1942年 ねん (昭和 しょうわ 17年 ねん )6月 がつ 上旬 じょうじゅん のミッドウェー海戦 かいせん で日本 にっぽん 軍 ぐん は主力 しゅりょく 空母 くうぼ 4隻 せき (赤城 あかぎ 、加賀 かが 、蒼 あおい 龍 りゅう 、飛 ひ 龍 りゅう )を一挙 いっきょ に失 うしな い、FS作戦 さくせん は延期 えんき となった。代 か わりとしてソロモン諸島 しょとう 、ニューギニア諸島 しょとう に航空 こうくう 基地 きち を建造 けんぞう しオーストラリア を孤立 こりつ 化 か させるSN作戦 さくせん を発動 はつどう し、ガダルカナル島 とう に飛行場 ひこうじょう を建設 けんせつ した。
同年 どうねん 8月 がつ 7日 にち 、アメリカ軍 ぐん はウォッチタワー作戦 さくせん を発動 はつどう し、ガダルカナル島 とう とツラギ島 とう にアメリカ海兵 かいへい 隊 たい が上陸 じょうりく 、フロリダ諸島 しょとう の戦 たたか い の末 すえ に占領 せんりょう した。これに対 たい し日本 にっぽん 軍 ぐん はニューブリテン島 とう ラバウル基地 きち から航空 こうくう 隊 たい を、続 つづ いて第 だい 八 はち 艦隊 かんたい を送 おく り込 こ んだ。同月 どうげつ 8日 にち -9日 にち にかけて第 だい 一 いち 次 じ ソロモン海戦 かいせん が生起 せいき し、日本 にっぽん 軍 ぐん は勝利 しょうり した。
護衛 ごえい 部隊 ぶたい が壊滅 かいめつ したことを受 う け、アメリカ軍 ぐん 輸送 ゆそう 船団 せんだん は物資 ぶっし の揚陸 ようりく を中止 ちゅうし すると、アメリカ軍 ぐん 海兵 かいへい 隊 たい を残 のこ して撤退 てったい した。だが、日本 にっぽん 軍 ぐん も海軍 かいぐん 陸戦 りくせん 隊 たい を乗 の せた輸送 ゆそう 船団 せんだん が撃退 げきたい されガダルカナル・ツラギ早期 そうき 奪回 だっかい は頓挫 とんざ する。さらに、海軍 かいぐん 航空 こうくう 隊 たい が輸送 ゆそう 船団 せんだん 数 すう 十 じゅう 隻 せき を撃沈 げきちん したという誤認 ごにん 戦果 せんか の報告 ほうこく や、前線 ぜんせん からの未 み 確認 かくにん 情報 じょうほう を信 しん じたため、日本 にっぽん 軍 ぐん 上層 じょうそう 部 ぶ は上陸 じょうりく したアメリカ軍 ぐん 海兵 かいへい 隊 たい の戦力 せんりょく を約 やく 3,000名 めい と誤認 ごにん し、ミッドウェー作戦 さくせん 用 よう に準備 じゅんび を整 ととの えていた一木 いちき 清 きよし 直 ただし 陸軍 りくぐん 大佐 たいさ 指揮 しき 下 か の一木 いちき 支隊 したい をガダルカナル島 とう へ転用 てんよう し、この兵力 へいりょく でガダルカナル島 とう を奪回 だっかい できると判断 はんだん した。
一木 いちき 支隊 したい の壊滅 かいめつ の報 ほう を受 う ける前 まえ 、8月 がつ 25日 にち ごろまでにガダルカナル島 とう 奪回 だっかい を完了 かんりょう することを決 き め、一木 いちき 支隊 したい の支援 しえん と奪回 だっかい を確実 かくじつ にすべく、川口 かわぐち 清 きよし 健 けん 少将 しょうしょう 率 ひき いる川口 かわぐち 支隊 したい の投入 とうにゅう を決定 けってい 。近藤 こんどう 信 しん 竹 ちく 中将 ちゅうじょう の第 だい 二 に 艦隊 かんたい 、南雲 なぐも 忠一 ただかず 中将 ちゅうじょう の第 だい 三 さん 艦隊 かんたい が増援 ぞうえん 部隊 ぶたい 輸送 ゆそう の支援 しえん を行 おこな うこととなった。
第 だい 二 に 艦隊 かんたい は8月 がつ 11日 にち 、第 だい 一 いち 航空 こうくう 戦隊 せんたい の空母 くうぼ 3隻 せき (翔 しょう 鶴 づる 、瑞 みず 鶴 づる 、龍 りゅう 驤 )を主力 しゅりょく とする第 だい 三 さん 艦隊 かんたい は16日 にち に、17日 にち には戦艦 せんかん 大和 やまと 以下 いか 山本 やまもと 五十六 いそろく 連合 れんごう 艦隊 かんたい 司令 しれい 長官 ちょうかん も、それぞれトラック に向 む け出撃 しゅつげき した[2] 。
8月 がつ 17日 にち 、陸軍 りくぐん 一木 ひとつき 支隊 したい を乗 の せた有賀 ありが 幸作 こうさく 第 だい 4駆逐 くちく 隊 たい 司令 しれい 指揮 しき 下 か の駆逐 くちく 艦 かん 6隻 せき (嵐 あらし 、萩 はぎ 風 ふう 、浦 うら 風 ふう 、谷風 たにかぜ 、浜風 はまかぜ 、陽炎 かげろう )がトラックを出発 しゅっぱつ し、18日 にち にガダルカナル島 とう へ揚陸 ようりく させた。なお萩 はぎ 風 ふう は空襲 くうしゅう で損傷 そんしょう し、嵐 あらし と共 とも にトラックへ撤退 てったい 。また、第 だい 17駆逐 くちく 隊 たい (浦 うら 風 ふう 、谷風 たにかぜ 、浜風 はまかぜ )はラビの戦 たたか い に参加 さんか する事 こと が決 き まっておりラバウルへ移動 いどう した。このため、ガダルカナル島 とう 海域 かいいき に残 のこ ったのは陽炎 かげろう 1隻 せき となり、単 たん 艦 かん で偵察 ていさつ や対地 たいち 砲撃 ほうげき をおこなった。
このように日本 にっぽん 軍 ぐん は、第 だい 一 いち 次 じ ソロモン海戦 かいせん 後 ご に師団 しだん のような大 だい 規模 きぼ な上陸 じょうりく 兵力 へいりょく を投入 とうにゅう するなどの積極 せっきょく 的 てき な行動 こうどう をせず、ガダルカナル島 とう からアメリカ海兵 かいへい 隊 たい を撃退 げきたい する絶好 ぜっこう のチャンスを逃 のが した[4] 。逆 ぎゃく にアメリカ海兵 かいへい 隊 たい は遺棄 いき された日本 にっぽん 軍 ぐん の器材 きざい を利用 りよう して、ヘンダーソン飛行場 ひこうじょう 基地 きち を完成 かんせい させた[4] 。
アメリカ軍 ぐん は空母 くうぼ エンタープライズ 、サラトガ 、ワスプ を主力 しゅりょく とする第 だい 61任務 にんむ 部隊 ぶたい (F・J・フレッチャー中将 ちゅうじょう )をこの方面 ほうめん に進出 しんしゅつ させた。
8月 がつ 19日 にち 、第 だい 二 に 艦隊 かんたい 第 だい 二 に 水雷 すいらい 戦隊 せんたい 旗艦 きかん 神通 じんずう (司令 しれい 官 かん 田中 たなか 頼 よりゆき 三 さん 少将 しょうしょう )に護衛 ごえい され、一木 いちき 支隊 したい の増援 ぞうえん 部隊 ぶたい がトラックを出発 しゅっぱつ した[5] 。同日 どうじつ 、外 そと 南洋 なんよう 部隊 ぶたい および田中 たなか 司令 しれい 官 かん は江 こう 風 ふう に対 たい し、陽炎 かげろう と任務 にんむ を交替 こうたい するよう下 した 令 れい した[6] 。江 こう 風 ふう は船団 せんだん ・護衛 ごえい 部隊 ぶたい (第 だい 二 に 水雷 すいらい 戦隊 せんたい )から分離 ぶんり してガ島 とう 海域 かいいき へ先行 せんこう 、燃料 ねんりょう 不足 ふそく の陽炎 かげろう とガダルカナル島 とう 周辺 しゅうへん 警戒 けいかい 任務 にんむ を交代 こうたい した。
日本 にっぽん 側 がわ は一木 いちき 支隊 したい 出発 しゅっぱつ 後 ご に川口 かわぐち 支隊 したい の輸送 ゆそう を始 はじ めていたが、20日 はつか に偵察 ていさつ 機 き がガダルカナル島 とう 南東 なんとう で空母 くうぼ を含 ふく む艦隊 かんたい を発見 はっけん したため[7] 、輸送 ゆそう を一時 いちじ 中止 ちゅうし した。そして、ガダルカナル島 とう 海域 かいいき の航空 こうくう 優勢 ゆうせい の確立 かくりつ のため、第 だい 三 さん 艦隊 かんたい はトラック入港 にゅうこう を取 と りやめ南下 なんか した。さらに、トラックにあった第 だい 二 に 艦隊 かんたい (近藤 こんどう 信 しん 竹 ちく 中将 ちゅうじょう )も同日 どうじつ 出撃 しゅつげき した。戦艦 せんかん 「陸奥 みちのく 」は第 だい 2駆逐 くちく 隊 たい (村雨 むらさめ 、五月雨 さみだれ 、春雨 はるさめ )のトラック島 とう 到着 とうちゃく を待 ま ってトラックを出撃 しゅつげき した。
8月 がつ 20日 はつか 、アメリカ軍 ぐん は既 すで に完成 かんせい させていたヘンダーソン飛行場 ひこうじょう に航空 こうくう 隊 たい を進出 しんしゅつ させることを試 こころ み、護衛 ごえい 空母 くうぼ ロング・アイランド が軽 けい 巡洋艦 じゅんようかん ヘレナと駆逐 くちく 艦 かん 一 いち 隻 せき の護衛 ごえい のもと、戦闘 せんとう 機 き F4Fワイルドキャット19、急降下 きゅうこうか 爆撃 ばくげき 機 き SBDドーントレス12機 き を輸送 ゆそう した。日本 にっぽん 軍 ぐん はこれをアメリカ機動 きどう 部隊 ぶたい と誤認 ごにん し、輸送 ゆそう 船団 せんだん を一旦 いったん 後退 こうたい させた[8] [9] 。
8月 がつ 21日 にち 、一木 いちき 支隊 したい はヘンダーソン飛行場 ひこうじょう を目指 めざ してアメリカ海兵 かいへい 隊 たい に攻撃 こうげき を行 おこな ったが、戦死 せんし 者 しゃ 約 やく 800名 めい を出 だ して敗退 はいたい 、海兵 かいへい 隊 たい の戦死 せんし 者 しゃ は約 やく 40名 めい だった。
ラバウル基地 きち の第 だい 十 じゅう 一 いち 航空 こうくう 艦隊 かんたい と第 だい 二 に 十 じゅう 六 ろく 航空 こうくう 戦隊 せんたい は米 べい 軍 ぐん 空母 くうぼ を求 もと めて攻撃 こうげき 隊 たい を発進 はっしん させたが、何 なん の成果 せいか もなかった[10] 。
8月 がつ 22日 にち 未明 みめい 、江 こう 風 ふう は単 たん 艦 かん でルンガ泊地 はくち へ突入 とつにゅう [11] 。米 べい 駆逐 くちく 艦 かん ブルー 、ヘンリーと交戦 こうせん 、魚雷 ぎょらい 6本 ほん を発射 はっしゃ して1本 ほん をブルーの艦 かん 尾 お に命中 めいちゅう させた(ブルーは翌日 よくじつ 処分 しょぶん )[13] 。
南雲 なぐも 忠一 ただかず 中将 ちゅうじょう 率 ひき いる第 だい 三 さん 艦隊 かんたい は空母 くうぼ を主戦 しゅせん 力 りょく と明確 めいかく に位置 いち づけた本格 ほんかく 的 てき な機動 きどう 部隊 ぶたい であったが[14] 、日本 にっぽん 海軍 かいぐん の規定 きてい では、南雲 なぐも より先任 せんにん である第 だい 二 に 艦隊 かんたい の近藤 こんどう 信 しん 竹 ちく 中将 ちゅうじょう が第 だい 三 さん 艦隊 かんたい を統一 とういつ 指揮 しき することになっていた[15] 。しかし、近藤 こんどう 司令 しれい 部 ぶ と南雲 なぐも 司令 しれい 部 ぶ はお互 たが いの情報 じょうほう 交換 こうかん ・戦術 せんじゅつ のすり合 あ わせを一 いち 度 ど も行 おこな ったことがなかった。
第 だい 三 さん 艦隊 かんたい は珊瑚 さんご 海 うみ 海戦 かいせん での修理 しゅうり を終 お えレーダー(21号 ごう 電 でん 探 さがせ )を装備 そうび した翔 しょう 鶴 づる に将 はた 旗 はた を掲 かか げた2つの集団 しゅうだん で構成 こうせい され[16] 、空母 くうぼ 3隻 せき と護衛 ごえい 部隊 ぶたい からなる本隊 ほんたい 、第 だい 十 じゅう 一 いち 戦隊 せんたい (比叡 ひえい 、霧島 きりしま )・第 だい 七 なな 戦隊 せんたい (重 じゅう 巡洋艦 じゅんようかん 、鈴谷 すずや 、熊野 くまの )・第 だい 八 はち 戦隊 せんたい (重 じゅう 巡洋艦 じゅんようかん 、利根 とね 、筑摩 ちくま )の前衛 ぜんえい 艦隊 かんたい に分 わ かれていた。
そして、従来 じゅうらい の円形 えんけい 陣形 じんけい とは異 こと なり、前衛 ぜんえい 艦隊 かんたい は空母 くうぼ 部隊 ぶたい から100 - 150海里 かいり 前方 ぜんぽう に進出 しんしゅつ して横 よこ 一 いち 列 れつ 陣形 じんけい (艦 かん 間隔 かんかく 10 - 20km)をとって索敵 さくてき と敵 てき 機 き の攻撃 こうげき を吸収 きゅうしゅう する役割 やくわり を担 にな い、空母 くうぼ はその後 うし ろから縦 たて に連 つら なって続 つづ き、真上 まうえ から見 み ると「丁 ひのと 」の字 じ の陣形 じんけい をとった。
いわば囮 おとり ( おとり ) となる前衛 ぜんえい 艦隊 かんたい 将兵 しょうへい からは不満 ふまん が続出 ぞくしゅつ したが、指揮 しき 官 かん 達 たち は新 しん 陣形 じんけい ・新 しん 戦法 せんぽう を検討 けんとう する時間 じかん も与 あた えられないまま最前線 さいぜんせん へ進出 しんしゅつ した。機動 きどう 部隊 ぶたい 決戦 けっせん に向 む けて前衛 ぜんえい と本隊 ほんたい の役割 やくわり および位置 いち 関係 かんけい についての戦術 せんじゅつ を説明 せつめい する機会 きかい や時間 じかん がなかったため、やむを得 え ず航空機 こうくうき から筒 つつ を投下 とうか するという方法 ほうほう で各 かく 隊 たい ・各 かく 艦 かん に配布 はいふ している。
第 だい 一 いち 航空 こうくう 戦隊 せんたい の空母 くうぼ 瑞鳳 ずいほう 、第 だい 二 に 航空 こうくう 戦隊 せんたい (空母 くうぼ :飛 ひ 鷹 たか 、隼 はやぶさ 鷹 たか )は練度 れんど 不足 ふそく のため、日本 にっぽん で訓練 くんれん を続 つづ けている[18] 。瑞鳳 ずいほう は7月 がつ 31日 にち にドック から出 で 渠 みぞ したばかりで出撃 しゅつげき 準備 じゅんび が終 お わらず、二 に 航 こう 戦 せん の龍 りゅう 驤が瑞鳳 ずいほう の代 だい 艦 かん として第 だい 一 いち 航空 こうくう 戦隊 せんたい と行動 こうどう を共 とも にすることとなった[19] 。
8月 がつ 23日 にち 朝 あさ 、アメリカ軍 ぐん のPBYカタリナ飛行 ひこう 艇 てい が日本 にっぽん 軍 ぐん の増援 ぞうえん 部隊 ぶたい を発見 はっけん する。サラトガから攻撃 こうげき 部隊 ぶたい が送 おく られるが天候 てんこう 不良 ふりょう のため発見 はっけん できなかった。同日 どうじつ 午前 ごぜん 、フレッチャーは「日本 にっぽん 艦隊 かんたい はトラック北方 ほっぽう にあり」という太平洋艦隊 たいへいようかんたい 情報 じょうほう 部 ぶ の判断 はんだん を信用 しんよう して、ワスプを燃料 ねんりょう 補給 ほきゅう のため南下 なんか させた[20] 。南雲 なぐも 機動 きどう 部隊 ぶたい は索敵 さくてき を行 おこな いつつ南下 なんか したが、午後 ごご 4時 じ ごろ北上 ほくじょう した[21] 。日本 にっぽん 海軍 かいぐん 航空 こうくう 隊 たい (基地 きち 航空 こうくう 隊 たい )は23日 にち も何 なん の戦果 せんか もあげられず、宇垣 うがき 纏 まとい 連合 れんごう 艦隊 かんたい 参謀 さんぼう 長 ちょう は「何 なに を目標 もくひょう にしているのだ」と失望 しつぼう している[22] 。
8月 がつ 24日 にち 午前 ごぜん 0時 じ 、陸軍 りくぐん 上陸 じょうりく 予定 よてい 日 び (25日 にち )を前 まえ に空母 くうぼ 龍 りゅう 驤、重 じゅう 巡洋艦 じゅんようかん 利根 とね (第 だい 8戦隊 せんたい 司令 しれい 官 かん 原 はら 忠一 ただかず 少将 しょうしょう 座乗 ざじょう )、第 だい 十 じゅう 六 ろく 駆逐 くちく 隊 たい (時津風 ときつかぜ 、天津 てんしん 風 ふう )を分派 ぶんぱ してガダルカナル島 とう 攻撃 こうげき に向 む かわせた[23] 。ヘンダーソン飛行場 ひこうじょう 基地 きち に損害 そんがい を与 あた える事 こと を企図 きと していたと見 み られる[20] 。
詳細 しょうさい な命令 めいれい は以下 いか の通 とお り。
「カ」号 ごう 作戦 さくせん における機動 きどう 部隊 ぶたい 作戦 さくせん 種別 しゅべつ 左 ひだり の通 とお り[24]
第 だい 一法 いっぽう (特 とく 令 れい ナケレバ本法 ほんぽう トス)/全 ぜん 軍 ぐん 東方 とうほう ニ対 たい スル警戒 けいかい ヲ厳 いむ ニシツツ24日 にち 0400概 がい ネ地点 ちてん ケロヒ55附近 ふきん ニ進出 しんしゅつ 「サンクリストバル」島 しま 南東 なんとう 方 かた ノ敵艦 てきかん 隊 たい ヲ捕捉 ほそく 撃滅 げきめつ ス
第 だい 二 に 法 ほう /利根 とね 、龍 りゅう 驤、時津風 ときつかぜ ヲ以テ支隊 したい トシ第 だい 八 はち 戦隊 せんたい 司令 しれい 官 かん 指揮 しき ノ下 しも ニ増援 ぞうえん 部隊 ぶたい ノ支援 しえん 及「ガダルカナル」ノ攻撃 こうげき ニ任 にん ジ尓余ノ部隊 ぶたい ハ第 だい 一法 いっぽう ニ作戦 さくせん ス
第 だい 三 さん 法 ほう /支援 しえん 隊 たい ハ直 ちょく ニ第 だい 二 に 法 ほう ニ依 よ リ作戦 さくせん シ尓余ノ部隊 ぶたい ハ概 がい ネ地点 ちてん ケユソ55附近 ふきん ニ適宜 てきぎ 行動 こうどう シ敵 てき ノ動 どう キヲ見 み テ第 だい 一法 いっぽう ニ転 てん ズ
第 だい 四 よん 法 ほう /全 ぜん 軍 ぐん 東方 とうほう ニ対 たい シ作戦 さくせん ス
龍 りゅう 驤の航空 こうくう 隊 たい がガダルカナル島 とう の飛行場 ひこうじょう を攻撃 こうげき してアメリカ軍 ぐん 機動 きどう 部隊 ぶたい の注意 ちゅうい をひきつけ、その間 あいだ に第 だい 三 さん 艦隊 かんたい 主力 しゅりょく (翔 しょう 鶴 づる 、瑞 みず 鶴 づる )がアメリカ軍 ぐん 機動 きどう 部隊 ぶたい を撃破 げきは するという囮 おとり 作戦 さくせん であった。草 くさ 鹿 しか 龍之介 りゅうのすけ 第 だい 三 さん 艦隊 かんたい 参謀 さんぼう 長 ちょう は、増援 ぞうえん 部隊 ぶたい 輸送 ゆそう 船団 せんだん (第 だい 二 に 水雷 すいらい 戦隊 せんたい 護衛 ごえい )が8月 がつ 25日 にち ガ島 とう 上陸 じょうりく 予定 よてい なので前日 ぜんじつ 中 ちゅう にガ島 とう ヘンダーソン航空 こうくう 基地 きち を叩 たた く必要 ひつよう があり、「(龍 りゅう 驤隊分派 ぶんぱ について)ミッドウェーの轍 わだち を踏 ふ むことであるが、この際 さい 仕方 しかた がなかった」と回想 かいそう している[25] 。
同日 どうじつ 9時 じ 、アメリカ軍 ぐん の飛行 ひこう 艇 てい が龍 りゅう 驤を発見 はっけん した[20] 。午前 ごぜん 11時 じ 30分 ふん 、龍 りゅう 驤からガダルカナル島 とう へ攻撃 こうげき 隊 たい が発進 はっしん した。フレッチャーは翔 しょう 鶴 づる と瑞 みず 鶴 づる の存在 そんざい に気付 きづ かず、11時 じ 45分 ふん 、サラトガより38機 き を龍 りゅう 驤に向 む かわせた。宇垣 うがき 参謀 さんぼう 長 ちょう は、龍 りゅう 驤がちょうど囮 おとり のような役割 やくわり になったと表現 ひょうげん している[26] 。12時 じ 過 す ぎ、筑摩 ちくま 水上 すいじょう 偵察 ていさつ 機 き がアメリカ艦隊 かんたい を発見 はっけん し、消息 しょうそく を絶 た った[27] 。午後 ごご 1時 じ 、翔 しょう 鶴 づる と瑞 みず 鶴 づる から第 だい 1次 じ 攻撃 こうげき 隊 たい (関 せき 衛 まもる 少佐 しょうさ :九 きゅう 九 きゅう 式 しき 艦上 かんじょう 爆撃 ばくげき 機 き 27機 き 、零 れい 式 しき 艦上 かんじょう 戦闘 せんとう 機 き 10機 き )が発進 はっしん した。午後 ごご 1時 じ 8分 ふん 、南雲 なぐも 機動 きどう 部隊 ぶたい はSBDドーントレス 2機 き の奇襲 きしゅう を受 う け、翔 しょう 鶴 づる の艦橋 かんきょう 舷側 げんそく すれすれに至近 しきん 弾 だん となった。翔 しょう 鶴 づる 搭載 とうさい のレーダー はドーントレスを探知 たんち して艦橋 かんきょう に報告 ほうこく していたが、喧噪 けんそう により指揮 しき 官 かん 達 たち に伝 つた わらなかった。
13時 じ 50分 ふん 、サラトガからの攻撃 こうげき 隊 たい が龍 りゅう 驤を発見 はっけん した。同 どう 時刻 じこく 、アメリカ軍 ぐん 偵察 ていさつ 機 き が龍 りゅう 驤の北方 ほっぽう 60マイルに南雲 なぐも 機動 きどう 部隊 ぶたい 主力 しゅりょく (翔 しょう 鶴 づる 、瑞 みず 鶴 づる )を発見 はっけん していたものの、電波 でんぱ 状態 じょうたい 悪化 あっか のため母艦 ぼかん とサラトガ攻撃 こうげき 隊 たい の間 あいだ の連絡 れんらく がとれず、彼等 かれら は目 め の前 まえ の龍 りゅう 驤を撃沈 げきちん したにとどまった[20] 。龍 りゅう 驤は爆 ばく 弾 だん 4発 はつ 、魚雷 ぎょらい 1本 ほん を被弾 ひだん ・被 ひ 雷 かみなり し、18時 じ に沈没 ちんぼつ した。生存 せいぞん 者 しゃ を救助 きゅうじょ した利根 とね 、天津 てんしん 風 ふう 、時津風 ときつかぜ は夜 よる になって機動 きどう 部隊 ぶたい 本隊 ほんたい と合流 ごうりゅう した。
午後 ごご 2時 じ 、瑞 みず 鶴 づる から第 だい 2次 じ 攻撃 こうげき 隊 たい (高橋 たかはし 定 じょう 大尉 たいい :九 きゅう 九 きゅう 艦 かん 爆 ばく 27、零 れい 戦 せん 9)が発進 はっしん するが、第 だい 三 さん 艦隊 かんたい は第 だい 二 に 艦隊 かんたい 、連合 れんごう 艦隊 かんたい 司令 しれい 部 ぶ のいずれにも攻撃 こうげき 隊 たい 発進 はっしん を伝 つた えなかったため、付近 ふきん を行動 こうどう していた第 だい 二 に 艦隊 かんたい (近藤 こんどう 艦隊 かんたい )は敵 てき どころか味方 みかた の位置 いち さえ掴 つか めず、独自 どくじ 行動 こうどう を強 し いられた[23] 。南雲 なぐも 中将 ちゅうじょう が無線 むせん 封鎖 ふうさ を解 と いたのは第 だい 一 いち 次 じ 攻撃 こうげき 隊 たい 発進 はっしん 後 ご のことであり、第 だい 十 じゅう 一 いち 戦隊 せんたい 以下 いか の前衛 ぜんえい 艦隊 かんたい に「今夜 こんや 夜戦 やせん を以って敵 てき を撃滅 げきめつ すべし」と命令 めいれい した[29] 。近藤 こんどう は「第 だい 一 いち 次 じ 、第 だい 二 に 次 じ 攻撃 こうげき に引 ひ き続 つづ き第 だい 三 さん 次 じ 夜間 やかん 雷撃 らいげき を以 もっ てす。なお前衛 ぜんえい の夜戦 やせん により敵 てき を撃滅 げきめつ せんとす」という南雲 なぐも 部隊 ぶたい の電報 でんぽう を傍受 ぼうじゅ し、米 べい 軍 ぐん の位置 いち を推測 すいそく しつつ南下 なんか している[30] 。この時 とき 、戦艦 せんかん 「陸奥 みちのく 」は旗艦 きかん 「愛宕 あたご 」以下 いか 巡洋艦 じゅんようかん 戦隊 せんたい の高速 こうそく 機動 きどう についてゆけず、第 だい 2駆逐 くちく 隊 たい の白露 しらつゆ 型 がた 3隻 せき (村雨 むらさめ 、五月雨 さみだれ 、春雨 はるさめ )とともに艦隊 かんたい から分離 ぶんり されてしまった[31] 。
午後 ごご 2時 じ すぎ、第 だい 三 さん 艦隊 かんたい 前衛 ぜんえい の戦艦 せんかん 比叡 ひえい 偵察 ていさつ 機 き がアメリカ軍 ぐん 機動 きどう 部隊 ぶたい を発見 はっけん 、報告 ほうこく する[33] 。午後 ごご 2時 じ 28分 ふん 、日本 にっぽん 軍 ぐん 第 だい 1次 じ 攻撃 こうげき 隊 たい がアメリカ艦隊 かんたい に対 たい し攻撃 こうげき を開始 かいし する。翔 しょう 鶴 づる 隊 たい と瑞 みず 鶴 づる 隊 たい の攻撃 こうげき により、エンタープライズに爆 ばく 弾 だん 3発 はつ が命中 めいちゅう した[34] 。フレッチャーは、無傷 むきず だったサラトガより雷撃 らいげき 機 き TBFアベンジャー 5機 き 、急降下 きゅうこうか 爆撃 ばくげき 機 き SBDドーントレス 2機 き を戦闘 せんとう 機 き の護衛 ごえい なしで発進 はっしん させ、近藤 こんどう 艦隊 かんたい を攻撃 こうげき して水上 すいじょう 機 き 母艦 ぼかん 千歳 ちとせ に損傷 そんしょう を与 あた えた[35] 。対 たい する日本 にっぽん 軍 ぐん の第 だい 2次 じ 攻撃 こうげき 隊 たい は敵 てき を発見 はっけん できずに、日没 にちぼつ の午後 ごご 4時 じ 15分 ふん を迎 むか えた。南雲 なぐも 機動 きどう 部隊 ぶたい はブーゲンビル島 とう のブカ基地 きち に新郷 しんごう 少佐 しょうさ 率 ひき いる零 れい 戦 せん 30機 き 、九 きゅう 七 なな 艦 かん 攻 おさむ 3機 き を派遣 はけん して帰投 きとう した[36] 。出番 でばん のなかった九 きゅう 七 なな 式 しき 艦上 かんじょう 攻撃 こうげき 機 き を指揮 しき する村田 むらた 重治 しげはる 少佐 しょうさ は、第 だい 二 に 航空 こうくう 戦隊 せんたい の奥宮 おくのみや 正武 まさたけ 航空 こうくう 参謀 さんぼう に「艦 かん 爆 ばく ばかり出 だ したから、折角 せっかく やっつけた空母 くうぼ を逃 に がしたね」と皮肉 ひにく を述 の べている[37] 。南下 なんか していた「愛宕 あたご 」以下 いか の前衛 ぜんえい 艦隊 かんたい も米 べい 艦隊 かんたい を発見 はっけん できず、24日 にち 夜 よる 10時 じ ごろに撤収 てっしゅう した[38] 。
8月 がつ 24日 にち -25日 にち 、第 だい 30駆逐 くちく 隊 たい 司令 しれい (安武 やすたけ 史郎 しろう 大佐 たいさ )に率 ひき いられた駆逐 くちく 艦 かん 5隻 せき (睦月 むつき 、弥生 やよい 、江 こう 風 ふう 、磯 いそ 風 ふう 、陽炎 かげろう )はガダルカナル島 とう ヘンダーソン飛行場 ひこうじょう に対 たい し艦 かん 砲 ほう 射撃 しゃげき を実施 じっし したが、効果 こうか はなかった。駆逐 くちく 艦 かん 部隊 ぶたい は北上 ほくじょう して田中 たなか 司令 しれい 官 かん 指揮 しき 下 か の日本 にっぽん 軍 ぐん 増援 ぞうえん 部隊 ぶたい (輸送 ゆそう 船団 せんだん )に合流 ごうりゅう する。
25日 にち 午前 ごぜん 6時 じ 、両 りょう 艦隊 かんたい の陣形 じんけい 変更 へんこう 中 ちゅう にガダルカナル島 とう およびB-17からの航空 こうくう 攻撃 こうげき を受 う け、第 だい 二 に 水雷 すいらい 戦隊 せんたい 旗艦 きかん の神通 じんずう が中 ちゅう 破 やぶ 、駆逐 くちく 艦 かん 睦月 むつき 、輸送 ゆそう 船 せん 金 きむ 龍 りゅう 丸 まる が撃沈 げきちん され、同 どう 部隊 ぶたい はガダルカナル島 とう 行 い きを断念 だんねん した[39] 。神通 じんずう は駆逐 くちく 艦 かん 涼風 すずかぜ に護衛 ごえい されてトラック泊地 はくち へ向 む かい、翌年 よくねん 1月 がつ まで戦線 せんせん 離脱 りだつ を余儀 よぎ なくされた。
日本 にっぽん 海軍 かいぐん はこの海戦 かいせん で軽 けい 空母 くうぼ 1隻 せき を分派 ぶんぱ 行動 こうどう させた結果 けっか 、アメリカ軍 ぐん 機動 きどう 部隊 ぶたい 艦載 かんさい 機 き の集中 しゅうちゅう 攻撃 こうげき を受 う けて撃沈 げきちん されるという点 てん では、1942年 ねん 5月 がつ 上旬 じょうじゅん の珊瑚 さんご 海 うみ 海戦 かいせん における空母 くうぼ 祥 さち 鳳 おおとり の喪失 そうしつ と共通 きょうつう する点 てん が多 おお い[40] 。ただし、珊瑚 さんご 海 うみ と違 ちが い、龍 りゅう 驤を分派 ぶんぱ 行動 こうどう させることの危険 きけん 性 せい を承知 しょうち したうえでの行動 こうどう なため、一概 いちがい にこれまでの戦 せん 訓 くん を生 い かせなかったというわけではないが、結果 けっか 的 てき に太平洋戦争 たいへいようせんそう 開戦 かいせん 以来 いらい 6隻 せき 目 め の空母 くうぼ を失 うしな うことになり、珊瑚 さんご 海 うみ 海戦 かいせん の時 とき と違 ちが い、敵艦 てきかん の撃沈 げきちん もなかったことから戦術 せんじゅつ および戦略 せんりゃく 面 めん の両方 りょうほう で敗北 はいぼく となってしまった。
これ以降 いこう 、日本 にっぽん 軍 ぐん は輸送 ゆそう 船 せん による補給 ほきゅう を一旦 いったん 諦 あきら め、駆逐 くちく 艦 かん による輸送 ゆそう および陸軍 りくぐん が大発 だいはつ を用 もち いた輸送 ゆそう (いわゆる「鼠 ねずみ 輸送 ゆそう 」、「蟻 あり 輸送 ゆそう 」)を行 おこな うようになった[41] 。
日本 にっぽん 陸軍 りくぐん 第 だい 17軍 ぐん では海軍 かいぐん は任務 にんむ 遂行 すいこう よりも自己 じこ 艦船 かんせん の保全 ほぜん を優先 ゆうせん している、戦況 せんきょう に関 かか わらず敵 てき の空母 くうぼ のみを攻撃 こうげき の目標 もくひょう としている、敵 てき の輸送 ゆそう 船 せん を攻撃 こうげき して全般 ぜんぱん 作戦 さくせん を容易 ようい にする着意 ちゃくい が認 みと められないといった不満 ふまん が出 で た。
9月15日 にち 、伊 い 19潜水 せんすい 艦 かん の雷撃 らいげき により炎上 えんじょう する米 べい 空母 くうぼ ワスプ
アメリカ軍 ぐん は日本 にっぽん 軍 ぐん にとって貴重 きちょう な空母 くうぼ 1隻 せき を撃沈 げきちん し、さらに日本 にっぽん 軍 ぐん の輸送 ゆそう 作戦 さくせん を阻止 そし して勝利 しょうり をおさめたものの日本 にっぽん 軍 ぐん 主力 しゅりょく 空母 くうぼ 2隻 せき は無傷 むきず であり、完勝 かんしょう とは言 い い難 がた かった[43] 。草 くさ 鹿 しか 龍之介 りゅうのすけ 参謀 さんぼう 長 ちょう は、B-17爆撃 ばくげき 機 き の発進 はっしん 基地 きち であるエスピリトゥサント島 とう 、ニューカレドニア島 とう 、ガダルカナル島 とう のヘンダーソン飛行場 ひこうじょう の空襲 くうしゅう 圏 けん を「クモ くも の巣 す 」と表現 ひょうげん している[44] 。南雲 なぐも 機動 きどう 部隊 ぶたい の戦力 せんりょく では、アメリカ軍 ぐん 機動 きどう 部隊 ぶたい で補強 ほきょう された「クモ くも の巣 す 」を破 やぶ ることができなかった[44] 。
8月 がつ 28日 にち 、第 だい 20駆逐 くちく 隊 たい の駆逐 くちく 艦 かん 4隻 せき (天 てん 霧 きり 、朝霧 あさぎり 、夕 ゆう 霧 きり 、白雲 しらくも )はガダルカナル島 とう へ陸 りく 兵 へい 一 いち 個 こ 大隊 だいたい 約 やく 600名 めい の輸送 ゆそう を行 おこな ったが、途中 とちゅう でヘンダーソン飛行場 ひこうじょう から飛来 ひらい したSBDドーントレスの攻撃 こうげき を受 う け、朝霧 あさぎり が沈没 ちんぼつ し夕 ゆう 霧 きり 、白雲 しらくも が大破 たいは して撤退 てったい した。また同日 どうじつ 、戦艦 せんかん 大和 やまと 、駆逐 くちく 艦 かん 潮 しお 、漣 さざなみ はチューク諸島 しょとう トラック泊地 はくち に入 にゅう 泊 はく 直前 ちょくぜん 、米 べい 潜水 せんすい 艦 かん フライングフィッシュ から大和 やまと を目標 もくひょう に魚雷 ぎょらい 4本 ほん を撃 う ち込 こ まれた。3本 ほん は自爆 じばく 、1本 ほん を回避 かいひ している[45] 。
29日 にち 、駆逐 くちく 艦 かん 海風 かいふう 、江 こう 風 ふう 、初雪 はつゆき 、吹雪 ふぶき 、白 しろ 雪 ゆき はガダルカナル島 とう への揚陸 ようりく 作戦 さくせん を実施 じっし し、8月 がつ 19日 にち の一木 いちき 支隊 したい 第 だい 1梯団 ていだん 上陸 じょうりく 以来 いらい 初 はつ のガ島 とう 揚陸 ようりく に成功 せいこう した。31日 にち には駆逐 くちく 艦 かん 海風 かいふう 、江 こう 風 ふう 、涼風 すずかぜ 、陽炎 かげろう 、初雪 はつゆき 、吹雪 ふぶき 、白 はく 雪 ゆき 、天 てん 霧 きり が再 ふたた びガダルカナル島 とう への揚陸 ようりく 作戦 さくせん を実施 じっし し、川口 かわぐち 清 きよし 健 けん 陸軍 りくぐん 少将 しょうしょう (川口 かわぐち 支隊 したい 長 ちょう )を含 ふく む陸 りく 兵 へい 約 やく 1200名 めい の揚陸 ようりく に成功 せいこう した。
31日 にち 、珊瑚 さんご 海 うみ の哨戒 しょうかい を行 おこな っていた空母 くうぼ サラトガは日本 にっぽん 軍 ぐん の潜水 せんすい 艦 かん 伊 い 26 の雷撃 らいげき で損傷 そんしょう し、この修理 しゅうり には3ヶ月 かげつ を要 よう した他 ほか 、フレッチャーを初 はじ めとする幕僚 ばくりょう や乗組 のりくみ 員 いん の多数 たすう が死傷 ししょう 、後日 ごじつ フレッチャーは静養 せいよう も兼 か ねて後方 こうほう の任務 にんむ に回 まわ されることになった。
さらに9月15日 にち には、空母 くうぼ ワスプが潜水 せんすい 艦 かん 伊 い 19 の雷撃 らいげき により浸水 しんすい と誘爆 ゆうばく を招 まね いて大破 たいは し、重 じゅう 巡洋艦 じゅんようかん ソルトレイクシティ 、軽 けい 巡洋艦 じゅんようかん ヘレナ 、駆逐 くちく 艦 かん ラフェイ、ランズダウンに乗員 じょういん を移乗 いじょう の後 のち 、復旧 ふっきゅう が行 おこな われた。しかし被 ひ 雷 かみなり 後 ご 、燃料 ねんりょう に引火 いんか して発生 はっせい した火災 かさい を鎮火 ちんか できずランズダウンの魚雷 ぎょらい 3本 ほん による雷撃 らいげき 処分 しょぶん で、伊 い 19の攻撃 こうげき による被 ひ 雷 かみなり から約 やく 6時 じ 間 あいだ 後 ご に沈没 ちんぼつ した。
サラトガの大破 たいは 、ワスプの沈没 ちんぼつ により、同 どう 方面 ほうめん で活動 かつどう 可能 かのう な空母 くうぼ がホーネット のみとなったアメリカ海軍 かいぐん であったが、ガダルカナル島 とう のヘンダーソン基地 きち 航空 こうくう 隊 たい 増援 ぞうえん によって航空 こうくう 優勢 ゆうせい を確保 かくほ した。
攻撃 こうげき を受 う ける龍 りゅう 驤、天津 てんしん 風 ふう 、時津風 ときつかぜ
第 だい 2艦隊 かんたい
近藤 こんどう 信 しん 竹 ちく 中将 ちゅうじょう 旗艦 きかん :愛宕 あたご
第 だい 2戦隊 せんたい /戦艦 せんかん :陸奥 みちのく
第 だい 11航空 こうくう 戦隊 せんたい /水上 すいじょう 機 き 母艦 ぼかん :千歳 ちとせ
第 だい 2南 みなみ 遣 や 艦隊 かんたい 附属 ふぞく /特設 とくせつ 水上 すいじょう 機 き 母艦 ぼかん :山陽 さんよう 丸 まる
第 だい 4戦隊 せんたい /重 じゅう 巡洋艦 じゅんようかん :愛宕 あたご 、高雄 たかお 、摩耶 まや
第 だい 5戦隊 せんたい /重 じゅう 巡洋艦 じゅんようかん :妙高 みょうこう 、羽黒 はぐろ
第 だい 4水雷 すいらい 戦隊 せんたい /軽 けい 巡洋艦 じゅんようかん :由良 ゆら
第 だい 2駆逐 くちく 隊 たい /駆逐 くちく 艦 かん :村雨 むらさめ 、五月雨 さみだれ 、春雨 はるさめ
第 だい 9駆逐 くちく 隊 たい /駆逐 くちく 艦 かん :朝 あさ 雲 くも 、夏 なつ 雲 くも 、山 やま 雲 くも 、峯 みね 雲 くも
第 だい 27駆逐 くちく 隊 たい /駆逐 くちく 艦 かん :白露 しらつゆ 、時雨 しぐれ 、有明 ありあけ 、夕暮 ゆうぐれ 、
第 だい 2水雷 すいらい 戦隊 せんたい (田中 たなか 頼 よりゆき 三 さん 少将 しょうしょう )軽 けい 巡洋艦 じゅんようかん :神通 じんずう
第 だい 17駆逐 くちく 隊 たい :磯 いそ 風 ふう
第 だい 29駆逐 くちく 隊 たい :夕凪 ゆうなぎ
偵察 ていさつ 隊 たい /哨戒 しょうかい 艇 てい :1号 ごう 、2号 ごう 、34号 ごう 、35号 ごう
輸送 ゆそう 船団 せんだん /輸送 ゆそう 船 せん :ぼすとん丸 まる 、大 だい 福丸 ふくまる 、金龍 きんりゅう 丸 まる
第 だい 3艦隊 かんたい
この他 ほか に、外 そと 南洋 なんよう 部隊 ぶたい の鳥海 とりうみ 、青葉 あおば 、古 こ 鷹 たか 、衣笠 きぬがさ が別 べつ 行動 こうどう を取 と っていた。
第 だい 61任務 にんむ 部隊 ぶたい
第 だい 11任務 にんむ 群 ぐん
F・J・フレッチャー中将 ちゅうじょう 、C・H・ライト少将 しょうしょう
空母 くうぼ :サラトガ
重 じゅう 巡洋艦 じゅんようかん 2隻 せき 、駆逐 くちく 艦 かん 4隻 せき
重 じゅう 巡洋艦 じゅんようかん :ニュー・オーリンズ、ミネアポリス
駆逐 くちく 艦 かん :
第 だい 16任務 にんむ 群 ぐん
T・C・キンケイド 少将 しょうしょう
空母 くうぼ :エンタープライズ
戦艦 せんかん :ノース・カロライナ
重 じゅう 巡洋艦 じゅんようかん :ポートランド
軽 けい 巡洋艦 じゅんようかん :アトランタ
駆逐 くちく 艦 かん :バルチ(嚮導 きょうどう )、グウィン、グレイソン、ベンハム、モーリィ
第 だい 18任務 にんむ 群 ぐん
F・C・シャーマン少将 しょうしょう 、N・スコット少将 しょうしょう
空母 くうぼ :ワスプ
重 じゅう 巡洋艦 じゅんようかん 2隻 せき 、軽 けい 巡洋艦 じゅんようかん 1隻 せき 、駆逐 くちく 艦 かん 7隻 せき
重 じゅう 巡洋艦 じゅんようかん :サンフランシスコ、ソルト・レイク・シティ
軽 けい 巡洋艦 じゅんようかん :サン・フアン
駆逐 くちく 艦 かん :
日本 にっぽん 海軍 かいぐん
空母 くうぼ :龍 りゅう 驤沈没 ぼつ
駆逐 くちく 艦 かん :睦月 むつき 沈没 ちんぼつ
輸送 ゆそう 船 せん :金 きむ 龍 りゅう 丸 まる 沈没 ちんぼつ
軽 けい 巡洋艦 じゅんようかん :神通 じんずう 中 ちゅう 破 やぶ
水上 すいじょう 機 き 母艦 ぼかん :千歳 ちとせ 中 ちゅう 破 やぶ
アメリカ海軍 かいぐん
空母 くうぼ :エンタープライズ中 ちゅう 破 やぶ サラトガ大破 たいは ワスプ沈没 ちんぼつ
艦載 かんさい 機 き :9機 き 損失 そんしつ