ 60年 ねん 7月 がつ 19日 にち 最高裁 さいこうさい 判決 はんけつ )。法理 ほうり 論 ろん 上 じょう 、死刑 しけい とはあくまでも絞首 こうしゅ の執行 しっこう そのものをいい(刑法 けいほう 11条 じょう 2項 こう )、執行 しっこう に至 いた るまでの拘置 こうち は特殊 とくしゅ な拘禁 こうきん 状態 じょうたい であり、死刑 しけい 確定 かくてい 者 しゃ は刑事 けいじ 収容 しゅうよう 施設 しせつ 及 およ び被 ひ 収容 しゅうよう 者 しゃ 等 とう の処遇 しょぐう に関 かん する法律 ほうりつ でいう「受刑 じゅけい 者 しゃ 」にも含 ふく まれていない(刑事 けいじ 収容 しゅうよう 施設 しせつ 及 およ び被 ひ 収容 しゅうよう 者 しゃ 等 とう の処遇 しょぐう に関 かん する法律 ほうりつ の「受刑 じゅけい 者 しゃ 」とは懲役 ちょうえき 受刑 じゅけい 者 しゃ 、禁錮 きんこ 受刑 じゅけい 者 しゃ 又 また は拘留 こうりゅう 受刑 じゅけい 者 しゃ をいう、同 どう 法 ほう 2条 じょう 4号 ごう )。
死刑 しけい が執行 しっこう されるまでの間 あいだ 、死刑 しけい 確定 かくてい 者 しゃ は刑場 けいじょう を有 ゆう する以下 いか の刑事 けいじ 施設 しせつ に拘置 こうち される(刑法 けいほう 11条 じょう 2項 こう )。
なお、2022年 ねん 現在 げんざい 、裁判 さいばん 員 いん 制度 せいど 下 した での確定 かくてい 死刑 しけい 囚 しゅう は死刑 しけい 執行 しっこう 施設 しせつ を持 も つ以上 いじょう の施設 しせつ の中 なか では札幌 さっぽろ を除 のぞ いた全 すべ ての施設 しせつ に収容 しゅうよう されている(札幌 さっぽろ には札幌 さっぽろ 高等 こうとう 裁判所 さいばんしょ 及 およ び最高 さいこう 裁判所 さいばんしょ 係属 けいぞく の死刑 しけい 事件 じけん の被告人 ひこくにん すら収容 しゅうよう されていない)。
詳細 しょうさい は
死刑 しけい 判決 はんけつ が確定 かくてい した死刑 しけい 囚 しゅう を移送 いそう することは、刑事 けいじ 施設 しせつ の側 がわ は保安 ほあん 上 じょう の理由 りゆう 等 とう から回避 かいひ したい事態 じたい と思 おも われる。近年 きんねん 、死刑 しけい 囚 しゅう を移送 いそう する際 さい の事故 じこ は、少 すく なくとも報道 ほうどう されていない。ただし、懲役 ちょうえき 20年 ねん の判決 はんけつ が確定 かくてい した受刑 じゅけい 者 しゃ については、2013年 ねん に移送 いそう 中 ちゅう に逃走 とうそう を試 こころ みた事件 じけん があった[23] 。
死刑 しけい 囚 しゅう の移送 いそう は主 おも に、刑場 けいじょう のない施設 しせつ に収容 しゅうよう されている被告人 ひこくにん の死刑 しけい が確定 かくてい した場合 ばあい (刑場 けいじょう のある拘置 こうち 所 しょ へ移送 いそう )や、1事件 じけん で3人 にん 以上 いじょう の死刑 しけい が確定 かくてい した場合 ばあい (同一 どういつ の刑場 けいじょう では、1日 にち に3人 にん 以上 いじょう の死刑 しけい 執行 しっこう が困難 こんなん であるため)といった場合 ばあい に行 おこな われる。
外部 がいぶ 交通 こうつう は信書 しんしょ の発 はつ 受と面会 めんかい に限 かぎ られ、面会 めんかい できる相手 あいて は次 つぎ のいずれかに限 かぎ られている。
親族 しんぞく ・婚姻 こんいん 関係 かんけい の調整 ちょうせい 、訴訟 そしょう の遂行 すいこう 、事業 じぎょう の維持 いじ その他 た の死刑 しけい 確定 かくてい 者 しゃ の身分 みぶん 上 じょう 、法律 ほうりつ 上 じょう 又 また は業務 ぎょうむ 上 じょう の重大 じゅうだい な利害 りがい に係 かか る用務 ようむ の処理 しょり のため面会 めんかい することが必要 ひつよう な者 もの
面会 めんかい により死刑 しけい 確定 かくてい 者 しゃ の心情 しんじょう の安定 あんてい に資 し すると認 みと められる者 しゃ
前記 ぜんき に掲 かか げる者 もの 以外 いがい の者 もの から面会 めんかい の申 さる 出 で があった場合 ばあい において、その者 もの との交友 こうゆう 関係 かんけい の維持 いじ その他 た 面会 めんかい することを必要 ひつよう とする事情 じじょう があり、かつ、面会 めんかい により刑事 けいじ 施設 しせつ の規律 きりつ 及 およ び秩序 ちつじょ を害 がい する結果 けっか を生 しょう ずるおそれがないと認 みと める者 もの に限 かぎ られている。
このように外部 がいぶ 交通 こうつう が厳 きび しく制限 せいげん されているため、家族 かぞく と疎遠 そえん になっている場合 ばあい などには、何 なん 年間 ねんかん も誰 だれ とも面会 めんかい できない者 もの もいる。また、死刑 しけい 確定 かくてい 者 しゃ の支援 しえん 者 しゃ らが養子 ようし 縁組 えんぐみ などを行 おこな い、家族 かぞく として面会 めんかい を求 もと めた場合 ばあい も拒否 きょひ される(群馬 ぐんま 3女性 じょせい 殺人 さつじん 事件 じけん の死刑 しけい 囚 しゅう とその養親 ようしん 。面会 めんかい のためだけに養子 ようし 縁組 えんぐみ となり、家族 かぞく という形 かたち で面会 めんかい することを刑事 けいじ 施設 しせつ 側 がわ が拒否 きょひ したのは合憲 ごうけん とする判例 はんれい を出 だ した)。
このような外部 がいぶ 交通 こうつう の制限 せいげん について日弁連 にちべんれん は報告 ほうこく 書 しょ で、国際 こくさい 人権 じんけん 規約 きやく に反 はん するとしている。
死刑 しけい 判決 はんけつ が確定 かくてい すると、判決 はんけつ 謄本 とうほん と公判 こうはん 記録 きろく が当該 とうがい 死刑 しけい を求刑 きゅうけい した検察庁 けんさつちょう に送 おく られる。高等 こうとう 検察庁 けんさつちょう の検事 けんじ 長 ちょう 、あるいは地方 ちほう 検察庁 けんさつちょう の検事正 けんじせい は、これらの書類 しょるい をもとに、死刑 しけい 確定 かくてい 者 しゃ に関 かん する上申 じょうしん 書 しょ を作成 さくせい し法務大臣 ほうむだいじん に提出 ていしゅつ する。
上申 じょうしん 書 しょ は、法務省 ほうむしょう 刑事 けいじ 局 きょく に回 まわ され、同時 どうじ に検察庁 けんさつちょう から刑事 けいじ 局 きょく に裁判 さいばん の確定 かくてい 記録 きろく が運 はこ ばれる。刑事 けいじ 局 きょく 総務 そうむ 課 か は資料 しりょう に不備 ふび のない事 こと を確認 かくにん し、また確定 かくてい 死刑 しけい 囚 しゅう について裁判 さいばん に提出 ていしゅつ されなかった証拠 しょうこ 記録 きろく を送付 そうふ するよう命令 めいれい し、刑事 けいじ 局 きょく 担当 たんとう の検事 けんじ が記録 きろく を審査 しんさ したうえで「死刑 しけい 執行 しっこう 起案 きあん 書 しょ 」を作成 さくせい 、最終 さいしゅう 的 てき に法務大臣 ほうむだいじん に上申 じょうしん する。
この法 ほう 手続 てつづ きは、司法 しほう 権 けん が下 くだ した生命 せいめい を奪 うば う刑罰 けいばつ を適用 てきよう する判断 はんだん を行政 ぎょうせい 権 けん が再度 さいど チェックするために設 もう けられたものである。法務 ほうむ 官僚 かんりょう が死刑 しけい 執行 しっこう に問題 もんだい ないと判断 はんだん した死刑 しけい 囚 しゅう について、法務大臣 ほうむだいじん の執行 しっこう 命令 めいれい 書 しょ の署名 しょめい を求 もと める。
この確認 かくにん 作業 さぎょう において、官僚 かんりょう の裁量 さいりょう 権 けん のなかに主観 しゅかん 的 てき 判断 はんだん が介在 かいざい するといわれている。日本 にっぽん の刑事 けいじ 裁判 さいばん では一般 いっぱん 的 てき に三 さん 審 しん 制 せい であるが、このように死刑 しけい に関 かん しては判決 はんけつ が確定 かくてい した後 のち 、法務大臣 ほうむだいじん が死刑 しけい 執行 しっこう 命令 めいれい に署名 しょめい する前 ぜん 段階 だんかい で、さらに法務省 ほうむしょう 刑事 けいじ 局 きょく 検事 けんじ による裁判 さいばん 記録 きろく の審査 しんさ がおこなわれ、健康 けんこう 状態 じょうたい に問題 もんだい があったり、また冤罪 えんざい の可能 かのう 性 せい があるなど執行 しっこう に障害 しょうがい のある死刑 しけい 囚 しゅう が排除 はいじょ されていくため、死刑 しけい 案件 あんけん については事実 じじつ 上 じょう の四 よん 審 しん 制 せい であると表現 ひょうげん [24] されることもある。
通常 つうじょう 、死刑 しけい 該当 がいとう 犯罪 はんざい の場合 ばあい 、その裁判 さいばん 資料 しりょう は膨大 ぼうだい なものであるから審査 しんさ には相当 そうとう の時間 じかん がかかる。特 とく に、刑 けい の執行 しっこう を停止 ていし しなければならない件 けん 、非常 ひじょう 上告 じょうこく の有無 うむ の件 けん 、再審 さいしん の件 けん 、恩赦 おんしゃ に相当 そうとう するかどうかの件 けん は慎重 しんちょう に確認 かくにん される。また、この間 あいだ に死刑 しけい 確定 かくてい 者 しゃ が妊娠 にんしん した場合 ばあい や、精神 せいしん に異常 いじょう をきたした場合 ばあい は、書類 しょるい は刑事 けいじ 局 きょく に戻 もど される。
審査 しんさ の結果 けっか 、死刑 しけい 執行 しっこう に問題 もんだい がないと判断 はんだん され、刑事 けいじ 局 きょく 付 づけ 検事 けんじ によって作成 さくせい された死刑 しけい 執行 しっこう 起案 きあん 書 しょ は刑事 けいじ 局 きょく 、矯正 きょうせい 局 きょく 、保護 ほご 局 きょく の決裁 けっさい を受 う け、これらの決裁 けっさい の確認 かくにん の後 のち 「死刑 しけい 執行 しっこう 命令 めいれい 書 しょ 」として法務省 ほうむしょう 大臣 だいじん 官房 かんぼう へ送 おく られる。
死刑 しけい 執行 しっこう 命令 めいれい 書 しょ は官房 かんぼう 長 ちょう の決裁 けっさい を経 へ て、法務大臣 ほうむだいじん の下 した へ届 とど く。本来 ほんらい であれば法務 ほうむ 事務次官 じむじかん の決裁 けっさい が必要 ひつよう だが、法務大臣 ほうむだいじん と法務省 ほうむしょう の事務 じむ 方 かた 代表 だいひょう である法務 ほうむ 事務次官 じむじかん の決裁 けっさい が食 く い違 ちが っては、政治 せいじ 的 てき 問題 もんだい になるので、法務 ほうむ 事務次官 じむじかん の決裁 けっさい は、法務大臣 ほうむだいじん の決裁 けっさい を経 へ た案件 あんけん だけに行 おこな われる。
松本 まつもと 智 さとし 津 つ 夫 おっと の死刑 しけい 事件 じけん 審査 しんさ 結果 けっか (執行 しっこう 相当 そうとう )
現在 げんざい 日本 にっぽん において、死刑 しけい 執行 しっこう を最終 さいしゅう 判断 はんだん するのは法務大臣 ほうむだいじん となっている。刑事 けいじ 訴訟 そしょう 法 ほう 475条 じょう 1項 こう は「死刑 しけい の執行 しっこう は、法務大臣 ほうむだいじん の命令 めいれい による。」と定 さだ める。この命令 めいれい は、判決 はんけつ 確定 かくてい の日 ひ から6ヶ月 かげつ 以内 いない にしなければならないが(刑事 けいじ 訴訟 そしょう 法 ほう 475条 じょう 1項 こう )[注釈 ちゅうしゃく 4] 、上訴 じょうそ 権 けん 回復 かいふく 、再審 さいしん の請求 せいきゅう 、非常 ひじょう 上告 じょうこく 、恩赦 おんしゃ の出願 しゅつがん ・申出 もうしで がされその手続 てつづき が終了 しゅうりょう するまでの期間 きかん 及 およ び共同 きょうどう 被告人 ひこくにん であった者 もの に対 たい する判決 はんけつ が確定 かくてい するまでの期間 きかん は算入 さんにゅう されないこととなっている(刑事 けいじ 訴訟 そしょう 法 ほう 475条 じょう 2項 こう 但書 ただしがき )。何 なに 十 じゅう 年 ねん と長期 ちょうき に渡 わた って執行 しっこう されないこともあり、結果 けっか 的 てき に病気 びょうき や老衰 ろうすい で生涯 しょうがい を終 お えることも時々 ときどき 起 お きている。
なお、時事通信 じじつうしん (2012年 ねん 8月 がつ 19日 にち )によると、「死刑 しけい 執行 しっこう 命令 めいれい 書 しょ 」に大臣 だいじん の署名 しょめい はなく、印字 いんじ された大臣 だいじん の名前 なまえ の横 よこ に公印 こういん が押 お されているだけで、関連 かんれん 文書 ぶんしょ として法務省 ほうむしょう 幹部 かんぶ (大臣 だいじん 以下 いか 計 けい 13人 にん )の決裁 けっさい 印 いん が押 お された下記 かき の書類 しょるい 2様 よう がある。
「死刑 しけい 事件 じけん 審査 しんさ 結果 けっか (執行 しっこう 相当 そうとう )」:大臣 だいじん 、副 ふく 大臣 だいじん の自筆 じひつ 署名 しょめい のほか、事務次官 じむじかん 、刑事 けいじ 局長 きょくちょう 、刑事 けいじ 局 きょく 総務 そうむ 課長 かちょう ら5人 にん が押印 おういん 。
「死刑 しけい 執行 しっこう について」(起案 きあん 書 しょ :刑事 けいじ 局 きょく 総務 そうむ 課 か ):拘置 こうち 所 しょ を管轄 かんかつ する矯正 きょうせい 局 きょく 、保護 ほご 局 きょく の幹部 かんぶ 3人 にん ずつの押印 おういん 。
2013年 ねん 1月 がつ 11日 にち 、朝日新聞 あさひしんぶん が法務省 ほうむしょう に対 たい し、2007年 ねん 12月から2012年 ねん 9月に執行 しっこう された34人 にん の死刑 しけい 囚 しゅう に執行 しっこう された死刑 しけい について情報 じょうほう 公開 こうかい 請求 せいきゅう した結果 けっか 、「死刑 しけい 執行 しっこう 命令 めいれい 書 しょ 」など10種類 しゅるい の文書 ぶんしょ 計 けい 1137枚 まい が開示 かいじ された。これらの開示 かいじ 文書 ぶんしょ によると、法務大臣 ほうむだいじん や法務省 ほうむしょう 幹部 かんぶ ら合計 ごうけい 13人 にん が署名 しょめい ・押印 おういん して決裁 けっさい し、大臣 だいじん の命令 めいれい から2 - 4日 にち 後 ご に執行 しっこう されていたことが判明 はんめい した。また、死刑 しけい 判決 はんけつ の確定 かくてい から1 - 6ヶ月 かげつ 程度 ていど で、検察庁 けんさつちょう が法務大臣 ほうむだいじん あてに死刑 しけい 執行 しっこう を求 もと める「死刑 しけい 執行 しっこう 上申 じょうしん 書 しょ 」を提出 ていしゅつ していた。
なお、決裁 けっさい 文書 ぶんしょ の一部 いちぶ に記載 きさい ミスが存在 そんざい したことが判明 はんめい しており、2009年 ねん (平成 へいせい 21年 ねん )1月 がつ に4人 にん が執行 しっこう された際 さい 、当時 とうじ の法務大臣 ほうむだいじん 森 もり 英介 えいすけ が署名 しょめい した「死刑 しけい 事件 じけん 審査 しんさ 結果 けっか 」の決裁 けっさい 日 び は、「平成 へいせい 20年 ねん 1月 がつ 26日 にち 」と年度 ねんど が誤 あやま って記載 きさい されていた。署名 しょめい ・押印 おういん した法務省 ほうむしょう 幹部 かんぶ や法務大臣 ほうむだいじん ら7人 にん は年度 ねんど の記載 きさい ミスに気付 きづ かず、そのまま決裁 けっさい されて死刑 しけい が執行 しっこう された。他 ほか にも、2008年 ねん 2月 がつ の執行 しっこう 分 ぶん では矯正 きょうせい 局長 きょくちょう らが押印 おういん した文書 ぶんしょ の決裁 けっさい 日 び の記載 きさい 漏 も れが存在 そんざい した。これに対 たい し、法務省 ほうむしょう 刑事 けいじ 局 きょく は「単純 たんじゅん ミスで、文書 ぶんしょ の効力 こうりょく は変 か わらないと考 かんが えているが、誤 あやま りがあったことは申 もう し訳 わけ ない」と述 の べている[26] 。
松本 まつもと 智 さとし 津 つ 夫 おっと の死刑 しけい 執行 しっこう 命令 めいれい 書 しょ
法務大臣 ほうむだいじん が署名 しょめい 、押印 おういん して執行 しっこう 命令 めいれい 書 しょ が作成 さくせい されると、刑事 けいじ 施設 しせつ の長 ちょう に届 とど けられ、5日 にち 以内 いない に死刑 しけい が執行 しっこう される(刑事 けいじ 訴訟 そしょう 法 ほう 476条 じょう )。法律 ほうりつ (刑事 けいじ 収容 しゅうよう 施設 しせつ 及 およ び被 ひ 収容 しゅうよう 者 しゃ 等 とう の処遇 しょぐう に関 かん する法律 ほうりつ 178条 じょう 2項 こう )の規定 きてい により、日曜日 にちようび 、土曜日 どようび 、国民 こくみん の祝日 しゅくじつ に関 かん する法律 ほうりつ に定 さだ める休日 きゅうじつ 、12月29日 にち から1月 がつ 3日 にち までの間 あいだ は原則 げんそく 死刑 しけい の執行 しっこう は行 おこな われないが、かつては大晦日 おおみそか の12月31日 にち に死刑 しけい が執行 しっこう されることがあった。
また、1日 にち にひとつの刑事 けいじ 施設 しせつ で死刑 しけい が執行 しっこう されるのは1人 ひとり が基本 きほん であるが、2人 ふたり ないし3人 にん が時間 じかん をおいて執行 しっこう された例 れい も多数 たすう ある。また、共犯 きょうはん 関係 かんけい にある死刑 しけい 囚 しゅう の場合 ばあい 、同 おな じ日 び に死刑 しけい を執行 しっこう するという慣例 かんれい がある[27] (北九州 きたきゅうしゅう 市 し 病院 びょういん 長 ちょう 殺害 さつがい 事件 じけん や夕張 ゆうばり 保険 ほけん 金 きん 殺人 さつじん 事件 じけん 、オウム真理教 おうむしんりきょう 事件 じけん など)。また、後述 こうじゅつ の田中 たなか 伊 い 三 さん 次 じ が同時 どうじ に23人 にん に執行 しっこう 命令 めいれい を出 だ した際 さい は、全員 ぜんいん の死刑 しけい 執行 しっこう に1ヶ月 かげつ 以上 いじょう かかっており「5日 にち 以内 いない に死刑 しけい 」は刑事 けいじ 施設 しせつ の準備 じゅんび により遅 おく れる場合 ばあい がある。
過去 かこ においては当該 とうがい 死刑 しけい 確定 かくてい 者 しゃ に前日 ぜんじつ または前々 まえまえ 日 び に執行 しっこう の予定 よてい を告 つ げ、死刑 しけい 確定 かくてい 者 しゃ の希望 きぼう する食事 しょくじ をできる限 かぎ りの範囲 はんい で与 あた え、特別 とくべつ の入浴 にゅうよく や親族 しんぞく との面会 めんかい を許可 きょか し、同 どう 囚 しゅう や宗教 しゅうきょう 教誨 きょうかい 師 し や担当 たんとう 刑務 けいむ 官 かん らを交 まじ え「お別 わか れ会 かい 」を行 おこな うこともあった。「お別 わか れ会 かい 」の開催 かいさい は、当時 とうじ の大阪 おおさか 拘置 こうち 所 しょ 所長 しょちょう 玉井 たまい 策郎 さくろう が1956年 ねん に読売新聞 よみうりしんぶん の紙面 しめん で公開 こうかい した秘密 ひみつ 録音 ろくおん で明 あき らかになった。
現在 げんざい では死刑 しけい 確定 かくてい 者 しゃ には当日 とうじつ の朝 あさ に執行 しっこう を告 つ げられ、午前 ごぜん 中 ちゅう に執行 しっこう される傾向 けいこう にある。1975年 ねん 10月3日 にち に福岡 ふくおか 拘置 こうち 所 しょ で死刑 しけい 執行 しっこう 当日 とうじつ の朝 あさ に、前日 ぜんじつ 死刑 しけい 執行 しっこう を通知 つうち されていた死刑 しけい 囚 しゅう が左 ひだり 手首 てくび を剃刀 かみそり (カミソリ) で切 き り付 つ け自殺 じさつ する事件 じけん が発生 はっせい したため、それ以降 いこう は死刑 しけい 囚 しゅう への執行 しっこう を前日 ぜんじつ に通知 つうち しなくなったとされる。
また、執行 しっこう を担当 たんとう する刑務 けいむ 官 かん についても執行 しっこう 当日 とうじつ に職務 しょくむ 命令 めいれい が通知 つうち されるという[28] 。これは刑務 けいむ 官 かん に事前 じぜん に知 し らせると、情報 じょうほう 漏洩 ろうえい の危険 きけん があるためである。また当日 とうじつ に年次 ねんじ 有給 ゆうきゅう 休暇 きゅうか を取 と られ、欠勤 けっきん されてしまうからという話 はなし もあるが真偽 しんぎ 不明 ふめい である。担当 たんとう する刑務 けいむ 官 かん は①通院 つういん 加療 かりょう 中 ちゅう の者 もの や新婚 しんこん の者 もの ②配偶 はいぐう 者 しゃ あるいは婚約 こんやく 者 しゃ が妊娠 にんしん 中 ちゅう である男性 だんせい 刑務 けいむ 官 かん および自身 じしん が妊娠 にんしん 中 ちゅう の女性 じょせい 刑務 けいむ 官 かん ③親族 しんぞく に加療 かりょう 中 ちゅう の患者 かんじゃ がいる者 もの ④喪中 もちゅう ・忌中 きちゅう にある者 もの などは除外 じょがい され、残 のこ りの者 もの から選抜 せんばつ されるという。
死刑 しけい 執行 しっこう の日 ひ 、死刑 しけい 確定 かくてい 者 しゃ の独房 どくぼう には死刑 しけい 確定 かくてい 者 しゃ の抵抗 ていこう に備 そな え、特別 とくべつ 警備 けいび 隊 たい と呼 よ ばれる頑強 がんきょう な刑務 けいむ 官 かん で構成 こうせい された一 いち 隊 たい が送 おく られる。ここでは死刑 しけい 執行 しっこう について何 なに も伝 つた えられないが、通常 つうじょう の巡視 じゅんし とは異 こと なる多数 たすう で来 く るため、この段階 だんかい で死刑 しけい 執行 しっこう がわかるという。時間 じかん は特 とく に法律 ほうりつ で定 さだ めていないが、午前 ごぜん 9時 じ から11時 じ の間 あいだ が通常 つうじょう であるといわれている(旧 きゅう 刑法 けいほう 附則 ふそく 1条 じょう では「午前 ごぜん 10時 じ 前 まえ 」とされていた)。ここでは遺書 いしょ を書 か く時間 じかん や、室 しつ や荷物 にもつ を整理 せいり する時間 じかん は全 まった く与 あた えられず、即座 そくざ に特別 とくべつ 警備 けいび 隊 たい により刑場 けいじょう へ連行 れんこう される。連行 れんこう 後 ご 、刑場 けいじょう の教誨 きょうかい 室 しつ で、首席 しゅせき 矯正 きょうせい 処遇 しょぐう 官 かん (処遇 しょぐう 担当 たんとう )より死刑 しけい 確定 かくてい 者 しゃ にこれから死刑 しけい を執行 しっこう する旨 むね が伝 つた えられる。
死刑 しけい を執行 しっこう するための装置 そうち の概要 がいよう は、絞 しぼ 罪 つみ 器械 きかい 図式 ずしき (明治 めいじ 6年 ねん 太政官 だじょうかん 布告 ふこく 第 だい 65号 ごう )に定 さだ められており、この布告 ふこく については死刑 しけい の執行 しっこう 方法 ほうほう の基本 きほん 的 てき 事項 じこう を定 さだ めたものとして法律 ほうりつ と同一 どういつ の効力 こうりょく を有 ゆう することが最高裁 さいこうさい の昭和 しょうわ 36年 ねん 7月 がつ 19日 にち の大 だい 法廷 ほうてい 判決 はんけつ によって確認 かくにん されている[29] 。
ただし、現行 げんこう の執行 しっこう 施設 しせつ は絞 しぼ 架 か 踏板 ふみいた 式 しき のうち地下 ちか 絞 しぼ 架 か 式 しき と呼 よ ばれるもので、絞 しぼ 罪 つみ 器械 きかい 図式 ずしき の別紙 べっし 図式 ずしき である「絞 しぼ 架 か 全 ぜん 図 ず 」に定 さだ められた地上 ちじょう に設 もう けるものと若干 じゃっかん 異 こと なるが、上 うえ の最高裁 さいこうさい 判決 はんけつ で奥野 おくの 健一 けんいち 裁判官 さいばんかん は「現 げん に行 おこな われている地下 ちか 絞 しぼ 架 か 式 しき の執行 しっこう 方法 ほうほう は前記 ぜんき 布告 ふこく 六 ろく 五 ご 号 ごう の図解 ずかい するところに比 ひ し、むしろ被 ひ 執行 しっこう 者 しゃ の精神 せいしん 的 てき 苦痛 くつう を軽減 けいげん し、執行 しっこう の公開 こうかい 主義 しゅぎ から密行 みっこう 主義 しゅぎ への推移 すいい に沿 そ う合理 ごうり 性 せい を備 そな えているものであって、右 みぎ 布告 ふこく 六 ろく 五 ご 号 ごう に準拠 じゅんきょ していないとは言 い いえない」と補足 ほそく 意見 いけん として述 の べている[29] 。
この判決 はんけつ に対 たい しては、「この判例 はんれい が太政官 だじょうかん 布告 ふこく を蘇生 そせい させたことは、そうしなければ絞首刑 こうしゅけい の合憲 ごうけん 性 せい を結論 けつろん づけることが難 むずか しいため、窮余 きゅうよ の弁 べん であったと見 み られても仕方 しかた がない」[30] 「この判決 はんけつ は辻褄 つじつま 合 あ わせの奇弁 きべん との誹 そし を免 まぬか れたいであろう」
などの批判 ひはん がある他 ほか [31] 、判例 はんれい 解説 かいせつ を書 か いた最高裁 さいこうさい 調査官 ちょうさかん でさえ「それにしても死刑 しけい という重大 じゅうだい な刑罰 けいばつ の執行 しっこう 方法 ほうほう に関 かん する基本 きほん 的 てき 事項 じこう が今日 きょう なお約 やく 1世紀 せいき 前 まえ の古色 こしょく 蒼然 そうぜん たる太政官 だじょうかん 布告 ふこく に準拠 じゅんきょ しているとは誠 まこと に奇異 きい の感 かん がしてならない。現代 げんだい に即応 そくおう した立法 りっぽう が速 すみ やかになされることを切望 せつぼう してやまない」
と述 の べられている[32] 。しかし、当時 とうじ から現在 げんざい に至 いた るまで、新 あら たな立法 りっぽう はなされていない。
東京 とうきょう 拘置 こうち 所 しょ の死刑 しけい 執行 しっこう 施設 しせつ の概略 がいりゃく
2010年 ねん 8月 がつ 27日 にち に報道 ほうどう 公開 こうかい された東京 とうきょう 拘置 こうち 所 しょ の刑場 けいじょう で説明 せつめい する。刑場 けいじょう は教誨 きょうかい 師 し と面会 めんかい を行 おこな う教誨 きょうかい 室 しつ 、拘置 こうち 所長 しょちょう から執行 しっこう を正式 せいしき に告知 こくち され目隠 めかく しと手錠 てじょう がかけられる前 まえ 室 しつ 、死刑 しけい が執行 しっこう される執行 しっこう 室 しつ (前 まえ 室 しつ と執行 しっこう 室 しつ は青 あお いカーテンで仕切 しき られている)、死刑 しけい 囚 しゅう が立 た たされる踏 ふ み板 いた (床板 とこいた )を開 あ けるボタンがあるボタン室 しつ 、拘置 こうち 所長 しょちょう らが執行 しっこう を見届 みとど ける立会 たちあい 室 しつ などから構成 こうせい される。
刑事 けいじ 訴訟 そしょう 法 ほう 上 じょう 、死刑 しけい は、検察官 けんさつかん 、検察 けんさつ 事務 じむ 官 かん 及 およ び刑事 けいじ 施設 しせつ の長又 ながまた はその代理 だいり 者 しゃ の立会 たちあ いの上 うえ 、これを執行 しっこう しなければならない(刑事 けいじ 訴訟 そしょう 法 ほう 477条 じょう 1項 こう )。また、検察官 けんさつかん 又 また は刑事 けいじ 施設 しせつ の長 ちょう の許可 きょか を受 う けた者 もの でなければ、刑場 けいじょう に入 はい ることはできない(刑事 けいじ 訴訟 そしょう 法 ほう 477条 じょう 2項 こう )。
死刑 しけい には拘置 こうち 所 しょ 長 ちょう 、立会 たちあい 検事 けんじ 、検察 けんさつ 事務 じむ 官 かん 、首席 しゅせき 矯正 きょうせい 処遇 しょぐう 官 かん (処遇 しょぐう 担当 たんとう )、首席 しゅせき 矯正 きょうせい 処遇 しょぐう 官 かん (教育 きょういく 担当 たんとう )、医 い 官 かん 2名 めい 、刑務 けいむ 官 かん 5名 めい 以上 いじょう 、宗教 しゅうきょう 教誨 きょうかい 師 し が立 た ち会 あ う。検事 けんじ の立会 たちあ いは刑事 けいじ 訴訟 そしょう 法 ほう に規定 きてい されているが、推理 すいり 小説 しょうせつ 家 か の佐賀 さが 潜 せん は著書 ちょしょ [33] の中 なか で検事 けんじ 時代 じだい の1944年 ねん に長崎 ながさき 刑務所 けいむしょ 浦上 うらかみ 支所 ししょ で執行 しっこう された場 ば に、担当 たんとう でもないのに興味 きょうみ 本位 ほんい で立 た ち会 あ った体験 たいけん を述 の べている。
祭壇 さいだん は教誨 きょうかい 室 しつ と前 まえ 室 しつ の2ヶ所 かしょ にあり、死刑 しけい 確定 かくてい 者 しゃ の信仰 しんこう する宗教 しゅうきょう に応 おう じて、仏教 ぶっきょう 、キリスト教 きりすときょう 、神道 しんとう の祭壇 さいだん を選 えら ぶことができるほか、無 む 宗教 しゅうきょう も選択 せんたく できる。
教誨 きょうかい 室 しつ では宗教 しゅうきょう 教誨 きょうかい 師 し が最後 さいご の説教 せっきょう ・説法 せっぽう を行 おこな う。その後前 うしろまえ 室 しつ に連行 れんこう され、ここで拘置 こうち 所長 しょちょう が死刑 しけい 執行 しっこう 指揮 しき 書 しょ を読 よ み上 あ げる(執行 しっこう の正式 せいしき な告知 こくち )。その後 ご 、死刑 しけい 確定 かくてい 者 しゃ は拘置 こうち 所長 しょちょう や刑務 けいむ 官 かん らと別 わか れの挨拶 あいさつ を行 おこな うのが一般 いっぱん 的 てき である。死刑 しけい 確定 かくてい 者 しゃ を落 お ち着 つ かせるために拘置 こうち 所長 しょちょう ・首席 しゅせき 矯正 きょうせい 処遇 しょぐう 官 かん (教育 きょういく 担当 たんとう )・宗教 しゅうきょう 教誨 きょうかい 師 し が講話 こうわ を行 おこな う。
祭壇 さいだん には供 そな え物 もの の生菓子 なまがし や果物 くだもの が置 お いており、首席 しゅせき 矯正 きょうせい 処遇 しょぐう 官 かん (教育 きょういく 担当 たんとう )から最後 さいご の飲食 いんしょく を勧 すす められる。また、拘置 こうち 所 しょ によっては喫煙 きつえん が認 みと められる。拘置 こうち 所長 しょちょう が死刑 しけい 確定 かくてい 者 しゃ に最後 さいご にい残 いのこ したいことはないか尋 たず ねる。遺言 ゆいごん があれば教誨 きょうかい 室 しつ で遺言 ゆいごん を残 のこ すことができ、希望 きぼう があれば遺書 いしょ を書 か くこともできるが、時間 じかん は限 かぎ られており、実際 じっさい は前 まえ もって用意 ようい しておくことが多 おお い。
一 いち 通 とお り終 お わると死刑 しけい 確定 かくてい 者 しゃ は執行 しっこう 室 しつ へ連行 れんこう される。宗教 しゅうきょう 教誨 きょうかい 師 し が仏教 ぶっきょう 系 けい の場合 ばあい 、執行 しっこう までの間 あいだ 、読経 どきょう が行 おこな われるという。死刑 しけい 執行 しっこう の基本 きほん 的 てき 事項 じこう については絞 しぼ 罪 つみ 器械 きかい 図式 ずしき (明治 めいじ 6年 ねん 太政官 だじょうかん 布告 ふこく 第 だい 65号 ごう )による。刑務 けいむ 官 かん らは目隠 めかく しと、腕 うで の拘束 こうそく (手錠 てじょう 、後 うし ろ手 で にする)、足 あし の拘束 こうそく (踏 ふ み板 いた の上 うえ に立 た たされた後 のち )を迅速 じんそく に行 おこな い、執行 しっこう 室 しつ に連行 れんこう されると、踏 ふ み板 いた (踏 ふ み板 いた にはビニールテープと思 おも われる大小 だいしょう 2つの赤 あか い枠 わく が囲 かこ ってある)の上 うえ に立 た たされ、首 くび にロープ がかけられ(ロープの頚 けい に当 あ たる部分 ぶぶん は革 かわ で覆 おお われている)、長 なが さを調節 ちょうせつ する。
ボタン押 お しのイメージ(東京 とうきょう 拘置 こうち 所 しょ の場合 ばあい )
執行 しっこう 責任 せきにん 者 しゃ の合図 あいず により、ボタン室 しつ で待機 たいき する3人 にん (拘置 こうち 所 しょ によっては5人 にん )の刑務 けいむ 官 かん により同時 どうじ に3つ(5人 にん 体制 たいせい の場合 ばあい は5つ)のボタン が一斉 いっせい に押 お されると床板 とこいた が開 ひら き、死刑 しけい 確定 かくてい 者 しゃ は執行 しっこう 室 しつ の下 した へ落下 らっか する。ボタンの一斉 いっせい の操作 そうさ は、誰 だれ のボタンにより操作 そうさ が行 おこな われたか分 わ からないようにする目的 もくてき で行 おこな われるものである。なお、ボタンの故障 こしょう あるいは配線 はいせん 不良 ふりょう 等 とう で操作 そうさ できなかった場合 ばあい に備 そな え、別途 べっと 、床板 とこいた を操作 そうさ できる非常 ひじょう 用 よう のハンドルがある[34] 。2018年 ねん に執行 しっこう された麻原 あさはら 彰晃 しょうこう こと松本 まつもと 智 さとし 津 つ 夫 おっと の場合 ばあい で、出 で 房 ぼう から執行 しっこう までは20分 ふん 程度 ていど だったという。
この
節 ふし には
暴力 ぼうりょく 的 てき または
猟奇 りょうき 的 てき な
記述 きじゅつ ・
表現 ひょうげん が
含 ふく まれています。
免責 めんせき 事項 じこう もお読 よ みください。
名古屋 なごや 高等 こうとう 検察庁 けんさつちょう 時代 じだい に死刑 しけい 執行 しっこう に立 た ち会 あ った元 もと 検察官 けんさつかん の三井 みつい 環 たまき が語 かた ったところ[35] によれば、死刑 しけい 囚 しゅう の表情 ひょうじょう は顔 かお も白布 しろぬの に覆 おお われており確認 かくにん できなかったといい、最後 さいご の肉声 にくせい も立会 たちあい 人 じん のいる部屋 へや にある防音 ぼうおん ガラスのためか読経 どきょう 以外 いがい は聞 き こえなかったが、合図 あいず もなく首 くび が吊 つ られたため抵抗 ていこう はなかったという。またその様子 ようす は、「不謹慎 ふきんしん であるが、奇妙 きみょう な『美 うつく しさ』を感 かん じた」という。なお、その時 とき 執行 しっこう された死刑 しけい 囚 しゅう の身体 しんたい は30分間 ふんかん ぶら下 さ げられていたが、「法的 ほうてき 根拠 こんきょ はない」と言 い われたという。
死刑 しけい は絞首 こうしゅ により行 おこな われると定 さだ められている(刑法 けいほう 11条 じょう 1項 こう )[36] 。
絞 しぼ 罪 つみ 器械 きかい 図式 ずしき に定 さだ められている装置 そうち は、1871年 ねん に囚 しゅう 獄 ごく 司 し 権 けん 正 ただし ・小原 おはら 重 しげる 哉 が、当時 とうじ 大 だい 英 えい 帝国 ていこく 植民 しょくみん 地 ち であった香港 ほんこん やマレー (現 げん ・マレーシア )に出張 しゅっちょう したさいに実見 じっけん した絞首 こうしゅ 台 だい を模倣 もほう したものである。宗主 そうしゅ 国 こく であるイギリスの絞首 こうしゅ 台 だい とほぼ同一 どういつ のものである[37] 。痛 いた みを感 かん じないとする説 せつ の説明 せつめい も酷似 こくじ している。しかしながら、ロングドロップによる絞首刑 こうしゅけい は無痛 むつう であるとの説 せつ は、オーストリア 法医学 ほういがく 会 かい 会長 かいちょう ヴァルテル・ラブル博士 はかせ によると、全 まった く誤 あやま りである。絞首 こうしゅ された者 もの は、ごく例外 れいがい 的 てき な場合 ばあい を除 のぞ いて、最低 さいてい でも5~8秒 びょう 、長 た ければ2~3分間 ふんかん は意識 いしき があり、その間 あいだ に苦痛 くつう を感 かん じるという[38] 。
立 た ち会 あ った法務 ほうむ 技官 ぎかん (医務 いむ 官 かん )により死刑 しけい 確定 かくてい 者 しゃ の死亡 しぼう が確認 かくにん された後 のち 、法律 ほうりつ (刑事 けいじ 収容 しゅうよう 施設 しせつ 及 およ び被 ひ 収容 しゅうよう 者 しゃ 等 とう の処遇 しょぐう に関 かん する法律 ほうりつ 179条 じょう )の規定 きてい により死亡 しぼう が確認 かくにん されてから5分間 ふんかん 遺体 いたい はそのままの状態 じょうたい で置 お かれる。刑事 けいじ 訴訟 そしょう 法 ほう 第 だい 478条 じょう により死刑 しけい の執行 しっこう に立 た ち会 あ った検察 けんさつ 事務 じむ 官 かん は執行 しっこう 始末 しまつ 書 しょ を作成 さくせい し、検察官 けんさつかん と執行 しっこう 施設 しせつ の長又 ながまた はその代理 だいり 者 しゃ とともにこれに押印 おういん ・署名 しょめい し、事件 じけん に関 かん することそのものが全 すべ て終結 しゅうけつ する。死亡 しぼう 診断 しんだん 書 しょ の死因 しいん 欄 らん には「刑死 けいし 」と記載 きさい される。この際 さい 、ボタン室 しつ に入 はい った刑務 けいむ 官 かん は、執行 しっこう 終了 しゅうりょう 後 ご 数 すう 日間 にちかん の特別 とくべつ 休暇 きゅうか を与 あた えられ実家 じっか に帰省 きせい するケースもある。
執行 しっこう 後 ご 、午前 ごぜん 11時 じ 頃 ごろ に法務大臣 ほうむだいじん が記者 きしゃ 会見 かいけん を行 おこな い、死刑 しけい を執行 しっこう した旨 むね と執行 しっこう された死刑 しけい 囚 しゅう の名前 なまえ を公表 こうひょう する。
なお、マスコミでの報道 ほうどう における呼称 こしょう は、受刑 じゅけい 者 しゃ は刑務所 けいむしょ を出所 しゅっしょ した時点 じてん で大概 たいがい は「さん」に変 か わるのに対 たい し、処刑 しょけい された死刑 しけい 囚 しゅう の場合 ばあい は「さん」ではなく「元 もと 死刑 しけい 囚 しゅう 」になることが多 おお い[注釈 ちゅうしゃく 5] 。ただし、再審 さいしん 請求 せいきゅう 中 ちゅう に病死 びょうし した場合 ばあい など呼称 こしょう の変更 へんこう が速 すみ やかに行 おこな われない場合 ばあい もある。
死刑 しけい 確定 かくてい 者 しゃ の遺体 いたい は、あらかじめ決 き めてあった引 ひ き受 う け先 さき と24時間 じかん 以内 いない に連絡 れんらく が取 と れれば遺体 いたい は納棺 のうかん された上 うえ 、引 ひ き取 と って葬儀 そうぎ をすることが可能 かのう であるが、実際 じっさい に引 ひ き取 と られた死刑 しけい 確定 かくてい 者 しゃ の遺体 いたい は少 すく ない。遺族 いぞく が遺体 いたい を引 ひ き取 と っても死刑 しけい 囚 しゅう の葬儀 そうぎ を拒否 きょひ される場合 ばあい もあり、たとえば附属 ふぞく 池田 いけだ 小 しょう 事件 じけん の死刑 しけい 囚 しゅう である宅間 たくま 守 まもる は獄中 ごくちゅう 結婚 けっこん した妻 つま が引 ひ き取 と ったが、最終 さいしゅう 的 てき には信者 しんじゃ ではなかった大阪 おおさか 市 し 内 うち のキリスト教 きりすときょう の教会 きょうかい で行 おこな われた。家族 かぞく から縁 えん を切 き られたり、連絡 れんらく が取 と れなかったり引 び き取 と りを拒否 きょひ されるなどして引 ひ き受 う け先 さき がない場合 ばあい は、刑事 けいじ 施設 しせつ の長 ちょう が葬儀 そうぎ ・火葬 かそう ・埋葬 まいそう を行 おこな うことになっている(刑事 けいじ 収容 しゅうよう 施設 しせつ 及 およ び被 ひ 収容 しゅうよう 者 しゃ 等 とう の処遇 しょぐう に関 かん する法律 ほうりつ 177条 じょう および刑事 けいじ 施設 しせつ 及 およ び被 ひ 収容 しゅうよう 者 しゃ の処遇 しょぐう に関 かん する規則 きそく 94条 じょう )[注釈 ちゅうしゃく 6] また、死刑 しけい 確定 かくてい 者 しゃ の遺言 ゆいごん により献体 けんたい とされる遺体 いたい もあった(献体 けんたい 者 しゃ 数 すう が少 すく なかった1980年代 ねんだい までは受 う け入 い れ大学 だいがく もあったが、それ以降 いこう は頚部 けいぶ に破損 はそん のある執行 しっこう 遺体 いたい の引 ひ き取 と りは極 きわ めて減少 げんしょう している)。なお、例外 れいがい として永山 ながやま 則夫 のりお 連続 れんぞく 射殺 しゃさつ 事件 じけん の永山 ながやま 則夫 のりお は、遺族 いぞく が遺体 いたい の引 び き取 と りを希望 きぼう していたが刑事 けいじ 施設 しせつ で火葬 かそう されて渡 わた された。これは永山 ながやま が刑場 けいじょう で激 はげ しく抵抗 ていこう した為 ため 、損傷 そんしょう がひどかった為 ため と推測 すいそく されている。
なお、刑事 けいじ 施設 しせつ の長 ちょう は、同 どう 所在地 しょざいち の基礎 きそ 自治体 じちたい 首長 しゅちょう に対 たい し死亡 しぼう を報告 ほうこく する(戸籍 こせき 法 ほう 90条 じょう 1項 こう )。これを受 う けて戸籍 こせき には「(刑事 けいじ 施設 しせつ の所在地 しょざいち 市町村 しちょうそん )で年月日 ねんがっぴ 何 なん 時 じ 何 なん 分 ふん 死亡 しぼう 。年月日 ねんがっぴ 。何某 なにぼう (拘置 こうち 所長 しょちょう の個人 こじん 名 めい )報告 ほうこく 」と記載 きさい され、同 どう 一 いち 戸籍 こせき 内 ない の子 こ などのプライバシーに配慮 はいりょ して拘置 こうち 所長 しょちょう による報告 ほうこく が一目 いちもく では分 わ からないように配慮 はいりょ されている。
1907年 ねん 、京都 きょうと 監獄 かんごく の現役 げんえき 看守 かんしゅ が、刑法 けいほう に関 かん する雑誌 ざっし に絞首刑 こうしゅけい 執行 しっこう の現場 げんば の様子 ようす を投稿 とうこう しており、この中 なか には、絞首刑 こうしゅけい の執行 しっこう にあたってロープが切 き れたために釣 つ り上 あ げて死刑 しけい を執行 しっこう した例 れい と、死刑 しけい 執行 しっこう 命令 めいれい が出 で ているのを知 し らず再審 さいしん 請求 せいきゅう した死刑 しけい 囚 しゅう を「強制 きょうせい を以って」処刑 しょけい した例 れい が挙 あ げられている。この看守 かんしゅ は、これらの事例 じれい に関 かん して、「如斯(かくのごとき)事例 じれい を当然 とうぜん 職務 しょくむ の行動 こうどう なりと言 い う者 もの あらば、余 よ 輩 やから 何 なに をか語 かた らんや」と述 の べている[39] 。
なお、刑事 けいじ 収容 しゅうよう 規定 きてい 法 ほう により、原則 げんそく として12月29日 にち から翌年 よくねん 1月 がつ 3日 にち 、要 よう するに年末年始 ねんまつねんし は死刑 しけい 執行 しっこう は執 と り行 おこな われない[40] 。
死刑 しけい 判決 はんけつ 確定 かくてい 後 ご 6ヵ月 かげつ 以内 いない に、法務大臣 ほうむだいじん が執行 しっこう を命令 めいれい しなければならない(刑事 けいじ 訴訟 そしょう 法 ほう 475条 じょう 2項 こう )が、2003年 ねん 9月12日 にち から2015年 ねん 7月 がつ 27日 にち までの実績 じっせき では平均 へいきん 5年 ねん 4か月 げつ だった[41] 。
東京 とうきょう 地方裁判所 ちほうさいばんしょ 1998年 ねん 3月 がつ 20日 はつか 判決 はんけつ によれば、同 どう 条 じょう 2項 こう は、死刑 しけい という重大 じゅうだい な刑罰 けいばつ の執行 しっこう に必要 ひつよう とされる慎重 しんちょう さと確定 かくてい 判決 はんけつ に必要 ひつよう とされる執行 しっこう の迅速 じんそく 性 せい という相反 あいはん する要請 ようせい を調和 ちょうわ するために一応 いちおう の期限 きげん を定 さだ めたものであって、法的 ほうてき 拘束 こうそく 力 りょく のない訓示 くんじ 規定 きてい であり、(同 どう 条 じょう の定 さだ める期間 きかん を徒 いたずら 過 すご したとしても)特 とく に違法 いほう ではない、とする。このため、六 ろく か月 げつ 以内 いない に死刑 しけい の執行 しっこう の命令 めいれい がなされなくても違法 いほう ではないと政府 せいふ は考 かんが えている[41] 。しかし刑事 けいじ 訴訟 そしょう 法 ほう に明記 めいき されている事 こと を「法的 ほうてき 拘束 こうそく 力 りょく のない訓示 くんじ 規定 きてい 」と主張 しゅちょう するのは刑事 けいじ 訴訟 そしょう 法 ほう そのものを法的 ほうてき 拘束 こうそく 力 りょく のない訓示 くんじ 規定 きてい にしてしまうという批判 ひはん もある。
異例 いれい の早 はや さで死刑 しけい が執行 しっこう されたといわれる附属 ふぞく 池田 いけだ 小 しょう 事件 じけん の宅間 たくま 守 まもる でさえ、確定 かくてい してから約 やく 1年 ねん の時間 じかん を要 よう している。そのため、刑 けい を執行 しっこう されないまま拘置 こうち 所 しょ の中 なか で一生 いっしょう を終 お える死刑 しけい 確定 かくてい 者 しゃ もいる。
警察庁 けいさつちょう 広域 こういき 重要 じゅうよう 指定 してい 118号 ごう 事件 じけん では、主犯 しゅはん 3人 にん に死刑 しけい 判決 はんけつ が確定 かくてい したが死刑 しけい が迅速 じんそく に執行 しっこう されず、死刑 しけい 確定 かくてい 後 ご 10年間 ねんかん で3人 にん 全員 ぜんいん が病死 びょうし する結末 けつまつ となった。
また犯人 はんにん が複数 ふくすう 存在 そんざい し、なおかつ共犯 きょうはん 者 しゃ が逮捕 たいほ されていないか公判 こうはん 中 ちゅう の場合 ばあい は、死刑 しけい 確定 かくてい 者 しゃ が証人 しょうにん として出廷 しゅってい する可能 かのう 性 せい があるため執行 しっこう が行 おこな われない。
1945年 ねん 以降 いこう 、日本 にっぽん において約 やく 900人 にん に死刑 しけい 判決 はんけつ が出 だ されたが、女性 じょせい 死刑 しけい 囚 しゅう は2021年 ねん 7月 がつ 時点 じてん でわずか17人 にん である。戦後 せんご 、1987年 ねん 末 すえ までに第 だい 一 いち 審 しん で死刑 しけい 判決 はんけつ を宣告 せんこく された被告人 ひこくにん の総 そう 人数 にんずう は全 ぜん 893人 にん (うち、死刑 しけい 確定 かくてい は628人 にん )だが、女性 じょせい の被告人 ひこくにん は10人 にん (893人 にん 中 ちゅう 1.12%)で、死刑 しけい が確定 かくてい していたのは3人 にん (「女性 じょせい 死刑 しけい 囚 しゅう 」記事 きじ 中 ちゅう の表 ひょう 1 - 3番 ばん )[注釈 ちゅうしゃく 7] だった[42] 。
1980年 ねん 7月 がつ 以後 いご に就任 しゅうにん した現職 げんしょく 以外 いがい の歴代 れきだい 法務大臣 ほうむだいじん 39人 にん 中 ちゅう で死刑 しけい を執行 しっこう しなかった法務大臣 ほうむだいじん は12人 にん 存在 そんざい し、1949年 ねん に現行 げんこう の刑事 けいじ 訴訟 そしょう 法 ほう が施行 しこう されて以後 いご で死刑 しけい の執行 しっこう がなかった年度 ねんど は7年 ねん 存在 そんざい する。鳩山 はとやま 邦夫 くにお は13人 にん の死刑 しけい 執行 しっこう を許可 きょか したが、21世紀 せいき に入 はい って死刑 しけい 判決 はんけつ が確定 かくてい したものが10人 にん 含 ふく まれており、判決 はんけつ 確定 かくてい から執行 しっこう までの平均 へいきん 年数 ねんすう を押 お し下 さ げている。その一方 いっぽう で確定 かくてい 10年 ねん 以上 いじょう が経過 けいか し、冤罪 えんざい として再審 さいしん 請願 せいがん をしていない死刑 しけい 囚 しゅう も残 のこ されている。2002年 ねん 9月には当時 とうじ の死刑 しけい 囚 しゅう 56人 にん のうち、確定 かくてい 順位 じゅんい 36番目 ばんめ と37番目 ばんめ (いずれも1998年 ねん 確定 かくてい )の者 もの に死刑 しけい が執行 しっこう されたほか、2004年 ねん には確定 かくてい 1年 ねん 未満 みまん の宅間 たくま 守 まもる が処刑 しょけい された。
これについて、別冊 べっさつ 宝島 たからじま 『死刑 しけい 囚 しゅう 最後 さいご の一時 いちじ 間 あいだ 』[要 よう ページ番号 ばんごう ] では、2004年 ねん から2012年 ねん の間 あいだ に起 お こった厳罰 げんばつ 化 か に伴 ともな う死刑 しけい 判決 はんけつ が2桁 けた へと激増 げきぞう した時期 じき があり、その影響 えいきょう により死刑 しけい 囚 しゅう の増大 ぞうだい に執行 しっこう が追 お いつけなくなっている。そのため2007年 ねん 以降 いこう 、死刑 しけい 囚 しゅう が100人 にん を超 こ える状況 じょうきょう が続 つづ いている。再審 さいしん や恩赦 おんしゃ を求 もと めている死刑 しけい 囚 しゅう を避 さ ける傾向 けいこう にあるため、確定 かくてい から年数 ねんすう がたっていなくても「やりやすいところからどんどん執行 しっこう する」方針 ほうしん だとしている。
2010年 ねん 7月 がつ に千葉 ちば 景子 けいこ は、2009年 ねん 9月 がつ の法務大臣 ほうむだいじん 就任 しゅうにん 以来 いらい 初 はじ めて2名 めい の死刑 しけい 執行 しっこう を指示 しじ し立 た ち会 あ った[43] 。千葉 ちば は2010年 ねん 7月 がつ 28日 にち に2名 めい の死刑 しけい 執行 しっこう の指示 しじ を出 だ し自 みずか ら死刑 しけい 執行 しっこう に立 た ち会 あ ったことを報告 ほうこく し、死刑 しけい 制度 せいど のありかたについての国民 こくみん 的 てき 議論 ぎろん のための勉強 べんきょう 会 かい を立 た ち上 あ げる考 かんが えを示 しめ した[44] 。それまで死刑 しけい 執行 しっこう 命令 めいれい について慎重 しんちょう な立場 たちば を示 しめ していた千葉 ちば が情報 じょうほう 公開 こうかい の推進 すいしん 等 とう に積極 せっきょく 的 てき な進展 しんてん をもたらさないまま死刑 しけい を行 おこな ったことについて日本 にっぽん 弁護士 べんごし 連合 れんごう 会 かい は批判 ひはん した[43] 。
2018年 ねん 7月 がつ には、オウム真理教 おうむしんりきょう 事件 じけん における死刑 しけい 囚 しゅう 13名 めい の死刑 しけい 執行 しっこう が2度 ど に分 わ けて行 おこな われた。6日 にち の7名 めい 死刑 しけい 執行 しっこう を受 う けて龍谷大 りゅうこくだい 学 がく 犯罪 はんざい 学 がく 研究 けんきゅう センター長 ちょう の石塚 いしづか 伸一 しんいち は、「日本国 にっぽんこく 憲法 けんぽう 下 か で、ひとつの事件 じけん で、ここまでの人数 にんずう が死刑 しけい になったのは初 はじ めて」と述 の べ[45] 、26日 にち の6名 めい 死刑 しけい 執行 しっこう を受 う けて上川 かみかわ 陽子 ようこ は、同 どう 月内 げつない に2度 ど 死刑 しけい を執行 しっこう するのは、執行 しっこう 状 じょう 況 きょう を公表 こうひょう するようになった1998年 ねん 11月 がつ 以降 いこう 初 はじ めてであると明 あき らかにした[46] 。
死刑 しけい 囚 しゅう 収容 しゅうよう 施設 しせつ 毎 ごと の年別 ねんべつ 死刑 しけい 執行 しっこう の一覧 いちらん (1993年 ねん 以降 いこう )
編集 へんしゅう
年 とし
札幌 さっぽろ
仙台 せんだい
東京 とうきょう
名古屋 なごや
大阪 おおさか
広島 ひろしま
福岡 ふくおか
計 けい
1993年 ねん
1
1
1
0
4
0
0
7
1994年 ねん
0
1
1
0
0
0
0
2
1995年 ねん
0
0
3
1
1
0
1
6
1996年 ねん
0
0
4
0
0
0
2
6
1997年 ねん
2
0
2
0
0
0
0
4
1998年 ねん
0
0
1
2
0
1
2
6
1999年 ねん
0
1
1
1
0
0
2
5
2000年 ねん
0
0
0
2
0
0
1
3
2001年 ねん
0
0
1
1
0
0
0
2
2002年 ねん
0
0
0
1
0
0
1
2
2003年 ねん
0
0
0
0
1
0
0
1
2004年 ねん
0
0
0
0
1
0
1
2
2005年 ねん
0
0
0
0
1
0
0
1
2006年 ねん
0
0
2
0
1
1
0
4
2007年 ねん
0
0
5
1
2
0
1
9
2008年 ねん
0
1
7
0
5
0
2
15
2009年 ねん
0
0
2
2
2
0
1
7
2010年 ねん
0
0
2
0
0
0
0
2
2011年 ねん
0
0
0
0
0
0
0
0
2012年 ねん
0
1
2
0
1
1
2
7
2013年 ねん
0
0
5
1
2
0
0
8
2014年 ねん
0
1
1
0
1
0
0
3
2015年 ねん
0
1
1
1
0
0
0
3
2016年 ねん
0
0
0
0
1
0
2
3
2017年 ねん
0
0
2
0
1
1
0
4
2018年 ねん
0
1
6
2
4
1
1
15
2019年 ねん
0
0
1
0
0
0
2
3
2020年 ねん
0
0
0
0
0
0
0
0
2021年 ねん
0
0
2
0
1
0
0
3
2022年 ねん
0
0
1
0
0
0
0
1
2023年 ねん
0
0
0
0
0
0
0
0
1993年 ねん 以降 いこう 計 けい
3
8
53
15
29
5
21
134
日本 にっぽん における未 み 執行 しっこう 死刑 しけい 囚 しゅう の一覧 いちらん
編集 へんしゅう
日本 にっぽん における被 ひ 死刑 しけい 執行 しっこう 者 しゃ 一覧 いちらん
編集 へんしゅう
死刑 しけい 廃止 はいし を主張 しゅちょう する重要 じゅうよう な論拠 ろんきょ の一 ひと つとして誤判 ごはん の可能 かのう 性 せい 、冤罪 えんざい による死刑 しけい 執行 しっこう の可能 かのう 性 せい が日本 にっぽん を含 ふく む世界 せかい 各国 かっこく において指摘 してき されている。
元 もと 最高裁 さいこうさい 判事 はんじ の団 だん 藤 ふじ 重光 しげみつ はこう述 の べている。冤罪 えんざい で刑 けい を執行 しっこう された場合 ばあい 、その損失 そんしつ が回復 かいふく 不能 ふのう であることは死刑 しけい に限 かぎ ったものではない。しかし、死刑 しけい 以外 いがい の刑罰 けいばつ によって失 うしな われる利益 りえき は、その人間 にんげん がその持 も ち物 もの として持 も っている利益 りえき であるが、死刑 しけい によって失 うしな われる生命 せいめい は、その人間 にんげん そのものであってそれらすべての利益 りえき の帰属 きぞく する主体 しゅたい であるところに本質 ほんしつ 的 てき な違 ちが いがある。その区別 くべつ がわからない人 ひと は、主体 しゅたい 的 てき な人間 にんげん としてのセンスを持 も ち合 あ わせない人 ひと だというほかない[47] 。
再審 さいしん で無罪 むざい 判決 はんけつ になった事例 じれい 。
免田 めんだ 事件 じけん 1948年 ねん 12月30日 にち に事件 じけん 発生 はっせい 、1949年 ねん 1月 がつ 13日 にち に逮捕 たいほ 、1951年 ねん 12月25日 にち に死刑 しけい 確定 かくてい 、逮捕 たいほ から34年 ねん 6か月 げつ 後 ご 、確定 かくてい から31年 ねん 7か月 げつ 後 ご の、1983年 ねん 7月 がつ 15日 にち に再審 さいしん で無罪 むざい 確定 かくてい (57歳 さい )。
財田川 さいたがわ 事件 じけん 1950年 ねん 2月 がつ 28日 にち に事件 じけん 発生 はっせい 、1950年 ねん 4月 がつ 3日 にち に逮捕 たいほ 、1957年 ねん 1月 がつ 22日 にち に死刑 しけい 確定 かくてい 、逮捕 たいほ から33年 ねん 11か月 げつ 後 ご 、確定 かくてい から27年 ねん 2か月 げつ 後 ご の、1984年 ねん 3月 がつ 12日 にち に再審 さいしん で無罪 むざい 確定 かくてい (53歳 さい )。
島田 しまだ 事件 じけん 1954年 ねん 3月 がつ 10日 とおか に事件 じけん 発生 はっせい 、1954年 ねん 5月 がつ 24日 にち に逮捕 たいほ 、1960年 ねん 12月5日 にち に死刑 しけい 確定 かくてい 、逮捕 たいほ から35年 ねん 3か月 げつ 後 ご 、確定 かくてい から29年 ねん 8か月 げつ 後 ご の、1989年 ねん 2月 がつ 10日 とおか に再審 さいしん で無罪 むざい 確定 かくてい (60歳 さい )。
松山 まつやま 事件 じけん 1955年 ねん 10月 がつ 18日 にち に事件 じけん 発生 はっせい 、1955年 ねん 12月8日 にち に逮捕 たいほ 、1960年 ねん 11月1日 にち に死刑 しけい 確定 かくてい 、逮捕 たいほ から28年 ねん 7か月 げつ 後 ご 、確定 かくてい から23年 ねん 8か月 げつ 後 ご の、1984年 ねん 7月 がつ 11日 にち に再審 さいしん で無罪 むざい 確定 かくてい (53歳 さい )。
日本 にっぽん 弁護士 べんごし 連合 れんごう 会 かい は、死刑 しけい の執行 しっこう 予定 よてい や執行 しっこう 状 じょう 況 きょう の一般 いっぱん 社会 しゃかい や死刑 しけい 確定 かくてい 者 しゃ の家族 かぞく への情報 じょうほう 提供 ていきょう が不足 ふそく しているとして、施設 しせつ や刑罰 けいばつ の方法 ほうほう の公開 こうかい を求 もと めている[48] 。
法務省 ほうむしょう は、情報 じょうほう 公開 こうかい しない理由 りゆう として、死刑 しけい 確定 かくてい 者 しゃ と家族 かぞく のプライバシー を挙 あ げている[48] 。法務省 ほうむしょう は以前 いぜん は『死刑 しけい 囚 しゅう の家族 かぞく の心情 しんじょう に配慮 はいりょ する』ためとして、死刑 しけい 執行 しっこう の事実 じじつ を公式 こうしき に認 みと めなかったため、白書 はくしょ による総数 そうすう のみの発表 はっぴょう であり、かつては報道 ほうどう 機関 きかん が情報 じょうほう を把握 はあく していなかったために、死刑 しけい 囚 しゅう の命日 めいにち すら不明 ふめい のケースもあった。
昭和 しょうわ 初期 しょき までは死刑 しけい が執行 しっこう されるたびに、官報 かんぽう に公示 こうじ されていたといわれているが[49] 、死刑 しけい の執行 しっこう 予定 よてい は公表 こうひょう されないことに加 くわ え、従来 じゅうらい は執行 しっこう 後 ご も死刑 しけい 確定 かくてい 者 しゃ の氏名 しめい や罪状 ざいじょう など、多 おお くの情報 じょうほう が公表 こうひょう されなかった特 とく に死刑 しけい 執行 しっこう に関 かん しては、日本 にっぽん 弁護士 べんごし 連合 れんごう 会 かい が行刑 ぎょうけい 密行 みっこう 主義 しゅぎ を非難 ひなん する声明 せいめい を出 だ し続 つづ けている。
日本 にっぽん では、2007年 ねん まで法務 ほうむ 当局 とうきょく が処刑 しょけい の事実 じじつ (執行 しっこう 者 しゃ の氏名 しめい など)を公式 こうしき に発表 はっぴょう することがなく、死刑 しけい 囚 しゅう に対 たい し処刑 しょけい の日 ひ の朝 あさ まで告知 こくち しない秘密 ひみつ 主義 しゅぎ を貫 つらぬ いていたため、2006年 ねん 末 まつ の執行 しっこう では、欧州 おうしゅう 連合 れんごう から強 つよ く批判 ひはん された。
この方針 ほうしん に対 たい し法務省 ほうむしょう は、事前 じぜん に死刑 しけい 執行 しっこう 日 び が判 わか ると、本人 ほんにん の心情 しんじょう の安定 あんてい が害 がい されるほか、死刑 しけい 執行 しっこう 反対 はんたい の抗議 こうぎ 行動 こうどう [注釈 ちゅうしゃく 8] が起 お きる問題 もんだい があるからだという[50] 。
また反対 はんたい 派 は は、日本 にっぽん における最近 さいきん の死刑 しけい 執行 しっこう は、ほぼ例外 れいがい なく、国会 こっかい 閉会 へいかい 直後 ちょくご 、年末 ねんまつ など国民 こくみん の関心 かんしん が分散 ぶんさん しやすい時期 じき に、執行 しっこう していると主張 しゅちょう する。ただし近年 きんねん は国会 こっかい の開催 かいさい 中 ちゅう であっても、法務省 ほうむしょう が『国民 こくみん の死刑 しけい 存置 そんち 支持 しじ 率 りつ 』が高 たか いとして、死刑 しけい 執行 しっこう が行 おこな われるようになっている[51] 。
この行刑 ぎょうけい 密行 みっこう 主義 しゅぎ を改善 かいぜん するとして、1998年 ねん には当時 とうじ の法務大臣 ほうむだいじん 中村 なかむら 正三郎 しょうざぶろう が『死刑 しけい の執行 しっこう は裁判所 さいばんしょ の判決 はんけつ に基 もと づいて法務省 ほうむしょう が行 おこな う行政 ぎょうせい 行為 こうい だ 。行政 ぎょうせい の情報 じょうほう 公開 こうかい を進 すす めるためにも、また、死刑 しけい 制度 せいど を正 ただ しく議論 ぎろん するためにも、死刑 しけい の執行 しっこう の有無 うむ については国民 こくみん に知 し らせるべきだ』と述 の べ、同年 どうねん 11月 がつ 以降 いこう はマスメディア に対 たい し「本日 ほんじつ 、死刑 しけい 確定 かくてい 者 しゃ に対 たい し死刑 しけい を執行 しっこう した」と事実 じじつ が公開 こうかい (実名 じつめい は公表 こうひょう されないが報道 ほうどう 機関 きかん の取材 しゅざい で判明 はんめい する)され、以後 いご 死刑 しけい 執行 しっこう の部分 ぶぶん 公表 こうひょう が慣例 かんれい 化 か された。
死刑 しけい 執行 しっこう は国会 こっかい 閉会 へいかい 中 ちゅう に行 おこな われる傾向 けいこう があったが、2007年 ねん 4月 がつ 27日 にち (金曜日 きんようび )には通常 つうじょう 国会 こっかい 開会 かいかい 中 ちゅう でありながら3人 にん の死刑 しけい が執行 しっこう された。さらに、鳩山 はとやま 邦夫 くにお の命令 めいれい により、臨時 りんじ 国会 こっかい 開会 かいかい 中 ちゅう の2007年 ねん 12月7日 にち に死刑 しけい が執行 しっこう され、ここで日本国 にっぽんこく 憲法 けんぽう 下 した の法務大臣 ほうむだいじん の命令 めいれい によるものとしては、初 はじ めて死刑 しけい 被 ひ 執行 しっこう 者 しゃ の名前 なまえ 、犯罪 はんざい 事実 じじつ 、執行 しっこう 場所 ばしょ が公表 こうひょう された。執行 しっこう された者 もの の名前 なまえ の公表 こうひょう に踏 ふ み切 き った理由 りゆう について、法務省 ほうむしょう は「死刑 しけい が適正 てきせい に執行 しっこう されていることについて国民 こくみん の理解 りかい を得 え るために、情報 じょうほう 公開 こうかい が必要 ひつよう と考 かんが えたことなどから、慎重 しんちょう な検討 けんとう を踏 ふ まえ、法務大臣 ほうむだいじん が氏名 しめい 、犯罪 はんざい 事実 じじつ 、執行 しっこう 場所 ばしょ を公表 こうひょう するとの判断 はんだん をした」としている。
2009年 ねん 3月13日 にち 、法務省 ほうむしょう は東京 とうきょう ・埼玉 さいたま 連続 れんぞく 幼女 ようじょ 誘拐 ゆうかい 殺人 さつじん 事件 じけん の宮崎 みやざき 勤 つとむ らに対 たい する死刑 しけい 執行 しっこう 命令 めいれい 書 しょ の開示 かいじ 請求 せいきゅう に応 おう じ、命令 めいれい 書 しょ を全面 ぜんめん 開示 かいじ した。公開 こうかい された命令 めいれい 書 しょ によると、2008年 ねん 6月 がつ 13日 にち 付 づけ で、法務大臣 ほうむだいじん 鳩山 はとやま 邦夫 くにお が東京 とうきょう 高等 こうとう 検察庁 けんさつちょう 検事 けんじ 長 ちょう だった樋渡 ひわたし 利秋 としあき に対 たい して「裁判 さいばん 言渡 いいわた しのとおり執行 しっこう せよ」と命 めい じ、6月17日 にち に東京 とうきょう 拘置 こうち 所 しょ で死刑 しけい を執行 しっこう された。法務省 ほうむしょう は「死刑 しけい 執行 しっこう 命令 めいれい 書 しょ の開示 かいじ 請求 せいきゅう では、死刑 しけい 囚 しゅう のプライバシー に配慮 はいりょ し、一部 いちぶ を黒 くろ 塗 ぬ りにしてきたが、鳩山 はとやま 以来 いらい は全面 ぜんめん 的 てき に開示 かいじ している」と述 の べている[52] 。後 のち に鳩山 はとやま は「宮崎 みやざき の凶悪 きょうあく 性 せい が際立 きわだ っていたから命令 めいれい を出 だ した」と明 あ かしている。
日本 にっぽん で犯罪 はんざい を犯 おか した外国 がいこく 人 じん が死刑 しけい 廃止 はいし 国 こく へ逃亡 とうぼう した場合 ばあい 、「日本 にっぽん が死刑 しけい 存置 そんち 国 こく である」ことを理由 りゆう に、犯罪 はんざい 者 しゃ の引渡 ひきわた しが拒否 きょひ される場合 ばあい もある[53] 。
東京 とうきょう で日本人 にっぽんじん 女性 じょせい を殺害 さつがい し国外 こくがい 逃亡 とうぼう したイラン 人 ひと が死刑 しけい 廃止 はいし 国 こく のスウェーデン で拘束 こうそく された事例 じれい [54] では、両国 りょうこく 間 あいだ で犯罪 はんざい 人 じん 引渡 ひきわた し条約 じょうやく がないため、スウェーデンの国内 こくない 法 ほう を根拠 こんきょ に日本 にっぽん 側 がわ が任意 にんい の引渡 ひきわた しを要請 ようせい した。しかし1994年 ねん にスウェーデン政府 せいふ は「死刑 しけい にしない保証 ほしょう をしない限 かぎ り応 おう じない」とされた。この事件 じけん は判例 はんれい に準拠 じゅんきょ すれば死刑 しけい になる可能 かのう 性 せい が少 すく ないケースであったが、裁判 さいばん を行 おこな う前 まえ に死刑 しけい にならないことを100%確実 かくじつ に保証 ほしょう することは日本国 にっぽんこく 政府 せいふ として不可能 ふかのう であったため、結局 けっきょく 引 ひ き渡 わた されず、スウェーデンにおいて代理 だいり 処罰 しょばつ され、1995年 ねん に禁錮 きんこ 10年 ねん の判決 はんけつ を受 う けたという。
日本人 にっぽんじん の殺人 さつじん 犯 はん が犯罪 はんざい 人 じん 引渡 ひきわた し条約 じょうやく を締結 ていけつ していない南 みなみ アフリカ共和 きょうわ 国 こく に逃亡 とうぼう した事例 じれい では、死刑 しけい 制度 せいど を理由 りゆう に引 ひ き渡 わた しが拒否 きょひ されること見越 みこ し、日本 にっぽん の検察 けんさつ が死刑 しけい を求刑 きゅうけい しないという確約 かくやく をすることで引 ひ き渡 わた しを進 すす めようとしたが、南 みなみ アフリカ側 がわ が裁判官 さいばんかん の誓約 せいやく 書 しょ が必要 ひつよう と回答 かいとう し一 いち 時 じ 頓挫 とんざ した[53] 。
死刑 しけい 存置 そんち 国 こく によって死刑 しけい の適用 てきよう について差異 さい があることも少 すく なくないが、福岡 ふくおか 一家 いっか 4人 にん 殺害 さつがい 事件 じけん (2003年 ねん )では犯人 はんにん の中国人 ちゅうごくじん 3人 にん のうち2人 にん が母国 ぼこく の中国 ちゅうごく に逃亡 とうぼう し1人 にん が日本 にっぽん で逮捕 たいほ され、日本 にっぽん では1審 しん で死刑 しけい を宣告 せんこく され控訴 こうそ 棄却 ききゃく 後 ご 、上告 じょうこく したが、2011年 ねん 10月 がつ 20日 はつか に最高裁 さいこうさい 第 だい 1小 しょう 法廷 ほうてい (白木 しらき 勇 いさむ 裁判 さいばん 長 ちょう )は上告 じょうこく を棄却 ききゃく して死刑 しけい 判決 はんけつ をい渡 いわた した。中国 ちゅうごく で拘束 こうそく された2人 ふたり については死刑 しけい と無期 むき 懲役 ちょうえき に別 わか れ、死刑 しけい は執行 しっこう されている。
2009年 ねん に開始 かいし した裁判 さいばん 員 いん 制度 せいど により、死刑 しけい 判決 はんけつ の可能 かのう 性 せい のある事案 じあん を有権者 ゆうけんしゃ が裁判官 さいばんかん とともに審理 しんり することになる。そのため、死刑 しけい 廃止 はいし に向 む けた活動 かつどう を行 おこな っている団体 だんたい などから、国民 こくみん の間 あいだ で死刑 しけい 制度 せいど の存廃 そんぱい について議論 ぎろん がより深 ふか く広 ひろ がることが期待 きたい されている。ただ、裁判 さいばん 員 いん の参加 さんか する刑事 けいじ 裁判 さいばん に関 かん する法律 ほうりつ (裁判 さいばん 員 いん 法 ほう )18条 じょう の規定 きてい [注釈 ちゅうしゃく 9] にもとづき、死刑 しけい の適用 てきよう が問題 もんだい となる事件 じけん においては死刑 しけい を前提 ぜんてい とした量刑 りょうけい の判断 はんだん について質問 しつもん (具体 ぐたい 的 てき には死刑 しけい に対 たい する考 かんが え方 かた などにも)を行 おこな い、不公平 ふこうへい な裁判 さいばん をするおそれの有無 うむ を判断 はんだん すると規定 きてい されたこと[55] から、一方 いっぽう 的 てき な裁判 さいばん 員 いん 選定 せんてい が行 おこな われる可能 かのう 性 せい がある。実際 じっさい にアメリカ では陪審 ばいしん 員 いん の選考 せんこう に際 さい し検察 けんさつ ・弁護 べんご 側 がわ 双方 そうほう が恣意 しい 的 てき な選定 せんてい を行 おこな っていることが問題 もんだい になっている。
日本 にっぽん の裁判 さいばん 員 いん 制度 せいど では、裁判 さいばん 員 いん として参加 さんか する有権者 ゆうけんしゃ が有罪 ゆうざい か無罪 むざい かとともに量刑 りょうけい を多数決 たすうけつ (9人 にん 中 ちゅう 5人 にん 以上 いじょう )で決定 けってい [注釈 ちゅうしゃく 10] 。そのため、場合 ばあい によっては国民 こくみん が同 おな じ国民 こくみん に対 たい して死刑 しけい を宣告 せんこく する形式 けいしき となる(ただし、被疑 ひぎ 者 しゃ が日本 にっぽん 国民 こくみん とは限 かぎ らない)。そのため、日本 にっぽん のように有権者 ゆうけんしゃ が裁判官 さいばんかん として参加 さんか する参 まいり 審 しん 制 せい (陪審 ばいしん 制 せい は無罪 むざい か有罪 ゆうざい かを判断 はんだん するもので、通常 つうじょう は量刑 りょうけい までを決定 けってい しない)を採用 さいよう する国 くに で死刑 しけい を宣告 せんこく できるのは世界 せかい 唯一 ゆいいつ (ほかの参 さん 審 しん 制 せい 導入 どうにゅう 国 こく は欧州 おうしゅう 諸国 しょこく の死刑 しけい 廃止 はいし 国 こく のみ、死刑 しけい 制度 せいど 存置 そんち 国 こく では韓国 かんこく で2008年 ねん に裁判 さいばん 員 いん 制度 せいど が始 はじ まったが、1998年 ねん 以降 いこう 死刑 しけい 執行 しっこう が行 おこな われておらず国際 こくさい 人権 じんけん 団体 だんたい が「事実 じじつ 上 じょう の死刑 しけい 廃止 はいし 国 こく 」に分類 ぶんるい している[56] )である。2審 しん では従来 じゅうらい どおりの職業 しょくぎょう 裁判官 さいばんかん による公判 こうはん が行 おこな われるが、裁判 さいばん が1審 しん で確定 かくてい した場合 ばあい 、一般 いっぱん 国民 こくみん が死刑 しけい を宣告 せんこく したことになる。そのため有権者 ゆうけんしゃ が場合 ばあい によっては「人殺 ひとごろ し」になる危険 きけん 性 せい があり、死刑 しけい 制度 せいど を廃止 はいし した上 うえ でなければ裁判 さいばん 員 いん 制度 せいど を導入 どうにゅう すべきではないとの指摘 してき が死刑 しけい 廃止 はいし 論 ろん 者 しゃ 側 がわ [57] から提示 ていじ されている。
仮釈放 かりしゃくほう のない無期 むき 懲役 ちょうえき (重 じゅう 無期 むき 刑 けい )の導入 どうにゅう
編集 へんしゅう
死刑 しけい の代替 だいたい として仮釈放 かりしゃくほう 制度 せいど のない無期 むき 懲役 ちょうえき 刑 けい の導入 どうにゅう の是非 ぜひ が議論 ぎろん されている[48] 。
仮釈放 かりしゃくほう のない無期 むき 懲役 ちょうえき をめぐっては、前述 ぜんじゅつ の効果 こうか を重視 じゅうし する立場 たちば の者 もの から支持 しじ する意見 いけん が表明 ひょうめい されている一方 いっぽう 、死刑 しけい 廃止 はいし 派 は の一部 いちぶ から死刑 しけい と同様 どうよう に人道 じんどう 上 じょう 問題 もんだい が大 おお きいという意見 いけん が表明 ひょうめい されているほか、死刑 しけい 存置 そんち 派 は の一部 いちぶ からも、「人 ひと を一生 いっしょう 牢獄 ろうごく につなぐ刑 けい は死刑 しけい よりも残虐 ざんぎゃく な刑 けい である」といった意見 いけん や[注釈 ちゅうしゃく 11] 、刑務所 けいむしょ の秩序 ちつじょ 維持 いじ や収容 しゅうよう 費用 ひよう といった面 めん から、その現実 げんじつ 性 せい を疑問 ぎもん 視 し する意見 いけん が表明 ひょうめい されている[注釈 ちゅうしゃく 12] 。
元来 がんらい 「無期 むき 刑 けい 」とは、刑期 けいき に「期 き 」限 きり が「無 む 」いこと[注釈 ちゅうしゃく 13] 、刑期 けいき の終 お わりが無 な い、つまり刑期 けいき が一 いち 生涯 しょうがい にわたること(受刑 じゅけい 者 しゃ が死亡 しぼう するまでその刑 けい を科 か すということ)を意味 いみ し[58] [59] [60] 、有期 ゆうき 懲役 ちょうえき より重 おも い刑罰 けいばつ であり、死刑 しけい に次 つ ぐものとされており、日本 にっぽん の刑法 けいほう を英語 えいご で表現 ひょうげん する場合 ばあい も「Life(一 いち 生涯 しょうがい の) imprisonment(拘禁 こうきん ) with work」との語 かたり が充 あ てられている[61] 。刑期 けいき の上限 じょうげん をあらかじめ定 さだ めない絶対 ぜったい 的 てき 不定期 ふていき 刑 けい では刑 けい がいつかは終了 しゅうりょう することが想定 そうてい されているのに対 たい し、無期 むき 懲役 ちょうえき では刑 けい が終了 しゅうりょう することは想定 そうてい されていない。
ただし、現在 げんざい の刑法 けいほう 28条 じょう では無期 むき 懲役 ちょうえき の受刑 じゅけい 者 しゃ にも仮釈放 かりしゃくほう (一生 いっしょう という刑期 けいき の途中 とちゅう において一定 いってい の条件下 じょうけんか で釈放 しゃくほう する制度 せいど )によって社会 しゃかい に復帰 ふっき できる可能 かのう 性 せい を認 みと めており[注釈 ちゅうしゃく 14] 、同 どう 法 ほう の規定 きてい 上 じょう 10年 ねん を経過 けいか すればその可能 かのう 性 せい が認 みと められる 点 てん で、現行 げんこう 法 ほう 制度 せいど に存在 そんざい する無期 むき 懲役 ちょうえき は相対 そうたい 的 てき 無期 むき 刑 けい であり、絶対 ぜったい 的 てき 無期 むき 刑 けい (重 じゅう 無期 むき 刑 けい ) とは異 こと なる。仮釈放 かりしゃくほう による社会 しゃかい 復帰 ふっき の可能 かのう 性 せい が全 まった くない無期 むき 懲役 ちょうえき は日本 にっぽん の法 ほう 制度 せいど には存在 そんざい しない。
刑法 けいほう 学 がく 、国語 こくご 学 がく 上 じょう の観点 かんてん では、「無期 むき 刑 けい 」と「終身 しゅうしん 刑 けい 」は定義 ていぎ 的 てき に同等 どうとう の刑罰 けいばつ であり[58] [59] [60] [62] [63] 、その中 なか には仮釈放 かりしゃくほう の可能 かのう 性 せい のあるもの(相対 そうたい 的 てき 無期 むき 刑 けい 、相対 そうたい 的 てき 終身 しゅうしん 刑 けい )とないもの(絶対 ぜったい 的 てき 無期 むき 刑 けい 、絶対 ぜったい 的 てき 終身 しゅうしん 刑 けい )がある。刑法 けいほう や刑事 けいじ 訴訟 そしょう 法 ほう は冒頭 ぼうとう で一般 いっぱん 則 そく を定 さだ め、その後 ご に個別 こべつ の条項 じょうこう を定 さだ めているが、刑罰 けいばつ の種類 しゅるい と、裁判 さいばん で宣告 せんこく された刑 けい の執行 しっこう に対 たい する減免 げんめん 措置 そち は、別個 べっこ の独立 どくりつ した概念 がいねん であり、特定 とくてい の減免 げんめん 手段 しゅだん が特定 とくてい の刑 けい に所属 しょぞく するわけではない。つまり、仮釈放 かりしゃくほう という減免 げんめん 手段 しゅだん が無期 むき 刑 けい という固有 こゆう の刑罰 けいばつ に所属 しょぞく しているわけではない。すなわち、日本 にっぽん において無期 むき 刑 けい を定 さだ める規定 きてい は刑法 けいほう 12条 じょう 、13条 じょう であり[64] 、仮釈放 かりしゃくほう の可能 かのう 性 せい を規定 きてい する同 どう 法 ほう 28条 じょう を削除 さくじょ すると、無期 むき 懲役 ちょうえき の場合 ばあい 、釈放 しゃくほう の余地 よち がなくなるものと解釈 かいしゃく される。
「終身 しゅうしん 刑 けい 」を英語 えいご にすれば「Life imprisonment without parole」が充 あ てがわれるべきであるが、日本 にっぽん の報道 ほうどう では、これまで「Life imprisonment」を直訳 ちょくやく 的 てき に「終身 しゅうしん 刑 けい 」と翻訳 ほんやく してきたため[注釈 ちゅうしゃく 15] 、それが伝 つた え広 ひろ げられ、海外 かいがい (特 とく にヨーロッパ 語 かたり 圏 けん )では「仮釈放 かりしゃくほう の可能 かのう 性 せい のない無期 むき 刑 けい 」が一般 いっぱん 的 てき に採用 さいよう されているとの風説 ふうせつ が広 ひろ まることにつながった[注釈 ちゅうしゃく 16] 。また、そのような中 なか で、「Life imprisonment without parole」を直訳 ちょくやく 的 てき に「仮釈放 かりしゃくほう のない終身 しゅうしん 刑 けい 」と翻訳 ほんやく することと、海外 かいがい の仮釈放 かりしゃくほう などの情報 じょうほう を容易 ようい に取得 しゅとく できるようになった情報 じょうほう 網 もう の発達 はったつ が相 あい まって、海外 かいがい には「仮釈放 かりしゃくほう のある終身 しゅうしん 刑 けい 」という日本 にっぽん の無期 むき 刑 けい とは「別 べつ 概念 がいねん 」のものが存在 そんざい するといった言説 げんせつ も拡大 かくだい し、概念的 がいねんてき な混乱 こんらん は一段 いちだん と広 ひろ がることになった。
しかし、現実 げんじつ に海外 かいがい の刑法 けいほう 典 てん や仮釈放 かりしゃくほう 法典 ほうてん を見 み れば、「仮釈放 かりしゃくほう の資格 しかく が認 みと められる、最低 さいてい の期間 きかん 」は日本 にっぽん より長 なが い場合 ばあい が多 おお いものの、比較的 ひかくてき 多数 たすう の国 くに において、すべての無期 むき 刑 けい の受刑 じゅけい 者 しゃ において仮釈放 かりしゃくほう の可能 かのう 性 せい が認 みと められており、たとえば、大韓民国 だいかんみんこく 刑法 けいほう 72条 じょう 1項 こう [65] は10年 ねん 、ドイツ刑法 けいほう 57条 じょう a[66] 、オーストリア 刑法 けいほう 46条 じょう 5項 こう [67] は15年 ねん 、フランス刑法 けいほう 132-23条 じょう [68] は18年 ねん [注釈 ちゅうしゃく 17] 、ルーマニア 刑法 けいほう 55条 じょう 1項 こう [69] は20年 ねん 、ポーランド刑法 けいほう 78条 じょう 3項 こう [70] 、ロシア 刑法 けいほう 79条 じょう 5項 こう [71] 、カナダ 刑法 けいほう 745条 じょう 1項 こう [72] [注釈 ちゅうしゃく 18] 、台湾 たいわん 刑法 けいほう 77条 じょう [73] は25年 ねん 、イタリア 刑法 けいほう 176条 じょう [74] は26年 ねん の経過 けいか によってそれぞれ仮釈放 かりしゃくほう の可能 かのう 性 せい を認 みと めている。一方 いっぽう で、中国 ちゅうごく やアメリカ合衆国 あめりかがっしゅうこく 、オランダ などにおいては仮釈放 かりしゃくほう のない無期 むき 刑 けい 制度 せいど が現 げん に存在 そんざい している。イギリス においても、量刑 りょうけい ガイドライン附則 ふそく 21章 しょう により、「極 きわ めて重大 じゅうだい な謀殺 ぼうさつ であると認 みと められる事案 じあん について、生涯 しょうがい 仮釈放 かりしゃくほう 資格 しかく を得 え ることができない旨 むね の言渡 いいわた しをすることができる」と規定 きてい されている。これら諸 しょ 外国 がいこく の状況 じょうきょう について、法務省 ほうむしょう は国会 こっかい 答弁 とうべん や比較 ひかく 法 ほう 資料 しりょう において、「諸 しょ 外国 がいこく を見 み ると仮釈放 かりしゃくほう のない無期 むき 刑 けい を採用 さいよう している国 くに は比較的 ひかくてき 少数 しょうすう にとどまっている」とかねてからしばし説明 せつめい してきた[75] 。
2022年 ねん 末 まつ 現在 げんざい 、無期 むき 刑 けい が確定 かくてい し刑事 けいじ 施設 しせつ に拘禁 こうきん されている者 もの の総数 そうすう は1,688人 にん である[76] 。
日本 にっぽん では、仮釈放 かりしゃくほう 中 ちゅう の者 もの は残 のこ りの刑 けい の期間 きかん について保護 ほご 観察 かんさつ に付 ふ される残 ざん 刑期 けいき 間 あいだ 主義 しゅぎ が採 と られており、無期 むき 懲役 ちょうえき の受刑 じゅけい 者 しゃ は、残 のこ りの刑期 けいき も無期 むき であるため、仮釈放 かりしゃくほう が認 みと められた場合 ばあい でも、恩赦 おんしゃ などの措置 そち がない限 かぎ り、一 いち 生涯 しょうがい 観察 かんさつ 処分 しょぶん となり、定 さだ められた遵守 じゅんしゅ 事項 じこう [注釈 ちゅうしゃく 19] を守 まも らなかったり、犯罪 はんざい を犯 おか したりした場合 ばあい には、仮釈放 かりしゃくほう が取 と り消 け されて刑務所 けいむしょ に戻 もど されることとなる[注釈 ちゅうしゃく 20] 。ただし、少年 しょうねん のときに無期 むき 懲役 ちょうえき の言渡 いいわた しを受 う けた者 もの [注釈 ちゅうしゃく 21] については、仮釈放 かりしゃくほう を許 ゆる された後 のち 、それが取 と り消 け されることなく無事 ぶじ に10年 ねん を経過 けいか すれば、少年 しょうねん 法 ほう 59条 じょう の規定 きてい により刑 けい は終了 しゅうりょう したものとされる考試 こうし 期間 きかん 主義 しゅぎ が採 と られている。
無期 むき 刑 けい 仮釈放 かりしゃくほう 者 しゃ [77] における刑事 けいじ 施設 しせつ 在所 ざいしょ 期間 きかん についての年次 ねんじ 別 べつ 内訳 うちわけ は、法務省 ほうむしょう 「令 れい 和 わ 5年版 ねんばん 犯罪 はんざい 白書 はくしょ 」「昭和 しょうわ 48年版 ねんばん 犯罪 はんざい 白書 はくしょ 」[78] 「昭和 しょうわ 45年版 ねんばん 犯罪 はんざい 白書 はくしょ 」[79] より、以下 いか の表 ひょう のようになっている。
無期 むき 刑 けい 仮釈放 かりしゃくほう 者 しゃ の刑事 けいじ 施設 しせつ 在所 ざいしょ 期間 きかん 別 べつ 内訳 うちわけ (1967年 ねん 以降 いこう )
年 とし 次 つぎ
総 そう 数 かず
12年 ねん 以内 いない
14年 ねん 以内 いない
16年 ねん 以内 いない
18年 ねん 以内 いない
18年 ねん を超 こ える
1967年 ねん
88
10
24
37
9
8
1968年 ねん
82
8
28
34
9
3
1969年 ねん
94
11
36
22
19
6
年 とし 次 つぎ
総 そう 数 かず
12年 ねん 以内 いない
14年 ねん 以内 いない
16年 ねん 以内 いない
18年 ねん 以内 いない
20年 ねん 以内 いない
20年 ねん を超 こ える
1970年 ねん
88
4
32
37
4
9
2
1971年 ねん
84
11
25
25
17
5
1
1972年 ねん
49
7
16
16
3
3
4
1973年 ねん
63
-
16
35
10
1
1
1974年 ねん
65
-
13
34
13
5
-
1975年 ねん
105
1
24
50
17
8
5
1976年 ねん
54
2
12
25
11
-
4
1977年 ねん
55
1
10
24
11
5
4
1978年 ねん
43
1
3
17
11
8
3
1979年 ねん
57
-
5
33
11
5
3
1980年 ねん
46
-
8
22
11
3
2
1981年 ねん
57
-
8
30
14
4
1
1982年 ねん
54
-
12
24
13
3
2
1983年 ねん
45
3
7
16
10
5
4
1984年 ねん
50
3
11
16
12
3
5
1985年 ねん
26
-
10
6
5
4
1
1986年 ねん
28
-
3
15
6
2
2
1987年 ねん
25
2
2
12
7
2
-
1988年 ねん
11
-
1
5
2
1
2
1989年 ねん
13
-
-
5
1
3
4
1990年 ねん
17
-
-
5
3
4
5
1991年 ねん
33
-
1
12
8
6
6
1992年 ねん
21
-
-
6
1
6
8
1993年 ねん
16
1
-
4
5
4
2
1994年 ねん
15
-
-
-
8
3
4
1995年 ねん
15
-
-
1
5
4
5
1996年 ねん
9
-
1
-
-
5
3
1997年 ねん
13
-
1
-
-
4
8
年 とし 次 つぎ
総 そう 数 かず
12年 ねん 以内 いない
14年 ねん 以内 いない
16年 ねん 以内 いない
18年 ねん 以内 いない
20年 ねん 以内 いない
25年 ねん 以内 いない
30年 ねん 以内 いない
35年 ねん 以内 いない
35年 ねん を超 こ える
1998年 ねん
14
-
-
-
-
5
8
1
-
-
1999年 ねん
9
-
-
-
-
3
5
1
-
-
2000年 ねん
6
-
-
-
-
-
5
1
-
-
2001年 ねん
14
-
1
-
-
-
7
5
1
-
2002年 ねん
4
-
-
-
1
-
3
-
-
-
2003年 ねん
13
-
-
-
-
-
10
3
-
-
2004年 ねん
8
-
-
-
-
-
2
5
-
1
2005年 ねん
3
-
-
-
-
-
2
-
-
1
2006年 ねん
4
-
-
-
-
-
1
2
1
-
2007年 ねん
-
-
-
-
-
-
-
-
-
-
2008年 ねん
4
-
-
-
-
-
-
2
2
-
2009年 ねん
6
-
-
-
-
-
-
3
2
1
2010年 ねん
7
-
-
-
-
-
-
2
2
3
2011年 ねん
6
-
-
-
-
-
-
-
5
1
2012年 ねん
4
-
-
-
-
-
-
-
4
-
2013年 ねん
8
-
-
-
-
-
-
-
8
-
2014年 ねん
4
-
-
-
-
-
-
1
2
1
2015年 ねん
11
-
-
-
-
-
-
-
11
-
2016年 ねん
6
-
-
-
-
-
-
-
5
1
2017年 ねん
9
-
-
-
-
-
-
-
7
2
2018年 ねん
10
-
-
-
-
-
-
-
10
-
2019年 ねん
15
-
-
-
-
-
-
-
9
6
2020年 ねん
9
-
-
-
-
-
-
-
3
6
2021年 ねん
6
-
-
-
-
-
-
-
3
3
2022年 ねん
5
-
-
-
-
-
-
-
3
2
年 とし 次 つぎ
総 そう 数 かず
12年 ねん 以内 いない
14年 ねん 以内 いない
16年 ねん 以内 いない
18年 ねん 以内 いない
20年 ねん 以内 いない
25年 ねん 以内 いない
30年 ねん 以内 いない
35年 ねん 以内 いない
35年 ねん を超 こ える
従前 じゅうぜん においては、十 じゅう 数 すう 年 ねん で仮釈放 かりしゃくほう を許可 きょか された例 れい が少 すく なからず(特 とく に1980年代 ねんだい までは相当 そうとう 数 すう )存在 そんざい しており、1967年 ねん ~1989年 ねん の間 あいだ で在所 ざいしょ 期間 きかん 18年 ねん 以内 いない で仮釈放 かりしゃくほう された無期 むき 刑 けい 仮釈放 かりしゃくほう 者 しゃ は1,136人 にん おり、約 やく 89%を占 し め、早 はや い者 もの では在所 ざいしょ 期間 きかん 12年 ねん 以内 いない に仮釈放 かりしゃくほう された者 もの が64人 にん いた。更 さら には、昭和 しょうわ 48年版 ねんばん 犯罪 はんざい 白書 はくしょ によれば、少 すく なくとも1970年 ねん ~1972年 ねん の間 あいだ に13人 にん が在所 ざいしょ 期間 きかん 10年 ねん 以内 いない に仮釈放 かりしゃくほう されていた。
しかし、1990年代 ねんだい に入 はい ったころから次第 しだい に運用 うんよう 状 じょう 況 きょう に変化 へんか が見 み られ、2003~2006年 ねん では仮釈放 かりしゃくほう を許可 きょか された者 もの の中 なか で刑事 けいじ 施設 しせつ に在所 ざいしょ していた期間 きかん が最短 さいたん の者 もの で20年 ねん 超 こ え25年 ねん 以内 いない であった。そして、2008年 ねん ~2010年 ねん は最短 さいたん の者 もの で25年 ねん 超 こ え30年 ねん 以内 いない となり、2011年 ねん 以降 いこう は2014年 ねん を除 のぞ いて、最短 さいたん の者 もの が30年 ねん 超 こ え35年 ねん 以内 いない となっている。それに伴 ともな って、仮釈放 かりしゃくほう を許可 きょか された者 もの における在所 ざいしょ 期間 きかん の平均 へいきん も、1980年代 ねんだい までは15年 ねん -18年 ねん であったものの、1990年代 ねんだい から20年 ねん 、23年 ねん と次第 しだい に伸長 しんちょう していき、2004年 ねん には25年 ねん を超 こ えていった。そして2007年 ねん 以降 いこう は2008年 ねん を除 のぞ いて、現在 げんざい までのところ一貫 いっかん して30年 ねん を超 こ え、2022年 ねん においては40年 ねん を超 こ えている[80] [81] 。
そして、仮釈放 かりしゃくほう された者 もの の中 なか に、50年 ねん を超 こ えた者 もの が2019年 ねん で2人 ふたり 、2020年 ねん で1人 ひとり 、2022年 ねん で3人 にん いた。更 さら に、2019年 ねん に仮釈放 かりしゃくほう された無期 むき 刑 けい 受刑 じゅけい 者 しゃ の内 うち 、仮釈放 かりしゃくほう 審査 しんさ による判断 はんだん 時 じ の最長 さいちょう 在所 ざいしょ 年数 ねんすう が61年 ねん (1957年 ねん に起 お こした強盗 ごうとう 致死傷 ちししょう の罪状 ざいじょう で熊本 くまもと 刑務所 けいむしょ で服役 ふくえき していた80歳 さい 代 だい 無期 むき 刑 けい 受刑 じゅけい 者 しゃ )になる者 もの がいた。その当時 とうじ では日本 にっぽん 国内 こくない において最 もっと も長 なが い在所 ざいしょ 期間 きかん であった。また、この受刑 じゅけい 者 しゃ は5度 ど にわたって仮釈放 かりしゃくほう 申請 しんせい をしていたが、受 う け入 い れ先 さき がないという理由 りゆう で却下 きゃっか されていたが、2009年 ねん に導入 どうにゅう された「特別 とくべつ 調整 ちょうせい 」(高齢 こうれい 者 しゃ や障害 しょうがい のある受刑 じゅけい 者 しゃ を福祉 ふくし 施設 しせつ で受 う け入 い れる制度 せいど )により、福祉 ふくし 施設 しせつ で受 う け入 い れることで、仮釈放 かりしゃくほう の許可 きょか が下 お りたという経緯 けいい がある。その後 ご 、出所 しゅっしょ から1年 ねん で亡 な くなっている[82] [83] 。 なお、2022年 ねん は記録 きろく を塗 ぬ り替 か え、63年 ねん 9月 がつ で仮釈放 かりしゃくほう された者 もの が2人 ふたり (どちらも80代 だい であり、それぞれ1人 にん 死者 ししゃ を出 だ している。)いる。
仮釈放 かりしゃくほう が許可 きょか されるための条件 じょうけん については、刑法 けいほう 28条 じょう が「改悛 かいしゅん の状 じょう があるとき」と規定 きてい しており、この「改悛 かいしゅん の状 じょう があるとき」とは、単 たん に反省 はんせい の弁 べん を述 の べているといった状態 じょうたい のみを指 さ すわけではなく、法務省 ほうむしょう 令 れい である「犯罪 はんざい をした者 もの 及 およ び非行 ひこう のある少年 しょうねん に対 たい する社会 しゃかい 内 ない における処遇 しょぐう に関 かん する規則 きそく 」28条 じょう の基準 きじゅん を満 み たす状態 じょうたい を指 さ すものとされており、「仮釈放 かりしゃくほう を許 ゆる す処分 しょぶん は、悔悟 かいご の情 じょう 及 およ び改善 かいぜん 更生 こうせい の意欲 いよく があり、再 ふたた び犯罪 はんざい をするおそれがなく、かつ、保護 ほご 観察 かんさつ に付 ふ することが改善 かいぜん 更生 こうせい のために相当 そうとう であると認 みと めるときにするものとする。ただし、社会 しゃかい の感情 かんじょう がこれを是認 ぜにん すると認 みと められないときは、この限 かぎ りでない」と規定 きてい されている[注釈 ちゅうしゃく 22] 。
また、同 どう 規則 きそく 18条 じょう では「仮釈放 かりしゃくほう の審理 しんり にあたっては、犯罪 はんざい 又 また は非行 ひこう の内容 ないよう 、動機 どうき 及 およ び原因 げんいん 並 なら びにこれらについての審理 しんり 対象 たいしょう 者 しゃ の認識 にんしき 及 およ び心情 しんじょう 、共犯 きょうはん 者 しゃ の状況 じょうきょう 、被害 ひがい 者 しゃ 等 とう の状況 じょうきょう 、審理 しんり 対象 たいしょう 者 しゃ の性格 せいかく 、経歴 けいれき 、心身 しんしん の状況 じょうきょう 、家庭 かてい 環境 かんきょう 及 およ び交友 こうゆう 関係 かんけい 、矯正 きょうせい 施設 しせつ における処遇 しょぐう の経過 けいか 及 およ び審理 しんり 対象 たいしょう 者 しゃ の生活 せいかつ 態度 たいど 、帰 かえり 住 じゅう 予定 よてい 地 ち の生活 せいかつ 環境 かんきょう 、審理 しんり 対象 たいしょう 者 しゃ に係 かか る引受 ひきうけ 人 じん の状況 じょうきょう 、釈放 しゃくほう 後 ご の生活 せいかつ の計画 けいかく 、その他 た 審理 しんり のために必要 ひつよう な事項 じこう 」をそれぞれ調査 ちょうさ すべき旨 むね が規定 きてい されている。
ここで審理 しんり における調査 ちょうさ 事項 じこう のひとつされている「被害 ひがい 者 しゃ 等 とう の状況 じょうきょう 」については、従来 じゅうらい は必 かなら ずしも十分 じゅうぶん な調査 ちょうさ が行 おこ なわれておらず、被害 ひがい 者 しゃ 側 がわ に意見 いけん 表明 ひょうめい の権利 けんり もない状況 じょうきょう にあった。しかし、被害 ひがい 者 しゃ 保護 ほご の社会 しゃかい 的 てき 要請 ようせい (国民 こくみん 世論 せろん )の高 たか まりを受 う け、2005年 ねん の更生 こうせい 保護 ほご 法 ほう の成立 せいりつ を契機 けいき に、被害 ひがい 者 しゃ が希望 きぼう すれば仮釈放 かりしゃくほう の審理 しんり の際 さい に被害 ひがい 者 しゃ 側 がわ が口頭 こうとう や書面 しょめん で意見 いけん を述 の べることが可能 かのう となり、2009年度 ねんど からは被害 ひがい 者 しゃ 側 がわ が拒否 きょひ しない限 かぎ りにおいて必要 ひつよう 的 てき に調査 ちょうさ を行 おこ なう方針 ほうしん が取 と られるようになった。
仮釈放 かりしゃくほう は法務省 ほうむしょう 管轄 かんかつ の地方 ちほう 更生 こうせい 保護 ほご 委員 いいん 会 かい の審理 しんり によってなされ、そこで「許可 きょか 相当 そうとう 」と判断 はんだん された場合 ばあい に初 はじ めて実際 じっさい の受刑 じゅけい 者 しゃ の仮釈放 かりしゃくほう が行 おこ なわれるものであって、全 すべ ての受刑 じゅけい 者 しゃ に仮釈放 かりしゃくほう の可能 かのう 性 せい はあっても、将来 しょうらい 的 てき な仮釈放 かりしゃくほう が保証 ほしょう されているというわけではない。
このため、本人 ほんにん の諸 しょ 状況 じょうきょう から、仮釈放 かりしゃくほう が認 みと められず、30年 ねん を超 こ える期間 きかん 、刑事 けいじ 施設 しせつ に在所 ざいしょ し続 つづ けている受刑 じゅけい 者 しゃ や刑務所 けいむしょ 内 ない で死 し を迎 むか える受刑 じゅけい 者 しゃ も存在 そんざい しており、2022年 ねん 12月31日 にち 現在 げんざい では刑事 けいじ 施設 しせつ 在所 ざいしょ 期間 きかん が30年 ねん 以上 いじょう となる者 もの は298人 にん (内 うち 、50年 ねん 以上 いじょう になる者 もの が10人 にん いる)、また2013年 ねん から2022年 ねん までの刑事 けいじ 施設 しせつ 内 ない 死亡 しぼう 者 しゃ (いわゆる獄死 ごくし 者 しゃ )は260人 にん となっている[84] 。1985年 ねん の時点 じてん では刑事 けいじ 施設 しせつ 在所 ざいしょ 期間 きかん が30年 ねん 以上 いじょう の者 もの は7人 にん であったため[85] 、このことから、当時 とうじ と比較 ひかく して仮釈放 かりしゃくほう 可否 かひ の判断 はんだん が慎重 しんちょう なものとなっている。
「特 とく に犯 おかせ 情 じょう 悪質 あくしつ 等 とう の無期 むき 懲役 ちょうえき 刑 けい 確定 かくてい 者 しゃ に対 たい する刑 けい の執行 しっこう 指揮 しき 及 およ びそれらの者 もの の仮 かり 出獄 しゅつごく に対 たい する検察官 けんさつかん の意見 いけん をより適正 てきせい にする方策 ほうさく について(平成 へいせい 10年 ねん 6月 がつ 18日 にち 付 づけ の次長 じちょう 検事 けんじ 依命 いめい 通達 つうたつ )」(通称 つうしょう 「最高検 さいこうけん マル特 とく 無期 むき 通達 つうたつ 」)より、検察 けんさつ に死刑 しけい を求刑 きゅうけい された無期 むき 刑 けい 受刑 じゅけい 者 しゃ が事実 じじつ 上 じょう の対象 たいしょう 者 しゃ となっている。また、死刑 しけい の求刑 きゅうけい に対 たい し無期 むき 懲役 ちょうえき が確定 かくてい した場合 ばあい などで、指定 してい 事件 じけん の対象 たいしょう 者 しゃ は少 すく なくとも380人 にん に上 のぼ る。この通達 つうたつ により、検察 けんさつ はマル特 とく 無期 むき 刑 けい 受刑 じゅけい 者 しゃ の仮釈放 かりしゃくほう に対 たい して、反対 はんたい 意見 いけん となり、仮釈放 かりしゃくほう される可能 かのう 性 せい が低 ひく くなる。
但 ただ し、検察 けんさつ の意見 いけん は絶対 ぜったい ではなく、仮釈放 かりしゃくほう の決定 けってい 権 けん は、地方 ちほう 更生 こうせい 保護 ほご 委員 いいん 会 かい であること、法務大臣 ほうむだいじん の一般 いっぱん 的 てき 指揮 しき 権 けん (検察庁 けんさつちょう 法 ほう 14条 じょう 本文 ほんぶん )に基 もと づき、法務省 ほうむしょう 限 かぎ りでその運用 うんよう を変 か えられる可能 かのう 性 せい がある為 ため 、マル特 とく に指定 してい されたからといって、仮釈放 かりしゃくほう されないとは限 かぎ らない[86] 。
2013年 ねん ~2022年 ねん 、検察官 けんさつかん 意見 いけん が仮釈放 かりしゃくほう に反対 はんたい であったもの(222件 けん )のうち、仮釈放 かりしゃくほう を許 ゆる されたものは38件 けん (17.1%)であった[84] 。しかしながら、検察官 けんさつかん 意見 いけん が反対 はんたい でないと判断 はんだん される(70.0%)のと比 くら べて、仮釈放 かりしゃくほう のハードルが約 やく 4.1倍 ばい 高 たか くなっている事実 じじつ がある。
この節 ふし には独自 どくじ 研究 けんきゅう が含 ふく まれているおそれがあります。 問題 もんだい 箇所 かしょ を検証 けんしょう し出典 しゅってん を追加 ついか して、記事 きじ の改善 かいぜん にご協力 きょうりょく ください。議論 ぎろん はノート を参照 さんしょう してください。(2019年 ねん 12月 )
前述 ぜんじゅつ のように、現在 げんざい の制度 せいど 上 じょう 、無期 むき 刑 けい に処 しょ せられた者 もの も、最短 さいたん で10年 ねん を経過 けいか すれば仮釈放 かりしゃくほう を許可 きょか することができる規定 きてい になっており、この規定 きてい と、過去 かこ において10数 すう 年 ねん で仮釈放 かりしゃくほう を許可 きょか されたケースが前述 ぜんじゅつ にあるように実際 じっさい に相当 そうとう 数 すう 存在 そんざい していたこと(1967年 ねん ~1989年 ねん の間 あいだ で在所 ざいしょ 期間 きかん 18年 ねん 以内 いない で仮釈放 かりしゃくほう された無期 むき 刑 けい 仮釈放 かりしゃくほう 者 しゃ は、全体 ぜんたい の約 やく 89%を占 し めていた)、また、仮釈放 かりしゃくほう の運用 うんよう 状 じょう 況 きょう が1990年代 ねんだい から次第 しだい に変化 へんか したものの最近 さいきん になるまであまり公 こう にされてこなかった[87] ことから、無期 むき 刑 けい に処 しょ された者 もの でも、10年 ねん や10数 すう 年 ねん 、または20年 ねん 程度 ていど の服役 ふくえき ののちに仮釈放 かりしゃくほう されることが通常 つうじょう であるといった風説 ふうせつ が、1990年代 ねんだい から2000年代 ねんだい において一部 いちぶ で形成 けいせい された。
例 れい として、光 ひかり 市 し 母子 ぼし 殺害 さつがい 事件 じけん の加害 かがい 者 しゃ が、7年 ねん 程度 ていど で出 で られると勘違 かんちが いする程 ほど であったが、後 のち に被害 ひがい 者 しゃ の執念 しゅうねん が実 みの り、死刑 しけい 判決 はんけつ が下 くだ された。[88] 。更 さら に、2015年 ねん 6月13日 にち の「教 おし えて!ニュースライブ 正義 せいぎ のミカタ 」にて弁護士 べんごし である大渕 おおふち 愛子 あいこ が「無期 むき 懲役 ちょうえき でも15年 ねん くらいで仮釈放 かりしゃくほう になる」と発言 はつげん 、これは後述 こうじゅつ する法務省 ほうむしょう による情報 じょうほう 公開 こうかい があったにも関 かか わらず放送 ほうそう 当時 とうじ の運用 うんよう 実態 じったい と異 こと なるものであり、批判 ひはん されている[82] [89] [90] [91] 。しかし、このとき既 すで に仮釈放 かりしゃくほう の判断 はんだん 状 じょう 況 きょう や許可 きょか 者 しゃ の在所 ざいしょ 期間 きかん などの運用 うんよう は変化 へんか を示 しめ しており、法務省 ほうむしょう は、2008年 ねん 12月以降 いこう 、無期 むき 刑 けい 受刑 じゅけい 者 しゃ の仮釈放 かりしゃくほう の運用 うんよう 状 じょう 況 きょう 等 とう について情報 じょうほう を公開 こうかい するようになった[84] 。
また、同時 どうじ に運用 うんよう ・審理 しんり の透明 とうめい 性 せい の観点 かんてん から、検察官 けんさつかん の意見 いけん 照会 しょうかい を義務 ぎむ 化 か [92] 、刑 けい 執行 しっこう 開始 かいし 後 ご 30年 ねん を経過 けいか した時点 じてん において必要 ひつよう 的 てき に仮釈放 かりしゃくほう 審理 しんり (刑事 けいじ 施設 しせつ の長 ちょう の申出 もうしで によらない国 くに の権限 けんげん での仮釈放 かりしゃくほう 審理 しんり )の実施 じっし [93] 、および前述 ぜんじゅつ の被害 ひがい 者 しゃ 意見 いけん 聴取 ちょうしゅ の義務 ぎむ 化 か という4つの方針 ほうしん が採 と られることとなった[94] [95] 。
しかしその一方 いっぽう で、近年 きんねん 、無期 むき 刑 けい 受刑 じゅけい 者 しゃ における仮釈放 かりしゃくほう について困難 こんなん 性 せい を強調 きょうちょう しすぎる意見 いけん も見受 みう けられる。たとえば、「千 せん 数 すう 百 ひゃく 人 にん の無期 むき 刑 けい 受刑 じゅけい 者 しゃ が存在 そんざい するにもかかわらず、近年 きんねん における仮釈放 かりしゃくほう は年間 ねんかん 数 すう 人 にん であるから、仮釈放 かりしゃくほう 率 りつ は0%台 だい であり、ほとんどの受刑 じゅけい 者 しゃ にとって仮釈放 かりしゃくほう は絶望 ぜつぼう 的 てき である」「2005年 ねん の刑法 けいほう 改正 かいせい で、有期 ゆうき 刑 けい の上限 じょうげん が20年 ねん から30年 ねん となったため、無期 むき 刑 けい 受刑 じゅけい 者 しゃ は仮釈放 かりしゃくほう になるとしても30年 ねん 以上 いじょう の服役 ふくえき が必定 ひつじょう である」といったものがそれである。
たしかに、2022年 ねん 末 まつ 時点 じてん において、1,688人 にん の無期 むき 刑 けい 受刑 じゅけい 者 しゃ が刑事 けいじ 施設 しせつ に在所 ざいしょ しており、同年 どうねん における新 あら たに仮釈放 かりしゃくほう された者 もの は5人 にん であったため、これらの数字 すうじ を使 つか えば仮釈放 かりしゃくほう 率 りつ が0%台 だい は真実 しんじつ ではあるが、これらの数字 すうじ を使 つか うことに問題 もんだい があるとの指摘 してき もある。法務省 ほうむしょう の「無期 むき 刑 けい 受刑 じゅけい 者 しゃ の仮釈放 かりしゃくほう の運用 うんよう 状 じょう 況 きょう 等 とう 」[84] によれば、無期 むき 刑 けい 受刑 じゅけい 者 しゃ の内 うち 、約 やく 12.6%は仮釈放 かりしゃくほう が可能 かのう となる10年 ねん を経過 けいか していない。また、仮釈放 かりしゃくほう の対象 たいしょう になりにくい20年 ねん を経過 けいか していない者 もの を加 くわ えると全体 ぜんたい の約 やく 59%にあたる。そのため、これらの者 もの を対象 たいしょう に加 くわ えるのは計算 けいさん 手法 しゅほう 的 てき に問題 もんだい があるとの指摘 してき である。また、ある受刑 じゅけい 者 しゃ がその年 とし に仮釈放 かりしゃくほう とならなくても、その受刑 じゅけい 者 しゃ が生存 せいぞん する限 かぎ りにおいて連続 れんぞく 的 てき に、仮釈放 かりしゃくほう となる可能 かのう 性 せい は存 そん し続 つづ けるため、単純 たんじゅん な計算 けいさん 手法 しゅほう によって算定 さんてい できる性質 せいしつ のものではないことを留意 りゅうい しなければならない。
また、参考 さんこう までに2013年 ねん ~2022年 ねん の間 あいだ までに仮釈放 かりしゃくほう の審査 しんさ で仮釈放 かりしゃくほう が許 ゆる された無期 むき 刑 けい 受刑 じゅけい 者 しゃ は、審査 しんさ された無期 むき 受刑 じゅけい 者 しゃ 全体 ぜんたい の約 やく 24.0%である。仮釈放 かりしゃくほう に対 たい する検察官 けんさつかん の意見 いけん と懲罰 ちょうばつ 回数 かいすう により仮釈放 かりしゃくほう になるかどうか左右 さゆう されている。前者 ぜんしゃ は反対 はんたい の場合 ばあい 、仮釈放 かりしゃくほう になる確 かく 率 りつ が2割 わり 満 み たないのに対 たい して、反対 はんたい でない場合 ばあい は7割 わり が仮釈放 かりしゃくほう される。また、後述 こうじゅつ の「マル特 とく 無期 むき 」(指定 してい の対象 たいしょう は死刑 しけい 求刑 きゅうけい に対 たい して無期 むき 判決 はんけつ が確定 かくてい した場合 ばあい や、特 とく に悪質 あくしつ と判断 はんだん した事件 じけん 、再犯 さいはん の可能 かのう 性 せい がある場合 ばあい など)に指定 してい された場合 ばあい は、検察官 けんさつかん 意見 いけん は反対 はんたい となる。そして、検察官 けんさつかん の意見 いけん が「反対 はんたい でない」と判断 はんだん された仮釈放 かりしゃくほう 審査 しんさ 対象 たいしょう となった無期 むき 刑 けい 受刑 じゅけい 者 しゃ は全体 ぜんたい で約 やく 17.1%(350人 にん 中 ちゅう 60人 にん )である。後者 こうしゃ は懲罰 ちょうばつ 回数 かいすう が無 む しの場合 ばあい は、約 やく 45.3%が仮釈放 かりしゃくほう となるが、懲罰 ちょうばつ 回数 かいすう が増 ふ えるにつれ低下 ていか していき、5回 かい を超 こ えた場合 ばあい は2割 わり に満 み たなくなる[84] 。
更 さら に、刑法 けいほう 改正 かいせい によって有期 ゆうき 刑 けい の上限 じょうげん が30年 ねん に引 ひ き上 あ げられたといえども、前述 ぜんじゅつ のように現 げん 制度 せいど における懲役 ちょうえき 30年 ねん も絶対 ぜったい 的 てき な懲役 ちょうえき 30年 ねん ではなく、許可 きょか 基準 きじゅん に適合 てきごう すれば、30年 ねん の刑期 けいき 満了 まんりょう 以前 いぜん に釈放 しゃくほう することが可能 かのう であり、刑法 けいほう の規定 きてい 上 じょう はその3分 ぶん の1にあたる10年 ねん を経過 けいか すれば仮釈放 かりしゃくほう の「可能 かのう 性 せい がある」ことを留意 りゅうい しなければならない。仮 かり に、重 おも い刑 けい の者 もの は軽 かる い刑 けい の者 もの より早 はや く仮釈放 かりしゃくほう になってはならないという論法 ろんぽう を採 と れば、30年 ねん の有期 ゆうき 刑 けい は、29年 ねん の有期 ゆうき 刑 けい より重 おも い刑 けい であるから、29年 ねん 未満 みまん で仮釈放 かりしゃくほう になってはならないということになり、その場合 ばあい 、仮釈放 かりしゃくほう 制度 せいど そのものの適用 てきよう が否定 ひてい されてしまうからである。無期 むき 懲役 ちょうえき と懲役 ちょうえき 30年 ねん の受刑 じゅけい 者 しゃ において、両者 りょうしゃ とも仮釈放 かりしゃくほう が相当 そうとう と認 みと められる状況 じょうきょう に至 いた らなければ、前者 ぜんしゃ は本人 ほんにん が死亡 しぼう するまで、後者 こうしゃ は30年 ねん 刑事 けいじ 施設 しせつ に収監 しゅうかん されることになり、片方 かたがた が矯正 きょうせい 教育 きょういく の結果 けっか 仮釈放 かりしゃくほう 相当 そうとう と判断 はんだん され、もう片方 かたがた はその状況 じょうきょう に至 いた らなければ、片方 かたがた は相当 そうとう と判断 はんだん された時点 じてん において仮釈放 かりしゃくほう され、もう片方 かたがた は刑期 けいき が続 つづ く限 かぎ り収監 しゅうかん されることになるし、両者 りょうしゃ とも顕著 けんちょ な矯正 きょうせい 教育 きょういく の成果 せいか を早期 そうき に示 しめ せば、理論 りろん 的 てき にはともに10年 ねん で仮釈放 かりしゃくほう が許可 きょか されることもありうるのであり、矯正 きょうせい 教育 きょういく の成果 せいか や経緯 けいい において場合 ばあい によっては刑事 けいじ 施設 しせつ の在所 ざいしょ 期間 きかん が逆転 ぎゃくてん しうることは仮釈放 かりしゃくほう 制度 せいど の本旨 ほんし に照 て らしてやむをえない面 めん もある。 もっとも、有期 ゆうき 刑 けい の受刑 じゅけい 者 しゃ については、過去 かこ では長期 ちょうき 刑 けい の者 もの を中心 ちゅうしん として、刑期 けいき の6-8割 わり あるいはそれ未満 みまん で仮釈放 かりしゃくほう を許可 きょか された事例 じれい も相当 そうとう 数 すう 存在 そんざい していたが、近年 きんねん においては多 おお くが刑期 けいき の8割 わり 以上 いじょう の服役 ふくえき を経 へ て仮釈放 かりしゃくほう を許可 きょか されており、このことからも、当該 とうがい 状況 じょうきょう の継続 けいぞく を前提 ぜんてい とすれば、将来 しょうらい において、無期 むき 刑 けい 受刑 じゅけい 者 しゃ に対 たい して過去 かこ のような仮釈放 かりしゃくほう 運用 うんよう は行 おこな い難 がた いという間接 かんせつ 的 てき 影響 えいきょう は認 みと められるが、それ以上 いじょう の影響 えいきょう を有期 ゆうき 刑 けい の引 ひ き上 あ げに根拠 こんきょ づけることは理論 りろん 的 てき に不十分 ふじゅうぶん といえる。
現在 げんざい 、絞首刑 こうしゅけい は、首 くび にロープをかけて死刑 しけい を執行 しっこう される者 しゃ (以下 いか 「受刑 じゅけい 者 しゃ 」)を落下 らっか させ、空中 くうちゅう に吊 つ り下 さ げる方式 ほうしき でほとんどが行 おこな われ、日本 にっぽん も1873年 ねん 以来 いらい 、この方法 ほうほう を採用 さいよう している。ところが、この方式 ほうしき の絞首刑 こうしゅけい では、落下 らっか 直後 ちょくご に受刑 じゅけい 者 しゃ の首 くび が切断 せつだん されたり、またはそれに近 ちか い状態 じょうたい まで切断 せつだん される例 れい が世界 せかい 各国 かっこく で報告 ほうこく されている(詳細 しょうさい は絞首刑 こうしゅけい に記 しる す。)。
このように、首 くび が切断 せつだん あるいは切断 せつだん に近 ちか い状態 じょうたい になるケースがあるということは、英国 えいこく では1953年 ねん に提出 ていしゅつ された議会 ぎかい への報告 ほうこく 書 しょ [96] の中 なか で取 と り上 あ げられた。最近 さいきん でも、2007年 ねん 1月 がつ 15日 にち にイラク ・バクダード で処刑 しょけい されたサッダーム・フセイン の異父 いふ 弟 おとうと バルザーン・イブラーヒーム・ハサン の例 れい があり、首 くび がちぎれて血 ち だまりができた様子 ようす を撮 と ったビデオが一部 いちぶ の報道 ほうどう 関係 かんけい 者 しゃ に公開 こうかい されている[97] 。
通常 つうじょう 、絞首刑 こうしゅけい では、ロープが伸 の び切 き った瞬間 しゅんかん に受刑 じゅけい 者 しゃ の首 くび を作用 さよう 点 てん として頭 あたま と胴体 どうたい とを上下 じょうげ に引 ひ っ張 ぱ る力 ちから がかかる。体重 たいじゅう が重 おも く落下 らっか 距離 きょり が長 なが いほど、受刑 じゅけい 者 しゃ の首 くび にかかる力 ちから は大 おお きくなる。この力 ちから が弱 よわ ければすぐに死亡 しぼう することはなく、受刑 じゅけい 者 しゃ は数 すう 分 ふん もしくはそれ以上 いじょう の時間 じかん をかけて窒息 ちっそく 死 し することになる。逆 ぎゃく に、首 くび への衝撃 しょうげき がある程度 ていど 強 つよ ければ、頸椎の骨折 こっせつ 、脊髄 せきずい の切断 せつだん 、及 およ び首 くび の動脈 どうみゃく の損傷 そんしょう などが原因 げんいん でごく短時間 たんじかん のうちに意識 いしき を失 うしな うものと考 かんが えられている。ただし、この場合 ばあい でも落下 らっか の瞬間 しゅんかん から心 しん 停止 ていし まではやはり数 すう 分 ふん 以上 いじょう の時間 じかん を要 よう する。受刑 じゅけい 者 しゃ を落下 らっか させる目的 もくてき はここにある。この首 くび にかかる力 ちから が、首 くび 全体 ぜんたい が耐 た えうる限界 げんかい を超 こ えた場合 ばあい に、引 ひ きちぎられて首 くび の切断 せつだん が起 お きる。(法医学 ほういがく 者 しゃ の研究 けんきゅう によると、どのくらいの力 ちから が加 くわ わると首 くび が切断 せつだん されるかまで判明 はんめい している[98] 。)
このため、絞首刑 こうしゅけい を採用 さいよう している国 くに ・軍隊 ぐんたい では、執行 しっこう 方法 ほうほう を調整 ちょうせい して首 くび の切断 せつだん を防止 ぼうし しようと努 つと めてきている。その一 いち 例 れい として、絞首刑 こうしゅけい を採用 さいよう していた当時 とうじ の英国 えいこく や米 べい 陸軍 りくぐん では、首 くび にかかる力 ちから を制限 せいげん するために、受刑 じゅけい 者 しゃ の体重 たいじゅう に応 おう じた落下 らっか 距離 きょり を定 さだ めて、落下 らっか 表 ひょう (drop table)公式 こうしき ドロップテーブル を作成 さくせい していた[99] 。英国 えいこく は死刑 しけい そのものを廃止 はいし し米 べい 陸軍 りくぐん も今 いま では絞首刑 こうしゅけい を採用 さいよう していないが、この落下 らっか 表 ひょう は現在 げんざい でも絞首刑 こうしゅけい を採用 さいよう している国 くに などで採用 さいよう されている[100] 。
一方 いっぽう 、日本 にっぽん の絞首刑 こうしゅけい では受刑 じゅけい 者 しゃ の首 くび の切断 せつだん を防止 ぼうし するための規程 きてい は存在 そんざい せず、同 どう 趣旨 しゅし の通達 つうたつ や命令 めいれい の存在 そんざい も明 あき らかになっていない。落下 らっか 表 ひょう の使用 しよう はおろか存在 そんざい すらも不明 ふめい である。執行 しっこう 方法 ほうほう に各国 かっこく 間 あいだ で特段 とくだん の差 さ はないのであるため、日本 にっぽん の絞首刑 こうしゅけい でも受刑 じゅけい 者 しゃ の首 くび の切断 せつだん は起 お こり得 え るといえる。
実際 じっさい に死刑 しけい 執行 しっこう の際 さい に首 くび が切断 せつだん されるようなことがあれば、憲法 けんぽう 36条 じょう (残虐 ざんぎゃく な刑罰 けいばつ の禁止 きんし )に違反 いはん した執行 しっこう であると解釈 かいしゃく される可能 かのう 性 せい が高 たか いが、現在 げんざい のところ最高 さいこう 裁判所 さいばんしょ の判例 はんれい で死刑 しけい は合憲 ごうけん である とされている。
また、憲法 けんぽう 31条 じょう は、法律 ほうりつ の定 さだ める手続 てつづき によらなければ生命 せいめい を奪 うば われないこと(適正 てきせい 手続 てつづき の保障 ほしょう )を定 さだ めている。まず首 くび が切断 せつだん されるような死刑 しけい は刑法 けいほう 11条 じょう の定 さだ める「絞首 こうしゅ 」ではありえない。つまり、法律 ほうりつ の定 さだ めていない執行 しっこう 方法 ほうほう を用 もち いた死刑 しけい と言 い える。次 つぎ に首 くび が切断 せつだん されれば、法律 ほうりつ の定 さだ める「絞首 こうしゅ 」ではありえないため、それを防 ふせ ぐための規定 きてい は(それが本当 ほんとう に首 くび の切断 せつだん を防 ふせ ぐことができるかどうかは別 べつ の話 はなし だが)、死刑 しけい の執行 しっこう 方法 ほうほう の種類 しゅるい を特定 とくてい するために法律 ほうりつ に明記 めいき されるべき内容 ないよう (法律 ほうりつ 事項 じこう )である。ところが、日本 にっぽん の法律 ほうりつ には規定 きてい されていない。最後 さいご に最高裁 さいこうさい の判例 はんれい [101] によって現在 げんざい も有効 ゆうこう であるとされている1873年 ねん (明治 めいじ 6年 ねん )太政官 だじょうかん 布告 ふこく 65号 ごう は、受刑 じゅけい 者 しゃ を「地 ち ヲ離 はなれ ル凡一 いち 尺 しゃく 」まで落下 らっか させるように定 さだ めている。現在 げんざい の刑事 けいじ 施設 しせつ は刑場 けいじょう の床 ゆか が開 ひら いて受刑 じゅけい 者 しゃ が落下 らっか する構造 こうぞう になっており、例 たと えば東京 とうきょう 拘置 こうち 所 しょ では刑場 けいじょう の床 ゆか から下 した の階 かい の床 ゆか まで約 やく 4mあるとされている[102] ことから、受刑 じゅけい 者 しゃ は約 やく 3.7m落下 らっか することになる。前述 ぜんじゅつ のティクリティ(体重 たいじゅう 80kg足 た らず)の例 れい などでは、2.4m程度 ていど の落下 らっか で首 くび の切断 せつだん が起 お こることからすると、日本 にっぽん の死刑 しけい に関 かん する規定 きてい をそのまま実行 じっこう すると絞首刑 こうしゅけい のさいに受刑 じゅけい 者 しゃ の首 くび が切断 せつだん されてしまいかねない。つまり定 さだ められた手続 てつづき の中 なか に適正 てきせい でない内容 ないよう があるのがわかる。
実際 じっさい に日本 にっぽん でも、太政官 だじょうかん 布告 ふこく 65号 ごう が施行 しこう された1873年 ねん 以降 いこう に、首 くび がほとんど切断 せつだん された事故 じこ が発生 はっせい していたことが報道 ほうどう されている。1883年 ねん (明治 めいじ 16年 ねん )7月 がつ 6日 にち の小野澤 おのざわ おとわという人物 じんぶつ の絞首刑 こうしゅけい 執行 しっこう の際 さい 、「刑 けい 台 だい の踏板 ふみいた を外 はず すと均 ひとし (ひと)しくおとわの体 からだ は首 くび を縊(くく)りて一 いち 丈 たけ (いちじょう)余 あまり (よ)の高 たか き処 しょ (ところ)よりズドンと釣 つ り下 くだ りし処 ところ 、同人 どうじん の肥満 ひまん にて身体 しんたい (からだ)の重 じゅう かりし故 ゆえ か釣 つ り下 くだ る機会 きかい (はずみ)に首 くび が半分 はんぶん ほど引 ひ き切 き れたれば血潮 ちしお が四方 しほう あたりへ迸 ほとばし (ほとばし)り、五 ご 分間 ふんかん ほどにて全 まった く絶命 ぜつめい した」[103] 、「とわが肥満 ひまん 質 しつ にて重量 じゅうりょう (おもみ)のありし故 ゆえ にや絞 しぼ 縄 なわ がふかく咽喉 いんこう に喰 くえ 込 こ みしと見 み え鼻 はな 口 こう 咽喉 いんこう より鮮血 せんけつ 迸 ほとばし (ほとば)しり忽 ゆるがせ 地 ち (たちまち)にして死 し に就たるにいとあさましき姿 すがた なりし。稍 やや (やや)あって死体 したい を解 かい 下 か (ときおろ)されたれど絞 しぼ 縄 なわ のくい入 はい りてとれざる故 ゆえ 、刃物 はもの を以 もっ て切断 せつだん し直 ちょく に棺 かん におさめられ」た[104] と、当時 とうじ の新聞 しんぶん にその様子 ようす が描 えが かれている。
法務大臣 ほうむだいじん による死刑 しけい 執行 しっこう 命令 めいれい
編集 へんしゅう
法務大臣 ほうむだいじん によっては、死刑 しけい 執行 しっこう に対 たい する思想 しそう の相違 そうい によって、対応 たいおう が異 こと なってくる。苦悶 くもん しながら署名 しょめい する法務大臣 ほうむだいじん も少 すく なくなく、例 たと えば犬 いぬ 養 やしなえ 健 けん は死刑 しけい 執行 しっこう 命令 めいれい 書 しょ への署名 しょめい を嫌 きら い、できるだけ回避 かいひ したうえどうしても決裁 けっさい しなければならなくなっても、即決 そっけつ せず3、4日 にち は待 ま たせたという[105] 。一方 いっぽう で、積極 せっきょく 的 てき な法務大臣 ほうむだいじん も多 おお く、犬 いぬ 養 やしなえ の後任 こうにん の加藤 かとう 鐐五郎 ろう と小原 おはら 直 ただし は半年 はんとし 弱 じゃく の間 あいだ に死刑 しけい 執行 しっこう 命令 めいれい 書 しょ の決裁 けっさい を積極 せっきょく 的 てき に行 い ったため、1954年 ねん 当時 とうじ 未 み 執行 しっこう だった1948年 ねん と1949年 ねん ごろの死刑 しけい 確定 かくてい 囚 しゅう 32人 にん の死刑 しけい が執行 しっこう された[105] 。また、田中 たなか 伊 い 三 さん 次 じ は記者 きしゃ の前 まえ で一 いち 度 ど に23名 めい の死刑 しけい 執行 しっこう 命令 めいれい 書 しょ に署名 しょめい し記事 きじ 化 か することを要求 ようきゅう している。中垣 なかがき 國男 くにお は在任 ざいにん 中 ちゅう 33名 めい の死刑 しけい 執行 しっこう 命令 めいれい を出 だ したが、死刑 しけい 囚 しゅう 個人 こじん に支援 しえん 団体 だんたい が組織 そしき されていた藤本 ふじもと 事件 じけん や小松川 こまつがわ 事件 じけん の死刑 しけい 囚 しゅう を早急 そうきゅう に処刑 しょけい したほか、反対 はんたい 派 は に阻止 そし されたが平沢 ひらさわ 貞通 さだみち の処刑 しょけい 準備 じゅんび をした。
宮澤 みやざわ 内閣 ないかく で法務大臣 ほうむだいじん を務 つと めた田原 たはら 隆 たかし のように「国民 こくみん の多数 たすう が死刑 しけい を支持 しじ している」と述 の べ、自身 じしん は死刑 しけい 執行 しっこう 命令 めいれい を下 くだ すこともあり得 え るという考 かんが えを示 しめ したにもかかわらず、1年 ねん の在任 ざいにん 期間 きかん の間 あいだ に死刑 しけい 執行 しっこう しなかった(本人 ほんにん は法務 ほうむ 官僚 かんりょう から死刑 しけい 執行 しっこう 命令 めいれい 書 しょ の署名 しょめい を求 もと められなかったと弁明 べんめい )大臣 だいじん もいる。内閣 ないかく 総理 そうり 大臣 だいじん であった吉田 よしだ 茂 しげる も第 だい 2次 じ 吉田 よしだ 内閣 ないかく 発足 ほっそく 時 じ に1ヶ月 かげつ 法務 ほうむ 総裁 そうさい (後 ご の法務大臣 ほうむだいじん )を兼務 けんむ していたが、1947年 ねん 10月 がつ に官房 かんぼう 長 ちょう が死刑 しけい 執行 しっこう 命令 めいれい 書 しょ に決裁 けっさい を求 もと めたところ、チラッと目 め を通 とお しただけで「これは専任 せんにん 大臣 だいじん ができてからにしてくれ」と署名 しょめい を拒否 きょひ している[106] 。
また自己 じこ の信念 しんねん で、死刑 しけい 執行 しっこう を拒否 きょひ した法務大臣 ほうむだいじん もいる。たとえば戦後 せんご の1964年 ねん と1968年 ねん および1990年 ねん から1992年 ねん までは死刑 しけい 執行 しっこう が行 おこな われなかった。そのうち1964年 ねん は、賀 が 屋 や 興 きょう 宣 せん (在任 ざいにん 1963年 ねん 7月 がつ - 1964年 ねん 7月 がつ )が元 もと A級 きゅう 戦犯 せんぱん であり、収容 しゅうよう されていた巣鴨 すがも プリズン において元 もと 首相 しゅしょう の東條 とうじょう 英機 ひでき らA級 きゅう 戦犯 せんぱん 7名 めい が絞首刑 こうしゅけい に処 しょ されるのを見送 みおく ったうえに、最期 さいご の叫 さけ びも聞 き いたため心情 しんじょう 的 てき にできなかった。後者 こうしゃ の1968年 ねん は、赤間 あかま 文三 ぶんぞう が「勘弁 かんべん してくれ。今度 こんど 、俺 おれ にお迎 むか えがきたらどうする」などと発言 はつげん して署名 しょめい を拒否 きょひ した。
1990年代 ねんだい 初期 しょき のモラトリアム(死刑 しけい 執行 しっこう 一 いち 時 じ 停止 ていし )は、長谷川 はせがわ 信 しん から梶山 かじやま 静六 せいろく 、左 ひだり 藤 ふじ 恵 めぐみ 、田原 たはら 隆 たかし と、歴代 れきだい の法務大臣 ほうむだいじん に引 ひ き継 つ がれていた。長谷川 はせがわ は病気 びょうき で倒 たお れるなど(辞任 じにん 直後 ちょくご に死去 しきょ )の事務 じむ 方 かた の混乱 こんらん や、1991年 ねん に明仁 あきひと の即位 そくい の礼 れい が執 と り行 おこな われる(大正天皇 たいしょうてんのう と昭和 しょうわ 天皇 てんのう の大礼 たいれい の際 さい には、死刑 しけい 囚 しゅう の大量 たいりょう 恩赦 おんしゃ が行 おこな われたが、行 おこな われなかった)事情 じじょう もあったが、特 とく に自分 じぶん が浄土真宗 じょうどしんしゅう の住職 じゅうしょく であるという信仰 しんこう 上 じょう の信念 しんねん から、死刑 しけい 執行 しっこう 命令 めいれい 書 しょ に署名 しょめい しなかった左 ひだり 藤 ふじ 恵 めぐみ (在任 ざいにん 1990年 ねん 12月-1991年 ねん 11月)の例 れい がある。
しかし1993年 ねん 3月 がつ 26日 にち に3人 にん の死刑 しけい が執行 しっこう され、このモラトリアムは終 お わった。後藤田 ごとうだ 正晴 まさはる (警察 けいさつ 官僚 かんりょう 出身 しゅっしん )が「法 ほう 秩序 ちつじょ 、国家 こっか の基本 きほん がゆらぐ」(国会 こっかい 答弁 とうべん )として再開 さいかい させた。これは死刑 しけい 執行 しっこう が途絶 とだ えることで、事実 じじつ 上 じょう 死刑 しけい 制度 せいど が廃止 はいし になることを危惧 きぐ した、法務 ほうむ 官僚 かんりょう の意向 いこう があったともいわれている。
弁護士 べんごし 出身 しゅっしん で真宗 しんしゅう 大谷 おおや 派 は の信徒 しんと である杉浦 すぎうら 正 ただし 健 けん (在任 ざいにん 2005年 ねん 10月-2006年 ねん 9月 がつ )が、就任 しゅうにん 直後 ちょくご の記者 きしゃ 会見 かいけん で「私 わたし の心 しん や宗教 しゅうきょう 観 かん や哲学 てつがく の問題 もんだい として、死刑 しけい 執行 しっこう 書 しょ にはサインしない」と発言 はつげん したものの、1時 じ 間 あいだ 後 ご には記者 きしゃ 会見 かいけん を開 ひら いて撤回 てっかい した。結局 けっきょく 、杉浦 すぎうら は死刑 しけい 執行 しっこう することなく任期 にんき を終 お えたが、「職務 しょくむ を執行 しっこう しないのであれば、法務大臣 ほうむだいじん を受 う けるべきでない」との強 つよ い批判 ひはん があり、以後 いご の法務大臣 ほうむだいじん 任命 にんめい に影響 えいきょう を与 あた えた[注釈 ちゅうしゃく 23] 。
杉浦 すぎうら の後任 こうにん である長勢 ながせ 甚遠 は、2006年 ねん 12月25日 にち に4人 にん の執行 しっこう 書 しょ にサインした。「執行 しっこう を1年 ねん でも途絶 とだ えさせてはならない」という法務省 ほうむしょう の強 つよ い意向 いこう が、異例 いれい の年末 ねんまつ の執行 しっこう になったとされる[107] 。
死刑 しけい 執行 しっこう には法務大臣 ほうむだいじん の署名 しょめい が必須 ひっす であり、署名 しょめい には赤 あか 鉛筆 えんぴつ が使 つか われる。死刑 しけい 確定 かくてい から執行 しっこう まで平均 へいきん で7年 ねん 6か月 げつ かかっている。
在任 ざいにん 中 ちゅう に信条 しんじょう 、宗教 しゅうきょう 上 うえ の理由 りゆう などで執行 しっこう 命令 めいれい 書 しょ の署名 しょめい を行 おこな わなかった法務大臣 ほうむだいじん もいる(賀 が 屋 や 興 きょう 宣 せん 、左 ひだり 藤 ふじ 恵 めぐみ など)。2005年 ねん に法務大臣 ほうむだいじん に就任 しゅうにん した杉浦 すぎうら 正 ただし 健 けん が就任 しゅうにん 記者 きしゃ 会見 かいけん で「(死刑 しけい 執行 しっこう 命令 めいれい 書 しょ に)私 わたし はサインしない」と法相 ほうしょう としては異例 いれい の発言 はつげん をした(ただし1時 じ 間 あいだ 後 ご に発言 はつげん を撤回 てっかい している。なお、杉浦 すぎうら は在任 ざいにん 期間 きかん 中 ちゅう 、一 いち 度 ど も執行 しっこう 命令 めいれい 書 しょ にサインをしていない)。一方 いっぽう で、1992年 ねん に法相 ほうしょう に就任 しゅうにん した後藤田 ごとうだ 正晴 まさはる は「法相 ほうしょう が責任 せきにん を回避 かいひ したら国 くに の秩序 ちつじょ が揺 ゆ らぐ」と語 かた っており、また、2001年 ねん に法相 ほうしょう に就任 しゅうにん した森山 もりやま 眞弓 まゆみ は「執行 しっこう しないと決 き めている人 ひと は法相 ほうしょう を引 ひ き受 う けるべきではない」と述 の べており[109] 、法相 ほうしょう という立場 たちば にある以上 いじょう 、刑法 けいほう および刑事 けいじ 訴訟 そしょう 法 ほう で規定 きてい された責務 せきむ を果 は たすべきという主張 しゅちょう も少 すく なくない。
死刑 しけい の執行 しっこう に積極 せっきょく 的 てき な大臣 だいじん も存在 そんざい した。田中 たなか 伊 い 三 さん 次 じ は1967年 ねん の法務大臣 ほうむだいじん 就任 しゅうにん 後 ご 、知 し り合 あ いの記者 きしゃ に「死刑 しけい が執行 しっこう されるところを見 み に行 い こう」と誘 さそ って相談 そうだん した刑事 けいじ 局 きょく 総務 そうむ 課長 かちょう 伊藤 いとう 栄樹 えいき から叱責 しっせき されたり、死刑 しけい 場 じょう を新聞 しんぶん 記者 きしゃ に公開 こうかい した後 のち 、「これから死刑 しけい 執行 しっこう 命令 めいれい 書 しょ のサインを行 おこな うので写真 しゃしん を撮 と ってくれ」と、数珠 じゅず を片手 かたて にポーズを構 かま えて1度 ど に23人 にん 分 ぶん の死刑 しけい 執行 しっこう 命令 めいれい 書 しょ に署名 しょめい したが、どの新聞 しんぶん 社 しゃ も記事 きじ にしなかった[注釈 ちゅうしゃく 24] 。反対 はんたい に裁判 さいばん 資料 しりょう を持 も ち込 こ み悩 なや みながら熟読 じゅくどく し判断 はんだん を下 くだ した大臣 だいじん もいた。
旧 きゅう 刑事 けいじ 訴訟 そしょう 法 ほう 下 か でも執行 しっこう にかなりの時間 じかん を要 よう していたが、現在 げんざい の刑事 けいじ 訴訟 そしょう 法 ほう が制定 せいてい された際 さい 、判決 はんけつ 確定 かくてい から6か月 げつ という規定 きてい が作 つく られた。しかし結果 けっか 的 てき には、この規定 きてい をもってしても判決 はんけつ 確定 かくてい から執行 しっこう までの期間 きかん が6か月 げつ 以内 いない になることはなかった。
判決 はんけつ の確定 かくてい から6ヶ月 かげつ が経過 けいか しても執行 しっこう されない点 てん については昭和 しょうわ 20年代 ねんだい 後半 こうはん にすでに問題 もんだい になっており、1953年 ねん 6月19日 にち に朝日新聞 あさひしんぶん に掲載 けいさい された「たまった死刑 しけい 囚 しゅう 84人 にん 、部内 ぶない に執行 しっこう 促進 そくしん 論 ろん 再審 さいしん や恩赦 おんしゃ 請求 せいきゅう を乱用 らんよう 」の記事 きじ によれば、死刑 しけい 囚 しゅう が死刑 しけい 執行 しっこう 阻止 そし を狙 ねら い、再審 さいしん 請求 せいきゅう や恩赦 おんしゃ 出願 しゅつがん を濫発 らんぱつ するので法務 ほうむ 当局 とうきょく 内部 ないぶ に再審 さいしん 請求 せいきゅう を行 おこな える回数 かいすう を制限 せいげん すべきだとする議論 ぎろん があることを伝 つた えているが、そのなかで「昭和 しょうわ 24年 ねん に最高裁 さいこうさい で確定 かくてい した死刑 しけい 囚 しゅう が残 のこ されている」と指摘 してき しており、当時 とうじ は「4年 ねん 」も長 なが い拘置 こうち 期間 きかん とされていた。
その後 ご 1950年代 ねんだい 以降 いこう は精神 せいしん の異常 いじょう を疑 うたが われたまま死刑 しけい 判決 はんけつ を受 う けた者 もの や、冤罪 えんざい が疑 うたが われながら死刑 しけい 判決 はんけつ を受 う けた者 もの については、さらに執行 しっこう が避 さ けられる傾向 けいこう が顕著 けんちょ になり(著名 ちょめい なものに帝銀 ていぎん 事件 じけん があるが、藤本 ふじもと 事件 じけん のように執行 しっこう された例 れい もある)、外部 がいぶ 交通 こうつう が制限 せいげん されるなか、長年 ながねん にわたり何 なん 度 ど も再審 さいしん 請求 せいきゅう を繰 く り返 かえ して、最終 さいしゅう 的 てき に無罪 むざい となった元 もと 死刑 しけい 確定 かくてい 者 しゃ も存在 そんざい している。もっとも、1960年代 ねんだい から1980年代 ねんだい にかけて新規 しんき の死刑 しけい 確定 かくてい 囚 しゅう が多 おお くなかった事実 じじつ もある。
また、死刑 しけい が確定 かくてい したのちに、何 なん らかの理由 りゆう により刑 けい が執行 しっこう されなかった場合 ばあい 、以前 いぜん は確定 かくてい 後 ご 30年 ねん をもって刑 けい そのものが免除 めんじょ となる規定 きてい が刑法 けいほう 32条 じょう にあったが、2010年 ねん に人 ひと を死亡 しぼう させた罪 つみ の公訴 こうそ 時効 じこう の廃止 はいし ・延長 えんちょう がされた際 さい 、死刑 しけい の時効 じこう も廃止 はいし された。ただし死刑 しけい 確定 かくてい 者 しゃ が刑法 けいほう 11条 じょう 2項 こう に基 もと づき刑事 けいじ 施設 しせつ に継続 けいぞく して拘置 こうち されることによって、免除 めんじょ までの期間 きかん は中断 ちゅうだん されることとされていた(最高裁 さいこうさい 昭和 しょうわ 60年 ねん 7月 がつ 19日 にち 決定 けってい )(帝銀 ていぎん 事件 じけん #死刑 しけい 確定 かくてい 後 ご 参照 さんしょう )。30年 ねん 以上 いじょう 拘置 こうち されていた例 れい として名張 なばり 毒 どく ぶどう酒 しゅ 事件 じけん (2015年 ねん に八王子 はちおうじ 医療 いりょう 刑務所 けいむしょ で病死 びょうし )がある。
主義 しゅぎ 主張 しゅちょう に無関係 むかんけい もしくは不明 ふめい ながら任期 にんき が短 みじか いなどの経緯 けいい により、結果 けっか として在任 ざいにん 中 ちゅう 死刑 しけい 執行 しっこう を1人 ひとり も行 おこな わなかった法務大臣 ほうむだいじん も、第 だい 二 に 次 じ 世界 せかい 大戦 たいせん 後 のち に複数 ふくすう 存在 そんざい する。
鳩山 はとやま 邦夫 くにお の死刑 しけい 執行 しっこう 増大 ぞうだい 方針 ほうしん
編集 へんしゅう
鳩山 はとやま 邦夫 くにお は法務大臣 ほうむだいじん 在任 ざいにん 期間 きかん 中 ちゅう 13人 にん もの死刑 しけい を執行 しっこう したが、これに対 たい し朝日新聞 あさひしんぶん は2008年 ねん 6月 がつ 18日 にち 付 づけ 夕刊 ゆうかん 「素粒子 そりゅうし 」欄 らん で「永世 えいせい 死刑 しけい 執行 しっこう 人 じん 鳩山 はとやま 法相 ほうしょう 」「2カ月 かげつ 間隔 かんかく でゴーサイン出 だ して新 しん 記録 きろく 達成 たっせい 。またの名 な 、死 し に神 がみ 」と揶揄 やゆ した。これに対 たい し鳩山 はとやま は「人 ひと の命 いのち を絶 た つという極刑 きょっけい を実施 じっし するのだから、心境 しんきょう は穏 おだ やかではない。しかしどんなにつらくても社会 しゃかい 正義 まさよし のためにやらざるを得 え ない。宮崎 みやざき 勤 つとむ 死刑 しけい 囚 しゅう らにも人権 じんけん も人格 じんかく もある。司法 しほう の慎重 しんちょう な判断 はんだん 、法律 ほうりつ の規定 きてい があり、苦 くる しんだ揚 あ げ句 く に執行 しっこう した。死 し に神 がみ に連 つ れていかれたというのは違 ちが うと思 おも う。(記事 きじ は)執行 しっこう された方 ほう に対 たい する侮辱 ぶじょく だ」と朝日新聞 あさひしんぶん に強 つよ く抗議 こうぎ し、「私 わたし を死 し に神 がみ と表現 ひょうげん することがどれだけ悪影響 あくえいきょう を与 あた えるか。そういう軽率 けいそつ な文章 ぶんしょう を平気 へいき で載 の せる態度 たいど 自身 じしん が世 よ の中 なか を悪 わる くしていると思 おも う」と朝日新聞 あさひしんぶん の報道 ほうどう 姿勢 しせい を批判 ひはん した。これに関 かん して朝日新聞 あさひしんぶん には「法相 ほうしょう は職務 しょくむ を全 まっと うしているだけ」「死 し に神 がみ とはふざけすぎ」など、多 おお くの抗議 こうぎ が寄 よ せられ、朝日新聞 あさひしんぶん は「法相 ほうしょう の名誉 めいよ を中傷 ちゅうしょう する意図 いと はなかった」「表現 ひょうげん の方法 ほうほう や技量 ぎりょう をもっと磨 みが かねば」と弁明 べんめい [112] [113] している。
また全国 ぜんこく 犯罪 はんざい 被害 ひがい 者 しゃ の会 かい も「一 いち 日 にち も早 はや い死刑 しけい 執行 しっこう を待 ま ち望 のぞ んできた被害 ひがい 者 しゃ 遺族 いぞく も死 し に神 がみ ということになり、(報道 ほうどう によって)今回 こんかい ほど侮辱 ぶじょく 的 てき で、感情 かんじょう を逆 さか なでされる苦痛 くつう を受 う けたのは初 はじ めて」とする抗議 こうぎ 文 ぶん と公開 こうかい 質問 しつもん を朝日新聞社 あさひしんぶんしゃ に送 おく った[114] という。なお1ヶ月 かげつ 後 ご に全国 ぜんこく 犯罪 はんざい 被害 ひがい 者 しゃ の会 かい は不適切 ふてきせつ な表現 ひょうげん であり死刑 しけい 執行 しっこう 数 すう が多 おお いことを批判 ひはん したものではなかったとの朝日 あさひ 側 がわ の謝罪 しゃざい を受 う け入 い れた[115] が、鳩山 はとやま は退任 たいにん 前 まえ の会見 かいけん で「サイバンインコ[注釈 ちゅうしゃく 25] は留任 りゅうにん 、死 し に神 がみ は辞任 じにん 」という発言 はつげん をしており、なおも不快 ふかい 感 かん をしめしていたという[116] 。
歴代 れきだい 法務大臣 ほうむだいじん の死刑 しけい 執行 しっこう 命令 めいれい 数 すう
編集 へんしゅう
注釈 ちゅうしゃく
日本 にっぽん の死刑 しけい 執行 しっこう に関 かん しては、「10分 ふん 経 た っても絶命 ぜつめい しなければ新 あたら しい名前 なまえ と戸籍 こせき が与 あた えられて裏口 うらぐち からこっそり釈放 しゃくほう される」という都市 とし 伝説 でんせつ があるが、まったくの虚偽 きょぎ である。ただし海外 かいがい の死刑 しけい 失敗 しっぱい 事例 じれい として、過去 かこ にイギリスでは恩赦 おんしゃ で懲役 ちょうえき 刑 けい に減刑 げんけい されたケースがある[注釈 ちゅうしゃく 39] 。
死刑 しけい 確定 かくてい 者 しゃ の中 なか にはこの話 はなし を信 しん じて必死 ひっし に10分間 ふんかん 息 いき を止 と める練習 れんしゅう をする者 もの もいたという[186] が、後述 こうじゅつ のとおり絶命 ぜつめい 前 まえ に絞 しぼ 縄 なわ を解 と かれることはなく、法令 ほうれい 上 じょう もありえない。なおアメリカ合衆国 あめりかがっしゅうこく では不備 ふび で死刑 しけい の執行 しっこう が失敗 しっぱい した場合 ばあい 、時期 じき を置 お いて再度 さいど 執行 しっこう されるという[注釈 ちゅうしゃく 40] 。
日本 にっぽん においては、1893年 ねん に、執行 しっこう の猶予 ゆうよ を求 もと めて号泣 ごうきゅう しその場 ば を動 うご かない死刑 しけい 囚 しゅう を、看守 かんしゅ らが引 ひ き立 た てて絞首刑 こうしゅけい を執行 しっこう したものの、一度 いちど ならず二 に 度 ど までもロープが外 はず れ、その場 ば でやり直 なお しの執行 しっこう がされたケースが当時 とうじ の新聞 しんぶん に報道 ほうどう されている[187] 。また、この執行 しっこう とは別 べつ に、1882年 ねん にロープが切断 せつだん し、執行 しっこう 者 しゃ が地面 じめん に叩 たた きつけられ苦 くる しみながらも、引 ひ き揚 あ げて新 あたら しいロープに交換 こうかん しやり直 なお しの執行 しっこう を行 おこな ったケースもある[188] 。
1872年 ねん に石 いし 鐵 てつ 県 けん (現 げん ・愛媛 えひめ 県 けん )で発生 はっせい した久 ひさ 万 まん 山 やま ・久米 くめ 騒動 そうどう の死刑 しけい 囚 しゅう が、絞首刑 こうしゅけい 後 ご に棺桶 かんおけ から蘇生 そせい する事案 じあん が発生 はっせい (石 いし 鐵 てつ 県 けん 死刑 しけい 囚 しゅう 蘇生 そせい 事件 じけん )。報告 ほうこく を受 う けた政府 せいふ は「スデニ絞 しぼ 罪 つみ 処刑 しょけい 後 ご 蘇生 そせい ス、マタ論 ろん ズベキナシ」として、蘇生 そせい 後 ご に改 あらた めての死刑 しけい 執行 しっこう はされず、彼 かれ の戸籍 こせき が回復 かいふく されてその後 ご 26年間 ねんかん 生 い きたとされている。
^ ただし、身代金 みのしろきん 目的 もくてき の誘拐 ゆうかい 殺人 さつじん でも司 つかさ ちゃん誘拐 ゆうかい 殺人 さつじん 事件 じけん ・甲府信金 こうふしんきん OL誘拐 ゆうかい 殺人 さつじん 事件 じけん のように、無期 むき 懲役 ちょうえき になった事件 じけん も複数 ふくすう ある。
^ たとえば、1949年 ねん 5月 がつ 20日 にち 付 づけ の毎日新聞 まいにちしんぶん によれば、生活苦 せいかつく から子供 こども 3人 にん を殺害 さつがい し、死 し にきれずに自首 じしゅ した母親 ははおや に対 たい し、裁判所 さいばんしょ が「懲役 ちょうえき 3年 ねん 、執行 しっこう 猶予 ゆうよ 5年 ねん 」という最 もっと も軽 かる い判決 はんけつ を出 だ したことに対 たい し、子供 こども を親 おや の私有 しゆう 物 ぶつ 視 し する封建 ほうけん 思想 しそう として参議院 さんぎいん 法務 ほうむ 委員 いいん 会 かい で追及 ついきゅう され、裁判 さいばん について国政 こくせい 調査 ちょうさ 権 けん による調査 ちょうさ の是非 ぜひ について司法 しほう 府 ふ と立法府 りっぽうふ が争 あらそ った事実 じじつ が記録 きろく されている。
^ 2022年 ねん 4月 がつ の少年 しょうねん 法 ほう 改正 かいせい 後 ご 、特定 とくてい 少年 しょうねん が起訴 きそ ・実名 じつめい 報道 ほうどう された上 うえ で、裁判 さいばん 員 いん 判決 はんけつ で死刑 しけい 判決 はんけつ がい渡 いわた された初 はつ の事例 じれい 。
^ 法務省 ほうむしょう はこれについて、訓示 くんじ 規定 きてい であると解 かい している[25] 。
^ アムネスティ・インターナショナル などといった死刑 しけい 廃止 はいし を求 もと めている団体 だんたい では、処刑 しょけい された死刑 しけい 囚 しゅう についても「さん」との敬称 けいしょう を使用 しよう している。
^ 実際 じっさい には死刑 しけい 囚 しゅう 専用 せんよう の埋葬 まいそう 所 しょ に埋 う められ、後日 ごじつ 他 た の死刑 しけい 執行 しっこう 囚 しゅう と纏 まと めて葬儀 そうぎ が行 おこな われるといわれている。
^ この「10人 にん 」の中 なか には、1987年 ねん までに死刑 しけい が確定 かくてい していた3事件 じけん (菅 かん 野村 のむら 強盗 ごうとう 殺人 さつじん ・放火 ほうか 事件 じけん 、女性 じょせい 連続 れんぞく 毒殺 どくさつ 魔 ま 事件 じけん 、ホテル日本 にっぽん 閣 かく 殺人 さつじん 事件 じけん )それぞれの女性 じょせい 死刑 しけい 囚 しゅう 3人 にん のほか、夕張 ゆうばり 保険 ほけん 金 きん 殺人 さつじん 事件 じけん のH、自殺 じさつ 偽装 ぎそう 夫 おっと 殺害 さつがい 事件 じけん のM、連合赤軍 れんごうせきぐん 事件 じけん の永田 ながた 洋子 ようこ の3人 にん (表 ひょう 4 - 6番 ばん 、いずれも1988年 ねん 2月 がつ 当時 とうじ は上級 じょうきゅう 審 しん で審理 しんり 中 ちゅう )が含 ふく まれている[42] 。
^ アメリカ合衆国 あめりかがっしゅうこく では、死刑 しけい が執行 しっこう される刑務所 けいむしょ 前 まえ で死刑 しけい 存置 そんち 派 は 、廃止 はいし 派 は 双方 そうほう の集会 しゅうかい が行 おこな われることが少 すく なくない
^ 裁判所 さいばんしょ がこの法律 ほうりつ の定 さだ めるところにより不公平 ふこうへい な裁判 さいばん をするおそれがあると認 みと めた者 もの は、当該 とうがい 事件 じけん について裁判 さいばん 員 いん となることができない。
^ 量刑 りょうけい 決定 けってい は多数決 たすうけつ によって行 おこな うが、職業 しょくぎょう 裁判官 さいばんかん 1人 にん の賛成 さんせい が必 かなら ずなければならないとされる。そのため、有権者 ゆうけんしゃ の裁判官 さいばんかん 全員 ぜんいん が賛成 さんせい しても職業 しょくぎょう 裁判官 さいばんかん 1人 にん が賛同 さんどう しなければ、決定 けってい できないとされている
^ 朝日新聞 あさひしんぶん 2008年 ねん 6月 がつ 5日 にち 掲載 けいさい された、元 もと 法務大臣 ほうむだいじん 保岡 やすおか 興 きょう 治 ち の発言 はつげん 。他 ほか にも、たとえば、朝日新聞 あさひしんぶん 2008年 ねん 6月 がつ 8日 にち の『耕 こう 論 ろん 』の中 なか で元 もと 刑務 けいむ 官 かん で作家 さっか の坂本 さかもと 敏夫 としお が「(仮釈放 かりしゃくほう のない無期 むき 刑 けい の受刑 じゅけい 者 しゃ は)仮釈放 かりしゃくほう の希望 きぼう もなく死 し を待 ま つだけの存在 そんざい であり、彼 かれ らの処遇 しょぐう は死刑 しけい 囚 しゅう 並 なみ に難 むずか しく、刑務 けいむ 官 かん の増員 ぞういん がなければ対応 たいおう は困難 こんなん 」と主張 しゅちょう し、精神 せいしん 面 めん からも対応 たいおう 困難 こんなん な受刑 じゅけい 者 しゃ を増 ふ やすだけとしている。
^ 前述 ぜんじゅつ の坂本 さかもと の記事 きじ によれば、国家 こっか が負担 ふたん する受刑 じゅけい 者 しゃ 一 いち 人 にん 当 あ たりの年間 ねんかん 予算 よさん は50万 まん 円 えん であり、高齢 こうれい 化 か すれば嵩 かさ んでくる仮釈放 かりしゃくほう のない無期 むき 懲役 ちょうえき 受刑 じゅけい 者 しゃ の医療 いりょう 費 ひ も、また死後 しご の埋葬 まいそう 料 りょう も全額 ぜんがく 国家 こっか 負担 ふたん の必要 ひつよう が生 しょう じるなどに関 かん して、具体 ぐたい 的 てき な議論 ぎろん が必要 ひつよう であるとしている。また、元 もと 検察官 けんさつかん の河上 かわかみ 和雄 かずお は 毎日新聞 まいにちしんぶん の論説 ろんせつ において「(死刑 しけい 廃止 はいし に伴 ともな う)絶対 ぜったい 的 てき 無期 むき 刑 けい は、脱獄 だつごく のために人 ひと を殺 ころ しても死刑 しけい にならないから、刑務 けいむ 官 かん を殺 ころ す可能 かのう 性 せい もある」と主張 しゅちょう している。
^ 「無期 むき 」「無 む 期限 きげん 」という言葉 ことば には「期限 きげん が不 ふ 確定 かくてい である」という意味 いみ と、「期限 きげん が無 な く永続 えいぞく 的 てき に続 つづ く」との2つの意味 いみ がある。一般 いっぱん 的 てき に、無期 むき 謹慎 きんしん ・無 む 期限 きげん 活動 かつどう 中止 ちゅうし といった言葉 ことば では期限 きげん が不 ふ 確定 かくてい なさまを表 あらわ すが、無期 むき 懲役 ちょうえき ・無期 むき 公債 こうさい ・無 む 期限 きげん 在留 ざいりゅう カードといった言葉 ことば においては永続 えいぞく 的 てき に続 つづ くさまを表 あらわ す。「大言 たいげん 海 うみ 」を参照 さんしょう 。
^ 同 どう 条 じょう は、「懲役 ちょうえき 又 また は禁錮 きんこ に処 しょ せられた者 もの に改悛 かいしゅん の状 じょう があるときは、有期 ゆうき 刑 けい についてはその刑期 けいき の3分 ぶん の1を、無期 むき 刑 けい については10年 ねん を経過 けいか した後 のち 、行政 ぎょうせい 官庁 かんちょう の処分 しょぶん によって仮 かり に釈放 しゃくほう することができる」と規定 きてい しており、この文面 ぶんめん が示 しめ すとおり、仮釈放 かりしゃくほう は義務 ぎむ 的 てき なものではなく、あくまでも「可能 かのう 性 せい 」にとどまるものでしかなく、制度 せいど 上 じょう 将来 しょうらい 的 てき な仮釈放 かりしゃくほう が前提 ぜんてい として保証 ほしょう されているわけではない。また「10年 ねん 」「3分 ぶん の1」とは最短 さいたん の場合 ばあい を表 あらわ すものである。
^ 法務省 ほうむしょう 刑事 けいじ 局 きょく 「法律 ほうりつ 用語 ようご 対訳 たいやく 集 しゅう -英語 えいご 編 へん 」p.179、ベルンド・ゲッツェ「和 かず 独 どく 法律 ほうりつ 用語 ようご 辞典 じてん 」成文 せいぶん 堂 どう (2007年 ねん 10月 がつ )p.379。ISBN 978-4-7923-9166-9 、直 ちょく 野 の 敦 あつし 「ルーマニア語 ご 分類 ぶんるい 単語 たんご 集 しゅう 」大学 だいがく 書林 しょりん (1986年 ねん 08月 がつ ) p.144、山口 やまぐち 俊夫 としお 編 へん 「フランス法 ほう 辞典 じてん 」東京大学 とうきょうだいがく 出版 しゅっぱん 会 かい (2002年 ねん 3月 がつ )p.715。ISBN 978-4-13-031172-4 、法務省 ほうむしょう 刑事 けいじ 局 きょく 外国 がいこく 法令 ほうれい 研究 けんきゅう 会 かい 「法律 ほうりつ 用語 ようご 対訳 たいやく 集 しゅう -フランス語 ふらんすご 編 へん 」p.190、稲子 いなこ 恒夫 つねお 「政治 せいじ 法律 ほうりつ ロシア語 ご 辞典 じてん 」ナウカ出版 しゅっぱん (1992年 ねん 2月 がつ 20日 はつか )p.302。ISBN 9784888460279 、などにおいてはいずれも「無期 むき 懲役 ちょうえき 」「無期 むき 刑 けい 」「無期 むき 拘禁 こうきん 」「無期 むき 自由 じゆう 刑 けい 」と訳 やく されている。最高 さいこう 裁判所 さいばんしょ 発行 はっこう の「法廷 ほうてい 通訳 つうやく ハンドブック」でも同様 どうよう であり、たとえば米国 べいこく 人 じん が日本 にっぽん の裁判所 さいばんしょ で無期 むき 懲役 ちょうえき の判決 はんけつ を受 う ける場合 ばあい 、通訳 つうやく から「Life imprisonment」と告 つ げられる。
^ ヨーロッパ語 ご 圏 けん では、英語 えいご の「Life」にあたる語 かたり が用 もち いられている。
^ ただし、特別 とくべつ の判決 はんけつ により22年 ねん まで延長 えんちょう することができる。また、15歳 さい 未満 みまん の児童 じどう を殺害 さつがい し、その前後 ぜんご または最中 さいちゅう に強姦 ごうかん などの野蛮 やばん 行為 こうい を行 おこな った者 もの に限 かぎ っては特別 とくべつ の判決 はんけつ をもってこれを最大 さいだい 30年 ねん まで延長 えんちょう でき、また仮釈放 かりしゃくほう を認 みと めない旨 むね も決定 けってい できる特例 とくれい がある。ただし、後者 こうしゃ の場合 ばあい でも30年 ねん を経過 けいか した時点 じてん で裁判所 さいばんしょ 組織 そしき の頂点 ちょうてん に位置 いち する破棄 はき 院 いん に医学 いがく の専門 せんもん 家 か による鑑定 かんてい を申請 しんせい し、この決定 けってい を取消 とりけ すことができる。
^ ただし第 だい 1級 きゅう 殺人 さつじん および再度 さいど の第 だい 2級 きゅう 殺人 さつじん の場合 ばあい である。第 だい 2級 きゅう 殺人 さつじん の場合 ばあい は、仮釈放 かりしゃくほう 申請 しんせい の資格 しかく を得 え る期間 きかん を裁判所 さいばんしょ が10年 ねん から25年 ねん の範囲 はんい 内 ない において決定 けってい するものとされている。
^ 仮釈放 かりしゃくほう の際 さい の遵守 じゅんしゅ 事項 じこう には、対象 たいしょう 者 しゃ 全員 ぜんいん に共通 きょうつう する「一般 いっぱん 遵守 じゅんしゅ 事項 じこう 」と個別 こべつ に定 さだ められる「特別 とくべつ 遵守 じゅんしゅ 事項 じこう 」とがある。
^ 無期 むき 刑 けい の仮釈放 かりしゃくほう が取 と り消 け されるのであるから、もちろん無期 むき 刑 けい 受刑 じゅけい 者 しゃ として刑務所 けいむしょ に戻 もど されることとなる。なお、刑法 けいほう 28条 じょう 所定 しょてい の期間 きかん は初度 しょど の仮釈放 かりしゃくほう の条件 じょうけん と解 かい されており、仮釈放 かりしゃくほう の取 と り消 け しによって収監 しゅうかん されている無期 むき 刑 けい 受刑 じゅけい 者 しゃ は、再 さい 収監 しゅうかん の時点 じてん で刑事 けいじ 施設 しせつ の通算 つうさん 在所 ざいしょ 期間 きかん が既 すで に10年 ねん 以上 いじょう となっているため、(仮釈放 かりしゃくほう の取 と り消 け しに加 くわ えて新 あら たな刑 けい を受 う けている場合 ばあい を除 のぞ いて)法務省 ほうむしょう 令 れい 所定 しょてい の仮釈放 かりしゃくほう の許可 きょか 基準 きじゅん に適合 てきごう すれば、理論 りろん 上 じょう はいつでも再度 さいど の仮釈放 かりしゃくほう が可能 かのう である(これは有期 ゆうき 刑 けい の仮釈放 かりしゃくほう 取 と り消 け しに伴 ともな う再 さい 収監 しゅうかん においても同様 どうよう )。
^ 同 どう 条 じょう の規定 きてい は判決 はんけつ 時 じ を基準 きじゅん としており、判決 はんけつ 時 じ に成人 せいじん に達 たっ している場合 ばあい は対象 たいしょう 外 がい となる。
^ 更生 こうせい 保護 ほご 法 ほう の施行 しこう 以前 いぜん は「仮釈放 かりしゃくほう 、仮 かり 出場 しゅつじょう 及 およ び仮 かり 退院 たいいん 並 なら びに保護 ほご 観察 かんさつ 等 とう に関 かん する規則 きそく 」32条 じょう が同様 どうよう の規定 きてい を置 お いていたが、そこでは、悔悟 かいご の情 じょう 及 およ び改善 かいぜん 更生 こうせい の意欲 いよく 、再 ふたた び犯罪 はんざい をするおそれ、相当 そうとう 性 せい 、社会 しゃかい の感情 かんじょう の4つを「総合 そうごう 的 てき に判断 はんだん 」するものとされていた。
^ 後藤田 ごとうだ 以降 いこう 、死刑 しけい 執行 しっこう 命令 めいれい 書 しょ に署名 しょめい しなかった法務大臣 ほうむだいじん として高村 たかむら 正彦 まさひこ がいたが、杉浦 すぎうら 以降 いこう 就任 しゅうにん した法務大臣 ほうむだいじん が例外 れいがい なく署名 しょめい しているため。また同様 どうよう に死刑 しけい 制度 せいど 廃止 はいし を主張 しゅちょう している連立 れんりつ 与党 よとう の公明党 こうめいとう から、法務大臣 ほうむだいじん の起用 きよう はありえないとの指摘 してき もある。
^ 勢 いきおい 藤 ふじ 修三 しゅうぞう は「(記事 きじ にしたのは)サンケイ一 いち 社 しゃ と記憶 きおく している」と、俵 たわら 孝太郎 こうたろう は「私 わたし は記事 きじ にした」と記 しる しているが[111] 、実際 じっさい にはそのような事実 じじつ は無 な い。
^ 福岡 ふくおか 高等 こうとう 検察庁 けんさつちょう が作成 さくせい した裁判 さいばん 員 いん 制度 せいど の広報 こうほう キャラクター。鳩山 はとやま はこのキャラクターの着 き ぐるみ を着用 ちゃくよう し検察庁 けんさつちょう の統一 とういつ 広報 こうほう キャラクターに抜擢 ばってき した
^ 異本 いほん としては「嚴 いむ 牆集」「刑罰 けいばつ 集 しゅう 抜萃 ばっすい 」などがある。
^ 萱野 かやの 長 ちょう 修 おさむ について明治 めいじ 新 しん 政府 せいふ 『朝 ちょう 報 ほう 掲要』の旧暦 きゅうれき 6月 がつ 19日 にち の項 こう は「陸 りく 羽越 うえつ 等 とう 諸 しょ 藩 はん 反逆 はんぎゃく 首謀 しゅぼう 臣 しん 、菅野 かんの 長 ちょう 修 おさむ 以下 いか 二 に 十 じゅう 一 いち 名 めい を斬 き に処 しょ す。既 すで に死 し する者 もの は其後を絶 た つ 」としている。菅野 かんの の上官 じょうかん の3名 めい が既 すで に戦死 せんし していた。
^ 1873年 ねん に禁制 きんせい が廃止 はいし され信徒 しんと が釈放 しゃくほう されるまで、配流 はいる になった3394名 めい のうち662名 めい が命 いのち を落 お とした(浦上 うらかみ 四 よん 番 ばん 崩 くず れ 、長崎 ながさき と天草 あまくさ 地方 ちほう の潜伏 せんぷく キリシタン関連 かんれん 遺産 いさん )。お雇 やと い外国 がいこく 人 じん のキリスト教 きりすときょう 信仰 しんこう が国内 こくない で問題 もんだい になった記録 きろく はないので、外国 がいこく 人 じん あるいはプロテスタント 信仰 しんこう は禁制 きんせい 対象 たいしょう 外 がい であった可能 かのう 性 せい がある。
^ 東京 とうきょう 裁判所 さいばんしょ は1869年 ねん 5月 がつ 、戊辰戦争 ぼしんせんそう の首謀 しゅぼう 者 しゃ として仙台 せんだい 藩 はん の但木 ただき 成行 しげゆき と坂 さか 時 じ 秀 しゅう を、盛岡 もりおか 藩 はん 藩主 はんしゅ の代 か わりとして楢山 ならやま 佐渡 さど を刎首刑 けい に処 しょ した。会津 あいづ 藩 はん については「萱野 かやの 長 ちょう 修 おさむ 以下 いか 二 に 十 じゅう 一 いち 名 めい を斬 き に処 しょ す。既 すで に死 し する者 もの は其後を絶 た つ 」とされた[137] 。
^ フランツ・フォン・リスト による刑事 けいじ 法 ほう 政策 せいさく 利用 りよう 論 ろん が現 あらわ れたのは、假 かり 刑 けい 律 りつ よりも後 ご である。明治 めいじ 新 しん 政府 せいふ は紙幣 しへい 製造 せいぞう 事業 じぎょう 等 とう のため、普 ひろし 仏 ふつ 戦争 せんそう の前後 ぜんご にはドイツ帝国 ていこく に投資 とうし した。
^ なお、復讐 ふくしゅう 禁止 きんし 令 れい 布告 ふこく から7年 ねん 後 ご に、最後 さいご の敵討 かたきうち となる臼井 うすい 六郎 ろくろう による一瀬 いちのせ 直久 なおひさ 殺害 さつがい では、終身 しゅうしん 禁獄 きんごく の判決 はんけつ が下 くだ されている。後 のち に大日本帝国 だいにっぽんていこく 憲法 けんぽう 発布 はっぷ の特赦 とくしゃ により、終身 しゅうしん 禁獄 きんごく から一等 いっとう を減 げん ぜられ、禁獄 きんごく 10年 ねん に減刑 げんけい となり、1891年 ねん 9月22日 にち に釈放 しゃくほう )。
^ この一 いち 件 けん は、大久保 おおくぼ 利通 としみち による「私刑 しけい 」として捉 とら えられている[140] 。
^ 但 ただ し、銃殺 じゅうさつ 刑 けい として定 さだ められたのは、1872年 ねん 3月25日 にち であり[169] 、それ以前 いぜん は斬首 ざんしゅ 刑 けい 及 およ び梟首 きょうしゅ で執行 しっこう されていた。更 さら に、銃殺 じゅうさつ を鎮台 ちんだい 兵 へい によって行 おこな われることが同年 どうねん 4月 がつ 5日 にち に定 さだ められている[170] 。また、唯一 ゆいいつ の例外 れいがい であるが、銃殺 じゅうさつ 刑 けい が定 さだ められた後 のち の1875年 ねん [明治 めいじ 8年 ねん ]に大阪 おおさか 鎮台 ちんだい の徒刑 とけい 人 じん [終身 しゅうしん 刑 けい ]の岡田 おかだ 政吉 まさきち が脱獄 だつごく により絞首刑 こうしゅけい によって執行 しっこう されている・[終身 しゅうしん 刑 けい になる前 まえ は、伍長 ごちょう の時計 とけい を盗 ぬす み逃走 とうそう した罪 つみ と2度 ど の脱獄 だつごく を経 へ て、終身 しゅうしん 刑 けい となっている。][171] [172] 。絞首刑 こうしゅけい となった理由 りゆう は、当時 とうじ の陸海 りくかい 軍 ぐん 軍法 ぐんぽう の前身 ぜんしん に当 あ たる陸海 りくかい 軍 ぐん 軍律 ぐんりつ には、脱獄 だつごく に関 かん する刑罰 けいばつ が定 さだ められておらず、改定 かいてい 律 りつ 例 れい 第 だい 302条 じょう [173] より、終身 しゅうしん 刑 けい 囚 しゅう の脱獄 だつごく の場合 ばあい 、絞首刑 こうしゅけい と定 さだ められていたからである。)
^ 現在 げんざい まで幾 いく 度 ど かの改正 かいせい による厳罰 げんばつ 化 か が行 おこな われている。
^ 清国 きよくに は、1911年 ねん に初 はじ めて設置 せっち された内閣 ないかく の構成 こうせい 員 いん 半数 はんすう が皇族 こうぞく を含 ふく む満州 まんしゅう 人 じん だったことから、孫 まご 文 ぶん などの漢人 かんど が辛 からし 亥 い 革命 かくめい を起 お こし、皇帝 こうてい 溥儀 ふぎ が退位 たいい して滅亡 めつぼう し、1912年 ねん に中華民国 ちゅうかみんこく が誕生 たんじょう した。
^ 未遂 みすい 事件 じけん の直後 ちょくご に弁護士 べんごし の小川 おがわ 平吉 へいきち と北 きた 昤吉 (北 きた 一輝 いっき の弟 おとうと )が結成 けっせい した国粋 こくすい 主義 しゅぎ 団体 だんたい である青天 せいてん 会 かい が勢力 せいりょく を増 ま した。国本 こくほん 社 しゃ 会長 かいちょう 兼 けん 法曹 ほうそう 会 かい 会長 かいちょう 平沼 ひらぬま 騏一郎 きいちろう は法曹界 ほうそうかい 雑誌 ざっし を発行 はっこう しはじめ、判例 はんれい に準 じゅん ずる「法曹 ほうそう 会 かい 決議 けつぎ 」の発表 はっぴょう を開始 かいし して様々 さまざま な規定 きてい を作 つく った。
^ 当時 とうじ 大審院 だいしんいん 長 ちょう であった元 もと 横浜 よこはま 正金 しょうきん 銀行 ぎんこう の長島 ながしま 毅 あつし は、1943年 ねん 7月 がつ の法律 ほうりつ 新報 しんぽう に「人 ひと と心 しん と力 ちから の結集 けっしゅう は法律 ほうりつ を戦争 せんそう の目的 もくてき へと追 お い込 こ みつつある。人 ひと と心 しん と物 もの の動 うご きに立 た ち遅 おく れた法律 ほうりつ はただ屑 くず 籠 かご に捨 す てられて顧 かえり みられない反古 ほご 紙 し でしかありえない」と述 の べており、戦後 せんご は公職 こうしょく 追放 ついほう の処分 しょぶん を受 う けた。
^ 判決 はんけつ の要旨 ようし は以下 いか の通 とお り(最 さい (大 だい )判 ばん 昭和 しょうわ 23年 ねん (1948年 ねん )3月 がつ 12日 にち 刑 けい 集 しゅう 2巻 かん 3号 ごう 191頁 ぺーじ )
事件 じけん
自分 じぶん の母親 ははおや と妹 いもうと を殺害 さつがい した罪 つみ で下級 かきゅう 審 しん において死刑 しけい 判決 はんけつ を受 う けた被告人 ひこくにん が、死刑 しけい は日本国 にっぽんこく 憲法 けんぽう 第 だい 36条 じょう によって禁 きん じられている公務員 こうむいん による拷問 ごうもん や残虐 ざんぎゃく 刑 けい の禁止 きんし に抵触 ていしょく しているとして上告 じょうこく 。
判決 はんけつ
上告 じょうこく を棄却 ききゃく (死刑 しけい 確定 かくてい )
「死刑 しけい は合憲 ごうけん である」
「生命 せいめい は尊 みこと 貴 とうと である。一人 ひとり の生命 せいめい は、全 ぜん 地球 ちきゅう より重 おも い。…日本国 にっぽんこく 憲法 けんぽう 第 だい 13条 じょう においては、すべて国民 こくみん は個人 こじん として尊重 そんちょう せられ、生命 せいめい に対 たい する国民 こくみん の権利 けんり については、立法 りっぽう その他 た の国政 こくせい の上 うえ で最大 さいだい の尊重 そんちょう 必要 ひつよう とする旨 むね を規定 きてい している」で始 はじ まる。
「死刑 しけい は残虐 ざんぎゃく でない」としているが「ただ、死刑 しけい といえども、他 た の刑罰 けいばつ の場合 ばあい におけると同様 どうよう に、その執行 しっこう の方法 ほうほう などがその時代 じだい と環境 かんきょう とにおいて人道 じんどう 上 じょう の見地 けんち から一般 いっぱん に残虐 ざんぎゃく 性 せい を有 ゆう すると認 みと められる場合 ばあい には、勿論 もちろん これを残虐 ざんぎゃく な刑罰 けいばつ といわねばならぬから、将来 しょうらい 若 わか し死刑 しけい について火 ひ あぶり・はりつけ・さらし首 くび ・釜茹 かまゆ でごとき残虐 ざんぎゃく な執行 しっこう 方法 ほうほう を定 さだ める法律 ほうりつ が制定 せいてい されるとするならば、その法律 ほうりつ こそは、まさに日本国 にっぽんこく 憲法 けんぽう 第 だい 36条 じょう に違反 いはん するものというべきである」に違反 いはん するものというべきである」として、残虐 ざんぎゃく な執行 しっこう 方法 ほうほう については違憲 いけん としている。
^ 「河合 かわい 修治 しゅうじ 訳 やく 『殺人 さつじん 紳士録 しんしろく 』中央 ちゅうおう アート出版 しゅっぱん 」に、イギリスで1884年 ねん に死刑 しけい 囚 しゅう が、絞首 こうしゅ 台 だい の落 お とし戸 ど が湿気 しっけ のために膨張 ぼうちょう し、重量 じゅうりょう がかかると戸 と が開 ひら かなくなったため、3度 ど も開 ひら かず停止 ていし されたという事例 じれい が紹介 しょうかい されている。結局 けっきょく 、彼 かれ は減刑 げんけい され22年 ねん 後 ご に出所 しゅっしょ し、結婚 けっこん しアメリカに渡 わた り1933年 ねん に病死 びょうし したとされる。
^ ウィリー・フランシス(en:Willie Francis 1929年 ねん 生 う まれ)は電気 でんき 椅子 いす に1946年 ねん に座 すわ ったが、電気 でんき 回路 かいろ の設置 せっち に不備 ふび があり致死 ちし 量 りょう の電流 でんりゅう が流 なが れず助 たす かったが、減刑 げんけい されず1947年 ねん に再度 さいど 執行 しっこう されている。
^ 『岩手 いわて 日報 にっぽう 』1992年 ねん 6月 がつ 5日 にち 朝刊 ちょうかん 第 だい 4版 はん 1頁 ぺーじ 「種市 たねいち の妻子 さいし 5人 にん 殺 ころ し K被告 ひこく に死刑 しけい 判決 はんけつ 仙台 せんだい 高裁 こうさい 無期 むき 懲役 ちょうえき を破棄 はき 」(岩手日報社 いわてにっぽうしゃ ) - 岩手 いわて 県 けん 種市 たねいち 町 まち 妻子 さいし 5人 にん 殺害 さつがい 事件 じけん (1989年 ねん )の関連 かんれん 記事 きじ 。
^ MSN産経 さんけい ニュース (2009年 ねん 9月 がつ 10日 とおか ). “「矯正 きょうせい の可能 かのう 性 せい ある」 江東 こうとう バラバラ事件 ばらばらじけん の被告 ひこく 、二 に 審 しん も無期 むき 懲役 ちょうえき 判決 はんけつ ”. 2009年 ねん 9月 がつ 10日 とおか 閲覧 えつらん 。
^ 朝日新聞 あさひしんぶん 2009年 ねん 2月 がつ 19日 にち 朝刊 ちょうかん 。
^ “北九州 きたきゅうしゅう 監禁 かんきん 連続 れんぞく 殺人 さつじん 、Y被告 ひこく の無期 むき 懲役 ちょうえき 確定 かくてい へ” . 読売新聞 よみうりしんぶん . (2011年 ねん 12月14日 にち ). http://www.yomiuri.co.jp/national/news/20111214-OYT1T01028.htm 2011年 ねん 12月14日 にち 閲覧 えつらん 。
^ 警察庁 けいさつちょう 刑事 けいじ 局 きょく 捜査 そうさ 支援 しえん 分析 ぶんせき 管理 かんり 官 かん (2023年 ねん 2月 がつ 7日 にち ). “令 れい 和 わ 4年 ねん 1~12月 がつ 犯罪 はんざい 統計 とうけい 【確 かく 定値 ていち 】 ”. 2023年 ねん 5月 がつ 3日 にち 閲覧 えつらん 。
^ 法務省 ほうむしょう >犯罪 はんざい 白書 はくしょ
^ 法務省 ほうむしょう >令 れい 和 わ 4年版 ねんばん >犯罪 はんざい 白書 はくしょ
^ “裁判 さいばん 員 いん 裁判 さいばん :死刑 しけい は被害 ひがい 者 しゃ 数 すう を重視 じゅうし 、司法研修所 しほうけんしゅうしょ が報告 ほうこく ” . 毎日新聞 まいにちしんぶん . (2012年 ねん 7月 がつ 23日 にち ). http://mainichi.jp/select/news/20120724k0000m040105000c.html 2012年 ねん 7月 がつ 25日 にち 閲覧 えつらん 。
^ 『中日新聞 ちゅうにちしんぶん 』2009年 ねん 3月 がつ 18日 にち 夕刊 ゆうかん 第 だい 二 に 社会 しゃかい 面 めん 14頁 ぺーじ 「千種 ちくさ 拉致 らち 殺害 さつがい 判決 はんけつ 被害 ひがい 者 しゃ 1人 にん 死刑 しけい 複数 ふくすう 確定 かくてい は1件 けん 」(中日新聞社 ちゅうにちしんぶんしゃ ) - 闇 やみ サイト殺人 さつじん 事件 じけん の関連 かんれん 記事 きじ 。
^ 子 こ どもの権利 けんり 条約 じょうやく 日本 にっぽん 政府 せいふ 第 だい 2回 かい 報告 ほうこく 人権 じんけん ・人道 じんどう B.国内 こくない 法 ほう における最低 さいてい 法定 ほうてい 年齢 ねんれい 平成 へいせい 13年 ねん 11月
^ 藤波 ふじなみ 芳夫 よしお 「遺書 いしょ 旅立 たびだ ちを前 まえ に」(『インパクション』2007年 ねん 2月 がつ 号 ごう 、インパクト出版 しゅっぱん 会 かい )
^ 向井 むかい 武子 たけこ 「藤波 ふじなみ 芳夫 よしお さんの処刑 しょけい いま初 はじ めて明 あ かす 二 に 〇〇六 ろく 年 ねん クリスマスの日 ひ に起 お きたこと」(年報 ねんぽう ・死刑 しけい 廃止 はいし 編集 へんしゅう 委員 いいん 会 かい 編 へん 『年報 ねんぽう ・死刑 しけい 廃止 はいし 2020』)(インパクト出版 しゅっぱん 会 かい 、2020年 ねん )
^ 以下 いか の文献 ぶんけん において、記事 きじ 名 めい に被疑 ひぎ 者 しゃ 等 とう の実名 じつめい が使 つか われている場合 ばあい 、その箇所 かしょ をイニシャルとする。2人 ふたり の死刑 しけい 執行 しっこう 女性 じょせい 5人 にん 殺害 さつがい のK死刑 しけい 囚 しゅう ら、15年 ねん 12月 がつ 以来 いらい 日本経済新聞 にほんけいざいしんぶん 2016年 ねん 3月 がつ 25日 にち
^ 養鶏 ようけい 場 じょう 殺人 さつじん 、死刑 しけい を破棄 はき /「首謀 しゅぼう 者 しゃ と均衡 きんこう 失 しっ する」
^ 村野 むらの 薫 かおる 『死刑 しけい はこうして執行 しっこう される』講談社 こうだんしゃ 2006年 ねん 206頁 ぺーじ
^ 朝日新聞 あさひしんぶん 1978年 ねん 7月 がつ 6日 にち
^ K死刑 しけい 囚 しゅう が死亡 しぼう 広島 ひろしま ・岡山 おかやま で2人 ふたり 殺害 さつがい 日本経済新聞 にほんけいざいしんぶん 2016年 ねん 2月 がつ 15日 にち
^ 警察庁 けいさつちょう (2023年 ねん 8月 がつ ). “令 れい 和 わ 4年 ねん の 刑法 けいほう 犯 はん に関 かん する統計 とうけい 資料 しりょう 第 だい 2 罪 ざい 種 しゅ ・手口 てぐち 別 べつ の認知 にんち ・検挙 けんきょ 状 じょう 況 きょう (1) 殺人 さつじん ” (PDF). pp. 18-19. 2023年 ねん 11月12日 にち 閲覧 えつらん 。
^ ハートネットTV 「母 はは を殺 ころ した父 ちち へ ―親族 しんぞく 間 あいだ 殺人 さつじん ・残 のこ された家族 かぞく の苦悩 くのう ― 」 NHK 2013
^ 東京 とうきょう ・埼玉 さいたま 連続 れんぞく 幼女 ようじょ 誘拐 ゆうかい 殺人 さつじん 事件 じけん の第 だい 一 いち 審 しん は例外 れいがい で主文 しゅぶん が先 さき に朗読 ろうどく された。
^ 「主文 しゅぶん 後回 あとまわ し」裁判所 さいばんしょ の狙 ねら いとは…死刑 しけい に限 かぎ らず「無期 むき 懲役 ちょうえき 」の場合 ばあい も ORICON NEWS 2017年 ねん 11月14日 にち
^ “重大 じゅうだい 事件 じけん の判決 はんけつ の法廷 ほうてい で「主文 しゅぶん を後回 あとまわ し」にする意味 いみ とは? - 弁護士 べんごし ドットコムニュース ”. 弁護士 べんごし ドットコム . 2022年 ねん 6月 がつ 14日 にち 閲覧 えつらん 。
^ 『逃走 とうそう 容疑 ようぎ で受刑 じゅけい 者 しゃ 再 さい 逮捕 たいほ =「20年 ねん も入 はい りたくなかった」―山形 やまがた 県警 けんけい 』時事通信 じじつうしん 2013年 ねん 4月 がつ 17日 にち 21時 じ 12分 ふん 配信 はいしん
^ 別冊 べっさつ 宝島 たからじま 1525号 ごう 『日本 にっぽん タブー事件 じけん 史 し 3』26頁 ぺーじ
^ “法務大臣 ほうむだいじん 臨時 りんじ 記者 きしゃ 会見 かいけん の概要 がいよう ”. 法務省 ほうむしょう (2021年 ねん 12月22日 にち ). 2021年 ねん 12月23日 にち 閲覧 えつらん 。
^ 『朝日新聞 あさひしんぶん デジタル 』(2013年 ねん 1月 がつ 11日 にち )「死刑 しけい 、法相 ほうしょう ら13人 にん が決裁 けっさい 執行 しっこう 、命令 めいれい の2~4日 にち 後 ご 34人 にん の手続 てつづ き一部 いちぶ 開示 かいじ 」
^ TBS 『News i 』(2012年 ねん 10月 がつ 6日 にち )「オウム死刑 しけい 囚 しゅう 、全国 ぜんこく 7か所 しょ に“移送 いそう 計画 けいかく ” 」
^ 別冊 べっさつ 宝島 たからじま 「死刑 しけい 囚 しゅう 最後 さいご の1時 じ 間 あいだ 」10頁 ぺーじ
^ a b 最高裁 さいこうさい 昭和 しょうわ 36年 ねん 07月 がつ 19日大 にちだい 法廷 ほうてい 判決 はんけつ 刑 けい 集 しゅう 第 だい 15巻 かん 7号 ごう 1106頁 ぺーじ
^ 正木 まさき 亮 あきら 「蘇 よみがえ った太政官 だじょうかん 布告 ふこく 」『法学 ほうがく セミナー』第 だい 116巻 かん 、日本 にっぽん 評論 ひょうろん 社 しゃ 、1961年 ねん 、54-56頁 ぺーじ 。
^ 平川 ひらかわ 宗 そう 信 しん 「死刑 しけい 存廃 そんぱい 論 ろん の法的 ほうてき 理論 りろん 枠組 わくぐ みについて-憲法 けんぽう 的 てき 死刑 しけい 論 ろん の展開 てんかい 」『現代 げんだい 刑事 けいじ 法 ほう 』、立花 たちばな 書房 しょぼう 。
^ 栗田 くりた 正 ただし 「死刑 しけい (絞首刑 こうしゅけい )の宣告 せんこく は憲法 けんぽう 31条 じょう に違反 いはん するか」『ジュリスト』第 だい 232号 ごう 、有斐閣 ゆうひかく 、1961年 ねん 、50-55頁 ぺーじ 。
^ 佐賀 さが 潜 せん 「刑法 けいほう 入門 にゅうもん 」
^ 「何 なん 十 じゅう 年 ねん も経 た ちましたが、全 すべ て鮮明 せんめい に覚 おぼ えています」元 もと 刑務 けいむ 官 かん が語 かた った死刑 しけい 執行 しっこう の瞬間 しゅんかん Abema TIMES(2017年 ねん 7月 がつ 15日 にち )2017年 ねん 7月 がつ 16日 にち 閲覧 えつらん
^ 別冊 べっさつ 宝島 たからじま 「死刑 しけい 囚 しゅう 最後 さいご の1時 じ 間 あいだ 」74頁 ぺーじ
^ 「死刑 しけい の在 あ り方 かた についての勉強 べんきょう 会 かい 」の取 と りまとめ報告 ほうこく について 資料 しりょう 18 我 わ が国 くに における死刑 しけい の歴史 れきし について 平成 へいせい 24年 ねん 3月 がつ 9日 にち
^ a b 手塚 てづか 豊 ゆたか 、1956、『明治 めいじ 初期 しょき 刑法 けいほう 史 し の研究 けんきゅう 』、慶應義塾大学 けいおうぎじゅくだいがく 法学 ほうがく 研究 けんきゅう 会 かい
^ 2011年 ねん 10月 がつ 11日 にち 大阪 おおさか 地方裁判所 ちほうさいばんしょ 、ヴァルテル・ラブル博士 はかせ 証言 しょうげん
^ 『監獄 かんごく 協会 きょうかい 雑誌 ざっし 』第 だい 20号 ごう 2号 ごう (明治 めいじ 40年 ねん )127~135頁 ぺーじ 木 き 名 めい 瀬 せら 礼助 れいすけ 氏 し 「刑法 けいほう 改正 かいせい 案 あん に就ての所感 しょかん 」 全文 ぜんぶん のテキスト
^ 今年 ことし の死刑 しけい 執行 しっこう 「ゼロ」、20年 ねん 以来 いらい 3年 ねん ぶり…収容 しゅうよう 中 ちゅう の確定 かくてい 死刑 しけい 囚 しゅう は106人 にん 読売新聞 よみうりしんぶん
^ a b 安倍晋三 あべしんぞう 参議院 さんぎいん 議員 ぎいん 水野 みずの 賢一 けんいち 君 くん 提出 ていしゅつ 死刑 しけい の執行 しっこう に関 かん する質問 しつもん に対 たい する答弁 とうべん 書 しょ 答弁 とうべん 書 しょ 第 だい 二 に 一二号内閣参質一八九第二一二号 平成 へいせい 二 に 十 じゅう 七 なな 年 ねん 七 なな 月 がつ 三 さん 十 じゅう 一 いち 日 にち
^ a b 『読売新聞 よみうりしんぶん 』1988年 ねん 2月 がつ 11日 にち 東京 とうきょう 朝刊 ちょうかん 第 だい 12版 はん 富山 とやま 版 ばん 20頁 ぺーじ 「<生 なま と死 し >判決 はんけつ の波紋 はもん 連続 れんぞく 誘拐 ゆうかい 殺人 さつじん 事件 じけん 2 死刑 しけい 宣告 せんこく 戦後 せんご 、女性 じょせい は11人 にん 目 め 確定 かくてい は(ホテル日本 にっぽん 閣 かく 殺人 さつじん 事件 じけん の死刑 しけい 囚 しゅう K)ら3人 にん 」(読売新聞 よみうりしんぶん 北陸 ほくりく 支社 ししゃ ) - 富山 とやま ・長野 ながの 連続 れんぞく 女性 じょせい 誘拐 ゆうかい 殺人 さつじん 事件 じけん の加害 かがい 者 しゃ M(1998年 ねん に死刑 しけい 確定 かくてい )に死刑 しけい 判決 はんけつ (戦後 せんご 、女性 じょせい としては11人 にん 目 め )が宣告 せんこく された際 さい の記事 きじ 。
^ a b 死刑 しけい 執行 しっこう に関 かん する会長 かいちょう 声明 せいめい 日本 にっぽん 弁護士 べんごし 連合 れんごう 会 かい 2010年 ねん 7月 がつ 28日 にち
^ a b c d 「死刑 しけい の在 あ り方 かた についての勉強 べんきょう 会 かい 」取 と りまとめ報告 ほうこく 書 しょ 法務省 ほうむしょう 平成 へいせい 24年 ねん 3月 がつ
^ “なぜ7人 にん 同日 どうじつ の死刑 しけい 執行 しっこう は「異例 いれい 」なのか。オウム事件 じけん 、専門 せんもん 家 か が危惧 きぐ すること” . BuzzFeedNews . (2018年 ねん 7月 がつ 6日 にち ). https://www.buzzfeed.com/jp/kotahatachi/aum-7?utm_term=.gxwVmPEX2#.pbmj57dRg 2018年 ねん 7月 がつ 12日 にち 閲覧 えつらん 。
^ “上川 かみかわ 法相 ほうしょう 「1カ月 かげつ 2度 ど の死刑 しけい 執行 しっこう 初 はじ めて」 24日 にち に署名 しょめい ” . 朝日新聞 あさひしんぶん デジタル . (2018年 ねん 7月 がつ 26日 にち ). https://www.asahi.com/articles/ASL7V43J0L7VUTIL022.html?iref=comtop_8_02 2018年 ねん 7月 がつ 26日 にち 閲覧 えつらん 。
^ 団 だん 藤 ふじ 重光 しげみつ 『死刑 しけい 廃止 はいし 論 ろん 第 だい 三 さん 版 はん 』有斐閣 ゆうひかく 、1991年 ねん 。ISBN 4-641-04128-8 。 54頁 ぺーじ
^ a b c 死刑 しけい 制度 せいど 問題 もんだい に関 かん する提言 ていげん 日本 にっぽん 弁護士 べんごし 連合 れんごう 会 かい 2002年 ねん 11月22日 にち
^ 第 だい 141回 かい 国会 こっかい 参議院 さんぎいん 法務 ほうむ 委員 いいん 会 かい 平成 へいせい 9年 ねん 11月13日 にち 議事 ぎじ 録 ろく 中 なか の原田 はらだ 政府 せいふ 委員 いいん 発言 はつげん を参照 さんしょう 。
^ 佐久間 さくま 哲 あきら 『現代 げんだい 死刑 しけい 囚 しゅう ファイル』自由 じゆう 国民 こくみん 社 しゃ 26頁 ぺーじ
^ 中国 ちゅうごく 新聞 しんぶん 2008年 ねん 2月 がつ 2日 にち 朝刊 ちょうかん
^ ユーザーの質問 しつもん に専門 せんもん 記者 きしゃ が答 こた えるウェブサイト 「回答 かいとう する記者 きしゃ 団 だん 」の運営 うんえい 者 しゃ である佐藤 さとう 裕一 ひろいち の請求 せいきゅう に応 おう じ、東京 とうきょう ・埼玉 さいたま 連続 れんぞく 幼女 ようじょ 誘拐 ゆうかい 殺人 さつじん 事件 じけん の宮崎 みやざき 勤 つとむ らに対 たい する死刑 しけい 執行 しっこう 命令 めいれい 書 しょ を全面 ぜんめん 開示 かいじ した(出典 しゅってん :「死刑 しけい 命令 めいれい 書 しょ を全面 ぜんめん 開示 かいじ 宮崎 みやざき 元 もと 死刑 しけい 囚 しゅう 「執行 しっこう せよ」」2009年 ねん 3月 がつ 13日 にち 付 づけ 産経 さんけい ニュース )。
^ a b “衝撃 しょうげき の結末 けつまつ …!17年間 ねんかん 逃亡 とうぼう を続 つづ けた猟奇 りょうき 殺人 さつじん 犯 はん がコロナ禍 か に劇的 げきてき 逮捕 たいほ された「全 ぜん 真相 しんそう 」(原 はら 雄一 ゆういち ) @gendai_biz ”. 現代 げんだい ビジネス . 2021年 ねん 7月 がつ 4日 にち 閲覧 えつらん 。
^ 佐久間 さくま 哲 あきら 『死刑 しけい に処 しょ す 現代 げんだい 死刑 しけい 囚 しゅう ファイル』191 - 192頁 ぺーじ
^ 参考 さんこう 資料 しりょう 5 不公平 ふこうへい な裁判 さいばん をするおそれに関 かん する質問 しつもん の具体 ぐたい 的 てき イメージ - 「裁判 さいばん 員 いん の参加 さんか する刑事 けいじ 裁判 さいばん に関 かん する規則 きそく 」の公布 こうふ について(最高裁判所 さいこうさいばんしょ )
^ ひと:朴 ぼく 秉植さん 「死刑 しけい を止 と めた国 くに 」韓国 かんこく の事情 じじょう を紹介 しょうかい 毎日新聞 まいにちしんぶん 2013年 ねん 1月 がつ 15日 にち 配信 はいしん 、2013年 ねん 12月12日 にち 確認 かくにん 。なお朴 ほお 秉植は「死刑 しけい を止 と めた国 くに ・韓国 かんこく 」インパクト出版 しゅっぱん 会 かい を出版 しゅっぱん している
^ 週刊 しゅうかん 朝日 あさひ 2007年 ねん 12月26日 にち 号 ごう 団 だん 藤 ふじ 重光 しげみつ のインタビュー記事 きじ より
^ a b 「無期 むき 刑 けい 及 およ び仮釈放 かりしゃくほう 制度 せいど の概要 がいよう について 」
^ a b 「条 じょう 解 かい 刑法 けいほう 」弘文 こうぶん 堂 どう (第 だい 2版 はん 、2007年 ねん 12月 がつ )p.27。ISBN 978-4-335-35409-0 。清原 きよはら 博 ひろし 「裁判 さいばん 員 いん 選 えら ばれる前 まえ にこの1冊 さつ 」自由 じゆう 国民 こくみん 社 しゃ (初版 しょはん 、2008年 ねん 12月4日 にち )p.153。ISBN 978-4-426-10583-9 。司法 しほう 協会 きょうかい 「刑法 けいほう 概説 がいせつ 」(第 だい 7版 はん )p.155。
^ a b 大辞泉 だいじせん 「無期 むき 懲役 ちょうえき 」
^ 「平成 へいせい 21年 ねん 3月 がつ 改訂 かいてい 版 ばん 法令 ほうれい 用語 ようご 日 にち 英 えい 標準 ひょうじゅん 対訳 たいやく 辞書 じしょ 」p.282
^ 大辞泉 だいじせん ・大辞林 だいじりん 「[1] 無期 むき 刑 けい 」
^ 大辞泉 だいじせん 「終身 しゅうしん 刑 けい 」
^ 「条 じょう 解 かい 刑法 けいほう 」弘文 こうぶん 堂 どう (第 だい 2版 はん 、2007年 ねん 12月 がつ )p.27。ISBN 978-4-335-35409-0 。
^ 「大韓民国 だいかんみんこく 刑 けい 法典 ほうてん 」(韓国 かんこく 語 ご )
^ 「ドイツ刑 けい 法典 ほうてん 」(ドイツ語 ご )
^ 「オーストリア刑 けい 法典 ほうてん 」(ドイツ語 ご )
^ 法務 ほうむ 大臣 だいじん 官房 かんぼう 司法 しほう 法制 ほうせい 調査 ちょうさ 部 ぶ 「フランス新 しん 刑法 けいほう 典 てん 」法曹 ほうそう 会 かい (1995年 ねん )
^ 「ルーマニア刑 けい 法典 ほうてん 」(英語 えいご )
^ A・Jシュヴァルツ著 ちょ /西原 にしはら 春夫 はるお 監訳 かんやく 「ポーランドの刑法 けいほう とスポーツ法 ほう 」成文 せいぶん 堂 どう (2000年 ねん 5月 がつ )。ISBN 978-4-7923-1525-2 。
^ 「ロシア刑 けい 法典 ほうてん 」(英語 えいご )
^ 「カナダ刑 けい 法典 ほうてん 」(フランス語 ふらんすご )
^ 「台湾 たいわん 刑 けい 法典 ほうてん 」(台湾 たいわん 語 ご )
^ 「イタリア刑 けい 法典 ほうてん 」(イタリア語 ご )
^ たとえば、第 だい 165回 かい 国会 こっかい 法務 ほうむ 委員 いいん 会 かい 第 だい 3号 ごう 、第 だい 154回 かい 国会 こっかい 参議院 さんぎいん 法務 ほうむ 委員 いいん 会 かい 第 だい 9号 ごう 平成 へいせい 14年 ねん 4月 がつ 11日 にち 、2008年 ねん 6月 がつ 5日 にち 付 づけ 朝日新聞 あさひしんぶん 「あしたを考 かんが える」掲載 けいさい の法務省 ほうむしょう 資料 しりょう 。
^ 法務省 ほうむしょう 保護 ほご 局 きょく の資料 しりょう による。
^ 再度 さいど の仮釈放 かりしゃくほう 者 しゃ を除 のぞ く。
^ 法務省 ほうむしょう (October 1973). 昭和 しょうわ 48年版 ねんばん 犯罪 はんざい 白書 はくしょ 第 だい 二 に 編 へん 犯罪 はんざい 者 しゃ の処遇 しょぐう 第 だい 3章 しょう 仮釈放 かりしゃくほう 及 およ び更生 こうせい 保護 ほご 第 だい 1節 せつ 仮釈放 かりしゃくほう 2 仮 かり 出獄 しゅつごく II-85表 ひょう 無期 むき 刑 けい 仮 かり 出獄 しゅつごく 者 しゃ の在 ざい 監 かん 期間 きかん (昭和 しょうわ 45年 ねん ~47年 ねん ) (JPG) (Report). 2020年 ねん 4月 がつ 12日 にち 閲覧 えつらん 。
^ 法務省 ほうむしょう (October 1970). 昭和 しょうわ 45年版 ねんばん 犯罪 はんざい 白書 はくしょ 第 だい 二 に 編 へん 犯罪 はんざい 者 しゃ の処遇 しょぐう 第 だい 三 さん 章 しょう 仮釈放 かりしゃくほう および更生 こうせい 保護 ほご 一 いち 仮釈放 かりしゃくほう 3 仮釈放 かりしゃくほう 決定 けってい の状況 じょうきょう (二 に ) 仮 かり 出獄 しゅつごく 決定 けってい の状況 じょうきょう II-91表 ひょう 無期 むき 刑 けい 仮 かり 出獄 しゅつごく 者 しゃ の在 ざい 監 かん 期間 きかん (昭和 しょうわ 42~44年 ねん ) (JPG) (Report). 2020年 ねん 4月 がつ 12日 にち 閲覧 えつらん 。
^ 令 れい 和 わ 5年版 ねんばん 犯罪 はんざい 白書 はくしょ と矯正 きょうせい 統計 とうけい 年報 ねんぽう および法務省 ほうむしょう 保護 ほご 局 きょく の資料 しりょう による。
^ 日本 にっぽん 弁護士 べんごし 連合 れんごう 会 かい (2018年 ねん 5月 がつ ). “裁判 さいばん 員 いん の皆 みな さまへ 知 し ってほしい刑罰 けいばつ のこと ” (PDF). pp. 6-7. 2020年 ねん 4月 がつ 18日 にち 閲覧 えつらん 。
^ a b “NHKが追 お った『日本一 にっぽんいち 長 なが く服役 ふくえき した男 おとこ 』61年 ねん ものあいだ刑務所 けいむしょ にいた囚人 しゅうじん の最期 さいご ” (日本語 にほんご ). 日刊 にっかん サイゾー . (2020年 ねん 10月 がつ 14日 にち ). https://www.cyzo.com/2020/10/post_255314_entry.html 2021年 ねん 1月 がつ 11日 にち 閲覧 えつらん 。
^ “日本一 にっぽんいち 長 なが く服役 ふくえき した男 おとこ ” (日本語 にほんご ). NHK . https://www.nhk-ondemand.jp/program/P202100245000000/ 2021年 ねん 12月25日 にち 閲覧 えつらん 。
^ a b c d e 法務省 ほうむしょう 保護 ほご 局 きょく (2022-11). 無期 むき 刑 けい 受刑 じゅけい 者 しゃ の仮釈放 かりしゃくほう の運用 うんよう 状 じょう 況 きょう 等 とう について (PDF) (Report). 2023-05-14 閲覧 えつらん 。
^ 1985年 ねん 5月 がつ 31日 にち 付 づけ 中日新聞 ちゅうにちしんぶん 社会 しゃかい 面 めん による。
^ 山中 さんちゅう 理 り 司 し (2020年 ねん 3月 がつ 22日 にち ). “マル特 とく 無期 むき 事件 じけん ”. 弁護士 べんごし 山中 さんちゅう 理 り 司 し (大阪 おおさか 弁護士 べんごし 会 かい 所属 しょぞく )のブログ . 2020年 ねん 5月 がつ 14日 にち 閲覧 えつらん 。
^ 法務省 ほうむしょう 保護 ほご 局 きょく 無期 むき 刑 けい 受刑 じゅけい 者 しゃ の仮釈放 かりしゃくほう に係 かか る勉強 べんきょう 会 かい . “「無期 むき 刑 けい 受刑 じゅけい 者 しゃ の仮釈放 かりしゃくほう に係 かか る勉強 べんきょう 会 かい 」の報告 ほうこく 書 しょ の概要 がいよう ”. 2023年 ねん 10月 がつ 9日 にち 閲覧 えつらん 。
^ ちなみに、光 ひかり 市 し 母子 ぼし 殺害 さつがい 事件 じけん が発生 はっせい した1999年 ねん で仮釈放 かりしゃくほう された無期 むき 懲役 ちょうえき 者 しゃ は、短 みじか くとも18年 ねん 超 こ え20年 ねん 以下 いか で服役 ふくえき しており、7年 ねん 程度 ていど で出 で た者 もの はいない。仮 かり に、加害 かがい 者 しゃ が死刑 しけい にならず無期 むき 懲役 ちょうえき になったとしても、最低 さいてい 30年 ねん は刑務所 けいむしょ で服役 ふくえき していた可能 かのう 性 せい は極 きわ めて高 たか い。更 さら には、検察 けんさつ に死刑 しけい 求刑 きゅうけい された場合 ばあい は、「特 とく に犯 おかせ 情 じょう 悪質 あくしつ 等 とう の無期 むき 懲役 ちょうえき 刑 けい 確定 かくてい 者 しゃ に対 たい する刑 けい の執行 しっこう 指揮 しき 及 およ びそれらの者 もの の仮 かり 出獄 しゅつごく に対 たい する検察官 けんさつかん の意見 いけん をより適正 てきせい にするための方策 ほうさく について(平成 へいせい 10年 ねん 6月 がつ 18日 にち 付 づけ の通達 つうたつ )」(通称 つうしょう 「最高検 さいこうけん マル特 とく 無期 むき 通達 つうたつ 」)より、マル特 とく 無期 むき となるため、事実 じじつ 上 じょう 釈放 しゃくほう されず獄死 ごくし していたか、仮釈放 かりしゃくほう されたとしても少 すく なくとも50年 ねん 服役 ふくえき しなければならならない可能 かのう 性 せい が絶対 ぜったい ではないが、高 たか くなる。そのため、加害 かがい 者 しゃ の手紙 てがみ に書 か かれた「無期 むき はほぼキマリ、7年 ねん そこそこに地上 ちじょう に芽 め を出 だ す」(後 のち に死刑 しけい になるが)ではなく「無期 むき はほぼキマリ、土 ど の中 なか で死 し んでいくか、30~50年 ねん もの長 なが い歳月 さいげつ をかけて地上 ちじょう に芽 め を出 だ す」というのが本当 ほんとう の実態 じったい である。
^ “「無期 むき 懲役 ちょうえき でも15年 ねん くらいで仮釈放 かりしゃくほう 」テレビでの大渕 おおふち 愛子 あいこ 弁護士 べんごし の発言 はつげん は正 ただ しいか?” (日本語 にほんご ). 弁護士 べんごし ドットコム ニュース . (2015年 ねん 6月 がつ 22日 にち ). https://www.bengo4.com/c_1009/c_19/n_3280/ 2021年 ねん 1月 がつ 12日 にち 閲覧 えつらん 。
^ 因 ちな みに、大島 おおしま 愛子 あいこ が代表 だいひょう として経営 けいえい しているアムール法律 ほうりつ 事務所 じむしょ では、刑事 けいじ 事件 じけん についての取 と り扱 あつか いについてホームページ上 じょう 明記 めいき されていない。大島 おおしま 愛子 あいこ 自体 じたい 、刑事 けいじ 事件 じけん ではなく日 にち 中 ちゅう 間 あいだ の取引 とりひき などを対象 たいしょう とした中国 ちゅうごく 企業 きぎょう 法務 ほうむ を中心 ちゅうしん とした業務 ぎょうむ を専 せん 門 もん に行 い っていた
^ アムール法律 ほうりつ 事務所 じむしょ . “アムール法律 ほうりつ 事務所 じむしょ について ”. 2021年 ねん 1月 がつ 12日 にち 閲覧 えつらん 。
^ 前掲 ぜんけい 法務省 ほうむしょう 資料 しりょう によると、2012年 ねん から2021年 ねん までの無期 むき 刑 けい 受刑 じゅけい 者 しゃ の仮釈放 かりしゃくほう 審理 しんり 件数 けんすう 329件 けん に対 たい し、検察官 けんさつかん の意見 いけん 照会 しょうかい がなされた事例 じれい は272件 けん であり、必 かなら ずしもすべてのケースにおいて検察官 けんさつかん の意見 いけん 照会 しょうかい がなされていたわけではなかった。
^ 従前 じゅうぜん から、仮釈放 かりしゃくほう の申 さる 出 で は刑事 けいじ 施設 しせつ の長 ちょう の申 さる 出 で のほかに、申出 もうしで によらない地方 ちほう 更生 こうせい 保護 ほご 委員 いいん 会 かい の独自 どくじ 権限 けんげん の行使 こうし によっても行 ぎょう なえるものとなっていたが、実際 じっさい は刑事 けいじ 施設 しせつ の長 ちょう の申出 もうしで のみによって審理 しんり が行 おこ なわれていた。それゆえ、申請 しんせい が刑事 けいじ 施設 しせつ 側 がわ の恣意 しい に委 ゆだ ねられていた面 めん があり、審理 しんり の機会 きかい の保証 ほしょう という面 めん に欠 か けていたとされる[要 よう 出典 しゅってん ] 。
^ 「無期 むき 刑 けい 受刑 じゅけい 者 しゃ の仮釈放 かりしゃくほう 審理 しんり に関 かん する事務 じむ の運用 うんよう について (法務省 ほうむしょう 保護 ほご 観 かん 第 だい 134号 ごう )」
^ なお、これは無期 むき 刑 けい 受刑 じゅけい 者 しゃ の仮釈放 かりしゃくほう 審理 しんり のみに適用 てきよう される措置 そち であり、有期 ゆうき 刑 けい の受刑 じゅけい 者 しゃ の仮釈放 かりしゃくほう 審理 しんり にあたっては、このような措置 そち は採 と られていないため、たとえば懲役 ちょうえき 30年 ねん の受刑 じゅけい 者 しゃ の仮釈放 かりしゃくほう 審理 しんり にあたっては、単独 たんどく の委員 いいん による面接 めんせつ で仮釈放 かりしゃくほう を許可 きょか することもできるし、被害 ひがい 者 しゃ や検察官 けんさつかん への意見 いけん 照会 しょうかい を行 おこ なわず仮釈放 かりしゃくほう を許可 きょか することもできる。
^ 「死刑 しけい に関 かん する英国 えいこく 審議 しんぎ 会 かい (1948~1953)報告 ほうこく 書 しょ 」(HER MAJESTY’S STATIONARY OFFICE「ROYAL COMMISSION ON Capital Punishment 1949-1953 REPORT」1953年 ねん
^ The New York Times, 2007.1.16
^ ヴァルテル・ラブル医学 いがく 博士 はかせ ら(オーストリア・インスブルック大学 だいがく )「Erhangen mit Dekapitation Kasuistik - Biomechankik(頭部 とうぶ 離 はなれ 断 だん を伴 ともな った縊死 いし 事例 じれい 報告 ほうこく 、生体 せいたい 工学 こうがく )」1995年 ねん
^ 「Procedure for Military Execution」1959年 ねん 米 べい 陸軍 りくぐん 省 しょう
^ The "Long drop" or measured drop method
^ 昭和 しょうわ 36年 ねん 7月 がつ 19日大 にちだい 法廷 ほうてい 判決 はんけつ (刑 けい 集 しゅう 15-7-1106)
^ [死刑 しけい ]執行 しっこう の現実 げんじつ (2)絞首 こうしゅ 、130年 ねん 続 つづ く『読売新聞 よみうりしんぶん 』2008年 ねん 10月 がつ 5日 にち
^ 『読売 よみうり 東京 とうきょう 新聞 しんぶん 』1883年 ねん 7月 がつ 7日 にち
^ 『東京 とうきょう 絵 え 入 にゅう 新聞 しんぶん 』1883年 ねん 7月 がつ 7日 にち
^ a b 朝日新聞 あさひしんぶん 1955年 ねん 12月29日 にち
^ 朝日新聞 あさひしんぶん 1953年 ねん 6月 がつ 19日 にち
^ 「<死刑 しけい 執行 しっこう >4人 にん に 安倍 あべ 政権 せいけん で初 はつ 1年 ねん 3カ月 かげつ ぶり」 毎日新聞 まいにちしんぶん 、2006年 ねん 12月26日 にち 。
^ 読売新聞 よみうりしんぶん 社会 しゃかい 部 ぶ 『死刑 しけい 』(中央公論 ちゅうおうこうろん 新 しん 社 しゃ 、2009年 ねん 、p.72)
^ 俵 たわら 孝太郎 こうたろう 『政治 せいじ 家 か の風景 ふうけい 』学習研究社 がくしゅうけんきゅうしゃ 、1994年 ねん 、95頁 ぺーじ 。 。
^ 朝日新聞 あさひしんぶん 2008年 ねん 6月 がつ 21日 にち 朝刊 ちょうかん
^ 2008年 ねん 6月 がつ 22日 にち 毎日新聞 まいにちしんぶん
^ YOMIURI ONLINE「犯罪 はんざい 被害 ひがい 者 しゃ の会 かい 、朝日新聞 あさひしんぶん の「死 し に神 がみ 」表現 ひょうげん に抗議 こうぎ 文 ぶん 」 2008年 ねん 6月 がつ 25日 にち 、2008年 ねん 6月 がつ 30日 にち 閲覧 えつらん
^ 朝日新聞 あさひしんぶん 2008年 ねん 8月 がつ 2日 にち
^ 『内閣 ないかく 改造 かいぞう へ「サイバンインコは留任 りゅうにん 、死 し に神 がみ は辞任 じにん 」鳩山 はとやま 法相 ほうしょう 』産経新聞 さんけいしんぶん 2008年 ねん 7月 がつ 25日 にち 12時 じ 10分 ふん 配信 はいしん
^ 保坂 ほさか 展 てん 人 じん (2007年 ねん 8月 がつ 23日 にち ). “「長勢 ながせ 法相 ほうしょう ・11カ月 かげつ で10人 にん の死刑 しけい 執行 しっこう 」に抗議 こうぎ する ”. 2013年 ねん 4月 がつ 26日 にち 閲覧 えつらん 。
^ 社会 しゃかい 民主党 みんしゅとう OfficialWeb/福島 ふくしま みずほ (2008年 ねん 9月 がつ 11日 にち ). “死刑 しけい 執行 しっこう に強 つよ く抗議 こうぎ する ”. 2013年 ねん 4月 がつ 26日 にち 閲覧 えつらん 。
^ 日本 にっぽん 国民 こくみん 救援 きゅうえん 会 かい (2009年 ねん 7月 がつ 29日 にち ). “森 もり 英介 えいすけ 法相 ほうしょう による三 さん 度 ど の死刑 しけい 執行 しっこう に抗議 こうぎ する ”. 2013年 ねん 4月 がつ 26日 にち 閲覧 えつらん 。
^ 衆議院 しゅうぎいん (2010年 ねん 7月 がつ 30日 にち ). “千葉 ちば 景子 けいこ 法務大臣 ほうむだいじん による死刑 しけい 執行 しっこう に関 かん する質問 しつもん 主意 しゅい 書 しょ /質問 しつもん 本文 ほんぶん 情報 じょうほう /提出 ていしゅつ 者 しゃ :鈴木 すずき 宗男 むねお ”. 2013年 ねん 4月 がつ 26日 にち 閲覧 えつらん 。
^ 神奈川 かながわ 新聞 しんぶん (2011年 ねん 7月 がつ 28日 にち ). “死刑 しけい 執行 しっこう 1年 ねん 、千葉 ちば 景子 けいこ 元 もと 法相 ほうしょう 決断 けつだん の背景 はいけい ”. 2021年 ねん 12月21日 にち 閲覧 えつらん 。
^ 日本 にっぽん 国民 こくみん 救援 きゅうえん 会 かい (2012年 ねん 3月 がつ 30日 にち ). “小川 おがわ 敏夫 としお 法相 ほうしょう による死刑 しけい 執行 しっこう に抗議 こうぎ する ”. 2013年 ねん 4月 がつ 26日 にち 閲覧 えつらん 。
^ 東京 とうきょう 弁護士 べんごし 会 かい (2012年 ねん 9月 がつ 28日 にち ). “死刑 しけい 執行 しっこう に関 かん する会長 かいちょう 声明 せいめい ”. 2013年 ねん 4月 がつ 26日 にち 閲覧 えつらん 。
^ “元 もと 組長 くみちょう ら2人 にん の死刑 しけい を執行 しっこう 谷垣 たにがき 法相 ほうしょう で2回 かい 目 め ” . 日 にっ テレNEWS24 . (2013年 ねん 4月 がつ 26日 にち ). http://www.news24.jp/sp/articles/2013/04/26/07227511.html 2013年 ねん 4月 がつ 26日 にち 閲覧 えつらん 。
^ “2人 ふたり の死刑 しけい 執行 しっこう 安倍 あべ 政権 せいけん に交代 こうたい 後 ご 4度目 どめ 、計 けい 8人 にん ” . 日本経済新聞 にほんけいざいしんぶん . (2013年 ねん 12月12日 にち ). http://www.nikkei.com/article/DGXNASDG1201I_S3A211C1CC0000/ 2013年 ねん 12月12日 にち 閲覧 えつらん 。
^ “1人 ひとり の死刑 しけい を執行 しっこう 平成 へいせい 19年 ねん の香川 かがわ 3人 にん 殺害 さつがい の川崎 かわさき 死刑 しけい 囚 しゅう ” . 産経新聞 さんけいしんぶん . (2014年 ねん 6月 がつ 26日 にち ). http://www.sankei.com/smp/affairs/news/140626/afr1406260028-s.html 2014年 ねん 6月 がつ 26日 にち 閲覧 えつらん 。
^ “岡崎 おかざき 一明 いちめい 死刑 しけい 囚 しゅう ら残 のこ る6人 にん の刑 けい 執行 しっこう 四半世紀 しはんせいき 経 へ て事件 じけん 終結 しゅうけつ ” . 産経新聞 さんけいしんぶん . (2018年 ねん 7月 がつ 26日 にち ). https://www.sankei.com/affairs/news/180726/afr1807260007-n1.html 2018年 ねん 8月 がつ 11日 にち 閲覧 えつらん 。
^ 「怨霊 おんりょう の思想 しそう 」『日本 にっぽん 思想 しそう 史 し 講座 こうざ 1古代 こだい 』(山田 やまだ 雄司 ゆうじ )
^ 戸川 とがわ 点 てん 「軍記物語 ぐんきものがたり に見 み る死刑 しけい ・梟首 きょうしゅ 」(初出 しょしゅつ :『歴史 れきし 評論 ひょうろん 』637号 ごう (2003年 ねん )/所収 しょしゅう :戸川 とがわ 『平安 へいあん 時代 じだい の政治 せいじ 秩序 ちつじょ 』(同 どう 成 なり 社 しゃ 、2018年 ねん )) 2018年 ねん 、P94-96.
^ “死刑 しけい 廃止 はいし 論 ろん で見 み かける「日本 にっぽん に死刑 しけい 執行 しっこう のない時代 じだい が350年 ねん もあった」ってホント?” (日本語 にほんご ). 弁護士 べんごし ドットコムニュース . (2018年 ねん 8月 がつ 19日 にち ). https://www.bengo4.com/c_1009/n_8282/ 2021年 ねん 7月 がつ 24日 にち 閲覧 えつらん 。
^ 清水 しみず 克行 かつゆき 著 ちょ 「喧嘩 けんか 両成敗 りょうせいばい の誕生 たんじょう 」講談社 こうだんしゃ 選書 せんしょ メチエ 第 だい 四 よん 章 しょう 参照 さんしょう
^ a b 松竹 まつたけ 秀雄 ひでお 「寛永 かんえい 17年 ねん (1640) ポルトガル使節 しせつ 団 だん 長崎 ながさき 受難 じゅなん 事件 じけん (2) 」『経営 けいえい と経済 けいざい 』第 だい 68巻 かん 第 だい 4号 ごう 、長崎大学 ながさきだいがく 経済 けいざい 学会 がっかい 、1989年 ねん 3月 がつ 、45-91頁 ぺーじ 、ISSN 02869101 、NAID 120006969255 。
^ 衆議院 しゅうぎいん 調査 ちょうさ 局 きょく 法務 ほうむ 調査 ちょうさ 室 しつ (2008-06). 死刑 しけい 制度 せいど に関 かん する資料 しりょう (PDF) (Report). p. 8. 2020-10-27 閲覧 えつらん 。
^ 『各国 かっこく 刑法 けいほう 比 ひ 照 あきら 』 五 ご 、1883年 ねん 、72頁 ぺーじ 。https://dl.ndl.go.jp/pid/1366285/1/40 。
^ 『朝 ちょう 報 ほう 掲要 巻 まき 三 さん 』《維新 いしん 日誌 にっし 》静岡 しずおか 郷土 きょうど 研究 けんきゅう 会 かい ・橋本 はしもと 博 ひろし 、1935年 ねん 、36頁 ぺーじ 。https://dl.ndl.go.jp/pid/1186686/1/33 。"旧暦 きゅうれき 6月 がつ 19日 にち "。
^ 法務省 ほうむしょう (1968-11). 昭和 しょうわ 43年版 ねんばん 犯罪 はんざい 白書 はくしょ 第 だい 三 さん 編 へん 犯罪 はんざい と犯罪 はんざい 者 しゃ 処遇 しょぐう の一 いち 〇〇年 ねん 第 だい 一 いち 章 しょう 刑事 けいじ 関係 かんけい 基本 きほん 法令 ほうれい の変遷 へんせん 一 いち 刑法 けいほう (Report). 2020-09-26 閲覧 えつらん 。
^ 明治 めいじ 政府 せいふ (1870年 ねん ). “新 しん 律 りつ 綱領 こうりょう 一 いち 巻 かん 名 めい 例 れい 律 りつ 上 じょう 五 ご 刑 けい ”. 国立 こくりつ 国会図書館 こっかいとしょかん デジタルコレクション . doi :10.11501/794317 . 2020年 ねん 10月 がつ 27日 にち 閲覧 えつらん 。
^ 毛利 もうり 敏彦 としひこ 『江藤 えとう 新平 しんぺい 』]、209頁 ぺーじ 。1987年 ねん 。
^ 福井 ふくい 県 けん 敦賀 つるが 郡 ぐん (1915) (日本語 にほんご ). 敦賀 つるが 郡 ぐん 誌 し 第 だい 五 ご 編 へん 人物 じんぶつ . pp. 1126-1127. doi :10.11501/950917 . https://dl.ndl.go.jp/info:ndljp/pid/950917/597 2021年 ねん 4月 がつ 22日 にち 閲覧 えつらん 。 .
^ a b “明治 めいじ 六 ろく 年 ねん 政 せい 表 ひょう >司法 しほう 処刑 しょけい ノ部 ぶ >明治 めいじ 六 ろく 年 ねん 司法省 しほうしょう 及ヒ各 かく 府県 ふけん 処刑 しょけい 人員 じんいん (コマ番号 ばんごう 12) ”. 正院 しょういん 第 だい 五 ご 科 か (1876年 ねん ). 2019年 ねん 3月 がつ 7日 にち 閲覧 えつらん 。
^ 京都 きょうと 府 ふ . 京都 きょうと 府 ふ 史料 しりょう 一 いち 三 さん 政治 せいじ 部 ぶ 刑 けい 賞 しょう 類 るい 2(明治 めいじ 元 もと ‐7年 ねん )(164-168コマ) (JPEG,PDF) (Report). 2021年 ねん 7月 がつ 17日 にち 閲覧 えつらん 。
^ 児玉 こだま 圭 けい 司 し 「明治 めいじ 前期 ぜんき の監獄 かんごく における規律 きりつ の導入 どうにゅう と展開 てんかい 」『法制 ほうせい 史 し 研究 けんきゅう 』第 だい 64巻 かん 、法制 ほうせい 史 し 学会 がっかい 、2015年 ねん 、1-57,en3、doi :10.5955/jalha.64.1 、ISSN 0441-2508 、NAID 130008000861 、2021年 ねん 7月 がつ 20日 はつか 閲覧 えつらん 。
^ a b 谷 たに 正之 まさゆき 「弁護士 べんごし の誕生 たんじょう とその背景 はいけい (3) : 明治 めいじ 時代 じだい 前期 ぜんき の刑事 けいじ 法制 ほうせい と刑事 けいじ 裁判 さいばん 」『松山大学 まつやまだいがく 論集 ろんしゅう 』第 だい 21巻 かん 第 だい 1号 ごう 、松山大学 まつやまだいがく 総合 そうごう 研究所 けんきゅうじょ 、2009年 ねん 4月 がつ 、279-361頁 ぺーじ 、ISSN 09163298 、NAID 110007579200 、2021年 ねん 7月 がつ 20日 はつか 閲覧 えつらん 。
^ 石川 いしかわ 県立 けんりつ 図書館 としょかん (2015年 ねん 12月1日 にち ). “「明治 めいじ 忠臣蔵 ちゅうしんぐら 」「明治 めいじ 最後 さいご の仇 かたき 討 う ち」と言 い われた、本多 ほんだ 政 まさし 均 ひとし (ほんだまさちか)暗殺 あんさつ について載 の っている簡単 かんたん な資料 しりょう はないか。 ”. レファレンス協同 きょうどう データベース . 国立 こくりつ 国会 こっかい 図書館 としょかん . 2021年 ねん 4月 がつ 21日 にち 閲覧 えつらん 。
^ 司法省 しほうしょう (1877-10) (日本語 にほんご ). 明治 めいじ 9年版 ねんばん 司法省 しほうしょう 達 たち 全書 ぜんしょ . pp. 50-51. doi :10.11501/794539 . https://dl.ndl.go.jp/info:ndljp/pid/794539/35 2021年 ねん 7月 がつ 24日 にち 閲覧 えつらん 。 .
^ 内閣 ないかく 官報 かんぽう 局 きょく (1890-03-15), 法令 ほうれい 全書 ぜんしょ . 明治 めいじ 9年 ねん 太政官 だじょうかん 布告 ふこく 第 だい 百 ひゃく 一 いち 条 じょう , pp. 73, doi :10.11501/787956 , https://dl.ndl.go.jp/info:ndljp/pid/787956/89
^ 太政官 だじょうかん (1876年 ねん 7月 がつ ). “監守 かんしゅ 常人 じょうじん 二 に 盗 とう ノ死刑 しけい ヲ止 とめ ル意見 いけん 書 しょ 上奏 じょうそう ” (JPEG,PDF). 国立 こくりつ 公文書 こうぶんしょ 館 かん . 2022年 ねん 12月18日 にち 閲覧 えつらん 。
^ 内閣 ないかく 官報 かんぽう 局 きょく (1890-03-15), 法令 ほうれい 全書 ぜんしょ . 明治 めいじ 9年 ねん 太政官 だじょうかん 布告 ふこく 第 だい 七 なな 十 じゅう 四 よん 条 じょう , pp. 52, doi :10.11501/787956 , https://dl.ndl.go.jp/info:ndljp/pid/787956/78
^ 藤田 ふじた 正 ただし 「明治 めいじ 前期 ぜんき における「雇人 やといにん 」の盗 ぬすめ 罪 ざい ー旧 きゅう 刑法 けいほう 制定 せいてい までー 」『早稲田 わせだ 法学 ほうがく 』第 だい 57巻 かん 第 だい 3号 ごう 、早稲田大学 わせだだいがく 法 ほう 学会 がっかい 、1982年 ねん 7月 がつ 、409-447頁 ぺーじ 、ISSN 0389-0546 、NAID 120000788251 、2022年 ねん 2月 がつ 28日 にち 閲覧 えつらん 。
^ 1円 えん を2万 まん 円 えん で換算 かんさん した場合 ばあい 、約 やく 5,140万 まん 円 えん
^ “明治 めいじ 時代 じだい の「1円 えん 」の価値 かち ってどれぐらい? ”. man@bow(まなぼう) . 野村 のむら ホールディングス. 2021年 ねん 9月 がつ 26日 にち 閲覧 えつらん 。
^ 太政官 だじょうかん (1879年 ねん 11月20日 にち ). “東京 とうきょう 鎮台 ちんだい 騎兵 きへい 卒 そつ 宇留根利 ねり 吉 きち 官金 かんきん 盗 ぬすめ 奪 だつ ニ付 づけ 死刑 しけい ” (JPEG,PDF). 国立 こくりつ 公文書 こうぶんしょ 館 かん . 2021年 ねん 11月28日 にち 閲覧 えつらん 。
^ “東京 とうきょう 鎮台 ちんだい 騎兵 きへい 第 だい 一 いち 大隊 だいたい ・・・” (日本語 にほんご ). 読売新聞 よみうりしんぶん 朝刊 ちょうかん : pp. 3. (1879年 ねん 12月4日 にち )
^ 内閣 ないかく 官報 かんぽう 局 きょく (1890-08-25), 法令 ほうれい 全書 ぜんしょ . 明治 めいじ 10年 ねん 太政官 だじょうかん 布告 ふこく 第 だい 二 に 十 じゅう 五 ご 条 じょう , pp. 28, doi :10.11501/787957 , https://dl.ndl.go.jp/info:ndljp/pid/787957/55
^ 司法省 しほうしょう (1876年 ねん ). “司法省 しほうしょう 第 だい 五 ご 刑事 けいじ 統計 とうけい 年報 ねんぽう 第 だい 一部 いちぶ 處斷 しょだん (コマ番号 ばんごう 11) ”. 2020年 ねん 11月6日 にち 閲覧 えつらん 。
^ 司法省 しほうしょう (1876年 ねん ). “司法省 しほうしょう 第 だい 五 ご 刑事 けいじ 統計 とうけい 年報 ねんぽう 第 だい 一部 いちぶ 死罪 しざい ヲ犯 おかせ セシ被告人 ひこくにん 員 いん (コマ番号 ばんごう 23) ”. 2020年 ねん 11月6日 にち 閲覧 えつらん 。
^ 司法省 しほうしょう (1876年 ねん ). “司法省 しほうしょう 第 だい 五 ご 刑事 けいじ 統計 とうけい 年報 ねんぽう 第 だい 一部 いちぶ 第 だい 一 いち 號 ごう 常 つね 事犯 じはん 者 しゃ ノ罪名 ざいめい 及處斷 しょだん (コマ番号 ばんごう 45) ”. 2020年 ねん 11月6日 にち 閲覧 えつらん 。
^ 太政官 だじょうかん (1879). “第 だい 一 いち 号 ごう 名 めい 例 れい 律 りつ 五 ご 刑 けい 条例 じょうれい ニ関 せき スル件 けん (86コマ)” (日本語 にほんご ). 太政官 だじょうかん 布告 ふこく 自明 じめい 治 ち 十 じゅう 一 いち 年 ねん 至 いたり 明治 めいじ 十 じゅう 二 に 年 ねん (第 だい 七 なな ). doi :10.11501/2938268 . https://dl.ndl.go.jp/info:ndljp/pid/2938268/86 2021年 ねん 7月 がつ 25日 にち 閲覧 えつらん 。 .
^ 松永 まつなが 寛明 ひろあき 「公開 こうかい 刑 けい 廃止 はいし の社会 しゃかい 的 てき 要因 よういん 」『犯罪 はんざい 社会 しゃかい 学 がく 研究 けんきゅう 』第 だい 25巻 かん 、日本 にっぽん 犯罪 はんざい 社会 しゃかい 学会 がっかい 、2000年 ねん 、86-102頁 ぺーじ 、doi :10.20621/jjscrim.25.0_86 、ISSN 0386-460X 、NAID 110002779960 、2021年 ねん 7月 がつ 20日 はつか 閲覧 えつらん 。
^ 静岡 しずおか 県 けん 史料 しりょう 刊行 かんこう 会 かい (1969), 所 ところ 刑 けい 書類 しょるい , 明治 めいじ 初期 しょき 静岡 しずおか 県 けん 史料 しりょう , 3 , 静岡 しずおか 県立 けんりつ 中央 ちゅうおう 図書館 としょかん 葵 あおい 文庫 ぶんこ , pp. 630-635, doi :10.11501/3016891 , NCID BN01798314
^ 静岡 しずおか 県 けん , 駿河 するが 国史 こくし 第 だい 3輯 材料 ざいりょう 処刑 しょけい 書類 しょるい (明治 めいじ 11‐14年 ねん )(118-124コマ目 め ) , 国立 こくりつ 公文書 こうぶんしょ 館 かん , https://www.digital.archives.go.jp/DAS/meta/result?DEF_XSL=detail&IS_KIND=detail&DB_ID=G9100001EXTERNAL&GRP_ID=G9100001&IS_TAG_S16=eadid&IS_KEY_S16=M2007041211392351053&IS_LGC_S16=AND&IS_EXTSCH=F2009121017025600406%2BF2005022412244001427%2BF2005031812272303110%2BF2007041211384651004&IS_ORG_ID=M2007041211392351053&IS_STYLE=default&IS_SORT_FLD=sort.tror%2Csort.refc&IS_SORT_KND=asc
^ “駿 しゅん 州 しゅう 駿東 すんとう 群 ぐん 竹 ちく ノ下村 しもむら の・・・” (日本語 にほんご ). 読売新聞 よみうりしんぶん 朝刊 ちょうかん : pp. 2. (1878年 ねん 10月 がつ 17日 にち )
^ 司法省 しほうしょう (1881年 ねん ). “司法省 しほうしょう 第 だい 七 なな 刑事 けいじ 統計 とうけい 年報 ねんぽう 第 だい 一部 いちぶ 第 だい 一 いち 號 ごう 常 つね 事犯 じはん 者 しゃ ノ罪状 ざいじょう 及處斷 しょだん (コマ番号 ばんごう 57) ”. 2020年 ねん 10月 がつ 18日 にち 閲覧 えつらん 。
^ 山下 やました 恒夫 つねお 『明治 めいじ 東京 とうきょう 犯罪 はんざい 暦 れき 明治 めいじ 元年 がんねん ~明治 めいじ 23年 ねん 』東京法経学院出版 とうきょうほうけいがくいんしゅっぱん 、1988年 ねん 4月 がつ 1日 にち 、148 - 155頁 ぺーじ 。ISBN 4-8089-4438-3 。 NCID BN02158260 。
^ 鳥取 とっとり 県 けん (1881). 鳥取 とっとり 県 けん 史 し (鳥取 とっとり 県 けん 歴史 れきし ) 政治 せいじ 部 ぶ (明治 めいじ 14年 ねん )(27-32コマ) (JPEG,PDF) (Report). 国立 こくりつ 公文書 こうぶんしょ 館 かん . 2021年 ねん 10月 がつ 17日 にち 閲覧 えつらん 。
^ 手塚 てづか 豊 ゆたか 『刑罰 けいばつ と国家 こっか 権力 けんりょく 国家 こっか 的 てき 刑罰 けいばつ 権 けん と非 ひ 国家 こっか 的 てき 刑罰 けいばつ 権 けん ――明治 めいじ 前期 ぜんき の場合 ばあい に関 かん する一 いち 未定稿 みていこう 』法制 ほうせい 史 し 学会 がっかい 、1960年 ねん 4月 がつ 、182 - 185頁 ぺーじ 。doi :10.11501/2527269 。 NCID BN0366777X 。
^ 太政官 だじょうかん (1872年 ねん 3月 がつ 25日 にち ). “銃丸 じゅうがん 打 だ 殺 ころせ ノ方法 ほうほう 并銃手 しゅ ヲ定 てい ム ” (JPEG,PDF). 国立 こくりつ 公文書 こうぶんしょ 館 かん . 2021年 ねん 10月 がつ 10日 とおか 閲覧 えつらん 。
^ 太政官 だじょうかん (1872年 ねん 4月 がつ 5日 にち ). “軍属 ぐんぞく 犯罪 はんざい 死刑 しけい ノ銃 じゅう 手 しゅ ハ鎮台 ちんだい ヲ用 もちい ユ ” (JPEG,PDF). 国立 こくりつ 公文書 こうぶんしょ 館 かん . 2021年 ねん 10月 がつ 4日 にち 閲覧 えつらん 。
^ 太政官 だじょうかん (1875年 ねん 2月 がつ 4日 にち ). “陸軍 りくぐん 省 しょう 十 じゅう 四等出仕植田命敬外二人官金ヲ盗 ぬすめ 取 ど ルニ付 づけ 死刑 しけい ” (JPEG,PDF). 国立 こくりつ 公文書 こうぶんしょ 館 かん . 2021年 ねん 10月 がつ 7日 にち 閲覧 えつらん 。
^ 陸軍 りくぐん 省 しょう (1876年 ねん ). “第 だい 一 いち 回 かい 陸軍 りくぐん 省 しょう 年報 ねんぽう . 第 だい 一 いち 二 に 軍法 ぐんぽう 軍人 ぐんじん 軍属 ぐんぞく 行刑 ぎょうけい 表 ひょう (コマ番号 ばんごう 98) ”. 2020年 ねん 10月 がつ 18日 にち 閲覧 えつらん 。
^ 太政官 だじょうかん (1873-06-13), 捕 と 亡 ほろび 律 りつ 第 だい 三 さん 〇二 に 条 じょう , 改定 かいてい 律 りつ 例 れい , 二 に 巻 かん , pp. 41, doi :10.11501/794279 , https://dl.ndl.go.jp/info:ndljp/pid/794279/42
^ 「明治 めいじ ・大正 たいしょう ・昭和 しょうわ ・平成 へいせい 事件 じけん ・犯罪 はんざい 大 だい 事典 じてん 」、東京法経学院出版 とうきょうほうけいがくいんしゅっぱん 、2002年 ねん 、312頁 ぺーじ
^ 『現行 げんこう 法令 ほうれい 輯覧』( 追録 ついろく 明治 めいじ 44年 ねん ) 、1912年 ねん 。内閣 ないかく 書記官 しょきかん 室 しつ 記録 きろく 課 か 。
^ 別冊 べっさつ 宝島 たからじま 「いのいよは何 なに か?」2008年 ねん 、31頁 ぺーじ より引用 いんよう
^ 第 だい 024回 かい 国会 こっかい 法務 ほうむ 委員 いいん 会 かい 公聴 こうちょう 会 かい 第 だい 2号 ごう
^ 村野 むらの 薫 かおる 『戦後 せんご 死刑 しけい 囚 しゅう 列伝 れつでん 』宝島社 たからじましゃ 125頁 ぺーじ
^ 「明治 めいじ ・大正 たいしょう ・昭和 しょうわ ・平成 へいせい 事件 じけん ・犯罪 はんざい 大 だい 事典 じてん 」、東京法経学院出版 とうきょうほうけいがくいんしゅっぱん 、2002年 ねん 、311頁 ぺーじ
^ 佐久間 さくま 哲 あきら 、「死刑 しけい に処 しょ す-現代 げんだい 死刑 しけい 囚 しゅう ファイル-」、自由 じゆう 国民 こくみん 社 しゃ 、2005年 ねん
^ 内閣 ないかく 府 ふ 政府 せいふ 広報 こうほう 室 しつ (2020-01). 令 れい 和 わ 元 もと 年度 ねんど 基本 きほん 的 てき 法 ほう 制度 せいど に関 かん する世論 せろん 調査 ちょうさ 2.死刑 しけい 制度 せいど に対 たい する意識 いしき (Report). 2021-07-25 閲覧 えつらん 。
^ 別冊 べっさつ 宝島 たからじま 1419『死刑 しけい 囚 しゅう 最後 さいご の1時 じ 間 あいだ 』宝島社 たからじましゃ 2007年 ねん
^ “死刑 しけい 制度 せいど めぐる検討 けんとう 会 かい 発足 ほっそく へ:朝日新聞 あさひしんぶん デジタル ”. 朝日新聞 あさひしんぶん . 2024年 ねん 2月 がつ 22日 にち 閲覧 えつらん 。
^ 合田 あいだ 士郎 しろう 「そして、死刑 しけい は執行 しっこう された」
^ 『読売新聞 よみうりしんぶん 』1893年 ねん 8月 がつ 1日 にち 全文 ぜんぶん のテキスト
^ “岡田 おかだ 福松 ふくまつ ”. 日本 にっぽん の死刑 しけい - 明治 めいじ 時代 じだい . 2022年 ねん 9月 がつ 19日 にち 閲覧 えつらん 。