辞典じてん(じてん)とは、言葉ことばや物事ものごと、漢字かんじなどを集あつめ、その品詞ひんし・意味いみ・背景はいけい(語源ごげん等ひとし)・使用しよう法ほう(用例ようれい)・派生はせい語ご・等とうを解説かいせつした書籍しょせき。辞書じしょ(じしょ)・字引じびき(じびき)とも言いう。
なお、「辞典じてん」「辞書じしょ」という単語たんごは、主おもに言葉ことばについて書かかれたもの(国語こくご辞典じてん、英和えいわ辞典じてん、漢和かんわ辞典じてんなど)について用もちいるもので、文字もじについて書かかれた辞典じてんは「字典じてん」、事物じぶつに就ついて詳細しょうさいに書かかれた辞典じてん(百科ひゃっか事典じてんなど)については「事典じてん」という表記ひょうきを用もちいて区別くべつされる。「辞典じてん」「字典じてん」「事典じてん」はいずれも「じてん」で発話はつわにおいては区別くべつできないため、それぞれ「ことばてん」(言葉ことば典てん)、「もじてん」(文字もじ典てん)、「ことてん」(事典じてん)とい換いかえられることもある。
辞書じしょに関かんする学問がくもん分野ぶんやとして辞書じしょ学がくがある。辞書じしょの編纂へんさん者しゃはレキシコグラファー(lexicographer)と呼よばれる[1]。
日本にっぽんにおける現存げんそん最古さいこの辞典じてんは、平安へいあん時代じだい初期しょきに空海くうかいによって編纂へんさんされた『篆隷万象ばんしょう名義めいぎ』であると言いわれる。次つぎに編あまれたのは、昌あきら住じゅうによって編纂へんさんされた漢和かんわ辞典じてん、『新撰しんせん字じ鏡きょう』である。これらは漢字かんじを字形じけいによって分類ぶんるいした字書じしょであった。この系統けいとうでは院政いんせい期きになると『類聚るいじゅう名義めいぎ抄しょう』が作つくられた。
一方いっぽう、『爾しか雅みやび』の流ながれを汲くみ意味いみ別べつに漢字かんじが分類ぶんるいされた漢和かんわ辞典じてんには、平安へいあん時代じだい中期ちゅうき、源順みなもとのしたごうによって編纂へんさんされた『和名わみょう類聚るいじゅう抄しょう』がある。項目こうもくの多様たよう性せいから日本にっぽん最古さいこの百科ひゃっか事典じてんともされる。この系統けいとうの辞典じてんでは室町むろまち時代ときよになると、読よみ書かきが広ひろい階層かいそうへ普及ふきゅうし始はじめたことを背景はいけいに、『下学かがく集しゅう』、諸種しょしゅの「節用せつよう集しゅう」などの辞典じてんが多おおく編あまれた。
また、漢字かんじの字音じおんにもとづいて漢字かんじを分類ぶんるいした韻書いんしょとして、南北なんぼく朝あさ時代じだいに『聚分韻いん略りゃく』が作つくられた。
安土あづち桃山ももやま時代じだい最さい末期まっきの1603年ねん(慶長けいちょう8年ねん)には、イエズス会かいのキリスト教きりすときょう宣教師せんきょうしにより『日にち葡辞書しょ』が作成さくせいされた[2]。日本にっぽんにおける「辞書じしょ」の呼称こしょうは『羅ら葡日対訳たいやく辞書じしょ』 (1593年ねん)が初出しょしゅつと考かんがえられる。日にち葡辞書しょは、当時とうじのポルトガル語ごアルファベットで記述きじゅつされており、室町むろまち時代ときよ末期まっき〜安土あづち桃山ももやま時代じだいの日本語にほんご音韻おんいんをよく記録きろくする第だい一いち級きゅう史料しりょうでもある。
江戸えど時代じだいには、室町むろまち期きの「節用せつよう集しゅう」や往来おうらい物ぶつを元もとにして非常ひじょうに多数たすうの辞典じてんが編集へんしゅう・発行はっこうされた。それらのうち、『和漢わかん三さん才さい図会ずえ』や『古今ここん要覧ようらん稿こう』などは、百科ひゃっか事典じてんと呼よぶべき内容ないようを備そなえている。
明治めいじ時代じだいにはいると、言語げんご政策せいさくの一環いっかんとして大槻おおつき文彦ふみひこの『言げん海うみ』が編纂へんさんされた。大槻おおつきは西洋せいようの言語げんご理論りろん(特とくに英語えいご辞書じしょ『ウェブスター英語えいご辞典じてん』)を元もとにして日本語にほんごの言語げんご理論りろんを体系たいけい化かし、それにより『言げん海うみ』をつくった。その後ご、言げん海うみを範はんとして多おおくの辞典じてんがつくられた。
戦後せんごは新村しんむら出いずる編へん『広辞苑こうじえん』や、独特どくとくの語釈ごしゃくで知しられる山田やまだ忠雄ただお他た編へん『新しん明解めいかい国語こくご辞典じてん』などを含ふくめ、様々さまざまな辞典じてんが発行はっこうされた。20世紀せいき末まつから各種かくしゅの電子でんし辞書じしょも登場とうじょうした。
中国ちゅうごく語ごを表記ひょうきする文字もじは漢字かんじであり、意味いみの違ちがいに応おうじて異ことなる文字もじが使つかわれる。このため、中国ちゅうごくで言葉ことばを集あつめたり解説かいせつすることは、漢字かんじを集あつめ、その字義じぎを解説かいせつすることで代替だいたいされた。漢字かんじを字形じけいによって配当はいとうし、字義じぎや字音じおん、字源じげんなどをまとめた書物しょもつを字書じしょ(じしょ)と呼よんだ。『説せつ文ぶん解かい字じ』『玉たま篇へん』などがこれに相当そうとうする。これは日本にっぽんの漢和かんわ辞典じてんの原型げんけいである。字書じしょは『康かん熙字典じてん』以降いこう、字典じてん(じてん)と呼よばれることが多おおくなった。一方いっぽう、字義じぎによって漢字かんじを集あつめる書物しょもつもあり、一種いっしゅの類語るいご辞典じてんであるが、これには『爾しか雅みやび』『釈しゃく名めい』『方言ほうげん』などがある。現在げんざい、中国ちゅうごくではこれらを訓詁くんこ書しょ(くんこしょ)と呼よんでいるが、日本にっぽんでは河野こうの六郎ろくろうが義ぎ書しょ(ぎしょ)と呼よぶことを提唱ていしょうしている。また、音韻おんいんによって漢字かんじを分類ぶんるいし、その順じゅんによって並ならべた書物しょもつを韻書いんしょ(いんしょ)と呼よぶ。これには『切きり韻いん』『広こう韻いん』『集しゅう韻いん』『中原なかはら音韻おんいん』などがある。
以上いじょうのように伝統でんとう的てきな中国ちゅうごくの学問がくもんでは漢字かんじ1字じの字義じぎを扱あつかうものしかなく、現代げんだい的てきにいえば、形態素けいたいその意味いみを扱あつかう辞典じてんしかなかった。2字じ以上いじょうで表あらわされる単語たんごの意味いみが扱あつかわれるようになるのは近代きんだい以降いこうであり、現在げんざいの中国ちゅうごくで語義ごぎを扱あつかうものは詞し典てん(あるいは辞典じてん)と呼よんでいる。
伝統でんとう学問がくもんでは類語るいご辞典じてん的てき・百科ひゃっか事典じてん的てきなものが作つくられた。これを類書るいしょという。もっぱら自然しぜん界かいや人間にんげん界かいの事物じぶつや現象げんしょうに関かんする語かたりに関かんして古今ここんのさまざまな書物しょもつから用例ようれいを集あつめて引用いんようしたものである。後のちには書物しょもつがまるごと分類ぶんるいされ、事典じてんよりも叢書そうしょ的てきな様相ようそうを呈ていしたものもある。『芸文げいぶん類聚るいじゅう』『太平たいへい御覧ごらん』『永楽えいらく大典たいてん』『古今ここん図書としょ集成しゅうせい』といったものが挙あげられる。漢詩かんしを作つくるのに利用りようされた『佩文韻いん府ふ』などは日本にっぽんの漢和かんわ辞典じてんで熟語じゅくごの典故てんこの記載きさいなどに利用りようされた。