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南太平洋海戦 - Wikipedia

南太平洋みなみたいへいよう海戦かいせん

南太平洋みなみたいへいよう海戦かいせん(みなみたいへいようかいせん)は[1]1942ねん10月26にちソロモンうみいきおこなわれた日米にちべいりょうぐん機動きどう部隊ぶたいによる海戦かいせんのこと[2]アメリカぐんがわ呼称こしょうサンタ・クルーズ諸島しょとう海戦かいせん(Battle of the Santa Cruz Islands)[3]日本にっぽんぐん空母くうぼしょうづる瑞鳳ずいほう大破たいはちゅうやぶという損害そんがいけたものの、べい空母くうぼホーネット撃沈げきちん空母くうぼエンタープライズちゅうやぶという戦果せんかげ、戦術せんじゅつてきには日本にっぽんぐん勝利しょうりであった[4]。しかし多数たすう航空機こうくうき搭乗とうじょういんうしない、また戦闘せんとうしゅ目的もくてきであるガダルカナルとう飛行場ひこうじょう占領せんりょうできなかった[5]

南太平洋みなみたいへいよう海戦かいせん

空母くうぼホーネット急降下きゅうこうか爆撃ばくげきちゅうきゅうきゅうかんばく
戦争せんそう太平洋戦争たいへいようせんそう / だい東亜とうあ戦争せんそう
年月日ねんがっぴ1942ねん10月26にち
場所ばしょソロモン諸島しょとうサンタ・クルーズ諸島しょとうおき
結果けっか日本にっぽん戦術せんじゅつてき勝利しょうり

べいぐん稼働かどう空母くうぼ一時いちじてき空白くうはく

交戦こうせん勢力せいりょく
大日本帝国の旗 大日本帝国だいにっぽんていこく アメリカ合衆国の旗 アメリカ合衆国あめりかがっしゅうこく
指導しどうしゃ指揮しきかん
日本 山本やまもと五十六いそろく
日本 近藤こんどうしんちく
日本 南雲なぐも忠一ただかず
日本 角田つのださとし
アメリカ合衆国の旗 ウィリアム・F・ハルゼー
アメリカ合衆国の旗 トーマス・C・キンケイド
アメリカ合衆国の旗 ジョージ・D・マレー
アメリカ合衆国の旗 ウィリス・A・リー
戦力せんりょく
空母くうぼ4
戦艦せんかん4
じゅう巡洋艦じゅんようかん8
けい巡洋艦じゅんようかん2
駆逐くちくかん22
基地きち航空こうくうたい
空母くうぼ2
戦艦せんかん2
じゅう巡洋艦じゅんようかん4
けい巡洋艦じゅんようかん5
駆逐くちくかん20
基地きち航空こうくうたい
損害そんがい
空母くうぼ2損傷そんしょう
じゅう巡洋艦じゅんようかん1損傷そんしょう
駆逐くちくかん1損傷そんしょう
空母くうぼ1沈没ちんぼつ
駆逐くちくかん1沈没ちんぼつ
空母くうぼ1損傷そんしょう
戦艦せんかん1損傷そんしょう
けい巡洋艦じゅんようかん1損傷そんしょう
駆逐くちくかん1損傷そんしょう
ソロモン諸島しょとうたたか

概要がいよう

編集へんしゅう

ガダルカナルとうにおける日米にちべいたたかにおいて、もっと重要じゅうよう役割やくわりになった同島どうとうヘンダーソン飛行場ひこうじょう基地きちをめぐっておこなわれた日米にちべい主力しゅりょく機動きどう部隊ぶたい海戦かいせん[6]。1942ねん昭和しょうわ17ねん)10がつ下旬げじゅん、ガダルカナルとう日本にっぽん陸軍りくぐんだいじゅうななぐんべいぐん支配しはいのヘンダーソン飛行場ひこうじょうそう攻撃こうげき実施じっしすることになり、日本にっぽん海軍かいぐん空母くうぼ機動きどう部隊ぶたいふく多数たすう水上すいじょう艦艇かんてい投入とうにゅうして支援しえんにあたることとなった[7]。 これを阻止そしするためアメリカぐん空母くうぼ機動きどう部隊ぶたいサンタクルーズ諸島しょとう方面ほうめん派遣はけんし、10月26にちほん海戦かいせんいたった[8]日本にっぽん海軍かいぐんはアメリカ機動きどう部隊ぶたい撃退げきたいして戦術せんじゅつてきには勝利しょうりおさめたが、日本にっぽん陸軍りくぐんのガとうヘンダーソン飛行場ひこうじょうたいするそう攻撃こうげき失敗しっぱいした[9]戦略せんりゃくてきにはアメリカぐん勝利しょうり飛行場ひこうじょう維持いじ成功せいこう)にわった[5]日本にっぽん海軍かいぐん機動きどう部隊ぶたい航空こうくうたい消耗しょうもう甚大じんだいで、その日本にっぽんぐん作戦さくせん行動こうどう影響えいきょうあたえる[10]

背景はいけい

編集へんしゅう

1942ねん6がつミッドウェー海戦かいせん日本にっぽんぐん主力しゅりょく空母くうぼ4せき赤城あかぎ加賀かがりゅうあおいりゅう)を撃沈げきちんして勝利しょうりしたアメリカぐんは、2かげつ8がつ7にちウォッチタワー作戦さくせん発動はつどう[11]アメリカぐん海兵かいへいたいツラギとうフロリダ諸島しょとう)とガダルカナルとう上陸じょうりくする[12]フロリダ諸島しょとうたたか)。ガダルカナルとうでは、完成かんせいしたばかりの日本にっぽんぐん飛行場ひこうじょう占領せんりょうした[13]。この飛行場ひこうじょうは、のちにヘンダーソン飛行場ひこうじょう命名めいめいされた[14]

日本にっぽんぐん基地きち航空こうくう部隊ぶたいだいじゅういち航空こうくう艦隊かんたい[ちゅう 1]と、南東なんとう方面ほうめん担当たんとうするだいはち艦隊かんたい[ちゅう 2]にアメリカぐん撃退げきたいめいじ、そと南洋なんよう部隊ぶたいだいいちソロモン海戦かいせん勝利しょうりおさめた[15]。だが海軍かいぐん特別とくべつ陸戦りくせんたい輸送ゆそう船団せんだんはツラギとう到着とうちゃくできず[ちゅう 3]8がつ18にちにガとう上陸じょうりくした一木いちききよしただし陸軍りくぐん大佐たいさ一木いちき支隊したい先遣せんけんたいイルがわ渡河とかせん壊滅かいめつ[17][18]、アメリカ海兵かいへいたい早期そうき撃退げきたい企図きと頓挫とんざした[19]。このあいだ、アメリカぐん護衛ごえい空母くうぼロングアイランドによりヘンダーソン飛行場ひこうじょう航空こうくうたい空輸くうゆすることに成功せいこうした[20][21]。これ以降いこう、ヘンダーソン飛行場ひこうじょう航空こうくうたい逐次ちくじ増強ぞうきょうされ、ガとうかう日本にっぽんぐん増援ぞうえん部隊ぶたいえず空襲くうしゅうさらされるようになった[22]川口かわぐち支隊したいだいいち輸送ゆそう失敗しっぱいなど)[23]

8がつ24にち日本にっぽん艦隊かんたいだい艦隊かんたい司令しれい長官ちょうかん近藤こんどうしんちく中将ちゅうじょう指揮しきする前進ぜんしん部隊ぶたいだいさん艦隊かんたい司令しれい長官ちょうかん南雲なぐも忠一ただかず中将ちゅうじょう指揮しきする機動きどう部隊ぶたい)は[24]、アメリカぐんふたつの任務にんむ部隊ぶたい、すなわち空母くうぼサラトガ基幹きかんとするだい11任務にんむ部隊ぶたいと、空母くうぼエンタープライズ基幹きかんとするだい16任務にんむ部隊ぶたい交戦こうせんした[25]日本にっぽんがわ呼称こしょうだいソロモン海戦かいせん連合れんごうぐんがわ呼称こしょう東部とうぶソロモン海戦かいせん[26]。 このたたかいでアメリカぐん日本にっぽんぐんけい空母くうぼりゅう撃沈げきちんし、水上すいじょう母艦ぼかん千歳ちとせ撃破げきはした[27]。さらに日本にっぽんぐん輸送ゆそう船団せんだん航空こうくう攻撃こうげき阻止そしし、勝利しょうりおさめた[ちゅう 4]日本にっぽんぐん輸送ゆそう船団せんだんによるガとう増援ぞうえん作戦さくせんをあきらめ、駆逐くちくかんなど軽快けいかい艦艇かんていによるねずみ輸送ゆそう開始かいしした[31]。 その一方いっぽういちこうせん空襲くうしゅう空母くうぼエンタープライズ損傷そんしょうし、真珠湾しんじゅわん回航かいこうされて修理しゅうりをおこなった[32]

8がつ31にちごうだいじゅうろく潜水せんすいかん攻撃こうげきフランク・J・フレッチャー中将ちゅうじょう旗艦きかんサラトガ大破たいはして、長期ちょうき修理しゅうり余儀よぎなくされた[33][34]

9月12にち以降いこうガダルカナルとう上陸じょうりくしていた川口かわぐちきよしけん陸軍りくぐん少将しょうしょう日本にっぽん陸軍りくぐん川口かわぐち支隊したいが、ヘンダーソン飛行場ひこうじょうそう攻撃こうげき敢行かんこうした[35][36]支援しえん部隊ぶたい前進ぜんしん部隊ぶたい機動きどう部隊ぶたい)はトラック泊地はくち出撃しゅつげきしてガとう北方ほっぽう海面かいめん遊弋ゆうよくしたが[37]川口かわぐち支隊したい攻撃こうげき失敗しっぱいによりトラック泊地はくちげた[38]日本にっぽん艦隊かんたい阻止そしのため行動こうどうしていたアメリカ海軍かいぐん機動きどう部隊ぶたいも、9月15にち19奇襲きしゅう空母くうぼワスプ沈没ちんぼつした[39][40]。さらにホーネットを護衛ごえいしていた戦艦せんかんノースカロライナなかやぶした[41][42]。この時点じてんで、太平洋たいへいよう戦線せんせん作戦さくせん行動こうどうをとれる正規せいき空母くうぼホーネット[43]新鋭しんえい戦艦せんかんワシントンのみとなった[44]。 アメリカぐん修理しゅうりちゅうのエンタープライズとサラトガの復帰ふっきいそいだ。このうち、エンタープライズは10がつ中旬ちゅうじゅんまでに対空たいくう火砲かほう強化きょうかふく修理しゅうり完了かんりょうした[45]。エンタープライズとさい新鋭しんえい戦艦せんかんサウスダコタをふくむだい16任務にんむ部隊ぶたい真珠湾しんじゅわん出撃しゅつげきして南下なんかし、10月24にち午後ごご4ごろエスピリッツサントとうから北東ほくとうやく500kmの地点ちてんで、ホーネットを基幹きかんとするだい17任務にんむ部隊ぶたい英語えいごばん合流ごうりゅうした[46]

また、太平洋艦隊たいへいようかんたい司令しれい長官ちょうかんチェスター・ニミッツ大将たいしょうは、南西なんせい地区ちく司令しれいかんゴームレー中将ちゅうじょうからハルゼー中将ちゅうじょう交代こうたいさせた[47][48]。ニミッツ大将たいしょうは、ゴームレー中将ちゅうじょうがガダルカナルで苦戦くせんする部隊ぶたいひきいるにはあまりに狭量きょうりょうで、悲観ひかんてきぎるとかんじていたのである[49][50]。ハルゼー中将ちゅうじょう着任ちゃくにんするとただちに日本にっぽん艦隊かんたい決戦けっせんするための計画けいかく策定さくてい開始かいしした[49]。この海域かいいき作戦さくせんをおこなうだい61任務にんむ部隊ぶたい英語えいごばん指揮しきかんは、トーマス・C・キンケイド少将しょうしょうであった[51]

日本にっぽん海軍かいぐん連合れんごう艦隊かんたいも、ガとう攻勢こうせいけてうごいていた[52]だいじゅうななぐん司令しれいかん百武ももたけはるきち中将ちゅうじょう)が10がつ中旬ちゅうじゅん予定よていしていたガダルカナルとうでのそう攻撃こうげき支援しえんするため[53]南東なんとう方面ほうめんではラバウル所在しょざいだいはち艦隊かんたい司令しれい長官ちょうかん三川みかわ軍一ぐんいち中将ちゅうじょう指揮しきかんとするそと南洋なんよう部隊ぶたい麾下きか駆逐くちくかん巡洋艦じゅんようかんでガとうへのねずみ輸送ゆそう実施じっし[54]、さらに水上すいじょう母艦ぼかん日進にっしんじゅう機材きざい輸送ゆそうしていた[55][56]日進にっしん輸送ゆそうくわえて、高速こうそく輸送ゆそう船団せんだんによる大量たいりょう輸送ゆそう実施じっし予定よていであった[57]。 トラック泊地はくちには、だい艦隊かんたい司令しれい長官ちょうかん近藤こんどうしんちく中将ちゅうじょう旗艦きかん愛宕あたご」)が指揮しきする支援しえん部隊ぶたい近藤こんどう長官ちょうかん指揮しきかんとする前進ぜんしん部隊ぶたいだいさん戦隊せんたい戦艦せんかんきむつよし榛名はるなだい航空こうくう戦隊せんたい空母くうぼはやぶさたかたか 〉およびだいさん艦隊かんたい司令しれい長官ちょうかん南雲なぐも忠一ただかず中将ちゅうじょう指揮しきかんとする機動きどう部隊ぶたいだいいち航空こうくう戦隊せんたい空母くうぼみずづるしょうづる瑞鳳ずいほうとう)が集結しゅうけつしていた[58]だいいち航空こうくう戦隊せんたいだい航空こうくう戦隊せんたいにはミッドウェー海戦かいせん乗艦じょうかんうしなったパイロットたち多数たすう着任ちゃくにんしており、士気しき旺盛おうせいだったという[59]

10月7にち、ガダルカナルとうではアメリカぐん反撃はんげきによりだい師団しだん師団しだんちょう丸山まるやま政男まさお中将ちゅうじょう)が後退こうたい余儀よぎなくされ[60]だいじゅうななぐん作戦さくせん計画けいかく齟齬そごしょうじた[61][62]。ガとう現地げんちぐん指導しどうしていた大本営だいほんえい陸軍りくぐん参謀さんぼうつじ政信まさのぶ中佐ちゅうさ[ちゅう 5]、ヘンダーソン基地きちへのだいじゅうななぐんそう攻撃こうげきが10月25にち遅延ちえんすると海軍かいぐん大本営だいほんえい通知つうちした[65][66]。 10月11にち午前ごぜんちゅうだい艦隊かんたい司令しれい長官ちょうかん近藤こんどうしんちく中将ちゅうじょう支援しえん部隊ぶたい指揮しきかん)が指揮しきする前進ぜんしん部隊ぶたい近藤こんどう長官ちょうかん)と機動きどう部隊ぶたい南雲なぐも長官ちょうかん)は、それぞれトラック泊地はくち出撃しゅつげきした[67][68]サボとうおき海戦かいせんのあと[69]、10月13にちから14にちにかけておこなわれた挺身ていしんたい指揮しきかん栗田くりた健男たけおだいさん戦隊せんたい司令しれいかん戦艦せんかんきむつよし榛名はるな)によるヘンダーソン飛行場ひこうじょうかんほう射撃しゃげき成功せいこうけてだいじゅうななぐんそう攻撃こうげき準備じゅんびをおこなうが[70][71]無事ぶじだった飛行場ひこうじょうから飛来ひらいしたアメリカぐん攻撃こうげきたいにより高速こうそく輸送ゆそう船団せんだん空襲くうしゅう輸送ゆそうせん3せき喪失そうしつ[72]揚陸ようりくした物資ぶっしもすべてはらわれてしまった[73][74][ちゅう 6]だいさん戦隊せんたいつづき、10月14にちだいはち艦隊かんたいじゅうじゅん2せき鳥海とりうみ衣笠きぬがさ)、10月15にちだい戦隊せんたいみょうだか摩耶まや)とだい水雷すいらい戦隊せんたいなどが飛行場ひこうじょう砲撃ほうげきをおこなった[77][79]飛行場ひこうじょう維持いじするガとうのアメリカ海兵かいへいたいくるしい状況じょうきょうつづいた[80]

そう攻撃こうげき準備じゅんびのためガとうヘンダーソン基地きちたいする空襲くうしゅう強化きょうかちゅう10がつ20日はつかよるだい航空こうくう戦隊せんたい司令しれいかん角田つのださとし少将しょうしょう)の旗艦きかんたか火災かさい機関きかん故障こしょう発生はっせいし、速力そくりょく低下ていかにより航空こうくうせん続行ぞっこう不可能ふかのうとなる[81]たか旗艦きかん任務にんむ搭載とうさい姉妹しまいかんはやぶさたかうつし、駆逐くちくかん2せきでんいそなみ)に護衛ごえいされてトラック泊地はくち回航かいこうされた[82]日本にっぽんぐんはアメリカぐんたたかまえから空母くうぼ1せき事実じじつじょううしなったことになる[83]一方いっぽうで、10月17にちのガダルカナルとう飛行場ひこうじょう攻撃こうげき消耗しょうもうしていたはやぶさたか戦力せんりょく回復かいふくした[ちゅう 7]。またたかれいせん16、きゅうきゅうかんばく17がラバウルに移動いどうした[85]日米にちべい双方そうほう事情じじょうにより、日本にっぽん陸軍りくぐんのガとうそう攻撃こうげき実施じっし(Y)は10月21にちから23にち[86]、23にちから24にちへと[87]、たびたび延期えんきされた[88][82][89]連合れんごう艦隊かんたい燃料ねんりょう月齢げつれい関係かんけいから10がつ23にちまでにそう攻撃こうげき開始かいしするよう要望ようぼうしており、日本にっぽん陸海りくかいぐんあいだ微妙びみょう空気くうきながれた[90]

どう時期じき、アメリカぐんはガダルカナルとうのヘンダーソン基地きち航空こうくう燃料ねんりょう補給ほきゅうするため、燃料ねんりょう補給ほきゅう船団せんだん貨物かもつ輸送ゆそうせんベラトリクス英語えいごばんアルキバ英語えいごばん〉、魚雷ぎょらいてい母艦ぼかんジェームズタウン英語えいごばん〉、艦隊かんたい曳船えいせんヴィレオ英語えいごばん〉、駆逐くちくかんメレディスニコラス〉)を編成へんせいしてガとうにむかわせ、だい64任務にんむ部隊ぶたい戦艦せんかんワシントンけい巡洋艦じゅんようかんアトランタ駆逐くちくかんウォーク英語えいごばん駆逐くちくかんベンソン)が間接かんせつ護衛ごえいをおこなった[91]。10月15にち南雲なぐも機動きどう部隊ぶたい索敵さくてき発進はっしんさせ、じゅうじゅん水上すいじょう偵察ていさつべいぐん燃料ねんりょう補給ほきゅう船団せんだん発見はっけんした[92]いちこうせん攻撃こうげきたいれいせん8、かんばく21、かんおさむ9)は船団せんだんから分離ぶんりしてガとう進撃しんげきしていたメレディスを撃沈げきちん[93]日本にっぽんがわけい巡洋艦じゅんようかん撃沈げきちん誤認ごにん[77]曳船えいせんヴィレオを損傷そんしょうさせたが、しょうづるかんばく1、みずづるかんおさむ2をうしなった[94]。10月18にち駆逐くちくかんグウィングレイソン英語えいごばん曳船えいせんセミノール英語えいごばん曳船えいせん生存せいぞんしゃ発見はっけんし、ガとう曳航えいこうして燃料ねんりょう補給ほきゅう成功せいこうした[95]

10月20にち午後ごご7ごろサンクリストバルとうひがしはしみなみ100かいりにおいてごうだいひゃくななじゅうろく潜水せんすいかん[ちゅう 8]だい64任務にんむ部隊ぶたい発見はっけんする[97]176はじゅう巡洋艦じゅんようかんチェスター雷撃らいげきして大破たいはさせた[81][98]。 これ以降いこう日本にっぽん艦隊かんたいてき主力しゅりょく部隊ぶたいだい64任務にんむ部隊ぶたい)にかんする情報じょうほうはたびたびはいってきたが[98][99]肝心かんじんてき機動きどう部隊ぶたい所在しょざいがわからず、東方とうほうから奇襲きしゅうされるおそれがでてきた[100]。 10月22にちよる利根りこんがたじゅうじゅんよう筑摩ちくま秋月しゅうげつがた駆逐くちくかんあきらがつ牽制けんせい部隊ぶたいとなり、日本にっぽんぐん機動きどう部隊ぶたいから分離ぶんりして南方なんぽう200かいり(370km)地点ちてん進出しんしゅつした[101][ちゅう 9]筑摩ちくま偵察ていさつ発進はっしんさせるがべい艦隊かんたい発見はっけんできず、アメリカぐん飛行ひこうてい雷撃らいげき回避かいひしたあと[102]南雲なぐも部隊ぶたい筑摩ちくま前衛ぜんえいあきらがつ本隊ほんたい)に合流ごうりゅうした[101]。10月23にち連合れんごう艦隊かんたい以下いか警告けいこくはっした[103]

  1. ここの数日すうじつらいてき空母くうぼ所在しょざい不明ふめいてき機動きどう部隊ぶたいたいし、サンタクルーズとう方面ほうめん、とくに警戒けいかいようありとみとめむ。
  2. 24にち、X哨戒しょうかいおよびしき飛行ひこうていはなるべくはや発進はっしんし、かつゆるかぎなが哨戒しょうかいのことにはからわれたし。

日本にっぽんぐん機動きどう部隊ぶたいは23にち正午しょうご前衛ぜんえい部隊ぶたい分離ぶんりし、陸軍りくぐん支援しえん態勢たいせいはいった[104]。しかし日本にっぽん陸軍りくぐんからそう攻撃こうげき延期えんき連絡れんらくがあり、日本にっぽんぐん機動きどう部隊ぶたい北上ほくじょうした[104]。たびかさなる延期えんき苛立いらだち、またアメリカぐん哨戒しょうかい発見はっけんされること懸念けねんした南雲なぐも機動きどう部隊ぶたいは、駆逐くちくかんあらしだい4駆逐くちくたい司令しれい有賀ありが幸作こうさく大佐たいさ)を東方とうほう派遣はけんし、26にちまで北方ほっぽう待機たいきするむね連合れんごう艦隊かんたい司令しれい報告ほうこくさせた[104]宇垣うがきまとい(連合れんごう艦隊かんたい参謀さんぼうちょう)はだいさん艦隊かんたい行動こうどう優柔不断ゆうじゅうふだん独断どくだんてき措置そち解釈かいしゃくし、前進ぜんしん部隊ぶたい孤立こりつすることへの懸念けねんしめした[104]。24にち午後ごご644ふん山本やまもと五十六いそろく連合れんごう艦隊かんたい長官ちょうかんしたれいしたがい、日本にっぽんぐん機動きどう部隊ぶたいふたた南下なんかした[105]南雲なぐも機動きどう部隊ぶたい北上ほくじょう南進なんしん反復はんぷく行動こうどうくさ鹿しか龍之介りゅうのすけ参謀さんぼうちょう指示しじによるものだったが、南雲なぐも長官ちょうかんくさ鹿しかすと今後こんご作戦さくせん方針ほうしんについて検討けんとうおこない、連合れんごう艦隊かんたい命令めいれいしたがって南下なんか決定けっていした[106]

10月23-25にちにかけて、日本にっぽん陸軍りくぐんはガダルカナルとうそう攻撃こうげきおこなうが、猖獗しょうけつしょうけつきわめるジャングルでの行軍こうぐん将兵しょうへい消耗しょうもうして部隊ぶたいあいだ連絡れんらく途切とぎれがちとなり[107]、さらにじゅう装備そうびたない戦闘せんとうのため苦戦くせんいられる[108]指揮しき系統けいとう混乱こんらんする[109][ちゅう 10]だい師団しだんそう攻撃こうげきは、兵力へいりょく増強ぞうきょう防御ぼうぎょ陣地じんちかまえていたアメリカぐん海兵かいへいたい(2まん3000めい)の反撃はんげき失敗しっぱいわった[111][112]。 にもかかわらず10がつ24にちよるには「2100、バンザイ(21、ガダルカナル飛行場ひこうじょう完全かんぜん占領せんりょう)」「2250ふん発信はっしん:2100ややややまえだい師団しだん右翼うよくたい飛行場ひこうじょう占領せんりょうセリ 同時どうじ左翼さよくたい飛行場ひこうじょう付近ふきんてき交戦こうせんちゅう」という一報いっぽう発信はっしんされた[113][114]日本にっぽん海軍かいぐんにも情報じょうほうつたわり、艦隊かんたい一気いっきった[85]飛行場ひこうじょう占領せんりょう速報そくほう大本営だいほんえいにも通知つうちされた[115]。その、25にち午前ごぜん2から午前ごぜん3にかけて「〇いち飛行場ひこうじょう占領せんりょうシアラス」「師団しだん飛行場ひこうじょう占領せんりょうシアラス 両翼りょうよくたいども飛行場ひこうじょう付近ふきんニ於テ激戦げきせんちゅう」との情報じょうほうんだ[113]日本にっぽん艦隊かんたいでは、飛行場ひこうじょう占領せんりょう誤報ごほうとわかり落胆らくたんしている[116]宇垣うがきまとい連合れんごう艦隊かんたい参謀さんぼうちょうの「せんろく」からも、日本にっぽん陸軍りくぐん度重たびかさなるそう攻撃こうげき予定よてい変更へんこうたいする当惑とうわく苛立いらだちがうかがえる[117]。(くわしくはガダルカナルとうたたか参照さんしょう

そと南洋なんよう部隊ぶたいだいはち艦隊かんたい)は[118]日本にっぽん陸軍りくぐんのガとうそう攻撃こうげき呼応こおうして支援しえん攻撃こうげきおこなうことになっていた[119][120]そと南洋なんよう部隊ぶたい麾下きかだい6駆逐くちくたい司令しれい山田やまだ勇助ゆうすけ大佐たいさ指揮しきする駆逐くちくかん3せきあかつきかみなり白露しらつゆ)と、だいよん水雷すいらい戦隊せんたい司令しれいかん高間たかまかん少将しょうしょう)は、24にち深夜しんやから25にちあさにかけてガダルカナルとう泊地はくち突入とつにゅうする[121]

当時とうじ掃海そうかい駆逐くちくかんゼイン英語えいごばん (USS Zane, DMS-14) がルンガ泊地はくち荷役にやく作業さぎょうちゅうであったが、3せき日本にっぽん駆逐くちくかん出現しゅつげんにより逃亡とうぼうはかる。日本にっぽんがわ3せきシーラーク水道すいどう英語えいごばんってゼインまで5カイリに接近せっきんしたところで砲撃ほうげき開始かいしし、ゼインに命中めいちゅうだん1はつあたえるがしゅ任務にんむであるアメリカぐん陣地じんち砲撃ほうげきとのいからそれ以上いじょう追撃ついげきはできなかった[122]

再度さいどルンガ泊地はくちかうと、今度こんどアメリカ海兵かいへいたいけの軍需ぐんじゅひんをガダルカナルとう陸揚りくあちゅう艦隊かんたい曳船えいせんセミノール英語えいごばん (Seminole, AT-65) と沿岸えんがん哨戒しょうかいていYP-284を発見はっけんした。セミノールとYP-284は接近せっきんしてきたのが日本にっぽん駆逐くちくかんだとると陸揚りくあ作業さぎょうり、ただちに逃亡とうぼう開始かいしした。間髪かんぱつれず砲撃ほうげき開始かいしし、YP-284を砲撃ほうげき炎上えんじょうさせて撃沈げきちんしたのにつづきセミノールも砲撃ほうげきにより撃沈げきちんした[123]突撃とつげきたい小型こがた輸送ゆそうせん1せき仮装かそう巡洋艦じゅんようかん1せき撃沈げきちん記録きろくした[121]つづいて海兵かいへいたい陣地じんちたいしてかんほう射撃しゃげき開始かいしするが、海兵かいへいたい陣地じんちの5インチ海岸かいがんほうからの反撃はんげきによりあかつきさんばん砲塔ほうとうくすりしつに1はつ命中めいちゅうして一時いちじ火災かさい発生はっせい、4めい戦死せんししゃ被害ひがいけた[121]かみなり緊急きんきゅう発進はっしんしたF4Fワイルドキャット戦闘せんとう機銃きじゅう掃射そうしゃ損傷そんしょう銃撃じゅうげきすうめい死傷ししょうする被害ひがいけた[121][124]

突撃とつげきたい無事ぶじにルンガ泊地はくちから脱出だっしゅつしたが、つづいてガとう突入とつにゅうしようとした高間たかまかんだい四水雷戦隊司令官指揮下の6せき秋月あきづきよんみず戦旗せんきかん〉、由良ゆら村雨むらさめ五月雨さみだれ夕立ゆうだち春雨はるさめ)はヘンダーソン飛行場ひこうじょうから飛来ひらいしたアメリカぐんSBDドーントレス急降下きゅうこうか爆撃ばくげきとF4Fワイルドキャット戦闘せんとう波状はじょう攻撃こうげきけ、けいじゅん由良ゆら沈没ちんぼつしている[125][ちゅう 11]よんみず戦旗せんきかん秋月あきづきなかやぶし、高間たかま少将しょうしょう村雨むらさめ移乗いじょうした[126]。これらの状況じょうきょうをうけてだいはち艦隊かんたい司令しれい長官ちょうかんそと南洋なんよう部隊ぶたいかくたいにショートランドへの帰投きとうめいじた[126]

とうでこのような戦闘せんとうひろげられるなかだい61任務にんむ部隊ぶたいことエンタープライズを基幹きかんとするキンケイド提督ていとくだい16任務にんむ部隊ぶたい[127]、ホーネットを基幹きかんとするマレー提督ていとくだい17任務にんむ部隊ぶたい戦艦せんかんワシントン基幹きかんとするリー提督ていとくだい64任務にんむ部隊ぶたいは、日本にっぽんぐん攻撃こうげき艦隊かんたい邀撃ようげきするため[128]、ガダルカナルとう北東ほくとう海面かいめん[51]すなわちサンタ・クルーズ諸島しょとう北方ほっぽう索敵さくてきして日本にっぽん艦隊かんたい邀撃ようげきするようめいじられた[46]

戦闘せんとう経過けいか

編集へんしゅう
 
北方ほっぽうより進出しんしゅつする日本にっぽん艦隊かんたい南方なんぽうより進出しんしゅつするアメリカ艦隊かんたい会戦かいせんした

日本にっぽん海軍かいぐん海戦かいせん参加さんか部隊ぶたいにおいて、支援しえん部隊ぶたい指揮しきかん近藤こんどう長官ちょうかん旗艦きかん愛宕あたご」)が、前進ぜんしん部隊ぶたいだい艦隊かんたい)と機動きどう部隊ぶたいだいさん艦隊かんたい旗艦きかんしょうづる」)を指揮しきする[129]支援しえん部隊ぶたい指揮しきかん前進ぜんしん部隊ぶたい指揮しきかんねる[129]

だいさん艦隊かんたい司令しれい長官ちょうかん南雲なぐも忠一ただかず中将ちゅうじょう指揮しきする機動きどう部隊ぶたい本隊ほんたいだいいち航空こうくう戦隊せんたい空母くうぼしょうづるみずづる瑞鳳ずいほう〉、じゅうじゅん熊野くまの[130]駆逐くちくかんあらしまいふうゆきふう時津風ときつかぜ天津てんしんふうはつふう浜風はまかぜあきらがつ〉)、だいじゅういち戦隊せんたい司令しれいかん阿部あべ弘毅こうき少将しょうしょう指揮しきする機動きどう部隊ぶたい前衛ぜんえい部隊ぶたい戦艦せんかん比叡ひえい霧島きりしま〉、じゅうじゅん利根りこん筑摩ちくま鈴谷すずや〉、けいじゅん長良ながら〉、駆逐くちくかん谷風たにかぜうらふういそふうあきくも風雲ふううん巻雲けんうんゆうくも〉)、本隊ほんたい後方こうほう補給ほきゅう部隊ぶたい駆逐くちくかん野分のわけ[131]油槽ゆそうせん6せき)、機動きどう部隊ぶたいより西方せいほうだい艦隊かんたい司令しれい長官ちょうかん近藤こんどうしんちく中将ちゅうじょう指揮しきする前進ぜんしん部隊ぶたいじゅうじゅん愛宕あたご高雄たかおみょうだか摩耶まや〉、戦艦せんかんきむつよし榛名はるな〉、だい水雷すいらい戦隊せんたいだい航空こうくう戦隊せんたいはやぶさたか〉)という4つの集団しゅうだんにわかれて行動こうどうしていた[129]

機動きどう部隊ぶたい前衛ぜんえい部隊ぶたい空母くうぼかうてき攻撃こうげき吸収きゅうしゅうするために、機動きどう部隊ぶたい前方ぜんぽうよこいちれつならんだ。

りょうぐん索敵さくてき

編集へんしゅう

10月25にち日本にっぽんぐん数日すうじつまえから見失みうしなっていたアメリカぐん機動きどう部隊ぶたいもと索敵さくてき活発かっぱつったが[132]、アメリカぐん機動きどう部隊ぶたい発見はっけんにはいたらなかった[133]たいするアメリカぐんは、哨戒しょうかいちゅうPBYカタリナ飛行ひこうてい25にち午前ごぜんちゅう日本にっぽんぐん機動きどう部隊ぶたい発見はっけんした[134]どう25にち正午しょうごすぎには、水上すいじょう母艦ぼかんカーティス水上すいじょう偵察ていさつ日本にっぽん空母くうぼ2せき発見はっけんした[134]南雲なぐも中将ちゅうじょう日本にっぽん陸軍りくぐんそう攻撃こうげき成功せいこう(ヘンダーソン飛行場ひこうじょう占領せんりょう)の報告ほうこくけて南下なんかしていたが、誤報ごほう判明はんめいしてから機動きどう部隊ぶたい本隊ほんたいのみ北上ほくじょう機動きどう部隊ぶたい前衛ぜんえいはそのまま南下なんかをつづけていた[135]。アメリカぐん哨戒しょうかい出現しゅつげんにより、南雲なぐも中将ちゅうじょう前衛ぜんえいにも反転はんてん北上ほくじょうめいじた[4]前衛ぜんえいはB-17 6攻撃こうげきけたが被害ひがいけなかった[135]

一方いっぽうだい61任務にんむ部隊ぶたいのキンケイド少将しょうしょうは、指揮しきのエンタープライズから索敵さくてきねてF4Fワイルドキャット戦闘せんとう16SBDドーントレス急降下きゅうこうか爆撃ばくげき12TBFアヴェンジャー雷撃らいげき7からなる攻撃こうげきたい発進はっしんさせた[136]。その報告ほうこく日本にっぽんぐん機動きどう部隊ぶたいきた反転はんてんしたことが判明はんめいしたが、キンケイド少将しょうしょう無線むせんふうとめ維持いじするため攻撃こうげきたい日本にっぽんぐん位置いち情報じょうほう転送てんそうしなかった。アメリカぐん攻撃こうげきたい反転はんてんした日本にっぽんぐん機動きどう部隊ぶたい捕捉ほそく出来できず、燃料ねんりょうれやちゃくかん事故じこでF4F1、SBD4、TBF3けい8(『THE BIG E』では7)をうしなった[136]。またあさちゃくかん事故じこでF4F4うしなわれており、エンタープライズの航空こうくうたい決戦けっせんまえ航空機こうくうき12うしなうというおおきな痛手いたでけている[137]

午前ごぜん9山本やまもと五十六いそろく連合れんごう艦隊かんたい長官ちょうかん前進ぜんしん部隊ぶたいだい艦隊かんたいだい航空こうくう戦隊せんたい)の航空こうくう兵力へいりょくで、ガダルカナルとうてきぐん陣地じんち・アメリカ艦隊かんたい攻撃こうげきめいじた[138][139]。これをけて空母くうぼはやぶさたかから発進はっしんしたれいせん12きゅうきゅうかんばく12攻撃こうげきたい指揮しきかん志賀しが淑雄としお大尉たいい)はガとうヘンダーソン飛行場ひこうじょう爆撃ばくげきし、石油せきゆタンクの炎上えんじょう確認かくにんした[140][138]こうせん空襲くうしゅう並行へいこうして、基地きち航空こうくう部隊ぶたい飛行場ひこうじょう爆撃ばくげき上空じょうくう制圧せいあつをおこなった[141]午前ごぜん10前衛ぜんえい部隊ぶたい索敵さくてきが「べいぐん戦艦せんかん2-3、防空ぼうくう巡洋艦じゅんようかん4、巡洋艦じゅんようかん1、駆逐くちくかん12、ツラギより方位ほうい160、170マイル」をほうじた[142]支援しえん部隊ぶたい指揮しきかん近藤こんどう長官ちょうかん)は南雲なぐも機動きどう部隊ぶたいに「なりとくレバ攻撃こうげきセヨ」とめいじたが、機動きどう部隊ぶたいは「本日ほんじつ攻撃こうげき見込みこみナシ」と返電へんでんした[143]。 1918ふん連合れんごう艦隊かんたいでんれいさくだい354ごうは『陸軍りくぐん今夜こんや19、ガとう突入とつにゅう予定よていにして、26にち敵艦てきかんたいはガとう南東なんとう海面かいめん出現しゅつげんさんだいなり。連合れんごう艦隊かんたいは26にちてき艦隊かんたい捕捉ほそく撃滅げきめつせんとす』とつたえる[144]。このでんれいなか山本やまもと長官ちょうかん日本にっぽんぐん基地きち航空こうくうたいべい艦隊かんたい攻撃こうげきするようもとめているが[145]実際じっさい海戦かいせん機動きどう部隊ぶたい機動きどう部隊ぶたい正面しょうめん衝突しょうとつとなり、基地きち航空こうくうたいまった関与かんよしなかった[146]だいよん艦隊かんたい麾下きかだいよん空襲くうしゅう部隊ぶたい飛行ひこうていりくおさむで26にち以降いこう偵察ていさつ実施じっししたが、連合れんごうぐん発見はっけんしなかった[147]。 このとき、アメリカぐんはハワイのラジオ放送ほうそうつうじて「ちかくソロモン方面ほうめん大海おおうみ空戦くうせんおこなわれる。べい国民こくみんきプレゼントをおくる」というプロパガンダおこなっていたとされる[148]夜間やかん前衛ぜんえいいそふう飛行ひこうていから雷撃らいげきされるが[149]命中めいちゅうしなかった[144]

海戦かいせん当時とうじ日本にっぽん艦隊かんたい配置はいちは、機動きどう部隊ぶたい本隊ほんたい南雲なぐも長官ちょうかん)と前衛ぜんえい阿部あべ中将ちゅうじょう)の距離きょりが50 - 60かいりだい航空こうくう戦隊せんたいふくむ前進ぜんしん部隊ぶたい近藤こんどう長官ちょうかん)は機動きどう部隊ぶたい西方せいほう100~120かいり行動こうどうしていた[143]10月26にち南雲なぐも忠一ただかず中将ちゅうじょう機動きどう部隊ぶたい本隊ほんたい午前ごぜん030-50ふんにアメリカぐんのPBYカタリナ飛行ひこうていからばくげきけ、みずづる至近しきん距離きょりばくだん落下らっかした[150][151]かくかん攻撃こうげきしたB-17はエスピリトゥサントとうから、カタリナ飛行ひこうていヌデニとうなどから飛来ひらいしており、ばくげき雷撃らいげき実施じっしするとともに日本にっぽん艦隊かんたい位置いち通報つうほうしている[134]。カタリナ飛行ひこうていはっした情報じょうほうは、エスピリトゥサントとう基地きち航空こうくうたい経由けいゆして2あいだの26にち0312にアメリカぐん機動きどう部隊ぶたいとどけられたという[150]ニューカレドニアとうヌーメア司令しれいから指揮しきをとるハルゼー提督ていとくは「攻撃こうげきせよ、反覆はんぷく攻撃こうげきせよ」の命令めいれいはっした[51]

これにたいし、べい艦隊かんたい奇襲きしゅうける可能かのうせいがあると判断はんだんした南雲なぐも機動きどう部隊ぶたいは、ガダルカナルとう北東ほくとう460km地点ちてん反転はんてん北上ほくじょうする[152]。そして黎明れいめい日出にっしゅつ0345ふん)から艦上かんじょう攻撃こうげき13によるだん索敵さくてき開始かいしした[153]。レーダーがないと夜間やかん索敵さくてきできないため、夜明よあまえ夜明よあけの直前ちょくぜんといったように時間じかんをあけて同一どういつ方面ほうめん偵察ていさつ派遣はけんし、先発せんぱつ索敵さくてきできなかった海域かいいき後発こうはつ索敵さくてき夜明よあけと同時どうじまたは夜明よあけから短時間たんじかん捜索そうさく完了かんりょうさせるという方法ほうほうである。日本にっぽんぐん前進ぜんしん部隊ぶたいだい艦隊かんたい)からも、じゅう巡洋艦じゅんようかんけいじゅんかられいしき水上すいじょう偵察ていさつきゅうよんしき水上すいじょう偵察ていさつ発進はっしんし、索敵さくてきにあたった[154]一方いっぽうのアメリカぐんも、エンタープライズからドーントレス16発進はっしんし、2ずつのペアになって索敵さくてきかった[155]

りょうぐん攻撃こうげきたい発進はっしん

編集へんしゅう

10月26にちは、日本にっぽん時間じかん午前ごぜん345ふんである[156]天候てんこうれ、風速ふうそく北西ほくせい10ノット以下いか海面かいめんおだやかで、たびたびスコールがあった[157]午前ごぜん450ふん日本にっぽんぐんしょうづるよんばん索敵さくてきはアメリカぐん機動きどう部隊ぶたい発見はっけんし「てき空母くうぼサラトガがた1、戦艦せんかん2、巡洋艦じゅんようかん4、駆逐くちくかん16、針路しんろ北西ほくせい」(南雲なぐも機動きどう部隊ぶたいから125210かいり)を報告ほうこくした[158][153]みずづる索敵さくてきてき艦隊かんたい発見はっけんしていたが、同機どうき報告ほうこく母艦ぼかんとどけかなったという[153]日本にっぽんぐんはアメリカぐん機動きどう部隊ぶたい戦力せんりょく空母くうぼ3せき判断はんだんした[159]

午前ごぜん530ふんごろしょうづる飛行ひこう隊長たいちょう村田むらた重治しげはる少佐しょうさ指揮しきするだいいち攻撃こうげきたい発進はっしんする[160][161]内訳うちわけ旗艦きかんしょうづるから24村田むらたふくきゅうななしき艦上かんじょう攻撃こうげき20れいしき艦上かんじょう戦闘せんとう4)が発進はっしん[162]みずづるからみずづる飛行ひこう隊長たいちょう高橋たかはしじょう大尉たいいひきいる29きゅうきゅうしき艦上かんじょう爆撃ばくげき21[163]れいしき艦上かんじょう戦闘せんとう8[164]瑞鳳ずいほうから(れいせん9[165]さんかん合計ごうけい62れいせん21、かんばく21、かんおさむ20)が発進はっしんした[166]。また触接しょくせつのためみずづる瑞鳳ずいほうからかんおさむかく1発進はっしんした[166]

つづいてだい2攻撃こうげきたいとしてかくかん合計ごうけい44きゅうななかんおさむ16きゅうきゅうかんばく19れいせん9)が発進はっしん準備じゅんびおこな[167][168]。だが、しょうづるのレーダーがアメリカ軍機ぐんきかげをとらえたためだい攻撃こうげきたいぜんそろうまで発進はっしん調整ちょうせいせず[169]、まずしょうづるから(せきまもる少佐しょうさしょうづる飛行ひこう隊長たいちょうかんばく19、新郷しんごう少佐しょうさしょうづる飛行ひこう隊長たいちょうれいせん5)が発進はっしん[170]、30ふんおくれた午前ごぜん645ふんみずづるから(今宿いまじゅく大尉たいいみずづる飛行ひこう隊長たいちょうかんおさむ16、れいせん4)が発進はっしんした[171]触接しょくせつのためかんおさむ2しょうづる1、みずづる1)が発進はっしんした[168]母艦ぼかん上空じょうくうちょく掩にれいせん配備はいびしたため、南雲なぐも部隊ぶたい攻撃こうげきたい十分じゅうぶんかず護衛ごえいをつけられなかった[172]

またアメリカぐん機動きどう部隊ぶたい発見はっけん報告ほうこく日本にっぽんぐん前進ぜんしん部隊ぶたいだい艦隊かんたい麾下きか空母くうぼはやぶさたかこうせん)にもつたえられ、前進ぜんしん部隊ぶたいはガダルカナルとう攻撃こうげき中止ちゅうしした[173][174]。アメリカぐん機動きどう部隊ぶたい攻撃こうげきけ、航空こうくうたい発進はっしん準備じゅんびがはじまった[175]前進ぜんしん部隊ぶたい指揮しきかん近藤こんどうしんちく中将ちゅうじょうだい航空こうくう戦隊せんたい南雲なぐも機動きどう部隊ぶたい指揮しきあづけると[176]自身じしんはアメリカぐん方向ほうこう南下なんかし、同時どうじ機動きどう部隊ぶたい前衛ぜんえいだいじゅういち戦隊せんたい戦艦せんかん比叡ひえい霧島きりしまひとし)を指揮しき夜戦やせんいどかんがえをかく部隊ぶたい通達つうたつした[177]

ほぼどう時刻じこく、アメリカぐん日本にっぽん艦隊かんたい発見はっけんした。エンタープライズはSBD 16偵察ていさつ投入とうにゅうしており、SBD 2のペアはだい61任務にんむ部隊ぶたい北東ほくとう方面ほうめん捜索そうさくした[178]。ウェルチ大尉たいいとマクグロウ中尉ちゅうい[179]、「フロート1つ」の日本にっぽんぐん水上すいじょう偵察ていさつとすれちがい、20ふん金剛こんごうがた戦艦せんかん発見はっけんした[155]。キンケイド提督ていとくは「戦艦せんかん2せきじゅう巡洋艦じゅんようかん1せき駆逐くちくかん7せき南緯なんい810ふん東経とうけい16355ふん針路しんろきた速度そくど20ノット」という報告ほうこく[180]。まもなく、だい10偵察ていさつたい隊長たいちょうJ・R・"バッキー"・リー少佐しょうさと僚機から「空母くうぼ2せき護衛ごえいかん南緯なんい75ふん東経とうけい16338ふん」(距離きょり320km)の連絡れんらくはいった[179]。リーとジョンソン中尉ちゅういおそってきたれいせん3かえちにしたと主張しゅちょうし、2とも生還せいかんした[181]日本にっぽんぐん機動きどう部隊ぶたい位置いちをつかんだキンケイド少将しょうしょうは、指揮しきだい16任務にんむ部隊ぶたいだい17任務にんむ部隊ぶたいたいし、ただちに攻撃こうげきたい発進はっしん命令めいれいする。空母くうぼホーネットからだい1攻撃こうげきたい29(F4Fワイルドキャット8、SBDドーントレス15、TBFアベンジャー6)、空母くうぼエンタープライズからだい2攻撃こうげきたい19(F4F 8、SBD 3、TBF 8[182]、さらに「ホーネット」からだい3攻撃こうげきたい25(F4F 7、SBD 9、TBF 9)、合計ごうけい73推定すいてい距離きょり200かいり日本にっぽん艦隊かんたいにむけて発進はっしんした[183]

南雲なぐも機動きどう部隊ぶたいから空母くうぼしょうづるだい攻撃こうげきたいはつかん準備じゅんび終了しゅうりょうしかけたとき、みずづるより「はつかん作業さぎょう30ふんおくれる」と報告ほうこく[168]。さらに、索敵さくてきちゅうのアメリカぐんSBDドーントレス2(バーニー・ストロング大尉たいい、チャールズ・アーヴィン少尉しょうい)がかれらにまった気付きづいていない空母くうぼ瑞鳳ずいほう奇襲きしゅうをかける[184]上空じょうくう警戒けいかいちゅうれいせん9もSBD 2阻止そしできなかった[185]。SBD 2投下とうかしたばくだん瑞鳳ずいほう飛行ひこう甲板かんぱん後部こうぶ直撃ちょくげきした[161]。ストロングとアーヴィン日本にっぽんぐん対空たいくう砲火ほうかれいせん迎撃げいげきをふりきり、ぎゃくけい2れいせん撃墜げきつい主張しゅちょうして生還せいかんしている[186]日本にっぽんぐんにとって幸運こううんなことに被弾ひだん箇所かしょさい後部こうぶであったこと、被害ひがいかんだい攻撃こうげきたい艦内かんないかかえていたみずづるでなかったため、誘爆ゆうばくによるミッドウェー海戦かいせん悪夢あくむ再現さいげんけられた[187]。しかし飛行ひこう甲板かんぱんやぶあなにより、瑞鳳ずいほう発着はっちゃくかん不能ふのうとなった[188]瑞鳳ずいほう駆逐くちくかん2せきまいふうはつかぜ)に護衛ごえいされ戦線せんせん離脱りだつする[189][189]。このため南雲なぐも長官ちょうかんみずづるたいいて、しょうづるたい発進はっしんさせた(だい攻撃こうげきたい戦力せんりょく上記じょうき参照さんしょう[168]攻撃こうげきたい発進はっしんするとしょうづるでは被弾ひだんそなえて可燃かねんぶつすべてたが、このとき演芸えんげいかいようおんな着物きものとかつらがまれるのが目撃もくげきされた[190]

日本にっぽんぐん機動きどう部隊ぶたいだいいち攻撃こうげきたいは、進撃しんげき途中とちゅう日本にっぽん艦隊かんたい目指めざすアメリカぐんのホーネットたいとすれちがった[161]。おたがいに相手あいて視認しにんしながら、りょうぐんとも素知そしらぬふりをしてやりごそうとする[191]つぎにエンタープライズたいとすれちがってあいだもなく、日本にっぽんぐん攻撃こうげきたいさい後尾こうび位置いちしていた瑞鳳ずいほうれい戦隊せんたい9指揮しきかん/日高ひだかもりやすし大尉たいい)が反転はんてんし、エンタープライズたい19かんせん8、かんばく3、かんおさむ8)を追撃ついげきした[192]。エンタープライズ攻撃こうげきたいれいせん奇襲きしゅう損害そんがいけた[157]。F4F 3撃墜げきついされ、1被弾ひだん機銃きじゅう無線むせん破壊はかいされて母艦ぼかんエンタープライズへの帰投きとう余儀よぎなくされた[193]。また雷撃らいげきたい指揮しきかんふくむ2撃墜げきついされ、1不時着ふじちゃくし、べつの1被弾ひだんにより攻撃こうげきあきら母艦ぼかん帰還きかんした[194]。エンタープライズたいはF4F 4、SBD 3、TBF 4となったが、進撃しんげきつづけた[195]一方いっぽう瑞鳳ずいほうたいれいせん9)は空戦くうせんによりれいせん2撃墜げきついされて残存ざんそん7となったうえ母艦ぼかん方角ほうがくがわからなくなってしまう[196]だいいち小隊しょうたい2日高ひだか大尉たいい)、だい2小隊しょうたい内海うつみ秀一ひでかず中尉ちゅうい)2だい3小隊しょうたい河原かわはらまさしあき曹長そうちょう)3かく小隊しょうたいごとに分散ぶんさんして帰投きとうするも[197]内海うつみ小隊しょうたい2帰途きと行方ゆくえ不明ふめい誘導ゆうどう帰投きとうしなかった[198]瑞鳳ずいほうれい戦隊せんたい9は4喪失そうしつ(2撃墜げきつい、2行方ゆくえ不明ふめい)1大破たいはという損害そんがいした[166]

べい空母くうぼ被弾ひだん

編集へんしゅう
 
空襲くうしゅうにある空母くうぼ エンタープライズ。
 
左舷さげんばくだん命中めいちゅうしたエンタープライズ。

655ふん日本にっぽんぐんだい1攻撃こうげきたいだい17任務にんむ部隊ぶたい空母くうぼホーネット、じゅうじゅん2、防空ぼうくうじゅん2、駆逐くちくかん6、直衛なおえ戦闘せんとう38)を発見はっけん、ホーネットに攻撃こうげき集中しゅうちゅうした[166]。エンタープライズたいスコールしたにあって、攻撃こうげきけなかった[199]。まずみずづるかんばくたいだい中隊ちゅうたい攻撃こうげきし、1はつばくだん至近しきんだんとなり、2はつ飛行ひこう甲板かんぱん中央ちゅうおう命中めいちゅう[200]。さらにこののちばくだん2はつ命中めいちゅうした[200]つづいてだいいち中隊ちゅうたいだいさん中隊ちゅうたい攻撃こうげきばくだん命中めいちゅうしなかったが被弾ひだんした佐藤さとうへい曹長そうちょうがホーネットの煙突えんとつ前部ぜんぶ突入とつにゅう火災かさいしょうじさせた[200][ちゅう 12]。そのしょうづるかんおさむたい攻撃こうげき実施じっしし、ホーネットの右舷うげん前部ぜんぶ機械きかいしつ対空たいくう砲弾ほうだん付近ふきん魚雷ぎょらい命中めいちゅうした[200]かみなりによる浸水しんすいでホーネットはぜん動力どうりょくうしな停止ていしした[200]。 また付近ふきんにいた護衛ごえい艦艇かんてい攻撃こうげきけ、雷撃らいげき1じゅうじゅんペンサコラを攻撃こうげきしたが魚雷ぎょらいはずれた。被弾ひだんした雷撃らいげきはペンサコラに突入とつにゅうこころみたものの、かんくび外側そとがわすうメートルの海中かいちゅう墜落ついらくした。また駆逐くちくかんアンダーソンは雷撃らいげきから機銃きじゅう掃射そうしゃけたものの目立めだった被害ひがいはなかった。

日本にっぽんぐん攻撃こうげきたいは720ふんにはげ、海上かいじょうではホーネットがはげしく炎上えんじょうしていた。同艦どうかん電気でんき系統けいとう全滅ぜんめつにより消火しょうかポンプが使用しよう不能ふのうであったため消火しょうかやバケツリレーによる消火しょうか作業さぎょうおこなわれ、さらに駆逐くちくかんモリス英語えいごばんラッセル英語えいごばん、マスティンによる消火しょうか作業さぎょう支援しえんにより8ごろまでにはほぼ消火しょうか成功せいこうした[202]じゅう巡洋艦じゅんようかんノーザンプトンが依然いぜん航行こうこう不能ふのうであったホーネットの曳航えいこう開始かいししたが、曳航えいこうさく作業さぎょうはやりなおしとなった[203]日本にっぽんぐんだいいち攻撃こうげきたいはホーネットに重大じゅうだい損傷そんしょうあたえたものの、だい損害そんがいけた。れいせん5、かんばく17、かんおさむ16(しょうづるれいせん2、かんおさむ16〉、みずづるれいせん3、かんばく17〉)を喪失そうしつ[162][166]戦死せんししゃには攻撃こうげきたい指揮しきかん村田むらた重治しげはる少佐しょうさふくまれる[204]みずづる飛行ひこう隊長たいちょう高橋たかはしじょう大尉たいいかんばくと僚機は被弾ひだん損傷そんしょう燃料ねんりょうれで墜落ついらくし、高橋たかはし大尉たいいはタンカーげんようまる救助きゅうじょされた[205]。また不時着ふじちゃくによりかんおさむ6かんばく5れいせん2うしなわれた[166]。これは後述こうじゅつしょうづる瑞鳳ずいほう被弾ひだん損傷そんしょうにより収容しゅうよう可能かのうかんみずづるのみとなり、燃料ねんりょうれで不時着ふじちゃくした多数たすうあったためである[166][ちゅう 13]。また生還せいかんしつつも誘導ゆうどう失敗しっぱいにより帰投きとうできなかったが2あったという[166]

日本にっぽんがわだい2攻撃こうげきたいは、815ふん健在けんざいだい16任務にんむ部隊ぶたい空母くうぼエンタープライズ、戦艦せんかんサウスダコタほか)と、炎上えんじょう漂流ひょうりゅうちゅうのホーネットを発見はっけんする[168]さき到着とうちゃくしたしょうづるかんばくたい無傷むきずのエンタープライズに攻撃こうげき集中しゅうちゅうし、直撃ちょくげきだんあたえた[ちゅう 14]。 またしょうづるかんばくたい到着とうちゃくする直前ちょくぜんの81ふん不時着ふじちゃくしたエンタープライズの雷撃らいげき救助きゅうじょかった駆逐くちくかんポーター雷撃らいげきからあやまって発射はっしゃされた魚雷ぎょらい命中めいちゅうした[ちゅう 15]。ポーターは航行こうこう不能ふのうになり僚艦りょうかん砲撃ほうげきにより処分しょぶんされた。835ふんおくれて発進はっしんしたみずづる雷撃らいげきたいはエンタープライズに魚雷ぎょらい発射はっしゃしたが命中めいちゅうしなかった[210][ちゅう 16]被弾ひだんしたかんおさむ1駆逐くちくかんスミス英語えいごばん体当たいあたりした[211]かんおさむ搭載とうさいしていた魚雷ぎょらい爆発ばくはつし、砲塔ほうとう付近ふきんにあった弾薬だんやく誘爆ゆうばくしてだい火災かさい発生はっせいした[211]。しかし艦長かんちょう判断はんだん付近ふきん航行こうこうちゅう戦艦せんかんサウスダコタに接近せっきんし、サウスダコタのかんでスミスは奇跡きせきてき消火しょうか成功せいこうした[212]日本にっぽんぐんだい2攻撃こうげきたいはエンタープライズとう損害そんがいあたえたものの、帰還きかんかんおさむ9かんばく10れいせん1)、不時着ふじちゃくかんおさむ1かんばく2れいせん1)、合計ごうけい24れいせん2、かんばく12、かんおさむ10)を喪失そうしつした[213]。サウスダコタは対空たいくう砲火ほうか日本にっぽん軍機ぐんき26撃墜げきついほうじた[168]

しょうづる被弾ひだん日本にっぽんぐん追撃ついげき

編集へんしゅう
 
ぜんそく回避かいひする筑摩ちくま
 
戦艦せんかんサウスダコタ雷撃らいげきする97かんおさむ

日本にっぽんぐん南雲なぐも機動きどう部隊ぶたいでは、午前ごぜん640ふんしょうづるレーダーが135距離きょり145kmにてきぐん発見はっけんした[213]午前ごぜん718ふんにSBDドーントレス爆撃ばくげき15確認かくにんする[214]直衛なおえれいせんは15しょうづる10、みずづる5)だったという[183]。 まずじゅう巡洋艦じゅんようかん熊野くまの攻撃こうげきされたが、命中めいちゅうだんはなかった[214]。ホーネットだい1攻撃こうげきたい午前ごぜん727ふん日本にっぽん時間じかん1050ふん)、日本にっぽん機動きどう部隊ぶたい発見はっけんする[215]直後ちょくごれいせん9からなる日本にっぽんぐんちょく掩隊があらわれF4F 2撃墜げきついされた。急降下きゅうこうか爆撃ばくげきたい15戦闘せんとう掩護えんごなく進撃しんげきつづけたが、さられい戦隊せんたいおそわれた。SBD 2撃墜げきついされ、2被弾ひだんにより母艦ぼかん帰投きとうした[183]のこる11南雲なぐも機動きどう部隊ぶたい旗艦きかんしょうづる攻撃こうげきし、飛行ひこう甲板かんぱん後部こうぶに450キロばくだん4はつ命中めいちゅうという戦果せんかげた[216]。この攻撃こうげきしょうづるでは高角こうかく砲弾ほうだん誘爆ゆうばくするも、ミッドウェー海戦かいせんときとはことなり航空機こうくうきよう燃料ねんりょう弾薬だんやく誘爆ゆうばくけられたため、沈没ちんぼつにはいたらなかった[217][218]受信じゅしん可能かのうだが送信そうしん不可能ふかのうになったしょうづる消火しょうか作業さぎょうおこないつつ北上ほくじょうし(820ふん以降いこう駆逐くちくかんあらし通信つうしん代行だいこう)、瑞鳳ずいほう護衛ごえい駆逐くちくかんとも戦場せんじょうから避退した[219]南雲なぐも長官ちょうかん航空こうくうせん指揮しきだい航空こうくう戦隊せんたい司令しれいかんはやぶさたか)にゆだね、みずづる指揮しきするようめいじた[220]機動きどう部隊ぶたい司令しれい駆逐くちくかんあらし移乗いじょうしたのは、損傷そんしょうかんがアメリカ軍機ぐんき攻撃こうげき圏外けんがい夕刻ゆうこくのことだった[221][222]

エンタープライズたいおよびホーネット攻撃こうげきたい一部いちぶだいいち攻撃こうげきたいのTBF 6だい攻撃こうげきたいのF4F 7、SBD 9、TBF 9[223]日本にっぽん空母くうぼ発見はっけんできず、南雲なぐも機動きどう部隊ぶたい前衛ぜんえい部隊ぶたい攻撃こうげきした[224]とくにエンタープライズたい瑞鳳ずいほうれい戦隊せんたい空中くうちゅうせんをおこなったため燃料ねんりょう不足ふそくしており[193]、さらに高度こうどうしなっていたので、まえ機動きどう部隊ぶたい前衛ぜんえい攻撃こうげきするしかなかった[215]雷撃らいげき鈴谷すずやいそふうねら[225]鈴谷すずやだいなな戦隊せんたい司令しれいかん西村にしむら祥治しょうじ少将しょうしょう鈴谷すずや艦長かんちょう木村きむら昌福まさとみ大佐たいさ)は複数ふくすう魚雷ぎょらい回避かいひした[226]。また利根りこん魚雷ぎょらい回避かいひした[224]。 また3のドーントレスは金剛こんごうがた戦艦せんかん攻撃こうげきし、ばん砲塔ほうとう右舷うげん中央ちゅうおう命中めいちゅうさせたと主張しゅちょうする[227]実際じっさいかれらが攻撃こうげき大破たいはさせたのは、戦艦せんかんではなく利根りこんがたじゅう巡洋艦じゅんようかん筑摩ちくまだった[224]前衛ぜんえい艦隊かんたい先頭せんとうにいた筑摩ちくま午前ごぜん7から8にかけての空襲くうしゅう複数ふくすうばくだん命中めいちゅう多数たすう乗組のりくみいん死傷ししょうし、艦長かんちょう古村こむらあきらぞう大佐たいさ負傷ふしょうした[228]午前ごぜん919ふん最大さいだい発揮はっき速力そくりょく23ノットとなった筑摩ちくま[224]駆逐くちくかん2せき谷風たにかぜうらふう)に護衛ごえいされて退避たいひした[229]

日本にっぽんぐん前進ぜんしん部隊ぶたいだい艦隊かんたい司令しれい長官ちょうかん近藤こんどうしんちく中将ちゅうじょう)にぞくしていた角田つのださとし少将しょうしょう麾下きかだい航空こうくう戦隊せんたい空母くうぼはやぶさたか)は、まず午前ごぜん7はやぶさたかだい1攻撃こうげきたい29指揮しきかん志賀しが淑雄としお大尉たいいかんばく17れいせん12)を発進はっしんさせた[230][174]午前ごぜん840ふんごろべいぐん機動きどう部隊ぶたい発見はっけん[231]。つづいて近藤こんどう長官ちょうかん命令めいれいにより午前ごぜん818ふんをもって機動きどう部隊ぶたい指揮しきかん南雲なぐも忠一ただかず中将ちゅうじょう)の指揮しきはい[213]、3せきはやぶさたか黒潮くろしおはやしお)は機動きどう部隊ぶたい本隊ほんたい合流ごうりゅうすべく行動こうどう開始かいし前進ぜんしん部隊ぶたいとの分離ぶんりは930ふん[232]つづいて南雲なぐも部隊ぶたい旗艦きかんしょうづる被弾ひだん通信つうしん能力のうりょく喪失そうしつにより航空こうくうせん指揮しきをまかされ[233]みずづる指揮しきれた[220][189]

こうせんだいいち攻撃こうげきたいは、午前ごぜん920ふん以降いこうだい16任務にんむ部隊ぶたいたいする攻撃こうげき開始かいしした[234]くもだか3500メートルくもそこ500メートルと視界しかいわるく、攻撃こうげき分散ぶんさんされ、またばくげき精度せいど悪化あっかした[235]空母くうぼねらおうとしてたせず、仕方しかたなく護衛ごえい戦艦せんかん巡洋艦じゅんようかん爆撃ばくげきしたもある[236]攻撃こうげきたいはエンタープライズに至近しきんだん1はつあたえ、右舷うげん中央ちゅうおう船体せんたいを60センチ陥没かんぼつさせ、若干じゃっかん浸水しんすいはじまった[237]戦艦せんかんサウスダコタには4はつばくだん投下とうかされ、1はつだいいち砲塔ほうとう命中めいちゅうする[238]艦長かんちょう軽傷けいしょうい、付近ふきん銃座じゅうざ損害そんがいあたえたが、決定的けっていてき打撃だげきとはならなかった[239]。にもかかわらず、動揺どうようした士官しかん操舵そうだけい無断むだんだい2戦闘せんとう指揮しきしょえたためすう分間ふんかん操艦そうかん不能ふのうとなり、結果けっかサウスダコタは空母くうぼエンタープライズに突進とっしんした[239]。このときはエンタープライズが4まんトンのきょかん回避かいひし、だい惨事さんじをまぬかれた[240]。またけいじゅんサン・ファンには6はつばくだん投下とうかされ、うち1はつかん命中めいちゅうしたが、船体せんたい貫通かんつうして海中かいちゅう爆発ばくはつした[240]。サン・ファンは一時いちじてき操舵そうだ不能ふのうとなった[240]はやぶさたかだい1攻撃こうげきたい攻撃こうげき終了しゅうりょう集合しゅうごうてんあつまったところを先回さきまわりしたアメリカぐん戦闘せんとうおそわれ、かんばく9一挙いっきょ撃墜げきついされたという[241]こうせんだいいち攻撃こうげきたいかんばく11(自爆じばく9、不時着ふじちゃく2)を喪失そうしつし、れいせん4みずづるかんした[174]

アメリカぐん撤退てったい

編集へんしゅう
 
駆逐くちくかん乗員じょういん退すさかんさせるホーネット。

日本にっぽんぐん機動きどう部隊ぶたいさんにわたる攻撃こうげきにより、ホーネットは戦闘せんとうりょく喪失そうしつ、エンタープライズもちゅうやぶした[242]。エンタープライズは自身じしん所属しょぞくにくわえてホーネットの艦上かんじょう収容しゅうようしており、この時点じてんで95積載せきさいしていた[243]損傷そんしょうしているエンタープライズは、空爆くうばくたいしてきわめて脆弱ぜいじゃくになっていた[243]だい61任務にんむ部隊ぶたい状況じょうきょうたいし、日本にっぽんぐんには無傷むきず空母くうぼのこっており、キンケイド少将しょうしょう撤退てったいめた[243]。キンケイド提督ていとくは、だい17任務にんむ部隊ぶたいのマレー少将しょうしょうにホーネットの曳航えいこう作業さぎょう継続けいぞくめいじると、だい16任務にんむ部隊ぶたい南東なんとう退避たいひをはじめた[207]。ノーザンプトンはよりふと曳航えいこうさくもちいてホーネットの曳航えいこう再開さいかいした[244]

一方いっぽう日本にっぽんぐん航空機こうくうき多大ただい損害そんがいけていたが、残存ざんそんをすべて投入とうにゅうしてべい艦隊かんたい追撃ついげき開始かいしした。だいいち攻撃こうげきたい発進はっしん空母くうぼはやぶさたかはただちにだい攻撃こうげきたい発進はっしん準備じゅんびにつとめたが、戦艦せんかん榛名はるなより『てき大型おおがた陸上りくじょうじゅうすう発見はっけん』の報告ほうこくがあり、攻撃こうげきたい発進はっしん中止ちゅうしして上空じょうくう警戒けいかいれいせん4、かんおさむ5空中くうちゅう退避たいひ)を発進はっしんさせる[232]。だが味方みかた判明はんめいし、ふたたびだい攻撃こうげきたい発進はっしん準備じゅんびつとめた。午前ごぜん1113ふんはやぶさたかからだい2攻撃こうげきたいかんおさむ7れいせん8)が発進はっしんした[234]れいせんのうち2みずづる所属しょぞく白根しらね大尉たいい)、1瑞鳳ずいほう所属しょぞくだった[245]。このときはやぶさたかには白根しらね大尉たいいれいせんだけではなく、被弾ひだんしたかん所属しょぞくしょうづるかんおさむ1、みずづるれいせん3、みずづるかんばく5、瑞鳳ずいほうれいせん1)も収容しゅうようしている[232][246]

つづいて1115ふんみずづるから残存ざんそんすべてのれいせん5、かんばく2かんおさむ6ばくだん装備そうび)からなるだい3攻撃こうげきたい指揮しきかん田中たなか一郎いちろうみずづる分隊ぶんたいちょう)が発進はっしん触接しょくせつかんおさむ1同行どうこうした[247][248]かんおさむ6のうち5瑞鳳ずいほう所属しょぞくだった[249]かれらは索敵さくてきから帰還きかん被弾ひだんした瑞鳳ずいほうりられず、みずづるかんしていたのである[250]。またしょうづる所属しょぞくれいせん2、かんばく1も参加さんかしている[251]

はやぶさたかだい2攻撃こうげきたいは1313ふん戦場せんじょう到達とうたつ硝煙しょうえん視界しかいがぼやけるなか[252]速力そくりょく3-4ノット程度ていどでホーネットを曳航えいこうちゅうのノーザンプトンをおそった[242]。ノーザンプトンは曳航えいこうさくって魚雷ぎょらいをすべて回避かいひしたが、ホーネットには魚雷ぎょらい1ほん命中めいちゅう傾斜けいしゃが14増大ぞうだいする[232]。また電気でんき系統けいとう復旧ふっきゅう不可能ふかのうとなった[253]。そのためメーソン(ホーネット)艦長かんちょう総員そういん退すさかん準備じゅんび発令はつれいした[253]はやぶさたかだい2攻撃こうげきたいてき空母くうぼ魚雷ぎょらい3ほん以上いじょう命中めいちゅうじゅう巡洋艦じゅんようかん魚雷ぎょらい命中めいちゅう報告ほうこくし、れいせん2行方ゆくえ不明ふめい・3不時着ふじちゃくかんおさむ2撃墜げきついという損害そんがいし、れいせん3は「みずづる」に、かんおさむ5は「はやぶさたか」に帰投きとうした[232]。1かんおさむ魚雷ぎょらい発射はっしゃできず、はやぶさたかかん寸前すんぜん魚雷ぎょらいてている[254]

すうじゅうふんみずづるだい3攻撃こうげきたいがホーネットを爆撃ばくげきした[248]。まずかんばく2によるばくげきで1はつ至近しきんだんとなり、それにより傾斜けいしゃが20となった[253]。ここにいたって艦長かんちょう退すさかん命令めいれいした[253]いでかんおさむたい高度こうど2000m(規定きていでは3000m)から800キロばくだんによる水平すいへいばくげきおこな[255]。1はつ飛行ひこう甲板かんぱんはし命中めいちゅう[248]の5はつ至近しきん距離きょり落下らっかし、衝撃波しょうげきはによりホーネットにおおきな損害そんがいあたえた。このとき鈴谷すずや索敵さくてき利根りこん索敵さくてきが、ホーネットがまだ沈没ちんぼつしていないことを報告ほうこくした[256]みずづるだい3攻撃こうげきたいかんばく1はやぶさたか不時着ふじちゃくしたほかぜん無事ぶじみずづる帰投きとうした[248]

1335ふん[234]はやぶさたかからこの最後さいごとなるかんばく4れいせん6からなるはやぶさたかだい3攻撃こうげきたい発進はっしんしていた[257][258]攻撃こうげきまえ奥宮おくのみや航空こうくう参謀さんぼう加藤かとうしゅんこう中尉ちゅういはやぶさたかかんばくたい先任せんにん将校しょうこう[ちゅう 17]出撃しゅつげきめいじると、加藤かとう中尉ちゅういは「またいくんですか」と仰天ぎょうてんしてがったという[259]。1510ふんはやぶさたかだい3攻撃こうげきたい漂流ひょうりゅうちゅうのホーネットを発見はっけん、20ふんほどエンタープライズを捜索そうさくしたが発見はっけんできず、ホーネットを目標もくひょうとしてばくげき開始かいしした[260]ばくだん1はつ命中めいちゅう[258]。ホーネットは炎上えんじょうしつつ右舷うげん傾斜けいしゃした。はやぶさたかだい3攻撃こうげきたいばくだん4はつ命中めいちゅう記録きろくし、ぜん帰還きかんしている[258]はやぶさたかだいさん攻撃こうげきたい収容しゅうようしたのち、一旦いったん北上ほくじょうして破損はそん修理しゅうり実施じっし[189]。23ごろ空母くうぼみずづる合同ごうどうした[189]翌日よくじつ使用しよう可能かのう兵力へいりょくは、はやぶさたかたいれいせん11、かんばく8、かんおさむ5)、みずづるたいれいせん33、かんばく10、かんおさむ19)であったという[189]

支援しえん部隊ぶたい指揮しきかん近藤こんどうしんちく中将ちゅうじょう旗艦きかん愛宕あたご」)が指揮しきする前進ぜんしん部隊ぶたいは、アメリカぐん機動きどう部隊ぶたい水上すいじょう戦闘せんとういどむため追撃ついげきせんうつった[219]機動きどう部隊ぶたい前衛ぜんえい近藤こんどう長官ちょうかん指揮しきはいったがうごきがにぶく、旗艦きかん愛宕あたご」からの再三さいさんによる進撃しんげき命令めいれいけてようやく東進とうしん開始かいし前進ぜんしん部隊ぶたい協同きょうどう行動こうどうをとることになった[261]

一方いっぽうのアメリカぐんはホーネットから総員そういん退すさかんさせると、駆逐くちくかんマスティン英語えいごばんアンダーソン英語えいごばんにホーネットの自沈じちん処分しょぶん命令めいれいした[262]。2せきすくなくとも魚雷ぎょらい16ほん発射はっしゃし、9ほん起爆きばくした[262]。だがホーネットはしずまず、魚雷ぎょらい使つかたしたりょうかんは12.7cm砲弾ほうだん300はつんだが、ホーネットなおもいていた[261]。2せき日本にっぽんぐん索敵さくてき長良ながら)に発見はっけんされたため、いそいで現場げんば海域かいいきから離脱りだつした[261][263]日本にっぽんぐん前進ぜんしん部隊ぶたいは、長良ながら五十鈴いすず摩耶まやなどに誘導ゆうどうされながら接近せっきんした[261]れようとする海原うなばら前進ぜんしんした日本にっぽん海軍かいぐん前進ぜんしん部隊ぶたいは、彼方かなたから遠雷えんらいのような砲声ほうせいいた[264]。これは、さきにマスティンとアンダーソンがホーネットに砲弾ほうだん魚雷ぎょらいんでいたおとだったとかんがえられた[264]

1830ふんごろ近藤こんどう長官ちょうかんだい水雷すいらい戦隊せんたいかくかんみょうだか高雄たかおまきなみ陽炎かげろう)にべい駆逐くちくかん2せき残存ざんそん部隊ぶたい追跡ついせきめいじたが[265][266]ぜんそく逃走とうそうする駆逐くちくかん捕捉ほそくむずかしく、かくたい追跡ついせきあきらめてホーネットのはたもどった[261][267]

連合れんごう艦隊かんたい司令しれいドーリットル空襲くうしゅう日本にっぽん衝撃しょうげきあたえたホーネットを捕獲ほかくしようとこころみ、「事情じじょうゆるさば、拿捕だほ曳航えいこうされたし」と前進ぜんしん部隊ぶたいせまった[268]。だがホーネットは火災かさい浸水しんすいでひどく損傷そんしょうしており、曳航えいこう不可能ふかのうだった[269]。「てつふねがあんなによくえるものか」という愛宕あたご乗組のりくみいん感想かんそうのこっている[267]あきくもは12.7センチほう24はつをホーネットにんだが微動びどうだにせず、爆雷ばくらいでの処分しょぶん検討けんとうされたが、爆雷ばくらい射程しゃていみじか断念だんねんされた[270]結局けっきょく魚雷ぎょらい処分しょぶんすることとなり、あきくも巻雲けんうんからそれぞれ2ほんずつ発射はっしゃされ、3ほん命中めいちゅうした[271]。ホーネットはあきくも巻雲けんうん見守みまもなか、10月27にち午前ごぜん135ふんサンタクルーズ諸島しょとうおきしずんでいった[272]日本にっぽんぐん救助きゅうじょしたアメリカぐん兵士へいし尋問じんもん結果けっかから、アメリカぐん戦力せんりょくしずんだ空母くうぼがホーネットであることをった[273][274]

空母くうぼしょうづるにはレーダー(21ごうでんさがせ)が装備そうびされていたため、日本にっぽんがわミッドウェー海戦かいせんくらべると効果こうかてき防空ぼうくうおこなうことができた。また機動きどう部隊ぶたい前方ぜんぽうおとりとして前衛ぜんえい部隊ぶたい戦艦せんかん比叡ひえい霧島きりしま〉、じゅう巡洋艦じゅんようかん鈴谷すずや利根とね筑摩ちくま〉、だいじゅう戦隊せんたいけい巡洋艦じゅんようかん駆逐くちくかん)をよこならべたため、筑摩ちくま大破たいはえに後方こうほう空母くうぼへの被弾ひだんおさえることができた。10月30にち支援しえん部隊ぶたい前進ぜんしん部隊ぶたい機動きどう部隊ぶたい)はトラック泊地はくち帰投きとうした[275]。ただし空母くうぼ4せきたかしょうづるみずづる瑞鳳ずいほう)それぞれ損傷そんしょう修理しゅうり航空こうくうたい補充ほじゅうのため随時ずいじ内地ないち回航かいこうされることになり、太平洋たいへいよう作戦さくせん行動こうどう可能かのう日本にっぽんぐん空母くうぼはやぶさたか1せきとなった[276][ちゅう 18][ちゅう 19]

この海戦かいせんでアメリカぐん空母くうぼホーネットをうしない、エンタープライズもちゅうやぶしたため、太平洋たいへいようにおける稼働かどう空母くうぼすう一時いちじてきに0となり、アメリカぐんがわに「史上しじょう最悪さいあく海軍かいぐん記念きねん」とわしめた[280][281]。しかし搭乗とうじょういん損害そんがいすくなく、ヘンダーソン飛行場ひこうじょう基地きち健在けんざいだった[282]。アメリカぐんニューカレドニアのヌーメアでエンタープライズの応急おうきゅう修理しゅうり実施じっしした[283]同艦どうかん修理しゅうりをおこないながらだいさんソロモン海戦かいせん参戦さんせんし、ガダルカナルとう南方なんぽう進出しんしゅつして日本にっぽんぐん艦艇かんてい脅威きょういあたつづけた[284][285]。1943ねんからは修理しゅうりえた空母くうぼサラトガにくわ[283]、イギリス海軍かいぐんから空母くうぼヴィクトリアスりてあいだめた。日本にっぽんがわほん海戦かいせんによりアメリカ機動きどう部隊ぶたい一時いちじてき行動こうどう不能ふのうとしたが局地きょくちてき勝利しょうりにとどまり[286]、ガダルカナルとう奪回だっかいという戦略せんりゃく目標もくひょう達成たっせいできなかった[287]

連合れんごう艦隊かんたい昭和しょうわ天皇てんのうから勅語ちょくごたまわった[288]天皇てんのう侍従じじゅう武官ぶかんじょう英一郎えいいちろう大佐たいさに「てき空母くうぼおおいに撃破げきはしたから本土ほんど空襲くうしゅうドーリットル空襲くうしゅう)の可能かのうせいはなくなったのではないか」と下問かもんし、武官ぶかんは「(連合れんごうぐんには)特設とくせつ航空こうくう母艦ぼかんが20すうせきあるので楽観らっかんできない」と上聞じょうぶんしている[289]

日本にっぽんがわはこの海戦かいせんにおいて勝利しょうりおさめたが、宇垣うがき連合れんごう艦隊かんたい参謀さんぼうちょうしょうづる艦長かんちょう瑞鳳ずいほう艦長かんちょうに「てきばかりやっつけて味方みかたなん損害そんがいのないとことはありない」といさめたとおり、おおきな損害そんがいした[290][291]とくかんばくたいかんおさむたい損害そんがいおおきく、しょうづる飛行ひこう隊長たいちょう村田むらた重治しげはる少佐しょうさ[292]戦死せんし大佐たいさ[293]をはじめとする真珠湾しんじゅわん攻撃こうげき以来いらいのベテラン搭乗とうじょういん多数たすううしな[294]爾後じご作戦さくせん影響えいきょうあたえた[269]下記かき損害そんがい参照さんしょう)。とく急降下きゅうこうか爆撃ばくげき損害そんがいおおきく、せんくんから母艦ぼかん搭載とうさい定数ていすうかんばくかずらしている[295]。またとうだん艦上かんじょう爆撃ばくげきてき戦闘せんとうおそわれたとき空戦くうせん能力のうりょくひくさ、きゅうきゅうしき艦上かんじょう爆撃ばくげき旧式きゅうしきなど複数ふくすう要素ようそからみ、れいしき艦上かんじょう戦闘せんとう戦闘せんとう爆撃ばくげきとして運用うんようするばくせん構想こうそうがうまれた[296]。1943ねん昭和しょうわ18ねん中盤ちゅうばんよりだい航空こうくう戦隊せんたいばくそうれいせん訓練くんれんがはじまった[297]。1944ねん昭和しょうわ19ねん)2がつ1にち小型こがた空母くうぼ3せき瑞鳳ずいほう千歳ちとせ千代田ちよだ)でだいさん航空こうくう戦隊せんたい新編しんぺんされると[298]さんこうせんだいろくさん海軍かいぐん航空こうくうたい主力しゅりょくばくそうれいせんとなった[297][299]

ほん海戦かいせん損害そんがいおぎなうべく、日本にっぽん海軍かいぐん教育きょういく部隊ぶたい教官きょうかん前線ぜんせんしたり、飛行ひこう学生がくせい卒業そつぎょうしたばかりの士官しかん母艦ぼかん配属はいぞくするなど、必死ひっし穴埋あなうめをする[300]奥宮おくのみや参謀さんぼうは、新任しんにん搭乗とうじょういんほん海戦かいせんぜん母艦ぼかん航空こうくうたい技量ぎりょうになる時期じきを1943ねん6がつ以降いこう推測すいそくしたが[301]、その再建さいけんした航空こうくう兵力へいりょくごう作戦さくせんごう作戦さくせんブーゲンビルとうおき航空こうくうせん)、ギルバート諸島しょとうおき航空こうくうせんギルバート・マーシャル諸島しょとうたたかトラックとう空襲くうしゅうマリアナ・パラオ諸島しょとうたたかといった航空こうくうせんにおけるだい敗北はいぼく完全かんぜん消耗しょうもうしてしまい、終戦しゅうせんまでその損害そんがいおぎなうことが出来できなかった。

またほん海戦かいせん目的もくてきひとつともうべき日本にっぽん陸軍りくぐん部隊ぶたい支援しえんについても結果けっかてきには失敗しっぱい[302]連合れんごうぐんはヘンダーソン基地きち堅持けんじした[282]山本やまもと五十六いそろく連合れんごう艦隊かんたい長官ちょうかんは「海軍かいぐんだい戦果せんか呼応こおうし、このさい一挙いっきょてき撃滅げきめつされたし」と陸軍りくぐん連絡れんらくしたが、陸軍りくぐん予備よび兵力へいりょくなしとしてことわったという[303]日本にっぽん海軍かいぐんでは下士官かしかんへいはおろか将校しょうこうまでが陸軍りくぐん批判ひはんしていたのが目撃もくげきされている[304][303]

日本にっぽんがわ連合れんごう艦隊かんたい戦闘せんとう速報そくほうだいいちごうは「「ソロモン」海域かいいき作戦さくせんちゅう聯合れんごう艦隊かんたいじゅうろくにち早暁そうぎょう「サンタクルーズ」北方ほっぽう海面かいめんニ於テ空母くうぼよんせき戦艦せんかんよんせき其他巡洋艦じゅんようかん駆逐くちくかんごうけいじゅうせきヨリナル敵艦てきかんたい捕捉ほそくじゅうまでニ其全空母くうぼ撃滅げきめつてき潰乱かいらんおちいシイレ目下めした夜戦やせん部隊ぶたい全力ぜんりょくヲ以テ残敵ざんてき追撃ついげきちゅうナリ」というものだった[1]。 そのも「べい空母くうぼ3、戦艦せんかんサウスダコタ、巡洋艦じゅんようかん3せきうち1せき戦艦せんかんなるやもしれず)、駆逐くちくかん1せき撃沈げきちん巡洋艦じゅんようかん3せき大破たいは駆逐くちくかん3せき大破たいはまたはちゅうやぶ航空機こうくうき50以上いじょう撃墜げきつい」とほうじた[305][306]。10月27にち午後ごご830ふん大本営だいほんえい海軍かいぐんは「べい空母くうぼ3-4せき戦艦せんかん1せき撃沈げきちん大破たいは戦艦せんかん1せき巡洋艦じゅんようかん1せきかんしゅ不明ふめい1せきちゅうやぶ戦艦せんかん1せき巡洋艦じゅんようかん3せき駆逐くちくかん1せきてき200以上いじょう喪失そうしつせしむ。わがほう損害そんがい空母くうぼ2せき巡洋艦じゅんようかん1せき小破しょうはせるも、戦闘せんとう航海こうかい支障ししょうなし。帰還きかん40ほん海戦かいせん南太平洋みなみたいへいよう海戦かいせん呼称こしょうす」とだい勝利しょうり宣伝せんでんした[307][308][ちゅう 20]

また愛宕あたごだい艦隊かんたい旗艦きかん)が傍受ぼうじゅした日本語にほんごのハワイ放送ほうそう日本にっぽん宣伝せんでん放送ほうそう)によれば「日本にっぽんぐん空母くうぼ7せきだいじゅん5せき駆逐くちくかんすうせき撃沈げきちんべいぐん損害そんがい駆逐くちくかん1せき沈没ちんぼつ」だったという[310]。しかし、これはあくまで敵国てきこくたいするプロパガンダであり、アメリカ海軍かいぐん公式こうしき発表はっぴょうでは戦果せんかを「日本にっぽんぐん空母くうぼ2せき損傷そんしょう巡洋艦じゅんようかん1せき大破たいは」とほぼ正確せいかくつたえており、損失そんしつを「空母くうぼ1せき沈没ちんぼつ駆逐くちくかん『ポーター』沈没ちんぼつ」と、撃沈げきちんされたかんかくさず発表はっぴょうしている[311]とくに、空母くうぼ撃沈げきちんされたことはルーズベルト大統領だいとうりょう自分じぶん発表はっぴょうしたもので、てき情報じょうほうあたえないことを重要じゅうようしていたニミッツはこれに激怒げきど後日ごじつレンネルとうおき海戦かいせんじゅう巡洋艦じゅんようかんシカゴ撃沈げきちんされたとき[312]副官ふっかんのドレークに「(ホーネットのときのように)シカゴがしずんだことをもらすものころしてやる」とっていた[313]

日本にっぽんぐんだい勝利しょうり報道ほうどうたいし、奥宮おくのみや参謀さんぼうは「空母くうぼ1せき撃沈げきちん程度ていど推定すいていしつつも、搭乗とうじょういん申告しんこく黙認もくにんせざるをなかった」とべている[280]村田むらた少佐しょうさをはじめ、熟練じゅくれん搭乗とうじょういん攻撃こうげきたい主要しゅよう幹部かんぶ戦死せんししたことも戦果せんか確認かくにん困難こんなんとした一因いちいんだった[314]。また搭乗とうじょういんなかにはべい空母くうぼ6せき存在そんざい主張しゅちょうするものもあり、まただい航空こうくう戦隊せんたいつよ主張しゅちょう空母くうぼ3せき撃沈げきちんという判定はんていになったという[284]。これは双方そうほう機動きどう部隊ぶたい広範囲こうはんい展開てんかいするためてきぐん全貌ぜんぼうをつかみにくいという問題もんだいからんでおり[315]だいじゅういち戦隊せんたいしき艦上かんじょう偵察ていさつのような高速こうそく偵察ていさつ本格ほんかくてき投入とうにゅうと、つねてき艦隊かんたい接触せっしょくつづけることの重要じゅうようせい報告ほうこくしている[315]しき艦上かんじょう偵察ていさつ機体きたい強度きょうど不足ふそく補強ほきょうするまえ彗星すいせい艦上かんじょう爆撃ばくげき試作しさく改造かいぞうで、その高速度こうそくどからミッドウェー海戦かいせんでも試作しさくじゅうさんためし艦上かんじょう爆撃ばくげき空母くうぼあおいりゅう使用しようされたが無線むせん故障こしょう索敵さくてきやくたせず、さらに母艦ぼかん喪失そうしつうしなわれて「彗星すいせい開発かいはつ計画けいかく多大ただい遅延ちえんしょうじた。ほん海戦かいせんでは空母くうぼしょうづるから偵察ていさつとして2発進はっしんした[153]。アメリカぐん機動きどう部隊ぶたいちが方向ほうこう偵察ていさつしてしまい、索敵さくてき失敗しっぱいしたという[316]。「しょうづる飛行機ひこうきたい戦闘せんとう行動こうどう調書ちょうしょ」には記録きろくのこっていない[153]。このしきかん偵は陸上りくじょう基地きち経由けいゆして母艦ぼかん帰投きとうした[94]

日本にっぽんぐん軍令ぐんれい大本営だいほんえいふくめてほん海戦かいせんだい勝利しょうりおさめたとしん[272][317]、「今一いまいちし」でガダルカナルとうたたかいに勝利しょうりするのも目前もくぜんだとかんがえた[318]日本にっぽん陸軍りくぐんそう攻撃こうげき失敗しっぱい衝撃しょうげきてきだったが、ほん海戦かいせん勝利しょうりにより、大本営だいほんえい陸海りくかい軍部ぐんぶ従来じゅうらいどおりガダルカナルとう奪回だっかい方針ほうしん維持いじした[319]。またアメリカ海軍かいぐん機動きどう部隊ぶたい撃破げきはしたので、日本にっぽんがわ作戦さくせんにとって相当そうとう有利ゆうり認識にんしきした[320]。 そこで陸軍りくぐんだいさんじゅうはち師団しだん輸送ゆそうせん11せき分乗ぶんじょうさせ、ガダルカナルとう強行きょうこう輸送ゆそうする作戦さくせん立案りつあんする[5]。このとき戦艦せんかん2せき比叡ひえい霧島きりしま)でヘンダーソン飛行場ひこうじょう砲撃ほうげき実施じっしすることになった[321]日本にっぽんぐん作戦さくせん察知さっちしたアメリカぐんは、空母くうぼエンタープライズ応急おうきゅう修理しゅうりほどこして戦線せんせん復帰ふっきさせ、さらに大和やまとがた戦艦せんかんどう世代せだい新型しんがた戦艦せんかん2せきサウスダコタワシントン)をガダルカナルとう周辺しゅうへん海域かいいき投入とうにゅうした[322]。こうしてガダルカナルとうかう日本にっぽんぐん艦隊かんたいとのあいだだいさんソロモン海戦かいせん発生はっせいし、てつそこ海峡かいきょう(アイアンボトム・サウンド)多数たすうりょう軍艦ぐんかんていしずむことになった[323]

損害そんがい

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日本にっぽん

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  • 大破たいは空母くうぼ しょうづるじゅうじゅん 筑摩ちくま[188]
  • ちゅうやぶ空母くうぼ 瑞鳳ずいほう[188]
  • 小破しょうは駆逐くちくかん あきらがつ[188](26にちよる大型おおがた爆撃ばくげきによる)
  • 航空機こうくうき損失そんしつ:92
  • 航空機こうくうき搭乗とうじょういん戦死せんし:148めい[324]
  • 艦船かんせん乗組のりくみいん戦死せんし:250-350めい[325]
  • 沈没ちんぼつ空母くうぼ ホーネット、駆逐くちくかん ポーター
  • 大破たいは駆逐くちくかん スミス
  • ちゅうやぶ空母くうぼ エンタープライズ
  • 小破しょうは戦艦せんかん サウスダコタ、けいじゅん サン・ファン
  • 航空機こうくうき損失そんしつ:81
  • 航空機こうくうき搭乗とうじょういん戦死せんし:26めい(捕虜ほりょとなった4めいふくむ)
  • 艦船かんせん乗組のりくみいん戦死せんし:240めい
  • 戦死せんししゃ合計ごうけい266めい[326]

日本にっぽん海軍かいぐん艦載かんさいぐん

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このたたかいで、日本にっぽん海軍かいぐん艦載かんさい部隊ぶたいかんばくかんおさむたい中心ちゅうしんおおきな被害ひがいした[327]

  • 出撃しゅつげきすう
    • しょうづる
    だいいち攻撃こうげきたい れいせん4、かんおさむ20(そう指揮しきかんしょうづる飛行ひこう隊長たいちょう村田むらた重治しげはる少佐しょうさ
    だい攻撃こうげきたい れいせん5、かんばく19(指揮しきかんしょうづる飛行ひこう隊長たいちょうせきまもる少佐しょうさ
    ちょく掩機 れいせん10
    触接しょくせつ かんおさむ1
    偵察ていさつたい かんおさむ すう(早朝そうちょう出撃しゅつげき)
    ぜん母艦ぼかん収容しゅうよう不能ふのうしょうづる被弾ひだんる。一部いちぶみずづるはやぶさたかかん
    • 瑞鳳ずいほう
    偵察ていさつたい かんおさむ すう
    だいいち攻撃こうげきたい れいせん9
    ぜん母艦ぼかん収容しゅうよう不能ふのう瑞鳳ずいほう被弾ひだんる、一部いちぶみずづるはやぶさたかかん
    • みずづる
    だいいち攻撃こうげきたい れいせん8 かんばく21
    だい攻撃こうげきたい れいせん4 かんおさむ16(帰還きかんさい出撃しゅつげき含)
    だいさん攻撃こうげきたい れいせん5、かんばく2、かんおさむ6(帰還きかんさい出撃しゅつげき含)
    • はやぶさたか
    だいいち攻撃こうげきたい れいせん12、かんばく17
    だい攻撃こうげきたい れいせん8、かんおさむ7(帰還きかんさい出撃しゅつげき含)
    だいさん攻撃こうげきたい れいせん6、かんばく4(帰還きかんさい出撃しゅつげき含)
  • 帰還きかんすう
    • いちこうせん(しょうづるみずづる瑞鳳ずいほう)
    だいいち攻撃こうげきたい 20(このうちやく半数はんすう修理しゅうり不能ふのうとして海中かいちゅう投棄とうき。3かんで62出撃しゅつげきしてみずづるはやぶさたかかんできたもの)
    だい攻撃こうげきたい 20(これも半数はんすう以上いじょう修理しゅうり不能ふのうのため海中かいちゅう投棄とうきしょうづるみずづるわせて44出撃しゅつげき
    だいさん攻撃こうげきたい 13(帰還きかん
    • こうせん(はやぶさたか)
    だいいち攻撃こうげきたい 18
    だい攻撃こうげきたい 8
    だいさん攻撃こうげきたい 10(帰還きかん
  • 総計そうけい
帰還きかんすう れいせん17、かんばく31、かんおさむ21、けい69。
不時着ふじちゃく れいせん7、かんばく9、かんおさむ7、けい23。(海中かいちゅう投棄とうきすうのぞく)
喪失そうしつすうけい れいせん24(39.3%) かんばく40(63.4%) かんおさむ28(58.3%)
※カッコない割合わりあいぜん出撃しゅつげきすう偵察ていさつちょく掩機はのぞく)にたいする喪失そうしつすう割合わりあい
戦死せんし搭乗とうじょういん れいせん17、かんばく62、かんおさむ66、けい145めい[328]


ミッドウェー海戦かいせんと、ガダルカナルとうめぐ一連いちれん海戦かいせんだいソロモン海戦かいせん南太平洋みなみたいへいよう海戦かいせん)で、ハワイ奇襲きしゅう以来いらい日本にっぽん海軍かいぐん空母くうぼ航空こうくう部隊ぶたい完全かんぜん消耗しょうもうした[329]再建さいけん目指めざした航空こうくう部隊ぶたいごう作戦さくせんごう作戦さくせんブーゲンビルとうおき航空こうくうせん)、トラックとう空襲くうしゅうマリアナおき海戦かいせん台湾たいわんおき航空こうくうせんとうですりつぶされ、こののち終戦しゅうせんまで二度にどどう規模きぼどう水準すいじゅん部隊ぶたいとなることはなかった。

人物じんぶつぞう

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だい航空こうくう戦隊せんたい司令しれいかん角田つのださとし少将しょうしょうは、勇猛ゆうもう果敢かかん指揮しきにより日本にっぽんぐん勝利しょうり貢献こうけんした[330]空母くうぼ同士どうし交戦こうせんがはじまると、角田つのだ旗艦きかんはやぶさたかをためらわずにてき機動きどう部隊ぶたい方向ほうこう進出しんしゅつさせた[331]攻撃こうげきめいじるさい角田つのだ少将しょうしょうけて空母くうぼはやぶさたかさきちょう飛行ひこうちょうはっした「てき位置いちは、まだ飛行ひこうたい行動こうどう範囲はんいがいであるが、ほんかん全速力ぜんそくりょく飛行ひこうたいむかえにく」という命令めいれい[332]かれもうしょうぶりをしめすものとして伝説でんせつになっている。さらに、炎上えんじょうちゅう空母くうぼホーネットにかった攻撃こうげきたいを、無傷むきずのエンタープライズが発見はっけんされるや即座そくざ攻撃こうげき目標もくひょう変更へんこうめいじるなど、柔軟じゅうなんにして即断そくだん即決そっけつ指揮しきは、たか評価ひょうかされている。奥宮おくのみや正武まさたけだい航空こうくう戦隊せんたい参謀さんぼうは、日本にっぽんぐん水上すいじょう艦艇かんてい近藤こんどう中将ちゅうじょう)の追撃ついげきおよごしで「水上すいじょう部隊ぶたいにも角田つのだがいれば」とべている[333]

角田つのだほかにも、有馬ありま正文まさふみ大佐たいさ当時とうじしょうづる艦長かんちょう)の果敢かかん姿勢しせい目立めだった[334]。SBDのばくげきしょうづる被弾ひだん炎上えんじょうすると、有馬ありまおとりおとりとしてアメリカぐん機動きどう部隊ぶたい突入とつにゅうすることを主張しゅちょうしたが[335]くさ鹿しか参謀さんぼうちょうに「飛行ひこう甲板かんぱん大破たいはした空母くうぼたたかえるのか」といさめられた[336]しょうづる瑞鳳ずいほうがトラック泊地はくち帰投きとうしたさい有馬ありま艦長かんちょう瑞鳳ずいほう艦長かんちょう大林おおばやし末雄すえお大佐たいさ戦艦せんかん大和やまと連合れんごう艦隊かんたい司令しれいをたずねた[337]山本やまもと五十六いそろく長官ちょうかん有馬ありまめ「もうすこ追撃ついげきはできなかったのか」といかけ、有馬ありま南雲なぐも中将ちゅうじょうくさ鹿しか少将しょうしょう判断はんだんかばうつもりで「あれがしらげいちはいのところでした。あれ以上いじょう追撃ついげき無理むりだったでしょう」とかえすと、2人ふたりのやりとりをみみにしていた黒島くろしまひさしじん先任せんにん参謀さんぼうは「そうでしょうなぁ。あんたのところ(機動きどう部隊ぶたい)はきたにばかりはしりたがっていたから、追撃ついげきかんがえはなかったんでしょうね」と揶揄やゆした[337]。その翌年よくねんの1943ねん(昭和しょうわ18ねん)4がつ18にち山本やまもと五十六いそろく長官ちょうかん戦死せんし(海軍かいぐんかぶと事件じけん)した後日ごじつ有馬ありま海兵かいへい同期どうき高木たかぎそうきちに「山本やまもと長官ちょうかんもなく戦死せんしされた。それなら、あのとき本音ほんねっておけば」とかたったという[338]。 このように連合れんごう艦隊かんたい司令しれいは、南雲なぐも機動きどう部隊ぶたい作戦さくせん不満ふまんいていた。ほん海戦かいせん宇垣うがきまとい連合れんごう艦隊かんたい参謀さんぼうちょうしょうづる損傷そんしょうだいいち航空こうくう戦隊せんたい後退こうたいり、撤退てったい禁止きんしべい艦隊かんたい攻撃こうげき続行ぞっこうめいじた[339]。するとある参謀さんぼうが「てき距離きょりをとることは、むしろてきをアウトレンジするのに有利ゆうり」と進言しんげんし、その消極しょうきょくてき姿勢しせい宇垣うがき参謀さんぼうちょう激怒げきどさせている[340]

一方いっぽう南雲なぐも忠一ただかず中将ちゅうじょうは、ミッドウェー海戦かいせん以降いこう数少かずすくなくなった空母くうぼ危険きけんにさらすことをおそれ、てき索敵さくてき発見はっけんされては避退のため反転はんてんかえすといった慎重しんちょう行動こうどうがみられる[341]瑞鳳ずいほうしょうづる損傷そんしょうは、のこみずづる指揮しき角田つのだ少将しょうしょうゆだねて戦場せんじょうのちにした。こののちにエンタープライズを撃破げきはし、さき攻撃こうげき炎上えんじょうしていたホーネットにはやぶさたか攻撃こうげきたいおくんでめをしたのは、指揮しきけん移譲いじょうされた角田つのだ少将しょうしょう指揮しきによるものである。南雲なぐも戦場せんじょうはなれると1730ふんだいよん駆逐くちくたい有賀ありが幸作こうさく司令しれい旗艦きかんあらし移乗いじょうし、近藤こんどう艦隊かんたいいかけている[342]しょうづる乗艦じょうかんしていた中島なかじまちかしこうだいさん艦隊かんたい通信つうしん参謀さんぼうによれば、しょうづるはアンテナの損傷そんしょうにより送信そうしん不可能ふかのうとなったため南雲なぐも司令しれい秋月しゅうげつがた駆逐くちくかんあきらがつ経由けいゆみずづる移乗いじょうしようとしたところあきらがつ見当みあたらず、仕方しかたなく駆逐くちくかんあらしだいよん駆逐くちくたい司令しれいかん経由けいゆ命令めいれいはっしていたという[343]海戦かいせん終了しゅうりょうだいさん艦隊かんたい参謀さんぼうたちだい勝利しょうりよろこなかで、南雲なぐもはひとり物思ものおもいにしずんでいる様子ようすだったという[344]ほん海戦かいせんのあとだいさん艦隊かんたい司令しれい長官ちょうかん小沢おざわおさむ三郎さぶろう中将ちゅうじょうゆずった南雲なぐも中将ちゅうじょうは、11月11にちづけ佐世保させぼ鎮守ちんじゅ司令しれい長官ちょうかん任命にんめいされる[344]翌年よくねん3がつには村田むらた重治しげはる大佐たいさ生家せいか弔問ちょうもんしている[345]

奥宮おくのみやとは対照たいしょうてきに、くさ鹿しか龍之介りゅうのすけ当時とうじ機動きどう部隊ぶたい参謀さんぼうちょう)と吉田よしだ俊雄としお当時とうじ海軍かいぐん少佐しょうさ軍令ぐんれい参謀さんぼう)は、角田つのだよりも近藤こんどうしんちく中将ちゅうじょう当時とうじだい艦隊かんたい司令しれい長官ちょうかん)をたか評価ひょうかしている[346]。たとえば近藤こんどう南雲なぐも2人ふたりおな階級かいきゅう中将ちゅうじょうだが、軍令ぐんれいうけたまわくだりれいうえ先任せんにんである近藤こんどう南雲なぐも指揮しきをとることになっていた[347]。しかし近藤こんどうだいソロモン海戦かいせんつづき、ほん海戦かいせんでも南雲なぐも機動きどう部隊ぶたい行動こうどうしたがい、機動きどう部隊ぶたい行動こうどう制約せいやくをあたえなかった[347]。また近藤こんどう指揮しきだい航空こうくう戦隊せんたい空母くうぼはやぶさたか)をだいさん艦隊かんたいあづけると、自身じしん前進ぜんしん部隊ぶたいひきいてアメリカぐん機動きどう部隊ぶたい追撃ついげきした[348]吉田よしだは「武人ぶじんらしいたましいかんじさせるのは、近藤こんどう采配さいはいもっと圧巻あっかんである」とべている[349]くさ鹿しか参謀さんぼうちょうは「近藤こんどう宏大こうだい度量どりょう人格じんかくわたしおおきなちからになった」と回想かいそうしている[350]。なおくさ鹿しか海戦かいせん研究けんきゅうかいで「機動きどう部隊ぶたい指揮しきかん所在しょざい部隊ぶたいだい艦隊かんたいだいさん艦隊かんたい)を統一とういつ指揮しきする必要ひつようがある。だい艦隊かんたい司令しれい長官ちょうかんが(機動きどう部隊ぶたいを)指揮しきするのは作戦さくせんじょう具合ぐあいわるい」と意見いけんしている[351]

参加さんか艦艇かんてい

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日本にっぽん

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連合れんごう艦隊かんたい司令しれい長官ちょうかん山本やまもと五十六いそろく大将たいしょう 参謀さんぼうちょう宇垣うがきまとい少将しょうしょうトラックとう[ちゅう 21]

支援しえん部隊ぶたい軍隊ぐんたい区分くぶん):指揮しきかん だい艦隊かんたい司令しれい長官ちょうかん近藤こんどうしんちく中将ちゅうじょう旗艦きかん愛宕あたご

だい艦隊かんたい

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前進ぜんしん部隊ぶたい軍隊ぐんたい区分くぶん[352] だい艦隊かんたい司令しれい長官ちょうかん近藤こんどうしんちく中将ちゅうじょう 参謀さんぼうちょう白石しらいしよろずたかし少将しょうしょう

だいさん艦隊かんたい

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機動きどう部隊ぶたい本隊ほんたい軍隊ぐんたい区分くぶんだいさん艦隊かんたい司令しれい長官ちょうかん南雲なぐも忠一ただかず中将ちゅうじょう[357] 参謀さんぼうちょうくさ鹿しか龍之介りゅうのすけ少将しょうしょう[367]

機動きどう部隊ぶたい前衛ぜんえい軍隊ぐんたい区分くぶん

南東なんとう方面ほうめん部隊ぶたい軍隊ぐんたい区分くぶん

  • だいじゅういち航空こうくう艦隊かんたい司令しれい長官ちょうかんくさ鹿しかにんいち中将ちゅうじょう[372]ニューブリテンとうラバウル
    • 基地きち航空こうくう部隊ぶたい(10がつ20日はつかころの作戦さくせん可能かのうすう[373]
      • だい空襲くうしゅう部隊ぶたい ラバウル(いちごうれいせん32、きゅうろくかんせん3、きゅうはちりく1)、ショートランド(きゅうななしき飛行ひこうてい5)
      • だいろく空襲くうしゅう部隊ぶたい ラバウル(一式いっしきりくおさむ26)、ブイン(ごうれいせん19乃至ないし26、きゅうきゅうかんばく10)
      • だいいち空襲くうしゅう部隊ぶたい カビエン(一式いっしきりくおさむ10程度ていど
      • 方面ほうめん航空こうくう部隊ぶたい ショートランド泊地はくち水上すいじょう戦闘せんとう水上すいじょう偵察ていさつ合計ごうけい20程度ていど[118]

そと南洋なんよう部隊ぶたい軍隊ぐんたい区分くぶん

先遣せんけん部隊ぶたい軍隊ぐんたい区分くぶん

だい16任務にんむ部隊ぶたい

  • トーマス・C・キンケイド少将しょうしょう
  • 空母くうぼ エンタープライズ搭載とうさい航空機こうくうき95(F4F36、SBD44、TBF15[378]
  • 1942ねん10がつ26にち搭載とうさい航空機こうくうき75(F4F31、SBD34、TBF10
  • 戦艦せんかん サウスダコタ
  • だい4じゅんようたい
  • だい5駆逐くちく戦隊せんたい
    • 駆逐くちくかん:マハン、カッシング、ポーター、スミス、プレストン、モーレー、ショー、カニンガム

だい17任務にんむ部隊ぶたい

  • ジョージ・D・マレー少将しょうしょう
  • 空母くうぼ ホーネット搭載とうさい航空機こうくうき82 (F4F37、SBD30、TBF15)[378]
  • 1942ねん10がつ26にち搭載とうさい航空機こうくうき84(F4F37、SBD30、TBF17
  • だい5じゅんようたい
  • だい2駆逐くちく戦隊せんたい
    • 駆逐くちくかん:モーリス、アンダーソン、ヒューズ、オースチン、ラッセル、バートン

だい64任務にんむ部隊ぶたい

その

  • 10月24にち時点じてん連合れんごうぐん航空こうくう兵力へいりょく[373]
    • ガダルカナルとうヘンダーソン基地きち航空機こうくうきやく70(F4F 26、SBD 20P-39 20P-40 6、TBF 2
    • エスピリサントとう 大型おおがた83、小型こがた26
    • ニューカレドニア 大型おおがた29、小型こがた61

南太平洋みなみたいへいよう海戦かいせんえがかれた作品さくひん

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映画えいが
書籍しょせき(ノンフィクション)
  • 豊田とよだみのる悲劇ひげき提督ていとく南雲なぐも忠一ただかず中将ちゅうじょう なみまくらいくたびぞ』講談社こうだんしゃ
  • 空母くうぼかんおさむたい - 滝沢たきざわきよしほうのコミックス。真珠湾しんじゅわん攻撃こうげきとその帰路きろウェークとう攻略こうりゃくから、南太平洋みなみたいへいよう海戦かいせんまでをきゅうななしき艦上かんじょう攻撃こうげきのペア(この機体きたい場合ばあい3なので、機体きたい前方ぜんぽうから操縦そうじゅういん偵察ていさついんけん機長きちょう電信でんしんいんけん射撃しゃげき要員よういん合計ごうけい3めいことをペアとう)を中心ちゅうしんえがいている。
  • 日米にちべい空母くうぼ決戦けっせん双葉社ふたばしゃスーパームック ちょう精密せいみつ3D CGシリーズ 42) - 大戦たいせん造詣ぞうけいふかとちはやししげるにより、当時とうじ機械きかい動作どうさ戦史せんし忠実ちゅうじつに、全編ぜんぺんCGで制作せいさくされたドキュメントDVD。書籍しょせき付録ふろくする形式けいしき販売はんばいされている。27ふん
ボードシミュレーションゲーム

脚注きゃくちゅう

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注釈ちゅうしゃく

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  1. ^ じゅういちこうかん司令しれい長官ちょうかん塚原つかはらよんさん中将ちゅうじょうで、軍隊ぐんたい区分くぶんにおいては南東なんとう方面ほうめん部隊ぶたい指揮しきかんとなり、そと南洋なんよう部隊ぶたい指揮しきする。
  2. ^ だいはち艦隊かんたい司令しれい長官ちょうかん三川みかわ軍一ぐんいち中将ちゅうじょうで、軍隊ぐんたい区分くぶんにおいてはそと南洋なんよう部隊ぶたい指揮しきかんとなる。
  3. ^ 敷設ふせつかん津軽つがる運送うんそうかんうん宗谷そうや輸送ゆそう船明ふなぎらまるのうち、あきらまる潜水せんすいかんにより撃沈げきちんされた[16]
  4. ^ とうから発進はっしんしたSBD ドーントレスと、エスピリトゥサントとうから発進はっしんしたB-17がたじゅうばく[28]一木いちき支隊したいだい梯団ていだん横須賀よこすか鎮守ちんじゅだい特別とくべつ陸戦りくせんたいせた輸送ゆそうせん3せき護衛ごえい部隊ぶたい指揮しきかんだい水雷すいらい戦隊せんたい司令しれいかん田中たなかよりゆきさん少将しょうしょう)をおそった[29]空襲くうしゅうけいじゅん神通じんずう二水にすい戦旗せんきかんちゅうやぶ駆逐くちくかん睦月むつき輸送ゆそうせんきむりゅうまる沈没ちんぼつ輸送ゆそうせん護衛ごえいかんニューブリテンとうラバウルブーゲンビルとう南東なんとうはしショートランド泊地はくちに避退した[30]
  5. ^ だいじゅうななぐん司令しれいかん百武ももたけ中将ちゅうじょうつじ参謀さんぼうは、駆逐くちくかん五月雨さみだれ親潮おやしおいでラバウルからガダルカナルとう進出しんしゅつ、10月9にちよるにガとうタサファロングみさき上陸じょうりくした[63]連絡れんらく中継ちゅうけいのため、だいじゅうななぐん参謀さんぼうちょう宮崎みやざき周一しゅういち少将しょうしょうはラバウルにのこった[64]
  6. ^ 高速こうそく輸送ゆそう船団せんだん優秀ゆうしゅう輸送ゆそうせん6せき笹子ささごまる吾妻山あづまやままる九州きゅうしゅうまる南海なんかいまる渡丸わたまる崎戸さきとまる)から[75]だいよん水雷すいらい戦隊せんたい司令しれいかん高間たかまかん少将しょうしょう)が指揮しきする駆逐くちくかん8せき秋月あきづきよんみず戦旗せんきかん〉、村雨むらさめ五月雨さみだれ夕立ゆうだち春雨はるさめ時雨しぐれ白露しらつゆ有明ありあけ)が護衛ごえいしていた[76]優秀ゆうしゅうせん3せき笹子ささごまる吾妻山あづまやままる九州きゅうしゅうまる)を喪失そうしつした[77][78]
  7. ^ 17にち飛行場ひこうじょう攻撃こうげきでは、れいせん18とかんおさむ18が出撃しゅつげきし、かんおさむ8をうしなった[84]
  8. ^ 176潜水せんすい艦長かんちょう田辺たなべわたるはち少佐しょうさは、ミッドウェー作戦さくせんどきごうだいひゃくろくじゅうはち潜水せんすいかん艦長かんちょうである。この海戦かいせん168は空母くうぼヨークタウン駆逐くちくかんハムマン撃沈げきちんした[96]
  9. ^ 利根りこんがたじゅう巡洋艦じゅんようかん水上すいじょう偵察ていさつ5-6搭載とうさいする偵察ていさつ能力のうりょくすぐれたかんしゅ秋月しゅうげつがた駆逐くちくかん10cm連装れんそう高角こうかくほう装備そうびした防空ぼうくう駆逐くちくかんである。
  10. ^ だい師団しだん司令しれいつじ政信まさのぶ参謀さんぼう協議きょうぎにより、右翼うよく隊長たいちょう川口かわぐちきよしけん少将しょうしょう突然とつぜん罷免ひめんされ、東海林しょうじ俊成としなり大佐たいさ右翼うよく隊長たいちょう任命にんめいされた[110]
  11. ^ 乗組のりくみいんかくかん収容しゅうようしたあと、由良ゆら夕立ゆうだち春雨はるさめにより自沈じちん処理しょりされた[126]
  12. ^ 一部いちぶ資料しりょうでは、みずづるかんばく隊長たいちょう坂本さかもと明大めいだいじょう記述きじゅつする[201]
  13. ^ はら為一ためいち当時とうじ天津てんしんふう艦長かんちょう)によれば、同艦どうかん搭乗とうじょういん15めい(うち2めい戦死せんし)を収容しゅうようした[206]
  14. ^ しょうづるたい空母くうぼ1せき爆撃ばくげきして6はつ命中めいちゅう、この空母くうぼみずづるたい雷撃らいげき協同きょうどう撃沈げきちん駆逐くちくかん1せき大破たいは炎上えんじょう撃墜げきつい1を報告ほうこくした[168]
  15. ^ アメリカがわ資料しりょうで、南太平洋みなみたいへいよう海戦かいせん対空たいくう戦闘せんとうちゅう日本にっぽんぐん潜水せんすいかん[207]ごうだいじゅういち潜水せんすいかん)がだい16任務にんむ部隊ぶたい襲撃しゅうげきしておもじゅんポートランドや駆逐くちくかんポーターを雷撃らいげき、ポーターを撃沈げきちんしたとの資料しりょうがあるが[42]日本にっぽんがわ記録きろくでは該当がいとうかんがない[208]確認かくにんできる攻撃こうげきは、10月27にち午前ごぜん338ぶん21から戦艦せんかんワシントンにたいするもの[209]魚雷ぎょらいばくしてワシントンに被害ひがいはなかった[209]
  16. ^ みずづるたいエンタープライズがた空母くうぼ1撃沈げきちんサウスダコタがた戦艦せんかん1轟沈ごうちんかんがたしょう巡洋艦じゅんようかん1撃沈げきちん駆逐くちくかん1大破たいは撃墜げきつい8を報告ほうこくした[168]
  17. ^ はやぶさたかかんばくたい隊長たいちょう山口やまぐち正夫まさお大尉たいい分隊ぶんたいちょう三浦みうら尚彦なおひこ大尉たいいはやぶさたかだい1攻撃こうげき戦死せんしし、中尉ちゅういかれさい先任せんにんとなっていた。
  18. ^ トラック残留ざんりゅうおもたい大和やまと陸奥むつだい7駆逐くちくたい〉、前進ぜんしん部隊ぶたいきむつよし榛名はるな愛宕あたご高雄たかおはやぶさたかたか〉、機動きどう部隊ぶたい比叡ひえい霧島きりしま利根とねゆきふう天津てんしんふうあきらがつ浜風はまかぜ〉)、内地ないち回航かいこう空母くうぼしょうづるみずづる瑞鳳ずいほう〉、じゅうじゅんみょうだか熊野くまの筑摩ちくま〉、駆逐くちくかんあらしまいふう谷風たにかぜうらふういそふうあきくも時津風ときつかぜはつかぜ〉)[277]
  19. ^ 南太平洋みなみたいへいよう海戦かいせん時点じてん日本にっぽんぐん保有ほゆうしていたけい空母くうぼ3せき大鷹おおたかくもたかおおとりしょう)は、機動きどう部隊ぶたいとして使用しようできなかった[278]空母くうぼたかは、だいさんソロモン海戦かいせんのあと12がつ5にちにトラック泊地はくち出発しゅっぱつ内地ないち帰投きとうした[279]
  20. ^ 大本營だいほんえい発表はっぴょう じゅうななにち午後ごごはちさんじゅうふんいち 帝国ていこく艦隊かんたいじゅうがつじゅうろくにち黎明れいめいより夜間やかんわたりサンタクルーズ諸島しょとう北方ほっぽう洋上ようじょうにおいててき有力ゆうりょく艦隊かんたい交戦こうせんてき航空こうくう母艦ぼかんよんせき戦艦せんかんいちせきかんがたしょういちせき撃沈げきちん戦艦せんかんいちせき巡洋艦じゅんようかんさんせき駆逐くちくかんいちせきちゅうやぶし、てきひゃく以上いじょう撃墜げきついそのにより喪失そうしつせしめたり。わがほう損害そんがい航空こうくう母艦ぼかんせき巡洋艦じゅんようかんいちせき小破しょうはせるも、いずれも戦闘せんとう航海こうかい支障ししょうなし。帰還きかんよんじゅうすう。(註)ほん海戦かいせん南太平洋みなみたいへいよう海戦かいせん呼称こしょうす(だいソロモン海戦かいせん以後いご戦果せんか喪失そうしつりゃく)[309]
  21. ^ 連合れんごう艦隊かんたい旗艦きかんぬしたい大和やまと陸奥みちのく)ほか。
  22. ^ 摩耶まや戦時せんじ編制へんせいにおいてだいよん戦隊せんたい所属しょぞくだが、臨時りんじだい戦隊せんたい司令しれいかん指揮しき行動こうどうしていた[355]だい戦隊せんたい所属しょぞくじゅうじゅん羽黒はぐろ整備せいび艦船かんせん区分くぶんされており[352]内地ないち佐世保させぼ海軍かいぐん工廠こうしょう修理しゅうりちゅうだった[356]
  23. ^ こうせんには空母くうぼたか所属しょぞくするが、10がつ20日はつか機関きかん故障こしょうこし作戦さくせん行動こうどう不能ふのうとなる[358]たか航空こうくうたいはやぶさたか補充ほじゅうし、駆逐くちくかんいそなみだい19駆逐くちくたい)とでんだい6駆逐くちくたい)に護衛ごえいされトラック泊地はくち後退こうたいした[82]
  24. ^ 最上さいじょうがたじゅう巡洋艦じゅんようかん4ばんかん熊野くまの戦時せんじ編制へんせいにおいてだいなな戦隊せんたい所属しょぞくだが、ほん作戦さくせん故障こしょうなやまされていた[368]だいなな戦隊せんたい司令しれいかん西村にしむら祥治しょうじ少将しょうしょう[369]、10月18にち旗艦きかん鈴谷すずや変更へんこうし、鈴谷すずや機動きどう部隊ぶたい前衛ぜんえい熊野くまの機動きどう部隊ぶたい本隊ほんたいとなった[130]
  25. ^ 野分のわけ補給ほきゅう部隊ぶたい護衛ごえいのため、10月26にち航空こうくうせんには参加さんかしていない[131]だい4駆逐くちくたい駆逐くちくかんはぎふう一木いちき支隊したい先遣せんけんたい輸送ゆそう損傷そんしょう[370]修理しゅうりちゅうのため海戦かいせん参加さんかせず。
  26. ^ 浜風はまかぜだい17駆逐くちくたい所属しょぞくするが、ほん作戦さくせんではだい17駆逐くちくたい谷風たにかぜうらふういそふう)が機動きどう部隊ぶたい前衛ぜんえい浜風はまかぜ機動きどう部隊ぶたい本隊ほんたい護衛ごえいとなった。
  27. ^ だい61駆逐くちくたいには駆逐くちくかん秋月あきづき所属しょぞくするが、そと南洋なんよう部隊ぶたいだいはち艦隊かんたい)に編入へんにゅうされてだいよん水雷すいらい戦隊せんたい旗艦きかんとなり、10月25にち戦闘せんとう損傷そんしょうした[126]
  28. ^ 南太平洋みなみたいへいよう海戦かいせん当日とうじつ鈴谷すずや艦長かんちょう木村きむら昌福まさとみ大佐たいさ)はだいなな戦隊せんたい旗艦きかんであり、機動きどう部隊ぶたい前衛ぜんえい所属しょぞくする[368]熊野くまの機動きどう部隊ぶたい本隊ほんたい所属しょぞくしており、べつ行動こうどうすんでじゅつ[130]
  29. ^ そと南洋なんよう部隊ぶたい主戦しゅせんりょくであっただいろく戦隊せんたいは、だいいちソロモン海戦かいせん帰路きろ潜水せんすいかんによりじゅうじゅん加古かこ沈没ちんぼつ[374]、10月11にち-12にちサボとうおき海戦かいせん連合れんごうぐん呼称こしょう:エスペランスみさきおき海戦かいせん[375]じゅうじゅんたか沈没ちんぼつ旗艦きかん青葉あおば大破たいはだいろく戦隊せんたい司令しれいかんふじ存知ぞんち少将しょうしょう戦死せんし[376]健在けんざいかん衣笠きぬがさだけになった。
  30. ^ だいさん水雷すいらい戦隊せんたい司令しれいかん橋本はしもと信太郎しんたろう少将しょうしょうけいじゅん川内かわうちだい11駆逐くちくたいはくゆき初雪はつゆき)、だい19駆逐くちくたい敷波しきなみうらあや)。だいよん水雷すいらい戦隊せんたい司令しれいかん高間たかまかん少将しょうしょう秋月しゅうげつがた駆逐くちくかん秋月あきづきけいじゅん由良ゆらだい2駆逐くちくたい村雨むらさめ五月雨さみだれ夕立ゆうだち春雨はるさめ)、だい9駆逐くちくたいあさくも)、だい27駆逐くちくたい有明ありあけ夕暮ゆうぐれ白露しらつゆ時雨しぐれ)、だい6駆逐くちくたいあかつきかみなり)。

出典しゅってん

編集へんしゅう
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参考さんこう文献ぶんけん

編集へんしゅう

主要しゅよう参考さんこう文献ぶんけん

編集へんしゅう
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    • Ref.C08030768000『昭和しょうわ17ねん9がつ昭和しょうわ17ねん11月 だい7戦隊せんたい作戦さくせん記録きろくつづり の2(2)』。 
    • Ref.C08030768100『昭和しょうわ17ねん9がつ昭和しょうわ17ねん11月 だい7戦隊せんたい作戦さくせん記録きろくつづり の2(3)』。 
    • Ref.C08030097600『昭和しょうわ17ねん9がつ1にち昭和しょうわ17ねん10がつ31にち だい2水雷すいらい戦隊せんたい戦時せんじ日誌にっし戦闘せんとう詳報しょうほう(5)』。 
    • Ref.C08030097700『昭和しょうわ17ねん9がつ1にち昭和しょうわ17ねん10がつ31にち だい2水雷すいらい戦隊せんたい戦時せんじ日誌にっし戦闘せんとう詳報しょうほう(6)』。 
    • Ref.C08030097800『昭和しょうわ17ねん9がつ1にち昭和しょうわ17ねん10がつ31にち だい2水雷すいらい戦隊せんたい戦時せんじ日誌にっし戦闘せんとう詳報しょうほう(7)』。 
    • Ref.C08051577300『昭和しょうわ16ねん12月〜昭和しょうわ18ねん11月 しょうづる飛行機ひこうきたい戦闘せんとう行動こうどう調書ちょうしょ(3)』。 
    • Ref.C08051577900『昭和しょうわ16ねん12月〜昭和しょうわ18ねん4がつ みずづる飛行機ひこうきたい戦闘せんとう行動こうどう調書ちょうしょ(4)』。 
    • Ref.C08051583500『昭和しょうわ17ねん6がつ昭和しょうわ18ねん1がつ はやぶさたか飛行機ひこうきたい戦闘せんとう行動こうどう調査ちょうさ(2)』。 
    • Ref.C08051580500『昭和しょうわ17ねん4がつ昭和しょうわ17ねん12月 瑞鳳ずいほう飛行機ひこうきたい戦闘せんとう行動こうどう調書ちょうしょ(2)』。 

参考さんこう文献ぶんけん

編集へんしゅう
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  • 井上いのうえなみ濤のなか青春せいしゅん 駆逐くちくかんいそふうさんにんとくねんへい光人みつひとしゃ光人みつひとしゃNF文庫ぶんこ〉、2011ねん10がつ原著げんちょ1999ねん)。ISBN 978-4-7698-2709-2 
  • 岩崎いわさきつよし蒼空そうくう飛翔ひしょうくも 歴戦れきせん飛行ひこう隊長たいちょう高橋たかはしじょう少佐しょうさ航跡こうせき」『うみそらはちにん武人ぶじん生涯しょうがい 最前線さいぜんせん指揮しきかん太平洋戦争たいへいようせんそう光人みつひとしゃ光人みつひとしゃNF文庫ぶんこ〉、2003ねん4がつ原著げんちょ1995-1)。ISBN 4-7698-2379-7 
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    田中たなか一郎いちろう海兵かいへい67瑞鳳ずいほうかんおさむたい分隊ぶんたいちょう)の証言しょうげん収録しゅうろく田中たなかみずづるかんおさむたい指揮しきまかされ「ホーネット」に水平すいへいばくげきおこなった。
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    高橋たかはし武士たけし艦長かんちょう伝令でんれい艦橋かんきょう勤務きんむ)の戦時せんじ日記にっきもと小板橋こいたばし編集へんしゅう小板橋こいたばしは「愛宕あたご沈没ちんぼつ航海こうかい
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  • 佐藤さとう和正かずまさ艦長かんちょうたちの太平洋戦争たいへいようせんそう 続編ぞくへん 17にん艦長かんちょうかたった勝者しょうしゃ条件じょうけん光人みつひとしゃ光人みつひとしゃNF文庫ぶんこ〉、1995ねん12月。ISBN 4-7698-2106-9 
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  • 重本しげもと俊一しゅんいちだいさんしょうかつえしま死闘しとう」『落日らくじつ日本にっぽん艦隊かんたい 体験たいけんてき連合れんごう艦隊かんたい始末しまつしお書房しょぼう光人みつひとしゃ光人みつひとしゃNF文庫ぶんこ〉、2014ねん7がつISBN 978-4-7698-2841-9 
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    高戸たかど駆逐くちくかんあきらがつ主計しゅけいちょう南太平洋みなみたいへいよう海戦かいせんを「あきらがつ艦橋かんきょう体験たいけん
  • イアン・トール(ちょ)、村上むらかみ和久かずひさ(わけ)「だいろくしょう しん指揮しきかんハルゼーのかえしがはじまった」『太平洋たいへいよう試練しれん ガダルカナルからサイパン陥落かんらくまで 〈うえ〉』株式会社かぶしきがいしゃ文藝春秋ぶんげいしゅんじゅう、2016ねん3がつISBN 978-4-16-390423-8 
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    橋本はしもと司令しれい信号しんごうへい南雲なぐも司令しれい一員いちいんとして「しょうづる艦橋かんきょう勤務きんむ
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    橋本はしもとは「かみなり主砲しゅほう発令はつれいしょ配置はいち
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    • 当時とうじ由良ゆら機械きかい分隊ぶんたいちょう海軍かいぐん大尉たいい 上村うえむらあらし乗艦じょうかん由良ゆらわが訣別けつべつ絶唱ぜっしょうけ てき空爆くうばくによりガとう輸送ゆそうじゅんじた長良ながらがたよんばんかん沈没ちんぼつ遭難そうなん体験たいけん
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    牧島まきしまうつカメラマン。空母くうぼしょうづる」に乗艦じょうかんし、ほん海戦かいせん参加さんかする。
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    松田まつだきゅうななしきかんおさむ電信でんしんいん。「赤城あかぎ沈没ちんぼつしょうづる配属はいぞくしょうづるだいいち攻撃こうげきたいとしてほん海戦かいせん参加さんか
  • 雑誌ざっしまる編集へんしゅう へん写真しゃしん 日本にっぽん軍艦ぐんかん だい4かん 空母くうぼII光人みつひとしゃ、1989ねん10がつISBN 4-7698-0454-7 
  • 雑誌ざっしまる編集へんしゅう へん写真しゃしん 日本にっぽん軍艦ぐんかん じゅうじゅん I みょうだか足柄あしがら那智なち羽黒はぐろ 巡洋艦じゅんようかん発達はったつだい5かん光人みつひとしゃ、1989ねん11月。ISBN 4-7698-0455-5 
  • まる編集へんしゅう へん空母くうぼ機動きどう部隊ぶたい わたし非情ひじょううみ空戦くうせんをこうたたかった!』光人みつひとしゃ、2010ねん7がつ 
    • もと空母くうぼたか艦長かんちょう海軍かいぐん少将しょうしょう 別府べっぷあかりとも空母くうぼたか」ガダルカナルおき悲運ひうん
    • 当時とうじだいさん艦隊かんたい参謀さんぼうもと海軍かいぐん中佐ちゅうさ 中島なかじまちかしこう南太平洋みなみたいへいよう海戦かいせん勝利しょうり ミッドウエーのかたきった日本にっぽん機動きどう部隊ぶたい
    • 当時とうじみずづる艦長かんちょうもと海軍かいぐん少将しょうしょう 野元のもとためてる武運ぶうんかんみずづる南太平洋みなみたいへいよう凱歌がいか
  • まる編集へんしゅう へんじゅう巡洋艦じゅんようかん戦記せんき わたし決定的けっていてき瞬間しゅんかんをこのた!』光人みつひとしゃ、2010ねん11月。ISBN 978-4-7698-1485-6 
    • 当時とうじ筑摩ちくま艦長かんちょうもと海軍かいぐん少将しょうしょう 古村こむら敬三けいぞう前衛ぜんえい筑摩ちくま」と南太平洋みなみたいへいよう海戦かいせん
  • イヴァン・ミュージカント戦艦せんかんワシントン べい主力しゅりょく戦艦せんかんから太平洋戦争たいへいようせんそう中村なかむらじょうわけ)、光人みつひとしゃ、1988ねん 
  • 安永やすながひろし死闘しとうみず偵隊』(朝日あさひソノラマ 1994)
    著者ちょしゃは「みょうだか偵察ていさつ操縦そうじゅうしゃほん海戦かいせんでも索敵さくてき任務にんむにあたった。
  • 安永やすながひろし『サムライ索敵さくてき てき空母くうぼゆ! 予科練よかれんパイロット3300あいだ死闘しとう』(光人みつひとしゃ、2002)朝日あさひソノラマ文庫ぶんこ改訂かいていばん
  • 山本やまもと悌一郎ていいちろうだいろくしょう 沈黙ちんもく帰還きかん」『海軍かいぐんたましい わか雷撃らいげきおう村田むらた重治しげはる生涯しょうがい光人みつひとしゃ光人みつひとしゃNF文庫ぶんこ〉。ISBN 4-7698-2129-8 
  • 山川やまかわ新作しんさく空母くうぼかんばくたい かんばく搭乗とうじょういん死闘しとう記録きろく今日きょう話題わだいしゃ、1985ねんISBN 4-87565-118-X 
    山川やまかわは「はやぶさたかきゅうきゅうかんばく操縦そうじゅうしゃ真珠湾しんじゅわん攻撃こうげき加賀かが所属しょぞくのベテラン。
  • 吉田よしだ俊雄としお戦艦せんかん比叡ひえい朝日あさひソノラマ、1985ねんISBN 4-257-17051-4 
    吉田よしだ軍令ぐんれい参謀さんぼうほん海戦かいせんにおける陸軍りくぐん海軍かいぐん連携れんけい問題もんだいについて言及げんきゅう
  • 吉田よしだ俊雄としお幸運こううんかみ 航空こうくう母艦ぼかんみずづる」のつようん」『造艦ぞうかんテクノロジーのたたかい 科学かがく技術ぎじゅつ頂点ちょうてんった連合れんごう艦隊かんたい軍艦ぐんかん物語ものがたり光人みつひとしゃ光人みつひとしゃNF文庫ぶんこ〉、1995ねん原著げんちょ1989ねん)。ISBN 4-7698-2103-4 
  • 吉田よしだ俊雄としお戦艦せんかん比叡ひえい 新装しんそう文庫ぶんこばん光人みつひとしゃ光人みつひとしゃNF文庫ぶんこ〉、2002ねんISBN 4-7698-2345-2 
  • 歴史れきしぐんぞう編集へんしゅうへん『ソロモン海戦かいせん べいぐんガダルカナルとう上陸じょうりくにより惹起じゃっきされたソロモンの制海権せいかいけん争奪そうだつ前半ぜんはんせん徹底てってい解析かいせきだい5かん学習がくしゅう研究けんきゅうしゃ歴史れきしぐんぞう 太平洋たいへいよう戦史せんしシリーズ〉、1994ねん11月。 
  • 歴史れきしぐんぞう編集へんしゅうへん死闘しとうガダルカナル "連合れんごう艦隊かんたい最後さいご勝利しょうり" 南太平洋みなみたいへいよう海戦かいせん中心ちゅうしんにガとうめぐ争奪そうだつ後半こうはんせん分析ぶんせきするだい6かん学習がくしゅう研究けんきゅうしゃ歴史れきしぐんぞう 太平洋たいへいよう戦史せんしシリーズ〉、1995ねん1がつ 
  • 海軍かいぐん機動きどう部隊ぶたいぜん新人物往来社しんじんぶつおうらいしゃ別冊べっさつ歴史れきし読本とくほん 戦記せんきシリーズ No.46〉、1999ねんISBN 4-404-02722-2 
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関連かんれん項目こうもく

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