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イラン・イスラーム共和きょうわこく鉄道てつどう

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イランの国鉄こくてつから転送てんそう
イランの鉄道てつどう路線ろせんもう

イラン・イスラーム共和きょうわこく鉄道てつどう略称りゃくしょう: IR)はイラン国有こくゆう鉄道てつどう関連かんれん会社かいしゃラジャー旅客りょかく鉄道てつどうテヘランイスタンブールあいだおよびテヘランダマスカスあいだ国際こくさい列車れっしゃふく旅客りょかく列車れっしゃ運行うんこう管理かんりにない、おなじく関連かんれん会社かいしゃ鉄道てつどう輸送ゆそう会社かいしゃ貨物かもつ列車れっしゃ運行うんこう管理かんりしている。またイラン交通省こうつうしょう国家こっか機関きかんとしてIRを監督かんとくする。

歴史れきし

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19世紀せいき後半こうはんナーセロッディーン・シャー時代じだいにテヘラン南郊なんこうたん区間くかん馬車ばしゃ鉄道てつどう開設かいせつされたのを嚆矢こうしとする。この路線ろせんはのちに蒸気じょうき機関きかんしゃ牽引けんいんとなり、1952ねんはいせんとなった。

長距離ちょうきょりのものとしては1914ねんタブリーズジョルファーあいだ146kmが開通かいつうし、さらにスフィーヤーンシャラフハーネあいだ53kmが1916ねんに、ミールジャーヴェザーヘダーンあいだ93kmが1920ねん開通かいつうしている。

イラン縦貫じゅうかん鉄道てつどう開通かいつうしたのは1939ねんのことである。この路線ろせん全長ぜんちょう1392km、カスピ海かすぴかいバンダレ・トルキャマンペルシアわんバンダレ・エマーム・ホメイニー旧称きゅうしょうバンダレ・シャープール)をむすぶ。1941ねんえいソのイラン侵攻しんこう以降いこう、イラン縦貫じゅうかん鉄道てつどうになペルシア回廊かいろうは、だい世界せかい大戦たいせんにおけるソビエト連邦れんぽうへの戦時せんじ物資ぶっし供給きょうきゅうとなった。

なん工事こうじ

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イラン縦貫じゅうかん鉄道てつどうおおくの山脈さんみゃく通過つうかし、ループせん制限せいげん勾配こうばい36ぶんの1区間くかんかくしょられる。建設けんせつ開始かいしにはほとんどの区間くかん地図ちず作成さくせいされておらず、地質ちしつがくてき未知みち部分ぶぶんおおかった。そのためトンネルをふくむすう区間くかんは、地質ちしつ不適合ふてきごうのため開通かいつう目前もくぜんにしても路線ろせん変更へんこう必要ひつようとなったのである。このような状況じょうきょうにもかかわらず、路線ろせん全体ぜんたいとしては計画けいかくよりも早期そうき完成かんせいしている。

運用うんよう

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2007ねん現在げんざい、IRの管轄かんかつにある路線ろせんそう延長えんちょうは7,334kmである。うちほとんどが軌間きかん1,435mmの標準軌ひょうじゅんき区間くかんである。ザーヘダーンからパキスタン国境こっきょうえてクエッタインド大陸たいりくへとつづ東部とうぶ94kmの軌間きかんは1,676mmである。複線ふくせん区間くかんは1,367.5km。電化でんか区間くかんジョルファータブリーズあいだの148kmのみが交流こうりゅう15kV・50Hzへるつ電化でんかされている。2007ねん現在げんざい、IRの所有しょゆうする車輛しゃりょう機関きかんしゃ283りょう客車きゃくしゃ1,195りょう貨車かしゃ21,633りょう報告ほうこくされており、機関きかんしゃだい部分ぶぶんディーゼル機関きかんしゃである。

イランの交通こうつうにおいてだい多数たすうめるのは道路どうろ交通こうつうであるが、政府せいふ鉄道てつどう輸送ゆそう割合わりあい旅客りょかく輸送ゆそうにおいて3.5%、貨物かもつ輸送ゆそうにおいて8.5%まで増加ぞうかさせることを計画けいかくしている。これにともない広範囲こうはんいにわたる電化でんかとネットワークの拡張かくちょう計画けいかくされており、交通省こうつうしょうによれば年間ねんかん延長えんちょう500kmずつ建設けんせつするとされている。

関連かんれん組織そしき

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  • ラジャー旅客りょかく鉄道てつどうはイラン・イスラーム共和きょうわこく鉄道てつどう関連かんれん会社かいしゃとして、テヘランイスタンブールダマスクスむす国際こくさい列車れっしゃふく旅客りょかく列車れっしゃ運行うんこう管理かんりする。また鉄道てつどう輸送ゆそう会社かいしゃはIRの子会社こがいしゃ貨物かもつ輸送ゆそう担当たんとうし、これらをイラン交通省こうつうしょう国家こっか機関きかんとして監督かんとくする。ラジャー旅客りょかく鉄道てつどうは2003-5ねんで400まんにん以上いじょう旅客りょかく輸送ゆそう鉄道てつどう乗客じょうきゃくは2005ねん3がつにおわる1ねんで1730まんにんであり、2000ねんの1170まんにんくらべて増加ぞうかしている。
  • ザランドしゃ国有こくゆう鉄道てつどう貨物かもつおよび旅客りょかく車輛しゃりょう提供ていきょうしている[1]
  • イラン・イスラーム共和きょうわこく鉄道てつどう、イラン発電はつでんしょ計画けいかく機構きこうMAPNA)、どくシーメンスしゃ旅客りょかく列車れっしゃよう機関きかんしゃ150だい製造せいぞう契約けいやく調印ちょういんをしている。契約けいやくによるとシーメンスがだい1段階だんかいやく30だい機関きかんしゃをイランへ輸出ゆしゅつ、その6年間ねんかんだい2段階だんかいでイラン国内こくない専門せんもんによって、国内こくないでさらに120だい製造せいぞうするというものである[2]

ネットワーク

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イランの鉄道てつどうもうは、テヘラン中心ちゅうしんとして、テヘランと南東なんとうのぞかく地方ちほうむすぶ。イランが、現況げんきょう機能きのう/あるいは潜在せんざいてき機能きのうしうる、大陸たいりく東西とうざい南北なんぼく輸送ゆそう十字路じゅうじろ位置いちしていることは重要じゅうようである。鉄道てつどう西方せいほうにおいてラーズィー英語えいごばんキャプキョイトルコばん国境こっきょうからトルコつうじ、北方ほっぽうでは台車だいしゃ交換こうかん設備せつびをもつ国境こっきょうジョルファーえき経由けいゆして、アゼルバイジャンからカフカスそしてロシアへとつうじる。南方なんぽうにはテヘランからバンダレ・エマームバンダレ・アッバースなどのペルシアわんみなとへと連絡れんらくカスピ海かすぴかい方面ほうめんにはアミーラーバードバンダレ・トルキャマン終着しゅうちゃくとする路線ろせんび、両者りょうしゃスカンジナビアからロシアを経由けいゆしイランにいた南北なんぼく形成けいせいする。北東ほくとうにはテヘランからマシュハドへの路線ろせんび、さらにサラフス台車だいしゃ交換こうかん設備せつび経由けいゆして中央ちゅうおうアジア方面ほうめんつづく。この路線ろせんトルクメニスタンウズベキスタンタジキスタンキルギスカザフスタンなどの内陸ないりくこくうみへの経路けいろ提供ていきょうする。マシュハド-バーフグせん開通かいつう中央ちゅうおうアジア方面ほうめんからバンダレ・アッバースへのアクセスを劇的げきてき短絡たんらくしたものといえる。

中央ちゅうおうアジア連絡れんらく

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イランの鉄道てつどう1977ねんトルコ国境こっきょうでのヨーロッパがわ鉄道てつどうシステムへの接続せつぞく1993ねんペルシアわんへの接続せつぞく実現じつげんしたバンダレ・アッバースせん開通かいつう1996ねん内陸ないりくこくたる中央ちゅうおうアジア諸国しょこくへとつづく「シルクロード鉄道てつどう」(アジア横断おうだん鉄道てつどう)の一部いちぶをなすマシュハドサラフス支線しせん開通かいつうなど拡張かくちょういちじるしい。中央ちゅうおうアジアのきゅうソ連それん諸国しょこく広軌こうきもちいているため、イラン鉄道てつどうアゼルバイジャンおよびトルクメニスタン国境こっきょう台車だいしゃ交換こうかん施設しせつ設置せっちしている。列車れっしゃ広軌こうき台車だいしゃいて国境こっきょうえることになる。2016ねん2がつ15にちにははつ中国ちゅうごくからの貨物かもつ列車れっしゃがテヘランに到着とうちゃくした[3]

イラク、シリア、アフガニスタンへの延長えんちょう

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建設けんせつちゅう路線ろせんとして、イランと南部なんぶイラクむすホッラムシャフルバスラあいだ、および北部ほくぶイラクむすケルマーンシャーバグダードあいだがある。またアフガニスタン方面ほうめんでは東部とうぶにおいてハヴァーフからヘラートかう路線ろせん建設けんせつちゅうである。

標準軌ひょうじゅんきによるヨーロッパ連絡れんらく

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西にしかいトルコにはいる路線ろせんヴァンわり、対岸たいがんタトヴァン英語えいごばん(タトバンまたはタトワンとも)まで区間くかん90kmの鉄道てつどう連絡れんらくせんで、標高ひょうこう1650mに位置いちするヴァンわたる。この標準軌ひょうじゅんきルートはさらにアンカラて、マルマラ横断おうだんトンネルけてヨーロッパにいたる。

パキスタンへの連絡れんらく

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パキスタンへの連絡れんらくとしてザーヘダーンからクエッタいた路線ろせん接続せつぞくするため、ケルマーンから東進とうしんしてザーヘダーンまでの路線ろせん建設けんせつされ、2009ねん6がつ完成かんせいした。2012ねん現在げんざいしゅうに2ほん連絡れんらく列車れっしゃ運行うんこうされている[4]。この路線ろせんはインド大陸たいりくとヨーロッパをむす鉄道てつどうにおける最後さいご欠片かけら区間くかんであり、ザーヘダーン南方なんぽうにおいて台車だいしゃ交換こうかんえき施設しせつ建設けんせつちゅうであるが、イラン鉄道てつどうは、ヨーロッパへの国際こくさい輸送ゆそう円滑えんかつのためにクエッタまでの路線ろせん標準軌ひょうじゅんきあらため軌するようもとめてパキスタン鉄道てつどう説得せっとく目指めざしている。パキスタンはこれにたいし、2006ねん声明せいめいで1435mm標準軌ひょうじゅんきへとあらため軌し、さらに中国ちゅうごく標準軌ひょうじゅんきけいとの接続せつぞく目指めざすとしている。

参考さんこう

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  1. ^ Privatizing Railways” (英語えいご). Iran Daily (2006ねん12月30にち). 2007ねん1がつ12にち時点じてんオリジナルよりアーカイブ。2007ねん7がつ29にち閲覧えつらん
  2. ^ Iran Manufactures 1st Express Train” (英語えいご). Iran Daily (2007ねん2がつ3にち). 2007ねん2がつ5にち時点じてんオリジナルよりアーカイブ。2007ねん7がつ29にち閲覧えつらん
  3. ^ 中国ちゅうごく貨物かもつ列車れっしゃのイラン到達とうたつ一帯いったい一路いちろおおきないち2016ねん3がつ3にち
  4. ^ 地球ちきゅうあるかたパキスタン新版しんぱん

関連かんれん項目こうもく

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外部がいぶリンク

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