同市の人口が200万人に達したことを記念して、「芸術文化の振興及び市民福祉の向上を図るため[2]」に建設された。名古屋市金山体育館の機能を熱田区の名古屋市体育館に移転した後、その跡地に建設された。2つのホールを主な施設としている。
1972年(昭和47年)10月1日の開館以来、内外のオーケストラ演奏会やポピュラー音楽、歌謡曲などのコンサートのほか、演劇、舞踊、講演会、式典などに利用されている。
フォレストホールは優良ホール100選に選ばれていたが、2016年(平成28年)3月に返上している。
その後、同会館北側に隣接する古沢公園に1300~1500規模のホールを新たに整備し、同会館については改築することになった。しかし2021年(令和3年)11月に、新型コロナウイルスの感染拡大を受けて、当初計画よりゆとりのある施設を整備するために一体開発が必要になったことにより、同会館は5年間程度使用不能の期間が生じる見通しとなった。このため、名古屋市内での大規模イベントの開催が困難になる可能性が示されている[3]。
ホール名の由来については、#日本特殊陶業を参照。
- フォレストホール(大ホール):2,291席(4階層)
- ビレッジホール(中ホール):1,146席(2階層)
- 第一リハーサル室
- 第二リハーサル室
- 楽屋
- 第一会議室
- 第二会議室
- 特別会議室
中京大学文化市民会館時代の外観
2007年(平成19年)6月、施設設置者の市は「名古屋市民会館」という呼称を名古屋市民会館条例[2]に基く正式名称と見なしたうえで、愛称について命名権(ネーミングライツ)にもとづく売却を行うこととした[4]。契約期間は5年間である。
まず、中京大学との契約がなされ、同年7月1日より愛称が「中京大学文化市民会館」となった。同契約が終了した後は引き続き日本特殊陶業が契約し、2012年(平成24年)7月1日からは愛称が「日本特殊陶業市民会館」に変更された。
2007年(平成19年)4月16日、名古屋市ネーミングライツ選定委員会が、中京大学などを運営する学校法人梅村学園に同会館の愛称の命名権を売却することを承認し、5月上旬に市と同法人との間で正式契約が取り交わされた。契約期間は5年間、売却額は税別で1年につき5,000万円である。また、この売却代金には、1年につき大ホール5日分、中ホール5日分の利用料金も含まれている[5]。
2007年(平成19年)7月1日から、契約に基いて同会館の愛称として「中京大学文化市民会館」(略称 : 中京大学会館)が付与された[5]。ホール名称も変更され、大ホールが「オーロラホール」、中ホールが「プルニエホール」になった。「プルニエ」(フランス語:prunier プリュニエ)は、プルーン(西洋スモモ)の木のことであるが、梅村学園や市長は梅のことであるとしている[4][5][注釈 1]。
2012年(平成24年)4月9日、名古屋市は2012年(平成24年)7月1日からの命名権売却先を日本特殊陶業に変更することを発表し、愛称も「日本特殊陶業市民会館」に変更することとなった[6]。契約期間および金額は、中京大学と同じである。各ホールの名称は同社が属する森村グループの「森」と「村」に因み、大ホールを「フォレストホール」、中ホールを「ビレッジホール」とした[1]。2016年(平成28年)、2021年(令和3年)に再び更新、2025年(令和7年)3月31日までとなる[7]。しかし2023年5月から英社名を「Niterra」にしたことから翌23年8月29日からNiterraを加えたNiterra日本特殊陶業市民会館に再度変更した。
- ^ 因みに、フランス語で梅の木はabricotier du Japon である。