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西鉄1000形電車 (軌道) - Wikipedia

西鉄にしてつ1000かたち電車でんしゃ (軌道きどう)

この項目こうもくでは、かつて西日本鉄道にしにっぽんてつどう西鉄にしてつ)が所有しょゆうしていた路面ろめん電車でんしゃ路線ろせん西鉄にしてつ軌道線きどうせん)のうち、北九州きたきゅうしゅうせん福岡ふくおか市内しないせんけに新造しんぞうされた連接れんせつしゃについて解説かいせつする。北九州きたきゅうしゅうせんけの車両しゃりょう1953ねん福岡ふくおか市内しないせんけの車両しゃりょう1954ねんから大量たいりょう生産せいさんおこなわれ、りょう系統けいとう輸送ゆそうりょく増強ぞうきょうおおきく貢献こうけんした。福岡ふくおか市内しないせんでは1975ねんに、北九州きたきゅうしゅうせんでは路線ろせん廃止はいしされた2000ねん営業えいぎょう運転うんてん終了しゅうりょうしたが、一部いちぶ車両しゃりょう2019ねん現在げんざい譲渡じょうとさき路線ろせん活躍かつやくつづけている[1][2][3][4][5]

1011AB(北九州きたきゅうしゅうせん)(1954ねん撮影さつえい

北九州きたきゅうしゅうせん福岡ふくおか市内しないせんには機器ききことなるどういち番号ばんごう車両しゃりょう導入どうにゅうされており、さら福岡ふくおか市内しないせん車両しゃりょうは4形式けいしき細分さいぶんされていた。この項目こうもくでは以下いか形式けいしきまとめて解説かいせつする[1][2]

導入どうにゅうまでの経緯けいい

編集へんしゅう

だい世界せかい大戦たいせんにより甚大じんだい被害ひがいけた北九州きたきゅうしゅうは、戦後せんごGHQ占領せんりょう実施じっしされた傾斜けいしゃ生産せいさん方式ほうしきばれる経済けいざい政策せいさく1950ねん以降いこう朝鮮ちょうせん特需とくじゅにより、八幡やはた製鉄せいてつしょはじめとする工業こうぎょう地帯ちたい生産せいさん回復かいふくはじめた。それにともな西鉄にしてつ軌道きどうせんであった北九州きたきゅうしゅうせん利用りようきゃく増加ぞうかし、1950ねん時点じてんの1にち利用りようしゃすうが321,800にんであったものが1953ねんには359,295にんへとふくがった。西鉄にしてつがわ電力でんりょく制限せいげん解除かいじょともな続行ぞっこう運転うんてん開始かいしこう頻度ひんど運転うんてん実施じっし対応たいおうしたが、1りょうあたりの定員ていいんが70・80にんボギぼぎしゃでは大量たいりょう乗客じょうきゃくさばききれず、小倉おぐら付近ふきん線路せんろ容量ようりょうあいまって輸送ゆそう能力のうりょく限界げんかいたっしていた。さら1953ねん時点じてん北九州きたきゅうしゅうせんには開業かいぎょう導入どうにゅうされた木造もくぞう電車でんしゃ1かたち・35かたち)が13りょう残存ざんそんしており、そのえも必要ひつようとなっていた[6][7][8][9][10][11]

そこで西鉄にしてつでは輸送ゆそうりょく増強ぞうきょうおよび旧型きゅうがた車両しゃりょう代替だいたいのため、北九州きたきゅうしゅうせんけの新造しんぞう車両しゃりょうを、ボギぼぎしゃより多数たすう乗客じょうきゃく輸送ゆそう可能かのう連接れんせつしゃえることを決定けっていした。あわせて、福岡ふくおか市内しない路面ろめん電車でんしゃもうであった福岡ふくおか市内しないせんけの新造しんぞう車両しゃりょうについても、輸送ゆそうりょく増強ぞうきょうのためしんせい車両しゃりょうボギぼぎしゃから連接れんせつしゃしぼることになった。そして、1953ねんから北九州きたきゅうしゅうせんで、よく1954ねんから福岡ふくおか市内しないせん営業えいぎょう運転うんてん開始かいししたのが一連いちれん連接れんせつしゃである[12][13][1][2]

概要がいよう

編集へんしゅう

共通きょうつう事項じこう

編集へんしゅう
 
側面そくめん(1011AB、北九州きたきゅうしゅうせん1954ねん撮影さつえい
 
1001AB(福岡ふくおか市内しないせん福岡ふくおか天神てんじん交差点こうさてん1967ねん撮影さつえい

北九州きたきゅうしゅうせん車両しゃりょう福岡ふくおか市内しないせん車両しゃりょうとも製造せいぞう当初とうしょりょう運転うんてんだいしき2車体しゃたい連接れんせつしゃで、しゅうでん装置そうち(パンタグラフ)や制御せいぎょ装置そうち搭載とうさいした「Aくるま」(電機でんきしゃ)と補助ほじょ電源でんげん装置そうち(MG)や空気くうき圧縮あっしゅく(CP)を搭載とうさいした「Bくるま」(そらしゃ)で構成こうせいされていた。りょう車体しゃたいつないだ1りょうあたりの全長ぜんちょうは18,400 mm、全幅ぜんぷくは2,400 mmで、運転うんてんだいりは曲線きょくせん通過つうかそなはばしぼられていた。パンタグラフをふくんだAしゃぜんこう1953ねん1954ねんせい車両しゃりょうは3,937 mm、それ以降いこうは3,940 mmで統一とういつされていた。車体しゃたい北九州きたきゅうしゅうせんの20りょう(1001AB - 1020AB)および福岡ふくおか市内しないせんの1001かたち15りょう(1001AB - 1015AB)・1101かたち5りょう(1101AB - 1105AB)がはんはがねせい、それ以外いがい車両しゃりょうぜん金属きんぞくせいで、双方そうほうともあめとい屋根やねじょう存在そんざいする構造こうぞうであった[14][15][6][16][17][1][2]

前面ぜんめん貫通かんつうしきで、中央ちゅうおうにHゴムで固定こていされただいまど部分ぶぶん、その両側りょうがわしょうまど設置せっちされているまど配置はいちであった。ぜんあきらとう中央ちゅうおうだいまど下部かぶ1個いっこ設置せっちされていた一方いっぽう、2設置せっちされた尾灯びとう位置いち路線ろせん編成へんせいによってことなっていた。折戸おりどしき乗降じょうこうとびら車体しゃたい右側みぎがわに2箇所かしょ左側ひだりがわに1箇所かしょ存在そんざいし、がわまど上部じょうぶHゴム固定こていされているバスまどばれる形状けいじょうであった。座席ざせきすべてロングシート、定員ていいんは130にんで、冷暖房れいだんぼう搭載とうさいされていなかった[15][6][16][17][18]

台車だいしゃ運転うんてんだいりの2だい動力どうりょく台車だいしゃ連接れんせつの1だい付随ふずい台車だいしゃで、動力どうりょく台車だいしゃには2しゅ電動でんどう搭載とうさいされていた。出力しゅつりょく導入どうにゅうされた路線ろせん製造せいぞうねんによってことなったが、どの車両しゃりょう従来じゅうらいボギぼぎしゃ[注釈ちゅうしゃく 1]くらべて全長ぜんちょうあたりの出力しゅつりょくやく1.5ばい向上こうじょうしており、これが後述こうじゅつする3車体しゃたい連接れんせつしゃへの改造かいぞう決定けっていされた要因よういんともなった[20]台車だいしゃ製造せいぞうメーカーによって形状けいじょう構造こうぞうことなっていたが、まくらばねにコイルバネを使用しようしオイルダンパーを搭載とうさいするてん車輪しゃりんみち660 mm、固定こていじく距1,500 mmという寸法すんぽう統一とういつされていた。しゅ電動でんどうは2単位たんい永久えいきゅう直列ちょくれつ接続せつぞくとされ、これを2ぐんちょく並列へいれつ制御せいぎょする。運転うんてんだいからの速度そくど制御せいぎょおも東洋電機製造とうようでんきせいぞう一部いちぶ日立製作所ひたちせいさくしょせい間接かんせつ自動じどう制御せいぎょ方式ほうしきもちいた[6][1][2]

車両しゃりょう差異さい

編集へんしゅう

市内しない電車でんしゃくわ北九州きたきゅうしゅう工業こうぎょう地帯ちたい都市としあいだ列車れっしゃという側面そくめんゆうしていた北九州きたきゅうしゅうせんけの車両しゃりょうと、福岡ふくおか市内しない中心ちゅうしんはし純然じゅんぜんたる市内しない電車でんしゃであった福岡ふくおか市内しないせんけの車両しゃりょうには、形式けいしき尾灯びとう位置いちなど以下いかのような差異さいがあったほかおな路線ろせん車両しゃりょうであっても製造せいぞうねんによるちがいが存在そんざいした。これらのなかただいちりょう路線ろせん走行そうこうした経歴けいれきつ1055ABについては、車両しゃりょう番号ばんごう表記ひょうき位置いちのぞいて製造せいぞう当初とうしょから北九州きたきゅうしゅうせんけに準拠じゅんきょした仕様しようとなっていた[21][22]

  • 形式けいしき - 北九州きたきゅうしゅうせん導入どうにゅうされた連接れんせつしゃ製造せいぞうメーカーわず「1000かたち」で統一とういつされていた一方いっぽう福岡ふくおか市内しないせんけの車両しゃりょう製造せいぞうメーカーやしゅ電動でんどう出力しゅつりょく制御せいぎょ方式ほうしきちがいにより4つの形式けいしきけられていた[23][24][1][2]
  • 中央ちゅうおうだいまど形状けいじょう運転うんてんだい位置いち - 北九州きたきゅうしゅうせんけの車両しゃりょう(1001AB - 1061AB)は中央ちゅうおうだいまど中間ちゅうかん金属きんぞくわくサッシ)があり、それをさかいに2まいのガラスが使つかわれていた。そのため、運転うんてんだい位置いち左寄ひだりよりにずれていた。一方いっぽう福岡ふくおか市内しないせんけの車両しゃりょうおよび北九州きたきゅうしゅうせんけの最終さいしゅうぞう備車となった3りょう(1062AB - 1064AB)は大型おおがた1まいまどもちいられ、運転うんてんだい中央ちゅうおう配置はいちされていた[21][25]
  • 前面ぜんめん尾灯びとう位置いち - 北九州きたきゅうしゅうせん車両しゃりょう前面ぜんめん上部じょうぶに、福岡ふくおか市内しないせん車両しゃりょう前面ぜんめん下部かぶ設置せっちされていた[24][7]
  • 前面ぜんめん車両しゃりょう番号ばんごう表記ひょうき位置いち - 北九州きたきゅうしゅうせんの2車体しゃたい連接れんせつしゃ前面ぜんめん下部かぶ車両しゃりょう番号ばんごう表記ひょうきされていたが、3車体しゃたい連接れんせつしゃおよび福岡ふくおか市内しないせん車両しゃりょう前面ぜんめん上部じょうぶに(北九州きたきゅうしゅうせんの3車体しゃたい連接れんせつしゃ前面ぜんめん尾灯びとうのすぐじょう。これは下記かき円形えんけい標識ひょうしきばん設置せっちするため)しるされていた[22](つまり、尾灯びとう車両しゃりょう番号ばんごう表記ひょうき位置いち関係かんけい北九州きたきゅうしゅうせん福岡ふくおか市内しないせんでちょうどぎゃくになる)。
  • 主要しゅよう機器きき - 北九州きたきゅうしゅうせん車両しゃりょう全車ぜんしゃとも駆動くどう方式ほうしきしゅ電動でんどう出力しゅつりょく45 kw、歯車はぐるま4.07(61:15)に統一とういつされていた一方いっぽう福岡ふくおか市内しないせん車両しゃりょう形式けいしきによって駆動くどう方式ほうしき出力しゅつりょく歯車はぐるま差異さい存在そんざいした[1][2]
  • その - 北九州きたきゅうしゅうせん車両しゃりょう福岡ふくおか市内しないせん車両しゃりょうはいさわうつわやバンパーの形状けいじょう車内しゃない配色はいしょくことなっていた[21][24][7]
 
北九州きたきゅうしゅうせんよう車両しゃりょうの3代目だいめ塗装とそう
(1018AB、1999ねん撮影さつえい

1000かたち最初さいしょまつわった塗装とそう車体しゃたいうえ半分はんぶんあかみがかったクリームしょくした半分はんぶんがマルーンとうツートンカラーであった。これは1000がた導入どうにゅう軌道きどうせん採用さいようされた配色はいしょくで、北九州きたきゅうしゅうせん福岡ふくおか市内しないせんなど軌道きどうせん使用しようされるほか形式けいしき電車でんしゃのみならず大牟田線おおむたせんなど鉄道てつどうせん車両しゃりょうにも波及はきゅうし、1960年代ねんだいから1970年代ねんだいまつにかけての西鉄にしてつにおける標準ひょうじゅん塗装とそうとなった。福岡ふくおか市内しないせん使用しようされた車両しゃりょうはこの塗装とそうのまま廃車はいしゃされた一方いっぽう北九州きたきゅうしゅうせん車両しゃりょうボギぼぎしゃとも1975ねんから1976ねんにかけてうえ半分はんぶんがクリームしょくした半分はんぶんいイエローという塗装とそう変更へんこうされ、さら1980ねん以降いこう車体しゃたい全体ぜんたい赤色あかいろまどにクリームしょくおびはいされた塗装とそうとなり、連接れんせつしゃかんしては2000ねん廃止はいしまでこの外観がいかん維持いじされた[4][7][26][27]

北九州きたきゅうしゅうせん車両しゃりょう

編集へんしゅう
西鉄にしてつ1000かたち電車でんしゃ
 
1028AB(1976ねん撮影さつえい
基本きほん情報じょうほう
運用うんようしゃ 西日本鉄道にしにっぽんてつどう
製造せいぞうしょ 川崎かわさき車輌しゃりょう近畿きんき車輌しゃりょう帝国ていこく車輌しゃりょう日立製作所ひたちせいさくしょ日本車輌製造にっぽんしゃりょうせいぞう九州きゅうしゅう車輌しゃりょう
製造せいぞうねん 1953ねん1954ねん1958ねん - 1967ねん
製造せいぞうすう 64りょう合計ごうけい
運用うんよう開始かいし 1953ねん10月27にち
運用うんよう終了しゅうりょう 2000ねん11月26にち
投入とうにゅうさき 北九州きたきゅうしゅうせん福岡ふくおか市内しないせん(1055AB)
主要しゅようしょもと
編成へんせい 2車体しゃたい連接れんせつしゃ、3車体しゃたい連接れんせつしゃ
軌間きかん 1,435 mm
電気でんき方式ほうしき 直流ちょくりゅう600 V
架空かくう電車でんしゃせん方式ほうしき
編成へんせい定員ていいん 2車体しゃたい連接れんせつしゃ
130にん着席ちゃくせき54にん
3車体しゃたい連接れんせつしゃ
160にん着席ちゃくせき74にん
車両しゃりょう定員ていいん Aしゃ・Bくるま
65にん着席ちゃくせき27にん
Cくるま
30にん着席ちゃくせき20にん
編成へんせい重量じゅうりょう 2車体しゃたい連接れんせつしゃ
11.8 t(1001AB - 1010AB)
11.0 t(1003AB - 1064AB)
3車体しゃたい連接れんせつしゃ
27.0 t
編成へんせいちょう 2車体しゃたい連接れんせつしゃ
18,400 mm
3車体しゃたい連接れんせつしゃ
23,700 mm
全長ぜんちょう Aしゃ・Bくるま
9,200 mm
Cくるま
5.300 mm
全幅ぜんぷく 2,400 mm
ぜんこう Aくるま
3,937 mm(1001A - 1011A)
3,940 mm(1012A - 1064A)
あつまりでん装置そうち含)
Bくるま
3,145 mm(1001B - 1011B)
3,175 mm(1012B - 1064B)
Cくるま
3,175 mm
車体しゃたい はんはがねせい(1001AB - 1020AB)
ぜん金属きんぞくせい(1021AB - 1064AB)
車輪しゃりんみち 660 mm
固定こていじく 1,500 mm
しゅ電動でんどう 東洋電機製造とうようでんきせいぞう TDK-534/A
東洋電機製造とうようでんきせいぞう TDK-539/A(1062AB - 1064AB)
しゅ電動でんどう出力しゅつりょく 45 kw
駆動くどう方式ほうしき 駆動くどう方式ほうしき
歯車はぐるま 4.07(61:15)
出力しゅつりょく 180 kw
ていかく出力しゅつりょく 35.3 km/h
制御せいぎょ方式ほうしき 抵抗ていこう制御せいぎょ間接かんせつ自動じどう制御せいぎょ方式ほうしき
制動せいどう装置そうち 直通ちょくつう空気くうきブレーキ(SME)
備考びこう 主要しゅよう数値すうち下記かき参照さんしょう[6][2][28][29][30][11][31]
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概要がいよう

編集へんしゅう

北九州きたきゅうしゅうせんけの車両しゃりょう全車ぜんしゃとも1000かたちという形式けいしきめいあたえられ、1953ねんから1964ねんまで中断ちゅうだん期間きかんはさけい12ねんわたって64りょうもの大量たいりょう生産せいさん実施じっしされた。製造せいぞう担当たんとうした企業きぎょう川崎かわさき車輌しゃりょう近畿きんき車輌しゃりょう帝国ていこく車輌しゃりょう日立製作所ひたちせいさくしょ日本車輌製造にっぽんしゃりょうせいぞう九州きゅうしゅう車輌しゃりょう多岐たきにわたったが、車体しゃたい寸法すんぽう機器きき性能せいのう全車ぜんしゃとも統一とういつされ、部品ぶひん標準ひょうじゅんやメンテナンスの合理ごうりはかられた。とくしゅ電動でんどうすべ東洋電機製造とうようでんきせいぞうせいのものがもちいられ、最終さいしゅうぞう備車となった1062AB - 1064AB以外いがい車両しゃりょうにはTDK-534/Aかたち搭載とうさいされた。一方いっぽう台車だいしゃかんしては車輪しゃりんみちじく距こそ統一とういつされていたが各社かくしゃごとにことなる形式けいしき用意よういされ、川崎かわさき車輌しゃりょう投入とうにゅうしたOKがたのようにさい新鋭しんえい台車だいしゃ使用しようされる場合ばあいもあった[32][2][7]ボギぼぎしゃとは電動でんどう1あたりの出力しゅつりょくおなじ45 kwで、装備そうびすうおおい(ボギぼぎしゃは2装備そうびほん形式けいしきは4装備そうび分合ぶんごうけい出力しゅつりょく重量じゅうりょうあたり出力しゅつりょくとも増加ぞうかしており、ぜん負荷ふか速度そくど上昇じょうしょうおさえるため歯車はぐるまたかく(ボギぼぎしゃ歯車はぐるまは3.11(59:19)。ほん形式けいしきは4.07(61:15))設定せっていされた[20][注釈ちゅうしゃく 2]

最初さいしょ導入どうにゅうされた1001AB - 1010ABははんはがねせい車体しゃたいゆうする車両しゃりょうであったが、長期ちょうきにわたる製造せいぞうなか以下いかのような改良かいりょう実施じっしされていった[18][7]

  • 1011AB以降いこう - 車内しゃない貫通かんつうぜん断面だんめん軸受じくうけをローラーベアリングに変更へんこう。1011ABは試験しけんてき車内しゃない照明しょうめい蛍光けいこうとうもちいられた。
  • 1021AB以降いこう - 車体しゃたいぜん金属きんぞくせい変更へんこうし、不燃ふねん軽量けいりょうはかられた。車内しゃない照明しょうめい蛍光けいこうとう本格ほんかくてき採用さいようされたのもこの車両しゃりょう以降いこうである。
  • 1031AB以降いこう - まどわくをアルミサッシに変更へんこう運転うんてんせき車掌しゃしょうせき仕切しきりの形状けいじょうわった。
  • 1046AB以降いこう - 前面ぜんめん中央ちゅうおうまど下部かぶ通風つうふうあな設置せっちされたことで、中央ちゅうおうまどながさがうえ方向ほうこうめられた。ほろもひだがある形状けいじょうあらためられた。
  • 1051AB以降いこう - かく車体しゃたい左側ひだりがわ側面そくめん連結れんけつめん付近ふきん大型おおがた方向ほうこうまく設置せっちされた。
  • 1062AB以降いこう - 1000がた最終さいしゅうぞう備車。前面ぜんめん方向ほうこうまく大型おおがたしたほか当初とうしょからツーメン改造かいぞう準備じゅんび工事こうじがなされていた。また尾灯びとう位置いち前面ぜんめん下部かぶ変更へんこうされている[34][35][11]。なおラストナンバーの1064ABは当初とうしょ福岡ふくおか市内しないせん1301がたの1307ABとして落成らくせいし、落成らくせい直後ちょくご北九州きたきゅうしゅうせん転属てんぞくした経緯けいい[1]

3車体しゃたい連接れんせつしゃ

編集へんしゅう

連接れんせつしゃ大量たいりょうぞう以降いこう北九州きたきゅうしゅうせん利用りようきゃく増加ぞうか一途いっと辿たどり、1961ねんの1にちあたりの利用りようしゃすうさい高値たかねである457,232にんたっし、ラッシュには2車体しゃたい連接れんせつしゃを40びょう間隔かんかく運転うんてんしてもなおのこしが発生はっせいするほどになっていた。そこでさらなる輸送ゆそうりょく増強ぞうきょうのため、西鉄にしてつ連接れんせつしゃようなかあいだ車体しゃたいあらたに製造せいぞうし、路面ろめん電車でんしゃ車両しゃりょうとしては日本にっぽんはつとなる3車体しゃたい連接れんせつしゃ導入どうにゅうすること決定けっていした[9][36][37]

新規しんき製造せいぞうされたなかあいだ車体しゃたいは「Cくるま」とばれ、全長ぜんちょう5,300 mmの車体しゃたいには乗降じょうこうとびらがなくAしゃ・Bくるま同型どうけいがわまどが4まいならんでいた。座席ざせき全席ぜんせきロングシート、定員ていいんは30にんで、天井てんじょうには蛍光けいこうとうが4だい設置せっちされた。新規しんき製造せいぞうされた台車だいしゃしゅ電動でんどう搭載とうさいされていない付随ふずい台車だいしゃであり、車両しゃりょう出力しゅつりょく改造かいぞうまえとの変更へんこうかった。基本きほんてき改造かいぞう対象たいしょうとなる車両しゃりょうおな製造せいぞうメーカー(日立製作所ひたちせいさくしょ日本車輌製造にっぽんしゃりょうせいぞう)が手掛てがけたが、最後さいごに3車体しゃたいおこなわれた1052・1053のCしゃ製造せいぞうコスト削減さくげんのため九州きゅうしゅう車輌しゃりょうによってつくられた[38][39][40]

導入どうにゅう計画けいかくてられた1962ねん初期しょき段階だんかいでは、試作しさくしゃとして北九州きたきゅうしゅうせんくわえて福岡ふくおか市内しないせんにも3車体しゃたい連接れんせつしゃ導入どうにゅうする計画けいかくてられており、実際じっさいに1201かたち1202AB(日立製作所ひたちせいさくしょせいけのCしゃ発注はっちゅうおこなわれた。だが福岡ふくおか市内しない道路どうろ状況じょうきょう悪化あっかにより認可にんかりず、あまった車体しゃたい北九州きたきゅうしゅうせん使用しようされていた日立製作所ひたちせいさくしょせいの1045ABの増結ぞうけつようもちいられた[39][40]

最初さいしょ改造かいぞう実施じっしされた1054ACB(←1054AB)は1962ねん12月1にちから営業えいぎょう運転うんてん開始かいし[注釈ちゅうしゃく 3]同時どうじ一部いちぶ停留所ていりゅうじょ安全あんぜん地帯ちたい新設しんせつ増設ぞうせつおこなわれた。以降いこう1964ねんまでに北九州きたきゅうしゅうせん車両しゃりょうのうち合計ごうけい7りょう(1045ACB、1052ACB-1057ACB)が3車体しゃたい連接れんせつしゃとなった。運用うんようさいしては筑豊ちくほう電気でんき鉄道てつどうへの直通ちょくつう運転うんてんふくめた専用せんようダイヤがまれ、後年こうねんには前面ぜんめん下部かぶ左側ひだりがわに「3りょう連接れんせつしゃ」とかれた専用せんよう円形えんけい標識ひょうしきばん設置せっちされた[38][6][40][35][11]。この3車体しゃたい連接れんせつしゃ砂津すなつ - 筑豊ちくほう直方ちょくほうあいだを10ふん間隔かんかく雁行がんこうする運用うんよう中心ちゅうしん朝夕あさゆうのラッシュにおいて絶大ぜつだい威力いりょく発揮はっきしたが、同時どうじ重量じゅうりょうぞうによる運転うんてん速度そくど低下ていかや、定員ていいんやしたにもかかわらずとびらすう従来じゅうらいのままだったため、それによる乗降じょうこう時間じかん増大ぞうだいなどの問題もんだいかかえていた。

運用うんよう

編集へんしゅう

最初さいしょ製造せいぞうされた川崎かわさき車輌しゃりょうせい車両しゃりょう試運転しうんてん1953ねん10月27にちから営業えいぎょう運転うんてん投入とうにゅうされ、翌年よくねん4がつまでにはんはがねせいしゃ20りょう導入どうにゅうおこなわれた。それにともない、北九州きたきゅうしゅうせん最後さいごまで残存ざんそんしていた木造もくぞうボギぼぎしゃ福岡ふくおか市内しないせん転属てんぞくし、同線どうせん輸送ゆそうりょく増強ぞうきょうおよび老朽ろうきゅうすすんだ2じくしゃえにもちいられた。その1958ねんからは車体しゃたいぜん金属きんぞくせい変更へんこうした連接れんせつしゃ大量たいりょう生産せいさん開始かいしされ、北九州きたきゅうしゅうせん輸送ゆそうりょく格段かくだん向上こうじょうしたことくわえ、余剰よじょうとなったボギぼぎしゃ福岡ふくおか市内しないせん転出てんしゅつさせること前述ぜんじゅつした木造もくぞうボギぼぎしゃえ、同線どうせんでもさらなる近代きんだいはかられた[41][7][11]

長期ちょうき製造せいぞうなか多数たすう改良かいりょう実施じっしされていったことから、初期しょき車両しゃりょうについてはまどわく乗降じょうこうとびら金属きんぞくせい部品ぶひんへの交換こうかん車内しゃない照明しょうめい蛍光けいこうとう貫通かんつう拡大かくだい側面そくめん方向ほうこうまく搭載とうさいなど後期こうき車両しゃりょうわせた改造かいぞう順次じゅんじおこなわれていった。また製造せいぞう当初とうしょ両側りょうがわ3箇所かしょ乗降じょうこうとびらすべてに乗務じょうむいん配置はいちされるスリーメン方式ほうしきであったが、合理ごうり効率こうりつはかるため1968ねんから1969ねんにかけてツーメン方式ほうしきあらためられ、乗降じょうこうとびら自動じどうドア放送ほうそう装置そうち配置はいちなどの対応たいおう工事こうじぜん車両しゃりょう実施じっしされた[42]

1962ねん以降いこうは3車体しゃたい連接れんせつしゃ導入どうにゅうされ、1000かたち朝夕あさゆうのラッシュ中心ちゅうしんとした多客たきゃく輸送ゆそう絶大ぜつだい効果こうか発揮はっきしたが、同年どうねん制定せいていされたしん産業さんぎょう都市とし建設けんせつ促進そくしんほうによる地方ちほう分散ぶんさん促進そくしん工場こうじょう移転いてん縮小しゅくしょうによる沿線えんせん人口じんこう郊外こうがいへの流出りゅうしゅつ、それにともなスプロールによるモータリーゼーション急激きゅうげき進行しんこうにより、同年どうねん以降いこう北九州きたきゅうしゅうせん利用りよう客数きゃくすう減少げんしょうはじめた。さらよく1963ねんには軌道きどうじき自動車じどうしゃ通行つうこうみとめられた結果けっか混雑こんざつまれた路面ろめん電車でんしゃ定時ていじ運転うんてんもままならなくなり、乗客じょうきゃく減少げんしょう運賃うんちん上昇じょうしょう、それによるさらなる減少げんしょうという悪循環あくじゅんかん辿たどり、1970ねんの1にちあたりの利用りようしゃすうは307,736にんにまで低下ていかした[9][43]

その結果けっか次第しだい余剰よじょうとなっていった1000かたちは、1977ねんからはじまった筑豊ちくほう電気でんき鉄道てつどうへの譲渡じょうと皮切かわきりに廃車はいしゃ開始かいしされた。1984ねんからは譲渡じょうとともなわない廃車はいしゃ急速きゅうそく進行しんこうし、3車体しゃたい連接れんせつしゃ1987ねんをもって姿すがたした。そして、北九州きたきゅうしゅうせん路線ろせんもう黒崎駅前くろさきえきまえ - 折尾おりおあいだの5.1 kmとなった1992ねん時点じてん西鉄にしてつ残存ざんそんしたのははんはがねせいしゃとして登場とうじょうした1020ABと当初とうしょからぜん金属きんぞくせい車体しゃたいゆうしていた1024ABの2りょうのみとなり、りょうくるま2000ねん11月26にち全線ぜんせん廃止はいしまでラッシュもちいられた。最後さいごまで冷房れいぼう装置そうち搭載とうさいされなかった[44][35][45]

主要しゅようしょもと北九州きたきゅうしゅうせん

編集へんしゅう
北九州きたきゅうしゅうせん連接れんせつしゃ 主要しゅようしょもと[6][2][28][29][46]
車両しゃりょう番号ばんごう 製造せいぞう年月としつき 製造せいぞう企業きぎょう 車体しゃたい 台車だいしゃ 備考びこう
製造せいぞう企業きぎょう 動力どうりょく台車だいしゃ 付随ふずい台車だいしゃ じくばこ支持しじ装置そうち
1001AB-1010AB 1953ねん9月 川崎かわさき車輌しゃりょう はんはがねせい 川崎かわさき車輌しゃりょう OK9A OK9B じくはりしき
1011AB 1953ねん9月 川崎かわさき車輌しゃりょう はんはがねせい 川崎かわさき車輌しゃりょう OK12A OK12B じくはりしき
1012AB-1015AB 1954ねん3がつ 川崎かわさき車輌しゃりょう はんはがねせい 川崎かわさき車輌しゃりょう OK12A OK12B じくはりしき
1016AB-1020AB 1954ねん4がつ 近畿車輛きんきしゃりょう はんはがねせい 近畿車輛きんきしゃりょう KD14 KD14A ウイングばね 1020ABは北九州きたきゅうしゅうせん廃止はいしまで在籍ざいせき[45]
1021AB-1025AB 1958ねん2がつ 近畿車輛きんきしゃりょう ぜん金属きんぞくせい 近畿車輛きんきしゃりょう KD14 KD14A ウイングばね 1024ABは北九州きたきゅうしゅうせん廃止はいしまで在籍ざいせき[45]
1026AB-1030AB 1958ねん2がつ 川崎かわさき車輌しゃりょう ぜん金属きんぞくせい 川崎かわさき車輌しゃりょう OK12E OK12F じくはりしき
1031AB・1032AB 1959ねん7がつ 近畿車輛きんきしゃりょう ぜん金属きんぞくせい 近畿車輛きんきしゃりょう KD14 KD14A ウイングばね
1033AB-1036AB 1959ねん12月 近畿車輛きんきしゃりょう ぜん金属きんぞくせい 近畿車輛きんきしゃりょう KD14 KD14A ウイングばね
1037AB-1039AB 1959ねん7がつ 帝国ていこく車輌しゃりょう ぜん金属きんぞくせい 帝国ていこく車輌しゃりょう TB21 TB21A イコライザー
1040AB-1042AB 1959ねん12月 帝国ていこく車輌しゃりょう ぜん金属きんぞくせい 帝国ていこく車輌しゃりょう TB21 TB21A イコライザー
1043AB-1045AB 1959ねん12月 日立製作所ひたちせいさくしょ ぜん金属きんぞくせい 日立製作所ひたちせいさくしょ KL13A KL13B ウイングばね 1045ABは1963ねんに3車体しゃたい連接れんせつしゃ
1046AB・1047AB 1961ねん1がつ 近畿車輛きんきしゃりょう ぜん金属きんぞくせい 近畿車輛きんきしゃりょう KD14 KD14A ウイングばね
1048AB-1050AB 1961ねん1がつ 日本車輌製造にっぽんしゃりょうせいぞう ぜん金属きんぞくせい 日本車輌製造にっぽんしゃりょうせいぞう NS15 NS15A ウイングばね
1051AB-1055AB 1962ねん4がつ 日本車輌製造にっぽんしゃりょうせいぞう ぜん金属きんぞくせい 日本車輌製造にっぽんしゃりょうせいぞう NS15 NS15A ウイングばね 1052AB-1055ABは1962-64ねんに3車体しゃたい連接れんせつしゃ
1055ABは製造せいぞう当初とうしょ福岡ふくおか市内しないせん在籍ざいせき[注釈ちゅうしゃく 4]
1056AB・1057AB 1963ねん6がつ 日本車輌製造にっぽんしゃりょうせいぞう ぜん金属きんぞくせい 日本車輌製造にっぽんしゃりょうせいぞう NS15 NS15A ウイングばね 1963ねんに3車体しゃたい連接れんせつしゃ
1058AB-1060AB 1964ねん7がつ 日本車輌製造にっぽんしゃりょうせいぞう ぜん金属きんぞくせい 日本車輌製造にっぽんしゃりょうせいぞう NS15 NS15A ウイングばね
1061AB 1964ねん7がつ 近畿車輛きんきしゃりょう ぜん金属きんぞくせい 近畿車輛きんきしゃりょう KD53 KD53A ウイングばね
1062AB 1967ねん2がつ 九州きゅうしゅう車輛しゃりょう ぜん金属きんぞくせい 日本車輌製造にっぽんしゃりょうせいぞう NS15 NS15A ウイングばね 製造せいぞう当初とうしょからツーマン準備じゅんび工事こうじ施工しこう
1063AB・1064AB 1967ねん4がつ 九州きゅうしゅう車輛しゃりょう ぜん金属きんぞくせい 日本車輌製造にっぽんしゃりょうせいぞう NS15 NS15A ウイングばね 製造せいぞう当初とうしょからツーマン準備じゅんび工事こうじ施工しこう
1045C 1963ねん9月 日立製作所ひたちせいさくしょ ぜん金属きんぞくせい 日立製作所ひたちせいさくしょ KL13D ウイングばね 中間ちゅうかん車体しゃたい(Cくるま)
1052C・1053C 1964ねん5月 九州きゅうしゅう車輛しゃりょう ぜん金属きんぞくせい 日本車輌製造にっぽんしゃりょうせいぞう NS15B ウイングばね 中間ちゅうかん車体しゃたい(Cくるま)
1054C 1962ねん11月 日本車輌製造にっぽんしゃりょうせいぞう ぜん金属きんぞくせい 日本車輌製造にっぽんしゃりょうせいぞう NS15B ウイングばね 中間ちゅうかん車体しゃたい(Cくるま)
1055C-1057C 1963ねん11月 日本車輌製造にっぽんしゃりょうせいぞう ぜん金属きんぞくせい 日本車輌製造にっぽんしゃりょうせいぞう NS15B ウイングばね 中間ちゅうかん車体しゃたい(Cくるま)

福岡ふくおか市内しないせん車両しゃりょう

編集へんしゅう
西鉄にしてつ1001かたち電車でんしゃ
西鉄にしてつ1101かたち電車でんしゃ
西鉄にしてつ1201かたち電車でんしゃ
西鉄にしてつ1301かたち電車でんしゃ
 
熊本くまもと交通こうつうきょく5014AB
もと西鉄にしてつ1014AB、2017ねん撮影さつえい
基本きほん情報じょうほう
運用うんようしゃ 西日本鉄道にしにっぽんてつどう
製造せいぞうしょ 川崎かわさき車輌しゃりょう汽車きしゃ製造せいぞう日立製作所ひたちせいさくしょ
製造せいぞうねん 1954ねん - 1964ねん
製造せいぞうすう 35りょう合計ごうけい
運用うんよう開始かいし 1954ねん7がつ1にち
運用うんよう終了しゅうりょう 1975ねん11月2にち
投入とうにゅうさき 福岡ふくおか市内しないせん
主要しゅようしょもと
編成へんせい 2車体しゃたい連接れんせつしゃ
軌間きかん 1,435 mm
電気でんき方式ほうしき 直流ちょくりゅう600 V
架空かくう電車でんしゃせん方式ほうしき
車輪しゃりんみち 660 mm
固定こていじく 1,500 mm
制御せいぎょ方式ほうしき 抵抗ていこう制御せいぎょ間接かんせつ自動じどう制御せいぎょ方式ほうしき
制動せいどう装置そうち 直通ちょくつう空気くうきブレーキ
備考びこう 主要しゅよう数値すうち下記かき参照さんしょう[2][24][47][31][11]
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概要がいよう

編集へんしゅう

福岡ふくおか市内しないせんけの連接れんせつしゃは、製造せいぞうねん製造せいぞうメーカーによって以下いかの4形式けいしきけられていた。全車ぜんしゃとも廃車はいしゃまで2車体しゃたい連接れんせつしゃであった[2]

  • 1001かたち(1001AB - 1015AB) - 福岡ふくおか市内しないせん最初さいしょ導入どうにゅうされた連接れんせつしゃ川崎かわさき車輌しゃりょう製造せいぞう手掛てがけ、1954ねんに5りょう(1001AB - 1005AB)、1957ねんに10りょう(1006AB - 1015AB)が製造せいぞうされた。車体しゃたいはんはがねせいで、東洋電機製造とうようでんきせいぞうせい駆動くどう装置そうちには騒音そうおんすくない中空ちゅうくうじく平行へいこうカルダン駆動くどう方式ほうしき採用さいようされた[2][12]
  • 1101かたち(1101AB - 1105AB) - 1954ねん名義めいぎじょう汽車きしゃ製造せいぞうせいだが、実際じっさい下請したうけの大栄おおえ車輌しゃりょう製造せいぞう手掛てがけた。車体しゃたい屋根やねまるみがすくなくてひらべったく、全体ぜんたいてき形式けいしき比較ひかくしてかくばった形状けいじょうとなっており、がわまどうえ方向ほうこう拡大かくだいして上辺うわべたかさが乗降じょうこうとびらそろえられた一方いっぽう主要しゅよう機器ききは1001かたち同型どうけいであった[2][3][48][49][50]
  • 1201かたち(1201AB - 1209AB) - 輸送ゆそうりょく増強ぞうきょうおよび木造もくぞう電車でんしゃようとして1962ねん - 1963ねん導入どうにゅう。1001かたち準拠じゅんきょしたデザインの車体しゃたいぜん金属きんぞくせいとなり、はいさわうつわ・バンパーの形状けいじょう機器きき北九州きたきゅうしゅうせん車両しゃりょうじゅんじたものとなり、駆動くどう装置そうち駆動くどう方式ほうしき変更へんこうされたが、電動でんどう出力しゅつりょくは1001かたち・1101かたち同様どうように38 kwであった。1201AB - 1207ABは日立製作所ひたちせいさくしょ、1208AB・1209ABは汽車きしゃ製造せいぞうせいで、後者こうしゃ台車だいしゃ(KS-117)は前者ぜんしゃ採用さいようされたKL-13けい台車だいしゃ設計せっけいもとつくられた同型どうけいである。1201AB・1202ABは3車体しゃたい連接れんせつしゃへの改造かいぞう前提ぜんてい設計せっけいされたが、福岡ふくおか市内しない道路どうろ状況じょうきょう悪化あっか理由りゆう認可にんかりず、実際じっさい改造かいぞうおこなわれることはなかった[2][48][39][48][49]
  • 1301かたち(1301AB - 1306AB) - 木造もくぞう電車でんしゃようとして、北九州きたきゅうしゅうせん車両しゃりょう(1058AB - 1061AB)ととも1964ねんぶん予算よさん導入どうにゅう。1301AB - 1304ABは日立製作所ひたちせいさくしょ、1305AB・1306ABは汽車きしゃ製造せいぞうせい機器きき構造こうぞうは1201かたち同様どうようだが、電動でんどう出力しゅつりょく北九州きたきゅうしゅうせん車両しゃりょう同様どうようの45 kwに向上こうじょうし、スペックの統一とういつはかられた[12][49]
  • 1000かたち(1055AB) - 北九州きたきゅうしゅうせんけに導入どうにゅうされた1000がたのうち、1055ABのみ1962ねん12月しんせいからよく1963ねん9月まで福岡ふくおか市内しないせん配置はいちされていた。以降いこう北九州きたきゅうしゅうせん転属てんぞくし、同年どうねん12月以降いこうは3車体しゃたい連接れんせつしゃとして使用しようされた[15][22]

運用うんよう

編集へんしゅう

1954ねん導入どうにゅう開始かいしされた1001かたち皮切かわきりに1055ABをのぞいて合計ごうけい35りょう導入どうにゅうされ、朝夕あさゆうのラッシュくわ平和へいわだい球場きゅうじょうでの野球やきゅう試合しあいはじめとしたイベント多客たきゃく輸送ゆそうにもおおきく貢献こうけんした。はんはがねせい車体しゃたい導入どうにゅうされた1001かたち・1101がたについては後年こうねん木製もくせい部品ぶひんであった乗降じょうこうとびらまどわく金属きんぞくせいのものに、車内しゃない照明しょうめい蛍光けいこうとう交換こうかんしたほか1968ねん以降いこう北九州きたきゅうしゅうせん車両しゃりょう同様どうようにツーメン工事こうじほどこされた。だが利用りようきゃく減少げんしょう結果けっか1975ねん11月2にちおこなわれただい1廃止はいしをもって福岡ふくおか市内しないせん連接れんせつしゃ全車ぜんしゃとも運用うんよう離脱りだつし、廃車はいしゃされた。北九州きたきゅうしゅうせん転属てんぞくおこなわれず、解体かいたいされた車両しゃりょう存在そんざいした一方いっぽうおおくの車両しゃりょう各地かくち鉄道てつどう事業じぎょうしゃへと譲渡じょうとされた[25][51][52][3][53]

主要しゅようしょもと福岡ふくおか市内しないせん

編集へんしゅう
福岡ふくおか市内しないせん連接れんせつしゃ 主要しゅようしょもと(1055ABのぞく)[2][15]
形式けいしき 1001かたち 1101かたち 1201かたち 1301かたち
車両しゃりょう番号ばんごう 1001AB-1005AB 1006AB-1015AB 1101AB-1105AB 1201AB-1207AB 1208AB・1209AB 1301AB-1304AB 1305AB・1306AB
製造せいぞうねん 1954 1957 1954 1962-63 1963 1964
製造せいぞうメーカー 川崎かわさき車輌しゃりょう 汽車きしゃ製造せいぞう
(大栄おおえ車輌しゃりょう)
日立製作所ひたちせいさくしょ 汽車きしゃ製造せいぞう 日立製作所ひたちせいさくしょ 汽車きしゃ製造せいぞう
定員ていいん 130にん
着席ちゃくせき54にん 着席ちゃくせき34にん
車体しゃたい はんはがねせい ぜん金属きんぞくせい
全長ぜんちょう 18,000 mm
全幅ぜんぷく 2,400 mm
ぜんこう
しゅうでん装置そうち含)
3,937mm 3,940mm 3,937mm 3,940mm
重量じゅうりょう 21.2t 21.6t 22.2t 21.2t 22.2t
台車だいしゃ 川崎かわさき OK-10 汽車きしゃ KS-111 日立ひたち KL-13 汽車きしゃ KS-117 日立ひたち KL-13 汽車きしゃ KS-117
じくばこ支持しじ方式ほうしき じくはりしき じくばね ウイングばね
しゅ電動でんどう 東洋とうよう TDK-828-A
(37.3kw)
日立ひたち HS-312-DR
(37.3kw)
日立ひたち HS-314-R
(37.3kw)
東洋とうよう TDK-534-A
(45.0kw)
車両しゃりょう出力しゅつりょく 149.2kw 180.0kw
駆動くどう方式ほうしき 中空ちゅうくうじく平行へいこうカルダン駆動くどう方式ほうしき 駆動くどう方式ほうしき
歯車はぐるま 6.71(94:14) 4.06(69:17) 4.07(61:15)
制御せいぎょ装置そうち 東洋とうよう ES-536 日立ひたち MMC-LB-5B 日立ひたち MMC-LB-5B2 東洋とうよう ES-536D
備考びこう

譲渡じょうと

編集へんしゅう

北九州きたきゅうしゅうせん福岡ふくおか市内しないせん余剰よじょうとなった連接れんせつしゃ一部いちぶは、北九州きたきゅうしゅうせん直通ちょくつう運転うんてん実施じっししていた筑豊ちくほう電気でんき鉄道てつどうはじめとする各地かくち路面ろめん電車でんしゃ事業じぎょうしゃ譲渡ゆずりわたされ、輸送ゆそうりょく増強ぞうきょうおおきく貢献こうけんした。また、それらの事業じぎょうしゃからさらべつ事業じぎょうしゃ企業きぎょうさい譲渡じょうとされた事例じれい存在そんざいしており、以下いか双方そうほうまとめて解説かいせつする。これらの車両しゃりょうについては、筑豊ちくほう電気でんき鉄道てつどう2100かたちのぞいて全車ぜんしゃとも屋根やねじょう冷房れいぼう装置そうち搭載とうさいする改造かいぞう工事こうじけている[54]

筑豊ちくほう電気でんき鉄道てつどう

編集へんしゅう
 
2003(2007ねん撮影さつえい

1956ねん開通かいつう以降いこう直通ちょくつう運転うんてんおこな西鉄にしてつ北九州きたきゅうしゅうせん電車でんしゃボギぼぎしゃ)を借用しゃくようするかたち運転うんてんおこなわれていた筑豊ちくほう電気でんき鉄道てつどうは、1976ねん導入どうにゅうしたもと福岡ふくおか市内しないせん1201かたち・1301かたちはつ自社じしゃ所有しょゆう車両しゃりょうとなった。よく1977ねん以降いこう北九州きたきゅうしゅうせん余剰よじょうとなった1000かたち譲渡じょうとけ、これらは3車体しゃたい連接れんせつしゃ改造かいぞうされ2000かたちとして運用うんようされてきた。また、おなじく北九州きたきゅうしゅうせんから譲渡じょうとされた1000がた一部いちぶは2車体しゃたい連接れんせつ原型げんけいのまま2100かたちとして使用しようされたが、1988ねん以降いこう製造せいぞうされた3000かたちへの機器きき供出きょうしゅつ列車れっしゃ本数ほんすう減少げんしょう老朽ろうきゅうにより2006ねんまでに全車ぜんしゃ廃車はいしゃされている[4][55]

広島電鉄ひろしまでんてつ

編集へんしゅう
 
3002(2008ねん撮影さつえい

広島ひろしまけん中心ちゅうしん公共こうきょう交通こうつう事業じぎょう展開てんかいする広島電鉄ひろしまでんてつ[注釈ちゅうしゃく 5]路面ろめん電車でんしゃ路線ろせんには、福岡ふくおか市内しないせん使用しようされた1101かたち・1201かたち・1301かたち譲渡じょうとされた。最初さいしょ導入どうにゅうされた1301かたちぜんあきらとう移設いせつなどのしょう改造かいぞう塗装とそう変更へんこうのぞきそのままの姿すがた営業えいぎょう運転うんてん投入とうにゅうされたが、形式けいしき導入どうにゅうはじまった1977ねん以降いこうとも編成へんせい変更へんこう尾灯びとう増設ぞうせつ乗降じょうこうとびら改造かいぞう方向ほうこうまく大型おおがた、1101がた駆動くどう方式ほうしきへの変更へんこうなどのだい改造かいぞうけたうえで、広島電鉄ひろしまでんてつはつの3車体しゃたい連接れんせつしゃである3000かたちとして運用うんようされている[57]

熊本くまもと交通こうつうきょく

編集へんしゅう
 
5014(2007ねん撮影さつえい

ラッシュ輸送ゆそうりょく増強ぞうきょうのため、1976ねん - 1979ねん熊本くまもと交通こうつうきょく運営うんえいする路面ろめん電車でんしゃ路線ろせんけて福岡ふくおか市内しないせん1001かたちが4りょう譲渡じょうとされた。駆動くどう装置そうち製造せいぞう中空ちゅうくうじく平行へいこうカルダン駆動くどう方式ほうしきがそのまま維持いじされており、2019ねん時点じてんでも5014ABが在籍ざいせきする[5][58]

川崎重工業かわさきじゅうこうぎょう

編集へんしゅう

筑豊ちくほう電気でんき鉄道てつどう譲渡ゆずりわたされたきゅう北九州きたきゅうしゅうせん車両しゃりょう・2車体しゃたい連接れんせつしゃの2100がたのうち、最後さいごまで在籍ざいせきした2103ABについては2006ねん川崎重工業かわさきじゅうこうぎょう譲渡ゆずりわたされ、同社どうしゃちょうていゆか電車でんしゃけに開発かいはつすすめるニッケル水素すいそ電池でんち「ギガセル」の試験しけん車両しゃりょうとしてもちいられた[55]

ミャンマー国鉄こくてつ

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広島電鉄ひろしまでんてつ譲渡ゆずりわたされたきゅう福岡ふくおか市内しないせん車両しゃりょうのうち、1101かたち・1201かたちたねしゃとなった3005・3006については路面ろめん電車でんしゃもう建設けんせつ計画けいかくすすめていたミャンマー国鉄こくてつさい譲渡じょうとされ、750かたち(772、きゅう大阪おおさか市電しでん)ととも路面ろめん電車でんしゃ路線ろせんとして電化でんかおこなわれたストランドせん2016ねん1がつ10日とおかから使用しようされたが、利用りようきゃく低迷ていめいともな深刻しんこく赤字あかじ理由りゆうわず半年はんとし7がつ運行うんこう休止きゅうしした[59][60]

 
みつみ老人ろうじん福祉ふくし施設しせつ保存ほぞんされている1024AB(2008ねん撮影さつえい

2019ねん現在げんざい北九州きたきゅうしゅうせん最後さいごまで使用しようされた1024ABが福岡ふくおか介護かいご老人ろうじん保健ほけん施設しせつであるみつみ老人ろうじん福祉ふくし施設しせつ静態せいたい保存ほぞんされている。一方いっぽう過去かこには香椎かしい花園はなぞの福岡ふくおか市内しないせんけに製造せいぞうされた1001かたち1001ABが保存ほぞんされていたが荒廃こうはいすすみ、2019ねん時点じてんすで解体かいたいされている[61][62][63]

関連かんれん項目こうもく

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脚注きゃくちゅう

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注釈ちゅうしゃく

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  1. ^ 台車だいしゃしゅ電動でんどうは1のみ搭載とうさいされ、車体しゃたい内側うちがわ車軸しゃじく動力どうりょく伝達でんたつされていた[19]
  2. ^ 地元じもと北九州きたきゅうしゅう在住ざいじゅう鉄道てつどうともかい会員かいいん長年ながねんにわたり北九州きたきゅうしゅうせん研究けんきゅうおこなってきた奈良ならさき博保ひろやす著述ちょじゅつによる[20]。また、このような設定せってい採用さいようしてもなお高速こうそくいきでの出力しゅつりょく余裕よゆうがあり、奈良ならさきは、1953ねん昭和しょうわ28ねん)におこなわれたほん形式けいしき試運転しうんてんさい北九州きたきゅうしゅう本線ほんせん新設しんせつ軌道きどう区間くかんのうち皇后崎こうがさき - じんはらあいだにおいて最高さいこう速度そくど68km/hが記録きろくされ、関係かんけいしゃおどろかせたことを紹介しょうかいしている[33][20]
  3. ^ Cくるま自体じたいは8がつ時点じてん完成かんせいしていたが、道路どうろ交通こうつうほうとのいもあり営業えいぎょう開始かいしおくれた。
  4. ^ このとき福岡ふくおか市内しないせん方針ほうしんわせて、車体しゃたい前面ぜんめん車両しゃりょう番号ばんごう上部じょうぶ表記ひょうきしていた。
  5. ^ 北九州きたきゅうしゅうせん路線ろせんもう縮小しゅくしょうした1985ねん以降いこう日本にっぽん最大さいだい路面ろめん電車でんしゃ路線ろせんもうゆうする事業じぎょうしゃとなっている[56]

出典しゅってん

編集へんしゅう
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  4. ^ a b c 寺田てらだ祐一ゆういち 2003, p. 93.
  5. ^ a b 寺田てらだ祐一ゆういち 2003, p. 100.
  6. ^ a b c d e f g きたゆたかせい 1967, p. 23.
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  8. ^ 片山かたやま憲一けんいち 2014, p. 39.
  9. ^ a b c 片山かたやま憲一けんいち 2014, p. 41.
  10. ^ 片山かたやま憲一けんいち 2014, p. 42.
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  12. ^ a b c 谷口たにぐち良忠よしただ 1966, p. 29.
  13. ^ 朝日新聞社あさひしんぶんしゃ 1973, p. 91.
  14. ^ 東京工業大学とうきょうこうぎょうだいがく鉄道てつどう研究けんきゅう 1976, p. 305.
  15. ^ a b c d 谷口たにぐち良忠よしただ 1962a, p. 49.
  16. ^ a b 飯島いいじまいわお, 谷口たにぐち良忠よしただ & 荒川あらかわ好夫よしお 1985, p. 57.
  17. ^ a b 飯島いいじまいわお, 谷口たにぐち良忠よしただ & 荒川あらかわ好夫よしお 1985, p. 60.
  18. ^ a b 飯島いいじまいわお, 谷口たにぐち良忠よしただ & 荒川あらかわ好夫よしお 1985, p. 61.
  19. ^ 飯島いいじまいわお, 谷口たにぐち良忠よしただ & 荒川あらかわ好夫よしお 1985, p. 151.
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  22. ^ a b c 山本やまもとさかなねむ & 松本まつもと克広かつひろ 1982, p. 65.
  23. ^ 飯島いいじまいわお, 谷口たにぐち良忠よしただ & 荒川あらかわ好夫よしお 1985, p. 56.
  24. ^ a b c d 飯島いいじまいわお, 谷口たにぐち良忠よしただ & 荒川あらかわ好夫よしお 1985, p. 130.
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  26. ^ 山本やまもとさかなねむ & 松本まつもと克広かつひろ 1982, p. 69.
  27. ^ 山本やまもとさかなねむ & 松本まつもと克広かつひろ 1982, p. 73.
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  32. ^ 飯島いいじまいわお, 谷口たにぐち良忠よしただ & 荒川あらかわ好夫よしお 1985, p. 56-57.
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参考さんこう資料しりょう

編集へんしゅう
  • 鉄道てつどうファン各号かくごう. (交友こうゆうしゃ 
    • 谷口たにぐち良忠よしただ九州きゅうしゅうしょう10 西鉄にしてつ軌道きどうせんしんせいしゃ」『鉄道てつどうファン 15ごうだい2かんだい9ごう、1962ねん9がつ1にち、49ぺーじ 
    • 谷口たにぐち良忠よしただ九州きゅうしゅうしょう11 西鉄にしてつ福岡ふくおか市内しないせんしんせい連接れんせつしゃ 1201.1202」『鉄道てつどうファン 17ごうだい2かんだい11ごう、1962ねん11月1にち、67ぺーじ 
    • 谷口たにぐち良忠よしただ九州きゅうしゅうしょう13:路面ろめん電車でんしゃ新車しんしゃ」『鉄道てつどうファン 23ごうだい3かんだい5ごう、1963ねん5がつ1にち、64-65ぺーじ 
    • 谷口たにぐち良忠よしただ新車しんしゃインタビュー 西日本鉄道にしにっぽんてつどう 福岡ふくおか市内しないせん 301・302 1203~1209」『鉄道てつどうファン 31ごうだい4かんだい1ごう、1964ねん1がつ1にち、62-63ぺーじ 
    • 谷口たにぐち良忠よしただ西鉄にしてつ軌道きどうせん連接れんせつ新車しんしゃ」『鉄道てつどうファン 56ごうだい6かんだい2ごう、1966ねん2がつ1にち、29ぺーじ 
    • きたゆたかせい「ガイド特集とくしゅう 北九州きたきゅうしゅう 筑豊ちくほう電気でんき鉄道てつどう西鉄にしてつ連接れんせつしゃはしるところ―」『鉄道てつどうファン 73ごうだい7かんだい2ごう、1967ねん2がつ1にち、21-25ぺーじ 
    • あずま俊一郎しゅんいちろう九州きゅうしゅう路面ろめん電車でんしゃ近況きんきょう」『鉄道てつどうファン 86ごうだい8かんだい8ごう、1968ねん8がつ1にち、62-63ぺーじ