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鞍馬寺 - Wikipedia

鞍馬あんばてら

京都きょうと左京さきょうにある寺院じいん

鞍馬あんばてら(くらまでら)は、京都きょうと左京さきょう鞍馬本くらまほんまちにある鞍馬あんばひろきょう総本山そうほんざん寺院じいん山号さんごう鞍馬山くらまやま(くらまやま)。本尊ほんぞんは「みことてん」。「みことてん」とは毘沙門びしゃもん天王てんのう千手せんじゅ観世音菩薩かんぜおんぼさつ護法ごほう魔王まおうみこと三身みつみ一体いったい本尊ほんぞんであるという。開山かいさん鑑真がんじん高弟こうていかんただし(がんてい)。しん西国さいこくさんじゅうさん箇所かしょだい19ばん札所ふだしょ

鞍馬あんばてら

仁王門におうもん
所在地しょざいち 京都きょうと京都きょうと左京さきょう鞍馬あんば本町ほんまち1074
位置いち 北緯ほくい357ふん5.02びょう 東経とうけい13546ふん14.67びょう / 北緯ほくい35.1180611 東経とうけい135.7707417 / 35.1180611; 135.7707417 (鞍馬あんばてら)座標ざひょう: 北緯ほくい357ふん5.02びょう 東経とうけい13546ふん14.67びょう / 北緯ほくい35.1180611 東経とうけい135.7707417 / 35.1180611; 135.7707417 (鞍馬あんばてら)
山号さんごう 鞍馬山くらまやま
宗派しゅうは 鞍馬あんばひろきょう
寺格じかく 総本山そうほんざん
本尊ほんぞん みことてん毘沙門びしゃもん天王てんのう千手せんじゅ観世音菩薩かんぜおんぼさつ護法ごほう魔王まおうみこと
創建そうけんねん つてたからひさし元年がんねん770ねん
開山かいさん つてかんただし
正式せいしきめい 鞍馬山くらまやま鞍馬あんばてら
別称べっしょう 鞍馬山くらまやま
札所ふだしょとう しん西国さいこくさんじゅうさん箇所かしょだい19ばん
神仏しんぶつ霊場れいじょう巡拝じゅんぱいみちだい103ばん京都きょうとだい23ばん
文化財ぶんかざい 木造もくぞう毘沙門天びしゃもんてん立像りつぞう木造もくぞう吉祥天きちじょうてん立像りつぞう木造きづくりよし膩師童子どうじ立像りつぞう鞍馬あんばてら経塚きょうづか遺物いぶつ一括いっかつ国宝こくほう
木造もくぞう聖観音しょうかんのん立像りつぞう木造もくぞうかぶとばつ毘沙門天びしゃもんてん立像りつぞうくろうるしけんけん無銘むめい)・どう燈篭どうろう鞍馬あんばてら文書ぶんしょ重要じゅうよう文化財ぶんかざい
公式こうしきサイト 総本山そうほんざん 鞍馬あんばてら
法人ほうじん番号ばんごう 6130005001396 ウィキデータを編集
鞍馬寺の位置(京都府内)
鞍馬寺
鞍馬あんばてら
鞍馬あんばてら (京都きょうと)
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本殿ほんでん金堂こんどう
本殿ほんでんまえ阿吽あうんとら
石段いしだんかざ灯篭とうろう
おくいん魔王まおう殿どの拝殿はいでん
大杉おおすぎ権現ごんげんしゃ(2018ねん台風たいふうによる倒壊とうかいまえ)
僧正そうじょうだに不動堂ふどうどう
ふゆ柏亭はくてい与謝野よさの晶子あきこ書斎しょさい

京都きょうと盆地ぼんちきた位置いちし、ゆたかな自然しぜん環境かんきょうのこ鞍馬山くらまやまみなみ斜面しゃめん位置いちする。鞍馬あんばうしわかまる源義経みなもとのよしつね)が修行しゅぎょうをしたとして著名ちょめいであり、のうの『鞍馬あんば天狗てんぐ』でもられる。なお、鞍馬あんばてらへの輸送ゆそう機関きかんとしてケーブルカー鞍馬山くらまやま鋼索こうさく鉄道てつどう)を運営うんえいしており、宗教しゅうきょう法人ほうじんとしては唯一ゆいいつ鉄道てつどう事業じぎょうしゃともなっている。

てらつたわる『鞍馬あんばぶたてら縁起えんぎ』(あんばがいじえんぎ)が草創そうそう縁起えんぎつたえており、鑑真がんじん高弟こうていかんただしたからひさし元年がんねん770ねん)に草庵そうあんむすび、毘沙門天びしゃもんてん安置あんちしたのがはじまりという。かんただしは、鑑真がんじんとうからともなってきた高弟こうてい8めいのうちの最年少さいねんしょう弟子でしであった。宝亀ほうき3ねん772ねん)のあるよるかんただし霊夢れいむ山城やましろこく北方ほっぽう霊山れいざんがあるとげられる。霊山れいざんたずねてかけたかんただしは、あるやま上方かみがたたからくらせた白馬はくば姿すがたる。そのやま鞍馬山くらまやまであった。やまはいったかんただし女形おんながたおにおそわれころされそうになるが、あわやというときたおれてきておにはつぶされてしまった。翌朝よくあさになると、そこには毘沙門天びしゃもんてんぞうがあったので、かんただしはこれをまついちてら建立こんりゅうしたという。このかんただしはなしは『鞍馬あんばぶたてら縁起えんぎ以外いがい書物しょもつにはえず、どこまで史実しじつつたえるものかわからない。ただし、清水寺きよみずでら草創そうそう縁起えんぎ同様どうよう南都なんと奈良なら)のそう創建そうけんにかかわったとしているてん注目ちゅうもくされる。

今昔こんじゃく物語ものがたりしゅう』『扶桑ふそう略記りゃっき』などしょしょにはべつ伝承でんしょうられる。それによれば、のべれき15ねん796ねん)、藤原ふじわらみなみ出身しゅっしんみやつこ東寺とうじ長官ちょうかんつとめた藤原ふじわら伊勢いせじんは、自分じぶん個人こじんてき信仰しんこうする観音かんのん菩薩ぼさつまつてらてたいとかんがえていた。伊勢いせじんは、あるよる霊夢れいむのおげにしたがい、白馬はくばのちって鞍馬山くらまやまくと、そこには毘沙門天びしゃもんてんまつしょうどう上述じょうじゅつかんただしてたものであろう)があった。「自分じぶん観音かんのん信仰しんこうしているのに、ここにまつられているのは毘沙門天びしゃもんてんではないか」と伊勢いせじんはいぶかしがった。ところが、そのばんゆめ1人ひとり童子どうじあらわれ、「観音かんのん毘沙門天びしゃもんてん名前なまえちがうだけで、じつはもともと1つのものなのだ」とげた。こうして伊勢いせじん千手観音せんじゅかんのんぞうをつくって、毘沙門天びしゃもんてんとともに安置あんちし、鞍馬あんばてら創建そうけんしたという。この伝承でんしょうは『日本にっぽんのべれき15ねん796ねん)のじょう東寺とうじ造営ぞうえいにんたっていた藤原ふじわら伊勢いせじんゆめ現在げんざい鞍馬あんばてらからほどちか貴船きふね神社じんじゃかみあらわ鞍馬あんばてら建立こんりゅうするよう託宣たくせんしたとしるされていることからほぼ史実しじつであるとわれている。

9世紀せいきまつ寛平かんぺい年間ねんかん889ねん - 897ねん)に東寺とうじそうみねのべ(ぶえん)がにゅうてらしたころから、鞍馬あんばてら真言宗しんごんしゅう寺院じいんとなる。てんけい3ねん940ねん)には鞍馬山くらまやまふもと宮中きゅうちゅうから由岐ゆき大明神だいみょうじんうつされ、由岐ゆき神社じんじゃ建立こんりゅうされ、鞍馬あんばてら鎮守ちんじゅしゃとなった。

12世紀せいき延暦寺えんりゃくじそうじゅう怡(じゅうい)がにゅうてらし、のべ年間ねんかん1135ねん - 1140ねん)に天台宗てんだいしゅう改宗かいしゅうし、以後いごあおれんいん支配しはいにあった。

寛治かんじ5ねん1091ねん)には白河しらかわ上皇じょうこう参詣さんけいうけたまわとく3ねん1099ねん)には関白かんぱく藤原ふじわらどおり参詣さんけいするなど、平安へいあん時代じだい後期こうきにはひろ信仰しんこうあつめていたようである。『枕草子まくらのそうし』は「ちかうてとおきもの」のれいとして鞍馬あんばてら九十九つくも(つづら)りの参道さんどうげている。

鞍馬あんばてら大治おおはる元年がんねん1126ねん)の火災かさいをはじめとして、たびたび焼失しょうしつしているが、その都度つど復興ふっこうされている。

鎌倉かまくら時代ときよひろし元年がんねん1229ねん)、あおれんいん門跡もんぜき座主ざす鞍馬あんばてら検校けんぎょうしょく兼務けんむする。これ以来いらい鞍馬あんばてら正式せいしきあおはちすいん末寺まつじとなった。しかし、江戸えど時代じだいとおる15ねん1730ねん)にはあおはちすいんほか日光にっこうはなわ王寺おうじ末寺まつじともなった。

このころ鞍馬あんばてらには塔頭たっちゅうじゅういんかちいんがつせいいんみょう寿ことぶきいん宝積ほうしゃくいん大蔵おおくらいん吉祥院きっしょういん・戒光いん歓喜かんきいん円光えんこういん福生ふっさいん)、さらにきゅうぼうひろしもんぼうまつえんぼうみょうさとしぼう薬師やくしぼう本住もとすみぼうじょうえんぼう梅本うめもとぼう実相じっそうぼうぞうぼう)が存在そんざいし、さかえていた。しかし、文化ぶんか11ねん1814ねん)には一山ひとやま炎上えんじょうするだい火災かさいがあり、以後いご衰退すいたいしてしまう。

そんななか安政あんせい2ねん1855ねん)には日光にっこう王寺おうじのみの末寺まつじとなった。

1868ねん明治めいじ元年がんねん)にはふたたあおはちすいん末寺まつじとなり、廃仏毀釈はいぶつきしゃくのち復興ふっこう事業じぎょうすすめていた。しかし、1945ねん昭和しょうわ20ねん)、本殿ほんでんなどが焼失しょうしつしてしまう。このため、現在げんざい堂宇どううはいずれもあたらしいものであるが、仏像ぶつぞうなどの文化財ぶんかざい豊富ほうふつたえられている。

昭和しょうわ住職じゅうしょく信楽しがらきかおりくも(しがらきこううん)は、1947ねん昭和しょうわ22ねん)に鞍馬あんばひろきょうひらけむね1949ねん昭和しょうわ24ねん)には天台宗てんだいしゅうから独立どくりつして鞍馬あんばひろきょう総本山そうほんざんとなった。

京都きょうとおくにある鞍馬山くらまやま山岳さんがく信仰しんこう山伏やまぶしによる密教みっきょうさかんであった。そのためやま精霊せいれいである天狗てんぐもまた鞍馬あんばむといわれる。鞍馬あんばだい天狗てんぐ僧正そうじょうぼうばれる最高さいこうのものであり、また鞍馬山くらまやま天狗てんぐにとって最高さいこうやまのひとつであるとされる。

本尊ほんぞん

編集へんしゅう

京都きょうときた位置いちする鞍馬あんばてらは、もともと毘沙門天びしゃもんてん四天王してんのうのうち北方ほっぽう守護しゅごする)を本尊ほんぞんとし、あわせてせん観世音かんぜおんまつった寺院じいんであった[1]。しかし、鞍馬あんばひろきょう立教りっきょう現在げんざい鞍馬あんばてら信仰しんこう形態けいたい独特どくとくのもので、本尊ほんぞんについても若干じゃっかん説明せつめいようする。

鞍馬あんばひろきょう立教りっきょうてら説明せつめいによると、鞍馬あんば寺本てらもと殿どの金堂こんどう本堂ほんどう)の本尊ほんぞんは「みことてん」であるとされる。どうないには中央ちゅうおう毘沙門天びしゃもんてんかってみぎせん観世音かんぜおんひだりには護法ごほう魔王まおうみこと安置あんちされ、これらの三身みつみ一体いったいとして「みことてん」としょうしている。「みことてん」とは「すべての生命せいめいかし存在そんざいさせる宇宙うちゅうエネルギー」であるとする。また、毘沙門天びしゃもんてんを「ひかり」の象徴しょうちょうにして「太陽たいよう精霊せいれい」・千手せんじゅ観世音かんぜおんを「あい」の象徴しょうちょうにして「つき精霊せいれい」・魔王まおうみことを「ちから」の象徴しょうちょうにして「大地だいち地球ちきゅう)のれいおう」としている。鞍馬あんばてらとは、どこにでも存在そんざいする「みことてん」のパワーがとくおお場所ばしょにして、そのパワーにつつまれるための道場どうじょうであるとしている。「みことてん」のひとり、「護法ごほう魔王まおうみこと」(サナート・クマラ)とは、650まんねんまえ(「650ねん」の間違まちがいではない)、金星かなぼしから地球ちきゅうったもので、そのからだ通常つうじょう人間にんげんとはことなる元素げんそからり、その年齢ねんれいは16さいのまま、としをとることのない永遠えいえん存在そんざいであるという[注釈ちゅうしゃく 1]

本殿ほんでん金堂こんどう毘沙門天びしゃもんてん千手せんじゅ観世音かんぜおん護法ごほう魔王まおうみことはいずれも秘仏ひぶつであり60ねんいちへいとらとしのみ開帳かいちょうされるが、秘仏ひぶつ厨子ずしまえに「おまえち」としょうするわりのぞう常時じょうじ安置あんちされている。おまえちの魔王まおう尊像そんぞうは、背中せなか羽根はねをもち、ながいひげをたくわえた仙人せんにんのような姿すがたで、はなたかい。光背こうはいでできている。多宝塔たほうとう安置あんち護法ごほう魔王まおう尊像そんぞうおなじような姿すがたをしている。このことから「鞍馬あんば天狗てんぐ」とはもともと護法ごほう魔王まおうみことであったとおもわれる。また、16さいとされているわりにとしをとった姿すがたをしている。

境内けいだい

編集へんしゅう
  • 本殿ほんでん金堂こんどう - 1971ねん昭和しょうわ46ねん再建さいけんさんみことみことてんまつる。みことてんのうち千手せんじゅ観世音菩薩かんぜおんぼさつしん西国さいこくさんじゅうさん箇所かしょだい19ばん札所ふだしょ本尊ほんぞんである。てられている場所ばしょ標高ひょうこう410mとなっている。自由じゆうはいることができる地下ちかかいもあり「宝殿ほうでん」としょうする。薄暗うすぐら室内しつないかべには骨壷こつつぼのようなものがならべられているが、骨壷こつつぼではなく「清浄せいじょうかみ奉納ほうのう」としょうする、きているひとかみおさめたものである。最奥さいおうには「みことてん」3ぞう分身ぶんしんぞうまつられている。どうは6ごろから1615ふんごろまでのひらきとびらで、地下ちか宝殿ほうでん」は6ごろから1545ふんごろまで入室にゅうしつ可能かのう
  • 光明こうみょうこころ殿どの - 護法ごほう魔王まおうみことまつる。
  • 閼伽護法ごほうぜん神社じんじゃ
  • ほんぼうきむつよし寿命じゅみょういん
  • うたて法輪ほうりんどう - 1969ねん昭和しょうわ44ねん再建さいけん舞台ぶたいづくりのコンクリート建築けんちくどうは6ごろから1545ふんごろまでいれどう可能かのう。1かいは「洗心せんしんてい」としょうし、以前いぜん飲食いんしょくてんであったが、現在げんざい休日きゅうじつひら売店ばいてん無料むりょう休憩きゅうけいしょ
  • 与謝野よさの鉄幹てっかん与謝野よさの晶子あきこ歌碑かひ
  • 霊宝れいほう殿どの鞍馬山くらまやま博物館はくぶつかん) - 本殿ほんでんうらにある。1かい鞍馬山くらまやま自然しぜん博物はくぶつえんで、鞍馬山くらまやま動植物どうしょくぶつかんする展示てんじがある。2かい寺宝じほう展示てんじしつで、現在げんざい企画きかく展示てんじおこなっている。かつては与謝野よさの鉄幹てっかん与謝野よさの晶子あきこ遺品いひんとう展示てんじした、与謝野よさの記念きねんしつがあった(鞍馬あんばひろきょうひらけむねした信楽しがらきかおりくも与謝野よさの門下もんか歌人かじんであった)が、ながく閉室ちゅうである。3かい仏像ぶつぞう奉安ほうあんしつで、国宝こくほう木造もくぞう毘沙門天びしゃもんてん立像りつぞう木造もくぞう吉祥天きちじょうてん立像りつぞう木造きづくりよし膩師童子どうじ(ぜんにしどうじ)立像りつぞうさん尊像そんぞうをはじめとする文化財ぶんかざい展示てんじされている。鞍馬あんばてら本尊ほんぞんはこの毘沙門天びしゃもんてんさん尊像そんぞうであったとするせつや、おなじく霊宝れいほうかん安置あんちされている平安へいあん時代じだい後期こうき重要じゅうよう文化財ぶんかざいかぶとばつ毘沙門天びしゃもんてん(とばつびしゃもんてん)の姿すがたちかいものでなかったかとするせつもある。平安へいあん時代じだい中期ちゅうき以降いこう末法まっぽう思想しそうからされた経塚きょうづか遺跡いせきからの発掘はっくつひんることができる。
  • ふゆ柏亭はくてい - 与謝野よさの晶子あきこ書斎しょさい東京とうきょうから移築いちく
  • おくいんもん - ふゆかしわていからすこおくいんがわのぼったところにあったが、2018ねん台風たいふう倒壊とうかいした。再建さいけんするかは未定みていのため、現在げんざい礎石そせきとうのこされているのみである。
  • いきつぎのみず - ぎゅうわかまる源義経みなもとのよしつね)が東光とうこうぼうからおくいん兵法ひょうほう修行しゅぎょうかよ途中とちゅう、この清水しみずんでのどかわきをうるおしたとつたえられている[2]
  • 屏風びょうぶざか地蔵堂じぞうどう革堂こうどう地蔵じぞうみこと
  • くらせき - 奥州おうしゅうくだうしわかまる名残なごりしんでくらべたといわれるいし標高ひょうこうは485m。
  • さえぎ王堂おうどう - くらせきのすぐ右側みぎがわにあるしょうどう。なぜか、現地げんちには一切いっさいどうめい案内あんない表示ひょうじがなく、公式こうしきホームページでも案内あんないがない。後述こうじゅつ経堂きょうどう同様どうよう義経よしつねおおやけさえぎおうみこととしてまつる。
  • 大杉おおすぎ権現ごんげん - 護法ごほう魔王まおうみこと影向ようごう(ようごう)のすぎとして信仰しんこうあつめる。2018ねん台風たいふう倒壊とうかいし、再建さいけん準備じゅんびちゅう
  • 経堂きょうどう - 義経よしつねおおやけさえぎおうみこととしてまつる。
  • 僧正そうじょうだに不動堂ふどうどう - 謡曲ようきょく鞍馬あんば天狗てんぐうしわかまる出会であったといわれるところどうないには伝教大師でんぎょうだいし最澄さいちょう)がきざんだとつたえられる不動明王ふどうみょうおう安置あんちされている。
  • おくいん魔王まおう殿どの - 本殿ほんでんから西にし貴船きふね神社じんじゃける山道さんどう途中とちゅう奇岩きがんうえにあるしょうどう。650まんねんまえ金星かなぼしから地球ちきゅうったという魔王まおうみことサナート・クマラ)をまつっている。現在げんざい建物たてもの1945ねん昭和しょうわ20ねん)の焼失しょうしつ再建さいけん標高ひょうこう435m。
  • 西門にしもん
  • 寝殿しんでん - 1924ねん大正たいしょう13ねん建立こんりゅう
  • たつみ弁財天べざいてんしゃ
  • 弥勒みろくどう
  • 多宝塔たほうとう - 本殿ほんでん東側ひがしがわにあったが、江戸えど時代じだい後期こうき焼失しょうしつした。現在げんざいのものは、ケーブルカー開通かいつう1960ねん昭和しょうわ35ねん)に場所ばしょうつして再建さいけんされた。現在げんざい位置いち標高ひょうこう370m。とうない毎月まいつき1にち・7にち正月しょうがつさんにち、、はつとら大祭たいさい午前ごぜん830ふんごろから16ごろまでひらけとびらされ公開こうかいされる。とうないには中央ちゅうおう舎利しゃり宝塔ほうとうが、四隅よすみには「みことてんさんぞう多宝塔たほうとう再建さいけん寄進きしんしゃめいおさめた厨子ずしまつられている。
  • ケーブル多宝塔たほうとうえき山上やまのうええき
  • 中門ちゅうもん - もと勅使ちょくしもん勅使ちょくしとおもん
  • 九十九折つづらおり参道さんどう - 清少納言せいしょうなごんが『枕草子まくらのそうし』で「ちかうてとおきもの」のいちれいとして「くらまの九十九折つづらおりといふみち」としるした坂道さかみち
  • 川上かわかみ地蔵堂じぞうどう - ぎゅうわかまるまも本尊ほんぞんである地蔵じぞう菩薩ぼさつまつられている。
  • 東光とうこうぼうあと(とうこうぼうあと) - 平安へいあん時代じだい末期まっきうしわかまるが7さいからやく10年間ねんかんんでいた場所ばしょであるという。
  • 義経よしつねおおやけ供養くようとう - 東光とうこうぼう跡地あとち1940ねん昭和しょうわ15ねん)に建立こんりゅうされた石造せきぞう供養くようとう
  • 由岐ゆき神社じんじゃ - もと鞍馬あんばてら鎮守ちんじゅしゃ現在げんざい独立どくりつしている。
  • おにいち法眼ほうげんしゃ(きいちほうげんしゃ) - ぎゅうわかまる兵法ひょうほうさづけたといわれるおにいち法眼ほうげんまつる。2018ねん台風たいふうで、倒木とうぼくにより破損はそん解体かいたいされた。現在げんざい再建さいけん準備じゅんびちゅう
  • 魔王まおう乃滝 - おにいち法眼ほうげんしゃよこながれるたき。2018ねん台風たいふう崩壊ほうかいしたが、2024ねん再建さいけんされた。。
  • よしくら稲荷いなりしゃ
  • ケーブルひろしあきら殿どの山門やまとえき) - 1957ねん昭和しょうわ32ねん)に敷設ふせつされた鞍馬山くらまやまケーブル鞍馬山くらまやま鋼索こうさく鉄道てつどう)のえき標高ひょうこう250m。
  • 歓喜かんきいん修養しゅうよう道場どうじょう - 1964ねん昭和しょうわ39ねん建立こんりゅう
  • 仁王におうもん - 創建そうけん寿ことぶきひさし年間ねんかん1182ねん - 1184ねん平安へいあん時代じだいさい末期まっき)とつたえられる。1891ねん明治めいじ24ねん)に焼失しょうしつし、1911ねん明治めいじ44ねん)に再建さいけんされた。左側ひだりがわとびら1まい寿ことぶき永年えいねんあいだころのものとかんがえられている。安置あんちされている仁王におうぞう湛慶たんけい運慶うんけい嫡男ちゃくなん)のさくつたえられ、再建さいけん丹波たんばこくからうつされたという。

文化財ぶんかざい

編集へんしゅう
 
毘沙門天びしゃもんてん立像りつぞう
 
吉祥天きちじょうてん立像りつぞう

国宝こくほう

編集へんしゅう
  • 木造もくぞう毘沙門天びしゃもんてん立像りつぞう木造もくぞう吉祥天きちじょうてん立像りつぞう木造きづくりよし膩師童子どうじ(ぜんにしどうじ)立像りつぞう
  • 鞍馬あんばてら経塚きょうづか遺物いぶつ 一括いっかつ
    • いし宝塔ほうとうきゅうづかじょう所在しょざい)1
    • どう宝塔ほうとう 1
    • てつ宝塔ほうとう 1
    • どうけいとう 経巻きょうかんざんかたまりども 保安ほあん元年がんねん(1120ねん在銘ざいめい 1ごう
    • どうけいとう残闕ざんけつ うけたまわさんねん(1179ねん在銘ざいめい 1ごう
    • どうけいとうぶた 法橋ほっきょういんなお在銘ざいめい 1箇
    • 金銅かなどうけいとう 1ごう
    • どうたから幢形けいとう 1ごう
    • どうけいとう残闕ざんけつ 一括いっかつ
    • 土製どせいけいとう 2ごう
    • 金銅かなどうさん尊像そんぞう 3
    • きむ銅板どうばん押出おしだし菩薩ぼさつぞう残闕ざんけつ 1めん
    • かかふつ 残闕ざんけつども 一括いっかつ
    • かがみぞう 3めん
    • 銅鏡どうきょう 残闕ざんけつども6めんぶん
    • 金銅かなどう独鈷とっこきね 1ほん
    • どう水瓶みずがめ 1くち
    • あお白磁はくじあいるい 一括いっかつ
    • いしすずり 2めん
    • 銅板どうばんとびら ぶんおう元年がんねん1260ねん在銘ざいめい 1まい
    • 銅銭どうせん 一括いっかつ
    • とも出物でもの一切いっさい

重要じゅうよう文化財ぶんかざい

編集へんしゅう

典拠てんきょ2000ねん平成へいせい12ねん)までに指定してい国宝こくほう重要じゅうよう文化財ぶんかざいについては、『国宝こくほう重要じゅうよう文化財ぶんかざい大全たいぜん 別巻べっかん』(所有しょゆうしゃべつ総合そうごう目録もくろく名称めいしょうそう索引さくいん統計とうけい資料しりょう)(毎日新聞社まいにちしんぶんしゃ、2000)による。

京都きょうと登録とうろく無形むけい民俗みんぞく文化財ぶんかざい

編集へんしゅう
  • たけ会式えしき

前後ぜんご札所ふだしょ

編集へんしゅう
しん西国さいこくさんじゅうさん箇所かしょ
18 延暦寺えんりゃくじ横川よこがわ中堂なかどう - 19 鞍馬あんばてら - 20 立木たちき山寺やまでら
神仏しんぶつ霊場れいじょう巡拝じゅんぱいみち
102 賀茂かもべつ雷神らいじんしゃ - 103 鞍馬あんばてら - 104 貴船きふね神社じんじゃ

年中ねんじゅう行事ぎょうじ

編集へんしゅう
  • しめのうちまい元旦がんたん - 1がつ15にち) - 連日れんじつ新春しんしゅん開運かいうんのご祈祷きとうたてまつおさむされる。
  • はつとら大祭たいさい(1がつ最初さいしょとら) - 本尊ほんぞんいちみことである毘沙門天びしゃもんてんとらつきとらとらこく鞍馬山くらまやま出現しゅつげんしたことから、1がつ最初さいしょとらおこなわれる。
  • 節分せつぶんつい儺式(節分せつぶん) - 古来こらい宮中きゅうちゅう大晦日おおみそかおこなわれていたつい儺をかたどった行事ぎょうじで、きたるべきはるこうおおかれとこいねがい、えぬ無形むけいおにはらう。陰陽いんようやく出仕しゅっししゃによる撒豆ののちときろうやく出仕しゅっししゃよりうえきょう殿上人てんじょうびとやくももゆみあしさづけられ、かたしょうやく出仕しゅっししゃほこたてち「おー」とぶこと3かい本殿ほんでん四方しほうにてふたたび「おー」とじょうきょう殿上人てんじょうびとときろうやくる。
  • はるむくいとくかいはる彼岸ひがんいれ) - てん法輪ほうりんどう阿弥陀あみだぼとけ信徒しんと灯明とうみょうけんじ、先祖せんぞおんとく感謝かんしゃいのりをささげる。
  • 清浄せいじょうかみ祈願きがんさい(4がつ上旬じょうじゅん) - しんなか仏性ぶっしょう頭髪とうはつたくしておさめかみした信徒しんとが、みことてん信仰しんこうきることをちかい、ろくようはちすとうばれる陶器とうきつぼ本殿ほんでん地下ちか宝殿ほうでん奉安ほうあんする。信徒しんとでない一般いっぱん参加さんかはできない。
  • みことてんむすび伝法でんぼうしき(4がつ上旬じょうじゅん) - みことてん活力かつりょくをいただくための「身心しんしん無病むびょう信念しんねん確立かくりつほう」を貫主かんしゅより信徒しんと直接ちょくせつ伝授でんじゅされる行事ぎょうじ信徒しんとでない一般いっぱん参加さんかはできない。
  • 花供養はなくよう(4がつ中旬ちゅうじゅん) - 自然しぜん感謝かんしゃし、自然しぜん大切たいせつにすることをちかい、自然しぜんおくみことてんはたらきをおもい、感謝かんしゃささげる行事ぎょうじ本殿ほんでんよこ舞台ぶたいにてきん演奏えんそう狂言きょうげん奉納ほうのうおこなわれる。なお、山門さんもん修養しゅうよう道場どうじょうでは、はなてん書道しょどうてん水墨すいぼく画展がてん写真しゃしんてん茶席ちゃせきもよおされる。
  • 五月ごがつ満月まんげつさいうえさくさい -五月ごがつ満月まんげつよい 5がつ満月まんげつ) - 5月の満月まんげつ聖水せいすいささとうそなえていの儀式ぎしきが「がつ満月まんげつさい」とばれ鞍馬山くらまやまむかしからつたえられてきた(この祭儀さいぎ使つかわれる青銅せいどううつわ宝徳ほうとく2ねんめいがあるので1450ねんにはすでにおこなわれていたとかんがえられる)。1947ねん昭和しょうわ22ねん)にヒマラヤ山中さんちゅう東南とうなんアジアおこなわれているうえさくさいとおなじであることがかり、一般いっぱんにも公開こうかいされ「がつ満月まんげつさい」は「ウエサクさい」とルビがつけられるようになった。この行事ぎょうじ自分じぶんとすべての人々ひとびとのめざめをいのり、参集さんしゅうしゃった「しんのともしとう」とばれるはちすはなされたあかいロウソクにともされ、満月まんげつささげられた清水しみず一同いちどうかつ。
  • たけ会式えしき(たけきりえしき)(6がつ20にち午後ごご2) - 破邪顕正はじゃけんしょうしんをこめ、みずへの感謝かんしゃささげと五穀豊穣ごこくほうじょういの行事ぎょうじみねのべ上人しょうにんおそってきた大蛇おろちゆう)を法力ほうりき退治たいじし、朝廷ちょうていからつかわされた人夫にんぷがその大蛇おろち死骸しがいきざ龍ヶ嶽りゅうがだけてたとの故事こじちな行事ぎょうじで、僧兵そうへい姿すがた鞍馬あんば法師ほうし近江おうみ丹波たんばかれ大蛇おろち見立みたてた青竹あおだけり、そのはやさをきそう。なお、大蛇おろちめす)は鞍馬山くらまやまみずやすことなくまもることをちかったので本殿ほんでんよこの閼伽護法ごほうぜんしんとしてまつられており、この行事ぎょうじでもめす見立みたててたれた青竹あおだけられることなく山内さんないうえされる。
  • 如法にょほう写経しゃきょうかい(8がつ1にち - 8がつ3にち) - 800年来ねんらいおこなわれている古典こてんてき行事ぎょうじとりこえきながら、涼風すずかぜなか自己じこ内証ないしょうさぐる。
  • 義経よしつねさい(9がつ15にち) - 源義経みなもとのよしつねたましい少年しょうねんごした鞍馬山くらまやまもどり、護法ごほう魔王まおうみことわきさむらいさえぎおうみこととしてねむるとしんじられており、そのたましいをなぐさめ業績ぎょうせき後世こうせいつたえる行事ぎょうじ
  • あきむくいとくかいあき彼岸ひがんいれ) - てん法輪ほうりんどう阿弥陀あみだぼとけ信徒しんと灯明とうみょうけんじ、先祖せんぞおんとく感謝かんしゃいのりをささげる。
  • あき大祭たいさい(10がつ14にち) - 1947ねん昭和しょうわ22ねん)10がつ鞍馬あんばひろきょう宣言せんげん奉告ほうこくされたことを記念きねんする行事ぎょうじ
  • 平和へいわいのり(11月23にち) - 地球ちきゅうじょうのすべての存在そんざい共生きょうせい調和ちょうわいのる。
  • おさめのとら(12月最後さいごとら) - 今年ことしいちねんけたおさつもりおさめ、いち年間ねんかん守護しゅご感謝かんしゃ光明こうみょうこころ殿どのにわじょうにてにあげる行事ぎょうじ
  • 毎月まいつき縁日えんにち毎月まいつき1・7・14にちとら
  • 鞍馬あんば火祭ひまつり(10がつ22にち) - 仁王門におうもんちかくにある由岐ゆき神社じんじゃ祭礼さいれい鞍馬あんばてら主催しゅさいではないが、かつては鞍馬あんばてらまつりでもあった。

交通こうつう

編集へんしゅう
京都きょうと市内しないから鞍馬あんば寺前てらまえまで
叡山えいざん電鉄でんてつ出町柳でまちやなぎえきから鞍馬線くらませんるとやく30ふん鞍馬くらまえきく。えき徒歩とほ2ふん仁王門におうもん山門さんもん)にいたる。
  • その叡山えいざん電鉄でんてつ親会社おやがいしゃである京阪電気鉄道けいはんでんきてつどうでは、同社どうしゃとの共同きょうどう企画きかく乗車じょうしゃけん鞍馬あんば貴船きふね1dayチケット』を出町柳でまちやなぎえきのぞ京阪けいはんせん系統けいとうすべてのえき発売はつばいしており、拝観はいかんさいほんけん受付うけつけ提示ていじすると、境内けいだいへの入場にゅうじょうりょうである「愛山あいざん」が大人おとな通常つうじょう500えんのところを優待ゆうたい料金りょうきんの400えん拝観はいかんできる[3]
京都きょうと地下鉄ちかてつ烏丸線からすません国際こくさい会館かいかんえきから京都きょうとバス52系統けいとうるとやく30ふん鞍馬あんば停留所ていりゅうじょく、停留所ていりゅうじょより徒歩とほ1ふん仁王門におうもんいたる。なお、地下鉄ちかてつ・バスいちにちけんでは、運賃うんちん均一きんいつ区間くかん境界きょうかいである市原いちはらからの差額さがく運賃うんちんである、片道かたみち200えん追加ついか料金りょうきん必要ひつようとなる。また、バスは7だいまでの早朝そうちょう夜間やかん市原いちはらまりとなり、鞍馬あんば貴船きふねまでは運行うんこうしていない。そのため、早朝そうちょう国際こくさい会館かいかんえき到着とうちゃくした場合ばあいは、市原いちはら駅前えきまえバス停ばすていまでバスでき、市原いちはらえきからあきらでんえるか、国際こくさい会館かいかんえきから10ふんあまあるいてあきらでん岩倉いわくらえきまで必要ひつようがある。地下鉄ちかてつ烏丸線からすませんには鞍馬口くらまぐちえきがあり、ここであやまって下車げしゃするひとがいるため、国際こくさい会館かいかんえきまで乗車じょうしゃするむね自動じどうアナウンスがある。
仁王門におうもんから本殿ほんでん金堂こんどうまで(徒歩とほ
仁王門におうもん(0) - 287m - 由岐ゆき神社じんじゃ(50) - 791m - 本殿ほんでん金堂こんどう(160)
  • 括弧かっこない数字すうじ仁王門におうもん標高ひょうこう基準きじゅんとした標高ひょうこう単位たんいm)
山門さんもんから由岐ゆき神社じんじゃ途中とちゅうにある中門ちゅうもんまでは舗装ほそう急坂きゅうざか山道さんどうで、もんからは石段いしだん石畳いしだたみみちとなる。すべあるくとなると成人せいじん男性だんせいで30ふんほどはておく必要ひつようがある。
仁王門におうもんから本殿ほんでん金堂こんどうまで(ケーブルカー利用りよう
仁王門におうもん山門やまとえき)(0) - 200m - 多宝塔たほうとうえき(120) - 456m - 本堂ほんどう金堂こんどう(160)
  • 括弧かっこない数字すうじ仁王門におうもん標高ひょうこう基準きじゅんとした標高ひょうこう単位たんいm)
徒歩とほでの参拝さんぱいは、高齢こうれいしゃなどには大変たいへんなため、仁王門におうもんから多宝塔たほうとうあいだケーブルカー鞍馬山くらまやま鋼索こうさく鉄道てつどう)を運行うんこうしている。乗車じょうしゃ時間じかんはわずか2ふんほどの距離きょりだが、89メートルの標高ひょうこうがある。多宝塔たほうとうから本殿ほんでん金堂こんどうまでは10ふんほどの石畳いしだたみあるく。ただ、ケーブルカー経由けいゆみち由岐ゆき神社じんじゃ経由けいゆしない。なお、てらがわあるくことが可能かのうひとは、ケーブルカーを使つかわずに徒歩とほ参拝さんぱいすることをすすめている。
貴船きふねがわからのアクセス
貴船口きぶねぐちえき - 2000m - 貴船きふね(35) - 573m - 魔王まおう殿どの(185) - 460m - くらせき(235) - 404m - 本殿ほんでん金堂こんどう(160)
  • 括弧かっこない数字すうじ仁王門におうもんたかさを基準きじゅんとした標高ひょうこう単位たんいm)
貴船きふねからのくち西門にしもんばれる。このルートはかつてうしわかまる天狗てんぐとの修行しゅぎょうはしったみちとされている。本殿ほんでん金堂こんどうまでくにはやまをひとつえることになるので鞍馬あんばがわからのぼるより大変たいへんである。成人せいじん男性だんせいでも50ふんほどかかる。鞍馬あんばから貴船きふねまでケーブルカーにらずにある場合ばあいは、貴船きふねから鞍馬あんばける場合ばあい標高ひょうこうわらないが、もっときゅう部分ぶぶんである西門にしもんから魔王まおう殿どのあいだが、貴船きふねからだとのぼざかになる。
  • 鞍馬くらまえきから貴船きふねけるみちは、ロンリープラネット紹介しょうかいされたことなどにより、欧米おうべいじん人気にんきのハイキングルートとなっている。

拝観はいかんりょう参拝さんぱい時間じかんなど

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  • 愛山あいざん - 境内けいだいへの入場にゅうじょうりょう高校生こうこうせい以上いじょう500えん(2023ねん4がつ1にち改定かいてい)で、境内けいだいにある以下いか有料ゆうりょう施設しせつ利用りようのためには、まず愛山あいざん支払しはらいが必要ひつようとなる。「やまきよめ、みどりはぐくみ、参道さんどうととのえるために」使つかわれる。中学生ちゅうがくせい以下いか無料むりょう
    • ぶしによってがあるが、表門おもてもんである山門さんもんは17ごろから翌朝よくあさ8まえごろまでは拝観はいかん受付うけつけ無人むじんとなるが、もんそのものは24あいだひらいているため、拝観はいかん受付うけつけ無人むじんとき入山にゅうざん無料むりょうとなる。なお、しょどうは6から1615ふんごろまでのひらきとびら本殿ほんでん金堂こんどうない授与じゅよしょは9から1615ふんごろまでひらかれる。
    • 貴船きふねがわ西にしもん基本きほんてきに16ごろから翌朝よくあさ9ごろまでは無人むじんとなるが、こちらももんそのものは24あいだひらいている。こちらのもんはチケットがあれば、その提示ていじにより当日とうじつならさい入場にゅうじょう可能かのうとなっている。悪天候あくてんこう冬期とうき平日へいじつなどは昼間ひるま無人むじん開放かいほうされていることもあるが、積雪せきせつ暴風雨ぼうふううなどのさい閉門へいもんされることもある。
  • れい宝殿ほうでん入館にゅうかんりょう - 鞍馬山くらまやま博物館はくぶつかんである霊宝れいほう殿どのへの入場にゅうじょうりょう高校生こうこうせい以上いじょう200えん中学生ちゅうがくせい以下いか100えん。9から16までの開館かいかん毎週まいしゅう火曜日かようびと12月12にちから2がつ末日まつじつ休館きゅうかん
  • ケーブルカー寄進きしんりょう - 1くち大人おとな200えん小学生しょうがくせい100えん小学生しょうがくせい未満みまん寄付きふきん不要ふよう)の寄付きふきん寄進きしん鞍馬あんばてらたいしてったひとは、てらからの「おれい」のかたちで「無料むりょう」で1かいケーブルカーに乗車じょうしゃできる。事実じじつじょう運賃うんちんである「寄付きふきん」の詳細しょうさいについては「鞍馬山くらまやま鋼索こうさく鉄道てつどう」のこう参照さんしょうされたい。

夜間やかん拝観はいかん

編集へんしゅう

前述ぜんじゅつとおり、入口いりくちもんは24あいだひらかれており、夜間やかんでも拝観はいかん可能かのうである。しかし入口いりくちまえ本殿ほんでんわきおくいん入口いりくちには「夜間やかんはほとんどあかりがないため、ライトしでの歩行ほこう危険きけんである」「野生やせい生物せいぶつ出没しゅつぼつする」との表示ひょうじがある。実際じっさいには山門さんもんから本殿ほんでんまでは、常夜灯じょうやとう点灯てんとうしており、ほぼ懐中かいちゅう電灯でんとうなしでも参拝さんぱいできる。由岐ゆき神社じんじゃあたりは神社じんじゃ境内けいだい経由けいゆのほうがあかるい。ただ、ほん殿下でんかの「てん法輪ほうりんどう」からうえ常夜灯じょうやとうかずり、スマートフォンとうかりがしい場所ばしょがある。本殿ほんでんまえ夜間やかん祭礼さいれい以外いがいかりがほとんどない。本殿ほんでんから貴船きふねまではくらとなるので、足元あしもとわるさもありあかるい懐中かいちゅう電灯でんとう必要ひつようである。すべてのどうは閉扉しているので、屋外おくがいからの参拝さんぱいとなる。

脚注きゃくちゅう

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注釈ちゅうしゃく

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  1. ^ 以上いじょう説明せつめいは、信楽しがらきかおりひとし「くらまやま信仰しんこう歴史れきし」『古寺ふるでら巡礼じゅんれい京都きょうと27 鞍馬あんばてら』(あわ交社、1978)、pp.79 - 85による。
  2. ^ くろうるしけん」としょうされるが、形式けいしきてきには両刃りょうばの「けん」ではなく、片刃かたはちょくかたなである。

出典しゅってん

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  1. ^ 鞍馬あんばてら 大正たいしょうじゅうねん
  2. ^ 小野おの芳朗よしろうみず環境かんきょうきょう名水めいすい」はなぜうしなわれたか』(PHP新書しんしょ) PHP研究所けんきゅうじょ、2001ねん p.206 ISBN 9784569616186
  3. ^ 鞍馬あんば貴船きふね1dayチケット 優待ゆうたい特典とくてん一覧いちらん (PDF) - 京阪電気鉄道けいはんでんきてつどう

参考さんこう文献ぶんけん

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  • 信楽しがらきかおりひとし天狗てんぐやま くらまだより』、大東だいとう出版しゅっぱんしゃ、1990
  • 井上いのうえやすし塚本つかもと善隆よしたか監修かんしゅう遠藤えんどう周作しゅうさく信楽しがらきかおりひとしちょ古寺ふるでら巡礼じゅんれい京都きょうと27 鞍馬あんばてら』、あわ交社、1978
  • 竹村たけむら俊則としのり昭和しょうわ京都きょうと名所めいしょ図会ずえ らくきた駸々しんしんどう、1982
  • 週刊しゅうかん朝日あさひ百科ひゃっか 日本にっぽん国宝こくほう』13ごう鞍馬あんばてらほか)、朝日新聞社あさひしんぶんしゃ、1997
  • 日本にっぽん歴史れきし地名ちめい大系たいけい 京都きょうと地名ちめい』、平凡社へいぼんしゃ
  • 角川かどかわ日本にっぽん地名ちめいだい辞典じてん 京都きょうと』、角川書店かどかわしょてん
  • 国史こくしだい辞典じてん』、吉川弘文館よしかわこうぶんかん
  • 『くらま』、鞍馬あんばひろきょう総本山そうほんざん鞍馬あんばてら出版しゅっぱん
  • 信楽しがらきかおりくもちょ鞍馬山くらまやま歳時記さいじき』、1970

関連かんれん項目こうもく

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外部がいぶリンク

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