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ジャガー・XJR-8

出典しゅってん: フリー百科ひゃっか事典じてん『ウィキペディア(Wikipedia)』
ジャガー・XJR-8
カテゴリー グループC
コンストラクター トム・ウォーキンショー・レーシング(TWR)
デザイナー トニー・サウスゲート
先代せんだい ジャガー・XJR-6
後継こうけい ジャガー・XJR-9
主要しゅようしょもと
シャシー カーボンモノコック
サスペンション(まえ ダブルウィッシュボーン プッシュロッド
サスペンション( ダブルウィッシュボーン
全長ぜんちょう 4,740 mm
全幅ぜんぷく 2,000 mm
ぜんこう 1,030 mm
ホイールベース 2,720 mm
エンジン 6,995 cc V12 NA ミッドシップ
トランスミッション 5そく MT
重量じゅうりょう 870 kg
タイヤ ダンロップ
主要しゅよう成績せいせき
チーム イギリスの旗TWR
ドライバー イギリスの旗 ジョン・ワトソン
オランダの旗 ヤン・ラマース
アメリカ合衆国の旗 エディ・チーバー
ブラジルの旗 ラウル・ボーセル
デンマークの旗 ジョン・ニールセン
イギリスの旗 マーティン・ブランドル
ドイツの旗 アルミン・ハーネ
イギリスの旗 ウィン・パーシー
イギリスの旗 ジョニー・ダンフリーズ
出走しゅっそう時期じき 1987ねん
コンストラクターズタイトル 1
ドライバーズタイトル 1
初戦しょせん 1987ねん ハラマ360km
はつ勝利しょうり 1987ねん ハラマ360km
最終さいしゅうせん 1987ねん 富士ふじ1000km
出走しゅっそう優勝ゆうしょう表彰台ひょうしょうだい
12814
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ジャガー・XJR-8は、1987ねん世界せかいスポーツプロトタイプカー選手権せんしゅけん(WSPC)ようトム・ウォーキンショー・レーシング(TWR)が製作せいさくしたグループCカーである。通常つうじょうの1000kmレースようル・マン24あいだレースようていドラッグスペシャルのXJR-8LMの2タイプが存在そんざいする。

概要がいよう

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デザインは前作ぜんさくXJR-6同様どうようトニー・サウスゲート担当たんとうした。XJR-6よりもサービスせい向上こうじょうはかられている。エンジンはXJR-6とおなVがた12気筒きとうだが、排気はいきりょうは6,995ccに拡大かくだいされた。モノコックはカーボンせいで、サスペンションはXJR-6を踏襲とうしゅう。タイアみちはフロント17インチ、リアは19インチとだいみちであることからドライブシャフトには角度かくどけられていた。またダンロップと共同きょうどう開発かいはつしたコックピットからもモニター可能かのうのタイヤセンサーを装備そうびしている。

デビューはWSPC開幕かいまくせんハラマスペイン)。このレースでデビューウィン、以降いこうポルシェ・962C相手あいて開幕かいまく4連勝れんしょう万全ばんぜん状態じょうたいでル・マン24あいだレースにいどんだ。ライバルのポルシェがオクタン価おくたんかひくいガソリンに続々ぞくぞくとリタイアし序盤じょばんからレースをリードするもリタイアが相次あいつ結局けっきょく5完走かんそうとどまった。しかしこのとしのWSPCではぜん10戦中せんちゅう8しょうとシリーズを圧倒あっとうしてポルシェをくだし、はじめてチームとドライバー(ラウル・ボーセル)のかん獲得かくとくした。

シャシー略歴りゃくれき

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  • 186 XJR-6からXJR-8LMに改造かいぞう。シルバー・ストンにテスト参戦さんせん、ル・マンに出場しゅつじょう予選よせん4決勝けっしょうリタイア。(→XJR-9LM)
  • 286 XJR-6からXJR-8LMに改造かいぞう。ル・マンでは予選よせん5決勝けっしょうリタイア。
  • 187 ハラマでデビュー、5号車ごうしゃとして1987ねんシーズンをたたかう。ハラマでデビューウィン。そのモンツァ富士ふじ優勝ゆうしょう。(→XJR-9)
  • 287 ハラマでデビュー、4号車ごうしゃとして1987ねんシーズンをたたかう。ヘレス、シルバーストン、ブランズハッチ、ニュルブルクリンク優勝ゆうしょう。(→XJR-9)
  • 387 ル・マンでXJR-8LMとしてデビュー。予選よせん3決勝けっしょう5スパ優勝ゆうしょう。ノンタイトルせんふくめても3レースにしか出場しゅつじょうしていない。

ル・マン24あいだレースようつくられたXJR-8LMは、耐久たいきゅうせい考慮こうりょしてドライブシャフトに水平すいへいけるためにエンジンをまえかたぶけさせて搭載とうさいにカウルのにくあつ、リアタイアスパッツの撤去てっきょとう。ユーノディエールでのさい高速度こうそくど370km/hを目標もくひょうとしてそらりょく性能せいのう向上こうじょうさせ、リヤウイング、ディフューザーが小型こがたされている。またパーツ交換こうかん短時間たんじかんおこなえるように設計せっけいされている。マシン重量じゅうりょうはXJR-8の850kgから880kgに増加ぞうかした[1]

戦績せんせき

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ポール・リカール、イギリス国内こくないかくサーキットでテストがおこなわれたのち、5がつ10日とおか、WSPCだい4せんシルバーストン1000kmにマーティン・ブランドル/ジョン・ニールセンくみにより3だいのマシンとして試験しけん参戦さんせんし、予選よせん10決勝けっしょう一時いちじ3まで順位じゅんいげるも165しゅうでリタイアした。

No. ドライバー 予選よせん順位じゅんい 決勝けっしょう順位じゅんい 周回しゅうかいすう リタイア理由りゆう
6 イギリスの旗 マーティン・ブランドル
デンマークの旗 ジョン・ニールセン
10 DNF 165 バルブスプリング

5月17にちおこなわれたル・マンのテストデイには3だい用意よういされた。ドライバーは本戦ほんせん出場しゅつじょうした7めいうち、テストデイと同日どうじつ開催かいさいF1だい3せんスパ出場しゅつじょうしたチーバー、ブランドルをのぞく5めいアルミン・ハーネ参加さんかした[2]参加さんかしゃちゅう、4号車ごうしゃが1、5号車ごうしゃが3、6号車ごうしゃが5のタイムを記録きろくしル・マン24あいだへの準備じゅんびえた。

No. ドライバー タイム 順位じゅんい
4 ブラジルの旗 ラウル・ボーセル 3'24.38 1
5 オランダの旗 ヤン・ラマース 3'25.97 3
6 デンマークの旗 ジョン・ニールセン 3'29.01 5

ル・マン24あいだには、テストデイに参加さんかした3だいのXJR-8LMが出場しゅつじょう、TWRジャガーはドライバーたち一定いっていのペースではしるよう指示しじし、チームないでの競走きょうそう禁止きんしされた[3]

No. ドライバー 予選よせん順位じゅんい 決勝けっしょう順位じゅんい 周回しゅうかいすう リタイア理由りゆう
4 アメリカ合衆国の旗 エディ・チーバー
ブラジルの旗 ラウル・ボーセル
オランダの旗 ヤン・ラマース
3 5 325
5 オランダの旗 ヤン・ラマース
イギリスの旗 ジョン・ワトソン
イギリスの旗 ウィン・パーシー
5 DNF 158 アクシデント
6 イギリスの旗 マーティン・ブランドル
デンマークの旗 ジョン・ニールセン
4 DNF 231 エンジン

出典しゅってん

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  1. ^ クエンティン・スパーリング 「ジャガー絶好調ぜっこうちょう秘密ひみつ」 『Racing On』No.015 たけしゅう書房しょぼう、1987ねん
  2. ^ 『オートスポーツ8-1臨時りんじ増刊ぞうかん おとこたちのル・マン』 三栄書房さんえいしょぼう、1987ねん、p.42。
  3. ^ 『オートスポーツ8-1臨時りんじ増刊ぞうかん おとこたちのル・マン』 三栄書房さんえいしょぼう、1987ねん、p.117。

参考さんこう文献ぶんけん

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  • 「シルクカットジャガーつよさの秘密ひみつ」『CAR GRAPHIC』No.317 二玄社にげんしゃ、1987ねん

関連かんれん項目こうもく

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