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謀反 - Wikipedia

謀反むほん(むほん、むへん、ぼうへん)は、国家こっか君主くんしゅ主君しゅくん為政者いせいしゃにそむくことである[1]謀叛ぼうほんとも表記ひょうきするが、厳密げんみつには後述こうじゅつのように表記ひょうきかた、また時代じだいによって差異さいがある。ただし、「むはん」「ぼうはん」はよくある間違まちがいである。とく武力ぶりょく軍事ぐんじりょく動員どういんして反乱はんらんこすことをすことがおおいが、しょう人数にんずう君主くんしゅ主君しゅくん暗殺あんさつする行為こうい謀反ぼうほんということもある。ただし、近代きんだい事件じけんして謀反むほんかたり使つかうことはまれであり、基本きほんてきぜん近代きんだい事件じけん言葉ことばである。

りつにおける謀反むほん

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謀反むほん意味いみ

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からりつにおいて謀反むほん十悪じゅうあくだいいち養老ようろうただしでもはちしいたげだいいちである[注釈ちゅうしゃく 1]りつにおいてはかりごととは計画けいかくにとどまり実行じっこう着手ちゃくしゅしていない予備よびざいをいう。たんについてははかりごとだけで極刑きょっけいとなり実行じっこうしてもしなくてもけいちがいがないので、条文じょうぶんでは謀反むほん規定きていねる。たん皇帝こうてい天皇てんのう殺傷さっしょう、叛は本朝ほんちょう本国ほんごく)を裏切うらぎって外国がいこくすることで、謀反むほん謀叛ぼうほんべつつみである。のち謀反むほん謀叛ぼうほん同義どうぎになる大逆だいぎゃくも、りつでは陵墓りょうぼみや闕の損壊そんかいというべつつみであった。

からりつ条文じょうぶん謀反むほんとは「社稷しゃしょくあやうくせんとたばかること」、養老ようろうただしでは「国家こっかあやうくせんとたばかること」である。社稷しゃしょく国家こっかとは、尊号そんごう直接ちょくせつくことをはばかったものだとりつの疏(注釈ちゅうしゃく)にあるので、字義じぎどおりではなく皇帝こうてい天皇てんのうのことである。はばからず直接的ちょくせつてきけば、たん皇帝こうてい天皇てんのうたいする殺人さつじん傷害しょうがい謀反むほんはその計画けいかくである。しかし後述こうじゅつするように、実際じっさい適用てきようでは、臣下しんかあいだでの実力じつりょくによる政権せいけん奪取だっしゅこころみや陰謀いんぼう謀反むほんふくめられたので、字義じぎどおりの解釈かいしゃくあやまりとえないめんがある。

からりつでも養老ようろうただしでも、謀反むほんくわわったものは、主犯しゅはん従犯じゅうはんわずみなとされた。謀反ぼうほんしようとしたが人々ひとびとうごかす能力のうりょく威力いりょくけていたものは、本人ほんにんはやはりだが、縁座えんざせまかるくなった。呪術じゅじゅつがいそうとするのは、謀反むほんではなく妖書妖言ようげんつくもちいるつみで、流刑りゅうけい以下いかとなる。

縁座えんざ連座れんざ)にかんする規定きていは、とう日本にっぽんことなり、からりつのほうが範囲はんいひろきびしい。からりつではちちとし16以上いじょう息子むすこ)はしぼとなり、執行しっこう方法ほうほうちがいがあるだけでおなじく死刑しけいである。とし15以下いかははおんなははむすめ)、妻妾さいしょう妻妾さいしょうまご祖父母そふぼまご)、兄弟きょうだいきょく隷属れいぞくみん)、資財しざいたくぼつかんになった。ぼつかんかんへの没収ぼっしゅうで、ひとについてえばかんにすることである。はく叔父おじ兄弟きょうだいながれさん千里せんりさん千里せんり流刑りゅうけい)になった。能力のうりょく威力いりょくいていたもの父子ふしははおんな妻妾さいしょうながれさん千里せんりになった。

縁座えんざ免除めんじょについては、おとことし80以上いじょうまたはあつやましおんなとし60以上いじょう廃疾はいしつものぼつかんまぬかれた。他家たけよめにいったものやしなえ他家たけ養子ようしもの)、入道にゅうどう道士どうし僧侶そうりょなどの出家しゅっけしゃ)、婚約こんやくしゃ連座れんざまぬかれた。よめ養子ようし実家じっか謀反むほんじんからは連座れんざしないが、はいったさきいえ謀反ぼうほんじんればそこで連座れんざする。

日本にっぽんでは縁座えんざ死刑しけいはなく、父子ふしちち息子むすこ)、家人かじんからりつきょくにあたる隷属れいぞくみん)、資財しざいたくぼつかんとなった。まご兄弟きょうだい遠流おんるである。とし80以上いじょうあつやましぼつかんまぬかれた。婦人ふじんやしなえ入道にゅうどうには連座れんざしなかった。能力のうりょくがない謀反むほんでは、父子ふし遠流おんるになるだけで、かんにはされなかった。僧侶そうりょ婦人ふじんかんりょう家人かじんおおやけ奴婢ぬひわたし奴婢ぬひ犯人はんにん場合ばあい本人ほんにんけいされるだけで、縁座えんざはなかった。

日本にっぽんにおける「謀反むほん」と「謀叛ぼうほん

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古代こだい謀反むほん謀叛ぼうほん

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古代こだい日本にっぽん大宝たいほう律令りつりょう養老ようろう律令りつりょうりつ規程きていでは、「謀反むほん」はぼうへん・むへん発音はつおんして、「謀叛ぼうほん」とは区別くべつされていた。「謀反むほん」とは国家こっか政権せいけん)の転覆てんぷく天皇てんのう殺害さつがいくわだてるつみのことであり、あらゆるつみなかでももっとおもけいなどにしょせられるはちしいたげ筆頭ひっとうであった。一方いっぽう謀叛ぼうほん」はいわゆる天皇てんのう危害きがいくわえるなどの大逆だいぎゃく行為こういふくまない国家こっか政権せいけん)の転覆てんぷくおよ敵国てきこくへの内通ないつう亡命ぼうめいなどが対象たいしょうとなり、こちらもはちしいたげだいさんとされていた。78世紀せいき政争せいそうすえ謀反むほん謀叛ぼうほんつみによって殺害さつがいされた貴族きぞくすくなくない。

日本にっぽんではりつ規定きてい実際じっさい刑罰けいばつ乖離かいりがあり、律令制りつりょうせい全盛期ぜんせいきでも、廷臣ていしん殺害さつがいによる政権せいけん奪取だっしゅや、蝦夷えぞ隼人はやと反乱はんらんはん謀反むほんとされていた。当時とうじから謀反むほん謀叛ぼうほん大逆だいぎゃくかたりには混用こんようがあり、平安へいあん時代じだい後期こうきになると謀叛ぼうほん謀反むほんはともに「むほん」と同義語どうぎごになった。[2]

奈良なら時代じだい平安へいあん時代じだいはじめに、謀反むほんこした(とされた)にんはほとんど死刑しけいになったが、その対象たいしょうしゃ縁座えんざ範囲はんい量刑りょうけい政治せいじてき判断はんだん左右さゆうされた。しぼ区別くべつ無視むしされ、主犯しゅはんだけが死刑しけいになり、縁座えんざしゃへのけいりつ規定きていよりかるくなる傾向けいこうがあった。

平安へいあん時代じだいごろから、中央ちゅうおう貴族きぞくたいする死刑しけいこのまれなくなり、死刑しけいつながるおも刑罰けいばつである謀反むほん謀叛ぼうほんはほとんど適用てきようされなくなる。また、陸続りくつづきの隣国りんごく存在そんざいせず、また天皇てんのう君主くんしゅとした国家こっか体制たいせいつづいてきたこともあり、隣国りんごくとの通謀つうぼう亡命ぼうめい可能かのうせいひくく、天皇てんのうきとした政権せいけん転覆てんぷくかんがえにくかったためにこのころより謀叛むほんというかたり謀反ぼうほんおな意味いみもちいられるようになった。

中世ちゅうせい以降いこう謀反むほん謀叛ぼうほん

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武士ぶし台頭たいとうしてくると、地方ちほう武士ぶしあいだこうそうこり、そのなかちからちすぎたもの中央ちゅうおう政府せいふである朝廷ちょうてい謀反ぼうほんじんなされ、中央ちゅうおうから派遣はけんされた軍隊ぐんたい実際じっさいには、これも武士ぶしたちである)によってたれる事件じけんこるようになった。

鎌倉かまくら時代ときよはいると、武士ぶしあいだ主従しゅうじゅう関係かんけい重要じゅうようになり、ある武士ぶし主君しゅくん関係かんけいむすんでいる家臣かしん武士ぶしが、主君しゅくん武士ぶし反抗はんこうすることがこり、これを謀反むほんぶ。戦国せんごく時代じだいにはすうおおくの謀反むほんこって家臣かしん主君しゅくんってみずか大名だいみょうになる事件じけん、「下克上げこくじょう」がこるようになった。戦国せんごく時代じだい動乱どうらん最終さいしゅうてきおさめた江戸えど幕府ばくふは、このような風潮ふうちょうあらため、家臣かしん主君しゅくんへの従順じゅうじゅんおしえるため朱子学しゅしがく道徳どうとく武士ぶしまなばせる。

明治めいじ時代じだい西南せいなん戦争せんそう幸徳こうとく事件じけん大逆だいぎゃく事件じけん)、1936ねん二・二六事件ににろくじけんも、当時とうじ資料しりょうには謀反むほん言葉ことばうけられる。しかし現在げんざいでは、近代きんだいてき用語ようごとしてクーデター反乱はんらんなどの言葉ことば使つかわれ、明治めいじ以降いこう武力ぶりょく反抗はんこう事件じけん謀反むほんという言葉ことばもちいられなくなっている。

天皇てんのう謀叛ぼうほん

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鎌倉かまくら時代じだい末期まっき後醍醐天皇ごだいごてんのう鎌倉かまくら幕府ばくふ倒幕とうばく計画けいかくした正中せいちゅうへん1324ねん)・元弘もとひろへん1332ねん)を幕府ばくふがわは「天皇てんのう謀叛ぼうほん」(あるいは「当今とうぎん謀叛ぼうほん」)とび、当時とうじ武家ぶけもこれにならった[3]

平安へいあん時代じだい後期こうき以後いご朝廷ちょうてい社会しゃかい秩序ちつじょ維持いじするための警察けいさつ軍事ぐんじてき裏付うらづけ(「けんだんけん」)を次第しだいうしなって、武士ぶしたちによってその維持いじはかられてきた。たいら政権せいけんじんやす2ねん5がつ10日とおかこう白河しらかわいん院宣いんぜんおよろくじょう天皇てんのう宣旨せんじによって平重盛たいらのしげもり清盛きよもりすで出家しゅっけ)に諸国しょこく軍事ぐんじ警察けいさつけんあたえられ、うけたまわ5ねん1181ねん)には畿内きない近国きんごくそう官職かんしょく設置せっちされた。

やがて、みなもと頼朝よりともによって幕府ばくふひらかれて全国ぜんこく武士ぶしだん統率とうそつするようになると、鎌倉かまくら幕府ばくふ朝廷ちょうていより社会しゃかい秩序ちつじょ維持いじするけんだんけんゆだねられるようになる(「文治ぶんじ勅許ちょっきょ」・「たてひさ新制しんせい」)。だが、たいら政権せいけん鎌倉かまくら幕府ばくふ初期しょき段階だんかいではけんだんけんそのものは朝廷ちょうていいんゆうしており、たいら政権せいけん鎌倉かまくら幕府ばくふはそのした権限けんげん行使こうしをする存在そんざいとされ、また朝廷ちょうていいん独自どくじ警察けいさつりょく軍事ぐんじりょく行使こうしすることもあった。承久じょうきゅうらんさい鎌倉かまくら幕府ばくふ設置せっちした諸国しょこく守護しゅご地頭じとうたいして北条ほうじょうよしときついべんかんぶんうけたまわひさし3ねん5がつ15にち)がされたのも、朝廷ちょうていいんけんだんけんゆう幕府ばくふはそれをゆだねられた存在そんざいであるというかんがえによる。

だが、承久じょうきゅうらん鎌倉かまくら幕府ばくふ勝利しょうりすると、幕府ばくふ日本にっぽん全国ぜんこく警察けいさつりょく軍事ぐんじりょく掌握しょうあくして、朝廷ちょうていっていたけんだんけん形骸けいがいして、公家くげりょう寺社じしゃりょうたいする訴訟そしょう権限けんげんゆうしていたものの、警察けいさつ軍事ぐんじかんしては幕府ばくふ行動こうどう大義名分たいぎめいぶんあたえる役割やくわり限定げんていされるようになる。つまり、この時代じだいには唯一ゆいいつけんだんけん行使こうし機関きかんであった鎌倉かまくら幕府ばくふたいする反抗はんこうすなわ社会しゃかい秩序ちつじょ全体ぜんたいあやうくする行為こういなされていた。つまり後醍醐天皇ごだいごてんのう行為こうい鎌倉かまくら幕府ばくふ社会しゃかい秩序ちつじょ維持いじする国家こっか形態けいたいおよ政権せいけん自体じたいたいする転覆てんぷくくわだて、すなわち「謀叛ぼうほん」であるとなされたのである[3]公家くげのこした『ぞうきょう』では「謀叛ぼうほん」とはしるされてはいないが「天皇てんのうみだす」という認識にんしきがなされていた[3]

なお、歴代れきだいにも崇徳天皇すとくてんのう後鳥羽ごとば天皇てんのうなど、譲位じょうい武力ぶりょくをもってとき政権せいけん排除はいじょしようとしたことはあるが、これらを「天皇てんのう謀叛ぼうほん」としょうすること一般いっぱんてきではない。

脚注きゃくちゅう

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注釈ちゅうしゃく

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  1. ^ 量刑りょうけい」については、『養老ようろうただし』の「ぞくぬすめりつ」と『からりつ疏義』の「ぞくぬすめりつ」による。

出典しゅってん

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参考さんこう文献ぶんけん

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  • 井上いのうえ光貞みつさだせきあきら土田つちたただし青木あおき和夫かずおこうちゅう へん律令りつりょう岩波書店いわなみしょてん日本にっぽん思想しそう大系たいけい 新装しんそうばん〉、1994ねんISBN 978-4-000-03751-8 
  • 新井あらいつとむ (2012-06-30). “古代こだい日本にっぽん謀反むほん謀叛ぼうほんについて:大逆だいぎゃくざい内乱ないらんざい研究けんきゅう前提ぜんていとして”. 日本にっぽん法學ほうがく (日本にっぽん大学だいがく) 78 (1). NAID 110009426636. 
  • 新井あらいつとむ (2012-09-25). “中世ちゅうせい日本にっぽん謀叛ぼうほんについて:大逆だいぎゃくざい内乱ないらんざい研究けんきゅう前提ぜんていとして”. 日本にっぽん法學ほうがく (日本にっぽん大学だいがく) 78 (2). NAID 110009470095. 
  • 新井あらいつとむ (2013-01-20). “近世きんせい日本にっぽん叛逆はんぎゃくについて:大逆だいぎゃくざい内乱ないらんざい研究けんきゅう前提ぜんていとして”. 政経せいけい研究けんきゅう (日本にっぽん大学だいがく) 49 (3). NAID 110009544961. 
  • 新井あらいつとむ (2013-03-05). “明治めいじ前期ぜんき叛逆はんぎゃくについて:大逆だいぎゃくざい内乱ないらんざい研究けんきゅう前提ぜんていとして”. 政経せいけい研究けんきゅう (日本にっぽん大学だいがく) 49 (4). NAID 110009559532. 

関連かんれん項目こうもく

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