ジグ・ジグ・スパトニック

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ジグ・ジグ・スパトニック
ジャンル
活動かつどう期間きかん
  • 1982ねん - 1989ねん
  • 1995ねん
  • 1998ねん - 2004ねん
レーベル
きゅうメンバー

ジグ・ジグ・スパトニックSigue Sigue Sputnik)はおも1980年代ねんだい後半こうはん活躍かつやくしたイギリスニュー・ウェイヴバンド。略称りゃくしょうは「SSS」または「スパトニック」。『ラヴ・ミサイル F1-11英語えいごばん』の3筆頭ひっとうに3きょくぜんえいトップ40ヒットをばした[4]

来歴らいれき[編集へんしゅう]

活動かつどう初期しょき[編集へんしゅう]

トニー・ジェイムス(1986ねんサンフランシスコ

ジグ・ジグ・スパトニックはもとジェネレーションXトニー・ジェイムスにより結成けっせいされた[5][6]。ジェイムスはまずギターニールX英語えいごばんさそれるとつぎ理想りそうボーカリストさがした。もとクラッシュミック・ジョーンズすすめられて、近所きんじょにいたアニー・レノックスとセッションをおこなったこともあった。素晴すばらしいボーカリストだったが、女性じょせいボーカルはジェイムスの構想こうそうちがったため加入かにゅうにはいたらなかった[7][注釈ちゅうしゃく 1]。いつわるともれない理想りそうのボーカリストさがしに不安ふあんかんじていたある、ロンドンのマーケットで偶然ぐうぜんボーイ・ジョージのルームメイトだった[8]マーティン・ディグヴィル英語えいごばんつけた。ディグヴィルはファッションデザイナーでバンドの衣装いしょう担当たんとうねた[9][10]週末しゅうまつごとにかれのブティック、ヤヤにつどってはストリートの若者わかものたちをながめスカウトのチャンスをうかがった。パリでのファースト・ギグには もとニューヨーク・ドールズジョニー・サンダースと、ジェネレーションX時代じだい仲間なかまマーク・ラフ英語えいごばん参加さんかした[5]。バンドの最後さいごのピース、二人ふたりドラマー、レイ・マフューとクリス・カヴァナー英語えいごばんは、どちらもドラマー経験けいけんがないのにルックス重視じゅうしでスカウトされた[9]。ジェイムスは演奏えんそうスキルよりスターせい肝心かんじんだとかんがえていた。二人ふたりは2週間しゅうかんスタジオに缶詰かんづめにされ、バンドがトッパー・ヒードンからりたドラムセットで練習れんしゅうした[11]

ミック・ジョーンズはライブでミキサーとしてバンドを手伝てつだい、ニュー・モデル・アーミー英語えいごばんオープニングアクトつとめたさい参加さんかした[5]。ジェイムスの誕生たんじょうにはジグ・ジグ・スパトニックのサウンドに重要じゅうよう役割やくわりたすPro-Oneシンセサイザーをプレゼントした[12]。またロンドン・コーリングミュージック・ビデオ使用しようした、50年代ねんだいしろギブソンES-295をしてくれたこともあった[13]リズムマシン提供ていきょうなど機材きざいめん協力きょうりょくしゃだったブームタウン・ラッツのマネージャー、ファクナ・オーケリーはバンドの名付なづおやとなった。かれヘラルド・トリビューンつけたロシアのストリート・ギャングの名前なまえが「Sigue Sigue Sputnik」で、もとロシアсжигать сжигать Спутник」は直訳ちょくやくすると「えろ、えろ、Sputnik(衛星えいせい)」となる[5][6][14]。「Sputnik(スパトニック、スプートニク)」は人類じんるいはつ人工じんこう衛星えいせいスプートニク1ごう名称めいしょうとしてられ、ジェイムスはバンドのイメージに相応ふさわしいとかんいたった。友達ともだちから「日本語にほんごにするとジグ・ジグ・スパトニックだ」ともおしえてもらった[14]。 ヤヤにいたディグヴィルのパートナー、ヤナをライブでのエフェクト担当たんとうとしてむかれた。

つかの栄光えいこう[編集へんしゅう]

1984ねん、ジェイムスがニュー・ミュージカル・エクスプレスのインタビューをけたことでバンドに注目ちゅうもくあつまった。テレビ番組ばんぐみThe Tube英語えいごばんから出演しゅつえん依頼いらいとどき、ロンドンエレクトリック・シネマでのライブにはレコード会社かいしゃ11しゃ視察しさつおとずれた[5]。そして各社かくしゃ争奪そうだつせんすえバンドはEMI契約けいやくした。契約けいやくきんはバンドが公表こうひょうした100まんポンド(当時とうじ日本円にほんえんやくおくえん)とはことなり35まんポンドだったとのち判明はんめいした[15]当時とうじ契約けいやくきんかんしては諸説しょせつい、一説いっせつには400まんポンドともわれた[16]。これをドル換算かんさんしてサンデータイムズが「契約けいやくきん600まんドル」と派手はでてたため[17]のち日本にっぽんでも600まんドルをえん換算かんさんした「契約けいやくきん15おくえんのバンド」として喧伝けんでんされることとなった[18]契約けいやくきんだけでなく、世紀せいきまつてきSF世界せかいかん映画えいが時計とけいじかけのオレンジ』、『ターミネーター』、『ブレードランナー』、『マッドマックスシリーズ』など)との融合ゆうごうや、それを反映はんえいした過激かげき退廃たいはいてきなファッション(巨大きょだいなモヒカンヘア、いろもデザインもド派手はでふく、レザーとラバー、あみタイツやハイヒール、しろりメイクなど)と話題わだいには事欠ことかかなかった[16][19]

1986ねん2がつジョルジオ・モロダーがプロデュースしたファーストシングルラヴ・ミサイル F1-11英語えいごばん』がリリースされ、 ぜんえいシングルチャートで3みなみアフリカで2獲得かくとくしたほかヨーロッパとアジア各国かっこくでヒットを記録きろくした[5][9]。このきょく同年どうねんジョン・ヒューズ監督かんとく映画えいがフェリスはあるあさ突然とつぜん』でオープニングシーンに使用しようされた。サンプリングした音源おんげん一部いちぶ版権はんけんをクリアしていなかったため、アメリカでのリリースにさいして音源おんげんえがおこなわれた。なおジェイムスによると、バンド独特どくとくのサウンドをむきっかけのひとつにかれのうっかりミスがあったという。ある『ラヴ・ミサイル F1-11』のマスターテープとビデオ音声おんせいのミックス作業さぎょうちゅうあやまってテープの録音ろくおんボタンをしマスターを台無だいなしにしてしまった。しかし同時どうじにこれがサンプリングした効果こうかおんオーバー・ダビングする手法しゅほうのヒントとなった[5][20]。ジェイムスは従来じゅうらいから日本にっぽんばん特有とくゆうの「おび」がきだったため、12インチばんリリース英語えいご日本語にほんごくわえロシアフランス語ふらんすご、スペインおびつくられ各国かっこくけのばん添付てんぷされた[注釈ちゅうしゃく 2]。セカンドシングル『21st センチュリー・ボーイ』は評論ひょうろんてい評価ひょうかはんしてセールスはぜんえい20健闘けんとうした。

つづきモロダーがプロデュースしたファーストアルバムラヴ・ミサイル英語えいごばん』(原題げんだいFlaunt It[注釈ちゅうしゃく 3])はぜんえいアルバムチャートで10全米ぜんべいアルバムチャートで96となった[5][21]先行せんこうヒットした『ラヴ・ミサイル F1-11』は、12インチばんのバンコク・リミックスにあった日本語にほんごナレーションをふくあらたなバージョンが収録しゅうろくされた。事前じぜんにジェイムスがかしたとおり[22][23][24][注釈ちゅうしゃく 4]、アルバムのきょくあいだにイギリスの雑誌ざっしi-D英語えいごばんやフランスの化粧けしょうひんロレアルなど、バンドのスポンサーから各国かっこくリスナーにけたCMが挿入そうにゅうされていることが話題わだいになった[25]日本にっぽんけも存在そんざいし、6きょく『マッシヴ・リタリエーション』ののちあらたなスポンサーを募集ぼしゅうするジグ・ジグ・スパトニックからのCMがながれる[9]日本語にほんごCMのナレーションは『ラヴ・ミサイル F1-11』とおな女性じょせい担当たんとうした[26]。カバーやライナーなどアルバムのアートワークにはカタカナを中心ちゅうしん日本語にほんご多用たようされており、英語えいご表記ひょうき部分ぶぶんにもガンダムガッチャマンゾイドなど日本にっぽんのキャラクターにかんする単語たんご散見さんけんされた。

アルバムはヒットしたとはいえ、EMIやスポンサーの期待きたい下回したまわるものでしかなかった[23]。そしてツアーはさら残念ざんねん結果けっかわった。スタジオ作品さくひんよりおと演奏えんそう不評ふひょうだったのにくわえ、観客かんきゃく暴動ぼうどうによりツアーのキャンセルや会場かいじょう変更へんこう多発たはつしたためだ。挙句あげくてにこの暴動ぼうどうがバンドのメンツたもちツアー失敗しっぱい責任せきにん転嫁てんかするために仕組しくまれたものだとさえささやかれる始末しまつだった[16][19]当時とうじ予定よていされていた日本にっぽん公演こうえんもキャンセルされており、ジェイムスによると原因げんいんニュース・オブ・ザ・ワールド掲載けいさいされた「スパトニックきょう恐怖きょうふ(Horror Of Sputnik Maniac)」とだいする記事きじだという[27]記事きじにはライブが混乱こんらんして多数たすうびんまれたさい、マフューがおこってがえした1ほんのせいで観客かんきゃく病院びょういんおくりになった事件じけんかれていた。ジェイムスいわく「だれだって観客かんきゃくびんげつけるようなバンドをびたくないからね」。この記事きじのせいで「一夜いちやにして「グラムロックのスター」から「若者わかもの有害ゆうがい連中れんちゅう」になりがった」ともかたっている[27]

セカンドアルバムにつながる作品さくひんをなかなかリリースできなかったバンドは2ねんの1988ねん当時とうじいちだいヒットメイカーとしてブームをこしていたストック・エイトキン・ウォーターマンをプロデューサーに起用きようする。しかしシングルは『サクセス』のぜんえい31がピークで後続こうぞくはいずれも50以下いか[4][5]、1989ねんのセカンドアルバム『ドレス・フォー・エクセス英語えいごばん[注釈ちゅうしゃく 5][注釈ちゅうしゃく 6][28]も、ブラジルをのぞいてげはるわずぜんえいチャートで53とどまった[4][5]。そして1989ねん7がつついにバンドは解散かいさん/分裂ぶんれつした。ジェイムスはシスターズ・オブ・マーシー[5]、カヴァナーはビッグ・オーディオ・ダイナマイトIIにそれぞれ加入かにゅう[9]、マフューはMayhem Derangedを結成けっせいした。解散かいさんかんしてジェイムスは、当初とうしょバンドと蜜月みつげつ関係かんけいきずきながら、バンドがになるやいな態度たいど豹変ひょうへんさせたマスコミにも責任せきにんがあると非難ひなんした[19]。1991ねん、1984ねん~1985のデモ音源おんげん8きょくと1990ねん録音ろくおん3きょく収録しゅうろくしたコンピレーション・アルバム『First Generation』がリリースされた[29]

その[編集へんしゅう]

だい25かいWave-Gotik-Treffen英語えいごばん出演しゅつえんしたジグ・ジグ・スパトニック(ドイツライプツィヒ

1995ねん、ジェイムスとニールXにボーカルのクリストファー・ノバクとキーボードのジョン・グリーンをくわえた新生しんせいジグ・ジグ・スパトニックが誕生たんじょうした。このバンドは「スプートニック ザ・ネクスト・ジェネレーション」と名付なづけられ、1996ねん日本にっぽん限定げんてい布袋ほてい寅泰ともやすがプロデューサーおよびゲストミュージシャンとして参加さんかした同名どうめいのアルバムと、シングル『Cyberspace Party』をリリースした。アルバムは5まんまいげた[5]。1998ねん、ディグヴィルがボーカルに復帰ふっきしドラマーにクローディア・クジョーをえたバンドは[5]、「ジグ・ジグ・スパトニック」の名前なまえ復活ふっかつさせアルバム『Piratespace』をリリースした[23][30]。2002ねんにはロマンポルシェ。おきてポルシェはたらきかけによりジェイムス、ニールX、ディグヴィル、ジェニーZのメンバーではつ来日らいにちたした[31][32]。ライブの模様もようはDVD『ライブ・イン・トーキョー・プラス・ピーヴィー5』としてリリースされた。

2002ねん、ジェイムスはミック・ジョーンズとカーボン/シリコン結成けっせいした。当初とうしょはデジタル無料むりょう配信はいしんでのリリースがつづいたが2007ねんからはアルバム『The Last Post』のようにレコードCD一般いっぱん販売はんばいおこなわれている。ディグヴィルは2004ねん以降いこうソロ名義めいぎ以外いがいに「スパトニック2」、「スパトニック2 - ザ・フューチャー」、あるいは「ジグ・ジグ・スパトニック・エレクトロニック」の名義めいぎ活動かつどうつづけ、ジグ・ジグ・スパトニックのリミックスきょく新曲しんきょくをリリースしている[33]。 ニールXは マーク・アーモンドのバンドメンバーである一方いっぽうみずからのバンドThe Montecristosをひきいて2015ねんデビューアルバム『Born to Rock n' Roll』をリリースし、Kickstarterでのクラウドファンディング成功せいこうさせた。 2012ねん8がつ日本にっぽんでファーストアルバム『ラヴ・ミサイル』のCDがリイシュー英語えいごばんされた[34]。1986ねん当時とうじイギリスばんLPのみに存在そんざいした、プラモデルはこしたボックス限定げんていばん再現さいげんした特別とくべつ仕様しようとなっていた。

現在げんざい精力せいりょくてき活動かつどうおこなっており、ラヴ・ミサイル F1-11は現在げんざいもライブの定番ていばんである[35]

イメージ[編集へんしゅう]

キャッチフレーズは「ハイテク・セックス」、「デザイナーの暴力ぼうりょく」、そして「だい5世代せだいロックンロール」であり[6][36]、「世界せかいかねづる」がスローガンだった[22]。ジェイムスはメンバーの選考せんこう基準きじゅんを「ルックス」だとし、自分じぶんたちが目指めざすのはエルビスマーク・ボランジギー・スターダストごとゆめのようなスーパースターなのだから、演奏えんそうスキルよりルックスやスターせい重視じゅうしえらぶのはたりまえだとかんがえていた[36]きょくのテーマやバンドのイメージにはしばしば、世紀せいきまつてきSF世界せかいかん映画えいが時計とけいじかけのオレンジ』、『ターミネーター』、『ブレードランナー』、『マッドマックスシリーズ』など)との融合ゆうごうられた[9]。それはモヒカンヘア、ウィッグ、かおこうむったあみタイツ、ハイヒール、メイクなど過激かげきなファッションにも反映はんえいされイメージ形成けいせい一役ひとやくった[19]。 バンド初期しょきには日本にっぽんのポップカルチャーへの傾倒けいとうられた。ファーストシングル『ラヴ・ミサイル F1-11英語えいごばん』はプロモーション・ビデオのメンバー紹介しょうかいがカタカナで、リミックスバージョンには日本語にほんごのナレーションが追加ついかされた。ファーストアルバム『ラヴ・ミサイル英語えいごばん』のカバーやライナーなどアートワークにはカタカナを中心ちゅうしん日本語にほんご多用たようされており、英語えいご表記ひょうき部分ぶぶんにもガンダムガッチャマンゾイドなど日本にっぽんのキャラクターにかんする単語たんご散見さんけんされた。ジェイムスがった日本にっぽんおもちゃにヒントをてデザインされた[37]アルバムカバーにはロボットアニメ調しらべ巨大きょだいロボのイラストがフィーチャーされ、ライナー背景はいけいには日本にっぽんせいプラモデルキットを彷彿ほうふつさせる巨大きょだいロボの説明せつめいしょがプリントされていた[26]。イギリスではプラモデルをイメージしたボックスに収納しゅうのうされブックレットが付属ふぞくした限定げんていばん(PCSS 7305)も発売はつばいされた。 もちろんかれらの音楽おんがくとインスピレーションに影響えいきょうあたえたのは異種いしゅカルチャーだけでなく、スーサイドニューヨーク・ドールズふくむグラム、パンク、エレクトロニックなどのミュージシャンたちであるのはうまでもない[9]

メンバー[編集へんしゅう]

ディスコグラフィ[編集へんしゅう]

アルバム[編集へんしゅう]

コンピレーション

シングル[編集へんしゅう]

  • 1986: ラヴ・ミサイル F1-11英語えいごばんUK No. 3, SA No. 2[39]
  • 1986: 21st センチュリー・ボーイ – UK No. 20
  • 1986: マッシヴ・リタリエーション (アメリカ限定げんてい)
  • 1986: セックス・ボム・ブギー (ドイツ限定げんてい)
  • 1986: ロキット・ミス・USA/ティーン・エージ・サンダー (「Sci-Fi Sex Stars」名義めいぎでリリース)
  • 1988: サクセス – UK No. 31
  • 1988: ジェーン・マンスフィールドはスーパースター (ブラジル限定げんてい、プロモリリース)
  • 1989: ダンスラマ – UK No. 50
  • 1989: Ride 'Em Carmen (「Bizet Boys」名義めいぎでリリース)
  • 1989: Albinoni vs. Star Wars – UK No. 75
  • 1989: リオ・ロックス!
  • 1996: Cyberspace Party (日本にっぽん限定げんてい、「スプートニック ザ・ネクスト・ジェネレーション」名義めいぎでリリース)
  • 1996: Like There's No Tomorrow (イギリス限定げんてい、「T.N.G.」名義めいぎでリリース)
  • 2001: Love Missile F1-11 (Westbam Remix) (ドイツ限定げんてい)
  • 2002: Everybody Loves You (ドイツ限定げんてい)
  • 2004: Grooving with Mr. Pervert[38]
  • 2007: Ride My Love Missile (レーベルなし、『ラヴ・ミサイル F1-11』のテクノミックス)
  • 2009: Into the Unknown (sputnikworld.comからの無料むりょうデジタル配信はいしん)
  • 2011: C'mon Everybody (日本にっぽん限定げんてい、デジタル配信はいしん)

そののリリース[編集へんしゅう]

  • 1986: Documentary/Rockit Miss USA (Remix)/She's My Man (Remix) (12インチ、5000まい限定げんていHMVの『ラヴ・ミサイル F1-11』購入こうにゅうしゃ特典とくてん)
  • 1986: The Trial of Tony James – Myth or Reality (12インチ、ピクチャーディスク、インタビュー)

その収録しゅうろく作品さくひん[編集へんしゅう]

ビデオ作品さくひん[編集へんしゅう]

  • 1986: Sex Bomb Boogie (VHS、 イギリス限定げんてい)
  • 2003: ライブ・イン・トーキョー・プラス・ピーヴィー5 (DVD日本にっぽん限定げんてい)

関連かんれん項目こうもく[編集へんしゅう]

脚注きゃくちゅう[編集へんしゅう]

注釈ちゅうしゃく[編集へんしゅう]

  1. ^ このセッションちゅうの1きょくのちユーリズミックスだいヒットきょく『ゼア・マスト・ビー・アン・エンジェル』につながったとジェイムスはかたっている。
  2. ^ ジェイムスの回顧かいころくでは「えい」、「日本にっぽん」、「ロシア」、「イタリア」、「スペイン」の5カ国かこくとあり(The Sputnik Story 8:2”. Sigue Sigue Sputnik. www.sputnikworld.com. 2019ねん12月12にち閲覧えつらん)、アルバム『ラヴ・ミサイル』日本にっぽんばんCD(CP32-5159)ライナーノーツでは「えい」、「日本にっぽん」、「ロシア」、「ドイツ」、「スペイン」の5カ国かこく記載きさいされている。データベースサイトDiscogsの『ラヴ・ミサイル F1-11』リリース一覧いちらんページ(Sigue Sigue Sputnik - Love Missile F1-11 | Releases | Discogs”. Discogs. www.discogs.com. 2019ねん12月12にち閲覧えつらん)で存在そんざい確認かくにんできたのは「えい」、「日本にっぽん」、「ロシア」、「フランス」、「スペイン」の5カ国かこくだけだったため、未確認みかくにんかつ記載きさいちがう「イタリア」と「ドイツ」は言及げんきゅうけた。
  3. ^ せびらかせ」とか「せつけろ」といった意味いみ。アルバムカバーには英語えいご原題げんだいえて日本語にほんごで「せびらかしましょう」とルビがられている。
  4. ^ CMをれるのは「おれたちがのバンドより自分じぶん正直しょうじきだから」とかたり、広告こうこくいちけんあたり2500~7000ドル(やく40~110まんえん)であることもかされた。
  5. ^ 日本にっぽんばんのライナーノーツは布袋ほてい寅泰ともやす寄稿きこうした。
  6. ^ アルバム収録しゅうろくきょく『Boom Boom Satellite』は日本にっぽんのロックバンド「ブンブンサテライツ」のバンドめい由来ゆらいとなった。

出典しゅってん[編集へんしゅう]

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外部がいぶリンク[編集へんしゅう]