(Translated by https://www.hiragana.jp/)
トゥーゲントハット邸 - Wikipedia コンテンツにスキップ

トゥーゲントハットてい

出典しゅってん: フリー百科ひゃっか事典じてん『ウィキペディア(Wikipedia)』
トゥーゲントハットてい
Vila Tugendhat
にわから建物たてもののぞ
トゥーゲントハット邸の位置(ブルノ内)
トゥーゲントハット邸
トゥーゲントハット邸の位置(チェコ共和国内)
トゥーゲントハット邸
ブルノない位置いち
概要がいよう
所在地しょざいち ブルノチェコ
座標ざひょう 北緯ほくい4912ふん26びょう 東経とうけい1636ふん57びょう / 北緯ほくい49.20722 東経とうけい16.61583 / 49.20722; 16.61583
着工ちゃっこう 1928ねん (1928)
完成かんせい 1930ねん (1930)
設計せっけい建設けんせつ
建築けんちく ルートヴィヒ・ミース・ファン・デル・ローエ
登録とうろくめいTugendhat Villa in Brno(えい)、Villa Tugendhat à Brno(ふつ
区分くぶんCultural
基準きじゅんii, iv
登録とうろく2001ねん だい25かい世界せかい遺産いさん委員いいんかい)
登録とうろくコード1052
State Partyチェコ共和きょうわこく
RegionEurope and North America
テンプレートを表示ひょうじ
世界遺産 ブルノの
トゥーゲントハットてい
チェコ
英名えいめい Tugendhat Villa in Brno
ふつめい Villa Tugendhat à Brno
面積めんせき 0.73 ha
緩衝かんしょう地域ちいき 2,824.899902 ha)
登録とうろく区分くぶん 文化ぶんか遺産いさん
登録とうろく基準きじゅん (2), (4)
登録とうろくねん 2001ねん
備考びこう 位置いち北緯ほくい4912ふん26びょう 東経とうけい1636ふん57びょう / 北緯ほくい49.20722 東経とうけい16.61583 / 49.20722; 16.61583
公式こうしきサイト 世界せかい遺産いさんセンター英語えいご
使用しよう方法ほうほう表示ひょうじ

トゥーゲントハットてい[1]Vila Tugendhat)は、1928ねんから1930ねんにかけてチェコスロバキアげんチェコ領内りょうない)のブルノてられた邸宅ていたくである。ドイツモダニズム建築けんちくいえミース・ファン・デル・ローエ代表だいひょうさくのひとつとなされており、チェコスロバキアの機能きのう主義しゅぎてき建築けんちくぶつなかでは、さい重要じゅうようにしてもっとうつくしいものである。トゥーゲントハートてい[2]ツゲンドハットてい[3]とも表記ひょうきされる。

1992ねんには、チェコとスロバキア分離ぶんり独立どくりつ(いわゆるビロード離婚りこん)をめたさいに、調印ちょういんしきおこなわれた歴史れきしてき場所ばしょでもある。

特色とくしょく[編集へんしゅう]

邸宅ていたく入口いりくち
邸宅ていたくにわ
トゥーゲントハットてい入口いりくち

邸宅ていたくはブルノ近郊きんこう位置いちし、元々もともと市街しがい見渡みわたせた傾斜地けいしゃちっている。とおりにめんしたうえかい部分ぶぶん入口いりくちおよび寝室しんしつにわめんしたしたかい部分ぶぶん居室きょしつ食堂しょくどう書斎しょさい配置はいちされた2かいての住宅じゅうたくである。

ミース・ファン・デル・ローエは、この邸宅ていたく設計せっけいつうじて、近代きんだい建築けんちく原則げんそくひとつである「自由じゆう平面へいめん」の概念がいねん発達はったつさせた。それは、機能きのうむすけられた空間くうかん食堂しょくどう書斎しょさいサロンなど)が、仕切しきられることなく決定けっていされるというものである。

建物たてもの鋼鉄こうてつせいで、バルセロナ・パビリオンのように、はしら十字形じゅうじがたステンレスほろけられていた。それはうごかべけてより自由じゆう空間くうかん設計せっけい可能かのうにするものであった。材質ざいしつ注意深ちゅういぶか選定せんていされ、ゆかにはトラバーチンもちいられ、仕切しきりのかべにはレモン黒檀こくたんなどの高級こうきゅう木材もくざい薄板うすいたられていた。このかべは、にわからの書斎しょさいへの直射ちょくしゃ日光にっこうさえぎるためのもので、かべ自体じたいしま瑪瑙めのう一枚岩いちまいいわつくられている。にわめんしたファサードは、ひかり最大限さいだいげんむために全面ぜんめんガラス張がらすばりになっている。このガラスはおおきないたガラスぐんもちいられており、できるかぎ指物さしもの細工ざいく削減さくげんすることをねらったものであった。

ミース・ファン・デル・ローエは、かれ普段ふだんよくやるように、自身じしん家具かぐ設計せっけいまでがけた。とくトゥーゲントハットの椅子いすTugendhat chair)、ブルーノ・チェアられるが、設計せっけい電気でんきのスイッチにまでおよんでいた。それらの調度ちょうどひんには、ゆかにボルトでめられているものもある。

歴史れきし[編集へんしゅう]

1928ねん実業じつぎょうのフリッツ・トゥーゲントハットとそのつまアルフレダから設計せっけい依頼いらいがあり、ミースはよく1929ねんまで設計せっけいおこなった。1929ねん建設けんせつはじまり1930ねん竣工しゅんこうした。完成かんせいするとすぐに、モダニズム建築けんちくにとっての一種いっしゅイコンとなった。

本来ほんらい所有しょゆうしゃであるエルンスト・トゥーゲントハット有名ゆうめいなトゥーゲントハット一家いっかは、ユダヤけいであったことから、切迫せっぱくしたナチス・ドイツ迫害はくがいおそれ、スイスへと移住いじゅうした。かれらはそのベネズエラわたり、二度にどもどってくることはなかった。

だい世界せかい大戦たいせんなかには、ドイツじんたちが占領せんりょうし、この邸宅ていたくメッサーシュミットしゃ研究けんきゅう事務所じむしょいた。ドイツの敗北はいぼくはロシアじんたちが占領せんりょうしたが、こうした占領せんりょう期間きかんちゅうに、邸宅ていたくおおいにらされた。

1955ねんに、邸宅ていたくはチェコスロバキアの国有こくゆうとなり、子供こどもたちのさい教育きょういくセンターがおかれた。1963ねんには歴史れきしてき文化財ぶんかざい指定していけ、修復しゅうふくはじまったが、冷戦れいせん影響えいきょうによってしつめん問題もんだいしょうじた。たとえば、ブラジルさん高級こうきゅう木材もくざい調達ちょうたつするのも、チェコスロバキアにとっては非常ひじょう困難こんなんなことであり、おおかれすくなかれ納得なっとくのいく代用だいようひんもちいられることになった。

1992ねんには、この邸宅ていたくでチェコがわヴァーツラフ・クラウスとスロバキアがわヴラジミール・メチアル会談かいだんち、翌年よくねんチェコスロバキアを解体かいたいするための調印ちょういんしきおこなった。

今日きょう、トゥーゲントハットてい一般いっぱんのアクセスが可能かのうである。やしきないでは展示てんじしつもあり、ブルノ当局とうきょく文化ぶんか行事ぎょうじなどを開催かいさいしている。

世界せかい遺産いさん[編集へんしゅう]

トゥーゲントハットていは2001ねん12月にユネスコ世界せかい遺産いさん登録とうろくされた。チェコの世界せかい遺産いさんなかでは11番目ばんめ文化ぶんか遺産いさんである。ユネスコでは、とく原料げんりょう選定せんていめんなどで本来ほんらい姿すがた忠実ちゅうじつ復元ふくげんおこなうことを企図きとしており、そのための資金しきん拠出きょしゅつおこなわれる見通みとおしである。

登録とうろく基準きじゅん[編集へんしゅう]

この世界せかい遺産いさん世界せかい遺産いさん登録とうろく基準きじゅんのうち、以下いか条件じょうけんたし、登録とうろくされた(以下いか基準きじゅん世界せかい遺産いさんセンター公表こうひょう登録とうろく基準きじゅんからの翻訳ほんやく引用いんようである)。

  • (2) ある期間きかんつうじてまたはある文化ぶんかけんにおいて、建築けんちく技術ぎじゅつ記念きねんてき芸術げいじゅつ都市とし計画けいかく景観けいかんデザインの発展はってんかんし、人類じんるい価値かち重要じゅうよう交流こうりゅうしめすもの。
  • (4) 人類じんるい歴史れきしじょう重要じゅうよう時代じだい例証れいしょうする建築けんちく様式ようしき建築けんちくぶつぐん技術ぎじゅつ集積しゅうせきまたは景観けいかんすぐれたれい
あき

脚注きゃくちゅう[編集へんしゅう]

  1. ^ 表記ひょうきれいとしては以下いかのものがある。日高ひだか健一郎けんいちろう監修かんしゅう世界せかい遺産いさん百科ひゃっかひいらぎふうしゃ、2014ねん古田ふるたようひさ古田ふるた真美まみ世界せかい遺産いさん事典じてん - 2014改訂かいていばん』シンクタンクせとうち。
  2. ^ 表記ひょうきれいには以下いかのものがある。『地球ちきゅうあるかた チェコ ポーランド スロヴァキア 2013-2014』ダイヤモンド社だいやもんどしゃ世界せかい遺産いさん検定けんてい事務じむきょく『すべてがわかる世界せかい遺産いさんだい事典じてんした〉』マイナビ出版しゅっぱん、2016ねん沖島おきのしま博美ひろみ旅名たびなじんブックス チェコ歴史れきし散歩さんぽだい5はん日経にっけいBP企画きかく、2010ねん沼野ぬまのたかしよし監修かんしゅうちゅうおう ポーランド・チェコ スロヴァキア・ハンガリー』新潮社しんちょうしゃ、1996ねん。『世界せかい建築けんちく街並まちなみガイド5』エクスナレッジ、2004ねん。『しんていばん 世界せかい遺産いさんなるほど地図ちずちょう講談社こうだんしゃ、2012ねん
  3. ^ 日本にっぽんユネスコ協会きょうかい連盟れんめい世界せかい遺産いさん年報ねんぽう2016』講談社こうだんしゃ、2015ねん

おも文献ぶんけん[編集へんしゅう]

外部がいぶリンク[編集へんしゅう]