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造船疑獄 - Wikipedia

造船ぞうせん疑獄ぎごく(ぞうせんぎごく)とは、だい世界せかい大戦たいせん日本にっぽんにおける計画けいかく造船ぞうせんにおける利子りし軽減けいげんのための「そとこうせん建造けんぞう利子りし補給ほきゅうほう制定せいてい請願せいがんをめぐる贈収賄ぞうしゅうわい事件じけん1954ねん1がつ強制きょうせい捜査そうさ開始かいしされた。政界せいかい財界ざいかい官僚かんりょう被疑ひぎしゃ多数たすう逮捕たいほされ、当時とうじ吉田よしだしげる内閣ないかくたおれる発端ほったんとなった事件じけんひとつ。

 
自由党じゆうとうふく幹事かんじちょう辞任じにん記者きしゃだんみずからの無実むじつうったえる有田ありた二郎じろう

まち金融きんゆうおうばれた森脇もりわきすすむこう融資ゆうしトラブルからはしはっした疑惑ぎわく[1]は、東京とうきょう地検ちけん特捜とくそうにより山下やました汽船きせん日本にっぽん海運かいうんなど海運かいうん造船ぞうせん業界ぎょうかい幹部かんぶ逮捕たいほいたった。さらに捜査そうさ政界せいかい官僚かんりょうにおよび、捜査そうさ主任しゅにん検事けんじ河井かわい信太郎しんたろうによる大野おおの伴睦ばんぼく調しらべから有田ありた二郎じろう国会こっかい議員ぎいん4めい逮捕たいほなどをてさらに発展はってんする気配けはいをみせた。

2がつには衆議院しゅうぎいん行政ぎょうせい監察かんさつ特別とくべつでは、自由党じゆうとう池田いけだ勇人はやと政調せいちょう会長かいちょう証人しょうにん喚問かんもんするかで紛糾ふんきゅうしていた。2月16にち内閣ないかく有田ありた二郎じろう代議士だいぎしへの逮捕たいほ許諾きょだく請求せいきゅうおこない、2がつ23にち衆院しゅういんほん会議かいぎで5ひょう可決かけつ有田ありた東京とうきょう地検ちけん出頭しゅっとうした。

4がつ20日はつか検察庁けんさつちょう当時とうじ与党よとう自由党じゆうとう幹事かんじちょうであった佐藤さとう栄作えいさく第三者だいさんしゃ収賄しゅうわいざい容疑ようぎにより逮捕たいほする方針ほうしん決定けっていした。しかし、よく4がつ21にちいぬやしなえけん法務大臣ほうむだいじん重要じゅうよう法案ほうあん防衛庁ぼうえいちょう設置せっちほう自衛隊じえいたいほう)の審議しんぎちゅう理由りゆう検察庁けんさつちょうほうだい14じょうによる指揮しきけん発動はつどうし、佐藤さとうふじたすく検事けんじ総長そうちょう逮捕たいほ中止ちゅうし任意にんい捜査そうさ指示しじし、直後ちょくご大臣だいじん辞任じにんした。後任こうにん加藤かとう鐐五ろう国会こっかい閉会へいかい直前ちょくぜんの6がつ9にちに「4がつ21にち法相ほうしょう指示しじ国会こっかい閉会へいかいとともに自然しぜん消滅しょうめつする」と佐藤さとう検事けんじ総長そうちょう通知つうちしている。検察けんさつ贈賄ぞうわいがわ保釈ほしゃくされていることで収賄しゅうわいざい容疑ようぎうらづけることは困難こんなんとして国会こっかい閉会へいかい佐藤さとう幹事かんじちょう逮捕たいほをすることはなかった。

4がつ23にちには参議院さんぎいんほん会議かいぎ指揮しきけん発動はつどうかんする内閣ないかく警告けいこく決議けつぎ可決かけつされた[2]衆議院しゅうぎいん9月6にち決算けっさん委員いいんかいひらいて証人しょうにん喚問かんもんおこない、佐藤さとう検事けんじ総長そうちょうは「指揮しきけん発動はつどう捜査そうさ支障ししょうた」と証言しょうげん[3]。また、衆議院しゅうぎいん吉田よしだしげる首相しゅしょう証人しょうにん喚問かんもん議決ぎけつをするも、吉田よしだ公務こうむ多忙たぼう病気びょうき理由りゆう拒否きょひ。その衆議院しゅうぎいん拒否きょひ事由じゆう不十分ふじゅうぶんとして議院ぎいん証言しょうげんほう違反いはん吉田よしだ告発こくはつするも、起訴きそ処分しょぶんとなった。

逮捕たいほしゃは71にんにのぼり、35にん起訴きそされた。疑獄ぎごく中心ちゅうしん部分ぶぶんかかわったのは23にんであり、7にん無罪むざい、12にん執行しっこう猶予ゆうよづけ懲役ちょうえきけい2人ふたり罰金ばっきんけいけた。自由党じゆうとうへのかねながれについては佐藤さとう栄作えいさく自由党じゆうとう会計かいけい責任せきにんしゃのち政治せいじ資金しきん規正きせいほう違反いはん在宅ざいたく起訴きそされたが、国際こくさい連合れんごう加盟かめい恩赦おんしゃ免訴めんそとなった。

指揮しきけん発動はつどう是非ぜひ

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1954ねん9がつ6にち衆議院しゅうぎいん証人しょうにん喚問かんもんされ野党やとう追及ついきゅうける佐藤さとう検事けんじ総長そうちょう席上せきじょう

本来ほんらいは『起訴きそする権限けんげん独占どくせんしている検察官けんさつかんを、選挙せんきょによる民主みんしゅ主義しゅぎ基盤きばんとする内閣ないかく一員いちいんである法務大臣ほうむだいじんがチェックする仕組しくみ』としてかんがえられていた指揮しきけんが、佐藤さとうなど一部いちぶ政治せいじすくうための手段しゅだん利用りようされてしまったため、制度せいど政治せいじてき正当せいとうせい完全かんぜんうしなわれてしまい、日本にっぽん民主みんしゅ主義しゅぎにとって手痛ていた失敗しっぱいになったとする意見いけんがある[だれ?]

逮捕たいほこそまぬかれたものののち総理そうり大臣だいじん佐藤さとう逮捕たいほじょうされたことで、政界せいかい検察けんさつ党派とうは介入かいにゅうしたものとして敗戦はいせん日本にっぽん政治せいじ一大いちだい汚点おてんかんがえられた。造船ぞうせん疑獄ぎごくによる指揮しきけん発動はつどう問題もんだいこったことで政治せいじ検察けんさつ関心かんしんつことさえもタブーする状況じょうきょうにつながったといわれている[4]

一方いっぽうで、その関係かんけいしゃ資料しりょうによって、検察けんさつ内部ないぶ証拠しょうこ評価ひょうかなどをめぐって捜査そうさ方針ほうしん対立たいりつがあり、強行きょうこう捜査そうさすすめていた特捜とくそう方針ほうしん危惧きぐした検察けんさつ幹部かんぶ政界せいかいたいして指揮しきけん発動はつどうによって強制きょうせい捜査そうさ中止ちゅうしさせるあん内々ないないちかけたことがあきらかになっている[5]当時とうじ検察けんさつ捜査そうさは、づまっていた。造船ぞうせん業界ぎょうかいから自由党じゆうとうかねわたっていたのは間違まちがいないが、政治せいじ献金けんきんがあったという事実じじつしかてきておらず、贈収賄ぞうしゅうわい立件りっけんむずかしかった。捜査そうさ主任しゅにん河井かわい信太郎しんたろう強引ごういん捜査そうさすすめていた状況じょうきょうであった[6]

佐藤さとう栄作えいさく日記にっきによると佐藤さとう栄作えいさく当初とうしょ指揮しきけん発動はつどうなかおこなわないいぬやしなえ法相ほうしょう罷免ひめんにして、しん法相ほうしょう指揮しきけん発動はつどうさせるよう吉田よしだ首相しゅしょう要求ようきゅうしていたという[7]

のちいぬやしなえは『文藝春秋ぶんげいしゅんじゅう』1960ねん5がつごうに、「指揮しきけん発動はつどうにより法務ほうむ検察けんさつ幹部かんぶ軒並のきな引責いんせき辞任じにんさせ、意中いちゅうおとこ検事けんじ総長そうちょうえようというぼう政治せいじ検察けんさつ幹部かんぶ思惑おもわくがあった」とする手記しゅきせている[8]

逮捕たいほ延期えんき指揮しきけん発動はつどう発案はつあんしゃだれかをめぐって論争ろんそうになり、一時期いちじき岸本きしもと義広よしひろ最高検さいこうけん次長じちょう検事けんじ有力ゆうりょくとされたが、そのでは岸本きしもとせつ否定ひていてき見解けんかいしめされるようになった。渡辺わたなべ文幸ふみゆき佐藤さとう達夫たつお法制ほうせいきょく長官ちょうかん指揮しきけん発動はつどう発案はつあんしゃだとしている。

1954ねん3がつ26にち社会党しゃかいとう中田なかた吉雄よしおがこの問題もんだい追及ついきゅうに、「こんいつつの『せる』接待せったい方法ほうほうがある」「ませる・わせる・いばらせる・にぎらせる・いだかせるであるが…」と発言はつげんし、一部いちぶ流行りゅうこうした[9]

1954ねん、NHKラジオ番組ばんぐみユーモア劇場げきじょう』で、三木みきにわとりろうトリローグループにより、造船ぞうせん疑獄ぎごくたいする辛辣しんらつ風刺ふうしコント「犯罪はんざいかげ国会こっかい議員ぎいんあり」が放送ほうそうされた。これに佐藤さとう栄作えいさく激怒げきどし、同年どうねん6がつ13にちどう番組ばんぐみりとなった[10][11]

脚注きゃくちゅう

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  1. ^ 世相せそう風俗ふうぞく観察かんさつかい現代げんだい世相せそう風俗ふうぞく年表ねんぴょう:1945-2008』河出書房新社かわでしょぼうしんしゃ、2009ねん3がつ、61ぺーじISBN 9784309225043 
  2. ^ 官報かんぽう号外ごうがいだい19かい国会こっかい 参議院さんぎいんほん会議かいぎろくだい38ごう (PDF) 参議院さんぎいん会議かいぎろく 1954ねん4がつ23にち
  3. ^ 官報かんぽう号外ごうがいだい19かい国会こっかい 衆議院しゅうぎいん決算けっさん委員いいんかい会議かいぎろくだい44ごう (PDF) 衆議院しゅうぎいん会議かいぎろく 1954ねん9がつ6にち
  4. ^ 中西なかにし輝政てるまさ子供こども政治せいじくにほろぼす」『文藝春秋ぶんげいしゅんじゅうだい87かんだい6ごう文藝春秋ぶんげいしゅんじゅう、2009ねん5がつ、p. 118、2009ねん5がつ31にち閲覧えつらん 
  5. ^ 渡辺わたなべ文幸ふみゆき指揮しきけん発動はつどう造船ぞうせん疑獄ぎごく戦後せんご検察けんさつ確立かくりつ」(しんやましゃ出版しゅっぱん
  6. ^ 田原たはら総一朗そういちろう公式こうしきメールマガジン2014.5.27ごう[出典しゅってん無効むこう]
  7. ^ 佐藤さとう栄作えいさく佐藤さとう栄作えいさく日記にっきだい1かん伊藤いとうたかし朝日新聞あさひしんぶん出版しゅっぱん原著げんちょ1998ねん11月)。ISBN 9784022571410 
  8. ^ 読売新聞よみうりしんぶん社会しゃかい『ドキュメント検察官けんさつかんうごく「正義まさよし」』(初版しょはん中央公論ちゅうおうこうろんしんしゃ中公新書ちゅうこうしんしょ〉(原著げんちょ2006ねん9がつ25にち)、p. 135ぺーじISBN 9784121018656 
  9. ^ 朝日新聞社あさひしんぶんしゃへん「'66 新聞しんぶん辞典じてん特集とくしゅう明治めいじ大正たいしょう昭和しょうわ新語しんご P.530
  10. ^ 三木みきにわとりろう回想かいそうろく2 冗談じょうだん音楽おんがくスケルツォ』p.515. 平凡社へいぼんしゃ. (1994) 
  11. ^ 世相せそう風俗ふうぞく観察かんさつかい増補ぞうほ新版しんぱん 現代げんだい世相せそう風俗ふうぞく年表ねんぴょう 昭和しょうわ20ねん(1945)-平成へいせい20ねん(2008)』河出書房新社かわでしょぼうしんしゃ、2003ねん11月7にち、19-20ぺーじISBN 9784309225043 

参考さんこう文献ぶんけん

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関連かんれん項目こうもく

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外部がいぶリンク

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