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睦月 (駆逐艦) - Wikipedia

睦月むつき (駆逐くちくかん)

睦月むつきがた駆逐くちくかん
睦月むつきがた駆逐くちくかん > 睦月むつき (駆逐くちくかん)

睦月むつき(むつき)は、日本にっぽん海軍かいぐん睦月むつきがた駆逐くちくかん1ばんかんである[2]かんめい陰暦いんれき1がつのこと。1926ねん大正たいしょう15ねん)3がつ竣工しゅんこうした。1942ねん昭和しょうわ17ねん)8がつ25にちだいソロモン海戦かいせんガダルカナルとう兵員へいいん輸送ゆそうちゅう空襲くうしゅう沈没ちんぼつした。

睦月むつき
基本きほん情報じょうほう
建造けんぞうしょ 佐世保させぼ海軍かいぐん工廠こうしょう
運用うんようしゃ  大日本帝国だいにっぽんていこく海軍かいぐん
かんしゅ 駆逐くちくかん
きゅうめい 睦月むつきがた駆逐くちくかん
かんれき
起工きこう 1924ねん5月21にち[1]
進水しんすい 1925ねん7がつ23にち[1]
竣工しゅんこう 1926ねん3月25にち[1]
最期さいご 1942ねん8がつ25にち沈没ちんぼつ
除籍じょせき 1942ねん10がつ1にち
要目ようもく計画けいかく
基準きじゅん排水はいすいりょう 1,315トン
常備じょうび排水はいすいりょう 1,445トン
全長ぜんちょう 102.72m
最大さいだいはば 9.16m
吃水きっすい 2.92m
ボイラー ごうかん本式ほんしきかん4
おも かん本式ほんしきタービン22じく、38,500馬力ばりき
速力そくりょく 37.25ノット
燃料ねんりょう 重油じゅうゆ450トン
航続こうぞく距離きょり 14ノットで4,500うみさと
乗員じょういん 154めい
へいそう 45口径こうけいさんねんしき12cmたんそうほう4もん
とめしき7.7mm機銃きじゅう2てい
61cm3連装れんそう魚雷ぎょらい発射はっしゃかん26もん
はちねんしき魚雷ぎょらい12ほん
爆雷ばくらい投射とうしゃ
爆雷ばくらい12
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かんれき

編集へんしゅう

建造けんぞう太平洋戦争たいへいようせんそう開戦かいせんまで

編集へんしゅう

睦月むつきがたかんめい当初とうしょ番号ばんごうめいであった睦月むつきは1923ねん7がつ19にちだいじゅうきゅう駆逐くちくかんかんめい舞鶴まいづる工作こうさくでの建造けんぞうまったが[3]1924ねん大正たいしょう13ねん)4がつ24にちだいじゅうきゅうごう駆逐くちくかん変更へんこうされた[4]建造けんぞう佐世保させぼ海軍かいぐん工廠こうしょう変更へんこうになり、同年どうねん5がつ21にち起工きこう1925ねん大正たいしょう14ねん)7がつ23にち進水しんすい1926ねん大正たいしょう15ねん)3がつ25にち竣工しゅんこうした。佐世保させぼ鎮守ちんじゅ所属しょぞくし、4がつ1にちだいじゅういちごう駆逐くちくかんだいさんじゅう駆逐くちくたい編成へんせいした[1]

1928ねん昭和しょうわ3ねん)8がつ1にち駆逐くちくかん番号ばんごうかんめい一斉いっせい改称かいしょうされ、だいじゅうきゅうごう駆逐くちくかん睦月むつきとなった[5]1930ねん昭和しょうわ5ねん)11がつ中旬ちゅうじゅん昭和しょうわ天皇てんのう岡山おかやまけん宇野うのへの行幸ぎょうこうから横須賀よこすかもどさい御召おめしかん戦艦せんかん霧島きりしま供奉ぐぶかんだい30駆逐くちくたい睦月むつき如月きさらぎ弥生やよい卯月うづき)がいた[6]1935ねん昭和しょうわ10ねん)9がつ26にち-27にち演習えんしゅうちゅうだいよん艦隊かんたい事件じけん遭遇そうぐうし、大波おおなみ艦橋かんきょう破壊はかいされて航海こうかいちょう死亡しぼうした。かん制御せいぎょ一時いちじ不能ふのうになったが、一人ひとり水兵すいへいかじ応急おうきゅう操舵そうだし、睦月むつき沈没ちんぼつまぬかれた[7]修理しゅうりとき設計せっけい変更へんこうされ、艦橋かんきょうかたちわった(詳細しょうさい睦月むつきがた駆逐くちくかん参照さんしょう)。1937ねん昭和しょうわ12ねん)からささえ事変じへんによりなかささえみなみささえ方面ほうめん進出しんしゅつした。

1932ねん昭和しょうわ7ねん)1がつだいいち上海しゃんはい事変じへん勃発ぼっぱつ日本にっぽん海軍かいぐん野村のむら吉三郎きちさぶろう中将ちゅうじょう司令しれい長官ちょうかんとするだいさん艦隊かんたい旗艦きかん出雲いずも」)を編制へんせいする。だいいち艦隊かんたい所属しょぞくだっただいいち水雷すいらい戦隊せんたい旗艦きかん夕張ゆうばり」、だい22駆逐くちくたい皐月さつき水無月みなづき文月ふづき長月ながつき》、だい23駆逐くちくたい菊月きくづき三日月みかづき望月もちづきゆうがつ》、だい30駆逐くちくたい睦月むつき如月きさらぎ弥生やよい卯月うづき》)はだいさん艦隊かんたい臨時りんじ編入へんにゅうされ、だいいち航空こうくう戦隊せんたい空母くうぼ加賀かがおおとりしょうだい2駆逐くちくたいみねふうさわふうふうおきふう》)、だいさん戦隊せんたい那珂なか阿武隈あぶくま由良ゆらとうとも上海しゃんはい集結しゅうけつどう方面ほうめん作戦さくせん行動こうどう従事じゅうじした[8]

1935ねん昭和しょうわ10ねん)9がつ26にち-27にち演習えんしゅうちゅうだいよん艦隊かんたい事件じけん遭遇そうぐうし、大波おおなみ艦橋かんきょう破壊はかいされて航海こうかいちょう死亡しぼうした。かん制御せいぎょ一時いちじ不能ふのうになったが、一人ひとり水兵すいへいかじ応急おうきゅう操舵そうだし、睦月むつき沈没ちんぼつまぬかれた[7]修理しゅうりとき設計せっけい変更へんこうされ、艦橋かんきょうかたちわった(詳細しょうさい睦月むつきがた駆逐くちくかん参照さんしょう)。1937ねん昭和しょうわ12ねん)からささえ事変じへんによりなかささえみなみささえ方面ほうめん進出しんしゅつした。

1936ねん昭和しょうわ11ねん)12月の配置はいちえにより、だい30駆逐くちくたい睦月むつき如月きさらぎ弥生やよい卯月うづき)はだいいち航空こうくう戦隊せんたい司令しれいかん高須たかす四郎しろう少将しょうしょう空母くうぼりゅうおおとりしょう)に編入へんにゅうされた。1937ねん昭和しょうわ12ねん)8がつ上旬じょうじゅんだい上海しゃんはい事変じへんにより、だいいち航空こうくう戦隊せんたいだい航空こうくう戦隊せんたい加賀かがだい22駆逐くちくたい皐月さつき水無月みなづき文月ふづき長月ながつき》)はだいさん艦隊かんたい指揮しきはいると(いちこうせんは8がつ6にちこうせんは8がつ10日とおか編入へんにゅう)、東シナ海ひがししなかい進出しんしゅつした[9]。8月16にち以降いこうだい30駆逐くちくたい空母くうぼりゅう驤、おおとりしょう」を護衛ごえいして作戦さくせん従事じゅうじした。同年どうねん12がつ1にち戦時せんじ編制へんせい変更へんこうにより、だいいち航空こうくう戦隊せんたい空母くうぼ加賀かがおよだい19駆逐くちくたいいそなみ敷波しきなみうらあや)となり、空母くうぼりゅう驤」と駆逐くちくかん如月きさらぎ弥生やよい」がだい航空こうくう戦隊せんたいとなる[10]どう航空こうくう戦隊せんたい翌年よくねん1がつ青島ちんたお上陸じょうりく作戦さくせんや10がつ広東かんとん上陸じょうりく作戦さくせん従事じゅうじ以後いご南シナ海みなみしなかい行動こうどうした。 そのだい30駆逐くちくたい予備よびたいをへてだいよん艦隊かんたい編入へんにゅう。さらに「卯月うづき」はだい23駆逐くちくたい転出てんしゅつ[11]だいかんとして「望月もちづき」が30編入へんにゅうされた。太平洋戦争たいへいようせんそうまでのだい30駆逐くちくたい睦月むつき如月きさらぎ弥生やよい望月もちづき)はおも南洋なんよう諸島しょとう行動こうどうした。

1940ねん5がつらんしるし進駐しんちゅうそなえてだいよん艦隊かんたいだい17戦隊せんたい千歳ちとせ神威しんい)、だい18戦隊せんたい多摩たま常磐ときわ)、だい5潜水せんすい戦隊せんたい由良ゆらだい9潜水せんすいたいだい13潜水せんすいたいだい21潜水せんすいたい)、だい30駆逐くちくたい睦月むつき如月きさらぎ弥生やよい望月もちづき)がパラオに集結しゅうけつしたがこのときらんしるし進駐しんちゅう計画けいかく中止ちゅうしとなった[12]

1941ねん10がつ1にちだい30駆逐くちくたい司令しれい駆逐くちくかんは「如月きさらぎ」から「睦月むつき」に変更へんこうされた[13]

太平洋戦争たいへいようせんそう緒戦しょせん

編集へんしゅう

1941ねん昭和しょうわ16ねん)12月8にち太平洋戦争たいへいようせんそう開戦かいせん睦月むつき如月きさらぎ弥生やよい望月もちづきだい30駆逐くちくたい安武やすたけ史郎しろう大佐たいさ)を編制へんせいしており、中部ちゅうぶ太平洋たいへいよう方面ほうめん作戦さくせん所管しょかんするだいよん艦隊かんたいだいろく水雷すいらい戦隊せんたい旗艦きかんけいじゅん夕張ゆうばり)に所属しょぞくしていた[14]開戦かいせん当時とうじにウェークとう攻略こうりゃく作戦さくせん発動はつどうされ、だいじゅうはち戦隊せんたいけいじゅん天龍てんりゅう龍田たつた)などとともクェゼリン環礁かんしょう出撃しゅつげきした(ウェークとうたたか参照さんしょう)。しかし11にち守備しゅびたい砲撃ほうげきけ、睦月むつきなどかくかん反撃はんげきしたが、砲撃ほうげき駆逐くちくかん疾風しっぷう撤退てったいちゅう空襲くうしゅう如月きさらぎ沈没ちんぼつした。21にちから空母くうぼあおいりゅうりゅうなど艦隊かんたい大幅おおはば増強ぞうきょうしただい攻略こうりゃく作戦さくせんおこなわれ、24にちまでに同島どうとう占領せんりょうした。

だい30駆逐くちくたいだいろく水雷すいらい戦隊せんたいだいじゅうはち戦隊せんたいなどとともラバウルブーゲンビルとうポートモレスビーかく攻略こうりゃく作戦さくせん参加さんかした。2がつ20日はつかニューギニアおき海戦かいせんではだいろく水雷すいらい戦隊せんたい夕張ゆうばりだい29駆逐くちくたいだい30駆逐くちくたいだい23駆逐くちくたい)はだいよん艦隊かんたいかくかんとともにべい機動きどう部隊ぶたいとの会戦かいせんこころみたが、べい機動きどう部隊ぶたい陸上りくじょう攻撃こうげき部隊ぶたい交戦こうせん撤退てったいしていった。 3月8にちからはじまったラエサラモア攻略こうりゃく作戦さくせんでは占領せんりょう支援しえん10日とおかべい空母くうぼ艦載かんさいによるだい規模きぼ空襲くうしゅうラエ・サラモアへの空襲くうしゅう)をけたが、睦月むつき被害ひがいはなかった。5月7-8にち珊瑚さんごうみ海戦かいせんにはポートモレスビー攻略こうりゃく部隊ぶたいとして参加さんか編制へんせい詳細しょうさい珊瑚さんごうみ海戦かいせん参照さんしょう)。途上とじょう空襲くうしゅうけたが、睦月むつき無事ぶじだった。海戦かいせん空母くうぼさちおおとり喪失そうしつした日本にっぽん海軍かいぐんはポートモレスビー攻略こうりゃく中止ちゅうしし、だい30駆逐くちくたいはラバウルまで輸送ゆそう船団せんだん護衛ごえいしたのち、ショートランド泊地はくち移動いどうした[15]

11にち敷設ふせつかん沖島おきのしまべい潜水せんすいかん雷撃らいげき大破たいはし、沖島おきしま曳航えいこうしていたきむりゅうまるブカとう沿岸えんがん座礁ざしょうした。睦月むつきは12にち早朝そうちょう救援きゅうえんのため現場げんば到着とうちゃく沖島おきしま曳航えいこうはじめたが、火災かさい再燃さいねんしてやく1あいだ沈没ちんぼつした[15]。25にちだい30駆逐くちくたい卯月うづき補充ほじゅうされた[16]。5月30にち-6月2にち睦月むつきべい潜水せんすいかん追尾ついびされた輸送ゆそうせん生駒山いこまやままる救援きゅうえんするため一時いちじてきだい海上かいじょう護衛ごえいたい指揮しきはいり、トラック泊地はくち出撃しゅつげきして護衛ごえいした[17]

6がつ下旬げじゅんからニューギニアとうやソロモン諸島しょとう(ガダルカナル、ラエ、ラバウルとう)での航空こうくう基地きち設営せつえいとう目的もくてきとしたSN作戦さくせん実行じっこうされた[18]。「睦月むつき」は単独たんどくでラエ進出しんしゅつ部隊ぶたい護衛ごえい任務にんむとするだい護衛ごえいたいとなった[19]だい水雷すいらい戦隊せんたい戦時せんじ日誌にっし[20]によれば、「睦月むつき」は6がつ26にちにトラックをはっし、7がつ1にちにラエ即日そくじつラエをはっし7がつ2にちにカビエン戦史せんし叢書そうしょ[21]によれば、だいさんじゅう駆逐くちくたい司令しれい指揮しきして6がつ26にちにラエ進出しんしゅつ部隊ぶたいはトラックはつ。6月30にちに「畿内きないまる」が、7がつ1にちに「いぬいようまる」がだい護衛ごえいたい護衛ごえいでラエ

7がつ3にちに「睦月むつき」は「だい東亞とうあまる」を護衛ごえいしてカビエンをはっし、トラック経由けいゆで7がつ12にち横須賀よこすかいた[22]

7がつ10日とおかだいろく水雷すいらい戦隊せんたいかいたいだい30駆逐くちくたいだい海上かいじょう護衛ごえい部隊ぶたい編入へんにゅうしたが、14にち連合れんごう艦隊かんたい大幅おおはば編制へんせい変更へんこうおこなわれ、だい30駆逐くちくたい南東なんとう太平洋たいへいようを担務するだいはち艦隊かんたい三川みかわ軍一ぐんいち中将ちゅうじょう)にくわわった[23][24]

だいソロモン海戦かいせん沈没ちんぼつ

編集へんしゅう

8がつ7にちべいぐんはガダルカナルとう上陸じょうりくし、南太平洋みなみたいへいよう本格ほんかくてき反攻はんこうてんじた。修理しゅうりえた睦月むつきは14にち横須賀よこすか出港しゅっこう、ラバウルにかった。ガダルカナルとう奪回だっかい目指めざして上陸じょうりくした陸軍りくぐん一木ひとつき支隊したいだいいちていだん壊滅かいめつし、日本にっぽん海軍かいぐん機動きどう部隊ぶたいべい機動きどう部隊ぶたいをけんせいしつつ、だいていだん増援ぞうえんでガダルカナルとう奪回だっかいする作戦さくせんてた。しかし連合れんごうぐんはガダルカナルとうヘンダーソン飛行場ひこうじょう急造きゅうぞうして運用うんようはじめ、24にちだいソロモン海戦かいせんべい機動きどう部隊ぶたい退避たいひしたのちも、同島どうとう周辺しゅうへん海域かいいき制空権せいくうけん完全かんぜん掌握しょうあくしていた。

同日どうじつ睦月むつき弥生やよいいそふう陽炎かげろうこうふう駆逐くちくかん5せきはガダルカナルとうかい、午後ごご10からやく10分間ふんかん飛行場ひこうじょう砲撃ほうげきした。陽炎かげろう潜水艦せんすいかん発見はっけん撃沈げきちんしたと報告ほうこくした。5せき砲撃ほうげき北上ほくじょうし、同島どうとう上陸じょうりく目指めざ一木いちき支隊したいだいていだん海軍かいぐん陸戦りくせんたいせた輸送ゆそう船団せんだんとの合流ごうりゅうをめざした。25にち午前ごぜん0ごろ睦月むつきF4F戦闘せんとう機銃きじゅう掃射そうしゃけ、乗員じょういん3めい負傷ふしょうした[25][26]

25にち午前ごぜん540ふん睦月むつきなど5せき兵員へいいんせた輸送ゆそうせん3せき(ぼすとんまるだい福丸ふくまる金龍きんりゅうまる)と、護衛ごえいするだい水雷すいらい戦隊せんたいけいじゅん神通じんずう駆逐くちくかん海風かいふう涼風すずかぜ哨戒しょうかいてい4せき合流ごうりゅうした[27]直後ちょくごの65ふん船団せんだん護衛ごえい艦隊かんたいはヘンダーソン飛行場ひこうじょうから飛来ひらいしたSBDドーントレス急降下きゅうこうか爆撃ばくげき8奇襲きしゅうけ、神通じんずう金龍きんりゅうまる被弾ひだん炎上えんじょうした。

戦闘せんとう不能ふのうになった神通じんずう涼風すずかぜ陽炎かげろうとも船団せんだんから離脱りだつした。いそふうこうふう海風かいふう哨戒しょうかいてい34ごう・35ごう健在けんざい輸送ゆそうせん2せき護衛ごえいし、睦月むつき弥生やよい金龍きんりゅうまる救援きゅうえんおこなった。乗員じょういん兵員へいいん弥生やよい哨戒しょうかいてい1ごう2ごう収容しゅうようし、睦月むつき金龍きんりゅうまる雷撃らいげき処分しょぶんした[28]。その直後ちょくごの827ふん睦月むつきB-17爆撃ばくげき3攻撃こうげきされ、後部こうぶ機械きかいしつばくだん1はつ命中めいちゅうして火災かさいこし、940ふん沈没ちんぼつした。[29]40めい戦死せんし、11めい負傷ふしょうした[30][31]

同日どうじつよるだいはち艦隊かんたいだいていだん上陸じょうりく中止ちゅうし決定けっていし、睦月むつき生存せいぞんしゃせた弥生やよい哨戒しょうかいてい1ごう・2ごうは、27にちにラバウルに到着とうちゃくした[32]。10月1にち帝国ていこく駆逐くちくかんせきから除籍じょせきされた[33]

歴代れきだい艦長かんちょう

編集へんしゅう

※『艦長かんちょうたちの軍艦ぐんかん』248-249ぺーじによる。

艤装ぎそういんちょう

編集へんしゅう
  1. 白石しらいし邦夫くにお 中佐ちゅうさ:1925ねん12月1にち - 1926ねん2がつ5にち[34]

艦長かんちょう

編集へんしゅう
  1. 白石しらいし邦夫くにお 中佐ちゅうさ:1926ねん2がつ5にち[34] - 1927ねん12月1にち[35]
  2. 石橋いしばし三郎さぶろう 中佐ちゅうさ:1927ねん12月1にち - 1928ねん12がつ10日とおか
  3. きむ桝義おっと 少佐しょうさ:1928ねん12がつ10日とおか - 1929ねん4がつ23にち
  4. 小野寺おのでら丑蔵うしぞう 少佐しょうさ:1929ねん4がつ23にち[36] - 1929ねん11月1にち[37]
  5. 佐藤さとうけいぞう 少佐しょうさ:1929ねん11月1にち[37] - 1930ねん12月1にち[38]
  6. 高次こうじぬきいち 少佐しょうさ:1930ねん12月1にち - 1932ねん2がつ6にち[39]
  7. 古木ふるきひゃくぞう 少佐しょうさ:1932ねん2がつ6にち[39] - 1932ねん5がつ20日はつか[40]
  8. 井原いはら美岐みきゆう 少佐しょうさ:1932ねん5がつ20日はつか - 1934ねん11月15にち
  9. けん前川まえかわ新一郎しんいちろう 少佐しょうさ:1934ねん11月15にち - 1935ねん10がつ31にち[41]
  10. 吉田よしだ英三えいぞう 少佐しょうさ:1935ねん10がつ31にち[41] - 1936ねん11月16にち
  11. けん白濱しらはませいなな 少佐しょうさ:1936ねん11月16にち[42] - 1936ねん12月1にち[43]
  12. 新谷しんたに喜一きいち 少佐しょうさ:1936ねん12月1にち[43] - 1937ねん12月1にち[44]
  13. 岡三おかさん知夫ちぶ 少佐しょうさ:1937ねん12月1にち[44] - 1938ねん8がつ1にち[45]
  14. 有馬ありまこうやすし 少佐しょうさ:1938ねん8がつ1にち[45] - 1938ねん8がつ2にち[46]
  15. 杉岡すぎおかたかしなな 少佐しょうさ:1938ねん8がつ2にち[46] - 1939ねん6がつ24にち[47]
  16. けん菅間すがま良吉りょうきち 少佐しょうさ:1939ねん6がつ24にち[47] - 1939ねん11月1にち[48]
  17. 太田おおたりょう直治なおじ 少佐しょうさ:1939ねん11月1にち[48] - 1940ねん5がつ1にち[49]
  18. 作間さくまえい少佐しょうさ:1940ねん5がつ1にち[49] - 1940ねん11月15にち[50]
  19. もり幸吉こうきち 少佐しょうさ:1940ねん11月15にち[50] - 1941ねん9がつ12にち[51]
  20. 畑野はたの健二けんじ 少佐しょうさ:1941ねん9がつ12にち[51] - 1942ねん9がつ8にち[52]

脚注きゃくちゅう

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  1. ^ a b c d #艦船かんせん要目ようもく(昭和しょうわ12ねん12月1にち現在げんざい)p.4『睦月むつき|一等いっとう驅逐くちくかん|(かん要目ようもくりゃく)|佐世保させぼ工廠こうしょう|大正たいしょう13-5-21|14-7-23|15-3-25|(へいそうりゃく)』
  2. ^ #艦艇かんてい類別るいべつ等級とうきゅうひょう(昭和しょうわ16ねん12月31にち)p.1『艦艇かんてい類別るいべつ等級とうきゅうひょう|驅逐くちくかん|一等いっとう|睦月むつきがた|睦月むつき如月きさらぎ彌生やよい卯月うづき皐月さつき水無月みなづき文月ふづき長月ながつき菊月きくづき三日月みかづき望月もちづきゆうがつ
  3. ^ #たち大正たいしょう12ねん7がつp.7
  4. ^ 大正たいしょう13ねん4がつ24にちづけ たちだい49ごう
  5. ^ #たち昭和しょうわ3ねん6がつpp7-8『いたるだいはちじゅうごう 驅逐くちくかん掃海そうかいていちゅうひだりつう改名かいめいほんたち昭和しょうわさんねんはちがついちにちヨリこれ施行しこうス|昭和しょうわさんねんろくがつじゅうにち 海軍かいぐん大臣だいじん岡田おかだ啓介けいすけだいじゅうきゅうごう驅逐くちくかん驅逐くちくかん 睦月むつき(ムツキ)トス』
  6. ^ #S5御召おめしかん準備じゅんび p.2『いち.御召おめしかん 軍艦ぐんかん霧島きりしま/.供奉ぐぶかん だいさんじゅう駆逐くちくたい(睦月むつき如月きさらぎ彌生やよい卯月うづき)/さん.みぎそと宇野うのこうヘハくれ鎮守ちんじゅヨリ警備けいびかんトシテ軍艦ぐんかん天龍てんりゅう及第きゅうだいじゅうはち駆逐くちくたい派遣はけん予定よてい』p.26『いち.軍艦ぐんかん霧島きりしま行動こうどう予定よてい
  7. ^ a b #海軍かいぐん人間にんげん語録ごろく75-78ぺーじ上妻こうづまいちみずガンバリおとす』
  8. ^ #日本にっぽん空母くうぼ戦史せんし24-25ぺーじ
  9. ^ #日本にっぽん空母くうぼ戦史せんし39-40ぺーじ
  10. ^ #日本にっぽん空母くうぼ戦史せんし58ぺーじ
  11. ^ #だい23駆逐くちくたいささえ事変じへんだい8かい功績こうせきp.1『卯月うづき|慰労いろうおつ|15.10.15いたり15.11.15|どうみぎ|うちれいだいなないちごうニヨリだいじゅうさん驅逐くちくたい編入へんにゅうセラル』
  12. ^ #戦史せんし叢書そうしょ大本営だいほんえい海軍かいぐん(2)24こう
  13. ^ 昭和しょうわ16ねん10がつ6にち 海軍かいぐん公報こうほう(部内ぶないげん)だい3915ごう p.43」 アジア歴史れきし資料しりょうセンター Ref.C12070397700 『○司令しれい驅逐くちくかん変更へんこう だいさんじゅう驅逐くちくかんじゅうがついちにち司令しれい驅逐くちくかん如月きさらぎヨリ睦月むつき變更へんこうセリ』
  14. ^ #編制へんせい(昭和しょうわ16ねん12月31にち現在げんざい)p.2
  15. ^ a b #戦史せんし叢書そうしょ南東なんとう方面ほうめん海軍かいぐん作戦さくせん(1)252,254,329ぺーじ
  16. ^ #うちれい昭和しょうわ17ねん5がつ(3)p.39
  17. ^ #S1704だい海上かいじょう護衛ごえいたい日誌にっし(1)p.15『(さん)任務にんむ編制へんせい配備はいび(ロ)駆逐くちくかん睦月むつき 五月ごがつさんじゅうにち編入へんにゅう』p.29『5がつ30にち.1130睦月むつき出港しゅっこう生駒山いこまやままるてきせん攻撃こうげきヲ受ケツツアル現場げんば(330ふんきた14340ふんひがし)ニ急行きゅうこうス||5月31にち1630睦月むつき生駒山いこまやままるついささやき攻撃こうげきヲ受ケツツアル現場げんば到着とうちゃくス』p.34『(さん)任務にんむ編制へんせい配備はいび 備考びこう/6月2にち南洋なんよう部隊ぶたいでんれいさくだい207ごう睦月むつきだい海上かいじょう護衛ごえいたいヨリじょカル』
  18. ^ 戦史せんし叢書そうしょだい49かん 南東なんとう方面ほうめん海軍かいぐん作戦さくせん<1>ガとう奪回だっかい作戦さくせん開始かいしまで、378-379ページ、戦史せんし叢書そうしょだい62かん 中部ちゅうぶ太平洋たいへいよう方面ほうめん海軍かいぐん作戦さくせん<2>昭和しょうわじゅうななねんろくがつ以降いこう、38、44ページ
  19. ^ 戦史せんし叢書そうしょだい49かん 南東なんとう方面ほうめん海軍かいぐん作戦さくせん<1>ガとう奪回だっかい作戦さくせん開始かいしまで、379ページ、戦史せんし叢書そうしょだい62かん 中部ちゅうぶ太平洋たいへいよう方面ほうめん海軍かいぐん作戦さくせん<2>昭和しょうわじゅうななねんろくがつ以降いこう、41ページ
  20. ^ 昭和しょうわ17ねんがつにち昭和しょうわ17ねんがつ10にち だい水雷すいらい戦隊せんたい戦時せんじ日誌にっし戦闘せんとう詳報しょうほう(3)、だい38、44、59、61画像がぞう
  21. ^ 戦史せんし叢書そうしょだい49かん 南東なんとう方面ほうめん海軍かいぐん作戦さくせん<1>ガとう奪回だっかい作戦さくせん開始かいしまで、381ページ
  22. ^ 戦史せんし叢書そうしょだい62かん 中部ちゅうぶ太平洋たいへいよう方面ほうめん海軍かいぐん作戦さくせん<2>昭和しょうわじゅうななねんろくがつ以降いこう、60ページ
  23. ^ #S1704だい海上かいじょう護衛ごえいたい日誌にっし(1)pp.51-52『(ロ)7がつ10日とおかいたり7がつ14にち区分くぶん/だい2海上かいじょう護衛ごえいたいかん(たい)めい/夕張ゆうばりだい29駆逐くちくたい(ゆうがつ追風おいかぜ朝凪あさなぎ夕凪ゆうなぎ)、だい30駆逐くちくたい(睦月むつき弥生やよい望月もちづき卯月うづき)、能代のしろまるちょううんまる
  24. ^ #S1704だい海上かいじょう護衛ごえいたい日誌にっし(1)p.53『II編制へんせい経過けいか概要がいよう 7がつ中旬ちゅうじゅん以降いこうとうたい編制へんせいみぎノ如クあらためメラレやや兵力へいりょく充実じゅうじつルモだいさんじゅう駆逐くちくたいとうたい任務にんむ従事じゅうじスルニいたりラズシテとうたいヨリじょカレ、夕張ゆうばりだいじゅうきゅう駆逐くちくたいまた「ソロモン」「ニューギニヤ」方面ほうめん作戦さくせん従事じゅうじちゅうニシテほんがつとうたい固有こゆう護衛ごえい任務にんむふくスル機会きかいナク、せん能代のしろまるちょううんまるノ2かんとうたい任務にんむ遂行すいこうセリ』
  25. ^ #S1708がい南洋なんよう部隊ぶたい増援ぞうえん部隊ぶたい詳報しょうほう(1)pp.16-17『(20)30dg(卯月うづき望月もちづきかけ)いそふうふう陽炎かげろうハ8がつ24にち2200「ルンガロード」ニ進入しんにゅう飛行場ひこうじょう附近ふきん砲撃ほうげきシタル北方ほっぽうニ避退セリ。陽炎かげろうてきせん1せき砲撃ほうげき及爆かみなり攻撃こうげきがい確実かくじつ撃沈げきちんセリ』
  26. ^ #戦史せんし叢書そうしょ南東なんとう方面ほうめん海軍かいぐん作戦さくせん(1)585ぺーじ
  27. ^ #S1708がい南洋なんよう部隊ぶたい増援ぞうえん部隊ぶたい詳報しょうほう(1)pp.17『(21)だい梯団ていだんハ8がつ25にち0023がつ明下あけした船団せんだん触接しょくせつちゅうてき「コンソリデット」1みとめメ而モすんでてき航空こうくう威力いりょく圏内けんない進入しんにゅうシアリシヲ以テえき厳重げんじゅうナル警戒けいかいヲナシツツ南下なんかシ0235哨戒しょうかいてい(4せき)ヲぞくイテ0540 30dg(望月もちづき卯月うづきかけ)陽炎かげろうこうふう、及磯ふう合同ごうどうセリ。みぎ部隊ぶたいがいしん編入へんにゅうノモノナリシヲ以テ警戒けいかい航行こうこう序列じょれつ泊地はくち進入しんにゅう揚陸ようりくなみ出港しゅっこう離脱りだつ要領ようりょうとうしたれいスルノようアリ』
  28. ^ #S1708二水にすいせん日誌にっし(4)p.12『なおきむりゅうまる乗員じょういん弥生やよい、哨1、哨34ニ収容しゅうようこう睦月むつき魚雷ぎょらいリ0853沈没ちんぼつセリ』-『1135弥生やよい艦長かんちょう/きむりゅうまる乗員じょういん船長せんちょう以下いか57めい収容しゅうよう(うちじゅん士官しかん以上いじょう14めい下士官かしかんへい36めい負傷ふしょうしゃ5めい)』p.15『25にち24dg司令しれい/いち.きむりゅうまるなお火災かさい鎮火ちんかセズ30dg(望月もちづき卯月うづきかけ)ハ現場げんばニテ救援きゅうえんちゅう.みぎ以外いがい艦船かんせん針路しんろ20速力そくりょく8.5せつニテ航行こうこうちゅうきむりゅうまる乗員じょういん及陸戦隊せんたいいん一部いちぶハ哨1哨2ニ収容しゅうようセリ|さん.其ノ被害ひがいナシ」
  29. ^ #EIWA MOOK 軍艦ぐんかん最期さいご瞬間しゅんかん The moment when a Japanese warship wasoverwhelmed and smashed up and the story 太平洋戦争たいへいようせんそう沈没ちんぼつかん現在げんざいと、迫力はくりょく外国がいこくかんp.71
  30. ^ #S1708二水にすいせん日誌にっし(4)pp.12-13『25にち30dg司令しれい/30dg(望月もちづき卯月うづきかけ)ハ地点ちてん「ケムヌ14」ニ於テ金龍きんりゅうまる救助きゅうじょ処分しょぶん従事じゅうじちゅう睦月むつきハ0827てきB-17さんばくげきヲ受ケ後部こうぶ機械きかいしつ命中めいちゅう0940とげ沈没ちんぼつセリ、生存せいぞんしゃ全部ぜんぶ弥生やよい収容しゅうようセリ|戦死せんし(行衛ゆくえ不明ふめいモ含ム)じゅん士官しかん以上いじょう3めい下士官かしかんへい37めい負傷ふしょうしゃじゅん士官しかん以上いじょう3めい下士官かしかんへい8めい
  31. ^ #戦史せんし叢書そうしょ南東なんとう方面ほうめん海軍かいぐん作戦さくせん(1)587ぺーじ
  32. ^ #S1708二水にすいせん日誌にっし(6)p.39『27にち.0330弥生やよい、哨1、哨2「ラバール」
  33. ^ #うちれい昭和しょうわ17ねん10がつ(1)p.3
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  36. ^ 官報かんぽうだい693ごう昭和しょうわ4ねん4がつ24にち
  37. ^ a b 官報かんぽうだい854ごう昭和しょうわ4ねん11月2にち
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  39. ^ a b 官報かんぽうだい1531ごう昭和しょうわ7ねん2がつ9にち
  40. ^ 官報かんぽうだい1615ごう昭和しょうわ7ねん5がつ21にち
  41. ^ a b 官報かんぽうだい2651ごう昭和しょうわ10ねん11月2にち
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  43. ^ a b 昭和しょうわ11ねん12月2にちづけ 官報かんぽうだい2976ごう国立こくりつ国会図書館こっかいとしょかんデジタルコレクション 永続えいぞくてき識別子しきべつし info:ndljp/pid/2959458 で閲覧えつらん可能かのう
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  46. ^ a b 昭和しょうわ13ねん8がつ3にちづけ 海軍かいぐん辞令じれい公報こうほうごうがい部内ぶないげんだい220ごう」 アジア歴史れきし資料しりょうセンター Ref.C13072074200 
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参考さんこう文献ぶんけん

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資料しりょう

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なし

いち資料しりょう

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  • アジア歴史れきし資料しりょうセンター防衛ぼうえいしょう防衛ぼうえい研究所けんきゅうじょ
    • Ref.C13071968200『昭和しょうわ11ねん12月11にち現在げんざい10はんないれい提要ていよう追録ついろくだい1ごう原稿げんこう/まき1 追録ついろく/だい6るい機密きみつ保護ほご()』。 
    • Ref.C13071976600『昭和しょうわ13ねん12月25にち現在げんざい10はんないれい提要ていよう追録ついろくだい4ごう原稿げんこう/ まき1追録ついろく/だい2るい 編制へんせい(1)』。 
    • Ref.C13072000700『まき1 追録ついろくだい2るい 編制へんせい(昭和しょうわ16ねん12月31にち現在げんざい 10はん うちれい提要ていよう追録ついろくだい10ごう原稿げんこうまき1)』。 
    • Ref.C05034080200『だい4149ごう10.10.3さいしとぎりょう下賜かしけん』。 
    • Ref.C08030125400『昭和しょうわ17ねん5がつ1にち昭和しょうわ17ねん7がつ10日とおか だい6水雷すいらい戦隊せんたい戦時せんじ日誌にっし戦闘せんとう詳報しょうほう(3)』。 
    • Ref.C08030142500『昭和しょうわ17ねん4がつ10日とおか昭和しょうわ19ねん4がつ24にち だい2海上かいじょう護衛ごえいたい司令しれい戦時せんじ日誌にっし(1)』。 
    • Ref.C08030142600『昭和しょうわ17ねん4がつ10日とおか昭和しょうわ19ねん4がつ24にち だい2海上かいじょう護衛ごえいたい司令しれい戦時せんじ日誌にっし(2)』。 
    • Ref.C05021029500『公文こうぶん備考びこう 昭和しょうわ5ねんCせいまき1/だい3482ごう5.10.22御召おめしかん準備じゅんびかんするけん』。 
    • Ref.C08030057600『昭和しょうわ16ねん12月1にち昭和しょうわ17ねん1がつ31にち だい18戦隊せんたい戦時せんじ日誌にっし戦闘せんとう詳報しょうほう AA攻略こうりゃく作戦さくせん(1)』。 
    • Ref.C08030057700『昭和しょうわ16ねん12月1にち昭和しょうわ17ねん1がつ31にち だい18戦隊せんたい戦時せんじ日誌にっし戦闘せんとう詳報しょうほう AA攻略こうりゃく作戦さくせん(1)』。 
    • Ref.C08030057800『昭和しょうわ16ねん12月1にち昭和しょうわ17ねん1がつ31にち だい18戦隊せんたい戦時せんじ日誌にっし戦闘せんとう詳報しょうほう AA攻略こうりゃく作戦さくせん(1)』。 
    • Ref.C08030057900『昭和しょうわ16ねん12月1にち昭和しょうわ17ねん1がつ31にち だい18戦隊せんたい戦時せんじ日誌にっし戦闘せんとう詳報しょうほう AA攻略こうりゃく作戦さくせん(1)』。 
    • Ref.C08030058000『昭和しょうわ16ねん12月1にち昭和しょうわ17ねん1がつ31にち だい18戦隊せんたい戦時せんじ日誌にっし戦闘せんとう詳報しょうほう AA攻略こうりゃく作戦さくせん(1)』。 
    • Ref.C08030142500『昭和しょうわ17ねん4がつ10日とおか昭和しょうわ19ねん4がつ24にち だい2海上かいじょう護衛ごえいたい司令しれい戦時せんじ日誌にっし(1)』。 
    • Ref.C08030142600『昭和しょうわ17ねん4がつ10日とおか昭和しょうわ19ねん4がつ24にち だい2海上かいじょう護衛ごえいたい司令しれい戦時せんじ日誌にっし(2)』。 
    • Ref.C08030095600『昭和しょうわ17ねん8がつ1にち昭和しょうわ17ねん8がつ31にち だい2水雷すいらい戦隊せんたい戦時せんじ日誌にっし(1)』。 
    • Ref.C08030095700『昭和しょうわ17ねん8がつ1にち昭和しょうわ17ねん8がつ31にち だい2水雷すいらい戦隊せんたい戦時せんじ日誌にっし(2)』。 
    • Ref.C08030095800『昭和しょうわ17ねん8がつ1にち昭和しょうわ17ねん8がつ31にち だい2水雷すいらい戦隊せんたい戦時せんじ日誌にっし(3)』。 
    • Ref.C08030095900『昭和しょうわ17ねん8がつ1にち昭和しょうわ17ねん8がつ31にち だい2水雷すいらい戦隊せんたい戦時せんじ日誌にっし(4)』。 
    • Ref.C08030096000『昭和しょうわ17ねん8がつ1にち昭和しょうわ17ねん8がつ31にち だい2水雷すいらい戦隊せんたい戦時せんじ日誌にっし(5)』。 
    • Ref.C08030096100『昭和しょうわ17ねん8がつ1にち昭和しょうわ17ねん8がつ31にち だい2水雷すいらい戦隊せんたい戦時せんじ日誌にっし(6)』。 
    • Ref.C08030096400『昭和しょうわ17ねん8がつ13にち昭和しょうわ17ねん8がつ31にち そと南洋なんよう部隊ぶたい増援ぞうえん部隊ぶたい戦闘せんとう詳報しょうほう(1)』。 
    • Ref.C08030096500『昭和しょうわ17ねん8がつ13にち昭和しょうわ17ねん8がつ31にち そと南洋なんよう部隊ぶたい増援ぞうえん部隊ぶたい戦闘せんとう詳報しょうほう(2)』。 
    • Ref.C08030096600『昭和しょうわ17ねん8がつ13にち昭和しょうわ17ねん8がつ31にち そと南洋なんよう部隊ぶたい増援ぞうえん部隊ぶたい戦闘せんとう詳報しょうほう(3)』。 
    • Ref.C08030096700『昭和しょうわ17ねん8がつ13にち昭和しょうわ17ねん8がつ31にち そと南洋なんよう部隊ぶたい増援ぞうえん部隊ぶたい戦闘せんとう詳報しょうほう(4)』。 
    • Ref.C08030096800『昭和しょうわ17ねん8がつ13にち昭和しょうわ17ねん8がつ31にち そと南洋なんよう部隊ぶたい増援ぞうえん部隊ぶたい戦闘せんとう詳報しょうほう(5)』。 
    • Ref.C08030096900『昭和しょうわ17ねん8がつ13にち昭和しょうわ17ねん8がつ31にち そと南洋なんよう部隊ぶたい増援ぞうえん部隊ぶたい戦闘せんとう詳報しょうほう(6)』。 
    • Ref.C08030022500『昭和しょうわ17ねん9がつ14にち昭和しょうわ18ねん8がつ15にち だい8艦隊かんたい戦時せんじ日誌にっし(1)』。 
    • Ref.C08030022600『昭和しょうわ17ねん9がつ14にち昭和しょうわ18ねん8がつ15にち だい8艦隊かんたい戦時せんじ日誌にっし(2)』。 
    • Ref.C12070082300『大正たいしょう12ねんたちかん/7がつ』。 
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    • Ref.C12070165700『昭和しょうわ17ねん10がつ~12がつないれい4かんとめ/昭和しょうわ17ねん10がつ(1)』。 
    • Ref.C14120971100『ささえ事変じへん だい8かい功績こうせきがいひょうつづり 駆逐くちくたい 潜水せんすいたい 水雷すいらいたい 掃海そうかいたい 海軍かいぐん武功ぶこう調査ちょうさ/23たい機密きみつだい29ごうの2 だい23駆逐くちくたいささえ事変じへんだい8かい功績こうせきがいひょう』。 
  • 防衛庁ぼうえいちょう防衛ぼうえい研修けんしゅうしょ戦史せんししつ戦史せんし叢書そうしょ49 南東なんとう方面ほうめん海軍かいぐん作戦さくせん(1) とう奪還だっかん作戦さくせん開始かいしまでちょうくも新聞しんぶんしゃ、1971ねん9がつ 
  • 防衛庁ぼうえいちょう防衛ぼうえい研修けんしゅうしょ戦史せんししつ戦史せんし叢書そうしょ62 中部ちゅうぶ太平洋たいへいよう方面ほうめん海軍かいぐん作戦さくせん(2) 昭和しょうわじゅうななねんろくがつ以降いこうちょうくも新聞しんぶんしゃ、1973ねん2がつ 
  • 防衛庁ぼうえいちょう防衛ぼうえい研修けんしゅうしょ戦史せんししつ戦史せんし叢書そうしょ101 大本営だいほんえい海軍かいぐん だい東亜とうあ戦争せんそう開戦かいせん経緯けいい(2)ちょうくも新聞しんぶんしゃ、1979ねん9がつ 
  • 木俣きまたしげるろう日本にっぽん空母くうぼ戦史せんし図書としょ出版しゅっぱんしゃ、1977ねん7がつ 
  • 佐藤さとう和正かずまさ艦長かんちょうたちの太平洋戦争たいへいようせんそう 続篇ぞくへん』(光人みつひとしゃ、1984ねんISBN 4-7698-0231-5
  • 佐藤さとう和正かずまさ艦長かんちょうたちの太平洋戦争たいへいようせんそう 続編ぞくへん 17にん艦長かんちょうかたった勝者しょうしゃ条件じょうけん光人みつひとしゃNF文庫ぶんこ、1995ねん12月。ISBN 4-7698-2106-9 
    • 貴重きちょう勝利しょうり <駆逐くちくかんきよししも艦長かんちょう梶本かじもと中佐ちゅうさ証言しょうげん>(太平洋戦争たいへいようせんそうゆうふう艦長かんちょう弥生やよい艦長かんちょう沈没ちんぼつ》、三重みえそら教官きょうかんへい学校がっこう教官きょうかんきよししも艦長かんちょうとう
  • 吉田よしだ俊雄としお「7しょう 船乗ふなのたましい 上妻あがつまたかし千代ちよいちみずの「ふうかってかん(ふね)をてただけです」」『海軍かいぐん人間にんげん語録ごろく 現代げんだいきる海軍かいぐんしき言行げんこうろく光人みつひとしゃ、1985ねん6がつISBN 4-7698-0271-4 
  • 奥宮おくのみや正武まさたけ『ラバウル海軍かいぐん航空こうくうたい学習研究社がくしゅうけんきゅうしゃ、2001ねん3がつ原著げんちょ1992ねん)。ISBN 4-05-901045-6 
  • 外山とやまみさお艦長かんちょうたちの軍艦ぐんかん光人みつひとしゃ、2005ねん

さん資料しりょう

編集へんしゅう
  • 日本にっぽん造船ぞうせん学会がっかい昭和しょうわ造船ぞうせん だい1かん』(はら書房しょぼう、1981ねんだい3さつISBN 4-562-00302-2
  • 雑誌ざっしまる編集へんしゅう写真しゃしん 日本にっぽん軍艦ぐんかん だい10かん 駆逐くちくかんI』(光人みつひとしゃ、1990ねんISBN 4-7698-0460-1
  • 海軍かいぐん歴史れきし保存ほぞんかい日本にっぽん海軍かいぐん だい7かん』(第一法規出版だいいちほうきしゅっぱん、1995ねん