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RCサクセション

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RCサクセション
出身しゅっしん 日本の旗 日本にっぽん東京とうきょう
ジャンル
活動かつどう期間きかん 1968ねん - 1991ねん
レーベル
事務所じむしょ
共同きょうどう作業さぎょうしゃ
メンバー
きゅうメンバー

RCサクセション(アール・シー・サクセション、RC SUCCESSION)は、忌野いまわの清志郎きよしろう中心ちゅうしんとして結成けっせいされた[2]日本にっぽんロックバンド

「King of Rock」「King of Live」の異名いみょうをとるなど「日本語にほんごロック」の成立せいりつ現在げんざい日本にっぽん普通ふつうられるロック・コンサート、ライブ・パフォーマンスのスタイルの確立かくりつおおきな影響えいきょうおよぼした。

1991ねんより期限きげん活動かつどう休止きゅうし状態じょうたいはいったまま復活ふっかつすることはなく、2009ねん忌野いまわの死去しきょしたことにより、事実じじつじょうバンドは解散かいさんとなった。

概要がいよう[編集へんしゅう]

メンバー[編集へんしゅう]

忌野いまわの清志郎きよしろう公式こうしきHP「地味じみへん」のUNITのページでは

  • 1968〜1977ねん 忌野いまわの清志郎きよしろうはやししょう和生かずおやぶれんケンチ
  • 1977〜1979ねん 忌野いまわの清志郎きよしろうはやししょう和生かずお仲井戸麗市なかいどれいち新井田あらいだ耕造こうぞう小川おがわ銀次ぎんじ
  • 1980〜1989ねん 忌野いまわの清志郎きよしろう小林こばやし和生かずお仲井戸麗市なかいどれいち新井田あらいだ耕造こうぞう、Gee2wo
  • 1989〜1990ねん 忌野いまわの清志郎きよしろう小林こばやし和生かずお仲井戸麗市なかいどれいち春日かすが博文ひろぶみ厚見あつみれいころも

以上いじょう4つの形態けいたい紹介しょうかいされている[3]


1991ねんまでのメンバー[編集へんしゅう]

担当たんとう 人名じんめい べつ名義めいぎ 生年月日せいねんがっぴ 出身しゅっしん 在籍ざいせき期間きかん
ボーカル/ギター/ハーモニカ/
etc
忌野いまわの清志郎きよしろう(いまわの きよしろう) きもさわはばいち 1951ねん4がつ2にち - (2009-05-02) 2009ねん5月2にち(58さいぼつ 東京とうきょう中野なかの 1968ねん〜1991ねん
ベース/コーラス/ボーカル 小林こばやし和生かずお(こばやし かずお) はやししょう和生かずお
リンコ・ワッショー
小林こばやしやわお
(1951-12-05) 1951ねん12月5にち(72さい 東京とうきょう国分寺こくぶんじ 1968ねん〜1991ねん
ギター/ボーカル/コーラス 仲井戸麗市なかいどれいち(なかいど れいち) チャボ (1950-10-09) 1950ねん10月9にち(73さい 東京とうきょう新宿しんじゅく 1978ねん〜1991ねん
ギター/ドラム/コーラス 春日かすが博文ひろぶみ(かすが ひろふみ) ハチ (1954-01-25) 1954ねん1がつ25にち(70さい 東京とうきょうみなと青山あおやま 1978ねん
1990ねん〜1991ねん
キーボード/コーラス 厚見あつみれいころも(あつみ れい) (1957-05-18) 1957ねん5月18にち(67さい 神奈川かながわけん川崎かわさき多摩たま 1990ねん〜1991ねん

過去かこのメンバー[編集へんしゅう]

担当たんとう 人名じんめい べつ名義めいぎ 生年月日せいねんがっぴ 出身しゅっしん 在籍ざいせき期間きかん おも所属しょぞく
ギター/コーラス/ボーカル やぶれんケンチ(はれん けんち) (1951-09-19) 1951ねん9月19にち(72さい 九州きゅうしゅう 1968ねん〜1977ねん ポリスターしゃ
ドラム/コーラス 新井田あらいだ耕造こうぞう(にいだ こうぞう) (1953-03-25) 1953ねん3月25にち(71さい 東京とうきょう台東たいとう浅草あさくさ 1978ねん〜1990ねん ドラマーズ/憂歌団ゆうかだん
ギター 小川おがわ銀次ぎんじ(おがわ ぎんじ) 1956ねん9月24にち - (2015-08-02) 2015ねん8がつ2にち(58さいぼつ 1979ねん〜1980ねん CROSSWIND
キーボード/ギター/コーラス Gee2wo ゴンタ2ごう/G2/G2wo/柴田しばた義也よしや/G.1,238,471 (1954-09-17) 1954ねん9月17にち(69さい 兵庫ひょうごけん神戸こうべ 1980ねん〜1990ねん(1979ねんよりサポートとして参加さんか Zion High Players

そののメンバー (ホーンセクション)[編集へんしゅう]

エレキ以降いこうのレコーディング、コンサートでは、ホーンセクションとして梅津うめづかずとき片山かたやま広明ひろあきら(時期じきによってのメンバーがはいることもあった)が「ブルーデイ・ホーンズ」(当初とうしょは「生活せいかつ向上こうじょう委員いいんかい」)のユニットめい参加さんか

サポートメンバー[編集へんしゅう]

担当たんとう 人名じんめい べつ名義めいぎ 生年月日せいねんがっぴ 出身しゅっしん 在籍ざいせき期間きかん おも所属しょぞく
パーカッション 三浦みうら友和ともかず(みうら ともかず) 電源でんげんきりかい (1952-01-28) 1952ねん1がつ28にち(72さい 山梨やまなしけん塩山しおやまげん甲州こうしゅう 1970年代ねんだい前期ぜんき ホリプロ
ピアノ 佐山さやま雅弘まさひろ(さやま まさひろ) セクシー佐山さやま 1953ねん11月26にち - (2018-11-14) 2018ねん11月14にち(64さいぼつ 兵庫ひょうごけん尼崎あまがさき 1975ねん〜1976ねんごろ PONTA BOX
ドラム 鈴木すずきウータン正夫まさお(すずきウータンまさお) ワンダフル鈴木すずき (1948-10-17) 1948ねん10月17にち(75さい 福島ふくしまけん福島ふくしま 1975ねん〜1976ねんごろ ペドロ&カプリシャス
ギター 阿部あべのぼる(あべ のぼる) (1951-04-05) 1951ねん4がつ5にち(73さい 神奈川かながわけん高座こうざぐん座間ざままちげん座間ざま 1975ねん〜1976ねんごろ ファンシー・ハウス/アベズ
キーボード 原田はらだみゆき(はらだ よりゆき) ハラダーソン (1948-07-24) 1948ねん7がつ24にち(75さい 島根しまねけん簸川ひかわぐん大社たいしゃまちげん出雲いずも 1976ねん 生活せいかつ向上こうじょう委員いいんかいだい管弦楽かんげんがくだん
ドラム 土井どいこう太郎たろう(どい こうたろう) 1977ねんごろ 久保田くぼた真琴まこと夕焼ゆうや楽団がくだん
サックス 梅津うめづかずとき(うめづ かずとき) どくとる梅津うめづ 1949ねん10月17にち(74さい 宮城みやぎけん仙台せんだい 1980ねん〜1987ねん 生活せいかつ向上こうじょう委員いいんかい/どくとる梅津うめづバンド/シャクシャイン/こまっちゃクレズマ/KIKI BAND
サックス 片山かたやま広明ひろあき(かたやま ひろあき) 1951ねん3月1にち - 2018ねん11月13にち(67さいぼつ 千葉ちばけん野田のだ 1980ねん〜1990ねん 生活せいかつ向上こうじょう委員いいんかい/どくとる梅津うめづバンド/シャクシャイン/しぶらズ/de-ga-show
コーラスなど 三宅みやけ伸治しんじ(みやけ しんじ 1961ねん3月8にち(62さい 宮崎みやざきけん 1982ねん MOJO CLUB/SMI/NICE MIDDLE with NEW BLUE DAY HORNS
パーカッション 菊池きくちたかし(きくち たかし) 1953ねん??つき?? 栃木とちぎけん大田原おおたわら 1984ねん〜1986ねん 生活せいかつ向上こうじょう委員いいんかいだい管弦楽かんげんがくだん/どくとる梅津うめづバンド/DANGER
コーラス/パーカッション/ギター/ボーカル 金子かねこマリ(かねこ マリ) (1954-12-01) 1954ねん12月1にち(69さい 東京とうきょう世田谷せたがや下北沢しもきたざわ 1979ねん~80ねん初期しょき
1988ねん〜1989ねん
金子かねこマリ&バックスバニー/5th Element will

プロデューサー・編曲へんきょく[編集へんしゅう]

人名じんめい 生年月日せいねんがっぴ 出身しゅっしん おも所属しょぞく
こうゆうみぎ(ほぐち ゆうすけ) (1948-01-24) 1948ねん1がつ24にち(76さい 東京とうきょう テディーボーイズ/アウト・キャスト
ほしまさる(ほし かつ) (1948-08-19) 1948ねん8がつ19にち(75さい 埼玉さいたまけん モップス
椎名しいな和夫かずお(しいな かずお) (1952-07-14) 1952ねん7がつ14にち(72さい 東京とうきょう世田谷せたがや はちみつぱい/ムーンライダーズ

楽曲がっきょく[編集へんしゅう]

特徴とくちょう[編集へんしゅう]

基本きほんてき忌野いまわの作詞さくし作曲さっきょくした楽曲がっきょくをバンドでアレンジして演奏えんそう、レコーディング。自作じさく自演じえん・アレンジまでするスタイルは現代げんだいでこそめずらしくないが、1970年代ねんだい初期しょきではまだ異例いれいだった。忌野いまわの1人ひとりによる制作せいさくきょくのほか、時期じきによっては仲井戸なかいど小林こばやし、Gee2woとそれぞれともさくもしている。

音楽おんがくせい歌詞かし世界せかいかんなどは「忌野いまわの清志郎きよしろう」のぺーじ参照さんしょう

アルバム『BLUE以降いこう仲井戸なかいど作詞さくし作曲さっきょく・ボーカルをとったきょくが1まいのアルバムに1きょく以上いじょう収録しゅうろく

来歴らいれき[編集へんしゅう]

1966ねんピーター・ポール&マリージョーン・バエズらの影響えいきょう[4]中学ちゅうがく同級生どうきゅうせいだった忌野いまわの小林こばやしやぶかどの3にんフォークグループ「ザ・クローバー(The Clover)」を結成けっせい[5]

1967ねん高校こうこう進学しんがくによりザ・クローバー解散かいさん忌野いまわの小林こばやしは、上級生じょうきゅうせい武田たけだ清一せいいち(のちに「日暮ひぐら」でデビュー)をむかえ「リメインダーズ・オブ・ザ・クローバー(The Remainders of the Clover・「クローバーの残党ざんとう」の)を結成けっせいはじめてギャラ仕事しごとをする。

1968ねん、「リメインダーズ・オブ・ザ・クローバー」が自然しぜん消滅しょうめつしたのちやぶかどがバンドにもどりバンドめいを「リメインダーズ・オブ・ザ・クローバー・サクセション(The Remainders of the Clover succession(「クローバーからの継続けいぞく」の)」の省略形しょうりゃくけいから「RCサクセション」と命名めいめい[6][ようページ番号ばんごう][注釈ちゅうしゃく 1]

学校がっこう文化ぶんかさいでいつもの友達ともだちだけがるのがいや[4]、「もっとおおくのひとたちに自分じぶんたちの音楽おんがくらせたい」と[4]1969ねん、テレビ番組ばんぐみヤング720』(TBSけい)のオーディションに挑戦ちょうせん合格ごうかく[4]つづいて8がつ29にち東芝とうしば主催しゅさいの「カレッジ・ポップス・コンサート」オーディションでだい3。この模様もよう収録しゅうろくしたオムニバスばんはじめての公式こうしき音源おんげんとなる。収録しゅうろくきょくは「どろだらけのうみ」。ここで東芝とうしばおとこうげんEMIミュージック・ジャパン)にスカウトされる[4]当時とうじ東芝とうしばおんこうはフォーク&ロックのジャンルをほぼ独占どくせんしていた[4]

1970ねん3月、「たからくじはわない」で東芝とうしばおんこうよりシングル・デビュー。

1971ねん、RCが活動かつどう拠点きょてんひとつとしていた渋谷しぶやのライブハウス「あおもり」で当時とうじフォーク・グループ、井戸いどとして活動かつどうしていた仲井戸麗市なかいどれいち出会であう。

1972ねん、ラジオ番組ばんぐみハローパーティー』や『バイタリス・フォーク・ビレッジ』などへの出演しゅつえんはじめる。3rdシングル「ぼくのきな先生せんせい」がヒット。1stアルバム「初期しょきのRCサクセション」をリリース。

1974ねん当時とうじのマネージャー奥田おくだ義行よしゆき事務所じむしょホリプロ)に造反ぞうはん独立どくりつしてプロダクション「りぼん」を設立せつりつ。RCはそのさわぎにまれ、ホリプロない仕事しごとされる。

1976ねん、ホリプロから「りぼん」へ移籍いせきレコード会社かいしゃはキティ/ポリドールに移籍いせき[4]前年ぜんねんすで制作せいさくずみだった3rdアルバム『シングル・マン』がようやくリリースされるも、1ねん廃盤はいばんやぶれん精神せいしん状態じょうたい不安定ふあんていになり、ギターがけなくなる。1976ねん10月11にちリリースのシングル「わかってもらえるさ」以降いこう、1979ねん6がつ25にち日仏会館にちふつかいかんでのコンサートまで活動かつどう停止ていし[4]

1977ねんやぶかど正式せいしき脱退だったい

1978ねん仲井戸なかいど春日しゅんじつがサポートとして参加さんか新井田あらいだ加入かにゅう。フォーク形態けいたいからロックR&B形態けいたいへバージョンアップされる[4]当時とうじ、その衝撃しょうげきおおきさからマスコミでは「パンク・ロック」とひょうされることがおおかった)。RCの黄金おうごん形成けいせいするバンドの基礎きそ完成かんせい忌野いまわのかみみじか逆立さかだてて、派手はで衣裳いしょうにどぎついメイクをしてステージにるようになる。

1979ねん春日しゅんじつわり小川おがわ加入かにゅう仲井戸なかいど正式せいしきメンバーとなる。Gee2woがサポート参加さんか。RCはそのライブ・パフォーマンスが評判ひょうばんとなり、マスコミで度々たびたびげられる。ジョニー、ルイス&チャー前座ぜんざとしてはじめて日本武道館にほんぶどうかんのステージにつ。

音楽おんがく評論ひょうろん吉見よしみ佑子ゆうこらが3rdアルバム『シングル・マン』のさい発売はつばい懇願こんがんするため「シングルマン再発さいはつ実行じっこう委員いいんかい」を発足ほっそくポリドールとの折衝せっしょうかえされた結果けっか自主じしゅ制作せいさくで300まい限定げんてい異例いれいさい発売はつばい決定けってい当初とうしょ国立こくりつの「レコード・プラント」、青山あおやまの「パイドパイパー・ハウス」の2てんのみでの販売はんばい

1980ねん、「あめあがりの夜空よぞらに」発売はつばい記念きねんとして渋谷しぶやのライブハウス「屋根裏やねうら」で4にち連続れんぞくのコンサートを開催かいさい[4]。のべ800にん観客かんきゃく動員どういんどうライブハウスの動員どういん記録きろくてる。渋谷しぶや公会堂こうかいどうでのシーナ&ザ・ロケッツBOWWOWとのジョイント・コンサートもやく2000にん観客かんきゃく動員どういん達成たっせい、RC人気にんきく。「シングル・マン」が正式せいしきさい発売はつばい

エレキのデビューばんとなる「RHAPSODY」をリリース、半年はんとし以上いじょうのロングランヒット。このアルバムは、1980ねん4がつ東京とうきょう久保くぼ講堂こうどうにおけるコンサートの実況じっきょう録音ろくおんばん。このコンサートを最後さいごに、小川おがわ脱退だったいわってGee2woが正式せいしきメンバーとなる。

同年どうねん10がつには日比ひび谷野たにのおとで「上田うえだ正樹まさきとサウス・トゥ・サウス」のさい結成けっせいライブで、11月一橋大学ひとつばしだいがく学園がくえんさいライブでは平沢ひらさわすすむひきいたニューウェイブテクノポップバンド「P-MODEL」と、たいバンコンサートをおこな[7]

1981ねんはつ日本武道館にほんぶどうかん単独たんどく公演こうえん。その10ねん連続れんぞく武道館ぶどうかんクリスマスコンサートをおこなう。このとし年間ねんかん100ほんちかいコンサートをおこな[8]

1982ねん忌野いまわの坂本さかもと龍一りゅういち当時とうじイエロー・マジック・オーケストラ)とんで発表はっぴょうしたシングル「い・け・な・いルージュマジック」が資生堂しせいどう82ねんはるのキャンペーンソングとしてヒット。MVでは、どぎつい化粧けしょうをしておとこ同士どうしでキスをするなど過激かげきなパフォーマンスを展開てんかい時代じだい席巻せっけん。RCとして同年どうねんサム・ムーアチャック・ベリーらとのジョイント・コンサートを横浜よこはまスタジアムにて開催かいさい(アルバム『THE DAY OF R&B』収録しゅうろく)。ロンドンレコード移籍いせき自身じしんレーベル「BARCA」設立せつりつ

1985ねん事務所じむしょ「りぼん」から独立どくりつ個人こじん事務所じむしょ「うむ」設立せつりつ西武せいぶ劇場げきじょうげんPARCO劇場げきじょう)で独立どくりつ記念きねんコンサート「スーパーエイプリルフール」開催かいさい泉谷いずみやしげる坂本さかもと龍一りゅういち矢野やの顕子あきこ三浦みうら友和ともかずらがゲスト参加さんか)。

1988ねん東芝とうしばEMIより発売はつばい予定よていだったシングル「ラヴ・ミー・テンダー」とアルバム『COVERS(カバーズ)』が、収録しゅうろくきょく歌詞かし問題もんだい発売はつばい中止ちゅうしどうシングル・アルバムは、古巣ふるすのキティレコード(げんユニバーサルミュージック)から発売はつばい、RCとしてはつのオリコンアルバムチャート1獲得かくとく

1989ねん、HARD TIMES LIVEツアーはリリースされていない新曲しんきょく中心ちゅうしんという異例いれい構成こうせいおこなわれる。レコード会社かいしゃたいする不満ふまんからステージじょうで「録音ろくおん自由じゆう」を宣言せんげん

1990ねん、Gee2wo・新井田あらいだ相次あいついで脱退だったいげん段階だんかいでのラスト・アルバム『Baby a Go Go』をリリース。つづくツアーは札幌さっぽろ仙台せんだい福岡ふくおか名古屋なごや大阪おおさかおよび日本武道館にほんぶどうかんのみ開催かいさいよく1991ねんのツアーはすべてキャンセル。

1991ねん1がつ期限きげん活動かつどう休止きゅうしはいる。

2009ねん5月、忌野いまわの清志郎きよしろう死去しきょ

詳細しょうさい・エピソード[編集へんしゅう]

結成けっせい 〜 デビュー「たからくじはわない」(バンド黎明れいめい[編集へんしゅう]

使用しよう楽器がっき、バンド編成へんせいはアコースティック(フォーク)ながら、ヘヴィ・ゲージのつるったギターをたたくようにかきらしてはっせられる楽曲がっきょくは、コード進行しんこうやハーモニー、スリリングなギターソロなどすでにR&B、ロックにちかいものだった。

活動かつどう拠点きょてんとしていた「あおもり」「渋谷しぶやジァン・ジァン」などのライヴハウスで、井戸いど泉谷いずみやしげるらと親交しんこうふかめる。泉谷いずみや当時とうじのRCを「RCはすさまじかったね。アコースティックギターのリズムたいでありながらロックだったわけよ。ウッドベースなんかスリリングでさ、すんげえソウルフルなんだよ」とひょうしている[9]

すでにこの時期じきのセットリストには、「ファンからのおくもの」「ダーリン・ミシン」「うわのそら」「マリコ」「きみぼくってる」「おはかとう後年こうねんレコーディングされたきょくのタイトルがられる。

デビュー・シングル「たからくじはわない」は、当時とうじのマネージャーであった金田かねだれてきた伊勢田いせだトリオというグループをバックに演奏えんそうしたが、最終さいしゅうてきにレコードになったときにはスタジオミュージシャンのテイクが使つかわれた[10]

初期しょきのRCサクセション』 〜 『たのしいゆうに』 (アコースティック[編集へんしゅう]

1stアルバム『初期しょきのRCサクセション』は、最終さいしゅうてきなマスタリング作業さぎょうにメンバーがわせてもらえず、完成かんせいしたレコードの音源おんげん自分じぶんたちの意図いとしない勝手かってなアレンジがほどこされていたために不満ふまんかんじる。そのため2ndからは自分じぶんたちの演奏えんそう主体しゅたいとしたレコードづくりをはじめ、後年こうねんまで外部がいぶプロデューサーの介入かいにゅうけるようになる。

1970年代ねんだい初期しょき発表はっぴょうライブ音源おんげんが『ロックほう2002ねんだい10ごう』の付録ふろくCDに収録しゅうろくきょくは「つまらない仕事しごと」「ぼくとあのむすめ」「いそがしすぎたから」「内気うちき性格せいかく」「もっとなにとかならないの?」「ぼくの自転車じてんしゃのうしろにりなよ」6きょく選曲せんきょく清志郎きよしろうおこない、マスタリング清志郎きよしろうやぶかどった[11]

忌野いまわの高校こうこう同級生どうきゅうせいである俳優はいゆう三浦みうら友和ともかずは、『初期しょきのRCサクセション』に収録しゅうろくの「言論げんろん自由じゆう」にボンゴ参加さんか三浦みうらはステージによくくわわることがあり、また一時期いちじきやぶかど同居どうきょするなどかなりRCと親交しんこうふかかった。

忌野いまわの作詞さくし作曲さっきょくした「指輪ゆびわをはめたい」をもとにして、井上いのうえ陽水ようすいと「かえれない二人ふたり」をともさく。もう1きょくちぼうけ」をともさく、この2きょく収録しゅうろくされた陽水ようすいのアルバム『こおり世界せかい』(1973ねん) が日本にっぽん音楽おんがく史上しじょうはつのミリオンセラーLPとなる。

1974ねん、ホリプロの奥田おくだ義行よしゆきが、当時とうじだいブレイクちゅうだった陽水ようすいれホリプロをはなれ、独立どくりつ事務所じむしょ「りぼん」を設立せつりつ。この造反ぞうはん行為こうい激怒げきどしたホリプロは、奥田おくだ子飼こがいだったRCの「りぼん」移籍いせき阻止そし。RCはスタッフも仕事しごとあたえられずごろ状態じょうたいとなる。

このころ、3rdアルバム『シングル・マン』を録音ろくおんするも、事務所じむしょ移籍いせきトラブルによりおぞうりになる。

『シングルマン』 〜 「わかってもらえるさ」(暗黒あんこく[編集へんしゅう]

1975ねん仕事しごとがほとんどなくなり、活動かつどう休止きゅうし状態じょうたいになる。

1976ねん、ホリプロとの契約けいやくれ、正式せいしきに「りぼん」に移籍いせき

レコード会社かいしゃ東芝とうしばおとこうからポリドールに移籍いせき、3ねん1ヵ月かげつりのシングル「スローバラード」、3ねん4ヵ月かげつりの3rdアルバム『シングル・マン』をリリース。

さらにキティレーベル(のキティレコード)に移籍いせき、シングル「わかってもらえるさ」を発売はつばいするが、すぐにそれらは廃盤はいばんとなる。

シングル・マン』には契約けいやくじょうクレジットされなかったが、タワー・オブ・パワーミッキー吉野よしの柴田しばた義也よしやらが参加さんか。「わかってもらえるさ」ではメンバーにやぶかどがクレジットされているものの、やぶれん極度きょくどうつ状態じょうたいでギターがけず、ギターはすべて忌野いまわのいた。[6]

上記じょうきのゲストミュージシャンを記載きさいできなかったため「このレコードは世界せかいてきミュージシャンが豊富ほうふ使用しようされておりますので安心あんしんしてご利用りようください」とかれている。

ジャケットに使つかわれているイラストは幼児ようじ児童じどう絵画かいが統覚とうかく検査けんさ図版ずはん金子かねこ出版しゅっぱん)のもの。元本がんぽん忌野いまわのさがしてきた。ジャケットにえがかれているRCサクセションのロゴも忌野いまわのがデザイン。

5まんえんった忌野いまわの愛車あいしゃ日産にっさん・サニークーペが廃車はいしゃとなる。井上いのうえ陽水ようすいのアルバム「こおり世界せかい」に提供ていきょうした2きょく印税いんぜいったとわれる。その愛車あいしゃをモデルに、このころあめあがりの夜空よぞら」の歌詞かしかれた。[12]

その忌野いまわのは2だいつづ中古ちゅうこのサニークーペを購入こうにゅう当時とうじ一番いちばんやす中古ちゅうこしゃだったからである。

当時とうじ唯一ゆいいつ活動かつどうってもよかったのが矢沢やざわ永吉えいきち井上いのうえ陽水ようすいひとし前座ぜんざであったが、メインアクト目当めあてでている観客かんきゃくからは「クソッタレ」「はやえろ」とう罵声ばせいびせられることがすくなくなかった。矢沢やざわ永吉えいきち前座ぜんざ出演しゅつえんしたさいにはRCが登場とうじょうするやいなや観客かんきゃくから「かえれ」コールがびせられた。忌野いまわのきゃくをからかって「矢沢やざわBきちでーす。ひさしちゃんはいま楽屋がくやでクソしてるんでぼくらがやりまーす」と発言はつげん客席きゃくせきだい混乱こんらんとなり、演奏えんそうちゅうえず「ね」など怒号どごうのような野次やじらう。[12]

やぶれんケンチ脱退だったい実際じっさいやぶかどうつ症状しょうじょうがあまりにもひどく、それが原因げんいんでエレキギターがけないことかねた忌野いまわのがクビにした)。

「ステップ!」 〜 『BLUE』(復活ふっかつ・ブレイク[編集へんしゅう]

1978ねんころから当時とうじ井戸いど仲井戸麗市なかいどれいちカルメン・マキ&OZ春日かすが博文ひろぶみをサポートギタリストにむか渋谷しぶやのライブハウス「屋根裏やねうら」を中心ちゅうしん活動かつどう若年じゃくねんそう中心ちゅうしん絶大ぜつだい支持しじてライブは連日れんじつ連夜れんや満員まんいんとなる。どう時期じきにドラマーの新井田あらいだ耕造こうぞう加入かにゅう

当時とうじ忌野いまわのは「シングル・マン以降いこう暗黒あんこくまり複雑ふくざつなコード進行しんこうきょくばかりつくってしまう悪循環あくじゅんかんおちいっていた反省はんせいから、シンプルなコード進行しんこうきょくであってもロックのダイナミズムをローリング・ストーンズ楽曲がっきょく研究けんきゅうかさねた。このころセックス・ピストルズジョニー・ロットン影響えいきょうけ、それまでながくしていたかみとす。ステージではかみてたり奇抜きばつなメイクをほどこすようになった。

1979ねん7がつ21にち、2ねん8ヵ月かげつりのシングル「ステップ!」を発売はつばい。しかしこのシングルも、まだメンバーの演奏えんそうりょく信用しんようしきれていなかった制作せいさく担当たんとうしゃにより、スタジオ・ミュージシャンのテイクが採用さいようされている。8月、「NTV紅白こうはくのベストテン」に出演しゅつえん音楽おんがく評論ひょうろん吉見よしみ佑子ゆうこ音頭おんどって「シングル・マン再発さいはつ実行じっこう委員いいんかい発足ほっそく深夜しんやラジオでの放送ほうそうえる。積極せっきょくてきにステージをもとめ、各地かくち大学だいがくさい多数たすう出演しゅつえん。11月16にち久保くぼ講堂こうどうおこなわれた井戸いど解散かいさんコンサートで仲井戸麗市なかいどれいちのRC正式せいしき加入かにゅう発表はっぴょうされる。

1980ねん1がつ21にちあめあがりの夜空よぞら発売はつばい発売はつばい記念きねんコンサートを渋谷しぶや屋根裏やねうらで4日間にちかん開催かいさい連日れんじつ満員まんいん屋根裏やねうら観客かんきゃく動員どういん記録きろく話題わだいとなる。4がつ久保くぼ講堂こうどうで「RHAPSODY」録音ろくおん。5月シングル「ボスしけてるぜ」、6がつアルバム「RHAPSODY」、10がつシングル「トランジスタ・ラジオ」、12月アルバム「PLEASE」とつづけにレコードを発売はつばい

パンク・ロックてきなスピードかんとR&Bに影響えいきょうけた楽曲がっきょくグラムロックミック・ジャガー彷彿ほうふつさせるドギツいメイクでのステージが話題わだいになる。忌野いまわのオーティス・レディング言葉ことば日本語にほんごにしてステージじょう観客かんきゃくびかけた「いとしあってるかい?」というフレーズは一世いっせい風靡ふうび

清志郎きよしろうルック」の髪型かみがたやメイク、ファッションをにまとった若者わかもの出現しゅつげんするにいたって、音楽おんがくのみならず『アサヒグラフ』や『an・an』、『宝島たからじま』、かく新聞しんぶんなどでもげられ、サブカルチャーてき存在そんざいとして社会しゃかい現象げんしょうとまでなる。1980ねん7がつ20日はつかづけ朝日新聞あさひしんぶん社説しゃせつでは、「RCのコンサートへけば、今日きょうのわがくにのあらゆるタイプの若者わかものぞう瞬時しゅんじにしてることができる」とまでひょうされる。

アルバム『RHAPSODY』リリース、バンドめいえようというはなしもあったが、「いちおうこれだけつづいたバンドめいなんだから」という理由りゆう却下きゃっかされる。

レコードを連発れんぱつ、コンサートも満員まんいん人気にんきバンドでありながら、忌野いまわの杉並すぎなみ風呂ふろしアパートにんでいた。81ねん引越ひっこし入居にゅうきょしたのが三宅みやけ伸治しんじである。

『BEAT POPS』 〜 『King of Live』(絶頂ぜっちょう[編集へんしゅう]

関川せきかわまこと編集へんしゅうちょうのもと、パンク、ニュー・ウェーブけい音楽おんがく雑誌ざっしとなっていた雑誌ざっし宝島たからじま』で、日本にっぽんのロック・バンドのシンボルてき存在そんざいとしてなんげられる。とく忌野いまわのは「ロック少年しょうねん・ロック少女しょうじょたちのカリスマてき存在そんざい」となり、漫画まんがとうにも忌野いまわのをモデルとしたとおもわれるキャラクターがえがかれるようになる。

1982ねんロンドン・レコード移籍いせき

シングル「サマーツアー」がヒット。6月14にち、フジテレビけい生放送なまほうそう番組ばんぐみよるのヒットスタジオ」に出演しゅつえんどうきょく演奏えんそうしたさい清志郎きよしろうきょく最中さいちゅう画面がめんせましとあばれまわったり、司会しかいしゃとのトークよりつづけていたガムをテレビカメラにかってきかけるなどのわるふざけをし、さらにそのことで視聴しちょうしゃ謝罪しゃざいする司会しかいしゃうしろでしたしたりかおをしかめるなどしたことからテレビ局てれびきょくに「ふざけるな」など抗議こうぎ電話でんわ殺到さっとう。そのかずは500ほんちかくにのぼったとわれている。

8がつ5にち、TBSけいテレビ「ザ・ベストテン」に8でランクインし、出演しゅつえん

1983ねんのアルバム『OK』で、RCはつ海外かいがい(ハワイ)録音ろくおんおこなう。飛行機ひこうききらい、海外かいがいきらいだった仲井戸なかいどはじめて海外かいがいった。感想かんそうは「けっこういいとこだったよ。そとにはなかったけど。」

このころより、忌野いまわの体調たいちょう最悪さいあく状態じょうたいになる。喫煙きつえん、ジャンクフード、ドラッグけの生活せいかつといった長年ながねん不摂生ふせっせい、コンサートとレコーディングにわれる過密かみつスケジュール、風呂ふろなし極貧ごくひんアパートでの不衛生ふえいせい生活せいかつというてい待遇たいぐうなど無理むりかさなったためとおもわれ、検査けんさ結果けっか医者いしゃに「きみ肝臓かんぞう一生いっしょうなおらない」と宣告せんこくされる。

『FEEL SO BAD』 〜 『Tears of a Clown』(激動期げきどうき・その1)[編集へんしゅう]

1984ねん、ロンドン・レコード日本にっぽん法人ほうじん成績せいせき不振ふしんのため解散かいさん、ロンドン・レコードはポリドール・レコードに吸収きゅうしゅう。RCは古巣ふるす東芝とうしばEMIに復帰ふっき

事務所じむしょ勝手かってにRCの原盤げんばんNEWSレコード提供ていきょうしベスト・アルバム『EPLP2』とコンピレーション・アルバム『MIX&MIXER』を発売はつばい。だが、それらの発売はつばいかんしRCに事前じぜん許可きょかられていなかったこと、RCが嫌悪けんおしていたNEWSレコードから発売はつばいされたことにたいしメンバーは激怒げきど当時とうじNEWSレコードの幹部かんぶだった山本やまもとコウタロー松山まつやま千春ちはるをステージじょう猛烈もうれつ批判ひはん。ファンに「(NEWSレコードからた)アーティスト公認こうにんばんわないように」と発言はつげん

また、以前いぜんからふすぶっていた事務所じむしょ「りぼん」の営利えいりだいいち主義しゅぎてき経営けいえい姿勢しせいたいする不信ふしんかん、RCへのてい待遇たいぐう不満ふまんくわえ、これら杜撰ずさん原盤げんばん管理かんりいかりが爆発ばくはつ。アルバム『FEEL SO BAD』のきょくちゅう所属しょぞく事務所じむしょとその社長しゃちょう公然こうぜん批判ひはん一時いちじ訴訟そしょう沙汰ざたとなる。

1985ねん、トラブルのすえ、「りぼん」から独立どくりつ個人こじん事務所じむしょ「うむ」設立せつりつ

治療ちりょうつづけていた忌野いまわの肝臓かんぞう東洋とうよう医学いがくにより奇跡きせきてき回復かいふく心身しんしんともに充実じゅうじつするようになる。

仲井戸なかいどはつソロ・アルバム『THE 仲井戸麗市なかいどれいち BOOK』を8がつ31にちにリリース。

かくソロ活動かつどうとう停滞ていたい[編集へんしゅう]

1987ねん2がつ、イギリスのパブ・ロックかい中心ちゅうしん人物じんぶつイアン・デューリーひきいるブロックヘッズのメンバーを中心ちゅうしんむかえた忌野いまわのはつソロ・アルバム『RAZOR SHARP』がリリース。忌野いまわのどうメンバーをしたが全国ぜんこくツアーもおこなう。それにともないRCの活動かつどう一時いちじ休止きゅうし状態じょうたいとなる(当初とうしょRCとしてイギリスレコーディングのはなしがっていたが、忌野いまわの以外いがいのメンバーが海外かいがい録音ろくおん拒否きょひしたためとわれる[13])。

『MARVY』 〜 『コブラのなやみ』(激動期げきどうき・その2)[編集へんしゅう]

1988ねん反戦はんせん反核はんかくをテーマにしたカバーアルバム『COVERS(カバーズ)』とシングル「ラヴ・ミー・テンダー」を制作せいさくするも、発売はつばいもと東芝とうしばEMI親会社おやがいしゃ東芝とうしば原子力げんしりょく関連かんれん企業きぎょうでもあったため、歌詞かし内容ないよう問題もんだいされ急遽きゅうきょ発売はつばい中止ちゅうし東芝とうしばEMIは全国ぜんこく毎日新聞まいにちしんぶん朝日新聞あさひしんぶん読売新聞よみうりしんぶん) で「素晴すばらしすぎて発売はつばい出来できません」との広告こうこくつ(これは忌野いまわの東芝とうしばから「企業きぎょう倫理りんりとかいうのがあってどうも…素晴すばらしすぎてせない」と発売はつばい中止ちゅうしげられたことをけ、「素晴すばらしすぎてせないっていうんだったら、それを新聞しんぶんしてくれ」とったことによる[14][8])。急遽きゅうきょレコード会社かいしゃ古巣ふるすキティレコード発売はつばいされたほんさくは、話題わだいせいもありRCはつオリコンチャート1獲得かくとく

アルバム『COVERS』の発売はつばい中止ちゅうしから2かげつの8がつ15にちにコンサートをおこない、この模様もよう収録しゅうろくしたライブアルバム『コブラのなや』を同年どうねん12がつにリリース。演奏えんそう曲目きょくもくはほとんどがいかりをストレートに表現ひょうげんしたもので、「発売はつばい中止ちゅうし騒動そうどうときのマスコミの対応たいおう」や「東芝とうしば」を痛烈つうれつ批判ひはん(このアルバムは東芝とうしばEMIからリリース)。

ライブ・アルバム『コブラのなや』には、スタジオ録音ろくおんである「きみは Love Me Tender をいたか?」がアルバム・ラストにきょく冒頭ぼうとう部分ぶぶんのみ収録しゅうろく。このきょくは、発禁はっきん問題もんだいこした「ラヴ・ミー・テンダー」にたいするセルフ・アンサーソングであるが、核心かくしん部分ぶぶんかたろうとする「あのうたは、はん…」という歌詞かしのところで途切とぎわっている。1988ねんのクリスマス武道館ぶどうかんコンサートではフルバージョンで披露ひろう

内容ないようは、「はん原発げんぱつロック」などというレッテルをられたきょくたいするシンパシーや、たかがいちきょくうたごときにレコード会社かいしゃやマスコミなどのだい企業きぎょう政治せいじりょくまで使つか圧力あつりょくをかけてくることや左様さよう大騒おおさわぎすることのおろかさ、日本にっぽん社会しゃかい報道ほうどう機関きかん未熟みじゅくさを皮肉ひにくった内容ないようとなっている。フルバージョンは忌野いまわののラジオ番組ばんぐみなんかオンエアされたことはあったものの、結局けっきょく今日きょういたるまでCDされていない。

『Baby A Go Go』(終焉しゅうえん)[編集へんしゅう]

1990ねん、メンバーあいだでのはないのすえ、Gee2wo脱退だったい趣味しゅみのスキーに夢中むちゅうになり練習れんしゅうをすっぽかすことが度々たびたびあったこと、小林こばやしらとの音楽おんがくてき志向しこうせいちがいがあったことなどがしゅ要因よういんわれている)[15]

仲井戸なかいどが2ndソロ・アルバム『』をリリース。

『Baby a Go Go』の制作せいさくちゅう、ミキサーのヘンリー・ハーシュ、デイヴィッド・ドマーニッチ、忌野いまわのが、きょくによってドラマーを春日かすが博文ひろぶみ外部がいぶのドラマーにえたいという方針ほうしんしたことに新井田あらいだもう反発はんぱつ、RCを脱退だったい[15]結果けっか、RCは忌野いまわの仲井戸なかいど小林こばやしの3にん編成へんせいとなり、以降いこう、ドラムには春日かすが博文ひろぶみが、キーボードにはVOW WOWの厚見あつみれいころもがそれぞれサポートで参加さんかすることになる。

現時点げんじてんでのラストオリジナル・アルバム『Baby a Go Go』をリリース。ヘンリー・ハーシュら外国がいこくじんプロデューサーをむかえアナログ制作せいさくにこだわりつくられたほんさくたか評価ひょうかる。

1990ねん12月25にち日本武道館にほんぶどうかん最後さいごのコンサートを開催かいさい、1991ねん1がつ期限きげん活動かつどう休止きゅうし

その[編集へんしゅう]

活動かつどう休止きゅうし以来いらいRC名義めいぎ活動かつどうはないものの、忌野いまわの仲井戸なかいどはライブでたびたびRC時代じだい楽曲がっきょく共演きょうえんしている。また、忌野いまわののソロ・アルバムに仲井戸なかいどがゲスト参加さんかしたり、楽曲がっきょくきょうさくしたりしている。

2007ねん12月8にち日本武道館にほんぶどうかんでの『Dream Power ジョン・レノン スーパー・ライヴ』に、忌野いまわの仲井戸なかいど新井田あらいだ厚見あつみによるベースレスという変則へんそくてき形態けいたい出演しゅつえん名義めいぎは「忌野いまわの清志郎きよしろう+仲井戸麗市なかいどれいち」)。RCゆかりのメンバーのみでさい集結しゅうけつし、圧倒的あっとうてき演奏えんそうりょく健在けんざいぶりをけた。

2008ねん2がつのライブ『忌野いまわの清志郎きよしろう 完全かんぜん復活ふっかつさい 日本武道館にほんぶどうかん』にて忌野いまわの仲井戸なかいど新井田あらいだ厚見あつみ梅津うめづ片山かたやまらの共演きょうえん実現じつげん。メンバー紹介しょうかい忌野いまわの新井田あらいだ名前なまえげると日本武道館にほんぶどうかんがひときわおおきな歓声かんせいつつまれた[16]

そののエピソード[編集へんしゅう]

アルバム『EPLP』は、EP(シングル)ばん発売はつばいしたきょくあつめた編集へんしゅうばん。EPのきょくあつめてつくったLP(アルバム)だから『EPLP』。これに関連かんれん忌野いまわのは、音楽おんがくメディアがレコードからCDわった当時とうじ、「そのうち『ABCD』ってCDをだれすんじゃないか」とっていたが、後年こうねん忌野いまわのはミニ・アルバム『abcd』をCDで発売はつばい

アルバム『COVERS』以前いぜんからも忌野いまわの歌詞かし再三さいさん物議ぶつぎをかもしている。

  • シングル「ボスしけてるぜ」は、ボス(経営けいえいしゃ)に『給料きゅうりょうげてくれないとやるこらない』とひらめ社員しゃいん青年せいねん懇願こんがんする内容ないよう。この歌詞かしかんする中小ちゅうしょう企業きぎょう経営けいえいしゃたちからの苦情くじょうにより銀座ぎんざ地区ちくなど歓楽街かんらくがいながされる有線ゆうせん放送ほうそう放送ほうそう禁止きんしになる。
  • アルバム『BLUE』に収録しゅうろくの「あのむすめのレター」はきょくちゅう「ポリこう」という歌詞かしレコりんっかかったためその部分ぶぶん音声おんせいにノイズがかぶせてある。歌詞かしカードでも伏字ふせじにしてあるが、「ライブでは勝手かってうたわせていただきます」というむね注釈ちゅうしゃくがついている。
  • はか」は、フォーク時代じだいからの重要じゅうようなレパートリーきょくであり、当初とうしょ73ねん陽水ようすい忌野いまわのともさくのなかで忌野いまわの提案ていあん陽水ようすいが「これじゃれないよ」とぼつとなり、74ねん事務所じむしょなどに秘密ひみつうら収録しゅうろくされた。アルバム『シングル・マン』に収録しゅうろく予定よていだったが、タイトルがきらわれ収録しゅうろく見送みおくられた。結局けっきょく正式せいしきにレコードされたのは、その7ねんにリリースされたアルバム『OK』。なお、歌詞かし内容ないようは、自分じぶんもとった恋人こいびとへの失望しつぼうからその恋人こいびととのおものあるまちには二度にどくことはない、そこは自分じぶんしんんだところでありしんのおはかっている、というものである。
  • ライブ・アルバム『the TEARS of a CLOWN』に収録しゅうろくされた「きみはそのうちぬだろう」は、暗黒あんこくノイローゼ気味きみとなった旧友きゅうゆう逆説ぎゃくせつてきはげますためにつくられたきょくであったが、『内容ないようてきにまずい』ということで歌詞かしカードにはせられなかった。

きょくうたわれた多摩たまらんざか実際じっさいさか名前なまえは「たまらんざか」)は、東京とうきょう国立こくりつ国分寺こくぶんじさかいにある実在じつざいするさか。RCファン・忌野いまわのファンの聖地せいちとなっている。ちかくの大学生だいがくせい通学つうがくのぼるときに「さかがきつくてたまらん!」とったことが地名ちめい由来ゆらい以前いぜんさか途中とちゅう石垣いしがきにRCファンによって「清志郎きよしろう」とかれた落書らくがきがあったが、現在げんざいこわされマンションがっている。忌野いまわの実家じっかがある国分寺こくぶんじ富士本ふじもと位置いちてきにはJR中央ちゅうおうせん国立こくりつえき北側きたがわにあたり、「たまらんざか」はJR中央ちゅうおうせんはさんで反対はんたいがわ西国分寺さいこくふんじえき国立こくりつえきあいだ南側みなみがわ位置いちする。

『PLEASE』収録しゅうろくの「あきれてものえない」は、RCの暗黒あんこく事務所じむしょのスタッフにハッパをかけようとして泉谷いずみやしげるがった「清志郎きよしろうはもうだめだよ、なおれねえよ」という言葉ことばひとづてに歪曲わいきょくしていた忌野いまわの激怒げきどしてつくったきょく歌詞かしの「どっかの山師やましおれんでるってったってさ」の部分ぶぶんを、ライブではあし不自由ふじゆう泉谷いずみやのことをあからさまに侮蔑ぶべつする歌詞かしえてうたっていた。[6]

1990ねん、RC20周年しゅうねん記念きねん出版しゅっぱんされた『あそびじゃないんだっ!(マガジンハウス)』の表紙ひょうしおよびおびには、「RCサクセションの40ねん上巻じょうかん」「下巻げかんは2010ねん発売はつばいです」とかれていたが、ジョークだったのか下巻げかんは2022ねん現在げんざい発売はつばいされていない。

忌野いまわののソロ・アルバム『ゆめすけ』に収録しゅうろくされた「はげしいあめ」は、忌野いまわの仲井戸なかいどともさく楽曲がっきょく歌詞かしなかで「RCサクセションが こえる RCサクセションが ながれてる」とうたっている。仲井戸なかいどによると、ニール・ヤングがかつて在籍ざいせきしていたバンド バッファロー・スプリングフィールド についてうたう「バッファロー・スプリングフィールド・アゲイン」というきょく感銘かんめいけ、ラジオから『RCサクセションが こえる』という歌詞かしが、一発いっぱつ忌野いまわのかるこえこえたら面白おもしろいのではないか、というきっかけで歌詞かしつくられたという[17]

その詳細しょうさいエピソードについては、忌野いまわの清志郎きよしろうぺーじ参照さんしょう

評価ひょうか[編集へんしゅう]

  • ビートたけしは『広告こうこく批評ひひょう』1982ねん2がつごうのインタビューで「アリスなんか一時期いちじきみんなバカにしてたけど、最近さいきんオレみとめちゃうね。よくかんがえてみたら、自分じぶんもそんなことうたってるのにそんなことえないとおもって。いま、RCサクセションがやたらウケてるけど、どっちかとえばかたちちがうだけで、内容ないようはほとんどアリスとわらないね。むしろ、RCサクセションのほう子供こどもっぽい。ロックのほうがいいっていうのがいまあるんでしょ。それだけの理由りゆうだね」とべている[18]

ディスコグラフィー[編集へんしゅう]

シングル[編集へんしゅう]

発売はつばい タイトル カップリング 最高さいこう順位じゅんい 品番ひんばん
東芝とうしば音楽おんがく工業こうぎょう / EXPRESS
1st 1970ねん3月5にち たからくじはわない どろだらけのうみ 圏外けんがい EP-1216
2nd 1970ねん12月5にち なみだでいっぱい イエスタディをうたって EP-1268
3rd 1972ねん2がつ5にち ぼくのきな先生せんせい 国立こくりつ市中いちなか3-1(返事へんじをおくれよ) 70 ETP-2599
4th 1972ねん7がつ5にち キミかわいいね あのうたおもせない 圏外けんがい ETP-2690
5th 1972ねん12月20にち さん番目ばんめ大事だいじなもの けむり ETP-2754
ポリドール
6th 1976ねん1がつ21にち スローバラード やさしさ 圏外けんがい DR 3013
Kitty Records
7th 1976ねん10月11にち わかってもらえるさ よごれたかおでこんにちは 圏外けんがい DKQ1006
8th 1979ねん7がつ21にち ステップ! うえいてあるこう DKQ 1063
9th 1980ねん1がつ21にち あめあがりの夜空よぞら きみぼくってる DKQ 1077
10th 1980ねん5月21にち ボスしけてるぜ キモちE DKQ 1084
11th 1980ねん10月28にち トランジスタ・ラジオ たとえばこんなラブソング 83 7DK 7002
ロンドンレコード / Barca
12th 1982ねん6月23にち SUMMER TOUR ノイローゼ・ダンシング(CHABOは不眠症ふみんしょう 6 S07N-1004
13th 1982ねん12月15にち つ・き・あ・い・た・い まどそとゆき 48 S07N-1007
14th 1983ねん6月1にち Oh! Baby ダンスパーティー 38 S07N-1011
15th 1983ねん11月7にち ベイビー!げるんだ。 おはようダーリン 31 S07N 1015
東芝とうしばEMI / EASTWORLD
16th 1984ねん7がつ21にち 不思議ふしぎ あまいシル 37 WTP-17642
17th 1985ねん4がつ21にち すべてはALRIGHT (YA BABY) はるうらら 53 WTP-17712
18th 1985ねん11月21にち スカイ・パイロット LONELY NIGHT (NEVER NEVER) 圏外けんがい WTP-17810
19th 1988ねん3月25にち NAUGHTY BOY DIGITAL REVERB CHILD RT07-2071
発売はつばい中止ちゅうし 1988ねん6月25にち ラヴ・ミー・テンダー サマータイム・ブルース - RT07-2104A(プロモばん)
Kitty Records
20th 1988ねん8がつ15にち ラヴ・ミー・テンダー サマータイム・ブルース 10 7DS 0165
東芝とうしばEMI / EASTWORLD
21st 1990ねん9月5にち I LIKE YOU 忠実ちゅうじついぬ 13 TODT-2541
22nd 1991ねん2がつ6にち スローバラード (RE-MIXED VERSION) そらがまたくらくなる 20 TODT-2621

アルバム[編集へんしゅう]

オリジナル・アルバム[編集へんしゅう]

発売はつばい タイトル 最高さいこう順位じゅんい 品番ひんばん 規格きかく 価格かかく
東芝とうしば音楽おんがく工業こうぎょう / EXPRESS
1st 1972ねん2がつ5にち 初期しょきのRCサクセション 圏外けんがい ETP-8148 LP ¥1,800
2nd 1972ねん12月5にち たのしいゆう ETP-8216 LP ¥1,800
ポリドール
3rd 1976ねん4がつ21にち シングル・マン 79 MR 5077 LP ¥2,200
Kitty Records
4th 1980ねん12月5にち PLEASE 21 28MK0008 LP ¥2,800
5th 1981ねん11月21にち BLUE 12 28MK0021 LP ¥2,800
ロンドンレコード / Barca
6th 1982ねん10月25にち BEAT POPS 2 L28N-1003 LP ¥2,800
7th 1983ねん7がつ5にち OK 7 L28N1010 LP ¥2,800
東芝とうしばEMI / EASTWORLD
8th 1984ねん11月23にち FEEL SO BAD 17 WTP-90306 LP ¥2,800
9th 1985ねん11月21にち HEART ACE 25 WTP-90368 LP ¥2,800
10th 1988ねん2がつ25にち MARVY 10 RT19-5145・6 2LP ¥3,800
11th 1990ねん9月27にち Baby a Go Go 4 TOCT-5820 CD ¥3,000

EP[編集へんしゅう]

発売はつばい タイトル 最高さいこう順位じゅんい 品番ひんばん
東芝とうしばEMI / EASTWORLD
1st 1986ねん4がつ23にち NAUGHTY BOY 44 T15-5006

カバー・アルバム[編集へんしゅう]

発売はつばい タイトル 最高さいこう順位じゅんい 品番ひんばん
Kitty Records
1st 1988ねん8がつ15にち COVERS 1 28MS0185

ライブ・アルバム[編集へんしゅう]

発売はつばい タイトル 最高さいこう順位じゅんい 品番ひんばん
Kitty Records
1st 1980ねん6月5にち RHAPSODY 47 28MK 0001
ロンドンレコード
2nd 1982ねん4がつ5にち Yeahhhhhh...at武道館ぶどうかん 圏外けんがい M25N 1001
ロンドンレコード / Barca
3rd 1982ねん12月10にち THE DAY OF R&B 圏外けんがい L28N-1005
4th 1983ねん12月5にち THE KING OF LIVE 19 L38N-1014/5
NEWSレコード / SPEED SHOCK
5th 1984ねん9月21にち The LIVE! 圏外けんがい 25SS0003
東芝とうしばEMI / EASTWORLD
6th 1986ねん10月12にち the TEARS OF a CLOWN 圏外けんがい T17-1100・1
7th 1988ねん12月16にち コブラのなや - RT28-5380
ユニバーサルミュージック
8th 2005ねん10月26にち RHAPSODY NAKED 圏外けんがい UMCK-1197
9th 2013ねん5月3にち かなしいことばっかり (オフィシャル・ブートレグ) 19 TOCT-29164
なかよしグループ / Barca
10th 2016ねん2がつ5にち PLEASE ROCK ME OUT at 日比谷ひびや野外やがい音楽おんがくどう 1981.5.30/5.31 - LZCD-8001/2/3/4

ベスト・アルバム[編集へんしゅう]

発売はつばい タイトル 最高さいこう順位じゅんい 品番ひんばん
Kitty Records
1st 1981ねん6月1にち EPLP 22 28MK0015
2nd 1981ねん12月1にち RCサクセション全曲ぜんきょくしゅう (カセットのみ) 38CK0026
東芝とうしばEMI / EXPRESS
3rd 1982ねん3月21にち ハードフォーク・サクセション 圏外けんがい ETP-60434
ロンドンレコード / Barca
4th 1983ねん NEW BEST ベイビーげるんだ (カセットのみ) M28N-1012
ポリドール
5th 1984ねん THE HISTORY OF RC SUCCESSION (カセットのみ) 38CX 1260
NEWSレコード / SPEED SHOCK
6th 1984ねん7がつ21にち EPLP-2 圏外けんがい S28S0002
7th 1984ねん12月21にち MIX & MIXER S25S-0004
Kitty Records
8th 1985ねん4がつ1にち 最強さいきょう 25MS0074
東芝とうしばEMI / EASTWORLD
9th 1982ねん3月21にち ニュー・ベストナウ 圏外けんがい CA32-1425
10th 1990ねん11月7にち BEST OF RC SUCCESSION 1970-1980 269 TOCT-5901
11th 1990ねん11月14にち BEST OF RC SUCCESSION 1981-1990 圏外けんがい TOCT-5902
Kitty Records
12th 1992ねん6がつ1にち The RCサクセション名曲めいきょくしゅう KTCR-1156/7
13th 1995ねん9月25にち SOULMATES THE RC SUCCESSION '76-'81&'88 圏外けんがい KTCR-1335
東芝とうしばEMI / EASTWORLD
14th 1998ねん12月9にち SUPER BEST TOCT-24006
Kitty Records
15th 1999ねん6月30にち TREASURE COLLECTION KTCR-9062
キティMME
16th 2001ねん12月19にち スーパー・バリュー 圏外けんがい UMCK-8001
東芝とうしばEMI / EASTWORLD
17th 2002ねん6月19にち ゴールデン☆ベスト 圏外けんがい TOCT-10863
東芝とうしばEMI / 広島音工ひろしまおんこう
18th 2003ねん ぼくのきな先生せんせい HRCD-026
ユニバーサルミュージック
19th 2004ねん2がつ25にち ゴールデン☆ベスト RCサクセション ユニバーサル・エディション 31 UICZ-6048
20th 2005ねん6月1にち Wonderful Days 1970-80 60 UICZ-4117
東芝とうしばEMI / EASTWORLD
21st 2005ねん6月1にち Greatful Days 1981-90 60 TOCT-25668
ユニバーサルミュージック
22nd 2015ねん11月25にち KING OF BEST UPCY-7076
23rd 2020ねん3月5にち COMPLETE EPLP 〜ALL TIME SINGLE COLLECTION〜 14 UPCY-7664/6
24th 2024ねん3月6にち ロックン・ロール~Beat, Groove and Alternate~ 35 UICZ-4665/6

発表はっぴょう音源おんげんしゅう[編集へんしゅう]

発売はつばい タイトル 最高さいこう順位じゅんい 品番ひんばん
なかよしグループ
1st 2016ねん11月9にち発売はつばい延期えんき 初期しょきのシングル・マン -The Immortal RC SUCCESSION- - LZCD-8005/6/7/8

ビデオ・DVD[編集へんしゅう]

発売はつばい タイトル 備考びこう 品番ひんばん
レーザーディスク株式会社かぶしきがいしゃ
1st 1982ねん3がつ20日はつか RC SUCCESSION AT BUDOHKAN 1981ねん12月24にちおこなわれたはつ武道館ぶどうかん公演こうえん MP055-25LD
ポリドール
2nd 1984ねん4がつ10日とおか THE KING OF LIVE AT BUDOHKAN 1983ねんのクリスマス武道館ぶどうかん公演こうえん 6513-5
東芝とうしばEMI / EASTWORLD
3rd 1985ねん12月21にち SPADE ACE (スペードのエース) 『FEEL SO BAD』と『HEART ACE』からのビデオクリップしゅう企画きかく演出えんしゅつ川崎かわさきとおる。なお「横浜よこはまベイ」に泉谷いずみやしげる出演しゅつえんしている。 TT98-1137HI
4th 1986ねん11月21にち the TEARS OF a CLOWN 1986ねん恒例こうれいなつ日比ひび谷野たにのおとライブの模様もよう収録しゅうろく。4DAYSの映像えいぞうたくみにわせまとめてある。 TOVF-1083
5th 1989ねん1がつ25にち コブラのなや 1988ねん8がつ日比ひび谷野たにのおとライブの映像えいぞう。『COVERS』騒動そうどう直後ちょくごのライブであり、会場かいじょう全体ぜんたい異様いよう熱気ねっきつつまれている模様もようおさめられている。 FV038-1011
6th 1990ねん11月28にち ミラクル 20th Anniversary 1990ねん9がつ日比ひび谷野たにのおとライブの映像えいぞう。RC20周年しゅうねん記念きねんにふさわしい選曲せんきょくとなっている。なお、新井田あらいだ、Gee2wo脱退だったいであるためドラムとキーボードはそれぞれ春日しゅんじつ厚見あつみつとめている。 TOLF-1089
Kitty Records
7th 1994ねん6月25にち RHAPSODY 〜the video〜 レコード会社かいしゃ倉庫そうこねむっていたアルバム『RHAPSODY』の映像えいぞうばん KTVV-1031
ポリドール
8th 1998ねん7がつ15にち THE ROCK'N' ROLL SHOW 80/83 1984ねん発売はつばいの『THE KING OF LIVE』と1994ねん発売はつばいの『RHAPSODY 〜the video〜』をリマスター、2in1にしてDVDしたもの。 POBV-1002
デジタルサイト / DreamTime
9th 2003ねん10月22にち ライブ帝国ていこく RCサクセション 1980年代ねんだい後半こうはんテレビ神奈川てれびかながわ放送ほうそうされたTVライブの模様もよう収録しゅうろく DEBP-13012
10th 2003ねん11月27にち ライブ帝国ていこく RCサクセション early 80's テレビ神奈川てれびかながわ放送ほうそうされていた『ファイティング80's』で放映ほうえいされた1980ねん〜1981ねんのライブ映像えいぞう DEBP-13015
11th 2003ねん12月10にち ライブ帝国ていこく RCサクセション 70's テレビ神奈川てれびかながわ放送ほうそうされていた『ヤング・インパルス』の1972ねん4がつ〜9月のパフォーマンスを収録しゅうろく DEBP-13016
ユニバーサルミュージック
12th 2016ねん3月30にち SUMMER TOUR’83 渋谷しぶや公会堂こうかいどう 〜KING OF LIVE COMPLETE〜 1983ねん6がつ25にち、26にちの2日間にちかんおこなわれた渋谷しぶや公会堂こうかいどうでのライブ映像えいぞう UPBY-9014

発表はっぴょうきょく[編集へんしゅう]

初期しょき(アコースティック時代じだい

曲名きょくめい 概要がいよう
ぼくのいえまえみち今朝けさ小学生しょうがくせいかよいます 後年こうねん清志郎きよしろうのソロとしてもうたわれているが元々もともとはRCのきょく。「かなしいことばっかり」に収録しゅうろく
やせこけたおんな 学生がくせい時代じだいせたおんなにつきまとわれた清志郎きよしろう実体験じつたいけんもとにしたきょく
オキナワ・ライン 結成けっせい当初とうしょつくられた。ベンチャーズ意識いしきしたインストきょく当時とうじやぶかどのおりのきょくだった。
貧乏びんぼう絵描えか
もうすぐかえ
金曜日きんようび大雪おおゆき
仕事しごとなので ボーカルはやぶれんケンチ。「かなしいことばっかり」に収録しゅうろく
昆虫こんちゅう採集さいしゅう
黄色きいろいおつきさま かなしいことばっかり」に収録しゅうろく
いちにち かなしいことばっかり」に収録しゅうろく
だまっていておくれ

中期ちゅうき暗黒あんこく

曲名きょくめい 概要がいよう
やまりてかける
ぼくの記憶きおくでは
パーティーをひらこう
きみ素敵すてき
おんなはきみの邪魔じゃまをする
いち〇パーセント・オレンジジュース
わかれたあとで
ダーリン・カセット
こたつバラード
重労働じゅうろうどう
せんたくの自由じゆう
ぼくはラジオが大好だいす
ベルおいで かなしいことばっかり」に収録しゅうろく
アルバイト 忌野いまわの著作ちょさくじゅうねんゴムし」に登場とうじょうするきょく
うかれたクリスマス
レディー・レイ 作詞さくし三浦みうら友和ともかず担当たんとうしている。
はじめまして よろしく
ぼくのねむるところ
ゆうべいいこと

後期こうき復活ふっかつ・ブレイク終焉しゅうえん

タイアップ[編集へんしゅう]

曲名きょくめい タイアップ
スローバラード 映画えいがラブ&ピース主題歌しゅだいか
うえいてあるこう 松竹しょうちく映画えいが殿しんがり利息りそくでござる!主題歌しゅだいか
あめあがりの夜空よぞら 東宝とうほう映画えいが! (アイ・オー)挿入歌そうにゅうか
きみぼくってる 2023ねん公開こうかい映画えいがブルーをわらえるそのまで主題歌しゅだいか
こんなんなっちゃった ミノルタX7 CMソング
ベイビー!げるんだ。 MMCMIRAGE』CMソング
すべてはALRIGHT (YA BABY) パルコ CMソング
サン・トワ・マミー フジテレビけいドラマ『やっぱりねこ』エンディングテーマ
松竹しょうちく映画えいがバカヤロー! わたしおこってます主題歌しゅだいか
I LIKE YOU セゾンカード CMソング
スローバラード (RE-MIXED VERSION) 東宝とうほう映画えいが『! (アイ・オー)』主題歌しゅだいか
そらがまたくらくなる TBSけいドラマ『おかしのいえ主題歌しゅだいか
体操たいそうしようよ 映画えいが体操たいそうしようよ主題歌しゅだいか
ぼくのきな先生せんせい 映画えいがぼくのきな先生せんせい主題歌しゅだいか

主要しゅようライブ&ツアー[編集へんしゅう]

  • コンサートその1 (1971ねん7がつ20日はつか日仏会館にちふつかいかん
  • コンサートその2 (1972ねん2がつ5にち青山あおやまタワーホール)
  • RCのゆうべ(1972ねん3がつ2にち/20日はつか渋谷しぶやジァンジァン
  • RCとともに(1972ねん5がつ26にち渋谷しぶやジァンジァン)
  • コンサートその3 (1972ねん6がつ16にち千代田ちよだ公会堂こうかいどう
  • コンサートその4 (1973ねん4がつ23にち千代田ちよだ公会堂こうかいどう
  • 邪魔じゃましゃRCサクセション・コンサート (1974ねん10がつ7にち浦和うらわ市民しみん会館かいかん・21にち千葉ちば市民しみん会館かいかんしょうホール・11月8にち東条とうじょう会館かいかん
  • シングル「ステップ!」発売はつばい記念きねん RCサクセション LIVE (1979ねん6がつ25にち日仏会館にちふつかいかん
  • あめあがりの夜空よぞらに”発売はつばい記念きねん 屋根裏やねうら4days (1980ねん1がつ18にち-22にち渋谷しぶや屋根裏やねうら
  • LIVE!! RCサクセション (1980ねん4がつ5にち久保くぼ講堂こうどうRHAPSODYとなるライブ
  • エネルギーohエネルギー (1980ねん7がつ5にち日比谷ひびや野外やがい音楽おんがくどう
  • Please Play It Loud (1980ねん12月25にち渋谷しぶや公会堂こうかいどう
  • Please Rock Me Out (1981ねん5がつ30にち/31にち日比谷ひびや野外やがい音楽おんがくどう
  • AT NIPPON BUDOHKAN (1981ねん12月24にち日本武道館にほんぶどうかん
  • ON TOUR '82 (1982ねん9がつ26にち姫路ひめじ文化ぶんかセンター - 12月24にち日本武道館にほんぶどうかん
  • SUMMER TOUR '83 (1983ねん6がつ8にち新宿しんじゅく厚生こうせい年金ねんきん会館かいかん - 7がつ23にち京都きょうと会館かいかん
  • 1983 RC SUCCESSION AT BUDOKAN (1983ねん12月25にち/26にち日本武道館にほんぶどうかん
  • SUPER BAD TOUR (1984ねん4がつ14にち宇都宮うつのみや市民しみん文化ぶんか会館かいかん - 7がつ6にち静岡しずおか市民しみん文化ぶんか会館かいかん
  • TOUR '84-'85 Feel So Good (1984ねん12月8にち大阪おおさかフェスティバルホール - 1985ねん7がつ17にち福岡ふくおか市民しみん会館かいかん
  • THE GREAT RC SUCCESSION TOUR 1985-1986 (1985ねん12月11にち愛知あいち勤労きんろう会館かいかん - 1986ねん6がつ20日はつか岩手いわて県民けんみん会館かいかん
  • 4SUMMER NITES (1986ねん8がつ16にち-17にち/23にち-24にち日比谷ひびや野外やがい音楽おんがくどう
  • the TOURS OF a CLOWN (1986ねん12月8にち愛知あいち勤労きんろう会館かいかん - 12月24にち日本武道館にほんぶどうかん
  • TOUR 1987 GO ON THE ROAD (1987ねん5がつ8にち千葉ちばけん文化ぶんか会館かいかん - 9がつ10日とおか広島ひろしま郵便ゆうびん貯金ちょきん会館かいかん
  • 4SUMMER NITES (1987ねん8がつ15にち-16にち/22にち-23にち日比谷ひびや野外やがい音楽おんがくどう
  • TOURS OF LOVE 1987 (1987ねん12がつ10日とおか愛知あいち勤労きんろう会館かいかん - 12月25にち日本武道館にほんぶどうかん
  • TOURS MARVY (1988ねん3がつ11にち千葉ちばけん文化ぶんか会館かいかん - 6月21にち鹿児島かごしま市民しみん文化ぶんか会館かいかん
  • SPECIAL FOR SUMMER NIGHT (1988ねん8がつ13にち/14にち日比谷ひびや野外やがい音楽おんがくどう
  • LOVE ME LIVE TOUR 1988 (1988ねん12月5にち愛知あいち勤労きんろう会館かいかん - 12月25にち日本武道館にほんぶどうかん
  • HARD TIMES LIVE 1989 (1989ねん4がつ7にち汐留しおどめPIT - 5月29にち大宮おおみや市民しみん会館かいかん
  • 4SUMMER NITES (1989ねん8がつ12にち-13にち/19にち-20日はつか日比谷ひびや野外やがい音楽おんがくどう
  • FAMILY STONE TOUR1989 (1989ねん12月11にち大阪おおさか厚生こうせい年金ねんきん会館かいかん - 12月25にち日本武道館にほんぶどうかん
  • 4SUMMER NITES (1990ねん9がつ1にち-2にち/8にち-9にち日比谷ひびや野外やがい音楽おんがくどう
  • WINTER NIGHTS TOUR 1990 (1990ねん11月21にち札幌さっぽろ厚生こうせい年金ねんきん会館かいかん - 12月25にち日本武道館にほんぶどうかん

出版しゅっぱん[編集へんしゅう]

初版しょはん 名前なまえ 出版しゅっぱん 価格かかく 備考びこう
1973.7.1 RC・サクセションのすべて アロー出版しゅっぱんしゃ ¥270 MUSIC-JACKだい1かんごう
いとしあってるかい
あそびじゃないんだっ

出演しゅつえん[編集へんしゅう]

RCサクセションとしての出演しゅつえん番組ばんぐみ/イベントを記載きさい個人こじんとしての出演しゅつえんおおかった清志郎きよしろうかんしては、別項べっこう忌野いまわの清志郎きよしろう#出演しゅつえん参照さんしょう

テレビ番組ばんぐみ[編集へんしゅう]

  • ヤング720 (1969ねん5がつ7にちTBS) - ゲスト出演しゅつえん
  • ヤング・インパルス (1972ねん4がつ9にち〜1973ねん4がつ8にち、1976ねん4がつ25にちTVK)72ねん4がつ番組ばんぐみ開始かいしから翌年よくねん4がつにかけてレギュラー出演しゅつえん。その度々たびたびゲストとして出演しゅつえんした。
  • ヤングおー!おー! (1979ねん毎日放送まいにちほうそう) - ゲスト出演しゅつえん
  • NTVザ・ヒット! ピンク百発百中ひゃっぱつひゃくちゅう (1979ねん日本にほんテレビ) - ゲスト出演しゅつえん
  • TVジョッキー (1979ねん日本にほんテレビ) - ゲスト出演しゅつえん
  • 金曜きんよう娯楽ごらくかん (1979ねん日本にほんテレビ) - ゲスト出演しゅつえん
  • NTV紅白こうはくのベストテン (1979ねん8がつ日本にほんテレビ) - ゲスト出演しゅつえん
  • ぎんざNOW! (1979ねん8がつ16にち、TBS) - ゲスト出演しゅつえん
  • 井戸いど解散かいさんコンサート (1979ねん12月、東京とうきょう12チャンネル) - 泉谷いずみやしげるともにゲスト出演しゅつえん
  • ステレオ音楽おんがくかん (1980ねん東京とうきょう12チャンネル) - ゲスト出演しゅつえん
  • 11PM (1980ねん日本にほんテレビ) - ゲスト出演しゅつえん
  • ファイティング 80's (1980ねん4がつ4にち、TVK) - ゲスト出演しゅつえん
  • サウンズ・クリエーション (1980ねん7がつ13にち東京とうきょう12チャンネル) - ゲスト出演しゅつえん
  • 音楽おんがく自由じゆうこう (1980ねん8がつ17にち、TVK) - ゲスト出演しゅつえん
  • ザ・コンサート (1980ねん9がつ13にち、TBS) - ゲスト出演しゅつえん
  • よォーこそ!RCサクセション (1980ねん10がつ26にちテレビ朝日てれびあさひ) - ゲスト出演しゅつえん
  • ファイティング 80's (1980ねん11月17にち、TVK) - ゲスト出演しゅつえん
  • アップルハウス(1980ねん11月8にちフジテレビ) - ゲスト出演しゅつえん
  • ジャムジャム'80 (1980ねん11月21にちテレビ朝日てれびあさひ) - 泉谷いずみやしげる、加奈かなさき芳太郎よしたろうともにゲスト出演しゅつえん
  • よるのヒットスタジオ(1981ねん2がつ16にち、フジテレビ) - ゲスト出演しゅつえん
  • テレビアンナイト (1981ねん2がつ18にち、フジテレビ) - ゲスト出演しゅつえん
  • ステレオ音楽おんがくかん (1981ねん6がつ28にち東京とうきょう12チャンネル) - ゲスト出演しゅつえん
  • オールナイトニッポン・スーパーフェス (1981ねん7がつ30にち、フジテレビ)
  • ファイティング 80's (1981ねん12月18にち/25にち、TVK) - ゲスト出演しゅつえん
  • よるのヒットスタジオ(1982ねん2がつ8にち、フジテレビ) - ゲスト出演しゅつえん
  • RCサクセション AT 日本武道館にほんぶどうかん(1982ねん2がつ27にち、フジテレビ)
  • よるのヒットスタジオ(1982ねん6がつ14にち、フジテレビ) - ゲスト出演しゅつえん
  • ザ・ベストテン(1982ねん8がつ5にち、TBS) - ゲスト出演しゅつえん
  • ファイティング 80's (1982ねん11月14にち、TVK) - ゲスト出演しゅつえん
  • YOU(1983ねん1がつ1にち、NHK) - ゲスト出演しゅつえん
  • ザ・ベストテン(1983ねん8がつ5にち、TBS) - ゲスト出演しゅつえん
  • 箱根はこねオデッセイ ポップ'83イン・ハコネから(1983ねん8がつ20日はつかNHK
  • YOU(1983ねん8がつ27にち、NHK) - ゲスト出演しゅつえん
  • KING OF LIVE RC SUCCESSION AT BUDOUKAN (1984ねん2がつ9にち、TBS)
  • スーパーフェス'84 KING OF LIVE! (1984ねん8がつ30にち、フジテレビ)
  • よるのヒットスタジオDELUXE (1985ねん5がつ1にち、フジテレビ) - ゲスト出演しゅつえん
  • 面白おもしろやくショウ (1985ねん6がつ7にち、フジテレビ) - ゲスト出演しゅつえん
  • POP HILL:1986(1986ねん石川いしかわテレビ) - ゲスト出演しゅつえん
  • わらっていいとも - 1000かい記念きねん(1986ねん8がつ14にち、フジテレビ)
  • BEAT CLUB(1986ねん8がつ15にちテレビ朝日てれびあさひ) - ゲスト出演しゅつえん
  • オールナイトフジ (1986ねん12月13にち、フジテレビ) - ゲスト出演しゅつえん
  • Live TOMATO (1987ねん6がつ4にち、TVK) - ゲスト出演しゅつえん
  • MUSIC WAVE SPECIAL (1988ねん5がつ10日とおか、NHK)
  • Live TOMATO (1988ねん6がつ2にち、TVK) - ゲスト出演しゅつえん
  • ロック・スペシャル (1988ねん12月30にち、NHK) - MUSIC WAVE SPECIAL短縮たんしゅくばん
  • ロックンロール・バンド・スタンド 88-89 (1989ねん5がつ27にち、NHK) - ゲスト出演しゅつえん
  • しんNYしゃ (1989ねん10がつ25にち、フジテレビ)
  • ミュージックトマトJAPAN (1990ねん、TVK) - ゲスト出演しゅつえん
  • ロックンロールオリンピック'90 (1990ねん8がつ12にち、NHK仙台せんだい) - ゲスト出演しゅつえん
  • JT SUPER SOUND '90 (1990ねん8がつ19にち日本にほんテレビ) - ゲスト出演しゅつえん

ラジオ番組ばんぐみ[編集へんしゅう]

  • かめふち昭信あきのぶのオールナイトニッポン (1973ねん2がつニッポン放送にっぽんほうそう) - ゲスト出演しゅつえん
  • サウンドストリート (1979ねん7がつ17にちNHK-FM) - ゲスト出演しゅつえん
  • サウンドストリート 森永もりなが博志ひろし (1980ねん1がつ8にち、NHK-FM) - ゲスト出演しゅつえん
  • 吉田よしだ拓郎たくろうのヤングタウンTOKYO サタデーナイトカーニバル (1980ねん4がつ19にちTBSラジオ) - ゲスト出演しゅつえん
  • セイコー・ジョイントライブ (1980ねん6がつ14にち、TBSラジオ) - ANARCHYともにゲスト出演しゅつえん
  • PIONEERサウンドアプローチ (1980ねん6がつ22にちFM東京とうきょう) - ゲスト出演しゅつえん
  • 長渕ながぶちつよしのオールナイトニッポン (1980ねん8がつ22にちニッポン放送にっぽんほうそう) - ゲスト出演しゅつえん
  • はやし美雄よしお パックインミュージック (1980ねん9がつ30にち、TBSラジオ) - ゲスト出演しゅつえん
  • レコパル「おと仲間なかまたち」 (1980ねん11月6にち、 FM東京とうきょう) - ゲスト出演しゅつえん
  • サウンドストリート 渋谷しぶや陽一よういち (1981ねん3がつ19にち、 NHK-FM) - ゲスト出演しゅつえん
  • タモリのオールナイト・ニッポン (1981ねん7がつ2にちニッポン放送にっぽんほうそう) - ゲスト出演しゅつえん
  • サウンドストリート 渋谷しぶや陽一よういち (1981ねん7がつ10日とおか、 NHK-FM) - ゲスト出演しゅつえん
  • ニュー・サウンズ・スペシャル (1981ねん11月8にち、 NHK-FM) - ゲスト出演しゅつえん
  • サウンドストリート 渋谷しぶや陽一よういち -ロック大賞たいしょう'81 (1981ねん12月30にち、 NHK-FM) - ゲスト出演しゅつえん
  • サウンドストリート 坂本さかもと龍一りゅういち (1982ねん1がつ26にち、 NHK-FM) - ゲスト出演しゅつえん
  • サウンドストリート 坂本さかもと龍一りゅういち (1982ねん2がつ3にち、 NHK-FM) - ゲスト出演しゅつえん
  • Blues Made In Japan (1982ねん2がつ28にち、 NHK-FM) - 憂歌団ゆうかだんともにゲスト出演しゅつえん
  • パイオニアSP あつまれStudio Boy! ~PIONEERスタジオボーイ発売はつばい記念きねん〜"RCサクセションLIVE" (1982ねん3がつ31にち、 FM大阪おおさか) - ゲスト出演しゅつえん
  • PIONEER SPECIAL あつまれStudio Boy! RCサクセションライブ (1982ねん4がつ5にち、 FM愛知あいち) - ゲスト出演しゅつえん
  • FM STATION マイサウンドグラフィティ (1982ねん5がつ18にち-21にち、 FM東京とうきょう) - ゲスト出演しゅつえん
  • サウンドストリート 坂本さかもと龍一りゅういち (1982ねん7がつ6にち、 NHK-FM) - ゲスト出演しゅつえん
  • タモリのオールナイト・ニッポン (1982ねん8がつ4にちニッポン放送にっぽんほうそう) - ゲスト出演しゅつえん
  • ニュー・サウンズ・スペシャル (1982ねん11月21にち、 NHK-FM) - ゲスト出演しゅつえん
  • サウンドストリート 渋谷しぶや陽一よういち -ロック大賞たいしょう'82 (1982ねん12月30にち、 NHK-FM) - ゲスト出演しゅつえん
  • レコパルおん仲間なかまたち 手塚てづか理美さとみ (1983ねん6がつ26にち、 FM東京とうきょう) - ゲスト出演しゅつえん
  • サウンドストリート 渋谷しぶや陽一よういち (1983ねん12月2にち、 NHK-FM) - ゲスト出演しゅつえん
  • サウンドストリート 渋谷しぶや陽一よういち -ロック大賞たいしょう'83 (1983ねん12月30にち、 NHK-FM) - ゲスト出演しゅつえん
  • ビートたけしのオールナイトニッポン (1984ねん7がつ12にちニッポン放送にっぽんほうそう) - ゲスト出演しゅつえん
  • レコパルおん仲間なかまたち (1984ねん8がつ12にち/19にち、 FM東京とうきょう) - ゲスト出演しゅつえん
  • サウンドストリート 渋谷しぶや陽一よういち (1984ねん11月23にち、 NHK-FM) - ゲスト出演しゅつえん
  • レコパルおん仲間なかまたち (1984ねん12月、 FM東京とうきょう) - ゲスト出演しゅつえん
  • ミュージック・タイム・スペシャル「山下やました洋輔ようすけPANJAスイング・パーティ」 (1985ねん3がつ23にち、 FM東京とうきょう) - 清志郎きよしろう・チャボ ゲスト出演しゅつえん
  • サウンドストリート 佐野さの元春もとはる -元春もとはるレイディオ・ショー (1985ねん7がつ29にち、 NHK-FM) - ゲスト出演しゅつえん
  • サウンドストリート 坂本さかもと龍一りゅういち (1985ねん12月24にち、 NHK-FM) - ゲスト出演しゅつえん
  • サンプラザ中野なかののオールナイトニッポン (1987ねん9がつ4にちニッポン放送にっぽんほうそう) - ゲスト出演しゅつえん

イベント[編集へんしゅう]

脚注きゃくちゅう[編集へんしゅう]

注釈ちゅうしゃく[編集へんしゅう]

  1. ^ 1981ねん4がつ集英社しゅうえいしゃから刊行かんこうされた『青春せいしゅん音楽おんがくグラフィティ タイガースからYMOまで』でのRCサクセションの紹介しょうかい記事きじで「ちょうど勤労感謝きんろうかんしゃ学校がっこうやすみのにみんな、といっても3にんだけど、あつまって、じゃあバンドつくろうってめたんです。名前なまえはどうしようかかんがえてるうちにだれかが、"ある作成さくせいしよう"とめたから、あるひさくせいしよう→ああるひさくせいしょう→あーるひさくせいしょうん→RCサクセションにしたんです」(中略ちゅうりゃく)これは『どうしてこういうお名前なまえをつけたんですか?』とかれた場合ばあいにメンバーがしゃべる"おこたえ"」とかれているが[4]現在げんざいではこれはテレビ番組ばんぐみ清志郎きよしろう冗談じょうだん発言はつげんしたものがそのままメディアでげられたことによる誤解ごかいであるとされている[よう出典しゅってん]。その商業しょうぎょうてき成功せいこうしゃ揶揄やゆする「ラジオコントロールされたサクセス(成功せいこうしゃ)」の意味いみ(ただし「success」は成功せいこう意味いみだが、「succession」は連続れんぞく継承けいしょうという意味いみになる)など、その名前なまえ由来ゆらいかんしては多数たすう諸説しょせつながれている。

出典しゅってん[編集へんしゅう]

  1. ^ a b c d Eremenko, Alexey. RC Succession | Biography & History - オールミュージック. 2021ねん1がつ27にち閲覧えつらん
  2. ^ "RCサクセション". 平凡社へいぼんしゃ百科ひゃっか事典じてんマイペディア」. コトバンクより2021ねん11月8にち閲覧えつらん
  3. ^ 地味じみへん. 2021ねん11月8にち閲覧えつらん
  4. ^ a b c d e f g h i j k グラフィティ, pp. 60–63.
  5. ^ グラフィティ, pp. 23, 60–63.
  6. ^ a b c 『GOTTA! 忌野いまわの清志郎きよしろうちゅう清志郎きよしろうだん
  7. ^ サンプラザ中野なかのくん. “追悼ついとう忌野いまわの清志郎きよしろう。 | サンプラザ中野なかのくんの株式かぶしきロックンロール | マネクリ マネックス証券しょうけんのおかね投資とうしのオウンドメディア”. 追悼ついとう忌野いまわの清志郎きよしろう。 | サンプラザ中野なかのくんの株式かぶしきロックンロール | マネクリ マネックス証券しょうけんのおかね投資とうしのオウンドメディア. 2021ねん12月15にち閲覧えつらん
  8. ^ a b 別冊べっさつ宝島たからじま 音楽おんがくかないJポップ批評ひひょう 忌野いまわの清志郎きよしろうのブルースをさがして
  9. ^ 泉谷いずみやしげる自伝じでん『わが奔走ほんそう』(ロッキングオン)
  10. ^ 『GOTTA! 忌野いまわの清志郎きよしろうちゅう忌野いまわのだん
  11. ^ ロックほう・2002ねん10ごう特集とくしゅう RCサクセションにささぐ」
  12. ^ a b 『GOTTA! 忌野いまわの清志郎きよしろう
  13. ^ なまたまご河出書房新社かわでしょぼうしんしゃ
  14. ^ 月刊げっかんカドカワ・1992ねん3がつごう総力そうりょく特集とくしゅう 清志郎きよしろう遺言ゆいごん
  15. ^ a b 日々ひび泡立あわだしんせつRCサクセション
  16. ^ 「メンバー紹介しょうかいときのおきゃくさんからの反応はんのう、ドラマー冥利みょうりにつきました。自分じぶん自身じしんとしてはちょっと意外いがいかんじでしたが、うれしいおどろきでした。応援おうえんしてくれたみなさん、ありがとうございました。」新井田あらいだ耕造こうぞうオフィシャルHPより。
  17. ^ 忌野いまわの清志郎きよしろう This Time』(2006ねん放送ほうそうフジテレビ721のドキュメンタリー) ない仲井戸なかいどだん
  18. ^ ビートたけし「ビートたけしのいたい放題ほうだい!」『広告こうこく批評ひひょう』1982ねん2がつごう、マドラ出版しゅっぱん、47ぺーじ 

参考さんこう文献ぶんけん[編集へんしゅう]

関連かんれん項目こうもく[編集へんしゅう]

外部がいぶリンク[編集へんしゅう]