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テレンス・マリック

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テレンス・マリック
Terrence Malick
Terrence Malick
本名ほんみょう Terrence Frederick Malick
生年月日せいねんがっぴ (1943-11-30) 1943ねん11月30にち(80さい
出生しゅっしょう アメリカ合衆国の旗 アメリカ合衆国あめりかがっしゅうこく イリノイしゅうオタワ
職業しょくぎょう 映画えいが監督かんとく脚本きゃくほんプロデューサー
ジャンル 映画えいが
活動かつどう期間きかん 1969ねん - 1978ねん
1998ねん -
配偶はいぐうしゃ ジル・ジェイク (1970ねん - 1976ねん
ミシェル・マリー・モレット (1985ねん - 1996ねん
アレクサンドラ・ウォレス (1998ねん - )
おも作品さくひん
監督かんとく
天国てんごく日々ひび
シン・レッド・ライン
ツリー・オブ・ライフ
ひじりはいたちの騎士きし
トゥ・ザ・ワンダー
ボヤージュ・オブ・タイム
ソング・トゥ・ソング
もなき生涯しょうがい
製作せいさく
至福しふくのとき
アメイジング・グレイス
 
受賞じゅしょう
カンヌ国際映画祭かんぬこくさいえいがさい
パルム・ドール
2011ねんツリー・オブ・ライフ
監督かんとくしょう
1979ねん天国てんごく日々ひび
エキュメニカル審査しんさいんしょう
2019ねんもなき生涯しょうがい
フランソワ・シャレしょう
2019ねんもなき生涯しょうがい
ヴェネツィア国際こくさい映画えいがさい
カトリックメディア協議きょうぎかいしょう
2012ねんトゥ・ザ・ワンダー
ベルリン国際こくさい映画えいがさい
きむくましょう
1999ねんシン・レッド・ライン
全米ぜんべい映画えいが批評ひひょう協会きょうかいしょう
監督かんとくしょう
1978ねん天国てんごく日々ひび
2011ねん『ツリー・オブ・ライフ』
ニューヨーク映画えいが批評ひひょう協会きょうかいしょう
監督かんとくしょう
1978ねん天国てんごく日々ひび
1998ねん『シン・レッド・ライン』
ロサンゼルス映画えいが批評ひひょう協会きょうかいしょう
監督かんとくしょう
2011ねん『ツリー・オブ・ライフ』
AFIしょう
フランクリン・J・シャフナーしょう
2000ねん 並外なみはずれた創造そうぞうてき才能さいのう芸術げいじゅつてき業績ぎょうせきとなえて
そのしょう
カンザスシティ映画えいが批評ひひょう協会きょうかいしょう
監督かんとくしょう
2011ねん『ツリー・オブ・ライフ』
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テレンス・マリックTerrence Malick1943ねん11月30にち - )は、アメリカ合衆国あめりかがっしゅうこく映画えいが監督かんとく脚本きゃくほんプロデューサーである。

[編集へんしゅう]

1943ねん11月30にちイリノイしゅうオタワ地質ちしつ学者がくしゃエミール・A・マリックの息子むすことしてまれた。父方ちちかた祖父母そふぼアッシリアけいキリスト教きりすときょう移民いみんである。テキサスしゅうウェーコオクラホマしゅうそだった。 二人ふたりおとうとがおり、そのうちの一人ひとりであるラリーは1960年代ねんだいギタリストとしてスペイン留学りゅうがくアンドレス・セゴビアおしえをけたが、1968ねんにプレッシャーから自身じしんきずつけた直後ちょくご自殺じさつした。

マリックはハーバード大学だいがく哲学てつがく専攻せんこうし、1965ねん首席しゅせき卒業そつぎょうローズ奨学しょうがくきんオックスフォおっくすふぉド大学どだいがく大学院だいがくいん入学にゅうがくした。日常にちじょう言語げんご学派がくは哲学てつがくしゃギルバート・ライルもとまなんだが、キェルケゴールウィトゲンシュタインかんする意見いけんわず、博士はかせ論文ろんぶんさずに中退ちゅうたいした。

そのアメリカ帰国きこくし、1969ねんノースウェスタン大学だいがくからハイデッガー著作ちょさく翻訳ほんやくほん出版しゅっぱんマサチュまさちゅセッツ工科大学せっつこうかだいがく哲学てつがくおしえるかたわら、フリーランスのジャーナリストとしてニューズウィークニューヨーカーライフ記事きじ執筆しっぴつした。

キャリア[編集へんしゅう]

アメリカン・フィルム・インスティチュート次世代じせだい映像えいぞう作家さっか育成いくせい目的もくてきに、1967ねん設立せつりつしたばかりのAFI Conservatoryに入学にゅうがく俳優はいゆうジャック・ニコルソンやプロダクションデザイナーのジャック・フィスクらとった。フィスクはのちに、マリックの作品さくひんのプロダクションデザインを毎回まいかいがけることになる。1969ねんには短編たんぺん映画えいがLanton Mills』を製作せいさくした。

1971ねんにジャック・ニコルソンが監督かんとくつとめた『Drive, He Said』や『ダーティハリー』の初期しょき草稿そうこう脚本きゃくほんとしてたずさわり、映画えいがかい進出しんしゅつよく1972ねんにはポール・ニューマン主演しゅえんの『ポケット・マネー』の脚本きゃくほん執筆しっぴつ1973ねんにははつ長編ちょうへん地獄じごく逃避行とうひこう』を発表はっぴょうした。

1978ねん長編ちょうへん2さくとなる『天国てんごく日々ひび』では、それまでのハリウッドではこころみられたことのない編集へんしゅう光量ひかりりょう音量おんりょう調整ちょうせい試行しこう錯誤さくごしたため、ポストプロダクションに2ねんかかる力作りきさくとなった。アカデミー作曲さっきょくしょう音響おんきょうしょう衣装いしょうデザインしょうなどにノミネートされ、撮影さつえい監督かんとくつとめたネストール・アルメンドロスアカデミー撮影さつえいしょう受賞じゅしょうした。また、だい32かいカンヌ国際映画祭かんぬこくさいえいがさいのコンペティション部門ぶもん出品しゅっぴんされ、監督かんとくしょう受賞じゅしょうした。

そのつぎさく試作しさく途中とちゅう突如とつじょパリ移住いじゅう。その公衆こうしゅう面前めんぜん一切いっさい姿すがたあらわさなくなる。フランスではすうほん脚本きゃくほん執筆しっぴつしながら、ながあいだ教鞭きょうべんっていた。

1998ねん太平洋戦争たいへいようせんそうにおけるガダルカナルとうたたかえがいた長編ちょうへんシン・レッド・ライン』を発表はっぴょう。20ねんぶりに映画えいが監督かんとくとして復帰ふっきした。どうさくだい49かいベルリン国際こくさい映画えいがさいきむくましょう受賞じゅしょうアカデミーしょうでは7部門ぶもんにノミネートされた。

2005ねんの『ニュー・ワールド』をて、2011ねんブラッド・ピットショーン・ペン起用きようした『ツリー・オブ・ライフ』を発表はっぴょうだい64かいカンヌ国際映画祭かんぬこくさいえいがさいパルム・ドール受賞じゅしょうした。よく2012ねんにはオルガ・キュリレンコベン・アフレックらが出演しゅつえんした『トゥ・ザ・ワンダー』を発表はっぴょうだい69かいヴェネツィア国際こくさい映画えいがさいでSIGNISしょう(カトリックメディア協議きょうぎかいしょう)を受賞じゅしょうした。2015ねんにはクリスチャン・ベールナタリー・ポートマンらが出演しゅつえんする『ひじりはいたちの騎士きし』が、2016ねんにはドキュメンタリー『ボヤージュ・オブ・タイム』がそれぞれ公開こうかいされた。2019ねんにはだい世界せかい大戦たいせんちゅうドイツにて良心りょうしんてき兵役へいえき拒否きょひおこなって処刑しょけいされたフランツ・イェーガーシュテッター人生じんせいえがく『もなき生涯しょうがい』を監督かんとくし、だい72かいカンヌ国際映画祭かんぬこくさいえいがさいエキュメニカル審査しんさいんしょうフランソワ・シャレしょう英語えいごばん受賞じゅしょうするなどたか評価ひょうかされた[1][2][3]

人物じんぶつ[編集へんしゅう]

1973ねんの「地獄じごく逃避行とうひこう」から2011ねんの「ツリー・オブ・ライフ」までのおよそ40年間ねんかん監督かんとくした作品さくひんはわずか5ほんと、非常ひじょう寡作かさくだったが、それ以降いこう製作せいさくのペースががっている。アカデミーしょう授賞じゅしょうしきかく映画えいがさいには出席しゅっせきすることなく、メディアへの露出ろしゅつやインタビューもほとんどない。すくなくとも、2011ねん時点じてんではテキサスしゅうオースティンんでいるとみられる。

フィルモグラフィー[編集へんしゅう]

とし 作品さくひん 役職やくしょく 備考びこう
1969 Lanton Mills 監督かんとく脚本きゃくほん作曲さっきょく出演しゅつえん 短編たんぺん映画えいが
1971 ダーティハリー
Dirty Harry
脚本きゃくほん クレジット
Drive, He Said 脚本きゃくほん クレジット
1972 ポケットマネー
Pocket Money
脚本きゃくほん出演しゅつえん
1973 地獄じごく逃避行とうひこう
Badlands
監督かんとく製作せいさく脚本きゃくほん出演しゅつえん
1978 天国てんごく日々ひび
Days of Heaven
監督かんとく脚本きゃくほん出演しゅつえん 受賞じゅしょう: カンヌ国際映画祭かんぬこくさいえいがさい監督かんとくしょう
受賞じゅしょう: 全米ぜんべい映画えいが批評ひひょう協会きょうかいしょう監督かんとくしょう
受賞じゅしょう: ニューヨーク映画えいが批評ひひょう協会きょうかいしょう監督かんとくしょう
ノミネート: カンヌ国際映画祭かんぬこくさいえいがさいパルム・ドール
1998 シン・レッド・ライン
The Thin Red Line
監督かんとく脚本きゃくほん 受賞じゅしょう: ベルリン国際こくさい映画えいがさいきむくましょう
受賞じゅしょう: ニューヨーク映画えいが批評ひひょう協会きょうかいしょう監督かんとくしょう
ノミネート: アカデミーしょう監督かんとくしょう
ノミネート: アカデミーしょう脚色きゃくしょくしょう
2002 ベアーズ・キス
Bear's Kiss
脚本きゃくほん
至福しふくのとき
幸福こうふくひかり / Happy Times
製作せいさくそう指揮しき
2004 アンダートウ 決死けっし逃亡とうぼう
Undertow
製作せいさく
2005 ニュー・ワールド
The New World
監督かんとく脚本きゃくほん
2006 アメイジング・グレイス
Amazing Grace
製作せいさく
2007 The Unforeseen 製作せいさくそう指揮しき ドキュメンタリー
2011 ツリー・オブ・ライフ
The Tree of Life
監督かんとく脚本きゃくほん 受賞じゅしょう: カンヌ国際映画祭かんぬこくさいえいがさいパルム・ドール
受賞じゅしょう: ロサンゼルス映画えいが批評ひひょう協会きょうかいしょう監督かんとくしょう
受賞じゅしょう: サンフランシスコ映画えいが批評ひひょう協会きょうかいしょう監督かんとくしょう
ノミネート: アカデミーしょう監督かんとくしょう
2012 トゥ・ザ・ワンダー
To the Wonder
監督かんとく脚本きゃくほん
2013 Red Wing 製作せいさくそう指揮しき
2014 The Better Angels 製作せいさく
2015 ひじりはいたちの騎士きし
Knight of Cups
監督かんとく脚本きゃくほん
2016 The Seer: A Portrait of Wendell Berry 製作せいさくそう指揮しき ドキュメンタリー
ボヤージュ・オブ・タイム
Voyage of Time
監督かんとく脚本きゃくほん ドキュメンタリー
The Vessel 製作せいさくそう指揮しき
The Spearhead Effect 製作せいさくそう指揮しき
2017 ソング・トゥ・ソング
Song to Song(Weightless から改題かいだい
監督かんとく脚本きゃくほん
2019 もなき生涯しょうがい
A Hidden Life
監督かんとく脚本きゃくほん

脚注きゃくちゅう[編集へんしゅう]

  1. ^ みなもと (2019ねん11月6にち). “巨匠きょしょうテレンス・マリック監督かんとくはつ実話じつわ映画えいがもなき生涯しょうがい邦題ほうだい日本にっぽん公開こうかい決定けってい”. スクリーン・オンライン. 2020ねん1がつ4にち閲覧えつらん
  2. ^ Prix François Chalais - Festival de Cannes”. アロシネ. 2020ねん1がつ4にち閲覧えつらん
  3. ^ McNary, Dave (2019ねん8がつ23にち). “Festival Selects Terrence Malick’s ‘A Hidden Life’”. バラエティ. 2020ねん1がつ4にち閲覧えつらん

外部がいぶリンク[編集へんしゅう]