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第二次ソロモン海戦 - Wikipedia

だいソロモン海戦かいせん(だいにじソロモンかいせん)は、だい世界せかい大戦たいせん太平洋戦争たいへいようせんそうちゅう、1942ねん8がつ24にちソロモン諸島しょとうきたたたかわれた日本にっぽんぐんアメリカぐんとのあいだ海戦かいせん連合れんごうぐんがわ呼称こしょう東部とうぶソロモン海戦かいせん(Battle of the Eastern Solomons)[1]日本にっぽん海軍かいぐん空母くうぼ1せき喪失そうしつ、ガダルカナルとうへの兵員へいいん輸送ゆそうにも失敗しっぱいして敗北はいぼくした。

だいソロモン海戦かいせん

攻撃こうげきけるべい空母くうぼエンタープライズ
戦争せんそう太平洋戦争たいへいようせんそう
年月日ねんがっぴ:1942ねん8がつ23にち-24にち
場所ばしょ:ソロモン諸島しょとう
結果けっか:アメリカの勝利しょうり
交戦こうせん勢力せいりょく
大日本帝国の旗 大日本帝国だいにっぽんていこく アメリカ合衆国の旗 アメリカ合衆国あめりかがっしゅうこく
指導しどうしゃ指揮しきかん
大日本帝国の旗 南雲なぐも忠一ただかず
大日本帝国の旗 阿部あべ弘毅こうき
大日本帝国の旗 はら忠一ただかず
大日本帝国の旗 三川みかわ軍一ぐんいち
大日本帝国の旗 近藤こんどうしんちく
大日本帝国の旗 田中たなかよりゆきさん
アメリカ合衆国の旗 フランク・J・フレッチャー
アメリカ合衆国の旗 トーマス・C・キンケイド
戦力せんりょく
空母くうぼ3せき
戦艦せんかん3せき
巡洋艦じゅんようかん12せき
駆逐くちくかん34せき
空母くうぼ3せき
戦艦せんかん1せき
巡洋艦じゅんようかん7せき
駆逐くちくかん16せき
損害そんがい
空母くうぼ1せき沈没ちんぼつ
艦載かんさい25損失そんしつ
駆逐くちくかん1せき沈没ちんぼつ
輸送ゆそうせん1せき沈没ちんぼつ
けい巡洋艦じゅんようかん1せき水上すいじょう母艦ぼかん1せきちゅうやぶ
空母くうぼ1せきちゅうやぶ
艦載かんさい9損失そんしつ
ソロモン諸島しょとうたたか

背景はいけい

編集へんしゅう

1942ねん昭和しょうわ17ねん)6がつ上旬じょうじゅんミッドウェー海戦かいせん日本にっぽんぐん主力しゅりょく空母くうぼ4せき赤城あかぎ加賀かがあおいりゅうりゅう)を一挙いっきょうしない、FS作戦さくせん延期えんきとなった。わりとしてソロモン諸島しょとう、ニューギニア諸島しょとう航空こうくう基地きち建造けんぞうオーストラリア孤立こりつさせるSN作戦さくせん発動はつどうし、ガダルカナルとう飛行場ひこうじょう建設けんせつした。

同年どうねん8がつ7にち、アメリカぐんウォッチタワー作戦さくせん発動はつどうし、ガダルカナルとうツラギとうアメリカ海兵かいへいたい上陸じょうりくフロリダ諸島しょとうたたかすえ占領せんりょうした。これにたい日本にっぽんぐんニューブリテンとうラバウル基地きちから航空こうくうたいを、つづいてだいはち艦隊かんたいおくんだ。同月どうげつ8にち-9にちにかけてだいいちソロモン海戦かいせん生起せいきし、日本にっぽんぐん勝利しょうりした。

護衛ごえい部隊ぶたい壊滅かいめつしたことをけ、アメリカぐん輸送ゆそう船団せんだん物資ぶっし揚陸ようりく中止ちゅうしすると、アメリカぐん海兵かいへいたいのこして撤退てったいした。だが、日本にっぽんぐん海軍かいぐん陸戦りくせんたいせた輸送ゆそう船団せんだん撃退げきたいされガダルカナル・ツラギ早期そうき奪回だっかい頓挫とんざする。さらに、海軍かいぐん航空こうくうたい輸送ゆそう船団せんだんすうじゅうせき撃沈げきちんしたという誤認ごにん戦果せんか報告ほうこくや、前線ぜんせんからの確認かくにん情報じょうほうしんじたため、日本にっぽんぐん上層じょうそう上陸じょうりくしたアメリカぐん海兵かいへいたい戦力せんりょくやく3,000めい誤認ごにんし、ミッドウェー作戦さくせんよう準備じゅんびととのえていた一木いちききよしただし陸軍りくぐん大佐たいさ指揮しき一木いちき支隊したいをガダルカナルとう転用てんようし、この兵力へいりょくでガダルカナルとう奪回だっかいできると判断はんだんした。

一木いちき支隊したい壊滅かいめつほうけるまえ、8がつ25にちごろまでにガダルカナルとう奪回だっかい完了かんりょうすることをめ、一木いちき支隊したい支援しえん奪回だっかい確実かくじつにすべく、川口かわぐちきよしけん少将しょうしょうひきいる川口かわぐち支隊したい投入とうにゅう決定けってい近藤こんどうしんちく中将ちゅうじょうだい艦隊かんたい南雲なぐも忠一ただかず中将ちゅうじょうだいさん艦隊かんたい増援ぞうえん部隊ぶたい輸送ゆそう支援しえんおこなうこととなった。

だい艦隊かんたいは8がつ11にちだいいち航空こうくう戦隊せんたい空母くうぼ3せきしょうづるみずづるりゅう)を主力しゅりょくとするだいさん艦隊かんたいは16にちに、17にちには戦艦せんかん大和やまと以下いか山本やまもと五十六いそろく連合れんごう艦隊かんたい司令しれい長官ちょうかんも、それぞれトラック出撃しゅつげきした[2]

8がつ17にち陸軍りくぐん一木ひとつき支隊したいせた有賀ありが幸作こうさくだい4駆逐くちくたい司令しれい指揮しき駆逐くちくかん6せきあらしはぎふううらふう谷風たにかぜ浜風はまかぜ陽炎かげろう)がトラックを出発しゅっぱつし、18にちにガダルカナルとう揚陸ようりくさせた。なおはぎふう空襲くうしゅう損傷そんしょうし、あらしともにトラックへ撤退てったい。また、だい17駆逐くちくたいうらふう谷風たにかぜ浜風はまかぜ)はラビのたたか参加さんかすることまっておりラバウルへ移動いどうした。このため、ガダルカナルとう海域かいいきのこったのは陽炎かげろう1せきとなり、たんかん偵察ていさつ対地たいち砲撃ほうげきをおこなった[3]

このように日本にっぽんぐんは、だいいちソロモン海戦かいせん師団しだんのようなだい規模きぼ上陸じょうりく兵力へいりょく投入とうにゅうするなどの積極せっきょくてき行動こうどうをせず、ガダルカナルとうからアメリカ海兵かいへいたい撃退げきたいする絶好ぜっこうのチャンスをのがした[4]ぎゃくにアメリカ海兵かいへいたい遺棄いきされた日本にっぽんぐん器材きざい利用りようして、ヘンダーソン飛行場ひこうじょう基地きち完成かんせいさせた[4]

海戦かいせんまえ動向どうこう

編集へんしゅう

アメリカぐん空母くうぼエンタープライズサラトガワスプ主力しゅりょくとするだい61任務にんむ部隊ぶたい(F・J・フレッチャー中将ちゅうじょう)をこの方面ほうめん進出しんしゅつさせた。

8がつ19にちだい艦隊かんたいだい水雷すいらい戦隊せんたい旗艦きかん神通じんずう司令しれいかん田中たなかよりゆきさん少将しょうしょう)に護衛ごえいされ、一木いちき支隊したい増援ぞうえん部隊ぶたいがトラックを出発しゅっぱつした[5]同日どうじつそと南洋なんよう部隊ぶたいおよび田中たなか司令しれいかんこうふうたいし、陽炎かげろう任務にんむ交替こうたいするようしたれいした[3][6]こうふう船団せんだん護衛ごえい部隊ぶたいだい水雷すいらい戦隊せんたい)から分離ぶんりしてガとう海域かいいき先行せんこう燃料ねんりょう不足ふそく陽炎かげろうとガダルカナルとう周辺しゅうへん警戒けいかい任務にんむ交代こうたいした[3]

日本にっぽんがわ一木いちき支隊したい出発しゅっぱつ川口かわぐち支隊したい輸送ゆそうはじめていたが、20日はつか偵察ていさつがガダルカナルとう南東なんとう空母くうぼふく艦隊かんたい発見はっけんしたため[7]輸送ゆそう一時いちじ中止ちゅうしした。そして、ガダルカナルとう海域かいいき航空こうくう優勢ゆうせい確立かくりつのため、だいさん艦隊かんたいはトラック入港にゅうこうりやめ南下なんかした。さらに、トラックにあっただい艦隊かんたい近藤こんどうしんちく中将ちゅうじょう)も同日どうじつ出撃しゅつげきした。戦艦せんかん陸奥みちのく」はだい2駆逐くちくたい村雨むらさめ五月雨さみだれ春雨はるさめ)のトラックとう到着とうちゃくってトラックを出撃しゅつげきした。

8がつ20日はつか、アメリカぐんすで完成かんせいさせていたヘンダーソン飛行場ひこうじょう航空こうくうたい進出しんしゅつさせることをこころみ、護衛ごえい空母くうぼロング・アイランドけい巡洋艦じゅんようかんヘレナと駆逐くちくかんいちせき護衛ごえいのもと、戦闘せんとうF4Fワイルドキャット19、急降下きゅうこうか爆撃ばくげきSBDドーントレス12輸送ゆそうした。日本にっぽんぐんはこれをアメリカ機動きどう部隊ぶたい誤認ごにんし、輸送ゆそう船団せんだん一旦いったん後退こうたいさせた[8][9]

8がつ21にち一木いちき支隊したいヘンダーソン飛行場ひこうじょう目指めざしてアメリカ海兵かいへいたい攻撃こうげきおこなったが、戦死せんししゃやく800めいして敗退はいたい海兵かいへいたい戦死せんししゃやく40めいだった。 ラバウル基地きちだいじゅういち航空こうくう艦隊かんたいだいじゅうろく航空こうくう戦隊せんたいべいぐん空母くうぼもとめて攻撃こうげきたい発進はっしんさせたが、なん成果せいかもなかった[10]

8がつ22にち未明みめいこうふうたんかんでルンガ泊地はくち突入とつにゅう[11]べい駆逐くちくかんブルー、ヘンリーと交戦こうせん魚雷ぎょらい6ほん発射はっしゃして1ほんをブルーのかん命中めいちゅうさせた(ブルーは翌日よくじつ処分しょぶん[12][13]

南雲なぐも忠一ただかず中将ちゅうじょうひきいるだいさん艦隊かんたい空母くうぼ主戦しゅせんりょく明確めいかく位置いちづけた本格ほんかくてき機動きどう部隊ぶたいであったが[14]日本にっぽん海軍かいぐん規定きていでは、南雲なぐもより先任せんにんであるだい艦隊かんたい近藤こんどうしんちく中将ちゅうじょうだいさん艦隊かんたい統一とういつ指揮しきすることになっていた[15]。しかし、近藤こんどう司令しれい南雲なぐも司令しれいはおたがいの情報じょうほう交換こうかん戦術せんじゅつのすりわせをいちおこなったことがなかった。

だいさん艦隊かんたい珊瑚さんごうみ海戦かいせんでの修理しゅうりえレーダー(21ごうでんさがせ)を装備そうびしたしょうづるはたはたかかげた2つの集団しゅうだん構成こうせいされ[16]空母くうぼ3せき護衛ごえい部隊ぶたいからなる本隊ほんたいだいじゅういち戦隊せんたい(比叡ひえい霧島きりしま)・だいなな戦隊せんたい(じゅう巡洋艦じゅんようかん鈴谷すずや熊野くまの)・だいはち戦隊せんたい(じゅう巡洋艦じゅんようかん利根とね筑摩ちくま)の前衛ぜんえい艦隊かんたいかれていた[17]

そして、従来じゅうらい円形えんけい陣形じんけいとはことなり、前衛ぜんえい艦隊かんたい空母くうぼ部隊ぶたいから100 - 150海里かいり前方ぜんぽう進出しんしゅつしてよこいちれつ陣形じんけいかん間隔かんかく10 - 20km)をとって索敵さくてきてき攻撃こうげき吸収きゅうしゅうする役割やくわりにない、空母くうぼはそのうしろからたてつらなってつづき、真上まうえからると「ひのと」の陣形じんけいをとった。

いわばおとりおとりとなる前衛ぜんえい艦隊かんたい将兵しょうへいからは不満ふまん続出ぞくしゅつしたが、指揮しきかんたちしん陣形じんけいしん戦法せんぽう検討けんとうする時間じかんあたえられないまま最前線さいぜんせん進出しんしゅつした[17]機動きどう部隊ぶたい決戦けっせんけて前衛ぜんえい本隊ほんたい役割やくわりおよび位置いち関係かんけいについての戦術せんじゅつ説明せつめいする機会きかい時間じかんがなかったため、やむを航空機こうくうきからつつ投下とうかするという方法ほうほうかくたいかくかん配布はいふしている[17]

だいいち航空こうくう戦隊せんたい空母くうぼ瑞鳳ずいほうだい航空こうくう戦隊せんたい空母くうぼたかはやぶさたか)は練度れんど不足ふそくのため、日本にっぽん訓練くんれんつづけている[18]瑞鳳ずいほうは7がつ31にちドックからみぞしたばかりで出撃しゅつげき準備じゅんびわらず、こうせんりゅう驤が瑞鳳ずいほうだいかんとしてだいいち航空こうくう戦隊せんたい行動こうどうともにすることとなった[19]

海戦かいせん

編集へんしゅう

8がつ23にちあさ、アメリカぐんPBYカタリナ飛行ひこうてい日本にっぽんぐん増援ぞうえん部隊ぶたい発見はっけんする。サラトガから攻撃こうげき部隊ぶたいおくられるが天候てんこう不良ふりょうのため発見はっけんできなかった。同日どうじつ午前ごぜん、フレッチャーは「日本にっぽん艦隊かんたいはトラック北方ほっぽうにあり」という太平洋艦隊たいへいようかんたい情報じょうほう判断はんだん信用しんようして、ワスプを燃料ねんりょう補給ほきゅうのため南下なんかさせた[20]南雲なぐも機動きどう部隊ぶたい索敵さくてきおこないつつ南下なんかしたが、午後ごご4ごろ北上ほくじょうした[21]日本にっぽん海軍かいぐん航空こうくうたい基地きち航空こうくうたい)は23にちなん戦果せんかもあげられず、宇垣うがきまとい連合れんごう艦隊かんたい参謀さんぼうちょうは「なに目標もくひょうにしているのだ」と失望しつぼうしている[22]

8がつ24にち午前ごぜん0陸軍りくぐん上陸じょうりく予定よてい(25にち)をまえ空母くうぼりゅう驤、じゅう巡洋艦じゅんようかん利根とねだい8戦隊せんたい司令しれいかんはら忠一ただかず少将しょうしょう座乗ざじょう)、だいじゅうろく駆逐くちくたい時津風ときつかぜ天津てんしんふう)を分派ぶんぱしてガダルカナルとう攻撃こうげきかわせた[23]。ヘンダーソン飛行場ひこうじょう基地きち損害そんがいあたえること企図きとしていたとられる[20]詳細しょうさい命令めいれい以下いかとおり。

「カ」ごう作戦さくせんにおける機動きどう部隊ぶたい作戦さくせん種別しゅべつひだりとお[24]

だい一法いっぽうとくれいナケレバ本法ほんぽうトス)/ぜんぐん東方とうほうたいスル警戒けいかいいむニシツツ24にち0400がい地点ちてんケロヒ55附近ふきん進出しんしゅつ「サンクリストバル」しま南東なんとうかた敵艦てきかんたい捕捉ほそく撃滅げきめつ
だいほう利根とねりゅう驤、時津風ときつかぜヲ以テ支隊したいトシだいはち戦隊せんたい司令しれいかん指揮しきしも増援ぞうえん部隊ぶたい支援しえん及「ガダルカナル」ノ攻撃こうげきにんジ尓余ノ部隊ぶたいだい一法いっぽう作戦さくせん
だいさんほう支援しえんたいちょくだいほう作戦さくせんシ尓余ノ部隊ぶたいがい地点ちてんケユソ55附近ふきん適宜てきぎ行動こうどうてきどうキヲだい一法いっぽうてん
だいよんほうぜんぐん東方とうほうたい作戦さくせん

りゅう驤の航空こうくうたいがガダルカナルとう飛行場ひこうじょう攻撃こうげきしてアメリカぐん機動きどう部隊ぶたい注意ちゅういをひきつけ、そのあいだだいさん艦隊かんたい主力しゅりょくしょうづるみずづる)がアメリカぐん機動きどう部隊ぶたい撃破げきはするというおとり作戦さくせんであった。くさ鹿しか龍之介りゅうのすけだいさん艦隊かんたい参謀さんぼうちょうは、増援ぞうえん部隊ぶたい輸送ゆそう船団せんだんだい水雷すいらい戦隊せんたい護衛ごえい)が8がつ25にちとう上陸じょうりく予定よていなので前日ぜんじつちゅうにガとうヘンダーソン航空こうくう基地きちたた必要ひつようがあり、「(りゅう驤隊分派ぶんぱについて)ミッドウェーのわだちむことであるが、このさい仕方しかたがなかった」と回想かいそうしている[25]

同日どうじつ9、アメリカぐん飛行ひこうていりゅう驤を発見はっけんした[20]午前ごぜん1130ふんりゅう驤からガダルカナルとう攻撃こうげきたい発進はっしんした。フレッチャーはしょうづるみずづる存在そんざい気付きづかず、1145ふん、サラトガより38りゅう驤にかわせた。宇垣うがき参謀さんぼうちょうは、りゅう驤がちょうどおとりのような役割やくわりになったと表現ひょうげんしている[26]。12ぎ、筑摩ちくま水上すいじょう偵察ていさつがアメリカ艦隊かんたい発見はっけんし、消息しょうそくった[27]午後ごご1しょうづるみずづるからだい1攻撃こうげきたいせきまもる少佐しょうさ:きゅうきゅうしき艦上かんじょう爆撃ばくげき27れいしき艦上かんじょう戦闘せんとう10)が発進はっしんした。午後ごご18ふん南雲なぐも機動きどう部隊ぶたいSBDドーントレス2奇襲きしゅうけ、しょうづる艦橋かんきょう舷側げんそくすれすれに至近しきんだんとなった。しょうづる搭載とうさいレーダーはドーントレスを探知たんちして艦橋かんきょう報告ほうこくしていたが、喧噪けんそうにより指揮しきかんたちつたわらなかった[28]

1350ふん、サラトガからの攻撃こうげきたいりゅう驤を発見はっけんした。どう時刻じこく、アメリカぐん偵察ていさつりゅう驤の北方ほっぽう60マイルに南雲なぐも機動きどう部隊ぶたい主力しゅりょくしょうづるみずづる)を発見はっけんしていたものの、電波でんぱ状態じょうたい悪化あっかのため母艦ぼかんとサラトガ攻撃こうげきたいあいだ連絡れんらくがとれず、彼等かれらまえりゅう驤を撃沈げきちんしたにとどまった[20]りゅう驤はばくだん4はつ魚雷ぎょらい1ほん被弾ひだんかみなりし、18沈没ちんぼつした。生存せいぞんしゃ救助きゅうじょした利根とね天津てんしんふう時津風ときつかぜよるになって機動きどう部隊ぶたい本隊ほんたい合流ごうりゅうした。

午後ごご2みずづるからだい2攻撃こうげきたい高橋たかはしじょう大尉たいい:きゅうきゅうかんばく27、れいせん9)が発進はっしんするが、だいさん艦隊かんたいだい艦隊かんたい連合れんごう艦隊かんたい司令しれいのいずれにも攻撃こうげきたい発進はっしんつたえなかったため、付近ふきん行動こうどうしていただい艦隊かんたい近藤こんどう艦隊かんたい)はてきどころか味方みかた位置いちさえつかめず、独自どくじ行動こうどういられた[23]南雲なぐも中将ちゅうじょう無線むせん封鎖ふうさいたのはだいいち攻撃こうげきたい発進はっしんのことであり、だいじゅういち戦隊せんたい以下いか前衛ぜんえい艦隊かんたいに「今夜こんや夜戦やせんを以っててき撃滅げきめつすべし」と命令めいれいした[29]近藤こんどうは「だいいちだい攻撃こうげきつづだいさん夜間やかん雷撃らいげきもってす。なお前衛ぜんえい夜戦やせんによりてき撃滅げきめつせんとす」という南雲なぐも部隊ぶたい電報でんぽう傍受ぼうじゅし、べいぐん位置いち推測すいそくしつつ南下なんかしている[30]。このとき戦艦せんかん陸奥みちのく」は旗艦きかん愛宕あたご以下いか巡洋艦じゅんようかん戦隊せんたい高速こうそく機動きどうについてゆけず、だい2駆逐くちくたい白露しらつゆがた3せき村雨むらさめ五月雨さみだれ春雨はるさめ)とともに艦隊かんたいから分離ぶんりされてしまった[31][32]

午後ごご2すぎ、だいさん艦隊かんたい前衛ぜんえい戦艦せんかん比叡ひえい偵察ていさつがアメリカぐん機動きどう部隊ぶたい発見はっけん報告ほうこくする[33]午後ごご228ふん日本にっぽんぐんだい1攻撃こうげきたいがアメリカ艦隊かんたいたい攻撃こうげき開始かいしする。しょうづるたいみずづるたい攻撃こうげきにより、エンタープライズにばくだん3はつ命中めいちゅうした[34]。フレッチャーは、無傷むきずだったサラトガより雷撃らいげきTBFアベンジャー5急降下きゅうこうか爆撃ばくげきSBDドーントレス2戦闘せんとう護衛ごえいなしで発進はっしんさせ、近藤こんどう艦隊かんたい攻撃こうげきして水上すいじょう母艦ぼかん千歳ちとせ損傷そんしょうあたえた[35]たいする日本にっぽんぐんだい2攻撃こうげきたいてき発見はっけんできずに、日没にちぼつ午後ごご415ふんむかえた。南雲なぐも機動きどう部隊ぶたいブーゲンビルとうのブカ基地きち新郷しんごう少佐しょうさひきいるれいせん30きゅうななかんおさむ3派遣はけんして帰投きとうした[36]出番でばんのなかったきゅうななしき艦上かんじょう攻撃こうげき指揮しきする村田むらた重治しげはる少佐しょうさは、だい航空こうくう戦隊せんたい奥宮おくのみや正武まさたけ航空こうくう参謀さんぼうに「かんばくばかりしたから、折角せっかくやっつけた空母くうぼがしたね」と皮肉ひにくべている[37]南下なんかしていた「愛宕あたご以下いか前衛ぜんえい艦隊かんたいべい艦隊かんたい発見はっけんできず、24にちよる10ごろに撤収てっしゅうした[38]

8がつ24にち-25にちだい30駆逐くちくたい司令しれい安武やすたけ史郎しろう大佐たいさ)にひきいられた駆逐くちくかん5せき睦月むつき弥生やよいこうふういそふう陽炎かげろう)はガダルカナルとうヘンダーソン飛行場ひこうじょうたいかんほう射撃しゃげき実施じっししたが、効果こうかはなかった。駆逐くちくかん部隊ぶたい北上ほくじょうして田中たなか司令しれいかん指揮しき日本にっぽんぐん増援ぞうえん部隊ぶたい輸送ゆそう船団せんだん)に合流ごうりゅうする。

25にち午前ごぜん6りょう艦隊かんたい陣形じんけい変更へんこうちゅうにガダルカナルとうおよびB-17からの航空こうくう攻撃こうげきけ、だい水雷すいらい戦隊せんたい旗艦きかん神通じんずうちゅうやぶ駆逐くちくかん睦月むつき輸送ゆそうせんきむりゅうまる撃沈げきちんされ、どう部隊ぶたいはガダルカナルとうきを断念だんねんした[39]神通じんずう駆逐くちくかん涼風すずかぜ護衛ごえいされてトラック泊地はくちかい、翌年よくねん1がつまで戦線せんせん離脱りだつ余儀よぎなくされた。

日本にっぽん海軍かいぐんはこの海戦かいせんけい空母くうぼ1せき分派ぶんぱ行動こうどうさせた結果けっか、アメリカぐん機動きどう部隊ぶたい艦載かんさい集中しゅうちゅう攻撃こうげきけて撃沈げきちんされるというてんでは、1942ねん5がつ上旬じょうじゅん珊瑚さんごうみ海戦かいせんにおける空母くうぼさちおおとり喪失そうしつ共通きょうつうするてんおお[40]。ただし、珊瑚さんごうみちがい、りゅう驤を分派ぶんぱ行動こうどうさせることの危険きけんせい承知しょうちしたうえでの行動こうどうなため、一概いちがいにこれまでのせんくんかせなかったというわけではないが、結果けっかてき太平洋戦争たいへいようせんそう開戦かいせん以来いらい6せき空母くうぼうしなうことになり、珊瑚さんごうみ海戦かいせんときちがい、敵艦てきかん撃沈げきちんもなかったことから戦術せんじゅつおよび戦略せんりゃくめん両方りょうほう敗北はいぼくとなってしまった。 これ以降いこう日本にっぽんぐん輸送ゆそうせんによる補給ほきゅう一旦いったんあきらめ、駆逐くちくかんによる輸送ゆそうおよび陸軍りくぐん大発だいはつもちいた輸送ゆそう(いわゆる「ねずみ輸送ゆそう」、「あり輸送ゆそう」)をおこなうようになった[41]

日本にっぽん陸軍りくぐんだい17ぐんでは海軍かいぐん任務にんむ遂行すいこうよりも自己じこ艦船かんせん保全ほぜん優先ゆうせんしている、戦況せんきょうかかわらずてき空母くうぼのみを攻撃こうげき目標もくひょうとしている、てき輸送ゆそうせん攻撃こうげきして全般ぜんぱん作戦さくせん容易よういにする着意ちゃくいみとめられないといった不満ふまん[42]

 
9月15にち19潜水せんすいかん雷撃らいげきにより炎上えんじょうするべい空母くうぼワスプ

アメリカぐん日本にっぽんぐんにとって貴重きちょう空母くうぼ1せき撃沈げきちんし、さらに日本にっぽんぐん輸送ゆそう作戦さくせん阻止そしして勝利しょうりをおさめたものの日本にっぽんぐん主力しゅりょく空母くうぼ2せき無傷むきずであり、完勝かんしょうとはがたかった[43]くさ鹿しか龍之介りゅうのすけ参謀さんぼうちょうは、B-17爆撃ばくげき発進はっしん基地きちであるエスピリトゥサントとうニューカレドニアとうガダルカナルとうヘンダーソン飛行場ひこうじょう空襲くうしゅうけんを「クモくも」と表現ひょうげんしている[44]南雲なぐも機動きどう部隊ぶたい戦力せんりょくでは、アメリカぐん機動きどう部隊ぶたい補強ほきょうされた「クモくも」をやぶることができなかった[44]

8がつ28にちだい20駆逐くちくたい駆逐くちくかん4せきてんきり朝霧あさぎりゆうきり白雲しらくも)はガダルカナルとうりくへいいち大隊だいたいやく600めい輸送ゆそうおこなったが、途中とちゅうでヘンダーソン飛行場ひこうじょうから飛来ひらいしたSBDドーントレスの攻撃こうげきけ、朝霧あさぎり沈没ちんぼつゆうきり白雲しらくも大破たいはして撤退てったいした。また同日どうじつ戦艦せんかん大和やまと駆逐くちくかんしおさざなみチューク諸島しょとうトラック泊地はくちにゅうはく直前ちょくぜんべい潜水せんすいかんフライングフィッシュから大和やまと目標もくひょう魚雷ぎょらい4ほんまれた。3ほん自爆じばく、1ほん回避かいひしている[45]

29にち駆逐くちくかん海風かいふうこうふう初雪はつゆき吹雪ふぶきしろゆきはガダルカナルとうへの揚陸ようりく作戦さくせん実施じっしし、8がつ19にち一木いちき支隊したいだい1梯団ていだん上陸じょうりく以来いらいはつのガとう揚陸ようりく成功せいこうした。31にちには駆逐くちくかん海風かいふうこうふう涼風すずかぜ陽炎かげろう初雪はつゆき吹雪ふぶきはくゆきてんきりふたたびガダルカナルとうへの揚陸ようりく作戦さくせん実施じっしし、川口かわぐちきよしけん陸軍りくぐん少将しょうしょう川口かわぐち支隊したいちょう)をふくりくへいやく1200めい揚陸ようりく成功せいこうした。

31にち珊瑚さんごうみ哨戒しょうかいおこなっていた空母くうぼサラトガは日本にっぽんぐん潜水せんすいかん26雷撃らいげき損傷そんしょうし、この修理しゅうりには3ヶ月かげつようしたほか、フレッチャーをはじめとする幕僚ばくりょう乗組のりくみいん多数たすう死傷ししょう後日ごじつフレッチャーは静養せいようねて後方こうほう任務にんむまわされることになった。

さらに9月15にちには、空母くうぼワスプが潜水せんすいかん19雷撃らいげきにより浸水しんすい誘爆ゆうばくまねいて大破たいはし、じゅう巡洋艦じゅんようかんソルトレイクシティけい巡洋艦じゅんようかんヘレナ駆逐くちくかんラフェイ、ランズダウンに乗員じょういん移乗いじょうのち復旧ふっきゅうおこなわれた。しかしかみなり燃料ねんりょう引火いんかして発生はっせいした火災かさい鎮火ちんかできずランズダウンの魚雷ぎょらい3ほんによる雷撃らいげき処分しょぶんで、19の攻撃こうげきによるかみなりからやく6あいだ沈没ちんぼつした。

サラトガの大破たいは、ワスプの沈没ちんぼつにより、どう方面ほうめん活動かつどう可能かのう空母くうぼホーネットのみとなったアメリカ海軍かいぐんであったが、ガダルカナルとうのヘンダーソン基地きち航空こうくうたい増援ぞうえんによって航空こうくう優勢ゆうせい確保かくほした。

参加さんか艦艇かんてい

編集へんしゅう
 
攻撃こうげきけるりゅう驤、天津てんしんふう時津風ときつかぜ

日本にっぽん海軍かいぐん

編集へんしゅう

だい2艦隊かんたい

  • 近藤こんどうしんちく中将ちゅうじょう 旗艦きかん愛宕あたご
    • だい2戦隊せんたい戦艦せんかん:陸奥みちのく
    • だい11航空こうくう戦隊せんたい水上すいじょう母艦ぼかん:千歳ちとせ
    • だい2みなみ艦隊かんたい附属ふぞく特設とくせつ水上すいじょう母艦ぼかん山陽さんようまる
    • だい4戦隊せんたいじゅう巡洋艦じゅんようかん愛宕あたご高雄たかお摩耶まや
    • だい5戦隊せんたいじゅう巡洋艦じゅんようかん妙高みょうこう羽黒はぐろ
    • だい4水雷すいらい戦隊せんたいけい巡洋艦じゅんようかん由良ゆら
      • だい2駆逐くちくたい駆逐くちくかん村雨むらさめ五月雨さみだれ春雨はるさめ
      • だい9駆逐くちくたい駆逐くちくかんあさくもなつくもやまくもみねくも
      • だい27駆逐くちくたい駆逐くちくかん白露しらつゆ時雨しぐれ有明ありあけ夕暮ゆうぐれ
    • だい2水雷すいらい戦隊せんたい田中たなかよりゆきさん少将しょうしょうけい巡洋艦じゅんようかん神通じんずう
    • だい17駆逐くちくたいいそふう
    • だい29駆逐くちくたい夕凪ゆうなぎ
    • 偵察ていさつたい哨戒しょうかいてい:1ごう、2ごう、34ごう、35ごう
    • 輸送ゆそう船団せんだん輸送ゆそうせん:ぼすとんまるだい福丸ふくまる金龍きんりゅうまる

だい3艦隊かんたい

このほかに、そと南洋なんよう部隊ぶたい鳥海とりうみ青葉あおばたか衣笠きぬがさべつ行動こうどうっていた。

アメリカ海軍かいぐん

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だい61任務にんむ部隊ぶたい

  • だい11任務にんむぐん
    • F・J・フレッチャー中将ちゅうじょう、C・H・ライト少将しょうしょう
    • 空母くうぼサラトガ
    • じゅう巡洋艦じゅんようかん2せき駆逐くちくかん4せき

じゅう巡洋艦じゅんようかん:ニュー・オーリンズ、ミネアポリス 駆逐くちくかん

  • だい16任務にんむぐん
    • T・C・キンケイド少将しょうしょう
    • 空母くうぼエンタープライズ
    • 戦艦せんかん:ノース・カロライナ
    • じゅう巡洋艦じゅんようかん:ポートランド
    • けい巡洋艦じゅんようかん:アトランタ
    • 駆逐くちくかん:バルチ(嚮導きょうどう)、グウィン、グレイソン、ベンハム、モーリィ
  • だい18任務にんむぐん
    • F・C・シャーマン少将しょうしょう、N・スコット少将しょうしょう
    • 空母くうぼ:ワスプ
    • じゅう巡洋艦じゅんようかん2せきけい巡洋艦じゅんようかん1せき駆逐くちくかん7せき

じゅう巡洋艦じゅんようかん:サンフランシスコ、ソルト・レイク・シティ けい巡洋艦じゅんようかん:サン・フアン 駆逐くちくかん

損害そんがい

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  • 日本にっぽん海軍かいぐん
    • 空母くうぼりゅう驤沈ぼつ
      • 艦載かんさい:25損失そんしつ
    • 駆逐くちくかん睦月むつき沈没ちんぼつ
    • 輸送ゆそうせんきむりゅうまる沈没ちんぼつ
    • けい巡洋艦じゅんようかん神通じんずうちゅうやぶ
    • 水上すいじょう母艦ぼかん千歳ちとせちゅうやぶ
  • アメリカ海軍かいぐん
    • 空母くうぼ:エンタープライズちゅうやぶ サラトガ大破たいは ワスプ沈没ちんぼつ
    • 艦載かんさい:9損失そんしつ

脚注きゃくちゅう

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  1. ^ #モリソンの太平洋たいへいよう海戦かいせん169ぺーじ
  2. ^ #せんろく(きゅうはん)165-167ぺーじ#くさ鹿しか回想かいそう162ぺーじ
  3. ^ a b c 戦史せんし叢書そうしょ49 1971, p. 534.
  4. ^ a b #モリソンの太平洋たいへいよう海戦かいせん170ぺーじ
  5. ^ #せんろく(きゅうはん)167-168ぺーじ
  6. ^ #S1708がい南洋なんよう増援ぞうえん部隊ぶたい(1)p.13「(11)はちがつじゅうにち1420がい南洋なんよう部隊ぶたいでんれいさくだいよんごうふう陽炎かげろう交代こうたいため『ガダルカナル』方面ほうめん進出しんしゅつス」
  7. ^ #せんろく(きゅうはん)168ぺーじ
  8. ^ #叢書そうしょ49南東なんとう方面ほうめん547-548ぺーじ連合れんごうぐん作戦さくせん
  9. ^ #日本にっぽん空母くうぼ戦史せんし318ぺーじ
  10. ^ #せんろく(きゅうはん)169ぺーじ
  11. ^ #S1708がい南洋なんよう増援ぞうえん部隊ぶたい(1)pp.13-14「(13)こうふうはちがつじゅういちにちよる『ガダルカナル』『ツラギ』泊地はくち襲撃しゅうげきため急速きゅうそく南下なんかはちがつじゅうにち0100『ルンガ』泊地はくち侵入しんにゅう0200てき驅逐くちくかんせきほう雷撃らいげきないいちせき轟沈ごうちんセリ」
  12. ^ 戦史せんし叢書そうしょ49 1971, p. 552「『こうふう』のガダルカナル泊地はくち攻撃こうげき」.
  13. ^ #S1708がい南洋なんよう増援ぞうえん部隊ぶたい(3)p.24「こうふう艦長かんちょう|じゅうにちきゅうさんいち|じゅうにちきゅうさんいち 8F.11AFかく司令しれい長官ちょうかん 2sd司令しれいかん 24dg司令しれい〔5AB指揮しきかん 夕凪ゆうなぎ艦長かんちょう〕|いち.〇いち〇〇哨戒しょうかいかん警戒けいかい排除はいじょ西方にしかたヨリ湾内わんない侵入しんにゅう視界しかいせましょうニシテ「ルンガ」みさき距岸いち.かいりいたりルモ輸送ゆそうせん發見はっけんスルニいたりラズ湾内わんない捜索そうさく〇〇 せき編隊へんたい駆逐くちくかん發見はっけん發射はっしゃ砲撃ほうげきいちせき轟沈ごうちんセシムわが被害ひがいナシ 發射はっしゃ魚雷ぎょらいすうろくほんだんすうろくはつ てき航空こうくう兵力へいりょく考慮こうりょさん反轉はんてん北方ほっぽうニ避退ス/.陸戰りくせんたいトノ連絡れんらくつとむメタルモ應答おうとうナク11Aタナだいろくよんばんでん放送ほうそうよんかい實施じっしス/さん.いち〇〇燃料ねんりょうよんわりトナル見込みこみナリ」
  14. ^ #くさ鹿しか回想かいそう155-156ぺーじ
  15. ^ #くさ鹿しか回想かいそう169ぺーじ
  16. ^ #ぞく海軍かいぐんくろしお214-215ぺーじ
  17. ^ a b c 戦史せんし叢書そうしょ49 1971, p. 545.
  18. ^ #くさ鹿しか回想かいそう161ぺーじ
  19. ^ #空母くうぼ瑞鳳ずいほう生涯しょうがい91ぺーじ
  20. ^ a b c d #モリソンの太平洋たいへいよう海戦かいせん172ぺーじ
  21. ^ #くさ鹿しか回想かいそう163ぺーじ
  22. ^ #せんろく(きゅうはん)170ぺーじ
  23. ^ a b #せんろく(きゅうはん)171ぺーじ
  24. ^ #S1707なな戦隊せんたい日誌にっし(4)p.34「23にち0455機動きどう部隊ぶたい指揮しきかん機動きどう部隊ぶたい/機動きどう部隊ぶたいしんれいだい3ごう
  25. ^ #連合れんごう艦隊かんたい参謀さんぼうちょう回想かいそう163-164ぺーじてき機動きどう部隊ぶたい発見はっけん勇躍ゆうやく
  26. ^ #せんろく(きゅうはん)172ぺーじ
  27. ^ #吉田よしだ比叡ひえい142ぺーじ
  28. ^ 戦史せんし叢書そうしょ49 1971, p. 572.
  29. ^ #吉田よしだ比叡ひえい147ぺーじ
  30. ^ #吉田よしだ比叡ひえい149-150ぺーじ
  31. ^ #S1708二水にすいせん日誌にっし(3)p.48、#S1707なな戦隊せんたい日誌にっし(4)p.41「前進ぜんしん部隊ぶたい指揮しきかん24にち1715/前進ぜんしんぶた本隊ほんたい陸奥みちのく 2dgかけ)ハ機動きどう部隊ぶたい攻撃こうげき策応さくおう今夜こんや残敵ざんてき捕捉ほそく撃滅げきめつセントス(前進ぜんしん部隊ぶたい本隊ほんたい1500地点ちてん『ケリテ33』針路しんろ170速力そくりょく28せつ)」
  32. ^ 戦史せんし叢書そうしょ49 1971, p. 577.
  33. ^ #吉田よしだ比叡ひえい143ぺーじ
  34. ^ #モリソンの太平洋たいへいよう海戦かいせん174ぺーじ
  35. ^ #モリソンの太平洋たいへいよう海戦かいせん175ぺーじ
  36. ^ #くさ鹿しか回想かいそう166ぺーじ
  37. ^ #海軍かいぐん功罪こうざい88ぺーじ奥宮おくのみや正武まさたけだん
  38. ^ #日本にっぽん空母くうぼ戦史せんし338ぺーじ
  39. ^ #せんろく(きゅうはん)174ぺーじ
  40. ^ #空母くうぼ瑞鳳ずいほう生涯しょうがい95ぺーじ
  41. ^ #せんろく(きゅうはん)175ぺーじ
  42. ^ 戦史せんし叢書そうしょ28 1969, p. 332.
  43. ^ #モリソンの太平洋たいへいよう海戦かいせん176ぺーじ
  44. ^ a b #くさ鹿しか回想かいそう165ぺーじ
  45. ^ #せんろく(きゅうはん)177-178ぺーじ#大和やまと日本人にっぽんじん105ぺーじ

参考さんこう文献ぶんけん

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  • 宇垣うがきまとい成瀬なるせきょう発行はっこうじん)『せんろくはら書房しょぼう、1968ねん 
  • 木俣きまたしげるろう日本にっぽん空母くうぼ戦史せんし図書としょ出版しゅっぱんしゃ、1977ねん 
  • くさ鹿しか龍之介りゅうのすけ連合れんごう艦隊かんたい参謀さんぼうちょう回想かいそう光和こうわどう、1979ねんISBN 4-87538-039-9 
  • 千早ちはや正隆まさたかほか日本にっぽん海軍かいぐん功罪こうざい にん佐官さかんかた歴史れきし教訓きょうくんプレジデントしゃ、1994ねんISBN 4-8334-1530-5 
  • 防衛庁ぼうえいちょう防衛ぼうえい研究所けんきゅうじょ戦史せんししつ へん南太平洋みなみたいへいよう陸軍りくぐん作戦さくせん』 2(ガダルカナル・ブナ作戦さくせん)、あさくも新聞しんぶんしゃ戦史せんし叢書そうしょ 28〉、1969ねん 
  • 防衛庁ぼうえいちょう防衛ぼうえい研修けんしゅうしょ戦史せんししつ へん南東なんとう方面ほうめん海軍かいぐん作戦さくせん』 1(ガとう奪回だっかい作戦さくせん開始かいしまで)、あさくも新聞しんぶんしゃ戦史せんし叢書そうしょ 49〉、1971ねん 
  • 防衛庁ぼうえいちょう防衛ぼうえい研修けんしゅうしょ戦史せんししつ へん南東なんとう方面ほうめん海軍かいぐん作戦さくせん』 2(ガとう撤収てっしゅうまで)、あさくも新聞しんぶんしゃ戦史せんし叢書そうしょ 83〉、1975ねん 
  • サミュエル・モリソン『モリソンの太平洋たいへいよう海戦かいせんだい谷内たにうち一夫かずおわけ)、光人みつひとしゃ、2003ねん8がつISBN 4-7698-1098-9 
  • 吉田よしだ俊雄としお戦艦せんかん比叡ひえい朝日あさひソノラマ航空こうくう戦史せんしシリーズ 51〉、1985ねんISBN 4-257-17051-4 

関連かんれん項目こうもく

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