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愛宕 (砲艦) - Wikipedia

愛宕あたご(あたご)は、日本にっぽん海軍かいぐん砲艦ほうかん摩耶まやがたの1せきかんめい京都きょうと愛宕山あたごやまにちなんで命名めいめいされた[8]

愛宕あたご
基本きほん情報じょうほう
建造けんぞうしょ 横須賀造船所よこすかぞうせんじょ[1]
運用うんようしゃ  大日本帝国だいにっぽんていこく海軍かいぐん
かんしゅ 砲艦ほうかん[2][3]
建造けんぞう 262,492えん[4]
母港ぼこう 横須賀よこすか[5]
かんれき
計画けいかく 1883年度ねんど計画けいかく
発注はっちゅう 1884ねん12月24にち製造せいぞう令達れいたつ[6]
起工きこう 1886ねん7がつ17にち[7][8]
進水しんすい 1887ねん6月17にち[9]、または6がつ18にち[8]
竣工しゅんこう 1889ねん3月2にち[10][8]
最期さいご 1904ねん11月6にち座礁ざしょう沈没ちんぼつ
除籍じょせき 1905ねん6月15にち[8][11]
要目ようもく計画けいかく[2]
排水はいすいりょう 621えいトン
なが 47m
最大さいだいはば 8.200m
ふか 4.150m
吃水きっすい 平均へいきん:2.990m
ボイラー 海軍かいぐんしきひくえんかん 2
おも よこおけ2だん2つつレシプロ 2
推進すいしん 2じく x 145rpm
出力しゅつりょく 自然しぜん通風つうふう700馬力ばりき強圧きょうあつ通風つうふう950馬力ばりき
そう スクーナーかた
面積めんせき2,986平方へいほうフィート[12]
速力そくりょく 10.25ノット
燃料ねんりょう 1904ねん:石炭せきたん72トン[13][14]
乗員じょういん 計画けいかく乗員じょういん:113めい
1886ねん1がつ定員ていいん:115めい[15]
へいそう 実際じっさい:21cmほう1もん、12cmほう1もん、47mmほう2もん[4]
その 船体せんたい:はがねこつてつがわ
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かんがた

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かん相違そういてん

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  • 愛宕あたご船体せんたいはがねこつてつがわであった[3]
  • 推進すいしん直径ちょっけい2.438m、ピッチ2.896m、3つばさつばさ面積めんせきは1.434平方へいほうメートル(1たり)

へいそう

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計画けいかくでは24cm旋回せんかいほう1もん(かんくび)、15cm旋回せんかいほう1もん(かん)、ほう2もん予定よていだった[2]

要目ようもく

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文献ぶんけんにより相違そういがある。

  • 横須賀よこすか海軍かいぐんせんしょう』:竣工しゅんこう排水はいすいりょう669.741えいトン、吃水きっすい3.117m、出力しゅつりょく747馬力ばりき速力そくりょく11.59ノット[10]
  • 日本にっぽん近世きんせい造船ぞうせん』:計画けいかく排水はいすいりょう614トン、垂線すいせんあいだちょう154 ftin (47.066 m)、最大さいだいはば27 ft 0 in (8.230 m)、ふかさ13 ft 7 in (4.140 m)、出力しゅつりょく963馬力ばりき[4]
  • 海軍かいぐん軍備ぐんび沿革えんかく』:1894ねん6がつ排水はいすいりょう640えいトン[16]
  • 艦船かんせんめいこう』:排水はいすいりょう614えいトン、速力そくりょく10ノット[8]

おおやけためし成績せいせき

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実施じっし 種類しゅるい 排水はいすいりょう 回転かいてんすう 出力しゅつりょく 速力そくりょく 場所ばしょ 備考びこう 出典しゅってん
おおやけためし 144rpm 983馬力ばりき 10.46ノット 失脚しっきゃく12.4%
おおやけためし 622えいトン 471馬力ばりき 9.5ノット にち戦争せんそうぜん直近ちょっきん成績せいせき [14]

かんれき

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建造けんぞう

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1884ねん(明治めいじ17ねん)6がつ5にち横須賀造船所よこすかぞうせんじょ建造けんぞう予定よてい一等いっとう砲艦ほうかん愛宕あたごアタゴ命名めいめいされた[17]。 8月23にち海軍かいぐんしょうから横須賀造船所よこすかぞうせんじょへ「愛宕あたご新造しんぞう製造せいぞう調査ちょうさめいじられ、11月29にち横須賀造船所よこすかぞうせんじょは、製造せいぞう概算がいさん167,000えん(船体せんたい92,000えん機械きかい47,000えん汽缶きかん28,000えん)で製造せいぞう期間きかんやく20カ月かげつ返答へんとう、12月24にちに「愛宕あたご」の製造せいぞう令達れいたつされた[6]

1886ねん(明治めいじ19ねん)7がつ17にち龍骨りゅうこつけた(起工きこう)[7]造船ぞうせん材料ざいりょうおおくは輸入ゆにゅうひんであったが良品りょうひんおおふくまれていたり、修理しゅうり艦船かんせん状況じょうきょうから残業ざんぎょう必要ひつようになって人件じんけん増加ぞうかするなどで製造せいぞう予算よさん不足ふそくになり、1887ねん(明治めいじ20ねん)5がつ3にち予算よさんの50,000えん増額ぞうがくみとめられた[18]。 6月17にち午後ごご130ふんより命名めいめいしきおこなった[9]命名めいめいしきにはあかりみや(大正天皇たいしょうてんのう)が参列さんれつ[9]かんくびのくすだまり、ばとはなって紙吹雪かみふぶきなどをらした[19]進水しんすい造船ぞうせん所長しょちょうささえつな切断せつだんして支柱しちゅうはずしたが船体せんたい船台せんだい全部ぜんぶすべちず[9]船体せんたいみず半分はんぶんかった状態じょうたい命名めいめいしきわった[20]よく18にち午後ごご2に「愛宕あたご」は完全かんぜん進水しんすいした[21]。 このため進水しんすいを6がつ17にちとしている文献ぶんけんおお[22] が、6月18にちとする文献ぶんけんもある[8]

1889ねん(明治めいじ21ねん)2がつ15にち工事こうじ完成かんせい[10]、 2がつ13にち標柱ひょうちゅうあいだ試航しこう、14にちふくすい多少たしょう不具合ふぐあい発見はっけんされたためにおおやけ試運転しうんてん中止ちゅうし、15にち直航ちょっこう運転うんてん(5あいだ)のおおやけ試運転しうんてんおこなった[23]。 3月2にちかん造船ぞうせんしょから艦長かんちょうさわ少佐しょうさわたされた(竣工しゅんこう)[10]

1890ねん(明治めいじ22ねん)8がつ23にちだいいちしゅさだめられる。

1892ねん(明治めいじ23ねん)4がつ仁川にがわから釜山ぷさんかう途中とちゅうところ安島あじまおき暗礁あんしょうれて沈没ちんぼつした「出雲いずもまる」の乗員じょういん乗客じょうきゃく捜索そうさくおこない、そのしょ安島やすじま漂着ひょうちゃくしていた生存せいぞんしゃうち4めい長崎ながさきまではこんだ[24]

1891ねん - 1892ねん

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1891ねん(明治めいじ24ねん) 10がつ21にち清国きよくに警備けいびのためにしなうみ出港しゅっこう[25]よく1892ねん(明治めいじ25ねん)4がつ8にち長崎ながさきこう帰国きこくした[25]

1893ねん(明治めいじ26ねん) 4がつ18にち朝鮮ちょうせんこく警備けいびため横須賀よこすか出港しゅっこう[25]、 12月13にち竹敷たけしき帰国きこくした[25]

1894ねん(明治めいじ27ねん)5がつ19にち修理しゅうりおこなうために横須賀よこすか鎮守ちんじゅ警備けいびかん任務にんむかれた[5][26](非役ひやくかん)。 6月29にち常備じょうび艦隊かんたい編入へんにゅう[27]。 7月13にち常備じょうび艦隊かんたい所属しょぞくの「高雄たかお」「大和やまと」「葛城かつらぎ」「天龍てんりゅう」「愛宕あたご」と鎮守ちんじゅ警備けいびかん赤城あかぎ」の6せき臨時りんじ警備けいび艦隊かんたい編成へんせいされた[28]。 7月19にち、「愛宕あたご」は西海にしうみ艦隊かんたい(同日どうじつ警備けいび艦隊かんたいから改称かいしょう[29])からのぞかれ、再度さいど常備じょうび艦隊かんたい編入へんにゅうされた[30]

にちしん戦争せんそう

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1894ねん(明治めいじ27ねん)7がつ23にち佐世保させぼ出港しゅっこう、7がつ25にちにちしん戦争せんそう開戦かいせん[25]、 9月24にち長崎ながさきこう一時いちじ帰国きこくした[25]。 9月29にち長崎ながさき出港しゅっこう[25]旅順りょじゅん大連たいれん威海衛いかいえい攻略こうりゃく作戦さくせん参加さんかした。 よく1895ねん(明治めいじ28ねん)5がつ29にち佐世保させぼこう帰国きこくした[25]

1895ねん(明治めいじ28ねん) 8がつ21にち清国きよくに警備けいびのために長崎ながさき出港しゅっこう[25]、 10がつ10日とおか佐世保させぼこう帰港きこうした[25]。 11月15にち、「和泉いずみ」「愛宕あたご」「摩耶まや」の3せき西海にしうみ艦隊かんたいからのぞかれ、常備じょうび艦隊かんたい編入へんにゅうされた[31]

1896ねん - 1897ねん

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1896ねん(明治めいじ29ねん) 3がつ21にち朝鮮ちょうせんこく警備けいびためしなうみ出港しゅっこう[25]、 6月13にち門司もじこう帰国きこくした[25]。 10月23にち朝鮮ちょうせんこく警備けいびため神戸こうべ出港しゅっこう[25]よく1897ねん(明治めいじ30ねん) 4がつ25にち竹敷たけしき帰国きこくした[25]

1898ねん(明治めいじ31ねん)3がつ21にちとう砲艦ほうかん類別るいべつ。 4月30にち朝鮮ちょうせんこく警備けいびため横須賀よこすか出港しゅっこう[25]、 10月27にちとう富島としま帰国きこくした[25]

1899ねん(明治めいじ32ねん) 4がつ19にち朝鮮ちょうせんこく警備けいびため横須賀よこすか出港しゅっこう[25]、 11月1にち門司もじこう帰国きこくした[25]

1900ねん(明治めいじ33ねん) 4がつ9にち朝鮮ちょうせんこく警備けいびため横須賀よこすか出港しゅっこうした[25]

きたきよし事変じへん

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きたきよし事変じへんでは1900ねん(明治めいじ33ねん)6がつから10がつにかけて活動かつどうした。「愛宕あたご」はざい天津てんしん領事りょうじからの陸戦りくせんたい派遣はけん要請ようせいけて5がつ29にち陸戦りくせんたい25めい天津てんしん派遣はけん[32]。「愛宕あたご陸戦りくせんたい他国たこく陸戦りくせんたい合流ごうりゅうして北京ぺきんかい、5月31にちから北京ぺきん公使館こうしかん保護ほご従事じゅうじ[33]。9月3にち陸戦りくせんたいは「愛宕あたご」へ帰艦きかんした[34]。 10月27にち愛宕あたご」は佐世保させぼこう帰国きこくした[25]1901ねん(明治めいじ34ねん) 3がつ8にち横須賀よこすか出港しゅっこうつづきたきよし事変じへん従事じゅうじした[25]。 8月1にちきたきよし事変じへん終了しゅうりょうし、つづ清国きよくに方面ほうめん警備けいび従事じゅうじ[25]、 10月24にち神戸こうべこう帰国きこくした[25]

1902ねん - 1903ねん

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1902ねん(明治めいじ35ねん) 5がつ25にちみなみきよし警備けいびのために佐世保させぼ出港しゅっこう[25]よく1903ねん(明治めいじ36ねん) 5がつ28にち佐世保させぼこう帰国きこくした[25]

にち戦争せんそう

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1904ねん(明治めいじ37ねん) 1がつ29にち韓国かんこく南岸なんがん警備けいびのために竹敷たけしき出港しゅっこう[25]、 2がつ6にちにち戦争せんそう開戦かいせん[25]、 「愛宕あたご」は旅順りょじゅん攻略こうりゃく作戦さくせん参加さんかした。 10月6にち、哨区にかう途中とちゅうきた隍城とうみなみ隍城とうあいだ座礁ざしょう沈没ちんぼつ[35]乗員じょういん駆逐くちくかんうすくも」により救助きゅうじょされた[35]

1905ねん(明治めいじ38ねん)6がつ1にち喪失そうしつ公表こうひょう[36]。 6月15にち除籍じょせき[11]同日どうじつ類別るいべつ等級とうきゅうひょうからも削除さくじょされた[37]

艦長かんちょう

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※『日本にっぽん海軍かいぐんだい9かんだい10かんの「将官しょうかん履歴りれきおよび『官報かんぽう』にもとづく。

  • さわりょう少佐しょうさ:1888ねん5がつ14にち - 1890ねん9がつ17にち
  • 副島そえじまたねふじ 少佐しょうさ:1890ねん9がつ17にち - 1891ねん6がつ11にち
  • むかいあつしちゅう 少佐しょうさ:1891ねん6がつ11にち - 1891ねん7がつ23にち
  • 島崎しまざき好忠よしただ 少佐しょうさ:1891ねん7がつ23にち - 1892ねん6がつ3にち
  • 植村うえむらえいまこと 少佐しょうさ:1892ねん6がつ3にち - 1893ねん1がつ26にち
  • 上村うえむら正之まさゆきすすむ 少佐しょうさ:1893ねん1がつ26にち - 1894ねん2がつ2にち
  • 井上いのうえりょうさとし 少佐しょうさ:1894ねん2がつ2にち - 1895ねん5がつ11にち
  • 中溝なかみぞ徳太郎とくたろう 少佐しょうさ:1895ねん5がつ11にち - 1896ねん11月18にち
  • 永峰ながみねひかりまこと 少佐しょうさ:1896ねん11月18にち - 1897ねん6がつ23にち
  • 成川なりかわ 中佐ちゅうさ:1898ねん1がつ22にち - 1899ねん9がつ29にち
  • 竹内たけうち平太郎へいたろう 中佐ちゅうさ:1899ねん9がつ29にち - 1900ねん9がつ1にち
  • 和田わだ賢助けんすけ 中佐ちゅうさ:1900ねん9がつ1にち - 12月6にち
  • 小橋こはしあつしぞう 中佐ちゅうさ:1901ねん2がつ14にち - 10月31にち
  • 木村きむらひろしきち 中佐ちゅうさ:1902ねん4がつ22にち - 11月1にち
  • 石橋いしばしはじめ 中佐ちゅうさ:1902ねん11月1にち - 1903ねん6がつ22にち
  • 久保田くぼた彦七ひこしち 中佐ちゅうさ:1903ねん12月28にち - 1904ねん12月22にち

脚注きゃくちゅう

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  1. ^ #日本にっぽん近世きんせい造船ぞうせん明治めいじ(1973)428-433ぺーじ、「内国ないこくせい艦艇かんていひょう(試運転しうんてん成績せいせき)」
  2. ^ a b c #横須賀よこすか海軍かいぐんせんしょう(1973)だい2かんp.376、愛宕あたごかん計画けいかく要領ようりょう
  3. ^ a b #日本にっぽん近世きんせい造船ぞうせん明治めいじ(1973)297ぺーじ
  4. ^ a b c #日本にっぽん近世きんせい造船ぞうせん明治めいじ(1973)352-355ぺーじ、「艦艇かんていひょう(計画けいかく要領ようりょう)」
  5. ^ a b #M27たち(した)/5月画像がぞう23、明治めいじ27ねん5がつ19にちたちだい74ごう横須賀よこすか鎮守ちんじゅ府所ふどころかん警備けいびかん愛宕あたご修理しゅうりづけ役務えきむかいカル」
  6. ^ a b #横須賀よこすか海軍かいぐんせんしょう(1973)だい2かんp.300
  7. ^ a b #横須賀よこすか海軍かいぐんせんしょう(1973)だい2かんp.353
  8. ^ a b c d e f g #艦船かんせんめいこう(1928)pp.61-62「愛宕あたご あたご Atago.」
  9. ^ a b c d #横須賀よこすか海軍かいぐんせんしょう(1973)だい2かんp.376
  10. ^ a b c d #横須賀よこすか海軍かいぐんせんしょう(1973)だい3かんp.33
  11. ^ a b #M38たち/6がつ画像がぞう7、明治めいじ38ねん6がつ15にちたちだい82ごう
  12. ^ #日本にっぽん近世きんせい造船ぞうせん明治めいじ(1973)298ぺーじ
  13. ^ #帝国ていこく海軍かいぐん機関きかん(1975)下巻げかんp.263、戦役せんえきちゅう艦艇かんてい石炭せきたん搭載とうさい成績せいせきひょう
  14. ^ a b #帝国ていこく海軍かいぐん機関きかん(1975)下巻げかんp.283、戦役せんえき従軍じゅうぐん艦艇かんてい及其の最近さいきん高力こうりき運転うんてん成績せいせき
  15. ^ #海軍かいぐん制度せいど沿革えんかく10-1(1972)p.173、明治めいじ19ねん1がつ21にち(へい2)畝傍うねびがいななかん定員ていいん
  16. ^ #海軍かいぐん軍備ぐんび沿革えんかくp.49
  17. ^ #海軍かいぐん制度せいど沿革えんかく8(1971)p.355、明治めいじ17ねん6がつ5にち(へい91)
  18. ^ #横須賀よこすか海軍かいぐんせんしょう(1973)だい2かんp.372
  19. ^ #横須賀よこすか海軍かいぐんせんしょう(1973)だい2かんp.377
  20. ^ #M20公文こうぶん類聚るいじゅう13/愛宕あたご命名めいめいしき画像がぞう1-2
  21. ^ #公文こうぶん備考びこうべつ輯/愛宕あたご命名めいめいしき画像がぞう29、6月18にち電報でんぽう愛宕あたごかん本日ほんじつ午後ごご無事ぶじ進水しんすいシタリ」
  22. ^ #M22公文こうぶん類聚るいじゅう13/愛宕あたご落成らくせい画像がぞう1
  23. ^ #公文こうぶん備考びこうべつ輯/愛宕あたご製造せいぞう手続てつづき(2)画像がぞう23-24、明治めいじ22ねん2がつ26にち33套第7ごうの13「軍艦ぐんかん愛宕あたごおおやけ試運転しうんてん執行しっこうとどけ
  24. ^ 日本郵船にっぽんゆうせん株式會社かぶしきがいしゃじゅうねん』684ページ、『官報かんぽうだい2635ごう明治めいじ25ねん4がつ14にち)160ページ
  25. ^ a b c d e f g h i j k l m n o p q r s t u v w x y z aa #S9恩給おんきゅう調査ちょうさ(した)/軍艦ぐんかん(4)画像がぞう11-12、きゅう愛宕あたご
  26. ^ #M27公文こうぶん類聚るいじゅう32/愛宕あたごかいやく画像がぞう1
  27. ^ #M27たち(した)/6がつ画像がぞう24、明治めいじ27ねん6がつ29にちたちだい105ごう
  28. ^ #M27たち(した)/7がつ画像がぞう12、明治めいじ27ねん7がつ13にちたちだい107ごうだい108ごう
  29. ^ #M27たち(した)/7がつ画像がぞう16、明治めいじ27ねん7がつ19にちたちだい122ごう
  30. ^ #M27たち(した)/7がつ画像がぞう17、明治めいじ27ねん7がつ19にちたちだい123ごう
  31. ^ #M28たち/11月画像がぞう10、明治めいじ28ねん11月15にちたちだい124ごう
  32. ^ 戦史せんし叢書そうしょだい72かん 中国ちゅうごく方面ほうめん海軍かいぐん作戦さくせん<1>昭和しょうわじゅうさんねんよんがつまで、66-67ページ
  33. ^ 戦史せんし叢書そうしょだい72かん 中国ちゅうごく方面ほうめん海軍かいぐん作戦さくせん<1>昭和しょうわじゅうさんねんよんがつまで、67、71ページ
  34. ^ 戦史せんし叢書そうしょだい72かん 中国ちゅうごく方面ほうめん海軍かいぐん作戦さくせん<1>昭和しょうわじゅうさんねんよんがつまで、71ページ
  35. ^ a b にち旅順りょじゅん海戦かいせん、234ページ
  36. ^ 官報かんぽうだい6574ごう明治めいじ38ねん6がつ1にち
  37. ^ #M38たち/6がつ画像がぞう7、明治めいじ38ねん6がつ15にちたちだい83ごう

参考さんこう文献ぶんけん

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  • アジア歴史れきし資料しりょうセンター
    • 国立こくりつ公文書こうぶんしょかん
    • 公文こうぶん類聚るいじゅう
      • 横須賀造船所よこすかぞうせんじょニ於テ愛宕あたごかん命名めいめいしき執行しっこうス」『公文こうぶん類聚るいじゅうだいじゅういちへん明治めいじじゅうねんだいじゅうさんかん兵制へいせいもんさん兵器へいき馬匹ばひつ及艦せん』、JACAR:A15111325400 
      • 新造しんぞう軍艦ぐんかん愛宕あたご工事こうじ落成らくせいス」『公文こうぶん類聚るいじゅうだいじゅうさんへん明治めいじじゅうねんだいじゅうさんかん兵制へいせいよんちょう衙及兵営へいえいじょう堡附・兵器へいき馬匹ばひつ及艦せん』、JACAR:A15111741400 
      • 警備けいびかん愛宕あたご修理しゅうりづけ役務えきむかいク」『公文こうぶん類聚るいじゅうだいじゅうはちへん明治めいじじゅうななねんだいさんじゅうかん軍事ぐんじもんよん海軍かいぐんざつ』、JACAR:A01200783700 
    • 防衛ぼうえいしょう防衛ぼうえい研究所けんきゅうじょ
    • 公文こうぶん備考びこうべつ輯』
      • 愛宕あたご 製造せいぞう手続てつづき(2)」『公文こうぶん備考びこうべつかん しんかん製造せいぞう 高雄たかお 赤城あかぎ 摩耶まや 愛宕あたご 明治めいじ16~22』、JACAR:C11081476000 
      • 愛宕あたご 命名めいめいしき」『公文こうぶん備考びこうべつかん しんかん製造せいぞう 高雄たかお 赤城あかぎ 摩耶まや 愛宕あたご 明治めいじ16~22』、JACAR:C11081476100 
    • いたる
      • 「5がつ」『明治めいじ27ねん たち 下巻げかん』、JACAR:C12070033700 
      • 「7がつ」『明治めいじ27ねん たち 下巻げかん』、JACAR:C12070033900 
      • 「11月」『明治めいじ28ねん たち かん』、JACAR:C12070035700 
      • 「6がつ」『明治めいじ38ねん たち かん』、JACAR:C12070053000 
    • 除籍じょせき艦艇かんてい軍艦ぐんかん(4)」『恩給おんきゅう叙勲じょくんねん加算かさん調査ちょうさ 下巻げかん 除籍じょせき艦艇かんてい せん舶及特務とくむてい 昭和しょうわ9ねん12月31にち』、JACAR:C14010005800 
  • 浅井あさいすすむしげる/へん日本にっぽん海軍かいぐん艦船かんせんめいこう東京とうきょうすい交社、1928ねん12月。 
  • 海軍かいぐんしょう/へん海軍かいぐん制度せいど沿革えんかく まきはち明治めいじひゃくねん叢書そうしょ だい180かんはら書房しょぼう、1971ねん10がつ原著げんちょ1941ねん)。 
  • 海軍かいぐんしょう/へん海軍かいぐん制度せいど沿革えんかく まきじゅうの1』 明治めいじひゃくねん叢書そうしょ だい182かんはら書房しょぼう、1972ねん4がつ原著げんちょ1940ねん)。 
  • 海軍かいぐん軍備ぐんび沿革えんかく」、海軍かいぐん大臣だいじん官房かんぼう、1921ねん10がつ 
  • 海軍かいぐん歴史れきし保存ほぞんかい日本にっぽん海軍かいぐんだい7かんだい9かんだい10かん第一法規出版だいいちほうきしゅっぱん、1995ねん
  • くれ海事かいじ歴史れきし科学かがくかんへん日本にっぽん海軍かいぐん艦艇かんてい写真しゃしんしゅう 航空こうくう母艦ぼかん水上すいじょう母艦ぼかんダイヤモンド社だいやもんどしゃ、2005ねん
  • 造船ぞうせん協会きょうかい日本にっぽん近世きんせい造船ぞうせん 明治めいじ時代じだい明治めいじひゃくねん叢書そうしょはら書房しょぼう、1973ねん原著げんちょ1911ねん)。 
  • 日本にっぽん舶用はくよう機関きかん編集へんしゅう委員いいんかい/へん帝国ていこく海軍かいぐん機関きかん明治めいじひゃくねん叢書そうしょ だい245かんはら書房しょぼう、1975ねん11月。 
  • 日本郵船にっぽんゆうせん株式會社かぶしきがいしゃへん)『日本郵船にっぽんゆうせん株式會社かぶしきがいしゃじゅうねん日本郵船にっぽんゆうせん、1935ねん
  • 防衛庁ぼうえいちょう防衛ぼうえい研修けんしゅうしょ戦史せんししつ戦史せんし叢書そうしょだい72かん 中国ちゅうごく方面ほうめん海軍かいぐん作戦さくせん<1>昭和しょうわじゅうさんねんよんがつまでちょうくも新聞しんぶんしゃ
  • 真鍋まなべ重忠しげただにち旅順りょじゅん海戦かいせん吉川弘文館よしかわこうぶんかん、1985ねんISBN 4-642-07251-9
  • 横須賀よこすか海軍かいぐん工廠こうしょう/へん横須賀よこすか海軍かいぐんせんしょう明治めいじひゃくねん叢書そうしょ だい170かんはら書房しょぼう、1973ねん3がつ原著げんちょ1915ねん)。 
  • 官報かんぽう

関連かんれん項目こうもく

編集へんしゅう
  • 愛宕あたご [II] (めぐよう戦艦せんかん未成みせい
  • 愛宕あたご [III] (じゅう巡洋艦じゅんようかん