(Translated by https://www.hiragana.jp/)
千鳥型水雷艇 - Wikipedia

千鳥ちどりがた水雷すいらいてい

日本にっぽん水雷すいらいていかんきゅう

千鳥ちどりがた水雷すいらいてい(ちどりかたすいらいてい)は、日本にっぽん海軍かいぐん水雷すいらいてい[1]同型どうけいかん4せき[2]

千鳥ちどりがた水雷すいらいてい
復原性能改善工事前の「千鳥」
復原ふくげん性能せいのう改善かいぜん工事こうじまえの「千鳥ちどり
基本きほん情報じょうほう
種別しゅべつ 水雷すいらいてい[1]
運用うんようしゃ  大日本帝国だいにっぽんていこく海軍かいぐん
同型どうけいかん 千鳥ちどり真鶴まなづるともづるはつかり[2]
まえきゅう -
つぎきゅう おおとりがた水雷すいらいてい
要目ようもく計画けいかく
基準きじゅん排水はいすいりょう 535えいトン[3]
公表こうひょう 527えいトン[4]
おおやけためし排水はいすいりょう 計画けいかく 615トン[3]
千鳥ちどり竣工しゅんこう 731トン[5]
満載まんさい排水はいすいりょう 計画けいかく 715トン[3]
千鳥ちどり竣工しゅんこう 782トン[5]
全長ぜんちょう 82.00m[3]
水線すいせんちょう 79.00m[3]
垂線すいせんあいだちょう 77.50m[3]
最大さいだいはば 7.40m[3](バルジをのぞく)
ふか 4.40m[3]
吃水きっすい 計画けいかくこうためし平均へいきん 2.00m、満載まんさい平均へいきん 2.215m[3]
千鳥竣工時公試平均 2.225m、満載まんさい平均へいきん2.340m[5]
ボイラー ごうかん本式ほんしきかん(空気くうき余熱よねつづけ)2[6][注釈ちゅうしゃく 1]
おも かん本式ほんしきタービン(高低こうていあつ)2[6]
推進すいしん 2じく x 520rpm[7]
直径ちょっけい2.000m、ピッチ2.260m[8]
出力しゅつりょく 11,000馬力ばりき[7]
速力そくりょく 30ノット[3]
航続こうぞく距離きょり 3,000カイリ / 14ノット[3]
燃料ねんりょう 重油じゅうゆ 120トン[3]
乗員じょういん 千鳥ちどり竣工しゅんこう定員ていいん 116めい[9]
へいそう 50口径こうけいさんねんしき12.7cmほう 連装れんそう1たんそう1 けい3もん[11]
12mm機銃きじゅう1てい(計画けいかく)[11]、12.7mmたんそう機銃きじゅう1てい(竣工しゅんこう)
ろくねんしき53cm連装れんそう発射はっしゃかん24もん[12]
ろくねんしき魚雷ぎょらい8ほん[12][13][注釈ちゅうしゃく 2]
はち一式いっしき爆雷ばくらい投射とうしゃ2装填そうてんだい2[12]
爆雷ばくらい投下とうか軌道きどう1じょう[12]
爆雷ばくらい18[12]
搭載とうさいてい 6m内火艇ないかてい1せき、6mカッター2せき、6mどおりせん1せき[10]
特殊とくしゅ装備そうび さんごう(たんかんしき)だい掃海そうかい1くみ[12]
テンプレートを表示ひょうじ

概要がいよう

編集へんしゅう

1931ねん(昭和しょうわ6ねん)より建造けんぞう開始かいしした水雷すいらいていのクラスで、ロンドン軍縮ぐんしゅく条約じょうやく影響えいきょうにより、ミニ駆逐くちくかんともいえるほどじゅう武装ぶそう設計せっけい艦艇かんていであったため、ほんがたのうち3ばんかんともづる」が、演習えんしゅうちゅう転覆てんぷくするというともづる事件じけんこした。 復原ふくげん性能せいのう改善かいぜん工事こうじ中国ちゅうごく方面ほうめん作戦さくせん参加さんか太平洋戦争たいへいようせんそうでは初期しょき侵攻しんこう作戦さくせん船団せんだん護衛ごえいとうおこない3せき撃沈げきちんされ、のこる1せき戦後せんご解体かいたいされた。

建造けんぞう背景はいけい

編集へんしゅう

水雷すいらいてい衰退すいたい

編集へんしゅう

水雷すいらいていは、水雷すいらい装備そうび(初期しょき外装がいそう水雷すいらい機雷きらいのち魚雷ぎょらい)でてき大型おおがたかん攻撃こうげきする艦艇かんていのことである[14]。しかし、この水雷すいらいていを「駆逐くちく」するためのしょう口径こうけいほう装備そうびした駆逐くちくかん出現しゅつげんして水雷すいらい戦闘せんとうになうようになり[14]水雷すいらいてい駆逐くちくかん発展はってん水雷すいらいてい自体じたい消滅しょうめつすることになる[15]

日本にっぽん海軍かいぐんでも1904ねん(明治めいじ37ねん)のにち戦争せんそうさかい水雷すいらい戦闘せんとう駆逐くちくかんわられて、水雷すいらいてい建造けんぞうはされなくなる[14]のこった水雷すいらいてい掃海そうかい任務にんむなどに使用しようされ[14]1924ねん(大正たいしょう13ねん)に艦艇かんてい類別るいべつ標準ひょうじゅんから水雷すいらいてい削除さくじょされた[15]

水雷すいらいてい復活ふっかつ

編集へんしゅう

1922ねん(大正たいしょう11ねん)に締結ていけつされたワシントン海軍かいぐん軍縮ぐんしゅく条約じょうやくにより主力しゅりょくかん建造けんぞう制限せいげんされた各国かっこくは、10,000トンがた条約じょうやくがた巡洋艦じゅんようかん建造けんぞうするなど[15] 補助ほじょ艦艇かんていけんかん競争きょうそうとなり、日本にっぽん海軍かいぐんでは吹雪ふぶきがた駆逐くちくかん24せきなどを建造けんぞうした。 1930ねん(昭和しょうわ5ねん)締結ていけつロンドン軍縮ぐんしゅく条約じょうやくにより駆逐くちくかんふくめた補助ほじょ艦艇かんていまで制限せいげんけることになった[15]駆逐くちくかん保有ほゆう制限せいげんせられた日本にっぽん海軍かいぐんでは、条約じょうやく項目こうもく「600トン以下いか条約じょうやく対象たいしょうがい」からこの対象たいしょうがい艦艇かんていとして水雷すいらいてい復活ふっかつさせることとなる[15]

フランスイタリアドイツ水雷すいらいてい復活ふっかつさせている[15]。しかし、これらのくにには駆逐くちくかん保有ほゆう制限せいげんく、コストの問題もんだいから簡便かんべん駆逐くちくかんとして水雷すいらいてい復活ふっかつさせ、条約じょうやく時代じだいでも建造けんぞう継続けいぞくした[15]一方いっぽう日本にっぽん海軍かいぐんのそれは、中型ちゅうがた駆逐くちくかん(とう駆逐くちくかん)の代用だいようとして計画けいかくされ、条約じょうやく時代じだいはいると早々そうそう水雷すいらいてい(おおとりがた)の建造けんぞうった[16]

計画けいかく

編集へんしゅう

1929ねん(昭和しょうわ4ねん)に策定さくていした計画けいかくあんでは1,400トンがた16せきと1,000トンがた32せき駆逐くちくかん建造けんぞう予定よていしていた日本にっぽん海軍かいぐんは、1930ねん(昭和しょうわ5ねん)のロンドン条約じょうやくによる修正しゅうせいせまられ、昭和しょうわ6年度ねんど(1931ねん)からはじまるだいいち補充ほじゅう計画けいかく(通称つうしょう計画けいかく)では1,400トンがた駆逐くちくかん(初春しょしゅんがた白露しらつゆがた)12せき建造けんぞう決定けってい、1,000トンがた駆逐くちくかん建造けんぞう中止ちゅうしされた[16]。(「海軍かいぐん造船ぞうせん技術ぎじゅつ概要がいよう」によると夜襲やしゅう程度ていどにしか使つかえない1,000トンがた駆逐くちくかん用兵ようへいがわ同意どういられず中止ちゅうしとなった[17]。)そのわりが排水はいすいりょう527トンの水雷すいらいてい軍令ぐんれいは12せき建造けんぞう要求ようきゅう、4せき予算よさんみとめられた[16]

1,000トンがた駆逐くちくかん速力そくりょく34ノット、航続こうぞく距離きょり3,500カイリ/14ノット、13cm(高角こうかく)ほう3もん以上いじょう、61cm魚雷ぎょらい4もんという要求ようきゅうだったが、水雷すいらいていでの要求ようきゅう基準きじゅん排水はいすいりょう600トン、速力そくりょく30ノット、航続こうぞく距離きょり3,000カイリ/14ノット、12.7cmほう3もん、53cm魚雷ぎょらい4もんというもので[16]排水はいすいりょう600トンの水雷すいらいてい出来できるだけ駆逐くちくかんちかへいそうむというものだった[17]計画けいかくおおやけためし排水はいすいりょう720トンで一旦いったんまとまったが、予算よさん関係かんけいさら小型こがたかんがたとすることになり、基準きじゅん排水はいすいりょう535トン、おおやけためし排水はいすいりょう615トンで計画けいかく決定けっていした[16]

武装ぶそうは600トンというサイズに従来じゅうらいとう駆逐くちくかん(若竹わかたけがたで820トン[18])を上回うわまわへいそう重量じゅうりょうになった[19]。 しかし、この排水はいすいりょうでの武装ぶそう搭載とうさいりょうはあまりに過大かだいであり、当時とうじ新鋭しんえいかん吹雪ふぶきがた駆逐くちくかん」のへいそう重量じゅうりょうやく14パーセントなのにたいし、千鳥ちどりがたは24パーセントになっている。 当時とうじ日本にっぽんかん武装ぶそうは(外国がいこくかんくらべて)あきらかにおおすぎるものであったが、千鳥ちどりがたはそれが極端きょくたんすすんだかんといえる。[よう出典しゅってん]

かんがた

編集へんしゅう

基本きほん計画けいかく番号ばんごうF46[3]

船体せんたい

編集へんしゅう

速力そくりょくへいそうはそのままで排水はいすいりょうおさえるため、船体せんたい小型こがた重量じゅうりょう軽減けいげん徹底てっていした[17]重量じゅうりょう軽減けいげんでは電気でんき溶接ようせつ大幅おおはば採用さいようやリベットの小径しょうけいけい合金ごうきん採用さいよう、そのがいいたのフランジ部分ぶぶんけずることもおこなわれた[20]

船体せんたい形状けいじょうかんしては、機関きかん重量じゅうりょう軽減けいげんのために機関きかん出力しゅつりょくおさえ、かつ速力そくりょく発揮はっきするためには船体せんたいながさがながくなる[21]。またこのとき復原ふくげん性能せいのうはGM(重心じゅうしんGと浮心Mの距離きょり)の目安めやすにしており、GMの確保かくほのためには幅広はばひろ船体せんたい必要ひつようで、必然ひつぜんてき吃水きっすいあさくなった[21]へいそう重量じゅうりょう増加ぞうかなどで水線すいせんからの重心じゅうしん位置いちたかくなってしまったが、十分じゅうぶんなGMを確保かくほすることで問題もんだいにされなかった[21]

かんくび

編集へんしゅう

船型せんけい吹雪ふぶきがた駆逐くちくかん(とくがた駆逐くちくかん)とおな船首せんしゅろうがた船体せんたい採用さいよう船首せんしゅろうながさはやく25.5mもあり船体せんたいやく1/3をめていた[22]かんくび形状けいじょうはダブル・カーブがたしのげなみせい向上こうじょうのためにつよいシアとフレアを[22]。 なおフレアは吹雪ふぶきがた初春しょしゅんなどと同様どうよう船体せんたい中央ちゅうおうにもあった。

船首せんしゅろうじょうに1ばんたんそう主砲しゅほう装填そうてん演習えんしゅうほう装備そうびする[23]

艦橋かんきょう

編集へんしゅう

射撃しゃげき指揮しき装置そうち発射はっしゃ指揮しき装置そうち駆逐くちくかんじゅんじて装備そうびし、艦橋かんきょう集中しゅうちゅうさせたため艦橋かんきょう構造こうぞうとくがたIがたとうがた艦橋かんきょうとなった[24]構造こうぞうは3そう構造こうぞう艦内かんない配置はいち公式こうしき図面ずめんのこされていないため明確めいかくでない[24]。3そうはり艦橋かんきょうになり前方ぜんぽう側面そくめんをガラスまど固定こていばんかこ[24]まどしたにはなみがえしがあった[25]天蓋てんがい固定こてい天蓋てんがいではなく必要ひつようなときにキャンバスを展開てんかいするかたちだった[24]はり艦橋かんきょううえにはブルワークをった上部じょうぶ艦橋かんきょうがあり、見張みはよう双眼鏡そうがんきょう1装備そうびする[24]。その後方こうほうに2mはか距儀とそのりょうふなばた信号しんごうよう30cm探照灯たんしょうとう装備そうびした[24]

なお下部かぶ艦橋かんきょう形状けいじょうが「はつかり」のみまるみをびた形状けいじょうの3かん角形かくがたであり[26]はり艦橋かんきょう前面ぜんめんなみがえしにかくかんちがいがある[27]復元ふくげん性能せいのう改善かいぜん工事こうじの「ともづる」にはなみがえしがかった[27]。また烹炊しょ煙突えんとつかくかん年代ねんだいによって相違そういがある[27]

その艤装ぎそう

編集へんしゅう

艦橋かんきょう後部こうぶには三脚さんきゃくしき前部ぜんぶマストがあった[28]。その後方こうほうには2かんけむりを1ほんにまとめた誘導ゆうどう煙突えんとつち、日本にっぽん海軍かいぐん駆逐くちくかん採用さいようされていたおわんがた吸気きゅうきこうがあった[29]。また煙突えんとつりょうふなばた魚雷ぎょらい格納かくのう筺があり[30]、その周囲しゅうい艦載かんさいていとなっていた[29]煙突えんとつ後方こうほうには探照燈たんしょうとうだいと12.7mm機銃きじゅうだい装備そうび[29]、その後方こうほううえ甲板かんぱんじょうろくねんしき53.3cm水上すいじょう連装れんそう発射はっしゃかん中心ちゅうしんせんじょうに2配置はいちしていた[30]。さらに後方こうほう後部こうぶ甲板かんぱんしつがあり、そのうえ三脚さんきゃくしき後部こうぶマストが[29]後部こうぶ甲板かんぱんには後向うしろむきに2ばん連装れんそう主砲しゅほう1があり、爆雷ばくらい投射とうしゃ掃海そうかい搭載とうさいされた[31]

ほう熕兵そう

編集へんしゅう

ほんがた主砲しゅほう50口径こうけいさんねんしき12.7センチほう初春しょしゅんがた駆逐くちくかん搭載とうさいされたものとどう形式けいしきになる[23]かんくびの1ばんほうはAがたたんそうほう旋回せんかい重量じゅうりょうやく21.5トンもあり、後部こうぶのBがたあらため2連装れんそうほうやく31トンあった[19]ほう熕重りょう合計ごうけいやく74トンにもたっしていて、へいそう重量じゅうりょう従来じゅうらいとう駆逐くちくかん上回うわまわっていた[19]船体せんたいは1ばんほう搭載とうさいのために付近ふきん甲板かんぱん補強ほきょうせざるをなくなった[32]

機銃きじゅうは12.7mmたんそう機銃きじゅう1ていで、探照燈たんしょうとうともに1ばん魚雷ぎょらい発射はっしゃかん直前ちょくぜんうえ構上に装備そうびした[29]

水雷すいらいへいそう

編集へんしゅう

魚雷ぎょらい発射はっしゃかんろくねんしき53cm水上すいじょう連装れんそう発射はっしゃかん中心ちゅうしんせんじょうに2装備そうびした[30]搭載とうさい魚雷ぎょらいは8ほんうち4ほん魚雷ぎょらい発射はっしゃかん装填そうてんし、のこり4ほん予備よび魚雷ぎょらいとして煙突えんとつりょうふなばた魚雷ぎょらい格納かくのう筺に2ほんずつ格納かくのうされた[30]。なお発射はっしゃかん前面ぜんめんには簡易かんいてきたて設置せっちされていた[33]

爆雷ばくらい投射とうしゃはち一式いっしき爆雷ばくらい投射とうしゃ(かたふなばた投射とうしゃ通称つうしょうKかたほう)を2搭載とうさいした[12]おおくの文献ぶんけんではりょうふなばた投射とうしゃ(通称つうしょうYかたほう)1搭載とうさいとしているが、写真しゃしんによるとかたふなばた投射とうしゃ装備そうびしている[34]。また爆雷ばくらい投下とうか軌道きどう1じょうがあり、爆雷ばくらいは18搭載とうさいした[12]かんにはたんかんしきだい掃海そうかい装備そうびした[31]

ほんがた機関きかんはロごうかん本式ほんしきすいかんかん(空気くうき予熱よねつき)2かん本式ほんしきオール・ギヤード・タービン(高低こうていあつ)2で、2じく推進すいしん出力しゅつりょく11,000馬力ばりき速力そくりょく30ノットを計画けいかくした[6]機関きかん配置はいちだい1かんしつだい2かんしつ前部ぜんぶ機械きかいしつ後部こうぶ機械きかいしつじゅんである[28]前部ぜんぶ機械きかいしつたて隔壁かくへきにより左右さゆうへだてられて、それぞれ左右さゆうじくようのタービンが搭載とうさいされていた[21]たて隔壁かくへきがあるとかたふなばた浸水しんすいした場合ばあいおおきく船体せんたい傾斜けいしゃするが、その傾斜けいしゃゆるくなるように隔壁かくへきはクランクがたにされた。しかし以降いこう駆逐くちくかんおおとりがた水雷すいらいていでは採用さいようされず、たて隔壁かくへき廃止はいしされている[21]

ほんがたでは機関きかん重量じゅうりょう低減ていげんのために高温こうおんだかあつ機関きかん採用さいよう[17]、「千鳥ちどり」は高温こうおんだかあつ蒸気じょうき使用しようする機関きかんの1号機ごうき搭載とうさいした[35]高温こうおんだかあつ蒸気じょうき使用しようは1馬力ばりきたりの燃料ねんりょう消費しょうひりょうすくなくなり、燃料ねんりょう搭載とうさいりょう減少げんしょう、または航続こうぞく距離きょりしんのべにもなる[35]千鳥ちどりがた場合ばあい蒸気じょうき過熱かねつ装備そうびし、飽和ほうわ蒸気じょうき過熱かねつすることで圧力あつりょく30kg/cm2温度おんど350蒸気じょうき使用しようした[35]のちに「しまふう」で使用しようされた圧力あつりょく40kg/cm2温度おんど400高温こうおんだかあつ蒸気じょうきつうじる第一歩だいいっぽであった[14]

1ばんてい千鳥ちどり」はふねから重量じゅうりょう計画けいかくよりもオーバーし、進水しんすい直後ちょくご重心じゅうしん検査けんさ重心じゅうしんすでやく300mm上昇じょうしょうしていた[36]おおやけためしときてんかじだい傾斜けいしゃしょうじ、艦橋かんきょう直下ちょっかから後部こうぶ2ばんほうまであるだい規模きぼバルジ(たか最大さいだい3m、あつ最大さいだい350mm)[37]装着そうちゃくすることで復原ふくげん性能せいのう改善かいぜんして竣工しゅんこうした[38]。このときおおやけためし排水はいすいりょうは「千鳥ちどり」で731トンになっていた[39]

ともづる事件じけん

編集へんしゅう
千鳥ちどりがた水雷すいらいてい
 
復元ふくげん性能せいのう改善かいぜん工事こうじの「千鳥ちどり」(1934ねんあき)[40]
基本きほん情報じょうほう
要目ようもく復元ふくげん性能せいのう改善かいぜん計画けいかく
おおやけためし排水はいすいりょう 815トン[5]
満載まんさい排水はいすいりょう 871トン[5]
全長ぜんちょう 82.00m[41]
垂線すいせんあいだちょう 77.50m[41]
最大さいだいはば 7.40m[41]
吃水きっすい おおやけためし平均へいきん 2.380m[5]
満載まんさい平均へいきん 2.498m[5]
速力そくりょく 27.9ノット(はつかり竣工しゅんこう)[41]
乗員じょういん 1934ねん7がつ定員ていいん 120めい[42][43]
へいそう 45口径こうけいさんねんしき12cmほう33もん[23]
13mmたんそう機銃きじゅう1てい[19]
ろくねんしき53cm連装れんそう水上すいじょう発射はっしゃかん12もん[30]
ろくねんしき魚雷ぎょらいのちはちきゅうしき魚雷ぎょらい2ほん[30][注釈ちゅうしゃく 2]
爆雷ばくらい投射とうしゃ
爆雷ばくらい
その たんかんしきだい掃海そうかい
テンプレートを表示ひょうじ
 
1938ねん8がつの「はつかり[44]。このかん復原ふくげん性能せいのう改善かいぜん工事こうじおこなってから竣工しゅんこうした。

このような艦艇かんてい限界げんかいえるような過大かだいへいそうは、かん復原ふくげんせい不足ふそくすることとなるとの指摘してきがあったが、かんせい本部ほんぶ責任せきにんしゃ藤本ふじもと喜久雄きくお少将しょうしょう(当時とうじ)は用兵ようへいがわ要求ようきゅうたすためこのようなかん建造けんぞうつづけた。[よう出典しゅってん]その結果けっか1934ねん(昭和しょうわ9ねん)3がつに3ばんかんともづる」が荒天こうてんのため転覆てんぷく総員そういん113めいちゅう死者ししゃ行方ゆくえ不明ふめいしゃあわせて100めいすというだい事故じここった[14]調査ちょうさ結果けっか千鳥ちどりがたふくおおくのしん造艦ぞうかん復原ふくげんせい不足ふそく指摘してきされ、復原ふくげん性能せいのう改善かいぜん工事こうじおこなった[23]

ほんがた場合ばあい建造けんぞうちゅうだった4ばんかんはつかり」は復原ふくげん性能せいのう改善かいぜん工事こうじほどこ同年どうねん7がつ竣工しゅんこう、「千鳥ちどり」「真鶴まなづる」は同年どうねんあき工事こうじ完成かんせい、「ともづる」は事故じこ復旧ふっきゅう同時どうじ復原ふくげん性能せいのう改善かいぜん工事こうじおこなった[45]

ほんがたおも工事こうじ内容ないよう以下いかのとおり[23]

  • バルジの撤去てっきょ
  • バラストキール(はば1,050mm、ふかさ450mm[46])をかんそこやバラストキールないにバラスト98トンを搭載とうさいする。
  • 艦橋かんきょうを1そうひくめる。
  • 伝声管でんせいかん撤去てっきょ

砲塔ほうとう形式けいしきの12.7cmほう3もんすべ撤去てっきょされ45口径こうけいさんねんしき12cmほう(通称つうしょうGかたほう)にかわそうされた[23]。これを開放かいほうしきたていたたんそうほうかんくびに1船体せんたい中央ちゅうおう(2ばん発射はっしゃかんあと)に1後部こうぶ甲板かんぱんじょうに1けい3搭載とうさいした[23]。この改装かいそうによりほう熕兵そう重量じゅうりょうは74トンから52トンに減少げんしょうした[23]。なお「千鳥ちどり」「真鶴まなづる」のGかたほう旧型きゅうがたたて装着そうちゃくしている[19][26]

魚雷ぎょらいへいそうは53cm連装れんそう発射はっしゃかん[注釈ちゅうしゃく 3] 1のみとなり予備よび魚雷ぎょらい廃止はいしされた[47]。これにより魚雷ぎょらいへいそう重量じゅうりょうは70トンから30トンへ減少げんしょうした[47]。なお発射はっしゃかんぼうたて(シールド)は竣工しゅんこうおな前面ぜんめんだけのままだった[33][注釈ちゅうしゃく 4]

なお「日本にっぽん駆逐くちくかんオールだい百科ひゃっか」ではマスト、煙突えんとつ短縮たんしゅくしたとする[14][注釈ちゅうしゃく 5]

これらの工事こうじにより復原ふくげん性能せいのう改善かいぜんされたがへいそう大幅おおはば減少げんしょうし、排水はいすいりょうおおやけためし状態じょうたいで815トン(計画けいかく)にまで増加ぞうか[5][23]速力そくりょくは28ノットまで低下ていかした[23]

だいよん艦隊かんたい事件じけん

編集へんしゅう

1935ねん(昭和しょうわ10ねん)にだいよん艦隊かんたい事件じけんほんがた1936ねん(昭和しょうわ11ねん)8がつから11がつにかけて船体せんたい補強ほきょう工事こうじおこなわれた[45]詳細しょうさいあきらかでないがDSこうによる部分ぶぶんてき補強ほきょうおこなったようである[45]ほんがた電気でんき溶接ようせつ丁寧ていねいおこなわれており[36]おおきな問題もんだいにはならなかったようである[45]。ただ速力そくりょくさら低下ていかし27ノットほどだったとわれる[45]

戦歴せんれき

編集へんしゅう

4せき竣工しゅんこうだい21水雷すいらいたい編成へんせいし、中国ちゅうごく方面ほうめん進出しんしゅつして上陸じょうりく支援しえん封鎖ふうさ作戦さくせんなどに従事じゅうじした[45]太平洋戦争たいへいようせんそう緒戦しょせん南方なんぽう攻略こうりゃく作戦さくせん支援しえんし、その船団せんだん護衛ごえいなどに従事じゅうじした[45]船団せんだん護衛ごえいかんとしては、適切てきせつなサイズといわれ、30ノットちか速力そくりょくたいせん警戒けいかいというめん制圧せいあついて効果こうか発揮はっきし、魚雷ぎょらい船団せんだんおそ敵艦てきかんにたいする襲撃しゅうげき行動こうどう損傷そんしょうせん処分しょぶん役立やくだち、海防かいぼうかんよりも有力ゆうりょくであったとされる。[よう出典しゅってん]大戦たいせん終盤しゅうばんまで活躍かつやくしたが、昭和しょうわ19ねん12月から翌年よくねん3がつにかけて3せき撃沈げきちんされ、「はつかり」のみが香港ほんこん残存ざんそんした[48]

機銃きじゅうぞう

編集へんしゅう

にちはな事変じへん勃発ぼっぱつし、中国ちゅうごく沿岸えんがん進出しんしゅつしたときにはしき13mm機銃きじゅう2てい、(7.7mm)いち一式いっしきけい機銃きじゅう1てい装備そうびしたとされる[45]

太平洋戦争たいへいようせんそうなか機銃きじゅうぞう備の状況じょうきょうは「真鶴まなづる」の場合ばあい1944ねん4がつに13mm連装れんそう機銃きじゅう1どうたんそう機銃きじゅう1てい撤去てっきょ、25mm連装れんそう機銃きじゅう2どうたんそう機銃きじゅう6てい搭載とうさいした[49]。なお同時どうじきゅう一式いっしきさがせしんじ撤去てっきょきゅうさんしきさがせしんじ交換こうかんきゅうさんしき水中すいちゅう聴音ちょうおんあらたに設置せっちはち一式いっしき爆雷ばくらい投射とうしゃを4増設ぞうせつし、投下とうか軌道きどう2じょう改造かいぞうした[49]

ごう作戦さくせん(1944ねん6がつ)機銃きじゅうぞう備の状況じょうきょう以下いかとおりとされる[50]

かんめい 25mm機銃きじゅう 13mm機銃きじゅう でんさがせ 調査ちょうさ
3連装れんそう 連装れんそう たんそう 連装れんそう たんそう
千鳥ちどり 2 6てい 8てい - 1944ねん 8がつ20日はつか
真鶴まなづるともづるはつかり 2 6てい - 1944ねん12月 4にち

かくかんは3ばん主砲しゅほうと13mm機銃きじゅう撤去てっきょし、艦橋かんきょうまえ後部こうぶマストの後方こうほう銃座じゅうざもうけて25mm連装れんそう機銃きじゅうかく1ずつけい2、25mmたんそう機銃きじゅう6ていを13mm機銃きじゅうあと、3ばんほうあとやその甲板かんぱんじょう各所かくしょ配置はいちした[45]

たいせんへいそうは「真鶴まなづる」「ともづる」の場合ばあいはち一式いっしき爆雷ばくらい投射とうしゃ8きゅうさんしき水中すいちゅう聴音ちょうおん1、九四式探信儀1(水流すいりゅうくつがえづけ)を装備そうびした[50]たんかんしきだい掃海そうかい撤去てっきょされ爆雷ばくらいは48搭載とうさいしたとわれる[45]

同型どうけいかん

編集へんしゅう
 
沈没ちんぼつ寸前すんぜんともづる
千鳥ちどり(ちどり)[51]
1933ねん(昭和しょうわ8ねん)11がつ20日はつか竣工しゅんこう[4](舞鶴まいづる要港ようこう工作こうさく[51])。1944ねん(昭和しょうわ19ねん)12月22日米にちべい潜水せんすいかん雷撃らいげきにより撃沈げきちんされた(御前崎おまえざきおきべいせんタイルフィッシュ)[48]
真鶴まなづる(まなづる) [51]
いたる命名めいめいきゅうで「眞鶴まなづる[51]1934ねん(昭和しょうわ9ねん)1がつ31にち竣工しゅんこう[4](藤永ふじなが造船ぞうせんしょ[51])。1945ねん(昭和しょうわ20ねん)3がつ1にち撃沈げきちんされた(那覇なは航空機こうくうき)[48]
ともづる(ともづる)[52]
1934ねん(昭和しょうわ9ねん)2がつ24にち竣工しゅんこう[4](舞鶴まいづる要港ようこう工作こうさく[52])。1945ねん(昭和しょうわ20ねん)3がつ24にちカナ304船団せんだん護衛ごえいちゅう撃沈げきちんされた[27](東シナ海ひがししなかい航空機こうくうき)[48]
はつかり(はつかり)[52]
1934ねん(昭和しょうわ9ねん)7がつ15にち竣工しゅんこう[4](藤永ふじなが造船ぞうせんしょ[52]香港ほんこん終戦しゅうせん[48]。イギリスが接収せっしゅう1948ねん(昭和しょうわ23ねん)に現地げんち解体かいたいわれる[45]

水雷すいらいたい変遷へんせん

編集へんしゅう

だいじゅういち水雷すいらいたい

編集へんしゅう

1934ねん(昭和しょうわ9ねん)1がつ31にちないれいだい35ごう水雷すいらいたい編成へんせいさだめられ[53]、4せき佐世保させぼ鎮守ちんじゅ所属しょぞくで、1934ねんからだい21水雷すいらいたい編成へんせいした[54]。「千鳥ちどり」は1939ねん10がつのぞかれたが1940ねん11月に復帰ふっきした[48]水雷すいらいたい編成へんせいは1942ねん3がつ10日とおか廃止はいし[55]だい21水雷すいらいたいかいたいされた[48]

  • 1934ねん(昭和しょうわ9ねん)1がつ31にち水雷すいらいたい編成へんせいさだめられる[53]。「真鶴まなづる竣工しゅんこう[48]、「千鳥ちどり」と2せき編成へんせい[56]佐世保させぼ警備けいび戦隊せんたい所属しょぞく[57]
  • 1934ねん(昭和しょうわ9ねん)2がつ24にち:「ともづる竣工しゅんこう[48]編入へんにゅう[58]
  • (1934ねん(昭和しょうわ9ねん)3がつ12にちともづる事件じけん[48]。)
  • 1934ねん(昭和しょうわ9ねん)4がつ1にち:「ともづる」がのぞかれ[59]予備よび水雷すいらいていになる[48]
  • 1934ねん(昭和しょうわ9ねん)7がつ15にち:「はつかり竣工しゅんこう[48]編入へんにゅう[60]
  • 1934ねん(昭和しょうわ9ねん)11月15にち佐世保させぼ警備けいび戦隊せんたい編入へんにゅう[48]
  • 1935ねん(昭和しょうわ10ねん)7がつ1にち:「ともづるさい編入へんにゅう[61]、4せきがそろう。
  • 1935ねん(昭和しょうわ10ねん)11月15にち佐世保させぼ警備けいび戦隊せんたいよりのぞかれる[62]機関きかん学校がっこう練習れんしゅうていねる[48]
  • 1936ねん(昭和しょうわ11ねん)12月1にちだい21水雷すいらいたい予備よびとなる[48]佐世保させぼ警備けいび戦隊せんたい編入へんにゅう[63]
  • 1937ねん(昭和しょうわ12ねん)5がつ1にち佐世保させぼ警備けいび戦隊せんたいよりのぞかれ[48][64]佐世保させぼ防備ぼうび戦隊せんたい編入へんにゅう[65]
  • 1937ねん(昭和しょうわ12ねん)7がつ28にち佐世保させぼ防備ぼうび戦隊せんたいからのぞかれ[66]だい3艦隊かんたいだい3水雷すいらい戦隊せんたい編入へんにゅう[48]
  • 1937ねん(昭和しょうわ12ねん)12月1にち予備よびたいとなる[48]
  • 1938ねん(昭和しょうわ13ねん)7がつ1にちだい3艦隊かんたいだい1根拠地こんきょちたい編入へんにゅう[48]
  • 1938ねん(昭和しょうわ13ねん)12月15にち予備よびたいとなる[48]
  • 1939ねん(昭和しょうわ14ねん)10がつ10日とおか:「千鳥ちどり」がのぞかれる[48]。「千鳥ちどり」は12月1にち舞鶴まいづる転籍てんせき[48]
  • 1940ねん(昭和しょうわ15ねん)11月15にち:「千鳥ちどり編入へんにゅう[48]
  • 1941ねん(昭和しょうわ16ねん)9がつ20日はつかだい3艦隊かんたいだい2根拠地こんきょちたい編入へんにゅう[48]
  • 1942ねん(昭和しょうわ17ねん)3がつ10日とおか水雷すいらいたい編成へんせい廃止はいし[55]だい21水雷すいらいたいかいたい[48]。「千鳥ちどり」「真鶴まなづる」はだい2みなみ艦隊かんたいだい23特別とくべつ根拠地こんきょちたいへ、「ともづる」「はつかり」はだい2みなみ艦隊かんたいだい24特別とくべつ根拠地こんきょちたい編入へんにゅう[48]

参考さんこう文献ぶんけん

編集へんしゅう
  • いわじゅう多四郎たしろう日本にっぽん海軍かいぐんしょう艦艇かんていビジュアルガイド 駆逐くちくかんへんだい日本にっぽん絵画かいが、2012ねん7がつISBN 978-4-499-23085-8 
  • 海軍かいぐんしょう/へん海軍かいぐん制度せいど沿革えんかく まきよんの1』 明治めいじひゃくねん叢書そうしょ だい175かんはら書房しょぼう、1971ねん11月(原著げんちょ1939ねん)。 
  • 海軍かいぐんしょう/へん海軍かいぐん制度せいど沿革えんかく まきはち明治めいじひゃくねん叢書そうしょ だい180かんはら書房しょぼう、1971ねん10がつ原著げんちょ1941ねん)。 
  • 海軍かいぐんしょう/へん海軍かいぐん制度せいど沿革えんかく まきじゅうの2』 明治めいじひゃくねん叢書そうしょ だい183かんはら書房しょぼう、1972ねん4がつ原著げんちょ1940ねん)。 
  • 海軍かいぐん歴史れきし保存ほぞんかい日本にっぽん海軍かいぐんだい7かんだい10かん海軍かいぐん歴史れきし保存ほぞんかい、1995ねん
  • (しゃ)日本にっぽん造船ぞうせん学会がっかい/へん昭和しょうわ造船ぞうせん(だい1かん)』 明治めいじひゃくねん叢書そうしょ だい207かんだい3はん)、はら書房しょぼう、1981ねん原著げんちょ1977ねん10がつ)。ISBN 4-562-00302-2 
  • 福井ふくい静夫しずお福井ふくい静夫しずお著作ちょさくしゅうだい5かん 日本にっぽん駆逐くちくかん物語ものがたり光人みつひとしゃ、1993ねんISBN 4-7698-0611-6
  • 福井ふくい静夫しずお日本にっぽん補助ほじょ艦艇かんてい物語ものがたり福井ふくい静夫しずお著作ちょさくしゅうだい10かん光人みつひとしゃ、1993ねん12月。ISBN 4-7698-0658-2 
  • 牧野まきのしげる福井ふくい静夫しずお へん海軍かいぐん造船ぞうせん技術ぎじゅつ概要がいよう今日きょう話題わだいしゃ、1987ねん5がつISBN 4-87565-205-4 
  • 雑誌ざっしまる編集へんしゅう へん写真しゃしん日本にっぽん軍艦ぐんかん だい11かん 駆逐くちくかんII光人みつひとしゃ、1990ねん6がつISBN 4-7698-0461-X 
    • 解説かいせつあずま清二せいじ作図さくず石橋いしばし孝夫たかおる『水雷すいらいてい変遷へんせん」『写真しゃしん日本にっぽん軍艦ぐんかんだい11かん』、光人みつひとしゃ、1990ねん6がつ、216-222ぺーじ 
  • まる編集へんしゅう/へん軍艦ぐんかんメカ4 日本にっぽん駆逐くちくかん光人みつひとしゃ、1991ねん8がつISBN 4-7698-0564-0 
  • 日本にっぽん駆逐くちくかんオールだい百科ひゃっかまる8がつ別冊べっさつしお書房しょぼう光人みつひとしゃ、2014ねん8がつ 
  • 「二等駆逐艦及水雷艇 一般いっぱん計画けいかく要領ようりょうしょ 現状げんじょう調査ちょうさ」。 (戦後せんご複写ふくしゃばんども)
  • アジア歴史れきし資料しりょうセンター(公式こうしき)(防衛ぼうえいしょう防衛ぼうえい研究所けんきゅうじょ)
    • 公文こうぶん備考びこう 昭和しょうわ8ねん F 艦船かんせん まき1/だい1976ごう 8.10.6 水雷すいらいていせんちょう真鶴まなづるともづるはつかり及第きゅうだい15ごう掃海そうかいてい建造けんぞう工事こうじかんするけん』。Ref.C05022834700。 
    • 昭和しょうわ19ねん4がつ 水雷すいらいてい真鶴まなづる戦時せんじ日誌にっし(1)』。Ref.C08030771500。 
    • 昭和しょうわ17ねん1がつ~3がつ ないれい 1かん/昭和しょうわ17ねん3がつ(1)』。Ref.C12070161200。 
    • 昭和しょうわ11ねん12月1にち現在げんざい 10はん ないれい提要ていよう追録ついろくだい1ごう原稿げんこう/まき1 追録ついろくだい6るい 機密きみつ保護ほご』。Ref.C13071968200。 (艦船かんせん要目ようもく公表こうひょう範囲はんい)

脚注きゃくちゅう

編集へんしゅう

注釈ちゅうしゃく

編集へんしゅう
  1. ^ #海軍かいぐん造船ぞうせん技術ぎじゅつ概要がいよう(1987)上巻じょうかんp.443ではホごうかん本式ほんしきかん2になっている。
  2. ^ a b 福井ふくい静夫しずお日本にっぽん駆逐くちくかん物語ものがたり』によると竣工しゅんこう魚雷ぎょらい搭載とうさいすう4ほん復元ふくげん性能せいのう改善かいぜん同数どうすう
  3. ^ 坂本さかもと雅之まさゆき水雷すいらいていへん#日本にっぽん駆逐くちくかんオールだい百科ひゃっかpp.106-109では、53.3cm3連装れんそう発射はっしゃかん1かわそうしたとしている。
  4. ^ #ひがし石橋いしばし(1990)水雷すいらいていp.220では復原ふくげん性能せいのう改善かいぜん工事こうじについて「なおのこされた発射はっしゃかんにはシールドがもうけられた」とする。
  5. ^ 写真しゃしんかぎり、短縮たんしゅくはわからない。

出典しゅってん

編集へんしゅう
  1. ^ a b #海軍かいぐん制度せいど沿革えんかく8(1971)p.96、昭和しょうわ7ねん8がつ1にちないれいだい245ごう艦艇かんてい類別るいべつ等級とうきゅうべつひょうちゅうひだりつう改正かいせいス (中略ちゅうりゃく) 水雷すいらいていちゅうかん(てい)がたらんニ「千鳥ちどりがた」ヲ、艦艇かんていめいらんニ「千鳥ちどり眞鶴まなづる」ヲフ(以下いかりゃく)』(みょうろく)
  2. ^ a b #S11.12.1ないれい提要ていよう原稿げんこう/機密きみつ保護ほご画像がぞう5、艦艇かんてい類別るいべつ等級とうきゅうひょう
  3. ^ a b c d e f g h i j k l m #一般いっぱん計画けいかく要領ようりょうしょ(とう駆逐くちくかん水雷すいらいてい)p.2
  4. ^ a b c d e #S11.12.1ないれい提要ていよう原稿げんこう/機密きみつ保護ほご画像がぞう9、艦船かんせん要目ようもく公表こうひょう範囲はんい
  5. ^ a b c d e f g h #海軍かいぐん造船ぞうせん技術ぎじゅつ概要がいよう(1987)下巻げかんp.1177
  6. ^ a b c #昭和しょうわ造船ぞうせん1pp.788-789、付録ふろくだい2 艦艇かんてい要目ようもくひょう 6.駆逐くちくかんおよ水雷すいらいてい要目ようもくひょう
  7. ^ a b #一般いっぱん計画けいかく要領ようりょうしょ(とう駆逐くちくかん水雷すいらいてい)p.15
  8. ^ #海軍かいぐん造船ぞうせん技術ぎじゅつ概要がいよう(1987)下巻げかんp.1695
  9. ^ #海軍かいぐん制度せいど沿革えんかく10-2(1972)p.713、昭和しょうわ8ねん4がつ1にち(うちれい121)『海軍かいぐん定員ていいんれいちゅうひだりつう改正かいせいセラル 水雷すいらいてい定員ていいんひょう別紙べっしノ如クていム』|だい70ひょう|水雷すいらいてい定員ていいんひょう|(以下いかりゃく)|。士官しかん6にん特務とくむ士官しかん2にんじゅん士官しかん2にん下士官かしかん27にんへい79にん
  10. ^ #一般いっぱん計画けいかく要領ようりょうしょ(とう駆逐くちくかん水雷すいらいてい)p.19
  11. ^ a b #一般いっぱん計画けいかく要領ようりょうしょ(とう駆逐くちくかん水雷すいらいてい)p.5
  12. ^ a b c d e f g h #一般いっぱん計画けいかく要領ようりょうしょ(とう駆逐くちくかん水雷すいらいてい)p.7
  13. ^ #海軍かいぐん造船ぞうせん技術ぎじゅつ概要がいよう(1987)上巻じょうかんp.443
  14. ^ a b c d e f g 坂本さかもと雅之まさゆき水雷すいらいていへん#日本にっぽん駆逐くちくかんオールだい百科ひゃっかpp.106-109
  15. ^ a b c d e f g #ひがし石橋いしばし(1990)水雷すいらいていp.216
  16. ^ a b c d e #ひがし石橋いしばし(1990)水雷すいらいていp.217
  17. ^ a b c d #海軍かいぐん造船ぞうせん技術ぎじゅつ概要がいよう(1987)上巻じょうかんp.440
  18. ^ #海軍かいぐん造船ぞうせん技術ぎじゅつ概要がいよう(1987)上巻じょうかんp.394
  19. ^ a b c d e 石橋いしばし孝夫たかお千鳥ちどりがた/おおとりがた 主砲しゅほう機銃きじゅう#軍艦ぐんかんメカ4日本にっぽん駆逐くちくかんpp.152-155
  20. ^ #海軍かいぐん造船ぞうせん技術ぎじゅつ概要がいよう(1987)上巻じょうかんpp.441-442,444
  21. ^ a b c d e #海軍かいぐん造船ぞうせん技術ぎじゅつ概要がいよう(1987)上巻じょうかんp.441
  22. ^ a b 瀬名せな堯彦「水雷すいらいてい 千鳥ちどりがた/おおとりがた かんくびぜん甲板かんぱん#軍艦ぐんかんメカ4日本にっぽん駆逐くちくかんpp.146-147
  23. ^ a b c d e f g h i j #ひがし石橋いしばし(1990)水雷すいらいていp.219
  24. ^ a b c d e f 梅野うめの和夫かずお千鳥ちどりがた/おおとりがた 艦橋かんきょう構造こうぞうぜん檣」#軍艦ぐんかんメカ4日本にっぽん駆逐くちくかんpp.148-151
  25. ^ #いわじゅう(2012)pp.39,41
  26. ^ a b #いわじゅう(2012)p.39
  27. ^ a b c d #いわじゅう(2012)p.41
  28. ^ a b #海軍かいぐん造船ぞうせん技術ぎじゅつ概要がいよう(1987)上巻じょうかんp.446「F46 水雷すいらいてい千鳥ちどりがた 概略がいりゃく一般いっぱん艤装ぎそう(新造しんぞう計画けいかく)」
  29. ^ a b c d e 鈴木すずきはんじゅ水雷すいらいてい 煙突えんとつこう檣&艦載かんさいてい#軍艦ぐんかんメカ4日本にっぽん駆逐くちくかんpp.158-159
  30. ^ a b c d e f 瀬名せな堯彦「千鳥ちどりがた/おおとりがた 魚雷ぎょらいへいそう#軍艦ぐんかんメカ4日本にっぽん駆逐くちくかんpp.156-157
  31. ^ a b 瀬名せな堯彦「水雷すいらいてい(千鳥ちどりがたおおとりがた) かんこう甲板かんぱん#軍艦ぐんかんメカ4日本にっぽん駆逐くちくかんpp.160-161
  32. ^ #海軍かいぐん造船ぞうせん技術ぎじゅつ概要がいよう(1987)上巻じょうかんp.442
  33. ^ a b #いわじゅう(2012)p.40
  34. ^ #いわじゅう(2012)p.40『新造しんぞう爆雷ばくらい投射とうしゃはどの資料しりょうでもYほうとしているが、写真しゃしんかぎりKほうだったようで、(以下いかりゃく)』
  35. ^ a b c 鈴木すずきはんじゅ水雷すいらいてい搭載とうさいした機関きかん」『写真しゃしん 日本にっぽん軍艦ぐんかん だい11かん』p210。
  36. ^ a b #海軍かいぐん造船ぞうせん技術ぎじゅつ概要がいよう(1987)上巻じょうかんp.445
  37. ^ #S8公文こうぶん備考びこうF艦船かんせんまき1/だい1976ごう 8.10.6 水雷すいらいていせんちょう真鶴まなづるともづるはつかり及第きゅうだい15ごう掃海そうかいてい建造けんぞう工事こうじかんするけん画像がぞう5
  38. ^ #ひがし石橋いしばし(1990)水雷すいらいていp.218
  39. ^ #海軍かいぐん造船ぞうせん技術ぎじゅつ概要がいよう(1987)下巻げかんp.1170
  40. ^ #写真しゃしん日本にっぽん軍艦ぐんかんだい11かんpp.204-205の写真しゃしん解説かいせつ
  41. ^ a b c d #一般いっぱん計画けいかく要領ようりょうしょ(とう駆逐くちくかん水雷すいらいてい)p.2の現状げんじょう
  42. ^ #海軍かいぐん制度せいど沿革えんかく10-2(1972)p.731、昭和しょうわ9ねん7がつ15にち(うちれい292)『海軍かいぐん定員ていいんれいちゅうひだりつう改正かいせいセラル 水雷すいらいてい定員ていいんひょう別紙べっしノ如クあらためム』|だい70ひょう|水雷すいらいてい定員ていいんひょう| | 千鳥ちどりともづる真鶴まなづるはつかり |(以下いかりゃく)|。士官しかん6にん特務とくむ士官しかん2にんじゅん士官しかん2にん下士官かしかん28にんへい82にん
  43. ^ #一般いっぱん計画けいかく要領ようりょうしょ(とう駆逐くちくかん水雷すいらいてい)p.17、昭和しょうわ9ねん現状げんじょう士官しかん6めい特務とくむ士官しかん2めいじゅん士官しかん2めい下士官かしかん28めいへい82めい合計ごうけい120めい
  44. ^ #写真しゃしん日本にっぽん軍艦ぐんかんだい11かんp.215の写真しゃしん解説かいせつ
  45. ^ a b c d e f g h i j k #ひがし石橋いしばし(1990)水雷すいらいていp.220
  46. ^ #海軍かいぐん造船ぞうせん技術ぎじゅつ概要がいよう(1987)下巻げかんp.1185の略図りゃくず
  47. ^ a b #ひがし石橋いしばし(1990)水雷すいらいていpp.219-220
  48. ^ a b c d e f g h i j k l m n o p q r s t u v w x y z 伊達だてひさ水雷すいらいてい行動こうどう年表ねんぴょう#写真しゃしん日本にっぽん軍艦ぐんかんだい11かんpp.248-253
  49. ^ a b #水雷すいらいてい真鶴まなづる戦時せんじ日誌にっし(昭和しょうわ19ねん4がつ)画像がぞう14
  50. ^ a b #日本にっぽん補助ほじょ艦艇かんてい物語ものがたりp.368、石橋いしばし孝夫たかお作成さくせい「あごう作戦さくせん補助ほじょ艦艇かんていへいそう状況じょうきょう一覧いちらんひょう
  51. ^ a b c d e #海軍かいぐん制度せいど沿革えんかく8(1971)p.379、昭和しょうわ7ねん8がつ1にちたちだい106ごう
  52. ^ a b c d #海軍かいぐん制度せいど沿革えんかく8(1971)p.379、昭和しょうわ7ねん12月10にちたちだい175ごう
  53. ^ a b #海軍かいぐん制度せいど沿革えんかく4-1(1971)p.141
  54. ^ #海軍かいぐん制度せいど沿革えんかく4-1(1971)p.157
  55. ^ a b #S17.1-3ないれい1かん/昭和しょうわ17ねん3がつ(1)画像がぞう43-44、昭和しょうわ17ねん3がつ10にちないれいだい415ごう水雷すいらいたい編成へんせい廃止はいしセラル」
  56. ^ #海軍かいぐん制度せいど沿革えんかく4-1(1971)p.157、昭和しょうわ9ねん1がつ31にちないれいだい35ごう
  57. ^ #海軍かいぐん制度せいど沿革えんかく4-1(1971)p.60、昭和しょうわ9ねん1がつ31にちないれいだい36ごう
  58. ^ #海軍かいぐん制度せいど沿革えんかく4-1(1971)p.157、昭和しょうわ9ねん2がつ24にちないれいだい63ごう
  59. ^ #海軍かいぐん制度せいど沿革えんかく4-1(1971)p.157、昭和しょうわ9ねん4がつ1にちないれいだい117ごう
  60. ^ #海軍かいぐん制度せいど沿革えんかく4-1(1971)p.157、昭和しょうわ9ねん7がつ15にちないれいだい291ごう
  61. ^ #海軍かいぐん制度せいど沿革えんかく4-1(1971)p.157、昭和しょうわ10ねん7がつ1にちないれいだい263ごう
  62. ^ #海軍かいぐん制度せいど沿革えんかく4-1(1971)pp.61-62、昭和しょうわ10ねん11月15にちないれいだい462ごう
  63. ^ #海軍かいぐん制度せいど沿革えんかく4-1(1971)p.62、昭和しょうわ11ねん12月1にちないれいだい474ごう
  64. ^ #海軍かいぐん制度せいど沿革えんかく4-1(1971)p.62、昭和しょうわ12ねん5がつ1にちないれいだい204ごう
  65. ^ #海軍かいぐん制度せいど沿革えんかく4-1(1971)p.63、昭和しょうわ12ねん5がつ1にちないれいだい205ごう
  66. ^ #海軍かいぐん制度せいど沿革えんかく4-1(1971)p.63、昭和しょうわ12ねん7がつ28にちないれいだい368ごう