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東洋哲学 - Wikipedia

東洋とうよう哲学てつがく

アジアでまれた哲学てつがく

東洋とうよう哲学てつがく(とうようてつがく、英語えいご:eastern philosophy)とは、ヨーロッパから東洋とうようすなわちアジアまれた哲学てつがく一緒いっしょくたにまとめた用語ようご中国ちゅうごく哲学てつがくインド哲学てつがくイスラム哲学てつがくなど、日本にっぽん哲学てつがくふくまれる。これは本来ほんらい中華ちゅうか文明ぶんめいインド文明ぶんめい日本にっぽん文明ぶんめいなどと同列どうれつ個別こべつ文明ぶんめいぎない欧州おうしゅう文明ぶんめい特別とくべつするというてんヨーロッパ中心ちゅうしん主義しゅぎてき言葉ことばである。

そのような事情じじょうもあり、津田つだ左右吉そうきちのように「東洋とうよう哲学てつがく」というくくりをけた学者がくしゃもいる[1][2]一方いっぽうで、井上いのうえ哲次郎てつじろう[3]岡倉おかくら天心てんしん井筒いづつ俊彦としひこのように「東洋とうよう哲学てつがく」を積極せっきょくてきろんじた学者がくしゃもいる。中村なかむらはじめ著書ちょしょ東洋とうようじん思惟しい方法ほうほう』で、インド・中国ちゅうごく日本にっぽん朝鮮ちょうせん・チベットそれぞれの傾向けいこう差異さいろんじた。

中国ちゅうごく哲学てつがく

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中国ちゅうごく思想しそう源流げんりゅうシャーマニズムである。春秋しゅんじゅう戦国せんごく時代じだいに、あらそった諸侯しょこうのための政治せいじ哲学てつがくとして、儒家じゅか道家みちや代表だいひょうされる諸子しょしひゃくいえが、それぞれ自説じせつ優位ゆういせい諸侯しょこういた。かんだい以降いこうたけみかど時代じだい国教こっきょうてき地位ちい獲得かくとくし、儒家じゅか思想しそうから洗練せんれんされていった儒教じゅきょうと、道家どうかろうそう思想しそうれてはいるが、実際じっさいはたかたじょぶくのような不老ふろう長生ちょうせい神仙しんせん思想しそうから発展はってんした道教どうきょう発達はったつした。

また、こうかんだい仏教ぶっきょう伝来でんらいし、六朝りくちょうずいとうだい盛行せいこうした。この時期じきより、中国ちゅうごく哲学てつがくは、さんきょう中心ちゅうしんとした宗教しゅうきょう哲学てつがくとして展開てんかいする。体系たいけいてき仏教ぶっきょう哲学てつがく影響えいきょうをうけ、そうだいに、儒教じゅきょうしゅらによって体系たいけいてき哲学てつがくとしてさい構成こうせいされた。また道教どうきょうもそれまでの民間みんかん宗教しゅうきょうから官僚かんりょうてきヒエラルキーとぎょうろんもとづく理論りろんせい発展はってんさせた。仏教ぶっきょう自体じたいも、道教どうきょうてき論理ろんりてき傾向けいこう吸収きゅうしゅうしてインド仏教ぶっきょうとは異質いしつ中国ちゅうごく仏教ぶっきょうとしての禅宗ぜんしゅう浄土じょうどきょうした。またそれは、最初さいしょ対立たいりつしていた儒仏じゅぶつどうさんきょうが、次第しだい融合ゆうごうしていく過程かていでもある。

あきらだいにはしゅ熹らのせいそくたいして、こころそくおう陽明ようめい陽明学ようめいがく隆盛りゅうせいした。が、おう陽明ようめい主張しゅちょうると、そこには禅宗ぜんしゅう影響えいきょう非常ひじょう色濃いろこいことは明白めいはくである。これら中国ちゅうごく哲学てつがく特徴とくちょうは、世俗せぞくせい実践じっせんせいつよいことである。

インド哲学てつがく

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きびしい自然しぜん風土ふうど錯綜さくそうした複雑ふくざつ社会しゃかい構造こうぞうのもとで、古代こだいインドでは生活せいかつ基本きほんとなる思想しそう学問がくもんもとめられた。そこでまれたのがヴェーダ(Veda)、ウパニシャッド(Upanisad)の哲学てつがくである。『リグ・ヴェーダ』(Rg-Veda)は上天じょうてん(deva)への讃歌さんかしゅうであり、そこでは、自然しぜん現象げんしょう抽象ちゅうしょう概念がいねんなどが神格しんかくされている。それらのしょかみは、三界さんがいはいされており、祭祀さいしさいにはしょかみなかいちかみ勧請かんじょうしてきて現世げんせいてき利益りえきをもとめることがおこなわれていた。ヴェーダ経典きょうてんにはブラーフマナ(Brahmana)という注釈ちゅうしゃくしょつくられ、さらに、ヴェーダ経典きょうてん集大成しゅうたいせいしたウパニシャッドやアーラヌヤカによってより深化しんかすることとなった。そこでは、宇宙うちゅう根元ねもとブラフマン(brahman)とび、それにたいして人間にんげん内在ないざいする原理げんりアートマン(atman)とづけ、そのしゃ一体化いったいかした状態じょうたいもとめることとなった。同時どうじに、人間にんげん行為こうい善悪ぜんあく果報かほう原因げんいんを、前生ぜんしょうごう(karman)にもとめる輪廻りんね思想しそう発達はったつした

日本にっぽん哲学てつがく

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日本にっぽん哲学てつがく伝統でんとうてきには中華ちゅうかけいぞくする。日本にっぽんでは大陸たいりく渡来とらい仏教ぶっきょう儒教じゅきょうと、日本にっぽん古来こらい神道しんとうなどの宗教しゅうきょう思想しそう混在こんざいしてきた。これは中華ちゅうか世界せかい周辺しゅうへん朝鮮ちょうせん、ベトナム)の哲学てつがく共通きょうつうした特徴とくちょうである。

奈良なら時代じだいには律令制りつりょうせいした陰陽いんようどう発達はったつげた。その平安へいあん時代じだい天台宗てんだいしゅう真言宗しんごんしゅう鎌倉かまくら時代じだい浄土宗じょうどしゅう日蓮宗にちれんしゅう臨済宗りんざいしゅう曹洞宗そうとうしゅうなど、仏教ぶっきょうかく宗派しゅうは独自どくじ教義きょうぎ追究ついきゅうした。

室町むろまち時代ときよには、仏教ぶっきょう思想しそう日本にっぽん独自どくじ発展はってんさせたちゃ能楽のうがくなど、個別こべつ芸能げいのうきわめるうごきがこった。

江戸えど時代じだいになると、国学こくがく儒学じゅがくなど、体系たいけいてき哲学てつがく思想しそう発達はったつした。

明治めいじ時代じだいに、西にしあまねによって「哲学てつがく」というかたりつくられ、西洋せいよう哲学てつがく輸入ゆにゅうしたり、近代きんだい以前いぜん日本にっぽん哲学てつがく融合ゆうごうさせて独自どくじ思想しそう構築こうちくする哲学てつがくしゃ誕生たんじょうしていった。

関連かんれん項目こうもく

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外部がいぶリンク

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脚注きゃくちゅう

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  1. ^ 土田つちた健次郎けんじろう (2011ねん). “津田つだ左右吉そうきち学問がくもん姿勢しせいぼつじゅうねん津田つだ左右吉そうきちてんさいして—”. yab.yomiuri.co.jp. 読売新聞よみうりしんぶん早稲田大学わせだだいがく. 2021ねん7がつ3にち閲覧えつらん
  2. ^ 津田つだ左右吉そうきち東洋とうよう文化ぶんか東洋とうよう思想しそう東洋とうよう』:新字しんじしん仮名かめい - 青空あおぞら文庫ぶんこ
  3. ^ 今西いまにし, 順吉じゅんきち井上いのうえ哲次郎てつじろう開拓かいたくしゃてき意義いぎ」『印度いんどがく佛教ぶっきょうがく研究けんきゅうだい49かんだい2ごう、2001ねん、526–532ぺーじdoi:10.4259/ibk.49.526ISSN 1884-0051