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ハルキス

出典しゅってん: フリー百科ひゃっか事典じてん『ウィキペディア(Wikipedia)』
カルキスから転送てんそう
ハルキダ
Χαλκίδα
所在地しょざいち
ハルキダの位置(ギリシャ内)
ハルキダ
ハルキダ
座標ざひょう 北緯ほくい3828ふん 東経とうけい2336ふん / 北緯ほくい38.467 東経とうけい23.600 / 38.467; 23.600座標ざひょう: 北緯ほくい3828ふん 東経とうけい2336ふん / 北緯ほくい38.467 東経とうけい23.600 / 38.467; 23.600
域内いきない位置いち
行政ぎょうせい
くに: ギリシャの旗 ギリシャ
地方ちほう: 中央ちゅうおうギリシャ
けん: エヴィアけん
ディモス: ハルキダ
きゅう自治体じちたい: ハルキダ
人口じんこう統計とうけい (2001ねん)
ディモス
 - 人口じんこう: 92,202 にん
 - 面積めんせき: 412.4 km2
 - 人口じんこう密度みつど: 224 にん/km2
きゅう自治体じちたい
 - 人口じんこう: 53,584 にん
 - 面積めんせき: 30.8 km2
 - 人口じんこう密度みつど: 1,740 にん/km2
キノティタ
 - 人口じんこう: 53,584 にん
その
標準時ひょうじゅんじ: EET/EEST (UTC+2/3)
標高ひょうこう (最低さいてい-最高さいこう): 0 - 5 m
公式こうしきサイト
http://www.chalkida.gr

ハルキダ現代げんだいギリシャ: Χαλκίδα / Chalkida)は、ギリシャ共和きょうわこく中央ちゅうおうギリシャ地方ちほうエヴィアとう古名こみょう: エウボイアとう)にある都市としであり、その周辺しゅうへん地域ちいきふく基礎きそ自治体じちたい(ディモス)。エヴィアけんけんであるとともに、中央ちゅうおうギリシャ地方ちほう最多さいた人口じんこうようする都市としでもある。エヴリポス海峡かいきょう英語えいごばん立地りっちし、古代こだいギリシャ時代じだいから都市としとして繁栄はんえいした。

古代こだいギリシアおよびカサレヴサでは Χαλκίς古典こてんおん転記てんき: Khalkís現代げんだいおん転記てんき: Chalkis)であり、カルキスもしくはハルキス表記ひょうきされる。

名称めいしょう[編集へんしゅう]

都市とし Χαλκίς名称めいしょうはギリシャで「どう」を意味いみする χαλκός由来ゆらいしているが、実際じっさいにこの地域ちいき鉱脈こうみゃくがあるわけではない。

この都市とし日本語にほんご表記ひょうきには、カルキス[1]カルキダ[2]もある。

地理ちり[編集へんしゅう]

位置いちひろがり[編集へんしゅう]

ハルキダのまちはギリシャでだい面積めんせきつエヴィアとう中部ちゅうぶ位置いちし、ティーヴァから北東ほくとうやく29km、首都しゅとアテネからきた北西ほくせいやく56km、けんリヴァディアからひがしやく63km、州都しゅうとラミアから南東なんとうやく112kmの距離きょりにある。エヴィアとう本土ほんどあいだもっとせばまるエヴリポス海峡かいきょう英語えいごばんめんしており、エヴィアとう本土ほんどあいだはハルキダにおいて2ほんはしむすばれている。

都市とし(キノティタ、都市とし共同きょうどうたい)としてのハルキダの範囲はんいは、海峡かいきょう対岸たいがん本土ほんどがわ)の一部いちぶにもおよぶ。また、その市街地しがいちきた隣接りんせつするネア・アルタキや本土ほんどのドロシアなど、隣接りんせつする都市としにも連続れんぞくしている。

自治体じちたい(ディモス)としてのハルキダは、2011ねんきゅうハルキダふくめて5自治体じちたい合併がっぺいして拡大かくだいし、本土ほんどがわにもひろ市域しいきつことになった。ハルキダは、エヴィアとうがわでは、きたディルフィス=メサピア英語えいごばんひがしエレトリア境界きょうかいせっする。また、本土ほんどがわでは西にしオルホメノス英語えいごばん西南せいなんティーヴァ(テーバイ、テーベ)、みなみタナグラ英語えいごばん境界きょうかいせっしている。

主要しゅよう都市とし集落しゅうらく[編集へんしゅう]

ハルキダ市域しいきふくまれる人口じんこう2000にん以上いじょう都市とし集落しゅうらくには以下いかがある。ドロシア以外いがいはいずれもエヴィアとうがわ位置いちする。

  • ハルキダ(Χαλκίδα : ハルキダ地区ちく) - 53,584にん
  • ネア・アルタキ(Νέα Αρτάκη : ネア・アルタキ地区ちく) - 8,646にん
  • ヴァシリコ(Βασιλικό : リランディア地区ちく) - 6,504にん
  • ドロシア(Δροσιά : アンティドナ地区ちく) - 4,007にん
  • アイオス・ニコラオス(Άγιος Νικόλαος : リランディア地区ちく) - 2,644にん

歴史れきし[編集へんしゅう]

古代こだいギリシア[編集へんしゅう]

ハルキダ考古学こうこがく博物館はくぶつかん展示てんじぶつ

ハルキダにおける人々ひとびといとなみは、考古学こうこがくてきにはミケーネ文明ぶんめいにさかのぼる。トリパとヴロムサにあるミケーネ文明ぶんめい時代じだいはかは、1910ねんにパプヴァシレイオン(Papvasileion)によって発掘はっくつされている。

カルキス(ハルキダ)について言及げんきゅうされた最古さいこ記録きろくは『イーリアス』である。カルキスのは、ライバルであったエレトリアおなぎょうしるされている。また、トロイア戦争せんそうさいしてアカイアぐん集結しゅうけつして船出ふなでした土地とちであるアウリス現代げんだいめい: アヴリダ  (Avlida)は、カルキスにほどちかいエヴリポス海峡かいきょう南側みなみがわ岸辺きしべであり、2011ねん以降いこうはハルキダ市域しいきふくまれている。

紀元前きげんぜん8世紀せいきおよび紀元前きげんぜん7世紀せいきには、カルキスの人々ひとびと入植にゅうしょく活動かつどうによって、 カルキディケ半島はんとう現代げんだいめい: ハルキディキ半島はんとう)に30ものまち建設けんせつされた(カルキディケという地名ちめい自体じたいがカルキスに由来ゆらいする)。またシチリアとうにもいくつかの重要じゅうようとなるまちきずかれた。それら植民しょくみん生産せいさんされる鉱産こうさんぶつ金属きんぞく細工ざいくかいむらさき染料せんりょう陶器とうきなどは、はは植民しょくみん住民じゅうみんとのあいだ取引とりひきされるのみならず、コリントスサモスといった同盟どうめいこく商船しょうせんによって地中海ちちゅうかい沿いの各地かくちはこばれ、販路はんろきずかれた。

レラント戦争せんそう関係かんけい

カルキスのひがしにある都市としエレトリアとは競合きょうごう関係かんけいにあった。双方そうほう同盟どうめいこく支援しえんけてたたかわれたレラントス戦争せんそう紀元前きげんぜん710ねんごろ - 紀元前きげんぜん650ねんごろ)においてカルキス連合れんごう勝利しょうりおさめ、カルキスはエウボイアとうもっと肥沃ひよく農業のうぎょう地帯ちたい獲得かくとくしてしま覇者はしゃとなった。しかし紀元前きげんぜん6世紀せいきはじめにアテナイ惨敗ざんぱいし、その繁栄はんえいわりをげた。アテナイじんはカルキスを支配しはいしていた貴族きぞく追放ついほうし、植民しょくみんしゃクレルキー)をおくんだ。カルキスはそのデロス同盟どうめい参加さんかした。

哲学てつがくしゃアリストテレス紀元前きげんぜん384ねん - 紀元前きげんぜん322ねん)は、カルキディキのスタゲイラ英語えいごばんまれで、ははがカルキスの出身しゅっしんである。はんマケドニアの気運きうんたかまったアテナイをったアリストテレスは、ははえんたよってカルキスにうつり、このぼっしている。

ヘレニズム時代じだいはいると、カルキスはマケドニアによる中央ちゅうおうギリシャ統治とうち拠点きょてん要塞ようさいとして重要じゅうよう位置いちめることになった。そして実際じっさい、ギリシア侵略しんりゃく拠点きょてんとして、紀元前きげんぜん192ねんにはアンティオコス3せいセレウコスあさ)に、紀元前きげんぜん88ねんにはミトリダテス6せいポントス王国おうこく)に利用りようされた。

マ帝国まていこく・ヴェネツィア共和きょうわこく・オスマン帝国ていこく[編集へんしゅう]

1597ねん地図ちずえがかれたハルキダ(ネグロポンテ)

マ帝国まていこくもとで、カルキスは商業しょうぎょう都市としとして繁栄はんえいつづけた。6世紀せいきには、北方ほっぽう侵略しんりゃくしゃから中央ちゅうおうギリシャまもるために、ふたた要塞ようさいされた。

だい4かい十字軍じゅうじぐんて、1209ねん以後いごエヴィアとうヴェネツィア共和きょうわこくりょうとなり、このまちはその首府しゅふとなった。ヴェネツィアの支配しはいでこのまちは「くろはし」を意味いみするネグロポンテイタリア: NegroponteΝεγροπόντε)のられた。また、「ネグロポンテ」はエヴィアとう全体ぜんたいすこともあった。

1470ねん、このまちなが包囲ほういせんてオスマン帝国ていこくりょうとなり、パシャかれた。1688ねんにはヴェネツィアの強力きょうりょく攻撃こうげきをはねかえしている。

きん現代げんだい[編集へんしゅう]

このまちは、1830ねん独立どくりつした近代きんだいギリシャの最初さいしょ領土りょうどふくまれる。20世紀せいきはじめ、ハルキダはエヴリポス海峡かいきょうめんしてふる城壁じょうへきかこまれた「カストロ」(「しろ」の意味いみ)と、城壁じょうへき外側そとがわあたらしい町並まちなみからなっていた。カストロにはユダヤじんトルコじんらしており、城壁じょうへき外側そとがわしん市街しがいにはギリシャじんおも居住きょじゅうしていた。

1894ねん地震じしんでは、城壁じょうへき一部いちぶがカストロのおおくの家屋かおくとともに倒壊とうかいした。また、城壁じょうへき一部いちぶはエヴリポス海峡かいきょう拡幅かくふくのために解体かいたいされている。1899ねんには、ハルキスはエヴィアけんけんとなった。1904ねんにはアテネピレウスとのあいだ鉄道てつどうひらかれた。これによりハルキダでは輸出ゆしゅつ貿易ぼうえき発達はったつした。だい世界せかい大戦たいせんには、かなりの規模きぼであったユダヤじんコミュニティは強制きょうせい移住いじゅうによってかずらした。

21世紀せいき初頭しょとう今日きょう周辺しゅうへん地域ちいきわせたハルキダの自治体じちたいは10まんにんちか人口じんこうかかえる。かつてうみちかくにあったカラ・ババ(トルコで「くろ親父おやじ」)とばれる城壁じょうへきはもはやっていない。

行政ぎょうせい区画くかく[編集へんしゅう]

エヴィアけんきゅう自治体じちたい(2010ねんまで)
エヴィアけんにおけるハルキダ(2011ねん以後いご
きゅうハルキダ(1999ねん - 2010ねん

自治体じちたい(ディモス)[編集へんしゅう]

ハルキダΔήμος Χαλκιδέων)は、エヴィアけんぞくする6つの基礎きそ自治体じちたいディモス)のひとつである。

現在げんざいのハルキダは、カリクラティス改革かいかく(2011ねん1がつ施行しこう)にともない、5自治体じちたい合併がっぺいして発足ほっそくした。5自治体じちたいは、きゅうハルキダのほか、きゅうハルキダきたにあったネア・アルタキひがしにあったリランディア対岸たいがんのアンティドナと、アンティドナみなみにあったアヴリダである。きゅう自治体じちたいしん自治体じちたい構成こうせいする行政ぎょうせいディモティキ・エノティタ)として位置いちづけられた。

下表かひょう番号ばんごうは、したかかげた「きゅう自治体じちたい地図ちず番号ばんごう相当そうとうする。下表かひょうの「きゅう自治体じちたいめいらんは、無印むじるしがディモス()、※しるしがキノティタ(むら)のしめす。面積めんせき単位たんいはkm²、人口じんこうは2001ねん国勢調査こくせいちょうさ時点じてん

きゅう自治体じちたい つづ 政庁せいちょう所在地しょざいち 面積めんせき 人口じんこう
1 ハルキダ Χαλκίδα ハルキダ 30.8 53,584
4 アンティドナ英語えいごばん Ανθηδώνα ドロシア - 6,104
6 アヴリダ英語えいごばん Αυλίδα ヴァティ - 5,297
17 リランディア英語えいごばん Ληλάντια ヴァシリコ - 15,568
20 ネア・アルタキ英語えいごばん Νέα Αρτάκη ネア・アルタキ
 (el
- 8,646

きゅう自治体じちたい(ディモティキ・エノティタ)[編集へんしゅう]

カリクラティス改革かいかく以前いぜんきゅうハルキダにあたるハルキダ地区ちくΔημοτική ενότητα Χαλκιδέων)は、以下いかキノティタ都市とし村落そんらく)から構成こうせいされる。

ひょうちゅうΔでるた.δでるた.Δημοτικό διαμέρισμαりゃくであり、カポディストリアス改革かいかくによる統廃合とうはいごう(1999ねん1がつ施行しこう以前いぜんきゅう自治体じちたい由来ゆらいする区画くかくである。[ ] ない人口じんこう(2001ねん国勢調査こくせいちょうさ)をしめす。

  • Δでるた.δでるた. Χαλκιδέων ハルキダ [ 53,584 ]

パサスは、市街地しがいち南側みなみがわうみかぶ無人島むじんとうである。

交通こうつう[編集へんしゅう]

きゅうはし
ハルキダえき

ハルキダのはし[編集へんしゅう]

ハルキダには、エヴィアとうがわ本土ほんどがわむすはしが2ほんある(エヴィアとう本土ほんどあいだはしのすべてである)。

市街地しがいち西にし、エヴリポス海峡かいきょうもっと狭隘きょうあい部分ぶぶんには「きゅうはし」がかる。この地点ちてんには、紀元前きげんぜん411ねんきょうけられて以来いらいはしえがかえされてきた。6世紀せいきユスティニアヌス1せい時代じだいに、はし可動かどうきょうえられた。オスマン帝国ていこく時代じだい(1453ねん以降いこう)にふたた固定こていしきはしもどされた。1856ねんには木造もくぞう旋回せんかいきょうつくられ、1896ねん鉄製てつせい旋回せんかいきょうけなおされた。現在げんざいの「きゅうはし」は1962ねんけられたもので、スライドしきとなっている。

1993ねんには、市街地しがいちみなみあたらしい「ハルキダきょう」がけられた。新橋しんばしはすはりきょうである。

道路どうろ[編集へんしゅう]

本土ほんどとハルキダをむす幹線かんせん道路どうろは、国道こくどう自動車じどうしゃ道路どうろ)GR-44号線ごうせんである。本土ほんどからしん「ハルキダきょう」をわたったGR-44号線ごうせんは、市街地しがいち南部なんぶ海岸かいがん沿いにひがしはしり、エヴィアとう東南とうなんはしのカリストスにいたる。市街地しがいち南東なんとうでGR-44号線ごうせん分岐ぶんきする GR-77号線ごうせんは、きたかってエヴィアとう西北にしきたはしのイスティエアを目指めざす。

自動車じどうしゃ道路どうろ

鉄道てつどう[編集へんしゅう]

ピレウスハルキダ せん」のハルキダえきが、エヴリポス海峡かいきょうかる「きゅうはし」をわたった本土ほんどがわにある。2014ねんなつダイヤでは、アテネえき経由けいゆピレウスきの列車れっしゃが2あいだに1ほん運行うんこうされている。[3]

文化ぶんか観光かんこう[編集へんしゅう]

せいパラスケヴィ教会きょうかいは、ハルキダでもっと興味深きょうみぶか建物たてものである。ヴェネツィア共和きょうわこく時代じだいしゅたる教会きょうかいとなったこの教会きょうかいは、ひがしマ帝国まていこく時代じだいてられた教会きょうかいであるが、構造こうぞう西方せいほう教会きょうかい特徴とくちょうそなえている。

人物じんぶつ[編集へんしゅう]

市内しないにあるアリストテレスの銅像どうぞう

著名ちょめい出身しゅっしんしゃ[編集へんしゅう]

ゆかりの人物じんぶつ[編集へんしゅう]

  • アリストテレス - 古代こだいギリシャの哲学てつがくしゃ晩年ばんねんごす

スポーツ[編集へんしゅう]

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  1. ^ 『ベーシックアトラス世界せかい地図ちずちょう』(平凡社へいぼんしゃ、2006ねん
  2. ^ 現代げんだい地図ちずちょう』(二宮にのみや書店しょてん、2006ねん
  3. ^ TrainOSE Timetable https://tickets.trainose.gr/dromologia/

外部がいぶリンク[編集へんしゅう]