ワスプ (CV-7)
![]() ワスプ(CV-7) | ||
1935 ベスレヘム | ||
1936 | ||
1939 | ||
1940 | ||
その |
1942 | |
1942 | ||
ヨークタウン | ||
ホーネット (CV-8)[2] | ||
エセックス | ||
219.5 m | ||
210.3 m | ||
30.5 m | ||
24.6 m | ||
225.9 m x 33.2 m | ||
ヤーロー +パーソンズ | ||
70,000 shp | ||
15ノット/12,000 | ||
2,167 | ||
Mark 12 5インチ:12.7 cm(38 Mark 2 1.1インチ:28 mm(75 12.7 mm(90 | ||
Mark 12 5インチ:12.7 cm(38 ボフォース 4 cm(56 Mark 2 1.1インチ:28 mm(75 エリコン 20 mm(76 12.7 mm(90 | ||
76 | ||
エレベーター | 3 | |
カタパルト | ||
ワスプ (USS Wasp, CV-7) は、アメリカ
概要
アメリカ
ワスプの
ワスプはアメリカ
1942
アメリカ
艦 形
ワスプは
飛行 甲板
アイランドの
ワスプの
搭載 機
搭載 機 変遷 - 1941
年 12月 -計 57機 (F4Fワイルドキャット 18機 + SB2Uビンディケーター 37機 + TBDデバステーター 2機 ) - 1942
年 6月 -計 69機 (F4Fワイルドキャット 28機 + SBDドーントレス 36機 + TBDデバステーター 5機 ) - 1942
年 8月 -計 73機 (F4Fワイルドキャット 28機 + SBDドーントレス 36機 + TBFアベンジャー 9機 )
1940
-
1942
年 に撮 られた本 艦 のF4Fワイルドキャット -
1942
年 に撮 られた本 艦 のSB2UビンディケーターとTBDデバステーター -
1942
年 に撮 られた本 艦 のTBFアベンジャー
武装
ワスプは
防御
機関
ワスプの
艦 歴
ワスプは1936
太平洋戦争 以前
1941
ルーズベルト
大西洋 戦線
1942
アメリカ
4
この
ワスプは4
その
イギリス
太平洋 戦線
第 一 次 ソロモン海戦
アメリカ
ワスプは
6月19
ワスプが
ワスプは
8
8
8
第 二 次 ソロモン海戦
アメリカ
フレッチャー
8
9月12
9月14
9月15
また
喪失
1942
9月15
なお
サラトガとノースカロライナの
残骸 の発見
2019
登場 作品
出典
注
- ^ ちなみに
艦 名 のワスプとはジガバチ(穴 蜂 )及 びスズメバチの意味 で、広義 に肉食 の大型 の蜂 全般 を指 す。蜂 を語源 とした空母 には、ホーネット(USS Hornet, CV-8及 び USS Hornet, CV-12)も挙 げられる。 - ^
本 艦 沈没 後 、9代目 としてエセックス級 航空 母艦 のワスプ (USS Wasp, CV-18) 、10代目 としてワスプ級 強襲 揚陸 艦 のワスプ (USS Wasp, LHD-1) が就役 した。 - ^ a b ○
米 空母 の造艦 史 [33](中略 )その後 、ワシントン會議 の結果 廢棄 すべき巡 洋 戰艦 を改造 して作 つたのが、レキシントン、サラトガの二 大 空母 であつた。この兩 艦 も大 東亞 開戰 後 レキシントンは一 九 四 二 年 一 月 十 二 日 ハワイ西方 六 〇〇浬 の海上 で、サラトガは珊瑚 海 々戰 においてヨークタウンと共 に帝國 海軍 の手 で撃沈 されたが、その性能 は排水 量 三 三 ,〇〇〇トン、電氣 推進 機 速度 卅四 ノット、搭載 機 平時 八 〇、戰時 一 三 五 等 最新 科學 の粹 を集 め、米 の對 日 進攻 作戰 における大 きなホープであつた。(中略 )その後 、一 九 三 一 年 にはレーンジヤーが起工 され、次 いで一 九 三 四 年 には條約 量 一 杯 の建 艦 を目指 す第 一 次 ヴィンソン案 に基 きエンタープライズ、ヨークタウンの二 隻 が起工 された。即 ち、この兩 艦 に既存 のサラトガ、レキシントン、ラングレー、レーンジヤを加 え條約 量 の十 三 萬 五 千 トンに近 い十 三 萬 二 千 〇〇トンの空母 陣 が形成 されることとなつた。
然 るに、支 那 事變 勃發 に對 するアメリカの緊急 措置 として、條約 量 二 割 増加 を企圖 した第 二 次 ヴインソン案 により、空母 陣 は更 に二 隻 四 萬 トンを加 へることとなり、ホーネット、エセックスの兩 艦 が起工 された。これより先 ラングレーの代 艦 として一 九 三 六 年 にワスプが起工 され、三 九 年 十二月 に就役 してゐる。/次 いで一 九 四 〇年 に至 り東亞 情勢 の緊迫 に備へて空母 陣 の増強 を主 とする第 三 次 ヴィンソン案 が計畫 され、ボンホーム・リチャード、イントレピット、キャセージの三 隻 が起工 されることとなつた。 - ^ レキシントン
級 各 1隻 の排水 量 は36,000トン(2隻 で72,000トン)だが、対外 的 には33,000トンと発表 した[21]。 - ^
三 、航空 母艦 (英国 略 )(二 )米國 [28]昨年 一 九 ,九 〇〇噸 ノ「ヨークタウン」「エンタープライズ」ノ二 隻 進水 シ「レインジャー」ト略 同 噸數 ノ「ワスプ」起工 セラレタリ/「ヨークタウン」ハ「レインジャー」ノ擴大 型 ニシテ艦 型 艤装 共 「レインジャー」ニ類 ス、本 艦 ヨリ一般 用 電源 ハ巡洋艦 「クインシイ」驅逐 艦 「マハン」同様 四 五 〇ボルド交流 トナレリ/「ワスプ」ハ「レインジャー」ノ使用 實 蹟 ニ鑑 ミ計畫 セラレ、排水 量 ハ略 「レンジジャー」ニ等 シキモ船体 主要 寸法 ハ著 シク相違 シ特 ニ長 サガ短縮 セラレタリ、コレ「レインジャー」ノ復原 性能 ノ不良 ニ鑑 ミシモノト解 スルヲ傳 ベシ - ^
日本 海軍 も14,500トン級 中型 空母 2隻 を建造 する予定 だったが、軽 空母 龍 驤(8,000トン)がロンドン軍縮 条約 で規制 枠 に盛 り込 まれ、保有 枠 は21,000トンになった[30]。そこで②計画 で10,500トン級 の軽 空母 2隻 を建造 することにした[31]。これが蒼 龍 と飛 龍 である[31]。 - ^
蒼 龍 は1934年 (昭和 9年 )11月 20日 起工 、1935年 (昭和 10年 )12月23日 進水 、1937年 (昭和 12年 )12月29日 に竣工 した[35]。蒼 龍 の公 試 排水 量 は18,800トン(公表 値 は基準 排水 量 10,050トン)[35]、速力 34.3ノット[36]、常用 機 54(艦上 戦闘 機 18、艦上 爆撃 機 18、艦上 攻撃 機 18)と補 用 9機 (艦 戦 3、艦 爆 3、艦 攻 3)であった[37]。飛行 甲板 は長 さ216.9m×幅 26.0m、エレベーター3基 であった[10]。 - ^ イギリス
海軍 のイラストリアス級 航空 母艦 は36機 (最大 でも50機 )[38]、コロッサス級 航空 母艦 は約 50機 だが25ノットしかでない[39]。日本 海軍 主力 空母 の場合 、珊瑚 海 海戦 からミッドウェー作戦 時 の5隻 (赤城 、蒼 龍 、飛 龍 、翔 鶴 、瑞 鶴 )は各 艦 とも常用 機 数 54機 (艦 戦 18、艦 爆 18、艦 攻 18)と補 用 9機 であった[37]。 - ^ レキシントン
級 空母 の大型 空母 サラトガ、ヨークタウン級 のエンタープライズとホーネット。アメリカ海軍 は大西洋 艦隊 に空母 レンジャーを配備 していたが、同艦 の防御 力 は脆弱 で、太平洋 戦線 への投入 を躊躇 せざるを得 なかった[50]。 - ^ a b
第 百 六 十 八 条 コンミユニケ[61] “航空 母艦 ワスプ號 は九 月 十 五 日 敵 潜水 艦 の攻撃 を受 けて南太平洋 で撃沈 された母艦 は攻撃 を蒙 つた後 五 時 海上 に浮 かび、同 方面 に敵 がゐなくなつて沈没 した以上 の理由 により敵 がワスプ號 の沈没 を知 らずにゐる可能 性 がある限 り、發表 を遅 らせてゐたものである ワスプ號 は戰隊 と共 に南太平洋 に出動 、グワダルカナル島 に對 する増援 軍 ならびに物資 の輸送 掩護 に從事 中 の九 月 十 五 日 午後 二 時 十 五 分 頃 魚雷 を受 けた、魚雷 三 個 は艦内 の火藥 庫 、ガソリンタンクの附近 に命中 し、随所 に多數 の爆發 と大 火災 を生 ぜしめた/鎭火 に努 めること三 時 間 後 火焔 を鎭壓 し得 ないことが明 かとなつで來 たので、離 艦 の必要 を生 じた、攻撃 を蒙 つてから五 時 間 後 、米 驅逐 艦 は炎上 中 の艦 體 に魚雷 を發射 して海底 に屠 つたのであつた/敵 の魚雷 が命中 してから約 十 五 分 後 、大 爆發 が起 つてワスプ號 を揺 がし、次 いで格納庫 、甲板 の附近 で爆發 を生 じた、火災 を鎭壓 し得 ないで約 三 時 間 後 離 艦 を必要 とするに至 つた、午後 八 時 頃 、鎭火 と同艦 を救 ふ總 ての望 みは放棄 され、米 驅逐 艦 の魚雷 をもつてワスプ號 を撃沈 した/ワスプ號 乗組 員 の約 九 割 は救助 され、死傷 者 の近親 者 にはその旨 通知 が發 せられた”(記事 おわり) - ^
書類 上 では8番 機 まで存在 したが、実際 は5機 であったという[67]。 - ^
米國 海軍 頭痛 の種 建 艦 大 遅延 新建 艦 七 十 九 隻 いずれも六 ヶ月 乃至 八 ケ月 [73](中略 )大艦 は更 に遲々 小 艦艇 の工程 に比 し大艦 は遲々 たるものあり、航空 母艦 ヨークタウン號 は十一月 完成 の豫定 であつが、明春 三 月 に延 び、同 く母艦 エンタープライズ號 は七 割 五 分 の工程 にあるも豫定 より五 ケ月 方 遲延 、同 くワスプ號 はキールを据 へた儘の状態 で明春 四 月 に至 らざれば着手 し得 ず、甲 級 巡洋艦 ビンセンネス號 は八 割 五 分 の工程 にあり、明春 一 月 には竣工 すべく巡洋艦 ウチタ號 は四 ケ月 遲 れる豫定 である(記事 おわり) - ^
アメリカ合衆国 は1939年 9月 5日 に中立 を宣言 した[41]。 - ^ 10月17
日 、SC48船団 を護衛 中 のアメリカ駆逐 艦 カーニーをドイツ海軍 (Kriegsmarine) のUボート(U-568)が雷撃 して撃破 した[77]。10月31日 にはHX156船団 を護衛 していたアメリカ駆逐 艦 ルーベン・ジェームズ (ヘイウッド・L・エドワーズ艦長 ) をU-552が撃沈 した[78]。 - ^
戦艦 ミシシッピと並 んで碇泊 するワスプの写真 がある[80]。 - ^ ミュージカント
著 『戦艦 ワシントン』52頁 ではワスプの搭載 機 をSBDドーントレス急降下 爆撃 機 と記述 するが[84]、同 時期 のワスプが搭載 していたのはSB2U ヴィンディケイターであったという。 - ^ 4
月 末 の時点 で、6機 [46]もしくは7機 しか残 っていなかった[101]。 - ^
二 次 資料 によっては、65機 進出 とする[105]。また64機 発進 して、4機 事故 喪失 、1機 母艦 帰投 とする[107]。 - ^
一 例 として、弾薬 を積 んでマルタに到着 した敷設 巡洋艦 のウェルシュマン (HMS Welshman, M84) をドイツ空軍 機 が襲 ったが、スピットファイア3機 と引 き換 えにドイツ側 は12機 を喪失 した[46]。 - ^ ◎
海外 特殊 情報 第 六 號 昭 ・一 七 ・七 ・九 (木) 情報 局 第 一部 第 二 課 /◎米 空母 ワスプ撃沈 説 ストツクホルム=リスボン二 日 發 同盟 @@發表 リスボンからの情報 によれば米 空母 ワスプは最近 歐 洲 水域 に於 て撃沈 されたと云 はれる ワスプは最近 マルタ島 に航空機 を輸送 し樞軸 空軍 に反覆 攻撃 されたものであるが詳報 は未 [109]。 - ^ 〔
二 .「ミツドウエイ」方面 ノ敵情 (ハワイ方面 、ミッドウェー基地 略 )[113](ニ)敵 空母 中 「レンヂヤー」ハ大西洋 方面 ニ在 ルモノゝ如シ捕虜 ノ言 ニ依 レバ「レキシントン」ハ撃沈 セラレタル如キモ西岸 ニテ修理 中 ト言 ヘルモノアリ/(ホ)太平洋 方面 ニハ「エンタープライズ」「ホーネツト」存在 スル外 「ワスプ」ノ存否 ニ関 シテハ確證 ヲ得 ズ/(ヘ)特 空母 ハ六 隻 程度 完成 半数 ハ太平洋 方面 ニ存在 ノ算 アルモ劣 速 ニテ積極 的 作戰 ニ使用 シ得 ズ(以下 略 ) 〕 - ^
珊瑚 海 海戦 の速報 ではヨークタウン型 空母 1隻 撃沈 だったが、のちに撃破 と判断 を訂正 した[111]。 - ^
護衛 空母 ロングアイランドなど特設 空母 も既 に竣工 していたが、低速 のため積極 的 作戦 には投入 できなかった[113]。 - ^
文献 によっては「ノイエス少将 」と記述 する[125]。ノイズ少将 はフレッチャー少将 より先任 だったが、7月 15日 付 でフレッチャーが中将 に昇進 し、立場 が逆転 した[126]。またターナー少将 (第 62任務 部隊 )とノイズ少将 (第 18任務 部隊 )は、ワシントン海軍 省 勤務 時代 に対立 したことがあった[126]。 - ^
第 一 次 ソロモン海戦 (サボ島 沖 海戦 )時 の第 61任務 部隊 [52]:戦艦 ノースカロライナ、空母 サラトガ、エンタープライズ、ワスプ、重 巡 ミネアポリス、ニューオーリンズ、ポートランド、ソルトレイクシティ、サンフランシスコ、軽 巡 アトランタ、駆逐 艦 16隻 。 - ^
第 一 次 攻撃 隊 (爆 弾 装備 の一式 陸 攻 27、零 戦 17機 )のうち喪失 (陸 攻 5、零 戦 2)[136]。第 二 次 攻撃 隊 (九 九 艦 爆 9)のうち、空戦 で2機 喪失 、3機 不時着 救助 、4機 未 帰還 [137]。 - ^
新 田丸 級 貨客船 から空母 に改造 された八幡 丸 の公 試 排水 量 は20,000トンで、8月 31日 付 で「雲 鷹 」と改名 した[141]。 - ^
米 軍 情報 部 は「B-17が発見 したのは、航空機 輸送 任務 に従事 している特設 航空 母艦 の笠置 丸 もしくは姉妹 船 」と考 えていた[139]。 - ^
陸 攻 18未 帰還 、陸 攻 5機 被弾 、零 戦 1機 未 帰還 [144]。 - ^
加古 1号機 [150]:山本 薫 飛 曹長 (操縦 )、山口 三郎 二 飛 曹(偵察 )、小椋 広 春 三 飛 曹(電信 )[151]。 - ^ その
様子 を、ワスプに便乗 していたAP通信 の前線 特派 員 クラーク・リーが著書 『彼等 はそれを平和 と呼 ぶ』(They Call It Pacific) で描写 している[157]。 - ^ フレッチャー
中将 はノイズ(ノイエス)少将 に「雷撃 機 来襲 の可能 性 と戦闘 機 数 の減少 にかんがみ空母 の即時 撤退 勧告 を行 わんとす、貴 官 の意見 知 らせ/現行 の作戦 を継続 する場合 、明日 の艦上 機 発進 収容 海域 は本日 と同 海域 を使用 すべきと信 ず、貴 官 の意見 知 らせ」と勧告 した(事実 上 の命令 )[162]。 - ^
三川 中将 は「敵 空母 群 がソロモン付近 にいなかった事 を知 っていれば、引 き返 して輸送 船団 や橋頭堡 を攻撃 しただろうが、戦後 になってわかったことで結果 論 にすぎない」と回想 している[169]。大前 敏一 参謀 は「敵 空母 部隊 の交信 が旗艦 鳥海 で盛 んに聞 こえており、敵 空母 群 至近 距離 と判断 していたので躊躇 なく離脱 を決 めた」と回想 している[170]。 - ^
一木 大佐 直 率 の先遣 隊 は駆逐 艦 6隻 で8月 18日 深夜 から19日 未明 にかけて、ガ島 に先行 上陸 した[180]。だが一木 支隊 先遣 隊 は[181]、8月 21日 のイル川 渡河 戦 で壊滅 した[182]。 - ^ SBDの
空襲 で軽 巡 神通 が中 破 、輸送 船 金 龍 丸 が沈没 、B-17の爆 撃 で駆逐 艦 睦月 が沈没 した[194][195]。 - ^ サン・クリストバル
島 、レンネル島 、エスピリトゥサント島 、サンタクルーズ諸島 を結 ぶ珊瑚 海 。 - ^ この
日 、伊 31と第 27駆逐 隊 第 1小隊 (時雨 、白露 )がヌデニ島 に設置 されていた連合 軍 飛行 艇 基地 に艦 砲 射撃 をおこなっていた[225]。また特設 水上 機 母艦 國川 丸 と駆逐 艦 春雨 が東方 哨戒 隊 として、南緯 0度 53分 東経 164度 58分 / 南緯 0.883度 東経 164.967度 地点 で飛行 偵察 をおこなっていた[226]。 - ^
日本 時間 午前 9時 10分 報告 〔 「ツラギ」ノ123度 45浬 空母 1戦艦 2駆逐 艦 2針路 85度 速力 20節 十 三 日 〇九 一 〇 〕[227]。 - ^
木俣 滋 郎 著 『連合 軍 艦艇 撃沈 す』32頁 の第 18任務 部隊 編成 では、空母 ワスプ、重 巡 サンフランシスコ、ソルトレイクシティ、軽 巡 サンファン、ジュノー、駆逐 艦 6隻 とする[224]。だがこの時期 の軽 巡 サンフアンは、修理 のため戦線 を離脱 していた。 - ^
伊 19の報告 では魚雷 4本 命中 [234]。『ニミッツの太平洋 海戦 史 』125頁 など、一部 の二 次 資料 では魚雷 2本 命中 とする[59]。 - ^
近藤 部隊 と南雲 部隊 を発見 したPBYのうち、1機 は瑞 鶴 の零 戦 が撃墜 した[244]。連合 軍 側 はB-17部隊 で近藤 部隊 を爆撃 し[244]、重 巡 妙 高 が軽微 な被害 を受 けた[245]。 - ^
環礁 を発進 した別 の零 式 水 偵は、日本 時間 13時 5分 にSBDドーントレス2機 と遭遇 、1機 を撃墜 した[247]。着水 後 、乗組 員 は伊 122に回収 され、機体 は放棄 された[247]。 - ^
日本 時間 午前 8時 45分 報告 〔 レンネル島 東端 から98度 38浬 に貨物 船 1、駆逐 艦 1/その北東 10浬 に空母 1、駆逐 艦 2、いずれも針路 150度 速力 24節 〕[248]。日本 時間 午前 9時 10分 報告 〔 レンネル島 東端 から99度 157浬 に駆逐 艦 5、貨物 船 5/その後方 に更 に駆逐 艦 1、貨物 船 5(いずれも6,000~8,000トン級 )針路 330度 速力 12節 〕[249]。 - ^ この
二 式 飛行 艇 は[249]、15日 午前 4時 15分 にショートランド泊地 を出撃 した機体 であった[250]。 - ^
伊 19は魚雷 4本 が命中 したと報告 した[253]。 - ^ 5
本 発射 した魚雷 のうち[241]、2本 が不発 だったという[256]。 - ^ ◎
海軍 日 の凶報 と米 紙 欺 く/米 官 用 電 ワシントン廿 十 八 日 發 /米 空母 ワスプ號 喪失 に關 するニユーヨーク・タイムス紙 の社説 =海軍 紀 念 日 の前夜 、斯かる発表 が行 はれねばならなかつたことは誠 に悲 しむべきである。併 しながら事實 を抑 へて發表 しないことによつて何等 益 する所 はない。ワスプ號 を攻撃 した敵 艦艇 が遂 に我 が驅逐 艦 の遮斷 線 を突破 し得 て自國 側 の港 に歸還 の後 右 戰果 を報告 し得 なかつたことは殆 ど疑 ひない所 であり若 し無事 に歸還 し得 たなら日本 は斯る勝利 を放送 してさぞ嬉 しかつた事 であらう。然 るにワシントンが同船 の喪失 を是認 した翌日 までは日本 はワスプのワの字 さへもい出 さなかつたのである[267]。 - ^ (
西南 太平洋 に於 て帝国 海軍 に撃沈 された米國 航空 母艦 ワスプ號 )[268]空母 ワスプがわが海軍 により撃沈 されたことは敵 米 海軍 にとりて度重 なる大 痛棒 であつたらしくノツクス米 海軍 長官 も全 く塞 ぎ込 んでしまつたといふ。それに新鋭 驅逐 艦 ジヤービスと輸送 船 リツツルがソロモン海 で同時 に撃沈 された、而 してその乗組 員 の大半 が溺死 したとの報 を入 れて、米 海軍 省 は全 く火 の消 えた如 く泣面に蜂 どころの騒 ぎでなく、周章 狼狽 その極 みに達 したと外電 は報 じてゐる、ジャーヴィス號 は三 十 六 ノット半 の快 速力 を有 する米國 自慢 の驅逐 艦 であつた。(ソロモン海戰 に於 て撃沈 された米 驅逐 艦 ジヤーヴイス(千 五 百 噸 ) - ^
新 「ワスプ」は1943年 (昭和 18年 )8月 17日 に進水 した[270]。 - ^
空母 レキシントン(1942年 5月 8日 、珊瑚 海 海戦 )、空母 ヨークタウン(1942年 6月 8日 、ミッドウェー海戦 )、空母 ワスプ(1942年 9月 15日 、ガ島 作戦 )、空母 ホーネット(1942年 10月 26日 、南太平洋 海戦 )。
脚注
- ^ #ウォスプ
起工 p.2(中略 )to、inform Your Excellency that the keel of the U.S.S. WASP was laid on April 1,1936(以下 略 ) - ^ a b c
大内 、幻 の航空 母艦 2006, p. 30. - ^ U.S. Aircraft Carriers: An Illustrated Design History、p. 393
- ^ a b アメリカの
空母 (学研 ), p. 188 - ^ Conway's All the World's Fighting Ships 1922-1946、p. 103
- ^
福井 、世界 空母 物語 2008, pp. 70–74米 海軍 の空母 - ^ #ウォスプ
起工 p.1 - ^
福井 、世界 空母 物語 2008, p. 8(空母 ワスプ写真 および解説 ) - ^
福井 、世界 空母 物語 2008, pp. 246–2450世界 最大 の空母 保有 量 を誇 った米 海軍 - ^ a b
戦史 叢書 43 1971, p. 160参考 (空母 の飛行 甲板 の大 きさ) - ^ a b
南方 圏 要覧 1942, p. 209(原本 398頁 )米國 〔大西洋 艦隊 〕○航空 艦隊 - ^ a b Spitfire 1971, p. 139a
米 空母 で48機 輸送 - ^ a b Spitfire 1971, pp. 141–142
補充 するとすぐ空襲 - ^
連合 軍 艦艇 撃沈 す 2013, pp. 32a-36伊 号 第 一 九 潜水 艦 - ^
戦 藻 録 1968, pp. 190–192(1942年 )九 月 十 五 日 火曜日 晴 驟雨 遂 にガ島 陸戰 總 攻撃 の不 成功 。ワスプ撃沈 - ^
潜水 艦 百 物語 2018, pp. 149–151(30)米 空母 「ワスプ」撃沈 - ^
帝国 潜水 艦 1943, pp. 105–107(原本 203-207頁 )(一 六 )米 航空 母艦 「ワスプ」撃沈 - ^
大内 、幻 の航空 母艦 2006, p. 22第 1表 、ワシントン条約 で決定 した各国 の航空 母艦 保有 量 - ^
大内 、幻 の航空 母艦 2006, pp. 290–299レンジャー(RANGER) - ^
大内 、幻 の航空 母艦 2006, pp. 28–32第 2章 大戦 勃発 までの各国 の航空 母艦 建造 計画 とその実際 /アメリカ - ^ マッキンタイヤー、
空母 1985, pp. 36–38軍縮 会議 と各国 の実情 - ^
大内 、幻 の航空 母艦 2006, p. 291. - ^ #
列国 海軍 造艦 技術 (昭和 10年 ) pp.13-15〔三 、航空 母艦 (1)一般 事項 /(3)米國 - ^
日本 空母 vs米 空母 2008, pp. 12a-13アメリカ海軍 の空母 建造 - ^
福井 、世界 空母 物語 2008, p. 7(空母 ヨークタウン写真 および解説 ) - ^
大内 、幻 の航空 母艦 2006, p. 295. - ^
大内 、幻 の航空 母艦 2006, p. 25. - ^ a b #
列國 海軍 造艦 趨勢 (昭和 12年 ) pp.10-11 - ^ マッキンタイヤー、
空母 1985, p. 41. - ^
大内 、幻 の航空 母艦 2006, pp. 40–45日本 - ^ a b
大内 、幻 の航空 母艦 2006, p. 41. - ^
大内 、幻 の航空 母艦 2006, p. 29. - ^
細川 、米 海軍 1944, pp. 53–55(原本 85-88頁 ) - ^
福井 、世界 空母 物語 2008, p. 248. - ^ a b #
艦船 要目 公表 範囲 (昭和 16年 6月 30日 ) p.18〔艦 名 :蒼 龍 |艦 種 :航空 母艦 |長 (米 ):209.84|幅 (米 ):20.84|喫水 (米 ):5.02|排水 量 (噸 )(基準 ):10,050|速力 (節 ):30.0|短艇 數 :11|製造 所 :呉 工廠 |起工 年月日 :昭和 9-11-20|進水 年月日 :10-1-23(本当 は12月23日 進水 )|竣工 年月日 :12-12-29|主要 兵 装 /大砲 :12.7c/m高角 砲 12|發射 管 探照燈 |機械 /種類 :「タルビン」/數 :4|罐 /種類 :艦 本式 /數 :4|推進 器 數 :4|馬力 :60,000|備考 〕 - ^
戦史 叢書 43 1971, p. 138各 艦 の主要 要目 - ^ a b
戦史 叢書 43 1971, p. 136参考 (主力 空母 六 隻 の搭載 機 数 の変動 状 況 ) - ^
福井 、世界 空母 物語 2008, p. 11(空母 ヴィクトリアス写真 解説 ) - ^
福井 、世界 空母 物語 2008, p. 12(空母 グローリー写真 解説 ) - ^ アメリカの
空母 (学研 ), p. 107 - ^ a b c ワイルドキャットエース 2001, p. 6.
- ^
連合 軍 艦艇 撃沈 す 2013, pp. 27–29地中海 作戦 - ^ a b
壮烈 !ドイツ艦隊 1985, pp. 155–159ドイツ艦隊 、出撃 - ^
戦艦 ワシントン 1988, p. 56. - ^ a b c d
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上 )経過 概要 p.40(昭和 17年 9月 )〔 15|1050/1145|イ19敵 A×1 C×1 d×数 隻 ヲ發見 敵 ガ反転 南下 ノ際 「ガダルカナル」島 東端 ノ128°260′附近 ニテ敵 Aニ肉 迫 襲撃 魚雷 4ヲ命中 セシム(1Ss/6F 2Sg)|南東 |イ19ハ敵 Aハ飛行 甲板 長 ク艦橋 煙 突低所 ナル故 、大型 特設 空母 ト推定 〕〔 15|1800|イ15ハ右 Aガ左 ニ大 傾斜 沈没 セルヲ確認 報告 (1Ss/6F 2Sg)|南東 |イ15沈没 セルA×1ハ「エンタープライズ」型 ト報 ズ十 月 二 十 七 日 朝 ノ桑 港 放送 ニテ「ワスプ」ナルコト判明 ス 〕 - ^ “
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関連 項目
外部 リンク
- Navy photographs of Wasp (CV-7) - ウェイバックマシン(2001
年 2月 17日 アーカイブ分 ) - General Plan for the U.S.S. Wasp (CV-7), hosted by the Historical Naval Ships Association (HNSA) Digital Collections
- Combat History of the Supermarine Spitfire - The Defence of Malta (1942)
- Oral history interview with Rudolph Cusson, a Petty Officer on the Wasp when it was torpedoed from the Veterans History Project at Central Connecticut State University
- Photo gallery of USS WASP CV 7 at NavSource Naval History