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ザ・タイマーズ - Wikipedia コンテンツにスキップ

ザ・タイマーズ

出典しゅってん: フリー百科ひゃっか事典じてん『ウィキペディア(Wikipedia)』
ザ・タイマーズ
THE TIMERS
別名べつめい タイマーズ
出身しゅっしん 日本の旗 日本にっぽん
ジャンル ロック
ロカビリー
ブルースロック
パンクロック
活動かつどう期間きかん 1988ねん-1989ねん
1994ねん-1995ねん
2005ねん
レーベル 東芝とうしばEMI/イーストワールド
SWIM RECORDS
メンバー ZERRY(ボーカルギター
TOPPI(ギター)
BOBBY(ベース
PAH(ドラムス
ザ・タイガース

THE TIMERS(ザ・タイマーズ)は日本にっぽんロックバンド

忌野いまわの清志郎きよしろうに"よくている人物じんぶつ"ZERRYがひきいる4人組にんぐみ覆面ふくめんバンド。「ロックブルース演歌えんかとジャリタレポップスのユーゴー」をコンセプトに結成けっせいされたバンドという設定せっていであり「RCなんかあんまりきじゃない[1]」と発言はつげんしている。

概要がいよう

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バンドブームにぎやかな1988ねんから1989ねんにかけて、ライブイベントや学園がくえんさいにゲリラてき出没しゅつぼつ。シンプルなアコースティック楽器がっきの4ピースバンドながら、土木どぼく作業さぎょういんふう衣装いしょう全共闘ぜんきょうとう学生がくせい運動うんどうおもわせるヘルメットやフェイスマスクでの奇妙きみょうちや権威けんいをおちょくる風刺ふうしてききょく異彩いさいはなつ。インディーズ路線ろせんおもいきや、1989ねん10がつ大手おおて東芝とうしばEMIからメジャーデビューし、うた番組ばんぐみ出演しゅつえん放送ほうそう事故じこすれすれのきわどいパフォーマンスをおこなう(後述こうじゅつ)。活動かつどう停止ていし状態じょうたい1994ねん突如とつじょ復活ふっかつし、新曲しんきょく発売はつばいやツアーをおこなう。そして2005ねん忌野いまわの清志郎きよしろう35周年しゅうねん記念きねん公演こうえんにシークレット・ゲストで出演しゅつえんし、新曲しんきょく披露ひろう。バンドは現在進行形げんざいしんこうけいであることをアピールした。

モンキーズの「デイドリーム」を日本語にほんごカバーしたデビューシングル「デイ・ドリーム・ビリーバー」(1989ねん)は、エースコックスーパーカップCMソング使つかわれヒットした。また、2006ねんサントリーモルツ2011ねんセブンイレブンCMでも使用しようされ、さらにおおくのミュージシャンにカバーされるなど、原曲げんきょく日本語にほんごばん歌詞かしとして確立かくりつされている。

メンバー

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ZERRY(ゼリー)
リードボーカル、ギター、ハーモニカ担当たんとうRCサクセション忌野いまわの清志郎きよしろう人物じんぶつという設定せってい
TOPPI(トッピ)
ギター、バックボーカル担当たんとうMOJO CLUB三宅みやけ伸治しんじ人物じんぶつという設定せってい
BOBBY(ボビー)
ウッドベース担当たんとうヒルビリー・バップス川上かわかみつよし人物じんぶつという設定せってい
PAH(パー)
ドラムス担当たんとう。MOJO CLUBの杉山すぎやま章二しょうじまる人物じんぶつという設定せってい

ザ・タイガースのパロディバンドということになっており、バンドめいどうバンドをもじってけられた。かくメンバーの名前なまえもジュリー(沢田さわだ研二けんじ)、トッポ(きょうかつみ)、サリー(岸部きしべ一徳かずのり)、ピー(ひとみみのる)をおもわせる。一方いっぽう、「タイマーズ」には「大麻たいま(たいま)」の隠語いんごというニュアンスもふくまれており、当初とうしょは「マヤクズ」、「ヘロインズ」という、より直接的ちょくせつてきなバンドめい候補こうほとしてがっていた。「TIMERSのテーマ」では「Timerが大好だいすき」「可愛かわいきみとトリップしたいな」という歌詞かしがある。

メンバー全員ぜんいん土木どぼく作業さぎょう現場げんば作業さぎょういんであったとしょう[注釈ちゅうしゃく 1]、いわゆるドカヘル(土木どぼく作業さぎょうようヘルメット)をこうむり、土方ひじかたジャンパー(ドカジャン)、法被はっぴニッカボッカ地下足袋じかたびという服装ふくそう[3] で、「現場げんばでサボっておとらしているうちに出来上できあがった」バンドとして登場とうじょうした。しかし、乱雑らんざつにステッカーをったヘルメット(ゲバヘル)、サングラスぬぐいで素顔すがおかくしたゼリーの風貌ふうぼう学生がくせい運動うんどうおこなしん左翼さよく活動かつどうパロディにもえた[注釈ちゅうしゃく 2]。また、レコード会社かいしゃ社員しゃいん10すうにん同様どうよう格好かっこうをしてプロモーションをおこない、メンバーの人数にんずう錯覚さっかくさせるようになにパターンものせんざい写真しゃしんり、マスコミに適当てきとうくばったりしていた[5]

なお、活動かつどうには「○○に人物じんぶつ」という設定せっていとおしていたが、後年こうねんのメンバーや関係かんけいしゃ証言しょうげん[6][7][8] などで本人ほんにんであることは公然こうぜん事実じじつとなっている。タイマーズ結成けっせい当時とうじ忌野いまわのは『COVERS発売はつばい中止ちゅうし騒動そうどう後述こうじゅつ)の渦中かちゅうにあった。MOJO CLUBとして活動かつどうしていた三宅みやけ杉山すぎやまは、タイマーズとおなじ1989ねん10がつ11にちにメジャーデビューシングルをリリースした。杉山すぎやまはのちに川上かわかみ所属しょぞくするヒルビリー・バップスにも参加さんかした。MOJO CLUBとヒルビリー・バップスはアマチュア時代じだいからたいバン経験けいけんがあり、担当たんとうディレクターもおなじく森川もりかわ欣信森川もりかわはそれ以前いぜんにRCも担当たんとうしていた)というえんがあった[9]。また三宅みやけ川上かわかみ杉山すぎやまは、のちに忌野いまわののソロ活動かつどうのバックバンド「Screaming Revue」のメンバーとしても活動かつどうしている。

略歴りゃくれき

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結成けっせい活動かつどう開始かいし

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1988ねんなつRCサクセションがリリースする予定よていだったはん原発げんぱつ[注釈ちゅうしゃく 3]内容ないようふくんだシングル「ラヴ・ミー・テンダー」とカバーアルバム『COVERS』を東芝とうしばEMI発売はつばい中止ちゅうしにした[11]8がつ15にちキティレコードからりょう作品さくひん発売はつばいされ、『COVERS』はオリコン1獲得かくとくしたが、ラジオのFM東京とうきょう(げん・TOKYO FM)や地方ちほう系列けいれつきょくでもオンエアを自粛じしゅくするうごきがしょうじた[11]忌野いまわの清志郎きよしろう抗議こうぎ意味いみでゲリラ・ライヴを計画けいかくするも、RCメンバーの賛同さんどうられなかったことがタイマーズ結成けっせいのきっかけとなった。TOPPIは忌野いまわの個人こじん運転うんてんしゅがかりやRCの裏方うらかたなが経験けいけんしていた人物じんぶつで、つぎ召集しょうしゅうされたBOBBYとPAHはTOPPIのバンド仲間なかまであった[9]

同年どうねん8がつ3にち富士急ふじきゅうハイランドのイベントでアン・ルイスのライブに乱入らんにゅう[12]、ライヴ・デビュー。当初とうしょ目的もくてきである8がつ5にち6にちおこなわれる「広島ひろしま平和へいわコンサート」へのりのリハーサルをねての出演しゅつえんだった。覆面ふくめんバンドのため最後さいごまで正体しょうたいがわからない観客かんきゃくおおかった。

8がつ6にちの「広島ひろしま平和へいわコンサート」序盤じょばん、バンド転換てんかん合間あいまりで登場とうじょう[注釈ちゅうしゃく 4]。イベント・プロデューサーである山本やまもとコウタローけた「偽善ぎぜんしゃ」、「ロックン仁義じんぎとうタイマーズの定番ていばんきょくほか、RCサクセションの発売はつばい中止ちゅうしシングルの両面りょうめん「ラヴ・ミー・テンダー」「サマータイム・ブルースとう演奏えんそう。この模様もようNHK衛星えいせいだい1放送ほうそう(BS1)でなま中継ちゅうけいされた。11月は学園がくえんさいライヴに多数たすう出演しゅつえん。1にちに3つの大学だいがくまわもあった。横浜国立大学よこはまこくりつだいがくではけがにんるほどのさわぎとなった[13]

1989ねん1がつの『パレスチナ独立どくりつ記念きねんパーティー』への出演しゅつえん以外いがい活動かつどうはなかったが、前年ぜんねんから録音ろくおんされていたデモテープ流出りゅうしゅつもあり(ゼリー本人ほんにん関係かんけいしゃくばっていたもの)、アルバムの製作せいさくロンドンおこなう。

前年ぜんねんつづいて8がつ5にち広島ひろしま平和へいわコンサート』に出演しゅつえん今回こんかいりではなく予定よていされていたもの。この演奏えんそうから「Long Time Ago」がビデオ発売はつばいされた。

10月11にち、ファーストシングル「デイドリーム・ビリーバー」を発売はつばいオリコン週間しゅうかん2獲得かくとく11月8にちにファーストアルバム『TIMERS』、12月13にちにセカンドシングル「ロックン仁義じんぎ」をリリース。12月31にちから翌年よくねん1がつ1にちにかけて幕張まくはりメッセイベントホールでおこなわれたライヴ・イベント「R&R BAND STAND(ロックンロール・バンドスタンド)」に出演しゅつえんした。

翌年よくねん、ビデオ発売はつばい予定よていもあったが、期間きかん限定げんてい活動かつどうえていたこと、RCサクセション20周年しゅうねんキャンペーンとのいで製作せいさく中止ちゅうしとなった。

「FM東京とうきょう事件じけん

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タイマーズはデビューシングル「デイドリーム・ビリーバー」発売はつばい直後ちょくごの1989ねん平成へいせい元年がんねん10月13にちフジテレビ音楽おんがく番組ばんぐみヒットスタジオR&N」に出演しゅつえんした。予定よてい曲目きょくもくは「タイマーズのテーマ」→「偽善ぎぜんしゃ」→「デイドリーム・ビリーバー」→「イモ」→「タイマーズのテーマ(エンディングバージョン)」のじゅんであったが、1きょくうたえて画面がめんに2きょくの「偽善ぎぜんしゃ」のテロップがところで、バンドは発表はっぴょうきょく突然とつぜん演奏えんそうはじめた。このきょくロックンロール調しらべ軽快けいかいなテンポながら、歌詞かしではFM東京とうきょうFM仙台せんだい以下いかのように名指なざしして過激かげき罵倒ばとうするもので、女性じょせい放送ほうそう禁止きんし用語ようごふくまれていた。

くさったラジオ …最低さいていのラジオ なんでもかんでも放送ほうそう禁止きんしさ!…政治せいじ手先てさき なんでも勝手かって放送ほうそう禁止きんしさ!…おまんこ野郎やろう

きょくちゅうには司会しかい古舘ふるたち伊知郎いちろうGWINKO突然とつぜん事態じたい困惑こんわくする表情ひょうじょう永井ながい真理子まりこ伊東いとうたけしなど出演しゅつえんしゃおどろわら様子ようすうつされた。きょくわるとメンバーは何事なにごともなかったかのように3きょくの「デイ・ドリーム・ビリーバー」以降いこう予定よていきょく演奏えんそう

演奏えんそう終了しゅうりょう古舘ふるたちは「放送ほうそうじょう不適切ふてきせつ発言はつげんがあったようでございます。おびして訂正ていせいさせていただきます」とカメラにかってべ、「2きょくはリハーサルとはそっくりえてくれましたですね」とメンバーたちい、罵倒ばとうソング演奏えんそう番組ばんぐみ事前じぜんらなかったむねべた。なおそのメンバーとはな過程かていでZERRYがGWINKOにセクハラもはたらいている。

このきょくは、ZERRYの友人ゆうじん山口やまぐち冨士夫ふじおとのともさくでZERRY[注釈ちゅうしゃく 5]作詞さくし担当たんとうしたティアドロップスのきょく谷間たにまのうた」が、FM東京とうきょうとFM仙台せんだい放送ほうそう禁止きんしにされたことと、タイマーズの「土木どぼく作業さぎょういんブルース」が放送ほうそう禁止きんし放送ほうそう自粛じしゅくにされたことにたいする抗議こうぎきょくであった[8][10]のちに、メンバーのTOPPIことさんたくは「番組ばんぐみるときに『ボス(ちゅう:ZERRY(忌野いまわの清志郎きよしろう))、なにかやらかしますか?』ってったんです」とかた[10]、PAHこと杉山すぎやま章二しょうじまるは「前日ぜんじつにボスのところって、山口やまぐち冨士夫ふじおさんのラジオの問題もんだいがあってあたまにきた、と。それでだれれない4にんだけのところはなって。スタッフすらだれらない状態じょうたい決行けっこうしたということで[8]」とかたっている。また、東芝とうしばEMIの宣伝せんでん担当たんとうだった高橋たかはし Rock Me Babyは「あれをやるまえに、北海道ほっかいどうのフェスであのきょく(「FM東京とうきょう」)をやっていますので」とべている[5]。そして「ヒットスタジオR&N」ではリハーサルのときにタイマーズが古舘ふるたち伊知郎いちろうを26かいほど(古舘ふるたちだん連呼れんこしていたことで司会しかい古舘ふるたちも「絶対ぜったいダミーのきょくだ」と不穏ふおん空気くうきかんじ、リハーサル司会しかいとして責任せきにんがあるからとタイマーズの楽屋がくやって本番ほんばんなにうのかといたが「古舘ふるたちちゃん大丈夫だいじょうぶ迷惑めいわくかけないから。おれ大人おとなだよ」とかえされたことで半信半疑はんしんはんぎのまま本番ほんばんむかえたとはなしている[14]

放送ほうそうには、この行為こうい新聞しんぶん掲載けいさいされる[8] などメディアでも話題わだいとなった。この放送ほうそう生放送なまほうそうだったが、地方ちほうきょく録画ろくが放送ほうそうではノーカットで放送ほうそうした地域ちいきもあれば、タイマーズ出演しゅつえん部分ぶぶんのみ過去かこ放送ほうそうぶんえるなどすることで対応たいおうした地方ちほうきょくもあった[8]。FM東京とうきょうはタイマーズのこの行為こういへの報復ほうふく措置そちとして、おな東芝とうしばEMIに所属しょぞくする松任谷まつとうや由実ゆみ発売はつばい直前ちょくぜんのアルバムであった『LOVE WARS』のきょく一切いっさい放送ほうそうしないということを東芝とうしばEMIに通知つうち[よう出典しゅってん]、またフジテレビはタイマーズにたいして3年間ねんかん出入でい禁止きんし措置そちをとった[8]CSフジテレビTWOでの通常つうじょうさい放送ほうそうでは、該当がいとう部分ぶぶんをカットして放送ほうそうされていたが、2009ねん忌野いまわの追悼ついとう番組ばんぐみでは自主じしゅ規制きせいおん該当がいとう箇所かしょ消去しょうきょしたうえ放送ほうそうされた。

のちにZERRY(忌野いまわの)はこの行為こういについて「じつテレビ局てれびきょくだいよろこびだったんですよ。おこられるかなとおもったけど、プロデューサーとかニコニコしてました。苦情くじょう殺到さっとうして反響はんきょうがあったって…[15]」とべている。PAH(杉山すぎやま)は2014ねんに「演奏えんそうわったのちはどんな気持きもちだったか」という質問しつもんけたさい「いや、意外いがい自然しぜんというか。そんなにおおきな問題もんだいだとおもってなかったかなあ。あと映像えいぞうましたけど、特別とくべつ感情かんじょうかったですね。」とかたっている[8] が、2017ねん初出しょしゅつのインタビューでは「ドラムをはたきながら、現場げんばがわたわたしているのをているのはたのしかったですね。不謹慎ふきんしんですけど、ドラムをはたきながらわらいそうになったんです。(中略ちゅうりゃく)うわあ、みんなうごいている、えらいことになるかもしれないぞと(笑)」とべている[16]。TOPPI(三宅みやけ)も「最高さいこうでしたね(笑)。演奏えんそうしながら、テレビカメラのこうに、いろんなひとはしまわってるのがえた。あんな光景こうけいたことなかったです。」とかえっている[10]

司会しかいつとめた古舘ふるたち伊知郎いちろうは、ZERRY(忌野いまわの)が死去しきょした直後ちょくご文藝春秋ぶんげいしゅんじゅう週刊文春しゅうかんぶんしゅん』のインタビューで「いまでも鮮明せんめいおぼえているのは、リハーサルからガンガン過激かげきうたうたっているわけですよ。あるきょくでずーっと『フルタチイチロー』と連呼れんこしているわけですよ(後年こうねん古舘ふるたちがYouTubeに投稿とうこうした動画どうがでは「(本人ほんにんのカウントでは)26かいにわたり『フルタチイチロー おしゃべりで」とうのラップみたいななんだかわかんない歌詞かし連呼れんこしており、司会しかいしゃかんとしてはたりまえだけど『古舘ふるたち伊知郎いちろう』はダミーでんだ言葉ことばだとすぐにわかった」とべている[17])。様子ようすがおかしいぞ、と。リハーサルからイヤな予感よかんがして楽屋がくやたずねたんです。『気持きもちはわかるけど、なんとか放送ほうそうコードの範囲はんいないでやってほしい』とおねがいした」、「忌野いまわのは『古舘ふるたちサンがうからをつける。だけどやりたいことはやるんでゆるしてほしい』と曖昧あいまいなままでわってしまった」、「結局けっきょくえられて、半分はんぶんムカつきもしたが、アッパレというのもあった。わってから(忌野いまわのが)あやまってきたが『古舘ふるたちさんだから安心あんしんしてできた』なんていうから、おこっているほうバカみたいになった。」と当時とうじのことを回想かいそうしている[18]

なおこの放送ほうそうからやく1ねん、FM東京とうきょうはステーションネームをTOKYO FMに変更へんこうしている。

10月11にちリリースのシングル「デイ・ドリーム・ビリーバー」はエースコックスーパーカップCMソング起用きようされたが、直後ちょくごのライブにてクライアントであるエースコックを誹謗ひぼうする楽曲がっきょく披露ひろうしている。この楽曲がっきょく上述じょうじゅつの「FM東京とうきょうきょく」の歌詞かしちがいであった。

大晦日おおみそかの「R&R BAND STAND(ロックンロール・バンドスタンド)」には始末しまつしょ持参じさん出演しゅつえん。このライヴもNHKによってなま中継ちゅうけいされ、「FM東京とうきょううた」の歌詞かしえた「バンドスタンドのうた」や「明星みょうじょう即席そくせきラーメン」が放送ほうそうされたが、ZERRYが「グラッチェ、グラッチェ[注釈ちゅうしゃく 6]」といいおわるといきなり中継ちゅうけい会場かいじょうからスタジオにえられた。

活動かつどう再開さいかい

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1994ねん福岡ふくおかにて翌年よくねんユニバーシアード開催かいさいされることを記念きねんしたコンサートが開催かいさいされ、タイマーズのほかには財津ざいつ和夫かずおみなみこうせつ中西なかにし圭三けいぞうらが出演しゅつえんし、タイマーズはトリとして出演しゅつえん予定よていであった。当時とうじ福岡ふくおか異常いじょう渇水かっすい見舞みまわれており、5にちには断水だんすい突入とつにゅうする予定よていだった(平成へいせい6ねん渇水かっすい参照さんしょう)。午後ごご9まえにタイマーズが登場とうじょう、しかしタイマーズの登場とうじょうまえ女性じょせいスタッフが「福岡ふくおか渇水かっすい対策たいさく本部ほんぶからの連絡れんらくです。江川えがわダムでトラブルが発生はっせい完全かんぜん断水だんすいはいるのでコンサートも中止ちゅうしします」という内容ないようのアナウンスをながした結果けっか動揺どうようした観客かんきゃくやく1,000めい急遽きゅうきょ退出たいしゅつ帰宅きたくしてしまい、水道局すいどうきょくにもわせの電話でんわ殺到さっとうした。

タイマーズが参加さんかするライブでは、出番でばんまえに「〇〇の事情じじょうにより、タイマーズは出演しゅつえん中止ちゅうしとなりました」という場内じょうないアナウンスがながれ、そのあと本人ほんにんたちが「勝手かって中止ちゅうしにするんじゃねぇ」といかりながら登場とうじょうするというお約束やくそくのパターンがあった。しかし、このときはジョークにこえないほど渇水かっすい問題もんだいになっており、過去かこの「FM東京とうきょう事件じけん」の経緯けいいもあって、全国ぜんこくにも掲載けいさいされワイドショーやスポーツなどでも相当そうとう批判ひはんびた。のちにPAHはそのことについて「いや、もう大変たいへんでした。あれはすごかったですよ。演奏えんそうするまえに『断水だんすいです』とかっちゃったらみんなかえっちゃったんですよ。『うわ、ヤバいこれはマジだよ』とかって。でもすこしガッツポーズというか『やった、本当ほんとうかえった!』って」、「うちらは一切いっさいおこられないです。まわりは色々いろいろ問題もんだいあったとおもうけど」とかたっている[8]

この騒動そうどうたい福岡ふくおかもう抗議こうぎし、事務所じむしょとタイマーズのメンバーによる連名れんめい謝罪しゃざいぶん提出ていしゅつにより事態じたい終息しゅうそくむかえた。ところがタイマーズは1ヶ月かげつ大阪おおさかでのコンサートで「謝罪しゃざいぶんなんていてねえよ。福岡ふくおかがスタッフをおどして、タイマーズの名前なまえ使つかっていたんだ」という内容ないよう楽曲がっきょく披露ひろうし、ふたた福岡ふくおか激怒げきどさせたといわれる。また清志郎きよしろうのち日比ひび谷野たにのおとでのライブで「あやまってむことなら」というきょく披露ひろうしている[19][20]

1995ねん4がつ8にち、タイマーズとして結果けっかてきにラストシングルとなった「サヨナラはしない」が発売はつばい同年どうねん1がつきた阪神はんしん淡路あわじ大震災だいしんさい被災ひさいしゃにエールをおくるチャリティシングルであり、収録しゅうろくされた全曲ぜんきょくどう震災しんさいをモチーフにした内容ないようであった。印税いんぜい義援金ぎえんきんとして泉谷いずみや基金ききん経由けいゆ被災ひさい寄付きふされた。表題ひょうだいきょくテレビ朝日てれびあさひけい夕方ゆうがたニュース番組ばんぐみステーションEYE」エンディングテーマのタイアップがついた一方いっぽうで、カップリングには「ヘリコプター」というどう震災しんさいたいするマスメディアの報道ほうどう姿勢しせいなどを批判ひはんする内容ないよう楽曲がっきょく収録しゅうろくされ、このきょくのみ歌詞かしカードに歌詞かし記載きさいされなかった。

その

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2005ねん3月2にちから5にちにかけて、渋谷しぶやパルコおこなわれたプレミアムライブ『2005★GOD Presents ROMANCE GRAY35』にて復活ふっかつげる。どうライブを収録しゅうろくしたDVDには、「タイマーズのテーマ」「偽善ぎぜんしゃ」「ドアをあけろ」「イモ」「エンディング」がおさめられている。

2016ねん9がつ9にちに、蔵出くらだ音源おんげん秘蔵ひぞう映像えいぞう収録しゅうろくしたCD2まいぐみ+DVDの『THE TIMERS スペシャル・エディション』が11月23にち発売はつばいされることが発表はっぴょうされた。

ディスコグラフィ

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シングル

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発売はつばい タイトル カップリング 最高さいこう順位じゅんい
東芝とうしばEMI / EASTWORLD
1st 1989ねん10月11にち デイ・ドリーム・ビリーバー 3さく (イ 人類じんるい深刻しんこく問題もんだい ロ ブーム ブーム ハ ビンジョー) 2
2nd 1989ねん12月13にち ロックン仁義じんぎ 企業きぎょう作業さぎょう 28
ダイナ (嫌煙けんえんのダンナ)
3rd 1995ねん4がつ8にち サヨナラはしない スウィート・ヒッチ・ハイカー 62
ヘリコプター

アルバム

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発売はつばい タイトル 最高さいこう順位じゅんい
東芝とうしばEMI / EASTWORLD
1st 1989ねん11月8にち THE TIMERS 3
LIVE 1995ねん4がつ26にち 復活ふっかつ!! The Timers 19
SWIM RECORDS
LIVE 1995ねん4がつ30にち 不死身ふじみのタイマーズ 圏外けんがい
ユニバーサルミュージック / EASTWORLD
企画きかく 2016ねん11月23にち THE TIMERS スペシャル・エディション 14
発売はつばい タイトル 最高さいこう順位じゅんい
SWIM RECORDS
1st 1995ねん4がつ30にち 不死身ふじみのタイマーズ 圏外けんがい

タイアップ

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曲名きょくめい タイアップ
デイ・ドリーム・ビリーバー エースコック「スーパーカップ」CMソング
サントリーサントリーモルツ」CMソング
セブン-イレブン CMソング
サヨナラはしない テレビ朝日てれびあさひステーションEYE』エンディングテーマ

その

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  • アン・ルイスのライブ乱入らんにゅうというかたちおこなわれたはつライブのさい演奏えんそうはしってしまったことを川上かわかみ杉山すぎやま謝罪しゃざいしたさい忌野いまわのは「なにってんだ。バンドなんだから、いっしょにはしればいいだろ」とこたえたという。川上かわかみはその言葉ことばき「一生いっしょうこのひとについていこうとおもいました」と回顧かいこしている[21]
  • 1989ねん最初さいしょ活動かつどうえたのち忌野いまわのは「結局けっきょくなにわらなかった」「いかりでなにかをうたってもむなしいだけ」と失望しつぼうして[22] 活動かつどう休止きゅうししていた模様もようだが、1994ねんさい結成けっせい一部いちぶ楽曲がっきょくのち忌野いまわのうたとなっている。
  • 村井むらい」(発表はっぴょう)、「あこがれの北朝鮮きたちょうせん」、「牛肉ぎゅうにくオレンジ」、「拉致らち」、など当時とうじ情勢じょうせいうたったものもおおくある。
  • 外国がいこくじんのアーティスト」(発表はっぴょう)、「バンドスタンド」、「細川ほそかわ護煕もりひろ」、「泉谷いずみやしげる」(「外国がいこくじんのアーティスト」以外いがい上述じょうじゅつのFM東京とうきょう罵倒ばとうソングのうた。)など自分じぶんきらいなものをうたったものもおおくある。

参考さんこう文献ぶんけん

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  • 『ROCK JET VOL.68』シンコーミュージック・エンタテイメント、2017ねんISBN 9784401644223 

脚注きゃくちゅう

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注釈ちゅうしゃく

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  1. ^ ゼリーは「西国分寺さいこくふんじ方面ほうめん」の「さかうらがわほう」の現場げんばにいたとしている[2]
  2. ^ トッピはサングラスのみ着用ちゃくよう、ボビーとパーはとくかおかくしていなかった。ゼリーもライブでうたさいぬぐいをっている[4]
  3. ^ 忌野いまわの清志郎きよしろうチェルノブイリ原子力げんしりょく発電はつでんしょ事故じこのち広瀬ひろせたかしほん熱心ねっしんんでいたという[10]
  4. ^ このイベントをえらんだのは事前じぜん出演しゅつえんしゃ公表こうひょうされないこと、テレビにてなま中継ちゅうけいされることおおきな理由りゆうだった。
  5. ^ このきょくでは忌野いまわの清志郎きよしろう名義めいぎ
  6. ^ 前述ぜんじゅつのスーパーカップのCMにおいて、出演しゅつえんしていた女性じょせいはっしていた言葉ことば

出典しゅってん

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  1. ^ 『ROCK JET VOL.68』P61 田家たや秀樹ひできのインタビュー
  2. ^ 『ROCK JET VOL.68』P58 田家たや秀樹ひできのインタビュー
  3. ^ ヘルメットにニッカポッカ、THE TIMERSの衣装いしょう展示てんじ決定けってい”. 音楽おんがくナタリー (2016ねん11月16にち). 2018ねん10がつ10日とおか閲覧えつらん
  4. ^ 『ROCK JET VOL.68』P1-16
  5. ^ a b 連載れんさい】〜I LIKE YOU〜忌野いまわの清志郎きよしろう──《だい10かい高橋たかはし Rock Me Baby (後編こうへん)”. OTOTOY(2018ねん6がつ15にち)。
  6. ^ 『THE TIMERS スペシャル・エディション』に収録しゅうろくされるライナーノーツの一部いちぶ公開こうかい”. ユニバーサル・ミュージック・ジャパン (2016ねん11月10にち). 2018ねん10がつ10日とおか閲覧えつらん
  7. ^ BIOGRAPHY”. 三宅みやけ伸治しんじ 公式こうしきウェブサイト。
  8. ^ a b c d e f g h 【インタビュー】大王丸だいおうまる「“FM東京とうきょう事件じけん”は本当ほんとうにタイマーズの4にんだけしからなかったんですよ」- BARKS公式こうしきサイト
  9. ^ a b 『ROCK JET VOL.68』P31
  10. ^ a b c d 没後ぼつご7ねん いま忌野いまわの清志郎きよしろう」がもとめられる理由りゆう AERA.dot(2016ねん4がつ28にち
  11. ^ a b 上柴かみしばとおる ”ポップスさい前線ぜんせん>FM東京とうきょうくさったラジオ”. レコードショップ瑠璃るりどう (2017ねん3がつ5にち).
  12. ^ ヒットスタジオR&N」(フジテレビ 1989ねん10月13にち放送ほうそう[信頼しんらいせいよう検証けんしょう]
  13. ^ 『ROCK JET VOL.68』P64 田家たや秀樹ひできのインタビュー
  14. ^ 古舘ふるたち伊知郎いちろうかえる、あのバンドの放送ほうそう事故じこパフォーマンス「おれだけが顔面がんめん蒼白そうはく歌手かしゅだいよろこび」”. スポーツニッポン (2023ねん5がつ10日とおか). 2023ねん5がつ11にち閲覧えつらん
  15. ^ 1995ねん VIEWS ミュージックマガジン増刊ぞうかん永遠えいえんのバンドマン ボスのおさわがせ事件じけん簿近藤こんどう康太郎やすたろう
  16. ^ 『ROCK JET VOL.68』P25
  17. ^ (日本語にほんご) 放送ほうそう禁止きんし用語ようご連発れんぱつ忌野いまわの清志郎きよしろうさんのわすれられないはなし。タイマーズでこしたよるヒットでの放送ほうそう事故じこ裏側うらがわ, https://www.youtube.com/watch?v=uk8PA5A1yk4 2022ねん12月5にち閲覧えつらん 
  18. ^ 忌野いまわの清志郎きよしろう女性じょせい絶叫ぜっきょう事件じけん古舘ふるたち伊知郎いちろうはじめてかした生放送なまほうそう舞台裏ぶたいうら”. 週刊文春しゅうかんぶんしゅん. (2009ねん5がつ21にち) 
  19. ^ ミュージック・マガジン増刊ぞうかん/永遠えいえんのバンドマン』 近藤こんどう康太郎やすたろう記載きさいのコラムより
  20. ^ マルコポーロ掲載けいさい記事きじより
  21. ^ 『ROCK JET VOL.68』P32
  22. ^ 長谷川はせがわ博一ひろかずへん『Mr.OUTSIDE わたしがロックをえがくとき』(大栄おおえ出版しゅっぱん、1991ねん忌野いまわのロングインタビューないのP37-38