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井上哲次郎 - Wikipedia

井上いのうえ哲次郎てつじろう

日本にっぽん哲学てつがくしゃ

井上いのうえ 哲次郎てつじろう(いのうえ てつじろう、1856ねん2がつ1にち安政あんせい2ねん12月25にち) - 1944ねん昭和しょうわ19ねん12月7にち)は、明治めいじ時代じだい日本にっぽん哲学てつがくしゃ詩人しじんごうたつみのき(そんけん)。通称つうしょうあきら(イノテツ)」[2]

井上いのうえ 哲次郎てつじろう
人物じんぶつ情報じょうほう
生誕せいたん (1856-02-01) 1856ねん2がつ1にち
安政あんせい2ねん12月25にち
筑前ちくぜんこく御笠みかさぐん太宰府だざいふ
げん福岡ふくおかけん太宰府だざいふ
死没しぼつ (1944-12-07) 1944ねん12月7にち(88さいぼつ
東京とうきょう小石川こいしかわおもてまち
げん文京ぶんきょう小石川こいしかわ
国籍こくせき 日本の旗 日本にっぽん
出身しゅっしんこう 東京大学とうきょうだいがく文学部ぶんがくぶ
学問がくもん
研究けんきゅう分野ぶんや 哲学てつがく
研究けんきゅう機関きかん 東京とうきょう帝国ていこく大学だいがく文科ぶんか大学だいがく
大東だいとう文化ぶんか学院がくいん
学位がくい 文学ぶんがく博士はかせ日本にっぽん・1891ねん
称号しょうごう 東京とうきょう帝国ていこく大学だいがく名誉めいよ教授きょうじゅ(1923ねん
特筆とくひつすべき概念がいねん 現象げんしょうそく実在じつざいろん
主要しゅよう作品さくひん哲学てつがく字彙じい』(共編きょうへん・1881ねん
新体詩しんたいししょう』(共編きょうへん・1882ねん
教育きょういく宗教しゅうきょう衝突しょうとつ』(1893ねん
日本にっぽん陽明学ようめいがく哲学てつがく』(1900ねん
国民こくみん道徳どうとく概論がいろん』(1912ねん
学会がっかい 帝国ていこく学士がくしいん
哲学てつがくかい
国際こくさい仏教ぶっきょう協会きょうかい
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井上いのうえ 哲次郎てつじろう

選挙せんきょ帝国ていこく学士がくしいん会員かいいん議員ぎいん
在任ざいにん期間きかん 1925ねん10がつ10日とおか - 1926ねん11月16にち[1]
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西洋せいよう哲学てつがく日本にっぽん紹介しょうかいし、東京大学とうきょうだいがく日本人にっぽんじんはつ哲学てつがく教授きょうじゅとなった。また東洋とうよう哲学てつがく研究けんきゅう開拓かいたくしゃでもあり[3][4]保守ほしゅ体制たいせいのイデオローグでもあり、新体詩しんたいし運動うんどう先駆せんくしゃでもある。大東だいとう文化ぶんか学院がくいんだい2だい総長そうちょう貴族きぞくいん議員ぎいんなどもつとめた。

生涯しょうがい 編集へんしゅう

旧姓きゅうせい船越ふなこし筑前ちくぜん太宰府だざいふ現在げんざい福岡ふくおかけん太宰府だざいふ)に医師いし船越ふなこししゅんたち三男さんなんとしてまれる。少年しょうねん時代じだい地元じもと儒者じゅしゃ四書ししょ五経ごきょうまな[5]明治めいじ元年がんねん博多はかた英語えいごまなび、1871ねん長崎ながさき英学えいがくじゅくこううんかん入学にゅうがく。1875ねん東京とうきょう開成かいせい学校がっこう入学にゅうがく

1877ねん東京大学とうきょうだいがく入学にゅうがく哲学てつがくおよ政治せいじがく専攻せんこうフェノロサ中村なかむら正直まさなお横山よこやまゆかりきよしはらひろしさんらにまな[5]。1880ねん卒業そつぎょう生徒せいと総代そうだいとして答辞とうじべた)。文部省もんぶしょう御用ごようかけになり、「東洋とうよう哲学てつがく」を編纂へんさんはじめる。

1882ねん東京大学とうきょうだいがく助教授じょきょうじゅ同年どうねん外山とやま正一しょういち矢田部やたべ良吉りょうきちと『新体詩しんたいししょう』を刊行かんこう。1884ねんドイツ留学りゅうがくハイデルベルク大学だいがくおよライプツィヒ大学だいがくベルリン大学だいがく[6]テーヌルナンスペンサーミュラーらを訪問ほうもん[5]、とくにフィッシャーエルトマンヴントツェラーまな[7]。1890ねん帰国きこく帝国ていこく大学だいがく文学部ぶんがくぶ哲学てつがく教授きょうじゅ。1891ねん博士はかせ授与じゅよもり林太郎りんたろう北里きたさとしば三郎さぶろう仙石せんごくみつぐなどをふく総員そういん69めい)。1895ねん東京とうきょう学士がくしかいいん会員かいいん任命にんめいされた(のち帝国ていこく学士がくしいん会員かいいん)。1898ねん東京とうきょう帝国ていこく大学だいがく文科ぶんか大学だいがく学長がくちょう。1923ねん退官たいかん東洋大学とうようだいがく教授きょうじゅ1924ねん10月から1925ねん11月まで、初代しょだい貴族きぞくいん帝国ていこく学士がくしいん会員かいいん議員ぎいんつとめた。1925ねんには、大東だいとう文化ぶんか学院がくいん総長そうちょうだい2だい)に就任しゅうにんした。

1927ねん、『国体こくたい国民こくみん道徳どうとく[8]で、「三種さんしゅ神器じんぎのうちけんかがみうしなわれており、のこっているのは模造もぞうである」とした部分ぶぶんが、頭山とうやまみつる国家こっか主義しゅぎしゃから不敬ふけいだと批判ひはんされ、発禁はっきん処分しょぶんとなって公職こうしょく辞職じしょく

1944ねん小石川こいしかわ自宅じたくにてぼっする[5]自宅じたく太平洋戦争たいへいようせんそう空襲くうしゅう焼失しょうしつしたが、書庫しょこだった土蔵どぞう史跡しせき井上いのうえ哲次郎てつじろう旧居きゅうきょあと」として現存げんそんする[9]はか雑司ヶ谷ぞうしがや霊園れいえんにある[5]

思想しそう 編集へんしゅう

形而上けいじじょう」(Metaphysical) などのかんやくかたり考案こうあんしゃでもある。1881ねん初版しょはん学術がくじゅつ用語ようごしゅう哲学てつがく字彙じい』ではしゅ編者へんしゃつとめている[10]

はらひろしさんからまなんだ仏教ぶっきょうにヒントをて、現象げんしょうそく実在じつざいろん円融えんゆう実在じつざいろん)を井上いのうえ円了えんりょうらとともに提唱ていしょうした[11]

国家こっか主義しゅぎ立場たちばから宗教しゅうきょうたいする国家こっか優越ゆうえつ主張しゅちょうした。キリスト教徒きりすときょうと内村うちむら鑑三かんぞう教育きょういく勅語ちょくご奉読ほうどくしきにおいて天皇てんのう親筆しんぴつ署名しょめいたいしてさい敬礼けいれいしなかった不敬ふけい事件じけんさいしては、キリストきょうはげしく非難ひなんし、植村うえむら正久まさひさ論争ろんそうした。またほかにも、戦陣せんじんくん関与かんよするなど、体制たいせいがわイデオローグとして政府せいふ道徳どうとく主義しゅぎ思想しそうかいにおける隊長たいちょうとなった。しかしながら、国民こくみん道徳どうとくとしての教育きょういく勅語ちょくごには限界げんかいおぼえ、世界せかい道徳どうとくくにいたり、現象げんしょうそく実在じつざいろん援用えんようして、国民こくみん道徳どうとく世界せかい道徳どうとくとの矛盾むじゅん解消かいしょうしようとした。

編集へんしゅう

新体詩しんたいししょう 編集へんしゅう

外山とやま正一しょういち矢田部やたべ良吉りょうきち刊行かんこうした『新体詩しんたいししょう』は、新体詩しんたいし運動うんどう先駆さきがけとなった。

孝女こうじょ白菊しらぎく 編集へんしゅう

井上いのうえ漢詩かんし孝女こうじょ白菊しらぎく』は、りにいって行方ゆくえ不明ふめいになったちちした孝女こうじょうたったである。これは、西南せいなん戦争せんそうんであいだもない1880ねんから1881ねんごろ井上いのうえがドイツ留学りゅうがくをはばまれ憤懣ふんまんやるかたなく、空想くうそうのおもむくままにいたフィクションのであり、1884ねん明治めいじ17ねん発行はっこうの「たつみのき詩抄ししょうかねへん)」に採録さいろくされている。

これに刺激しげきけ、落合おちあい直文なおふみが『孝女こうじょ白菊しらぎくうた』をつくり、全国ぜんこくてき感涙かんるいんだ。どくやく英訳えいやくもされた[5]現地げんち阿蘇あそにはいしぶみはかなどが、関係かんけいないところつくられている[12]

井上いのうえは、ドイツ留学りゅうがく時代じだいゲオルク・フォン・デア・ガーベレンツたくったカール・フローレンツにも『孝女こうじょ白菊しらぎく』の解説かいせつをした[6]。フローレンツは井上いのうえすすめで来日らいにちして東京とうきょう帝国ていこく大学だいがくのドイツ教師きょうしとなり[6]、ドイツにおける日本にっぽんがく研究けんきゅうしゃとしても活躍かつやくした[13]

親族しんぞく 編集へんしゅう

  • 吉田よしだ熊次くまじ - 長女ちょうじょおっと教育きょういく学者がくしゃ倫理りんり学者がくしゃ東京とうきょう帝国ていこく大学だいがく教授きょうじゅ
  • 押田おしだ翠雨すいう - 二女じじょ日本にっぽん画家がか

栄典えいてん授章じゅしょう授賞じゅしょう 編集へんしゅう

 
井上いのうえ哲次郎てつじろう
位階いかい
勲章くんしょうとう

著作ちょさく 編集へんしゅう

全集ぜんしゅうなど 編集へんしゅう

たん著書ちょしょ 編集へんしゅう

共著きょうちょしょ 編集へんしゅう

  • 新体詩しんたいししょう はつへん外山とやま正一しょういち矢田部やたべ良吉りょうきちえらべ井上いのうえ哲次郎てつじろうほか、1882ねん8がつ
    • 新体詩しんたいししょう はつへん外山とやま正一しょういち矢田部やたべ良吉りょうきちえらべ井上いのうえ哲次郎てつじろうほか、1884ねん12月再版さいはん
    • 吉野よしの作造さくぞう編輯へんしゅう代表だいひょう明治めいじ文化ぶんか全集ぜんしゅう だいじゅうかん 文学ぶんがく芸術げいじゅつへん日本にっぽん評論ひょうろんしゃ、1928ねん10がつ明治めいじ文化ぶんか研究けんきゅうかいへん明治めいじ文化ぶんか全集ぜんしゅう だいじゅうかん 文学ぶんがく芸術げいじゅつへん日本にっぽん評論ひょうろんしゃ、1967ねん11月 / 明治めいじ文化ぶんか研究けんきゅうかいへん明治めいじ文化ぶんか全集ぜんしゅう だいじゅうさんかん 文学ぶんがく芸術げいじゅつへん日本にっぽん評論ひょうろんしゃ、1992ねん10がつISBN 4535042535
    • 山宮さんぐうまことへん日本にっぽん現代げんだい大系たいけい だい1かん 創成そうせい河出かわで書房しょぼう、1950ねん9がつ河出書房新社かわでしょぼうしんしゃ、1974ねん9がつ
    • 新体詩しんたいししょう はつへん外山とやま正一しょういち矢田部やたべ良吉りょうきちえらべ世界せかい文庫ぶんこ近代きんだい文芸ぶんげい資料しりょう復刻ふっこく叢書そうしょ〉、1961ねん4がつ
    • 長谷川はせがわいずみちょわたしたちの日本にっぽん古典こてん文学ぶんがく 25 文明開化ぶんめいかいかさ・え・ら書房しょぼう、1963ねん12月 / 長谷川はせがわいずみちょ日本にっぽん古典こてん文学ぶんがく 20 文明開化ぶんめいかいか』 さ・え・ら書房しょぼう、1975ねん5がつISBN 4378016206
    • 新体詩しんたいししょう はつへん外山とやま正一しょういち矢田部やたべ良吉りょうきちえらべ日本にっぽん近代文学館きんだいぶんがくかん特選とくせん 名著めいちょふくこく全集ぜんしゅう近代文学館きんだいぶんがくかん〉、1971ねん7がつ
    • もりあきらほか注釈ちゅうしゃく日本にっぽん近代きんだい文学ぶんがく大系たいけい 52 明治めいじ大正たいしょうやく詩集ししゅう角川書店かどかわしょてん、1971ねん8がつISBN 4045720529
    • 矢野やのみねじんへん明治めいじ文学ぶんがく全集ぜんしゅう 60 明治めいじ詩人しじんしゅう1』 筑摩書房ちくましょぼう、1972ねん12月、ISBN 4480103600
    • 新体詩しんたいししょう 初版しょはん再版さいはん外山とやま正一しょういちほかちょ国文学研究資料館こくぶんがくけんきゅうしりょうかん〈リプリント日本にっぽん近代きんだい文学ぶんがく〉、2009ねん3がつISBN 9784256901618
  • 外国がいこく研究けんきゅうようろんいそ弥一郎やいちろう編輯へんしゅう磯辺いそべ弥一郎やいちろう、1891ねん9がつ
  • ぞうてい 釈迦牟尼しゃかむにでんほりけん徳合とくあいちょ前川まえかわ文栄ふみえかく、1911ねん4がつ
  • 釈迦牟尼しゃかむに小伝しょうでんほりけん徳合とくあいちょ前川まえかわ文栄ふみえかく、1911ねん9がつ
  • 修身しゅうしん講義こうぎろく穂積ほづみ八束やつか吉田よしだ熊次くまじきょうじゅつ東京とうきょう内務ないむ学務がくむ、1911ねん9がつ
    • 修身しゅうしん講義こうぎろく東京とうきょう内務ないむ学務がくむへん大空おおぞらしゃ日本にっぽん教育きょういく基本きほん文献ぶんけん史料しりょう叢書そうしょ〉、1991ねん4がつISBN 4872366050
  • わが国体こくたい観念かんねん黒板こくばん勝美かつみきょうじゅつ陸軍りくぐん士官しかん学校がっこう高等官こうとうかん集会しゅうかいしょ陸軍りくぐん士官しかん学校がっこう本科ほんか生徒せいと課外かがい講演こうえん〉、1925ねん11月
  • 戦陣せんじんくん本義ほんぎ中山なかやま久四郎きゅうしろう共著きょうちょ広文ひろふみどう書店しょてん、1941ねん6がつ

訳書やくしょ 編集へんしゅう

へんしょ 編集へんしゅう

  • 哲学てつがく字彙じい 清国きよくに音符おんぷ東京大学とうきょうだいがくさん学部がくぶ、1881ねん4がつ
  • ぞうてい 英華えいか字典じてんぬのそんとく原著げんちょ藤本ふじもと次郎じろうみぎ衛門えもん、1884ねん7がつ
  • 哲学てつがく叢書そうしょしゅうぶんかくほか、1900ねん10がつだいいちかんだいいちしゅう / 1900ねん11月だいいちかんだいしゅう / 1901ねん1がつだいいちかんだいさんしゅう
  • 日本にっぽん倫理りんり彙編蟹江かにえよしまる共編きょうへん育成いくせいかい、1901ねん5がつおう陽明ようめいうえ) / 1901ねん8がつ陽明学ようめいがくなか) / 1901ねん11月陽明学ようめいがくした) / 1902ねん5がつ古学こがくうえ) / 1901ねん12月古学こがくなか) / 1902ねん6がつ古学こがくした) / 1902ねん6がつ朱子学しゅしがくうえ) / 1902ねん10がつ朱子学しゅしがくした) / 1903ねん1がつ折衷せっちゅう学派がくは / 1903ねん6がつ独立どくりつ学派がくは
    • 日本にっぽん倫理りんり彙編』 蟹江かにえよしまる共編きょうへん臨川りんせん書店しょてん、1970ねん1がつ-1970ねん3がつぜん10かん
  • 武士ぶしどう叢書そうしょ有馬ありま祐政すけまさ共編きょうへん博文ひろぶみかん、1905ねん3がつ上巻じょうかん / 1905ねん6がつちゅうまき / 1905ねん12月下巻げかん
  • ABCびき日本にっぽん辞典じてん三省堂さんせいどう、1917ねん6がつ
  • 日本にっぽん陽明学ようめいがく蟹江かにえよしまる共編きょうへんだいあぶみかく、1922ねん6がつ上巻じょうかんなかまき下巻げかん
  • 武士ぶしどうしゅう春陽しゅんようどうだい日本にっぽん文庫ぶんこ〉、1934ねん12月上巻じょうかんだい日本にっぽん文庫ぶんこ刊行かんこうかいだい日本にっぽん文庫ぶんこ〉、1940ねん12がつちゅうまき

脚注きゃくちゅう 編集へんしゅう

  1. ^ 官報かんぽうだい4271ごう大正たいしょう15ねん11月17にち
  2. ^ 杉山すぎやまあきら明治めいじにおける儒教じゅきょう言説げんせつかんするいち考察こうさつ : 井上いのうえ哲次郎てつじろう儒学じゅがくさんさく』について(1)」『ほう学会がっかい雑誌ざっし』58 (1)、首都しゅと大学だいがく東京とうきょう都市とし教養きょうよう学部がくぶ法学ほうがくけい、2017ねんCRID 1050001338272964736。138fぺーじ
  3. ^ 今西いまにし順吉じゅんきち井上いのうえ哲次郎てつじろう開拓かいたくしゃてき意義いぎ」『印度いんどがく佛教ぶっきょうがく研究けんきゅうだい49かんだい2ごう日本にっぽん印度いんどがく仏教ぶっきょう学会がっかい、2001ねん、526-532ぺーじdoi:10.4259/ibk.49.526ISSN 0019-4344NAID 130004027246 
  4. ^ くわへい(ちょ), 村上むらかみまもる(わけ)「近代きんだい中国ちゅうごく哲学てつがく」の起源きげん」『近代きんだいひがしアジアにおける翻訳ほんやく概念がいねん展開てんかい 京都大学きょうとだいがく人文じんぶん科学かがく研究所けんきゅうじょ附属ふぞく現代げんだい中国ちゅうごく研究けんきゅうセンター研究けんきゅう報告ほうこく』、京都きょうと大学だいがく人文じんぶん科学かがく研究所けんきゅうじょ附属ふぞく現代げんだい中国ちゅうごく研究けんきゅうセンター、151ぺーじ、2013ねんhttps://hdl.handle.net/2433/246488 
  5. ^ a b c d e f ふるさと人物じんぶつ36 近代きんだい日本にっぽん哲学てつがくちち井上いのうえ 哲次郎てつじろうたつみのき)」(いのうえ てつじろう(そんけん)) | 朝倉あさくら”. www.city.asakura.lg.jp. 2022ねん9がつ3にち閲覧えつらん
  6. ^ a b c 留学生りゅうがくせい時代じだい自著じちょ懐旧かいきゅうろく』 (春秋しゅんじゅうしゃ松柏しょうはくかん, 1943)p296-319
  7. ^ 伊藤いとう吉之助よしのすけ井上いのうえ哲次郎てつじろう生誕せいたんひゃくねん記念きねんかい」『哲学てつがく』、日本にっぽん哲学てつがくかい、1955ねんdoi:10.11439/philosophy1952.1955.preface1https://doi.org/10.11439/philosophy1952.1955.Preface1 
  8. ^ NDLJP:752684
  9. ^ 文京ぶんきょう 井上いのうえ哲次郎てつじろう旧居きゅうきょあと”. www.city.bunkyo.lg.jp. 2022ねん9がつ3にち閲覧えつらん
  10. ^ 哲学てつがく字彙じい』 - コトバンク
  11. ^ 井上いのうえ克人かつと明治めいじアカデミー哲学てつがくとその系譜けいふ : 本体ほんたいてき一元論いちげんろん有機ゆうきたい哲学てつがく」『国際こくさい哲学てつがく研究けんきゅうだい3ごう東洋大学とうようだいがく国際こくさい哲学てつがく研究けんきゅうセンター、2014ねん3がつ、81-94(p.84)、doi:10.34428/00006689ISSN 2186-8581NAID 120005448534 
  12. ^ 内田うちだまもるたまる」 1972ねん
  13. ^ Kramer, Hans Martin「編集へんしゅう企画きかく1:外国がいこくにおける日本にっぽん研究けんきゅう事情じじょう ドイツにおける日本にっぽんがく日本にっぽん研究けんきゅう--歴史れきし現状げんじょう課題かだい」『研究けんきゅうしつ紀要きようだい28ごう東京大学とうきょうだいがく大学院だいがくいん教育きょういくがく研究けんきゅう 教育きょういくがく研究けんきゅうしつ、2002ねん6がつ、79-89ぺーじdoi:10.15083/00017575ISSN 02857766NAID 110000197871 
  14. ^ 官報かんぽうだい2545ごう叙任じょにん及辞れい」1891ねん12月22にち
  15. ^ 官報かんぽうだい4636ごう叙任じょにん及辞れい」1898ねん12月12にち
  16. ^ 官報かんぽうだい6181ごう叙任じょにん及辞れい」1904ねん2がつ12にち
  17. ^ 官報かんぽうだい508ごう叙任じょにん及辞れい」1914ねん4がつ11にち
  18. ^ 官報かんぽうだい3223ごう叙任じょにん及辞れい」1923ねん5がつ1にち
  19. ^ 官報かんぽうだい5395ごう叙任じょにん及辞れい」1901ねん6がつ28にち
  20. ^ 官報かんぽうだい6595ごう叙任じょにん及辞れい」1905ねん6がつ26にち

関連かんれん文献ぶんけん 編集へんしゅう

  • 花房はなふさ吉太郎よしたろう, 山本やまもと源太げんた へん日本にっぽん博士はかせぜんつて』p28 「文学ぶんがく博士はかせ 井上いのうえ哲次郎てつじろう くん」,博文ひろぶみかん,1892. 国立こくりつ国会図書館こっかいとしょかんデジタルコレクション
  • せきさつきさくへん井上いのうえ博士はかせ基督きりすと教徒きょうと いちめい教育きょういく宗教しゅうきょう衝突しょうとつ顛末てんまつ及評ろん哲学てつがく書院しょいん、1893ねん5がつ / 1893ねん7がつ続編ぞくへん / 1893ねん10月収げっしゅうゆいへん
    • せきさつきさくへん井上いのうえ博士はかせ基督きりすと教徒きょうと飯塚いいづか書房しょぼう教育きょういく宗教しゅうきょう衝突しょうとつろん史料しりょう〉、1982ねん10がつ[ただし]・続編ぞくへんおさむゆいへん
    • せきさつきさくへん井上いのうえ博士はかせ基督きりすと教徒きょうと ただしつづけみすず書房しょぼう〈Misuzu reprints〉、1988ねん11月、ISBN 4622026864せきさつきさくへん井上いのうえ博士はかせ基督きりすと教徒きょうと おさむゆいへん』 みすず書房しょぼう〈Misuzu reprints〉、1988ねん12月、ISBN 4622026872
  • たつみのきかいちょ青桐あおぎりしゅう大倉おおくら広文ひろふみどう、1933ねん7がつ
  • たつみのきかいへん井上いのうえ先生せんせい喜寿きじゅ記念きねん文集ぶんしゅう冨山とやまぼう、1931ねん12月
  • 塩谷しおやあつしほか編輯へんしゅうたつみのき井上いのうえ先生せんせい米寿べいじゅ祝賀しゅくがしゅう友枝ともえだか、1943ねん12月
  • たつみのき年譜ねんぷ井上いのうえ哲次郎てつじろう生誕せいたんひゃくねん記念きねんかい実行じっこう委員いいんかい、1954ねん11月
  • 東京とうきょう都立とりつ日比谷ひびや図書館としょかんへん井上いのうえ文庫ぶんこ目録もくろく づけ書名しょめい索引さくいん東京とうきょう都立とりつ日比谷ひびや図書館としょかん、1964ねん10がつ
  • 東京大学とうきょうだいがくひゃくねん編集へんしゅうしつへん加藤かとう弘之ひろゆき史料しりょう目録もくろく井上いのうえ哲次郎てつじろう史料しりょう目録もくろく東京大学とうきょうだいがくひゃくねん編集へんしゅうしつ、1977ねん2がつ
  • 平井ひらいほう裕子ゆうこ井上いのうえ哲次郎てつじろう」(昭和女子大学しょうわじょしだいがく近代きんだい文学ぶんがく研究けんきゅうしつちょ近代きんだい文学ぶんがく研究けんきゅう叢書そうしょ だい54かん昭和女子大学しょうわじょしだいがく近代きんだい文化ぶんか研究所けんきゅうじょ、1983ねん4がつ
  • 真辺まなべ将之まさゆき井上いのうえ哲次郎てつじろう」(伊藤いとうたかしたけよしみへんきん現代げんだい日本人にっぽんじんぶつ史料しりょう情報じょうほう辞典じてん 2』 吉川弘文館よしかわこうぶんかん、2005ねん12月、ISBN 4642013466
  • 大原おおはら敏行としゆき明治めいじ長編ちょうへん詩歌しか 孝女こうじょ白菊しらぎく井上いのうえ哲次郎てつじろう落合おちあい直文なおふみから ちりめんほん、鷗外、世界せかいまでー』(そうえいしゃ、2015ねん
  • 杉山すぎやまあきら井上いのうえ哲次郎てつじろうと「国体こくたい」の光芒こうぼう 官学かんがく覇権はけんと〈はんかん〉アカデミズム』(白水しろみずしゃ、2023ねん

外部がいぶリンク 編集へんしゅう


がくしょく
先代せんだい
加藤かとう弘之ひろゆき
哲学てつがくかい会長かいちょう
1916ねん - 1944ねん
次代じだい
桑木くわき厳翼げんよく
先代せんだい
外山とやま正一しょういち
  東京とうきょう帝国ていこく大学だいがく文科ぶんかだい学長がくちょう
1897ねん - 1904ねん
次代じだい
坪井つぼいきゅうさん