ロゴのデザイン(シンボルマーク)。 このシンボルマークは、ローマ にあるドミティラのカタコンベ 内 うち の、3世紀 せいき 末 まつ にさかのぼるキリスト者 しゃ (クリスチャン )の墓石 はかいし の一部 いちぶ を模写 もしゃ したものである。この図像 ずぞう は、もともとはキリスト教 きりすときょう とは無縁 むえん のものであったが、キリスト者 しゃ によって、「死者 ししゃ の霊魂 れいこん が永遠 えいえん の命 いのち において見 み いだす憩 いこ いと祝福 しゅくふく を象徴 しょうちょう するもの」として用 もち いられた。この絵 え はカテキズム の意味 いみ (特徴 とくちょう 的 てき な視点 してん )を示唆 しさ するものでもある。キリストが良 よ き牧者 ぼくしゃ (羊 ひつじ 飼 か い)として、その信者 しんじゃ たち(子羊 こひつじ )を導 みちび き守 まも り、その権威 けんい (杖 つえ )をもって、「真理 しんり 」というメロディーの楽曲 がっきょく (笛 ふえ )で引 ひ き寄 よ せ、「いのちの木 き 」の陰 かげ 、すなわち楽園 らくえん の扉 とびら を開 ひら くあがないの十字架 じゅうじか の陰 かげ に休 やす ませる、というものである[ 1] 。
カトリック教会 きょうかい のカテキズム (カトリックきょうかいのカテキズム、イタリア語 ご : Catechismo della Chiesa Cattolica 、英 えい : Catechism of the Catholic Church 、略称 りゃくしょう :CCC )は、教皇 きょうこう ヨハネ・パウロ2世 せい によって公布 こうふ された、ローマ・カトリック教会 きょうかい とローマに連 つら なる21の東方 とうほう 典礼 てんれい カトリック教会 きょうかい [ 2] の教理 きょうり (教 おし え)の、公式 こうしき な説明 せつめい である。1992年 ねん にフランス語 ふらんすご 版 はん が発行 はっこう され[ 3] [ 4] (その分量 ぶんりょう は優 ゆう に900ページを超 こ えていた)、 英語 えいご を含 ふく む他 た の多 おお くの言語 げんご に訳 やく されている。最初 さいしょ のフランス語 ふらんすご 版 ばん が幾 いく つかの点 てん で修正 しゅうせい されて、1997年 ねん にラテン語 らてんご 規範 きはん 版 ばん が発行 はっこう され[ 5] [ 6] 、これが日本語 にほんご に翻訳 ほんやく されて2002年 ねん 7月 がつ 31日 にち にカトリック中央 ちゅうおう 協議 きょうぎ 会 かい から出版 しゅっぱん されている[ 4] 。
その後 ご 2005年 ねん には、『カトリック教会 きょうかい のカテキズム』の「忠実 ちゅうじつ かつ確実 かくじつ な要約 ようやく 」として『カトリック教会 きょうかい のカテキズム 要約 ようやく (コンペンディウム)』が教皇 きょうこう ベネディクト16世 せい によって公布 こうふ され、日本語 にほんご 版 ばん も2010年 ねん に出版 しゅっぱん されている。
カテキズム (要理 ようり 教育 きょういく )は、教父 きょうふ たちの時代 じだい から書 か かれてきた「ときに問答 もんどう 形式 けいしき で示 しめ される教義 きょうぎ の要約 ようやく 」[ 7] と定義 ていぎ されてきた。初 はじ めは口伝 くでん だったものが、次第 しだい に書物 しょもつ (「要理 ようり 書 しょ 」)として書 か かれるようになり、16世紀 せいき の宗教 しゅうきょう 改革 かいかく 以降 いこう に全 ぜん 世界 せかい のカトリック教会 きょうかい に広 ひろ まっていった。第 だい 2バチカン公 こう 会議 かいぎ 以前 いぜん まで日本 にっぽん のカトリック教会 きょうかい で使 つか われていた『公 おおやけ 教 きょう 要理 ようり 』も、これらの教理 きょうり 問答 もんどう 書 しょ をもとにしたものであった[ 4] 。
その後 ご 、第 だい 2バチカン公 こう 会議 かいぎ で要理 ようり 教育 きょういく についての考 かんが え方 かた が新 あら たになり、それまで子供 こども と洗礼 せんれい 志願 しがん 者 しゃ だけを対象 たいしょう としていたものが、大人 おとな の信者 しんじゃ も要理 ようり の勉強 べんきょう をしなければならないと考 かんが えられるようになった。その動 うご きの中 なか で1985年 ねん に開催 かいさい された臨時 りんじ シノドス (司教 しきょう 会議 かいぎ )において、「信仰 しんこう と道徳 どうとく に関 かん するカトリックのすべての教 おし えについてのカテキズム(概説 がいせつ 書 しょ )」が要望 ようぼう され、これに応 こた えて教皇 きょうこう ヨハネ・パウロ2世 せい は翌 よく 1986年 ねん に教皇 きょうこう 庁 ちょう 教理 きょうり 省 しょう 長官 ちょうかん であるヨゼフ・ラッツィンガー枢機卿 すうききょう (のちの教皇 きょうこう ベネディクト16世 せい )を責任 せきにん 者 しゃ とする12名 めい の枢機卿 すうききょう と司教 しきょう を任命 にんめい し、カテキズムの草案 そうあん 作成 さくせい を委託 いたく した。こうして作 つく られた草案 そうあん は、全 ぜん 世界 せかい の司教 しきょう 協議 きょうぎ 会 かい などから意見 いけん を求 もと めて修正 しゅうせい が加 くわ えられ、7年 ねん 後 ご の1992年 ねん にフランス語 ふらんすご 版 ばん の『カトリック教会 きょうかい のカテキズム』(略称 りゃくしょう :"CCC")が発行 はっこう された。教皇 きょうこう は、これを「信仰 しんこう の生 い きた源泉 げんせん によって要理 ようり 教育 きょういく (カテキズム)を刷新 さっしん するための参考 さんこう 書 しょ 」と呼 よ んだ[ 3] [ 8] 。
CCCは四 よっ つの主要 しゅよう な要素 ようそ で構成 こうせい されている:
信仰 しんこう 宣言 せんげん
キリスト教 きりすときょう の神秘 しんぴ を祝 いわ う
キリストと一致 いっち して生 い きる
キリスト者 しゃ の祈 いの り
これらは「四 よっ つの柱 はしら 」とも呼 よ ばれ、密接 みっせつ に関連 かんれん し合 あ っている。その内容 ないよう は詳細 しょうさい に脚注 きゃくちゅう がつけられており、関連 かんれん する教 おし えの参照 さんしょう 先 さき や聖書 せいしょ 、聖 ひじり 伝 つたえ 、教父 きょうふ の著作 ちょさく 、聖 せい 人伝 ひとづて 、公 おおやけ 会議 かいぎ [ 9] および近年 きんねん の教皇 きょうこう たちによる教 きょう 令 れい などが示 しめ されている。
CCCの聖書 せいしょ についての章 あきら (101番 ばん -141番 ばん )は、教父 きょうふ たちの伝統 でんとう である「霊的 れいてき 解釈 かいしゃく 」を「四 よっ つの意味 いみ 」の学問 がくもん 的 てき 教義 きょうぎ の発達 はったつ につれて復活 ふっかつ させた。この霊的 れいてき 解釈 かいしゃく への回帰 かいき は、第 だい 2バチカン公 こう 会議 かいぎ の「神聖 しんせい な教義 きょうぎ に関 かん する教義 きょうぎ 的 てき 憲章 けんしょう 」による「聖書 せいしょ は書 か いた者 もの と同 おな じ聖霊 せいれい の光 ひかり の下 した で読 よ まれ解釈 かいしゃく されねばならない」[ 10] という教 おし えを下敷 したじ きにしたものである。そのために必要 ひつよう な霊的 れいてき 解釈 かいしゃく は、聖書 せいしょ の四 よっ つの意味 いみ (逐語 ちくご 的 てき 意味 いみ と三 みっ つの霊的 れいてき 意味 いみ (寓意 ぐうい 的 てき 、倫理 りんり 的 てき 、神秘 しんぴ 的 てき )を含 ふく む)から追求 ついきゅう されるべきとしている[ 11] 。
逐語 ちくご 的 てき 意味 いみ (116番 ばん ) は言葉 ことば の意味 いみ そのものに関係 かんけい するものであり、言葉 ことば の綾 あや を含 ふく むものである。霊的 れいてき な意味 いみ (117番 ばん )は、事柄 ことがら (人々 ひとびと 、場所 ばしょ 、物象 ぶっしょう あるいは出来事 できごと )の重要 じゅうよう 性 せい に関係 かんけい し、言葉 ことば によって示 しめ されるものである。三 みっ つの霊的 れいてき 意味 いみ のうち、寓意 ぐうい 的 てき 意味 いみ は最 もっと も基礎 きそ 的 てき であり、人物 じんぶつ 、出来事 できごと 、 初期 しょき の(神 かみ との)契 ちぎ りから後期 こうき の(神 かみ との)契 ちぎ りの成立 せいりつ 、なかんずく「新約 しんやく 」に関係 かんけい する。この寓意 ぐうい 的 てき 意味 いみ に基 もと づいて、倫理 りんり 的 てき 意味 いみ は、行動 こうどう に付 つ いて指示 しじ し、神秘 しんぴ 的 てき 意味 いみ は人 ひと の最終 さいしゅう 的 てき な運命 うんめい を示 しめ している。CCCの聖書 せいしょ に関 かん するこの教 おし えは、近年 きんねん の、四 よっ つの霊的 れいてき 意味 いみ を適用 てきよう して、救済 きゅうさい の歴史 れきし を、聖書 せいしょ 的 てき 契 ちぎ りを通 つう じて構成 こうせい するという「契 ちぎ りに関 かん する神学 しんがく 」の追求 ついきゅう を大 おお いに勇気付 ゆうきづ けた。
カトリック教会 きょうかい のカテキズム 要約 ようやく (コンペンディウム)[ 編集 へんしゅう ]
『カトリック教会 きょうかい のカテキズム 要約 ようやく (コンペンディウム)』(イタリア語 ご : Compendio del Catechismo della Chiesa Cattolica )は、『カトリック教会 きょうかい のカテキズム』の「忠実 ちゅうじつ かつ確実 かくじつ な要約 ようやく 」として、2005年 ねん 6月28日 にち に公布 こうふ された。公布 こうふ に先立 さきだ ち、同年 どうねん 3月 がつ 20日 はつか に編纂 へんさん 特別 とくべつ 委員 いいん 会 かい 委員 いいん 長 ちょう のヨゼフ・ラッツィンガー枢機卿 すうききょう (のちの教皇 きょうこう ベネディクト16世 せい )が要約 ようやく の序文 じょぶん を発表 はっぴょう している[ 12] [ 13] 。(なお、当初 とうしょ はカトリック中央 ちゅうおう 協議 きょうぎ 会 かい では「要約 ようやく 」ではなく「綱要 こうよう 」と訳 やく していた)
『要約 ようやく (コンペンディウム)』は、古代 こだい からの伝統 でんとう である問答 もんどう 形式 けいしき の要理 ようり 教育 きょういく 書 しょ を反映 はんえい して、598のQ&Aにより構成 こうせい された問答 もんどう 形式 けいしき を取 と っており、「教会 きょうかい の信仰 しんこう の本質 ほんしつ 的 てき かつ根本 こんぽん 的 てき な要素 ようそ 」を「簡潔 かんけつ な形 かたち で」提示 ていじ している[ 14] 。また、節目 ふしめ ごとにカラーの聖 せい 画図 えず 版 ばん とその解説 かいせつ が挿入 そうにゅう されており、それらも教理 きょうり 理解 りかい のために主要 しゅよう な役割 やくわり を果 はた している。
『要約 ようやく (コンペンディウム)』の日本語 にほんご 版 はん は、2010年 ねん (平成 へいせい 22年 ねん )2月 がつ 1日 にち に、カトリック中央 ちゅうおう 協議 きょうぎ 会 かい から発行 はっこう された。但 ただ し第 だい 3刷 さつ (2010年 ねん 3月 がつ 15日 にち )より、以下 いか の訂正 ていせい が施 ほどこ された[ 14] 。
155ページ2行 ぎょう 目 め (第 だい 267問 もん )聖霊 せいれい の証印 しょういん を受 う けなさい → 聖霊 せいれい のしるし(証印 しょういん )を受 う けなさい
157ページ5行 ぎょう 目 め (第 だい 273問 もん )あなたがたとすべての人 ひと のために → あなたがたと多 おお くの人 ひと のために
教皇 きょうこう ヨハネ・パウロ2世 せい は、以下 いか の事 こと を厳 おごそ かに宣言 せんげん した。
(CCCは)
信仰 しんこう の
教 おし えの
標準 ひょうじゅん であり、
従 したが って、
教会 きょうかい の
一致 いっち のための
有効 ゆうこう かつ
正統 せいとう な
手段 しゅだん である
[ 3] 。
— ヨハネ・パウロ2世 せい
CCCが惹起 じゃっき した教会 きょうかい の教 おし えへの興味 きょうみ が、カトリック教会 きょうかい の輪 わ の外 そと にさえ及 およ ぶことは、前 ぜん 教皇 きょうこう ベネディクト16世 せい が、教皇 きょうこう になる前 まえ に記 しる されている。
要理 ようり 教育 きょういく (
カテキズム )は、
人間 にんげん として
何 なに をなすべきかという
問題 もんだい 、
私 わたし 達 たち の
人生 じんせい を
如何 いか に
生 い きるべきか、その
事 こと によって
私 わたし 達 たち と
私 わたし 達 たち の
世界 せかい が
正 ただ されるように、そうした
今日 きょう の、
基本 きほん 的 てき に
全 すべ ての
世代 せだい にとっての
基礎 きそ 的 てき な
問題 もんだい を
明確 めいかく に
示 しめ しています。
イデオロギーの
没落 ぼつらく の
後 のち 、
人間 にんげん の
問題 もんだい と
倫理 りんり の
問題 もんだい は、かつてない
形 かたち で
今日 きょう 私 わたし 達 たち の
前 まえ に
姿 すがた を
現 あらわ しています。
私 わたし 達 たち は
何 なに を
成 な すべきか。どのように
人 ひと と
生活 せいかつ は
正 ただ されるのか。
何 なに が
私 わたし 達 たち とこの
世界 せかい に、
生 い きるに
値 あたい する
将来 しょうらい を
与 あた え
得 え るのか。カテキズムがこれらの
問 と いを
扱 あつか う
以上 いじょう 、この
本 ほん が
純粋 じゅんすい な
教会 きょうかい 教義 きょうぎ の
輪 わ を
超 こ えて、
多 おお くの
人達 ひとたち の
興味 きょうみ をひく
筈 はず です。
私 わたし 達 たち が
人間 にんげん としてしなければならないことに
関 かん する
問題 もんだい が、
私 わたし 達 たち と
世界 せかい が
正 まさ しくあるようにすることができるように、どう
生活 せいかつ を
送 おく るべきであるか、という
全 すべ ての
時代 じだい において
基本 きほん であるこの
問題 もんだい が、
私 わたし 達 たち の
日常 にちじょう の
主要 しゅよう 問題 もんだい であることが
明確 めいかく に
示 しめ されているのです。
— ベネディクト16世 せい [ 15]
現実 げんじつ に、現代 げんだい のカトリック教会 きょうかい においては、『カトリック教会 きょうかい のカテキズム』(CCC)の基本 きほん 的 てき な目的 もくてき を「教会 きょうかい が自 みずか ら日々 ひび の生活 せいかつ の中 なか で宣言 せんげん し、祝 いわ い、生 い き、祈 いの っていることを一人 ひとり ひとりが知 し ることを可能 かのう にする、カトリックの教 おし えの全般 ぜんぱん 的 てき かつ包括 ほうかつ 的 てき な説明 せつめい である」[ 16] とし、CCCとその『要約 ようやく 』が要理 ようり 教育 きょういく の規範 きはん として用 もち いられている。CCCを批判 ひはん して第 だい 2バチカン公 こう 会議 かいぎ 以前 いぜん に戻 もど ろうとする保守 ほしゅ 的 てき 動 うご きについては、「歴史 れきし において新 あたら しい段階 だんかい に入 はい っている教会 きょうかい の歩 あゆ みを逆行 ぎゃっこう させるのは、原則 げんそく 的 てき には意味 いみ がない」[ 17] と否定 ひてい している[ 18] 。
^ 『カトリック教会 きょうかい のカテキズム 要約 ようやく (コンペンディウム)』2頁 ぺーじ (扉絵 とびらえ のシンボルマークについて)カトリック中央 ちゅうおう 協議 きょうぎ 会 かい ISBN 9784877501532
^ Inside the Vatican (ISSN 1068-8579), Year 22, #8 (October 2014), p.52
^ a b c “FIDEI DEPOSITUM ”. Libreria Editrice Vaticana (1992年 ねん 10月 がつ 11日 にち ). 2007年 ねん 10月 がつ 5日 にち 閲覧 えつらん 。
^ a b c Laudate 「カテキズムを読 よ もう」第 だい 1回 かい 序 じょ :カテキズムって何 なに ? (女子 じょし パウロ会 かい )
^ “LATIN EDITION OF CATECHISM PROMULGATED ”. L'Osservatore Romano (1997年 ねん 9月 がつ 17日 にち ). 2007年 ねん 10月 がつ 5日 にち 閲覧 えつらん 。
^ “MODIFICATIONS from the Edito Typica ”. Amministrazione Del Patrimonio Della Sede Apostolica. 2007年 ねん 10月 がつ 5日 にち 閲覧 えつらん 。
^ http://www.bennetyee.org//http_webster.cgi?catechism&method=exact
^ 『カトリック教会 きょうかい のカテキズム 要約 ようやく (コンペンディウム)』23頁 ぺーじ (序文 じょぶん )(教皇 きょうこう ヨハネ・パウロ2世 せい 使徒 しと 憲章 けんしょう 『ゆだねられた信仰 しんこう の遺産 いさん 』(Fidei depositum)1992年 ねん 10月 がつ 11日 にち より引用 いんよう )
^ http://www.usccb.org/catechism/resource/rat92art.shtml#structure (United States Conference of Catholic bishops)
^ DOGMATIC CONSTITUTION ON DIVINE REVELATION - DEI VERBUM 12.
^ Catechism of the Catholic Church - Intra Text III. The Holy Spirit, Interpreter of Scripture (109-119)
^ “『カトリック教会 きょうかい のカテキズム綱要 こうよう 』序文 じょぶん ”. カトリック中央 ちゅうおう 協議 きょうぎ 会 かい (2005年 ねん 6月 がつ 30日 にち ). 2008年 ねん 10月 がつ 21日 にち 時点 じてん のオリジナル よりアーカイブ。2020年 ねん 6月 がつ 13日 にち 閲覧 えつらん 。
^ “自発 じはつ 教 きょう 令 れい 『カトリック教会 きょうかい のカテキズム綱要 こうよう 』の認可 にんか と公布 こうふ ”. カトリック中央 ちゅうおう 協議 きょうぎ 会 かい (2005年 ねん 6月 がつ 30日 にち ). 2008年 ねん 10月 がつ 21日 にち 時点 じてん のオリジナル よりアーカイブ。2020年 ねん 6月 がつ 13日 にち 閲覧 えつらん 。
^ a b “カトリック教会 きょうかい のカテキズム要約 ようやく (コンペンディウム) ”. カトリック中央 ちゅうおう 協議 きょうぎ 会 かい . 2010年 ねん 3月 がつ 25日 にち 時点 じてん のオリジナル よりアーカイブ。2020年 ねん 6月 がつ 13日 にち 閲覧 えつらん 。
^ “The Catechism of the Catholic Church in Context ”. United States Conference of Catholic Bishops Office for the Catechism (1992年 ねん 12月9日 にち ). 2007年 ねん 10月 がつ 5日 にち 閲覧 えつらん 。
^ 『カトリック教会 きょうかい のカテキズム 要約 ようやく (コンペンディウム)』23頁 ぺーじ (序文 じょぶん )(教皇 きょうこう ヨハネ・パウロ2世 せい 使徒 しと 的 てき 書簡 しょかん 『大 おお きな喜 よろこ びをもって』(Laetamur magnopere)1997年 ねん 8月 がつ 15日 にち より引用 いんよう )
^ (日本 にっぽん カトリック司教 しきょう 協議 きょうぎ 会 かい 監修 かんしゅう ・カトリック中央 ちゅうおう 協議 きょうぎ 会 かい 発行 はっこう 『カトリック教会 きょうかい の教 おし え』145頁 ぺーじ 、 2003年 ねん - ISBN 9784877501068 )
^ 伝統 でんとう にこだわる一部 いちぶ のカトリック信者 しんじゃ のグループは、CCCに述 の べられているいくつかの文言 もんごん は、過去 かこ のカトリックの教 きょう えと多 おお くの事柄 ことがら において衝突 しょうとつ を起 お こしている、と異議 いぎ を申 もう し述 の べている。(彼 かれ らはCCCを)グノーシス主義 しゅぎ に堕 だ したものであり、進化 しんか 論 ろん を活性 かっせい 化 か させ、依然 いぜん としてユダヤ人 じん を神 かみ の契約 けいやく の民 みん として表現 ひょうげん し、その責任 せきにん を曖昧 あいまい にし、宗教 しゅうきょう 的 てき 平等 びょうどう 主義 しゅぎ (宗教 しゅうきょう は等 ひと しいとする異端 いたん )、偽 いつわ った世界 せかい 教会 きょうかい 運動 うんどう の神学 しんがく (エキュメニズム )、世俗 せぞく への同調 どうちょう 、妥協 だきょう 、同性愛 どうせいあい と国際 こくさい 主義 しゅぎ などを好 この んでいるとしているcf. The Semi-Catholic Catechism of the Catholic Church 。彼 かれ らは、神学 しんがく に関 かん する意見 いけん はCCCの意図 いと するところではないにもかかわらず「信仰 しんこう の問題 もんだい と神学 しんがく に関 かん する議論 ぎろん は分 わ けることができない」とする姿勢 しせい を、事実 じじつ 、崩 くず していない。cf. Michael J. Wrenn & Kenneth D. Whitehead, Flawed Expectations:The Reception of the Catechism of the Catholic Church , Ignatius Press, 1996, p.208. ある書 か き手 て は、カトリック教会 きょうかい は以下 いか の適用 てきよう を意図 いと 的 てき に試 こころ みているとして教皇 きょうこう パウロ6世 せい の影響 えいきょう について言及 げんきゅう している。CCCは、事実 じじつ として、現在 げんざい の教義 きょうぎ から乖離 かいり し、カトリックの信仰 しんこう を、真実 しんじつ の追究 ついきゅう とする方向 ほうこう 性 せい を示 しめ すものとする主張 しゅちょう を行 おこな っている。同様 どうよう に使徒 しと 憲章 けんしょう 中 ちゅう の声明 せいめい に言及 げんきゅう して、「内容 ないよう は今 いま の時代 じだい の問 と いに答 こた えるため、しばしば新 あたら しい姿 すがた で示 しめ されている」「新 あたら しいカテケーシス(教義 きょうぎ の口頭 こうとう 伝授 でんじゅ )は、内的 ないてき な確信 かくしん というより寧 むし ろ外的 がいてき な反応 はんのう を引 ひ き起 お こしがちである」とクレームを付 つ けている。cf. Romano Amerio, Iota Unum: A Study of Changes in the Catholic Church in the XXth Century , Sarto House, 1996.
『カトリック教会 きょうかい のカテキズム』は、9ヶ国 かこく 語 ご の版 はん が下記 かき のサイトで参照 さんしょう 可能 かのう である。『要約 ようやく (コンペンディウム)』については、14ヶ国 かこく 語 ご が以下 いか のサイトで参照 さんしょう 可能 かのう である。