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君主論 - Wikipedia

君主くんしゅろん

ニッコロ・マキャヴェッリの政治せいじがく著作ちょさく

君主くんしゅろん』(くんしゅろん、: Il Principe, イル・プリンチペ)は、1532ねん刊行かんこうされたニッコロ・マキャヴェッリによる、イタリアかれた政治せいじがく著作ちょさくである。

君主くんしゅろん
Il Principe
『君主論』表紙
君主くんしゅろん表紙ひょうし
著者ちょしゃ ニッコロ・マキャヴェッリ
発行はっこう 1532ねん
くに フィレンツェ共和きょうわこく
言語げんご イタリア
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歴史れきしじょう様々さまざま君主くんしゅおよび君主くんしゅこく分析ぶんせきし、君主くんしゅとはどうあるものか、君主くんしゅとして権力けんりょく獲得かくとくし、また保持ほじつづけるにはどのような力量りきりょうとく、ヴィルトゥ)が必要ひつようかなどをろんじている。その政治せいじ思想しそうから現実げんじつ主義しゅぎ古典こてんとして位置いちづけられる。

沿革えんかく

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マキャヴェッリがフィレンツェ共和きょうわこく失脚しっきゃくし、隠遁いんとん生活せいかつちゅう1513ねん - 1514ねん完成かんせいしたとかんがえられており、1516ねんウルビーノこうロレンツォへの献上けんじょうぶんしてフランチェスコ・ヴェットリFrancesco Vettori )にたくされた。写本しゃほんまれ、マキャヴェッリの死後しご1532ねん刊行かんこうされた。

著作ちょさくには表題ひょうだいはついておらず、友人ゆうじんヴェットリへの手紙てがみなかで「君主くんしゅ体制たいせい」にかんするほんいたとべているため、『君主くんしゅろん』(Il Principe)とばれるようになった[1]

構成こうせい

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献辞けんじと、26のしょうからなる[2]

  • 献辞けんじ - ロレンツォ・デ・メディチ殿下でんかささげる
  • だい1しょう - 支配しはいけん種類しゅるいとその獲得かくとく方法ほうほう
  • だい2しょう - 世襲せしゅう君主くんしゅけんについて
  • だい3しょう - ふくあいてき君主くんしゅけんについて
  • だい4しょう - アレクサンドロスによって征服せいふくされたダレイオス王国おうこくでは、アレクサンドロスの死後しご、その後継こうけいしゃたいして反乱はんらんしょうじなかったのは何故なぜ
  • だい5しょう - 征服せいふくされる以前いぜん固有こゆうほうしたがって統治とうちされていた都市とし君主くんしゅこくをどう支配しはいすべきか
  • だい6しょう - 自己じこ武力ぶりょく能力のうりょくとで獲得かくとくしたあたらしい君主くんしゅけんについて
  • だい7しょう - 他人たにん武力ぶりょくまたは幸運こううんによって君主くんしゅけんについて
  • だい8しょう - 極悪ごくあく非道ひどう手段しゅだんによって君主くんしゅとなった場合ばあいについて
  • だい9しょう - 市民しみん支持しじによって君主くんしゅけんについて
  • だい10しょう - どのようにすべての支配しはいしゃちから測定そくていすべきか
  • だい11しょう - 教会きょうかい支配しはいけんについて
  • だい12しょう - 軍隊ぐんたい種類しゅるい傭兵ようへいについて
  • だい13しょう - 援軍えんぐん自己じこ軍隊ぐんたいとについて
  • だい14しょう - 軍事ぐんじかんする君主くんしゅ義務ぎむについて
  • だい15しょう - 人間にんげんとく君主くんしゅたたえさんされ、非難ひなんされる原因げんいんとなる事柄ことがらについて
  • だい16しょう - 気前きまえさとけちについて
  • だい17しょう - 残酷ざんこくさと慈悲じひふかさとについて、敬愛けいあいされるのとおそれられるのとではどちらがよいか
  • だい18しょう - 君主くんしゅ信義しんぎをどのようにまもるべきか
  • だい19しょう - 軽蔑けいべつ憎悪ぞうおとをけるべきである
  • だい20しょう - とりでやその君主くんしゅ日常にちじょうてきおこな事柄ことがら有益ゆうえきかどうか
  • だい21しょう - 尊敬そんけいるためにはどのように行動こうどうしたらよいか
  • だい22しょう - 君主くんしゅ秘書官ひしょかんについて
  • だい23しょう - 追従ついしょうけるにはどうしたらよいか
  • だい24しょう - イタリアの君主くんしゅたちはどうして支配しはいけんうしなったのか
  • だい25しょう - 人間にんげん世界せかいたいして運命うんめいちからとそれに対決たいけつする方法ほうほうについて
  • だい26しょう - イタリアを蛮族ばんぞくから解放かいほうすべし

内容ないよう

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君主くんしゅろん』は全体ぜんたいで26しょうから著作ちょさくである。

だい1しょうにおいて「君主政体くんしゅせいたいにどのような種類しゅるいがあるか」とげ、そのひとひとつについてをつづだい2しょうからだい11しょうまでで解説かいせつする。だい12しょうからだい14しょうまではいかなる君主政体くんしゅせいたいにおいても必要ひつようとなる軍備ぐんびについてべる。だい15しょうから「臣民しんみん味方みかたたいする君主くんしゅ態度たいど政策せいさくがどのようにあるべきか」と本来ほんらい意味いみでの君主くんしゅろんうつる。マキャヴェッリはチェーザレ・ボルジア理想りそうてき君主くんしゅ能力のうりょくている。だい24しょうからは現実げんじつのイタリアにける。

当時とうじ、イタリアはおおくの小国おぐに分裂ぶんれつし、外国がいこく圧迫あっぱくけて混乱こんらん最中さいちゅうにあったが、イタリア統一とういつへのねがいから「統一とういつ実現じつげんるのはいかなる君主くんしゅか」をろんじ、メディチへの期待きたいべてろんえる。

君主くんしゅ統治とうち

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マキャヴェッリはまず国家こっか政治せいじ体制たいせいから共和きょうわこく君主くんしゅこく大別たいべつしたうえで、君主くんしゅこく議論ぎろん限定げんていすることからはじめる。

そもそも君主くんしゅこく統治とうちおこな場合ばあい、より容易よういなのは世襲せしゅう君主くんしゅこくである。なぜなら世襲せしゅう君主くんしゅならばすでさだめられた政策せいさく維持いじして不測ふそく事態じたい対処たいしょするだけで統治とうち事足ことたりるからである。この場合ばあいには君主くんしゅ平均へいきんてき能力のうりょくさえてば国民こくみんにも好感こうかんたれ、たとえ侵略しんりゃくったとしても奪還だっかん可能かのうである。

しかしながら、まったあたらしい君主くんしゅこく建設けんせつする場合ばあいにはさまざまな問題もんだい直面ちょくめんすることになる。なぜならば君主くんしゅ国家こっか建設けんせつまたは獲得かくとくするじょう不可避ふかひてき国民こくみんなんらかの被害ひがいあたえ、そのことによって反乱はんらん発生はっせいするからである。征服せいふくによって領有りょうゆうした地域ちいき住民じゅうみん言語げんご風習ふうしゅう制度せいどなどが征服せいふくしゃのそれらとことなる場合ばあい統治とうちにはさらに深刻しんこく困難こんなんまれると分析ぶんせきする。このような国民こくみんとの対立たいりつ解決かいけつする施策しさくとしては、征服せいふくした地域ちいきにおけるきゅう君主くんしゅ血統けっとう根絶こんぜつ支配しはい地域ちいきほう体系たいけいぜいせい維持いじ征服せいふくしゃ本拠地ほんきょちをその地域ちいきうつすことや、移民いみんねた部隊ぶたい派遣はけん提示ていじしている。

このような、君主くんしゅこくにおける民衆みんしゅう心理しんり分析ぶんせきまえて、その対処たいしょについては「おぼえておきたいのは、民衆みんしゅううものは、あたまをなでるか、してしまうか、そのどちらかにしなければならないことである」という見解けんかいしめしている[3]。つまり、君主くんしゅ領民りょうみん被治者ひちしゃとしてだけでなく、潜在せんざいてき有害ゆうがいてきにもなりうる存在そんざいとして認識にんしきすべきことをマキャヴェッリは強調きょうちょうしている。

君主くんしゅ征服せいふく

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征服せいふく実施じっしする場合ばあい君主くんしゅにはおおくの配慮はいりょもとめられる。マキャヴェッリは征服せいふく地域ちいき近接きんせつするしょ外国がいこく注意ちゅういする必要ひつようについてべている。

たとえば、ある地域ちいきにおいてあるじゃく小国しょうこく征服せいふくした場合ばあい、その周辺しゅうへんじゃく小国しょうこくもまた征服せいふくしゃたいしてすすんで服従ふくじゅうもうるとかんがえられる。どう地域ちいき影響えいきょうりょく大国たいこくがいるならば、征服せいふくによってられたしょ勢力せいりょく連合れんごうしてそのくにほろぼすことで、ようやく完全かんぜん支配しはい確立かくりつすることが可能かのうとなる。このような征服せいふくしょ問題もんだい克服こくふくした成功せいこうれいとして、マキャヴェッリは古代こだいマケドニアおうアレクサンドロス東方とうほう遠征えんせいられた広範こうはん領土りょうど維持いじつづけたことをげている。この事業じぎょう成功せいこうについては君主くんしゅこく様式ようしき説明せつめいされる。

君主くんしゅこくには、君主くんしゅおおきな権限けんげんを以って行政ぎょうせいにな大臣だいじん任命にんめいし、集権しゅうけんてき統治とうちする様式ようしきと、元々もともとその地域ちいき支持しじている諸侯しょこうにある程度ていど自律じりつせいみとめて、君主くんしゅ分権ぶんけんてき統治とうちする様式ようしきふたつがある。前者ぜんしゃ様式ようしき国家こっか征服せいふくしゃ統治とうちすることは容易よういであるが、後者こうしゃ場合ばあい各地かくちでさまざまな勢力せいりょく存在そんざいするために困難こんなんであるとかんがえられる。したがってマキャヴェッリは、アレクサンドロスの征服せいふくペルシア帝国ていこく集権しゅうけんてき君主くんしゅこくであったために安定あんていてき統治とうち成功せいこうしたと考察こうさつする。

征服せいふくにおいてはそれまで自由じゆう市民しみんによって統治とうちされてきた都市とし国家こっか征服せいふくすることもある。マキャヴェッリによれば、このような民衆みんしゅう統治とうちするためには一般いっぱんみっつのやりかたかんがえられる。だいいちに、都市とし国家こっか滅亡めつぼうさせること。だいに、君主くんしゅがその地域ちいき移住いじゅうすること。だいさんに、ある程度ていど自治じちみとめて君主くんしゅ従順じゅうじゅんな寡頭政権せいけん成立せいりつさせることである。基本きほんてき自由じゆう市民しみんはかつての独立どくりつ回復かいふくしようとこころみる傾向けいこうがあるため、その地域ちいき市民しみん統治とうち政策せいさくなか活用かつようすることが適当てきとうである。

君主くんしゅ力量りきりょう

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新設しんせつされた君主くんしゅこく行政ぎょうせい征服せいふくしゃである君主くんしゅ力量りきりょうによって左右さゆうされるとマキャヴェッリはろんじる。国家こっか樹立じゅりつする途上とじょう発生はっせいする問題もんだい原因げんいんあらたな社会しゃかい秩序ちつじょ導入どうにゅうしようとすることにあり、いいかえればきゅう秩序ちつじょなか権益けんえき人々ひとびとすべてと敵対てきたいすることである。このような問題もんだい研究けんきゅうするためには、君主くんしゅ力量りきりょう着目ちゃくもくする必要ひつようがある。力量りきりょう不足ふそくしていればその統治とうち失敗しっぱいし、民衆みんしゅう説得せっとくつづけることがむずかしくなるのである。

他人たにん武力ぶりょくうんによってあらたな君主くんしゅこくたとしても、そのような成果せいか君主くんしゅ指導しどうりょく不足ふそくしているためにつね不安定ふあんていにならざるをない。もしもうんによって政権せいけんたとしても、その力量りきりょう不足ふそくしていればくに基盤きばん構築こうちくすることはできない。具体ぐたいてきには、てき排除はいじょ味方みかた確保かくほ武力ぶりょく謀略ぼうりゃくによる勝利しょうり民衆みんしゅうからの畏怖いふ敬愛けいあい兵士へいしからの畏怖いふ敬愛けいあい政敵せいてき抹殺まっさつきゅう制度せいど改革かいかく厳格げんかくかつ寛大かんだいい、忠実ちゅうじつでないぐん再編さいへん諸侯しょこうたちと親交しんこうたもちつつ便益べんえきをもたらすようにするか、攻撃こうげきさいには慎重しんちょうであること、これらすべてが君主くんしゅこくにおいて不可欠ふかけつ力量りきりょうである[4]

非道ひどう手段しゅだんによって政権せいけん君主くんしゅは、力量りきりょうがあるとはいえない。なぜならば、そのような手段しゅだんによって獲得かくとくした権力けんりょくには栄光えいこうがないためである。

征服せいふくしゃくに奪取だっしゅする場合ばあい残虐ざんぎゃく行為こういいち終結しゅうけつさせ、その民心みんしん獲得かくとくしなければならない。断続だんぞくてき残虐ざんぎゃく行為こうい民衆みんしゅう信頼しんらいうしなわせてしまうからである。ぎゃくに、恩恵おんけい小出こだしにして継続けいぞくてき実施じっしすることで民衆みんしゅう支持しじることができる。

君主くんしゅ軍備ぐんび

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君主くんしゅにとって軍備ぐんび法律ほうりつ不可欠ふかけつなものであり、武力ぶりょくしたはじめてほう成立せいりつする。マキャヴェッリのこの思想しそうは、「すべてのくににとって重要じゅうよう土台どだいとなるのは、よい法律ほうりつとよい武力ぶりょくとである」との言葉ことば要約ようやくされている[5]。そもそも軍隊ぐんたいとは自国じこくぐん傭兵ようへいぐん外国がいこくぐん混成こんせいぐんのいずれかである。このなか傭兵ようへいぐん外国がいこくぐん統制とうせい忠実ちゅうじつであるため、無用むようであるばかりでなく危険きけんであると史実しじつ引用いんようして断定だんていしている。

傭兵ようへいぐん部隊ぶたいちょう有能ゆうのうであれば、君主くんしゅはその傭兵ようへいからの圧力あつりょくさらされ、無能むのうであれば君主くんしゅ戦争せんそうそのものにやぶれてしまう。また、援助えんじょ防衛ぼうえいのために派遣はけんされた外国がいこくぐんは、援軍えんぐんとして勇猛ゆうもうであるがゆえに戦争せんそう終結しゅうけつしても駐留ちゅうりゅうつづけ、事実じじつじょう占領せんりょうしてしまう危険きけんせいがある。したがって君主くんしゅ国民こくみんから編制へんせいされた自国じこくぐん統治とうち基盤きばんもとめ、戦争せんそうにおいては他人たにん武力ぶりょくたよらないことが重要じゅうようであるとマキャヴェッリは結論けつろんづけている。自国じこく武力ぶりょくがなければ、あらゆる君主くんしゅこく破滅はめつ危険きけんさらされるだけでなく、自力じりき事態じたいうごかせないために周囲しゅうい情勢じょうせい左右さゆうされるだけになってしまう。

さらにマキャヴェッリは軍事ぐんじ統治とうちしゃ本来ほんらいてき任務にんむ位置いちづけ、軍備ぐんび君主くんしゅ力量りきりょう強化きょうかするものとしている。武力ぶりょくのあるもの無力むりょくもの服従ふくじゅうすることや、無力むりょくもの武力ぶりょくある従者じゅうしゃ包囲ほういされて安心あんしんすることはありえないためである。軍事ぐんじ無能むのう君主くんしゅ部下ぶか兵士へいしたちから尊敬そんけいされず、また君主くんしゅ部下ぶか掌握しょうあくすることができない。したがって君主くんしゅ軍備ぐんびにはつね注意ちゅういしなければならない。

軍事ぐんじ訓練くんれんには実践じっせんてき方法ほうほう精神せいしんてき方法ほうほうがある。実践じっせんてき方法ほうほうでは、兵士へいし組織そしきし、基本きほん教練きょうれんおこなわせるだけでなく、狩猟しゅりょうなどの実践じっせん形式けいしきによってきたげる。精神せいしんてき方法ほうほうでは、歴史れきしまなぶことが必要ひつようである。作戦さくせんにおける指揮しき戦術せんじゅつ研究けんきゅうし、逆境ぎゃっきょうにおける準備じゅんび思考しこうじょうでもすすめなければならない。

また、君主くんしゅ地形ちけいについての理解りかいふかめる必要ひつようがある。地形ちけいについての知識ちしきがなければ、宿営しゅくえい予定よていし、部隊ぶたい行軍こうぐんさせ、戦闘せんとうじん展開てんかいすることは不可能ふかのうである。自国じこく国情こくじょうについてらない君主くんしゅは、指揮しきかんとしての適性てきせい欠落けつらくしているということになる。

君主くんしゅ気質きしつ

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マキャヴェッリは理想りそう国家こっかにおける倫理りんりてき生活せいかつ態度たいどにこだわり、現実げんじつ政治せいじ実態じったい見落みおとすことが破滅はめつをもたらすことをつよ批判ひはんしており、万事ばんじにわたって善行ぜんこうおこないたがることの不利益ふりえき指摘してきする。

君主くんしゅ自身じしんまもるために善行ぜんこうではない態度たいど必要ひつようがある。あらゆる君主くんしゅはその気質きしつ評価ひょうかされるが、一人ひとり君主くんしゅがあらゆる道徳どうとくてき評判ひょうばんることは原理げんりてき不可能ふかのうなので、自分じぶん国家こっか損失そんしつまねくような重大じゅうだい悪評あくひょうのみを退しりぞけることになる。しかしながら、自国じこく存続そんぞくのために悪評あくひょうつならばその払拭ふっしょくにこだわらなくてもよい。全般ぜんぱんてき考察こうさつすると、美徳びとくであっても破滅はめつつうじることがあり、ぎゃく悪徳あくとくであっても安全あんぜん繁栄はんえいがもたらされることが、しばしばあるからである。

このような気質きしつなかで、気前きまえい、あるいはけちだとおもわれることについて考察こうさつする。一般いっぱんてき気前きまえさを発揮はっきすることは害悪がいあくである。一部いちぶ人々ひとびとのためにおおきな出費しゅっぴがかさむため、重税じゅうぜいさざるをなくなり、その大勢おおぜい領民りょうみんにくまれるだけでなく、そのような出費しゅっぴめようとするとぎゃくにけちだという悪評あくひょうつことになる。それよりも、おおくの人々ひとびと財産ざいさんげないことが重要じゅうようである。つまり、けちとわれることについて君主くんしゅまった問題もんだいすべきではなく、けちであることは支配しはいしゃにとって許容きょようされるべき悪徳あくとくひとつである。

また、君主くんしゅ気質きしつとして残酷ざんこくさとあわれみふかさについて考慮こうりょすると、あわれみふか評判ひょうばんほうこのましいことは自明じめいである。しかしマキャヴェッリは注意ちゅういうながしており、君主くんしゅ臣民しんみん忠誠ちゅうせいまもらせるためには残酷ざんこくであると評価ひょうかされることをにしてはならないとろんじている。あわれみふか政策せいさくによって結果けっかてき政府せいふ状態じょうたいゆる君主くんしゅよりも、残酷ざんこく手段しゅだんによってでも安定あんていてき統治とうち成功せいこうさせることが重視じゅうしされるべきである。

原則げんそくてきには君主くんしゅしんじすぎず、うたがいすぎず、均衡きんこうした思慮しりょ人間にんげんせいを以って統治とうちおこなわなければならない。しかしあいされる君主くんしゅおそれられる君主くんしゅ比較ひかくするならば、「あいされるよりおそれられるほうがはるかに安全あんぜんである」とかんがえられる[6]。なぜなら人間にんげんとは利己りこてき偽善ぎぜんてきなものであり、従順じゅうじゅんであっても利益りえきがなくなれば反逆はんぎゃくする。一方いっぽうで、君主くんしゅおそれる人々ひとびとにはそのようなことはない。

君主くんしゅにとって信義しんぎ間違まちがいなく重大じゅうだいであるが、実際じっさいには信義しんぎにせず、謀略ぼうりゃくによってだい事業じぎょうをなしとげた君主くんしゅのほうが信義しんぎある君主くんしゅよりも優勢ゆうせいである場合ばあい見受みうけられる。たたかいは謀略ぼうりゃくによるものと武力ぶりょくによるものがあるが、このふたつを君主くんしゅ使つかけなければならない。もしも信義しんぎまもった結果けっか損害そんがいるならば、信義しんぎまも必要ひつよう一切いっさいない。重要じゅうようなのは君主くんしゅ立派りっぱ気質きしつそなえているという事実じじつではなく、立派りっぱ気質きしつそなえているという評価ひょうかたせることなのである。

評価ひょうか

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君主くんしゅろん』は、メディチみずかみ、盛名せいめいようとしてかれたともわれ、ゆえに抽象ちゅうしょうてき君主くんしゅは、どうるべきかをかず、ギリシアローマ時代じだいからの歴史れきしじょう実例じつれい数多かずおおげながら、その成功せいこう失敗しっぱい理由りゆうべ、具体ぐたいてき提言ていげんをするという、いわば実用じつようしょとしてかれた。

共和きょうわせいろんじた『リウィウスろん』(べつだい『ローマ史論しろん岩波いわなみ文庫ぶんこ)とたい構想こうそうされ、マキャヴェッリ自身じしんは、本来ほんらい共和きょうわ主義しゅぎしゃだったが、イタリア戦争せんそう(1527ねんローマ劫掠ごうりゃくほか)にいたった混乱こんらんした時代じだい直面ちょくめんし、チェーザレ(1507ねん戦死せんし)のような強力きょうりょく君主くんしゅによるイタリア統一とういつ肝要かんようかんがえた。

直接ちょくせつ成果せいかられなかったが、晩年ばんねんの1520ねんにジュリオ・デ・メディチ枢機卿すうききょう(1523ねん教皇きょうこうクレメンス7せいとなる)から『フィレンツェ執筆しっぴつ依頼いらいけている(1525ねん完成かんせい

後年こうねん評価ひょうか反応はんのう
  • 本書ほんしょで、政治せいじ自体じたい宗教しゅうきょう道徳どうとくから分離ぶんりした政治せいじ力学りきがく提起ていきした。だが一般いっぱんてきにマキャヴェッリの思想しそう冷酷れいこく非道ひどう政治せいじ肯定こうていするものとかんがえられ、後世こうせいマキャヴェリズムとみなされ、長年ながねんマキャヴェッリは、道義どうぎ倫理りんり無視むしした冷酷れいこく権力けんりょくろんいたとかんがえられてきたが、客観きゃっかんてき近代きんだいてき政治せいじがく始祖しそかんがえられるようになった。
  • カトリック教会きょうかい対抗たいこう改革かいかく一環いっかん禁書きんしょ目録もくろくつくられたさいは『君主くんしゅろん』もくわえられ、てられた(1559ねんころ
  • 16世紀せいきフランスユグノーのイノサン・ジャンティエは『はんマキャヴェッリろん』(1576ねん)で「裏切うらぎりをこの悪徳あくとく作者さくしゃ」といった具合ぐあいにマキャヴェッリを非難ひなんした。
  • 1572ねんサン・バルテルミの虐殺ぎゃくさつ首謀しゅぼうしゃされたメディチ出身しゅっしんカトリーヌ・ド・メディシスは『君主くんしゅろん』をんでいた可能かのうせいもある(『君主くんしゅろん』は、彼女かのじょちちウルビーノこうロレンツォにけんじられていた)。
  • 18世紀せいきプロイセンおうフリードリヒ2せいは、ヴォルテールがマキャヴェッリを偉人いじん一人ひとりかぞえていることについてに反論はんろんし、啓蒙けいもう主義しゅぎ君主くんしゅとして、マキャヴェッリとその著作ちょさく君主くんしゅろん』にたいする反論はんろんとして『マキャヴェリ駁論ばくろん』(べつだいはんマキャヴェリろん』)をあらわした。ただし自身じしん実際じっさい行動こうどうは、マリア・テレジア即位そくいすると、事前じぜん同意どういしていたにもかかわらず、反古ほごにして戦争せんそう仕掛しか領土りょうどうばうなど、ぎゃく君主くんしゅろん記述きじゅつどおり)の行動こうどうをとっており、これらの行動こうどうをその当時とうじ人々ひとびとから非難ひなんされている。
  • 18世紀せいき後半こうはんに『君主くんしゅろん』がさい評価ひょうかされることになる。最初さいしょに『君主くんしゅろん』をさい評価ひょうかしたのはルソーである。主著しゅちょ社会しゃかい契約けいやくろん』で「国王こくおうたちは人民じんみんちからよわ貧困ひんこんくるしみ自分じぶんたちに反抗はんこうできないことをのぞんでいる。マキャヴェッリは王公おうこうおしえをたれるとみせかけて人民じんみん偉大いだい教訓きょうくんあたえた。君主くんしゅろん共和きょうわ主義しゅぎしゃ教科書きょうかしょ」とたたえた。モンテスキューヘーゲルも『君主くんしゅろん』を支持しじし、見方みかたえられることとなった。
  • 20世紀せいきイタリアを代表だいひょうするジャーナリストで歴史れきし研究けんきゅうインドロ・モンタネッリは、著書ちょしょ『ルネサンスの歴史れきし[7]において、『君主くんしゅろん』が世界中せかいじゅう為政者いせいしゃもっと影響えいきょうあたえた政治せいじ思想しそうしょであることをみとめつつも、マキャヴェッリ自身じしん政治せいじ軍人ぐんじんとして失敗しっぱいだらけで何一なにひと実績じっせきのこせなかったことをげ、「挫折ざせつした理想りそう主義しゅぎしゃ偽悪ぎあく自己じこ韜晦とうかい文中ぶんちゅうからみとれないようではダメだ」とべている。

日本語にほんごやく

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脚注きゃくちゅう

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  1. ^ 日本語にほんごやくでは『君主くんしゅろん』とだいされているが、作家さっか塩野しおの七生しちしょうは、ルネサンス題材だいざいとしたBS-iのドキュメンタリー番組ばんぐみ『イタリア みっつの都市とし物語ものがたり』で、内容ないようは『第一人者だいいちにんしゃろん』とけたほうがふさわしいとべている(よりくわしくうなら、市民しみんなかからえらばれた第一人者だいいちにんしゃろん。なお著書ちょしょに『わがともマキアヴェッリ』がある、中央公論社ちゅうおうこうろんしゃのち新潮しんちょう文庫ぶんこぜん3かん))。ただし、本来ほんらいラテン語らてんごプリンケプスは「第一人者だいいちにんしゃ」を意味いみするが、西にしヨーロッパ中世ちゅうせいプリンス地域ちいき独立どくりつてき支配しはいする国王こくおうだい諸侯しょこう意味いみする一般いっぱん名詞めいし[よう出典しゅってん]であり、通常つうじょう君主くんしゅやくされている。
  2. ^ 以下いか日本語にほんごやくは、講談社こうだんしゃばん佐々木ささきやくによる。
  3. ^ 3しょう16せつ
  4. ^ 7しょう11せつ
  5. ^ 12しょうだい1せつ
  6. ^ 17しょう4せつ
  7. ^ 藤沢ふじさわ道郎みちおわけうえした中央公論社ちゅうおうこうろんしゃ、のち文庫ぶんこ
  8. ^ 岩波いわなみ文庫ぶんこ旧訳きゅうやくばん黒田くろだ正利まさとしわけ
  9. ^ もとはんは『人類じんるい知的ちてき遺産いさん24 マキアヴェッリ』講談社こうだんしゃ、1978ねん

参考さんこう文献ぶんけん

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関連かんれん項目こうもく

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外部がいぶリンク

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