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『ニュルンベルク年代 ねんだい 記 き 』に描 えが かれたスティルポン
スティルポン (スティルポーン、古希 こき : Στίλπων (Stilpōn ), 英 えい : Stilpo 、紀元前 きげんぜん 360年 ねん ごろ - 紀元前 きげんぜん 280年 ねん ごろ)は、古代 こだい ギリシア ・ヘレニズム期 き のメガラ派 は の哲学 てつがく 者 しゃ 。詭弁 きべん や論争 ろんそう 術 じゅつ を得意 とくい としメガラ派 は の最盛 さいせい 期 き を築 きず いた。特 とく にプラトン のイデア論 ろん を否定 ひてい したことや、受講 じゅこう 生 せい にストア派 は のゼノン や懐疑 かいぎ 論 ろん 者 しゃ のピュロン がいたことで知 し られる。
ディオゲネス・ラエルティオス 『ギリシア哲学 てつがく 者 しゃ 列伝 れつでん 』第 だい 2巻 かん で、メガラ派 は の祖 そ エウクレイデス の学 がく 統 みつる に連 つら なる人物 じんぶつ として語 かた られる[2] 。またキュニコス派 は のディオゲネス の受講 じゅこう 生 せい でもあったという[3] 。
メガラ 出身 しゅっしん 。議論 ぎろん の案出 あんしゅつ や詭弁 きべん を得意 とくい とし、絶大 ぜつだい な人気 にんき を得 え た[2] 。その人気 にんき は、アテナイ を訪 おとず れた際 さい 、市民 しみん が仕事 しごと を投 な げ出 だ して殺到 さっとう するほどであり、また全 ぜん ギリシアの哲学 てつがく 者 しゃ がメガラ派 は に転向 てんこう するほどだったという[2] 。
受講 じゅこう 生 せい に、ストア派 は のゼノン [5] 、懐疑 かいぎ 論 ろん 者 しゃ のピュロン [6] 、プレイウスのティモン (英語 えいご 版 ばん ) [7] 、エレトリア派 は のメネデモス (英語 えいご 版 ばん ) [9] 、キュニコス派 は のクラテス [2] 、ヘタイラ (高級 こうきゅう 娼婦 しょうふ )のニカレテ (英語 えいご 版 ばん ) [10] がいた。また逍遙 しょうよう 学派 がくは のテオプラストス やキュレネ派 は のアリストテレス (英語 えいご 版 ばん ) から門人 もんじん を奪 うば ったともいう[2] 。
好敵手 こうてきしゅ に、メガラ派 は のディオドロス・クロノス がいた。プトレマイオス1世 せい の宮廷 きゅうてい でディオドロスと問答 もんどう 競技 きょうぎ をした際 さい は圧勝 あっしょう し、彼 かれ が「老 お いぼれ」を意味 いみ する「クロノス」の名 な で呼 よ ばれるきっかけを作 つく った[2] 。このこともあり、プトレマイオス1世 せい に寵愛 ちょうあい されたが、適度 てきど に距離 きょり を置 お いて隷属 れいぞく しなかった[2] 。またキュニコス派 は のメトロクレス (英語 えいご 版 ばん ) も好敵手 こうてきしゅ であり、交流 こうりゅう が伝 つた わる[11] 。
代表 だいひょう 的 てき な逸話 いつわ として、デメトリオス との逸話 いつわ が伝 つた わる。デメトリオスがメガラを占領 せんりょう した際 さい 、スティルポンの家 いえ を特別 とくべつ に保護 ほご し、また掠奪 りゃくだつ された財産 ざいさん があれば返 かえ そうと申 もう し出 で た。これに対 たい しスティルポンは、知識 ちしき という財産 ざいさん は奪 うば われていないので問題 もんだい ないと答 こた え、妻子 さいし を失 うしな ったにもかかわらず毅然 きぜん としていた。この逸話 いつわ は『ギリシア哲学 てつがく 者 しゃ 列伝 れつでん 』以外 いがい にもプルタルコス 『対比 たいひ 列伝 れつでん 』やセネカ 『倫理 りんり 書簡 しょかん 集 しゅう (英語 えいご 版 ばん ) 』を通 つう じて伝 つた わるが、「知識 ちしき 」でなく「徳 とく 」とするなどの異同 いどう がある[12] 。18世紀 せいき 末 すえ ドイツの作家 さっか クリンガー は、この逸話 いつわ をもとに戯曲 ぎきょく 『Stilpo und seine Kinder』を書 か いた[13] 。
その他 た の逸話 いつわ として、既婚 きこん 者 しゃ でありながら上記 じょうき のニカレテ (英語 えいご 版 ばん ) と同棲 どうせい していた[2] 、ヘタイラのグリュケラ (英語 えいご 版 ばん ) に対 たい し若者 わかもの を堕落 だらく させていると非難 ひなん したら「お前 まえ も詭弁 きべん で堕落 だらく させている」と逆 ぎゃく にやりこめられた[15] 、身持 みも ちの悪 わる い娘 むすめ がおり、「彼女 かのじょ はお前 まえ にとって不名誉 ふめいよ だろう」と侮辱 ぶじょく された際 さい 「私 わたし が彼女 かのじょ にとって名誉 めいよ であるほどではない」と毅然 きぜん と答 こた えた[2] 、本性 ほんしょう は大 だい 酒飲 さけの みで女好 おんなず きだったが節制 せっせい によりその片鱗 へんりん を見 み せなかった[16] 、高齢 こうれい になると死 し を早 はや めるためぶどう酒 しゅ を一気 いっき 飲 の みして死 し んだ[2] 、などの逸話 いつわ が伝 つた わる。
著作 ちょさく は現存 げんそん せず、断片 だんぺん 的 てき な学説 がくせつ が伝 つた わる。『スーダ 』によれば20篇 へん 余 あま りの対話 たいわ 篇 へん があった。『ギリシア哲学 てつがく 者 しゃ 列伝 れつでん 』には、冷淡 れいたん な文体 ぶんたい と評 ひょう される9篇 へん の題名 だいめい が伝 つた わる[2] 。
「人間 にんげん 」や「野菜 やさい 」を例 れい にとった論法 ろんぽう でイデア論 ろん を否定 ひてい した[2] 。また「馬 うま 」と「走 はし る」を例 れい にとった論法 ろんぽう で、同一 どういつ 性 せい 言明 げんめい 以外 いがい の命題 めいだい は全 すべ て誤 あやま りと主張 しゅちょう した[17] 。これと似 に た主張 しゅちょう は、キュニコス派 は のアンティステネス やソフィスト 全般 ぜんぱん にも帰 き されるが[18] 、影響 えいきょう 関係 かんけい は不明 ふめい である[17] 。これらはヘーゲル 『哲学 てつがく 史 し 講義 こうぎ 』で注目 ちゅうもく された。
無 む 神 かみ 論 ろん 者 もの であり、同 おな じく無 む 神 かみ 論 ろん 者 しゃ だったキュレネ派 は のテオドロス や、キュニコス派 は のクラテス との交流 こうりゅう が伝 つた わる[2] [20] 。
メガラ派 は としては珍 めずら しく倫理 りんり 学 がく も扱 あつか い、アパテイア や友人 ゆうじん 不要 ふよう 論 ろん を支持 しじ した。
その他 た 、懐疑 かいぎ 主義 しゅぎ 的 てき 立場 たちば から感覚 かんかく を斥 しりぞ けた[21] 、国外 こくがい 追放 ついほう されても善 ぜん は損 そこ なわれないと論 ろん じた[22] 、などの断片 だんぺん 的 てき 記述 きじゅつ が伝 つた わる。
^ a b c d e f g h i j k l m ディオゲネス・ラエルティオス 2.113-120
^ ディオゲネス・ラエルティオス 6.76
^ ディオゲネス・ラエルティオス 7.2
^ ディオゲネス・ラエルティオス 9.61
^ ディオゲネス・ラエルティオス 9.109
^ ディオゲネス・ラエルティオス 2.105 ; 2.134
^ アテナイオス 著 しる 、柳沼 やぎぬま 重剛 しげたけ 訳 わけ 『食卓 しょくたく の賢人 けんじん たち 』京都大学 きょうとだいがく 学術 がくじゅつ 出版 しゅっぱん 会 かい 〈西洋 せいよう 古典 こてん 叢書 そうしょ 〉13.596e
^ プルタルコス著 ちょ 、戸塚 とつか 七郎 しちろう 訳 わけ 「心 しん の平静 へいせい について」『モラリア 6』京都大学 きょうとだいがく 学術 がくじゅつ 出版 しゅっぱん 会 かい 〈西洋 せいよう 古典 こてん 叢書 そうしょ 〉、2000年 ねん 。6節 せつ
^ プルタルコス著 ちょ 、城 じょう 江良 えら 和訳 わやく 『英雄 えいゆう 伝 でん 6』京都大学 きょうとだいがく 学術 がくじゅつ 出版 しゅっぱん 会 かい 〈西洋 せいよう 古典 こてん 叢書 そうしょ 〉、2021年 ねん 。6.17訳注 やくちゅう
^ Garland, Mary (1997), The Oxford companion to German literature , Oxford University Press, p. 470
^ アテナイオス 著 しる 、柳沼 やぎぬま 重剛 しげたけ 訳 わけ 『食卓 しょくたく の賢人 けんじん たち 』京都大学 きょうとだいがく 学術 がくじゅつ 出版 しゅっぱん 会 かい 〈西洋 せいよう 古典 こてん 叢書 そうしょ 〉13.584a
^ キケロ 著 しる 、五之治昌比呂訳「運命 うんめい について 」『キケロー選集 せんしゅう 11』岩波書店 いわなみしょてん 、2000年 ねん 。286頁 ぺーじ 。
^ a b プルタルコス著 ちょ 、戸塚 とつか 七郎 しちろう 訳 わけ 「コロテス論駁 ろんばく 」『モラリア 14』京都大学 きょうとだいがく 学術 がくじゅつ 出版 しゅっぱん 会 かい 〈西洋 せいよう 古典 こてん 叢書 そうしょ 〉1997年 ねん 。22節 せつ 。120-125頁 ぺーじ
^ アリストテレス 『形而上学 けいじじょうがく 』1024b;1026b, プラトン 『ソピステス 』251b
^ ジョルジュ・ミノワ著 ちょ 、石川 いしかわ 光一 こういち 訳 やく 『無 む 神 かみ 論 ろん の歴史 れきし 』法政大学 ほうせいだいがく 出版 しゅっぱん 局 きょく 〈叢書 そうしょ ウニベルシタス〉、2014年 ねん 、ISBN 9784588010132 。58f頁 ぺーじ 。
^ 金山 かなやま 弥平 やへい 「懐疑 かいぎ 主義 しゅぎ に対 たい する或 ある る古代 こだい の批判 ひはん ー アリストクレス「哲学 てつがく について」より 」『名古屋大学 なごやだいがく 文学部 ぶんがくぶ 研究 けんきゅう 論集 ろんしゅう 』1997年 ねん 、NAID 110000295868 75頁 ぺーじ (エウセビオス 『福音 ふくいん の準備 じゅんび (英語 えいご 版 ばん ) 』所 しょ 引メッセネのアリストクレス (英語 えいご 版 ばん ) 『哲学 てつがく について』断片 だんぺん )
^ Teles of Megara (1977), “Discourse 3, "On Exile"”, in O'Neil, Edward, Teles the Cynic Teacher , Scholars Press, p. 21 (ストバイオス 所 ところ 引メガラのテレス (英語 えいご 版 ばん ) 著作 ちょさく 断片 だんぺん )
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