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25行 ぎょう 目 め :
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[[第 だい 二 に 次 じ 世界 せかい 大戦 たいせん ]]の前 まえ までは、軍艦 ぐんかん における戦闘 せんとう 指揮 しき は、[[艦長 かんちょう ]]が[[艦橋 かんきょう ]]に位置 いち し、そこから指揮 しき を執 と っていた。これは、戦闘 せんとう 指揮 しき に必要 ひつよう なものが[[無線 むせん 通信 つうしん ]]を除 のぞ き、[[肉眼 にくがん ]]で見 み えることだけで済 す んだためである。敵艦 てきかん と自艦 じかん との位置 いち 関係 かんけい の把握 はあく も視認 しにん 範囲 はんい 内 ない が全 すべ てであった。
[[第 だい 二 に 次 じ 世界 せかい 大戦 たいせん ]]の前 まえ までは、軍艦 ぐんかん における戦闘 せんとう 指揮 しき は、[[艦長 かんちょう ]]が[[艦橋 かんきょう ]]に位置 いち し、そこから指揮 しき を執 と っていた。これは、戦闘 せんとう 指揮 しき に必要 ひつよう なものが[[無線 むせん 通信 つうしん ]]を除 のぞ き、[[肉眼 にくがん ]]で見 み えることだけで済 す んだためである。敵艦 てきかん と自艦 じかん との位置 いち 関係 かんけい の把握 はあく も視認 しにん 範囲 はんい 内 ない が全 すべ てであった。
[[1930年代 ねんだい ]]後半 こうはん から[[1942年 ねん ]]にかけて、のちにCICコンセプトにつながる様々 さまざま な試 こころ みが行 おこ なわれた。[[イギリス空軍 くうぐん ]]は、[[レーダー]]技術 ぎじゅつ の発達 はったつ にともない、これを活用 かつよう するために[[:en:Filter Room|フィルター・ルーム]]・コンセプトを開発 かいはつ した。これは各 かく [[レーダーサイト]]が得 え た目標 もくひょう 情報 じょうほう を集中 しゅうちゅう 処理 しょり して、[[要撃 ようげき 機 き ]]に対 たい する[[航空 こうくう 交通 こうつう 管制 かんせい |管制 かんせい ]]に活用 かつよう するものであり、[[GCI|地上 ちじょう 要撃 ようげき 管制 かんせい ]]の原型 げんけい であるとともに、洋上 ようじょう におけるCICコンセプトの原型 げんけい でもあった。[[1940年 ねん ]]の[[バトル・オブ・ブリテン]]において、このコンセプトは極 きわ めて大 おお きな効果 こうか を上 あ げた。このことから、[[大日本帝国 だいにっぽんていこく 海軍 かいぐん ]]による[[真珠湾 しんじゅわん 攻撃 こうげき ]]の直後 ちょくご から、[[アメリカ軍 ぐん ]]もフィルター・ルーム・コンセプトの導入 どうにゅう に着手 ちゃくしゅ し、ウィリアム・テイラー海軍 かいぐん 少佐 しょうさ とバーキスト陸軍 りくぐん 中佐 ちゅうさ を中心 ちゅうしん とした委員 いいん 会 かい が、[[:en:SCR-270 radar|SCR-270レーダー]]をセンサーとした地上 ちじょう システムを構築 こうちく した。<ref>{{Cite web|author=www.vectorsite.net|date=2001年 ねん 3月 がつ 11日 にち |url=http://www.vectorsite.net/ttwiz_04.html|title=Microwave Radar At War (1)|language=英語 えいご |accessdate=2011年 ねん 9月 がつ 2日 にち }}</ref>またこれに先駆 さきが けて、[[1941年 ねん ]][[8月 がつ ]]には、[[アメリカ海軍 かいぐん ]]の空母 くうぼ 艦上 かんじょう に、フィルター・ルームと同様 どうよう の防空 ぼうくう 戦闘 せんとう 指揮 しき 所 しょ が設置 せっち され、これが艦上 かんじょう におけるCICコンセプトの初 はつ 適用 てきよう となった。これは、急速 きゅうそく に展開 てんかい していく航空 こうくう 戦闘 せんとう の様相 ようそう に対応 たいおう し、また、レーダー探知 たんち など、視認 しにん 不能 ふのう な敵 てき 情報 じょうほう を適切 てきせつ に把握 はあく するため、情報 じょうほう を統合 とうごう 的 てき に集中 しゅうちゅう 処理 しょり するものであった。<ref name="Nogi1">{{Cite journal|和書 わしょ ||author=[[野木 のぎ 恵一 けいいち ]]||year=2006||month=8||title=システムとしての艦隊 かんたい 防空 ぼうくう ||journal=[[世界 せかい の艦船 かんせん ]]||issue=第 だい 662集 しゅう ||pages=98-103頁 ぺーじ ||publisher=海人 あま 社 しゃ }}</ref>
[[1930年代 ねんだい ]]後半 こうはん から[[1942年 ねん ]]にかけて、のちにCICコンセプトにつながる様々 さまざま な試 こころ みが行 おこ なわれた。[[イギリス空軍 くうぐん ]]は、[[レーダー]]技術 ぎじゅつ の発達 はったつ にともない、これを活用 かつよう するために[[:en:Filter Room|フィルター・ルーム]]・コンセプトを開発 かいはつ した。これは各 かく [[レーダーサイト]]が得 え た目標 もくひょう 情報 じょうほう を集中 しゅうちゅう 処理 しょり して、[[要撃 ようげき 機 き ]]に対 たい する[[航空 こうくう 交通 こうつう 管制 かんせい |管制 かんせい ]]に活用 かつよう するものであり、[[GCI|地上 ちじょう 要撃 ようげき 管制 かんせい ]]の原型 げんけい であるとともに、洋上 ようじょう におけるCICコンセプトの原型 げんけい でもあった。[[1940年 ねん ]]の[[バトル・オブ・ブリテン]]において、このコンセプトは極 きわ めて大 おお きな効果 こうか を上 あ げた。[[バトル・オブ・ブリテン]]における[[RAF]]はイギリス沿岸 えんがん 部 ぶ に点在 てんざい する22箇所 かしょ のCH高 だか 高度 こうど レーダー監視 かんし 所 しょ 、29箇所 かしょ のCHL高度 こうど レーダー補助 ほじょ 監視 かんし 所 しょ 及 およ び31箇所 かしょ の内陸 ないりく 監視 かんし 所 しょ をロンドン近郊 きんこう アクスブリッジの中央 ちゅうおう 防空 ぼうくう 指揮 しき 所 しょ で統括 とうかつ し、各 かく 防空 ぼうくう 管区 かんく からの情報 じょうほう を専用 せんよう 電話 でんわ 回線 かいせん とテレグラムで集計 しゅうけい 。リアルタイムでドイツ軍 ぐん 攻撃 こうげき 隊 たい の位置 いち を把握 はあく して適当 てきとう なう戦闘 せんとう 機 き 中隊 ちゅうたい に出動 しゅつどう 命令 めいれい が下 くだ すという手法 しゅほう が取 と られた。戦闘 せんとう 機 き 中隊 ちゅうたい は出撃 しゅつげき 後 ご も逐次 ちくじ 無線 むせん で誘導 ゆうどう を受 う け、最短 さいたん で迎撃 げいげき ポイントに向 む かうことが可能 かのう だった。敵 てき 味方 みかた の部隊 ぶたい は盤上 ばんじょう の駒 こま としての把握 はあく され、識別 しきべつ のための[[IFF]]の搭載 とうさい を含 ふく めてCICの基礎 きそ はここで確立 かくりつ されら。
このことから、[[大日本帝国 だいにっぽんていこく 海軍 かいぐん ]]による[[真珠湾 しんじゅわん 攻撃 こうげき ]]の直後 ちょくご から、[[アメリカ軍 ぐん ]]もフィルター・ルーム・コンセプトの導入 どうにゅう に着手 ちゃくしゅ し、ウィリアム・テイラー海軍 かいぐん 少佐 しょうさ とバーキスト陸軍 りくぐん 中佐 ちゅうさ を中心 ちゅうしん とした委員 いいん 会 かい が、[[:en:SCR-270 radar|SCR-270レーダー]]をセンサーとした地上 ちじょう システムを構築 こうちく した。<ref>{{Cite web|author=www.vectorsite.net|date=2001年 ねん 3月 がつ 11日 にち |url=http://www.vectorsite.net/ttwiz_04.html|title=Microwave Radar At War (1)|language=英語 えいご |accessdate=2011年 ねん 9月 がつ 2日 にち }}</ref>またこれに先駆 さきが けて、[[1941年 ねん ]][[8月 がつ ]]には、[[アメリカ海軍 かいぐん ]]の空母 くうぼ 艦上 かんじょう に、フィルター・ルームと同様 どうよう の防空 ぼうくう 戦闘 せんとう 指揮 しき 所 しょ が設置 せっち され、これが艦上 かんじょう におけるCICコンセプトの初 はつ 適用 てきよう となった。これは、急速 きゅうそく に展開 てんかい していく航空 こうくう 戦闘 せんとう の様相 ようそう に対応 たいおう し、また、レーダー探知 たんち など、視認 しにん 不能 ふのう な敵 てき 情報 じょうほう を適切 てきせつ に把握 はあく するため、情報 じょうほう を統合 とうごう 的 てき に集中 しゅうちゅう 処理 しょり するものであった。<ref name="Nogi1">{{Cite journal|和書 わしょ ||author=[[野木 のぎ 恵一 けいいち ]]||year=2006||month=8||title=システムとしての艦隊 かんたい 防空 ぼうくう ||journal=[[世界 せかい の艦船 かんせん ]]||issue=第 だい 662集 しゅう ||pages=98-103頁 ぺーじ ||publisher=海人 あま 社 しゃ }}</ref>
一方 いっぽう 、海洋 かいよう 戦 せん にCICコンセプトを適用 てきよう する試 こころ みは、これらとは別個 べっこ に着手 ちゃくしゅ された。1942年 ねん の[[第 だい 三 さん 次 じ ソロモン海戦 かいせん ]]および[[ルンガ沖 おき 夜戦 やせん ]]において、新型 しんがた の[[SG (レーダー)|SG]]対 たい 水上 すいじょう レーダー装備 そうび の[[駆逐 くちく 艦 かん ]][[フレッチャー (DD-445)|「フレッチャー」]]の副長 ふくちょう であった[[:en:J.C. Wylie|J・ワイリー]]少佐 しょうさ は、艦橋 かんきょう に隣接 りんせつ した海図 かいず 室 しつ で、レーダーを直接 ちょくせつ 操作 そうさ して艦長 かんちょう が必要 ひつよう とするレーダー情報 じょうほう を伝 つた えるとともに、[[内線 ないせん 電話 でんわ ]]によって砲術 ほうじゅつ 長 ちょう ・水雷 すいらい 長 ちょう と緊密 きんみつ に連絡 れんらく を取 と り、艦長 かんちょう の戦闘 せんとう 指揮 しき を極 きわ めて効率 こうりつ 的 てき に補佐 ほさ した。これは事実 じじつ 上 じょう 、アメリカ海軍 かいぐん 史上 しじょう で初 はじ めてCICコンセプトが創出 そうしゅつ された例 れい であり、この功 こう によってワイリー少佐 しょうさ は[[シルバースター]]を授与 じゅよ されるとともに、[[1943年 ねん ]]より、駆逐 くちく 艦 かん にCICコンセプトを適用 てきよう するためのプロジェクト・チームに参加 さんか することとなった。このチームは、[[:en:Cal Laning|C・ラニング]]中佐 ちゅうさ の主導 しゅどう 下 か に、ワイリー少佐 しょうさ のほか、[[ジョージ・フィリップ|G・フィリップ]]少佐 しょうさ 、R・ブックマン少佐 しょうさ が参加 さんか していた。このチームは2ヶ月 かげつ で、駆逐 くちく 艦 かん にCICを導入 どうにゅう するためのハンドブック([http://destroyerhistory.org/assets/pdf/430624CICHandbook.pdf ''C.I.C. Handbook for Destroyers Pacific Fleet''])を作成 さくせい し、これはまもなく全 ぜん 海軍 かいぐん に配布 はいふ されることとなった<ref>{{Cite book|和書 わしょ |author=[[大熊 おおくま 康之 やすゆき ]]|year=2011|title=戦略 せんりゃく ・ドクトリン統合 とうごう 防衛 ぼうえい 革命 かくめい |publisher=[[かや書房 しょぼう ]]|isbn=978-4-906124-70-1}}</ref>。
一方 いっぽう 、海洋 かいよう 戦 せん にCICコンセプトを適用 てきよう する試 こころ みは、これらとは別個 べっこ に着手 ちゃくしゅ された。1942年 ねん の[[第 だい 三 さん 次 じ ソロモン海戦 かいせん ]]および[[ルンガ沖 おき 夜戦 やせん ]]において、新型 しんがた の[[SG (レーダー)|SG]]対 たい 水上 すいじょう レーダー装備 そうび の[[駆逐 くちく 艦 かん ]][[フレッチャー (DD-445)|「フレッチャー」]]の副長 ふくちょう であった[[:en:J.C. Wylie|J・ワイリー]]少佐 しょうさ は、艦橋 かんきょう に隣接 りんせつ した海図 かいず 室 しつ で、レーダーを直接 ちょくせつ 操作 そうさ して艦長 かんちょう が必要 ひつよう とするレーダー情報 じょうほう を伝 つた えるとともに、[[内線 ないせん 電話 でんわ ]]によって砲術 ほうじゅつ 長 ちょう ・水雷 すいらい 長 ちょう と緊密 きんみつ に連絡 れんらく を取 と り、艦長 かんちょう の戦闘 せんとう 指揮 しき を極 きわ めて効率 こうりつ 的 てき に補佐 ほさ した。これは事実 じじつ 上 じょう 、アメリカ海軍 かいぐん 史上 しじょう で初 はじ めてCICコンセプトが創出 そうしゅつ された例 れい であり、この功 こう によってワイリー少佐 しょうさ は[[シルバースター]]を授与 じゅよ されるとともに、[[1943年 ねん ]]より、駆逐 くちく 艦 かん にCICコンセプトを適用 てきよう するためのプロジェクト・チームに参加 さんか することとなった。このチームは、[[:en:Cal Laning|C・ラニング]]中佐 ちゅうさ の主導 しゅどう 下 か に、ワイリー少佐 しょうさ のほか、[[ジョージ・フィリップ|G・フィリップ]]少佐 しょうさ 、R・ブックマン少佐 しょうさ が参加 さんか していた。このチームは2ヶ月 かげつ で、駆逐 くちく 艦 かん にCICを導入 どうにゅう するためのハンドブック([http://destroyerhistory.org/assets/pdf/430624CICHandbook.pdf ''C.I.C. Handbook for Destroyers Pacific Fleet''])を作成 さくせい し、これはまもなく全 ぜん 海軍 かいぐん に配布 はいふ されることとなった<ref>{{Cite book|和書 わしょ |author=[[大熊 おおくま 康之 やすゆき ]]|year=2011|title=戦略 せんりゃく ・ドクトリン統合 とうごう 防衛 ぼうえい 革命 かくめい |publisher=[[かや書房 しょぼう ]]|isbn=978-4-906124-70-1}}</ref>。
博物館 はくぶつかん 「ホーネット 」で再現 さいげん されているCIC。
戦闘 せんとう 指揮 しき 所 しょ (せんとうしきしょ、英語 えいご : Combat Information Center, CIC )とは、現代 げんだい の軍艦 ぐんかん における戦闘 せんとう 情報 じょうほう 中枢 ちゅうすう のことである。レーダー やソナー 、通信 つうしん などや、自艦 じかん の状態 じょうたい に関 かん する情報 じょうほう が集約 しゅうやく される部署 ぶしょ であり、指揮 しき ・発令 はつれい もここから行 おこな う。航空 こうくう 母艦 ぼかん においてCICに相当 そうとう する部署 ぶしょ は、CDC(Combat Direction Center)と呼 よ ばれる。
その性質 せいしつ 上 じょう 多 おお くの機密 きみつ 情報 じょうほう を扱 あつか うため、運用 うんよう 時間 じかん 中 ちゅう は乗組 のりくみ 員 いん であっても立 た ち入 い りには制限 せいげん が加 くわ えられる。
概要 がいよう
CICには、戦術 せんじゅつ 情報処理 じょうほうしょり 装置 そうち や戦術 せんじゅつ データ・リンク をはじめとする各種 かくしゅ のC4Iシステム が装備 そうび されている。これらはオペレータ とともにマン・マシン・システムを形成 けいせい して、戦闘 せんとう 中 ちゅう の情報処理 じょうほうしょり を一括 いっかつ して担 にな う。すなわち、CICは、艦 かん のC4Iシステムとオペレータとを連接 れんせつ するためのマンマシンインタフェース としての役割 やくわり を持 も っており、その設計 せっけい は、艦 かん のシステム統合 とうごう にあたって極 きわ めて重要 じゅうよう である。
当初 とうしょ 、CICは、単 たん に、艦 かん の戦闘 せんとう に関 かん する情報処理 じょうほうしょり を一括 いっかつ して行 おこ なうための部屋 へや というに過 す ぎず、その中 なか での情報処理 じょうほうしょり はほとんど完全 かんぜん な手動 しゅどう であった。その後 ご 、航空機 こうくうき の性能 せいのう 向上 こうじょう とコンピュータ の発達 はったつ を背景 はいけい に自動 じどう 化 か が試 こころ みられ、1950年代 ねんだい 初頭 しょとう よりまずカナダ で、ついでイギリス 、アメリカ で開始 かいし された。初期 しょき は、レーダーなどの画面 がめん に表示 ひょうじ された目標 もくひょう 情報 じょうほう の入力 にゅうりょく を受 う けて、これを管理 かんり し、射撃 しゃげき 指揮 しき 装置 そうち に移管 いかん するという、いわゆる武器 ぶき 管制 かんせい 装置 そうち に留 とど まっていた。これらは、あくまでCICの装備 そうび 品 ひん のひとつに過 す ぎなかった。
その後 ご 、より徹底的 てっていてき にCICとコンピュータの統合 とうごう を推 お し進 すす め、マン・マシン・システムとして目標 もくひょう の脅威 きょうい レベルを判定 はんてい する機能 きのう を付加 ふか した、いわゆるTEWA (Threat evaluation and weapons assignment)システムが開発 かいはつ された。アメリカにおいては、海軍 かいぐん 戦術 せんじゅつ 情報 じょうほう システム (NTDS ) と武器 ぶき 管制 かんせい システム (WDS : Weapons Direction System)の複 ふく 合 あい システムとして発展 はってん したのち、ターター-D・システム で連接 れんせつ され、イージスシステム において統合 とうごう された。また、NTDS系列 けいれつ の機種 きしゅ は、フランス や日本 にっぽん 、ドイツ などでも派生 はせい 型 がた が開発 かいはつ されたほか、イギリスやオランダ では独自 どくじ に開発 かいはつ しているが、これらは当初 とうしょ よりTEWAシステムとして開発 かいはつ された。
海上 かいじょう 自衛隊 じえいたい では、CICの区画 くかく をクリーンCと定 さだ めている。CICは軍艦 ぐんかん において最 もっと も重要 じゅうよう な部署 ぶしょ の一 ひと つであり、ここが機能 きのう を失 うしな うとその艦 かん の戦闘 せんとう 能力 のうりょく は無 む に等 ひと しくなるため、他 た の部分 ぶぶん に比 くら べ堅固 けんご な作 つく りとなっている。
海上保安庁 かいじょうほあんちょう の巡視 じゅんし 船 せん のうち、指揮 しき 統制 とうせい 機能 きのう を強化 きょうか している船 ふね では、OIC (Operation Information Center)室 しつ と呼 よ ばれる区画 くかく が設置 せっち されている。これはCICの海上保安庁 かいじょうほあんちょう 版 ばん といえるものであり、会議 かいぎ 室 しつ として災害 さいがい 対策 たいさく 本部 ほんぶ を設置 せっち できるほか、GMDSS , JASREP 、インマルサット 衛星 えいせい 通信 つうしん 装置 そうち や救難 きゅうなん ヘリコプター との画像 がぞう 伝送 でんそう 装置 そうち などの充実 じゅうじつ した通信 つうしん 装備 そうび が設置 せっち されている。ただし、巡視 じゅんし 船 せん においては、船 ふね の指揮 しき 機能 きのう の中枢 ちゅうすう は依然 いぜん として船橋 ふなばし に置 お かれており、OIC室 しつ は、どちらかというと群 ぐん 司令 しれい 部 ぶ 指揮 しき 所 しょ (TFCC)に近 ちか い機能 きのう を担 にな っている。
沿革 えんかく
草創 そうそう 期 き (1940年代 ねんだい - 1950年代 ねんだい )
1940
年代 ねんだい の
巡洋艦 じゅんようかん (
CL-65 )のCIC。
第 だい 二 に 次 じ 世界 せかい 大戦 たいせん の前 まえ までは、軍艦 ぐんかん における戦闘 せんとう 指揮 しき は、艦長 かんちょう が艦橋 かんきょう に位置 いち し、そこから指揮 しき を執 と っていた。これは、戦闘 せんとう 指揮 しき に必要 ひつよう なものが無線 むせん 通信 つうしん を除 のぞ き、肉眼 にくがん で見 み えることだけで済 す んだためである。敵艦 てきかん と自艦 じかん との位置 いち 関係 かんけい の把握 はあく も視認 しにん 範囲 はんい 内 ない が全 すべ てであった。
1930年代 ねんだい 後半 こうはん から1942年 ねん にかけて、のちにCICコンセプトにつながる様々 さまざま な試 こころ みが行 おこ なわれた。イギリス空軍 くうぐん は、レーダー 技術 ぎじゅつ の発達 はったつ にともない、これを活用 かつよう するためにフィルター・ルーム ・コンセプトを開発 かいはつ した。これは各 かく レーダーサイト が得 え た目標 もくひょう 情報 じょうほう を集中 しゅうちゅう 処理 しょり して、要撃 ようげき 機 き に対 たい する管制 かんせい に活用 かつよう するものであり、地上 ちじょう 要撃 ようげき 管制 かんせい の原型 げんけい であるとともに、洋上 ようじょう におけるCICコンセプトの原型 げんけい でもあった。1940年 ねん のバトル・オブ・ブリテン において、このコンセプトは極 きわ めて大 おお きな効果 こうか を上 あ げた。バトル・オブ・ブリテン におけるRAF はイギリス沿岸 えんがん 部 ぶ に点在 てんざい する22箇所 かしょ のCH高 だか 高度 こうど レーダー監視 かんし 所 しょ 、29箇所 かしょ のCHL高度 こうど レーダー補助 ほじょ 監視 かんし 所 しょ 及 およ び31箇所 かしょ の内陸 ないりく 監視 かんし 所 しょ をロンドン近郊 きんこう アクスブリッジの中央 ちゅうおう 防空 ぼうくう 指揮 しき 所 しょ で統括 とうかつ し、各 かく 防空 ぼうくう 管区 かんく からの情報 じょうほう を専用 せんよう 電話 でんわ 回線 かいせん とテレグラムで集計 しゅうけい 。リアルタイムでドイツ軍 ぐん 攻撃 こうげき 隊 たい の位置 いち を把握 はあく して適当 てきとう なう戦闘 せんとう 機 き 中隊 ちゅうたい に出動 しゅつどう 命令 めいれい が下 くだ すという手法 しゅほう が取 と られた。戦闘 せんとう 機 き 中隊 ちゅうたい は出撃 しゅつげき 後 ご も逐次 ちくじ 無線 むせん で誘導 ゆうどう を受 う け、最短 さいたん で迎撃 げいげき ポイントに向 む かうことが可能 かのう だった。敵 てき 味方 みかた の部隊 ぶたい は盤上 ばんじょう の駒 こま としての把握 はあく され、識別 しきべつ のためのIFF の搭載 とうさい を含 ふく めてCICの基礎 きそ はここで確立 かくりつ されら。
このことから、大日本帝国 だいにっぽんていこく 海軍 かいぐん による真珠湾 しんじゅわん 攻撃 こうげき の直後 ちょくご から、アメリカ軍 ぐん もフィルター・ルーム・コンセプトの導入 どうにゅう に着手 ちゃくしゅ し、ウィリアム・テイラー海軍 かいぐん 少佐 しょうさ とバーキスト陸軍 りくぐん 中佐 ちゅうさ を中心 ちゅうしん とした委員 いいん 会 かい が、SCR-270レーダー をセンサーとした地上 ちじょう システムを構築 こうちく した。[ 1] またこれに先駆 さきが けて、1941年 ねん 8月 がつ には、アメリカ海軍 かいぐん の空母 くうぼ 艦上 かんじょう に、フィルター・ルームと同様 どうよう の防空 ぼうくう 戦闘 せんとう 指揮 しき 所 しょ が設置 せっち され、これが艦上 かんじょう におけるCICコンセプトの初 はつ 適用 てきよう となった。これは、急速 きゅうそく に展開 てんかい していく航空 こうくう 戦闘 せんとう の様相 ようそう に対応 たいおう し、また、レーダー探知 たんち など、視認 しにん 不能 ふのう な敵 てき 情報 じょうほう を適切 てきせつ に把握 はあく するため、情報 じょうほう を統合 とうごう 的 てき に集中 しゅうちゅう 処理 しょり するものであった。[ 2]
一方 いっぽう 、海洋 かいよう 戦 せん にCICコンセプトを適用 てきよう する試 こころ みは、これらとは別個 べっこ に着手 ちゃくしゅ された。1942年 ねん の第 だい 三 さん 次 じ ソロモン海戦 かいせん およびルンガ沖 おき 夜戦 やせん において、新型 しんがた のSG 対 たい 水上 すいじょう レーダー装備 そうび の駆逐 くちく 艦 かん 「フレッチャー」 の副長 ふくちょう であったJ・ワイリー 少佐 しょうさ は、艦橋 かんきょう に隣接 りんせつ した海図 かいず 室 しつ で、レーダーを直接 ちょくせつ 操作 そうさ して艦長 かんちょう が必要 ひつよう とするレーダー情報 じょうほう を伝 つた えるとともに、内線 ないせん 電話 でんわ によって砲術 ほうじゅつ 長 ちょう ・水雷 すいらい 長 ちょう と緊密 きんみつ に連絡 れんらく を取 と り、艦長 かんちょう の戦闘 せんとう 指揮 しき を極 きわ めて効率 こうりつ 的 てき に補佐 ほさ した。これは事実 じじつ 上 じょう 、アメリカ海軍 かいぐん 史上 しじょう で初 はじ めてCICコンセプトが創出 そうしゅつ された例 れい であり、この功 こう によってワイリー少佐 しょうさ はシルバースター を授与 じゅよ されるとともに、1943年 ねん より、駆逐 くちく 艦 かん にCICコンセプトを適用 てきよう するためのプロジェクト・チームに参加 さんか することとなった。このチームは、C・ラニング 中佐 ちゅうさ の主導 しゅどう 下 か に、ワイリー少佐 しょうさ のほか、G・フィリップ 少佐 しょうさ 、R・ブックマン少佐 しょうさ が参加 さんか していた。このチームは2ヶ月 かげつ で、駆逐 くちく 艦 かん にCICを導入 どうにゅう するためのハンドブック(C.I.C. Handbook for Destroyers Pacific Fleet )を作成 さくせい し、これはまもなく全 ぜん 海軍 かいぐん に配布 はいふ されることとなった[ 3] 。
なお、このチームの最 さい 先任 せんにん 士官 しかん であったラニング中佐 ちゅうさ は、CICコンセプトの源流 げんりゅう がサイエンス・フィクション にあることを認 みと めており、その一 いち 例 れい として、E・E・スミス のレンズマン ・シリーズに登場 とうじょう する巨大 きょだい な指揮 しき 艦 かん であるディレクトリクス号 ごう を挙 あ げている。この宇宙船 うちゅうせん には、特殊 とくしゅ な知覚 ちかく 能力 のうりょく を備 そな えたレンズマンたちが戦闘 せんとう 空間 くうかん を視覚 しかく 化 か することで、司令 しれい 官 かん の艦隊 かんたい 指揮 しき を円滑 えんかつ 化 か するための「タンク」とよばれる設備 せつび が備 そな えられており、劇 げき 中 ちゅう では、これによる指揮 しき 統制 とうせい 戦 せん の優位 ゆうい がたびたび強調 きょうちょう されていた。[ 4]
自動 じどう 化 か の導入 どうにゅう (1950年代 ねんだい - 1980年代 ねんだい )
1960
年代 ねんだい の
空母 くうぼ (
CVA-34 )のCIC。
情報 じょうほう 集約 しゅうやく には
依然 いぜん としてクリアボードを
使用 しよう している。
1980
年代 ねんだい のフリゲート(
FFG-46 )のCIC。NTDSに
準 じゅん じて
構築 こうちく されている。
この時点 じてん では、CIC内 ない での情報処理 じょうほうしょり は、わずかに計算尺 けいさんじゃく が使 つか われている程度 ていど で、ほとんどすべてが手動 しゅどう (紙 かみ と人 ひと と声 こえ )に頼 たよ っていた。CICの中央 ちゅうおう 部 ぶ には、自艦 じかん を中心 ちゅうしん にして目標 もくひょう 情報 じょうほう をプロットするためのクリアボード(レーダー画面 がめん を巨大 きょだい 化 か したような、罫線 けいせん が描 えが かれた、文字通 もじどお りの“透明 とうめい 黒板 こくばん ”)が配置 はいち され、ここに白 しろ フェルトペンを使 つか って、レーダー手 しゅ が怒鳴 どな る敵艦 てきかん や敵 てき 編隊 へんたい の位置 いち ・進行 しんこう 方向 ほうこう ・数 すう といった情報 じょうほう などを手 て で書 か き込 こ むことで情報 じょうほう を集約 しゅうやく していた。また、他 た 艦 かん との情報 じょうほう 伝達 でんたつ も、発光 はっこう 信号 しんごう や手旗 てばた 信号 しんごう 、原始 げんし 的 てき な無線 むせん 機 き 程度 ていど であった。1948年 ねん に行 おこな われたイギリス海軍 かいぐん のシミュレーション で、この方式 ほうしき の限界 げんかい 点 てん が明 あき らかになった。このときには、熟練 じゅくれん のオペレーターを配 はい したにもかかわらず、同時 どうじ に処理 しょり できる目標 もくひょう はせいぜい12機 き 程度 ていど が限界 げんかい で、20機 き の目標 もくひょう に対 たい しては、完全 かんぜん に破綻 はたん してしまったのである。[ 2]
そしてまた、太平洋戦争 たいへいようせんそう の末期 まっき において日本 にっぽん 軍 ぐん が実施 じっし した特別 とくべつ 攻撃 こうげき が、艦隊 かんたい の対空 たいくう 防御 ぼうぎょ に重大 じゅうだい な問題 もんだい を提起 ていき していた。このとき、艦隊 かんたい の防空 ぼうくう システムはおおむね良好 りょうこう に働 はたら いたとはいえ、その対処 たいしょ 能力 のうりょく は飽和 ほうわ 寸前 すんぜん であり、より高速 こうそく の機体 きたい が同様 どうよう の攻撃 こうげき をかけてきた場合 ばあい 、システムの破綻 はたん は不可避 ふかひ と考 かんが えられた。しかもジェット機 じぇっとき の登場 とうじょう により、航空機 こうくうき の速度 そくど は戦後 せんご 5年 ねん で倍増 ばいぞう し、なお急速 きゅうそく に増加 ぞうか しつづけていた。「紙 かみ と人 ひと と声 こえ 」に頼 たよ っているかぎり、これ以上 いじょう の対応 たいおう 速度 そくど の向上 こうじょう は困難 こんなん であり、情報 じょうほう の処理 しょり に自動 じどう 化 か を導入 どうにゅう する必要 ひつよう 性 せい は明 あき らかであった。
まず、「3Tファミリー」の艦 かん 対空 たいくう ミサイル に付随 ふずい して、その射撃 しゃげき 管制 かんせい を補助 ほじょ する武器 ぶき 管制 かんせい システム (WDS: Weapons Direction System)が開発 かいはつ された。これは、目標 もくひょう の情報 じょうほう (三 さん 次元 じげん 的 てき な位置 いち や速度 そくど 、脅威 きょうい 度 ど など)を記憶 きおく ・管理 かんり し、その射撃 しゃげき を効率 こうりつ 化 か するもので、当時 とうじ 主流 しゅりゅう だったアナログコンピュータ を使用 しよう していた。しかし、これはあくまで射撃 しゃげき 指揮 しき の効率 こうりつ 化 か をはかるものであり、対応 たいおう のさらなる迅速 じんそく 化 か には、CICとの統合 とうごう をさらにつきつめて、マン・マシン・システムとして再 さい 構築 こうちく する必要 ひつよう があった。
その開発 かいはつ の先駆 せんく 者 しゃ はカナダ であり、1949年 ねん よりDATAR (Digital Automated Tracking and Resolving、数値 すうち 自動 じどう 軌跡 きせき 追尾 ついび 及 およ び処理 しょり )の開発 かいはつ を開始 かいし していた。このシステムは、当時 とうじ 登場 とうじょう したばかりのデジタルコンピュータ を使用 しよう しているだけでなく、データリンクの概念 がいねん すら含 ふく まれており、極 きわ めて画期的 かっきてき なものであった。カナダ海軍 かいぐん はこのシステムを2隻 せき の掃海 そうかい 艇 てい に搭載 とうさい してのテストまで行 い ったが、放熱 ほうねつ が激 はげ しいという欠陥 けっかん を有 ゆう しており、最終 さいしゅう 的 てき に過熱 かねつ が原因 げんいん の火災 かさい 事故 じこ によってシステムは失 うしな われ開発 かいはつ は頓挫 とんざ した。しかしその成果 せいか は、アメリカの海軍 かいぐん 戦術 せんじゅつ 情報 じょうほう システム (NTDS)の開発 かいはつ に生 い かされることになる。
一方 いっぽう 、1950年代 ねんだい 初頭 しょとう より、イギリスはレーダー情報 じょうほう の処理 しょり ・表示 ひょうじ システムとしてCDS (Comprehensive Display System)の開発 かいはつ を進 すす めており、1957年 ねん には実 み 艦 かん に搭載 とうさい した。これはアナログ式 しき のコンピュータ を利用 りよう しており、世界 せかい で最 もっと も早 はや く実戦 じっせん 配備 はいび された戦術 せんじゅつ 情報処理 じょうほうしょり 装置 そうち である。アメリカもCDSと同様 どうよう のシステム(EDS: Electronic Data System)を開発 かいはつ し、1953年 ねん より実 み 艦 かん への搭載 とうさい を開始 かいし したが、アナログ式 しき であるために信頼 しんらい 性 せい と性能 せいのう に限界 げんかい があると考 かんが えられ、採用 さいよう はされなかった。
1954年 ねん に開始 かいし されたランプライト計画 けいかく においては、このころ急速 きゅうそく に台頭 たいとう していたデジタルコンピュータによる戦術 せんじゅつ 情報処理 じょうほうしょり 装置 そうち が開発 かいはつ された。これはNTDSの中核 ちゅうかく として、1961年 ねん より、空母 くうぼ 「オリスカニー 」およびミサイル駆逐 くちく 艦 かん 2隻 せき において評価 ひょうか 試験 しけん を実施 じっし したうえで、1963年 ねん に制式 せいしき 化 か された。また、イギリスもCDSの後継 こうけい としてADA (Action Data Automation)を開発 かいはつ したのち、1966年 ねん より、これをデジタル化 か するとともに改良 かいりょう したADAWS(Action Data Automation Weapon System)に発展 はってん させた。
統合 とうごう システム化 か (1980年代 ねんだい 以降 いこう )
一方 いっぽう 、アメリカにおいては、ターター-D・システム においてNTDSとWDS(武器 ぶき 管制 かんせい システム)の連接 れんせつ が実現 じつげん し、その後継 こうけい となるイージスシステム においてこれらの機能 きのう は統合 とうごう され、高度 こうど に自動 じどう 化 か された。1983年 ねん の「タイコンデロガ 」の就役 しゅうえき を皮切 かわき りに、アメリカの水上 すいじょう 戦闘 せんとう 艦 かん の主力 しゅりょく はイージス艦 かん に移行 いこう していった。
一方 いっぽう 、イージスシステムを搭載 とうさい しない水上 すいじょう 戦闘 せんとう 艦 かん や、それ以外 いがい の空母 くうぼ や強襲 きょうしゅう 揚陸 ようりく 艦 かん が搭載 とうさい するNTDSの後継 こうけい 機 き としてACDS (高度 こうど 戦闘 せんとう 指揮 しき システム)が開発 かいはつ された。これらは、戦闘 せんとう 指揮 しき 所 しょ に装備 そうび されて、個 こ 艦 かん 戦闘 せんとう の中枢 ちゅうすう を担 にな った。特 とく にアーレイ・バーク級 きゅう ミサイル駆逐 くちく 艦 かん にイージスシステムを装備 そうび するにあたっては、イージス・ディスプレイ・システムを装備 そうび した戦闘 せんとう 指揮 しき 所 しょ の設計 せっけい が、システム統合 とうごう の最 さい 重要 じゅうよう 事項 じこう とされたことが知 し られている。
2000
年代 ねんだい の
空母 くうぼ (
CVN-65 )のCDC。
大型 おおがた ディスプレイがクリアボードに
取 と って
代 か わった。
参考 さんこう 文献 ぶんけん
関連 かんれん 項目 こうもく
外部 がいぶ リンク