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エルンスト・ブロッホ

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Ernst Bloch
エルンスト・ブロッホ
エルンスト・ブロッホ(1954)
生誕せいたん 1885ねん7がつ8にち
バイエルン王国の旗 バイエルン王国おうこく ルートヴィヒスハーフェン・アム・ライン
死没しぼつ 1977ねん8がつ4にち(1977-08-04)(92さいぼつ
西ドイツの旗 西にしドイツ テュービンゲン
地域ちいき 西洋せいよう哲学てつがく
研究けんきゅう機関きかん ライプツィヒ大学だいがく
エバーハルト・カール大学だいがくテュービンゲン
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エルンスト・ジーモン・ブロッホ(Ernst Simon Bloch, 1885ねん7がつ8にち - 1977ねん8がつ4にち)は、ドイツマルクス主義まるくすしゅぎ哲学てつがくしゃかみろんしゃ神学しんがくしゃユートピア思想しそう表現ひょうげん主義しゅぎ影響えいきょう独特どくとくマルクス主義まるくすしゅぎ哲学てつがく展開てんかいした。ジンメル紹介しょうかいルカーチ親交しんこうむすんだほか、ヴェーバーベンヤミンとも交友こうゆうをもった。代表だいひょうさくである『ユートピアの精神せいしん』や『希望きぼう原理げんり』は、1968ねん前後ぜんご学生がくせい運動うんどう解放かいほう神学しんがくなどにも影響えいきょうりょくをもった。

生涯しょうがい

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1885ねんルートヴィヒスハーフェン・アム・ライン同化どうかユダヤじん鉄道てつどうきょく官吏かんりいえまれた。ヴュルツブルク大学だいがく哲学てつがく勉強べんきょうしながらゲオルク・ジンメルルカーチ・ジェルジュ親交しんこうむすんだ。とりわけルカーチとの終生しゅうせいにわたる交友こうゆうは、ブロッホ自身じしん後年こうねん共生きょうせい」とまでぶほど親密しんみつなものとなった。

大学だいがく卒業そつぎょう1913ねんバルト海ばるとかい醸造じょうぞうしゃむすめエリツェ・フォン・ストリツキと結婚けっこんした(1934ねんにはウィーンでカロラ・ブロッホと再婚さいこんした)。1915ねんハイデルベルクおとずれたさいにはマックス・ヴェーバーともった。だいいち世界せかい大戦たいせん激化げきかにともない、1917ねんスイス亡命ぼうめいよく1918ねん最初さいしょ著書ちょしょ『ユートピアの精神せいしん』を発表はっぴょう晦渋かいじゅう作品さくひんであったため世間せけん一般いっぱん評判ひょうばんかんばしくなかったが、テオドール・アドルノヴァルター・ベンヤミンなど、問題もんだい意識いしき共有きょうゆうする少数しょうすうすぐれた読者どくしゃからは絶賛ぜっさんされた。1920年代ねんだいはジャーナリストとして活動かつどうし、ベルトルト・ブレヒトクルト・ヴァイルなどの芸術げいじゅつかかわりをもった。

1930年代ねんだい

1933ねんナチス権力けんりょく掌握しょうあくすると、ユダヤじんであったブロッホはただちに国外こくがい脱出だっしゅつした。最初さいしょにスイスへ、そのオーストリアフランスチェコスロバキアなどを転々てんてんとしたのち、1938ねんにはアメリカ合衆国あめりかがっしゅうこく亡命ぼうめい。それからやくじゅう年間ねんかんにわたりアメリカでの亡命ぼうめい生活せいかつ余儀よぎなくされた。

この逃避行とうひこうのさなかにだい主著しゅちょ『この時代じだい遺産いさん』を刊行かんこう日常にちじょうてき現実げんじつのなかにひそむ「もはや意識いしきされないもの」と「まだ意識いしきされないもの」というふたつの概念がいねんじくにして、モンタージュによってみずからの思考しこう構成こうせいしてゆくという手法しゅほうは、『ユートピアの精神せいしん』からがれたものである。この手法しゅほうにより「なぜワイマール共和きょうわこくはナチスをし、ヒトラー政権せいけんかせなければならなかったのか」を究明きゅうめいしたこの作品さくひんは、マルクス主義まるくすしゅぎしゃではない作家さっか批評ひひょうヘルマン・ヘッセクラウス・マンなど)からもたか評価ひょうかされた。またどう時期じき1937ねん-1938ねん)には、表現ひょうげん主義しゅぎをナチズムに先鞭せんべんをつけたものとして非難ひなんするルカーチにたいして、前衛ぜんえい芸術げいじゅつ未来みらい展望てんぼう実現じつげんする可能かのうせいしんじる立場たちばから反論はんろんくわえ、いわゆる「表現ひょうげん主義しゅぎ論争ろんそう」を展開てんかいした。

だい世界せかい大戦たいせん

だい世界せかい大戦たいせん1949ねんにはひがしドイツ帰国きこくしてライプツィヒ大学だいがく哲学てつがく教授きょうじゅ地位ちいた。アメリカでごした大戦たいせんちゅうには思索しさく成果せいかをまとめる機会きかいめぐまれなかったブロッホは次々つぎつぎ著書ちょしょ刊行かんこうし、1954ねんから1959ねんにかけてだいさん主著しゅちょ希望きぼう原理げんり』を発表はっぴょう。しかしブロッホの思想しそうはきわめて独特どくとくでありはしてきとさえいえるものであったため、修正しゅうせい主義しゅぎとの批判ひはんけるなど政府せいふ当局とうきょくとのあいだに軋轢あつれきしょうじるようになった。そして1961ねんベルリンのかべ建設けんせつ契機けいきにして西にしドイツ移住いじゅうテュービンゲン大学だいがく哲学てつがく名誉めいよ教授きょうじゅしょくた。1967ねんドイツ書籍しょせき協会きょうかい平和へいわしょう、1975ねんジークムント・フロイトしょう受賞じゅしょう政治せいじ活動かつどうにも積極せっきょくてき参加さんかしながら晩年ばんねん著作ちょさく精力せいりょくてき執筆しっぴつしつづけ、1977ねんテュービンゲンぼっした。

著作ちょさく

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  • 1918ねん "Geist der Utopie"
『ユートピアの精神せいしんこうむら冨士ふじわけ 白水しろみずしゃ 1997
  • 1921ねん "Thomas Münzer als Theologe der Revolution"
トーマス・ミュンツァー 革命かくめい神学しんがくしゃ樋口ひぐち大介だいすけ今泉いまいずみ文子ふみこやく 国文こくぶんしゃ アウロラ叢書そうしょ 1982
  • 1923ねん砂漠さばくえて』
  • 1930ねん "Spuren"
未知みちへの痕跡こんせき菅谷すがや規矩きくゆうやく イザラ書房しょぼう 1969
  • 1935ねん "Erbschaft dieser Zeit"
『この時代じだい遺産いさん池田いけだ浩士ひろしわけ さんいち書房しょぼう 1982
  • 1946ねん "Freiheit und Ordnung"(自由じゆう秩序ちつじょ)
  • 1949ねん "Subjekt-Objekt, Erläuterungen zu Hegel"(主体しゅたい客体かくたい ヘーゲル読解どっかい)
  • 1952ねん "Avicenna und die aristotelische Linke"(アヴィケンナアリストテレス左派さは)
  • 1953ねん "Christian Thomasius"(クリスティアン・トマジウス&mdash悲惨ひさんをまぬがれたドイツの学者がくしゃ)
  • 1959ねん "Das Prinzip Hoffnung"
希望きぼう原理げんり新井あらいあきら山下やましたはじめほかやく 合同ごうどう出版しゅっぱん 1973
  • 再版さいはん 白水しろみずしゃ 1982
  • 1961ねん "Naturrecht und menschliche Würde"
  • 1961ねん "Philosophische Grundfragen I"
哲学てつがく根本こんぽん問題もんだい竹内たけうち豊治とよじやく 法政大学ほうせいだいがく出版しゅっぱんきょく(叢書そうしょ・ウニベルシタス) 1972
  • 1962ねん "Verfremdungen"
異化いか片岡かたおかあきら種村たねむらひろし船戸ふなと満之まんしわけ 現代げんだい思潮しちょうしゃ 1971
  • 1963ねん "Tübinger Einleitung in die Philosophie"
チュービンゲン哲学てつがく入門にゅうもん菅谷すがや規矩きくゆう今井いまい道夫みちお三国みくに千秋ちあきやく 法政大学ほうせいだいがく出版しゅっぱんきょく(叢書そうしょ・ウニベルシタス) 1994
  • 1968ねん "Atheismus im Christentum"
『キリストきょうなかかみろん 脱出だっしゅつ御国みくにとの宗教しゅうきょうのために』竹内たけうち豊治とよじ高尾たかおとしすうやく 法政大学ほうせいだいがく出版しゅっぱんきょく(叢書そうしょ・ウニベルシタス) 1975-1979
  • 1970ねん "Politische Messungen, Pestzeit, Vormärz"
ナチズム 地獄じごくかみ々の黄昏たそがれ池田いけだ浩士ひろし藤原ふじわらたつ本庄ほんじょう史明ふみあきやく 水声すいせいしゃ 2008
  • 1970ねん "Marx und die Revolution"
マルクス革命かくめい花崎はなさき皋平わけ 紀伊國屋きのくにや書店しょてん 1972
  • 1972ねん "Das Materialismusproblem, seine Geschichte und Substanz"(唯物ゆいぶつろん問題もんだい:その歴史れきし全体ぜんたい)
  • 1975ねん "Experimentum Mundi"
世界せかいという実験じっけん い,しのしょカテゴリー,実践じっせん小田おださとしさとしやく 法政大学ほうせいだいがく出版しゅっぱんきょく(叢書そうしょ・ウニベルシタス) 1999

脚注きゃくちゅう

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