このことから、[[大日本帝国海軍]]による[[真珠湾攻撃]]の直後から、[[アメリカ軍]]もフィルター・ルーム・コンセプトの導入に着手し、ウィリアム・テイラー海軍少佐とバーキスト陸軍中佐を中心とした委員会が、[[:en:SCR-270 radar|SCR-270レーダー]]をセンサーとした地上システムを構築した。<ref>{{Cite web|author=www.vectorsite.net|date=2001年3月11日|url=http://www.vectorsite.net/ttwiz_04.html|title=Microwave Radar At War (1)|language=英語|accessdate=2011年9月2日}}</ref>またこれに先駆けて、[[1941年]][[8月]]には、[[アメリカ海軍]]の空母艦上に、フィルター・ルームと同様の防空戦闘指揮所が設置され、これが艦上におけるCICコンセプトの初適用となった。これは、急速に展開していく航空戦闘の様相に対応し、また、レーダー探知など、視認不能な敵情報を適切に把握するため、情報を統合的に集中処理するものであった。<ref name="Nogi1">{{Cite journal|和書||author=[[野木恵一]]||year=2006||month=8||title=システムとしての艦隊防空||journal=[[世界の艦船]]||issue=第662集||pages=98-103頁||publisher=海人社}}</ref>
このことから、[[大日本帝国海軍]]による[[真珠湾攻撃]]の直後から、[[アメリカ軍]]もフィルター・ルーム・コンセプトの導入に着手し、ウィリアム・テイラー海軍少佐とバーキスト陸軍中佐を中心とした委員会が、[[:en:SCR-270 radar|SCR-270レーダー]]をセンサーとした地上システムを構築した。<ref>{{Cite web|author=www.vectorsite.net|date=2001年3月11日|url=http://www.vectorsite.net/ttwiz_04.html|title=Microwave Radar At War (1)|language=英語|accessdate=2011年9月2日}}</ref>またこれに先駆けて、[[1941年]][[8月]]には、[[アメリカ海軍]]の空母艦上に、フィルター・ルームと同様の防空戦闘指揮所が設置され、これが艦上におけるCICコンセプトの初適用となった。これは、急速に展開していく航空戦闘の様相に対応し、また、レーダー探知など、視認不能な敵情報を適切に把握するため、情報を統合的に集中処理するものであった。<ref name="Nogi1">{{Cite journal|和書||author=[[野木恵一]]||year=2006||month=8||title=システムとしての艦隊防空||journal=[[世界の艦船]]||issue=第662集||pages=98-103頁||publisher=海人社}}</ref>
2020年12月23日(水) 15:55時点における版
戦闘指揮所(せんとうしきしょ、英語: Combat Information Center, CIC)とは、現代の軍艦における戦闘情報中枢のことである。レーダーやソナー、通信などや、自艦の状態に関する情報が集約される部署であり、指揮・発令もここから行う。航空母艦においてCICに相当する部署は、CDC(Combat Direction Center)と呼ばれる。
その後、より徹底的にCICとコンピュータの統合を推し進め、マン・マシン・システムとして目標の脅威レベルを判定する機能を付加した、いわゆるTEWA(Threat evaluation and weapons assignment)システムが開発された。アメリカにおいては、海軍戦術情報システム (NTDS)と武器管制システム(WDS: Weapons Direction System)の複合システムとして発展したのち、ターター-D・システムで連接され、イージスシステムにおいて統合された。また、NTDS系列の機種は、フランスや日本、ドイツなどでも派生型が開発されたほか、イギリスやオランダでは独自に開発しているが、これらは当初よりTEWAシステムとして開発された。
海上保安庁の巡視船のうち、指揮統制機能を強化している船では、OIC(Operation Information Center)室と呼ばれる区画が設置されている。これはCICの海上保安庁版といえるものであり、会議室として災害対策本部を設置できるほか、GMDSS, JASREP、インマルサット衛星通信装置や救難ヘリコプターとの画像伝送装置などの充実した通信装備が設置されている。ただし、巡視船においては、船の指揮機能の中枢は依然として船橋に置かれており、OIC室は、どちらかというと群司令部指揮所(TFCC)に近い機能を担っている。
まず、「3Tファミリー」の艦対空ミサイルに付随して、その射撃管制を補助する武器管制システム (WDS: Weapons Direction System)が開発された。これは、目標の情報 (三次元的な位置や速度、脅威度など)を記憶・管理し、その射撃を効率化するもので、当時主流だったアナログコンピュータを使用していた。しかし、これはあくまで射撃指揮の効率化をはかるものであり、対応のさらなる迅速化には、CICとの統合をさらにつきつめて、マン・マシン・システムとして再構築する必要があった。
その開発の先駆者はカナダであり、1949年よりDATAR(Digital Automated Tracking and Resolving、数値自動軌跡追尾及び処理)の開発を開始していた。このシステムは、当時登場したばかりのデジタルコンピュータを使用しているだけでなく、データリンクの概念すら含まれており、極めて画期的なものであった。カナダ海軍はこのシステムを2隻の掃海艇に搭載してのテストまで行ったが、放熱が激しいという欠陥を有しており、最終的に過熱が原因の火災事故によってシステムは失われ開発は頓挫した。しかしその成果は、アメリカの海軍戦術情報システム (NTDS)の開発に生かされることになる。
一方、1950年代初頭より、イギリスはレーダー情報の処理・表示システムとしてCDS (Comprehensive Display System)の開発を進めており、1957年には実艦に搭載した。これはアナログ式のコンピュータを利用しており、世界で最も早く実戦配備された戦術情報処理装置である。アメリカもCDSと同様のシステム(EDS: Electronic Data System)を開発し、1953年より実艦への搭載を開始したが、アナログ式であるために信頼性と性能に限界があると考えられ、採用はされなかった。
1954年に開始されたランプライト計画においては、このころ急速に台頭していたデジタルコンピュータによる戦術情報処理装置が開発された。これはNTDSの中核として、1961年より、空母「オリスカニー」およびミサイル駆逐艦2隻において評価試験を実施したうえで、1963年に制式化された。また、イギリスもCDSの後継としてADA (Action Data Automation)を開発したのち、1966年より、これをデジタル化するとともに改良したADAWS(Action Data Automation Weapon System)に発展させた。