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吉川 経健(きっかわ つねたけ)は、明治時代の大名、華族。周防国岩国藩2代(最後の)藩主、初代(最後)知藩事、最終的な位階爵位は従二位子爵。
略歴
初代藩主・吉川経幹の長男として誕生した。幼名は菊川芳之助。
慶応3年(1867年)、父の死去により跡を継ぐが、毛利敬親の命令でその死去が隠されたため、正式に跡を継いだのは明治元年(1868年)12月28日である。明治2年(1869年)1月に叙任し、同年6月には戊辰戦争の東北戦争で功績を挙げたことから、永世5000石を与えられた。同年、版籍奉還により知藩事となる。
明治3年(1870年)に本家の長州藩で脱隊騒動が起こると、その鎮圧に努めた。明治4年(1871年)に廃藩置県で免官となり、東京へ移る。以後は旧藩士に対して義済堂を創設して、その自立を助けた。明治17年(1884年)に男爵を受爵、明治24年(1891年)4月23日には子爵に陞爵(しょうしゃく)する[1]。
明治42年(1909年)6月4日に死去した。享年55。墓所は山口県岩国市横山の洞泉寺山墓地。
栄典
系譜
脚注
- ^ 『官報』第2342号、明治24年4月24日。
- ^ 『官報』第1351号、「叙任及辞令」1887年12月28日。
- ^ 『官報』第1351号、「彙報 - 官庁事項 - 褒章 - 黄綬褒章下賜」1887年12月28日。
- ^ 『官報』第1943号「叙任及辞令」1889年12月18日。
- ^ 千家尊福『人事興信録』初版(明36.4刊)
吉川氏岩国藩2 代藩主 (1868 年 - 1871 年) |
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