西鉄 1000形 電車 (軌道 )
この
北九州 線 向 け車両 - 1000形 福岡 市内 線 向 け車両 - 1001形 ・1101形 ・1201形 ・1301形
導入 までの経緯
そこで
概要
共通 事項
車両 の差異
形式 -北九州 線 に導入 された連接 車 は製造 メーカー問 わず「1000形 」で統一 されていた一方 、福岡 市内 線 向 けの車両 は製造 メーカーや主 電動 機 の出力 、制御 方式 の違 いにより4つの形式 に分 けられていた[23][24][1][2]。中央 大 窓 の形状 、運転 台 の位置 -北九州 線 向 けの車両 (1001AB - 1061AB)は中央 大 窓 の中間 に金属 枠 (サッシ)があり、それを境 に2枚 のガラスが使 われていた。そのため、運転 台 の位置 も左寄 りにずれていた。一方 、福岡 市内 線 向 けの車両 および北九州 線 向 けの最終 増 備車となった3両 (1062AB - 1064AB)は大型 1枚 窓 が用 いられ、運転 台 も中央 に配置 されていた[21][25]。前面 尾灯 の位置 -北九州 線 向 け車両 は前面 上部 に、福岡 市内 線 向 け車両 は前面 下部 に設置 されていた[24][7]。前面 の車両 番号 の表記 位置 -北九州 線 の2車体 連接 車 は前面 下部 に車両 番号 が表記 されていたが、3車体 連接 車 および福岡 市内 線 向 け車両 は前面 上部 に(北九州 線 の3車体 連接 車 は前面 尾灯 のすぐ上 。これは下記 の円形 標識 板 を設置 するため)記 されていた[22](つまり、尾灯 と車両 番号 表記 の位置 関係 は北九州 線 と福岡 市内 線 でちょうど真 逆 になる)。主要 機器 -北九州 線 向 け車両 は全車 とも吊 り掛 け駆動 方式 、主 電動 機 出力 45 kw、歯車 比 4.07(61:15)に統一 されていた一方 、福岡 市内 線 向 け車両 は形式 によって駆動 方式 や出力 、歯車 比 に差異 が存在 した[1][2]。- その
他 -北九州 線 向 け車両 と福岡 市内 線 向 け車両 は排 障 器 やバンパーの形状 、車内 の配色 も異 なっていた[21][24][7]。
塗装
1000
北九州 線 向 け車両
1028AB(1976 | |
| |
| |
1953 | |
64 | |
1953 | |
2000 | |
| |
2 | |
1,435 mm | |
( | |
2 130 3 160 | |
A 65 C 30 | |
2 11.8 t(1001AB - 1010AB) 11.0 t(1003AB - 1064AB) 3 27.0 t | |
2 18,400 mm 3 23,700 mm | |
A 9,200 mm C 5.300 mm | |
2,400 mm | |
A 3,937 mm(1001A - 1011A) 3,940 mm(1012A - 1064A) ( B 3,145 mm(1001B - 1011B) 3,175 mm(1012B - 1064B) C 3,175 mm | |
| |
660 mm | |
1,500 mm | |
| |
45 kw | |
| |
4.07(61:15) | |
180 kw | |
35.3 km/h | |
| |
| |
|
概要
- 1011AB
以降 -車内 貫通 路 の全 断面 化 、軸受 をローラーベアリングに変更 。1011ABは試験 的 に車内 照明 に蛍光 灯 が用 いられた。 - 1021AB
以降 -車体 を全 金属 製 に変更 し、不燃 化 や軽量 化 が図 られた。車内 照明 に蛍光 灯 が本格 的 に採用 されたのもこの車両 以降 である。 - 1031AB
以降 -窓 枠 をアルミサッシに変更 。運転 席 や車掌 席 の仕切 りの形状 も変 わった。 - 1046AB
以降 -前面 中央 窓 の下部 に通風 孔 が設置 された事 で、中央 窓 の長 さが上 方向 に詰 められた。幌 もひだがある形状 に改 められた。 - 1051AB
以降 -各 車体 の左側 側面 の連結 面 付近 に大型 方向 幕 が設置 された。 - 1062AB
以降 - 1000形 の最終 増 備車。前面 方向 幕 が大型 化 した他 、当初 からツーメン化 改造 の準備 工事 がなされていた。また尾灯 の位置 が前面 下部 に変更 されている[34][35][11]。なおラストナンバーの1064ABは当初 福岡 市内 線 1301形 の1307ABとして落成 し、落成 直後 に北九州 線 に転属 した経緯 を持 つ[1]。
3車体 連接 車
運用
1962
その
主要 諸 元 (北九州 線 )
1001AB-1010AB | 1953 |
OK9A | OK9B | |||||
1011AB | 1953 |
OK12A | OK12B | |||||
1012AB-1015AB | 1954 |
OK12A | OK12B | |||||
1016AB-1020AB | 1954 |
KD14 | KD14A | ウイングばね | 1020ABは | |||
1021AB-1025AB | 1958 |
KD14 | KD14A | ウイングばね | 1024ABは | |||
1026AB-1030AB | 1958 |
OK12E | OK12F | |||||
1031AB・1032AB | 1959 |
KD14 | KD14A | ウイングばね | ||||
1033AB-1036AB | 1959 |
KD14 | KD14A | ウイングばね | ||||
1037AB-1039AB | 1959 |
TB21 | TB21A | イコライザー | ||||
1040AB-1042AB | 1959 |
TB21 | TB21A | イコライザー | ||||
1043AB-1045AB | 1959 |
KL13A | KL13B | ウイングばね | 1045ABは1963 | |||
1046AB・1047AB | 1961 |
KD14 | KD14A | ウイングばね | ||||
1048AB-1050AB | 1961 |
NS15 | NS15A | ウイングばね | ||||
1051AB-1055AB | 1962 |
NS15 | NS15A | ウイングばね | 1052AB-1055ABは1962-64 1055ABは | |||
1056AB・1057AB | 1963 |
NS15 | NS15A | ウイングばね | 1963 | |||
1058AB-1060AB | 1964 |
NS15 | NS15A | ウイングばね | ||||
1061AB | 1964 |
KD53 | KD53A | ウイングばね | ||||
1062AB | 1967 |
NS15 | NS15A | ウイングばね | ||||
1063AB・1064AB | 1967 |
NS15 | NS15A | ウイングばね | ||||
1045C | 1963 |
- | KL13D | ウイングばね | ||||
1052C・1053C | 1964 |
- | NS15B | ウイングばね | ||||
1054C | 1962 |
- | NS15B | ウイングばね | ||||
1055C-1057C | 1963 |
- | NS15B | ウイングばね |
福岡 市内 線 向 け車両
| |
| |
1954 | |
35 | |
1954 | |
1975 | |
| |
2 | |
1,435 mm | |
( | |
660 mm | |
1,500 mm | |
| |
| |
|
概要
- 1001
形 (1001AB - 1015AB) -福岡 市内 線 へ最初 に導入 された連接 車 。川崎 車輌 が製造 を手掛 け、1954年 に5両 (1001AB - 1005AB)、1957年 に10両 (1006AB - 1015AB)が製造 された。車体 は半 鋼 製 で、東洋電機製造 製 の駆動 装置 には騒音 が少 ない中空 軸 平行 カルダン駆動 方式 が採用 された[2][12]。 - 1101
形 (1101AB - 1105AB) - 1954年 、名義 上 は汽車 製造 製 だが、実際 は下請 けの大栄 車輌 が製造 を手掛 けた。車体 は屋根 の丸 みが少 なくて平 べったく、全体 的 に他 形式 と比較 して角 ばった形状 となっており、側 窓 も上 方向 に拡大 して上辺 の高 さが乗降 扉 に揃 えられた一方 、主要 機器 は1001形 と同型 であった[2][3][48][49][50]。 - 1201
形 (1201AB - 1209AB) -輸送 力 増強 および木造 電車 の置 き換 え用 として1962年 - 1963年 に導入 。1001形 に準拠 したデザインの車体 は全 金属 製 となり、排 障 器 ・バンパーの形状 や機器 が北九州 線 向 け車両 に準 じたものとなり、駆動 装置 が吊 り掛 け駆動 方式 に変更 されたが、電動 機 の出力 は1001形 ・1101形 と同様 に38 kwであった。1201AB - 1207ABは日立製作所 、1208AB・1209ABは汽車 製造 製 で、後者 の台車 (KS-117)は前者 に採用 されたKL-13系 台車 の設計 図 を基 に作 られた同型 である。1201AB・1202ABは3車体 連接 車 への改造 を前提 に設計 されたが、福岡 市内 の道路 状況 の悪化 を理由 に認可 が下 りず、実際 に改造 が行 われる事 はなかった[2][48][39][48][49]。 - 1301
形 (1301AB - 1306AB) -木造 電車 の置 き換 え用 として、北九州 線 向 け車両 (1058AB - 1061AB)と共 に1964年 分 予算 で導入 。1301AB - 1304ABは日立製作所 、1305AB・1306ABは汽車 製造 製 。機器 の構造 は1201形 と同様 だが、電動 機 の出力 が北九州 線 向 け車両 と同様 の45 kwに向上 し、スペックの統一 化 が図 られた[12][49]。 - 1000
形 (1055AB) -北九州 線 向 けに導入 された1000形 のうち、1055ABのみ1962年 12月の新 製 時 から翌 1963年 9月まで福岡 市内 線 に配置 されていた。以降 は北九州 線 に転属 し、同年 12月以降 は3車体 連接 車 として使用 された[15][22]。
運用
1954
主要 諸 元 (福岡 市内 線 )
1001 |
1101 |
1201 |
1301 | ||||
1001AB-1005AB | 1006AB-1015AB | 1101AB-1105AB | 1201AB-1207AB | 1208AB・1209AB | 1301AB-1304AB | 1305AB・1306AB | |
1954 | 1957 | 1954 | 1962-63 | 1963 | 1964 | ||
( |
|||||||
130 | |||||||
18,000 mm | |||||||
2,400 mm | |||||||
( |
3,937mm | 3,940mm | 3,937mm | 3,940mm | |||
21.2t | 21.6t | 22.2t | 21.2t | 22.2t | |||
ウイングばね | |||||||
(37.3kw) |
(37.3kw) |
(37.3kw) |
(45.0kw) | ||||
149.2kw | 180.0kw | ||||||
6.71(94:14) | 4.06(69:17) | 4.07(61:15) | |||||
譲渡
筑豊 電気 鉄道
1956
-
2105(2000
年 撮影 )
広島電鉄
熊本 市 交通 局
ラッシュ
川崎重工業
ミャンマー国鉄
保存
2019
関連 項目
脚注
注釈
- ^
台車 に主 電動 機 は1基 のみ搭載 され、車体 内側 の車軸 に動力 が伝達 されていた[19]。 - ^
地元 北九州 市 在住 の鉄道 友 の会 会員 で長年 にわたり北九州 線 の研究 を行 ってきた奈良 崎 博保 の著述 による[20]。また、このような設定 を採用 してもなお高速 域 での出力 に余裕 があり、奈良 崎 は、1953年 (昭和 28年 )に行 われた本 形式 の試運転 の際 、北九州 本線 の新設 軌道 区間 のうち皇后崎 -陣 の原 間 において最高 速度 68km/hが記録 され、関係 者 を驚 かせたことを紹介 している[33][20]。 - ^ C
車 自体 は8月 の時点 で完成 していたが、道路 交通 法 との兼 ね合 いもあり営業 開始 が遅 れた。 - ^ この
時 は福岡 市内 線 の方針 に合 わせて、車体 前面 の車両 番号 を上部 に表記 していた。 - ^
北九州 線 の路線 網 が縮小 した1985年 以降 、日本 最大 の路面 電車 路線 網 を有 する事業 者 となっている[56]。
出典
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-
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- その
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