美学 びがく (びがく、英 えい : aesthetics 、またæsthetics 、esthetics 、エスセティクス、エステティクス、希 まれ : Αισθητική )は、美 び の原理 げんり などを研究 けんきゅう する学問 がくもん であり、18世紀 せいき に成立 せいりつ したとされる哲学 てつがく の一 いち 分野 ぶんや である。美 よし の本質 ほんしつ や構造 こうぞう を、その現象 げんしょう としての自然 しぜん ・芸術 げいじゅつ 及 およ びそれらの周辺 しゅうへん 領域 りょういき を対象 たいしょう として、経験 けいけん 的 てき かつ形而上学 けいじじょうがく 的 てき に探究 たんきゅう する。美的 びてき 対象 たいしょう 、美的 びてき 判断 はんだん 、美的 びてき 態度 たいど 、美的 びてき 経験 けいけん 、美的 びてき 価値 かち などが問題 もんだい とされてきた[1] 。
日本 にっぽん においては、森 もり 鷗外 により「審美 しんび 学 がく 」という訳語 やくご が与 あた えられた[2] [注 ちゅう 1] が、現在 げんざい では美学 びがく と呼称 こしょう される。美学 びがく の本来 ほんらい の意味 いみ は「学問 がくもん 」を表 あらわ しているが、転 てん じて単 たん に美意識 びいしき 、美的 びてき 感覚 かんかく を表 あらわ すこともある。また、日本語 にほんご の「美学 びがく 」は、本来 ほんらい の意味 いみ から転 てん じ、優 すぐ れた信念 しんねん を持 も つ様 よう を表 あらわ す場合 ばあい もある。
伝統 でんとう 的 てき に美学 びがく は「美 び とは何 なに か」という美 び の本質 ほんしつ 、「どのようなものが美 うつく しいのか」という美 び の基準 きじゅん 、「美 び は何 なに のためにあるのか」という美 び の価値 かち を問題 もんだい として取 と り組 く んできた。科学 かがく 的 てき に言 い えば、感覚 かんかく 的 てき かつ感情 かんじょう 的 てき 価値 かち を扱 あつか う学問 がくもん でもあり、ときに美的 びてき 判断 はんだん [3] そのものを指 さ すこともある。より広義 こうぎ には、この分野 ぶんや の研究 けんきゅう 者 しゃ たちによって、美学 びがく は「芸術 げいじゅつ 、文化 ぶんか 及 およ び自然 しぜん に関 かん する批評 ひひょう 的 てき 考察 こうさつ 」であるとも位置 いち づけられる。
美学 びがく が1つの学問 がくもん として成立 せいりつ した歴史 れきし 的 てき 背景 はいけい には、18世紀 せいき に啓蒙 けいもう 主義 しゅぎ の思想 しそう と自然 しぜん 科学 かがく の確立 かくりつ に伴 ともな って表面 ひょうめん 化 か した科学 かがく 的 てき 認識 にんしき と美的 びてき もしくは感覚 かんかく 的 てき 認識 にんしき の相違 そうい が認 みと められたことと関係 かんけい している。アレクサンダー・ゴットリープ・バウムガルテン は理性 りせい 的 てき 認識 にんしき に対 たい して感性 かんせい 的 てき 認識 にんしき に固有 こゆう の論理 ろんり を認 みと め、学問 がくもん としての美学 びがく を形作 かたちづく った[5] [6] 。後 のち にカント は美学 びがく の研究 けんきゅう について美的 びてき 判断 はんだん を行 おこな う能力 のうりょく としての趣味 しゅみ を検討 けんとう し、美学 びがく を美 び そのものの学問 がくもん ではなく、美 び に対 たい する批判 ひはん の学問 がくもん として位置 いち づけた。ここから美学 びがく はシラー 、シェリング 、ヘーゲル などにより展開 てんかい された美 び に対 たい する哲学 てつがく 的 てき 批判 ひはん へと焦点 しょうてん が移行 いこう するが、19世紀 せいき から20世紀 せいき にかけて美 び の概念 がいねん そのものの探究 たんきゅう から個別 こべつ の美的 びてき 経験 けいけん や芸術 げいじゅつ 領域 りょういき 、もしくは芸術 げいじゅつ と他 た の人間 にんげん 活動 かつどう との関係 かんけい にも考察 こうさつ が及 およ んでいる。美 び の実践 じっせん 者 しゃ としては、ボードレールやオスカー・ワイルドらが活動 かつどう した。
19世紀 せいき 後半 こうはん のドイツでは、美学 びがく から芸術 げいじゅつ の研究 けんきゅう を独立 どくりつ させようと、芸術 げいじゅつ 学 がく (げいじゅつがく、独 どく : Kunstwissenschaft 、英 えい : science of art )が提唱 ていしょう された。その後 ご 、美学 びがく は一般 いっぱん 芸術 げいじゅつ 学 がく の主張 しゅちょう を取 と り入 い れて変化 へんか し、今日 きょう では美学 びがく が「哲学 てつがく 的 てき 」であるのに対 たい して、「科学 かがく 的 てき ・実証 じっしょう 的 てき 」な芸術 げいじゅつ 研究 けんきゅう を指 さ して、「芸術 げいじゅつ 学 がく 」と呼 よ ぶようになってきている[7] 。
「美学 びがく 」という術語 じゅつご が生 う まれたのは18世紀 せいき 半 なか ばである。学問 がくもん 名称 めいしょう は、哲学 てつがく 者 しゃ アレクサンダー・バウムガルテン が用 もち いたAesthetica(日本語 にほんご に直訳 ちょくやく すると感性 かんせい 学 がく )に由来 ゆらい している[8] 。aesthetica という語 かたり は、古典 こてん ギリシア語 ご α あるふぁ ἴσθησις (aisthesis)の形容詞 けいようし α あるふぁ ἰσθητικ-ός (aisthtike)をラテン語 らてんご 化 か したもので、2つの語義 ごぎ を持 も っていた。1つは「感性 かんせい 的 てき なるもの」であり、他方 たほう は、「学問 がくもん 」(episteme )という語 かたり が省略 しょうりゃく (ギリシア語 ご での慣例 かんれい による)された語義 ごぎ である「感性 かんせい 学 がく 」である。
フレデリック・ケイプルストンは、バウムガルテンの美学 びがく に限界 げんかい があるにしても、ドイツの哲学 てつがく において、クリスチャン・ヴォルフが考慮 こうりょ しなかった部分 ぶぶん を拡張 かくちょう した功績 こうせき があると指摘 してき している。[9]
バウムガルテンによれば「美 び は感性 かんせい 的 てき 認識 にんしき の完全 かんぜん 性 せい 」(『美学 びがく 』14節 せつ )であるから、aesthetica(「感性 かんせい 的 てき 認識 にんしき 論 ろん 」)は「美 び について考察 こうさつ する学 がく ars pulcre cogitandi」(同 どう 1節 せつ )である。[注 ちゅう 2]
引用 いんよう
美学 びがく (自由 じゆう 学芸 がくげい の理論 りろん 、下級 かきゅう 認識 にんしき 論 ろん 、美 うつく しく思 おも いをなす技術 ぎじゅつ 、理性 りせい 類似 るいじ 物 ぶつ の技術 ぎじゅつ )は、感性 かんせい 的 てき 認識 にんしき 学 がく の学 がく である。(第 だい 1節 せつ )
美学 びがく の目的 もくてき は、感性 かんせい 的 てき 認識 にんしき そのものの完全 かんぜん 性 せい にある。然 しか るに、この完全 かんぜん 性 せい とは美 び である。そして、感性 かんせい 的 てき 認識 にんしき そのものの不完全性 ふかんぜんせい は避 さ けられねばならず、この不完全性 ふかんぜんせい は醜 みにく である。(第 だい 14節 せつ )
ギリシャ・ローマ時代 じだい には美学 びがく という明確 めいかく な術語 じゅつご が存在 そんざい しなかった[8] 。古代 こだい にも美 び と芸術 げいじゅつ は存在 そんざい 論 ろん 、形而上学 けいじじょうがく 、倫理 りんり 学 がく 、技術 ぎじゅつ 論 ろん などから捉 とら えられたが巨視的 きょしてき な考察 こうさつ は乏 とぼ しかった[8] 。また、古代 こだい における美学 びがく の捉 とら え方 かた は特定 とくてい の局面 きょくめん の断片 だんぺん 的 てき または個別 こべつ 的 てき なものにとどまっていたと考 かんが えられており、組織 そしき 的 てき な考察 こうさつ は行 おこな われてはいなかった[8] 。
哲学 てつがく 的 てき 美学 びがく (Philosophical Aesthetics)としての美学 びがく は、18世紀 せいき 初頭 しょとう 、イギリスのジャーナリストジョセフ・アディソン が雑誌 ざっし 『スペクテイター 』の創刊 そうかん 号 ごう に連載 れんさい した「想像 そうぞう 力 りょく の喜 よろこ び」から始 はじ まったと言 い われている[10] 。
美学 びがく という哲学 てつがく 的 てき 学科 がっか を創始 そうし したのは、ライプニッツ ・ヴォルフ 学派 がくは の系統 けいとう に属 ぞく すドイツの哲学 てつがく 者 しゃ バウムガルテン (A.G.Baumgarten,1714-62)である。バウムガルテンは1735年 ねん の著書 ちょしょ で、美学 びがく に新 あたら しい概念 がいねん を与 あた え[11] 、詩 し の美学 びがく 的 てき 価値 かち の原理 げんり 的 てき 考察 こうさつ を思考 しこう する学 がく としてaestheticaという学 がく を予告 よこく した。『美学 びがく (Aesthetica)』第 だい 1巻 かん は1750年 ねん 、更 さら に第 だい 2巻 かん が1758年 ねん に出版 しゅっぱん された。この著書 ちょしょ のなかで、バウムガルテンは芸術 げいじゅつ の本領 ほんりょう が美 び にあり、その美 び は感性 かんせい 的 てき に認識 にんしき されるという考 かんが え方 かた を示 しめ し、芸術 げいじゅつ と美 び と感性 かんせい の同 どう 円 えん 的 てき 構造 こうぞう を打 う ち立 た てた。
18世紀 せいき に入 はい って余暇 よか 活動 かつどう が盛 さか んになると、美学 びがく に関 かん する広範 こうはん な哲学 てつがく 的 てき 考察 こうさつ が本格 ほんかく 的 てき に展開 てんかい された[10] 。初期 しょき の理論 りろん においてイマヌエル・カント は最 もっと も影響 えいきょう 力 りょく を持 も っていた[10] 。ロマン主義 しゅぎ の登場 とうじょう や政治 せいじ 革命 かくめい の時代 じだい になると、これに関連 かんれん した美的 びてき 概念 がいねん として、崇高 すうこう 性 せい が評価 ひょうか されるようになった[10] 。崇高 すうこう 性 せい はエドマンド・バーク が "A Philosophical Enquiry into the Origin of our ideas of the Sublime and Beautiful "で理論 りろん 化 か した概念 がいねん である[10] 。
シェリング の『芸術 げいじゅつ の哲学 てつがく 』講義 こうぎ 、ヘーゲル の『美学 びがく 』講義 こうぎ などを経 へ て、フィードラー (de:Konrad Fiedler )の「上 うえ からの美学 びがく 」批判 ひはん を受 う け、現代 げんだい に至 いた る。
注目 ちゅうもく すべきは、クローチェ であろう。その『表現 ひょうげん の学 がく および一般 いっぱん 言語 げんご 学 がく としての美学 びがく 』(1902年 ねん )においては、美 び と芸術 げいじゅつ は一体化 いったいか する。というのも、美 び とは、成功 せいこう した表現 ひょうげん であり、それこそは、芸術 げいじゅつ にほかならないからである。また、真 しん の美学 びがく の発案 はつあん 者 しゃ はヴィーコ であり、バウムガルテンは、美学 びがく という名前 なまえ だけの発案 はつあん 者 しゃ にすぎず、その中身 なかみ は旧態 きゅうたい 依然 いぜん たるものと見 み なされる。
現代 げんだい 美学 びがく において特筆 とくひつ すべきは、実存 じつぞん 主義 しゅぎ ・分析 ぶんせき 哲学 てつがく ・ポスト構造 こうぞう 主義 しゅぎ によるアプローチであろう。分析 ぶんせき 哲学 てつがく の手法 しゅほう を用 もち いて美学 びがく 的 てき な問題 もんだい を扱 あつか う学問 がくもん は、分析 ぶんせき 美学 びがく と言 い われる[13] 。分析 ぶんせき 美学 びがく の主要 しゅよう なテーマの一 ひと つに芸術 げいじゅつ の定義 ていぎ がある。また、認知 にんち 神経 しんけい 科学 かがく の一 いち 分野 ぶんや で、美学 びがく 的 てき 体験 たいけん や芸術 げいじゅつ 的 てき 創造 そうぞう 性 せい について、認知 にんち 神経 しんけい 学 がく や心理 しんり 学 がく 的 てき アプローチにより研究 けんきゅう する神経 しんけい 美学 びがく (英語 えいご 版 ばん ) がある。
わびとさびは、不完全 ふかんぜん 、非 ひ 永続 えいぞく なものの美 うつく しさとして、美学 びがく の研究 けんきゅう 対象 たいしょう となった。[16]
日本 にっぽん における主要 しゅよう な美学 びがく 関連 かんれん 学会 がっかい としては美学 びがく 会 かい があり、雑誌 ざっし 『美学 びがく 』(年 とし 4回 かい )および欧文 おうぶん 誌 し Aesthetics (隔年 かくねん )を発行 はっこう している[17] 。毎年 まいとし 十 じゅう 月 がつ に行 おこな われる「全国 ぜんこく 大会 たいかい 」のほか、年 とし 5回 かい 関東 かんとう および関西 かんさい で研究 けんきゅう 発表 はっぴょう 会 かい が開催 かいさい される。なお2001年 ねん の国際 こくさい 美学 びがく 会議 かいぎ (4年 ねん おき開催 かいさい )は日本 にっぽん で行 おこな われた。日本 にっぽん の過去 かこ から現在 げんざい の美学 びがく 者 しゃ としては、大塚 おおつか 保治 やすじ 、大西 おおにし 克礼 よしのり 、三井 みつい 秀樹 ひでき 、高橋 たかはし 巖 いわお 、伊藤 いとう 亜 あ 紗 しゃ らがいる。
日本語 にほんご の「美学 びがく 」は、中江 なかえ 兆民 ちょうみん がフランスのウジェーヌ・ヴェロン (フランス語 ふらんすご 版 ばん ) の著作 ちょさく (1878年 ねん )を訳 やく して『維氏美学 びがく 』(上 うえ 1883年 ねん 11月、下 した 1884年 ねん 3月 がつ )と邦題 ほうだい を付 つ けたことによる。日本 にっぽん の高等 こうとう 教育 きょういく 機関 きかん における美学 びがく 教育 きょういく の嚆矢 こうし には、東京 とうきょう 美術 びじゅつ 学校 がっこう および東京大学 とうきょうだいがく におけるフェノロサ のヘーゲル美学 びがく を中心 ちゅうしん とした講義 こうぎ がある。フェノロサは、日本 にっぽん で仏教 ぶっきょう に帰依 きえ している。[18] また、森 もり 林太郎 りんたろう (森 もり 鷗外 )による東京大学 とうきょうだいがく におけるE. V. ハルトマン 美学 びがく ら当時 とうじ の同 どう 時代 じだい ドイツ美学 びがく についての講演 こうえん 、およびラファエル・フォン・ケーベル による東京大学 とうきょうだいがく での美学 びがく 講義 こうぎ もあげられる。また京都 きょうと においては京都 きょうと 工芸 こうげい 学校 がっこう においてデザイン教育 きょういく を中心 ちゅうしん とする西洋 せいよう 美学 びがく および美術 びじゅつ 史 し の教育 きょういく がなされた。なお東京 とうきょう 大学 だいがく は独立 どくりつ の一 いち 講座 こうざ として大塚 おおつか 保治 やすじ を教授 きょうじゅ に任命 にんめい 、美学 びがく 講座 こうざ を開 ひら いた世界 せかい で最初 さいしょ (1899年 ねん )の大学 だいがく である。
日本 にっぽん では西洋 せいよう のような、思索 しさく の集大成 しゅうたいせい としての美学 びがく の歴史 れきし が、なかなか育 そだ たなかった。しかし、いき 、わび などの個別 こべつ の美意識 びいしき は、古 ふる くから存在 そんざい しており、また茶道 さどう や日本 にっぽん 建築 けんちく 、伝統 でんとう 工芸 こうげい 品 ひん などを通 とお して、さまざまな形 かたち で実践 じっせん されてきた。
日本 にっぽん の神話 しんわ におけるアメノウズメの踊 おど りに関 かん する記述 きじゅつ には、乳房 ちぶさ や女 おんな 陰 かげ に関 かん する言及 げんきゅう もある。日本 にっぽん において美学 びがく 的 てき 思考 しこう が初 はじ めて意識 いしき 的 てき に理論 りろん 化 か されたのは、『古今 ここん 和歌集 わかしゅう 』「仮名 かめい 序 じょ 」においてである。紀貫之 きのつらゆき は長 なが く官位 かんい が低 ひく く、土佐 とさ 守 もり に任 にん ぜられた時 とき にはすでに60歳 さい をこえていた。土佐 とさ 日記 にっき は土佐 とさ で亡 な くした愛児 あいじ への思慕 しぼ や、望郷 ぼうきょう の念 ねん を表 あらわ した美学 びがく にあふれている。[19]
この歌論 かろん が芸術 げいじゅつ 批評 ひひょう 、創作 そうさく 指標 しひょう として理論 りろん 化 か されたのは、藤原公任 ふじわらのきんとう (ふじわらのきんとう、966-1041)の『新撰 しんせん 髄 ずい 脳 のう 』、『和歌 わか 九 きゅう 品 ひん 』以降 いこう においてであり、基本 きほん 的 てき には中国 ちゅうごく 唐 とう 代 だい の画 が 論 ろん における品等 ひんとう 論 ろん の影響 えいきょう と思量 しりょう される[20] 。藤原公任 ふじわらのきんとう によって最高 さいこう の歌 うた 格 かく とされた「あまりの心 しん 」は、藤原 ふじわら 俊成 としなり や鴨長明 かものちょうめい によって「余情 よじょう (よせい)」として深度 しんど 化 か され、幽玄 ゆうげん と関係 かんけい づけられた。
そのころ歌 うた 風 ふう は、「たけ」、「長 ちょう 高 たかし 様 さま 」(崇高 すうこう あるいは壮美 そうび )、「をかし」(趣向 しゅこう の面白 おもしろ さに由来 ゆらい する美 び )など、美的 びてき カテゴリー の細分 さいぶん 化 か がおこなわれ、「和歌 わか 十 じゅう 体 たい 」として体系 たいけい 化 か された。歌人 かじん の西行 さいぎょう (1118年 ねん -1190年 ねん )は2300首 しゅ の、美意識 びいしき にあふれた和歌 わか をよんだと伝 つた えられている[21] 。藤原 ふじわら 定家 さだいえ は、「むかし貫之 つらゆき 歌 か のたくみにたけおよびがたくことばづよくすがたおもしろき様 さま をこのみて余情 よじょう 妖艶 ようえん の体 からだ をよまず」(『近代 きんだい 秀歌 しゅうか 』)として、「あはれ」(優美 ゆうび )の範疇 はんちゅう を開拓 かいたく した。
演劇 えんげき 論 ろん としては、能 のう の世阿弥 ぜあみ は芸術 げいじゅつ を「美学 びがく 論 ろん 」としてとらえた点 てん に特徴 とくちょう があった。[22] 世阿弥 ぜあみ の『花 はな 鏡 きょう 』の「動 どう 十 じゅう 分 ふん 心 こころ 動 どう 七 なな 分身 ぶんしん 」(心 しん を十分 じゅうぶん に動 うご かして身 み を七 なな 分目 ふんめ に動 うご かせ)という余情 よじょう 演技 えんぎ 、「せぬが所 ところ が面白 おもしろ き」という「為 ため 手 しゅ (して)の秘 ひ する所 ところ 」を中心 ちゅうしん とする能 のう の幽玄 ゆうげん 論 ろん の「かたちなき姿 すがた 」を尊重 そんちょう する秘伝 ひでん につながる。これは、技法 ぎほう 上 じょう の修練 しゅうれん が必要 ひつよう であることに理解 りかい を示 しめ したうえでの、俳人 はいじん の松尾 まつお 芭蕉 ばしょう による、「俳諧 はいかい は三 さん 尺 しゃく の童 わらわ にさせよ初 はつ 心 しん の句 く こそたのもしけれ」(『三 さん 冊子 さっし 』)という、芸術 げいじゅつ の主張 しゅちょう につながる。この内面 ないめん 的 てき な自発 じはつ 性 せい は、『笈 きゅう の小文 おぶみ 』によれば、西行 さいぎょう の和歌 わか 、宗祇 そうぎ の連歌 れんが 、雪舟 せっしゅう の絵 え 、千利休 せんのりきゅう の茶 ちゃ と共通 きょうつう する精神 せいしん である。
文人 ぶんじん 画家 がか の池大雅 いけのたいが [23] は、絵画 かいが でいかなることが困難 こんなん であるかと質問 しつもん されて、ただ紙上 しじょう に一物 いちもつ もなきところこそなしがたし、と答 こた えたという(桑山 くわやま 玉 たま 洲 しま 『絵 え 事 ごと 鄙 ひな 言 げん 』)。
日本 にっぽん の美学 びがく 論 ろん は、美 び と芸術 げいじゅつ を重視 じゅうし する思想 しそう 的 てき 伝統 でんとう に加 くわ えて、西洋 せいよう 美学 びがく も取 と り込 こ んだ。西 にし 周 あまね 、森 もり 鷗外以後 いご は、東洋 とうよう の伝統 でんとう に立 た ち茶道 さどう における、老 ろう 荘 そう の美学 びがく 的 てき 世界 せかい 観 かん を表 あらわ した岡倉 おかくら 覚三 かくぞう の『茶 ちゃ の本 ほん 』、や西洋 せいよう 美学 びがく の方法 ほうほう で歌論 かろん を研究 けんきゅう して、その側面 そくめん から範疇 はんちゅう 論 ろん を補足 ほそく した美学 びがく 者 しゃ 大西 おおにし 克礼 よしのり の『幽玄 ゆうげん とあはれ』などがある。
戦後 せんご では、西洋 せいよう の現代 げんだい 思想 しそう に触発 しょくはつ されて、独自 どくじ の美学 びがく を発案 はつあん する者 もの も出 で てくる。たとえは、篠 しの 原資 げんし 明 あきら は、その『トランスエステティーク』(1992年 ねん )から『差異 さい の王国 おうこく ― 美学 びがく 講義 こうぎ 』(2013年 ねん )にいたるまで、差異 さい の生成 せいせい 装置 そうち としての芸術 げいじゅつ 概念 がいねん を提唱 ていしょう し、深化 しんか しつづけた。また、日本 にっぽん の美学 びがく に関 かん しても、篠原 しのはら は、その『まぶさび記 き 』(2002年 ねん )などにおいて、「さび」の伝統 でんとう を踏 ふ まえつつ、「まぶさび 」という新 あたら しい美的 びてき 理念 りねん を提唱 ていしょう し、国内外 こくないがい で反響 はんきょう を呼 よ んだ。
近 きん 現代 げんだい の文化 ぶんか 人 じん としては谷崎 たにざき 潤一郎 じゅんいちろう [注 ちゅう 3] 、泉 いずみ 鏡花 きょうか 、江戸川 えどがわ 乱歩 らんぽ 、三島 みしま 由紀夫 ゆきお らが美意識 びいしき にあふれた作品 さくひん を発表 はっぴょう した。戦後 せんご の1960年代 ねんだい 以降 いこう 、寺山 てらやま 修司 しゅうじ 、大島 おおしま 渚 なぎさ 、若松 わかまつ 孝二 こうじ 、武智 たけち 鉄二 てつじ [注 ちゅう 4] らがその美学 びがく を引 ひ き継 つ いだとみることもできる。
^ 西 にし 周 あまね 、中江 なかえ 兆民 ちょうみん らも各々 おのおの 「善美 ぜんび 学 がく 」「佳 けい 趣 おもむき 論 ろん 」等 とう の訳語 やくご を創出 そうしゅつ した。なお、明治 めいじ 14年 ねん (1881年 ねん )初版 しょはん の井上 いのうえ 哲次郎 てつじろう 編 へん 『哲学 てつがく 字彙 じい 』(東洋館 とうようかん )では、美学 びがく の訳語 やくご として「美妙 びみょう 学 がく 」が採用 さいよう されていた。
^ 「完全 かんぜん な感性 かんせい 的 てき 言語 げんご oratio sensitiva perfecta」(「詩 し 」を指 さ している)を典型 てんけい とする芸術 げいじゅつ 一般 いっぱん は美 び にかかわるから、aesthetica は「芸術 げいじゅつ 理論 りろん theoria artium liberalium」(同 どう 1節 せつ )である。:( aesthetica = 感性 かんせい 的 てき 認識 にんしき 論 ろん = 美 び について考察 こうさつ する学 がく = 芸術 げいじゅつ 理論 りろん )バウムガルテンの体系 たいけい においては、美 び や芸術 げいじゅつ に関 かん する学的 がくてき 考察 こうさつ である感性 かんせい 的 てき 認識 にんしき 論 ろん は、理性 りせい 的 てき 認識 にんしき 論 ろん との対比 たいひ において「疑似 ぎじ 理性 りせい の学 がく ars analogi rationis」であり、「下位 かい の認識 にんしき 論 ろん gnoseologia inferior」(同 どう 1節 せつ )として位置 いち づけられた
^ 「刺青 しせい 」「卍 まんじ 」など耽美 たんび 小説 しょうせつ の著名 ちょめい 作家 さっか だった
^ 「黒 くろ い雪 ゆき 」などの映画 えいが の他 ほか 、伝統 でんとう 芸術 げいじゅつ にも詳 くわ しかった
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^ 美学 びがく が日本 にっぽん に輸入 ゆにゅう された際 さい の訳語 やくご の確定 かくてい までの経緯 けいい については、浜下 はました 昌宏 まさひろ 「森 もり 鴎外 おうがい 『審美 しんび 学 がく 』の研究 けんきゅう (1)ー序説 じょせつ 」, "Studies" 45(1), pp.69-78 (神戸女学院大学 こうべじょがくいんだいがく , 1998年 ねん 7月 がつ ) を参照 さんしょう 。
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