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第2次田中角栄内閣 (第2次改造) - Wikipedia

だい2田中たなか角栄かくえい内閣ないかく (だい2改造かいぞう)

日本にっぽん内閣ないかく

だい2田中たなか角栄かくえいだい2改造かいぞうないかく(だいにじたなかかくえいだいにじかいぞうないかく)は、田中たなか角栄かくえいだい65だい内閣ないかく総理そうり大臣だいじん任命にんめいされ、1974ねん昭和しょうわ49ねん11月11にちから同年どうねん12月9にちまでつづいた日本にっぽん内閣ないかく

だい2田中たなか角栄かくえいだい2改造かいぞうないかく
皇居こうきょでの認証にんしょうしきえたのち官邸かんてい恒例こうれい記念きねん撮影さつえいのぞ閣僚かくりょう
内閣ないかく総理そうり大臣だいじん だい65だい 田中たなか角栄かくえい
成立せいりつ年月日ねんがっぴ 1974ねん昭和しょうわ49ねん11月11にち
終了しゅうりょう年月日ねんがっぴ 同年どうねん12月9にち
与党よとう支持しじ基盤きばん 自由民主党じゆうみんしゅとう
内閣ないかく閣僚かくりょう名簿めいぼ首相しゅしょう官邸かんてい
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だい2田中たなか角栄かくえいだい1改造かいぞうないかく改造かいぞうないかくである[ちゅう 1]

概説がいせつ

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内閣ないかく改造かいぞうおこなった直後ちょくご田中たなか金脈きんみゃく問題もんだい政治せいじ問題もんだいしたため、改造かいぞうして15にち同年どうねん11月26にち田中たなか首相しゅしょう退陣たいじん表明ひょうめいした。改造かいぞうして28にち同年どうねん12月9にち内閣ないかくそう辞職じしょく。これは改造かいぞう退陣たいじん表明ひょうめいそう辞職じしょく最短さいたん記録きろくである。

1974ねん昭和しょうわ49ねん11月18にちからのジェラルド・R・フォードべい大統領だいとうりょう訪日ほうにち日程にっていえたのが、花道かどうとなった。

改造かいぞうして29日間にちかんしか存続そんぞくしなかったため、短命たんめい閣僚かくりょうてきた。防衛庁ぼうえいちょう長官ちょうかんげん防衛ぼうえい大臣だいじん)に就任しゅうにんしたばかりだった宇野うの宗佑そうすけ離任りにんしきで「くにまも防衛ぼうえい長官ちょうかんがどうしてくるくるわるのか」とはなした。また江藤えとうさとし運輸うんゆしょう鹿島かしま俊雄としお郵政ゆうせいしょうおよ大久保おおくぼ武雄たけお労働ろうどうしょうは、この内閣ないかくはつ入閣にゅうかくしたが、そう辞職じしょくさい入閣にゅうかくすることがなかったため、わずか29日間にちかんしか閣僚かくりょう経験けいけんしていない。

内閣ないかくかおぶれ・人事じんじ

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所属しょぞく政党せいとう出身しゅっしん
  自由民主党じゆうみんしゅとう   中央ちゅうおう省庁しょうちょう

国務大臣こくむだいじん

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職名しょくめい 氏名しめい 出身しゅっしんとう 特命とくめい事項じこうとう 備考びこう
内閣ないかく総理そうり大臣だいじん 田中たなか角栄かくえい   衆議院しゅうぎいん
自由民主党じゆうみんしゅとう
自由民主党じゆうみんしゅとう総裁そうさい
法務大臣ほうむだいじん 浜野はまの清吾せいご   衆議院しゅうぎいん
自由民主党じゆうみんしゅとう
さい入閣にゅうかく
外務がいむ大臣だいじん 木村きむら俊夫としお   衆議院しゅうぎいん
自由民主党じゆうみんしゅとう
留任りゅうにん
大蔵おおくら大臣だいじん 大平おおひら正芳まさよし   衆議院しゅうぎいん
自由民主党じゆうみんしゅとう
留任りゅうにん
文部もんぶ大臣だいじん 三原みはら朝雄あさお   衆議院しゅうぎいん
自由民主党じゆうみんしゅとう
はつ入閣にゅうかく
厚生こうせい大臣だいじん 福永ふくなが健司けんじ   衆議院しゅうぎいん
自由民主党じゆうみんしゅとう
さい入閣にゅうかく
農林のうりん大臣だいじん 倉石くらいし忠雄ただお   衆議院しゅうぎいん
自由民主党じゆうみんしゅとう
留任りゅうにん
通商つうしょう産業さんぎょう大臣だいじん 中曽根なかそね康弘やすひろ   衆議院しゅうぎいん
自由民主党じゆうみんしゅとう
留任りゅうにん
運輸うんゆ大臣だいじん 江藤えとうさとし   参議院さんぎいん
自由民主党じゆうみんしゅとう
はつ入閣にゅうかく
郵政ゆうせい大臣だいじん 鹿島かしま俊雄としお   参議院さんぎいん
自由民主党じゆうみんしゅとう
はつ入閣にゅうかく
労働ろうどう大臣だいじん 大久保おおくぼ武雄たけお   衆議院しゅうぎいん
自由民主党じゆうみんしゅとう
はつ入閣にゅうかく
建設けんせつ大臣だいじん 小沢おざわ辰男たつお   衆議院しゅうぎいん
自由民主党じゆうみんしゅとう
はつ入閣にゅうかく
自治じち大臣だいじん
国家こっか公安こうあん委員いいんかい委員いいんちょう
北海道開発庁ほっかいどうかいはつちょう長官ちょうかん
福田ふくだはじめ   衆議院しゅうぎいん
自由民主党じゆうみんしゅとう
さい入閣にゅうかく
内閣ないかく官房かんぼう長官ちょうかん 竹下たけしたのぼる   衆議院しゅうぎいん
自由民主党じゆうみんしゅとう
さい入閣にゅうかく
総理府そうりふ総務庁そうむちょう長官ちょうかん
沖縄開発庁おきなわかいはつちょう長官ちょうかん
小坂こさか徳三郎とくさぶろう   衆議院しゅうぎいん
自由民主党じゆうみんしゅとう
留任りゅうにん
行政管理庁ぎょうせいかんりちょう長官ちょうかん 細田ほそだ吉蔵よしぞう   衆議院しゅうぎいん
自由民主党じゆうみんしゅとう
留任りゅうにん
国土庁こくどちょう長官ちょうかん 丹羽にわ兵助へいすけ   衆議院しゅうぎいん
自由民主党じゆうみんしゅとう
はつ入閣にゅうかく
防衛庁ぼうえいちょう長官ちょうかん 宇野うの宗佑そうすけ   衆議院しゅうぎいん
自由民主党じゆうみんしゅとう
はつ入閣にゅうかく
経済企画庁けいざいきかくちょう長官ちょうかん 倉成くらなりただし   衆議院しゅうぎいん
自由民主党じゆうみんしゅとう
はつ入閣にゅうかく
科学技術庁かがくぎじゅつちょう長官ちょうかん 足立あだち篤郎とくろう   衆議院しゅうぎいん
自由民主党じゆうみんしゅとう
さい入閣にゅうかく
環境庁かんきょうちょう長官ちょうかん 毛利もうり松平まつへい   衆議院しゅうぎいん
自由民主党じゆうみんしゅとう
留任りゅうにん

内閣ないかく官房かんぼうふく長官ちょうかん内閣ないかく法制ほうせいきょく長官ちょうかん総理府そうりふ総務そうむふく長官ちょうかん

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職名しょくめい 氏名しめい 出身しゅっしんとう 備考びこう
内閣ないかく官房かんぼうふく長官ちょうかん 梶山かじやま静六せいろく 衆議院しゅうぎいん自由民主党じゆうみんしゅとう 政務せいむ担当たんとう
1974ねん昭和しょうわ49ねん)11月15にちにん
川島かわしまこうもり 官僚かんりょう 事務じむ担当たんとう 
内閣ないかく法制ほうせいきょく長官ちょうかん 吉國よしくに一郎いちろう 官僚かんりょう
総理府そうりふ総務そうむふく長官ちょうかん 高鳥たかとりおさむ 衆議院しゅうぎいん自由民主党じゆうみんしゅとう 政務せいむ担当たんとう
1974(昭和しょうわ49ねんねん11月15にちにん
皆川みなかわ迪夫みちお 官僚かんりょう 事務じむ担当たんとう

政務次官せいむじかん

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関連かんれん項目こうもく

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注釈ちゅうしゃく

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  1. ^ 改造かいぞうないかく区別くべつする場合ばあい内閣ないかく制度せいど発足ほっそく現在げんざいいたるまで本内もとうちかく最短さいたんとなる。区別くべつしない場合ばあいだい1岸田きしだ内閣ないかくが2022ねん現在げんざい史上しじょう最短さいたん内閣ないかくである(ただし岸田きしだだい1内閣ないかくそう辞職じしょく総理そうりさい任命にんめいされている。また内閣ないかく総理そうり大臣だいじんとしての在職ざいしょく日数にっすうひがし久邇くにみや稔彦としひこおうの52にち最短さいたんとなる。)

外部がいぶリンク

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