永井 隆 (医学 博士 )
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1908 | |
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プロジェクト: |
カトリック | |
パウロ | |
1934 |
生涯
生 い立 ち
1908
1920
1925
長崎 医科 大学
1928
1932
2
1933
1934
1935
日 中 戦争
1937
帰国 後
1940
この
被爆 および救護 活動
1945
(永井 )先生 はまたサッと見 られて、顔 がもう真 っ青 になって、豆粒 のような汗 が滲 み出 て「あー、これが原子 爆 弾 であったか」先生 も放射能 の専門 家 ですからね。「アメリカが原子 爆 弾 の研究 をしているということは知 っておった。しかしこんなに早 くに使 えるまでになってるとは、知 らなかったー」とそれだけおっしゃった[29]。
3
9
10月15
1946
如己堂
1948
10月18
8
1950
死去
1951
5月3
弔 祭 次第
- ミサ -
山口 愛次郎 司教 - 赦祷
式
受賞 歴 など
思想
- カトリック
教徒 でもあった永井 は、原爆 投下 を「神 の御 摂理 」と解釈 し、さらに、原爆 死没 者 を「汚 れなき小 羊 の燔祭(ホロコースト)」、生 き残 った被爆 者 は「神 が与 えた試練 であり、神 に感謝 」すべきと説 いていたことが、元 長崎大学 教育 学部 教授 の高橋 眞司 が提起 した浦上 燔祭説 の中 で論評 されている。 - ホロコーストの
古 い記録 は、フラウィウス・ヨセフス・ベン・マタティア著 『ユダヤ戦記 』の中 に、以下 のように残 っており、神学 研究 者 や研究 熱心 なクリスチャンの間 で知 られていた。
- 『
生命 の河 ―原子病 の話 』では、ヒトラーがドイツ民族 の血 の純潔 を保 つと言 い出 したために、原子力 の利用 法 を考 えていた科学 者 のほとんどがアメリカに集 まり、原子 爆 弾 が案外 早 く出来上 がって、日本 も戦争 にとびこんで、長崎 市民 の血 を求 められたと書 いている[52]。
原子力 について
1945
すべては終 った。祖国 は敗 れた。吾 大学 は消滅 し吾 教室 は烏有 に帰 した。余 等 亦 夫 々傷 き倒 れた。住 むべき家 は焼 け、着 る物 も失 われ、家族 は死傷 した。今更 何 を云 わんやである。唯 願 う処 はかかる悲劇 を再 び人類 が演 じたくない。原子 爆 弾 の原理 を利用 し、これを動力 源 として、文化 に貢献 出来 る如 く更 に一層 の研究 を進 めたい。転 禍 為 福 。世界 の文明 形態 は原子 エネルギーの利用 により一変 するにきまっている。そうして新 しい幸福 な世界 が作 られるならば、多数 犠牲 者 の霊 も亦 慰 められるであろう[53]。
また、『
稲 の大敵 二 百 十 日 の大風 は(中略 )太平洋 の真 ん中 で大 きな原子 爆発 を起 こして気圧 の変動 を作 り、それによって大風 の進路 を変 えて、日本 列島 からそらしてしまえばいい[54]- そのころには
魚 を獲 るのにも、針 で釣 ったり網 ですくったりはしないで、音波 や超 音波 、あるいは電波 、電流 、原子 爆発 という物理 的 漁業 が盛 んになっている[54]飛行機 、汽船 、汽車 、自動車 。そんな交通 機関 はみんな原子力 で動 くから、とても速 く、型 も大 きくなり、数 も増 し、世界中 の物資 は余 った所 から足 らない所 へすぐに廻 されるし、人 も自由 に簡単 に旅行 出来 て、地球 が、一 つの家 みたいになる[55]山林 も畑 も学校 も町 もある文化 施設 の整 った大船 が、太平洋 に浮 かんで、原子力 で好 きな所 へ移 って行 く[55]町 や村 の近 くの山 の中 に原子力 採取 場 があって、ここで大量 の熱 が得 られ、熱 伝導 線 を通 じて工場 や各 家庭 に送 られる[55]- また
原子力 を利用 した発電 機 から得 た電気 であらゆる部門 の電化 が実現 し、家庭 生活 は能率 が上 がり、主婦 が家事 に朝 から晩 まで立 ち働 かねばならぬ現在 とはすっかり様子 が変 わる[55]原子 薬品 の利用 で難病 もすみやかに治 る[56]
このたびの戦争 で、原子 学 をはじめ、たくさんの進歩 がありましたが、同時 に世界中 で死者 二 千 二 百 六 万 、傷者 三 千 四 百 四 十 万 、財産 損害 三 千 三 百 億 ドル。全 参加 国 の戦費 一 兆 一 千 百 六 十 九 億 一 千 百 四 十 六 万 三 千 八 十 四 ドル、という損害 が出 ています。これだけの人 の命 と、お金 とを平和 文化 の方 へ使 ったら、原子力 よりもっと先 の学問 が、すでにわたくしたちの手 の中 に入 っていたでしょう[61]。
平和
私 たち日本 国民 は、憲法 において戦争 をしないことに決 めた。(中略 )憲法 で決 めるだけなら、どんなことでも決 められる。憲法 はその条文 どおり実行 しなければならぬから、日本人 としてなかなか難 しいところがあるのだ。どんなに難 しくても、これは善 い憲法 だから、実行 せねばならぬ。自分 が実行 するだけでなく、これを破 ろうとする力 を防 がねばならぬ。これこそ、
戦争 の惨禍 に目覚 めたほんとうの日本人 の声 なのだよ。しかし理屈 はなんとでもつき、世論 はどちらへでもなびくものである。日本 をめぐる国際 情勢 次第 では、日本人 の中 から、憲法 を改 めて戦争 放棄 の条項 を削 れ、と叫 ぶ者 が出 ないともかぎらない。そしてその叫 びが、いかにももっともらしい理屈 をつけて、世論 を日本 再 武装 に引 きつけるかもしれない。そのときこそ、……
誠一 よ、カヤノよ、たとい最後 の二人 となっても、どんなののしりや暴力 を受 けても、きっぱりと「戦争 絶対 反対 」を叫 び続 け、叫 び通 しておくれ! たとい卑怯 者 とさげすまされ、裏切者 とたたかれても「戦争 絶対 反対 」の叫 びを守 っておくれ!(
中略 )……愛 されるものは滅 ぼされないのだよ。愛 で身 を固 め、愛 で国 を固 め、愛 で人類 が手 を握 ってこそ、平和 で美 しい世界 が生 まれてくるのだよ。いとし
子 よ。敵 も愛 しなさい。愛 し愛 し愛 しぬいて、こちらを憎 むすきがないほど愛 しなさい。愛 すれば愛 される。愛 されたら、滅 ぼされない。愛 の世界 に敵 はない。敵 がなければ戦争 も起 らないのだよ[62]。
家族
記念
1950
著作 物
著作
永井 隆 『ロザリオの鎖 』ロマンス社 、1948年 6月 。 NCID BN11461248。全国 書誌 番号 :46027804。永井 隆 『ロザリオの鎖 増補 6版 』ロマンス社 、1949年 。doi:10.11501/1130219。- 『ロザリオの
鎖 』:新字 新 仮名 -青空 文庫
永井 隆 『この子 を残 して』大 日本 雄辯 会 講談社 、1948年 9月 。doi:10.11501/1155671。 NCID BN05055038。全国 書誌 番号 :48007982。- 『この
子 を残 して』:新字 新 仮名 -青空 文庫 再刊 は、秋津 書 舎 版 (七 つ森 書 館 (発売 )、2005年 8月 、ISBN 4822805069 )、日本 ブックエース版 (2010年 、ISBN 4284800760)など複数 ある。
- 『この
永井 隆 『生命 の河 ―原子病 の話 』日比谷 出版 社 、1948年 11月。 NCID BA46558107。全国 書誌 番号 :48007047。
再刊 は、以下 ののものなど複数 ある。永井 隆 『生命 の河 ―原子病 の話 』サンパウロ〈アルバ文庫 〉、2008年 。ISBN 4805648228。
永井 隆 『長崎 の鐘 』日比谷 出版 社 、1949年 1月 30日 。doi:10.11501/1131126。 NCID BN0505483X。全国 書誌 番号 :46028574。- 『
長崎 の鐘 』:新字 新 仮名 -青空 文庫 再刊 は、日本 ブックエース版 (2010年 、ISBN 9784284800778)、勉 誠 出版 版 (2018年 、ISBN 9784585912347)など複数 ある。
- 『
永井 隆 『いとし子 よ』大 日本 雄辯 会 講談社 、1949年 。 NCID BN05054953。全国 書誌 番号 :49006958。
再刊 は、以下 のものなど複数 ある。永井 隆 『いとし子 よ』サンパウロ〈アルバ文庫 〉、1995年 。ISBN 4805604484。
永井 隆 「八 月 十 五 日 に思 う」『小学 五 年生 』1950年 8月 号 、小学館 、1950年 8月 、doi:10.11501/1741344、全国 書誌 番号 :00011242。永井 隆 『原子 野 録音 』聖母 の騎士 社 〈聖母 文庫 〉、1989年 8月 。ISBN 4882160455。全国 書誌 番号 :91030057。
全集
- 『
永井 隆 全集 』(全 1巻 )講談社 、1971年 。全国 書誌 番号 :75017300、doi:10.11501/12541382、OCLC 703774476。 - 『
永井 隆 全集 』(1巻 ~3巻 )サンパウロ、2003年 7月 。NCID BA63781909、1巻 ISBN 9784805664100、2巻 ISBN 4805664118 3巻 ISBN 4805664126。- 『
永井 隆 全集 第 四 巻 ―書画 集 ―』(最終巻 )サンパウロ、2023年 8月 。ISBN 4805664134、全国 書誌 番号 :23871386、永井 隆 全集 第 四 巻 ―書画 集 ― |聖 パウロ修道 会 サンパウロ公式 サイト
- 『
編著
永井 隆 編 『原子 雲 の下 に生 きて―長崎 の子供 らの手記 』大 日本 雄弁 会 講談社 、1949年 。doi:10.11501/1705235。全国 書誌 番号 :49005942。再刊 ;中央 出版 社 版 (1977年 8月 、ISBN 4805628014)、サンパウロ版 (アルバ文庫 、1995年 8月 、ISBN 9784805628102)
- 『
私 達 は長崎 にいた―原爆 生存 者 の叫 び』永井 隆 編著 、大 日本 雄弁 会 講談社 、1952年 。doi:10.11501/1660094。 NCID BA3297905X。全国 書誌 番号 :53001245。再刊 ;中央 出版 社 版 (1978年 6月 、ISBN 4805697032、NCID BN05605864)、サンパウロ版 (アルバ文庫 、1997年 2月 、ISBN 4805697253)など。
翻訳
- ブルース・マーシャル
著 『世界 と肉体 とスミス神父 』プルダン・モンフェット(Purdent Monfette)・永井 隆 (共 訳 )主婦 之 友 社 、1947年 、全国 書誌 番号 :46032365、NCID BA48095145。再刊 ;聖母 の騎士 社 (2014年 3月 1日 、ISBN 4882163535)
- フランシス・クレメント・ケリー
著 『野鼠 ―フアンタジイ』プルダン・モンフェット・永井 隆 (共 訳 )、ドン・ボスコ社 、1949年 7月 、全国 書誌 番号 :20400568、NCID BA87384878
映画 ・ドラマ
演 じた人物
関連 施設
- 如己
堂 、永井 隆 記念 館 (長崎 県 長崎 市 ) 浦上 天主堂 (長崎 県 長崎 市 ) -著書 「長崎 の鐘 」の舞台 。永井 隆 博士 記念 館 (島根 県 雲南 市 )長崎 市立 山里 小学校 あの子 らの碑
脚注
注釈
出典
- ^
片岡 , pp. 10–11. - ^ a b
片岡 , p. 14. - ^
片岡 , p. 19. - ^
片岡 , p. 29. - ^ a b
片岡 , p. 26. - ^ カルシュ
先生 の想 いで投稿 日 :2009年 2月 10日 (火 )、奥谷 タイムトンネル - ^ パウロ・アロイジウス・グリン 1991, p. 28.
- ^
永井 隆 博士 が旧制 松江 高校 時代 の恩師 にあてた直筆 ハガキを展示 2011年 12月12日 、島根大学 - ^
片岡 , p. 25. - ^
片岡 , p. 33. - ^
片岡 , p. 21. - ^
片岡 , p. 30. - ^
片岡 , p. 50. - ^
片岡 , p. 42. - ^
片岡 , pp. 42–43. - ^
片岡 , p. 59. - ^ a b
片岡 , p. 60. - ^
片岡 , p. 61. - ^
長崎大学 放射線 医学 教室 の沿革 長崎大学 病院 放射線 科 - ^
片岡 , p. 62. - ^ パウロ・アロイジウス・グリン 1991, pp. 133–134.
- ^ パウロ・アロイジウス・グリン 1991, pp. 156–157.
- ^ a b
片岡 , pp. 63–64. - ^
片岡 , p. 119. - ^ a b c d
片岡 , p. 156. - ^
片岡 , pp. 142–143. - ^
片岡 , p. 360. - ^
片岡 , p. 83. - ^ a b
永井 隆 記念 国際 ヒバクシャ医療 センター名誉 センター長 故 久松 シソノ先生 - ^
片岡 , p. 172. - ^
片岡 , p. 173. - ^
片岡 , p. 174. - ^
永井 隆 1989, pp. 90–91. - ^
片岡 , p. 189. - ^
県内 ・墓碑銘 (2012年 12月25日 更新 )長崎 新聞 - ^
日本 ニュース戦後 編 第 135号 |NHK戦争 証言 アーカイブス - ^
片岡 , p. 243. - ^ a b
片岡 , p. 246. - ^
片岡 , pp. 309–310. - ^
片岡 , p. 311. - ^
片岡 , p. 339. - ^
片岡 , p. 341. - ^
片岡 , p. 342. - ^
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片岡 , pp. 349–350. - ^ a b
片岡 , p. 356. - ^
片岡 , p. 351. - ^ a b
片岡 , p. 357. - ^
片岡 , p. 358. - ^
碑 は訴 える, p. 131. - ^
中井 俊 已 2007. - ^
永井 隆 2008, pp. 215–216. - ^
原子 爆 弾 救護 報告 書 :永井 隆 .原子 爆 弾 救護 報告 書 :永井 隆 - ^ a b
永井 隆 1989, p. 18. - ^ a b c d
永井 隆 1989, p. 19. - ^
永井 隆 1989, p. 20. - ^ L
特別 講演 「原子力 利用 の現状 と見通 し」 - ^
放射線 のリスク・コミュニケーションと合意 形成 はなぜうまくいかないのか?(8) ――山下 俊一 氏 はリスコミをどう理解 してきたのか?島 薗 進 ・宗教 学 とその周辺 - ^
原子力 文化 2012年 1月 号 新春 対談 福島 のいま、そして明日 -地域 住民 参加 型 の健康 管理 が必要 に- - ^ [enercon.jp/pdf/008_sawada_denkijouho.pdf
澤田 哲生 脱 原発 較調にぶれてはならない原子力 研究 -電気 情報 2011年 11月 号 -日本 エネルギー会議 ] - ^
永井 隆 1950. - ^
永井 隆 1995, pp. 207–209. - ^
永井 誠一 2000. - ^
永井 隆 博士 の長男 、記念 館 館長 永井 誠一 氏 が死去 , ナガサキ・ピースサイト 2001/04/06 - ^
筒井 茅 乃さんを偲 ぶ、カトリック枚方 教会 - ^
筒井 茅 乃さんが死去 父 ・永井 博士 の遺志 継承 47NEWS - ^
永井 隆 記念 館 - ^
韓国 「如己愛人 賞 」受 けた中高生 が追悼 行事 参加 へ 8日 に来 崎 2010年 8月 4日 長崎 新聞 - ^ allthatremains - Major Oak Entertainment
参考 資料
長崎 市 永井 隆 記念 館 資料 片岡 弥吉 『永井 隆 の生涯 』中央 出版 社 、1952年 4月 。 NCID BA35467203。全国 書誌 番号 :52011011。改訂 版 ;片岡 弥吉 『永井 隆 の生涯 』サンパウロ、1961年 4月 25日 。ISBN 4805664002。新版 1985年 。
長崎 国際 文化 会館 『碑 は訴 える被爆 40周年 記念 』長崎 市 、1986年 3月 、176頁 。- パウロ・アロイジウス・グリン
著 、大和 幸子 編 『長崎 の歌 』マリスト会 、1991年 。全国 書誌 番号 :93011639。原著 ;Paul Aloisius Glynn (1989). A song for Nagasaki. Marist Fathers Books. ISBN 0731635914著者 ;パウロ・アロイジウス・グリン(Paul Aloisius Glynn)(Glynn, Paul, 1928- - Web NDL Authorities参照 )
永井 誠一 『永井 隆 ―長崎 の原爆 に直撃 された放射線 専門 医師 』サンパウロ、2000年 5月 1日 。ISBN 480566407X。中井 俊 已 『永井 隆 ―平和 を祈 り愛 に生 きた医師 』童心 社 、2007年 6月 25日 。ISBN 4494022381。