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雪村 - Wikipedia

雪村ゆきむら

1504?-1589, 室町むろまち時代じだい後期こうき戦国せんごく時代じだい水墨すいぼく画家がか僧侶そうりょ

雪村ゆきむら(せっそん、あかりおう元年がんねん1492ねん)? - 天正てんしょう17ねん1589ねんごろ)は、室町むろまち時代ときよ後期こうき戦国せんごく時代じだいそうで、水墨すいぼくえがいた。雪村ゆきむらあまねつぎともしょうし、いみなべつごうとして如圭、づるせん老人ろうじんなどがある。佐竹さたけ一族いちぞくであるが武家ぶけがず、禅僧ぜんそうとなり、東国とうごく各地かくち遍歴へんれきし、こう北条ほうじょうあしめいなど戦国せんごく大名だいみょう庇護ひごけた[1]しゅうぶん 英語えいごばん雪舟せっしゅう 英語えいごばん画風がふうしたい、のち独自どくじ特色とくしょく発揮はっきして一家いっかす。もっと山水さんすいながじ、花鳥かちょう人物じんぶつくした[2]

雪村ゆきむら自画じがぞう(重要じゅうよう文化財ぶんかざい) だい和文わぶんはなかんぞう

略歴りゃくれき

編集へんしゅう
 
りょほらまろうど重要じゅうよう文化財ぶんかざいだい和文わぶんはなかんくら

常陸ひたちこく部垂へだれ現在げんざい茨城いばらきけん常陸ひたち大宮おおみや)に佐竹さたけ一族いちぞく長男ちょうなんとしてまれる。ちかくの下村田しもむらたには雪村ゆきむらふであらったとつたえられるいけがある。本来ほんらいなら長男ちょうなんとしていえぐはずだが、雪村ゆきむらちちつま跡取あととりとしたため(『本朝ほんちょう』)、おさなくしてゆめまどうとせき開山かいさんとする正宗寺しょうそうじはいって修行しゅぎょうする。雪村ゆきむらあまねつぎの「しゅう」の文字もじゆめまどつうで、雪村ゆきむらどう系統けいとうそうした禅僧ぜんそう修行しゅぎょうんだとかんがえられる。どうてら佐竹さたけ菩提寺ぼだいじで、絵画かいがをはじめとしたおおくの寺宝じほう所蔵しょぞうし、これらの作品さくひん雪村ゆきむら画風がふうにも影響えいきょうあたえたという。なお、地元じもと常陸ひたち大宮おおみや前身ぜんしんである大宮おおみやまちまち部垂へだれ領主りょうしゅである宇留野うるの養子ようしとなった宇留野うるのそんとら佐竹さたけよししゅん)の長男ちょうなんであるとするせつとなえている。世代せだいてきには合致がっちするものの、雪村ゆきむら出自しゅつじしめ史料しりょうがほとんどないため、現時点げんじてんでは可能かのうせいいきとどまっている[3]。ただし、天文てんもん15ねん1546ねん)5がつ11にち佐竹さたけてら再建さいけん記念きねんして佐竹さたけ一族いちぞくせた奉加帳ほうがちょうなかに「みなもとあまねつぎ」の名前なまえしるされており(佐竹さたけみなもとせい)、みなもとあまねつぎ雪村ゆきむら本人ほんにんである可能かのうせいたかいとされている。そして、その奉加帳ほうがちょう作成さくせいされた5月に雪村ゆきむら会津あいづ旅立たびだったとつたえられている[3]

50さいなかごろ関東かんとう各地かくち放浪ほうろうする。『丹青たんせい若木わかぎしゅう』によると、天文てんもん15ねん1546ねん)に会津あいづあしめい盛氏もりうじに「じくまき舒法」伝授でんじゅした。これは絵画かいが鑑賞かんしょうほう意味いみすると推測すいそくされる[1]天文てんもん19ねん1550ねん)には相模さがみこくおとずれ、早雲寺そううんじ開山かいさんである以天そうきよしいただきしょう肖像しょうぞう)をえがいた[1]こう北条ほうじょう城下町じょうかまちである小田原おだわら鎌倉かまくらおとずれておおくの名品めいひんせっし、そう交流こうりゅうしたらしい。雪村ゆきむらさく叭叭とり』(ははちょうず)に、鎌倉かまくら円覚寺えんかくじよんしるし道人どうじんけいはつしゅうずい)がしるした「天文てんもんおつあききゅうがつ」(1555ねん9がつ)のさんのこ[1]。その常陸ひたち鹿島かしま神宮じんぐうってうま奉納ほうのうし、会津あいづ再訪さいほう。『りょほらまろうど』『花鳥かちょう屏風びょうぶ』などはこの時期じき作品さくひんかんがえられている[1]

60さいなか以降いこう奥州おうしゅう中心ちゅうしん活動かつどうさい晩年ばんねんじゅうすう年間ねんかん三春みはる田村たむら庇護ひごのもと現在げんざい福島ふくしまけん郡山こおりやま西田にしだまちにあるあんんだとされる。三春みはる会津あいづした時期じきもあったとみられ、三春みはるでは当初とうしょ田村たむら菩提寺ぼだいじぶく聚寺 (福島ふくしまけん三春みはるまち)らしていた時期じきもあったとつたわる[1]。その生涯しょうがいには不明ふめいてんおおく、なま没年ぼつねんもはっきりしないが、80さいだいまで絵師えしとして現役げんえきだったとことが判明はんめいしている。『潭底がつ』に「行年ぎょうねん八十歳継雪村之図」、『瀟湘八景はっけい屏風びょうぶ』に「つぎ雪村ゆきむらろうはちじゅうろくさい」とある[1]

名前なまえからかるように、雪村ゆきむら自身じしん雪舟せっしゅうつよ意識いしき尊敬そんけいしていたようだが、画風がふう影響えいきょうけなかった。両者りょうしゃ対比たいひされることもある。関東かんとう水墨すいぼくのなかでもきわめて独自どくじせいたか画風がふう確立かくりつした。江戸えど時代じだい尾形おがた光琳こうりんは、雪村ゆきむら自由じゆうびやかな筆致ひっち作品さくひん全体ぜんたいあふれるユーモアをとくこのんだのか、雪村ゆきむらふか敬愛けいあい私淑ししゅくした。光琳こうりん雪村ゆきむら模写もしゃいくつもこころみており、また雪村ゆきむら使つかっていたといわれる石印せきいん重要じゅうよう文化財ぶんかざい京都きょうと国立こくりつ博物館はくぶつかんくら[1]をどこからか入手にゅうしゅし、小西こにし伝来でんらい史料しりょうなかにそれはいまなお現存げんそんしている。さらに光琳こうりん晩年ばんねん代表だいひょうさく紅白こうはくうめ屏風びょうぶ』と雪村ゆきむら欠伸あくび布袋ほてい紅白こうはくうめ』(三幅対さんぶくつい茨城いばらき県立けんりつ歴史れきしかんくら)をくらべると、中央ちゅうおうえがかれているのが水流すいりゅう布袋ほていちがいこそあれ、全体ぜんたい構図こうずうめえだぶりなどがおどろくほどよくている[1]

天文てんもん11ねん1542ねん)にあらわしたとされるろんせつ門弟もんていうん』は偽書ぎしょとみなすせつ学界がっかいでは近年きんねん有力ゆうりょくであるが、仮託かたくされるほど雪村ゆきむら江戸えど時代じだい画家がかたちに尊崇そんすうされた証左しょうさとの見方みかたもある[1]

明治めいじ時代じだい以降いこうは、橋本はしもと雅邦がほう狩野かの芳崖ほうがいらに影響えいきょうあたえ、岡倉おかくら覚三かくぞう天心てんしん)も雪村ゆきむらたか評価ひょうかしている。ただ、一般いっぱんてきがいして評価ひょうかひく時期じきつづき、代表だいひょう作品さくひんおおくはアメリカ合衆国あめりかがっしゅうこく流出りゅうしゅつしてしまった。しかし、1974ねん東京とうきょう国立こくりつ博物館はくぶつかん展覧てんらんかいもよおされるなど近年きんねんさい評価ひょうか機運きうんたかまり、様々さまざま画集がしゅう紹介しょうかいされて日本にっぽん美術びじゅつうえでの価値かち確立かくりつした。その作品さくひんは150以上いじょうから200てんちかくが現存げんそんしている。

代表だいひょうさく

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ふう濤図(重要じゅうよう文化財ぶんかざい野村のむら美術館びじゅつかんくら
重要じゅうよう文化財ぶんかざい
その
   
花鳥かちょう屏風びょうぶ大和やまとぶんはなかんひだりせき
どう みぎせき
 
四季しき山水さんすい(シカゴ美術館びじゅつかんぞう[5]

関連かんれん項目こうもく

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関連かんれん書籍しょせき

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ミネルヴァ日本にっぽん評伝ひょうでんせんミネルみねるァ書房ぁしょぼう 2008ねん ISBN 978-4-623-05317-9
  • 小川おがわ知二ともじへん『もっとりたい雪村ゆきむら 生涯しょうがい作品さくひん
(アート・ビギナーズ・コレクション・東京とうきょう美術びじゅつ 2007ねん ISBN 978-4-8087-0825-2

大部たいぶ著作ちょさく

画集がしゅう図録ずろく

  • 雪村ゆきむら 奇想きそう誕生たんじょう』2017ねん
  • 雪村ゆきむらてん 戦国せんごく時代じだいのスーパー・エキセントリック』 2002ねん
山下やました裕二ゆうじ監修かんしゅう千葉ちば美術館びじゅつかん渋谷しぶや区立くりつ松濤しょうとう美術館びじゅつかん山口やまぐち県立けんりつ美術館びじゅつかん福島ふくしま県立けんりつ美術館びじゅつかん開催かいさい

脚注きゃくちゅう

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  1. ^ a b c d e f g h i j 破格はかく絵師えし 雪村ゆきむら(した)東国とうごく遍歴へんれき 光琳こうりんにも影響えいきょう日本経済新聞にほんけいざいしんぶん朝刊ちょうかん2020ねん11月15にち14-15めん
  2. ^ 雪村ゆきむらあまねつぎ”. kotobank.jp. 2018ねん10がつ7にち閲覧えつらん
  3. ^ a b 赤沢あかざわ英二えいじ常陸ひたち雪村ゆきむら佐々木ささきりんろう 編著へんちょ『シリーズ・中世ちゅうせい関東かんとう武士ぶし研究けんきゅう だいさんじゅうかん 常陸ひたち佐竹さたけ』(戒光さち出版しゅっぱん、2021ねん)P241-244.(はら論文ろんぶん:1992ねん
  4. ^ 雪村ゆきむらひつでないとする意見いけんもある(『雪村ゆきむらてん 戦国せんごく時代じだいのスーパー・エキセントリック』図録ずろく18ぺーじ)。
  5. ^ Gift of the Joseph and Helen Regenstein Foundation
  6. ^ コレクション 名品めいひんギャラリー かんぞうひん一覧いちらん まつたか - 東京とうきょう国立こくりつ博物館はくぶつかん
  7. ^ 特別とくべつてん雪村ゆきむら奇想きそう誕生たんじょう-」 - 東京藝術大学とうきょうげいじゅつだいがく