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内閣改造 - Wikipedia

内閣ないかく改造かいぞう

政府せいふによる閣僚かくりょう交代こうたい

内閣ないかく改造かいぞう(ないかくかいぞう、英語えいご: cabinet reshuffle / cabinet shuffle)とは、政府せいふなが組閣そかく以外いがい時期じき内閣ないかく構成こうせいする閣僚かくりょう相当そうとうすういち交代こうたいさせること。

日本にっぽんにおいては、内閣ないかく総理そうり大臣だいじん内閣ないかく総理そうり大臣だいじん指名しめい選挙せんきょ直後ちょくご組閣そかくのぞ時期じき国務大臣こくむだいじん相当そうとうすういち交代こうたいさせることをし、内閣ないかく改造かいぞうによって成立せいりつした新内しんないかく改造かいぞうないかくという。与党よとう役員やくいん人事じんじ連動れんどうしておこなわれる。国会こっかい閉会へいかいちゅうおこなわれることがおおい。[よう出典しゅってん]

概説がいせつ

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日本国にっぽんこく憲法けんぽうだい68じょうは、内閣ないかく総理そうり大臣だいじん任意にんい国務大臣こくむだいじん任命にんめいし、また罷免ひめんできるとさだめる(内閣ないかく総理そうり大臣だいじん国務大臣こくむだいじん任免にんめんけん)。この任免にんめんけんは、内閣ないかく総理そうり大臣だいじん在任ざいにんちゅうつね行使こうしすることができる。もっとも、あまり頻繁ひんぱん行使こうしすると、内閣ないかく総理そうり大臣だいじん人選じんせん能力のうりょく疑問ぎもんたれ、内閣ないかく首長しゅちょうとしてのリーダーシップを棄損きそんするという政治せいじてき理由りゆうのため、その行使こうしひかえられることがおおい。やむをない事情じじょうにより、内閣ないかく総理そうり大臣だいじん国務大臣こくむだいじん一人ひとり罷免ひめん(もしくは当該とうがい国務大臣こくむだいじん自発じはつてき辞任じにんし)、あらたに国務大臣こくむだいじん任命にんめいすることはある。このような場合ばあいには、内閣ないかく構成こうせいいんわるものの、内閣ないかく改造かいぞうとはばれない。

内閣ないかくそう辞職じしょく衆議院しゅうぎいん議員ぎいんそう選挙せんきょのち国会こっかいにおいておこなわれる内閣ないかく総理そうり大臣だいじん指名しめい選挙せんきょ首班しゅはん指名しめい選挙せんきょ)とはことなり、内閣ないかく総理そうり大臣だいじん辞職じしょくするわけではないため、内閣ないかくとしては継続けいぞくする。このため、宮中きゅうちゅうにおいて天皇てんのうしん国務大臣こくむだいじん任命にんめい認証にんしょうする認証官にんしょうかん任命にんめいしきおこなわれるが、内閣ないかく総理そうり大臣だいじん親任しんにんしきおこなわれない。また、内閣ないかく総理そうり大臣だいじんである人物じんぶつつづ国会こっかい首班しゅはん指名しめいけてふたた組閣そかくした場合ばあいには、「だい○○内閣ないかく」(れいだい1大平おおひら内閣ないかくからだい2大平おおひら内閣ないかくへ)と次数じすうかさねて表記ひょうきするが、内閣ないかく改造かいぞう場合ばあいには次数じすうわらず「○○内閣ないかく改造かいぞうないかく」(れいだい3小泉こいずみ内閣ないかくからだい3小泉こいずみ改造かいぞうないかくへ)と表記ひょうきされる。内閣ないかく改造かいぞうふくすうかいおこなわれた場合ばあいには「だい○○だい改造かいぞう内閣ないかく」(れいだい3安倍あべだい2改造かいぞうないかくからだい3安倍あべだい3改造かいぞうないかくへ)と表記ひょうきされる。内閣ないかくそう辞職じしょくおな人物じんぶつおなじポストに就任しゅうにんすることを「再任さいにん」とい、内閣ないかく改造かいぞうにて同様どうようけんを「留任りゅうにん」とう。

改造かいぞう手順てじゅん

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内閣ないかく改造かいぞうは、憲法けんぽうだい68じょうさだめる国務大臣こくむだいじん任免にんめんけん背景はいけいとして、内閣ないかく総理そうり大臣だいじんがすべての国務大臣こくむだいじん辞表じひょうをとりまとめ、国務大臣こくむだいじんあらたに任命にんめいするという形式けいしきをとる。閣僚かくりょうとして留任りゅうにんするものにはあと辞表じひょう返還へんかんする。国務大臣こくむだいじん外遊がいゆうなかのために内閣ないかく改造かいぞうから閣議かくぎ欠席けっせきするのは異例いれいとされるが、内閣ないかく見解けんかいでは「国務大臣こくむだいじん出張しゅっちょうさき連絡れんらくり、本人ほんにん意思いし確認かくにんすれば、(辞表じひょうの)がそろう必要ひつようはない」「国務大臣こくむだいじん了解りょうかい官房かんぼう長官ちょうかんれば問題もんだいない」としている[1]国務大臣こくむだいじん辞表じひょう提出ていしゅつせずに国務大臣こくむだいじん退任たいにんさせる場合ばあい首相しゅしょう罷免ひめんけん行使こうしするが、過去かこれいはない。

改造かいぞうないかくにおいてあらたに閣僚かくりょうとなるもののみ「国務大臣こくむだいじん任命にんめいする」と発令はつれいされ、かくない異動いどう留任りゅうにん場合ばあいふくめ、改造かいぞうまえからつづ閣僚かくりょうとなるものには官記かんきはっせられない(形式けいしきてき辞表じひょう提出ていしゅつしているが、その当人とうにんたいしては国務大臣こくむだいじんとしての空白くうはく期間きかんしょうじないため)。ただし、たとえば、総務そうむ大臣だいじんから外務がいむ大臣だいじんに「横滑よこすべり」となる場合ばあいには、あらためて内閣ないかく総理そうり大臣だいじんから補職ほしょく辞令じれいがなされる。この補職ほしょくレベルの異動いどう内閣ないかく総理そうり大臣だいじん一方いっぽうてきめいじたりめんじたりすることができる。よって国務大臣こくむだいじん辞表じひょうは「○○大臣だいじんする」としるすのではなく、「国務大臣こくむだいじんする」とするのがただしい。なぜなら、国務大臣こくむだいじん辞任じにんみとめられた場合ばあいは、内閣ないかく総理そうり大臣だいじんから補職ほしょくされた地位ちい当然とうぜんうしなうことになるからである。憲法けんぽうさだめられ内閣ないかくという合議ごうぎたい構成こうせいいんである国務大臣こくむだいじんと、法律ほうりつさだめられた行政ぎょうせい機関きかんちょうである主任しゅにん大臣だいじん各省かくしょう大臣だいじん)の地位ちいとははなしてあつかわれる。改造かいぞうともなって閣僚かくりょうでなくなるものについては、形式けいしきてきには自発じはつてき辞任じにんであるため、辞令じれいしょには「ねがい本官ほんかんめんずる」と記載きさいされる。

具体ぐたいてき手順てじゅんとしては、改造かいぞう当日とうじつあさ閣議かくぎさい首相しゅしょうぜん国務大臣こくむだいじん辞表じひょうをとりまとめたのち首相しゅしょう官邸かんてい与党よとう幹部かんぶ官房かんぼう長官ちょうかん(もしくは選任せんにん予定よていしゃ)らをんで「組閣そかく本部ほんぶ」を設置せっちし、しん国務大臣こくむだいじん決定けっていする。

その首相しゅしょう官邸かんていにおいて内閣ないかく官房かんぼう長官ちょうかん就任しゅうにん予定よていしゃ(もしくは留任りゅうにんした官房かんぼう長官ちょうかん)が閣僚かくりょう名簿めいぼ発表はっぴょうし、つづいて閣僚かくりょう予定よていしゃふくぜん閣僚かくりょう就任しゅうにん会見かいけんおこない、その抱負ほうふなどをべることが慣例かんれいとなっている。これら一連いちれん作業さぎょうのち宮中きゅうちゅうにおいてあらたに閣僚かくりょうとなるもの認証にんしょうしきおこなわれ、首相しゅしょう官邸かんてい階段かいだん首相しゅしょうぜん閣僚かくりょうそろって記念きねん撮影さつえいおこなう。

改造かいぞうおこなわれる背景はいけい

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内閣ないかく改造かいぞう通常つうじょう新内しんないかく発足ほっそく1ねんほど経過けいかしたときに、国務大臣こくむだいじん相当そうとうすういちえないしその担当たんとうえる(横滑よこすべりさせる)ことがおおい。

内閣ないかく改造かいぞうおこなわれる背景はいけいとしてはつぎの3てんげられる。

だいいちに、内閣ないかく総理そうり大臣だいじん国務大臣こくむだいじん任免にんめんけん行使こうしすることにより、そのリーダーシップを維持いじ拡大かくだいし、政権せいけん基盤きばん強化きょうかはかるためである。内閣ないかく総理そうり大臣だいじんがより適当てきとうかんがえる人材じんざい登用とうようし、あるいは適所てきしょ配置はいちえし、後継こうけいしゃ重要じゅうようポストで処遇しょぐうし、与党よとうないのライバルをかくないんで反対はんたい行動こうどうふうじるなど、内閣ないかく行政ぎょうせい遂行すいこう能力のうりょく向上こうじょうさせるとともに、人事じんじによってみずからの政治せいじりょくたかめることを目的もくてきとする。

だいに、閣僚かくりょうおな人物じんぶつのままではマスコミをつうじて国民こくみんからマンネリかんたれて社会しゃかい閉塞へいそくかんただよっている場合ばあいは、内閣ないかく改造かいぞう表明ひょうめいすることで、どの与党よとう議員ぎいん閣僚かくりょうりをするかなどをマスコミに予想よそうさせるなどして内閣ないかくへの国民こくみんてき注目ちゅうもくたかめることで内閣ないかく刷新さっしんし、フレッシュな感覚かんかく国民こくみんにアピールすることを目的もくてきとする。その結果けっか内閣ないかく改造かいぞうすると、改造かいぞう直後ちょくご内閣ないかく支持しじりつ改造かいぞうまえより上昇じょうしょうする傾向けいこうがある。

だいさんに、自由民主党じゆうみんしゅとう長期ちょうき政権せいけんでは内閣ないかく改造かいぞうおよびそれとあわせておこなわれる幹事かんじちょうなどとう役員やくいん交替こうたい定期ていき人事じんじ異動いどうてき色彩しきさいつよく、慣習かんしゅうにより漫然まんぜんおこなわれてきた。ある程度ていど当選とうせん回数かいすうかさねた国会こっかい議員ぎいんは、とく精通せいつうした政策せいさく分野ぶんやなどとかかわりなく、とにかく大臣だいじん任命にんめいされることを切望せつぼうする、いわゆる大臣だいじんびょうにかかる。この大臣だいじんびょう患者かんじゃたちの不満ふまんこたえるため、自民党じみんとうかく派閥はばつは、あらためにん必要ひつようがないにもかかわらず、組閣そかくから1ねんほど経過けいかしたあたりで大臣だいじん顔触かおぶれをえることを要求ようきゅうしはじめ、内閣ないかく総理そうり大臣だいじん派閥はばつ支持しじるためにこれをれ、時機じきをみて改造かいぞうおこなうことが慣習かんしゅうとなった。もともとえる必要ひつようせいひくいため、適材てきざい適所てきしょ配置はいちするという気概きがいうすれ、派閥はばつ当選とうせん回数かいすうじゅん推薦すいせんした人物じんぶつ漫然まんぜんとはめ派閥はばつ順送じゅんおく人事じんじ横行おうこうした。このことはまた、大臣だいじん内閣ないかく官僚かんりょうたいする指揮しき管理かんり機能きのう形骸けいがいし(「重要じゅうようなことですので政府せいふ委員いいんから答弁とうべんします」と国会こっかい発言はつげんした閣僚かくりょうすらいた)、官僚かんりょう機構きこう政治せいじたいする自立じりつせいつよいという状態じょうたいをもたらしたともいえる。このような順送じゅんおく人事じんじたいする批判ひはんつよかった。

1990年代ねんだいから2000ねんごろにかけてすすめられた選挙せんきょ制度せいど改革かいかく行政ぎょうせい改革かいかく結果けっか内閣ないかく総理そうり大臣だいじん従来じゅうらいよりもつよ主導しゅどうりょく発揮はっきしやすい(派閥はばつからの掣肘せいちゅうけにくい)環境かんきょうととのったため、近年きんねんでは組閣そかくさい派閥はばつ推薦すいせんけず、内閣ないかく総理そうり大臣だいじん任意にんい与党よとうないあるいは民間みんかん人物じんぶつ登用とうようする一本釣いっぽんづ人事じんじや、複数ふくすう主要しゅよう閣僚かくりょう改造かいぞうさらには内閣ないかく交替こうたいのち留任りゅうにんするということがみられるようになった。

2010年代ねんだい前期ぜんきねじれ国会こっかい参議院さんぎいんでの閣僚かくりょう問責もんせき決議けつぎ多発たはつすると、その対応たいおうとしての改造かいぞうおこなわれるようになった。内閣ないかくは、問責もんせきされた閣僚かくりょう更迭こうてつにはおうじないという立場たちば表向おもてむきはるが、参議院さんぎいん当該とうがい閣僚かくりょう管轄かんかつする議案ぎあん審議しんぎこばむため、支障ししょうしょうじる。そのため、内閣ないかく改造かいぞうという名目めいもくでその閣僚かくりょう閣僚かくりょうともども交代こうたいさせることがある。このような改造かいぞう小幅こはばなものになりやすい。

だい世界せかい大戦たいせんまえにも内閣ないかく改造かいぞう存在そんざいした。しかし、大日本帝国だいにっぽんていこく憲法けんぽう明治めいじ憲法けんぽうだい55じょうで「国務こくむかく大臣だいじん天皇てんのう輔弼ほひつめにまか」とされ、明治めいじ憲法けんぽうでは内閣ないかく総理そうり大臣だいじん首相しゅしょう)についての特別とくべつ言及げんきゅうはなく、首相しゅしょうはあくまで国務大臣こくむだいじんの「同輩どうはいちゅう首席しゅせき」という位置付いちづけであった。慣例かんれいじょう天皇てんのうから「組閣そかく大命たいめい」をけた首相しゅしょう就任しゅうにん内定ないていしゃ組閣そかく作業さぎょう責任せきにんしゃとなっていたが、法文ほうぶんじょう天皇てんのうすべての国務大臣こくむだいじんみずからの判断はんだん任免にんめんするものであり、一旦いったん内閣ないかく発足ほっそくすると首相しゅしょう一存いちぞん閣僚かくりょうえることはできなかった。また実際じっさいには天皇てんのう独断どくだん本人ほんにん以外いがいからの奏請そうせいもとづいて国務大臣こくむだいじん解任かいにんしたれいもなく、国務大臣こくむだいじん退任たいにん本人ほんにん希望きぼう内閣ないかくそう辞職じしょくのいずれかにより本人ほんにん辞表じひょう提出ていしゅつした場合ばあいかぎられていた。

1941ねん7がつ近衛このえ文麿ふみまろ首相しゅしょうが、松岡まつおか洋右ようすけ外務がいむ大臣だいじん更迭こうてつしたいがために内閣ないかくそう辞職じしょくおこない、そのうえあらためて天皇てんのうから大命たいめい降下こうか拝受はいじゅして外務がいむ大臣だいじん松岡まつおかから豊田とよだ貞次郎ていじろう交代こうたいさせるなどした『だい3近衛このえないかく』というかたち事実じじつじょうの「内閣ないかく改造かいぞう」を断行だんこうするというあらわざ駆使くししなければならなかったれいもある。護憲ごけんさん連立れんりつ政権せいけんとして発足ほっそくした加藤かとう高明こうめい内閣ないかく1925ねん8がつ2にちさん連立れんりつ解消かいしょうして憲政けんせいかい単独たんどくないかくとなったことは、今日きょうでは内閣ないかく改造かいぞうとされている。

しん憲法けんぽうにあっては内閣ないかく総理そうり大臣だいじん閣僚かくりょう任免にんめんけんならびに日本国にっぽんこく憲法けんぽうだい7じょう規定きていもとづく事実じじつじょう衆議院しゅうぎいん解散かいさんけん付与ふよされ、権限けんげん格段かくだん強化きょうかされた。吉田よしだしげるは「ワンマン宰相さいしょう」としょうされ、人事じんじけん背景はいけいとして内閣ないかく改造かいぞう権力けんりょく掌握しょうあくのために有効ゆうこう使つかった最初さいしょ首相しゅしょうである。首相しゅしょう指名しめいされること5かい、その在任ざいにんちゅうに「製造せいぞう」された大臣だいじんはおよそべ80にんにのぼった。

保守ほしゅ合同ごうどう自由民主党じゆうみんしゅとう政権せいけん保持ほじすると内閣ないかく改造かいぞう頻繁ひんぱんおこなわれるようになり、恒常こうじょうする。「人事じんじ佐藤さとう」とばれた佐藤さとう栄作えいさく首相しゅしょう内閣ないかく改造かいぞうかえし、田中たなか角栄かくえい福田ふくだ赳夫たけおはじめ、とう実力じつりょくしゃたちを閣僚かくりょうとう役員やくいんからめながらたくみに配置はいちしてきそわせ、7ねん8ヶ月かげつ長期ちょうき政権せいけん維持いじした。佐藤さとう政権せいけんしたではやく100にん大臣だいじん誕生たんじょうした。佐藤さとうは、「内閣ないかく改造かいぞうをするほど総理そうり権力けんりょくがり、解散かいさんをするほどがる」ともべた。

2012ねんだい2安倍あべ内閣ないかく以降いこうから2020ねんだい4安倍あべ内閣ないかくそう辞職じしょくまで70にんはつ入閣にゅうかく大臣だいじん誕生たんじょうした。

てんじてプロ野球やきゅうで、監督かんとくがコーチじんえる場合ばあいもこのようにばれることがある(コーチたん年度ねんど契約けいやく[2]

脚注きゃくちゅう

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注釈ちゅうしゃく

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  1. ^ だい37だい建設けんせつ大臣だいじんつとめた仮谷かりや忠男ただおが1976ねん昭和しょうわ51ねん〉1がつ15にち急逝きゅうせいし、三木みき武夫たけお内閣ないかく総理そうり大臣だいじん事務じむ取扱とりあつかいて1がつ19にち竹下たけしたのぼる後任こうにんとして就任しゅうにんした。

出典しゅってん

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  1. ^ ぜん閣僚かくりょうきょう辞表じひょう けいさんしょう意思いし確認かくにんで”. 読売新聞よみうりしんぶん. (2012ねん1がつ13にち) 
  2. ^ "巨人きょじんはらワンチームないかく改造かいぞう! ぐんヘッドに〝韓国かんこく大砲たいほう金杞泰きんきたいしょうへい". ひがしスポWEB. 東京とうきょうスポーツ新聞しんぶんしゃ. 2 December 2020. 2021ねん1がつ2にち閲覧えつらん

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外部がいぶリンク

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